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日本国創世記

1ななす:2012/07/23(月) 23:55:53
おそらく史実とは違う将校がたくさん出てきます。
ほぼ架空なので気楽に見てください。
〜〜〜開戦準備〜〜〜
海軍と陸軍の共和実現の為には天皇に動いて貰う必要があった。
御前会議に出席後の天皇と話した石原は陸海軍統合本部の意見具申をした。
陸海軍の不縁や、ライセンスの二重取得などを言ったのである。
天皇陛下はその後厳しくそれぞれの上層部をしかりつけ、ついには完全に統合してしまった。
日本海軍も日本陸軍もない、日本軍として。
日本軍はすでに満州を占領し中国とも戦線を開き米国からハルノートを突きつけられている。
どのように防衛網を展開すべきか。激しく議論が行われた。
結果として、ゾビエト連邦と東亜細亜資源地帯占領に向けて動くこととし、対米戦は保留となった。
もし米国が宣戦布告しても、陸海軍共同の航空攻撃や夜間攻撃で決戦まで持ち込む自信が石原にあったからである。
中でも東条英機と対をなした石原完爾が勢力を伸ばしたのは大きかった。
三次元戦争、情報網の確立、、補給路防衛、新兵器の開発などを立案し、なおかつ実現させようとした。
開発を主眼に置いたのは「生産性の高い機体、歩兵の対戦車能力、防空網、レーダー、通信、補給、補助艦」である。
一方東条英機は予備役に追い込まれてしまった。
まず設計されたのは1式艦上戦闘機である。
航続距離は1800kmと短めであるが、機動性ではまだ優位を誇り機体強度もそれほど脆弱な物ではなかった。
機銃は13ミリ機銃を陸海軍で統一した。それを4挺装備する。
史実の一式戦闘機隼の代わりに設計された和製フォッケウルフである。
一応並列でゼロ戦も制作されている。
歩兵の対戦車能力は1式47mm対戦車砲でよいと議論されたが、石原は「携帯奮進砲」を主張した。
ロケットは構造が簡単でなおかつ製造費も安く大量生産しやすい。しかも歩兵の携行に適している。
奮進砲は試作型がすぐに制作された。
結果、火薬の消費が多いと棄却されそうになったが、成形炸薬や小型化、
また火薬併用式発射機構の紹介料など繰り返した結果、仮採用となった。
航空兵器としても採用されるために増産が一応図られた。
元海軍陸戦隊や挺身集団、義勇空挺隊などに配備されることとなった。
後に2式として正式採用される試製1式携帯奮進砲である。
50㍉口径のロケット弾を発射し、100メートルで100㍉ほどの鉄板を貫くことが出来る性能である。
続いてレーダーや通信設備は開戦前にドイツから柳船や潜水艦により大量購入するという予定を立てた。
ドイツは戦争中であるがこれに応じいくつかの部隊を出した。
撃沈された部隊は少なくなかったが、それでもまあまあの数のレーダーをそろえられた。
陸海軍でそれぞれライセンス料を払ったりしなかった分、買うお金は少しはあったのだ。
次に補助艦だが、高速輸送船の1等輸送艦、2等輸送艦、また、防空対潜艦を制作した。
旧来の5000t級巡洋艦も改装されて防空対潜艦へと生まれ変わった。
とにかく南シナ、東シナ海の占領後の潜水艦対策は一応整った。
ソナーは心許ないが哨戒機での哨戒を増やし、水上レーダーを使用すれば何とかなると踏んだのだ。


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