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新・明治ちゃんねるについて
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校友(OB・OG)、準校友(現役学生)をはじめとする明治大学の関係者のみなさんが明治大学に関する情報交換をする場を設けるべく、この度「新・明治ちゃんねる」を開設いたしました。
お役立てください。
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いや、手元に資料はないけど、
仏教は中国に伝わるまでにある程度変容してるし、中国に入ってから中国化もしているのは間違いないよ。
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簡単に言って、ブッダを神の化身とする考えはヒンドゥー教のものだね。
ていうか、なんでこんな話をしてんだっけ。
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教えの本質はインドであろうと中国であろうと同じだよ。
手元に資料がないかい。仏教は単独で伝わったのだからそうだろうな。
私事で申し訳ないが、偶然インドで仏の教えを英語で聞いたことがあ
るが、インドで有名なヒンズー教寺院の僧侶からだった。
現地で英語訳の現地のヒンズー教関係本も買い読んだら、僧侶から聞
いたことと同じだった。帰国後在日インド人や、インドで生活したこ
とのある日本人と話する機会があったが、同じことを言っていたな。
その後しばらく忘れていたが、ある日インドを紹介する日本語の本を
本屋で見つけたが、同じことが記載されていたよ。
立ち読みだったので、本のタイトルや出般社までは記憶してないが。
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こだわるようだけど、釈迦を神の化身とするのは、ヒンドゥー教の立場だよ。それは仏教の教えではない。
あなたが会ったインド人は仏教徒ではないということでしょう。。常識だろうけど、インドでは仏教徒はごく少数派だからね。
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意図した事ではないでしょうが、式年遷宮は凄いなと思う。20年で作り替えたら文化財にならない。
建物自体が信仰の対象にならないようになっている。バチカンの建物なんて、イエスが復活したら真っ先にぶっ壊すだろうね。
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>>990
いまだだすきっりしない。
何度も言うけど、日本に仏教だけが伝わる段階で、インドでいうところに
神の化身という概念が使われていないから、日本では神と言われてもピン
とこないのは当然だろうと思うし、以前は僕自身も同じだった。
ところがインドに行った以降は、上にも書いていることを知り、やっぱり
神の概念だよなと思うようになった。
何故かというと、ブッダの神の化身と言われている性質や教えが同じもの。
それとインド在住経験のある日本人は、インドで数少ない仏教寺院を信仰
していたが、その寺院自体が仏教として独立したものではないということ
を聞いた。上には書かなかったが、知人が旅行で仏教寺院を訪れた人もい
いるが、同じことを言っていたね。
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もうこの話はこれくらいにしておくよ。
最後になるがインドには、北部に仏教寺院がヒンズー教の一会派の寺院
が点在する。
日本では仏教単独として成立しているから、それはそれでいい。
ただ正確には、そういうことだね。
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一会派の寺院が点在する。 <訂正> 一会派の寺院として点在する。
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日本の本地垂迹説を思い起こせばいいと思う。あれは日本の神を仏の化身とする思想だよね。
釈迦をヒンドゥーの神の化身としたのも、その相似形でしょう。
ある信仰の形を異なる宗教の体型に取り込むための読み替えが行われたということ。
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wikipedia には仏教に関する項目がたくさんあるね。内容もわりと信頼できそうな感じがする。
とりあえず、
「仏教」の項目の「輪廻転生・六道・仏教と神」と、「神」の項目の「仏教」だけ見とけばいいんじゃないかな。
ほかにも、「インドの仏教」「初期仏教」 「釈迦」「インドにおける仏教の衰退」などの項目がある。
NHK高校講座・世界史の、「古代インド 〜仏教とアショーカ王〜」も見ておくとよさそう。
https://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/sekaishi/archive/resume004.html
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もう書かないつもりだったが一言だけ。
世界にはいろんな宗教があるが、まともなものは、本来より善良で幸福な
人生を送るために道がとかれている。
しかし悲しいかな人は自分の都合で、いざこざが絶えない歴史や危険なこ
とを繰り返しいる。また自分の信仰だけが全てで、他のものを尊重しない
ことによる本来の道から外れたことを平気でやってしまう人もいる。
そのことに気が付けば、世の中も少しは変わるが、現実問題としてそうは
なっていないのが悲しいね。
宗教的な他を思いやる心が多くの人に宿れば、きな臭いことや差別も解消
される方向に向かうのだが残念。
宗教に抵抗感のある人には、環境問題を直視し問題解決することを考える
ようになると、おのずと人は命の大切さを重視するようになるからお勧め。
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歴史は勝者によって書かれるもので、そこには宗教の入る余地は
ないでしょうね。勝者とは武力により勝利したもので敗残者の
生き死にを自由にできた、今も形は違うが出来ている。
戦争に良い戦争があるかと問われれば、抵抗運動にはある程度の
正当性は見られるが負ければそれも断罪されるということです。
宗教の及ぼす影響はそういう悲劇が終わったのちの慰めにはなるが
戦争を止める手段にはなりえない。残念ながら役には立たないんですね。
武力行使を紛争解決のために使おうとするものに神であれ仏であれ
祈りでも念仏でも効き目はないのですよ。
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大事なのは大切なのは敵対する可能性があると思われる国々の
精度の高い情報を、機密情報を知ることで、それを友好国と共有し合い
事前に対策を錬っておくことなんです。それ以外には無いと思います。
宗教家同士の世界平和を祈っての平和集会はなんら効力はないが(アピール効果ぐらいは期待できる)
諜報活動による友好国同士の意志疎通が事前に来るべき危機を
回避する武器になると思いますね。宗教家は夢想家と同義だと思ってますから
現実問題の解決には何ら役には立たないとそう考えています。
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たからさ。
この世のから、紛争や戦争はなくならい。
しかし、民主主義の国では、民度が一定の歯止めにはなる。
最近の例では、シリアに介入しようとしたイギリス政府は、多くの国民の
反対で、介入を断念している。
戦勝の勝者が、真の勝者とも思わないな。
アメリカ人の知人などいたが、その代償としてアメリカは様々な意味での
苦しみに見舞われている現実もある。
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