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避難用作品投下スレ6

1 管理人★ :2010/08/27(金) 21:44:35 ID:???0
葉鍵ロワイアル3の作品投下スレッドです。

2 名無しさん :2010/08/27(金) 21:46:40 ID:w1hhOi020
終点/Nor shall my sword sleep in my hand,Till we have built Jerusalem


十四時四十五分/高天原

 それは、騎士の鎧のように見えた。
 全長五メートル程の上背にゴツゴツとした外部装甲。
 殆ど隙間もなく、乗り込んだサリンジャーを完全に防護しているという意味では鎧には違いない。
 ただ一方で、それは生き物のようでもあった。
 リサを見下ろすカメラアイと思しき部分は常に緑色に発光し、ギラギラと照り輝いており、肉食動物特有の獰猛さのようにさえ思える。
 吸気口の役割を果たしているのか定期的に開閉を繰り返す口のような部分は異物の侵入を防ぐためなのか鋭い牙のようなものが備わっており、
 あの鋭い眼光と合わせて、今にもリサを食い殺そうとしているようだった。
 細かく蠢く巨大な爪はマニピュレーターであると同時に機体の固定にも用いられるのだろう。
 しかしそれ以上に機体色である真紅からか、作業に用いられるパーツと言うより獲物を抉り殺す獅子の爪という印象が強かった。
 前傾姿勢のアベル・カムルは一昔前のサルに似ていたが、その内情は正しく獰猛な獣。
 特有のエンジン音がグルルル、と唸りを上げる様もそれに拍車をかけていた。
 趣味が悪い、とリサは感じながらも本能的な慄きを覚えずにはいられなかった。
 太古の昔から、人類が身体能力では負け続けてきた獣に対する畏怖がそうさせるのか、正体不明の化け物に対する恐怖がそうさせるのか。
 恐らくは両方なのだろう。徹底的に他者を見下し自らの優越感とするサリンジャーそのものを体現したアベル・カムルに、
 ならば恐怖を感じなければいいとリサは結論した。

 恐怖を恐怖で克服する以外の術を、今の自分は知っている。勝負だけではなく、誰かと触れ合うことで自らの存在を知ることができるのを熟知している。
 少し見渡せば、世界はこんなにも広くなるということも、知っている。
 鎧に篭ったサリンジャーはそれすらしようともしない、ただの我侭なだけの人間だ。
 負ける道理はない。不敵な笑みを浮かべ、リサは自らを押し潰そうとする鎧の巨人と相対した。
 人が作った兵器ならば必ずどこかに弱点がある。完璧なものなど、人間が関わっている限りは存在しない。
 M4を構え、まずは頭部目掛けて発砲する。アベル・カムルの巨体では外そうにも外しようがなく、
 吸い込まれるように銃弾が飛び込んでいったが巨人は身じろぎひとつせず、火花を散らせただけで5.56mmNATO弾全てを弾き返した。

「そんなもの効きませんよ! カメラアイを狙ったつもりでしょうが、生憎こちらも防弾仕様なんですよねぇ!」

3 名無しさん :2010/08/27(金) 21:47:43 ID:w1hhOi020
 ご丁寧に解説までしてくれたサリンジャーが嘲笑と共に爪を振り上げ、下ろしてくる。
 図体の大きさとは裏腹にアベル・カムルの動きは意外に俊敏で、悠長に構えていられる暇はなかった。
 腕の長さから射程を判断し、転がるようにして避ける。直後、振り下ろされた爪が床を抉り、コンクリートを破砕し破片を撒き散らす。
 どうやらパワーも外見に違わぬものであるらしい。あの質量と速度では掠っただけで致命傷になりかねない。
 まるで柳川のようだとリサは感想を結んだが、柳川ほどの小回りも効きそうにない分こちらの方が寧ろ楽だった。
 素早く立ち上がり、更にM4を機体の各所に向けて乱射する。間接部の隙間を主に狙ってみたのだが、これも悉く弾き返された。
 ちっと舌打ちするリサにサリンジャーの感心したとも取れる声が響いた。

「ほぅ。きっちり狙い撃ってくるあたりは流石、と言いたいところですが、弱点なんてものはありませんよ。このアベル・カムルにはね」

 何も言わず、リサはM4の弾倉を交換した。反応を返さないことに、不快感を隠しもしないサリンジャーのため息が木霊する。

「感想くらい言ってくれてもいいと思いますがね。どうです、私の鎧は」
「下らない玩具ね。褒めてもらいたいならママにでも褒めてもらえば?」
「生憎、私の父母は既に他界していましてね。最後まで息子を省みない酷い親でしたよ」
「親御さんの気持ち、分かるわ。こんな親不孝の息子を持ったのだもの」
「その減らず口、すぐに黙らせてあげますよ……永遠にね!」

 一足に駆けてきたアベル・カムルがそのままの勢いで爪を薙ぐ。
 所詮は直線的な動き、軽く避けられるレベルだ。
 サイドステップから着地し、M4を構えようとしたリサだったが、すんでの所で動きを中断して再び回避行動に移った。
 俊敏なだけではなく、小回りも利くらしいアベル・カムルが巨大な足で回し蹴りを放ってきたのだ。
 予想外の動きに翻弄される。図体のでかさを無視するように動き回る巨人に防戦一方の形となってしまう。
 果断なく爪が振り下ろされ、足で踏みつけられ、反撃するどころか避けるのに精一杯だ。
 これがアベル・カムル本来の動きか。通常兵器が意味を成さない防御力と俊敏な動作とパワーを生かした攻撃能力の高さを兼ね備えた、まさに無敵の鎧。
 しかもサリンジャーのような素人でも簡単に動かせる手軽さといい、軍の人間が見れば涎を垂らして欲しがるだろうとリサは思った。

「そらそらどうしました? 逃げてるだけじゃ私は倒せませんよ?」

 狩りを楽しむかのような口調で挑発してくる。
 先程までアハトノインを失って狼狽していたくせによくここまで露骨に態度を変えられるものだと感心すらする。
 しかし依然として不利な状況は変わらずサリンジャーが圧倒的優位な立場にあることには違いない。
 懐に飛び込んでみようと接近を試みたが、攻撃射程にもまったく死角はなく、回り込んでも足元に張り付いても攻撃は激しくなる一方だった。
 攻撃の精度も少しずつ高くなってきており、爪が髪の毛を掠ることもあった。
 当然床に直撃した攻撃の煽りを食って破片が四方八方に飛び、それによっても少しずつダメージを受けてきている。

4 名無しさん :2010/08/27(金) 21:48:16 ID:w1hhOi020
「これはどうですか!?」

 手の出しようがないリサに、絶対的有利を信じて疑わないサリンジャーが隙を丸出しにしているのも躊躇わず、大きく両手を振り上げた。
 爪を器用にクロスさせ、ハンマーの形を作る。加えてあの高度から振り下ろされれば威力はそれまでの比ではない。
 これまでの調子で避けていては衝撃を食らいかねないと判断して大きく距離を取ろうとしたリサだったが、
 逃げるのを待っていたというようなタイミングで腕が振り下ろされた。
 巨大な質量が床に激突し、クレーターを形作る。
 直撃こそ回避したものの、余波までを避けきることはできなかった。
 それまでと比較にならない量と大きさの破片を浴びる結果となり、全身が傷つく羽目になったリサは受身も取れずごろごろと転がり、かはっと息を吐いた。
 このままでは嬲り殺しだ。杖にしたM4を支えに立ち上がり、格納庫から脱出する。

「おやおや、もう終わりですか? ですがね、どこにも逃げられませんよ!」

 余裕綽々といった様子で、アベル・カムルが追撃を開始する。
 吸気口がかちゃかちゃと動き、まるで笑ったかのような動きをする。
 笑っているがいい、とリサも負けずに睨み返した。サリンジャーが今見せているのは余裕などではない。
 弱者をいたぶろうとする卑屈な性根を見せているだけだ。
 確かに通常兵器は効かないし、死角も存在はしないだろう。
 なら、通常兵器以外で対抗すればいい。
 問題はそれまで逃げ切れるかということだったが、そこは何とかするしかない。いややってみせる。
 腐ってもID13、地獄の雌狐の異名を持っている。やってやれないことはない。

 この島を生き延びてきた意地を見せてやる。

 後ろを追いかけてくるアベル・カムルは通路の狭さもスペースも無視して壁を破壊しながらこちらへと向かってくる。
 最早無茶苦茶という領域を遥かに通り越して馬鹿げているという感想すら浮かんだが、動きは多少鈍い。
 速度さえ落とさなければまだまだ逃げられると考え、そのまま走り続ける。

「逃げても無駄だと……言ったはずですよ!」

5 名無しさん :2010/08/27(金) 21:48:42 ID:w1hhOi020
 距離は詰められないと判断したのは向こうもだった。
 腕を振り上げたアベル・カムルに嫌な気配を感じ、咄嗟に前転した瞬間、連続した火線がリサの横を通り過ぎた。
 機銃らしきものまで装備している。普通に考えれば当たり前のことだとすぐに思ったが、格闘ばかりしていたことと特異な形をしていたために見落としていた。
 露骨に舌打ちをしたサリンジャーが続けて方向を修正し、爪と爪の間にあるチェンガンを撃ってくる。
 足元を掠めるチェンガンを巧みにかわしながら、リサはT字路の奥へと逃げ込む。
 直線上に位置しなければ狙われることはない。音が途絶えたのはその証拠だった。
 曲がれる道があれば即座にそちらへと方向を変え、リサはチェンガンを撃たせないまま逃げ続ける。
 それでも振り切ることは難しく、後ろを振り返る度にぬっとアベル・カムルが姿を現すのだ。
 お互い執念深いようだ。さてどこまでこの鬼ごっこを続かせるかと考えながらリサは走る。
 逃走を続けながらも、リサは反撃できる場所を探して周囲を見渡すことを忘れていなかった。
 ミサイル、火薬。何でもいい。とにかくアベル・カムルの装甲にダメージを与えられるものが必要だった。

「見つけましたよ!」
「く!」

 チェンガンを構えたアベル・カムルが斉射してくる。ギリギリで次の曲がり角に飛び込み、辛うじて蜂の巣になるのを避ける。
 どうやら徐々に距離も縮まってきたらしい。もう猶予はなさそうだ。それに狙いも正確になってきている。射撃する度に機械が修正をかけているのだろう。
 全く何でもアリのトンデモ兵器だと感想を結びながら、リサは笑っていた。
 懲りないことにまた、戦いを楽しむ軍人としての性分が頭をもたげてきたらしい。
 或いは観察すればするほどその強さが明らかになってゆくアベル・カムルに対して笑うしかないと感じているのか。
 慣れとは厄介だと考えながら目を走らせたリサが一つの案内板を見つける。
 時間がない。半ば賭けになると思いながらもこれ以上の選択の余地はないと判断して、リサはその部屋へと転がり込んだ。

「ほう……ここを死に場所に選びましたか」

 続けてサリンジャーのアベル・カムルが侵入してくる。
 振り向き様にM4をフルオートで連射し、吸気口目掛けて狙い撃つ。
 多少は破壊できるかと考えたが、素早く口を閉じられ、遮断される。お返しとばかりにチェンガンの掃射が飛んでくる。
 緩慢な動作であったため致命的ではなかった。やはり遊ばれている。

6 名無しさん :2010/08/27(金) 21:49:09 ID:w1hhOi020
「ふふふ、シオマネキを奪おうとしたようですが、無駄ですよ。シオマネキには侵入者の自動撃退システムが搭載されて……ん?」

 何かを発見したらしいサリンジャーの動きが止まり、緑色のカメラアイが部屋の奥へと向けられる。
 目まぐるしく動き回っていたためリサもはっきりとはシオマネキの機影を確認してはいなかった。

「馬鹿な、動きが止まって……いや、破壊されている……? 貴様、何をした!」
「知らないわ。誰かが勝手にやったんじゃない?」

 じりじりと後ずさりしつつ、リサはサリンジャーのヒステリックな声を受け止める。
 元よりシオマネキそのものを奪うつもりはない。その武装が目的だった。
 Mk43L/eの構造は多少リサも知っており、機体内部にあるコンピュータから各種武装へと命令を伝え、遠隔操作による攻撃を行うものだ。
 武装は各種取り替え、取り外しが可能になっており、武装の交換も行える。
 要は現行の兵器を自由につけたり外したりして目的に合わせた運用ができるという思想だったが、裏を返せば武装はこちら側でもコントロールできる。
 現にシオマネキに搭載されている機関砲やレールキャノンは外部からの操作も可能だ。
 当然多少の妨害はあると踏んでいたのだが、誰かが取っ払ってくれたらしい。
 改めて確認したシオマネキはハッチからもうもうと煙が吹き上がっており、とても動ける状態ではなさそうだった。
 逆に武装にはほぼ損傷がなく、こちら側としては好都合極まりない状況だ。
 が、不利益を被ったサリンジャーは怒り心頭という様子だった。

「ふざけるなっ! たかだか人間ごときにシオマネキがやられるわけがあるか!」
「でも、事実としてこんなになっちゃってるわよ? それに、もう一つ言いたいことがあるの」

 チャンスは少しずつこちらに巡りつつある。
 笑いを含んだ表情でサリンジャーを見上げながら、リサはある推測を言い放った。

「貴方言ったわよね、リミッターをかけた状態で私達を三人殺せたのは上出来だって」
「それがどうした……!」
「言っておくけど、いくら120人分武器があるからってそうそう強力なものじゃない。精々がアサルトライフルくらいだし、現に私達の主力は拳銃。
 貴方のところの玩具は防弾防爆のドレスに痛みも感じない。……普通に考えて、貴方の方が有利極まりないのよ。いくら撃とうがそのまま斬り殺せばいいわけだしね。
 でも私達は勝ちつつある。無茶な突撃作戦なのに、貧弱な武装なのにね。つまり……弱いのよ。貴方の言う神の軍隊とやらは。
 私達にすら勝てない。貴方は負け犬。頭でっかちで誰にも勝てない負け犬よ!」
『……殺してやる』

7 名無しさん :2010/08/27(金) 21:49:32 ID:w1hhOi020
 言い返せるだけの理性も失ったらしいサリンジャーが感情を丸出しにしたドイツ語と共にアベル・カムルの爪を振り下ろす。
 相当頭に来たようだ。爪の先にくず折れたシオマネキがいるにも関わらずの攻撃だった。
 実際は違うのだろう。周到な作戦を立て、精一杯の武装をかき集め、ここまでの殺し合いを生き残ってきた人間を合わせても、三人もの犠牲を出してしまった。
 今もなお戦っている連中には、ひょっとするとまた新たな犠牲が出ているのかもしれない。

 しかし、犠牲を犠牲で終わらせてはならない。
 命を弄び、己がためだけに力を振るう化け物に対抗するために、もう一度だけ力を貸して欲しい。
 散ってしまった誰か。今はまだ名前も分からない誰かへと向けて、今も生きている者達を守るために。
 自分自身もまた、生きるために。
 リサ=ヴィクセンは祈りを捧げて、アベル・カムルとの第二ラウンドに臨んだ。
 爪を避ける。正確にはシオマネキの外部装甲に阻まれ、弾かれたのだった。

『邪魔をするな、屑鉄が!』

 無理矢理シオマネキを爪で押し退け、リサへと迫る。
 もうなりふり構わぬという調子で攻撃してくるアベル・カムルの攻撃を必死で避けながらリサはシオマネキをちらりと見る。
 押し退けられはしたが、体勢は崩れていない。優秀だ。なら、まだ生きている武装があるはず……!
 シオマネキの元に駆けようとするリサにアベル・カムルが追い縋る。

『終わりだ! 死ねえぇぇぇぇぇ!』
「くっ……!」

 驚くべきことに、アベル・カムルは跳躍まで行えた。
 飛び上がると同時に爪が大きく振り上げられる。
 冷たく輝く金属の色が、一瞬の後に自分を押し潰す――

「させるかっ!」

 ――その未来は、絶妙のタイミングで現れた、少年と少女によって阻まれた。
 凄まじい爆音と共にアベル・カムルの額に何かが命中し、兜の形にも似ている頭部を押しひしゃげた。
 空中でバランスを崩し仰向けに倒れるアベル・カムル。
 その前に立ちはだかったのは、二人で対戦車ライフル、九十七式自動砲を構えていた、那須宗一と古河渚だった。

     *     *     *

8 名無しさん :2010/08/27(金) 21:51:21 ID:w1hhOi020
十四時五十分/高天原格納庫

 呆然とこちらを見返すリサの顔を拝めたのは久しぶりだったかもしれない、と宗一は思った。
 タイミング的にはギリギリだったとはいえ、それが結果としてこの副産物を生んだのだから儲け物だ。
 ニヤと意地悪く笑ってみせると、リサは肩を竦めて「ヒーロー登場?」と皮肉混じりの言葉を返してきた。

「いいや違うぜリサ。ヒーローと、ヒロインだ」

 渚を指し示してやると、リサの興味はそちらへと向いたようだった。
 案の定、渚の窘めるような視線が突き刺さったがこればかりは性分なので仕方がないところだ。

「そうなの? ヒロインさん」
「……そういうことにしてあげてください」

 そっけなく返す渚は無茶振りにも慌てることなく冷静に対処しているようだった。慣れてきたのかもしれない。
 してあげてください、という表現からしても適当にあしらっているようにも感じる。
 この牙城を崩すのには手間がかかりそうだと考えながら、宗一は床に倒れ伏している巨人へと話題を変えた。

「で、なんだよありゃ」
「最新鋭のパワードスーツ、ってのが一番簡単な表現ね。アベル・カムル。聞いたことあるかしら」
「噂だけは。でもそれ、冷却装置に不備があるとかなんとかで開発も見送りになってたんじゃなかったっけか」
「ところがどっこい、脅威の篁財閥の科学力」
「……なるほどな」

 宗一は篁化学技研で研究していたサンプルについてのリストを頭から引っ張り出した。
 『ラストリゾート』、『シオマネキ』を初めとする次世代の兵器群。
 実現は当分先だと思っていたのだが。篁財閥は未来に生きているらしいと認識を新たにして、
 宗一は隅に押しやられた鋼鉄の塊に目を移した。

「あれ、『シオマネキ』だよな」
「ええ。私が来たときには既に破壊されていたみたいだけど。ついでに言うと、『ラストリゾート』の披露試写会にも参加させてもらったわ」

9 名無しさん :2010/08/27(金) 21:51:44 ID:w1hhOi020
 ここはトンデモ兵器博覧会か、と宗一は頭を抱えたくなった。
 それに一人で対抗してみせるリサも十分化け物染みているのだが。
 話の流れについていけないらしい渚は困ったような表情でアベル・カムルの方を見ている。
 未だ動かないとはいえ、完全に機能が停止したと思っていないのだろう。
 当然宗一もそう考えていた。たかが対戦車ライフルの一発で動かなくなるほどヤワなものであるはずがない。
 それにこの九十七式自動砲だって骨董品のようなものだった。ここに来る途中で何かしら武器を拝借しようとしたのだが、
 道中で発見したのはこれを初めとした、『忘れられた兵器』とも言うべき古臭く実用性にも欠けるものしか見つからなかった。
 恐らくは篁の趣味もあったのだろう。使えただけマシだと思うことにしたのだが、
 実用性の高いものばかり使ってきた宗一にとってこの不便な感覚は慣れるものではなかった。

「そういえば、どうしてここが?」
「そりゃあ派手な音がしてたからさ」
「はい。しかもぐらぐら揺れてましたし、崩れる音がひっきりなしに聞こえてきましたし」
「……でしょうね」

 さもありなん、という表情でリサはアベル・カムルを見ていた。
 ようやく動き出した巨人はひどくゆったりとした動きで起き上がる。
 あれだけの巨体だ。動かすのにも相当のエネルギーを使っているのに違いない。
 緑色のカメラアイが、いきなりやってきた闖入者である自分達に対して向けられる。
 機械の目であるにも関わらず、それは明確な悪意を含んでいるように思われた。

『許さんぞ……皆殺しだ……猿共……』

 スピーカー越しに聞こえたくぐもった声は、聞きなれない国の言葉だった。ドイツ語だっただろうか。
 日本語に翻訳しようとする前にリサが「死ね、ジャップ、だって」と言ってくれた。
 ドイツ語など習ってもいないだろう渚は、それでも声色だけで悪意を感じ取っていたらしく、「分かりやすい言葉です」と反感を露にしていた。
 怒っている。突き刺すような視線は今までに宗一も見たことのないものだった。
 恨みでもなければ憎しみでもない、怒り。この島に敷衍し、様々な人間の運命を狂わせた狂気の根源に対する怒りだった。

10 名無しさん :2010/08/27(金) 21:52:08 ID:w1hhOi020
「どうすれば倒せますか」

 それでいて、やはり渚は冷静だった。目の前の敵を倒すために自分ができることを求めている目がリサと宗一に向けられていた。
 まるで俺みたいだ、と宗一は今の渚を自分に重ね合わせた。
 感情に任せて進むのではなく、自らを把握した上で目的を達成するために最大限やれることを探ろうとしている。
 案外エージェントにも向いているのかもしれないと思ったが、すぐにそうではないと思い直した。
 俺を取り込んだんだ、と宗一は感想を結んだ。ほんの数日にも満たない間で、渚は宗一の本質を理解し、その身に強さとして宿した……
 いや自分だけではない。渚の結った髪の根元で揺れる銀の十字架を眺めて、彼女が得たものの大きさを認識し直す。
 様々な出会いと別れを経て、渚は変わった。変わった上で自分自身を見失わない強さを身につけた。
 羨ましいと感じる一方で、だからこそもっと渚を近くで見ていたいという思いが強くなるのも宗一は感じていた。
 こんなに素敵で、興味深くて、愛しいものを手放せるはずがない。
 どうやらエージェント駆け出しの頃に持っていた貪欲さはまだ健在だったらしいと確認して、宗一はこれから起こる全てを受け入れてみせようと覚悟を決めた。
 俺も渚に精一杯ついていかなくてはならない。そのために、これからぶつかる困難、絶望、理不尽、そして今ある現実を受け止めてみせる。
 その上で選び取れる最善の道を、自分が望む道を進んでみせよう。
 今はまだ後ろ暗い道でしかなくても、自分を導いてくれる暖かな光はすぐそこにあるのだから。

 ‘All right, then, I'll go to hell’
 わかった、それなら俺は地獄へ行こう。

「やりようはある。ただ、あれを足止めできるかが問題だ」

 そうだろ、リサ? 自分と同じ推測を立てていると信じて見やると、リサはしっかりと、大きく頷いた。
 やはりリサも同じ結論を出していたようだ。なら問題はない。
 世界最高峰のエージェント二人が立てた作戦だ。これ以上の何がある。

「『シオマネキ』のレールキャノンが使えれば、勝てる」
「となれば……何分かは足止めが必要だな。やれるか、渚」
「はい。やってみせます」

11 名無しさん :2010/08/27(金) 21:53:16 ID:w1hhOi020
 頼もしい言葉だった。この一言さえもらえれば、細かい指示をあれこれする必要はない。
 今までと同じように、二人で力を合わせて九十七式自動砲で撃ち続ければいい。
 後はリサがどうにかしてくれると信じよう。

 完全に立ち上がったアベル・カムルへと向けて「撃つぞ、渚!」と言ったと同時に九十七式自動砲の巨大過ぎるトリガーを引く。
 20mmという口径を誇る九十七式自動砲の反動は到底一人で支えきれるものではなく、宗一の全力と渚の助力があってこそ運用可能なものだった。
 凄まじい発砲音と共に、砲弾にも近い弾丸がアベル・カムルの肩を打ち据え、重低音の鐘を鳴らす。
 アンバランスな人型であるアベル・カムルは大きく体勢を崩し、巨体がたたらを踏む。
 続けて連射。毎分七〜十二発の連射速度は決して早いとは言えなかったが、巨大過ぎる相手に対しては十分なものだった。
 胸部の装甲に直撃した弾丸が巨人の足を数歩後退させる。貫通こそしないものの、地球上にいる限りエネルギーの法則からは逃れられない。
 業を煮やしたように、遠方からだというのに爪が構えられる。だが既に手は打ってある。

「持ち込んだのがこれだけだなんて思うなよ」

 凄まじい閃光と爆音が格納庫に充満した。九十七式自動砲を撃った直後、宗一はスタン・グレネードを放り込んでいたのだった。
 目を閉じ、耳を塞いでもなお頭が揺れるほどの衝撃を感じたが、元より耐性をつけている。宗一が動き出したのは早かった。
 まだ目を閉じたままの渚を尻目に、宗一が跳躍し、だらしなく伸ばされたままのアベル・カムルの腕に飛び乗る。
 すぐさまウージーとクルツを構え、同時に掃射する。顔面目掛けて降り注いだ銃弾の雨は、しかし全て弾かれる。
 やはりサブマシンガン程度ではカメラアイは破壊できない。ならばと宗一はアベル・カムルの腕を駆け上がり、
 さらに隠し玉として持っていたショットガン、ストライカー12『ストリートスイーパー』を取り出した。
 12のその名が示す通り、ドラム式の弾倉には十二発連射可能な12ケージショットシェル弾が詰め込まれている。

「これならどうだっ!」

 空中に舞い、ギリギリまで接近してから、宗一はフルオートでストリートスイーパーを乱射した。
 拳銃弾とは比較にならない威力の12ケージショットシェル弾が、先程よりもよほど濃い密度を以ってカメラアイへと殺到した。
 超至近距離から凄まじい数の散弾を受けたカメラアイがついに耐え切れず、ピシリと音を立ててひび割れる。
 目を潰した。これで奴からは何も見えなくなるはず……!
 そう確信した宗一の目の前で、アベル・カムルの口元が不気味に蠢いた。
 この程度想定の範囲内とでもいうように、巨人は嗤ったのだ。

12 名無しさん :2010/08/27(金) 21:53:53 ID:w1hhOi020
『散弾程度ではなぁ!』

 頭部にあるシャッターが開き、再び緑色のカメラアイが姿を現した。
 予備があったのか!?
 ストリートスイーパーに残弾はない。再びカメラアイを潰すことは不可能だった。
 空中に浮いたままの宗一を刈り取らんと爪が振り下ろされるが、世界一を誇る男の身体能力は伊達ではない。
 こなくそと無理矢理体を動かし、アベル・カムルの胴体を蹴った反動で移動する。
 宗一がいた場所をアベル・カムルの鋭い爪が通過した。鍛えておいて良かったと安堵しかけた宗一の前に、今度は反対の腕の爪が突きのモーションを繰り出しかけていた。
 やばい。冷や汗を感じた直後に、「目と耳閉じてください!」という救いの女神の声が聞こえた。
 二も三もなく指示通りに目を閉じ耳を塞ぐ。瞬間、再びスタン・グレネードの爆音と閃光が走った。

『また目くらましか……!』

 今度は目を防御することで難を逃れていたアベル・カムルだったが、お陰で致命打を受けずに済んだ。
 地面に降り立った宗一の傍では、まだ頭痛が残っているのか渚が苦悶の表情を浮かべていたが、宗一の顔を確認するととびきりの笑顔を見せてくれた。
 どうやら自分の扱い方まで心得てきたらしい。笑顔を目の前にして、やる気が出ないわけがないのが那須宗一という男だということを知り尽くしている。
 全く大した恋人だと思いながら、渚と二人で九十七式自動砲を抱えて移動する。

『馬鹿め、逃げられると思うな日本人!』

 突如、アベル・カムルの爪と爪の間からチェンガンの砲身が顔を出した。
 あんな武器まであったのか!
 60kgもある九十七式自動砲を抱えたままチェンガンの掃射に晒されるのは自殺行為に等しい。
 やむを得ず回避に徹するように努める。分離するように二人が反対の方向に別れた瞬間、チェンガンの火線が床に穴を穿った。
 そのままアベル・カムルは宗一の方向へと銃身を向ける。どうやらカメラアイを潰されたことを根に持っているらしかった。

 いいぜ、そのまま俺を追って来い。

 宗一は敢えて懐に飛び込むように移動する。あの腕の巨大さからして、チェンガン自体の射程には限度があると考えたからだった。
 代わりに打撃の応酬を貰うことになるが、早過ぎる弾速を相手にするよりは幾許かまともな選択肢だった。
 再び接近してきた宗一に、流石のアベル・カムルも警戒したらしい。一度カメラアイを壊されている以上好きにさせるわけにはいかないと感じたのだろう。
 すぐさま狙いをこちらに絞り、肉薄を許さまじと振り払うように爪を薙いでくる。
 機敏な動作で、宗一は前後左右上下から迫る爪を巧みに躱す。元々単独行動の多かった宗一は対多数の戦闘を強いられることも多く、
 あらゆる方向からの敵の攻撃を読み対応することに慣れていた。
 いくら巨大なうえ素早い動作であるとはいっても宗一にとっては所詮一対一に過ぎない。次の次まで予測し、アベル・カムルの攻撃を避け続ける。

13 名無しさん :2010/08/27(金) 21:54:18 ID:w1hhOi020
「どうしたデクノボー! 当たってないぜ!」

 挑発の言葉も忘れない。感情起伏の激しい相手は回りに対する視野も狭い。怒らせて攻撃対象を絞らせるのは囮の定石だった。
 今度は足で踏み潰そうとしてきたが、爪より面積の狭い足に当たるわけがない。攻撃方法も精彩を欠いてきていた。
 いける。そう期待しかけた宗一の意志を読み取ったかのように、突如アベル・カムルが向きを反転し、チェンガンを構えた。
 狙いは言うまでもない――宗一とは距離を取るようにして、反対方向へと移動していた渚だった。
 完全に裏目だった。回避の邪魔になるまいとしていた渚の配慮が。
 まさか最初からこれが狙いだったのか? 今までの激しい言葉は演技だったというのか?
 冷たい汗が流れる宗一をせせら笑うように、アベル・カムルのスピーカーから『日本語』が聞こえた。

「挑発されるのは慣れていましてね……お陰で冷静になることができましたよ。お礼に貴方の大切な恋人を殺して差し上げますよ」

 それが一番嫌なことなのだろう? 端に卑屈なものを滲ませ、陰惨さを含んだ声に、宗一は演技でも何でもないと確信した。
 ただの仕返しだ。この男は、やられたらやり返すということしか頭にない。それも、相手が最も傷つく方法を敏感に察知して。
 どこまで性根が腐った男なんだと毒づきながらも、エージェントとしての冷めた部分が間に合わないと告げていた。どだい、距離がありすぎた。
 それでも宗一は叫んだ。僅かな可能性を信じて。目の前の男にだけは負けないように、「逃げろ!」と。

「もう遅い! 死――」
『Rail-Cannon has been activated』

 火を吹くはずだったチェンガンから、弾丸が発射されることはなかった。
 機械的な英語音声に、アベル・カムルが信じられないといった様子でそちらを向いたからだった。
 間に合ったか……! 宗一も同様にアベル・カムルの向いた方角を見た。
 そこには、シオマネキのレールキャノンを起動させた、リサ=ヴィクセンがしてやったりという表情で佇んでいた。
 敵だけではなく、恐らくは、宗一にも対して。
 やってくれるぜ、ヒーローさん。
 肩を竦めてみせると、リサは上等のウインクを返してきた。やはり確信犯だったようだ。

「……リサ=ヴィクセン。どこまで私の邪魔をしてくれる」
「どこまでも」
「く……だが、そのレールキャノン、果たして撃てますか?」
「貴方が一番分かってるんじゃないかしら、こいつの威力はね」

14 名無しさん :2010/08/27(金) 21:55:13 ID:w1hhOi020
 物怖じするように、アベル・カムルは後ろへと下がった。
 そう、通常兵器は全く意味を成さないのならば、こちらもトンデモ兵器で迎撃してやればいい。
 自分と渚を囮に、シオマネキに接触したリサが接続されているレールキャノンを起動させ、撃ち込む。
 物体を電磁加速して撃ち出すレールキャノンの弾速はそれまでの兵器群とは比べ物にならない。
 エネルギーは質量と速度によって決定される。即ち、超加速力を誇るレールキャノンの弾丸はHEAT装甲でさえも紙のように貫く。
 開発当事者であろう、アベル・カムルの操縦者がそれを分かっていないはずはなかった。

「……お願いしますよ。どうかここは見逃して頂けませんか。私だって好きでこの殺し合いに加担してきたわけじゃない。仕事で、仕方なくだったんですよ」

 唐突に始まった命乞いに、リサは元より宗一も絶句を通り越して一切の感情がどこかへと飛んでいった。
 あれだけ死ねだの何だのと言っておいて、ここまで殺し合いを放置しておいて、
 素でこの台詞を吐いているのだとしたら余程の度胸の持ち主か、或いは恥知らずか、もしくは多重人格者であるかのいずれかであろう。
 リサと宗一だけではない。渚でさえ、己の所業を恥じていない言動に対してかける言葉もなかったようだ。
 もう、あの男に価値はなかった。言葉を交わす価値も、いや人間としての価値も。
 ふ、と一息に笑ったリサはもう何の感情も有してはいなかった。

