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避難所SS投下スレ五

1銃は杖よりも強いと言い張る人:2008/11/26(水) 01:18:53 ID:LHhNtMKE
前のスレに収まりそうに無いので、ムシャクシャしてスレを立てた。
今は反省している。

というわけで、早速投下します。

240名無しさん:2009/05/07(木) 21:05:26 ID:l/qs0C1M
味見さんお疲れ様でしたー
いよいよ最終回寂しい限りです
そしてイザベラ様……さようなら
塵になったビダーシャルさんドンマイ☆

241味も見ておく使い魔 第8章(最終章):2009/05/10(日) 00:02:11 ID:1SNotwrc

「大丈夫? タバサ」ルイズが改めてタバサに問いかけた。タバサの周りには、かつてイザベラであった塵が舞っている。
 いまさっきまで敵対していたとはいえ、実の従兄弟が死んだのだ。普通の精神ならば、いくらか精神に変調をきたしてもおかしくないはずだった。
 だが、タバサは、
「大事無い。それよりもあなたたちの傷の治療をしなければ」
 そういいきり、淡々と杖を振った。が、ルイズにかけられた治療の速度がいつもと段違いに遅い。それは、
「タバサ。それはイザベラの杖よ」
 タバサが振った杖はイザベラの杖であった。あわてた風に取り替えるタバサ。
 ようやくルイズの治癒が終わるころ、気絶したはずのキュルケから苦痛の吐息が発せられた。どうやら彼女の意識が回復したようであった。
「大丈夫、キュルケ?」
 立てる? と問いかけたルイズだったが、キュルケは目を開き、気丈に微笑んで見せる。
「ええ、少々体力が不安だけれどね。ルイズ、立つのに腕を貸して頂戴」
「ええ、いいわ」
 近づくルイズに右手を差し伸べたキュルケは、
「こういうことならもっと体力をつけておけば――」不自然に口調をとぎらせた。
「キュルケ?」
「危ないッ!」キュルケは持てる限りの力で、ルイズとタバサの二人を押し倒した。
 ルイズにおおいかぶさるキュルケ。
「いたた、どうしたのよ――ってキュルケ!」
 キュルケの背中には、いつの間にか何十本もの大小の純銀のナイフが突き刺さっていた。彼女の意識はすでにない。
「タバサ! 急いで治療を!」ルイズが叫んだ。
「わかった!」
 頷いたタバサは足をもつらせながらキュルケのほうへと走りよる。
 しかし、
「そのような好機など。与えんよ」
 タバサはいつの間にかジョゼフに肩をつかまれていた。
「そんな!」
「いつの間に?」気配はまったくなかった。
 このままではキュルケの治療ができない。タバサは力の限りもがく。と同時に、振り返りざまに氷の塊をジョゼフめがけて打ちはなつ。
「?」
 だが、ジョゼフはその場から消えうせたかのようにいなくなっていた。ジョゼフの姿を捜し求めるタバサ。

242味も見ておく使い魔 第8章(最終章):2009/05/10(日) 00:02:47 ID:1SNotwrc
 
 と、そこに、 ルイズの絶叫が響き渡った。
「あなた、何をするつもり?!」
 タバサがその方向に目をやると、微動だにしないキュルケを抱きかかえるルイズと、薄ら笑いを浮かべて突っ立っているジョゼフがいた。
「このナイフは私が投げたものだ。だから、しっかりと回収しなくては」
 彼は一本一本、勢いよく、キュルケに刺さっているナイフを引き抜き始めた。
 ズチュッ。ズルチュチュッ!
 その度ごとに、キュルケの傷口からどす黒い血液が噴水のように放出されてゆく。
「やめてぇ!」
 ルイズは絶叫とともに、彼女を庇いたてるように、いやいやとキュルケを抱える腕を振り回した。そのたびごとにキュルケの赤い血液がルイズの顔に降り注ぐ。一方のジョゼフはそれを愉快そうににやけてみるだけである。
 キュルケたちを傷付けずに、ジョゼフのみを攻撃する方法は――
 タバサは一瞬の判断のうちに『ブレイド』の魔法を唱え、自分の長い杖に魔法力をまとわりつかせる。
 あまりに危険。だが、ジョゼフの意識がルイズに向かっている今が唯一のチャンスでもある。タバサは無言で杖を逆手に持ち、ジョゼフの脇腹めがけて、体当たりをした。
 だが、またもやジョゼフはタバサの視界から消えうせた。

243味も見ておく使い魔 第8章(最終章):2009/05/10(日) 00:03:26 ID:1SNotwrc
 
「消えた?」
「……でも、この消失は僥倖とすべき。ルイズ、お願い」
 ルイズはキュルケを床に寝せ、周囲を警戒する。
 タバサは急いでキュルケに治癒魔法をかけ始めた。幾重にも噴出していた血が徐々におさまっていく。
 しかし、キュルケが今までに流出させた血液の量も尋常ではない。普段は日焼けで浅黒いキュルケの顔色が、すでに青白く変色している。
「キュルケは後どのくらいで回復する?」
「もうすぐ」
 そう応えながらも、タバサはあせっていた。回復してゆく時間が惜しい。いつになく回復が遅い気がする。自分の魔法力では、こんな速度でしか治癒できなかったか?
 なかなか治らない。今やっと傷口が閉じられた。後は体力の回復をしなければ。
 ミシッ。
「今の、何の音?」
「わからない」
 ルイズの問いかけに、タバサも周囲を見渡すが、あたりは薄暗く、あまり視界は良くない。タバサが作り出した氷のレンズも、いつの間にか消えうせてしまっていた。
 と、天井を見上げたルイズが叫ぶ。
「崩れるッ!」
 高さが三メイルほどの、廊下の石造りの天井に、大きな亀裂ができていた。
 ルイズたちはその真下にいる。
 その瞬間、奇妙な爆発音とともに、天井が巨大な無数の破片となって三人に降り注いだ。
 タバサは真上に向け、自分達を包み込むように風の障壁を作り出す。出力は全開。今のタバサのもてる限りの力だ。
 だが、巨大な瓦礫の勢いは埋め尽くすかのように雨あられと降り注ぐ。タバサは自分の杖と腕に、支えきれないほどの重力の力を支える結果となった。
「私に任せて!」
 ルイズはそういいながら、杖を真上に向ける。
 彼女はできる限りの早口で、虚無の魔法を唱えだした。
 爆発。
 ルイズのエクスプロージョンの魔法である。タバサは自分の杖に科せられていた圧力が急速に減衰していくのを感じていた。
 ルイズの魔法により、瓦礫は粉塵となって周囲に吹き飛んだ。ただでさえ良くない視界がなおも悪くなる。
「ケホッ。ゲホッ!」
 ルイズがむせる。大丈夫、無事な証拠だ。それよりも。
 キュルケは大丈夫だろうか?
 タバサは床にかがみこみ、寝たままのキュルケを眺めた。
 どうやら今の崩落では、キュルケは怪我を負ってはいないらしい。
 だが、傷が癒えたのに未だ意識が回復しないのが気にかかる……
 タバサが思ったとき、何かが土煙の向こう側で光った気がした。
「何――?」
 そうつぶやいたのと、理解したのはほぼ同時であった。

244味も見ておく使い魔 第8章(最終章):2009/05/10(日) 00:04:07 ID:1SNotwrc

 ナイフだッ! それもたくさんの!
 空間を埋め尽くさんと空中に並べられたナイフは、ほぼ同時刻に投げられたように、三人を包み込むように配置されている。
 まずい! あの量は! 私の風魔法では防ぎ切れない!
 フライでよける?
 いや、キュルケを見捨てるわけには行かない!
 タバサはルイズとキュルケを押し倒すようにして、ナイフに背を向けた。
 ドスッ! ドスッ!!!
 とっさに風の障壁を展開したもの、いくらかが確実にタバサの背に突き刺さる。
「ッ!!!」
 電撃を受けたような痛みがタバサを襲う。意識が飛びそうになるのを、かろうじて押さえつける。
「タバサ、しっかり!」
 ルイズが近づいてくるが、はいつくばった格好のタバサには、それに応える心理的肉体的余裕がない。
 パン、パン、パン……
 緊迫した空気の中、乾いた拍手の音が聞こえる。闇の中から聞こえ出すその音。
 タバサとルイズは同時にその方角に振り向いた。
「さすがだ。この危機的状況においても仲間を見捨てないとは。さすはシャルル兄さんの子だ。この俺の相手をするにはそのくらい正義感ぶっていなければな」
「ジョゼフ王……」
「しかし、少しやりすぎたかも知れんな。これでは私が楽しむ前に殺してしまうかもしれん」
 ほくそ笑むジョゼフ。

245味も見ておく使い魔 第8章(最終章):2009/05/10(日) 00:04:53 ID:1SNotwrc

 タバサは杖をジョゼフに向けた。ついにこの時がきたのだ。決着をつけるときが。
「王よ、あなたに決闘を申し込む」
「まって! この場はいったん退くわよ!」
 ルイズがとんでもないことを言い出した。いったい何故?
「ここは明らかに私達に不利よ。私達の周りにだけ瓦礫が散乱しているし、なによりも私達はあのナイフ攻撃の正体をつかんでいない。ここで戦っても敗北するだけだわ!」
 なるほど、確かに言われてみればそのとおりかもしれない。しかし、
「キュルケ、目を覚まして。いったん退く」
 肝心のキュルケが目を覚まさない。
「早く、タバサ! キュルケはもう……」

246味も見ておく使い魔 第8章(最終章):2009/05/10(日) 00:05:32 ID:1SNotwrc

「茶番劇をしている場合か、御二方?」
 ジョゼフのせりふが二人を貫き通す。
 その言葉と同時に、ジョゼフは懐から銃を取り出した。
「あなた、メイジの癖にそんなものを!」
「そうだ、俺は無能王。この俺にまともな四大系統魔法は何一つ使えやしない。だから、こういうものまで準備したのだ。なに、こうまで近いと素人でも外しやしまい」
 ジョゼフは一歩一歩、死刑宣告のように不気味に二人に近づいてくる。
「立ってタバサ! 距離をとって!」
 ルイズがタバサを無理やりに立たせる。
 タバサはレビテーションの魔法で、倒れたキュルケを引っ張りあげる。
 そうしておいてルイズとともに走り出したが、浮かんだキュルケがどうしても遅れていく。
「そう簡単にうまくいくかな?」
 ジョゼフは弾丸を発射した。
 それは高速でタバサの方角へととび込んできた。
 この距離。大丈夫だ。
 仰向けにのけぞった瞬間、額を高速の弾丸が掠め飛ぶ。
 かわせた!
 そう思った瞬間、弾丸は鋭い弧を描いて引き返してきたのだった。
 とっさに風の魔法で防ぐタバサ。そうしなければ反転してきた弾丸に命中していたであろう。
 結果としてキュルケを床に叩き付けてしまった。
 しかしそのことを後悔する暇などない。
「タバサ! この部屋に!」
 タバサはルイズとともに、最寄のドアを開け、広めの部屋に入り込んだ。
 全力で通過してきた扉を閉め、手近にある家具でつっかえを施す。

247味も見ておく使い魔 第8章(最終章):2009/05/10(日) 00:06:21 ID:1SNotwrc
 
「この扉の障害がいつまで持つかわからないけど、一旦はジョゼフと距離をおくことができるわ」
「でもキュルケがを置いてきてしまった」
「タバサ、いいにくいけど、キュルケはもう……」
「気にしないで、ルイズ。私はもう気持ちを切り替えている。ただ、あの王の元にキュルケを置いてきてしまった自分が許せないだけ」
 タバサはそうルイズに答えた。だが、それは半分正解であり、半分欺瞞でもあった。
 キュルケ。ごめんなさい。私と関わり合いにならなければ、こんなところで死ななかったはずなのに……
「タバサ。ごめんなさい。でも、今はキュルケのことを考えて落ち込んだり後悔している暇はないはずよ」
 ルイズの言葉は痛かった。痛かったが、まごうことなき正論であった。
「うん。わかっている。今はジョゼフを打倒することを考えるべき」
 タバサの見るところ、ジョゼフが今まで行ってきた数々の挙動。それは明らかに四大系統魔法の範疇を超えた領分のものであった。
 で、あるならば。
「スタンドか、虚無の魔法。おそらく両方」とタバサは断定した。
「それって、ジョゼフが私と同じ虚無の使い手かもって事?」
「うん。ジョゼフの突然の出現。ナイフ攻撃。天井の崩落。銃弾の操作。スタンドでは能力が多彩すぎるし、虚無の魔法もしかり」
「そうね。あの天井の崩落。アレは『エクスプロージョン』の魔法だということが考えられるかも」ルイズは考え込むようにして座り込んだ。
「突然の出現とナイフ攻撃は、おそらく同質の能力」タバサは言った。虚無の魔法で、ルイズに思い当たる魔法はないだろうか?
「う〜ん。ちょっとわからないわね。出現のほうは、アイツが出てくるまで誰も気づかなかったわけだし」ナイフも、突き刺さる直前までそこに無いかのようだった。
 と、そこまで考えたところで、タバサは辺りのあまりの静寂さに気がついた。

248味も見ておく使い魔 第8章(最終章):2009/05/10(日) 00:07:01 ID:1SNotwrc
 ジョゼフが扉の向こうで何かしているとしたら、あまりに静か過ぎる。
と、そのとき。ルイズが急に口元を押さえ、立ち上がった。何か喉を押さえるような動作をしている。
「うごぉぉぉおお……」ルイズが声にならない声を発したと同時に、真っ赤な吐瀉物を大量にぶちまけた。
 よく見ると、中にはなぜか大量の釘が入っている!
 ルイズは口を大きくパクパクと開け、何とか息をしようとしていた。ヒューヒューという呼吸音が漏れる。おそらくあの喉や口の傷では呪文は唱えられないだろう!
 ルイズは大丈夫? それよりも、彼女はどんな攻撃を受けたの?
 そうおもったタバサの耳元に、ジョゼフの吐息が発せられた。
「決闘というからにはフェアにいこうじゃぁないか。一対一だ。シャルル兄上の娘よ」

249味も見ておく使い魔 第8章(最終章):2009/05/10(日) 00:07:42 ID:1SNotwrc
 はっとして振り返った先には、すでにジョゼフの姿は無く。
「お前らの察しのとおり、これは、俺が唱えた虚無の魔法の結果だ」
 ジョゼフはルイズの足元に立っていた。次の瞬間、
「『加速』の魔法という。そこなルイズとやらはそこまで到達していないらしいな」
 ジョゼフはタバサをはさんで反対側の位置に移動していた。
「ちなみに、銃弾を操作したのは別なスタンドだ」
 タバサには、王がどう見ても瞬間移動した様にしか見えない。しかし、「加速」という名前からして、実際に移動はしているらしい、とタバサはあたりをつけた。
「そして、そこに無様に転がっている女を攻撃したものが、今装備しているスタンド能力『メタリカ』の力だ」
 スタンド能力も、おそらくジョゼフはルイズに触れていないであろう。ならば、今のスタンドも範囲攻撃型の可能性が非常に高い。ならば!
「さて、ここまで死刑宣告にまで等しい俺の能力の告白を聞いてもなお、決闘をする勇気はあるか? いや、この場合は蛮勇か」
 ジョゼフはそう言い放った。だが、おそらくジョゼフはタバサが決闘を嫌がったところで、彼女と無理にでも殺し合いを始めるであろう。
タバサは一呼吸おいて、
「決闘に応じる」と応えた。
「ほう」ジョゼフは薄暗く目を輝かせる。
「それはうれしいが、何か策でもあるのか? お前の能力、トライアングルの魔法程度では、今の俺を殺しきることなど不可能に近い」
「策は無いといえば、無い。が、あるといえば、ある」
 タバサは自分の杖と、ついでに持っていたイザベラの杖をジョゼフに向け、
「あなたに氷の魔法を放っても、加速の魔法でよけられる。なら、移動範囲すべてを、同時に攻撃してしまえばいい」全魔法力を込め、呪文を唱え始めた。

250味も見ておく使い魔 第8章(最終章):2009/05/10(日) 00:08:18 ID:1SNotwrc
 
 呪文を唱え続けているタバサの意識の中に、どこからともなく別の意識が流れ込んでくる。すでに、彼女はその意識の持ち主を直感的に理解していた。
 その意識はタバサだけに優しく語り掛ける。
――わかるね、ガーゴイル。いや、エレーヌ。アタシは一度しか手助けできないよ。
「うん。わかってる」
 タバサはうなずき、杖を振った。
 唱えたものは、本来一人ではできないはずのスペル。
 強力な王家が二人以上そろって初めて発動できるはずのヘクサゴンスペルだった。
 水の四乗に風の二乗。
 この場に、すべてを凍らす絶対零度の奔流が出現する。
 その名も、
『ウインディ・アイシクル・ジェントリー・ウィープス(雪風は静かに泣く)』
 タバサの周囲の空気が壁となって凍る。さながら卵の殻のように。

「これは、やりおる」
 そういうジョゼフの唇が、全身が、見る見る凍傷で黒く、青ざめていった。
「これは、私だけの魔法じゃない……イザベラの分も、キュルケの分もあるッ……」
「確かに一人でできる類の魔法ではない。だからなんだというのだ?」

「もはや、あなたには杖を振り下ろせるだけの腕力はないと見たッ……もう、あなたは魔法を使えないッ!」
「そのとおりだ。何もかにも凍り付いてしまった。だが、その魔法には欠点がある」
 ジョゼフは勝ち誇った風にいい放った。

251味も見ておく使い魔 第8章(最終章):2009/05/10(日) 00:08:58 ID:1SNotwrc

「お前の魔法が放つ絶対零度の寒波は、お前ら自身の杖から発せられている! その分だけ、私よりもお前の凍傷がひどくなるッ! 凍傷で先に死ぬのはお前だッ!」
「くっ……」
「お前が寒さで死ねば、この魔法は解除される。俺はそのときまで待って、体力を温存しておけば良いのだぁ!!!」
「少しでも、あなたに近づいて……」
「おおっと危ない」ジョゼフは楽しそうに後ずさった。
「まあ、近づかれても、射程距離内に入れば、今の俺のスタンド『メタリカ』で反撃する手もあるがな。ここは一つ慎重に行こう。手負いの獣には近づかないに限る」
「ここまできて……」
 タバサはついに片膝を突いた。もはや彼女自身に体力が残されていない。
 こんなに近くにあのジョゼフがいるのに! ここまで追い詰めているのに!
「ふん、ひやひやさせられたが、最終的には俺の勝利だったな」
 そのとき、急にタバサの周囲に炎のカーテンが出現した。
「違うわ」
 その声にはっとして振り返ったタバサは、笑いとも泣き顔ともつかぬ顔をし、
「あなたはッ……」
「いい? こういう場合、敵を討つ場合というのは。いまからいうようなセリフを言うのよ」
「貴様は?!」
「我が名はキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。わが友イザベラの無念のために、ここにいるタバサの父親の魂の安らぎのために、微力ながらこの決闘に助太刀いたしますわ」
 キュルケが一歩一歩近づきながら、ファイアー・ボールの魔法をタバサの周囲に当てる。

「貴様らなんぞに負ける要素はなかったはず……」
「いい、私たちはチームで戦うのよ。その意味が、ジョゼフ王、あなたにわかって?」
「そ、のようだな」そういっている間に、ジョゼフの体温はどんどん低下していく。

「これで、チェック・メイトよ、王様」
「……そうか、まあ、いい。だが、何の感情も感じることはできなかった……残念だ……」
 その言葉とともに、ジョゼフは氷柱の住人となった。

252味も見ておく使い魔 第8章(最終章):2009/05/10(日) 00:09:33 ID:1SNotwrc
 
「あの爆発音はッ!」
「ああ、間違いない、ルイズたちが戦っている音だ!」
 ブチャラティたちは急いでいた。彼らが捜索していた東の館に目標は無く、反対側の西のほうから何かの崩壊音が聞こえたからだ。霧が消えた今、ルイズたちに何かの異変が起こっていることは確実と見られた。
二人は二階に設けられた、半ば外に開け放たれたつくりの廊下を中央方面に向かって走る。だが、彼らの行く手をさえぎるように、前方に堂々と身をさらしている男がいた。
「お前は、ボスの精神の片割れ……」
「ドッピオ……」
 桃色の髪の毛の男は、確かにドッピオであった。
 ドッピオは右手を上げ、二人を制止する。
「おや、王様を殺したのはあなた達ではなかったのですか。ルイズさん達は大金星といえるでしょうね」
「何を言っている?」ブチャラティの問いかけに、ドッピオは己の額を指差した。
「ほらここ、何の痕も無いでしょう? ここには、かつて王様との契約の印が刻まれていたのですよ。だが、今となっては跡形も無い」
 ドッピオはそういうと、彼が着ていた上着を脱ぎ始めた。
「だから、もはやジョゼフの契約の呪縛はもう、無い」
 上着を脱ぎ捨てたとき、ドッピオはすでに無く、代わりにあの男、ディアボロが佇んでいたのだった。
 構える二人。
「とはいえ、お前達には感謝しなくてはいけないな」
「何だと?」
「お前たちが、この世界での私の呪縛を解除したのだ。あの忌々しいジョゼフにかけられた精神を蝕む契約を。だから今までこのディアボロは表に出てこれなかったのだ。この俺、ディアボロを解放したのはお前達だッ!」
ディアボロは持っていた上着を投げ捨て、二人に向かって歩み始めた。
「ブチャラティ……俺はお前を再度殺すことで……未熟だった自分を……ローマであの新入りに殺された自分自身を乗り越えるッ!」
「……ボス……俺たちギャングは殺すなんて言葉はつかわない。すでに殺してしまっているからな……」グチャラティが冷静に答える。彼の口調は深海の海水のように冷え切っていた。

253味も見ておく使い魔 第8章(最終章):2009/05/10(日) 00:10:21 ID:1SNotwrc

「ブチャラティ。お前には……あのクソ忌々しい大迷宮を乗り越えて取り戻した……俺の本来の能力で『始末』する……」
「くるぞッ! 気をつけろ露伴!」
 そういったブチャラティだが、その実、対策などは何も発案できていない。
「お前らにはっ! 死んだ瞬間を気付く暇も与えんッ!」
『キング・クリムゾン』!!
「我以外のすべての時間は消し飛ぶッ――!」
 その瞬間、世界が暗転していった――。
 ディアボロ、ブチャラティ、露伴――以外のものがすべて暗黒に覆われていく――キング・クリムゾンが時間を飛ばしている時、はっきりとした意識を持って行動できるものはただ一人、ディアボロのみなのだ――その彼は血をはくように叫ぶ。「あの『新入りの能力』がないお前らに、このディアボロが、負けるはずはないッ!」――過去にただ一体、この能力を打ち破った例外がいたが、そのスタンドは、今この場所には存在しない!――「『見える』ぞッ!ブチャラティ!お前のスタンドの動きがッ!!」――ディアボロは自分がこの時空のすべてを支配していることを自覚しつつ、ディアボロはブチャラティ達に近づく――「なにをしようとしているのかッ!完全に『予測』できるぞッ!」――何も自覚することもなく、惰性のまま攻撃してくるステッキィ・フィンガーズの拳を『エピタフ』で回避し、自らの玉座に向かう皇帝のように、ゆっくりとブチャラティにむう――「このまま…時を吹っ飛ばしたまま『両者』とも殺す! 殺しつくす! ブチャラティ! それにロハンッ!」――ディアボロは勝利を確信しながらも慎重に、かつての裏切り者に向かって、キングクリムゾンの拳を振り上げた――「今度こそ、確実に止めを刺す!」――しかし次の瞬間、暗黒に覆われていたすべてのものが元に戻っていく……
 ディアボロにとって、信じがたい現象であった。
「な、なぜだッ?! 俺の『キング・クリムゾン』が、世界の頂点であるはずの我が能力がッ!」
「『解除』されていくだとッ!?」自意識を取り戻したブチャラティにとっても意外であった。
 先ほどまで暗黒に包まれていた地面が、建物が元の場所に立ち上がっていった。
 暗闇に消え去ったはずの鳥が、再び空を飛翔している。
 その空間の中で、露伴が口を開く。
「ブチャラティから聞いていた……お前は自分以外の時間を吹っ飛ばす事ができるそうじゃないか……」
「本当に恐ろしい能力だ。なんてったって、『過程』をすっ飛ばして『結果』のみ残すことができるんだからな……」
「しかし、だ。お前『だけ』が時を吹っ飛ばせるんだ……その能力を完璧に使いこなすには、時を吹っ飛ばした後の未来を『見て』予知しているはずなんだ……時をスッ飛ばしている時に、敵のとる行動が分かっていないと意味ないからな……」
 ディアボロは混乱していた。この男はなにを言っているのだ?
「そう、お前は僕達の『未来の行動』を『見てる』はずなんだ……」
 このときすでに、露伴は自分の鞄に手を突っ込んでいた。
「僕が『お前に原稿を見せている未来』もね……」
 そして、露伴はディアボロの姿をしっかりと見つめ、
「途中の『過程』ををすっ飛ばして、お前が僕の『原稿を見た』という事実だけが残る……」
 鞄から自分の原稿を取り出した。
「『ヘブンズ・ドアー』 これで完全発動だ」
 ブチャラティはようやくすべてを理解した。
 彼はディアボロよりも早く我に返り、次のとるべき行動を行い始めた。
「露伴、ありがとう。本当に君と知り合えて……仲間になれて……本当によかった」
「なんだッ!?何も見えん!」
「これでチェックメイトだ。ボス!」
 ディアボロはこのとき、もう視力を失っていた。
 もっとも、それがよかったのかもしれない。
 なぜなら、絶望しなくて済むからだ。
 既に、彼自身の頭に『スタンド能力が使えない』と書かれていたからだ。
「ステッキィ・フィンガーズ」!
アリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
「アリーヴェ・デルチ(さよならだ)!!!」

254味も見ておく使い魔 第8章(最終章):2009/05/10(日) 00:11:08 ID:1SNotwrc
 
 
  希望とは、もともとあるものだとも言えないし、ないものだとも言えない。
  それは地上の道のようなものである。地上にはもともと道はない。
  歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。
      〜魯迅〜

エピローグ
『使い魔は動かない』
 街が春の日差しを浴びている。
 ネアポリス。
 道路工事のため、ただでさえ渋滞で名高いねアポリスの道路に車があふれている。
 自動車のクラクションがせわしなくなり響く中、一台の車は郊外の高級住宅地へ向かっていた。
 後部座席に座っている20代後半に見える男は、窓から外の様子をじれたように眺めていた。
「まだつかないのか? 相変わらずこの街の道路行政は最悪じゃぁねーか!」
「いつものことでしょう? それにわれわれが言えた口ではありませんよ」
 運転手がため息をつきながら男の愚痴に応じる。
 この道路工事には、『彼ら』の息のかかった業者が入札に成功していた。
 その彼らが道路工事の遅延に不満を言うわけにはいかない。

 結局、その道路工事のため、予定より二時間も遅れて、目的地の洋館に到着した。
 車に乗っていたその男は、自分のボスの前で、日の光があたる場所を選んで椅子に座っていた。
 近くのテーブルには食事が用意され、小人が六人、昼食のピッツァをむさぼっている。
「すまんな、ボス。もうシエスタの時間か……この時間まで何も食わせられなかったから、こいつら今日は仕事しねーな」
「それはいいんです、ミスタ。それより、用件とは? 君の好きな漫画家に関することだとか」
 いらだった様子で、向こうの椅子に座った男が尋ねた。部屋の奥にいるため、そこには日光の明かりは届かない。
「そうだ、俺はその漫画家にファンレターを書いたんだ。で、なぜかそいつから俺宛に返事が届いたんだが……」
 そう言いながら、ミスタと呼ばれた男は立ち上がり、膝に抱えていた、大きな茶色の封筒を差し出した。中身はかなり分厚い。おそらく、大きめの紙が四百枚以上入っているだろう。
「この手紙は、ボス……いや、ジョルノ。あんたも目を通すべきだ」
 久しぶりに旧い呼び名で呼ばれた男は、その手紙の束を読み始めた。
 男の表情が見る見るうちに真剣な表情に変わっていった。
 その手紙は、このような出だしで始まっていた。
『はじめましてミスタ。君の事はブチャラティから聞いてよく知っている。今から書くことは君にとっては信じられないかもしれないが……』

255味も見ておく使い魔 第8章(最終章):2009/05/10(日) 00:11:44 ID:1SNotwrc
 
 二週間前。
 岸辺露伴はこちら側、つまり地球に帰還していた。
「よし、『使い魔の契約』を解除したぞ」
 露伴は己のスタンドで、ルイズの魔法の契約を書き換えた。
 ルイズにとって、初の魔法の成果である、コントラクト・サーヴァントの効果を完全に否定したのだ。
「本当にいいのか? ルイズ?」
 ブチャラティの、もう何度目になるかもわからない問いかけに、ルイズははっきりと答えた。
「ええ、いいのよ。もう私とって、使い魔は必要なものじゃないわ」
 ルイズが露伴のスタンドの補助の元、サモン・サーヴァントの魔法を唱え始める。
 彼女の口からは不安なく、力強く呪文が紡ぎ出される。その口調にためらいは無い。
 長いが、落ち着いた口調で呪文を唱えた後、
「うまくいったわ」と、ルイズの目の前に等身大の光る鏡が現れた。
「この鏡は、私が新たに使い魔と契約しない限り、あなた達が通行しても閉まらないハズよ」
 露伴は彼女に、杜王町につながるように設定していたのだ。
 結論から言うと、タバサはあの世界では、母親を助けられなかった。
 だが、解毒剤を手に入れられなかった露伴は、ここにいたってある可能性に気がついた。
 自分の『天国の門』では、彼女の母の毒を取り除くことはできなかった。
 しかし、自分の故郷に、あの町に、食べた者の病気を何でも治してしまう料理人がいたじゃあないか?

