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架空戦記系ネタの書き込み その172
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このスレは単発ネタも含める関係上、スレタイトルを『中編以上のネタの書き込み【架空戦記版】』から改名いたしました。
そのため単発ネタもOKとなりました。
ですので、単発・連載・嘘予告等を問わす、ミリタリー分多めのネタは、こちらに書き込んでください。
※例:史実準拠の歴史を歩む世界への転生・介入等
憂鬱世界内でのネタ、漫画・アニメ・ファンタジー等の別世界への転生・介入等は、『ネタの書きこみ』へどうぞ。
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その他個別ネタスレがあるジャンルは、個別ジャンルのネタスレへどうぞ。
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投稿にあたってはマナーを守り、常識の範囲内でお願いいたします。
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また、ウィキに搭載しても良い場合は警告の時に一緒に供述してください。またこのSSに限り何か禁止、許可したい場合なども警告に一緒に供述してください。
8.他作者の二次創作関連の話は慎重に取り扱いましょう。荒れる可能性が高く、他作者のファンの皆様の機嫌を損なう可能性があります。十分気をつけましょう。
9.産業作品や他作者の二次創作関連も含め、批評などは「きちんとした理由」なしに書き込まないようにしましょう。
元々二次創作などは炎上しやすく、些細な事でここの掲示板に多大な迷惑をかける可能性が高いです。そこら辺もよく考えた上で書き込みましょう。
10.新規SSを投稿する際には議論の混乱を避けるため2015年時点で最も議論されている戦後夢幻会世界か、そうではない全く別の作品かを明記しましょう。
11.戦後夢幻会世界についての新規SSを投稿なさる際には議論の混乱を避けるためにひゅうが様・yukikaze様のルートがベースか否か、又はお二方とは異なるルートかを明記しましょう。
12.みんなで仲良く話しましょう。
※前スレ
架空戦記系ネタの書き込み その171
>ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/9191/1789202557/
架空戦記系ネタの書き込み その170
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架空戦記系ネタの書き込み その169
>ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/9191/1786281760/
架空戦記系ネタの書き込み その168
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架空戦記系ネタの書き込み その167
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架空戦記系ネタの書き込み その166
>ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/9191/1783252592/
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>>940
クソミソに貶したくなりますね
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>>947
ぶっちゃけ今の朝鮮で日本から独立したいと思っている朝鮮人って少数派ではとなる。
本土の発展の恩恵で朝鮮も連動して経済成長しそうだし。
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>>952
というより、npcの投資先が挑戦半島から東北になってなかったか?
海軍の救済に