『Charge,completed』
「ま、待ってくれ! お願いだ! 脱出の手配ならする! だから――」
「さよなら」

 リサの声と、Fire、という音声が重なった瞬間、レールキャノンから凄まじい閃光が発し、まるでレーザーのような光がアベル・カムルを捉えた。
 鼓膜まで破れるような衝撃波が宗一達にも降り掛かり、思わず目を閉じる。
 これがレールキャノンの威力。発達し過ぎた最新鋭の兵器を目の当たりにして畏怖を覚えずにはいられない瞬間だった。
 数秒に渡って暴風が吹き荒れ、立っているだけで危うい状況が続く。
 バチバチと雷が爆ぜるような音がしばらくして、『System,cooldown』という音声と同時に、宗一はやっと目を開くことができた。
 これで全てが終わったと、そう確信して――

15 名無しさん :2010/08/27(金) 21:55:41 ID:w1hhOi020
「だから言ったのに……やめておけ、とね」

 ――だが、悪夢は終わっていなかった。
 レールキャノンが大気を引き裂いたことにより、超高熱に当てられた空気中の水分が蒸発したことによって生まれた靄の向こうから、その声は聞こえた。
 ショートしたコードを、左腕からしたたらせながら、腕を跡形もなくしながら……それでもアベル・カムルが、悠然と立ち尽くしていたのだった。
 馬鹿な、という言葉が宗一の口から漏れていた。レールキャノンの直撃を受けて無事だったというのか?
 リサも信じられなかったらしく、悔しさを滲ませた表情を浮かべていた。完全な、誤算だった。

「無駄話に付き合ってくれて感謝しますよ、リサ=ヴィクセン。お陰でレールキャノンの弾着ポイントを計算することができました」

 そう、開発当事者であるこの男が、レールキャノンを知悉していないはずがなかった。
 予め防御できることを知っていたのだ。アベル・カムルの腕を犠牲にすれば耐え切れるということを。
 その性質上、レールキャノンは冷却に多大な時間を要するため連射は利かない。
 一発耐え切ってしまえばもうこちらにはどうしようもないと知り尽くした上での行動だったのだ。

「腕は一本犠牲になりましたがね。まあいいでしょう、腕は一本さえあれば貴方がたを駆逐するのは簡単です」

 喜色を隠しもせず、アベル・カムルの主は笑った。もはや抵抗する力が残っていないと知り、蹂躙する悦びを覚えた人間の卑屈な笑いだった。
 だが、まだ抵抗の手段が残っていないわけではない。
 腕は破壊した。つまり、強固な殻は既に破っている。だったら――
 目を合わせた渚と頷き合い、二人で一緒に落ちたままの七十九式自動砲の元まで駆け寄ろうとした。
 破壊した部分に弾丸を撃ち込めば、まだいける。そう判断してのことだったが、自らが有利と知りきっている男は冷静だった。

「ちょこまか五月蝿いですよ、日本人!」

 動きを察知して、もう片方の腕にあったチェンガンが宗一たちを捉えた。
 狙いが浅かったのか、渚共々火線に晒されはしたものの、細かい怪我を負うだけで済んだ。
 しかし、所詮は死ななかったというレベルでしかなく、銃弾が擦過した部分が焼け付くような痛みを訴え、渚は耐え切れずに倒れた。

「渚っ!」
「……大丈夫、です」

 意識は完全に保っていたが、痛みに耐えるので手一杯という表情だった。
 性急に過ぎた。だが後悔する間も惜しいと渚を抱えるようにして移動しようとした矢先、頭上に影が差した。
 アベル・カムルの腕だった。二人丸ごと叩き潰す腹積もりらしい。

16 名無しさん :2010/08/27(金) 21:56:00 ID:w1hhOi020
「宗一っ! 渚っ!」

 リサの悲鳴が聞こえた。その声もどこか遠い。
 一人で逃げようと思えば逃げられただろう。しかし、男として、パートナーとして、渚を置いて逃げ出す選択肢など最初から存在していなかった。
 走ればまだ間に合う。渚をお姫様抱っこの要領で抱え上げ、逃げられると断じて走り出す。

「やれやれ……逃げられるわけがないでしょうに」

 虫を見るような目がアベル・アムルのカメラアイを通してこちらにも伝わってきたが、何とでも言えばいい。
 ひとつ言えることは、俺は、俺達は絶対にお前の思い通りに動くことはないということだけだ。
 カメラアイを見返しつつそう伝えてやると、若干不快げな雰囲気が返ってきた。

「つまらない……では、さようなら日本人」

 唸るような音を立てて腕が振り下ろされる。
 最後まで目を逸らすまい。キッと睨んだ宗一の視線の先に……何かが、飛び込んできた。

「な!? 貴様は……!」

 アベル・カムルから、またもや信じられないという声が聞こえた。
 振り下ろされた腕を、人間の倍以上もある巨大な腕を、同じく片腕で受け止めた存在があった。

「早く退避を」

 ――それは、流れるような金糸の長髪を携え、漆黒の修道服を着込んだ、人ならざる者。
 かつて交戦し、仲間の命を殺め、今なお敵対しているはずの。

「アハト……ノイン……」

 宗一の声を受けて。
 こくり、と。
 無表情な彼女の頭が、たおやかに動いた。

     *     *     *

17 名無しさん :2010/08/27(金) 21:56:25 ID:w1hhOi020
十四時五十四分/高天原格納庫

「貴様ぁ! 何をやってる! イカれたかこのポンコツが!」

 ヒステリックに叫ぶサリンジャーの声を聞きながら、リサはアベル・カムルの腕を支え続けているアハトノインへと目を移した。
 間違いない。あれはラストリゾートを装備していた、サリンジャーの護衛だったはずの機体だ。
 それが自分達を守ってくれているばかりか、当の主に対して牙を剥いている。
 何が起こっているのか、詳細なところまでは分からない。
 だがなんとなく検討はつく。恐らく、あの時に電脳に異変が生じたのだ。
 ラストリゾートが利かなくなり、地震が起こった際に動かなくなったアハトノインの内部で、命令が切り替わった。
 人間を守れ、或いはサリンジャーを倒せ。そういったところだろう。
 もしかすると、悪魔の対象が自分達からサリンジャーに切り替わっただけなのかもしれないが。

 真実はどれでもよかった。今重要なのは、アハトノインが味方についているという事実だ。
 偶然で機械は動かない。この一体だけが異変を起こしているとは考えにくい。
 チラ、とリサは沈黙したままのシオマネキを見る。
 もしも自分の想定が当たっているとしたら。
 既にシオマネキは一度破壊されている。ある意味では、これから起こす行動は賭け。あやふやな推測に基づいたものでしかない。
 そうして一度失敗した。アハトノインが現れなければ、まず間違いなく宗一と渚は死んでいた。
 過去の失敗か、自分の経験か。どちらを選択するべきか迷ったリサは、目を閉じて深呼吸する。
 リサ=ヴィクセンは完璧ではない。失敗してきたことは何度もある。
 フォローしきれず、仲間を死なせたことも一度や二度の話でもない。
 それは、この島でも。

 ねえ、英二。
 私は……

18 名無しさん :2010/08/27(金) 21:56:54 ID:w1hhOi020
 暗闇の中に応えてくれる者はいない。今暗闇の中に感じられるのは自分自身だけだった。
 今ここに自分がいる。何度過ちを重ねても、未だに生き延びている自分がいる。
 ――それが、既に答えだった。
 死神なんかでも、まして悪魔なんかでもない。
 人間は人間。それで結果がどうなったとしても、自分達は人間でしかいられない。
 柳川は、英二は、栞は、最後まで人として当たり前の行動をしようとし、人が人らしく生きていたくなるような行動を起こしてきた。
 自分だってそう。どうなったとしても、彼らに恥じない人間でありたいから。
 リサは、自分の信じる自分を選択した。
 M4を構え、シオマネキの体から飛び降りる。
 もう戻れないし、レールキャノンの操作も行えないだろう。
 だがそんなことより、目の前で苦戦している仲間の援護に向かわずにはいられなかった。
 徐々に爪の圧力に押し負けているアハトノインが逃げられるように、リサはアベル・カムルのカメラアイを狙撃した。

「ちっ!」

 リサの動きを素早く察知したサリンジャーが腕を戻し防御に専念する。
 どうやら以前のものに比べれば防御せざるを得なくなるほど脆いらしい。予備だから当然と言えば当然だった。
 フルオートで撃ち続けていたからか、M4の弾が切れる。
 素早く弾倉を交換しようとしたが、その前にアベル・カムルのチェンガンが突き出された。

「くたばれ雌狐が!」

 自分の方が遅いと判断して逃げようとしたが、その目前に守るように立ちはだかったのはアハトノインだった。
 グルカ刀を抜き放つと、目にも留まらない速さでチェンガンを弾き返し、弾丸をリサに届かせない。
 ロボットならではの神業だった。味方にすると、こんなにも頼もしい存在だとは。

『貴様ァ! 邪魔をするな! ロボット風情が……!』

 またもやサリンジャーの声がドイツ語へと戻る。相当頭に来ているらしい。
 弾倉を交換し終えたと同時、チェンガンの掃射が途切れた。どうやら弾切れになったらしい。
 俄かに焦りの様相を呈したアベル・カムルへと向けて、リサは嘲笑混じりに言葉をかける。

「ロボットにまで裏切られるとは、ホント小さい男ね」

 ギッ、とアベル・カムルの目がこちらへと向いた。
 今までの何よりも激しい憎悪と、負け犬根性むき出しの意志が窺える。
 とどめとばかりに、リサは決定的な一言を付け加えた。

19 名無しさん :2010/08/27(金) 21:57:23 ID:w1hhOi020
「かかってきなさいよ、負け犬」
『私を……私を馬鹿にするなあぁぁっ!』

 完全に怒りに我を忘れたサリンジャーが、ハウリング混じりの叫びを上げながら突進してくる。
 これで策は使い果たした。後はやれるだけやるしかない。
 リサはアハトノインと目を合わせ、「あの女の子と男の子を守ってあげて」と優しく命令した。
 ロボットも、ロボットでしかない。命令ひとつで殺し合いだってするし、こうして味方にもなる。
 それでも自分達を救ってくれた。ならば信頼を預けてみせるのが人間というものだろう。

「了解しました」

 ただ一言、機械的に返事をしたアハトノインは少しの躊躇いもない機敏な動作で動き出した。
 リサもリサで、片腕を振り上げてくるアベル・カムルを睨み上げ、不敵な笑いを浮かべた。
 さあ、ラストゲームよ。

     *     *     *

20 名無しさん :2010/08/27(金) 21:58:17 ID:w1hhOi020
十四時五十七分/高天原格納庫

「いけるか、渚」
「何とか……」

 顔の周りの汚れを拭いながら、渚は自分の力で立ち上がる。
 視線の先ではリサとアハトノインが縦横無尽に立ち回り、巧みにアベル・カムルの攻撃を回避している。
 今まで戦ってきたはずの敵が味方をしてくれている理由は分からない。
 鞍替えをされている、とは思わなかった。
 早く退避を、と語ったアハトノインの表情は今までと変わらず、無機質な目をしていた。
 命令を受け、忠実に任務を遂行するだけの機械。それは今までも、現在も変わりはないのだろう。
 そこまで考えたとき、渚は自分がアハトノインそのものに対して憎しみを抱いてはいないということに気付いた。
 友人が殺されたのに? しかしその問い自体が間違っていると渚はすぐに思い直した。
 ルーシーが殺されたときのアハトノインと、自分達のために戦ってくれているアハトノインは違う。
 命令ひとつでこちらの味方をするような代物でしかなかったのだとしても、
 あのアハトノインは無慈悲に人間を殺戮するだけの機械でないと信じたかった。
 アベル・カムルの主とは違う、本当に正しい命令を与えられ、人間のやさしさに従って動くロボットなのだと……

「すまん、俺のせいで」
「大丈夫です。生きてますから」

 そう、まだ皆無事だ。まだ誰一人として欠けてもいない。
 髪の結び目で光っている十字架が、自分を支えてくれている。
 大切な人を守れるだけの力を与えてくれている。
 力を貸してくれているのは、自分が弱いからでも、無力だからでもない。
 自分の意志を受け止めるだけの人間になれたことを認めてくれているからだ。

 ……だけど、まだ、もう少しだけ力が欲しい。

21 名無しさん :2010/08/27(金) 21:58:43 ID:w1hhOi020
 渚は隅に追いやられた七十九式自動砲へと目を移した。
 現時点で唯一、アベル・カムルを倒せる可能性のある武器だ。
 まだツキは落ちきってはいないらしく、破壊されてはいない。まだ使える。

「宗一さん。もう少しだけ仕事です。行けますか」

 変に気遣いをさせないよう、強気に言ったのだが即座に返ってきた「当たり前だ。俺を誰だと思ってんだ」という不敵な声に、抱いていた心配は吹き飛んだ。
 流石に、世界一のエージェントは簡単にへこたれるほどヤワではない。
 出過ぎた真似だったかと苦笑を漏らしたところで、「しっかし」と感心した宗一の言葉が続けられた。

「変わったな。余裕じゃないか」
「そんなつもりは……」
「昔だったら、まず渚自身を責めて落ち込んでたぜ」

 虚を突かれた気分になり、渚はそうだったかもしれない、と昔を思い出していた。
 自分自身を信じられず、退くことも進むことも怖く、ただ呆然と立ち尽くすだけだった昔。
 人に頼ることさえ怖かった。そうすることは負担になるだけだと頑なに思い込んでいて、自分の存在は重石でしかないと考えていたから……
 だから、渚が一番憎んでいたのは自分だった。
 人に優しいわけではない。他人を気遣ういい子などではなかった。
 自分が嫌いで、なくなってしまった方がいいとどこかで考えていたから自分以外に対して羨望を覚え、尽くそうとしていただけのことだった。
 消えていなくろうとしなかったのだって、両親に対する呵責があったというだけの話だ。
 茫漠と漂っているだけの人生。生きているのか、死んでいるのかも分からない生。そうなるのだろうと思っていた。
 だが、少しずつ変わった。ただの偶然でしかない、この場で知り合っただけの人達の持つ不思議な力によって。

22 名無しさん :2010/08/27(金) 21:59:06 ID:w1hhOi020
 霧島佳乃。

 ううん、何でもない……ただ、あたしはあの中に知り合いの名前が一人もいなかったから……喜んでいいのかな、って。
 両親が死んだ後の放送。死の大きさよりも、今ある命の大切さを確かめていた言葉。
 生きていることを喜んでくれるひとがいる。渚はそこで、初めて命に対する執着を覚え始めたのかもしれなかった。

 遠野美凪。ルーシー・マリア・ミソラ。

 ――済まない。
 己の勝手故にあった溝、隔たりを、この言葉で解決してくれた。
 そして、本当に強くなりたいと心から思うことができた。
 あらゆる物理法則を越えて、私も、渚も、なぎーも、皆はひとつだ。
 強いだけの人間なんていない。どこの、誰だって、必ず弱さを抱えている。
 重要なのはその弱さをどのようにして解決していくのかということだ。
 ルーシーは弱くてもいい、弱いまま強くなればいいと言った。
 弱さも強さも『ひとつ』の中に内包して、己自身と向き合うための材料にする。
 自分を信じ、確固たる己を持っているから強くなるわけではない。
 どのような現実にも対処し、受け止められる術を身につけたからこそ自分を確かめられる。自分がどんな人間なのか、知ることができる。
 その上でどうしたいかを決めればいい。自分が信じたい自分の姿を決めればいい。
 己を信じるとは、そういうことなのだと教えられた。

 ここで出会った人達ばかりではない。
 学校での友人。藤林杏、一ノ瀬ことみ、伊吹風子。
 それぞれに少しずつ化学変化を起こし、それでいて己自身に内包しているものを受け入れ、好きになっていこうとしていた。
 再会して初めて、渚は自分と同じものを皆が抱えているのだと分かった。

 何もかも、変わらずにはいられない。
 楽しいこととか、嬉しいこととか、ぜんぶ。
 ……ぜんぶ、変わらずにはいられない。
 それでも、この場所が好きでいられますか?

23 名無しさん :2010/08/27(金) 21:59:45 ID:w1hhOi020
 はい、と今なら自信を持って言える。
 現在の自分がどんな人間であるのか分かっているから。
 そしてどんな人間になりたいのかも決めているから。
 わたしは、一番大切な宗一さんを守れる人間になりたい。
 そうして我武者羅に進んできた結果が宗一の言うところの自分なのかもしれなかった。

「全く、誰がこんなにしたんだか」
「わたしの一番好きなひとのせいですね」

 何の含みもなく言ってやったので、真正面から言葉をぶつけられるのには慣れていない宗一が僅かに赤面して表情を険しくする。
 だからこの人は好きだ、と渚は内心に呟いた。
 全てに正直で、誠実で、抵抗なく背中を預けられる人。
 その上で宗一は未だに渚の憧れでもある。
 本当の意味で誰かを守れる強さを持っている。
 その秘密、力の源はどこから来たのかを、まだ自分は知らない。
 だから渚は知っていきたかった。少しでも彼に肩を並べられるように。
 そのためにもまず、ここから生きて帰る必要があった。
 宗一は気を取り直すようにして会話を続ける。

「隙を見計らってライフルまで走るぞ」
「タイミングは任せます」
「いいのか? 俺さっき失敗したぜ?」
「一度くらいの失敗で怒ってるようじゃ宗一さんの彼女は務まりませんから」

24 名無しさん :2010/08/27(金) 22:00:09 ID:w1hhOi020
 試すような口調には冗談交じりに返す。
 それも慣れてきている自分がいることに気付き、なるほど変わったなと渚は思った。
 冗談が言えるようになるとは、思ってもみなかった。どうやら彼氏の影響は相当に大きいようだった。
 敵わないな、と宗一が溜息を零すのを笑顔を迎え入れたのを最後に、渚は意識を戦闘へと傾けた。
 レールキャノンの直撃を受け、左腕が丸ごとなくなっても戦いを止めようとしないアベル・カムル。
 中にいる搭乗者は、恐らく決定的な勝利を掴むまで、徹底的な敗北を味わわせるまで殺し合いを続けるのだろう。
 ただ己が優越感を得たい、その一心で。
 何がそこまで駆り立てるのかは分からなかったが、ひどくつまらなく、寂しく、人間であることさえ見失ったものであるということは理解していた。
 勿論、自分達が綺麗で正しい存在だと主張するわけではない。
 自分だって同じだ。どんな形であれ、殺し合いに加担してきたのは変わりない。
 それでも渚は目の前の男とは違うと思いたかった。
 だからといって、人の命や生き様をないがしろにしていいはずがない。
 少なくとも、渚が知っているここの人達は誰かに対して、誰かの生き方に対して誠実だった。
 踏みつけ、見下そうとして恥じないあの男とは違う。
 正しい戦いで、正しい殺人だと言うつもりはない。これも人間として、ひとつの過ちであるけれど……
 その過ちから目を逸らさず、我が物としてみせる。
 走り出した宗一の後に続いて、渚も走る。それと同時、渚に続いてなにかが集まってくる感覚があった。
 正体は分からない。考えるだけの時間もなかった。
 それでも、敵ではなく、寧ろ味方であるという感覚だけは離れなかった。

『くっ……! 死に損ないの日本人か……!』

 接近に気付いたアベル・カムルから心底憎悪する声が届き、回避を続けるリサとアハトノインへの攻撃を中断してターゲットをこちらへと変更したようだった。
 右から来る。声が聞こえ、避ける方向を直感して、渚は力の限り走った。
 走り抜けたすぐ後ろを爪が通過してゆく。不思議と体力の限界は感じなかった。それどころかどんどん力強くなるようだった。
 いける。疑いなく確信して、渚は続く回し蹴りもしゃがんで回避することができた。
 攻撃を外したアベル・カムルから戸惑う雰囲気が漏れる。

25 名無しさん :2010/08/27(金) 22:00:53 ID:w1hhOi020
『何故当たらない!?』
「気を取られすぎよ!」

 リサとアハトノインが接近していた。まず素早く跳躍したアハトノインがグルカ刀で頭部目掛けて飛び掛かる。
 邪魔だと言わんばかりに腕が薙ぎ払われ、アハトノインに直撃したが、パワー負けする彼女ではなかった。
 腕に片腕一本でしがみつき、振り切ったのを見てから腕へとよじ登り、関節部にある隙間へとグルカ刀を突き刺した。
 爪が一瞬の間ビクリと痙攣して、そして動かなくなる。

『爪の制御が……! 貴様ぁ!』

 振り払おうとするが離れない。当然だろう。あのロボットの超人染みたパワーはこちらでもよく知っている。
 その隙を見逃さず、リサがしっかりとM4で狙撃の構えを取っていた。

「気を取られ過ぎと……言ったはずよ!」

 M4から弾が吐き出され、カメラアイへと殺到する。アハトノインに集中し過ぎていたアベル・カムルは反応が遅れた。
 補助右目に次々と弾丸が命中し、小さく爆発したのが見て取れた。
 左目こそ残ってはいたものの、続くアベル・カムルからの悲鳴に、視覚系統に重大な異変が生じたのは疑いがなかった。
 その隙にアハトノインも飛び降り、安全を確保したようだった。

『くそっ、くそっ、くそっ! 無駄なことを……もう殆ど武器もない貴様らに何ができる! 諦めない正義の味方気取りか!』

 喚く声の主に対して、リサが、宗一が冷静に反論する。

「こっちは勝算があってやってるのよ。それに、貴方はもっと間違ったことを言ってる」
「俺達は正義の味方じゃない」

 七十九式自動砲に、手が届いた。
 まだ使える。そう信じて、トリガーを宗一に預け、渚は後部を支える。
 素早く、正確に、銃口をアベル・カムルの欠損した左腕部分へと向ける。
 意図に気付いてこちらを振り向いたが、もう止められはしない。宗一に続くように、渚も叫んだ。

「わたし達は……あなたの敵です!」

26 名無しさん :2010/08/27(金) 22:02:13 ID:w1hhOi020
 七十九式自動砲から放たれた、大砲染みた弾丸が爆音と共にアベル・カムルの肩口を捉えた。
 着弾した瞬間、ぶらさがっていたコードや配線が爆発とともに吹き飛び、巨人の体を大きくグラつかせた。
 間違いなく内部で爆発した。甚大なダメージを負ったはず。
 それなのに、アベル・カムルは倒れることなくギリギリで踏ん張り、片目だけになったカメラアイでこちらを睨み返してきた。

『ふざけるな……私は負け犬なんかじゃない、負け犬なんかじゃない……殺してやる……殺してやるッ!』

 怨念、呪詛を想起させる声が響き渡り、腕が大きく真上に掲げられた。

「まだ動くのか!?」

 何が何でも殺そうとすることに宗一が驚きの声を上げる。
 細かい制御が利かない分、シンプルな動きで叩き潰す心積もりらしかった。
 防御も何もない、こちらに対する憎悪だけで動いているといってもいいくらい、直線的な動きだった。
 ロクに準備もなく七十九式自動砲を撃った反動で体は痺れていたが、まだ大丈夫。
 腕が真上に達し、渚も回避行動に移ろうとしたその瞬間、無機質な英語音声が格納庫に告げていた。

『Charge,completed』

     *     *     *

27 名無しさん :2010/08/27(金) 22:03:01 ID:w1hhOi020
十五時〇〇分/高天原格納庫

 サリンジャーは色を無くした表情で、音声が発された方向を見ていた。
 ノイズ混じりのオールビューモニターの向こう側では、レールキャノンの真っ黒な銃口がサリンジャーを捉えていた。
 なぜ、と呟く。アハトノインだけではなく、シオマネキですらも裏切ったことに対する『なぜ』。
 このタイミングでレールキャノンの冷却が完了し、再砲撃が可能になっていたことに対する『なぜ』。
 まるで世界が自分を負け犬に仕立て上げようとしていることに対しての『なぜ』だった。

『ふ、ふざけるな、まだ私は負けるわけには……』

 操縦桿を握り、フットペダルを踏み込んでレールキャノンの射程から逃れようとするが、動かない。
 故障かと思い、半ば恐慌する気持ちでシステムをチェックしてみたが異常はなかった。
 馬鹿な、と震える声で言ってみたが、どう動かしてもアベル・カムルは動かない。
 試作品だったからか? いや、テストならば十分にこなした。
 設計ミスではないことも自分自身が知り尽くしている。
 ではどういうことなのかと巡らせた頭が、ひとつの答えを導いた。
 裏切った。
 アハトノイン、シオマネキに続いて、電脳まで持たないはずのアベル・カムルでさえ裏切った。
 何の抵抗もなく侵入してきた結論にそんなことがあるはずがない、とサリンジャーは喚き散らした。

『機械風情が私に逆らうな! 動け、動け、動け! なぜ動かない!?』

 無茶苦茶に操縦桿を動かしても、
 力任せに拳を叩きつけても、
 緊急脱出装置のボタンを押してでさえ、
 何も反応することはなかった。
 まるでサリンジャーの周囲だけ時間が止まったかのようだった。
 ただひとつ、シオマネキが死の宣告を告げる以外には。

28 名無しさん :2010/08/27(金) 22:03:23 ID:w1hhOi020


『Five』

29 名無しさん :2010/08/27(金) 22:03:43 ID:w1hhOi020
 カウントダウン。
 ゼロになったその瞬間、電磁加速によって驚異的な破壊力を得た弾丸がボロボロになった機体を撃ち貫き、自分を肉片ひとつ残さず消し飛ばすだろう。
 いやだ、いやだ! 死にたくない!
 最早恥も外聞もなく、スピーカーを通して命乞いの声を張り上げたサリンジャーだったが、反応が返ってくることはなかった。
 リサ=ヴィクセンも、日本人の少年少女の二人も、アハトノインでさえも。

30 名無しさん :2010/08/27(金) 22:04:09 ID:w1hhOi020


『Four』

31 名無しさん :2010/08/27(金) 22:04:34 ID:w1hhOi020
 サリンジャーは立ち上がり、ガリガリとオールビューモニターを爪で削る。
 無駄と分かっていながら、無常に告げられる死の宣告に耐えられなかった。
 どうしてこんなところで死ななければならない?
 ずっとみじめで、見下されるだけの毎日が続いて、悔しくて、見返そうとしていただけなのに。
 天罰だとでも言うのか? 沢山の人間を殺してきた裁きが降り掛かってきたということなのか?
 ならばどうしてあの日本人共には天罰が下らない?
 殺し合いをしてきたのは、生きるために他者を犠牲にしてきたのは向こうだって同じではないか。

32 名無しさん :2010/08/27(金) 22:04:50 ID:w1hhOi020


『Three』

33 名無しさん :2010/08/27(金) 22:05:23 ID:w1hhOi020
 不公平だ。最後の最後まで、負け犬は負け犬でいろということなのか。
 身につけていた、『神の国』への入国許可証である十字架を投げ捨てる。
 そして神を呪った。こんな世界、私は認めない、と搾り出しながら。

「それは違うな、デイビッド・サリンジャー」
『……篁、総帥……!?』

 モニターの向こう、茫漠と浮かぶようにして現れたのは死んだはずの篁総帥その人だった。
 いつもと変わらない、全てを見透かしたような老人の瞳に、どういうことだと問い返す気力も失せていた。

「貴様は負けたのだ。連中の想い……変えたいという気持ちにな」
「所詮小物よ。那須宗一の相手が貴様に務まるか」

 隣に現れ、嗤ったのは醍醐だった。
 こうなって当然、想像通りの結果だと告げる顔に、サリンジャーは言い返せない。

「見ろ」

 篁がアベル・カムルの周囲を指差した。

「これが貴様の敗因よ」

34 名無しさん :2010/08/27(金) 22:05:46 ID:w1hhOi020
 気がつけば、そこには百人以上もの人の姿があり、アベル・カムルにまとわりつくように佇んでいる。
 無様な死だと笑ってきたはずの人間。
 勝手に参加者同士で潰しあってきたはずの人間。
 呪詛を撒き散らすだけ散らして死んでいったはずの人間。
 この島で死んでいったはずの、全ての人間の魂がアベル・カムルに取り付き、その動きを封じていた。
 最早幻覚だと思うことも出来ず、サリンジャーは何故だ! と問いかけた。

『なぜ私に楯突く! 殺すなら向こう側のはずだろう! あいつらは、お前達を殺してきたんだぞ!』

 人間達が、一斉に振り向いた。
 つまらなさそうにサリンジャーを見上げる顔達に、一瞬気圧されたものの、納得のいかない気持ちは変わらなかった。
 自分の何が悪い。殺した人間の方が遥かに憎いのではないのか。

35 名無しさん :2010/08/27(金) 22:06:03 ID:w1hhOi020


『Two』

36 名無しさん :2010/08/27(金) 22:07:57 ID:w1hhOi020
 サリンジャーの疑問に答えたのは、天沢郁未と呼ばれた少女だった。

「あんたさ、往生際が悪いんだよね」

 続いて来栖川綾香と呼ばれた女が後を引き取る。

「あれだけ勝ち誇った顔をしておいて、いざ危なくなると命乞いをする。あんたには失望した。一人の格闘家としてね」

 宮沢有紀寧と呼ばれた少女が、柏木初音と呼ばれた少女と一緒に現れる。

「勝ちを期待していたのですが……正直、見込みがなさそうなので向こうの味方をすることにしました」
「わたし達が憎いのはあいつらだけじゃない。あんたもだよ。お姉ちゃん達を殺した恨みだよ。……死ね」

 吐き捨てるように言い、振り向きもせず元の場所へと戻っていった。
 入れ替わりに現れたのは、篠塚弥生と呼ばれた女と、神尾晴子と呼ばれた母親だった。

「そのくせ、役立たず呼ばわりしてあっさり切り捨てた連中の多いこと。そら見限られるわ」
「少なくとも、私達はお互いを裏切らなかった。残念と思う気持ちも起きません。貴方は三流役者ですらなかった」

 殺しあっていたはずの連中にすら、蔑まれた目で見られる。
 或いは勝ちを期待していたはずなのに、篁の言う想いが足りなかったから、見捨てられた。
 それでもサリンジャーは綺麗ごとだ、と搾り出した。
 そんなもので世界が変わるか。世界を変えるのはいつだって力だ。
 力を得た自分は正しかったはずだ。悪い偶然が重なり合って、たまたま敗北を喫したに過ぎない。

「まだ分からねーのか」

 現れたのは、藤田浩之と呼ばれた少年。

37 名無しさん :2010/08/27(金) 22:08:15 ID:w1hhOi020


『One』

38 名無しさん :2010/08/27(金) 22:08:34 ID:w1hhOi020
 姫百合瑠璃、ルーシー・マリア・ミソラ、藤林杏、芳野祐介、伊吹風子。
 高天原で命を落とした面々がサリンジャーに最後の言葉を突きつけた。

「あんたは、一人になっただけだ」

 一人?
 虚を突かれたサリンジャーは、夢から醒めた面持ちで周囲を見回した。
 篁も、醍醐も、傍観者の目でしかなく、自分の味方ではない。
 周囲の参加者達は、既に全員が自分を敵と見る目をしていた。
 さらに視線を周囲に移す。
 味方は、誰もいなかった。
 あれだけ数を揃えていたはずのアハトノインも、一人として姿はない。残骸でさえも。

 サリンジャーの周りにいるのは、全てが敵だった。

 そのことを実感した瞬間、ふと一人で死ぬという言葉が飛び込んできて、わけもない恐怖が湧き上がってくるのをサリンジャーは感じた。
 一人で死にたくない。
 誰からも見捨てられたままなんて、嫌だ……!
 真実の死。本当の意味での死を理解した頭が拒否する叫びを発したが、誰も聞いてくれる者はいなかった。

39 名無しさん :2010/08/27(金) 22:08:49 ID:w1hhOi020


『Fire』

40 名無しさん :2010/08/27(金) 22:09:09 ID:w1hhOi020
「ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 どうして日本語になったのかは、分からなかった。
 考える間さえ与えられず、シオマネキから発射されたレールキャノンの光がデイビッド・サリンジャーの体を押し潰し、
 意識ごと消し飛ばしたからだった。
 直撃を受けたアベル・カムルの体が半分から真っ二つに割れ、吸気口から末期の声が木霊した。
 格納庫の壁まで吹き飛ばされた上半身はしばらくの間痙攣し、やがて振り上げていたはずの腕をだらりと下げ、そのまま動かなくなった。
 一人の人間の存在が、跡形も残さず、消えた。