256味も見ておく使い魔 第8章(最終章):2009/05/10(日) 00:13:01 ID:1SNotwrc

 一週間後の杜王町。
 コンビニ「オーソン」の前からはいる、不思議な横道。
 ここは、かつて杉本鈴実と、愛犬の幽霊が住んでいた場所である。
 そこに、岸辺露伴と東方丈助がいた。ついでに、広瀬康一と虹村億康もついてきている。
 彼らを出迎えている露伴はすこぶる不機嫌だ。それもそのはず、彼の近くにいたのはこの三人だけではなかったからだ。
「いや〜。露伴大先生にそんな趣味があったとは……全然気づかなかったッスよ〜」
「ま、まあ、露伴先生にもいろいろと事情があったんだし……」
「か、かわいい……」
 発言した順に、丈助、康一、億康である。これだけでも露伴を胃痛に追い込めるのに、
「変わった格好……」
「こら、シャルロットや。私の恩人のご友人に向かってそのような事を言うものではありませんわ」
「何で人に化けなきゃいけないの? 私悲しいのね! るーるーるるー」
タバサ、タバサの母、人に変身したシルフィードまでも終結していたのだ
「くそっ! 何でお前なんかに弱みを握られなくちゃならないんだッ! この岸辺露伴が!」
早くも口論をし始めた男二人に、背の小さな男女が止めに入る。
「ほらっ丈助君! もう悪乗りは止めようよ。またうらまれちゃうよ〜」
「おちついて」
 その間、
 一呼吸。
 二呼吸。
 おまけに三呼吸。
「あなた」
「ブッ!」
「ザ・ハンド!!!」
ガォン! ガォン! ガォン! ガォン! ガォン! ガォン! ガォン! ガォン! ガォン! ガォン! ガォン!
 一人の少年が、涙を垂れ流しながら、自力で月まで吹っ飛ぼうとしていた。
 どうやら彼には、露伴の『そーいう冗談は死んでもよせ!』というセリフは耳に入らなかったようだ。
「まって!私も飛ぶの〜」
星になった少年とひとりの少女はほったらかしておいて、路上での話し合いは続く。
「と、とにかくですね。問題は解決してないんですから」
「ああ。どうしようか、これ」
「オレのクレイジーダイヤモンドでも直せないってのはグレートッスよ〜」
「つまり」
「ああ、どうやってもこの『鏡』は閉じない。ということだな」
 皆のため息が漏れたことは言うまでもない。

「ブチャラティ! 本当に還るんですか?」
 また、そこにはジョルノがいた。ミスタもいる。
「そんなこといわずに、一緒にネアポリスへ帰ろうぜ!」
だが、ブチャラティは、ミスタの言葉にかぶりを振った。
「無理だ。見ろ、この世界じゃ俺の姿は透けて見えるじゃないか。この世界では、俺はすでに死んだ存在なんだよ。ああ、ジョルノには前にも言ったと思うが、俺は元いた場所に戻るだけなんだ」
「そんな……」
「こーいう場合でも、生き返ったといっていいのか? 第二の生活にはとても満足している。だがな、ジョルノ。ミスタ。俺は還らなければならないんだ。それが正しい道しるべに沿った、俺の進むべき道なんだよ」
 そういいながら、ブチャラティは静かに、安らかに天に昇っていったのだった……

257味も見ておく使い魔 第8章(最終章):2009/05/10(日) 00:14:23 ID:1SNotwrc

ルイズ  → 使い魔を失った事以外は特に変化なし。だが、いつもの学園生活は、ルイズの自信に満ち溢れた日常に変わっていた。

キュルケ → 死に掛けたことが親にばれ、危うくゲルマニアの実家に戻されそうになる。が、どうにかごまかすことに成功。お腹の傷跡を気にした風も無く、今日も彼氏作りにいそしむ。

タバサ  → なぜか岸辺の字と自分の本名を日本語で勉強し始めた。

タバサ母 → いきなりガリアの女王になるも、しょっちゅう王宮を抜け出し、タバサと趣味の旅行に出かける日々。座右の銘は「わたしのシャルロットちゃん、ガンバ!」

ギーシュ → 死にそう。(借金的な意味と、モンモランシーに振られそうな意味で)

シエスタ → 観光だと露伴に連れられていった杜王町で、億泰に一目ぼれされた挙句、突然告白され困惑。

岸辺露伴 → ハルケギニア滞在中にたまりにたまっていた、原稿の仕事を超人的な速度でこなす。それがひと段落ついたとき、とある田舎で妖怪のうわさを耳にする。


第8章『使い魔は動かない』Fin..
『味も見ておく使い魔』The End.

258味見 ◆0ndrMkaedE:2009/05/10(日) 00:16:29 ID:1SNotwrc
以上ッ『すべて投下したッ』!!!


あと、謝罪しろ>>234……何のプランも無いのに、
勢いだけで田宮良子を召喚してしまった……
ジョジョキャラじゃないので姉妹スレに移住します。
いままでありがとうございました!

259名無しさん:2009/05/10(日) 01:25:07 ID:PwWq09FA
>>258
あ、謝れば許してくれるのか…?謝れば…




だが断る
たった今完結した君には悪いが、一つだけ分かっていることがある。
『休みという安心』など与えられないということだ。

最後まで天国の扉は対スタンド、対生物用最終決戦兵器だったな

味見先生の次回作にご期待ください!

260名無しさん:2009/05/10(日) 02:48:00 ID:m7oi.Mq2
味見の人乙!

スタンドは使い方次第で、色んな幅を見せてくれるんだなぁ…と、再確認w
面白かった、ありがとーーーーー!!

261名無しさん:2009/05/10(日) 04:05:39 ID:aC1bx/yQ
見事な完結でした。乙であります!
どいつもこいつもイイ奴(いい意味と、悪い意味で)でした。
次回作を楽しみにしてます!

あ、あと、僭越ながらグチャ→ブチャのとこだけ、修正して上げさせて貰いました。

262名無しさん:2009/05/10(日) 16:24:02 ID:iroFPiDE
結局ブチャは昇天しちゃったのか
ハルケギニアで新たな人生送っても良かっただろうに

263名無しさん:2009/05/10(日) 20:59:31 ID:zI8gV8mk
完結大いにGJなんですが、シャルルはジョゼフの弟じゃありませんでした?
……このSSだと逆とか以前に描写されてましたっけ?

264味見 ◆0ndrMkaedE:2009/05/12(火) 23:43:43 ID:YPwr2996
>>263ヤッチマッター
ハハハ、まとめで直しときます。

265銃は杖よりも強いと言い張る人:2009/05/16(土) 17:33:59 ID:IMgn7ZL.
味見さん完結ですか……。寂しいなあ、チクショウ。

さて、久しぶりってレベルじゃねーゾ!の人が来たよ。
忘れられてるよね、多分。うん。時間がかかりすぎだ。
でも、投下はする。
オレはまだ、完結させることを諦めちゃいねえ!

266銃は杖よりも強いと言い張る人:2009/05/16(土) 17:35:34 ID:IMgn7ZL.
 空は果てしなく青く、天高く上った太陽は黄金色の光で地上を照らしている。植物の葉は
青々と輝き、時折撫でる風揺れてサラサラと音を立てていた。
 鳥の鳴き声が耳に優しく、近くを流れているらしい川の音は気分を落ち着かせてくれる。
 実に素晴らしい天候だ。
 この蒸し暑ささえなければ。
 雨の水分を地面が吸収し、気温の上昇と共にそれを放出しているということは理解できるの
だが、納得し難い不快感がここにはあった。
 タルブの村の南に広がる森。その少し奥まった場所に身を寄せた人々は、拭う先から出てく
る汗に辟易としていた。
 村の有力者や逃げ遅れた行商人の代表が集まり、張り詰めた顔で今後の動向について話を進
めている姿も、どこか気力が失せているように見える。そんなだから、他の村人達の表情も疲
れを隠しきれないで居た。
 夏なのだから、暑いのは当たり前。と言いたい所だが、生憎とトリステインは熱帯でも亜熱
帯でもない。空気中の過剰な水分によって蒸される暑さとは、本来は縁が無いのである。そん
なわけで、免疫の無い暑さに誰しも意識が朦朧としているのであった。
 問題は、そんな疲労感が風邪を引いている人々にも広がっていることだ。
 体力の無い子供や老人は多くが倒れたまま、熱と咳に魘され続けている。森の状況がコレで
は安静にしていても回復の見込みは無く、それどころか悪化の一途を辿ることだろう。大人の
中で風邪を引いている者の中には、避難を続けるのであれば自分を置いていって欲しいなどと
のたまう者が出る始末だ。
 しかし、そんな事を口走ってしまう気持ちが理解出来てしまうほど、状況は確かに楽観視出
来るものではなかった。
 戦場は近く、タルブ村の人々も延々とこの場所に止まるわけには行かない。食料の問題も存
在するし、戦場で散った人間の肉を求めて亜人や獰猛な肉食獣が集まってこないとも限らない。
 自衛の手段を持たない人々は、どこかに庇護を求めて歩く必要がある。そんな時、風邪の病
に倒れた人々は足枷となるのは明白で、置いて行けという言葉に籠められた意味は決して軽々
しいものではないのだった。
「弱音吐いてんじゃないよ。男だろ?」
 弱音を吐く男の頬を一発引っ叩いたジェシカは、小刻みに熱い息を吐く男の額を濡れた布で
拭きながら、励ますように言った。
 弱気になっていては、治るものも治らない。風邪さえ治ってしまえば問題は解決するのだか
ら、今はとにかく強い意志を持ってもらうことが一番なのだ。
 だからこそ、見捨てないと伝えて、生きることを諦めさせない。
 しかし、ジェシカのその言葉の半分は、自分に向けたものだった。
 病人の数は、十や二十ではない。中には、本当に足手纏いにしかならない人が確実に存在し
ている。だからと言ってそれを見捨てれば、以後は足手纏いだと感じる度に誰かを捨てる事を
躊躇しなくなるだろう。
 そんな心理が働いてしまうことを、ジェシカは恐れていた。
 ジェシカだけの問題ではない。村人の中には何人か見捨ててでも、自分の家族を守りたいと
思っている人間は少なくないはずだ。

267銃は杖よりも強いと言い張る人:2009/05/16(土) 17:36:38 ID:IMgn7ZL.
 見捨てられる人間は、自分の家族かもしれない。
 そういう現実的の残酷な部分に気付いていないからこそ、誰かを切り捨てようと考えてしま
うのだろう。幸いにして、ジェシカの家族や知り合いに風邪を引いている人間は居ない。その
僅かな余裕が、彼女に本当の恐怖に目を向けさせていた。
 誰かを見捨てなければならなくなったのなら、あたしも一緒に死んでやる。誰かの死を背負
って生きられるほど、自分の背中は広くも力強くも無い。
 そんなことを思うジェシカは、果たして臆病なのか、それとも単純にプライドが高いだけの
か。どちらにしても、誰かを犠牲にするという選択肢が存在していないことは確かだった。
「さあて、次に行きますか」
 体が拭き終わり、不快感から一時的に逃れた男が寝息を立て始めたのを聞いて、ジェシカは
手に持った布を傍らに置いた水の入った桶に放り込む。
 息を抜く暇は無い。
 眼前には、木陰に並べられた無数の病人達の姿がある。ジェシカ同様、病人の世話に忙しな
く動く十数人の手がまったく追いつかない病人の数。その中には、介助無しには生きられない
ほど衰弱している人間も居る。
 地獄絵図とはいかないが、緩やかな絶望を感じさせる光景だ。
 それでも、この状況でジェシカが頑張れるのは、風邪の治療薬を買いだしに行ったカステル
モールが必ず戻ってくると信じているからであった。
 ぐぅ。
 気張ったのが悪かったのか、ジェシカの腹が小さく鳴り響く。
 長く緊張感の続かない女であった。
「……お腹減った」
 困ったように眉を寄せて、ジェシカはお腹を摩る。
 生物である以上、人間は空腹を避けられない。
 村で行われていた炊き出しのお陰で、今の所この場に居る避難民の多くは空腹を訴えてはい
ないが、極少数、食料の配給をしていた人間の多くが食事を求める腹の虫と格闘中だった。
 ジェシカもその一人で、本来なら炊き出しで作った食事を一通り配り終わった所で、最初か
ら多めに用意した炊き出しの残り物に手を出す予定だったのだ。
 アルビオンが攻めて来なければ、今頃は炊き出しに参加した女性達と輪になって雑談に興じ
ていたことだろう。そう考えると、戦争なんて余所でやれと本気で言いたくなってくる。
 とはいえ、それを今言ったところで食い物が降って湧いてくるはずも無く、腹も膨らみはし
ない。
 結局ジェシカに出来ることといえば、病人の看護をしながら食料の調達に出た他の人々の帰
りを待つことだけだった。
「はぁ……、ひもじいわぁ」
 思わず溜め息を零し、二度目の腹の音に肩を落とす。
 そんなジェシカを神様が見かねたのか、思わぬ方向から救いの手が差し伸べられた。
「ジェシカさん、お腹減ってるんですか?」
 問いかけたのは、ウェストウッドの子供達の面倒を見ていたティファニアであった。どうや
ら、子供達の世話は一息ついて他の手伝いを始めていたらしい。

268銃は杖よりも強いと言い張る人:2009/05/16(土) 17:37:41 ID:IMgn7ZL.
 普段耳を隠すために使っている大きな帽子が無いと思って手元を見てみると、その帽子が籠
代わりになって鮮やかな赤い実を山のように乗せていた。
 思わず、ごくりと喉が鳴った。
「そ、そんなこと、あんまり率直に聞かれても乙女のプライドって奴が……。いえ、やっぱり
空腹です」
 一時的に女らしさというものが表に顔を出したが、腹の虫には勝てなかったらしい。すぐに
出した顔を引っ込めて、引き篭もりに転職したようだ。
「なら、コレを食べませんか?」
 そう言って、ティファニアは木の実の入った帽子を差し出した。
「木苺です。さっき、沢山実をつけているのを見つけたので、子供達にも分けてあげようかと
思って摘んで来たんです。前の家の近所で取れる実はちょっと食べ辛いものが多かったんです
けど、コレはほんのり甘くて美味しいですよ」
 差し出された帽子から一つ実を摘んで、ジェシカはそれを恐る恐る口に入れる。
 軽く噛み潰した瞬間、果汁と共に口の中に甘さが広がった。
「あ、本当だ。美味しいわ」
「でしょう?」
 ぱっと花が咲いたかのように、ティファニアは顔を綻ばせた。
 味の保証が出来て安心したのか、それとも空腹に耐えかねたのか、ジェシカは次々と実を摘
んでは口に入れ、顎を動かす。
「んー、ホント美味しいわ。食べたことが無いわけじゃないけど、小さい頃に食べた時はつい
うっかり死んでしまいそうなくらい辛かったから、苦手意識があったのよねえ」
 果たして本当に年頃の少女なのか、頬が膨らむほど木苺を口いっぱいに詰め込んで、ジェシ
カは過去の記憶を振り返る。
「……辛い?珍しいですね。酸っぱかったことはありますけど、あまり辛いっていうのは」
「時期が悪かったのかしら?実はコレより大きかったけど表面が少し萎んでて、歯応えも少し
あったわね。もしかしたら、枯れる途中だったのかも」
 あの時は三日も寝込んだわ。と笑いながら軽く言って、ふと首を傾げる。
「でも、あれ?木苺って、今採れるんだっけ?あたしが食べたのは、確か秋の中頃だったよう
な……」
 同じ赤い実で、秋に取れる辛いものといえば……。
 恐らく、唐辛子だ。寝込むほどだから、同じ唐辛子でも特に辛い品種だったのだろう。
 多分、ジェシカさんが食べたのは違う実です。とは言えず、ティファニアは愛想笑いだけし
てこの場を立ち去ろうとする。
 一々過去の恥を蒸し返すことも無いだろう。このまま話をはぐらかせば、誰も不幸にならな
いで済む。
 気付か無い方が幸せなことだってあるのだ。
「あれぇ?でも、厨房で食べさせて貰った時には、別の名前だったような……」
「し、失礼しまー……、あら?」
 いよいよジェシカの推測が唐辛子の方向に向いた所で、ジェシカとティファニアの目に何か
を探して走り回るシエスタの姿が映った。

269銃は杖よりも強し さん   タイトル入れ忘れたorz:2009/05/16(土) 17:38:50 ID:IMgn7ZL.
「お、シエスタじゃん。おーい、シエスタ!……シエスタ?」
 手を振り呼びかけるがまったく聞こえていないらしく、辺りを見回して走り続けている。
 様子がおかしい。
 周囲の目も気にせず誰かの名前を呼び続け、いつも暖かい笑顔を浮かべる顔を張り詰めたも
のに変えている。彼女のそんな顔は、ジェシカはここ数年見たことが無かった。
「ごめん、ティファニア。ちょっと行くわ。ご馳走様」
 ティファニアに別れを告げて、ジェシカはシエスタに駆け寄る。
 泣きそうな声で何度も何度も同じ名前を呼ぶ少女の姿は、見ていて痛々しいものだった。
「サイトさん!サイトさーん!どこに居るんですか!?返事をしてください!」
「シエスタ!」
 正面に立ったジェシカにさえ気付かなかったのか、ぶつかって初めてシエスタはジェシカの
存在を視界に入れて、あ、と声を漏らした。
「な、なに?」
「なに、じゃないよ。そんな酷い面ぶら下げて」
 涙こそ零していないが、泣いているようにしか見えないシエスタの顔を、ポケットから取り
出したハンカチで乱暴に拭う。案の定、瞼の下には涙がいっぱいに溜まっていて、ハンカチを
大きく濡らしていた。
 目元を隠されたのがきっかけになったのか、それまで平気なふりをしていたシエスタが鼻を
啜るようになる。緊張の糸が緩んで、堪えていたものが流れ出始めていた。
「まったく、折角の美人を台無しだよ」
「う、ぐず……、でも、でもね、居ないのよ。サイトさんが、どこにも……。わたし、つい口
を滑らせちゃって……。先生方が村に残ってるって……、そしたらもう」
「居なくなってたって?……なるほどね」
 シエスタの言葉に相槌を打って、ジェシカは彼女の体を抱き締める。
 詳しい事情や、どうしてそういう話の流れになったのかは分からないが、血気盛んな少年が
正義感を出して突っ走ったといったところだろう。特に、珍しい話でもない。
 タルブ村の中にも、村を守ろうと鍬や鎌を手に立ち向かおうとした若者は居たが、実際に竜
騎士を前にして無謀な勇気を保っていた者は少なく、本当に命を投げ出しかねない者は強制的
に引き摺られて避難させられている。
 まだ村を守ることを諦めていない奴も居るが、その中の一人が監視下から抜け出したような
ものだろう。
 しかし、そう冷静に考えられるのは、才人とジェシカの関係が薄いからに過ぎない。シエス
タの立場に立っていたのなら、ジェシカも同じように泣いたり探し回ったりと落ち着かなくな
るだろう。
「もしかしたら勘違いかもしれないって、ぐす、あちこち探したけど、やっぱり見つからなく
て……」
 見かけよりもずっと気丈なこの娘が、こんなに取り乱すなんて。
 これだけでも、サイトという人物がシエスタにとってどういう存在か理解できる。
 村に訪れたトリステイン魔法学院の生徒達の中に何人か少年を見ているが、一人で飛び出し
て行ったという事は、サイトというのは風邪を引かなかった黒髪の男の子のことだろう。ハル
ケギニアでは見られない顔立ちで、随分と幼い印象があった。

270銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 17:39:41 ID:IMgn7ZL.
ケギニアでは見られない顔立ちで、随分と幼い印象があった。
 あれがシエスタの想い人か。
 身の丈に似合わない大きな剣を背負っていたが、護衛を務めているにしては、それほど強そ
うには見えない。それに、言っては悪いが、あまり考えて行動するタイプにも見えなかった。
 もし、見掛け通りの性格だとすれば、村に人が残っていることは意図的に隠していたに違い
ない。わき目も振らず飛び出していくことが分かりきっていたのだろう。
 行動パターンが子供のようだ。
 良く言えば、母性本能をくすぐるタイプなのか。しかし、悪く言えば、頼りない。
 まあ、人の好みなんて千差万別だ。あれこれいっても始まらない。今は、その少年の居場所
を考えるほうが重要だろう。
 森の中に居ないということは、やはり村に向かったと見るべきか。
「厄介なことになったもんだね」
 まさか、森を抜け出して村まで探しに行くわけにもいかない。かといって、放っておいたら
シエスタは一人で探しに行ってしまいそうな雰囲気だ。
 こうなれば、とジェシカは腹を括って抱き寄せていたシエスタを離し、目を合わせた。
「アタシが村の様子を見に行ってやるから、シエスタはここで待ってな。いいね?」
「でも、ジェシカ……」
 赤くなった目を向けてくるシエスタに、ジェシカは不敵に笑って、どんと胸を叩いた。
「あたしに任せときなって。きちんと連れ戻して来てあげるから、大船に乗った気でいなよ」
 渦巻く不安を欠片も見せず、ウィンクまで追加する。
 そんなジェシカの様子にシエスタは頼もしさを感じて、納得したように頷いた。
「……絶対、危ないことはしないでよ?サイトさんのことも心配だけど、ジェシカの事だって
心配なんだからね?」
「分かってるって」
 ジェシカは表情を崩して軽く笑い、シエスタの頭を撫でる。
 それは、まるで気丈な姉が泣き虫の妹を慰めるような姿だった。
「じゃ、行って来るわ」
 早足に駆け出したジェシカの背中を、シエスタは見送る。ただ、自分の不甲斐なさに、下唇
を噛みながら。
「これじゃ、お姉さん失格ね」
 呟いて、自分の年齢とジェシカの年齢を比較する。
 忘れてしまいそうだが、ジェシカは年下なのだ。閉鎖的な学院での生活が長いシエスタより
も、人の出入りが激しく、男性の欲望を直接目にする居酒屋で生活しているジェシカの方が大
人びてしまうのも仕方が無いのかもしれない。
 それでも、年下に慰められてしまうというのはなんとも照れ臭く、年上としての矜持を傷付
けられる。
 もし、ジェシカが男だったなら、素直に頼れたんだろうなあ。などと考えて、脳裏に男装し
たジェシカを思い浮かべたシエスタは、予想以上に自分好みの人物像が出来上がって、思わず
頬を赤くした。
 愛しの彼と並べてみても、遜色は無い。いや、むしろ……。

271銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 17:40:31 ID:IMgn7ZL.
「いやいやいやいや!ダメよ、シエスタ!そっちの道に走っちゃダメだって、ローラが言って
たじゃない!」
 学院の使用人寮で同室の女の子の言葉を思い出して、シエスタはブンブンと首を振った。
 コレは不味い。と、自分を欲望の満ちたイメージから追い払う。
 しかし、そうすると、恋する乙女補正がかかって現実よりも美化された才人と男装のジェシ
カだけが脳の中に取り残されて、シエスタと言う存在が消えた二人だけの世界が出来上がる。
 見詰め合う美男子。そして、流れ落ちる鼻血。
 高鳴るこの気持ちの正体はなんなのか。
 シエスタは、新しい世界に目覚めそうだった。


 森の外に繋がる獣道。多くの村人が通って踏み固められ、藪や突き出した小枝といった障害
物が除去されたそこを走るジェシカは、従姉妹が新しい世界に目覚めかけていることなんて気
付くことも無く、その場の勢いに流されて調子に乗り過ぎたかと早くも後悔していた。
「ああは言ったものの、サイトってのが村の中に入り込んでたら、アタシじゃどうしようもな
いんだよねえ」
 竜騎士隊に包囲された村は、既に外と中との交通を遮断されている。村の周囲には遮蔽物ら
しい遮蔽物も無い為、忍び込むのは至難の業だ。
 それは才人にも言えることなのだが、彼の場合は戦う手段があるし、村に向かった時間が竜
騎士隊が村を制圧する前である可能性がある。
 ジェシカとしては、森の出入り口辺りで足踏みしていてくれるとありがたいのだが。
「……儚い期待よね」
 猪突猛進に飛び出していくような人間が、敵の目を恐れて立ち止まったりはしないだろう。
 一度した約束は決して破らないのが、ジェシカの流儀だ。シエスタに大丈夫だと言った以上
は、結果を出すまで立ち止まるつもりは無い。
 しかし、早速暗礁に乗り上げてしまった気分であった。
「考え事しながら動いてるときに限って、悩んでる時間も無いときたもんだ」
 足元に転がる小枝を踏んで、肩に落ちてきた木の葉を払ったジェシカは、目の前に広がる風
景に溜め息を吐いた。
 森を抜けたのだ。
 一歩前に出れば、もうそこは森の中ではない。天井のように広がる木の葉の影は途切れ、踏
み固められた道が草原を横切るように伸びている。道の先には空に煙を昇らせるタルブの村が
見えるし、その頭上には死肉に群がるハゲワシのように空を飛び交う竜騎士の姿もあった。
 ここから先はアルビオン軍の初期攻撃目標であり、トリステインの防衛圏。
 つまり、戦場である。
 口の中に溜まった唾を飲み込んで、ジェシカは少しずつ早くなり始めた心臓を服の上から押
さえつけた。
「どーしよっかなあ。ここから先に出たら、絶対見つかるよねえ……?」
 浮かぶ冷や汗をそのままに、ちらっと空を見上げる。
 村の頭上を支配している竜騎士隊の目を盗んで村に入り込むなんて、無理で無茶で無謀だ。

272銃は杖よりも強し さん  副題も入れ忘れたor2 投下後に入れます:2009/05/16(土) 17:41:50 ID:IMgn7ZL.
 仮に無理矢理入り込もうとして見つかった場合、抵抗する力の無いジェシカでは追い返され
る程度ならともかく、万が一捕虜にでもされたら何が待っているか分からない。
 きっと、アレやコレやソレを、道具だったり、複数だったり、獣だったりでグッチョグチョ
にされ、最後には薬で考える力も奪われて、ヒギィとかアヘェとかしか言えない体にされてし
まうのだ。
 うら若き乙女が背負う過酷な運命にジェシカの頬は真っ赤に染まり、ひゃあぁ、なんて悲鳴
を上げて何処かのミ・マドモワゼルのように腰がクネクネと動いていた。
「って、なんでアタシは興奮してるんだ!?……落ち着こう。ちょ、ちょっと深呼吸を……」
 落ち着きのなくなってきた自分を自覚して、大きく息を吸う。
 膨らんだ変な好奇心を押し潰し、聞きかじりの知識から生まれた妄想を打ち消した。
 自制心の強さは、同じ黒髪の従姉妹よりも上のようだ。
「はー……、すー、はぁ、すー、はぁ……。ん、よし!」
「何が、よし、なのよ?」
「うへぇ!?」
 突然足下から聞こえてきた声に、ジェシカの心臓が体ごと跳ねた。
 一気に血圧の上がった体を巡る過剰な酸素に、頭がぐらりと揺れる。
 それをなんとか耐え切ったジェシカは、地面から草でも生えるかのように上半身を露出させ
た少女に向き直った。
「え、エルザさん?こ、ここ、こんな所でなにを?」
「なにって……、届け物の配達途中に顔を出したら、ジェシカが居ただけよ」
 地面に手をつき、土の中に埋まっていた下半身も外に出したエルザは、まだ買ってそれほど
経っていない黒いドレスの土汚れを叩いて払う。それで落ちない汚れは放置された。
「ん、でもジェシカが居るってことは、目的地は近いってことよね?じゃあ、無理に暗い場所
を歩かなくてもいいわけか。顔出して正解だったわね」
 事情の飲み込めないジェシカを置いて、エルザは一人で納得したように呟くと、自分が出て
きた地面の穴に顔を近づけた。
 それに合わせて、ぴょこ、とジャイアントモールが顔を出す。
 普段から愛らしい円らな瞳が、今日は一層に強く輝いていた。
「良ぉーし、よしよしよしよしよし。よく頑張ったわ、ヴェルダンデ。お陰でトカゲ乗りの連
中に見つからずにここまで来れた。凄いわ、立派よ」
 短い毛の生えた体をエルザに撫で回され、ヴェルダンデは嬉しそうに鼻先をピクピク動かす。
 だが、ただ撫でられることで満足しないのか、エルザの体を頑丈な爪の生えた大きな前足で
叩くと、今度はちょっと違う鼻先の動きで何かを訴えた。
「うん?ああ、ゴメン、忘れてたわ。報酬をあげないとね。ご褒美は、二匹でいい?」
 ヴェルダンデの頭が左右に振られる。
「じゃあ、三匹?」
 ブンブン、と勢い良く頭が縦に振られた。
「三匹か。黒くて長いのが、三匹。……三本同時攻めなんて、っもう、このドエロ!」
 わけの分からないこと口走って恥ずかしげに赤く染まった頬を押さえたエルザは、ヴェルダ
ンデの頭を叩いて良い音を響かせ、何処からともなく黒光りする巨大で長いモノ。もとい、自
分の腕ほどもある黒ずんだミミズを三匹取り出した。