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徳川夢幻会の幕末
攘夷論の台頭
1850年代、中国でも日本の地位低下、諸外国との協調政策、アジア各国の植民地化を見た一部武士や民衆が「大アジアを解放して、日本主導のアジア秩序を構築する」という思想を抱き、攘夷派となる。
攘夷派は主に欧米企業や欧米人を標的としたが、一部は日本至上主義を掲げるように。
1856年
アロー戦争勃発
日本は英仏側を支援し、勝利後三港と福建の永久租借権などを獲得。
この戦争で戦艦扶桑と大和が出撃、近代的戦艦の登場に欧米海軍は「フソーショック」を起こす。
天津条約締結
1860年
桜田門事件
桜田門で一部浪士が事実上清を食い物にして日本の大陸地位を下落させる天津条約を承認する、アメリカと太平洋分割に関する交渉をするなど親欧米派だった大老井伊直弼を強襲。
しかし、警備の同心が立ちはだかり戦闘となった末に失敗。
↓
1861年
ポサドニック号事件
対馬にロシアの軍艦ポサドニックが来航して対馬にロシア軍基地建設の領土割譲を要求。
すぐに幕府水軍が出動して追い払う。
↓
1862年
坂下門外の変
攘夷派が欧米との領域交渉を進めていた外務奉行安藤信正を襲撃して暗殺。
↓
1864年
猪名川の戦い
攘夷派公家の復権と攘夷のために攘夷派長州軍が上洛を開始。
阻止のため幕府軍が猪名川沿いに展開、撤兵交渉が決裂したため幕府軍が強襲、撃破。
一連の事件で長州軍は主力がほぼ壊滅。
さらに幕府軍指揮の周辺各藩が動員されて退路が消滅。
上洛責任者が切腹、藩主は蟄居として次期藩主は直ちに江戸に向かい、江戸屋敷待機とするなどの処分を行う。
この際に反攘夷派市民をまとめていたのが高杉晋作以下の奇兵隊などである。
↓
1868年
大政奉還、明治政府へ移行
領土は変わらず、政治の中心が天皇より権限を委譲された江戸合議会に移行。
合議会議長を将軍が務め、大老・老中・参与・関白など19名の合議による政治を行う。
この組織の下に旧幕府の各奉行が。
1869年
ホノルル協定
太平洋を日付変更線をラインにアラスカとハワイを例外として東西を日米で分割する協定。
現在まで続く日米関係の基礎。
ハワイ王国併合
ハワイ王国が幕藩体制に参加。
樺太・カムチャツカ交換条約
ロシアと樺太とカムチャツカを交換する条約を締結
↓
1870年
第一回帝国議会
合議会を拡張して「全公家及び藩主と高家」に拡大したもの。
選挙による両院議会へのつなぎ的な組織。
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1879年
第一回帝国総選挙
↓
1880年
第一回帝国両院議会
↓
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>>954
乙です。こちらも30分頃に、1本投下します
最初にいっておきますが、ギャグです
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徳川夢幻会支援ネタ
【私家版】 覚王山 転法輪院 日釈寺縁起「前史」 (または水戸黄門はいかにして辻斬りするのをやめて日本仏教を卒倒させたか)
1.一切経編纂事業
――幕政期初期から江戸幕府において宗教政策、特に仏教勢力への対処は神経を使う事業であった
それ以前に延暦寺焼き討ちや石山本願寺破却などで宗教勢力からの武力の剥奪が進められていたとはいえ、一向一揆やキリスト教勢力に与した奴隷貿易への関与などの諸問題は江戸幕府にとっては特に「暴力の独占」という面で問題が多すぎたからである
だからこそ京都本願寺の継承問題に介入することで本願寺勢力は東西に分割されていたのだし、黒衣の宰相とよばれた天海大僧正を用いて初代徳川家康の東照大権現の神号を賜るなどの神格化が進められていたのだともいえる
そうした宗教政策の中でも幕府が大いに懸念していたのは、実は日本古来の神道であった
神仏習合、あるいは神仏混交といわれる形で仏教勢力とゆるやかに一体化していたとはいえ、京都の朝廷と結びついた後で過激化すれば何が起こるかは火を見るより明らかだったからである