41 名無しさん :2010/08/27(金) 22:10:17 ID:w1hhOi020
ここまでが第三部となります

42 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:12:27 ID:w1hhOi020
十五時〇〇分/高天原格納庫

 崩れ落ちたアベル・カムルは、最後の最後までこちらを殺そうと腕を動かしかけていたが、やがてそれもなくなり完全な物と化した。
 僅かに燐光を発していたカメラアイからも光が消え、生物的な死を想起させたが、ある意味でそれは正しかった。
 アベル・カムルとその同乗者は一心同体であったのだから。

『System,cooldown』

 英語音声と共に排熱がシオマネキから行われる。プシュー、と空気を漏らすその姿は一仕事を終えたといった様子だ。
 お疲れさん。一言労ってやってから、宗一はぺたんと地面に座り込んでいる渚へと手を伸ばした。

「どうした。ヘタれたか?」
「そうみたいです」

 曖昧に笑う渚は全身の力を使い果たしたようで、緊張の糸が切れたのだろう。無理もない話だった。
 普段なら注意しているところだったが、今は全てが終わったのだ。これくらいはさせてやってもいいだろう。
 しばらくは現在を整理するだけの時間も必要だった。宗一は続いて、シオマネキの脚部にもたれるようにして座っているリサに話しかけた。

「お疲れ。カッコよかったぜ、あの狙撃」
「そっちこそ、随分パワフルな攻撃だったわよ」
「世界最高のエージェントが二人揃えばこんなもんよ」
「あら、三人、じゃないの?」

 リサは悪戯っぽく笑って渚を指差す。宗一は肩を竦めた。
 冗談、とは口が裂けても言えない。まず間違いなく、自分達と同等以上の動きを渚はしてくれた。
 それだけではない。アハトノイン、シオマネキ。元は敵であるはずの彼女らがいなければ誰一人として欠けることなく勝利することはできなかった。
 みんなはひとつ、か。ルーシー・マリア・ミソラの言葉を反芻して、宗一はその通りだなと鈍い実感を確かめた。
 スタンドプレーで突っ走ってきた自分が思うことでもないと思ったが、変わったのだろうと考えることにした。
 感慨を結ぶ一方で、ふと疑問に思っていたことが再び浮上してきたので、事の真相を知っていそうなリサへと宗一は問いかけた。

43 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:13:09 ID:w1hhOi020
「そういやさ、どうしてこいつらは味方してきたんだ? 何かあったのは分かるんだが」
「私にも正確な所は分からないわ。……多分、あの地震の前後で何かが変わった」

 ああ、と宗一は頷いた。渚と二人で武器を回収して回っている途中、小規模な揺れを感じたのを覚えている。
 感覚的には爆発物による振動だった。あれで、何かが壊された。それによりアハトノインやシオマネキの電脳に異変が生じたというところだろうか。

「ちょい待て。シオマネキは? あれ煙吹いてたよな」
「予備電源があったんでしょう。電脳が辛うじて生きていた、と私は想像したけど」

 正確なところは分からず仕舞いか。
 今一度アハトノインとシオマネキの両方を眺めてみたが、アハトノインは無言で佇み、シオマネキはピクリとも動かない。
 もしかすると、レールキャノンの連続使用によって電源が切れたのかもしれなかった。
 機械らしいと思いつつ、宗一はまだ生きていると思われるアハトノインに対して、試しに命令を行ってみる。

「アハトノイン。案内を頼めるか」
「どちらまででしょうか。捕捉します。私の内部データには高天原内部のマッピングしか存在しません」

 どうやら聞いてくれるようだった。「十分だ」と付け加えて、目的地を告げようとしたが、その前にアハトノインが返事した。

「ジュウブン、と仰る目的地は存在いたしません」

44 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:13:37 ID:w1hhOi020
 沈黙が流れる。しばらくしてどこからともなく笑う声が聞こえ始め、やがてそれは三人分のものとなって格納庫に木霊していた。
 不思議そうにアハトノインが首をかしげる様を見ると、やはりほしのゆめみの姉妹機だと思った。
 済まん、ルーシー。俺、こいつ許すことにするよ。
 どうしても彼女の命を奪った機体と同系列のものだと思えなかったからだった。
 皆がどう思っているかは分からない。が、こうして三人分の笑い声が聞こえていることが、自分と同じことを考えている証明だと思いたかった。

「ごめんなさい。もう一度目的地を言うわ。地下ドックとか、ない?」

 未だ笑いを抑えきれないリサに不快感を表すこともなく、淡々とアハトノインは頷いた。

「存在します。ご案内を行いますか?」
「ああ、頼む」

 宗一も笑いが収まらなかった。渚もそれは同様で、隠すようにしながらも体を揺らしている。
 どうやら自力で立ち上がれそうもないと判断して、宗一は渚まで駆け寄り、背中を差し出した。

「乗れ。おんぶだ」

 まだ笑う気配があり、たっぷりそれが数秒ほど続いてから肩へと手が回され、体が預けられる。
 遠慮なく体重を預けてくることと、伝わる渚の体温が嬉しく、宗一は「よっしゃ!」と張り切って勢いよく立ち上がった。

「あ、わっ」

 いきなり立ち上がったためか、バランスを崩しかけたらしく、しがみつくようにして渚の力が強まる。
 当然、彼女の体の柔らかい部分もより密着し、触れている。思わず顔を崩してしまった宗一を目ざとくリサが目撃していた。

45 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:14:56 ID:w1hhOi020
「スケベな顔ねぇ」
「……宗一さん?」

 女の勘は鋭い。リサの言葉を聡く悟った渚から、怒るような気配が伝わる。
 心なしか、肩にかかっていたはずの腕が首に回されているような気がしなくもない。
 はは、と誤魔化すように笑いながら、「いや結構ボリュームあった」と褒めるつもりで言ってみたのだが、逆効果だった。

「〜〜〜〜〜〜っ!」
「いでででででで! 痛い!」

 思いっきり頬をつねられる。しかも綺麗に伸びていた爪が食い込んでいたので尚更だった。
 遠方では醒めた顔のリサとアハトノインが、バカ夫婦、とでも言いたげな視線を寄越していた。
 違うぞ。男の性だ仕方がないと言い訳しようとしたところで耳障りな警告音と共に新たな英語音声が聞こえてきた。

 Self-destruction seqence has been activated.
 Repeat.Self-destruction seqence has been activated.
 This seqence is not be aborted.
 Please escape promptly...

     *     *     *

46 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:15:22 ID:w1hhOi020
十五時〇〇分/高天原下層

「……」
「……」
「なあ、今なんて言ってたんだ?」
「知らん」
「お前高校生だろ! 英語くらい聞き取れるようになっとけよ!」
「るせーっ! お情けで卒業させてもらった女に何を求めておるかこのばかちんっ! てゆーかそっちこそいい大人の癖して英語くらいできんのかー!」
「あー!? 高卒バカにしやがったなてめぇ! 知るか! 知らん知らん! あんなネイチブな英語聞き取れるかっつーの! ……だけどよ」
「なに」
「途轍もなくヤバいってことは分かる」
「同感だね。あたしもだよ」
「……」
「……」

 逃げよう、という言葉が俺達の間で重なった。
 どこへ行けばいいのかはさっぱり検討もつかなかったが仕方がない。
 肩を抱える格好から、俺はひょいとまーりゃんの体を持ち上げる。今はこっちのが楽だった。

「ちょ、ちょ! 何やってんの!」

 ……問題は、お姫様抱っこなんて恥ずかしさマックス極まりない格好だったことだった。
 明らかに赤面したまーりゃんが今にも噛み付いてきそうなツラで俺を見ていた。
 知らん。大体お前がチビなのが悪い。

「おい貴様今チビとか抜かしおったか! 成敗!」
「いでででででで!」

47 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:15:54 ID:w1hhOi020
 思い切り頬を引っ張られる。全然ラブコメの香りがしないのは俺とまーりゃんという組み合わせだからに違いない。
 とはいえバカをやっているような状況じゃないと冷静に判断した俺は手をさっさと払いのける。
 ムッとした顔を向けられたが、構わず俺は走る。どこかって? もうどうにでもなれだ。
 早くもランナーズ・ハイになってきたらしい。色々と感情が出てくる。まーりゃんがぎゃーぎゃー言い続けているのもあったが。

「うるせぇ、ガタガタ抜かすな。悔しかったらおっぱい大きくするか身長伸ばしてみろ」
「また言うかこのモジャ頭」
「……てめぇ」
「……何だよ」

 いつもならここらで止めてくれるゆめみさんはいない。
 お互い収まりがつかなくなっている俺達は、ヒートアップを続けていた。

「大体、てめぇは最初から気に入らなかったんだよ。五月蝿いわ、突っかかってくるわ」
「同感だね。あたしもあんたなんか気に入らなかったんだ。ぶっさいくな癖に、さーりゃんと一緒にいやがって。んでいざ会ってみたら性格まで最悪」
「抜かせ。俺はその百倍も気に入らなかったんだ。俺は今でも怒ってんだぞ」
「……なに?」

 一瞬、まーりゃんの声が詰まった。
 分かるはずもないだろう。これは男にしか分からない屈辱だった。
 普段なら理性を働かせてここで思いとどまるはずなのだが、この時ばかりは口が滑った。
 ゆめみもいないし、茶化すポテトもいないし、何より今はランナーズ・ハイだった。

48 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:16:16 ID:w1hhOi020
「初めて会ったとき、俺の股間思いっきりぶっ叩きやがったろ。痛かったんだぞ。チンコ勃たなくなったんだぞ。どう責任とってくれんだこの……」

 俺は最後まで言い切ることはできなかった。くっくっく、と低く喉を鳴らしてまーりゃんが笑い続けていたからだった。
 笑うんじゃねえ、そう言おうとしたが、収まることのない笑いに俺もつられて笑ってしまっていた。
 二人の体が揺れ、何度かまーりゃんの体を抱え直すうちに、色々なものが抜け落ちてゆくのを俺は感じていた。
 大真面目に言ったつもりなのに、ただのバカ話、笑い話としか思えなくなってしまった。
 何の遠慮もなく笑い続けているまーりゃんを見ていたら、尚更そう思った。
 もう反感も何もあったもんじゃない。まーりゃんが一番嫌いだった理由がこれなのに、笑い話にされちゃどうしようもない。
 こういうものなのかもしれない、と思った。一度口に出してしまえば笑って済ませられる。
 世の中のケンカなんて大体そんなもんなんだろう。そうして、俺達は仲間を持ち、仲間意識を持ち、一蓮托生の中に身を置いてゆくのだろう。

「バカじゃないの、ホント」
「うるっせえな。マジに怒ってたんだからな」

 今はもう違うのだが。
 はいはい、とくっくと笑うまーりゃんにもうこの話題を続ける気は起きなかった。
 初めて仲間意識を自分から持てたと感じた人間に、もう少し自分をさらけ出してみたいと思う気持ちの方が今は強かった。

「……麻亜子」
「あ?」
「朝霧麻亜子。あたしの、本当の名前」

49 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:16:39 ID:w1hhOi020
 笑い疲れた顔のまま、今度はまーりゃん……いや、麻亜子がそう口にしていた。
 初めて聞いた奴の名前は、驚くほど地味で女らしかった。

「地味で、変な名前でね。なんか嫌いだった。好きになれなかった。だから、まーりゃん、って名乗ってきた」

 言う割には、麻亜子はすっきりした顔をしていた。殆ど、本名は誰にも明かしてこなかったのだろう。
 それをこうして言ってくれたのは、同様の仲間意識を持つようになってくれたから、なのだろうか。

「悪くない名前だ。俺に比べりゃな」
「そういや、あんたの名前はなんて言うの?」

 俺も嫌いだった。自分の名前が。
 女みたいな字面で、ガキの頃から散々バカにされ続けてきた。
 名前なんてクソ食らえ、なくなってしまえばいいと思っていたが、今は寧ろ穏やかな気持ちで自分の名前を言うことができた。

「……そっか。いい名前だと思うよ。まあモジャ頭には似合わない名前だけど」
「うるさい。そっちこそサイドポニーが似合わない名前してんじゃねえよ」

 また笑いが漏れた。些細なことでも笑い合える空気が、今の俺達にはあった。
 似たもの同士。嫌いな奴ばかりだったが、ようやく好きになれそうな気がしていた。

50 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:17:01 ID:w1hhOi020
「高槻さんっ!」
「ぴこぴこー!」

 すると、ずるずると箱型の何かを引っ張ってゆめみさんが現れた。
 おい。確かに杖になりそうなもの持って来いとは言った。
 言ったが、あんなバカでかいもん持って来いとは言ってないぞ。
 っていうかアレロケランじゃねえか! んなクソ重いもん持ってどうしろってんだ!
 突っ込みが追いつかないことに頭を抱えたくなったが、生憎両手に麻亜子だった。
 しかもなぜか、今の麻亜子はしっかりと両腕を首に回して抱きついている。ふざけんな。ニヤニヤすんな。
 もう突っ込みは諦めろといつものようにポテトが頭に乗っかり、俺の夢の時間は終わった。そして現実が始まる。

「さっきの英語、なんて言ってたか分かるか」
「自爆装置が作動して、もうすぐ爆破されるそうです」

 言って、ゆめみさんは「お待たせしました」とロケランの箱をプレゼントしてくれる。やっぱ重い。
 しかし自爆装置か。まるでアクション映画のラストシーンだな。
 問題は雄たけびを上げながら逃げる場所が見つからんということなんだが。

「いつ爆発する」
「三十分後、と……」
「げっ」

 時間がない。間に合うのかこれ。この島と一緒に心中なんてゴメンだぞ。
 とにかく今は走るしかない。ゆめみがいるから時間の確認は大丈夫だろう。

「あの、杖は……」
「いらん。お前が持ってろ」

51 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:17:26 ID:w1hhOi020
 はあ、と生返事するゆめみに麻亜子が調子に乗って「あのねー、この子がどーしてもあたしでお嫁さんごっこしたいとか言うもんでさー」とか言いやがったので一発殴った。
 お前が言うと犯罪になる。割と本気で殴ったので麻亜子は悶絶の呻きを上げていた。これでよし。

「よくないっ! よくも乙女の頬を! 親父にもぶたれたことなかったのに!」
「何が乙女だ幼女体型! これ以上余計な口きくと今度は修正するぞ!」
「えっあたしの貞操の危機?」
「あ? お前処女だったの?」
「貴様ーっ! よよよよりにもよってこのあたしをビッチ呼ばわりかー! 本気で傷ついたぞあたしは!」
「いやまあ、頑張れよ」
「くっそーっ! なんか同情されたーっ! むかつくー!」
「はいはい、ちょっとようござんすか」
「「うわあっ!?」」

 いきなり出てきたのは妖怪眼帯女……ではなく、一ノ瀬ことみとか言う女だった。
 一体どこから現れたのか、全く気配を察知できなかった。と思ったら向こう側でゆめみさんがにこにこ笑っていた。あいつか。
 あまりにビックリしたのか、麻亜子は固まった表情のまま俺にさっきより密着していた。骨ばっててあんまり嬉しくない。
 それよりさっきの会話はどこまで聞かれていたのだろうか。下ネタを頻発していた気がする。
 頼む神様、最後の一言だけ聞いてたとかそんな感じの運命をお願いします。

「大声で処女とかビッチとか、言わない方がいいと思うの」

 神は死んだ。分かってはいたが。

「まあそれはさておき」

 涼しい顔で一ノ瀬は流してくれた。ありがたい。包帯は怖いが。

52 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:17:44 ID:w1hhOi020
「脱出口なら既に知ってるの。ここをずっと降りていけば、潜水艦のあるドックがあるから」
「マジか!」
「マジも大マジなの。地図で確認したから」
「ってことはお前についてけばいいわけだな? 何分でつく?」
「急げば五分くらい」
「善は急げだ。早速道案内頼むぜ」

 そういや、リサ=ヴィクセンの姿がないのが気になったが、まああの女なら大丈夫だろう。
 簡単にくたばるような女ではないはずだ。
 ……とはいっても、俺はもう三人死んでるのを確認してるんだけどな。
 せめて楽に死ねたならいいんだが。
 それ以上考えても仕方ないと思い、一旦思考を中断して脱出に専念することにした。
 先導する一ノ瀬に従って俺達も後に続く。
 ゆめみさんは片腕一本でロケランを抱え上げていた。ぱねえ。
 捨ててしまえと言おうかとも思ったが、機会を逃した。「早く走れー! 万馬券はすぐそこよっ!」と麻亜子が五月蝿いからだった。
 俺を馬扱いするんじゃないと怒る気はなかった。というか、競馬に当てはめているのがおっさん臭くて少し悲しくなった。

「なんか失礼なこと考えてた?」

 女の勘は鋭い。

     *     *     *

53 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:19:01 ID:w1hhOi020
十五時三分/高天原連絡橋

「なあ、今の英語……」
「最後のだけなんとか……逃げろ、って」

 何か良くないことが起こっているのは明らかだ。
 国崎往人は歩く足を早めた。それで痛みが増そうが、死ぬよりはマシだった。
 隣にいる川澄舞が、大丈夫と不安げな視線を向けてきたが、笑って応じる。思った通りの表情になれているかは自信がなかったが。
 幸いにして、アハトノインを倒して以降あちこちを駆け巡りマップらしい見取り図を確認していたので逃げ場所は確保してあった。
 問題はその場所が潜水艦ということであり、はっきり言って自分達には動かせる可能性もないということだった。
 どうにかなる、と思うしかない。期待の星はリサだ。別れたままだが、きっと生きていると信じている。

 通路を抜け、潜水艦のドックへと通じる連絡橋へと至る。
 ドックと高天原は離れている構造になっているのか、連絡橋の道幅は広くはなく、橋の間はがらんどうがぽっかりと口を開けていた。
 ここから落ちれば高天原の最深部……上がってこれるかも分からない場所に直行だろう。
 明かりは見えず、取り合えずそこまで行くのは遠慮しておきたいところだった。
 上を見えればもうひとつ連絡橋があり、ここからも梯子を伝って行けるようになっていた。
 往人達は割と下までやってきていたらしく、上の連絡橋は中層くらいまでありそうだった。
 他に人間の姿はない。自分達が一番乗りだったのだろうか。
 それはそれでいい。遅刻よりは遥かにマシだ。寧ろゆっくり行けると判断して速度を緩めかけた往人達の目の前、連絡橋の奥から一つの影が現れた。
 距離にして、約50m前後といったところだろうか。闇から現れたその影は、異様な風采をしていた。いや。

「……マジかよ」

54 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:19:43 ID:w1hhOi020
 壊れていた。
 それはかつて藤林杏と芳野祐介が命を懸けて突き落としたはずの機体だった。
 頭部は半壊し、剥き出しになった金属の頭蓋と異様な光を放つカメラアイがある。
 腕は片腕が落ち、ボキリと折れてしまったのか骨格が鋭く槍のように突き出している。
 もう片方の腕もボロボロで、手から先の部分の皮膚が削げ、フレームのみになった指がうねうねと蠢いている。
 足も同様であり、赤い冷却液まみれになった太腿がてらてらと輝く様子は化け物染みていた。
 がちゃ、がちゃと歩くたびに音がする。内部にも異常があるらしく、どこか眩暈を起こしたようにふらつく歩き方だった。
 往人達を捉え、敵と見定めたアハトノインが歪んだ笑いと共にノイズ混じりの音声を発した。

「あな、たを、……し、ましょう」

 天を見上げ、神を崇めるような仕草をして……直後、ゾンビのような足取りからは考えられないようなスピードで突進してきた。
 狭い通路。逃げ場はない。「下がって!」と即座に叫んでいた舞が日本刀を抜き放ち、同時に『力』を展開する。
 槍のように先端が尖った金属骨格が突き出される。凄まじい速度だったが、何とか受け止めて反らす。
 それと同時、陽炎のように現れた『力』がアハトノインに突進し吹き飛ばす。
 機械などでは測りようもない正体不明の力に巻き込まれながらも、既に電脳がイカれきっているらしいロボットは風と受け流すだけだった。
 続けて舞は『力』を前進させ押し込めようとするが、迫る攻撃の正体を掴んでいたようだった。
 大きく跳躍し、突っ込んできた『力』を回避。その上特製の槍を背中と思しき部分に向けて突きこんだ。

「ぐ……!」

 苦悶の表情になり、舞がガクリと膝を折る。
 あれは舞の身体と直接連動しているらしいと気付き、往人は「下がらせろ!」と叫んだ。このまま無茶をさせていい状況ではなかった。
 既に奇襲は通用しない状況になっている。ここは弾幕を張るべきと結論し、今度は往人が自らの力を解放する。
 ふっ、と『力』が消えたのを確認したと入れ替わるようにして、往人がフェイファー・ツェリスカを連射する。
 本当ならば人間の力などでは連射など不可能な反動があるツェリスカを連射することなど不可能だ。
 しかし往人は物を自分の意志で好きなように動かすことのできる法術の応用で、
 動かすための力を反動の相殺に使うことで自らにかかる負担を最小限にし、連射を可能にしていた。
 元々の反動が凄まじい分、往人の消費する力の度合いも大きかった。一発撃つ度にズキリと頭が痛み、銃口がブレそうになる。
 意識を失わないのは我ながら根性があると思ったが、当たらないのでは意味がなかった。
 壊れている癖に銃撃を鋭く察知したアハトノインは手すりを器用に飛び回り、その銃撃を悉く回避していた。

55 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:20:12 ID:w1hhOi020
「くそっ!」

 とても半壊しているとは思えない動きだった。先程戦ったアハトノインとは違う。
 いや、学習したのかもしれない。あの壊れ方は恐らく、他の連中と交戦したときに生じたダメージなのだろう。
 戦闘から行動パターンを読み、どのような動きを行えばいいのかシミュレートまでしていたに違いない。
 その上このしぶとい生命力。以前のように根元から壊しきってやらなければ完全に動きを停止させることは不可能と思ってよさそうだった。
 接近したアハトノインが、上から槍を突き出す。早い。想像以上のスピードにツェリスカを向ける動きが間に合わない。

「お願い、もう一度!」

 そこに飛び込んだのは舞と彼女の『力』だった。空中で槍を弾き、更に突進した『力』がそのまま格闘戦に持ち込む。
 転倒したアハトノインだったが、追撃する間を与えない。のしかかろうとした『力』を回避し、そのまま蹴り飛ばす。
 手すりにぶつけられ、ぐったりとして動けなくなる。当然舞にもダメージが及んだが、少し顔を歪めただけでそのままアハトノインに突っ込む。
 日本刀を一閃。アハトノインも槍で受け止め、そのまま鍔迫り合いの格好となった。

 無論パワー勝負となれば不利。それを分かっている往人は舞の肩越しに、今度はコルトガバメントカスタムを力の限り連射する。
 再び反動を無理矢理法術で押さえ込んでの射撃。そうでもしなければこの傷ついた体でアハトノイン相手に戦うにはいささか分が悪過ぎた。
 しかしこの連携も読まれていた。鍔迫り合いをするふりをして、アハトノインはサッと後方へ離れる。
 だがそこまでも往人達は織り込み済みだった。今は二人ではない。三人だ。
 更にアハトノインの後ろに回りこんでいた舞の『力』が橋から突き落とそうとする。
 今度こそ、と往人は思ったが、あのアハトノインは考える以上の実力を有していた。
 しゃがんでまず攻撃を空振りさせ、足元を槍で突き刺す。
 『力』がぐにゃりと揺れ、その存在を弱めたと同時、連動してダメージを受けた舞に逆に突っ込んでいた。
 すかさずガバメントカスタムで援護するが当たらない。舞も無防備な姿を晒すことだけは避け、日本刀を横に構えて防御したものの、
 上向きに振った槍の圧力に耐え切れず刀を手放してしまった。そこに肩から突進され、吹き飛ばされた舞に巻き込まれ、往人も横転する羽目になった。
 刀が橋の底、暗闇の彼方へと消え去る。舞の武器がなくなった。
 舞を支え、立ち上がりこそしたものの、圧倒的不利に立たされた。強い。
 だが、まだ終わってもいない。以前の戦いだってそうだったはずだ。
 全身が痛み、法術の力も殆どなくなりかけている。ガバメントも、ツェリスカも弾は全くといっていいほどなくなっている。
 とはいえ、戦法の一つや二つ残ってはいる。後は実行できるかどうか。遂行しきれるかどうかというところだ。結果はついてくるはずだった。

56 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:20:41 ID:w1hhOi020
「済まんが、また動かせるか?」
「少しなら……あの子も、疲れてきたって言ってる」
「お互い限界のようだ」

 文字通りの総力戦。この体も、精神も、とうに限界を超えて磨り減ってはいるが、後から後から気力が湧き出て体を動かしてくれる。
 支えている舞の体温を確かめる。彼女の存在があるからここまでやってくることが出来たのだし、自ら目を背けてきたこと、忘れていたことを思い出すことが出来た。
 自分の生きてきた軌跡。目的。やりたかったこと、やりたいと思っていること。
 大切な家族がいたこと。家族に誇れる自分になりたいと思ったこと。そして、作ってみたいと思ったこと。

 俺の旅も、そろそろ終着点にしなくてはならない。

 一人旅ではなく、新しく連れ添う人と始める旅に出るために……
 アハトノインが身じろぎしたのを見計らって指示を出そうとしたとき、二人の頭上を駆け抜けた存在があった。
 人間では考えられない跳躍力と速度。長い金髪をはためかせながら往人達の盾になるように前に出たのは、立ちはだかる敵と全く同じ存在だった。
 グルカ刀を引き抜き、『アハトノイン』が、アハトノインへと斬りかかったのだった。
 損傷の度合いこそ違うとはいえ、同じ顔、同じ身体である二体が同士討ちの様相を呈していることに呆然とする。
 どういうことだ? 理解しかねている間に戦闘は始まった。
 それまで往人達と戦っていたアハトノインが新たに現れたアハトノインのグルカ刀を槍で受ける。
 先程までとは違い、力は完全な互角。今度こそ鍔迫り合いをする形となり、両者が押しも押されぬ無言の攻防を繰り広げる。
 どう判断していいのか分からず、顔を見合わせるしかなかった往人と舞に声がかかったのは、両者の戦闘が始まって少し遅れてからのことだった。

「大丈夫、二人とも!?」
「リサか? それに那須……」
「渚もいる」

57 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:21:55 ID:w1hhOi020
 連絡橋の向こうから小走りに寄ってきたのはリサ、宗一、渚の三人だった。
 どうやら苛烈な戦闘を潜り抜けてきたようで、リサも宗一も満身創痍といった様子で、渚に至っては歩けないのか宗一におんぶされている。
 止血する暇もなかったのか、破れた服の隙間から出血が見られた。かなり激しい戦いだったようだ。
 武器もリサが抱えているM4以外はほぼ空っぽ、いや持ってもいない様子からほぼ使い切る程のものだったのだろう。
 しかし今はそれより、自分達の背中越しに切り結んでいるアハトノイン達の方が気になった。

「ありゃ何だ。なんで同士討ちしてる」
「あっちは味方だ。寧ろ俺らからすればあの壊れかけの方が敵対してるのが不思議だよ」

 どういうことだ、と舞共々首を傾げる。言葉を窺う限り、駆けつけた方は間違いなく味方だというのは分かるのだが。
 ん、とリサは少し考える素振りをした後、「これは推測なんだけど」と前置きして続けた。

「あっちは壊れてるからじゃないかしら。命令の変更が行き届かなかった」
「命令の変更……」

 舞の呟きで、往人は一つの事実を察した。
 吉報も吉報、これ以上の果報は現在考えられないものだ。

「倒したのか? ここのボス」
「ええ。最も、あの子はそれ以前から味方してくれてたんだけど……とにかく、倒したのは事実よ」

 リサの言葉に、ようやく本当の意味で往人は顔を綻ばせることができた。
 倒した。それはつまり、完全に敵対している者はいなくなったということ。

「……だけど、まだ終わりじゃない。あれが最後の敵」

58 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:22:31 ID:w1hhOi020
 緩みかけた往人の気持ちを引き締め直したのは舞だった。
 アハトノイン同士の対決は未だに続いていたが、損傷は先程戦闘していた方が明らかに酷いにも関わらず、援軍として駆けつけた方を徐々に押し始めていた。
 学習能力の差が響いてきている。最後の最後まで敵として立ちはだかるアハトノインは、半壊していてもなお禍々しさを増しているようにも思えた。

「……サリンジャーの亡霊ね」

 援軍に駆けつけねばならないと分かっているリサは既にM4を構えていた。
 サリンジャーと呟いた名。それがここを牛耳る敵の名前であり、死亡しても自分達をここに押し込め、殺し合いを強要させようとする怨念の名前だった。
 しかし不思議と恐怖は沸かない。「しつこい奴だ」と一言言い直した往人はツェリスカの残弾を確かめた。
 その数、一。まだ見捨てられてはいないらしい。何度も助けられたなと感慨を結びながら、往人はツェリスカに向かって問いかける。
 最後まで俺を助けてくれるか?
 ズシリと手のひらにかかる銃の重さが答えだった。いい女房だ。舞には劣るが。

「今動けるのは他にいるか」

 宗一と渚は首を振る。当然だ。傍から見てもあれはもう限界だ。判断は流石に那須宗一といったところか。
 舞は首を縦に振りかけたが、往人が制した。まだやってもらうことがある。それは舞にしかできないことだった。
 察してくれた舞が「頑張って」と手を握ってくれた。「ああ」と一言応じて、ぐっと力強く握り返す。
 柔らかく、暖かい鼓動が手のひらを通して伝わってくる。それは命の重み。現在も生き続けている存在の証だった。
 確認したと同時、守ってくれていたアハトノインが蹴りで吹き飛ばされ、こちらのすぐ側まで転がってくる。選手交代だった。
 そのまま槍を突き出して走ってきた『亡霊』にまず向かったのはリサだ。
 M4による正確無比な射撃が殺到する。傷ついてもなおその精度は変わらなかった。
 当たるのは不味いと判断している『亡霊』はツェリスカを避けたとときと同様、手すりから手すりに器用に飛び回り殆ど命中させない。

59 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:22:54 ID:w1hhOi020
「源義経の八双飛びね……だけど!」

 先読みして虚空へとM4の射線を変えたリサだったが、読まれた。
 今度は飛ぶことなくストンと地面に降り立つ。だがそれこそが狙い。地上戦なら誰よりも強い味方がここにいる。
 アハトノインだった。既にグルカ刀を構えている彼女に槍で攻撃させる間は与えない。
 大きく踏み込んで袈裟に斬りかかる。『亡霊』はまだ無事な方の腕を咄嗟に掲げ、ガードする。
 キンと火花が散るも、強固な硬さを誇る骨格を切り裂くことはできなかった。大振りであったために生じた僅かな隙に、アハトノインが再び蹴りを食らってしまう。
 吹き飛ばされたのは手すりの向こう側。奈落へと通じる穴だったが、ギリギリで縁を掴んだアハトノインは何とか落下を免れる。戦闘への復帰は不可能。
 だが、構わない。切り札はまだ残っているのだ。

「行けっ!」

 叫んだのは舞だった。いつの間にか背後に忍び寄っていた『力』が羽交い絞めにする。
 抑えていられるのは少しの間だが、動けなくなれば十分。法術を振り絞り、ツェリスカに詰め込んだ往人が最後の射撃を行う。

「終わりだ!」

 しっかり狙っての射撃。今度こそ避けようもないと思った往人だったが、カメラアイを紅く光らせ、こちらを睨んだ『亡霊』の執念は凄まじかった。
 羽交い絞めにされたまま、足だけを振り上げてツェリスカへの盾としたのだ。
 象ですら一撃で仕留めるツェリスカの.600NE弾をそれで押さえきれるわけもなかったが、吹き飛ばされたのは片足だけだった。
 衝撃を受け、ごろごろと転がりはしたものの、むくりと起き上がり、手すりを支えにして起き上がる。

 ここは通さない。この島と一緒に死ね。

 声にならないノイズ音に紛れて、しかし確かにその声が往人には聞こえた。
 殺し合いを強要させ、己の欲望のために他者を踏みにじることも恥じない人間の声。
 往人はようやく、アハトノインの奥に潜んでいた真実の敵を確認することができた。
 そして強く言い返す。機械越しとでしか俺達と向かい合えないお前に負けてやるか、と。
 だがツェリスカは弾切れ。M4も撃ちきってしまったらしく、リサも動けない。
 後一撃なのに。もう動けず、その場で仁王立ちしているしかない奴にトドメを刺せるなにかがあれば……!