273銃は杖よりも強し さん  副題も入れ忘れたor2 投下後に入れます:2009/05/16(土) 17:42:29 ID:IMgn7ZL.
 なんで叩かれたのか良く分かっていないヴェルダンデの目が、ミミズに釘付けになった。
「行くわよ、ヴェルダンデ。……とってこーい!」
 抱えられるような形で支えられていたミミズの巨躯が、ジャイアントスイングの遠心力で遠
く投げ飛ばされる。それを、ヴェルダンデが土中を掘り進みながら追いかけた。
「……ふぅ。良い汗かいたわ」
 何故かやり遂げた顔になったエルザが、額に流れる汗を袖で拭って息を吐く。
 ヴェルダンデが少し離れた所で一匹目のミミズをキャッチし、素早く食べ終えて二匹目に狙
いを澄ませたところで、やっと雰囲気的に置いてきぼりにされていたジェシカが我を取り戻し
た。
「えーっと、エルザさん?」
「ん?なによ、さん付けで呼んだりして。水臭いじゃない」
 かけられた声に振り向いたエルザが、以前とは少しだけ変えられた呼び方に怪訝な表情を浮
かべる。
「いや、でも、年上だし……」
 倍近い時間を生きている相手に向かって、ジェシカは言い辛そうに答えた。
 エルザが吸血鬼であることは教えられていたが、ジェシカがエルザの実際の年齢を聞いたの
は最近のことである。見た目よりちょっと歳を取っているのかな?という程度の認識だった為、
以前は呼び方がエルザちゃんだったのだが、実は母親と殆ど同年代であることを知って、さん
付けに改めたのであった。
 目上の人間に対するような、ちょっと縮こまった態度を見せるジェシカに、エルザは困り顔
に少しの笑みを混ぜた表情になった。
「ああ、年齢のことなら気にしなくたっていいわよ。さん付けでわたしを呼んだりしたら、傍
から見て不自然でしょう?だから敬語も要らないし、従来通り、ちゃん付けで呼んで。という
か、呼べ」
 最後が何故か命令形だが、とりあえず納得したように首を縦に振ったジェシカは、頭の中で
何度か呼び方の練習をすると、エルザをちゃん付けで呼んで話を本題に移した。
「それで、エルザちゃんがここに居るのって、なんで?」
 エルザの口から、溜め息が漏れた。
「最初に言ったわよ。届け物の途中に顔を出しただけだって。……あっ、聞きたいのは届け物
の中身と、何処に行くのかってことかしら?」
 意思の疎通に僅かなズレを感じてエルザが言い直すと、ジェシカはコクリと頷いた。
「別に珍しいものでもなんでもないんだけど……、ちょっと待っててね」
 エルザはそう言うと、おもむろにスカートを持ち上げ、肌に優しい上質コットン生地の裏地
に出来た大きな膨らみに手を伸ばした。
 スカートの裏側であるため、膨らみの位置は手探りだ。しかし、生地の良さのせいか、伸ば
した手が膨らみに触れる度、少ない摩擦と意外に広い裏地の中を泳ぐように膨らみの中身はス
ルスルと逃げていく。
「んー……?入れるときは簡単だったのに、取り出すとなるとちょっと手間がかかるわねえ」
 どうやら、スカートの裏は大きなポケットになっているらしい。手で持ち運べる程度の荷物
なら収納できるらしく、件の届け物もそこに入れられているようである。

274銃は杖よりも強し さん  なんかミスばっかだ・・・。ぐふぅ:2009/05/16(土) 17:43:30 ID:IMgn7ZL.
 ただ、構造的な欠陥なのか、取り出す際にスカートを捲る必要があるようで、エルザはジェ
シカ以外の目が無いことをいいことに、太腿まではっきり見えてしまうほどスカートを高く持
ち上げ、ブンブンと振り回している。
 それでも荷物はポケットの中に篭城を決め込み、外に出てくる様子は無かった。
「このっ、出て来い!往生際が悪いわよ!」
「往生際とか言う以前に、はしたないって……、うわぁ!?」
 思わず突っ込みを入れそうになったジェシカが、振り回されるスカートの向こうに大人の空
間を発見し、驚きに思わず声を上げる。
 子供が見てはいけない、神秘の世界を見つけてしまったのだ。
「……?どうしたのよ。ちゃんと出てきたわよ」
 スカート裏のポケットから、ぼと、と落ちた包みを抱えて、エルザが不思議そうに首を傾け
る。一見してあどけない子供の仕草なのだが、今のジェシカにはそれが妖艶な色香を放ってい
るように見えて、どうにも顔が赤くなるのを止められなかった。
「いえ、何でもありません」
「……そう?」
 もう一度首を傾げたエルザは、頭上に疑問符を浮かべながら包みを解き始める。
 それを横目に見ながら、ジェシカは瞼の裏にしっかりと刻み込まれた光景にこめかみを押さ
えた。
 ドレスと同色のストッキングにガーターベルト。大切な部分を覆う下着は、肌の色がはっき
り確認出来るほど透けたレース生地で、赤紫のリボンがプレゼントを飾り立てるように結ばれ
ていた。
 穿いていない状態の直接的な色気よりも、穿いている状態の背徳的な色気よりも、よっぽど
エロい印象を根付かせるエロティシズム。
 その道のプロのお姉さんだって滅多に穿かないような、際どいにも程がある下着を常用して
いるなんて……。
「やっぱり、さん付けで呼びます」
 大人って凄い!
 そう思った、ジェシカ16歳の夏であった。
「?」
 自分の下着のことでジェシカが変な尊敬の念を抱き始めたことなんて露知らず、ただ首を捻
るしかないエルザは、一抱えもある包みを解いて、現れた無数の薬包紙の一つを手に取った。
「コレが、わたしがここにきた理由よ。どっかの血筋マニアに頼まれて、タルブの人たちに配
る予定の風邪薬。買って来るって話は聞いてたでしょ?」
 ジェシカの手の平に薬包紙を載せて、その中に収められた粉を見せる。
 水のメイジの力を借りなくても風邪に対して効果をあげるそれは、本来なら平民の手の届か
ない高級品だ。しかし、村に滞在するシャルロットの母の名義で出された資金が、村の住人に
一通り配給できるだけの量を確保することを許した。
 小匙一杯分あるかどうかという量の粉が、平民の年収に匹敵する価値がある。突然にそんな
ことを言われたら、すぐには納得出来ないだろう。一年の労働が、たった一匙分の薬にしかな
らないなんて。

275銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 17:44:16 ID:IMgn7ZL.
 しかし、タルブの村人達にとっては待ち望んだ代物であることに変わりはない。ジェシカも
首を長くして待っていたそれは、絶望感の漂う避難民達に希望を与えてくれるはずだった。
「予防薬にもなるって話だから、ジェシカも飲んでおいたほうがいいと思うわ。ずっと病人の
傍に居たんでしょ?甘く味付けしてあるから、遠慮せずにがーっといっちゃいなさい」
「あ、うん。……へぇ、便利なものだね」
 言われたままに薬包紙を口の前に持ってきて、盛られた粉末を口内に流し込む。
 瞬間、舌の上に広がった途轍もない苦味に、ジェシカの表情が歪んで皺だらけになった。
「み、みふ……!」
「ぶふっ、くっくっくっく……。残念だけど、ミミズはもう無いわよ」
 口の中の苦味を取り除こうと水を求めたジェシカに、エルザが笑いを漏らして腹を抱えた。
 聞き間違いをしたという様子ではない。わざと水とミミズを聞き間違えたふりをしているの
だ。
「みふ!みふはっへば!!」
 涙が零れそうになるほど刺激的な味が、ジェシカに強烈な喉の渇きを与えている。
 粉薬を飲むときには水が必要だと言う認識は有ったのだが、量が量だ。唾で十分に飲み込め
ると思ったし、甘い味付けだと言うから警戒もしなかった。それが、間違いの元だ。
 薬はしつこく口の中に張り付き、唾で飲み込もうとするジェシカを嘲笑うかのように、無駄
無駄無駄ァッ!とハイになってジェシカを攻め立てている。
「えー、蜜ぅ?貴女、薬を飲むのに蜂蜜なんて使うつもり?贅沢ねえ」
「ひはう!みふっへいっへるへひょ!!」
 尚も聞き間違いしたふりをするエルザの胸倉を掴み、ガクガクと揺さぶる。しかし、完全に
遊びに入ったエルザは、その程度で音を上げることは無かった。
「は、はふぁったわね!」
「ふふふ、わたしは一度として水無しで飲めるだなんて言ってはいないわ。薬が甘いなどとい
うありもしない幻想を抱き、飲み水を用意しなかった貴女の負けよ、ジェシカ」
 何時の間に勝負事になっていたのか。
 サディスティックな笑みを浮かべたエルザは、嘲るように高笑いしてジェシカの手を振り解
くと、颯爽と逃げ出した。
 ジェシカの歩いてきた獣道を逆走していくエルザに手を伸ばして、待て、と声をかけようと
するが、口の中の苦味とそれが高級品であるという事実がジェシカの行動を妨げる。
 平民の年収が口の中に納まっているのだ。おいそれと無駄には出来ない。
「お、おふぉれー!」
 でも結局、口の端から粉を少量吹いて、ジェシカは恨みを込めた声を上げた。
 森の木々に去り行くロリ吸血鬼の後姿が隠れ、やがて景色に溶け込んで見えなくなる。
 目的地は分かっているのだから、追おうと思えば追えなくは無い。しかし、ジェシカにはシ
エスタとの約束があるため、このまま帰るというわけにはいかない状況だ。
 森の中から一歩も出ないまま終わりでは、シエスタも納得しないだろう。
 一先ず口の中の風邪薬を何とかしよう、と湧き水でもないものかと周囲を見回したジェシカ
は、足元に開いた穴を見て苦味でクシャクシャになった表情を更に歪めた。

276銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 17:44:51 ID:IMgn7ZL.
 エルザが何処から来たのかは分からないが、少なくとも、この穴は森の外に通じているはず
だ。もしかしたら、村の近くに出入り口があるかもしれない。
 シエスタとの約束を優先するなら、この穴に入ってさっさと村の様子を見に行くべきだ。し
かし、口の中の苦味はどうにも耐え難い。
 解決策が一つ見つかると、すぐに別の問題が発生するから人生と言うものは過酷だ。
 先日の雨が今日降れば、口の中の苦味ともおさらば出来るのに。
 もしそうなったら、風邪の薬自体飲むことは無かっただろう。そんな事実を無視して、天候
に文句をつけたジェシカは、心の中でチクショウ!と叫んで、穴に中に飛び込んだ。
 村の様子を見ることが出来たら、すぐに帰って誰かに水を貰おう。
 そう思って行動したのはいいのだが、ヴェルダンデという案内役も無く、真っ暗な穴の中を
どうやって移動するのか。
 そんなことにジェシカが気付いたのは、穴の中ですっかり迷子になってからのことであった。


 運動をしていると、呼吸は自然と荒くなる。それは、体を動かすためのエネルギーとして酸
素を必要とするからであり、体力の消耗が安定した呼吸を乱すからである。
 ハルケギニアに生きる竜もまた、生き物である以上は呼吸をし、激しい運動をすれば息は乱
れるものだ。しかし、意外なことに、空を飛んでいる最中はそれほど息を乱すことは無い。
 何故か?
 それは鳥と同じように翼で風を捉えることによって、体力の消耗を抑えているからだ。微細
な動きで風の変化に対応しているが、やっていることは翼を広げているだけである。
 では、どのような時が竜にとって最も体力を消耗するときなのかといえば、当然翼を激しく
動かしているときだ。
 加速、減速、離陸、着陸、方向転換。翼を動かす機会は様々あるが、中でも一番激しい動き
をするのは、その場で滞空する場合である。
 風に乗ることも出来ず、自身の翼一つで空を飛び続けなければならない状態は、竜の体に多
大な負担を強いる。つまり、呼吸が乱れるわけである。
 流石に、人のようにか細い悲鳴のような声を上げるわけではないが、鼻息の荒さはそれはも
う凄いことになる。
 その荒い鼻息の前に人が立っていたのなら、酷いことになるのは間違いない。生暖かくも臭
い鼻息を延々浴び続けなければならないし、そして、多くの生き物は鼻の奥に鼻水と言う粘膜
を持つ。
 鼻息の中に混じる鼻水。それを浴びた人間が、果たして冷静でいられるだろうか?
 答えは、否であった。
「……この爬虫類、ブッ殺してやる」
 地獄のそこから這い出ようとする亡者の呻きに似た響きを発したのは、頬にべっちょりと粘
性の液体を貼り付けたマチルダだ。言うまでも無く、付着したゲル状物体は竜の鼻水である。
「落ち着いて下さい、ミス・ロングビル。今動いては……!」
 向かう所全て磨り潰すと言わんばかりの殺気を持って前進しようとしているマチルダを、コ
ルベールが羽交い絞めにして押さえつけていた。

277銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 17:45:24 ID:IMgn7ZL.
 マチルダが怒り狂っている原因は、目の前でホバリングしているワルドの風竜だ。
 空気を読まずになにやらペラペラと喋っているワルドを乗せた竜は、地上に降りることも風
に乗って飛ぶことも許されず、呼吸を荒くして必死にホバリングしている。偶々正面に立って
いたマチルダは、その鼻息をモロに浴びて、さらには鼻水をぶっ掛けられたのであった。
 これで切れないはずがない。
 元々短気なマチルダは、即座に目の前の竜を八つ裂きにするべく動き出そうとしたが、辛う
じて冷静だったコルベールに止められ、杖も取り上げられていた。
 コルベールがマチルダを止めた理由は二つ。
 頭上を舞う竜騎士隊の数が多く、とても勝てる相手ではないということ。
 二つ目は、ワルドの語る話の内容だ。
 提示する条件を飲めば、マチルダとコルベールを見逃しても良い、と言っている。
 竜騎士隊を相手に逃げることは難しく、戦っても数騎を道連れにするのが精一杯といったと
ころに提示されたワルドの申し出は、生き延びることを考えれば、またとないチャンスなのだ。
 そのチャンスも、マチルダに暴れられては意味がなくなってしまう。少なくとも、条件を聞
くまでは大人しくして貰いたい。
 というのがコルベールの意見であった。
「ミス!ミス・ロングビル!どうか、どうか耐えてください!」
「やかましい!コレが黙っていられるか!女の顔を汚しておいて……、楽に死ねると思うなよ
トカゲもどきがッ!!」
 手足を激しく動かして、マチルダはコルベールを振り払おうとする。しかし、一応男である
コルベールの腕力には勝てず、虚しく叫びだけが木霊していた。
「なんだ、ミス・サウスゴータは話に乗り気ではないようだな……?」
 話を途中で止めたワルドが、マチルダの様子にニヤリと笑って見下したような視線を向けて
くる。しかし、マチルダの意識はワルドなど眼中に無く、風竜だけに向けられていた。
 敵意を感じて風竜も威嚇し、マチルダも歯を剥いて唸り声を漏らす。
 その姿は、まるで縄張り争いを始めた肉食獣のようであった。
「……獣と話していても意味は無い、か。そっちのお前はどうだ?条件を飲むというのであれ
ば、お前一人だけ生かしておいてもいいが」
「条件が分からねば、返事のしようがないとは思いませんかな?」
 マチルダを抑えたまま、ワルドの言葉に答えたコルベールは、一瞬馬鹿にしたような目を向
けて挑発する。
 正直に言えば、コルベールはワルドとの交渉が上手く行くとは思っていない。こういう状況
で示される条件なんて、碌な物が無いことは分かりきったことだ。
 それでも話し合いにコルベールが応じているのは、時間の経過による状況の変化を期待して
のこと。そのためには、マチルダが交渉の決裂を早めてしまうことは望ましくない。
 マチルダ自身を止められないのであれば、ワルドがマチルダの態度に業を煮やして交渉を終
えてしまわないように、多少恨みを買ってでもワルドの意識を自分に向けさせる必要がある。
 コルベールが話し合いを進めながらもワルドに対して下手に出ないのは、そういう計算が働
いていたからだった。
「それもそうか。では、条件を言おう」

278銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 17:46:03 ID:IMgn7ZL.
 分かりやすい挑発で腹を立てるほど、ワルドとて子供ではない。
 挑発される理由を状況から読み取りながら、自分の立場が圧倒的優位であることを態度で示
しつつ冷静に言葉を選ぶ。
 コルベールとワルドの腹の内の読み合いは、ワルドに分があるようだった。
「すぐに裏切れとは言わぬ。元ある立場に戻り、こちらの指示があったときにだけ内通を謀れ
ばそれでいい。貴様等は魔法学院の人間だろう?なら、そうだな……、万が一戦線が硬直する
ようなことがあれば、トリステインの中核を担う貴族の子弟を何人か見繕って、こちらの手の
者に差し出す、というのはどうだ?」
「……人質を取る、ということですかな?」
「平たく言えば、そうだ」
 肯定したワルドに、コルベールは内心で悪態を吐く。
 交渉はやはり決裂だ。そんな要求を呑めるはずが無い。マチルダなら生徒の一人や二人、ど
うってことは無いと言うかもしれないが、コルベールは教員としての自分に誇りを持っている。
 生徒を犠牲にするなど、ありえない話だ。
 それでも、話を終えるわけにはいかない。状況に変わりが無い以上は、話を続けなければ敗
北が決まってしまう。
「要求を呑んだとして、私達がそれを実行するとは限りませんぞ?」
 口約束なんて簡単に破れるものだ。むしろ、そういう誘いがあったと報告すれば、アルビオ
ン側の手口が一つ明らかになり、有利になる。
 そういう懸念を指摘すると、ワルドは可笑しそうに鼻で笑った。
「それは無い。嫌でも約束は守ってもらうさ。禁呪を使用してでも、な」
 手を空に向けて、竜騎士隊にハンドサインを送る。すると、竜騎士の一人がゆっくりと近付
いて来て、ワルドの隣に並んだ。
「“制約”の魔法は知っているだろう?使用した相手に、特定の行動を強制することが出来る
水の魔法だ。これの使い手は滅多にいないが、偶然にも部下に一人だけ使えるものが居たので
な。そうでなければ、わざわざこんな話し合いをするつもりは無かった」
 ワルドが顎先で指示を出すと、竜騎士は竜を地上に降ろしてコルベールに杖を向ける。
 まだ条件を呑むとは答えていないのに、向こうはもうそのつもりらしい。いや、元より選択
肢など無いのだ。
 了承するか、死か。
 ここで反抗的な行動を取れば、向けられた杖は瞬時に別の魔法を放つのだろう。
 時間稼ぎを継続したいコルベールはなんとか時間を引き延ばすために声をかけるが、既に詠
唱を始めた竜騎士を止めることは出来なかった。
「クッ……!」
 魔力の奔りを感じて、目を逸らす。
 “制約”は魔法による洗脳と条件付けの二つによって成立する。魔法だけでも、条件だけで
も意味は成さない。そのため、視線を逸らし、相手から意識を遠ざける行為は、“制約”の魔
法を防ぐのに有効な手段とされている。
 しかし、それも経験則ではなく、うろ覚えの知識だ。“制約”を確実に防げるとは限らない。
 もし。仮に。万が一。そうなったら?

279銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 17:46:37 ID:IMgn7ZL.
 膨らむ不安に、コルベールの肌が熱を帯びてじっとりと汗ばむ。緊張に手が震え、マチルダ
を抑える力が緩んだ。
 そして、コルベールが待ち望んでいた時間稼ぎによる、状況の変化が訪れた。
 風が吹き、音の衝撃が肌を打つ。
 マチルダと睨み合っていた風竜の頭が、空から降ってきた人間に足蹴にされて歪むと同時に
赤い液体を噴き出した。
 竜の額が、鋼鉄に貫かれていた。
 空中を飛んでいた竜の体が地面に倒れ、血に濡れた大剣が肉の鞘から引き抜かれる。
 飛び散った鮮血に頬を汚したコルベールは、現れた人物の名を呼ぼうとして、緩んだ拘束か
ら逃れたマチルダに殴り飛ばされた。
「平賀才人、遅れて参上!って、なんか俺ってカッコイイ!?」
「このクソガキィ!アタシの獲物を取るんじゃないよッ!!」
「ぐえっ!」
 ワルドの風竜を倒した才人が、駆け寄ったマチルダに頬を殴られた。
 登場タイミングは悪くは無かったのだが、一個人の感情にまでは配慮出来なかったのが才人
の敗因だ。
「ガンダールヴ!貴様、なぜここにいる!?」
「そんなこと、お前に言う必要があるのかよ!」
 鼻血を垂らして殴られた頬を手で押さえた才人が、ワルドの言葉を力強く跳ね除ける。その
後方では、いきり立ったマチルダが既に死体となった風竜の頭を幾度も蹴り飛ばして鬱憤を晴
らしていた。
「フン、交渉は決裂だ。ガンダールヴ諸共、皆殺しにしてくれる!」
「やれるもんならやってみろ!」
 デルフリンガーを両手で握り、レイピアを構えたワルドに才人が突撃する。
 上段からの一撃をワルドは体を捻って回避し、レイピアを鋭く走らせて才人の喉を狙う。い
つかの手合わせの時とは違う、殺意の篭った攻撃だ。
 左手の甲に輝くガンダールヴのルーンの光は、鈍い。
 マチルダの八つ当たりともいえる拳が、感情の昂りをリセットしたせいだろう。身体能力の
向上効果は、ワルドの攻撃を回避出来るほどのものではなかった。
「……っとおおおぉお、あっぶねええええぇぇ!!」
 ずるり、と足が滑って才人の体が後ろに逸れる。
 風竜を殺したときに付いた血糊が、間一髪のところで才人を救っていた。
「チィ!大人しく死んでいろというのに!」
 舌打ちして、ワルドは体勢を崩した才人に追撃をかける。
 そこにオレンジ色の光が飛び込み、ワルドの進路を遮った。
「やらせませんぞ!」
 コルベールが放った、炎の魔法だ。
 蛇を模った炎が牙を剥いてワルドを襲う。
 魔法で身を守る時間は無く、生き物のように動く炎は回避も難しい。取れる手段が多くない
ことを刹那の時間で判断したワルドは、ちらりと視線を横に向けて、体ごと目的の位置に飛び
出した。

280銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 17:47:09 ID:IMgn7ZL.
「隊長?たいちょっ!?」
 “制約”の魔法を中断して、コルベールに魔法で攻撃しようとしていた竜騎士の体勢が大き
く崩れる。紺色のマントにワルドは手をかけ、入れ替わるようにして竜の上から竜騎士を引き
摺り落としたのだ。
 直進していた炎の蛇は、そのまま竜騎士を断末魔の声を上げる暇さえ与えずに焼き殺した。
「部下を盾にした!?なんということを……!」
「なにを驚く?ここはもはや戦場だ。ルールなど存在しない!そもそも、殺したのは貴様だろ
うがッ!」
 非道な行為に震えるコルベールへ冷たく言葉を投げかけ、ワルドは竜騎士が乗っていた火竜
の手綱を握る。その合間に、立ち直った才人が再び斬りかかって来るのを蹴り飛ばした。
「ふん、流石に俺一人では分が悪そうだ。一度退かせてもらうとしよう」
 引かれた手綱に反応して火竜の翼が広がり、ゆっくりと上昇を始めた。
 空にいる竜騎士隊は、既に異変を察知して攻撃態勢に入っている。ワルドがこの場を離れれ
ば、攻撃を躊躇する理由が無くなり、一斉に襲い掛かってくることだろう。
 状況は最悪だ。ワルドを倒しても倒さなくても、竜騎士隊の攻撃を退ける術は無い。
 歯噛みしたコルベールは状況の改善策を求めて周囲に視線を走らせるが、田舎町に竜騎士の
攻撃から逃れられるような障害物は無く、当然迎撃に使えるような道具が転がっているはずも
ない。
 出来ることがあるとすれば、死力を尽くして戦い続けることだけ。
 考えている時間は無かった。
「彼を逃がしてはいけない!竜騎士隊の統率を乱す為にも、ここで討ちますぞ!」
「言われなくたって!」
 去り行くワルドの火竜の尻尾に才人が飛びつく。それに続くように、コルベールが炎の魔法
の準備を始めた。
「待て、ワルド!」
「待てと言われて待った馬鹿が、過去に一人でも居たのか?」
 ワルドが手綱を繰って竜を少し暴れさせる。それだけで尻尾にしがみ付いた才人は上下左右
に激しく揺さ振られ、振り落とされそうになる。それでも才人は鱗に爪を引っ掛けて、振り落
とされるのを耐えていた。
「ええい、しつこい!」
 耐えかねたワルドが魔法を詠唱し、風の刃を才人に向けて放つ。
 尻尾にしがみ付くのに精一杯の才人にそれを避けることが出来るはずも無く、真空の刃は才
人の右肩を抉り、そのまま背中を通って左の腰へと抜けた。
 切れ味の良さから痛みも走らず、何をされたのか気付けなかった才人はそのまま尻尾を掴み
続ける。だが、一度大きく尻尾が振られて強く力を入れた瞬間、裂けた衣服の下で皮と肉とが
離れ、激痛と共に大量の血が溢れ出した。
「あ、あう、あああああああああぁぁあぁっ!」
「相棒!?やばい……、この傷は、ちょっとシャレになんねえぞ!」
 悲鳴を上げて竜の尻尾から振り落とされた才人の様子に、デルフリンガーが緊張に声色を変
えて叫ぶ。

281銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 17:47:41 ID:IMgn7ZL.
 ワルドに攻撃を仕掛けようとしていたコルベールは、宙に散る赤い液体を見て、咄嗟に別の
魔法に切り替え、杖を振るった。
「レビテーション!」
 物体を浮遊させる魔法が才人に向けられ、落下途中にあった体が地面に激突する寸前で空中
に固定される。
「サイトくん!?大丈夫かね?意識をしっかり保ちたまえ!」
「何とかして傷口塞がねえと……!相棒が死んじまう!」
 才人の背中に走る一本の傷は、派手に出血しているだけで深くは無い。だが、その出血量自
体が問題で、急速な失血によるショック死が危ぶまれる。
 仮に死を免れたとしても、この出血を放置すれば脳が血液不足によって損傷するだろう。そ
うなれば、どんな後遺症が待っているか分からない。ハルケギニアには、こういう傷を原因に
表舞台から去った人間も少なくは無いのだ。
 とにかく、傷を塞ぐ必要がある。しかし、針と糸で縫合することや水の魔法での止血は、こ
の場では実現できるものではなかった。
「止血か……、やりたくは無いが、命には代えられん」
 才人を地面に下ろしたコルベールは、迷いを捨てて炎の魔法の詠唱を始める。
「おいおい、この大事なときに、そんな危なっかしい魔法でいったいなにを……」
 異様な雰囲気を察したデルフリンガーが、コルベールの動向に声を漏らす。
 詠唱を終えて、コルベールは杖を才人の背中に向けると、デルフリンガーの静止の声に耳を
貸すことなく、魔法を発動させる最後の言葉を口にした。
「恨みは、甘んじて受けますぞ」
 杖に籠められた魔力が熱と光に形を変えて、傷口に沿うように才人の背中に広がった。
 血液を蒸発させながら、炎が才人の傷口を焼いていく。切断されていた皮膚と肉が焼け爛れ
ることによって塞がり、流れ出る血の量は確実に減少していった。しかし、その間、才人の口
は顎が外れそうなほどに開かれて、耳を劈くような悲鳴を響かせていた。
「……無様だな」
 空に移動したワルドが、才人の背中を焼くコルベールを見下ろして吐き捨てる。
 あれでは、死ぬか生きるかの二択だろう。お粗末にも程がある止血方法だ。
 ああまでして生きることに執着する意味があるのか。死ぬべき時に死んでおいた方が、人生
なんてものは苦痛が少なくて済む。なにせ、生き残った彼らが後に見るものは、蹂躙されるト
リステインの姿なのだ。他国の軍に蹂躙される国家の様相は、凄惨というしかない。
 そんなものを見る為に、苦痛を耐えて生き延びようなどと……。
 ワルドにとって、才人やコルベールの生き残ろうと足掻く姿は、潔さも誇り高さも無い、泥
臭い生き様にしか見えなかった。
 そんなワルドの言葉に、浮かぶように姿を現したマチルダがニィと笑った。
「まったく、同感だね。ここまで近付かせてくれるなんてさ!」
「っな!貴様!?」
 振り向いたワルドの目に、巨大なゴーレムの頭部が映る。
 肩の上にマチルダを乗せたゴーレムの両腕は、既に高く持ち上げられ、後は重力に任せて振
り下ろすだけとなっていた。

282銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 17:48:15 ID:IMgn7ZL.
 ワルドが才人やコルベールの動きに気を取られている間に、マチルダはこのゴーレムを作り
上げていたのだ。
「ダボがッ!気付くのが遅いんだよ!!」
 マチルダの意思に従い、ゴーレムが巨大な両腕をハンマーのように振るってワルドの乗る火
竜の背骨を砕いた。
 衝撃で肉が裂け、飛び散った血がゴーレムの体表を赤く染め上げる。その中に混じって、千
切れたと思しきワルドの腕がマチルダの足元に飛び込み、皮のブーツを赤く染め上げた。
「あはははははっ!だらしないねえ!結局誰だか分かんなかったけど、そんなことはもうどう
だっていいさ!生まれ変わって出直しといで!フッ、ははははっ!」
 四散した肉片が地上に落ちていく様を見下ろして、マチルダは腹を抱えて激しく笑う。
 溜まった苛立ちをワルドにぶつけて、ご満悦のようであった。
 しかし、何時までも笑っていられない。マチルダの作ったゴーレムを取り囲むように竜騎士
隊が飛び回り、殺気立った目を向けてきている。
 目の前で仲間を殺されて激怒しているのだ。
「……これは、ちと危ないかねえ?」
 肌にピリピリと感じる鋭い殺意に昂った気分があっという間に冷まされて、マチルダの頬の
筋肉が緊張で引き攣る。30メイル級のゴーレムなら上手く行けば竜騎士の二人くらいは仕留
められそうな気はするが、その頃には自分も灰になっているのは確実だ。
 これだけ敵意を向けてきている相手に、正面から戦うのは得策ではないだろう。
 つい先ほどまでぶっ飛んでいた理性を動員して、とにかく逃げるべきだという結論を導き出
したマチルダは、足蹴にしたワルドの腕を拾い上げると、それを正面を飛ぶ竜騎士に思いっき
り投げつけた。
「アンタ達の大将の腕さ!返してやるよ!」
 風の動きが変わり、投げつけた腕が竜騎士の一人にキャッチされる。その次の瞬間、包囲し
ていた竜騎士隊が一斉に騎乗する火竜にブレスを吐かせ、ゴーレムを火達磨にした。
「ハッ!危ない危ない」
 腕を投げた瞬間にゴーレムの肩から飛び降りたマチルダは、全身を炎に焼かれて崩壊を始め
るゴーレムの土と一緒に自由落下に身を任せ、地上に見える才人とコルベールの脇にレビテー
ションで勢いを殺して着地する。
 ちょうど才人の傷を塞ぎ終えたコルベールが視線でマチルダを向かえ、その背の向こうに見
える殺気をばら撒く竜騎士隊を瞳に映した。
「逃げる算段は?」
「ないよ」
 あっさり答えたマチルダに、コルベールは傷を焼かれた時の痛みで気絶した才人を担いで苦
笑した顔を向けた。
「では、走るしかありませんな」
「ぎっくり腰になんてなるんじゃないよ」
 一瞬だけ視線を交えた後に、互いに鼻で笑って足に力を籠める。
 その背後に騎士を背に乗せた火竜が迫り、煌々と燃えるブレスを放った。

283銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 17:48:48 ID:IMgn7ZL.