そこで幕府は初代家康の時代から、仏教ならびに神道の教義の体系化を名目とした根本的な統制に着手していたのであった
しかしここでとられたのは後世でいうところの間接アプローチであった
欧州において猖獗を極める宗教戦争を見てもわかる通り、無理に教義を一本化してしまえば「異端者」が生まれる
江戸幕府は逆に、現世権力たる幕府および朝廷を利用することで「宗教勢力そのものの分断のために教義を深掘りする」ことで「調停者として振舞う」ことを意図したのである
とはいえ、幕政時代初期は統治機構の整備と軍事に加えて経済的な再編が同時進行で進められていたことから国家事業としての宗教政策を行うにはあまりに手が足りない
そこで白羽の矢が立ったのは、江戸在府でありつつもある程度は外部でもあった水戸徳川家であった
(駿河大納言家はさすがに距離がありすぎた)
幕閣にとって都合のいいことに水戸徳川家の初代当主 徳川頼房は若年期は行状があまり宜しくなかった影響からか、あるいは水戸家の近くに存在する鹿島神宮からの精神的影響からか仏教に対して一定の反感を持っていた
その上に親藩かつ江戸にごく近いことから家格は高いのに土地の生産能力は表の石高との乖離(これ自体は幕府により一大資金源たる東関東の水運が統制されているという事情もあった)が発生していたことから「鬱憤をためて苛政に走るなら別の熱中すべき仕事を与えておく必要があった」
少なくとも忙しいうちには、余計なことを考える必要はなくなる
こうした思惑のもと、第2代将軍徳川秀忠は水戸徳川家に対して幕府の権威強化のために生前の父家康が発願していたという「古今一切経および和訳の編纂と刊行」を命令
すなわち、仏教における過去から現在までの全ての経の校訂を行い、正しい日本語訳された版として刊行せよ、ただし神君家康公の権威強化をしつつという命令である
内心はともあれ藩主頼房もこれを受け入れたことから、公式に徳川家の事業を委託される形での仏典および日本古来の神道の研究が開始されることになったのであった
これに伴い、水戸徳川家は江戸在府が伝統となる
(※これにはいわゆる水戸学の発展に対し監視をつけるためという裏事情もあった)
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幸いにも史実と異なり、江戸幕府は外に対して開かれていた
紆余曲折を経て李氏朝鮮との国交の公式な回復(それ以前から釜山をはじめ日本側が分捕った領土はあったがそれがために朝鮮側の隔意は激しかったためここまで遅れた)を経ての「高麗版大蔵経」「宋元版大蔵経」の招来を実現することができたのであった
しかしそれを読むだけで仏教は成立しない
三蔵、すなわち経・論・律が必要である
仏教において、経とは仏説、すなわち釈迦が説いた教えであるとされる
同じく論とは、これら経典の注釈書である
律とは教団の運営規則であり戒律のことである
これらは長い歴史のうちに「いつのまにか生まれていた各種経典を」学識に優れた多くの学僧たちが註釈して2000年以上を経ている
このため記述には相矛盾するものが多々あり「あちらを立てればこちらが立たず」といった具合となっている
このため、首尾一貫した論理体系として記述を取捨選択する校訂作業を経て生まれるのが「大蔵経」といわれる「一切経」すなわち釈迦が生涯に説いたすべての教えなのである
この作業は仏教の先進地域であった大陸においても古くから行われており、水戸藩はこれらの事業の成果を引用しつつ日本国内の各宗派の教えに基づき校訂作業を行うだけでよい――はずだった
このために大蔵経のうち最も完成度が高いと称された高麗版と、それ以外の版を取り寄せたのであるが、これが大きな間違いの元であったのである
2.苦闘のはじまり
前述したように、この世界の日本は比較的に世界に対して開かれていた
このため、史実においては中国大陸にまでは到達しつつもその後の政治情勢もあって日本列島には招来されなかった経典が多数存在することが知られていた
さらには南方進出に伴い、当時は小乗仏教といわれていたインドから伝わった仏教の一宗派、上座部仏教の存在も知られ始めていた
さらには元朝(モンゴル帝国)が帰依した密教経典がはるかインドから直にチベットに伝わっていることが、大陸の後金(のちの清朝となる)の情報収集によって知られるようになっていたのである