60 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:23:22 ID:w1hhOi020
「さっさとくたばってろ、化け物!」

 それは遥か後ろから聞こえ、遥か後ろからやってきた。
 往人達の間を高速で何かが通り抜け、煙を引きながら『亡霊』へと迫り、体の真正面、胸へと直撃した。
 避けようのなかった機械の体が文字通り木っ端微塵に砕け散る。
 ロケット弾による爆発が起こした膨大なエネルギーが体を押しひしゃげ、火球が『亡霊』そのものを包み込んだからだった。
 爆発に飲み込まれる直前、口が何事かを発したように思えたが、少なくとも往人は確かめる術を持てなかった。
 呪詛の言葉でさえ爆発の大音響に飲み込まれ、最後まで従った、壊れたアハトノインと共に『亡霊』もその姿を消した。
 一瞬の静寂。我を取り戻し、勝利の時間を確かめている間に、トドメを刺した連中の明るい声が響いた。

「……どーだっ。ざまあみろ!」
「あっ、あっ、手を離さないで! 重たいの……!」
「バカ肩落とすな! 俺の負担が大きく……ぐおお!」

 高槻達だった。麻亜子、ことみと共に三人一組でロケットランチャーらしきものを持っていたが、
 今は喜んでいる麻亜子が手を離してしまっているために二人で支えている状態だった。

「ごめんなさい。ギブ」

 そしてことみが戦線離脱。「ぎゃー!」と悲鳴を上げた高槻はロケットランチャーに潰されたかに思われたが、すんでのところでゆめみに助けられていた。
 片腕のみという状態のゆめみだったが、平然とした顔で支えているのを見るとロボットだなという感想が改めて湧き上がってきた。
 なくなった腕の部分からはみ出している機械の部品が見えたというのもあったのだが。

61 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:24:24 ID:w1hhOi020
「ありゃ。ごめんよ」
「アホ! 危うく俺の選手生命が閉ざされるところだっただろうが!」
「ごめんって言ってるじゃん心の狭い奴め」
「殴る」
「うおっキレたっ! 逃げろー!」

 怒涛の勢いで走り出す麻亜子。いきなり始まったケンカに皆呆然とした面持ちで眺めている。
 当然だろう。往人は頭を抱え、この緊迫感のない状況を嘆いた。
 それとも、これが生きて帰れるということなのだろうか。

「ぴこ」

 気にするなという風にポテトがてしてしと膝を叩いていた。
 この毛玉犬、いつの間にやら知性を身につけてきたのは気のせいではあるまい。
 久々にその体を抱き上げ、撫でてみる。嫌がるかと思えば案外素直にポテトは身を任せてくれていた。
 全く、ここの連中は変化が多過ぎて飽きない。
 それでいて嫌味を感じさせないのだから尚更だ。

「てめー怪我してんじゃなかったのかよ! ずっとお姫様抱っこしてた俺の時間を返せ!」
「わっバカなにカミングアウツしておるか!」

 思わず反応してしまったらしいところを高槻に掴まれ、頭をグリグリされている。いつもの光景だった。

「……お姫様? 抱っこ?」
「何でもないよまいまい別に楽したかっただけとかそんなんじゃあいでででででで!」

62 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:24:49 ID:w1hhOi020
 照れ隠しなのかそれとも真実そう言っているのか。どちらにしても往人の感想としては「どうでもいい」だった。
 往人は随分前に高槻に出会ったときのことを思い出していたが、麻亜子と同じくらいやかましかったのを今思い出した。
 この二人が絡むとロクなことにならなさそうだった。
 風子と似ている……そう、本人に伝えようとしたが、いなかった。
 それだけではない。芳野、杏、浩之、瑠璃、ルーシーの姿もない。出遅れているとは思えなかった。
 事実を静かに察して、往人はほんの少しだけ黙祷を捧げた。それが彼らへの慰めにもなるとも思えなかったが、
 僅かにでも時を共有した仲間として、そうしなければならないと思ったからだった。
 人形劇でもできれば。そう思って手のひらを眺めてみたのだが肝心の人形はないうえ、力を感じられなかった。
 先程の戦闘で、力を出し切ってしまったのかもしれない。旅芸人を続けられた証である法術を失ってしまったと直感したが、こみ上げてくるのは苦笑だけだった。
 真実、ここからは本当に新しい一歩を踏み出さなくてはならない我が身を確認したからだった。

「どうしたの?」

 笑っていることに気付いた舞がそう尋ねてくる。
 往人は「いや」と前置きして、自らの力が失せてしまったことを伝えた。

「人形劇は店仕舞いだ」
「そう……」

 残念そうな顔だった。もっとしっかりとした形で人形劇を見せてあげられたらと思ったが、仕方のないことだった。

63 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:25:13 ID:w1hhOi020
「私も……あの子の気配が感じられない。もういいよ、って、最後に聞こえたまま……」

 力を失ったのは、自分だけではないようだった。
 手のひらを天に掲げ、どこかへと消えた自分の力、或いは半身を追い求めるようにしていた舞だったが、手はすぐに下ろされた。
 往人と同じような苦笑が浮かべられる。
 こうなってしまっては仕方がないと、どこかで諦めに似た感情を持ちながらも、新しい一歩に期待しているひとの姿だった。

「でも、もういい。送り出してくれた、って思うことにする」

 そうだな、と往人も同意した。
 事実がどうであれ、受け止め方を決めるのは自分でしかない。
 目を反らさず、しっかりと自分の中で咀嚼し、我が物としていた舞は思った以上に大人の女だった。

「はいそこまで。バカやってないで、とっととずらかるわよ」

 がしっ、とまだお仕置きを実行していた高槻を止めたのはリサだった。
 その近くでことみが「もう少しでここ、自爆する」と付け加え、
 まだ完全に安心はできない状況であるということを伝えると、それでようやく麻亜子も釈放されたのだった。

「くっそー、覚えてろよ」
「俺の台詞だそれは。アホ麻亜子」

 聞きなれない名前が高槻の口から飛び出していた。
 皆が新しく出てきた名前に興味の視線を寄せると、当の本人は急に焦った表情になり、

「何またカミングアウツしてるかな!? うわー、まーの貞操がー!」

 と彼女にしては珍しい赤面顔を見せていた。
 そういえば本名は知らなかったと今更ながらに思った往人だったが、
 まーりゃんと名乗っていた少女の本名が分かったところで、これまた「別にどうでもいい」だった。
 ゲラゲラ笑っている高槻と愕然とした麻亜子を見て往人が新しく思ったことといえば、この二人はやかましいという感想だけだった。

     *     *     *

64 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:26:15 ID:w1hhOi020
十五時十七分/高天原連絡橋

 ほしのゆめみは、縁から登ろうとしていたアハトノインへと手を伸ばす。

「大丈夫ですか」

 片手だけだったが、彼女の力を計算すれば十分だろうと頭脳が導き出した結果だった。
 差し出された手が仲間のものであると認識したアハトノインが「感謝します、お姉様」と言った。
 お姉様。言葉の意味を姉妹機であるからという事実からそういう意味かと認識して、ゆめみは微笑んだ。
 連絡橋に舞い戻ったアハトノインは、しかしすぐに直立不動の姿勢のまま次の命令を待っているようだった。
 感情プログラムは簡易的なものしか搭載していないのかもしれない。元は戦闘用のロボットであるから、当然の話だった。
 お互い殺しあったかと思えば、命令一つで仲間にも転じる。ロボットの宿命だった。自分達は、そういう存在でしかない。
 けれどもこうして、アハトノインを受け入れてくれている人間がいる。
 様々な思惑はあれど、今こうして味方の立場に立っている彼女に恨みと思しき感情を抱いている人間はいない。
 そんなものに振り回されない強さを抱えているのが、彼らという存在だった。
 この姿を強くメモリーに焼き付けておこう、とゆめみは思った。自分がこの筐体にいる限り、役目を終えない限りは。
 命令されもしないのにこんな行動を起こしているのはロボットとしては壊れているのかもしれない。
 しかし、ゆめみは知っている。そんな壊れた自分でさえも受け入れるだけの大きさを人間は持っているのだ、と。

「アハトノイン、案内の続きを頼むわ」
「了解しました。皆様、こちらへどうぞ」

65 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:26:40 ID:w1hhOi020
 場をようやく収めたリサの言葉に即座に反応して、アハトノインが先導を始めた。
 ことみが言っていた潜水艦のあるドックまでは、ここを抜ければすぐだった。
 爆発までの時間は、残り十分強。間に合うはずだ。
 まだ無事な人間は怪我をした人間を支えながら歩いているため、動きは少し遅い。
 助けられればとゆめみは思ったが、片腕が欠けている状態のゆめみにできることは少なかった。
 仕方がないので、ロケットランチャーを抱えて走ろうと思ったところにことみの声がかかった。

「もういいから」
「……そうですか」

 残念だ、と思う気持ちが生まれていた。
 命令通りロケットランチャーを下ろし、ことみに並んで走る。怪我の度合いから言えば彼女が一番酷いように感じられたが、本人は飄々とした様子だった。
 人間は見た目では判断がつきにくい。自分達は明瞭なのに。
 創造主たる人間の、最も分からない部分の一つがこれだった。生命力というのだろうか。

「ところで」

 不意に尋ねる調子のことみの声に「何でしょうか」と返す。

「ゆめみさん、帰ったらどうするの?」
「修理が必要です」
「いや、まあ、それはそうなんだけど」

 また要領の得ない返事をしてしまったらしい。
 とはいえ言葉の意図が分からないのだから、ゆめみとしては困るしかない。

66 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:27:10 ID:w1hhOi020
「ゆめみさん、試作品だよね。どこに戻る家があるのかな、って思ったの。どこかの研究機関?」
「……分かりません」

 ゆめみは、ゆめみの生まれたところを知らなかった。
 どこで製造され、誰が電脳をプログラミングしたのか。
 アハトノインの姉妹機であることを考えれば、ここで生まれたのかもしれない。
 しかしそれも、もうすぐなくなろうとしている。
 つまり……家はない、ということだった。

「皆さんにお任せしようかと思います」

 だから、ゆめみは我が身をここにいる人達に預けることにした。
 そうすれば安全だからと感じたわけでもなく、そうすれば未来に進めると思ったわけでもない。
 命令上の優先事項として、目的が分からなくなった場合は指導者に委ねるという機能がついていただけのことだった。

「そうなんだ。まあ、たぶんリサさんなら良くしてくれるんじゃないかと思うの」
「はい」

 リサを多少なりとも知悉していることみはそう呟いた。
 自分達が量産品である以上またどこかで生産される可能性はある。
 リサはその辺りに詳しい人間であるし、その筋の研究機関に回されるのが当然の処置だと言えた。
 連絡橋を抜けて、少し階段を下った先にドックが見えた。
 移動するための小型潜水艦もそこにあり、見張りもいない。
 恐らくは侵入してきた自分達に対応するため、駆り出されたのだろう。
 もう戦闘を続行できるだけの体力もないこちら側にしてみればありがたいことだった。
 リサを始めとして、宗一、高槻といった機械に詳しい面々が内部へと乗り込み、起動できるかどうか確認しているようだった。

67 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:27:32 ID:w1hhOi020
 残りは五分ほど。爆発までには間に合う。
 もうすることが残っていない人達はそれぞれに時間を過ごしている。
 何が起こっていたのか確認し合う者。
 脱出行において、命を落とした人間について話している者。
 ぼんやりと周囲の景色を、或いはたゆたう水面を眺めている者。
 ゆめみとアハトノインは、そんな人間の姿をじっと眺めていた。

「……あの」
「はい、どうかされましたか」

 ふと一つのことが気になり、ゆめみはアハトノインに話しかけていた。
 無表情、色のない瞳で応える彼女は何を考えているか分からなかった。

「これからあなたは、どうされますか」
「私はここの職員です。お客様をお送りした後に職場に戻ります」

 そういう設定になっているようだった。はっきりとした職場が決まっていないゆめみと違い、彼女は定められた場所がある。
 何をおいてもそこで働かなければならないというのがロボットの立場だった。
 しかし、もう戻るべき場所はない。ならば彼女は崩れる建物の中、一人で佇んだままなのだろうか。たった一人で……

「ですが、ここはもうすぐなくなります」
「おっしゃることの意味が分かりません」
「ここは爆発し、なくなります。それはあなたも理解しているはずです」
「ここを離れることは職務違反になります」

68 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:28:44 ID:w1hhOi020
 頑なに、遮るようにアハトノインは言っていた。
 いやそれがロボットの姿だ。命令には忠実に従う。たとえその場所には破滅しか待っていないのだとしても。
 愚かしいほどに、彼女もまた人間に付き従う存在だった。全く同じ存在であるからこそ、ゆめみは納得してしまっていた。
 しかし、なお抗弁を続けようとゆめみは口を開いた。彼女の敬愛する高槻ならば、そういう行動を取っただろうから。

「では、命令があればここを離れるのでしょうか」
「命令ならば」
「分かりました。もし命令が下るのでしたら……その時は、一緒に来てくださいますか」
「はい。ご同行させて頂きます」

 確認したゆめみは、一礼してその場から離れた。
 一番高い確率でアハトノインを説得できるであろうリサに会いに行くためだった。
 真っ直ぐに潜水艦へと歩いてゆくゆめみに気付き、座って体を伸ばしていた渚が声をかけてくる。

「どうしたんですか?」
「ヴィクセンさんにお目通りを、と思いまして」
「でもまだ……」
「どうしたの?」

 タイミングよく、ハッチを開けて甲板にリサが出てくる。
 渚が変わりに自分が会いたがっているということを伝えてくれた。
 あの、と前置きして、ゆめみが用件を伝えようとしたとき、激しく足元が揺れた。

「わっ!?」

69 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:29:08 ID:w1hhOi020
 渚がバランスを崩し、転倒しそうになるのを慌ててゆめみが支えた。
 海面も激しく波打ち、振動がこの高天原全体に伝播していることを示している。
 爆発が始まったのだ、とゆめみは理解した。まず上部が崩れ、大量の瓦礫が落ちてきた結果に違いなかった。
 甲板に掴まっていたリサがちっと舌打ちして、険しい表情へと変わる。どう見繕っても話ができる状況ではなかった。

「準備ができるまでもう少しかかる! けどもうすぐ終わるから、皆今のうちに乗って!」

 梯子は既に下ろされている。ゆめみはまず渚を連れて甲板まで上がることにした。
 今は何よりもまず人間の命を優先する必要があったからだ。
 アハトノインも自らの職務に従って、登りやすいように梯子を固定してくれていた。

「あなたも、早く」

 腕がないからか、心配して声をかけてくれた舞だったが、ゆめみは笑って応じた。

「問題ありません。わたしなら一足に……」

 登れる、と続けようとしたところで、ドックがまた一段と激しく揺れ、入り口が落ちてきた瓦礫によって塞がれた。
 もう戻る道はない。しかしアハトノインは構わず作業を続けていた。目の前にある職務に没頭するかのように。

「あの……」
「あなたも、早く。あなたが最後です」

70 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:29:44 ID:w1hhOi020
 気がつけば潜水艦に乗っていないのはゆめみだけで、他は全員乗り込んでしまっていたようだった。
 説得できる人間は見えなかった。説得はできない。そう判断していたが、口を開かずにはいられなかった。
 同族だからではなく、ここに一人残してしまうことへの不安がそうさせたのだった。

「そちらも来て下さいませんか?」
「ご心配ありません。さあ、早く」
「……お願いします! こんなところに、お一人でなんて……」

 梯子を登らせようとするアハトノインの手を解いて、ゆめみは頭を下げた。
 所詮ロボットの言葉。プログラムされた感情では思いを表現しきれず、ゆめみは最後まで言い切ることができなかった。
 困ったように微笑んだアハトノインは「どうか、お気になさらず」と、柔和な表情とは裏腹の冷たい言葉で応じた。

「私は、ロボットです」

 人間のために。何があろうとも決して揺るがない信念を前に、作り物の感情しか持てないゆめみではどうすることもできなかった。
 更に地面が揺れ、ドックのそこかしこに亀裂が走っていた。もう乗らなければ手遅れになる。分かっていても、ゆめみは離れられなかった。
 やはり、とゆめみは思い直した。同族だから助けたいのかもしれない。妹を見殺しにしてはいけないというプログラムがそうさせているのだとしても。
 その妹を手にかけてきたのに? 矛盾していると思いながらも、「お姉様」と語ったアハトノインの声色が離れなかった。
 ……これが、家族というものに抱く感情の正体なのだろうか。
 理屈も何もなく、ただ家族であるからというだけで助けられる、自分達には絶対分からないと思っていた人間の不可思議。
 家族と認識してしまったアハトノインの個体がいる今、見捨てられないと感じたのはそういうことなのかもしれなかった。

「……たとえロボットだとしても、わたしは……!」

 無理矢理にでも連れてゆく。家族を助ける。それを優先事項として処理しようとしていたゆめみの前に、心配して出てきたらしい渚と舞が叫んでいた。

71 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:30:52 ID:w1hhOi020
「ゆめみさん、早くっ!」
「もう時間がない!」

 二人に振り向いた瞬間、一瞬ぎょっとした表情を浮かべていたのは、どうしてだろうか。
 自らの表情も、今は認識できていない。ただ、アハトノインを連れて行きたいという自分の感情は強く伝わったようだった。
 或いは信じていたのかもしれない。この二人なら、彼女を動かせる命令を伝えられるかもしれないと。

「そっちの修道女さんも来て下さい!」
「貴女にはまだ何もしてない……! 借りを作ったまま、いなくなるなんて駄目!」

 くいと首が動き、アハトノインの目が渚と舞を捉えた。
 視線をそれぞれに動かしたかと思うと、今まで逆らっていたのが嘘のように、抵抗する力がすとんと抜け落ちた。

「了解しました。脱出を優先事項の命令と致します」

 思いが伝わったわけではなかった。あくまでも機械的に、命令を受け取ったアハトノインが梯子を上り、甲板から潜水艦内部へと降りてゆく。
 だが、ここに残らずに済んだ。ここに一人で残らずに、済んだのだ。

「ゆめみさんも!」

 気付けば床が割れ始め、海水が広がりかけていた。
 壁が断続的に崩れ落ち、殆ど瓦礫と化しかけているドックに残る理由はなかった。
 跳躍し、一足に梯子を駆け上ったと同時、潜水艦が振動を始め、ゆっくりと前進を開始する。
 渚と舞は一足先に内部へと戻ったようだった。潜水艦も潜航しかけているのか、徐々に海面が迫ってきている。
 ゆめみはもう一度だけ振り向いた。海中に沈み始めている高天原。
 自分が生まれたかもしれない場所。家とも分からない場所。
 涙は流せなかったが――もし、そのような機能があるのだとしたら、泣いているかもしれないとゆめみは思った。
 もう、天国にはいられない。
 わたしが戻るのは……今ここにある、現実でしかないのだから。
 崩れゆく光景は敢えてシャットダウンすることにした。覚えている必要はない、そう判断したからだった。
 ハッチを閉める直前に、ゆめみは別れの言葉を口にした。それは正しいのかどうかも、分からなかったけれど。

「さようなら」

     *     *     *

72 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:31:21 ID:w1hhOi020
十五時三十六分/潜水艦内部

「……つまり、渚ちゃんのそれが原因なの」

 ビシッ、と髪留めの十字架を指差して、ことみは自信満々に語った。
 どうやらアハトノインの命令を無理矢理変更するためには、何らかの形でいい、十字架が必要なのだと言っていた。
 間違いない。命令変更プログラムの条件のひとつにそう書いてあったと言って、ことみはえっへんと胸を反らした。
 当の命令された本人であるアハトノインは隅にうずくまってじっとしている。顔つきこそ無表情で大人そのものだが、姿だけ見れば子供のようでもあった。
 ゆめみの言うところによると、ここに残ると言い張り、頑として動かなかったらしい。
 ロボットはそのように命令されているから、無理矢理にでも優先事項を変えなければ動けないと説明してくれた。
 そこに補足を加えてきたのがことみだった。何故急に命令を聞いたのかは先述の通り、渚の髪留めが原因だったようだ。

「神の国の、住民の証明ってわけなの」
「神の国?」

 興味深そうに話を聞いていた舞が尋ねると、「そんな感じの説明が」とことみは捕捉する。
 なるほど、修道女の格好をしているのは伊達ではなかったということだろう。
 つまるところ、彼女達にとってはここも教会の一つでしかなく、彼女らに最終的な命令を下せるのも十字架を持つ神父だけということか。
 シオマネキが援護してくれたのも、そういうことなのかもしれなかった。

「とにかく、わたしの妹が助かってよかったと思います。……ありがとうございました、古河さん、川澄さん」

 深々と、真心が篭った挙動でゆめみは頭を下げた。
 渚や舞にしてみればそこまでのことをしたつもりはなく、
 寧ろアハトノインも当然乗り込むものだと思い込んでいたので素直に受け止められないものがあった。
 とはいえ蔑ろにするほど無神経ではなく、二人してそれなりの返事をすることにしておいた。

73 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:31:46 ID:w1hhOi020
「妹、かぁ。どっちかってーとゆめみさんの方が妹の方に見えるけどねー」

 壁にもたれ掛かるようにして座っていた麻亜子が意地悪く笑う。
 確かに、見た目が大人っぽく凛としたアハトノインに比べれば、どちらかというと童顔であるゆめみの方が妹と言って差し支えなかった。

「分かるけど、麻亜子の言うことじゃない」
「うぐ……しばらくまーりゃんにしてくんないかなあ……恥ずかしいんだけどさ、まだ」

 本名を知られてしまった麻亜子は舞が読んだ名前にも照れている。
 調子に乗り、明るさを前面に押し出してきた彼女にしては珍しい姿であったので、それをいい事に名前で呼ばれっぱなしなのが今の麻亜子だった。
 無論渚もそうである。本当に迷惑がるようならやめるつもりではあったが。

「まあまあ。可愛い名前だと思います。ね、麻亜子さん」
「そうそう。麻亜子ちゃんもこっち来てなの」
「だーっ! 分かった分かった行くよもう! おのれら後で覚えておれよーっ!」

 ドッ、と笑いが起こった。
 ことみも、ゆめみも、舞も、麻亜子も、そして自分も含みのない笑いを浮かべていた。
 過酷な数日を生き延びてきた体は疲弊しきっていて、失ったものの大きさがなくなったわけではない。
 いるはずだった人達はいない。芳野、杏、風子、浩之、瑠璃……ルーシー。
 きっと忘れられない。この痛みも、悲しみも、自分が死ぬその時まで残り続けるものなのだろう。
 それでも、失ってしまったものの大きさに比べれば取るに足らないものではあるのかもしれないけれど。
 一番大切にしたいと思うものが、自分の中で生まれた。
 それは渚だけではなく、他の全員が持っているものなのだろう。
 だから笑える。嬉しいと思える自分がいる。
 痛みも悲しみも、味方に変えられる人達がいるのだから。
 渚はゆっくりと、手のひらを閉じた。
 小さな手のひらの中にあるものを――

     *     *     *

74 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:32:18 ID:w1hhOi020
十五時五十四分/潜水艦

「ふっふっふ、済まんねリサに高槻に国崎さんにその他の諸君」

 ラッタルを上がり、宗一は甲板を目指していた。
 今頃潜水艦は浮上を終え、海上を走行している頃合だろう。
 特に身を隠す必要も、湿気が篭りやすくなる密閉された空間にいる必要性もないということからだった。
 宗一は海上に出たことを確認すると一目散に走り出し、まず自分が太陽を拝もうとしていた。
 今頃操舵室のあたりは自分に対する文句が流れている頃合だろう。
 特に往人は様子を見に来た瞬間、バトンタッチだと言い放って無理矢理交代してきたのだから怒っているに違いなかった。
 だが、これだけは譲れない。海に対してこれまでいい思い出がなかったから、ここでひとつくらい作っておきたいというのがあった。

「あの時は泳いで帰る羽目になったからな」

 篁財閥に関して調査を試み始めたころ、リサの乗るF−15に追い回され、海を泳いで帰ったという事件がある。
 あれ以来どうも海は嫌いと言うか、あまり見たくなくなっていた。
 そんな気持ちを変えたいというのがひとつ。そして、これから新しく始める自分の道を見ておこうというのがひとつだった。
 エージェントという仕事はこれからも続ける。
 理由は色々ある。習い性になってしまったから、それでも好きだから、自分の力を必要としてくれている人達がいるから。
 そして何よりも、自分を包み隠さず渚に見ておいて貰いたかったからというのがあった。
 無理をしていると言われたのなら、そのときにまた考え直せばいい。
 似合っている、それでいいと言ってくれたのなら、今度こそ本当に誇りを持ってエージェントを続けることができる。
 これからは渚という、最も身近に頼れるひとができたのだから、二人で色々と考えていきたかった。

「二人、か」

75 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:32:41 ID:w1hhOi020
 昔の自分なら考えられなかったことだと思い、宗一は苦笑した。
 一人でなければ、様々なものが周囲の人を押し潰してしまうと信じきり、誰かの側にいることだって怖かった昔。
 一人に慣れるために様々なものを忘れ、虚構の自分を作り上げてきた昔。
 今となってはただのやせ我慢だと思えるようになってはいたが、それで忘れてしまっていたものを全て思い出せるわけではなかった。
 思い出せないものは多い。
 梶原夕菜という姉との同居生活の記憶でさえ曖昧で、
 伏見ゆかり、湯浅皐月たちクラスメイトと過ごしていた日常でさえ、細かいことは思い出せなかった。

 ハッチを開けると、眩しいほどの外の光が宗一の網膜を焼いた。
 高天原に侵入したのはつい数時間前だったというのに。もう何日も見ていないような感覚に襲われ、宗一は少したじろいだ。
 ただ、それ以上に吹き込んでくる空気、潮の香りが宗一を外へと導いた。
 ゆっくりと体を動かし、縁に腰掛け、目の前に映る風景をじっくりと目に刻んだ。
 沖木島は見えなかった。沈んだのかもしれないし、遠くまで来たのかもしれない。
 それよりも鮮明に映る空の青が印象的だった。
 驚くほど明るく、それでいてどこまでも透き通っている、雲ひとつない空。
 塗り込められた壁のようでありながら、その実どこまでも広がっている。
 どこへ行くのも自由、何をしても自由なのだと全てを受け入れるものがそこにあった。
 空とはこういうものだっただろうか。任務のときはいつでも夜空で、高層ビルが蠢き、人口の光が照らし出す世界しか思い出せなかった。
 しかし、宗一は感じていた。頭の奥底、殆ど忘れ去ってしまったはずの記憶の引き出しに、家族や友人達と見上げた明るい空があったことを。
 そうだったな、と宗一は一人ごちた。自分達が暮らしていた世界はこういうものだった。
 夕菜の作ってくれたレモネードの懐かしい味、とびきり上等だった皐月のお弁当、それを平らげる自分を眺めていた優しい目。

 ようやく、少しだけ昔のことを思い出すことのできた宗一は、手を空へと掲げる。
 開かれていた手が、何かを掴むように閉じられた。
 空にたゆたう、その小さな手のひらの中にあるものを――

76 終点/Last Resort :2010/08/27(金) 22:32:59 ID:w1hhOi020

 希望と、いう。

77 名無しさん :2010/08/27(金) 22:34:29 ID:w1hhOi020
以上で葉鍵ロワイアル3ルートB-10は終了となります。
ここまで付き合って下さった方々、まとめサイトの方、補助サイトの方、wiki編集の方、本当にありがとうございました!

78 名無しさん :2010/08/27(金) 23:46:49 ID:mmcxYldQ0
感想は後に回すとして、まずは完結おめでとうございます、の言葉を!
本当にお疲れ様でした!

79 春/エピローグ :2010/09/25(土) 18:54:42 ID:Z6TbybSs0
「ん……」

 カーテンで遮っていても尚突き刺してくる陽光の眩しさで、目が覚める。
 聞こえてくる雀の鳴き声が、朝が来たことを物語っていた。
 まだ残るまどろみの中、古河渚はゆっくりと上体を動かし起床する。
 同時、朝の肌寒さが浸透してくる。冬のなごりを置いてきたかのような現在の気温は、人を即座に布団に戻らせたくなる魔力があった。
 が、今日は大事な日だ。いつも以上に早起きしなくてはならなかった。
 まだ抵抗する右腕と左腕をひっぺがし、渚は完全に布団から脱出する。
 今日は受験した大学の、合格発表日だった。

     *     *     *

 あれから、を簡単に説明すると、まさに那須宗一とリサ=ヴィクセンの功績によるところが大きかった。
 詳しいことは渚も分からなかったものの、事件の顛末は警察内でも内々に処理が行われたらしく、殆ど情報が外部に露出することはなかった。
 渚達に関しても徹底的な情報の隠匿、改竄が行われ、渚の両親が死亡したことについても「事故死」という扱いになっていた。
 役場でも即座に調書が作られ、前々から準備されていたかのように、その後は粛々と事が済んだ。
 数日のうちに日本国内から100人以上もの人間が消えた、という事実はマスコミの格好の火種になりそうなものだったが、
 そこもリサ達が、エージェント達や警察と協力して情報の操作を行っていた。
 少しずつ、少しずつ時期をずらして、死の報告は緩やかに行われていった。
 お陰で渚のところに関しても、近所以外で騒ぎになることはなかった。宗一が特に尽力してくれたのだろう。
 父母の死が公表され、葬式を執り行ってから数日は不憫に思ったのか、様々な人から声をかけられた。
 けれども、特に動揺してしまったり、黙り込んでしまうこともなかった。ひとつひとつ、きちんと丁寧に相手をした。
 いつの間にかそれだけの力が備わっていたものかと自分自身驚きもしていたが、きっとそれは、もうひとりではないと自覚しているからなのだろう。
 沖木島は沈んでしまったため、父母の遺骨も海の中へと消えてしまった。棺の中は空で、そこだけ寂しさを覚えたものだったが、
 ここにいなくても、今のお前ならきっと大丈夫だ、と太鼓判を押してくれた父母の存在を感じ取ることができた。
 だから、最後の別れ。見送るときに、渚は笑うことができていた。
 そうして元の生活……いや、新しい生活が始まった。

80 春/エピローグ :2010/09/25(土) 18:55:04 ID:Z6TbybSs0
 渚は大学を受験し、進学する道を選んでいた。
 あの島での約束。ルーシー・マリア・ミソラを初めとする友達達と交わした、医者になってみせるという約束を果たすためだった。
 進学先は地元の国立大学の医学部だった。無論それまでの渚の学力では望むべくもなかったのだが、心強い味方がいたのでめきめきと学力は上がっていった。
 言うまでもなく、一ノ瀬ことみのことである。全国模試トップクラスの実力は伊達ではなく、教え方も丁寧だったので渚も秋を迎え、
 冬に辿り着くころには十分医学部を狙えるレベルに達していた。
 教師連中からは尋常ではない事態だったと言われている。国公立など望むべくもないというのがそれまでの渚の評価だったらしい。
 なので少しだけ嬉しい気分でもあったが、まだ大学には合格してないので勉強に没頭した。
 幸いにしてことみという面白いパートナーがいたので日常生活がつまらない、ということはなかった。
 何をするにしてもことみと一緒だったので、今では彼女の好きなもの、嫌いなもの、趣味まで把握している。向こうもそれは同様だった。
 この一件について宗一は嫉妬しているらしかった。それがまた可笑しかったので「大学に入ったら好きにしていいですよ」と約束までしてしまっていた。
 変な約束をしてしまったので、受験に失敗することは許されなかったが、不思議と楽な気分だった。
 誰に言われるまでもなく、自分の意志で決めた約束だからなのだろう。絶対に受かる、とまでの自信ではなかったけれど。
 もっとも、宗一は宗一で件の事後処理に奔走していた時期でもあったので会うに会えなかったのだが。
 ちなみにこの時宗一はなぜか呆れるほどハイテンションだった。そんなに忙しかったのだろうか。
 曰く、大統領に貸し作っちまった、らしい。何があったのだろうか。

 そうこうしているうちに受験の日を迎え、渚はことみと一緒に大学を受けた。ことみも同じ大学の医学部だった。
 その日はあまり会話もなく、ただ一緒に行き、一緒に受けたという感じだったが、それだけで緊張はほぐれたものだった。
 受験日は冬の寒さも厳しい、雪の降る日だった。もし一人で受けに行っていたとしたら、ここまで安定した気持ちではいられなかったかもしれない。
 冬の寒さは、ふとした瞬間に寂しさを想起させてしまうものだったから……
 まだまだ強くはなりきれていなかったが、人間はそう簡単に強くなれるものではない。少しずつ成長していけばよかった。
 そして、三月。卒業式を迎え、渚は無事に学校を卒業することができた。
 大学の結果発表がまだ先だったため、手放しで喜べるものではなかったが、その日はことみと一緒に小さくお祝いをしていた。
 本当にささやかに、二人でジュースを買い、杯を交わして、校舎内を二人で見回っていた。
 渚にとって、一年生も二年生も病気がちで、あまりいることのなかった学校だったが、
 いざ卒業してみると長かった、という気分にさせられるのだからおかしなものだった。
 ことみもそれは同様だったらしく、ずっと、ずっと、長い間図書館にいた気がする、と語っていた。

