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山田顯義先輩! 僕は後輩の日本大学生です。
1
:
櫻門桜 満開
:2019/04/30(火) 21:05:38
先輩! これからよろしくお願いします。
高杉晋作先輩、大村益次郎先輩、桂小五郎先輩(木戸孝允)、
山田市之允(顯義)先輩。宜しく。
106
:
名無しさん
:2019/09/10(火) 17:33:46
国学院大学(東京都渋谷区、創立:1882年、設立:1920年)
日本大学(東京都千代田区、創立:1889年、設立:1920年)
起源は国学院大学の前身である皇典講究所に設置された
日本法律学校。明治時代に法律といえば、ほとんど欧米の法律でしたが、ここは日本法律を学ぶ目的で創られました。
日本法律学校の設立を中心的に進めたのが、皇典講究所の所長であり、司法大臣も務めた
山田顕義(やまだ・あきよし)でした。日本大学はこの山田顕義を学祖としています。
右は千代田区飯田橋3丁目にある日本大学と国学院大学の開校記念碑。
ここに皇典講究所があり、その敷地内に日本法律学校があったわけです。
↑
やっぱり國學院が兄で日大が弟の関係が正しいわけですね。
107
:
名無しさん
:2019/09/13(金) 20:02:40
狂騒のパジェント 靖国神社の大村益次郎像についての批判
http://pagent.seesaa.net/article/388231675.html
「兵は隊伍に偏し、銃砲を取り敵前に進ましむることを以て、
本務とすべからず、人民一般の知識敵兵に超越するを以て最要とす」。
山田顯義はヨーロッパ視察後、「軍政建白書」という長大な意見書を
提出しているが、その中に次のような一節がある。
「兵は隊伍に偏し、銃砲を取り敵前に進ましむることを以て、
本務とすべからず、人民一般の知識敵兵に超越するを以て最要とす。
ここにおいて、国民中貴賤貧富の別なく、幼稚のときより
郷学において、普通学を教え、兼ねて銃器訓練を行はしむ」
108
:
旭日旗のデザインは明治大学名誉校員山田顯義のオリジナルの作品
:2019/09/18(水) 12:27:10
○海上自衛隊創設当時の旭日旗に関する逸話○
新しい軍艦旗を作るために旗のデザインを画家の米内穂豊に依頼したら、出来てきたのは戦前と同じ海軍旗だった。
どういうことだ?と米内画伯に質したら、「それ以上の見事はデザインが出来るわけがない」との返答。頼んだ海上自衛隊も
それはそうだと得心して上申し、自衛艦旗は戦前の海軍旗(つまりは旭日旗)を継承することに時の総理の吉田茂が決めた。
吉田が存命なら、韓国国会で唐突に審議に入った《旭日旗禁止法案》の淵源を「軍国主義の亡霊」ではなく「有名ブランドへの
嫉妬」と総括することだろうw
大日本帝國海軍の《軍艦旗=十六条旭日旗》を、海上自衛隊の《自衛艦旗》として最終的に承認するにあたり、吉田が語った感想が、
「世界中でこの旗を知らぬ国はない。どこの海に在っても日本の艦であることが一目瞭然で実に結構だ。海軍の良い伝統を受け
継いで、海国日本の守りをしっかりやってもらいたい」
http://www.mod.go.jp/pco/kagoshima/kachihon/mini/kaijimini5.html
「海上自衛隊の自衛艦旗のデザインは広く公募されました。陸上自衛隊にあっては、旭日をベースとしながらも旧陸軍とは異なる
デザインに決まりました。他方、自衛艦旗は、3回公募しましたが、3回とも旧海軍と同一のデザインが選考され、芸大の教授
に依頼しても、「旧海軍の軍艦旗は理想の構成・構図であり、これ以上の図案はできない」とのことで、旧海軍の軍艦旗と同一
のデザインが最終的に採用され、現在に至っています。」
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