日本における仏教は、いわゆる大乗仏教といわれるものである
経典自体は、遣唐使の終了までの時代、すなわち8世紀頃までのもので止まっており、さらには各種大蔵経自体もこの大乗仏教のうち「中期密教」といわれる7世紀頃までの時代のもの以外は切り捨てられた形として今に伝わっていた
これら経典群は本家であるインドから5世紀頃までにヒマラヤ山脈を越えて中央アジアを経由し中国本土へと伝わったものをもとにしている
これを「北伝仏教」という
対して、インドから南方のカンボジアやタイを経てインドネシアやベトナムへと根付いたものを「南伝仏教」と呼び、これらは個人的な悟りをあくまで重要視する立場であった
さらにややこしいことに、ヒマラヤ山脈の険しい峠道を挟んだ向かい側にあるチベット高原には「7世紀以後も13世紀のインドにおける仏教滅亡までに生まれた経典群が伝来している」これを体系化したのがチベット仏教である
13世紀にイスラム教徒による徹底した破壊を受けてインド本土では仏法は完全に滅んでいた(正確にいうならヒンドゥー教との区別が難しくなり同化されたものは残存し、ごく初期に釈迦と訣別しつつもその基本的な目標を同じくするダイバタッタ系修行僧の集団自体は19世紀頃まで存続を確認されている)
と、なればこれらの経典群、とりわけチベット仏教系経典群と、長い歴史のうちに不完全に伝わっていた大乗仏教と異なり首尾一貫した三蔵が完備されているという南伝の上座部仏教系経典群との比較検討が必要というのが自然の流れとなる
歴史はこの情報の到達をもって、水戸藩の200年にわたる苦闘が開始されたという点で評価が一致している
水戸藩第2代藩主の徳川光圀は、初代頼房の三男ではあったが、正室の子ではなかった
それどころか正式な側室の子ですらなかった
そのコンプレックスのため藩主を相続するまでの行状はお世辞にもよろしくなく、旗本奴たちと徒党を組んで暴れるわ、辻斬りに精を出すわと戦国の気風が残る中でもいわゆる問題児であった
そんな彼が藩主を相続したのであるから自分の存在意義のために父が進めていた一切経編纂事業にも気を配るのは当然であった
これには藩主相続前に鬱屈していた頃に生臭坊主と聞く僧の辻斬りを図ったところ、逆に戦国の世を渡って来た高名な武芸者上がり(※某転生者である)であったことから逆に叩きのめされて生涯の師として心服してしまったという有名な話が共通して伝わっているが、少なくともある時期から彼が熱心に学業に励み始めたこととあわせて事実である
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閑話休題
こうして江戸在府のままで各種文献に気を配り始めた光圀は、大陸から招来した経典のうちに衝撃的なものを発見する
後世、「秘密集会タントラ」と称されるそれは、インド本土において「後期密教」といわれるヒンドゥー教の要素が強まっていきついにはほとんど互いの区別がつかなくなっていく時期に創造された経典であった
漢訳名を「一切如来金剛三業最上秘密大教王経」とも称するが、このときもたらされたのは名もなき僧により訳された別訳完全版であった
内容は極めてアブノーマルである
それまでも、弘法大師空海が招来し、「煩悩即菩提」すなわち、それまで煩わしい悩みであり克服すべきもののはずの性的エネルギーを悟りへ転化させるエネルギーに変えるという経典は存在していた
だが、あまりに赤裸々なそれは、辛うじて漢訳されていたこともあって大陸との交流再開に伴ってはじめて持ち込まれていたのだ
「なんだこれは」
それが、光圀をはじめ、編纂と校訂作業に携わる藩士たちの最大公約数であったことだろう
同時に、南伝仏教の各種経典群も入ってくる
これらは後世の校訂もあって首尾一貫していた
「ならば、今までの日本仏教は、大乗仏教は偽物ではないのか?」
こうした悩みに囚われた光圀は、一時的に仏教信仰から儒教や朱子学などへ逃避しようと悩んだらしいが思い余って「人生の師」に相談をもちかける
師は、普段の適当さとは打って変わって真摯に悩みを聞き届けたあと、こう言ってのけた
「そんなに気になるのであれば玄奘三蔵法師と同じくすればよいではないか」