「だいたいこの辺か……、っと!」
 上下左右、あらゆる方向を土に囲まれた中、ランプの明かりを頼りに天井に耳を這わせてい
た男が、おもむろに両腕を天井に突き刺した。
 硬化の魔法をかけられた手は、土の壁に負けることなく肘の先まで突き進み、その向こうで
何かを握り締める。
 土を盛った土台の上で、男は手に何かを握ったまま体ごと腕を引っ張って、土の向こうにい
るものを引きずり出した。
「わああっ、わあ!」
「あちち、あちっ、あちっ!髪が、燃える!」
 天井が崩れて現れたのは、才人を抱えたコルベールと髪の一部を焦がしたマチルダであった。
 今し方、竜のブレスを浴びせられそうになった二人は、間一髪のところで男の手に救われた
ようである。しかし、完全に無事とはいかないようで、マチルダの髪は焦げ付き、コルベール
も後頭部の髪をパンチパーマ状態に変えていた。
 得意分野ではない土の魔法で天井の穴に蓋をした男は、ふう、と息を吐いて、金色の髪を濡
らす自分の汗を汚れた袖で拭った。
「あああああああ、あたしの髪が!半分くらいにまで……!クソッ!助けるなら、もっと早く
やりな!この駄目王子!!」
「いや、手厳しいね。一応は急いだつもりなんだが」
 マチルダの理不尽な言葉に、ウェールズは土に汚れた顔を崩して笑うと、足元のランプを拾
い上げる。油の量が少なくなり始めているらしく、光が弱まっているようだった。
「地下からでは緊急かどうかなんて、判別がつかないんだ。騒がしくしてくれていたから何と
か位置は分かったんだけど……、申し訳なかった」
「謝って済んだら、法律なんて存在しないってんだ!チクショウ……、アタシの髪が、こんな
に短く……」
 黒く焦げた部分を手で千切ると、髪の長さが肩の辺りで途切れてしまう。
 この分だと、綺麗に整えた場合は更に短くなってショートヘアになるかもしれない。元の長
さまで伸びるのは、恐らくは再来年の今頃になるだろう。
 涙目で崩れた自分の髪を握ったマチルダは、手入れを欠かすことなく綺麗に伸ばしてきた自
分のたった一つのお洒落が台無しにされた事実に、沸々と憎しみと怒りが湧き上がってくるの
を感じた。
「キィーッ!あいつら、殺す!絶対、皆殺しにしてやるぅ!」
「お、落ち着いてください、ミス・ロングビル!髪のことなら、後で私の育毛剤をお貸しいた
しますから。それよりも、先ほど彼のことを王子と……」
 暴れるマチルダを宥めて、コルベールは聞き流せない言葉に反応を示す。
 近年のハルケギニアにおいて、王子と称される人間は多くない。トリステインもガリアも王
の子は娘が一人だけだし、ロマリアは王権そのものが無い為に王と名が付くことは無く、ゲル
マニアに至っては王が結婚すらしていない為に子供自体が存在していない。分散する小国や公
国には王子と称される人間は少なからず存在するものの、滅多と表に出ることは無く、社交界
に顔を出すのはもっぱら女性ばかりだ。

284銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 17:49:22 ID:IMgn7ZL.
 そのため、王子と言えば、ここ数年ではたった一人を示すことになっていた。
 アルビオン王国王家、テューダーの名を継ぐウェールズである。
 一介の教員でしかないコルベールが王家の人間に直接拝顔することは無いが、祭典が開かれ
れば遠目に顔を見ることくらいはある。記憶にある曖昧な人物像を鮮明にすればこうなるので
はないか、という見本を目の前に置かれれば、それが同一人物ではという程度の疑問を抱くの
は、当然の成り行きであった。
 突然に立ち去るのも言い逃れをするのも不自然だと判断したウェールズは、コルベールの疑
問に対し、素直に自分の身分を明かすことを決めた。
「口が滑ってしまったようだね。まあ、仕方がない。その通り、僕は今は無きアルビオン王国
がテューダー王家の血をこの身に流す者。ウェールズ・テューダーだ」
 アンリエッタの持つ可憐な王女のそれとは違う、前線に立って血を流してきた軍人上がりの
王家の威光を滲ませたウェールズに、コルベールは体を震わせて跪く。
 偽物ではない。本物だけが持つ圧倒的な存在感が、確かにそこには有った。
 どこかの誰かのせいで世俗に染まって、いくらか落ちぶれてはいたが。
「おお、生きておられたのですか……!」
「本来なら内戦の終わりに討ち死にするつもりだったがね……、こうして情けなくも生き恥を
晒している。最近は小間使い同然に使われて、かつて仕えてくれていた使用人達の苦労を偲ぶ
毎日さ」
 小間使い?と言葉を零して、コルベールはハッとなってマチルダを見る。
 王族であろうとも落ちぶれた人間なんかは絶対敬ったりしないであろう人物が、そこに居た。
「言っとくけど、あたしじゃないよ。ここ暫く会ってなかったし。……っていうか、アンタは
あたしをそういう目で見てたのか!」
「あっ、あっ、そういうつもりでは!ただ、今日はどうしても印象が変わってしまうような姿
を多く見てましたので……!いたたたたたたたた、私の、私の残り少ない髪が!?」
 ちりちりになっている後頭部の毛をブチブチと引き抜かれて、コルベールは目元に涙を浮か
べる。
 痛みで泣いているのではない。絶滅間近の頭髪が虐殺されていることに泣いているのだ。
 コルベールの背後に張り付いて次々と犠牲を量産するマチルダを、ウェールズは平和な光景
だと笑顔で眺めて、手元のランプに目を移した。
 蝋燭の明かりよりも頼りなくなっていたか細い火が、そこでちょうど寿命を向かえた。
「おや?どうやら、油が切れてしまったようだな」
「なんだい、いいところだったのに……。えーっと、アタシの杖はどこいった?」
「いいところって、私の髪を荒野の如き不毛の地に変えておいて……!あ、ミス・ロングビル
の杖ならここにありますぞ」
 小さな明かりであったとはいえ、消えてしまえば目は暗闇しか映さなくなる。
 手元さえ分からなくなったマチルダ達は、手探りで各々に行動し、明かりを求めて杖を手に
しようとした。
「ここにあるって、そのここってのが何処なのか分かんないじゃないか!」
「私に言われても……。ああ、しまった。杖を地上に置いてきてしまいましたぞ!」

285銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 17:50:13 ID:IMgn7ZL.
「あれ?僕の杖がない。確かにベルトに挟んでおいたのに……」
「ああっ、申し訳ない!ミス・ロングビルの杖はこっちでした!こちらは、ウェールズ殿下の
杖ですかな?足元に二つとも転がっていて、どうにも判別が」
「だーかーら!アタシの杖はどこだって言ってんだよ!こっちじゃ分かんないっての!」
「僕も、どこに何があるやら……」
 手探りで棒切れ同然の杖を探し出すのは難しい。
 コルベールは親切で拾った杖をマチルダやウェールズの近くに移動させるのだが、それは逆
に転がっている位置を予測しているマチルダ達には迷惑以外の何者でもなく、杖は一向に手の
中に収まることは無かった。
「ちょ、誰だ!今、あたしの胸に触ったにょわっ!?このっ、言ってる傍から尻まで触るなん
て、死なすぞコラァ!!」
「ご、誤解ですぞ!私はただ、杖を渡そうと……、はう!?」
「なにか妙なものを踏んだ気が……。いや、それよりも、早く明かりを!このままでは、なに
がなにやらふぐぅ!?」
「きゃあああああぁっ!い、いま、今!顔に変なものがっ!でかい蛇みたいなのが!!」
 混乱極まる黒の世界。
 着実に股間へのダメージを重ねる男達。
 精神的な被害を被る紅一点。
 もはや杖どころではない三人は、互いに近い位置にいることの危険性を察して距離を取るこ
とを選択する。
 だが、それを待っていたかのように、冷たい風を伴って少女のものと思われる不気味な泣き
声がマチルダ達の耳に囁くように流れ込んできた。
 暗いよ。
 寒いよ。
 寂しいよ。
 遠く響く声は耳を塞いでいても体の中に溶け込んできて、頭の中で何度も同じ言葉が繰り返
される。
「ひ、ひいいいっぃぃ!なに!?この声はなに!?」
 折角離れたマチルダは、聞こえてくる声に背筋に走る冷たさを覚えて、元居た場所へと跳ぶ
ように戻る。その際、火の消えたランプを踏みつけて、派手に金属音をばら撒いた。
「ゆ、幽霊か……?僕は、こういう心霊現象とかは信じない主義なんだが……」
「んなこと言ったって、この声は何なのさ!現実に聞こえてきてるじゃないか!!」
 冷静に状況を推察する為に、落ち着いた声で喋るウェールズに、マチルダは体を震わせて反
論する。
 普段ならお化けや幽霊に唾を吐きかけて拳で語り合おうとするようなタイプであるマチルダ
だが、手元に杖がない状況は切り札が存在しないのと同義で、後ろ盾の無い環境が彼女の精神
を不安定にさせていた。おまけに、星明りさえない完全な暗闇という状況が更に情緒を刺激し
て、恐怖心を増幅しているのだ。
 ……ママ、何処にいるの?
 そんな言葉に鳥肌を立てたマチルダは、両手で自分の体を抱いて、声の聞こえる方向を涙を
いっぱいに湛えた目で睨みつける。

286銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 17:50:57 ID:IMgn7ZL.
「ママ……?ということは、女性の声に反応するということでしょうか」
「余計なこと言うんじゃないよ、このバカ禿げ!こっちに来たらどうすんだい!」
「ば、バカ禿げ……?」
 研究者の性か。コルベールは顎に手を当てて、聞こえてくる言葉に対する推測を無神経に語
ると、マチルダは恐怖心を誤魔化すように怒声を上げて身を小さくした。
「そういえば、この地下の穴はなんなのさ?まさか、大昔に作られた防空壕だとか、地下墓地
だとか、いかにも誰か死んでそうな曰くがあったりしないだろうね?」
 幽霊が現れる場所というのは、過去に何かしらの事件があって、人が死んだ場所が多い。
 もしかしたら、ここもその内の一つかもしれない。
 そう思うと、どうにも触れる地面の冷たさが、死体のそれと重なってしまうのだった。
「いや、それはない。この穴は、ジャイアントモールが田舎の土で育った良質のミミズを求め
て雲の巣のように掘り広げたものだ。昨日今日に出来た穴に、曰くなんてあるはずが無いよ」
 マチルダの疑問に、ウェールズはさっと答えて、声の聞こえる方向への警戒を強める。
 その瞬間、マチルダの瞳に不信感が宿った。
「……随分と詳しいね。アンタ、どういう理由でこの穴を見つけたのさ?」
「そ、それは……!」
 再び冷たい風が吹く。
 言い淀むウェールズを、暗闇の中、だいたいその辺にいるのだろうと辺りをつけたマチルダ
が視線で攻める。見えていなくても人の意思というものはなんとなく感じ取れるもので、追求
されている気配を読み取ったウェールズは、額に一滴汗を浮かべると、ポツリと呟いた。
「落ちた」
「……はぁ?」
「落ちた、と言ったんだ。村に近付く竜騎士隊を追い払おうと待ち構えていたんだが、敵が近
付いてくるのに合わせて移動したら……、ズボッて。お陰で、追い払うどころか、竜騎士隊は
僕の頭上を通り越して行ったよ。で、そのままジャイアントモールの世話になって、ここまで
来たんだ。途中でミスタ・ホル・ホースやエルザ嬢とも会って、君等が村の中に残っていると
聞いたから助けに来たのさ」
 間抜けな事故で見つけたということらしい。
 助けに来てくれたこと自体は感謝すべきことなのだろうが、どうにも失態の汚名返上が前提
にあった気がして、素直に感謝できない。
 まあ、100%善意であったとしても、マチルダがウェールズに感謝の言葉をかけるような
ことは絶対に無いのだが。
「なんだ、ただのバカか」
「ふっ。いつもながら、君の言葉は辛辣だね」
 否定することも出来ず、ウェールズは肩を落として負け惜しみの一言を零す。
 会話の終わりを待っていたのか、暫く聞こえなかった不気味な声が復活し、囁きが再びマチ
ルダ達の鼓膜を震わせた。
 声が聞こえるわ。……こっちにいるの?こっちにいるのね?
 近付いているのか、声が徐々に大きくなっている。だが、それ以上に不気味な事実があった。

287銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 17:51:58 ID:IMgn7ZL.
「ひぃっ!な、なんで後ろから!?さっきと方向が違うじゃないかっ!!」
 睨み付けていた暗闇とは真逆の方向から届く声に、マチルダは逃げ出す位置を変える。
 それが良かった。
 足が何か硬い物を踏みつけ、その存在をマチルダに報せる。
 必死に捜し求めていたものが、やっと見つかったのだ。
「つ、杖だ!杖を見つけた!!」
「早く明かりを!幽霊の正体を暴くのです!」
 コルベールが研究者魂を輝かせて、マチルダを急かす。
 たとえ頭髪が絶滅の危機にあっても、彼の未知に対する好奇心が絶える事はなさそうだった。
「言われなくても、とびっきり明るくしてやるよ!」
 足元に手を伸ばしたマチルダは、コルベールの言葉に怒声で返し、その場で“明かり”の魔
法を唱える。
 全身全霊をかけた“明かり”の魔法が、世界を真っ白に染め上げた。
「よし、ちっと目が痛いけど、これで……!」
 杖の先端に灯った強力な光に目を眩ませたマチルダが、瞳孔の急速な動きに痛みを感じなが
らも色の生まれた世界に意識を向ける。
 その瞬間、眼前に広がった赤い色に、マチルダは盛大に悲鳴を上げた。
「いぃやあああぁああああぁぁぁあぁぁああぁぁああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 焼け爛れた皮と肉。焦げ固まった黒い血の結晶。衣服は煤を被り、生々しく残る傷跡は生焼
け故に筋肉の躍動を内包する。
 そんなゾンビの如き様相を呈しているのは、地球出身で現在絶賛気絶中の平賀才人であった。
 暗闇から脱して最初の光景が、コルベールの手によって背中の傷を焼き塞がれた才人の姿で
あったのは、不幸としか言いようがない。得体の知れないものに怯えていたマチルダに追い討
ちをかけるようなショッキングな光景は、彼女の精神を激しく揺さ振り、肉体的にも精神的に
も多大な負荷をかけることに成功する。
 その結果、マチルダは放心したように固まると、白目を剥いて気絶したのだった。
「ああっ!また暗く!?」
「安心したまえ!今の明かりで、なんとか自分の杖を見つけた!」
 マチルダの失神によって再び穴の中は闇に染まったが、光を取り戻すのは早かった。
 一瞬の明るさから自身の杖の位置を確認したウェールズは、才人とマチルダの二人が倒れる
傍らに落ちている自分の杖を拾い上げ、“明かり”の魔法を唱えた。
 ランプのものよりも強くはっきりとした光が穴の中を照らして、ウェールズやコルベールの
姿を浮かび上がらせる。倒れたマチルダや才人の姿も、きちんと確認できていた。
 だが、それでも不気味な声は止まらなかった。
 人が居る。
 人の声がある。
 見つけた。
 見つけた。
 見つけた。
 みつけた。

288銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 17:52:37 ID:IMgn7ZL.
 ミツケタ。
「……近付いてきておりますぞ!」
「分かっている。迎え撃つぞ!」
 光に照らされた穴の中には、前と後ろに道が二つ。いや、正しくは、ウェールズたちの居る
場所も道の一部でしかない。
 接近する声と気配に、ごくりと喉を鳴らした二人は、足音までも耳にして、間もなく現れる
存在に緊張感を高めた。
「あっ!」
「なんだ、どうしたのかね?」
 突然に声を上げたコルベールに、ウェールズは尋ねる。
 だらだらと滝のように汗を流し始めたコルベールが、指をそっとウェールズの手元、杖を持
つ右手に向けた。
「私は杖が有りませんし、ウェールズ殿下も“明かり”を使っている間は、他の魔法が使えま
せんが……、仮に本当に幽霊だとか、怪物だった場合はどうすれば?」
 この言葉に、ウェールズも先ほどのコルベールのように声を上げて、ぶわっと汗を浮かび上
がらせた。
「わ、わわわ、ど、どうする!どうすればいい!?」
「私に聞かれましても!ああああ、こんなことに気付かなければ良かった!」
 一気に混乱し始めたコルベールとウェールズを余所に、足音は着実に近付いてくる。
 ミツケタ。
 みつけた。
 見つけた。
 そこに居るのね?
 そこに居るんでしょう?
 ああ、やっと、やっと……。
「見つけた!!」
「うああああああああぁぁあぁぁぁっ!!?」
 道の先、暗がりからウェールズの光の元に人影が現れ、それと同時にコルベールとウェール
ズの口から悲鳴が上がる。位置悪く、及び腰だったウェールズは倒れているマチルダに足を取
られて、後ろ向きに引っくり返っていた。
「いってえええええええぇぇぇぇぇぇ!!」
 倒れこんだウェールズが才人の上を転がって、傷口を思いっきり抉ってしまう。その刺激で
才人が絶叫と共に眼を覚ました。
「ああっ、サイト!あなた、サイトでしょう!?……うう、ぐす。見つけた。やっと見つけた
よう。散々迷って、一時はもう帰れないんじゃないかと……、うええぇん」
「え?なんだ?なんだよ?誰この人?なんで泣いてんだよ!?」
 幽霊の正体と思しき少女が、才人の姿を見つけるなり縋り付いて泣き始める。
 背中の痛みで目覚めたことも忘れて戸惑う才人を余所に、幽霊の正体が普通の人間であるこ
とを知ったウェールズとコルベールは落ち着いて状況を把握しだした。
「ミス・ジェシカ?まさか、ずっとこのモグラの穴の中を彷徨っていたのですか?」

289銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 17:53:25 ID:IMgn7ZL.
「ぐず……、うん。そうだよ。真っ暗で、何にも見えなくて……、引き返そうにも、自分が何
処に居るのか分からなくなっててさ……。口の中は苦いばっかりだし……。ホントに、このま
ま死んじゃうかと思って……」
 言っている間に暗闇に恐怖と一人ぼっちの寂しさを思い出したのか、ジェシカは再び泣き始
める。額や手には擦り傷も多く、何も見えないまま彷徨い歩く間に何度も壁にぶつかったり転
んだりと、散々な目に遭ったことが見て取れる。エルザに騙されて痛みが走るほどの苦い薬を
口の中に残していたことも追い討ちをかけたようだ。泣きたくなるのも分からないでもない。
 とはいえ、モグラの穴で遭難死なんて、笑い話にもならないが。
「あー、よく分かんねえけど、大変だったんだなぁ」
「大変なんてもんじゃないわよ!こんなに泣いたのなんて久しぶりなんだから!こ、この、朴
念仁ッ!唐変木!むっつりスケベ!」
 苦労を理解してくれない投げやりな言葉に怒ったのか、ジェシカの手が才人の体をバシバシ
叩く。
 働き者で体をしっかり動かして鍛えてあるとはいえ、女の力だ。才人はそれほど苦痛に感じ
ることもなく、それどころか、なんかこう新鮮な反応に頬を赤くした。
 が、ジェシカの手が才人の背中に触れた瞬間、そんなことは頭の中から吹っ飛んで激痛に悶
絶することになった。背中の傷は、焼いて塞いだだけで完治なんて程遠い状態だということを
忘れているようである。
「うんんぎゃあああああああぁぁぁぁぁぁあっ!」
「このっ!このっ!あんたがもうちょっと気を利かせて、シエスタに心配させないようにして
いれば、こんなことになんて!!」
 顔面を真っ青にして苦しむ才人の姿も涙に霞んで、気付かぬままにジェシカは才人を叩く。
 誰かが止めない限り、才人が痛みでショック死するまで止まりそうに無かった。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花。実際に見てみれば、こんな可憐な少女だったとはね」
「大騒ぎした自分たちが恥ずかしいですな」
 最初に幽霊などと言ったのは誰だったのか。冷静さを失っていた自分達を恥じて、ウェール
ズとコルベールは恥ずかしげに首の後ろを掻いた。
「うむ、まったく。しかし、問題が一つあるとすれば……」
 コルベールと視線を交わし、同じ見解に頷いた所で、ウェールズはコルベールと共に意識を
気絶しているマチルダに向けた。
「彼女が真実を知れば、どうなるやら」
「血を見る可能性も、無きにしも非ずですな。早急に手を打ったほうが良さそうだ」
 勘違いで気絶などしたのだから、その気は無くても脅かしてしまったジェシカの処遇は大変
なものとなるだろう。最近めっきり怒りっぽくなっていることも考えると、普通なら頬を抓る
程度の折檻が、そのまま皮と肉を捻じ切る流血沙汰に発展してもおかしくはない。
 ついでに言えば、犠牲者はジェシカだけで済むなんて都合のいい話は無いだろう。散々大騒
ぎをした事実は、ウェールズとコルベールの記憶にしっかりと残っている。事の真相を知った
マチルダが、恥ずかしい過去を抹消するべく二人を始末しようとするかもしれない。
 マチルダの怒りを抑る、たった一つの切り札。それを知るウェールズは、気絶中のマチルダ
を抱え上げて背負うと、力強く頷いて、泣きじゃくるジェシカや痛みに悶絶する才人に付いて
くるようにと指示を出した。

290銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 17:54:07 ID:IMgn7ZL.
「ティファニア嬢だけが僕等の希望だ……!彼女が眼を覚ます前に合流するぞ!」
 決戦の地に赴く勇者の顔でウェールズは歩き出す。
 巨乳の女神の微笑みを求める旅が、情けない理由と意外と切羽詰った精神状態で始まろうと
していた。


 木々の向こうで何かが崩れる音が響いた。
 風に揺れる葉が森の外の音を吸収して届かなくしているが、耳を済ませて小さな音さえ聞き
逃さないように気をつけていれば、絶対に聞こえないものでもない。
 とはいえ、常に音ばかりに意識を集中していられる人間など多くは無く、その音を聞いてい
たのは極一部の人間だけであった。
「建物が崩れた……?ということは、そろそろ終わりかしら」
 五感そのものは人間と大差は無いものの、多少鋭くはある。そのお陰で遠く響いた小さな音
を聞き取ることに成功したエルザは、何が起きたかを悟って小さく呟いた。
 音は、竜騎士隊の攻撃によって炎上した建物が崩壊する時のものだろう。
 指揮官であるワルドを失ったアルビオンの竜騎士隊ではあるが、指揮系統が崩壊したという
わけではない。こういう時のために副隊長は存在しているし、階級という上下関係がある。そ
のため、任務の遂行に支障は無く、タルブの村の制圧は順調な様であった。
「空さえ飛んでなければ、逃げ隠れしないで止めに行けるんだろうけど……」
 言っておいて、詮無いことと肩を竦める。
 竜騎士の恐ろしい所は、一撃離脱の戦法と竜の火力だ。空を縦横無尽に飛び回る生き物を仕
留めることは容易ではなく、急降下と急上昇の合間に行われるブレスの攻撃は、地上を這うし
かない人間達を簡単に炎の海に沈めることが出来る。
 対空兵器なんて存在しないハルケギニアでは、地道に魔法で撃ち落すか、それとも大砲に散
弾を詰めて面制圧をするか、あるいは、同じ空を戦場に出来る部隊で対抗するしかない。それ
にしても、魔法は滅多に当たらないだろうし、大砲は高価であるにも関わらず射程の問題から
大した戦果を上げてはくれないだろう。結局の所、竜騎士と戦うなら同じ空で決着を付けるし
かないというわけだ。
 まったくもって、厄介な相手である。
 地上に引き摺り下ろすことさえ出来れば、話は違ってくるのだが。
「余程の間抜けでもない限り、戦場で地上に降りてくる竜騎士なんて居やしないか」
 ゴーレムに叩き潰された間抜けの存在なんて知るはずも無いエルザは、独り言を終えて膝を
抱える少女の顔をちらりと覗き見る。
 すん、と鼻を鳴らして、泣きながら籠に入れられた木苺を食べ続けるシエスタがそこに居た。
「アンタもいい加減泣き止みなさいよ。馬鹿みたいに心配してるときほど、心配されてる方は
退屈持て余してバカ面晒してるもんよ?それに、アンタが何を思ってたって、別に何かが変わ
るわけじゃないでしょ」
「ひょれは、ひょうかもひれないけど……」
 シエスタが、木苺を沢山詰めた口を動かして返事をする。

291銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 17:54:52 ID:IMgn7ZL.
 餌を頬袋に大量に詰めたリスのように頬を膨らます様は可愛らしいものだったが、内情は意
外と切実だ。何せ、エルザが持ち込んだ薬の苦さが余りにも酷く、こうでもしないと泣いてい
る理由が変わってしまうくらいなのだから。
 視線を少し動かして村人達の様子に目を向ければ、皆が揃って何かしら甘いものや刺激の強
い食べ物を口に詰め込んでいる姿が確認できる。水を飲んで苦さを洗い流そうにも、舌の上で
苦味が張り付いて取れないのだ。偶然、ティファニアが配り歩いていた木苺の甘さで多少は誤
魔化せることが判明してからというもの、自生している実を穫り尽くしそうな勢いでかき集め
て、こうして実を食べまくっているのであった。
「……んー」
 あっちでもぐもぐ、こっちでもぐもぐ。そうやって食べている姿ばかり見ていると、自分も
同じ事をしなければならないのではないのかと思ってしまうのが集団心理。
 触発されたエルザは、シエスタの傍らに置かれた籠から木苺を一つ掠め取り、それを口の中
に放り込んで仄かな甘味に頬を緩めた。
 だが、浮かんだ笑顔も長くは続かない。
「ぐすっ……、すん……」
「まだ泣くか」
 激しく泣くわけではないが、目元の涙と鼻水は止まらないらしい。
 よくもそこまで感情が長続きするものだと感心するが、親しい身内や想い人の危機ともなれ
ばそんなものかもしれない。ただ、どこか気まずそうな、それでいて申し訳なさそうな雰囲気
も感じ取れるから、泣いている理由は心配ばかりでは無さそうであった。
 シエスタが己の欲望に負けて、才人とジェシカを元に邪な妄想を抱いていた、などというこ
とがエルザに分かるはずもなく、疑惑の視線はすぐに消える。
 このまま泣き虫に長く付き合う気になれないエルザは、適当に切り上げることを決めていた。
 ジェシカの使った獣道を逆走してきたために話しかけられたのが縁の始まりだが、言ってし
まえばそれだけの関係。耳障りな泣き声を聞き続ける理由にはならない。
 このまま適当に理由をつけて逃げ出そう。
 そう思ってエルザが立ち上がろうとすると、スカートが何かに引っ張られた。
「……スカートが脱げそうなんだけど」
「あ、ごめんなひゃい」
 そう謝りはしたものの、シエスタはエルザのスカートを放そうとはしない。
 これは、引き止められているのだろうか?
 泣き腫らして後に落ち着いてくると、一人が寂しいと感じるときがある。誰かに傍に居ても
らいたいのに、避難民達は皆忙しく動き回っている。だから、その場の流れとはいえ、傍に居
てくれたエルザを放したくないのかもしれない。
 エルザにしてみればいい迷惑なのだが、それを言って泣かしでもしたら、余計に面倒なこと
になる。
 はぁ、と溜め息を付いて、エルザは再びシエスタの横に並んで座り込むと、また籠から木苺
を取って口に放り込んだ。
「ねえ、ちょっと訊いてもいい?」
「ん?」

292銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 17:55:30 ID:IMgn7ZL.
「サイトって、どういう奴?」
 ラ・ロシェールで、ホル・ホース同様に異世界から来た人間であることはエルザも知ってい
る。逆に言えば、それしか知らない。だから、あえて見知らぬ相手であるかのように、シエス
タに問いかけていた。
 ごくり、と頬を膨らませていた大量の実を無理矢理飲み込んだシエスタは、遠い空を見上げ
て記憶を掘り起こす。
 ああ、これが恋する乙女の目って奴なのね。
 才人のことを聞かれた瞬間、キラキラと輝きだしたシエスタの瞳を見て、早速エルザは聞く
気を無くしていた。
「そうね……、とっても勇敢で、貴族様が相手でも一歩も引かず、メイジだって倒しちゃう凄
い人よ」
「へえ、それは凄いわね」
「でしょ?ちょっと無鉄砲な所もあるけど、誠実っていうか、素直って言うか……」
「うんうん」
 ぽっと頬を赤くして、ペラペラと喋るシエスタに、エルザが適当な相槌を打つ。
 泣く子を黙らせるには、やはり興味のあることや好きなことをやらせるのが一番だ。想いを
寄せている相手のことを語らせれば、年頃の女なんて一時間以上も平気で喋り続けるもの。
 若干、邪魔臭さが増したものの、泣かれるよりはいいだろうというこの作戦は、早速効果を
上げ始めていた。
「美味しそうにご飯を食べてる姿がとっても可愛いのよ?あっちこっちに手を出して、すぐ口
の中をいっぱいにするの。それでもぐもぐって、一生懸命噛んでるところを見ると、小さい動
物みたいで……」
「へぇ、なるほどなるほど」
「食べ終わると、必ず美味しかったって言ってくれて……、それがもう、マルトーさん達が気
に入っちゃって気に入っちゃって。隠してたワインまでポンポン開けちゃうんだから。で、舞
踏会なんかで出した食事なんて、こんなに美味しいものを捨てるなんて、ってお腹いっぱいな
のに無理して食べて……、また気に入っちゃって、ミス・ヴァリエールの使い魔じゃなかった
ら俺の養子にしてるところだ!なんて言い出すのよ?それでね、それでね……」
「はぁん、へぇ、ふぅん」
「ミスタ・グラモンとの決闘だって、ボロボロになっても一歩も引かず、剣を握った瞬間、こ
う、風みたいに動いて、ずばー!ばさー!って、凄い早かったんだから!で、剣をこう突きつ
けて、貴族様に謝らせちゃったのよ。凄いでしょ?ね、ね!それから……」
「へえ。ほー。あー、はいはい」
 想いを寄せている相手のことを語らせたら、年頃の女なんて一時間以上も平気で喋り続ける
もの。
 そう、そのことはあらかじめ分かっていた。分かっていたのに、実際に聞かされる身になる
と、それがどれだけ辛い立場なのか、エルザは理解していなかった。
 自分の興味が多少でも重なれば、この苦痛も半減するのだろう。しかし、他人の好いた男の
ことなど心底どうでもいいエルザにとって、シエスタの口から次から次へと飛び出てくる惚気
話は延々と鞭打ちされるのに匹敵する拷問であった。

293銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 17:56:19 ID:IMgn7ZL.
「それでサイトさん、ご主人様のミス・ヴァリエールと喧嘩しちゃってね、わたし、これは神
様が与えてくれたチャンスだと思ったの!サイトさんってば、普段からなんだかんだと言って
いても、ミス・ヴァリエールのことばかり考えてて……。だから、これ以上二人の絆が深くな
る前に、きちんと既成事実を作ってしっかり掴まえておこうと思って……」
「わかった!分かったから!アンタがサイトのことをどれだけ好きか、よーっく分かった!で
も、なんか段々と生々しくなってきたし、この辺にしておきましょう!」
 自分で話を誘導しておきながら、耐え切れなくなったエルザが強引に話の中断を切り出す。
 このまま聞いていたら、一時間どころか日が暮れるまで続いてしまう。実際、適当に相槌を
打っているだけで空に上っている太陽がいくらか傾いていた。
 意気揚々と話していたシエスタは、まだ語り足りないのか、不満そうに表情を変える。それ
でも泣きながら木苺を食べていた時の陰鬱な雰囲気は消えて、いくらかすっきりとした顔で深
く息を吐いていた。
「と、とりあえず、目的は達したわね……」
 肩で息をしながら、エルザはシエスタの様子にニヤリと笑う。
 泣き虫は旅立ち、代わりに幸せの青い鳥が飛び回っている。高揚した気分を抱えたシエスタ
が再び泣き出すことは、多分、無いだろう。
 少し重い帽子を被り直して、気を取り直したエルザは、さっさとこの場を離れようと立ち上
がった。
 つん、と腰が後ろに引っ張られ、移動していた上半身は腰を基点に半回転して地面に落ちる。
 擬音を並べるとしたら、ずるっ。べしゃ。だろうか。
 顔面から地面に飛び込んだエルザは、見事にずり下がったスカートと端を掴むシエスタの姿
を睨むと、何事も無かったかのように元の位置に戻ってスカートを直し、シエスタの胸倉を掴
み上げた。
「なに?まだ、なんか用があるわけ?」
「えっと、そういうわけじゃないんだけど……。凄い下着つけてるのね?」
「ンなことはどうでもいいから。用件を言え」
 ちら、とエルザの機嫌を伺うように上目遣いに見て、シエスタは少し恥ずかしそうに笑った。
「まだ、名前も聞いてなかったから」
「……ああ、そういえばそうだっけ」
 状況に流されて放している間に、自己紹介をする機会を失っていたのを思い出す。
 名前を言う必要は特に見当たらなかったが、コレも一つの縁だろう。人脈は築いておいて損
は無い。多少の手間は将来への投資だと割り切るのが世の中を上手く生きるコツだ。
 しかしながら、築いた縁も忘れられては意味が無い。折角名乗るのであれば、しっかりと記
憶に焼きつかせておかなければ。
 時間と共に草臥れていくドレスの皺を伸ばし、ぱん、と大きな音を立てて土汚れを払ったエ
ルザは、少し考えて、くるっとその場で一回転した。
「わたしは美幼女戦士☆エルザちゃん!純な小さなお友達も汗ばんだ大きなお友達も、みんな
仲良くしてね!」
 舞い上がるスカート。ふわりと浮く金髪。そして、顔の横で作られた横向きのVサイン。最
後にはウィンクまで飛ばしていた。

294銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 17:57:16 ID:IMgn7ZL.
 ハルケギニアには特撮ドラマも無ければ、漫画もアニメもヒーローショーも無い。いったい
何処でこんなポーズを覚えてきたのか、何故か妙に様になる機敏な動きで決めたエルザは、ぽ
かん、と呆けたシエスタの反応に顔を真っ赤にすると、激しく咳き込んで言い直した。
「わたしの名前は、エルザよ。好きに呼んでいいわ。それと、今のは忘れて」
「あ、うん。わたしはシエスタ」
 何か鬱憤でも溜まっていたのだろうかと首を傾げたシエスタは、自分が原因だなどと考えも
しないでエルザと握手を交わす。こういうとき、深く追求せずにさらりと流すのが、気難しい
貴族の子供を相手に働くメイドの必須技能であった。
「それで、エルザちゃんのお父さんとお母さんは……?」
「話はそこまでにして貰おう」
 低い声が言葉を遮り、シエスタの細い首に銀色の光を添えた。
 肩に落ちる赤い液体に悲鳴を上げることも出来ず、全身を硬直させるしかないシエスタの後
方で、血塗れのワルドが右手に握ったレイピアを突きつけている。その体は満身創痍と言うに
相応しく、左腕は肩の辺りで削げ落ち、右の足も引き摺るようにして立っていた。
「幼女とか言った瞬間に出てくるとか……、流石はロリペド子爵」
「……俺を覚えていたか、吸血鬼。だが、減らず口には気をつけることだな。お仲間や友人が
死ぬことになるぞ?……勿論、貴様自身も、な」
 エルザが背後で何かが動く気配を察したときには、既にもう一人のワルドがレイピアをエル
ザの後頭部に向けていた。
 首の裏筋に向けられる冷たい視線に冷や汗を垂らし、そうと悟られないように横目に後ろの
気配を探る。
「風の遍在ね……。他にもいるのかしら?」
「見ての通り、余裕がなのでね。これで精一杯だ」
 言い終えると同時に、シエスタの背後に立つワルドが咳と一緒に血を吐いた。
 なにかのカモフラージュに重傷を演出している、というわけではないらしい。本人のコピー
を作る遍在が示すように、エルザの背後に立つワルドも左腕は無く、全身が傷だらけだ。
 誤魔化しは無いと見ていいだろう。しかし、そうなると何を目的にこの場に現れたのかが分
からなかった。
 ワルドは、あと十分か二十分か、その程度放置するだけで失血死する。最も大きい傷口であ
る左肩の部分は焼いて出血を止めているようだが、それ以外の部分の出血も酷いのだ。立って
いるだけで足下に血の滴が落ちて小さな水溜りが出来ていた。
 さっさと味方に合流して治療を受ければいいものを、自分の命と引き換えにしてでも欲しい
ものがあるのか。それとも、ここに生き延びる為の手段が存在しているとでもいうのか。
 どちらにしても、エルザやタルブの村人達にとって、厄介な存在であることに変わりはなさ
そうだった。
「吸血鬼……?エルザちゃん、どういう……」
 首筋の冷たさに頬を引き攣らせて顔を真っ青にしたシエスタが、迷子の子供のようにこの理
解出来ない状況の説明をエルザに求める。
 だが、それに答えている余裕はエルザには無かった。ワルドの突きつけるレイピアと殺気は
本物で、邪魔になると判断されれば、自分もシエスタも一瞬で命を落とすことを確信していた
からだ。

295銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 17:57:55 ID:IMgn7ZL.
 ワルドも余計な話に付き合うつもりは無いらしい。
 レイピアの刃をシエスタの首に押し付けて無理矢理黙らせると、また一度咳をして、何かを
探すように周囲を見回した。
「そこのお前、何をしている!」
 エルザたちの状況に気付いた村人の一人が、ワルドに向けて怒声を上げる。
 それをきっかけに、ワルドの存在に気付いた村人達が大小さまざまな悲鳴を響かせた。
「少々五月蝿くなってきたが……、これは好都合だ」
 最初に怒鳴った男が近付いて来ると、ワルドはシエスタの首筋から一瞬だけレイピアを離し
て、風の魔法の詠唱を一息で完成させる。
「エア・カッター」
 注視しても見ることの出来ない風の刃が、男の首と胴を切り離した。
「イヤアアアアァァァァァァァッッ!!」
 血の飛沫と一緒に足元に転がってきた男の頭部を直視したシエスタが、悲鳴を上げた。
 連鎖的にあちこちで鼓膜を刺すような叫びが飛び出し、我先にと逃亡を始める。小さな子供
は大人の足に蹴られ、転がり、力の無い女は男の腕に捻じ伏せられて地面に倒される。まだ体
調の戻らない病人達を助けようとする手は少なく、多くは置き去りになっていた。
 そんな中、散り散りになるタルブの村人達の間を縫って、前に出てくる人影がある。
 年は二十を越えたばかりか。長い黒髪の幼い顔立ちをした素朴そうな女性だ。それが、顔を
ぐちゃぐちゃにして、もはや何も反応を示さない亡骸にしがみ付いた。
 繰り返される男の名前。
 女性は、男の妻であった。
「静まれ!逆らわなければ生かしておいてやる!それとも、この男のようになりたいか!」
 死者に縋る女に目もくれず、ワルドは空に向けて光を放つ。
 “ライト”の魔法を応用した閃光弾だ。
 空がオレンジ色に染まり、光の欠片が木々の頭上でキラキラと輝く。それを目印に、タルブ
の村を焼いていた竜騎士隊が集まり始めた。
「女を……、エルフの女を連れて来い!ここに居るのだろう!?」
「アンタ、なんでティファニアを……!?」
 事前に示し合わせたように竜騎士隊が森の周囲を焼き、逃げ場を失った村人達が怯えながら
ワルドを見る中、エルザは背後の殺気に当てられながらも疑問を口にする。
 それに、ワルドはニタリと粘つくような笑みを浮かべ、ほう、と息を零した。
「やはり居るようだな?サウスゴータの娘がモード大公の娘を保護している事は知っていたか
ら、もしやと思ったが……」
 鎌をかけられたとエルザが気付き、口を抑えた時にはもう遅かった。
 ティファニアの存在に確証を得たワルドは、シエスタの首にレイピアを押し付け、要求を告
げる。
「ティファニアという、エルフの女を連れて来い!耳は長く、金髪の若い女だ!早くしろ!」
 ワルドが声を張り上げると、様子見をしていた村人達が一斉に動き出して、病人達の並ぶ一
角へと殺到した。

296銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 17:58:31 ID:IMgn7ZL.
 すぐに悲鳴が聞こえてくる。声質からして、間違いなくティファニアのものだ。
「……もうすぐ死ぬくせに、何が狙いなわけ?」
 恐怖に取り付かれた民衆を制するには強力な力が要る。今の自分にはティファニアを守る術
が無いことを知っているがために、エルザは服を強く握り締めて憤りを耐え、ワルドから情報
を引き出そうと問いかける。
 しかし、そんな行動すら狙っていたように、ワルドは見下した目をエルザに向けると、逆に
質問をぶつけた。
「我慢強いが、感情的でもある。少なくとも、友人や知人を傷付けられることを簡単に許容で
きるタイプではないようだな?」
「だからどうだって言うの?」
 努めて冷静に振舞い、相手に自分の情報を与えまいと仕草の一つにすら気をつける。
 そんなエルザの努力が、ワルドの中にあった疑いを確証に変えていた。
「生きているな?忌々しく、認め難い事実だが……!ホル・ホースとか言う傭兵と、ウェール
ズ王子の二人は!」
「……!」
 一瞬強張ったエルザの顔に、ワルドは笑みを深めた。
「クッ、ハハハ、分かりやすい反応だ……!決戦の後に見つけた魔法人形の件で、疑念が生ま
れた。サウスゴータの丘に調査隊を向けたが、死体は回収されず、埋められた形跡も無い。こ
の手に残った肉を貫いた感触は生存の可能性を否定していたが、時折聞く生存を臭わせる噂話
が気にかかったのだよ。そこで、昔読んだ本の記述を思い出した……」
 ティファニアの悲鳴と子供の泣き声、それを覆い尽くす様な罵声と悪態。
 近付いてきた喧騒にちらりと目を向ければ、数人の大人に両手を引き摺られたティファニア
が、亡き夫に縋りつく女性の隣に放り出された所だった。
「先住の魔法には、瀕死の者さえ瞬く間に癒す力があるそうじゃないか?あの場には、それを
使える人間、いや、エルフが居た!そう、だからこそ、生きていたからこそッ、お前は俺を見
ても冷静で居られるのだ!違うか吸血鬼ッ!?」
「ティファニアは、そんな魔法使えないわ!」
「いいや、使えるね!あのエルフの母親が強力な治癒の力を持っていたことは、使用人の残し
た手記に書かれていた!それに、娘も先住魔法を使うことは、既に知られているのだよ。始祖
の残した魔法には無い、記憶を削る魔法を使うのだろう?」
 何処まで執念深く調べたのか。
 真相にまで辿り着いてこそ居ないものの、そこに至る材料は揃っている。ただ、ティファニ
アの力の根幹について誤解があるだけだ。
「この人殺し!アンタのせいで!夫を……、あの人を返してよ!」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
 夫の亡骸に縋り付いていた女性が、今はティファニアを責め立てている。まったく非の無い
筈のティファニアは、それを甘んじて受け、ただ謝罪を繰り返すのみ。
 周囲の村人達は悲壮な表情を浮かべながらも、幾人かはエルフを村に受け入れたことが過ち
だったと賛成に回った人々を口々に罵り、箍の外れた人間はティファニアへ石を投げつけよう
としていた。

297銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 17:59:17 ID:IMgn7ZL.
「あっちの娘は吸血鬼らしいぞ」
「あの見た目で騙して、俺たちを食うつもりだったのか?」
「さっきの薬も偽物かもしれない!」
「そうだ、あの苦さは毒かも……」
 矛先が自分にも向けられ始めたことにエルザは表情を苦々しいものに変え、苛立ちと物哀し
さに混じった感情を腹の底に押し込める。
 故郷を追われ、蔓延する病に精神的に追い詰められていた村人達が、こうして烏合の衆と化
すことは想像するに難しくない。見知らぬ相手、特に亜人に対して同情するなんて事は普通は
ありえないのだ。だから、これは予測の範疇。誤解は後で解けばいいし、どうせ根無し草なの
だから、村一つに拘る理由も無い。
 今はただワルドの動向に注視し、生き残ることがエルザの全てであった。
「エルフ、こっちに来い!」
 血の混じった唾を吐いて、ワルドがティファニアを呼ぶ。
 元々気の弱いティファニアは、その声に怯えた様子を見せると、助けを求めるように村人達
の集う背後を見て、頭に小石をぶつけられた。
「きぅっ……、痛い」
 痛みの走る部分を押さえてふらふらと歩き出したティファニアは、ワルドの前に立って緊張
した様子で血に濡れたワルドの顔を見詰める。
 村人達は緊張した面持ちで様子を眺め、先程まで夫に縋り付いていた女性は胸を押さえて顔
を俯かせていた。
「さあ、俺を先住の魔法で治療しろ。このまま戻って生きる屍に変えられるわけにはいかんか
らな」
 レイピアをシエスタの喉元から離さず、ティファニアに詰め寄ったワルドは治療を急かす。
 それに対し、ティファニアは首を振って、小刻みに震える体の前で祈るように両手を重ねた。
「わたし、使えません。先住の魔法なんて……」
「下らない言い訳を聞く気は無い」
 言い終える前に、ワルドの遍在が握るレイピアの先端が白い肌を切り裂いた。
「っああああぁ!このっ、やりやがったわね!!」
 背後から足首を斬られたエルザが地面に転がり、痛みに声を嗄らしてワルドを睨む。
 踵の上、アキレス腱の部分が綺麗に二つに分かれ、大量に出血を始めていた。
「な、なんてことをするの!?」
「貴様がさっさと治療すれば、こうはならなかった。次は、この娘の首を掻っ切るぞ?」
 白刃がシエスタの喉を浅く裂き、走る痛みにシエスタが呻きに似た悲鳴を漏らした。
「だから、出来ないの!もう指輪の力は残っていないのね!」
「指輪?……指輪だと!?見せろ!!」
 シエスタを押し退けて、ワルドがティファニアの指を凝視する。
 左手の中指に嵌った台座だけを飾った指輪。ワルドの記憶にあるそれは台座に美しい水色の
石が乗っていたが、それを除けば同じものと思ってしまうほどに酷似していた。
「まさか……、クロムウェル!」
「今なのね!」

298銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 17:59:53 ID:IMgn7ZL.
 意識を別に向けたワルドの隙を見て、ティファニアが自身にかけられた魔法を解いた。
 強い風が落ち葉を舞い上げ、ワルドの視界を塞ぐ。砂埃と木の葉の嵐の中、姿を現したのは
シャルロットの使い魔のシルフィードであった。
 6メイルに届く巨体に備わる両腕で目の前のワルドを突き飛ばし、エルザの背後に居た遍在
にも手を伸ばす。
 だが、全てが思った通りになるほど世の中と言うものは甘くは無い。
「馬鹿が!逆らうなと言ったというのに!!」
 青い鱗に包まれたシルフィードの手を軽やかに避けて、ワルドが魔法の詠唱を始める。その
矛先はシルフィードではなく、遠巻きに見ていたタルブ村の人々であった。
「ちっこいの!あんたも働くのね!」
 ワルドの体に手が届かないと分かると、シルフィードは真っ先にシエスタを両腕で包み込ん
で保護し、エルザを叱咤する。
 小さな体はその声に応えようと、膝立ちの体を倒れこませるのと同時に頭を下げて、帽子の
下から鈍い光沢を放つフリントロック式の短銃を取り出した。
 火打石が作る火花が火薬に引火し、急速に燃焼を始める。
 熱と衝撃と圧縮された空気に押し出された鉛の塊が、大きな音を響かせて宙を走った。
 額に穴を開けて、ワルドの遍在が姿が空気に溶け込むように消えていく。
「こんなこともあろうかと、アニエスに無理言って調達してもらって良かったわ……」
 慣れない銃の扱いに手首と肩を痛めて表情を歪ませたエルザが、そのまま地面に横たわった。
 舞い上がった砂と木の葉が落ち着いて、地面に降り注ぐ。見晴らしの良くなった景色の向こ
うで、覚束無い足取りのシャルロットが普段より肌の白さを一割ほど増した顔を横に振ってい
た。
「今のは、わたし。貴女のは、ここに当たっている」
 指差した先にあるシャルロットの杖の先端が僅かに欠けている。どうやら、ほぼ同時に遍在
へ攻撃を仕掛けたらしい。しかし、結果は同じとは行かなかったようだ。
 素人が都合よく狙った場所に弾を当てられるほど、銃の扱いというものは簡単では無いと言
うことだ。
「うそぉ、結構頑張ったのに……」
 一発限りの役目を果たした銃を捨てて、エルザは倒れたまま足を押さえて苦笑いを浮かべる。
 その傍に寄って、シャルロットは助け起こそうと伸ばした手を固めた。
「足が……」
「不覚を取っただけよ。今は忘れて。それより、ワルドの本体を」
 足元を凝視するシャルロットを留めて、エルザは意識をシルフィードに突き飛ばされたワル
ドに向けた。
 血に染まった塊。それは、ピクリとも動いていなかった。
「気絶しちゃってるのね。真っ赤でちょっと気持ち悪いのね」
「元々無理をしていたみたいだし、限界だったのよ。そうすると、遍在も無理に攻撃しなくて
も勝手に消えたのかも知れない。今更言っても仕方の無いことだけど。……それより、面倒臭
いことになったわね」
 目を空に向けたエルザは、ワルドが消えても存在し続ける竜騎士隊の存在になんともいえな
い表情になる。

299銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 18:00:56 ID:IMgn7ZL.
 指揮官であるワルドが気絶してしまった為、あれを止める手段がなくなってしまった。かと
いって、無理矢理ワルドの意識を引き戻したとしても、説得は効かないだろうし、そもそも失
血と疲労で目を覚ますかどうかさえ怪しい。
 懸念はそれ一つではなく、目を下に向けた先にある自分を見る無数の視線もまた、エルザの
心を多少なりとも揺らす原因だった。
「長閑で過ごしやすい村だったんだけどね……、ま、村自体なくなっちゃったわけだし、丁度
いいのかも」
 吸血鬼と知っても平然としていられる人間は多くない。最近は受け入れてくれる人物が多か
ったから誤解しがちだが、吸血鬼が人を食べる種族であることに違いはないのだ。なにかあれ
ば、その境界が浮き彫りになる。それは、避けようのない事実であった。
「でも……」
 それだけでこんな目を向けられる謂れは無いはずだと、納得のいかないシャルロットは否定
の言葉をかけようとする。しかし、エルザは自嘲気味に笑って首を振った。
「今回は仕方ないわ。ちょっと強引だけど、見ようによってはわたしの責任もゼロじゃないも
の。これも、吸血鬼に生まれたわたしが受け入れるべき運命って奴よ」
 まったく気にしていないかのように、言葉の最後には鼻で軽く笑ったエルザは、聞こえてく
る泣き声に表情を消した。
 首の無くなった胴体の横で、物言わぬ男の頭部を抱き締めた女性が傍目も気にせず、生まれ
たばかりの赤子のように一心不乱に泣いている。
 愛する人を奪われる気持ちは、エルザにも理解出来ることだ。単純に捕食者と獲物の関係で
しかなかった以前と違って、今は感情移入が出来てしまう。
 きっと、恨まれるだろう。殺したいほどに。
 もしかしたら、彼女自身は理不尽な運命を受け入れて割り切った答えを出してくれるかもし
れない。そうなったときでも、仲間内から犠牲を出してしまった他の村人達の心にはしこりが
残るだろう。それは、もう避け様の無いことだ。
 無用な争いを避けるのなら、ここで引くことが正しい選択なのだと、エルザは過去の経験か
ら理解をしていた。
「わたしは元々根無し草だから、問題は無いわ。それよりも、ティファニアをなんとかしてあ
げないと。あの子もここに残すのは無理だろうから、新しい住居を探して。……って、そうい
えば、あの子は何処に居るのよ!?」
 今頃になって、エルザはシルフィードがティファニアの代役だったことを思い出し、辺りを
見回した。
 それらしい人影は、群集の中には無い。いや、その中に居たのなら、シルフィードが代役を
務めることなんて出来はしなかったのだから当然だ。
 なら、見えないところに居るのかと体勢を変えたエルザを、シャルロットが肩を押さえて止
めた。
「彼女なら、キュルケ達が匿ってる。村の人々は貴族には手を出せないから。それよりも、今
は貴女の傷のほうが大事」
 シャルロットの瞳に、エルザの足首に付けられた傷が映る。

300銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 18:01:33 ID:IMgn7ZL.
 ぱっくりと割れた肌から、血が次々と流れ落ちている。足先は安定せず、力の入り方も歪な
のが簡単に見て取れた。
 杖を構え、シャルロットは水の魔法である“治癒”をかける。
 淡い色の青い光が、エルザの足元を覆った。
「そっか。貴族なんて偉ぶっててムカつくだけだったけど、そうやって人助けのために立場を
利用するって手もあるのね……。あっ、傷は止血する程度でいいわよ。お姉ちゃんも風邪がま
だ治ってないみたいだから、無理をしちゃダメ」
「シルフィも風邪治ってないのね!っくしゅん!」
 いつの間にかぐったりとして動かないシエスタを抱えたシルフィードが、エルザの言葉を聞
いてくしゃみをした。
 鼻水が飛んで、気絶しているワルドに降りかかった。
「あー、汚いのねー」
 自分でやっておいて、それを言うのか。と心の中で突っ込みを入れたエルザは、足元の痛み
が消えてきたのを感じて、青い顔で“治癒”を続けるシャルロットの杖を軽く叩いた。
「もういいわよ。後は自然に治るのを待ちましょう」
「でも、まだ……」
「きちんと治るまで続ける暇は無いわ。あれを何とかしなくちゃいけないからね」
 エルザの視線の向こうで、ワルドがやられたことを悟った竜騎士隊が本格的な攻撃行動に移
ろうとしていた。
 森の周囲に火を射掛け、逃げ場を無くした上で村人ごとエルザ達を殲滅するつもりらしい。
 民間人の虐殺は本来なら御法度だが、今回は免罪符がある。竜騎士隊の隊長を倒すような敵
が紛れていたという言い訳があれば、タルブ村の人々は単なる避難民の集団ではなく、戦力を
保有した敵対勢力に早変わりだ。殲滅するのに躊躇する理由は無くなる。
 恐らく、エルザやティファニアが居なければ、こうして避難民が危機に陥ることはなかった
だろう。それもまた、エルザの感じている責任の一端であった。
「お姉ちゃん。こっちの戦力はどれくらい確保出来ると思う?」
 空の竜騎士隊を相手に勝負をするとしたら、全戦力を持っての奇襲だろう。数を半分に減ら
せれば、撤退してくれる可能性が生まれてくる。
 しかし、それも竜騎士を相手に出来る力があった場合の話だ。
 質問の答えにあまり期待せず、エルザはシャルロットの返答を待った。
「キュルケたちは、まだ体調が戻ってない。多分、戦力にはならない」
「じゃ、今動けるのは、実質わたしとシルフィードくらいか」
「わたしも……」
「お姉ちゃんは、わたしの傷を塞ぐので精一杯だったみたいだし。ね?」
 一瞬、自分も戦えると言いかけたシャルロットの言葉を、見透かしたエルザが遮った。
「風邪引きさんは大人しく寝てなさい。後は……、大人の仕事よ」
 ヒヒ、と誰かの笑い方を真似て、エルザは治ってばかりの違和感の残る足で立ち上がる。
 吸血鬼の基準で言えば、立派に子供のクセに。
 シャルロットはそう言いかけて、唐突に吹いた風に捲れ上がったエルザのスカートの中身に
口を噤んだ。

301銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 18:02:17 ID:IMgn7ZL.
 大人だ。これ以上ないほどに。
 ぽっ、と頬を赤くして、シャルロットは未だに毛糸パンツを常用する自分の子供っぷりを再
確認した。
「さて、格好付けたものの、特に作戦は浮かんでなかったり」
 シャルロットが何故顔を赤くしたのかサッパリ理解できないまま、空を見上げたエルザは袋
小路に等しい状況に眉根を寄せる。
 そのとき、竜騎士達の舞う空を、シルフィードよりも一回り以上も大きい風竜が横切った。
「攻撃!攻撃ーッ!!」
 馬の蹄が大地を叩く音が森の中に響き、老齢な男性の号令が轟く。
 森を焼き、村人達に攻撃を加えようと高度を下げていた竜騎士隊に、魔法の矢が次々と襲い
掛かった。
 竜騎士達はそれを回避しようとするが、回避運動を阻むように器用に飛び回る風竜によって
進路を奪われ、次々と撃ち落されていく。加えられる攻撃の中には、数メイルに及ぶ岩の塊ま
であって、竜の強靭な肉体ごと竜騎士を押し潰していた。
「カステルモール……!やっと来たのね、あのバカ!!」
 竜騎士隊を翻弄する風竜の背に乗った男の姿に、エルザは歓声に似た声を上げた。
 何事かと不安そうに辺りを見回す村人達の所に、森を抜けてきた騎馬が徽章を下げた胸を張
って名乗りを上げる。村人の中には、その顔を見知っていて既に事の次第を理解し始めた者も
居た。
「我はアストン!トリステイン王家より伯爵の位を与えられ、この地を領有することを許され
た者である!我が臣民の為、騎馬を率いて参った次第。コレより避難を開始する。我が騎士の
指示に従って、速やかに移動せよ!」
 次々と森の中に飛び込んでくる騎馬と掲げられたトリステインの旗を見て、村人達が歓声と
安堵の息を漏らした。
 助けが来たのだ。
「ヤーハアッ!」
「うわっ、もうちょっと優しくしてくれよ!」
「この程度で音を上げてんじゃねえ!てめー、ホントにキンタマついてんのか?」
 タルブ伯の騎馬隊に混じって、才人を後ろに乗せた妙に陽気な男がエルザの前に現れる。
 砂色の帽子に奇妙な格好。それは、逃げる為の足を手に入れるため、馬の調達に出たはずの
ホル・ホースであった。
「おにぃーちゃーん!!」
「ん?よう、エルほぐぅ!?」
 つい先程でアキレス腱が切れていたのもなんのその。ホル・ホースの姿を見た瞬間に、エル
ザはその胸目掛けて飛び込んでいた。
 脇腹に突き刺さる幼女。そして、落馬。
 現れて早々、ホル・ホースは気絶した。
「わああぁぁあ!?お兄ちゃんが白目剥いた!!」
「何やってんだい、アンタ」
 騎乗する馬の後ろにジェシカを乗せたマチルダが、呆れ顔でホル・ホースの現れた方向から
姿を見せる。その後ろには、足を縄で縛られたコルベールとウェールズを引き摺っている地下
水も居た。

302銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 18:02:51 ID:IMgn7ZL.
「そっちこそ……、なにそれ?」
 何故ウェールズとコルベールが酷い扱いを受けているのか。そして、何故抵抗しないのか。
 引き摺っている間に何度も顔を打ち付けたらしく、顔面を荒地に変えている二人を指差した
エルザに、マチルダは遠い目で応えた。
「ちょっと記憶を失ってもらってるだけさ。ん?よく考えてみたら、ティファニアに頼めば一
発だったね。いやぁ、忘れてた忘れてた」
 口調が平坦で、感情が篭っていない。
 ガタガタ震えるジェシカの様子から察するに、なにか一悶着あったらしい。ぞわっと背筋に
走る冷たいものに、エルザは追求するべき話題ではないと悟って、別の方向へ意識を向けた。
「シエスタ!?シエスタっ!」
「気絶してるだけ。心配ない」
「心配ないって……、何があったんだよ?」
 馬から下りた才人がシルフィードの手の中に倒れているシエスタに飛びつき、ぐったりとし
た様子に不安気な顔になる。その傍にシャルロットも立ち、傷の有無を確認しながら才人に言
葉をかけていた。
「……事情は、後で話す」
「なんで?」
「多分、その方がいいから」
 そう言いながら、シャルロットは一瞬だけ視線を外に散らした。
 エルザやマチルダ達、それに、横入りした自分にも不信な目が向けられている。村人達の間
に芽生えた不穏な空気は、事態が変化したからといって消えるものではないようだ。
 この事を直情的な才人に伝えたらどうなるか。想像するまでも無い。
 シャルロットの選択を才人は不思議に思いながら、後で絶対に話すように念を押して追求す
ることを諦めた。
 どうせ面倒なことになるのだから、適当に誤魔化そう。
 説明責任を放り捨てようとしているシャルロットの内心に気付けるはずも無く、才人はいつ
も通りに感情の読み取り辛いシャルロットの目を見て、勝手に頷いていた。
「こっちも、そろそろ終わりかしら」
 魔法と竜騎士が飛び交う空の様子を眺めて、エルザは率直な感想を口にした。
 空を飛び交っていた竜騎士の数は、あっという間に数を減らして片手で数える程になってい
る。カステルモールに機動性を封じられ、高度を取ることも出来なくなった竜騎士隊のなんと
脆いことか。撤退することも叶わず、間もなく全滅することは傍目から見ても明らかだ。
 わざわざ薬の配達をエルザに押し付けてまで領主を呼びに行ったカステルモールの判断は正
しかったと言える。制空権を握るのに欠かせない竜騎士隊の全滅は、アルビオン軍にとって大
きな痛手となることだろう。
 戦局は、圧倒的不利を予測されるトリステインの一方的な敗北とはいかないかもしれない。
 それが良い事か悪い事か、判断するのは遠い未来の歴史家だろう。
 ただ、現代の、それもトリステインに生きる人々の目から見れば、それは良いことなのだと
思えた。

303銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 18:03:34 ID:IMgn7ZL.
 騎士の一人の手を借りて、布に包んだ遺体を嗚咽を漏らしながら土の下に埋める。
 そんな光景は、僅かだが少なくなるはずだから。
「柄にも無く、ちょっと感傷的になってるわね。これ以上変なこと考える前に、ちゃっちゃと
移動しちゃいましょ」
 気絶したままのホル・ホースを馬に乗せ直して、エルザはその懐に入り込むように騎乗する。
「お姉ちゃんも、わたし達と一緒に行く?」
 訊ねたエルザに、シャルロットは首を横に振った。
「友達が待ってるから」
「そう?じゃあ、またね。お姉ちゃん」
「また」
 小さく手を振り、シャルロットはシエスタを両腕に抱えた才人と一緒にキュルケ達の下に向
かう。ノロノロと動き出したシルフィードも、歩いてそれを追いかけた。
「……。それじゃ、わたし達も行きましょうか」
「行くのはいいけど、コイツはどうするのさ。どうしてここに居るのだとか、どうやって生き
延びたのかとか、知りたいことは多いけど……、ここに捨てて行くのかい?」
 まるで手足のように乗っている馬の足を使って、完全に存在を忘れられていたワルドを突付
いたマチルダの言葉に、あ、とエルザが抜けた声を出した。
「そういえば、死んだわけじゃなかったわね。どうしよう……、トドメ刺しとこうかしら?そ
れとも、憲兵にでも突き出せば報奨金が貰えたりするのかな?一応、裏切り者なわけだし」
 爵位持ちの国家反逆者だ。金一封どころか、大金が転がり込んできても不思議ではない。た
だし、これから戦となると戦費を少しでも確保しようと、ケチって適当な勲章だけで誤魔化さ
れる可能性もあるが。
 心情的にはトドメを刺したいが、金も魅力的。欲の皮が突っ張っていると言われそうではあ
るが、エルザ達のお財布事情はそれほど厳しいものなのだ。
 頭上で最後の竜騎士が撃墜されて落下していく姿を背景に、心情と金勘定とを天秤で吊るし
てうーんと唸る幼女というシュールな光景。足下には血塗れのワルド、背中を預けるのは気絶
したホル・ホースと、普通に考えてありえない異様な雰囲気がそこにはあった。
 しかし、そんな空気に気付いていないのか、黒髪の女性がワルドに視線を向けながらエルザ
に近付いた。
「お願いが、あります」
 殺された夫を土に埋めたばかりの女性が、小さく頭を下げる。
 埋葬が終わって、花を沿え、短い祈りの言葉まで済ませた後のようだ。
 崩れていた場の空気が、重く詰まった。
「……吸血鬼にお願いなんて、してもいいの?」
 エルザの口から、突き放すような言葉が自然と出てくる。
 ビクリと肩を震わせた女性は、下げた頭を恐る恐る上げると、怯えの見える瞳でエルザを見
詰め、それから背後に居るマチルダやコルベール達に目を向けた。
「そちらの方々が、魔法学院の教員であるということは窺ってます。貴族様のご友人であるな
ら、信用が出来ると……、その……」

304銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 18:04:21 ID:IMgn7ZL.
 どう話せばいいのか迷うように口元を触って、女性は声を震わせる。
「知り合い程度だし、わたしが偉いわけじゃないわ。さっさと続きを話して」
 ここで話を中断されても困ると、エルザが先を促す。すると、女性は一つ頷いて、意を決し
たように話を始めた。
「夫は、勇ましい人間でした。それこそ、村が襲われたときには棒切れを手に飛び出していく
ような人です。……だから、きっと村の人たちの避難が遅れれば、時間を得る為に一人で恐ろ
しい竜騎士に向かって行った事でしょう」
 タダの夫の自慢話か、それとも、それほどの人間を失ったことを責めているのか。経緯を考
えれば、後者が事実だろう。ただ言いたい言葉をオブラートに包んでいるから、それほど強い
感情を感じられないだけで。
 無意識に女性の言葉を刺々しいものだと捉えて、エルザは無言で耳を傾ける。
「夫が戦わずに済んだのは、襲われることを早くに教えてくださる方が居たからで、先に足止
めを引き受けてくださった方が居たからです。その人たちが居なければ、わたしの夫はもっと
早くに死んでいたと思います」
 女性は、視線を地下水に、そしてマチルダとコルベールに向けて、まだ憎しみや恨みの色が
残る目をエルザに向けた。
「だからといって、全てを許せるわけではありません。でも、わたしだけじゃなく、村の皆が
同じように、あなた方の世話になったことくらいは理解出来ます。危険を教えてくれた。恐ろ
しい敵に立ち向かってくれた。高価な薬を分けてくれた。そして、今もこうして、領主様をお
連れ下さったことで、わたし達は命を繋ぎました。だから……」
 胸の内にある葛藤を抱えたまま、女性はその場で頭を垂れた。
「ありがとうございました」
 五秒、十秒と、頭を下げたままの女性に、エルザは表情を何度も変えて、声も無く三度口を
動かした後、ふん、と鼻で笑った。
「こっちはこっちの都合で動いてただけなんだから、礼を言うのは間違ってるわよ」
「あっ、はい。その、す、すみません」
 言われた言葉を付き返すようなエルザのセリフに、女性は体を小さくして謝罪すると、そそ
くさと立ち去ろうとする。
 その背中に、エルザは困った顔で声をかけた。
「ちょっと、本題を聞いてないわよ!頼みがあったんじゃないの?」
「そ、そうでした!」
 案外そそっかしいのか、再び戻ってきた女性はワルドの傍に立って、血塗れの顔を覗きこむ
ように眺めた。
 ぐっと握られた拳は、夫を殺された恨みによるものか。渦巻く感情は、エルザに対するもの
よりも大きいはずだ。
 それでも、瀕死の人間に手を上げることなく、女性はエルザに願いを告げた。
「法で……、出来ることなら、この男は法の下に裁かれるようにしてください。恨みをそのま
まぶつけるよりも、その方がきっと、夫への手向けの花には相応しいと思いますから」
「随分とえぐい事を考えるねえ……」
 エルザの背後で、マチルダの唇が愉悦に歪んだ。

305銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 18:05:01 ID:IMgn7ZL.
 爵位を持ちながら国家に牙を剥いた男が、捕まった後にどうなるか。それを考えれば、この
場でトドメを刺される方がワルドにとっては幸運だろう。まして、戦争を仕掛けてきた敵国の
人間だ。死罪を前提に繰り返される取調べという名の拷問は、果たしてどれほどのものか。考
えるだけでも背筋が寒くなる。
 それを見越した上で、この女はトリステインの役人に突き出せと言っているのだ。
「この子から父を奪った、酬いです」
 マチルダの呟きに、女性は悲しげに下腹部を摩る。
 見た目には分からないが、妊娠をしているらしい。なら、夫を失った悲しみや憎しみは、エ
ルザ達が考えている以上のものだろう。
 驚きに固まったエルザにお辞儀をして、女性は避難を始めている群衆の中に消えていく。何
かを言われることを避けているかのような早さだった。
「……子供の為か」
「本当のところは個人的な復讐ってところか。直接手を下せば、色々と困ったことになる。旦
那が死んだばかりなのに、随分と打算的なことで……」
 母は強し、ってことかね?
 馬を進めてエルザの前に出たマチルダは、そう言って杖を一振りすると、作り出したゴーレ
ムでワルドを担ぎ上げる。背の低い馬に似た土人形が、その背にワルドを乗せた。
「ぼーっとしてないで、行くよ」
「う、うん……」
 うわのそらのエルザを置いて、マチルダは馬を走らせる。その後にウェールズとコルベール
を引き摺った地下水も続き、もげる、とか、禿げる、とかいった叫びが響いた。
 徐々に森の中から人が少なくなり、移動する人々の背中ばかり見えるようになる。カステル
モールの乗る風竜は警戒の為か、未だに頭上で旋回しているが、竜騎士達が飛びまわっていた
時と比べれば随分と静かになりつつあった。森にかけられた炎も、気付かない内に消火されて
いたようで、色の無い煙が鼻に染みるような臭いを残している。
「母か……」
 呟いた後、ふと、頬が濡れていることにエルザは気付いた。
 最初は雨を染み込ませた土が竜騎士達の放った炎で水分を放出したのかと思ったが、それに
しては蒸した感覚はまるで無い。それに、濡れるほどの水蒸気なら、霧が出てもおかしくは無
いだろう。空気中の水分が多いからと、一滴だけ滴を作るのはおかしな話だ。
「……なんだ、涙か」
 顎先にまで滑り落ちた滴を手の平で受け止めて、エルザは単調な声で呟いた。
 僅かな間だけ玉となって太陽の光を反射していたそれは、手袋の布地に吸い込まれていく。
「なんで、泣いているのかしら?」
 右目の次は、左目だ。
 落ちた滴は汚れたドレスの上に染みを作り、しかし、黒い色がそれを隠してしまう。
 一度落ち始めた涙は勢いを増して、すぐにエルザの頬に道を作った。
 指先も震え始めて、手綱を握っていられなくなった。
「なによ、これ。次々と……」
 止まらない涙に辟易として、ぐっと力を入れて瞼を閉じる。

306銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 18:05:38 ID:IMgn7ZL.
 しかし、蛇口の栓を締めるのとは違って、溢れる涙は止まることを知らない。
「こ、このっ、なんで、もうっ!」
 頭を振り、手で目元を擦って、止まらない涙を何とか止めようとする。だが、その行動は逆
に心臓の鼓動を速め、喉の奥を乾かしていった。
「うぅ、ふぐ……、なんでよう……、泣く理由なんて無いのに!」
 感情が昂っているのは分かる。問題は、そうなった理由が分からないのだ。
 どこかに泣く要素があっただろうか。
 人が死んだこと?
 散々人を殺してきた自分が、そんなことを気にするはずが無い。
 女性が泣いていたから?
 他人の涙に心揺さ振られる自分ではない。
 吸血鬼であることで否定されたから?
 そんなことは、もう割り切っている。何も感じないと言えば嘘になるが、泣くようなことで
はない。
 じゃあ、いったい何なのだろうか。
 答えの出てこない問いかけが頭の中で駆け回り、冷静な自分を遠く引き離す。
 気付いたときにはもう、エルザは泣くことしか出来なかった。
「う、うぁ、わああぁぁぁぁぁ!ごめんなさい……!ごめん、なさい。わたしが……、わたし
が……!うあぁぁああぁああああぁぁぁ……」
 何故、謝っているのか。誰に謝っているのか。
 口にしている言葉さえ理解していないエルザは、唐突に上下に揺れた体を支えようと、体を
覆った何かにしがみ付いた。
 いつの間にか、馬が走っている。手綱を誰かが握っていて、固まって歩く人々を華麗に追い
抜いていた。
 誰だろう。
 自分の後ろには一人しか居ないことを分かっていて、エルザはしがみ付いたまま顔を上げよ
うとした。
 つばの広い帽子のせいで、視界が塞がる。
 邪魔臭いそれを放り捨てて、その先にある見慣れた顔にエルザは、一瞬呆けたように表情を
変えて泣くことを止めていた。
「なんで泣いてるかは知らねえが、オレの胸でよかったら貸してやるぜ。ただし、いつか利子
付きで返してもらうけどな」
 ヒヒ、といつものように笑って言うホル・ホースは、そのままエルザの頭を抱えて自分の硬
い胸板に押し付けた。
 いつかというのは、多分、エルザが成長して男性として楽しめる胸になった頃のことだろう。
「うん、借りるね……?うぅ、ふ、あああああああぁぁぁぁぁっ!!」
 押し付けられた顔を自分で更に強く押し付けて、エルザは再び泣き始めた。
 いつか。果たして、そのいつかが訪れる日まで、ホル・ホースの寿命が持つかどうか。今際
の際まで待ってもらう必要があるかもしれない。
 妙に冷静な頭の中で、エルザは薄れる現実感の中、遠い未来に思いを馳せた。

307銃は杖よりも強し さん:2009/05/16(土) 18:07:09 ID:IMgn7ZL.
 互いの寿命の差から必ず訪れる日まで、本当に一緒に居られるのだろうか?一緒に居たとし
たら、二人はどんな関係だろうか?
 家族か、恋人か、それとも……、他人か。今のままの関係を維持しているかもしれない。
 この借りを返し終わるまで、しっかりと見張って貰わなければ。
 死が二人を別つまで。
 縁起でもない話ではあるが、なんとも魅力的なフレーズに思わず頬が緩んだ。
 でも、涙は止まらない。それどころか、一層に増して溢れ出していた。
 恥も臆面もなく、エルザは体力の続く限り泣き続ける。
 いつか、眠りが誘うまで。
 ずっと。

308銃は杖よりも強いと言い張る人:2009/05/16(土) 18:13:44 ID:IMgn7ZL.
投下終了。冒頭に入れ忘れた副題は、【10 泣き虫の唄】です。
前回の投下から約半年も経ってるんですね。時間の流れは速いなぁ。
とはいえ、体はしっかり時間の流れを実感しているようで、
タイトル入れ忘れてたりするミスが出てくる出てくる。
次回は今月中になんとか投下……す、する……するぞ!

待っていた方には申し訳ない。待ってなかった方はスルーで。
前回からの時間差からか、作品の雰囲気だとかが色々変わってるかもしれません。
こういう部分には自覚が働かないので、気になったら指摘してください。

ルイズやアニエスも、そろそろ出番があるはずなので乞うご期待。
オレ、三部を書き終えたら、四部を書き始めるんだ……。

309名無しさん:2009/05/17(日) 03:31:59 ID:o2GEjR6g
まさか4ページにしないと納まらないとは思わなかった!
後編が2つになってしまったのは容量の関係なので許して頂きたい。
正直、上げるだけしてこれから堪能させて貰うとこなんだけど、
誰も書いてないからせめて、乙だけはさせて貰うんだ!

310名無しさん:2009/05/17(日) 05:02:59 ID:Tr0jW1Ro
ついにホルホル君のターン!!……と思ったらいつもどおりだったでござる
がんばれ主人公(笑)

311名無しさん:2009/05/17(日) 05:11:23 ID:Y7bgtXng
ベネ! ディ・モールトベネッ! 銃杖乙!
おマチさんの凶暴度指数が日に日に大変なことになってる気がしないでもない。
この丁寧なシリアスの中に混ざるコメディの「ハーモニー」っつーんですかあ〜〜〜〜もうたまらんっ。
相変わらずのクオリティにより、キング・クリムゾンされたかのようにすらすらと読みきってしまいました。

どんなに時間がかかろうとも完結を目指す、そんな貴方の姿勢に僕は最大限の敬意を表するッ!
だが、お約束は言わせて貰おう。今月中に“投下した”、なら使ってもいい!
同時に……忘れないで欲しい……『たとえ来月や再来月、その先になろうと投下はとても嬉しい』、ということを……。


ところで、エルザのパンツありますよね……なんていうか、その、下品なんですが……フフ……いえ、なんでもないですよ?

312名無しさん:2009/05/17(日) 18:50:14 ID:8f7dcgAM
待ち続けたかいがあったぜ…!!
銃杖の人GJ!!
ロリペドワルドのしぶとさには、思わず脱帽しちまうぜw
次回の展開が楽しみでしょうがないでござるw

313名無しさん:2009/05/18(月) 20:54:07 ID:DliYSZzk
銃杖さんお帰りなさい!待ってて良かった!

314名無しさん:2009/05/19(火) 00:39:23 ID:YVKjYris
銃杖の人おかえりなさいませ!
ずっと待ってましたぜ!次回も超期待してます
GJでした!

315名無しさん:2009/05/20(水) 19:52:09 ID:E7V6BbSY
銃杖ガンガレ!

316ティータイムは幽霊屋敷で:2009/05/24(日) 19:18:41 ID:wBTb6duE

「平和ね。笑ってほしいのかい、それとも蔑まれたいのかい?」

吐き捨てるようにイザベラは言い放った。
何かを為すには犠牲が必要だ、彼女もそれぐらい知っている。
お店で何かを買うのに代価を支払うのと同じだ。
だけど、これが狂気の沙汰だ。
トリステイン、ガリア、ゲルマニアのお偉方が集まった場所での襲撃なんて、
全世界に向けてアルビオンが宣戦布告したに等しい。
トリステインの連中だって馬鹿の集まりじゃない。
調べればアルビオンが関与したという確証を導き出せるだろう。
それまで生き延びてさえいればいいのだ。
連中の思惑なんざ関係ないね。どうせ失敗するに決まっている。
吹っ切ったイザベラはふてぶてしい態度で彼に接した。

「丁重に扱って貰えるんだろうね」
「約束しましょう。アルビオンの料理はお嫌いですか?」
「あんな不味いの好きになる奴がいるか。ワインで流し込まなきゃ食えたもんじゃない」
「では、食事にワインをお付けしましょう」

とても人質とは思えぬ要求にマチルダは肩を竦めた。
同じ王女といえども気品では『彼女』の方が遥かに上だ。
もし社交界に出れば一躍その名を轟かせる事になるだろう。
……ただし、それが出来ればの話だが。
今、衆目に彼女の姿を晒す事は出来ない。
だけど後数年、それだけの間を耐え忍べば価値観は逆転する。
彼女が陽の下を、平然と他人の目を気にせずに歩けるのだ。
だから、それまでの間、私は悪魔よりもおぞましい怪物となろう。
人の姿を借り、人を騙し、命を奪う怪物に。

「で、いつになったら解放してくれる?」

ほれ、と縛られた腕を差し出してイザベラは本題を切り出した。
無駄に思えた会話はこの一言の為の伏線。
言葉のキャッチボールを続けさせる事で、
不意の問いかけを仕掛けて本音を洩らせようとしたのだ。
そんな思惑を知ってか知らずか、彼は正直に彼女の問いかけに応じる。

「ガリア王国との交渉が成立したらすぐにでも」
「……どうも長期滞在になりそうだね。アタシ専用の別荘でも建ててもらうか」

諦観したイザベラから本気とも冗談とも取れない言葉が口をついて出る。
戦場での捕虜引渡しは大抵値段が決まっているので楽だが、
これが王族とか伯爵、侯爵になってくると話はまるで違う。
人質を取った側は圧倒的に優位な立場となり、
どう考えても呑めるような条件ではない物さえ突きつける。
中には、領土を半分よこせだの、美女1000人を用意しろなどあったらしい。
後は双方が歩み寄って妥協できる点で合意する。
戦後処理よりも長引く事などザラだ。
しかし、彼女の不安を払拭するように彼は告げた。

317ティータイムは幽霊屋敷で:2009/05/24(日) 19:19:16 ID:wBTb6duE

「いえ、要求するのは空軍の一部縮小と『聖地』の不可侵、これだけです」

あっさりと言い放つ彼に、イザベラは唖然とした表情を浮かべる。
その提案には何一つとしてアルビオンのメリットになる事は含まれていないからだ。
空軍の戦力を縮小した所でまた新しく戦列艦を建造すれば済む話だ。
『聖地』だって凶悪なエルフがゴロゴロいるような場所に好き好んで行く奴はいない。
意味がまるで分からないが、ガリア王国はたとえ人質がアタシだろうと条件を呑むだろう。
あー、でも、せっかくの機会だから見捨てようとか言い出す奴が2、3人はいるかな。
もしギーシュが聞いていれば『桁を2つ3つ間違えてないかい?』と言っただろう。

不意に、彼女の脳裏にある疑惑が走った。
学院とその周辺を覆うだけの濃密な霧、
あれだけの魔法をこの程度の人数で生み出せるのか。
仮に出来たとしても長時間維持していられるか。
そこに加わった『聖地』というキーワードが空白の部分に当て嵌まる。

「まさか……エルフと手を組んだの?」

ふるふると震える喉でイザベラは言葉を搾り出した。
間違いであってほしいと彼女は思った。
人間とエルフの交流が皆無というわけではない。
東方やサハラでは交易も行われていると聞く。
だけど今回の件はそれとは決定的に違う。
領土的野心を持たないエルフが国同士の諍いに介入してきたのだ。
それはハルケギニア全土を震撼させるに足る報だろう。
縋るような想いで見上げる彼女に騎士は何も答えなかった。
だが、その態度が何よりも雄弁に“真実”だと語っていた。

「正確には利害が一致した、そう言うべきでしょう」

真相を悟ったイザベラに騎士はそう言った。
ただ呆然とする彼女にその言葉が届いたかどうかは定かではない。
敵はアルビオンの騎士団だけではない、それ以上の伏兵がいたのだ。
彼女の思惑が根本から大きく覆される。
果たしてここにエルフに対抗できるだけの戦力はあるのか。
花壇騎士団、魔法衛士隊を総動員して勝ち目はあるか。
困惑する彼女に追い討ちをかけるかのように彼は告げた。

