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この人を弁護する!

1紋章官:2019/10/10(木) 20:41:45
台風接近中!くれぐれもみなさん、身の安全第一で!

さて唐突にはじめます、この人を弁護する!それというのも、今日のNHK-BSのプロファイラーで淀殿との事で、今、コミケ向けに
書いている冊子で淀殿について述べているので、それがプロファーラーの影響だろうといわれないように、放送前に急いで書きこむ
ところです。
よく悪女と言われます。北政所おねと争っただの、松丸殿京極竜子との杯争い、大坂城への固執、豊臣秀頼への溺愛と過保護。
しかし、これも彼女の前半生を見れば、いたしかたないといえます。はっきり言います。私は彼女は2度にわたる落城経験と
両親および養父や義弟、祖母など近親肉親が非業の最期を遂げたことで、精神的に深いトラウマを抱えていたと考えています。
それは肉親と居住場所への固執として現れたのが、大坂城と秀頼への執着だったと思います。
彼女は小谷城落城を少女の時に経験、下のお初は怖くても物事はわからなかった、江与は生まれたばかりで記憶もない、対して
彼女は物ごころはつき、何が起きているかわかっている。そこで母お市は保護者としていても、どうしても生まれたばかりの江与に
目が向き、状況がわからないながらも怯えるお初を守らないと、小さいながら保護する年上として意識が生まれたと思います。
次の北の庄城落城時は、完全に彼女が保護者としてお初と江与を守る役目を意識する。こうなれば、彼女に保護者意識が強く
はぐくまれるのは当然、一方で落城経験で居場所を失い、攻め落とした相手に身を寄せることになる肩身の狭さも経験、
肉親も城もあっけなく失われてしまう恐怖感を常に感じる事になったと思われます。
それは豪華で堅固な大坂城で贅沢な暮しを得ても、消し去ることはできず、かえって豪華な反動の虚無感や不安感、そして鶴松の
死後、秀頼が成長しても、この子もいつ死んでしまうかわからない、との考えにさいなまれていたと考えます。
そうなれば、秀頼への過保護が出てくるのも当然、大坂城に固執するのも不思議ではありません。
一方で彼女は大変、信心深かったとの話もあり、それは、そのような恐怖からの救いを求めていた表れとみて取れます。
そしてそれらを克服することができず、悲劇的な最後を遂げ、さらにそれらの行動が後世の誤解を生んでしまったものと思われます。
まことに不幸な事、としか言いようがありません。松丸殿との杯争いも、地位不安定の不安感がさせた行動とも見えます。
なかなか北政所おねのように、成りあがり者である事をありのまま受け入れ、気負わず、振舞うことは難しいところです。
それだけに北政所おねの器の大きさ(もちろん、彼女も木下長繡子への偏愛で失敗していますが)がわかりますが、淀殿はそんな
女性と比べられる環境だったことも不幸だったと言えます。
さてプロファイラーでは、どのように彼女を分析するのでしょうか?それではまた。

2紋章官:2019/10/25(金) 20:39:17
なんでまた豪雨なのか、ただ嘆くだけです。 さてこの人を弁護する。松永久秀。織田信長に将軍義輝弑逆、東大寺炎上などをあげつらわれ、現代まで悪名のイメージで語られますが、かなりこれは誤解によります。まず主君三好長慶の息子や弟の死に対しては無関係。いわんや病んだ三好長慶を操ったなどしておらず、また将軍義輝の殺害時は大和にいて不在、東大寺炎上は合戦の飛び火で計画的に攻撃したわけではない。近年の研究で彼は実務官僚の側面が強く、茶器でしられる茶だけでなく、連歌などに親しむ風雅な趣味人であったことが、判明しています。なにしろ俳句の先駆者松永貞徳は、子孫と言われるのですから。それでは。

3紋章官:2019/11/23(土) 13:01:46
雨の土曜日、肌寒いので引きこもり、ラジオをききつつ、原稿入力。コミケは落ちましたが、城郭模型推進委員会さんが当選されたので、店番と新刊頒布。さて、この人を弁護する!小早川秀秋。このあいだのプロファイルはおもし

4紋章官:2019/11/23(土) 13:46:02
雨の土曜日、肌寒いので引きこもり、ラジオをききつつ、原稿入力。コミケは落ちましたが、城郭模型推進委員会さんが当選されたので、店番と新刊頒布。さて、この人を弁護する!小早川秀秋。このあいだのプロファイルはおもしろかったですね。関ケ原の様子見は自分が決戦の帰趨を握っていることを承知した上で、それを見せつけるために焦らしていた、との解釈は新しかったです。この人、決して愚か者などではありません。むしろなまじっか賢い事で、自分の立場の不安定さが解っていて、また豊臣政権官僚団や小早川家臣団に不信感と恐れを抱いていたのでしょう。彼の行動、朝鮮での大将にあるまじき戦いぶりや、行動は自分をともかく認めさせたい、との焦りの反映にみえます。そんな彼は、天下分け目の大戦の鍵を握ることになる。ガンライ、彼も早くに東軍につくつもりが、島津義久同様、状況で西軍にはいってしまったところ。それだけに、東軍にまわるタイミングを慎重にはかっていたともみえますが、そこで戦況をみて、自分をより高く売ろうとの思いに囚われたとしても、おかしくありません。後から言うのは簡単ですが、その時、そこで一万五千という、指折りの大軍をもつ立場だったとき、あなたな〜ら、どうする?ですよ。魔がさしても、まよっても、なにもおかしくありません!いわんや、縁もゆかりもない他家にまた、二十歳程度の当主でいる。それだけにストレスも大変だったでしょう。このあと小早川家内部で、お家騒動もあり、かれを暗愚としますが、その前に宇喜多秀家だって、親から継承した家臣団との対立でお家騒動を起こしているのです。親から受け継いでもこうなのに、ただ秀吉の甥とのことで、小早川家にはいった秀秋のほうが、条件は厳しいのはあきらかです。それでいけば、この時、秀秋は家中に対しても誰が主君か示すためにも焦らす、むしろ追い詰められた精神的に興奮した中で、かえって、徳川家康や石田三成たち、自分より経験、才能、実力が遥かに上のものたちを手玉にとり、目の前では、日頃、自分をかろじんている重臣たちが焦っているのを、笑みをうかべて見ていた、自己陶酔になっていた、そんな本陣の様子が、おもいうかびます。そんなわけで、この人の立場をよく理解して、考えてあげるべきとおもいます。それでは


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