実のところ、過激な神道主義や水戸学がさらに過激化しては史実的な意味でかなり困るから焦った本人の口をついて出た言葉であるのだが、そんなことなど光圀は知らない
彼に、そしてまだまだ信仰深い水戸藩士たちにとってそれは天啓であった
くり返すが、日本は閉ざされていなかった
語学が正確でなく、別の意味になっているのかもしれぬ
船は大洋を駆けてはるか西洋にまで至ることもできる
そして、はるか1000年の昔、玄奘三蔵法師は徒歩にて天竺に仏法を求めて帰って来たではないか
もしかしたらさらに他の経典が眠っているかもしれないし、それを論じた名も知れぬ高僧がいたかもしれぬ
水戸藩が溢れんばかりの情熱をもって、海外への探検に乗り出したのはこれが理由であった
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3.発見の時代fromジパング
若き徳川光圀が半分イっちゃった目で懇願する様子に、第3代将軍徳川家光は若干どころではなくドン引きしたらしい
だが後世最良の3代目といわれるリアリストであった家光は国益の点からも海外に出ての仏法探求に許しを与えた
ついでに明清交代期であることから風前の灯火状態にあった南明からの知識人を亡命させるという任務を与えて海外へ送り出す
ついでに国内でくすぶっていた牢人(浪人)たちを棄民同然に送り出しつつ、「早くくだばらないかなぁ」とか思っていたらしいが、歴史に名を残すネームドはしぶとかった
「タスケテ!タスケテ!」といいまくる南明から色々かっぱぎつつ、ついでに成立当初の理知的な論理をかなぐりすててほとんど中華思想そのものと化していた朱子学に幻滅
なんとマラッカ海峡をこえてカンボジアまで初手で到達したのである
おまけにアンコール遺跡まで発見した
「やったぜ祇園精舎を見つけた」
とありがちな間違いをしたらしいが、
「まだインドについてないですよ」というツッコミを受けてショボーンとなってから帰国した彼は色々な「お土産」を持ってきていた
ついでに「こんな大陸にいられるか!俺は東に逃げるぞ!」した明国人も大量に引き連れて
起こったのは、熱狂だった
以後1世紀以上の探検ブームが発生し、ついでに太平洋の各地に日の丸と葵の御紋が翻ることになるのであるがそれはそれとして日本国内の仏教界は大量の外国語仏典に嬉しい悲鳴を上げることになる
ついでに語学の重要性から色々と影響もあったがこちらも割愛する
さらに若き英傑が波濤を越えた英雄譚を聞きたがった各地の藩主たちが光圀を招待したことや各地の寺社へ資料を快く分け与えた史実をもって後世「水戸黄門漫遊記」が成立することにもなっている
都合15回にもわたった海外渡航にあって光圀は、東はティモール島(帰途にボロブドゥール遺跡を発見)まで
西はなんと欧州のローマにまで到達、ローマ教皇に謁見している
さらに北方では、清朝皇帝に大ハーン位禅譲後のモンゴル高原カラコルム遺跡をはじめモンゴル仏教寺院をまわって最終的にチベット高原で念願のチベット仏教各種経典群をゲットすることに成功した
なお、帰りに江南ルートを通ったことから三藩の乱に巻き込まれて北京に連れていかれているが卓越したコミュニケーション能力で清朝第4代皇帝にして稀代の名君たる康熙帝とマブダチ(師に教わったらしい当時最新の日本語である)となって帰って来てもいる
異能生存体かよ、と第5代将軍徳川綱吉がいったかどうかは定かではない
とまれ、光圀が巻き起こした熱狂が狭い日本に住み飽きた連中を海外へ駆り立てたことはいうまでもない
史実より10年あまり長生きした光圀は1715年に没することになるが、その最期は多くの弟子――という名のファンに囲まれた賑やかなものであったという
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3.混乱、そして…
徳川光圀が招来した各種経典類や資料群は、質量ともに当時の世界最高水準のものであった
なんとなれば、敦煌から持ち帰ったソグド語文書だけでなくかつてチンギス・ハーンに滅ぼされた西夏関連資料まで混じっているのだから当然だろう
そしてそれらを苦労して解読しつつ分析した半世紀の間、仏教界は揺れに揺れることになる