「助けは来ませんよ、シャルロット姫殿下」

肩を落として項垂れる彼女の姿を見て、マチルダは微かに罪悪感を抱いた。
希望は生きる気力だ。それが無いと分かった時の絶望は底知れない物がある。
確かにアルビオンまで連れて行くには大人しい方が助かる。
だけれども、こんな幼い少女には酷な話だったかも知れない。

泣いているのだろうか、見下ろした少女の肩が震えていた。
心配して顔を寄せたマチルダが凍りつく。
イザベラの身体を震わせていたのは怒り。
その表情は引き攣り、まるで笑っているようにさえ見える。
般若の形相を浮かべてイザベラは顔を上げて叫ぶ。

318ティータイムは幽霊屋敷で:2009/05/24(日) 19:19:50 ID:wBTb6duE

「誰がシャルロットだ! 誰が!」

がおー、と雄叫び上げる彼女に一同は目を丸くした。
急激な感情変化もそうだが、何よりも彼女の口走った言葉に驚愕が走った。
冷静を保っていた騎士が何食わぬ顔で彼女に答える。

「誰とは、貴女以外にいらっしゃいませんが」
「だから違うって言ってるだろうが! このスットコドッコイ!」

捲くし立てる彼女を前に、騎士の頬を冷や汗が伝った。
嘘を言っているようには見えない、それとも迫真の演技だろうか。
最悪の想像はしたくないが、それを考慮するのが彼の仕事だ。
意を決して彼はイザベラに聞いた。

「それでは、花壇騎士に守られていた貴女は何処のどちら様でしょうか」
「私はガリアのイザベラ様だよ! あんな小娘と一緒にするんじゃないよ!」

イザベラの名乗りに彼は覚えがあった。
ガリア王シャルルの実兄である大臣ジョゼフ、
その一人娘の名前が確かイザベラだったはずだ。
透き通るような美しい青い髪は王族のみと聞く。
彼女がシャルロット姫でないと言うなら本人である可能性が高い。
眼鏡を外して曇りを拭き取りながら騎士は質問を投げかけた。

「それでは二、三お聞きしたい事があるのですが」
「なんだい? 一応聞くだけは聞いてやるよ」
「イザベラ嬢がトリステイン魔法学院に留学する、
これは市井の噂にもなっていた事ですからいいでしょう。
ただ、彼女が留学するのはまだ先の話だと窺っています。
神聖な使い魔召喚の儀式を他国で行うわけにはいかない、
故に、ガリア王国で使い魔召喚を済ませてからと聞きましたが」
「馬鹿か。そんな配慮、王宮の連中がする訳ないだろ」

騎士の返答に呆れかえった様にイザベラはわざとらしい溜息を漏らす。
シャルロットならまだしも彼女は完全に厄介者扱いだ。
どこで何をしようと王宮に住まう者達は関知しないだろう。
もっともそんな裏事情を他国の人間が知っているとも思えないが。

「では、貴女の着ていたドレスについてですが」
「……結構気に入ってたのに、血で汚しやがって」
「なら交渉の条件にイザベラ嬢に新しいドレスを買ってあげる事を追加しましょう。
それはともかくとして、あのドレスは王女の為に仕立てられた物と聞きました」

これは彼等が極秘裏に掴んだシャルロットに関する情報だった。
ガリア王国に潜む密偵が王室御用達の仕立て屋から聞き出したものだ。
そのお披露目は間違いなくトリステイン王国で行われる『使い魔品評会』と踏んだ。
だから、それを目印にすれば濃密な霧の中でも見つけられると思ったのだ。

「ふざけんな! あのドレスはアタシんだ!」

激昂する彼女の唾が騎士の顔にかかる。
それを拭き取りながら彼は考える。
彼女の着ていたドレスはオーダーメイドで寸法もぴったりだった。
体型が全く瓜二つでもなければあそこまで合う事はないだろう。
同じドレスを寸法を変えて二着作ったのか、それは有り得ない。
厳格なガリア王宮が従姉妹とはいえ王族と同じ格好を許すとは思えない。
ちらりとセレスタンに目線を配らせると、彼は肩を竦めて笑いながら言った。

319ティータイムは幽霊屋敷で:2009/05/24(日) 19:20:26 ID:wBTb6duE

「王妃の膝の上にいたんだぜ。誰だって王女だと思っちまうだろ?」

なあ、と聞き返すセレスタンにイザベラは顔を背けた。
あの当時、イザベラは母親を亡くしたばかりで落ち込んでいた。
それを不憫に思った王妃が母親のように彼女に接してくれていたのだ。
もっとも母親を奪われる形となったシャルロットはよく部屋で一人不貞腐れていたが。
思えば、あの頃からだったか。彼女が今のような内気な性格になったのは。

「で、どうするんだい? 他人違いしたマヌケの大将さんは」

思慮に暮れる騎士を見上げてせせら笑うようにイザベラは訊ねた。
さぞや悔しげな表情を浮かべているだろうと楽しげに。
しかし彼の顔に焦りや後悔といった感情はなかった。

「些か手違いはあったようですが問題ありません。
イザベラ嬢でも十分に役目を果たしてくれるでしょう」

多少の誤差は計算の範囲内だと彼は判断した。
その一方で彼の胸中を黒い影が占める。
イザベラと自分達の話の食い違い、
まるで掛けるボタンを違えたような違和感。
それが何から来ているかという事に、彼は気付き始めていた。

320ティータイムは幽霊屋敷で:2009/05/24(日) 19:24:22 ID:wBTb6duE
投下終了。主役以外は端折る方向で。

321名無しさん:2009/05/24(日) 21:51:48 ID:iEkCYReg
乙。おもしろかった。
俺は話が進めば進むほど、ティファのバッドエンドしか思い浮かばない。
次回も期待してる。

322名無しさん:2009/05/25(月) 03:41:41 ID:Nhn8YJPA
投下乙!
やべえぜ、こんなところでジョゼフの臭いがぷんぷんとしやがる……
何処まで計算の内で、どこまでが計算外なのか。アルビオン側も自分達の
立場に気付くのは何時なのか……
期待に胸が震えるぜ!

323銃は杖よりも強いと言い張る人:2009/06/02(火) 23:48:53 ID:twOUXjm.
五月中に間に合わなかった……。正直、スマン。
そして今回もホル・ホースの出番は殆ど無い。マジ、すんません。
原作主人公組が、どうしても出張ってくるんだああぁぁ!

それはそれとして、投下します。

324銃は杖よりも強し さん:2009/06/02(火) 23:49:41 ID:twOUXjm.
11 戦場へ行く者、離れる者
 遠く戦場とはかけ離れ、未だ平和を享受して能天気な日常を送るトリステイン魔法学院の一
角では、一人の少女が頭から煙を噴出しながら歩いていた。
 抱えた“始祖の祈祷書”に挟んだ羊皮紙をちらちらと見ては、深く溜め息を付く。
 任じられた王女殿下の婚姻の詔は、結局納得の行く出来に仕上がることは無く、とうとう期
限としていた日が訪れたのであった。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう……」
 敬愛する姫殿下の頼みを達することの出来ない重圧に、ルイズはこのまま部屋に篭って何も
かもから耳を塞ぎたい気分になっていた。
 しかし、逃げるわけにはいかない。
 本塔に繋がる渡り廊下から学院の入り口を覗いてみれば、そこにはもう婚姻式の出席者を待
つ迎えの馬車の姿があるのだ。ルイズは、あれに乗ってゲルマニアで行われる式に出席しなけ
ればならないのである。
「き、きちんと専門の人が修正してくれるのよね?笑われたりしないわよね?ああでも、お父
様やお母様も出席なさるのに、せっかくの晴れ舞台なのに、ちゃんと出来ないなんて……」
 ぶつぶつと不安から来る独り言を呟いて、ルイズは渡り廊下を越えて本塔の階段を登る。
 まずはオールド・オスマンに今ある詔の下書きを提出して、ある程度の添削を受ける必要が
ある。綺麗に形を整えてそれらしいものに仕上げる作業は、ゲルマニアへの道中で行われる予
定だ。
 しかし、オールド・オスマンはボケが始まってしまったし、専門職であっても、この自分で
見ても相当酷い出来である詩を時間内に修正しきれるかどうかは、正直疑問だった。
「なんでこういう時に限ってミス・ロングビルは留守なのよ!頼りにしてたのに、ご家族と旅
行だなんて……」
 才人と喧嘩をしてからというもの、部屋に引き篭もって詔の文面を考えていたルイズは、食
事のために食堂に出たときに、噂話としてロングビルの夫と子供が学院を訪問し、そのままロ
ングビルが出かけてしまったと聞いていた。
 学院で働く使用人達の口から広まったロングビル既婚疑惑は、既に学院全体に事実として認
識されている。一時は噂を種に学院中が騒動となったが、年齢や見た目の良さ、学院長秘書と
いう立場を考えれば別に不自然なことでもないと、密かな思いを抱いていた一部を除いて、す
ぐに受け入れられたのであった。
 ルイズもまた、本人が聞いたら卒倒しそうな噂を信じている一人で、ミス・ロングビルには
出来れば明るい家庭を築いて欲しいと本気で思っている。魔法の使えない自分をゼロだと馬鹿
にしない、年の近いほうの姉に似た素晴らしい先生だと心の底から信じている。
 ただ、今だけは自分の都合を優先して欲しかった。
「でも、資料は用意してくれたし、わたしがここまで出来ないとは思ってないだろうし……」
 才能が無いのを理由に他人の家庭に亀裂を入れるほど、ルイズは傲慢ではない。草案を作る
のに苦労しないだけの下準備を整えてくれたロングビルを責めるのは、まったくのお門違いで
あるということくらい、分かってはいた。
 それでも、憂鬱であることに変わりはないのだ。
「失礼します」
 いつの間にか到着していた学院長室の扉をノックも無しに開けて、いつも熱い茶を啜ってい
る隠居間近の爺さんに顔を向ける。

325銃は杖よりも強し さん:2009/06/02(火) 23:50:12 ID:twOUXjm.
 そこでルイズは、信じられない光景を目にした。
「……え?」
 ガリガリと削るような音が連続して、それが途切れたと思うと紙が宙を舞って部屋のあちこ
ちに詰まれた紙の山の上に降下する。かと思えば、何かを叩きつけるような音が断続的に響く。
 音の発生源は、執務机に並ぶ書類に猛烈な勢いで羽ペンと印章を叩きつけるオールド・オス
マンであった。
「あ、あれ?」
 ボケたのではなかったのか?
 失礼なことを考えて、ルイズは固まった。
 ロングビルの愚痴では、日向ぼっこと茶を啜ることしか出来なかったはずだ。いや、それ以
前に、こうまで必死に仕事をしている姿など一度として見かけた覚えは無い。
 ボケた人間が元に戻らないというのは、地球でもハルケギニアでも大体同じである。大昔で
は、始祖ブリミルが長生きをし過ぎた人間の心を御許に招いてしまったのだ、などと信じられ
ていた時代だってある。
 現在は脳の病であると解明されたが、それでも治らないものは治らない。
 なら、目の前で精力的に働いている人間は誰なのか?
 そういう疑問にルイズの思考が行き着いたのは、ある意味仕方の無いことだった。
「あなた、何者!?本物のオールド・オスマンをどこへやったの!?」
 抱えていた祈祷書を放り出して、スカートに挟んだ杖を取り出したルイズが、眼前の不審人
物に問いかける。
 学院に忍び込み、学院長の身柄を隠し、さらに入れ替わるなどという手際を考えれば、この
老人は素人ではないだろう。いや、老人ですらないのかもしれない。
 男か女かも分からない相手に、ルイズの喉が鳴る。
 メイジの巣窟ともいえる学院に入り込んだのだ。それだけ実力に自信があるのだろう。もし
かすれば、あのワルドに匹敵する相手ということも考えられる。
 考えるだけでアルビオンで受けた数々の傷の痛みを思い出してしまい、ルイズは思わず体を
震わせた。
「……は?なにを言っとるんじゃ」
 書類処理の手を止めたオスマンが、ルイズに顔を向けて首を傾げる。
「白を切ろうとしてもダメよ!あなたが偽物だって、わたしには分かってるんだから!狙いは
何?オールド・オスマンに化けて式に出席するつもり?そんなこと、このヴァリエール家が三
女、ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールが許さないわよ!!」
 杖を突きつけ、ルイズは威嚇するように強く言い放つ。
 だが、内心では恐怖と不安が渦巻き、手足の震えが表に出てしまいそうだった。
 相手がワルドと同程度の力の持ち主なら、ルイズに勝ち目は無い。それは既に、アルビオン
で証明済みだ。だが、敵を前にして逃げ出すなんて選択肢は、ルイズには存在しなかった。
 とにかく、この不審者を倒して捕縛する。
 ルイズに考えがあるとしたら、それだけだった。
「なにを勘違いしとるか知らんが、少し落ち着きなさいミス・ヴァリエール」

326銃は杖よりも強し さん:2009/06/02(火) 23:51:16 ID:twOUXjm.
「あっ、動かないデゥっ!?」
 ルイズが反応するよりも早く執務机に立てかけた杖を取ったオスマンが、空のインク壷を念
動で飛ばしてルイズのおでこを強かに打ちつけた。
「うっ、うぅぅぅぅ!?いったあああぁぁぁぁいっ!」
 額を両手で押さえてしゃがみ込んだルイズを呆れた目で見詰め、オスマンは水パイプの先を
咥える。
 ぷか、と煙が円を描いて空中に浮かんだ。
「痛くしたんじゃから、当然じゃ。そんなことよりも、詔は完成したのかの?」
 オスマンは杖を再び振って、ルイズの足元に落ちた祈祷書を引き寄せる。そして、白紙の祈
祷書から挟まれた羊皮紙を引き抜き、文面に視線を落とした。
「お、オールド・オスマン?」
「なんじゃ、ミス・ヴァリエール」
 羊皮紙を読み進めながら眉の形を変えて、オスマンはちらりとルイズを見た。
「本物……、なんですか?」
 涙目で疑惑の視線を投げかけつつ、ルイズは握った杖に力を込める。対するオスマンは、そ
んなルイズの態度を気にした様子も無く、また水パイプを吸って煙を吐いた。
「当たり前じゃろ。ワシはワシじゃよ。他の誰と間違えるというのじゃ」
「でも、こないだはボケて……」
「ありゃ、演技じゃよ」
 暗にボケ老人呼ばわりしているルイズに、オスマンはなんでもないことのように否定した。
 また、ぷかり、と煙が宙に浮かぶ。
「セクハラを禁止されたんで、八つ当たりにボケた振りしとったら、ロングビルがワシの代わ
りに仕事をぜーんぶ片付けてくれるのでな。このままボケ老人の振りを続けとけば、楽ができ
るんじゃないか?と思ったわけじゃよ」
 と言っても、こうして裏切られてしまったわけじゃが。と言葉を続けて、オスマンは悲しげ
に笑った。
「ボケた振りって……、それはそれで問題があるんじゃ……」
「なあに、基本的なことは全部教えてあるでな。時たまこそっと、仕事がちゃんと出来ておる
か確認しておったが……、うむ。ミス・ロングビルは、ワシより有能じゃの。おかげで、ワシ
のやることが一つも無い!……まったくない。ほんとに……、ひとつも無い。ひ、一つも無い
んじゃよ!本当に、本当に一つも……!!ワシの仕事、一つも残っとらん!このままじゃ、ワ
シは要らないって言われてしまう!必要とされておらんジジイは、どうすればいい!?どこへ
行けばいい!?ワシは……、ワシはああぁぁぁぁっ!」
 机に突っ伏してオイオイと泣き出したオスマンに、ルイズは困ったように表情を崩した。
 精力的に働いていたかと思ったら、実はただの書類整理だったらしい。印も朱肉は付けられ
ておらず、気分を出すためだけに押していたようだ。
 学院長の座はボケたふりをしている間にロングビルに奪われ、オスマンは今現在、雑用係の
地位に落ちぶれていた。
「……えーっと」
 このボケ老人をどうすればいいのだろうか。

327銃は杖よりも強し さん:2009/06/02(火) 23:52:25 ID:twOUXjm.
 困惑するルイズだったが、ふと手元の杖を見て、一つだけ対処法を思いつく。
 自分の使い魔にもよくやっている、爆破処理。
 実に効率的で、状況を変化させるのに向いている方法だ。
 善は急げ、思いつけば即実行。
 ルイズが杖を振り上げるのに、迷いは無かった。
「ファイアー・ボー……」
「オールド・オスマン!居られますか!?」
 突然、学院長室の扉が叩かれ、魔法を使おうとしたルイズの肩が驚きに跳ね上がった。
「なんじゃ、騒々しい。ワシは惨めな老人の気分に浸るのに忙しいから、後にしてくれ」
「み、惨めな老人……?よく分かりませんが、緊急事態です!」
 部屋に人が居ると分かると、扉の向こうの人物は入室許可も取らずに部屋に踏み入れる。
 学院長を爆発させる現場を見られそうだったルイズが、ドッキンドッキンと鳴る胸を服の上
から押さえて息を吐き、入室した人間の姿を目に映した。
 王宮の人間のようだが、学院の入り口で待っている迎えとは別らしい。相当に急いでいたら
しく、息が上がっているが、衣服の乱れは殆ど無い。トリステイン貴族らしい、見栄っ張りな
性格がこんなところでも表れていた。
「緊急かね?少し待ちたまえ、ミス・ヴァリエール、退出を……」
「戦争です!アルビオンが、トリステインに宣戦布告をしました!既にタルブは陥落、アルビ
オン軍はラ・ロシェールに向けて進軍中です!」
 オスマンの両目が開かれ、執務机にペンが転がった。
「なんと!?ついにやりおったか!し、して、王宮はなんと?」
「アンリエッタ王女殿下の指揮の下、王軍を立ち上げ、戦場へ向かっております!しかし、戦
力は心許無く、諸侯及び勇士諸君は速やかに参軍せよとのお達しです」
「義勇軍まで立てるおつもりか……、となれば、最初の戦いこそ決戦となるな」
 国中の戦力をかき集めての戦いを臨むのであれば、敗北はそのまま敗戦に繋がる。
 アンリエッタは、アルビオンにこれ以上の侵攻を許すつもりは無いようだ。いや、港である
ラ・ロシェールに橋頭堡を築かれれば、アルビオン軍を止められなくなることを悟ったのかも
しれない。
 二国間における戦いを、他国の援軍を待つことなく終わらせる意気込みが見えていた。
「お、オールド・オスマン?戦争って……」
「ミス・ヴァリエール。この事は他言無用じゃ。儂が然るべき時に、然るべき方法で皆に発表
するでな。しかし、恐らくはこれを使うときは訪れまい」 
 ルイズの言葉に頷いて、オスマンは引き寄せたときと同じように始祖の祈祷書を念動でルイ
ズに渡した。
 アンリエッタがゲルマニアと結ぶ予定であった婚姻は、来るべきアルビオンとの戦いに向け
た政略結婚だ。それがアルビオンの早期の侵略によって意味を成さなくなるのであれば、確か
にルイズの考えていた詔の出番は無くなる。
 胸に抱いた祈祷書とその間に挟まる詔を書いた紙を見て、これを出さなくて済むのかと一瞬
ホッとしたルイズは、すぐに表情を硬くした。
 流れは、アルビオン王ジェームズ一世の言った通りになっている。アルビオンは、ゲルマニ
アの勢力の介入が入る前にトリステインを制圧しようとしているし、ゲルマニアは漁夫の利を
得る機会を窺っている。

328銃は杖よりも強し さん:2009/06/02(火) 23:53:52 ID:twOUXjm.
 やはり、トリステインは一国での戦いを強いられるのだ。
「オールド・オスマン。わたしは、これで……」
「うむ。あまり詳しくは聞かぬ方が良かろう。行きなさい」
 ルイズが退室を望むと、オスマンはすぐに了承して杖を振った。
 背後の扉が開き、ルイズは身を滑らせるように廊下へと出て行く。ばたん、と音を立てて閉
まった扉から、鍵のかかる音が響いた。
「……あれは確か、ベッドの下に」
 ジェームズ一世から渡されたものを思い出して、ルイズは強く祈祷書を抱き締める。
 トリステインが孤独ではないことを、アンリエッタ王女に伝えなければ。
 出立の準備の為、自室へ向かって駆け出したルイズの背後で、オスマンと王宮の使者とのや
り取りは続く。
「学院の人間が、現地に居ると?」
「アストン伯からの報せによれば、そうです。男女合わせて8名。教職員と、生徒であると聞
いておりますが……」
 使者の言葉に、オスマンは空席となっている秘書官の執務机に目を向ける。
 一応、休暇届のようなものは残されていた。
 職員用の物には目的地や理由などが記されていたが、そこにラ・ロシェール地方に繋がる文
章はひとつも無い。全て私情で埋め尽くされて、何処へ何をしに行ったのかはサッパリなのだ。
 しかし、ボケ老人のフリをしている間に聞いた話の内容を考えれば、有能な秘書を含めた魔
法学院の在籍者が戦乱に巻き込まれていることは容易に想像できた。
「学院の関係者であれば、迎えをやらねばならんのう」
 言って、オスマンは溜め息を吐く。
 多分、迎えと一緒に志願兵も送ることになるだろう。それが憂鬱なのだ。
 使者がここに戦争の始まりと関係者が現地に居ることを報せに来たのは、参戦する人間をよ
り多く集めるという魂胆があってのこと。戦場があり、そこに勲功を得るチャンスが転がって
いれば、名を上げることに貪欲な若者達を止める手段は無い。
 こう言ってはなんだが、簡単な扇動で学院の生徒達は戦場へ突撃するだろう。若い貴族は勲
功を得ることを夢見て、戦場に出る日を今かと待ち構えている。
 ならば、まだ何も知らず落ち着いている間に、オスマン自身が必ず生きて戻ってくると確信
出来る者たちを選定した方がいい。
 だとしても、選ばれなかった者の恨みを買ってしまうだろうし、犠牲が出ればオスマンの責
任となる。どちらにしても、やりきれない選択であった。
「それでは、自分は他にも伝え歩かねばなりませんので……」
「うむ。ご苦労じゃった」
 部屋を出て行く使者の背中に労いの言葉をかけつつ舌を出したオスマンは、執務机の隅に置
いた湯飲みを取って、温い茶で喉を潤した。
 自分で入れておいてなんだが、不味い。
 ミス・ロングビルが嫌々ながらも入れてくれた茶の美味さを思い出して、オスマンはやはり
見捨てられはしないと、部屋にある姿見に向かった。

329銃は杖よりも強し さん:2009/06/02(火) 23:55:00 ID:twOUXjm.
「まずは、状況を知らねばな」
 枯れ木のような杖を一度振り、姿見の鏡面に波紋を描く。
 その向こうに、ここではない遠くの景色が映し出された。


 アルビオンがトリステイン艦隊を撃沈し、宣戦布告をして二日。
 竜騎士隊の全滅が響いたのか、それとも地上軍の進軍が遅れているだけなのか。アルビオン
の軍勢は未だにラ・ロシェールに到着することなく、岩壁を切り出して作られた町は次々と到
着するトリステイン軍の手によって着々と要塞化が進められていた。
 岩を積み上げたような砦の壁には矢窓や砲門が覗き、殆ど完成している足場の確認の為に何
人ものメイジや騎士が歩き回っている。空には召集された魔法衛士隊のグリフォンや竜が警戒
の為に飛び回り、世界樹の港では軍艦に混じって、徴収された民間船に武装が施されている様
子が見えた。
 アルビオン軍の進軍が遅れれば遅れるほど、トリステイン軍は戦の準備を整え、より軍備を
拡充していく。奇襲ともいえるアルビオンの攻勢は、ここに至って意味を失いつつあった。
 そんな張り詰めた空気の流れるラ・ロシェールの街。その外側では、また別の戦いが繰り広
げられている。
 ぐうぅ、と鳴る腹の虫との一騎打ち。飢餓と死神を相手にした、生きるか死ぬかのバトルロ
ワイヤルだ。
「し、死ぬぅ……、腹が減って、し、シヌ」
 腹を押さえて悶えるように体を揺らしたホル・ホースが、痩せた顔に冷たい汗を浮かべてい
た。
 場所はラ・ロシェールから伸びるトリスタニアに続く街道の脇。戦の臭いを嗅ぎつけた傭兵
達のキャンプが並ぶ平野の端っこである。近くには水筒の水で必死に口の中を漱いでは吐き出
しているエルザとミノタウロスの肉体に雑草を食わせている地下水、それに、ぽつんと立った
樹木の陰で唇をカサカサに乾燥させたウェールズが、食欲を睡眠欲に無理矢理変えて眠ってい
た。
 三人と一匹は、避難民と一緒にラ・ロシェールまでやって来たのだが、街に入る途中で兵隊
に止められ、吸血鬼やミノタウロスを従えた怪しい人間を軍が陣を張る街の中に入れるわけに
はいかないと追い出されたのである。使っていた馬も盗品疑惑が持ち上がって取り上げられて
しまい、空っぽの財布では腹ごしらえも出来ず、こうして空腹と戦っているのだ。
「ああああぁっ!空腹に耐えかねて摘み食いなんてするんじゃなかった!口の中が油を飲んだ
みたいになっちゃったわ!傭兵なんて下品な職業の連中ってのは、血の味まで下品ね!」
 タダでさえ空腹で貧血のホル・ホースから血を奪うわけにもいかず、周囲の傭兵のキャンプ
を襲って血を吸っていたエルザが、悪態を吐いて不満を顕わにする。
「八つ当たりに金目の物を奪って来ようかと思ったら、目ぼしいものは何にも無いし。警戒が
強くなって別のを襲うのは難しそうだし……、踏んだり蹴ったりだわ!」
 収穫といえば、二日前に放り捨てたまま行方知れずの帽子の代わりにと、布を一枚盗って来
たくらいだ。頭に適当に乗せているだけだが、汚れ果てたドレスとは程よくマッチしている。

330銃は杖よりも強し さん:2009/06/02(火) 23:56:15 ID:twOUXjm.
 声が聞こえているのか、焚き火でスープを温めている近くの傭兵がエルザをじろりと睨んで
くる。彼らも、仲間を襲われたとなれば黙っているつもりはないようだ。
 が、そんな連中に地下水がミノタウロスの顔を向けると、すぐに目を逸らされた。流石にメ
イジ数人がかりでも梃子摺るような亜人と喧嘩をする度胸は無いらしい。
 しかし、敵を増やすのも良くないと、地下水はエルザに注意を呼びかけた。
「声がでかいぜ、お嬢。襲撃犯と知られたら、この平野に群がってる傭兵達が全部に敵になる
んだ。夜もおちおち眠れなくなるぜ……。うおっぷ、……もぐもぐ」
「反芻すんな!」
 エルザの投げた木製の水筒が、ミノタウロスの頭に当たって跳ね返る。
 ゴツン、という音と共に、空腹に悶えていたホル・ホースが沈黙した。
「牛の習性なんだから、仕方ねえだろ。体を操るってのは、肉体に適した行動を取るっていう
面倒臭い作業もしなくちゃならねえんだよ」
 黄泉路に旅立ったホル・ホースに気付いた様子も無く、地下水は話を続ける。
 どうやら、ミノタウロスの内臓は人のものよりも牛に近いらしい。草木を食べる際には、繊
維質を効率的に分解する為、反芻という摂食行動が必要なようだ。
 ハルケギニアの生物知識に加えられる、偉大な新発見である。
「酸っぱい臭いが気に入らないから、我慢なさい」
「自分だってゲロ吐きまくってるくせに……」
「なんか言った!?」
「いいや、なにも」
 機嫌の悪いエルザに小さく陰口を呟いて、地下水はまた別の雑草をミノタウロスの口の中に
放り込む。
 草に混じった石が噛み潰されて、硬い音が響いた。
「むぅ、この変な感じが治んないわね。……仕方ない、最終手段を取るわ」
 ヘドロを口の中に詰め込んだような最低な不快感に耐えられなくなったエルザの目が、気絶
したホル・ホースに向けられた。
「おいおい、本当に死んじまうぞ」
「大丈夫。ちょっとだけだから。本当に、ちょっとだけ……」
 ちょっと、とは言っているが、瞳を欲望に輝かせていては説得力が無い。
 そろり、そろりと近付いて、気絶したホル・ホースの首筋に狙いを定めると、エルザはその
ままいただきますも言わずに噛み付いた。
「お、おごっ……」
 死後硬直するかのように、ホル・ホースの肉体が僅かに跳ねる。気を失っていても痛みはあ
るのか、顔の形は苦悶に歪んでいた。
 その体を両手で押さえつけたエルザの頬が、だらしなく緩む。
「んく、んく、ん……。ぷはっ!やっぱ、この味よねぇ。たまんないわあ」
 口元に残る血の滴を袖で拭って、エルザは舌に残る不思議な甘さに恍惚とした表情を浮かべ
る。
 処女の生き血も捨て難いが、好意を持った相手の血も格別だ。舌触りや香りではなく、血に
混じる絶妙なクセが病み付きになる。