     *     *     *

 時はまた少し過ぎ、今日が大学の合格発表日というわけだ。
 電車に乗って大学まで向かう関係上、いつもより少し朝は早い。
 卒業しているので制服を着る必要性はなかったのだが、なんとなく身につけてしまっていた。
 もっとも外に出るときはコートを着るため、服は殆ど隠れてしまう。あまり関係のない話ではあった。
 自室から居間に降りてくると、フライパンで油が跳ねる音が聞こえた。

81 春/エピローグ :2010/09/25(土) 18:55:25 ID:Z6TbybSs0
「おう、起きたか」

 寝起きだからなのか、フライパンを動かす高槻の目つきは悪い。
 起きたか、と問いかけてやりたいのは渚の方だったが素直に「おはようございます」と応じておくことにした。
 高槻は、現在古河家に住み込んでいる。
 公式上の扱いは渚の後見人であり、親戚という立場だったが、もちろんリサと宗一のお陰である。
 高槻が後見人という立場になったのは彼が行く宛てがなかったこと、渚がそんな高槻を誘ったことが理由だ。
 パン屋をやってくれるのなら、という条件付で。
 三食で寝る場所もある美味い話に高槻が飛びつかないはずはなく、トントン拍子で話は決まっていった。
 パン屋に関しては文句のひとつもあるかと思った渚だったが、すんなりと受け入れてくれた。
 曰く、研究職はもうこりごりだ、とのこと。とにかく別の環境で働きたかったらしい。

「もうすぐメシできるから、待ってろ」

 無愛想に言う高槻は、しかし器用な手つきで目玉焼きを調理してゆく。
 料理のスキルがあったとは思えないが、どこかで勉強しているのだろうか。
 失礼な感想だが、とても料理を好んでやるような人間ではないのに、と渚は思っているのだが。
 聞いてみたりもしたのだが、いつもはぐらかされた。
 言いたくない理由は分からないが、言いたくないのなら追及はしないのが渚だった。
 そうして一年近くになる。今ではそんなに渚と変わらない料理のレベルだったので、少し嫉妬している。
 勉強ばかりしていたのだから仕方がなかったのだが。
 ぼんやりと高槻を眺めていた渚の時間は、唐突に聞こえてきた破裂音によって霧散した。

「ぅえっ!?」

82 春/エピローグ :2010/09/25(土) 18:55:42 ID:Z6TbybSs0
 素っ頓狂な声を上げてしまう。音はパン工房の方から聞こえてきていた。
 一体何事かと現場に向かおうとしたが、その前に高槻が「あーもう!」と怒鳴り声を上げていた。
 ドスドスと怒りの足音を立てながら工房へと向かっている。料理は皿の上に並べられていた。
 いつの間に、と思う一方で、それどころではなさそうな事態だったので渚も工房の方に向かうことにした。

     *     *     *

 工房についた渚は、唖然としていた。
 何が起こったのか全く分からないほど、工房は白い煙に包まれていた。
 小麦粉の味だった。

「申し訳ありません、申し訳ありません高槻さんっ!」
「だーかーら! 変なパン作るのやめろって言ったろ! お前は何度珍発明すりゃ気が済むんだ!」
「で、ですが、わたしはちゃんと手順どおりに……」
「どこをどうしたら爆発パンが出来上がるんだよ!?」

 言い争っている……というか、粉まみれで漫才を繰り広げているのは高槻とほしのゆめみである。
 ゆめみは高槻に付き従ってここで暮らすようになったロボットだ。
 当初は機体が半壊していたので、ここに住むようになったのは秋からだった。
 修理している間にメイドロボとしてカスタマイズされたらしく、
 デザインはそのまま、内部系は殆ど来栖川メイドロボシリーズのものになっている。
 技術は最新型のものであり、動力は水素電池を使用することでかなりの時間稼動できるタイプで手間もかからなかった。
 流石に電脳系までには手は加えられていなかったようで、ほぼ元のゆめみの人格のまま戻ってきたということなのだが……

「あの、これは……」
「……いつものことだよ」
「あ、渚さん……済みません、わたしの不手際で」
「こいつ、毎日毎日珍発明しやがるんだ。しかもそれが店先に並ぶんだ」
「ですが、この間のおせんべいパンは発想の勝利かと……」
「敗北だよ、バカ!」
「ええと、もしかして毎日これを……?」
「……ああ。その、なんだ。家主のお前にバレたらアレな気がしてな」
「いやそれは別にいいんですけど……」

83 春/エピローグ :2010/09/25(土) 18:55:58 ID:Z6TbybSs0
 これをよく隠し通せたものだ、と思う。
 何せ今の今まで全く気付かなかったのだから。
 この隠蔽能力の高さは宗一にも負けないような気がする、と渚は場違いな感心をしていた。

「どおりで高槻さん、パン毎日配ってたんですね」
「……殆ど廃棄処分みたいなもんだけどな」
「分かります」
「あ、渚さん! これはどうでしょう、これは発想の勝利だと思うんです!」

 いきなり、ずいとパンが差し出された。七色に光っている。

「あなたに、レインボーです」

 にっこりとゆめみが笑っていた。
 眩暈がした。
 なるほど、隠したくなるわけだった。
 ぽかっ、と高槻がゆめみの頭を叩いていた。

「一日に二度も珍発明してんじゃねえ! 古河を病院送りにするつもりか!」
「で、ですがちゃんと人間に必要な栄養素を盛り込んだ画期的なパンだと」

 感情表現が豊かになったゆめみは涙目で言い訳している。
 ある意味では元の面影は微塵もなく、機械でしかなかったゆめみは随分と人間らしくなったものだったが、
 機械の基準で物事を見すぎている、という点では昔と何も変わりがなかった。

「味は」
「大丈夫だと」
「おい、ポテト」
「ぴこぴこ?」

84 春/エピローグ :2010/09/25(土) 18:57:06 ID:Z6TbybSs0
 どこからともなく、毛玉状の生物……ポテトが現れた。
 第三の居候である。高槻が呼べばどこからでも出てくる、不思議な生き物だった。
 普段は庭で寝ているか、どこかを練り歩いているのに。

「食べてみろ」

 七色パンが差し出される。露骨に表情が嫌そうな感じになった。

「見ろ。どんな悪食でも嫌がるこの威力」
「い、威力……」
「っていうか、兵器だな。最新式の」
「へ、兵器……」
「珍発明っつーか、兵器開発だなこれは」

 なおも言葉を続ける高槻は、ゆめみが悲しみを背負った表情になっているのに気付かなかった。
 あ。と渚は思った。この流れはまずい、と体が知っていた。
 止めようとした瞬間、ゆめみが七色パンと爆発パンを抱えて走り出した。

「わたしのパンはっ、最新式の兵器だったんですねーっ!」

 ぼんぼんぼんぼんっ!
 続けざまに、外で爆発が起こっていた。
 風に乗って店先に流れてくる小麦粉の靄。

「……」
「……」
「行ってくる」
「なるべく早くにお願いします……」

85 春/エピローグ :2010/09/25(土) 18:57:26 ID:Z6TbybSs0
 高槻は小走りにゆめみを追いかけていった。
 一人残された渚は、溜息ともつかない声を発していた。
 こんなこと、全く教えてもいなかったはずなのに。
 変なパンを作っては、涙目で駆けてゆく母の姿も、それを追う父の姿も。
 思い出の繰り返し、だとは思わなかった。
 偶然に偶然が重なって、こんなことになっているだけだと分かっている。

「わたしの家って、そういうところなんですね……」

 色々な意味でおかしくなってしまうのが、この家なのだろう。

     *     *     *

 結局食事は一人だった。
 どこまで追いかけていったのか、高槻とゆめみは戻ってくる気配はなかった。
 あまり時間もなかったので待つわけにもいかず、すみません、と一言断ってから、渚はコートを着込み、出かけることにした。
 鍵をかけたのを確認して、ポテトに出立の挨拶をしておく。
 朝の騒動などどこ知る風、というように、のんびりと庭でくつろいでいる。
 行ってきます、と言うと、ぴこぴこと尻尾を振ってくれた。

 春とはいえ、まだ空気は冷たい。歩き出したうちは吐き出す空気は白かった。
 ことみとは駅で待ち合わせをしている。腕時計を見ると、時間には十分間に合いそうだった。
 なんだかんだできっちり用意してくれていた高槻に感謝しつつ道を歩く。
 そういえば、一年間ずっと健康だったのは久しぶりではないだろうか。
 いつからかは覚えていないが、渚はよく体調を崩すようになった。
 特に顕著なのは冬で、ひどいときは春になるまで寝込んでいるようなこともあった。
 一年留年したこともある。だから逆に、健康でいられることが不思議だなとさえ思った。
 理由は分からないが、そういうこともあるのだろうと渚は思うことにした。
 今まで病気がちだったのが突然治ることもある。きっと、これから先は普通に暮らしてゆけるのだろうという感覚があった。
 ようやく同じ時間を歩み始めた自覚を持ちながら、渚は駅まで歩いた。
 ことみの姿がすぐに見つかる。手を振ると、ことみも小さく手を振りかえしてきた。
 島から戻って以降、いの一番に好奇の視線に晒されたのはことみだった。
 それもそうだった。片目を失ったことみは常時眼帯をつけていなければならず、遠目から見ても目立つ姿だったからだ。
 無論理由は事故ということにしておいたので、話題はすぐに消えた。
 人の噂も七十五日、というが、一ヶ月も経たずにことみは元の少し不思議系少女という扱いに戻った。

86 春/エピローグ :2010/09/25(土) 18:57:45 ID:Z6TbybSs0
「待たせちゃいましたか?」
「ううん。そんなに。時間にすると五分くらい」
「微妙ですね、それ……」
「まあそれはともかくれっつごー」

 間延びした声で言うことみは、あまり緊張していなさそうだった。
 ことみほどの学力ならば緊張する必要もないのだろうが。
 そこまで考えたとき、渚はふとあることに気付いた。

「ことみちゃん、制服なんですか?」

 コートに隠れて分かりづらかったが、ちらりと見えた部分に制服と思しき布が見えていた。

「うん。なんとなく。……渚ちゃんも?」
「ええ、はい……なんとなく」

 二人して笑う。
 まだ高校生の気分なのかもしれなかった。

     *     *     *

 結果から言えば、二人とも合格だった。
 ことみは言うまでもなく。渚も探していた番号があっさりと見つかったのだった。
 あまり緊張していなかったからかもしれないが、ものの数分で終わってしまったので拍子抜けする気分が含まれていたのは確かだった。

「終わったの」
「終わっちゃいましたね」
「……移動時間の方が長かったの」
「そういうものかと……」
「まあ、とにかく」

 ことみは一言前置きして、ぐっと拳を突き出してきた。
 渚もそれに合わせ、拳と拳を合わせた。

87 春/エピローグ :2010/09/25(土) 18:58:07 ID:Z6TbybSs0
「合格、おめでとう」
「そちらこそ、おめでとうございます」

 拳を開き、今度は握手。
 最後に抱擁。いつからか、互いに成果を残したときはこうするようになった。
 なにやらアメリカっぽくて渚は好きだったし、ことみも友情っぽいとのことで気に入っていたようだった。
 理由が奇妙過ぎるのがおかしなところだったけれども。

「チミらは相変わらず愉快だね」
「あ」
「麻亜子さん」

 ダッフルコートに身を包むようにして現れたのは朝霧麻亜子だった。
 ピンク色を基調とした女の子らしく、それでいて目立つカラーのコートは珍しく、彼女らしかった。
 彼女とも会うのは久々だったが、そんなに変わってないなという感想を抱いていた。

「少年漫画かよっ」

 先程の仕草を再現し、にひひと笑う。
 改めて再現されると、変だ、と感じたものの、何かあるたび人目をはばからずやっていたので恥ずかしいと思うことはなかった。
 あまり反応を示さなかった自分達に「……訓練されとるのぅ」と奇妙に感心された。変人コンビ扱いされてしまった。

「麻亜子ちゃん、お仕事は?」
「んー、今日は休み。っていうか、休ませてもらった。本当だぞ?」

 麻亜子は現在、声優業をしているらしい。
 主にゲームの声を当てているとのことだった。
 どんな声なのか聞いてみたくもあったが、「エロゲーだがいいのかね」と言っていたので早々にお断りすることにしたのだった。
 なんというか、友人の喘ぎ声を聞くのは悲し過ぎるからだった。もっとも、本人は楽しんでいるから良さそうだったが。
 今現在の麻亜子の野望は深夜枠へのアニメ進出だー、とのこと。あのキャラならすぐにでも達成しそうだったが。

88 春/エピローグ :2010/09/25(土) 18:58:25 ID:Z6TbybSs0
「わたし達がここにいるのは……」
「あいつから聞いたー。こっちのが面白そうだったから来てみたのさ」

 あいつ、というのは高槻のことだろう。
 最近は何かと会っているらしい。主に愚痴を聞かせるためだとか。
 高槻からしたらたまったものではないらしいのだが、まんざらでもなさそうな表情だった。
 友達感覚で付き合って飲める、数少ない人間だからなのだろう。
 渚と高槻もここ一年の同居生活でそれなりに距離を縮めてはいたが、関係は大人と子供、というものだ。
 少なくとも麻亜子のような友人関係でないことは確かだった。

「麻亜子ちゃんも物好きなの」
「なぜに。我が朋友達がぴちぴちの女子大生になろうという記念すべき瞬間に立ち会わぬわけにはいくまいて」
「親父くさい……」
「ふがっ! もー素直に喜べよっこのこの」
「うー」

 ぎゅーぎゅーと頬を引っ張る麻亜子。助けて渚ちゃん、という視線が即座に向いてきたが、首を振った。
 大抵こういう場合の麻亜子は止められない。

「お、そういや大学入ったあとはどうすんの? こっから通学? 一人暮らし?」
「ひゃっ!? 麻亜子ちゃん胸、胸!」

 今度はセクハラを始めていた。一方で普通に今後を聞いてくるあたり、麻亜子のポテンシャルは底知れないと常々思う。

「わたしは自宅からですけど……後、そろそろやめてあげてください。警察呼ばれますよ」
「……渚ちんが言うと洒落にならんよ」

89 春/エピローグ :2010/09/25(土) 18:58:41 ID:Z6TbybSs0
 パッとことみから手を離した。
 そろそろことみが涙目になってきていたので、冗談で止めたつもりだったのが、本気にされてしまった。
 どうも冗談の言い方というものの機微が分からない。

「……私も家があるし」
「ありゃ残念。もし出てくるんだったらいいとこ紹介してあげたのに」
「まあ、そんなに遠くもないですし」
「気持ちだけ受け取っとくの」
「泊まりたかったらいつでも言いなよ。あたしんち、こっから近いからさ」

 へえ、とことみと二人して驚く。街中に出て行ったとは知ってはいたが、この近辺だったとは。
 ……もしかすると、こっちに来たのもそれが理由だったりするのだろうか。
 聞く必要はなかった。手に取るように分かったからだった。

「狭いけどね。雑魚寝になるのは勘弁してくれろ」
「いやいや、必要になったら遠慮なく利用させてもらうの」
「おー来い来いいつでも来いっ! できればその日の夕食と次の日の朝ごはんとついでにお風呂の掃除もやってくれると嬉しいなっ」
「やめよっか」
「そうですね」
「おい。おい。あたし泣くぞ」
「お客にそんなことさせるのはどうかと思うの」
「うぅー……だってだって、もうコンビニ飯は飽きたのだ……」

 麻亜子から、哀愁が滲み出ていた。
 手作りの味に飢えているのだろう。
 気持ちは分からなくもないので、「じゃあご飯だけなら……」とつい妥協してしまった。

「やたー! いいやっほー! 渚ちんとことみちんの手作りだー!」

 うひょー、あひょーと周囲の受験生を差し置いてうさぎのように飛び跳ねる麻亜子。
 何というか、不憫だった。それなりに美味しいものを作ってあげよう、とことみと頷きあったのだった。

     *     *     *

90 春/エピローグ :2010/09/25(土) 18:59:02 ID:Z6TbybSs0
「うっす」
「こんにちは」

 パン屋の軒先を潜り、入ってきたのは国崎往人と川澄舞だった。
 ちょうど店番をしていたのは高槻で、読んでいた新聞を下げて二人の姿を目に入れた高槻は目を丸くする。
 一年近く見なかっただけで、そこそこ容姿が変わっていた。特に舞は。
 顔つきこそ大きくは変わってはいないものの、髪をまとめていた大きなリボンはなくなり、長い紐で結わえるようになっていた。
 他にも髪留めのピンがアクセントのように据えられており、お洒落に気を使い始めているのが分かる。
 服はロングスカートにカーディガンという落ち着いた女性のスタイルというのも、自己主張し過ぎていなくて良い。
 一方の往人もぼさぼさ髪は直っており、ある程度真っ直ぐに伸びて綺麗になっている。
 もっとも、顔の半分近くを覆うような前髪の長さは相変わらずなのだが。
 服は相変わらずの、長袖にジーンズ。多分中身は良くなってはいるのだろう。見た目が変わりないだけで。

「おう、荷物は居間に置いとけ。向こうから行けるぞ」
「様になってるじゃないか」
「ま、住み込みで働かせてもらってるからな」
「お前だけか」
「ゆめみが戻ってこねえんだよ……古河はもうそろそろ戻ってくるだろ。メールあったし」
「ゆめみさん、どうしたの?」
「あー……パンがショックだった」

 とても説明する気にはなれず、かいつまんで言ってみたのだが自分でも意味不明だった。
 当然、二人が理解できるはずもなかった。首をかしげつつ、しかしそれより荷物を置くことを優先したのかカウンターの奥から居間へと入っていった。
 結局ゆめみは見つからず、高槻は捜索を諦めて戻ってきた。真面目にも程があるゆめみのことだ、すぐに戻ってくると打算を働かせたからだった。
 やがて二人が戻ってくる。長旅で疲れているだろうに、それよりも渚との再会を待ちかねているのが分かる。
 あいつやっぱ人気者だな、と今更のような感慨を結びつつ、「座れよ」と椅子を二つ用意する。
 こちらも生活している関係上、店はもう少し開いておく必要があった。客と世間話しながら、というのもどうなのかと思わないではなかったが、
 元々ここの営業は適当にも程があったらしく、客は皆笑って見過ごしてくれていた。渚の両親はよほど破天荒な夫婦だったようだ。
 店主が変わっても、変わらずに来てくれている客も客だったが。やさしい町だ、というのが高槻の感想だった。多少むず痒いが、居心地は悪くない。
 昔の自分からすれば丸くなったものだと思う。あの島で、徹底的に我が身を見つめ直した結果なのかもしれない。
 虫唾が走るほど自分が嫌いになった結果、反面教師として直したら愉快系のおっさんに変身した。らしい。

91 春/エピローグ :2010/09/25(土) 18:59:20 ID:Z6TbybSs0
「で、そっちは今何してんだ? 俺は見ての通りパン屋だが」
「電気屋だよ」
「電気屋ぁ?」

 素っ頓狂な声を上げてしまう。
 あの国崎往人が? どうにも想像がつかず、いぶかしむ目で見ていると、舞が「気持ちは分かる」と捕捉してくれた。

「手先が器用だから、って、採用された。正直私も似合わないと思う」
「お前まだそれ言うか」
「今の往人、営業用スマイルまで身につけてる」
「マジかよ……」
「ほら、やって往人」
「やだ」

 駄々をこねる子供のように、往人は顔を背けた。
 しかし舞も舞で、往人の腕をぎゅっと掴んで放さない。
 傍から見れば年頃のカップルだが、その実態はイジメである。

「散々笑ったろ……」
「もう笑わない」
「……」
「ダメ……?」

 必殺の上目遣いだった。ガックリと往人が肩を落とす。その顔は強張っていた。
 こりゃ面白い見世物になりそうだと思いながら、高槻はその様を眺めていた。
 こうなっては女は強い。観念した往人は「一度しかやらないぞ」と不貞腐れたように言ってから椅子を立ち上がる。

92 春/エピローグ :2010/09/25(土) 18:59:43 ID:Z6TbybSs0
「おっと待て」

 一度高槻は引止め、レジのカウンター下にあったあるものを投げて寄越す。
 古河パンのエプロンだった。蛙の刺繍がついている、ファンシーな代物である。
 受け取った往人が恨みがましい目で見てくる。

「覚えとけよ……」
「いいからさっさとやれよ国崎」
「ちっ……」

 渋々といった様子で、エプロンを身につける。
 目元まで隠れるような前髪の隙間から覗くのは猛禽類のような鋭い目。
 その下に鎮座するはファンシーなケロケロマスコット。
 致命的に似合わない。これだけでも笑いものなのだが、まだ笑うわけにはいかない。
 口元をかみ締めながら往人の『営業スマイル』を待った。
 もう諦めるしかない往人は、ひとつ溜息をつくと、

「いらっしゃいませぇ〜っ♪」

 と、普段の低い声からは信じられない溌剌とした爽やかな挨拶と笑顔を繰り出していた。

「わははははははははははははははははははははは!」
「ちくちょう! 分かってたよ、分かってたんだよ畜生!」
「……っ、く、くくっ」
「おい舞、笑わないって約束は」
「忘れた」
「しれっと言うなこの!」
「『いらっしゃいませぇ〜っ♪』だってよ! やべえわこれ」

 ついに耐えられなくなり、床をごろごろと転がり始める。
 作ったような笑顔ながら、完璧過ぎる笑顔が、キラキラと昼間の海辺のように輝く笑顔が最高にツボだったのだ。
 強面ながら、素はなかなかの二枚目であるだけに尚更それが引き立つ。

「い、いかん、腹痛い」
「くそっ! もうやらないからな!」
「あ、渚たちが帰ってきたらもう一回」
「鬼かお前は」

93 春/エピローグ :2010/09/25(土) 19:00:01 ID:Z6TbybSs0
 この上無茶振りを繰り返す舞。
 爆笑の渦に飲み込まれることだけは間違いないだろう。
 ようやく収まりのついてきた高槻はひいひい言いながら椅子に座り直した。
 人生で最高に笑った日かもしれなかった。国崎最高である。

「そうかそうか、お前らも生活は順調なんだな」
「……まあ、一応な」
「私もバイトしてるから、まあそれなりに」
「川澄はバイトか。で、何を?」
「ピザの宅配員。ご注文の品をお届けに上がりました♪」

 営業スマイルその2である。往人と違い、普通に可愛い。
 普段の物静かな彼女からは考えられない。
 働くって凄いことなんだな、と人事のように思いながら、高槻はうんうんと頷いていた。

「そういうお前こそ、営業スマイル出来るのかよ」
「あ? 俺? ……いらっしゃい。こんな感じ」
「魂が篭ってねえっ! 俺がどれだけ仕込まれたと思ってんだ!」
「知らねえよ! これでも客は来るんだよ! っていうかそういう役割はゆめみの役割なの!」
「わたしがどうかしましたか?」

 帰ってきたゆめみが、朝のことなど綺麗さっぱりと忘れた表情で往人と高槻を見ていた。
 格好はそのまま、違うのは手に大量のパンを持っていないことだった。
 いつ、どうやって処分したのかは聞かないことにした。穏便に済んだと無理矢理信じることにする。

「久しぶり」
「川澄さんですね。お久しぶりです」
「営業担当か……」
「国崎さんも、お変わりなく」

94 春/エピローグ :2010/09/25(土) 19:00:18 ID:Z6TbybSs0
 にっこりと笑顔で応じているゆめみに、営業担当には疑う余地はないと感じたらしい。
 ロボットであることを感じさせない、朗らかでほわほわした笑顔は近所でも可愛らしいとの評判である。
 もっとも、このジェスチャー自体はあの島の時点で身につけていたものなのだが。

「調理担当は俺なんだよ。こいつ、メイドロボの癖に珍発明ばかりしやがる」
「ちゃんとマニュアル通りに行っているのですが……」
「うるさい。いっぱしの口利くのは食パン焼けるようになってからにしろ」
「はい……」
「いいじゃないか、役割分担できて」
「確かに、まあそうなんだよ。こいつ喋るのは得意だからな。セールス上手いんだ」

 ちょっとやってみろ、と視線で促すと、ゆめみは居住まいを正し、どこまでも透き通るような、よく広がる声を響かせた。

「手作りのパンはいかがでしょう?
 どんなときでも焼きたてほかほか、優しい味が皆様をお待ちしております。
 手作りのパンは、いかがでしょう?
 お惣菜パンから菓子パンまで、どんなものでも揃ってございます。
 一度、手にとってみてはいかがでしょうか。
 古河パンの、手作りパンはいかがでしょう?」

 往人も舞も、言葉も無いようだった。たおやかな挙動を交えながら、歌うようなゆめみの声には、人を引き寄せる何かがあった。
 無言のまま、二人が拍手をする。惚れ惚れとしてさえいる。
 ゆめみがいなければ、古河パンの売り上げは元通りとはいかなかっただろう。
 必死で勉強して焼き方を身につけたとはいえ、古河夫妻にはまだ到底及ばないだろうから……

「そういえば、ゆめみさんってコンパニオンロボットだったっけ」
「はい。今はメイドロボにカスタマイズされていますが」
「客商売じゃ敵わない、か」

95 春/エピローグ :2010/09/25(土) 19:01:01 ID:Z6TbybSs0
 ふと店の外を見ると、ゆめみの声を聞きつけたらしい客がちらほらと集まっていた。
 往人も舞も気付き、席を立つ。

「悪いな、話し込んじまった」
「別にいいんだが……ま、商売しますかね」
「頑張って」

 居間に退散する二人に向かって、おう、と軽く応じてから、高槻は仕事をする人間の顔へと表情を変えていた。

     *     *     *

「でさでさ、他のはいつ来るって?」
「国崎さんと舞さんがお昼前には着くって言ってました。リサさんは夕方くらいに。宗一さんは……まだ分からないです」
「連絡つかないなの?」
「どうも、忙しいみたいで」
「かーっ、っとにダメ男だなあいつ。のこのこ現れたらまーのきっくをお見舞いしてやろうか」
「いや、でも、わたし達がこうしていられるのは宗一さんのお陰ですし……」
「それ言われると何もいえないんだけどさ……んー、でも、彼女が大学に合格したってのに、ねえ」
「わたしもわたしであんまり連絡とってきませんでしたから」

 そうして笑う渚に、これ以上言う意味を見出せず、麻亜子もことみも黙り込むしかなかった。
 今日は、皆で集まる日になっている。ここ一年お互いに連絡はしていても会ったことはなかったため、
 現在を知らせ合おう、という名目で古河家に集まることになったのだ。
 実際は友達に会いたいよね、というだけの理由だったが。発案者は麻亜子。実際に計画を立ててスケジュールの調整をしたのは渚とリサだった。
 メールで連絡を取りつつ、全員が集まれる日が、奇しくも大学合格発表の日、ということだったわけだ。
 これで不合格になっていたら洒落になってなかった、と今更のように思いながら、渚達は家路を目指していた。
 現在は昼前だから、もうそろそろ舞と往人は来ている頃合だろう。
 島から脱出して以後、あの二人は同居……いや、同棲生活をしているらしい。
 お互い収入が少ないのでその方がいいのだろう、と頭は分かっていても、それ以上に密な関係で羨ましいと思う。
 羨ましい。その単語を思い浮かべはしたものの、なら自分達はどうしたいのだろうという疑問があった。
 宗一とは男女の仲であるとはいえ、それらしいことを今まで一度もしたことがない。
 それどころかここ一年ロクに会ってさえいなかった。勉強のためだったとはいえ、いざこうして開放されてみると寂しさが募り始める。
 今日は、会えるのだろうか。

96 春/エピローグ :2010/09/25(土) 19:01:22 ID:Z6TbybSs0
「にしても、さ」

 そんな心の機微を感じ取ってくれたのだろう。麻亜子が話題を作ってくれた。

「ふつーに生活してるよね、あたし達」
「うん、あんなことがあったなんて信じられないくらいなの」
「でも現実なんだよね……あたしは、まだ人殺し。時々一人じゃ眠れなくなる」

 それはことみも、そして渚も感じていることだった。
 ふとした物音が気になり、急激に不安になり、眠れなくなる。
 学校で会う級友も、ふとした瞬間に消えてしまうのではないかと思うことさえあった。

「そういうときは、渚ちゃんに電話してたなの」
「ありましたね。夜遅くに、すごくぼーっとした声で」
「渚ちゃんも夜な夜なメールしてきたことあるの」
「すぐに返信してきたのには驚きました」
「なんだ、そっちも同じなんだ。まーも無理矢理友達……まあ言っちゃうと、あいつ呼び出して飲みに行ってたんだけど」

 傷は癒えていない。
 いや、塞がることはないのだろう。
 ふとした瞬間に、あの島で感じた狂気が鎌をもたげ、囁いてくるのだ。
 まだ終わってはいない、と。
 リサや宗一は、そんなことはないらしいが、まだ弱い自分達は忘れることも、克服することも出来ていない。
 これから先、何十年と時間をかけ、自らの人生を語って聞かせられるようになるまで、この恐怖は自分達につきまとうのかもしれない。
 それでも、全員が目を逸らすことはなかった。
 あの島で見たこと、感じたことを己の中で消化し、その上でやりたいことを見出している。
 医者になろうとしている自分達しかり、まーりゃんではなく『朝霧麻亜子』として生き始めた麻亜子しかり。
 自分の中で、確かに生きている人達がいたのだ、と、誰にでもなく言い聞かせ、主張するために。
 だが、一人では苦し過ぎることもある。そういうとき、少しだけ肩を寄せ合い、僅かな時間体重を預けあうのが自分達という人間だった。

97 春/エピローグ :2010/09/25(土) 19:01:40 ID:Z6TbybSs0
「みんな、同じです」

 ちょっと休憩するだけで、忘れたいわけじゃない。
 口にこそ出さなかったが、意図することは伝わったらしく、二人も頷いてくれた。

「あ、そだ。今のうちに一回家に戻っていい?」
「忘れ物ですか?」
「っていうか、まあ、着替え?」

 ああ、と渚は苦笑した。そういえば制服のままだった。
 要するに今夜は皆で飲み明かすため、軽い服装の方が望ましかった。

「え、なに、あんたら制服? なんでさ。卒業はしてんでしょ?」
「なんとなく」
「なんとなくなの」
「……ボケ道未だに衰えず、か」

 感心しているのか呆れているのか、どちらともつかぬ表情で麻亜子が頷いていた。
 ともかく、着替えに行ったほうがいいだろう。
 じゃあ一度ことみの家に、そう言おうとしたところ、コートのポケットにある携帯電話がバイブレーションを始めた。
 高槻からのメールだった。そろそろ仕込みに取り掛かりたいが、材料が足りないらしい。
 駅の近くにいるなら買出しに行って欲しい、とのことだった。
 携帯を閉じた渚は、すみません、と二人に用事を伝える。

98 春/エピローグ :2010/09/25(土) 19:01:56 ID:Z6TbybSs0
「買い物に行かなきゃならなくなりました……」
「あらら。……じゃ、一旦お別れ?」
「ですね。またわたしの家で」
「んじゃ、あたし渚ちんについてくよ。量多いんでしょどうせ」
「まあ、それなりに……お願いできますか?」
「うむ、任せたまへ」

 見た目と違い、麻亜子は結構パワフルだ。
 メールに同封してあった買い物リストはさほど多くはないが、楽になるだろう。
 最近は人に頼るのも頼られるのも慣れたもので、ぎこちなさもなくなってきた。
 ……まだこんなレベルでしかない、というのが悲しいところなのだが。
 周囲からすれば、まだまだ渚は固い人間らしい。主にことみがそう言っていた。

「それじゃ、二人ともまた後で」
「じゃーにー。ふはは、あたしは渚ちんにくっついてたんまりつまみをせがむのだ」

 もしかして、それが狙いだったのだろうか。
 聞くに聞けず、渚は麻亜子のしたたかさにひとつ苦笑する。
 どうせ酒は入るだろうし、その手の知識は麻亜子に任せた方がいいだろう。

「あ、余計なもの買ったら麻亜子さんで持って下さいね」
「うぐ」

 だが、釘を刺しておくのは忘れなかった。
 こういうとこはボケキャラじゃないんだよー、と恨みがましく麻亜子が言っていた。
 とはいえ、多分押し切られてしまうだろうと思っていた。
 なんだかんだで、麻亜子の言葉にも説得力はあるのだ。

