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皇国の鋼盾

1名無しさん:2012/02/19(日) 00:48:14
1939年、日本の富士山麓に大規模な陥没が発生、調査の結果きわめて有用な物質が発見された。
金属の強度を100倍以上に高め、爆薬の爆発力を10倍以上に高め、燃料の効率を500倍に高めるというとんでもない粉である。
しかも少量振りかけるだけでそのような効能が発揮されるのだ。
日本軍は日華事変などにこの粉を使用した89式、95式軽戦車を投入、みごとに戦果を上げた。
また、アルミニウム箔製のポンチョも製造され、ゲプラーのような防弾効果が証明された。
小銃は反動が高くなったものの、威力は強化され、また発火方向より逆に力が向くという粉の特性で、思ったほどではなかった。
帝国海軍にも無論配備、すべての船舶、航空機、兵器に振りかけられた。
この粉を帝國陸海軍は国防1号兵器と定めた。
国民党軍との戦闘でこの粉のおかげで優位に勧められた日本軍は講和の結果国民党軍支配域を合併、共産党軍と戦うこととなる。
アメリカはこれに反発、イギリスも同様であった。
緊迫の高まった1941年、大東亜新秩序建設のために日本軍は戦争の決意を固めた。

4名無しさん:2012/02/28(火) 19:39:08
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5名無しさん:2012/03/30(金) 01:36:52
その頃ドイツ軍は東部戦線も持ち直し、上陸作戦も退け、空母の戦力化を急いでいた。
イタリアには粉は輸出されなかったためかぼろぼろに負けていたがドイツがカバーし、
北アフリカを占領し直した。
ドイツ軍はウラル工場地帯への遠距離爆撃機を完成させ爆撃し始めた。
そのためソ連の工業力はがくりと落ちてしまった。
ソ連は押され始め、ウクライナ、モスクワ、レーニングラードを占領された。
日本も呼応し満州から関東軍が出陣ウラジオストクをはじめとするソビエト東部を占領した。
ソビエトは降伏、ドイツと日本による分割統治が実施され、ソ連東部は満州国と日本に分けられた。
ドイツとの陸路が開通し、日本はドイツから大量の工作機械などを粉と引き替えに輸入、
航空機生産能力や植民地における工場設営能力が増した。
またショベルカーなどの基地設営用の装備も輸入した。
ソビエトの工場も多少ながらイルクーツク方面の工場を利用し、大量に兵器の増産を開始した。
1942年4月、ソビエトは解体された。
日本は新たに巨大空母鳳龍、昇龍を建造、米国本土に対する攻撃態勢を整え始めた。


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