331銃は杖よりも強し さん:2009/06/02(火) 23:57:53 ID:twOUXjm.
 この瞬間だけは吸血鬼をやっていて良かったと、エルザは臆面も無くはっきりと言えた。
「驚いたな……、本当に吸血鬼だったのか」
 案の定ちょっとでは止まらず、もう一度ホル・ホースの首筋に噛み付こうとしたエルザの姿
を見つけた女性が、両手に抱えた藁編みのバスケットを揺らして目を丸くしていた。
 剣と銃とを腰に据えた鎧姿の人物は、エルザがトリスタニアで出会ったアニエスだ。
「あら、信じてなかったのかしら?」
 とりあえず、もったいないからとホル・ホースの首筋に滲んだ血を舐め取ったエルザが、わ
ざとらしくそれを飲み込んで薄く笑みを浮かべる。
 吸血鬼らしさを演出しているつもりのようだが、だらしなく緩んだ頬は甘い果実ジュースを
飲んでいる子供と大した違いは無かった。
「半々と言ったところだな。妄想癖のある早熟な子供である可能性も捨てきれなかったのが本
音だ」
 笑みに笑みを返して、アニエスはバスケットを足元に置いた。
「しかし、本当に吸血鬼であるというのであれば、これを持ってきた甲斐があったというもの
だな。前は見なかったが、随分と頼もしそうな仲間を連れているようだし」
 ちら、と地下水を見てから、アニエスは籠の上にかかった白い布を取り払う。
 焼きたてのパンの香ばしい匂いに混じって、焼いた肉と果物の香りが辺りに立ち込めた。
「おお、豪勢じゃねえか」
「地下水、アンタは草で十分でしょ。大人しく雑草を食べてなさい。雑草を。……それよりも、
ただの差し入れ……、なんて都合の良い話じゃなさそうね?」
 貴族の食卓でしかお目にかかれないような香辛料を多く使われた上等な食事を前に、エルザ
の警戒心が強まる。
 つい先程までのように口の不快感や空きっ腹がそのままなら、欲望のままに飛びついていた
かもしれない。しかし、ホル・ホースの命と引き換えに少しでも腹を満たしたエルザは、冷静
にものを考えられるだけの余裕を持つことが出来ていた。
 アニエスは交渉に来ている。それも、今回の戦争の件に関係する話だろう。一介の兵士であ
る彼女が戦場に居ることに不自然は無いが、傭兵達の集まる場所に足を運ぶとしたら、考えら
れる可能性は多くない。
 一歩引いた態度のエルザに、思惑を悟られたのだと察したアニエスは、どうせ話すことだと
考えて気楽に構えた。
「こっちの用件はだいたい分かってるみたいだから、簡潔に言おう。わたしの指揮する部隊は
人手不足でね……、おまえ達を傭兵として雇いたい」
 腹の探り合いをするつもりは無さそうだと、エルザはアニエスの言葉に肩の力を抜いて彼女
の足元を見る。
「ということは、それは前金のつもりかしら。こんな戦時の、しかも下っ端の兵隊が貰えるよ
うなお給金じゃあ、それを手に入れるのは大変だったでしょう?」
「そうでもない。食い物に関しては今のところ我が軍は困窮してないからな。多少、財布がい
たい思いをしていることは認めるが、これを報酬に含めるつもりは無い」
 安月給であるにも関わらず、上等な食事とは別に報酬を出すという。
 随分と太っ腹なことだが、それが余計にエルザの警戒心を高め、手を出すことを躊躇させた。

332銃は杖よりも強し さん:2009/06/02(火) 23:59:22 ID:twOUXjm.
「じゃあ、わたしたちを頼る理由は?言っておくけど、少々割高よ?」
 周囲には傭兵が履いて捨てるほど居る。顔見知りだからこその信頼というのもあるが、戦に
出てくる傭兵なんて使い捨てが基本だ。互いに信頼する必要なんて、さほど無い。
 あるとすれば、金を前提とした信頼。
 そういう意味では、エルザたちに固執する理由は無いはずだった。
「話さないと、ダメか?」
「アンタのくれた銃、全然役に立たなかったもの。その詫びとでも思いなさいな」
 トリスタニアでの一件にて、ドレスを汚された代償として旧式を一丁横流ししてもらったの
だが、何一つ成果を出せずに使い捨てることになったのだ。その分を多少追加請求しても罰は
当たらないだろう。
「だから、訓練しなければ銃は使い物にならないとあれほど……。まあいい、話そう」
 銃を渡すときに何度も繰り返した苦言を口にして、アニエスやこめかみに指を当てると、疲
れたように頷いた。
「私情で悪いが、わたしはどうしても出世がしたい。出世して、やりたいことがある。で、今
回は実験部隊が前線に出される滅多と無い機会なんだ。急な戦でライバルも少ない。手っ取り
早く手柄を上げるには、お誂え向きの舞台というわけさ。……だから、失敗はしたくない」
「身銭を切ってでも強力な仲間が欲しいってわけね」
「そんなところだ」
 ふうん、と色の無い息を漏らして、エルザは一先ず納得したとばかりに頷き、おもむろに喉
を鳴らした。
「私情の部分に関しては、話してもらえないのかしら?」
「悪いが、プライベートだ。そもそも、人に話すような内容じゃない」
 訊いた途端に表情を硬くしたアニエスの様子に、エルザは手を軽く振って口を閉ざす。
 どうやら、訊いてはいけないことのようだ。女でありながら戦場に出ることを臨むのも、な
にか関係があるのかもしれない。
 深く追求した所で不興を買うだけだと判断したエルザは、訊くことはコレで終わりだと言う
と、腰に手を当てて胸を反らした。
「悪いけど、その話は断らせてもらうわ」
 興味のあることだけ訊くだけ訊いて、即座に断ずるエルザに、アニエスは呆気に取られなが
らも理由を尋ねた。
「戦場なんて危険だらけの場所に入り込んだら、命が幾つあっても足らないもの。自分の命が
一番。お金も、食べ物も、家も、食事も、衣服も、ご飯も、命あってのものでしょう?」
「……なるほど」
 言いながら、アニエスはその場で屈み、ぱたぱたと手で扇いでバスケットの周囲に漂う匂い
をエルザに向ける。
 桜色の唇の端から、涎が出ていた。
「じゅる……、ごくり。ハッ!?ひ、卑怯よ!それをしまいなさい!」
「なるほどなるほど。コレが効くわけか」
 食欲を刺激する香りが鼻先をくすぐる度、エルザのお腹が大きな音を響かせる。
 摘み食いをした分は全て吐き出したし、胃液も一緒に吐いている。今のエルザの腹の中に納
まっているものといえば、一口だけ飲んだホル・ホースの血ぐらいなものだ。

333銃は杖よりも強し さん:2009/06/03(水) 00:00:43 ID:Y8wHn2HM
 僅かに満たされていた空腹感は、少量の血に比例した短い沈静期を終わらせ、再び精神との
均衡を崩してエルザの本能に対して甘い誘惑をかけている。それを読み取ったアニエスの攻撃
は、容赦というものを知らなかった。
「ほら。どうだ?良い匂いだろう?食べてもいいんだぞ?なんなら、追加だって持ってきてや
るぞ?」
「ぐっ、うぅ……、ダメよエルザ!誇り高い吸血鬼がそんな……、食べ物に誘われて命を危険
に晒すなんてみっともないことを……!」
 垂れ落ちる涎を飲み込み、高らかに歌う腹の虫を手の平で押さえつけ、前進しそうになる足
を根性で止める。しかし、瞳はバスケットの中身にロックオンされて、もう食欲に敗北寸前で
あった。
 エルザが精神的に崖っぷちに立っていることを確信したアニエスは、好機と見て畳み掛ける
ように追加報酬について話し始める。
「放浪生活は今でも続けているのか?一所に留まらない生活は中々疲れるだろう?出世が上手
くいったら、雇用費とは別に静かに暮らせるような場所に家を用意しよう。貴族が暮らすよう
な大きな屋敷は無理だが、そこそこの家なら何とかなる。お前にだって、傭兵家業なんて殺伐
とした世界とは別に、なにかやりたいことの一つもあるだろう?そこの保護者と二人で、仲良
く平穏な生活をしてもいいじゃないか」
「ふ、二人?二人っきりで、一つの家で仲良く?そ、そそ、そんな、卑猥なこと……!くうう
うぅぅぅ……、なんて魅力的な……!」
 酒の切れたアルコール中毒者や煙草の切れた喫煙中毒者のように、目は血走り、全身を小刻
みに震えて唸り声を上げる。
 心に残る僅かなプライドだけを支えに、エルザは欲望と戦っていた。
 そんな時、二人の間に若い女性の声が割って入った。
「今の話は本当かい?」
「ん?……あなたは」
 背後からかけられた声にアニエスは振り返り、少し長めに切ったボブカットの女性の姿を目
に映す。緑色の髪をした女性の背後には、沢山の子供や痩せ細った女性を背負った青年、それ
に、大きな杖を握った青髪の少女や老人が列を作って立っていた。
 バスケットの中身に夢中のエルザは気付くことなく、代わりに地下水が声を上げた。
「お、マチルダの姉御じゃねえか。シャルロットの姐さんも一緒だし……、そんな大所帯連れ
てどうしたんだ?」
「……そういうアンタは、なんてもん食ってんだい。こっちは、さっき軍の連中の面倒な話が
終わった所だよ。で、クソッタレな要求を蹴り飛ばして逃げてきたのさ」
 地下水の言葉に答えたマチルダが、苛立ちを隠そうともしないで道端に唾を吐く。
 後ろに居たティファニアが行儀が悪いと窘めるが、あまり聞いている様子ではなかった。
「で?手助けすれば、住処の手配をしてくれるんだろ?」
「いや、それは……」
 エルザ達だけに向けた条件だと言おうとして、アニエスは女の腰に差された杖を見つける。
 メイジだ。それも、多分かなりの使い手。

334銃は杖よりも強し さん:2009/06/03(水) 00:01:40 ID:Y8wHn2HM
 アニエスの脳裏に一瞬、復讐の二文字が浮かぶ。しかし、アニエスはそのイメージを頭を振
ることで打ち消すと、頼りになる人材だと考え直して口を開いた。
「金は、あまり多くは出せないぞ」
「それでもいいさ。面倒の無い場所に住処を用意してくれるならね」
 交渉成立だと言って、マチルダはアニエスの手を取り、適当に握手をする。
 それが終わると、すぐにウェールズの寝ている木に寄りかかって、ブツブツと罵詈雑言を並
べ立てた。
「その様子じゃ、ティファニアの嬢ちゃんを引き渡せとでも言われたみたいだな?」
 エルフは王家の、始祖の敵だ。軍がハーフエルフの存在を知って放っておくはずが無い。
 地下水が即興で立てた推測だったが、マチルダが更に機嫌を悪くして蹴ってくるということ
は、九割方正解だったのだろう。
 アニエスの提案に乗るのも、軍に目を付けられたティファニアを静かな土地で休ませたいと
いう願いなのかもしれない。
「わたしも、家が居る」
「は?」
 アニエスにシャルロットが話しかけ、マチルダと同じように家の手配を求めている。
 眠っているオルレアン公夫人を背負ったカステルモールが横に入り、それならば自分が家を
用意すると言い出しているが、監視が付けられている人間には頼めない、と拒否されていた。
「なんだ、シャルロットの姐さんもか?」
「政治の道具にはなりたくない、だとさ。一応、アストンってタルブの領主は、ガリアから落
ち延びてきた貴族でも受け入れるって言ってたけど、元王族って知られればややこしいことに
なるからねえ。……ティファニアの件でも世話をかけてるし、悪いことをしたよ」
 家の用意が出来ないならシャルロット様の代わりに戦う、と息巻くカステルモールに困った
顔をするシャルロットやペルスランの様子を見ながら、マチルダは少しだけ表情を暗くする。
 ティファニア達をタルブの村に受け入れてもらえるように交渉したのは、カステルモールと
ペルスランだ。そのティファニア達が問題を起こせば、責任が回ってくるのは当然。タルブの
領主の保護を受けなかったのも、タルブの村人達に自分たちがどう見られているかを気にした
からだろう。そういう意味では、家を奪ったのはマチルダやティファニア達と言えなくも無い。
 病み上がりのシャルロットに変わってカステルモールが参戦することが決まり、いったい幾
つ家を用意すればいいのかと、今から胃にストレスを溜め込み始めたアニエスを眺めた地下水
は、人間の難儀な生き様に溜め息を吐いて、反芻した雑草を胃の中に移動させた。
「まあ、適当に頑張ってくれや。うちはお嬢が乗り気じゃねえみてーだから、この話はこれで
終わりだ」
 戦場では何が起きるか分からない。
 その意見に賛同している地下水としては、金や家よりも命が惜しい。ウェールズの意見を聞
く気は無いし、ホル・ホースは気絶しているために意見を言える立場に無い。
 よって、エルザと地下水が反対に二票を入れて、晴れてアニエスとの交渉は決裂に至った。
 筈だった。
「それにしちゃあ、随分と張り切ってるみたいだけど」
「なに?」

335銃は杖よりも強し さん:2009/06/03(水) 00:04:34 ID:Y8wHn2HM
 欠伸をしながらマチルダが指を差した先に意識を向けて、地下水はそこで餓鬼のようにバス
ケットの中身を貪る幼女の姿を見た。
「はむっ!んぐんぐ、あぐ。んんっ。クハッ!」
 パンを齧り、肉を噛み千切り、果物を咀嚼する。
 人々に恐れられた吸血鬼は、ただの欠食児童に成り果てていた。
「お、おい、お嬢。いいのか?それ食っちまって」
「もぐもぐもぐもぐもぐもぐ……、んぐ。……ほに!?」
 恐る恐る声をかけた地下水の気配に、口の中に詰め込んだ分を全て飲み込んでからエルザは
気付いた。
 手の付く肉の脂やパンのカス。滴る果物の果汁。そして、程好い満腹感。
 はっきりと残る証拠を前に、エルザは自分が我慢しきれずにやらかしたことを悟った。
「は、嵌めたわね!」
「そう思うなら、食べるのを止めろ」
 バスケットの中の肉の塊を口に運んだエルザに、アニエスの冷たい視線が突き刺さった。
 じっとりとした自業自得を責めるような目があちこちから向けられている。まったくの部外
者であるはずの傭兵達まで、遠巻きに生暖かい目でエルザを見ていた。
 沈黙する空間。
 それを打ち破ったのは、中心に立つエルザであった。
「こ、ここ……、こんな美味いものを目の前にして、我慢出来るかーッ!」
 もしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃ……
 逆切れしておいて尚、エルザは食べることを止めようとはしない。空腹期間が長いことに体
が危機感を覚えて、これを機会に食べ溜めようとしているようだった。
「しかし、食べたということは、雇われることを了承してくれた、と考えていいのかな?」
「ふがっ!?」
 ジャムをたっぷりと乗せたパンを切れ端を口の中に詰め込んだエルザの動きが、アニエスの
台詞を聞いて固まった。
 目だけを動かして覗き込んだバスケットの中には、今し方使い切ったジャムの瓶と果物の皮
が転がっている。後は食べカスばかりで、もう食べ物は残ってはいなかった。
「まさか、食べ尽くしておいて今更、断る、なんて言わないよな?」
 アニエスがニヤリと笑うのを見て、エルザは咀嚼中のパンを飲み込んで肩をガックリと落と
す。
 我慢の利かない自分の腹が、この時ばかりは心底憎かった。
「う、うぅ……、やればいいんでしょ、やれば」
 了承が得られたことで、アニエスは満面の笑みを浮かべてエルザの両手を握る。
 こうしてエルザ達は、アルビオンによるトリステイン侵攻という、歴史の一幕を飾る出来事
の端に名を連ねることとなったのだった。


 風の音を耳に聞いて、暗い場所にあった意識が持ち上がる。
 最初に感じたのは寒さだった。

336銃は杖よりも強し さん:2009/06/03(水) 00:06:19 ID:Y8wHn2HM
 背中が心許無く、感じられるはずのものが感じられない。隙間風に晒されているかのような
感覚だ。瞼の向こうは青色が広がっていて、暗いような明るいような、なんともいえない色が
透けて見えている。
 徐々にはっきりとしてくる意識に導かれて目を開いてみれば、そこには鮮やかな青い鱗に覆
われたシルフィードの背中があった。
「んん?なんで俺……」
 体を起こして、才人はぼんやりとする頭を振る。
 寝起きだからかもしれないが、しっかりと物事を考えられるほどに意識は鮮明さを取り戻し
てはくれない。曇りガラスを通して世界を見ているような気分だった。
 その感覚のまま顔を上げて最初に見つけたのは、白いローブの背中だ。土汚れに血の跡が少
しばかり混じるそれは、コルベールのものである。
 しかし、頭頂部の禿げが、何故か薄い髪に覆われていた。
 自分の肌に合う発毛剤でも見つけたのだろうか?それにしても、伸びるのが早い気がする。
 シークレットブーツという商品は、靴の底を定期的に人に気付かれない速さで厚くしていく
ことで身長が伸びたように錯覚させる手法がとられている。コルベールの頭も、その方法を転
用して、徐々にカツラへと移行しているかもしれない。
 本人は禿げを気にしているのだろう。なら、それを指摘するのは男のやることではない。
 才人の起き出した気配を感じてコルベールが振り返った時には、既に才人はコルベールの頭
部に関する情報を胸の内に封じていた。
「おや、目が覚めましたかな?ふむ。しかし、医者の話では極度の貧血だそうですから、眠気
は残っていると思いますが……、あまり無理はしないように」
「医者?あ、そういえば、背中が痛くない」
 コルベールの言葉を聞いて、才人は背中に手を回し、自分の肌を少し無理な体勢で触れてみ
る。普通なら邪魔になるはずの衣服は、斬られたり焼かれたりで穴だらけになっていて、捲り
上げる必要さえ無かった。
 普通の肌と少し感触が違うのは、火傷の跡が残っているからだろう。魔法でも、既に形が安
定してしまった部分は治しようが無いようだ。しかし、斬られた分の傷は綺麗に治り、触れて
も痛みが走るようなことは無かった。
「その分では、とりあえず怪我については良さそうですな。さて、避難の間に気を失ったとだ
け聞いているので子細に詳しくはありませんが……、どこまで覚えておりますかな?」
「え?えーっと、タルブの南の森?から移動を始めて、シルフィードに乗って……」
 そこで才人は言葉を止める。
 アルビオン軍の竜騎士隊との戦いが終わってから、避難を始めて以降の記憶が無いのだ。
 キュルケ達と合流したあたりで曖昧になった記憶は、繋ぎ合わせたように今に直結していた。
「記憶は、そこで途切れてる」
「では、聞いたままのようですな。ならば、学院に到着するまで時間もあることですし、少し
だけ説明をさせて頂きますぞ」
 そう言うコルベールに才人は頷いて、背後を一度振り返った。
「……眠ってる」
「長旅で疲れていたのでしょう。最後は風邪を引いて、戦争にまで直面している。暫くは眠ら
せてやってください」

337銃は杖よりも強し さん:2009/06/03(水) 00:08:42 ID:Y8wHn2HM
 才人の後ろに並んで、キュルケ、モンモランシー、ギーシュ、それにマリコルヌが瞼を閉じ
て寝息を立てている。少し寒いのか、キュルケの下敷きになっているフレイムやギーシュの抱
き枕と貸したヴェルダンデが、モンモランシーやマリコルヌの抱擁による圧迫を受けて窮屈そ
うにしていた。
「タバサとシエスタは……?」
「ああ。二人はミス・ロングビル同様、家族が心配だということで現地に残りましたぞ。元々
ミス・シエスタは休暇でタルブに帰省する予定でしたし、タルブには、ミス・タバサのご家族
やミス・ロングビルの妹君も滞在なさっていたそうですからな」
 本人達からはもっと細かな事情まで聞いているが、その内容からあえて詳細を語らずに、コ
ルベールは学院に帰還するはずの三人が居ないことだけを告げた。
「でも、戦争が始まったんだろ?じゃなくて、始まったんですよね?なら、安全な場所に連れ
て行かないと……」
 年上で教師でもあるコルベールに対する口の利き方を少しだけ修正して、才人は友人の安否
を気遣う。それに対して、コルベールはどこか寂しげな表情で口を開いた。
「残念ですが、ご家族までシルフィードで運ぶ余裕はありません。それに、この国にはもう安
全な場所などありませんよ。……軍は、背水の陣を決めているようですからな」
 ラ・ロシェールで見た難民の避難を二の次とした行動を思い出し、コルベールは少しばかり
表情を苦くした。
「背水の陣って、後が無いって奴ですよね?なんで!?戦争はまだ始まったばかりじゃないで
すか!」
「始まったばかりですが、主要な軍艦を全て失ってしまった。さらに港であるラ・ロシェール
まで奪われれば、トリステイン軍は空に対して無防備になります。そうなれば、後はもう敵の
思うがままでしょう」
 軍艦から浴びせられる砲撃は、どれだけ戦力を集めても簡単に蹴散らされてしまうほどの威
力がある。親善訪問と称したトリステイン艦隊への奇襲は、空を制する意味では圧倒的優位を
作るのにこの上なく有効な手段だった。
 それによって周辺国の信頼の一切を失うという代償から目を瞑れば、だが。
「そんな簡単に後が無くなるなんて……、よく今まで無くならなかったな、この国」
「なんとも手厳しい意見ですな。しかし、言い訳になりますが……、不運が重なりました。指
導力ある王は不在。軍事的に友好国であったアルビオンは瞬く間に制圧され、抱えた内憂はこ
こ十数年で大きく進行しております。これまで国を保って来た有能な軍人や貴族は、先の戦乱
で己の身を祖国の土としてしまいましたからな。その後の平和ボケもあるでしょう。これとい
えるような豊作もありませんでしたから、横領と数字の水増しで逼迫した国庫が軍備の拡充と
いう選択肢を与えてはくれなかったのですよ」
 言葉にしてみて、コルベールも酷い国だと思ったのだろう。表情を歪めて、なんとも口惜し
いとばかりに奥歯を強く噛んでいた。
「しかし、どうにも踊らされている気もします。王の不在を突いた諸外国の目に見えない攻撃
に、今回の軍事侵攻。ガリアやゲルマニアの煮え切らない態度と、ロマリアの静観。六千年続
いていた王家の一つが倒れたにしては、余りに静か過ぎる。……まあ、私は政治に関しては素
人ですからな。この状況を説明するのに、陰謀説なんて稚拙な論説を持ち出すしかないのが悔
しい所です」

338銃は杖よりも強し さん:2009/06/03(水) 00:10:16 ID:Y8wHn2HM
 そう言って、コルベールは後頭部のむず痒さを指で掻く。
 コルベールの考えは裏付けのあるものではない。的を得ているのか外しているのか、自身で
も判別のつかないような話である。
 しかし、今のトリステインの問題が致命的な指導力不足なのは事実だ。王家は、伝統と、血
筋と、威光をもって貴族達の怠慢を指摘し、態度を改めさせる必要があった。しかし、王妃マ
リアンヌは王の死の後はずっと引き篭もったまま表に現れず、アンリエッタ王女もお飾りを続
けている。マザリーニ枢機卿一人では、貴族を従わせるに足る権力がないというのに。
 先王の急死による、次代の王が現れるまでの混乱期。それに漬け込んで他国がトリステイン
に魔の手を伸ばすのは、非合理的とも不自然とも言い切れないだろう。
 良くも悪くも、トリステインは大国に挟まれた弱小にして豊穣の国である。陰謀説を鼻で笑
えば足元を掬われる、というくらいの認識はあって然るべきなのかも知れない。
「俺、そういうのはよく分かんね、……ない、です」
「無理に分かる必要はありませんぞ。貴方の倍は生きている私にだって、分からない問題なの
ですからな。いやはや、世の流れというものは単純なようでいて複雑、複雑なようでいて単純
と、先人は愚痴のように繰り返したものです。しかし、何もかもを知らぬままにしておくのは
愚者のやること。考えるだけ考えて、分からなければ疑問として残しておくのが、個人の出来
る精一杯なのでしょう」
 野心と欲望が錯綜する世界なんて、安易に立ち入るものではない。何があるかを想像するこ
とで世の中の流れを自分なりに解釈し、自分の信じる道を進む。
 人一人に出来ることなんて、その程度だ。
「……やっぱり、よく分かんねえ」
 今まで考えたことの無い、国という枠組みの中にある様々な苦悩。それを突然聞かされたと
ころで、才人には原稿用紙一枚分の感想さえ書けそうになかった。
 世の中というものは、自分が思っているほど単純ではないらしい。
 才人の理解が及んだのはそれだけであり、コルベールが才人に理解して欲しかったのも、そ
の程度の話であった。
「さて、話している間に説明する予定だった殆ど内容を喋ってしまいましたので、適当に纏め
ますぞ」
 雑談の間に説明するべきことの裏話が出てしまい、話の道筋を崩したコルベールは、タルブ
から避難を始めた以降のことを口早に語った。
「避難民は無事にラ・ロシェールに到着しました。それと殆ど同時に、アンリエッタ王女率い
るトリステイン軍も現れまして、現地住民の避難と平行して街の要塞化が始まりました。私達
は一時的に軍の方に身柄を収容され、簡単な質疑応答の末、解放。義勇軍を立てるということ
でしたので、参軍の勧誘もありましたな。その後です、ミス・タバサやミス・シエスタが学院
に戻らず、ラ・ロシェールに残るとミス・ツェルプストーに伝えたのは」
 義勇軍に参加しようとしたギーシュは直接聞いていないそうだが、シエスタの家族からも挨
拶があり、旅の終わりを告げられたらしい。ラ・ロシェールは戦場になるからと、キュルケや
モンモランシーは才人と同じ意見を出してシエスタに学院に戻るように訴えたのだが、先にコ
ルベールが言ったように、シルフィードの運送能力には限界があるし、何処へ逃げても結局は
戦火から逃れられはしないからと、シエスタは家族と共に居ることを優先したという。

339銃は杖よりも強し さん:2009/06/03(水) 00:11:18 ID:Y8wHn2HM
 説得を諦めたキュルケ達は、軍付きの医師に才人の治療を頼み、それが終わるまでの間にコ
ルベール達と合流した。ミス・ロングビルが現地に残ることを伝えたのは、このときだ。
「そうして、ミス・タバサ、ミス・シエスタ、ミス・ロングビルの三人と別れた私達は、こう
して学院への帰還の途についている、というわけですな」
 ちなみに、ギーシュは病み上がりと言うこともあり、戦場に病気を持ち込まれるのを嫌った
義勇軍の担当士官に追い出されて、参戦は見送りとなったらしい。当然、他のメンバーも同様
の理由で義勇軍への参加は拒否されていた。
「……?コルベール先生は義勇軍には参加しないんですか?」
 コルベールは風邪を引いてはいない。なら、軍に参加する条件は満たしているということに
なる。
 ギーシュやキュルケは武門の生まれのせいか、戦争に関係する話には意外と熱を持って話を
する。臆病な所のあるマリコルヌでさえ、いつか戦功を上げて出世をするのだと息巻くくらい
だ。
 貴族というものは総じて、そこに戦争があれば見栄と功勲稼ぎと誇りを持って、恐れなく参
戦するもの。
 そんな風に思い込んでいる才人には、コルベールがラ・ロシェールに残らなかった理由が分
からなかった。
 才人の問いかけから少しだけ時間を置いて、コルベールは言うべきかどうかを悩んだ末に閉
じた口を開いた。
「私は、争いごとは嫌いでね。タルブでの事だって、力を持たない村人や生徒達を守るという
理由がなければ、杖は握らなかった」
 コルベールの考え方は、トリステインでは臆病者と罵られてしまう類のものだ。女子供なら
ともかく、それなりの年齢に達した男子が語ることではない。
 その信条が色々と事を荒立てた事も有ったのだろう。へえ、と息を漏らしただけの才人にさ
え、コルベールは情けない表情になって肩身を狭くしていた。
 だからだろう。訊いてもいないのに、コルベールは今の信条を得た理由を言い訳のように語
り始めたのは。
「火のメイジというものは、何処へ行っても戦う力ばかり求められる。火は破壊に用いられる
ものだって常識があるんだよ。でもね、私はそうは思いたくない。火は破壊以外の、別のこと
にも使えるはずなんだ」
 才人は、宝探しの旅に出る前のコルベールの授業で“愉快なヘビくん”という、エンジンの
出来損ないのようなものを見たことを思い出し、コルベールのやりたい事を理解する。
 地球で言う、蒸気機関車だとか、クルマだとか、そういう人の役に立つものとして火を扱い
たいのだ。
「だから、戦わない……?」
「私には私の戦いがあるというだけのことだよ。争いそのものを否定するつもりは無いし、火
を破壊に使うなとも言わない。ただ、世の中の人々の視野がもう少しだけ広くなってくれたら
と思うんだ。本当に、それだけなんだ」


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