「ねえねえ」
「なんだいことみちん」
「……二人とも、お酒買えるの?」

99 春/エピローグ :2010/09/25(土) 19:02:14 ID:Z6TbybSs0
 はた、と気付いた。
 二人とも、まだ二十歳ではなかった。
 特に麻亜子は、見た目的にも。

「頑張れ渚っちん!」
「ええーっ!」

 無茶振りには、まだまだ弱かった。

     *     *     *

 どうなってしまうのかは不安ではあったが、とりあえずことみは着替えを優先することにしたのだった。
 きっと渚がいるから、大事には至らないだろう……と、勝手に納得しながら。
 それよりも、と思考を切り替えて、ことみはどんな服を着てゆくか考え始める。
 家にある服は大概ドレスチックな服装ばかりで、あまり無礼講には向いていない。
 押入れの奥から引っ張り出せば何かあるかもしれない。
 ことみの家は広く、探せば大抵のものは出てくる。それは家を空けがちだったことみの両親の配慮によるもので、
 今でもことみにとっては魔法の宝箱だった。

 春になったとはいえ、まだまだ寒さを残している。なるべく暖かい服装の方がいいだろうとことみは考え、
 セーターかベストのようなものを上に、下は長めのフレアスカートにすることに決めた。
 さて、どこに仕舞ってあったかを思い出そうとして、ことみは家の玄関の前になにかが置かれているのを見つけた。
 スーツケースだろうか。よほど使い込まれたのか、それとも手荒く扱われたのか、外装はボロボロで殆ど金属光沢もなかった。
 ベタベタとあちこちの外国の税関シールも張られており、それは世界中を巡ってきたものだと分かった。
 一体、何だろう。いたずらか、それとも爆弾テロか。縁起でもないと苦笑したが、
 一度殺し合いに連れてこられた経験のあることみとしては不用意に開ける気持ちを持てなかったのだ。
 警察に持っていくべきか、とスーツケースの元に腰を下ろしたところで、ケースに挟まるようにして紙切れが挟まっているのが見つかった。
 外側には綺麗な文字で「一ノ瀬ことみ様へ」と日本語で書かれている。なぜだか、その書体に懐かしさを覚えていた。
 こんな字を、私は知っている。いつの間にか手が伸び、紙を引っ張り出していた。
 差出人は不明だった。ただ、一ノ瀬夫妻の知り合いの者である、という前置きが添えられていた。
 内容も簡素で、届け物であるということのみが書かれていた。

100 春/エピローグ :2010/09/25(土) 19:02:58 ID:Z6TbybSs0
「お父さんと、お母さんから……?」

 半ば信じられない気持ちで、ことみはスーツケースを眺めていた。
 届け物。その中身を、自分は知っている。
 あの日以来届くことはなかったはずの、記憶の底に仕舞っていたはずの思い出が、そこに入っている。
 恐る恐る手を伸ばす。あの島で見つけた、父母の言葉が蘇る。

   ことみへ
   世界は美しい
   悲しみと涙に満ちてさえ
   瞳を開きなさい
   やりたい事をしなさい
   なりたい者になりなさい
   友達を見つけなさい
   焦らずにゆっくりと大人になりなさい

   おみやげもの屋さんで見つけたくまさんです
   たくさんたくさん探したけど、
   この子が一番大きかったの
   時間がなくて、空港からは送れなかったから
   かわいいことみ
   おたんじょうびおめでとう

 片目になってしまったからか、焦点が合わない。
 スーツケースに、指が届かない。
 本当に、本当に、十年という長い時間を経て、プレゼントが、届く。
 カチャ、という音と共に、スーツケースの中身が溢れた。
 そこには、本当に大切に保管され、守られてきたのだろう、とても保存状態のよい、新品同様の、
 たくさんの熊の人形があった。

101 春/エピローグ :2010/09/25(土) 19:03:21 ID:Z6TbybSs0
 やっと、届いた。おめでとう。新しい人生を、頑張りなさい。

 それは和田透の言葉であり、様々に国を巡る中で、次の国に可能性を託した誰かの言葉であり、
 自分に将来を託した霧島聖の言葉であり、そして、父母の言葉だった。

「うん。うん……――ありがとう」

 ひとしずくだけ、ぽとりと。
 持ち上げた熊の瞳に、水滴が落ちた。
 本当に、今度こそ。
 一ノ瀬ことみの空白の十年間は終わり、新しく時間を作り出す人間になるための、命が始まった。

 それを称して。

 人生と、いう。

     *     *     *

 買いすぎてしまったかもしれない、と思ったときには遅かった。
 よくよく考えてみれば、ゆめみを除く七人分の食糧とプラスアルファなのだ。
 いかにパワフルな麻亜子がいるとはいえ、到底運べるようなものではなかった。

「いや、すまんね、まさかこうなるとは……」
「け、計画性、ないですね、わたし達」

 両手に買い物袋をいっぱいに持ち、二人は微速前進を続けていた。
 時間から考えて、ことみは既に着いてしまっている頃合だろう。
 呼び出す気にはなれず、こうして二人で懸命に運んでいるのだが、間抜けそのものだった。

102 春/エピローグ :2010/09/25(土) 19:03:39 ID:Z6TbybSs0
「あーくっそ、こんなんなら車の免許とっとけばよかった」
「わたしも大学に入ったら車の免許取ります……」
「ね、前にもこんなのなかったっけ」
「ありましたね……」

 二人して嘆息する。そういえば、割を食ったのはバイク組だったような気がする。
 麻亜子は割を食わせた側だったのだが、この際そんなことはどうでもよかった。
 とにかく腕がもう限界に近い。
 あまりやりたくはなかったが、迎えを寄越してもらうべきか。
 天秤にかけた挙句、仕方がないと判断して麻亜子を止まらせ、携帯を取り出そうとしたところで、クラクションが聞こえた。
 車のものだった。何だろうと思って二人で振り向いてみると、懐かしい顔がそこにあった。

「やったね渚ちん! 救いの神が来たよっ!」

 リサ=ヴィクセンが車の窓から身を乗り出し、こちらを見ていたのだった。
 この時ばかりは渚も全く同じ感想だった。なんて都合のいいタイミングで、しかも車で現れてくれたのだろう。
 しかも外車である。格好良かった。

「大変そうね。乗ってく?」
「是非に是非に」
「済みません、宜しくお願いします」

 大体どんな状況か既に察しているらしく、後部のドアを開けてくれた。
 助かったと荷物を持っていこうとしたところで、後部座席から誰かが出てきた。
 すらりと長く伸びたストレートの金髪に、ブロンドカラーの瞳。
 トレンチコートを身にまとい、プライベートにお忍びで出かけるが如きいでたちで現れたのは、想像外の人物……いや、ロボットだった。

「……アハトノインだ」

 呆然と麻亜子が呟く。全く予想していなかった登場だけに、驚きが先行していたのだろう。
 自分達の驚きを見越したかのように、リサがにこりと微笑む。

103 春/エピローグ :2010/09/25(土) 19:04:01 ID:Z6TbybSs0
「今のパートナーよ」
「パートナーって……」

 詳しく聞きたい? そんな挑戦的な目を見た瞬間、聴く気は失せた。
 軍事兵器にも等しいアハトノインがどのようにしてここにいるのかは、きっと知らない方がいいのだろう。

「もちろん、危ないこととかはさせてないわ。そうね、私専属のメイドさんってところかしら」
「は? メイド? 家政婦さん的な意味の?」
「そうそう。コートの下にメイド服着込んでるんだけど、見る?」
「見たいっ! はっ」

 つい反射的に言ってしまったらしい麻亜子がちらりと渚を窺ったが、渚はもう何も言う気になれなかった。
 恐らく、ゆめみ同様メイドロボにカスタムされたのだろう。ボディガードとしても極めて優秀な。
 全身を覆い隠すようなトレンチコートを着ているのはそういうことなのだろう。

「私の趣味じゃないわよ」
「え、違うの?」
「まあなんていうか……うん」

 曖昧に口を濁す。聞いてはいけない事柄に触れてしまったらしい。
 きっと再設計した技師か、或いはリサ直属の上司の趣味なのだろう。世界の未来は暗い。

「お持ちいたします」

 渚が憂いている間に、ひょいひょいと荷物を持ち上げたアハトノインが座席へと買い物袋を詰め込んでゆく。
 あの時のパワーも未だに健在なようだ。

「おー、はやいはやい」
「恐縮です」

104 春/エピローグ :2010/09/25(土) 19:04:18 ID:Z6TbybSs0
 恭しく頭を下げる。中身は随分と変わったようである。
 なんだか色々と変わったなあ、と今更のように思っていると「さ、行きましょ」とリサが促していた。
 前の座席には渚が、後ろには麻亜子が座ることになった。窮屈な助手席は嫌いらしい。
 というより、早速というようにアハトノインの頬をぷにぷにつついているところを見ると、
 悪戯したいだけなんじゃないかという思いが過ぎったが、いつものことなので気にしないことにしたのだった。
 右側に助手席があるというのも慣れないな、と思いながらシートベルトをかけると同時、車が走り出す。
 なめらかに動き始める車体。運転に手馴れている。優しく、それでいて優雅に乗りこなすリサは車好きらしいということがすぐに分かった。
 ハンドルを握りながらリサが話し始める。

「いきなり事務的なことで悪いけど、まあ一応報告ね」

 まず始まったのは、件の事件についての事後処理報告をかいつまんだ説明だった。
 もう殆ど、自分達は事件前と同等の暮らしができるようになったこと。将来の進路についてもほぼ滞りはないこと。
 リサ達エージェント組の仕事も、ほぼ終わりを迎えているということ。
 ここ一年は情報処理のデスクワークが中心で、そろそろ実戦に出たいなどと物騒な一言を付け加えて、話は終わった。

「大変だったんですね……」
「そっちも受験だったっていうじゃない?」
「ええ、はい」
「渚ちん医学部なんだぞ。お医者さんの卵なんだぞー」
「医者ねえ……どこに行きたいの?」
「内科……小児内科が今のところの希望です」

 貴女らしいわ、とリサは言ってくれた。
 内科を選んだのは、自身病弱である経験があるためだった。
 病気で一人寝込んでいるのは、寂しい。だから少しでも早く治せる手助けができればという思いがあった。
 実際なれるかどうかは分からないし、別のところに回されるかもしれない。実働できる医者はどこも不足している。

105 春/エピローグ :2010/09/25(土) 19:05:26 ID:Z6TbybSs0
「いやでもナース姿の渚ちんでも良かったのになぁ」
「タイトスカートに白衣もいいんじゃない?」
「あ、お主やりますな。黒ストならなおよし」
「勝手にわたしを変な女医にしないでください……」

 冗談冗談、と返す二人だったが、どうにも冗談には思えなかった。
 アハトノインはにこにことしている。まるでゆめみのようだった。

「そーいやさ、宗一っつぁんは?」
「さあ……一緒に仕事してたわけじゃないのよね。あっちもそろそろ終わってるはずなんだけど」

 連絡着てないの? というリサの質問に、渚は黙って首を振った。ちっ、と露骨に舌打ちする音が聞こえた。

「あの女泣かせ、今度しばいてやろうかしら」
「お、気が合うね。今度二人でダブルキックかましてみない?」
「あのわたし、その宗一さんの彼女なんですけど……」

 冗談冗談、と口を揃える二人だったが、全然冗談ではなさそうだった。
 アハトノインはにこにことしている。話についていけてないのか、それとも笑顔の裏で何かを考えていたのかは、不明である。

「渚ちんは遠慮しすぎなんだよー」
「そうね。一度笑顔で卍固めでもしてみたらいいと思うわ」
「そんな乱暴なことできませんっ」
「まあ真面目な話、今度会ったら思いっきり我が侭言ってみなさい。それくらいの権利、あるわよ」

 曖昧に頷いておいたが、権利、と言われてもそんな気にはなれない。
 遠慮癖はまだまだ自分の中に残っているのだ。どんな風に甘えてみたり、我が侭を言ってみたらいいのかも分からない。
 人と距離を置くようにして生きてきた自分のツケであり、無闇矢鱈と振り回すつもりにはなれなかった。
 ことみとは違い、宗一は異性だった。その上立場も違うのだから。

106 春/エピローグ :2010/09/25(土) 19:05:43 ID:Z6TbybSs0
「むう。どうも渚ちんは奥手じゃのう……ここはひとつ酒の力をだな……」
「わたし未成年ですっ。……あ」

 麻亜子が口にした言葉で、渚はあることを思い出していた。
 慌てて携帯を取り出し、メールの文面をチェックする。

「……みりん買い忘れてました」
「え、うそ、だっけ」

 がさごそと麻亜子が買い物袋を確かめているが、見つからないようだ。
 あちゃー、という声も決定的だった。

「すみません、うっかりしてて……」
「やー、あたしもすっかり……」
「どうするの?」

 リサが車のスピードを落とす。当然買いに戻る必要があったが、たかがみりん一本のために戻る手間を犯したくはない。

「わたしが買いに戻りますから、先に家に行っててくれませんか」
「別に車くらい回せるわよ」
「いえ、すぐ戻りますから……」

 渚は既にシートベルトを外し、ドアに手をかけていた。
 こうなってはどうしようもないと思ったのか、リサはひとつ溜息をついて「じゃ、そうするわ」と納得してくれたようだった。
 麻亜子が「待ってよ、あたしが行こうか」と口を開いたものの、その必要はないと首を振った。メモの内容を忘れていたのは自分だ。
 不始末くらい自分で何とかさせてください、と伝えると、麻亜子も黙り込むしかなくなったようだ。

「変なとこで頑固なんだからもう」
「……性分なんです」

107 春/エピローグ :2010/09/25(土) 19:06:00 ID:Z6TbybSs0
 苦笑気味に、そう言うしかなかった。
 変なところで遠慮しては、変なところで頑固になってしまうのが自分という人間だった。
 まだまだ不出来で、不完全でしかない。

「早く帰ってきなよ。家主、渚ちんなんだからさ」

 そういう自分であることを受け入れてくれる、友達の存在が、ありがたかった。

 ……でも、本当は。

 考える前に、渚は車のドアを開けて歩き出していった。

     *     *     *

 今年の日本の春は寒いらしい。
 まだ長袖にコートを着用していなければ肌寒さを感じる。
 念を入れて防寒具を持ってきておいて良かった、とホッとしながら、那須宗一は坂に連なる、桜の木の群れを眺めていた。
 気温としてはまだ決して暖かいとはいえないはずなのに、元気いっぱいに開花し、ひらひらとした薄桃色をはためかせている。
 その一方で早くも散り始めており、桜並木の下は、そこだけ薄桃色の雪が降りしきる空間だった。
 やはり日本の桜は見ていて落ち着く。別に特別な理由があるわけではないが、どうしても宗一が見ておきたかったものだった。
 今年一年は件の事後処理に追われる毎日で、こんな雅を楽しむ余裕などはなかった。
 特に宗一は篁財閥の解体処理とも言うべき仕事に従事しており、経済的な混乱を起こさないようにする調整は恐ろしく手間がかかった。
 死んでも面倒を起こしてくれる。ぶつくさ言いながら世界中を飛び回っていたあの日も、もう遠い昔のように感じる。
 日本に帰る暇はなく、無性に恋しくなっていたのであった。

「……そろそろ行くかな」

108 春/エピローグ :2010/09/25(土) 19:06:18 ID:Z6TbybSs0
 ひとしきり眺めてから、宗一は坂を下り始めた。
 仕事自体はほぼ終息に近づいており、残すは最終的な報告くらいだった。
 これからは自由な時間が始まる。ようやく、渚と過ごせるようになる。
 一年も待たせてしまった結果になってしまったのだが。
 渚も大学進学のために学業に没頭していたらしいから、お互いに会えないことに納得はしていた。
 メールで多少連絡を取り合うくらいで、一先ずは自分のことを優先していた。
 しかしいざこうして時間ができ、会うことになってみると、どんな言葉を交わせばいいのか判断に詰まる部分があった。
 桜並木を見に来たのは、多少なりとも心を落ち着かせる意味合いもある。
 それくらい緊張していた。なにせ、女性と付き合うというのは始めての経験だったからだ。
 仕事として付き合うくらいはあったものの、恋愛となると宗一は奥手だった。
 久しぶり。会えなくて悪かった。ありきたりの言葉は出てくるものの、どうにもぎこちなくなってしまいそうだったのだ。
 こんな調子で大丈夫かと嘆息していると、坂の下を一つの影が通り過ぎてゆくのが見えた。
 渚だった。買い物袋を手に、ゆっくりと歩いている。
 遠くからでも分かる。一年前と殆ど変わらない、短い髪をポニーテールにして結い、髪飾りとして銀の十字架をつけているのだから。
 懐かしさと一緒に、愛しさが込み上げる。体が勝手に反応し、走り出してしまっていた。
 頭はまだ何を言えばいいのか分からなかったが、止められるほど宗一は冷めた人間ではなかった。
 とにかく、会えた。会えて嬉しかったのだ。

「渚っ!」
「へ? わっ」

 いきなり飛びつかれたことに反応できずに、渚は口をぱくぱくし、体を硬直させるだけだった。

「え? あの、え、宗一さん?」
「おう、宗一さんだぞ」
「えっと、その、ええと……?」

 目がグルグルと回っている。頭がオーバーヒートしているに違いなかった。
 急に抱きしめたのである。大人しい渚には刺激が強過ぎたのだろう。
 ちょっと驚かせたかと体を離そうとすると、ぶわっ、と渚が泣き出した。
 今度は宗一が固まる番だった。ぽろぽろと声もなく涙を流し続ける渚に、そんなにショックだったのかという思いが巡った。
 軽くパニックに陥り始める。まずいどうしよう泣かせた俺最低?

109 春/エピローグ :2010/09/25(土) 19:06:36 ID:Z6TbybSs0
「あ、いや、俺、その、そんなつもりじゃ……」

 物凄い罪悪感に駆られ、手を離そうとして――逆に抱きしめられた。
 パニックを通り越して、頭が真っ白になった。
 状況を理解できずに固まっていると、「すみません」という小さな声が聞こえた。

「すみません……今は、これしか、言えなくて」
「ああ、その、俺も……ごめんな」

 お互いに謝り合う、ぎこちなさすぎる再会。
 感情を言葉にできず、想いを形にできずに、謝るしかない自分達。
 不器用で、滑稽で、人間として不完全なふたり。
 だから、せめて、行為で示そうと思った。いや、行為で示すしかなかったのかもしれなかった。
 沈黙したまま、体温を確かめ合うだけの時間が続いた。
 時間をかけなければ、再会を祝う言葉すら交し合えない。
 一年という時間を作ってしまったのも、そのためかもしれなかった。

「その、渚」

 やがて。
 やがて、長い時間をかけて。
 やっと、本当の一言目が生まれた。

「俺、仕事も終わったからさ、これから、暇もあるから」
「はい」
「色々、二人でさ、どっかに行こうぜ。たまに。勉強の合間にでも」
「デート……ですよね」
「そうなるな」
「デートって、わたし初めてなんです」
「奇遇だな。実は俺も」
「嘘ばっかり」
「本当だって。本当に、好きな人とのデートは」
「もう……そんなですから……」

110 春/エピローグ :2010/09/25(土) 19:06:53 ID:Z6TbybSs0
 宗一さん、大好きです。
 お互いに、言葉を捜しながら、告げられた言葉はとても甘い。
 それは初めての、手作りのお菓子の味だった。
 往来の真ん中で何してるんだろう。ふっとその感想が浮かんでも、これは手放したくなかった。
 もう、ずっと掴んでいる。

「ということで、二人で色々計画立ててから行こうぜ」
「でも結局、行き当たりばったりになりそうですね」
「それもまたよし」
「なんだかんだで、楽しんじゃうんでしょうね、わたし達」
「アホだよな」
「アホです」

 そして、笑った。
 子供が、子供みたいに、バカみたいに笑っていた。
 この人の前では気取る必要はない。
 俺は、俺でいい。
 なにひとつ背伸びする必要のない子供で良かった。
 そうして、一緒に大人になってゆけばよかった。
 不思議なほどに、まるで初めから約束されていたかのように、
 宗一と渚の感じている時間は同じだった。

「でも、デートのときは早く来て下さいね」

 待ってるより、一瞬でも一緒に居たいですから。
 そう付け加えた渚に頭が上がらない思いだった。
 どうやら、今のところ一歩ほど先を行かれているらしい。
 尻に敷かれないようにしないとな。当面の目標は、それだった。

111 春/エピローグ :2010/09/25(土) 19:07:07 ID:Z6TbybSs0
「悪かった。言い訳はしない」
「じゃ、今日は……ずっとわたしと一緒です。
 色々伝えたいことがあるんです。話したいことがあるんです。
 一年分、ずっと、溜めてきたぶん……これって、我が侭のうちに入りますか?」
「入るよ」

 そう答えてやると、渚は満足そうにえへへと笑った。
 本当は、そんなことはない。これは我が侭のうちになんて入らない。
 けれど、それが渚の精一杯だというのが手に取るように分かったから、お姫様の言うとおりにするのが今の役割だった。

「お付き合いしますよ、姫様」
「そうですか。それでは――」

 冗談めかした言い方を受け取って、渚も冗談めかした言い方で後を引き取った。
 少し体を離して、ふわりと手を広げ、誘うように。

「あなたを、お連れしましょう」

 そこは、きっと。
 願いの叶う場所なのだろう、と宗一は思った。


 どこからか吹かれて飛んできた、ひとひらの花びらが、渚の広げた手のひらに落ちた。
 それは願いと言い、或いは希望と言い、


 希望の先にあるものを、未来、という。

112 春/エピローグ :2010/09/25(土) 19:07:48 ID:Z6TbybSs0

葉鍵ロワイアル3 Route B-10 了

113 インターセプト4 :2010/10/07(木) 00:20:45 ID:bSl081z60
万策は尽きる。
ぼろぼろと泣き続ける遠野美凪の体を、少年は一気に引き上げた。
依然伏せられたままの美凪の瞳、少年は気にせず彼女のこめかみに銃の切っ先を押し付ける。

「無力って嫌だよね。ほんと、そう思うよ」

あまりの言い草に向坂環が飛び出そうとするものの、ふと向けられた少年の目配せでその足は強制的に止められてしまった。
このまま美凪が撃ち抜かれ、そうして残った三人で、どのような応戦をすればいいか。
いや。そうではない。美凪を保護できないで、どうするんだと一ノ瀬ことみも頭を振る。

(そんなの、駄目)

美凪を切り捨てること、無駄死にさせること前提で話を作ってどうすると、ことみは内なる自分に渇を入れた。
どんなに絶望的であっても、もう誰も死なせたくないという思いはことみの中で一番強いものである。
悲惨な過程を消し払う。何とかして、救い出さなければいけない。
出したい。
出してあげたい。
覚悟が願望へと徐々に弱まっていく様、この歯がゆさを何と表せばいいのかことみは知らなかった。

少年と敵対する面子の中、唯一の男性である相沢祐一。
彼もまた、他の二人と同じように何も手が出せないでいる。
その手には一丁の拳銃が、環と同じように握られていた。
しかしこんな凶器、人質が取られている今では使いものになるはずがない。

誰もが、心に絶望を抱いていた。
誰もが、美凪の最期を予想せずにはいられなかった。

「そこまでだよ、動かないで。僕も銃を持っている」

声。第三者の、声。
このタイミングで他の人間が現れることを、誰も予想していなかった。
そう。圧倒的な力を見せていた、少年でさえも。
声の主は、校舎の裏側から現れた。
ちょうど美凪達が保健室から脱出した際に向かった、あの方角である。

114 インターセプト4 :2010/10/07(木) 00:21:25 ID:bSl081z60
「……驚いた、まだ人がいたなんて。全然気づかなかったや」
「彼女を解放して欲しい。そうすれば、こちらも手出しはしない」

生まれた少年の失笑を、彼は静かに受け止める。
彼もまた、どちらかと言えば甘い考えを持った人間のようだった。
所詮、狩る対象が一人増えただけ。ほくそ笑む少年の余裕は崩れない。
銃を手にする姿もぎこちない彼はどう見ても一般的な学生であり、少年にとっても脅威を感じる相手ではなかった。
きらびやかな光を放つ、彼の左手に気づくまでは。

「お願いだ。僕は、人を傷つけたくない」

ドラグノフに添えられた、彼の左手が燦然と輝く。
目を凝らせば視覚できる、確かな青。
空を纏う朝の光を集めるそれは、場違いな美しさを一方的に見せ付けていた。
その色の意味は保持者である彼、氷上シュンもいまだ知らないものである。


          ※          ※          ※


シュンが異変を察知したのは、保健室で行われた銃の撃ち合いが原因だった。
終始姿を見せることをしなかった怪しい少女との対話、あやふやとなっていたシュンの思考回路が、それではたと目を覚ます。
危険を促す爆音は、決して遠い場所からがなったものではない。
この場所に居続けることのデメリットが、一気に膨らんだ。
駆け足でプールが付属している建物へ戻ると、そのままシュンは真っ直ぐに女子更衣室の前に向かった。
人の気配が感じられるその奥には、シュンの同行者である太田香奈子達がまだいるはずである。

「太田さん、太田さん! ごめん、まだ中にいる?!」
「ひ、氷上君……?」
「外の様子がおかしいんだ。ちょっと見てくるから、身支度をしておいて欲しい」

115 インターセプト4 :2010/10/07(木) 00:21:51 ID:bSl081z60
乱暴に扉を叩くと、中から戸惑う香奈子の声が返ってくる。
端的に事を伝え、すぐ様この場を立ち去ろうとしたシュンの足は次の瞬間強制的に止められることになった。

「待ってっ! 氷上君っ!」

躊躇無く開けられた扉から現した香奈子との、数十分ぶりの対面。
慌てて勢いのまま飛び出したとしか見えない香奈子の姿に、シュンの頭が真っ白になる。

「何があったの、一人は危ないわ!!」

不安に駆られている表情の香奈子だが、その姿はあまりにも無防備だった。
香奈子の剥き出しの肌を覆うのは、下着と言う名の頼りない薄布のみである。
縁取られたレースが香奈子の艶かしいラインを強調していて、所々に飛んている水滴も彼女の肢体を彩る役割をしっかり果たしていた。
突然表れた光景に、シュンは思わず事態を忘れその姿を凝視してしまった。
大きすぎる驚愕に、彼自身がその魅力を吟味する余裕は皆無であったろう。
しかし視線自体は不躾なものだった故、香奈子がこの状況を自覚したのは早かった。

「……?! ご、ごめんなさいっ!!!!」
「ぼ、僕の方こそ、ごめん!」

扉が閉じられたと同時、シュンも更衣室に向かって背を向ける。
年頃の少女より少し大人びた香奈子の体は、何だかんだでシュンの脳裏にしっかりと焼きついた。

それから二人、扉を介し簡単に事情のやり取りをする。
シュンは一分でも早く現場の確認に向かいたかったが、香奈子がそれを簡単には許さなかった。
危ないことが分かりきっているという前提のある場所に、シュン一人で先行することを香奈子は強く拒む。
香奈子がすぐの準備を整えることができるなら、また話は別だったかもしれない。
言葉を濁す香奈子から、シュンも彼女の状況を察する。

116 インターセプト4 :2010/10/07(木) 00:22:37 ID:bSl081z60
シュンには香奈子の他にもう一人、幼く見える同行者がいた。
名倉由依の実年齢を知らない彼等からすると、義務教育を終えていない少女そのものである由依の容姿には騙される部分があるだろう。
彼女のことで、香奈子は即答しかねているに違いない。

「太田さん、大丈夫。ちょっと見てくるだけだからさ」
「じゃあ、あの子を置いて私もついて行くわ」
「そんなこと言わないで。僕も命が惜しいからね、危ないことはしないから」
「……本当に?」

香奈子を宥めるシュンの口調は、あくまで優しいものである。
まだ香奈子は不安気であったが、立ち往生となっているこの状況は把握できているようだった。

「こっちも急いで何とかするから。それまで、絶対危ないことはしないで」
「分かった」

やっと出た香奈子の了承の言葉と共に、シュンは再び走り出すのだった。





弾む息。
昨日から駆ける度に、シュンは自身の体の脆弱さに嫌悪感が隠せなかった。
スピードも持続力も何もかも、男性であるシュンよりも女性である香奈子の方が上だったのである。
今も尚それを実感しつつ、シュン自身で思っていたよりも遅い時間に彼は求めていた争いの現場に足を踏み込んだ。

燃え盛る保健室が、風景の一部として見える校庭の隅。
校舎の影に隠れる形で一端足を止めたシュンの目に、目立つ男女の集団が入る。
様子が異様なのは、すぐに見て取れた。
走っている途中で聞こえた発砲音で、何かしらの争いが行われていることはシュンも予想していたが、それ以上である。

片腕を捕らえた黒髪少女の苦しげな呻き、それは自身が被る痛み故か。
きっと、それだけはないはずだろう。

117 インターセプト4 :2010/10/07(木) 00:22:56 ID:bSl081z60
「ぁ……真希さ、まき、さぁ……っ」

肩を震わせながら咽び泣く黒髪の少女の足元に、シュンはもう一人少女がいることに気づく。
軽い痙攣を繰り返した後、力みのあった倒れている少女の体からすっと硬さが抜けていった。
茶色だった土に新たなどす黒さを加えている夥しい量の出血、最早死は逃れられない。逃れられなかった。
何度も人の死を確認したシュンだからこそ、その判断はすぐに下すことができる。

シュンがこの場に来たのは、あくまで確認のためだ。
シュンには人探しという目的があり、その遂行が彼の中でも最重要事項となっていた。
出会った先々で命を落とした少年少女の願いを無下にしないためにも、シュンは彼等のために自分の命を使いたかった。
亡くなった人の思いを伝えるということは、このような状況では最高の弔いかもしれない。
恐らく何も残せずにただ死を迎えてしまう無力な人間が、大多数であろう。
彼等に対しシュンができるせめてもの事が、遺言と同意義な思いを伝えるという行為だった。

だから彼は、自身を渦中に身を置かせるような真似をしない。
考えない。
争うことを重要視しない。
しかし彼は見つけてしまった。
その現場に、鉢合わせてしまった。

居合わせてしまった。
今までとは違う。

無慈悲な暴行を傍らで見守る少年少女等がまごつく中、ここではシュンが一番自由に動ける立場にいる。
シュンの手には、彼への支給品として配られたドラグノフがあった。
保険の意味で握っていた武器の意味を、シュンは改めて考える。

この時点で、人探しのために立ち寄った鎌石村中小学校は、シュン達に害が及ぶ可能性のある場所だと認定された。
それならば話は早い。争うことを目的としないのであれば、さっさと離脱するのが吉である。
……それで起こる矛盾にシュンが気がついたのは、早かった。

118 インターセプト4 :2010/10/07(木) 00:23:38 ID:bSl081z60
今はもういない月宮あゆ、草壁優季、河野貴明という面々。
彼、彼女の生前の思いを知っているのはシュン達しかいない。
彼等の思いを伝えることができるのは、シュン達しかいない。

では、目の前の彼女等はどうか。
命を亡くしたと見られる者もいる。
しかし、自分の足でしっかりと立っている者だってそこには確かにいる。
彼女達は、生きている。
生きている以上、自身で伝えられる言葉を彼女達は持ち合わせている。

それは、シュンが代行する必要のない思いだ。
その思いを切り捨てて、何になる。

(ごめん、太田さん。でも仕方ないよね)

構えを取ることに、シュンが抵抗を感じることはなかった。
この場を収めなければいけないという念に、彼の体は自然と着いていっている。

(ああ、あの子が言っていたのはこういうことなのかな)

少し前に行った、少女との対話がシュンの中で思い出される。
大事な人のためなら人を殺すことが出来るかどうかというあの問いと今の状況は、少し違うかもしれない。
誰かを傷つける行為は彼自身の目的とは反するだろう。
しかしその誰かを守ることができる状況に置かれたことをシュンが自覚した時、彼は誰かを守るために武器を取ることに躊躇を覚えなかった。


          ※          ※          ※


突きつけられた凶器の切っ先を、少年は視線だけで確認する。
そこそこの距離で受ける脅迫に、少年は何の危機も抱いていなかった。
シュンの動揺を仰ぐのは、少年からすれば簡単なことである。
捕らえている少女に、止めを刺せばいい。
美凪のこめかみに押し付けた少年のグロッグと遠くからこちらを狙うシュンのドラグノフでは、射撃の精度も含め脅威は段違いだ。

119 インターセプト4 :2010/10/07(木) 00:24:00 ID:bSl081z60
少年には、美凪を始末した後でシュンを返り討ちにする自信があった。
シュンだけではない。自分達を見守る他の面々すらも、彼は戦力として計上しない。
校庭という広いフィールドで素人の放つ当てずっぽうな弾を恐れるという感覚が、まず少年にはなかった。