昨日の定説が今日はまったくの虚偽となり、明日はまた否定されるような状況なのだ
物理的な殴り合いは日常茶飯事で、刃傷沙汰になることもしばしばであった
こうしたことから江戸幕府は当初の姿勢を転換して寺檀制の強制を諦めて寺社同士の暴力を阻止することに力を注ぐ羽目になる
そうした中でひとつの結論が導き出された
「これ、全仏教国で話し合った方がいいわ」
宗論ばかりやっていてさすがに(本国に限っては)太平の世の民衆に白い目で見られ始めていた仏教界は、疲れ果てていた
もうどーにでもなれ
もはやチベットのダライ・ラマ6世(この人も大変イイ性格をしていたらしい)の厚意で提供されたチベット語文献から還梵(直訳して古い形をなるだけ残していたチベット語からサンスクリット語へ戻す作業)したものと、南伝大蔵経のパーリ語仏典には既に大きな差が出ていた
それぞれの前後関係を確認するだけでもとてつもない労力が必要となったのだ
さらにこれに、モンゴル帝国のパスパ文字にうつされた経典や、敦煌文献、さらに西夏文字文書だけでなく契丹文字による経典や論蔵まで加わっている
大混乱は必至であった
こうして、第8代将軍徳川吉宗の呼びかけにより、「第5回仏典結集」(南伝仏教においては第4回仏典結集が行われたことになっていることからこれに配慮した)の意向がアジア各国に伝えられた
いわゆる「三世の春」にあった清朝第6代皇帝の乾隆帝は、厨二病もとい「十全老人」に加えてチベット仏教における菩薩王を自称していることから東夷がデカい顔することにちょっとイヤな顔をしたらしい
しかし舞台を日本がゲットしたばかりのセイロン島にするということで妥協が成立
あわせて、幕府はすっかり賢者モードに入り本の虫と化していた水戸藩にかわって「この際だから釈迦の生誕地とか探そう」とインドに発掘隊を派遣することに決する
かくして――1770年、長い研鑽の果てに当時世界最高水準に達していた日本仏教学界と考古学界の総力を挙げた探索隊がインド亜大陸各地に散った
そして――ついにその時は訪れる
1787年、ネパール王国領内にてルンビニ園(釈迦の生誕地)発見
1810年、インド・ネパール国境地帯のピプラワにて「真の仏舎利」発見
釈尊ことゴータマ・ブッダの実在が証明された
その時、歴史は動いたのである
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【あとがき】――と、いうわけで幕府の仏典結集事業の裏ではっちゃけた奴のせいで、日本仏教界と水戸藩が賢者モードに入っちゃった話でした
ギャグです
楽しんでいただければ幸いです
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※ちなみに書きそびれてましたがマラッカ海峡超えたあとで船が難破したあとは徒歩で帰ってくる途中でアンコール遺跡見つけてます
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乙です
黄門様なんかすげえことになってる…
外務奉行もしませんか?そこに欧州帰りの松平忠直様が後継者にいいっすねぇって顔して座ってますし
まあ「チベットとパーリ語とモンゴル系と高麗系と他色々で訳わかんないんだけど」ってなったら大変で一周回って投げようとするよね
明の悲鳴も秀忠が実は幕府初期に清(当時金)に行って直接交渉してるのでガン無視である(なんならいい感じに明弱めてってお願いされたから台湾奪って中国商船襲わせてる)
浪人たちも日本でバカやられるぐらいには植民者としていろんなところ行こうね
(実は秀忠が3代目で間に女の子しか生まれなくて嘆いてた信康がいるのだ…)
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なおこれらの発見で、「日本がほろぶ!日本がほろびますぞ!!」といっていた某宗派の皆さんもちょっとしょんぼりすることになってます
真言宗は真言宗で「生きていたのか立川流!?」「残念だったなぁ。トリックだよ」で大混乱してますけど
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ゴルゴタやイエスの墓はみつかるんだろうか?
