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日本大陸を考察・ネタスレ その151

149名無しさん:2019/05/06(月) 01:06:35 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
日蘭世界妄想 ジョルジュ=ビドーの憂鬱

1979年ウルグアイ東方共和国 首都モンテビデオ
「ここに我がウルグアイとFFRの友好条約を締結したことを宣言いたします。」
ウルグアイ大統領は上機嫌だった。ブラジル内戦後OCUの軍門に下ったブラジルとBC勢力圏になったアルゼンチンに挟まれたウルグアイにとって四大国の内唯一頼れるのはFFRだけだったからだ。
一方、フランス側の代表はにこやかな笑顔こそ浮かべていたが、その目は地獄の底のように暗かった。彼こそがジョルジュ=ビドー。現FFR大統領にして、後にFFRの作り手にして守り手と称される男だった。

「で、次はどこかね?」ウルグアイでの会談を済まし機上の人となったビドーが秘書官に不機嫌さを隠さずに告げる。
「はい、まずはこの後テキサスへと向かいテキサスとFFRの財界主催のアフリカ地域への投資について会合と先日テキサスから打診された次期主力兵器の共同開発の申し出に対する我が国からの回答についての話があります。
次に、エストシナでの駐留部隊への激励とセクトによる虐殺により犠牲となったフランス人たちへの慰霊祭への出席となっております。ああ、それから、そこの書類は…」
「分かっている。そこの忌々しい機械が吐き出したパリからの報告書の山だろう?すべて目を通しておくよ。」
「ありがとうございます。閣下。ボルドーでなくて申し訳ないのですが」そういうと秘書官は日本製の栄養剤を渡して退出していった。
「全く、君のせいだぞ。ムーラン。」
ビドーは懐から取り出した古い写真に向かって愚痴ると仕事へと戻っていった。

1945年 フランス パリ 某所
「よう、ビドー元気か?」
「まあ、そこそこかな。ムーラン」
第二次世界大戦終結から一年。フランス人の手に帰ってきたパリで深夜二人の男が会っていた。
ムーランと呼ばれた男はビドーの知人で、戦中は対OCUレジスタンスに脱走中国兵狩りとに活躍したジャン=ムーランだった。彼は左翼色が強すぎる、いわゆる極左だったため去年成立した臨時政府から密かに監視すらされていたが、ビドーはそんなムーランを思想的な違いはあるがともに苦難を乗り越えた友人として扱っていた。一方のビドーはというとそのバランス感覚を買われてフランス臨時政府の首相へと就任していた。(本人は半ばムーランの代わりに押し付けられたようなものと言っていたが)
「で、今日はどうだったんだ?」
「どうもこうも…また、『将軍』が怒鳴り込んで来たよ。今の状況では『将軍』の言う大規模な軍備拡張も強引な企業国有化による経済再建も不可能だと申し上げたのだがね。」
「その『将軍』だがな、どうやら『元帥』の後釜を狙っているらしいぞ。」
「バカな。たしかに『元帥』は体調不良が囁かれているがそんなことが…あの、イギリスに逃げた恥知らずどものお情けで将官なれたような男が、シャルル=ド=ゴールが、エストシナで住民兵士の区別なく心を砕き、中国人の暴虐にも屈せずエストシナを守り抜いた『元帥』フィリップ=ペタンの後継者だって?冗談じゃない。」
「俺だって納得してるわけじゃない。俺は革命家の端くれだがそれでも『元帥』のことは尊敬してる。だが、そういう噂は枚挙にいとまがないからなぁ」
「ムーラン、そんな事になったらこの国は…」
ムーランはビドーの言葉には答えず溜息をついた。
パリの夜明けはまだ遠かった。




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