少年がはにかむ。
ここにきて、失せていたはずの緩みを彼はその表情に取り戻した。
まるでことみとの再会を喜んだ時のような感激が、そこには満ちていた。
彼の笑みの不気味さを知っていることみ達からすれば、それは嫌な予感にしか繋がらない。
支給された拳銃を少年に向ける環、その隣で固まっていた相沢祐一も慌てて同じように構えを取る。
向けられた先端は、計三つ。それに対し、少年は。

「分かった、これでいいかな」

いとも簡単に、美凪を解放した。
さすがにここまで潔く行くとは、誰しも思わなかったのだろう。
腕を離されことみ達の方向に軽く背を押された美凪は、捕まれていた腕に自身の手を添えながら前のめりに膝をつく。

「……!」

ことみがすぐの反応を見せ、それに続く形で環も美凪のもとへと駆け寄った。
祐一は動かない。
美凪を離したとはいえ、少年の手にはまだ凶器が握られている。
少年がそれを手にしている限り、女性陣三人が固まった所を彼が集中砲火する可能性を祐一は危惧していた。

「武器を手放せ。お前がそれを持ってる限り、信用はできない」

声が少し掠れているものの、祐一なりにどすを効かせたつもりなのだろう。
少年の目をしっかりと睨みつけながら、祐一は叫んだ。
少年は一切の抵抗を取らず、手にしていたグロッグを足元後方に転がした。
そのまま万歳をして降伏を意味するポーズを取る少年、これではあまりにも上手く行き過ぎて祐一の中の疑念が増すだけである。

120 インターセプト4 :2010/10/07(木) 00:24:40 ID:bSl081z60
対し、犠牲が増えなかったことにシュンは一人ほっと息をついていた。
震えながら涙を流す美凪の両脇には、彼女をあやすように二人の少女がついている。
祐一の指示で、少年も危害を加えることはできないだろう。場は、丸く収まったのだ。

「これでいいだろう?」

祐一に目配せをした後、少年は振り返りつつシュンにも声をかける。

「あ、うん。ありがとう」
「……面白いね。まさかお礼を言われるとは、思わなかった」

手を上げたままくるりと反転し、少年はシュンと対面になるような位置に落ち着いた。
シュンも祐一同様、拳銃を取り下げてはいない。
シュンが発砲する可能性がないことを、少年は彼の雰囲気から感じ取っていた。
そのまま遠慮することなく上から下までまじまじと、少年がシュンを値踏みする。
確認はすぐに終わった。少年は彼が思う限り、シュンと『出会ったことがない』だろう。

「成る程ね」

くすっと一つ笑みを零し、少年はすたすたとシュンの方へと歩み寄っていく。
まさか近づいてくるとは思わなかったのか、驚いたようにシュンが半歩引くが少年の足は止まらない。
そうして縮まった距離、僅か二メートル弱。
少年は自身の右手をうやうやしく胸元に添えながら、シュンに向かって一礼をした。

「初めまして、選抜者。こんなにも早い段階でコンタクトを取れるなんて思ってなかったから嬉しいよ」

少年の真意が掴めないのか、シュンはただただ戸惑うばかりだ。

「あ。姿勢崩しちゃったけど、もういいよね」

この時点で、少年の敵意は零に等しい。
さすがのシュンも、それは理解できる。
シュンだけではない。
この場にいる誰もが、少年の変化に気づいていた。

121 インターセプト4 :2010/10/07(木) 00:25:14 ID:bSl081z60
ごくりと飲んだ息の音、それは祐一の予想よりも大きく頭の中に響く渡る。
いい加減少年に銃身を向けたままの姿勢を取るのもつらく感じ始めたが、祐一は決してその手を下に下げようとしない。
戸惑いに飲まれているシュンと、祐一とではこの時点では考えていることも全く違う。
祐一は、今ここで少年を討ち取れば全ての片がつくであろうという極論に辿りついていた。
祐一は既に、一度人を殺めている。
これ以上重ねた所で、その罪は一生消えない。

(……後悔は、あん時充分したんだ)

あの時、神尾観鈴を守るために祐一は一つの命を奪った。
彼女の笑顔を守れたという事実だけが、祐一にとっての免罪符と言えただろう。
しかし、その唯一の救いも今はもうこの世に存在しない。

それに祐一は知っている。
観鈴を助けるために、人を殺めたという後悔。
自分が知らぬ場で亡くなった観鈴に対し、何もしてやれなかったという後悔。
その大きさが段違いであることを、祐一はしっかり自覚している。

(それならば、俺がやるべきだ)

目を閉じ大きく深呼吸するだけで、祐一の精神は集中状態に陥った。
引き金を引くことへの迷いが消える。
構えていた銃の先では、少年が和やかにシュンと会話していた。
今、祐一の目の前にはがら空きになった少年の背面が晒されている。

「きゃっ」
「っ?!」

122 インターセプト4 :2010/10/07(木) 00:25:58 ID:bSl081z60
今正に、祐一が発砲しようとしたその時に、上がった少女達の悲鳴。
祐一の集中状態が崩れる。
代わりに土埃が舞った。
祐一じゃない。動いたのは、祐一じゃない。





取った低姿勢で、少女は一気に走りこんだ。
バネがしなるような自然な反動、特別俊敏なものではないがその動作に無駄はない。
優しく支えていてくれた両肩の温もりを払いのけ、少女は目標との距離を一気に縮める。
少女の気迫に圧倒されたからか、彼女の行く手を遮る者はいなかった。
それだけ、少女の雰囲気は鬼気迫っていたということだろう。

誰もが存在を忘れていた、放られ、打ち捨てられていた斧。
それは、少女の相棒が持っていた物だった。
リレーのバトンを受け取るようなスムーズさで、少女は斧の柄を握りこむ。
そのままずっしりとした感触を両の腕に馴染ませながら、少女は斧を振り上げた。
振り上げながら、駆けた。

「真希さんの……かたき……っ」

方向を転換させた少女が、今度は彼女に向け背面を見せていた少年に襲い掛かろうとする。
少女の瞳に宿る呪怨に、少年は気づかないのか。無視をしているだけなのか。
少女が狙った後頭部が、振り返ろうとする素振りはない。
微動だにしない。
何をするにも一生懸命だった明るい真希を虐め抜き、容易く命を奪った男に向かい少女は……美凪は、加減というものを意識せず、勢いのまま全力で少年の背に切りかかった。

「その軌道、舐めているとしか思えないね」

切った虚空の軽さに、美凪の体が惑う。
美凪の猛攻を余裕の足取りでかわす少年、対し美凪は全身を使っての一振りだったため止まることもできず、そのまま地面へと突っ込んでいった。
斧が地面に突き刺さると同時、大きな衝撃が美凪の両腕に負荷としてかかる。
走る痺れに、美凪の体に込められていた力がふっと抜けていった。
崩れるな、そう心で叫んでも美凪の命令に彼女の身体は付いて来ない。
ましてや地面に深々と食い込んでしまった斧を取り上げることなど、不可能である。

コントロールを効かせることができず、美凪はゆっくりと膝を地面に下ろすことになった。
痺れが取れれば、またこの斧を振るうことができる。そんな希望。
しかし動きを止めた美凪の様子を、少年が見過ごす訳も無い。
今度は少年が、崩れた美凪の背面を襲い掛かった。

123 インターセプト4 :2010/10/07(木) 00:26:30 ID:bSl081z60
「あぐっ!」

髪を毟られそうになる程強く掴まれ、美凪の口から苦悶の悲鳴が漏れ出る。
抵抗をするにも、美凪の体はいまだ不自由なままであった。
それ以前に美凪と少年では腕力の差が歴然で、例え彼女が万全の状態であったとしても歯が全く立つ保障は皆無だろう。

そのまま片手で美凪の体を、少年は強引に掴み上げた。
少年の指に絡まった艶やかな黒、美凪の長く美しい黒髪がぶちぶちと抜けていく。
上げられる掠れ切った悲鳴の痛ましさを無視し、少年はそのまま美凪を頭から地面に叩きつけた。

「はぎゃっ!」

ひしゃげた蛙のような鳴き声が、美凪の口から漏れる。
火花散る視界、がうんがうんと揺さぶられる脳の感覚に、美凪は一瞬意識を飛ばしかけた。
瞼に映る美凪のぼやけた景色には、いまだ地面に突き刺さったままの斧がある。
彼女が、真希が振るった斧だ。
目と鼻の先に在るはずなのに、美凪の凶器は遠い物になってしまった。
決して手が届くことのない場所まで、離れてしまった。

じょりじょりと、銃弾が擦ってできた美凪の頬にある傷口に、汚い校庭の砂が食い込んでいく。
条件反射で歯を食いしばる美凪だが、それ以上身動きを取ることはできなかった。
あの斧を諦め私物で抗おうにも、少年がかける圧力は非常に強い。
足掻くことすら、許されなかった。

無抵抗な美凪を冷たく見下ろす少年は、視線を逸らさぬまま空いた片手を自身のズボンにあるポケットに突っ込むと、そこから一つの凶器を取り出す。
注射器だった。得体の知れない内容物を含んだそれに、祐一の中で嫌な予感が一気に膨れ上がる。

「な……!? まだ獲物持ってたのかよ!」

124 インターセプト4 :2010/10/07(木) 00:26:57 ID:bSl081z60
光を受けて反射する針の先端、そこから滴る水滴は見るからに不穏である。
何が仕込まれているかは不明だが、この少年の持ち物である以上安全な可能性など皆無だ。
少年が、躊躇することなく美凪のうなじに注射器を突き刺した瞬間。
慌てた祐一が、美凪から少年を引き剥がすべく反射的に構えていた銃の引き金を引いた瞬間。
そのタイミング、ほぼ同時。

焦りからくる乱雑な動作の上、発砲による反動から来る衝撃が腹部の傷を襲い、祐一の射撃の精度は彼が思う以上にめちゃくちゃであった。
弾は少年に掠れることもなく、明後日の方向へと飛んでいく。
それでも自身を狙う危機から距離を置くべく、少年も瞬時にその場から離れていた。

コンマレベルの出来事である。
周囲の人間が察した時には、もう事はここまで進んでしまっていた。
美凪の首に垂直に突き刺さっている注射器の中身、注入されなかった薬品がたぷたぷと揺れている。
最後の一線は、守られた。

「がはっ、はっ、ふっ……」

強い力で圧迫されていたからか、呼吸をするのもつらかったのだろう。
少年からの締め付けが消え、美凪が何度も咳き込みながら息を整えようとする。
肩を大きく上下させながら、美凪はそのまま右手を自身の首元へと伸ばした。
刺さったままの注射器の違和感、与えられた急所への危害を退くことが美凪の中ではまず優先される。
震える手で注射器を掴み、美凪はそれをゆっくり引き抜いた。

たぷたぷたぷ。液体が揺れる。本当に、刺されただけのようである。
危険を取り除けたことで気を使い果たしたのか、美凪は注射器の中身を確かめることなく顔から砂地に落ちていった。

「ちょ、ちょっと?!!」

125 インターセプト4 :2010/10/07(木) 00:27:38 ID:bSl081z60
動きを止めた美凪に、硬直していた環の中の時間が戻る。
もたつく初動に気を止めることなく、環は慌てて美凪の元へと駆け寄って行った。
ことみもすぐに後を追うが、足の速さには差がありその距離はぐんぐん開いていく。
先に美凪のもとへ辿り着いた環が、すかさずしゃがみこみ放り出された彼女の手を取る。
どくん、どくん。当てた手首に伝わる、美凪の鼓動。生きて、いる。

「……大丈夫。どうやら気を失ってるだけのようね」

そこでやっと追いついたことみも、ほっと息を一つついた。
今度は祐一も、見ているだけでなく彼女達の元へ駆けつける。
集まった四人から注がれる憎しみを、少年は全く気にしていなかった。
切迫する。
再び場の空気が、凍る。





この一様を、シュンは呆然と見ていた。
見ていただけだった。動くことができなかった。
目の前で起きた一連を、シュンは整理し切れていない。

挨拶をされた。
人の良さそうな笑みを浮かべる少年に対し、シュンは戸惑うことしか出来なかった。
シュンは、彼が人を殺した現場を遠目から見ていたのだ。
今更そんな紳士的な態度を取られるとは、シュンは思いもしなかった。

126 インターセプト4 :2010/10/07(木) 00:28:05 ID:bSl081z60
どんな言葉を返すかシュンが迷っている内に、場が揺れる。
少年の背面、シュンの視界。
俯いていた少女が、顔を上げたと同時に駆け出す。
走る少女の姿勢は異様で、その形振り構わない様子に思わずシュンも喉を鳴らす。
溢れんばかりの少女の殺気に、少年も気づいたのだろう。目が動く。
凶器を手にした少女は、勢いのまま一気にこちらと距離を詰めてきた。
振りあがる斧。危ない。

圧倒され及び腰になってしまったシュンは、少女の動きを視線で追うことしかできなかった。
少年の手が伸びる。
少年はそのまま、少女の気迫に息を飲んでいたシュンの肩に、ポンッと軽く手を置いた。
与えられた温もりに、シュンの表情に疑問符が付く。
少年は一つウインクし、シュンをそのまま地に伏せるべく彼の肩を突き落とした。

「うわっ!」

無防備だったシュンにとって、これはたまらなかっただろう。
おたおたと手をばたつかせながら、シュンは校庭に尻餅をついた。
舞い上がる砂埃に呼吸器官を侵食され、思わず咳き込んだシュンの目と鼻の先を。
それが、突っ切った。
少年に対し、これは何のつもりだとシュンが問いかける暇など勿論無い。
少年が横にずれたと同時、現れたのはシュンの景観を垂直に分断する鋼色の凶器だった。

「……っ」

シュンの下半身に、衝撃が走る。
それは斧が校庭に食い込んだ音。震動。
投げ出されたシュンの足と足の間で、斧は倒立していた。

127 インターセプト4 :2010/10/07(木) 00:28:35 ID:bSl081z60
「…………っ」

少しでも軌道がずれていたら、飛んでいたのはシュン自身の肉だ。
言葉にならない。
少女を再び捕らえ暴力を振るい出す少年の姿すら、シュンはまともに捉えていなかった。
聴覚すらも、器官が拒否をする。全てが遮断される。

斧が、斧が。
新品ではないだろうが、恐らくこの斧はそこまで使い込まれていないのだろう。
まだ人の血を吸っていないと分かる清らからな断面に、シュンの姿が映り上がる。
開いた瞳孔、伝う汗。

きっと、切りつけられていたらこんなまじまじと自分の姿を見つめることすらできなかったに違いない。
これまで病魔という問題を除き、自身が命を奪われそうになる危機というものを、シュンは体験したことがなかった。
それだけに、この一連でかかった負荷がシュンに与えたダメージというのも、とてつもなく大きかった。

「今のはどう見ても不可抗力だよね?」

距離を置いていた少年が、ゆっくりとシュンに歩み寄る。
少年に手を差し出され、いまだ座り込んだままのシュンは反射的にそれを取った。
片手で優々とシュンの体を起こす少年の表情は、柔らかい。
何が起きたのかを深く理解していないシュンは、その温かさにまた混乱しかかってしまう。
ふと見ると、少年のもう片方の手には、手放されたはずの拳銃が再び握られていた。
何故。固まるシュン。

両足のバランスを確認した後少年から手を離すと、シュンは周囲を改めて確認した。
先程の少年少女四人が固まっている位置がやけに近い。目と鼻の先だった。
何故。
何故、自分達はこんなにも密集している。

128 インターセプト4 :2010/10/07(木) 00:29:31 ID:bSl081z60
四人のうち、一人気を失っている少女の容貌にシュンは見覚えがあった。
あぁ、この子だと。
泣き叫んでいた姿、鬼気迫る表情で襲ってきた姿、シュンの脳裏に蘇る少女は様々な表情を持っていた。
そんな少女を庇うように、他の三人は憎悪をこちらに向けている。

シュンが気を散らしている内に、何かあったというのは明白だった。
それはいい。決して良くはないが、いいとする。
思い出されるのは、先程の斧のことだ。
斧で襲い掛かってきた少女を、少年は撃退したのだろう。
少女が少年を狙った理由なんて、すぐに把握できる。仲間が殺されたからだ。
そのことも、いい。これ以上の推測をシュンは止める。
放置すべき事柄では決してないが、今は置いておく。

「ん? どうしたの?」

四人から少年へと視線を移すシュンの瞳には、にこやかな少年の微笑が映っていた。
何故。
何故、ここに来ても少年は、絶やさぬ笑みをこちらに向けることができているのか。

少年の浮かべる笑みが、一体喜怒哀楽のどこに属しているのかシュンは分からなかった。
ここにきて、シュンはやっと少年の不気味さを認知する。
伝う脂汗は、斧で受けたショックからだけじゃない。
少年という未知の存在に対し、シュンの中の不安が一気に膨れ上がっていく。

「そんなに悲しそうな顔をしないで欲しいな。悪かったよ、もう彼等には手を出さない」

そんなシュンの様子を、少年がどう捉えたか。
シュンにはそれを問う言葉すら、見つからない。

129 インターセプト4 :2010/10/07(木) 00:30:24 ID:bSl081z60
結局シュンは、何も分からなかった。
それこそシュンは、少年と四人の彼等彼女等のことを全く知らぬ状態でこの場に飛び込んだのである。
シュンがこの場を収めようとしたのは、血が流れるのを止めたかったからだ。
そのために躍り出たはずなのに、結局シュンが言えることはなかった。
命のやり取りがあったという確執がある中、シュンだけが蚊帳の外にいるのだから仕方ない部分はあるだろう。

収めたはずの場を引っ掻いた、少女の行動。
少年の顔から消えない、気味の悪い微笑み。
斧。立ち上がったシュンの足元、斧は揺らぐことなく校庭に突き刺さったままである。
全ては、事後なのだ。最早、手遅れなのである。

「おーい、聞いてる?」

青ざめ、口を閉ざすシュンの顔色を、少年は屈みこんで見上げていた。
瞳孔を揺らすシュンの世界に、少年は認識されていない。
溜息。シュンとの対話を求めていた少年からすると、これは不味い状態である。

「うーん、本格的に機嫌を損ねちゃったかな」

いくら少年が声をかけても、シュンが答えることは無かった。
試しにシュンの前で手をひらひらと振ってみる少年だが、やはりシュンが一切の反応を見せることはない。
困ったように頭をポリポリと掻きながら、それ以上シュンの返答を待つことなく少年は振り返る。
びくっと身構える三人、祐一も環も少年に向けて既に拳銃を向けいていた。
いつでも対抗できるという意志がよく表れている態度だが、少年がそれを気に留める様子はやはりない。

「ということだからさ。行っていいよ」
「は……?」

しっしっと、追い返すような少年の動作に祐一の目が点になる。
環もだ。
絶体絶命に追い詰められていた時に浴びせられた畏怖感、それはもう今の少年には無い。
少年から、攻撃性が消えたのだ。
祐一も環も、その事実をすぐには理解することができなかった。

130 インターセプト4 :2010/10/07(木) 00:31:08 ID:bSl081z60
「何言ってんだよ、お前……」

祐一の顔に呆れの色が走るが、それもすぐ様怒りに染め上がる。
あれだけ好き放題しといて、この発言は何なんだと。
祐一の堪忍袋の緒は、そんな頑丈な物ではない。

「そうよ、どのツラ下げてそんなことっ!」

それは、環にも通じるものだった。
今にも暴れだすという勢いで、環は少年に食って掛かっていく。
かけられた引き金が引かれないのがおかしいくらいの環の激情に対しても、少年がぶれることはない。
注がれる憎しみを物ともしない少年は、ただ静かに笑むだけだ。
ただ、その頬に。歪みが加わる。

「ねえ、分かってるの? 僕、君達を見逃してあげようとしているんだけど」

皮肉めいた表情に続く、圧倒的な上からの目線。
悪気はないだろうが、受け取る側にとってこの少年の態度は挑発以外の何物でもない。

「ふざ……けるなよ!!」
「駄目」

激昂を上げた祐一が、今正に少年へと向け発砲しようとしたその瞬間。
祐一の拳銃に手がかかる。
伸びた小さな掌は、ことみのものだった。

「駄目。ここで私達が生き残れるのが、奇跡なの」
「お、おい、お前何言って……」

131 インターセプト4 :2010/10/07(木) 00:31:33 ID:bSl081z60
銃口と少年の間に壁を作るように、ことみは二つを遮った。
力で押せば、ことみという少女はすぐに崩れるぐらいひ弱な存在だ。
しかし仲間という立ち位置にいる人間を押しのけてまで、自分の激情を貫こうとするような理性の壊し方を祐一はしていない。
ここで止めるような真似を取ることみに、祐一はうろたえるだけである。

「ここまでで、済んだってことなの」

あくまで冷静さを失わないことみの無表情が、静かに現実を告げる。
祐一も環も知っていたはずのこと、それがことみの物語った全てだ。
嫌でも見せ付けられていたはずの絶対の差を、二人も忘れた訳じゃない。
校庭に転がる、朽ちた仲間達。
さっきまで少年に対しどうやってやり過ごすかを、彼等は死に物狂いで考えていたはずだったのだ。

眉を寄せることみの表情は、痛々しい。
祐一も環も、察しなければいけなかった。
感情に流されるだけでは、助かる命も助からない。

「……行きましょう」

先に構えを解いたのは、環だった。
拳銃を下ろし、環はそのまま自身の支給品をスカートのポケットの中に仕舞いこむ。
俯き、歯を食いしばるだけの祐一に彼女が今どのような顔をしているかは伝わらない。
祐一は動けなかった。
悔しさで握り締めた左拳、祐一のもう片方の手には拳銃が、凶器がある。
圧倒的な実力差は承知の上、それでもこのような形で引くのが祐一は惨めで仕方なかった。

「悔しいのはあなただけじゃないわ」

132 インターセプト4 :2010/10/07(木) 00:32:05 ID:bSl081z60
強張った環の声に、祐一がはっとなる。
視線だけ環の方に向けようと緩慢に瞳を動かす祐一の頬を、環はぺちっと軽く張った。
細く、柔らかな環の手。触れられたのはほんの一瞬だ。

そっと離れる環の手の甲を追うようにゆっくりと顔を上げた祐一の目に、環の顔が映りこむ。
言葉にならなかった。
祐一は、もう何も言えなかった。

環から目を逸らしそのまま気を失っている美凪に近づくと、祐一は腹部の傷を庇いながら一人で彼女を背負い上げた。
手を伸ばそうとする環を払いのけ、祐一はそのまま校門へと向かう。
後ろは振り返らない。
振り返ったら、置いていくことになった仲間達の亡骸が目に入ってしまう。
自身の直情を押さえつけるためにも、これ以上未練を作る訳には行かなかった。

足音から、ことみや環も後ろからついて来ていることが分かる。
それだけ確かめ、ひたすら祐一は足を動かした。
少しでも早く、この場から離れるために。
そうして四人は、この場を去った。





「さあ、これからは僕達の時間だ」

声を弾ませながら、少年はシュンへと向き直った。
いまだ硬いシュンの気持ちを盛り上げようとでもしているのか、少年の雰囲気はとても明るい。
ただわざとらしさの目立つ大仰なその態度は、シュンとの心の距離を更に広がる結果にしかならなかった。

133 インターセプト4 :2010/10/07(木) 00:32:34 ID:bSl081z60
何よりシュンは、少年の切り替えの早さにも辟易している。
去っていく四人のことなど、少年の眼中には既にないのだろう。
二人の心中は、あまりにも対称的だ。

「改めてよろしく。まずは選抜者、君の名前を教えて欲しいかな」
「……」
「あぁ。人に聞くならまず自分から、か。でも僕には、そんな大そうなものはない。名簿を見てもらえれば分かるよ」

自分のデイバッグから少しよれた名簿を取り出すと、少年はちょんちょんと自分を表す呼称を人差し指でつつく。
凡そ、大多数の男子を表すその一つ。少年。

「これが僕。大層な理由がある訳じゃないんだけど、まぁ。そういうことなんだ」
「……」
「それで、君は? 出来れば君の口から、直接聞きたいんだけど」
「……」
「うーん、困った」

シュンは、決して少年のことを無視している訳ではない。
事実、彼は見えるようにと差し出された少年の名簿をしっかりと目で追っていた。
ただ、このまま無言で遣り通されてしまうだけでは、少年の求める対話には繋がらない。
歩み寄る方法を、少年は変えなければいけないだろう。

「……選抜者っていうのは、僕のことだよね」
「ん?」
「何故、僕のことをそう呼ぶんだ」

対策を、少年が考え始めた時だった。
少年の問いかけをスルーする形で、シュンは自身の持つ疑問を彼に投げつける。
その思いつめた表情に、彼も色々混乱しているというのを少年は瞬時に嗅ぎ取った。
誠意を見せる意味でも間をおかず、少年はすぐにシュンへの返答を用意する。

134 インターセプト4 :2010/10/07(木) 00:33:28 ID:bSl081z60
「その名の通り、選ばれた人ってこと。君はお姫様に認められたんだ」
「……覚えがない」
「声を聞いたでしょ」
「声?」

甘ったるい、先程中庭で聞いたたどたどしい少女の声がシュンの脳裏に甦る。
可能性とすれば、それしかなかった。

「どう? 思い出した?」
「どうしてそれが、分かったんだ……」
「あぁ、証が目に入ったからだよ」

先程名簿をつついた少年の指が、今度はシュン自身へと向けられる。
指の先には、無造作に垂らされたシュンの腕が。
例の、青い宝石が埋め込まれた手があった。

「その青い石の破片は、彼女と君とを結びつけるものなんだ。大切にして欲しい」

シュンにとっては、謎でしかなかった存在。
それを少年は、平然と説明してのける。
不可思議だった。
この少年の何もかもが、違和感に塗れている。
シュンの中で、少年の存在がどんどん歪んで行くのが分かった。

前提条件として、シュン達は孤島に閉じ込められ殺し合うことを強要されるという、いわば巻き込まれた立場にあるはずである。
被害者だ。
シュンは今の今まで、全員が全員皆同朋だと思って行動を取っていた。
統一された条件の中、誰もがそれぞれの方法で生き延びるべく足掻いているのだと思っていた。
死にたい人間なんて、誰もいないということ。
守られなければいけない思いを、誰もが抱えているということ。

135 インターセプト4 :2010/10/07(木) 00:34:11 ID:bSl081z60
だが、違う。
彼は違う。
彼だけが、何らかの明確な目的の上で……ここに、いる。
シュンは、そんな気がしてならなかった。

「君は、一体……」
「それはまだ言えない。でも大丈夫、お互い死ななければまた会えるよ。
 本当は、手が空いていたら守ってあげてもいいくらいなんだけど……まだ人が多すぎるんだ」
「何を言ってるのか、分からないよ」
「僕の役割は、選抜者を護衛することじゃないってことさ。あくまで、優先するのは人数を減らすことだからね」

ぽかんと。
シュンの意識が無防備になる。
ぎゅっと、拳銃を持っていない方の手でもう片方のシャツの袖口を抑えながら、シュンは少年の言葉を噛み砕いた。
込み上げてくる嘔吐感を我慢しながら、問いたださなければいけない事項をシュンは確認するよう声に出す。

「人数を、減らすって……」
「そう。何十人といる参加者を、少しでも減らすこと。それが僕に与えられた、使命の一つ」

飄々と言ってのけられても、シュンは首を振り否定を表し続ける。
信じられなかった。信じたくなかった。
少年の言葉の本質を、シュンが理解することができないのだから仕方ない。

軽い、あまりにも軽い扱い。物言い。
刹那、シュンの背中を灰色の不安が駆け抜ける。
少年の言葉が差す行為と、先ほどの光景がシュンの脳裏にフラッシュバックした。

「まさか、さっきの人達を襲っていたのは……」

136 インターセプト4 :2010/10/07(木) 00:35:06 ID:bSl081z60
シュンの話す『さっきの人達』というのを思い出しているのだろう、少年は視線を泳がせながら少しだけ左に首を傾げた。
改めて記憶を思い巡らせないと出てこないくらい、少年に取って先程の集団は希薄な存在になってしまっている。
煮え湯を飲まされたことみに対する思い入れが、少年の中で消えた訳ではないはずである。
それ以上に、今彼にとって一番優先するに値するのがシュンということになるのだろう。

「あぁ、うん。まぁ、そういうことになるね。でも、安心していいよ。
 別に逃がしたのを、また改めて追い込もうと思ってはいないから。充分、種は蒔けたし」
「信じられない……君は本当に、何者なんだ。何をしようとしているんだ」
「だから、まだ言えないんだってば」

与える情報は極僅か、肝心な部分だけ言葉を濁す少年に対する不快感が、シュンの中にも込みあがっていく。
気持ち悪い。
解けないなぞなぞへの苛立ちが与えてくる刺激は、元来穏やかな気性であるシュンにとって普段得られない感覚だろう。
あやふやだった。
少年の存在自体が嘘のような、作り物のような。別のモノに見えてくる。

「ねえ、名前を教えてよ。そろそろ僕もここを離れようと思うんだ」
「……氷上、シュン」
「氷上君か。教えてくれてありがとう、選抜者。最後にこれだけ、覚えておいて欲しいことがある」

変化した少年の声色が、瞬く間に場の空気を凍らせた。
ぞっとする冷たさに周りを囲まれ、シュンは戸惑いを隠せない。
見ると、和やかだった少年の雰囲気も今や一変していた。

「僕達は、君の味方だ。今、君にはそれだけの価値が生まれた。
 でも覚えておいて。代わりはいくらでもいるから、そういう意味では絶対の安全なんてないからね」

研ぎ澄まされた刃のような鋭さを持つ少年の眼光に射られ、シュンは身動きが取れなくなってしまう。
別人、だった。
シュンとのコミュニケーションを望んていた、少年のメッキが剥がれ落ちる。

137 インターセプト4 :2010/10/07(木) 00:35:48 ID:bSl081z60
知恵熱だろうか。
頭がくらくらしてくるのを、シュンは感じた。
シュンの受けた精神的なダメージは、彼自身自覚がないもののとっくにピークを突破している。

「それじゃあ、僕はもう行くよ」

既に背を向けているので、シュンが立ったまま気を失いかけていることを少年は気づいていない。
少年の進む先、そこにはこの鎌石村小学校の入り口でもある正門がある。
逃がした少年少女も、その道を歩んだ。
少年は言った。もう、彼等には手を出さないと。
その約束は絶対か? シュンには判断がつけられない。

あの四人だけではない。
少年の言葉を真に受けるのであれば、この島にいる人物を少年はこれからも手にかけ続けるだろう。
それは見過ごしていいものなのか?
少年が誰かを傷つければ、その周りの人間にも同じ痛みが与えられる。
憎悪のループが冷めない限り、少年はそうして外敵を作っていく。
そうして何人もの人々が、少年の命を狙っていく。

殺し合いだ。
これこそ、この島に閉じ込められたシュン達に押し付けられた業となる。

彼を、野放しにしていいものなのか。
このまま、彼を見過ごしていいものなのか。
頭を抱えながら、シュンは目を閉じ思い煩う。
と、伏せられた瞼の裏、視界と共にシュンの思考も遮断された。
限界を超えた先の闇に、シュンは一人堕ちて行く。
最期。
懐かしくも愛しい誰かの、声を、シュンは聞いた気がした。

138 インターセプト4 :2010/10/07(木) 00:38:24 ID:bSl081z60

一ノ瀬ことみ
【時間:2日目午前8時25分】
【場所:D−6】
【持ち物:主催側のデータから得た印付の地図、毒針、吹き矢、高圧電流などを兼ね備えた暗殺用十徳ナイフ(吹き矢使用済み)、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯、お米券×1】
【状態:鎌石村小中学校離脱】

向坂環
【時間:2日目午前8時25分】
【場所:D−6】
【所持品:コルトガバメント(残弾数:15)・支給品一式(食料少し消費)】
【状態:鎌石村小中学校離脱】

相沢祐一
【時間:2日目午前8時25分】
【場所:D−6】
【所持品:S&W M19(銃弾数3/6)・支給品一式(食料少し消費)】
【状態:鎌石中学校制服着用(リトルバスターズの男子制服風)、腹部刺し傷あり(治療済み)】
【備考:鎌石村小中学校離脱・勝平から繰り返された世界の話を聞いている】

遠野美凪
【時間:2日目午前8時25分】
【場所:D−6】
【持ち物:消防署の包丁、防弾性割烹着&頭巾 水・食料、支給品一式(様々な書き込みのある地図入り)、特性バターロール×3 お米券数十枚 玉ねぎハンバーグ】
【状況:鎌石村小中学校離脱・気を失っている、右頬出血、全身打ち身多数、H173少量注入】

少年
【時間:2日目午前8時半】
【場所:D−6】
【持ち物1:強化プラスチックの大盾(機動隊仕様)、注射器(H173)×18、グロック19(14/15)】
【持ち物2:支給品一式、レーション2つ、予備弾丸12発】
【状況:鎌石村小中学校離脱・効率良く参加者を皆殺しにする】

氷上シュン
【時間:2日目午前8時半】
【場所:D−6・鎌石小中学校・中庭】
【所持品:ドラグノフ(残弾10/10)、救急箱、ロープ、他支給品一式】
【状態 :気を失っている。祐一、秋子、貴明の探し人を探す】
【状態2:左手の甲に青い宝石が埋め込まれている】

太田香奈子
【時間:2日目午前8時10分過ぎ】
【場所:D−6・鎌石小中学校】
【所持品:H&K SMG Ⅱ(残弾30/30)、予備カートリッジ(30発入り)×5、懐中電灯、他支給品一式】
【状態:急いで支度を終え、シュンを追う】


消防斧、以下の真希と聖の荷物は放置

【持ち物:スリッパ、水・食料、支給品一式、携帯電話、お米券×2 和の食材セット4/10】
【持ち物:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式、乾パン、カロリーメイト数個】


(関連・1004・1063・1130)(B−4ルート)



B-10完結、おめでとうございます。お疲れ様です。
遅くなりましたが、エピローグまで読ませていただきました。
仲間の絆、カップルとなったキャラの行く末、全てが感慨深かったです。
まさか宗一と渚が、あんな可愛らしいことになるとは・・・素晴らしかったです!!