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>>965
そこまでは手を出しませんなぁ
フランスさん他よろしく
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東北の方のやつかも…
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>>967
そりゃマズイ
ぱらいそが開いてしまう
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もしくは、ウルトラ五兄弟が張り付けされてるかもしれない
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乙
張騫と鄭和を足して二で割らない大冒険。
生臭い話でも仏典結集によるコネクションは、
イスラム海上通商連合・イエズス会通商連合・華僑通商連合に続く第四軸誕生となりますな。
「日本がほろぶ!日本がほろびますぞ!!」な某宗派はこれが戦国期の飯のタネだったので、
拗ねて不参加するとおまんま食い上げという。
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新人艦長さん乙です。
反攘夷派市民をまとめていたのが高杉晋作以下の奇兵隊という事は高杉晋作が学んでいた徳川夢幻会世界の吉田松陰は反攘夷派だったのかな。
長州藩は史実とは違い有力藩から転落しそうですね。
ひゅうがさん乙です。
徳川夢幻会世界での水戸黄門は日本国内どころか世界各地を歩き回る長寿番組になりそう。
そして水戸藩は史実とは違い穏健化したのか。幕末に暴走して内ゲバするような事は起きなさそうだね。
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ひゅうが様乙です。
黄門様が西遊記を為されておられる。
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乙。時代劇水戸黄門が海外ロケ付の超大作になっちゃうw
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乙です
実写映画が作られたらレイダース・マーチが流れてそうな黄門様だw
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>>970
そんなわけで、黄門様は全水戸的なヒーローとなっておりますw
史実でもデカい船作って蝦夷地探検とかしてましたから、こっちだとさらにはっちゃけました
>>971
宗論しまくる仏教各派の調停と校訂に走り回らされて、見事に賢者モード化しました
集団で過激化するヒマもないともいいます
烈公?自ら宗論に突っ込んでいくのに忙しいから寺の鐘から大砲作るなんて考えもしないんじゃないですかね?
>>972
言い得て妙ですなw
>>973
いやぁローマロケは大変でしたなw
>>974
実際、この時期のカンボジアは暗黒時代といわれてたり、明清交代期の大陸は似たような状況なんでw
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ちなみに、「覚王山 転法輪院 日釈寺縁起」には、もっともらしいことを色々書いています
それこそ、
・戦国の世で菩提心を起こした権現様
・一切経の再編集を発願した秀忠公
・悪を成していたところ、仏縁により改心した黄門様
・黄門様の求法の旅
・各地で仏縁を結び、招来される経典たち
・1800年ぶりに行われる仏典結集(大乗仏教側からすると2000年ぶり)
・仏跡探索によるルンビーニ園と、真の仏舎利発見
・真の仏舎利を世界に分配することにする決断
・日釈寺の建立
みたいな流れで感動的な物語となっております
裏事情を書いた身も蓋もないのが、この「私家版」ですw
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ちなみにアンコール王朝は貿易利権に嚙めるプノンペンに自発的に遷都して現在の王家に繋がってるという説が有力になってるとか。
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>>977
タイのアユタヤ朝とか、あのあたり色々ややこしいですからね
特に動乱の頃は
だから暴れん坊の頃の血の気の多い黄門様を送る必要があったんですね!
たぶん真面目に戻ってくるとは思ってなかったんではなかろうか…
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外務奉行松平忠輝晩年に「シャムの騒乱に首突っ込んだ」「カンボジアの揉め事調停した」「清から使節と一緒に帰ってきた」とか来たら死んじゃう…
外務奉行にして江戸から出さないようにできないか企みそう
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>>979
でも民衆の人気が極めて高いんで好き勝手に海外に行く模様w
次スレたててきます
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建ったよ!新鮮な次スレが!
