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質疑応答・議論スレ69
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Twitterで三文字割腹の法が散見した理由が分かりました。
吟味所の落ち縁から三尺ほど離れた砂庭中央に筵四畳半を敷き、その上に畳二畳を敷いて藺表(畳表の薄縁)を重ねて蒔き砂をした場を用意。
暮れ六つなので百匁蝋燭の燭台を縁側に立て、座の左側に検視役三名が控え座の前にも箱提灯二挺を用意。
武市、牢内で垢つきの死体は見苦しいと擦り粉を使って入念に行水して白晒を巻いて浅黄色の紋付袴姿に絹帯に着替え、切腹を申し付ける御目付の間忠蔵に吟味所の中縁で平素通りの顔色で礼儀作法通りに受け答えをし、庭先の切腹の座に。
自らが介錯人に指名した親戚の小笠原忠五郎保馬と島村寿太郎に「御苦労」と挨拶してから、四方に乗せられている懐剣の鞘を払って刃をよくよく吟味して一旦四方に戻し、諸肌を脱いで帯を押し寛げ、懐剣に奉書紙の代わりに四方に添えられていた木綿の布(原文では切。もめんぎれ)を巻いて、上から小・中・大の横線を引くように三文字に割腹。
懐剣を右脇に置き、俯せに倒れる身体を両手を前について支えた瞬間、斜め後ろに控えていた介錯人両名が脇腹から斜めに六刀突いて絶息させたとあります。
介錯が通常の斬首で無かったのは、腹腔まで刃を通している場合は首が仰け反るので、通常の介錯では豊臣秀次や三島由紀夫のように顎に斬りつけてしまうので。
介錯人は通常の介錯の場合でも、切腹人がのたうち回る時には先ず心臓を一突きにして楽にし、それから首を落とすのが心得。
この場合は最初から三文字割腹だったので脇差による刺突で介錯だったと。
一人が三刀も刺しているのは、当時の懐剣や脇差など小太刀の刺突は一突きで終わらせず、まず三回は突くのが標準的だったので。
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