>架空戦記系ネタの書き込み その173
>ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/9191/1791712712/
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>>981
やっとみつけたよ!私のすれ!
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立て乙です。
義経追討令よろしく黄門様を日本に連れ戻す早期警戒網として各国に大使館を開設することになったりして?
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>>983
めっちゃ民衆人気が高いんでそもそも奉行に任じられることなく漫遊してるんでないですかねw
一時的に任じられてもさっさと隠居して越後のちりめん問屋の御隠居を名乗り始める…おお繋がってしまったぞ!
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Q:大日本史どうすんのよ…
A:幕府主導で編纂するに決まってるだろJK(なお結局正史としては編纂されずに「大日本史料」として刊行)
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>>985
日本史編纂は幕府事業でも問題ないね
学問所主導で
植民地の地域史編纂事業もやらないと
立て乙です
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>>986
朝廷がからむと早期編集必須なんで、「史料は集めて読みやすく刊行するからあとは学者の皆さんお願いします!」するという名目ですなw
この世界だと蔦重が脚気にならないんで長生きして大量刊行してそうですわ
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>>984
徳川一門・譜代が大使として各国首都で待ち伏せてドナドナ狙うも、現地民に変装して突破したり追跡劇やってるイメージでしたw
>>985
正史として編纂するなら、形ばかりは勅許も欲しいですしね。
日本史だとどう考えても天皇のTOKUの一言じゃ片付かないので、農民から大名までの天下の総意で歴史は動くって史観になるとヨシ。
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>>988
裸の大将放浪記になってしまう!
ちょっと不満ためてた朝廷に、「真舎利見つけた」という天皇のTOKUを証明する一大慶事が起こって脳を焼かれるのですw
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フィリピンに関しては我々は史実でマニラで盛大に歴史資料バーニングしたから、せめてやらないと
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フィリピンはルソン島がむしろ田舎で南部がイスラム文明化されてんでしたっけか。
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>>985
水戸藩が大日本史を行わないとなると史実と比べて水戸藩の財政がマシになるかな?
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>>990
あとたぶんですが、史実以上に大商人になってた大坂の淀屋が一大スポンサーの座について旅をバックアップしてますな
独占禁止法のはしりで闕所になる前にグループを分割するとともに探検事業や修史事業に助力を惜しまなかったことにしときましょう
なので日釈寺建立時には分家になっていた各グループ企業(家)が多額の献金をしている――とw
よし、これで幕府側の負担も軽くなりますし建築費用の半分は一般庶民たちから出てる、というのに合致する
あと幕末の討幕運動の一大スポンサーが中立寄りになるw
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>>992
その分、苦労させられてますでしょうな
宗論やりまくる寺社間の調停に走り回らされるわ、自派優位に大蔵経校訂させようとする寺社からの賄賂を懐に入れる可能性のある藩士に目を光らせる羽目になるわ
あと光圀公が好き放題やった代償に寺社奉行のお手伝いさせられるわ…
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>>993
天武天皇「庶民にも功徳積む機会を分け与えるのが名君」
群臣「言いたいことは分かるが全部いっぺんにやるな」
大きな戦乱も災害も無い時ならいい政策なんですよな。
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>>995
ついでだ。いい気分になってるところの陛下に公式に肉食解禁していただきましょうw
浅間山噴火その他はベトナムその他からの米国輸入で何とかなりますし、基本的に江戸時代は飢饉も全体的に少なく成長期でしょうから
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>>996
米穀でした。失礼
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コシヒカリつくれるかな?
あとは、正常田とか、塩水選別とかできるとこから
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薩摩藩が平時からやってますな日本米輸出でタイ米輸入して、輸送費差っ引いても出る差額の利ザヤが藩財政の足し。
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乙です。田中芳樹先生原案の「黄土の夢」とは違う意味で壮大な黄門様の漫遊譚がw
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