139 Behind Lies :2010/12/22(水) 00:25:10 ID:1LGJvfvw0
「長瀬、だっけ。あんたさ、歳いくつ?」
「あ、僕は……」

蛇口を捻りながら先に水を補給していた那須宗一が、ごく自然に隣の長瀬祐介へと話しかける。
くだけた口調の宗一に、祐介はおっかなびっくりと自分の年齢を告げた。

「何だ。やっぱり同じくらいなんだな」

外見や服装でも分かりきっていたことだったが、宗一と祐介、ダイニングに残っている宮沢有紀寧や古河渚も皆ほぼ同年代の少年少女であった。
同年代の友人がそこまで多くない祐介としては、このようなグループで行動を取るというのも新鮮なことだろう。
先ほどまで祐介は姿を消してしまった柏木初音のことにかまけていたため、宗一や渚とは殆どコミュケーションを取っていない。
傍から見ても人が良さそうな人物達に間違いないだろうが、輪がかかった緊張で祐介の心臓はバクバクと鳴りっぱなしだった。

「敬語なんか使わなくっていいって。俺なんて、最初から普通にしゃべってるし」
「あ、はい……じゃなくて。うん」

充分な親しみが含まれている宗一の態度に対し、祐介の感じる戸惑いは決して少ないものではない。
同年代の同性から、こんなにもフレンドリーに接して貰うこと自体祐介の場合だと滅多にないことである。
自閉症気味な性分を自身でも理解している祐介にとって、宗一のようなタイプにはどう対応すれば迷ってしまう節があった。
宗一も、それを察知したのだろう。
くしゃっと崩した苦笑いを浮かべながら、宗一は祐介の肩を馴れ馴れしく叩いた。

「何か、硬いな。大丈夫か?」
「ごめん……こういうの、慣れてなくって」
「あんま気張りすぎてても、気はもたないと思うぜ」

これから一緒に行動すんだし、と付け加えられた宗一の言葉には優しさが含まれている。
祐介はそんな温かみが自分の心に染み渡っていくものを、静かな実感と共に小さなこそばゆさで覚えた。

140 Behind Lies :2010/12/22(水) 00:25:32 ID:1LGJvfvw0
「それで、柏木って子を探しに行く件だけど」
「あ、うん」
「女子だけになっちまうから、俺と長瀬は分かれた方がいいだろ?
 で、俺と古河は柏木の顔を知らないから、そういう意味ではあんた達が指針になるしかない。
 あんたの連れ……宮沢、だっけか。あいつと俺、長瀬と古河でペアになるんでいいか?」
「問題、無いと思うよ」
「で、だ。長瀬は、外。探しに行きたいよな」
「……うん」

家族を失い泣きそうになっている初音の表情は、いまだ祐介の頭から離れないでいる。
心配だった。今すぐにでも見つけてあげて、抱きしめてあげたかった。

「あんた、武器の扱いはどうだ? 腕っ節とか」
「……見ての通り、正直自信は全くないよ」

手をぷらぷらと振りながら、祐介は自虐的に笑う。
祐介の骨ばった細い身体には、筋肉というのも薄くしかついていない。
同性相手で拳の勝負になった場合、打ち勝てる自信というのも祐介自身微塵も感じなかった。

(毒電波が使えれば、何の問題もなかったんだけどな……)

ひ弱な身体の祐介に、一体何ができるというのか。
それこそ、誰かの盾くらいにしかならない祐介に。一体、何が。

「古河もあの通り、見たまんまだ。戦力としては話にならない」
「……」
「でも、長瀬は自分の足で探しに行きたいんだよな?」

141 Behind Lies :2010/12/22(水) 00:26:02 ID:1LGJvfvw0
追い討ちのような宗一の言葉に、祐介は反射的に萎縮してしまう。
そんな自分が、祐介は恥ずかしくて仕方なかった。
何もできないくせに口だけは達者で、それで他人に迷惑をかけてしまうような存在。
今、祐介はそれに値する厄介な人間に該当することになる。
怖かった。
まとまっている良い雰囲気を、祐介の手で壊してしまうということ。
祐介の都合で宗一や渚、そして有紀寧の中に生まれてしまうかもしれない不快感は、どこまで大きくなってしまうか。
初音を守りたいという気持ちは誰よりも強いであろう祐介、しかし受けた情の心地良さを彼は知ってしまったのだ。
人の温もりに。気づいて、しまったのだ。

「那須さん、僕……っ」
「よし、それじゃあ時間で交代にするか」
「えっ?!」

頭を下げようとした祐介の姿勢が、中途半端な位置で止まる。
思わず上げた祐介の瞳に、けろっとした表情の宗一が映った。
気分を害している様子はない。宗一は、いたって平常である。

「一時間交代な。周辺探って、時間になったら絶対この家に戻ってくること。それで計二時間だろ?
 二時間探して出てこなかったら、そいつはもうここら辺にはいないってことだ。四人でもっと遠くに、改めて探しに行けばいい」
「……それで、いいの?」
「おいおい、俺は一時間しかやらないって言ってんだぞ? 長瀬こそいいのかよ」

こくこくと、反射的に祐介は何度も首を縦に振る。
空気を読めという気まずい雰囲気を押し付けられる訳でもなく、こちらの気持ちを汲み取ってくれた宗一の懐の大きさに、祐介は感謝するしかなかった。

「ただ万が一の時もあるし、身をどうやって固めるか……武器の調達は、難しいよな……」
「あ、それは……その……実は、銃があるんだ。一丁、だけだけど」
「へぇ。撃ったことは?」
「いや、まだ一度も……」
「弾に余裕があるなら、試し撃ちでもしてみるか? 後で見てやるよ。
 事情は言えねぇが、そういうのの扱いには自信あるんだぜ」

142 Behind Lies :2010/12/22(水) 00:26:37 ID:1LGJvfvw0
圧巻。
こんなにも親切で頼りになる存在がいるなんてと、祐介の中で宗一に対する敬意が一気に膨らんでいく。
祐介は、すっかり宗一に対して頭が上がらなくなってしまっていた。
頼りになるという存在とは、まさしく彼のことを正しく指すのだろうと。
それと同時、自分の存在の小ささに祐介は気恥ずかしくなってしまう。
てきぱきと事を考えることができる宗一に比べ、祐介はあまりにもちっぽけだった。

「どうした?」

俯き、言葉を閉ざしていた祐介の顔を、宗一が覗き込む。
はっとなった時には、もう遅い。祐介の視界は宗一で埋まっていた。
呆けてしまっていた自分に気づき、反射的に祐介の頬が真っ赤に染まっていく。

「え、えっと、その……っ」
「お、おう」
「僕、自分が情けなくて……」
「はぁ?」

本当は、言いたくなかっただろう。でも、祐介は口にしていた。
妄想の世界しか居場所がなく、自閉症気味で友達なんていないのが当たり前だった過去の祐介。
過去とは言っても、それはつい最近まで祐介にとっては確かな現実として君臨していた世界である。
後ろめたかった。
人と接する上手いやり方なんて、祐介は知らない。

「那須さんは、何か貫禄あって……しっかりしてて……それに比べて、僕なんて口だけで……」
「口だけじゃないだろ。あんたは、ちゃんと柏木のこと自分で守りたいって行動に出ようとしている」
「で、でも、じゃあ自分で何ができるって考えた時……僕……何にも、なくて」

ずっと一人だった祐介にも、最近友達というものができた。
かけがえの無い仲間と思える存在が、産まれた。
しかし、今はもういない。もう二度と、会うことはできない。
何もできず、何も知ることなく、彼女達は祐介の世界から去っていった。

143 Behind Lies :2010/12/22(水) 00:27:04 ID:1LGJvfvw0
「こ、怖いんだ……みんな、死んじゃって……。せめて初音ちゃんは、僕が守ってあげたい……本当に、大事な子だから……。
 で、でも、僕なんかじゃ……きっと、役不足で……また、みんなみたいに、助けられなかったら……」
「だーもう、止めろ! ストップ! 口閉じろ!」
「むぐっ?!」

祐介の泣き言が止まる。強制的に、止められる。
正面、伸びてきたのは宗一の右手だった。
アイアンクローのような宗一の手つきに、祐介も思わず目を瞑ってしまう。
宗一が捕らえたのは、祐介の額ではなくその下……彼の、口元だった。

口を塞がれると同時、祐介の身体は側面の壁へと固定される。
勢いを持って叩きつけられたせいか、衝撃による痺れは祐介の身動きをそのまま奪う。
背中に当たる壁の硬さ、冷ややかな感触のリアルさに、祐介はそのまま思わず身を竦めてしまう。

戦慄が走る。
痛みは、殆どない。祐介の身体を走り抜けた痺れも、すぐ引いてしまった。
外傷が増えることは、ないだろう。
ただ、宗一の与えてくる圧迫感だけが凄まじく、祐介は一切の反抗を取ることができなかった。

「落ち着いたか?」

頷きたくとも、祐介は頭を動かすことができない。
混乱に潤む瞳で必死になって見つめ返すと、伝わったのか、宗一の拘束がゆっくりと離れていった。
身体から力がすっかり抜けてしまった祐介は、そのままへなへなとキッチンの床に尻餅をつく。
ひんやりとした床に寒さを覚え、祐介はそのまま身を抱くように小さくなった。

「長瀬さ、そういうの宮沢の前じゃ話したことなかっただろ。えぇかっこしぃめ」
「……」
「ここで吐けてよかったな。そういう鬱憤は、いつかは爆発するもんだ。
 場合によっちゃ、何かの火種にもなるくらい影響力を持つことだってある」
「……めん、なさい」

144 Behind Lies :2010/12/22(水) 00:27:27 ID:1LGJvfvw0
厳しい言葉だが、宗一の話し方には祐介を責める節など微塵もない。
まるで面倒見の良い、先輩か何かのようである。
それが尚更、祐介の居た堪れない気持ちを増長させた。

「僕、僕……」
「大丈夫だって。不安にならない人間なんて、いないんだ」
「あ……」

腰を落とした宗一が視線の高さを祐介に合わせると同時、距離を縮ませる。
そのまま宗一は手を伸ばし、今度はそれを祐介の背面に回した。
先ほど押さえつけられたことを思い出し身を固くする祐介だが、宗一はそのまま優しく彼の背をさするだけである。
宗一の背格好にしてはごつい作りな気もする手のひらが、幾往復も祐介の背を撫で回した。
生まれる温度。ほのかなそれは、非常に心地良いものだった。

「やっと落ち着いてきたか」
「那須さん……すみません、僕……」
「っていうか、那須さんは堅苦しいって。もうこの際、下で呼び合うか」
「え、えぇ?!」
「何だ、嫌なのかよ」

拗ねたような宗一の物言いに、祐介は慌てて首を振る。
嫌なわけでは決してない。
とにかく宗一の取る友好的な態度に対する戸惑いが、祐介の中ではとてつもなく大きいのだ。

「ほら、宗一でいいって」
「あ、はい」
「っていうか、さっきから敬語に戻ってるぞ」
「ご、ごめん! 宗一!」

145 Behind Lies :2010/12/22(水) 00:28:06 ID:1LGJvfvw0
からかいの含まれた宗一の揶揄に、祐介は焦って答えを返す。
口にした彼の名は、とても自然な形で祐介の声として発せられた。

「おう、祐介」

祐介。
身内以外の男性で、彼を名前で呼ぶことなどあっただろうか。
笑む宗一の爽やかな様子に、祐介の胸が高鳴る。
まるで、それは。宗一のそれは。
友人に向けるような、とても親しみが込められた笑顔だった。





(こいつは大丈夫そうだな)

微笑みの裏側で、ひっそりと宗一が結論付ける。
うろたえるその様子から心は弱そうに見えるものの、人としての意地の汚さというものを宗一は祐介から感じなかった。
信頼を置いても、問題はないだろう。

先ほど四人でテーブルを囲んでいた時、一人自分の世界に入っているように見えた祐介に宗一は警戒を覚えていた。
人間性に問題のある人物とこれから先も共に行動を取る場合、損をするのは自身である。
庇護の対象である渚の身への危険を増やしてしまうのも、宗一にとっては得策ではない。

話してみると、祐介には宗一の想像以上に素直な節もあった。
扱いやすい、と言ってしまうのも失礼な話だが、丸め込むのは容易い性格をしている。
そう。実際たった「これ」だけで、祐介は宗一に懐いていた。

146 Behind Lies :2010/12/22(水) 00:28:39 ID:1LGJvfvw0
「宗一?」
「あぁ、悪い悪い。ちょっと考え事を、な」

疑いのない、清らかな瞳。心を許した者が送る眼差し。
祐介は、本当に素直な反応を返す少年だった。
このまま二人してしゃがみこんでいるだけでも埒が明かないので、宗一は先に立ち上がると祐介に手を差し出し起き上がるよう行動を促する。
騙しているようだが、こうして得た信用を宗一も裏切るつもりはない。
これから四人、共に過ごすのだ。
争いを止めるための、ある種の心理的な戦いとも言えるこの一歩。
宗一は、大事にしたいと思った。

「よし。そんじゃ、戻るか」
「……あ、ごめん。僕、駄目だ。まだ水入れてない。すぐ追いつくから、先行ってて」
「分かった、早く来いよ」

まるで憑き物が落ちたかのような清々しさの溢れる祐介の表情に、宗一は幸先の良さを実感するのだった。





【時間:2日目午前8時10分頃】
【場所:I−6上部・民家】

長瀬祐介
【持ち物:無し】
【状態:水を汲んでからダイニングに戻る】

那須宗一
【所持品:FN Five-SeveN(残弾20/20)、支給品一式】
【状態:ダイニングに戻る・渚に協力】


(関連・1084)(B−4ルート)

147 シスター :2011/05/12(木) 09:54:10 ID:UgVaFbGA0
助けたい人がいた。
否、いる。
助けられる可能性が、あった。
だったらそれに賭ける。

その覚悟が、柏木初音にはあった。





「てやぁー!!」

空けた草原で、初音は奇襲を受けた。
茂みから現れた人物にそのまま覆いかぶさられ、初音は地面に押さえつけられる。

「いたた……」
「やっと見つけました! ずっとずっと探してたんです、もうこの島には風子しかいないのかと思ったくらいです!」

初音に馬乗りになっていたのは、彼女と同じくらいの背格好の少女だった。
柔らかそうな頬をぱんぱんに膨らませる少女は、そんな初音からしても幼く見える。
同世代の友人と比べても細身である初音だが、この少女はあらゆる意味で幼稚だった。
体つきだけでなく、表情、物言い、どれをとっても可愛らしい。

「ねえ。私を、どうするの?」
「倒します! 風子は決めたんです、優勝してお姉ちゃんを生き返らせて貰うんです」
(そっか。私と一緒だ)

148 シスター :2011/05/12(木) 09:54:39 ID:UgVaFbGA0
必死な形相で捲くし立てる少女の様子は、初音から見てやはり愛らしかった。
可愛らしいと。言えるものだった。

「お姉さん、死んじゃったの? ここで? それとも、もっと昔に?」
「ここでです! 放送で呼ばれました!」
「……本当に、何処までも私と一緒なんだ」

まさかこのような形で自分と同じ境遇の人間に出会えるとは、初音も思ってもみなかった。
悲しいという気持ちは一緒だ。
この少女も、初音と同じ絶望を味わっている。

「私やあなたと同じように思っている人、ここにはあと何人いるんだろうね」
「何を言ってるのかさっぱり分かりません、最悪です! さっさと負けを認めてください」

少女の指が、初音の首を覆う。
柔らかかった。
まるで赤ちゃんの手のような温もりが、初音の中へと流れていく。

「ほら、このままですと寝首をかかれてしまいます。危ないですよ、赤信号です」
「これは寝首って言わないよ」
「風子も仁義ってもんは知ってます。ここは穏便に、ぜひ負けを認めるのを推薦しちゃいます」
「私の話、聞いてる?」

初音の首にかけられた少女の手には、一切の力がこもっていない。
ただ、そこに添えられているだけだった。
初音は、少女に対する自分の第一印象がそのまま当たっていたことを自覚する。
少女はただただ「可愛く」、ただただ「幼い」だけだ。

149 シスター :2011/05/12(木) 09:55:01 ID:UgVaFbGA0
「ねえ。負けって、何?」
「敗北を認めることです。それで風子は、勝ち星を手に入れるのです」
「ねえ。あなたの言う勝ち星って、何?」
「そのままの意味、優勝への第一歩です。風子のお願いを聞いて貰うためのロードです」

そっと、初音が両手を上げた。
何をするのかと、警戒の視線で少女が初音の動きを追う。
初音の手が、自身の首をに触れている少女の腕を掴み、止まった。
初音の右手は、少女の左腕に。
初音の左手は、少女の右腕に。それぞれ添えられる。

「分かってるの? あなたが私を負かすってこと」
「わ、分かってます」
「分かってないよ……だって殺さないと、駄目なんだよ。私を」

少女の瞳が、見開かれる。
その隙を、初音が見過ごすことは無かった。
首への負担が緩められた初音は、その瞬間掴んでいた両腕に精一杯の力を込め、少女を自分と同じように地面へと振り落とす。

「あうっ!」

問答に集中していた少女は、初音の為すがままだった。
肩から落ちた少女に抵抗する間を与えぬまま、今度は初音が馬乗りになる。
二人の立ち位置が、先程とは真逆になった。

「あなた、馬鹿だよ」

少女の行動をコピーするように、初音は彼女の首に手を回した。
そして、渾身の力を込め。それを、握りつぶそうとする。

150 シスター :2011/05/12(木) 09:56:05 ID:UgVaFbGA0
「もっと大きくなってから、浚われれば良かったね」

少女の顔色が、文字通り変わる。
真っ赤に膨れ上がった風船のようになりながら、少女はじたばたともがいた。
少女の爪が食い込み、初音の両腕にはいくつもの蚯蚓腫れができる。
痛みを感じていない訳ではない。それでも初音は、加える力を決して弱めようとはしなかった。

「ごめんね」

赤から青へ。
少女の唾液が溢れる。痙攣。
少女の身動きが完全に止まるまで、初音そのままでいた。





「負けっていうのはね、ここでは終わりってことだよ。私、まだ終わる訳にはいかない」

両腕に受けた引っ掻き傷を隠すために、初音は遺体から少女の長袖だった制服を剥ぎ取る。
サイズは小柄な初音にも、ぴったりなものだった。
荷物を漁り、役立つ物がないと分かると初音はさっさとその場を後にする。
まず、一人。



柏木初音
【時間:2日目午前10時過ぎ】
【場所:H-4】
【持ち物:コルト・パイソン(6/6) 残弾数(19/25)・支給品一式・包帯・消毒液】
【状態:殺し合いに乗ることを決意、優勝し姉達を生き返らせる・風子の制服の上着を着ている】


伊吹風子 死亡

(関連・941・987)(B−4ルート)

151 丸出しロワイアル :2011/05/12(木) 15:11:35 ID:UgVaFbGA0
頭を走る鈍痛、体の重み。
これらは氷上シュンにとって、慣れ親しんだ気怠さであった。
自分の思うように動かない体に対する苛立ちも、恨みも、シュンは既に忘れてしまっている。
それくらい、彼にとってこの負荷は身近なものになっていた。

重い瞼の向こうの世界。
シュンにとっては、生きづらい環境でしかない世界。
日々弱っていく体に妥協し、命が削られていく様を実感する世界。
その上でシュンが、選んだ世界。

このままシュンが目を覚まさなければ、どれだけの人が悲しむだろう。
片手で事足りるぐらいの、人数かもしれない。
それでもシュンは、確実に涙を流してくれる存在がいることを自覚していた。

(太田さん……)

その名前を唇だけで呟いたと同時、シュンは自身を包んでいる暖かみに気づく。
きっとそれは、瞼の向こうでシュンを待っている存在だ。
優しい温もりは、慈しむようにシュンの頬を何度も何度も撫でている。
シュンは知っていた。
シュンは今朝も、この優しさの中で目を覚ましているからだ。

「太田、さん?」

びくりと、大きく震える指先。
シュンの頬にもしっかりと、その動揺は伝わってくる。
寝起きだからかシュンの声は掠れていてひどく聞き取りづらいものになっていたが、どうやら正確に届いているようだった。
ゆっくりと開けたシュンの瞳に映った少女、太田香奈子。
あぁ、やっぱり彼女だったのだと。シュンは口元を緩ませた。

152 丸出しロワイアル :2011/05/12(木) 15:11:59 ID:UgVaFbGA0
「あったかいね、君は。凄く。それにいい匂いだ。もう覚えてしまったよ」
「な、何言ってるの、もう! 氷上君また倒れてて、こっちは本当にびっくりしたんだから……」
「うん、ごめん」

呆けたシュンの暢気な様子に、香奈子も安心したように一つ息を吐く。

「見た感じは大丈夫だと思ったんだけど、何処か怪我は?」
「大丈夫、心配かけちゃったね。……目、赤くなってる」
「当たり前よ」

少し腫れぼったくなっていた香奈子の目元に手を伸ばすと、シュンはその縁にそっと触れた。
傷つけないようゆっくりさするシュンの動作に、香奈子はくすぐったいのか微笑みながらも瞬きを繰り返す。

「湿ってる。泣かせちゃったかな」
「ばか」
「……ごめん、さすがにデリカシー無いね」

香奈子にぷいっと顔を背けられてしまったため、シュンの手は行き場を無くしてしまった。
そのまま中途半端に浮かせている訳にも行かないので、気まずさをごまかすようにシュンは自分の頬をぽりぽりとかく。

「……のに」
「ん?」
「もう、あなたの前では泣かないって決めてたのに。早速破っちゃったわ」
「それはどうして?」
「あなたに貰った、最高の五分間。……あれを無駄に、したくなかったのよ……」

拗ねたように口を尖らせる香奈子の動作は、いつもの彼女に比べ何処か幼い。
可愛らしい表情だった。

時に気丈で時に脆い、不安定だけれどそれでも前に進むことを決めた少女。
冷えた心に差し込む陽だまりは、シュンの疲れを癒していく。
シュンは一人きりじゃなかった。彼の傍には、いつも香奈子がいた。
それを一人で先走り気を動転させ、こうして香奈子に迷惑をかけているということで、シュンは改めて彼女の存在の大きさを自覚する。

153 丸出しロワイアル :2011/05/12(木) 15:12:28 ID:UgVaFbGA0
「はは、太田さんはあったかいね」
「氷上君?」

頭を動かし、シュンはしがみつくように香奈子の腹部に抱きついた。
膝に乗っていたシュンの頭の位置が変わったので、香奈子の姿勢も自然と崩れる。
小さな声を上げながら体をぐらつかせる香奈子だが、それでもシュンの拘束は離れなかった。

「すごく、あったかいよ」

くぐもるシュンの声。
顔が隠れてしまっているので、香奈子が彼の表情を読み取ることはできない。
縋るような響きに、香奈子は言葉で返さずそっとシュンの体を摩るのだった。





シュンが更衣室を経ってから暫くした後、香奈子も彼を急いで追った。
無茶をしないと言うシュンの言葉を、香奈子も信じていない訳ではない。
それでも拭えぬ不安として、シュンが何か事に巻き込まれてしまう可能性というものは充分にあったのだ。

結果、香奈子の不安は的中した。
身動きを取ることなく地に伏せたままの人間が数人、シュンもその中の一人だった。
まるで砂漠の上に放られた魚が干からびきってしまっているような光景に、香奈子は絶句する。

争いに巻き込まれたか。
はたまた、彼が侵されてしまっている病の影響なのか。
震える手で脈を確かめ、シュンの生命が途絶えていないことがきちんと分かるまで香奈子は気が気でなかった。

「あなたが無事で、よかった」

154 丸出しロワイアル :2011/05/12(木) 15:12:56 ID:UgVaFbGA0
その時の不安を思い出し、香奈子は改めて安心の言葉を零す。
摩る背中から伝わる熱は、シュンが生きている証だった。

「太田さん……」
「氷上くん……」

同調するように、二人は静かに名前を呼び合う。

「太田さん……」
「氷上くん……」
「あわわわわ、私は何も見ていません何も見ていません……」

時が止まる。
固まった二人が視線だけを泳がせると、いつからいたのかすぐ隣では耳まで真っ赤に染めた少女が一人、慌てふためいていた。
手で顔を覆いながら突っ立っているものの、少女は指の隙間からチラチラと二人を覗き見ている。

「由依あなた、一体いつから……っ」
「そ、その言い方はあんまりです! 私、香奈子さんと一緒に来たんですよぉ」
「……」
「あう、睨まないでくださいよ〜」

羞恥に震えながらも鋭く睨みつけてくる香奈子に、少女がたじろぐ。
頭を抱え身を守るように縮こまった少女は、ただでさえ身長が低いからかハムスターか何かの小動物のようにも見えただろう。
いきなり現れたこの少女が誰なのか、シュンはすぐに気づくことができなかった。
しかしここにいる人物で、香奈子と行動を共にしていたとしたら一人しか当てはまらない。
この明るい少女が、負の残骸に塗れていたあの少女と本当に同一人物だというのか。
体を清め、着替えた少女の雰囲気から、あの暗さは感じられない。

「あ、氷上シュンさん……ですよね? 改めまして、えっと、名倉由依です。助けてくださって、ありがとうございました」

155 丸出しロワイアル :2011/05/12(木) 15:13:23 ID:UgVaFbGA0
シュンの視線気づいた少女が、ぺこりと丁寧にお辞儀をする。
まじまじと見つめてしまい気まずく思うものも、由依を無視する訳にも行かないと、シュンも徐に口を開いた。

「よろしく、名倉さん。でも君を見つけたのは、太田さんなんだ。お礼は彼女に言うといい」
「そうなんですか? でも香奈子さんが……」
「い、いいから!」

由依の言葉を打ち消すように、香奈子が声を荒げる。
彼女なりの照れ隠しは、傍から見れば微笑ましい強がりだ。

「太田さん、随分彼女と仲良くなったんだね」
「……別に」
「香奈子さん優しかったですよ〜。私、凄くテンパってしまったんですけど、香奈子さんのおかげで持ち直せました!」
「そうなんだ」
「……っ」

頑張ったんだね、とでも言いたいのか、隣にあった香奈子の頭をシュンが優しく撫でる。
余計なことばかり口にする由依をさらにきつく睨みつけようとしていた香奈子にとって、それは不意打ちだった。
意地と羞恥が折り合いになり、口をパクパクさせ……そのまま勢いを失った香奈子は、静かに俯くしかない。
微笑ましい香奈子の様子に顔を見合わせ、シュンと由依は口元を緩めるのだった。





ただでさえ年代物の雰囲気を醸し出していた校舎の崩壊は、目に見えてた。
燃え盛る炎は、じわじわとその範囲を拡大していっている。
滞在し続けるのも危険だろう、周囲の荷物をかき集め三人は学校を脱出した。
それはシュンが倒れた際にばらまいてしまった物だったり、亡くなった参加者の持ち物だったり。
三人の持ち物は、それぞれ中々に充実したものとなる。
特に、食料に関しての収穫はかなり大きいものであった。

156 丸出しロワイアル :2011/05/12(木) 15:13:49 ID:UgVaFbGA0
「わぁ、これならまともなご飯が食べれそうですね!」

喜ぶ由依の声色とは逆に、その表情には苦さが詰まっている。
死者からの奪略行為で、気分が良くなること等ある訳ない。
簡単な弔いはしたものの、それが免罪符になると割り切れる程由依もタフにはなりきれなかった。
シュンも、護身用の武器として役に立つかもしれなかったが、例の消防斧を持ち出す気にはなれなかった。
あれは少女達の戦った証だ。
頭を撃ち抜かれ絶命したボブカットの少女の手、まだ柔らかいそれを胸の前で組ませ、シュンはその隣に彼女達の思いが詰まった斧を立てかける。

「そういえば、氷上君。見覚えなかったんだけど、あのUSBメモリってどうしたの?」
「中庭で見つけたんだ。……多分これも、誰かのだったんだと思う」
「そう……」

シュン自身もすっかり忘れ、鞄の奥底に眠っていたフラッシュメモリ。
随分と派手に散らしてしまったらしく、それまでもが校庭に飛び出してしまっていた。
中身を調べるにしても、本当にこの島にパソコンが有るかというのは疑い深い。

「とりあえず、少し腰を落ち着けたいかな。名倉さんとも、話をしておきたいしね」
「それだったら、すぐそこに観音堂っていうのがあるみたい。行ってみる?」

地図を片手に、香奈子が指を差す。
確かにそこは、地図で見る限りは目と鼻の先である。
到着するのに一時間もかからないだろう。

「名倉さんもそれでいいかな」
「はい、いいですよー」
「ちょっと由依、気をつけないとまた怪我するわよ」
「大丈夫ですよー……って、わっ!」

157 丸出しロワイアル :2011/05/12(木) 15:14:14 ID:UgVaFbGA0
元気に手を挙げ返事をした由依の袖口に、伸びていた木の枝が引っかかる。
派手に動いたら、そのまま衣服が裂けてしまうだろう。
由依に静かにするよう指示し、香奈子はゆっくりと絡まりを解いた。

「よし、これで大丈夫」
「すみません、ありがとうございます」
「これ以上ボロボロになったら、目も当てられないわ。気をつけなさいよ」
「はい〜」

そういえば、と。
注視するのも失礼だと、これまでシュンは由依の服装に関してはあまり視野に入れないようにしていた。
だから気づかなかったというのもあるが、今由依が身に着けているものはシュンが彼女と出会った時とは全く違う制服である。

「名倉さん、その服は……」
「あ、はい。元々私の制服って、これだったんです。色々あってボロボロにしちゃったんですけど、あんなのよりは全然マシだったので」

汚されたものに再び袖を通すのは、精神的にもきついものがある。
そういう意味では、別の着替えがあったのは運の良いことだろう。
しかし改めて見れば、今の由依の格好も、傍目では充分悲惨な状態になっていた。
いたる所が裂けているため、それこそ襲われた後にも見える。
前の制服と違い汚されている訳ではないというのだけが、救いだろう。

「大変だったんだね」
「あ、いえ。これ、さっきみたいに自分で引っ掛けちゃっただけなんです」
「随分と派手に、やっちゃったんだね……」

切り刻まれたかのようにボロボロになってしまっているスカートの端をつまみながら、由依が苦笑いを浮かべる。
少し歩けば、その中身も丸見えになってしまうだろう。
引っ掻き傷やうっ血の跡が絶えない肌を隠せないのも、由依にはつらいはずである。
しかし。それでも由依は、決して弱音を吐こうとはしない。

158 丸出しロワイアル :2011/05/12(木) 15:14:35 ID:UgVaFbGA0
「えへへ」
「……へらへらしてんじゃないわよ」
「だって香奈子さんが言ったんじゃないですか」
「へー、何て?」
「ひ、氷上君は知らなくていいことよ!」

照れ隠しなのか、二人を追い抜き香奈子はさっさと歩いていってしまう。
由依もそれに続き、小走りで香奈子の後ろを追っていった。

(……何だ、いいコンビみたいだね)

微笑ましい様子の二人に、シュンの頬も思わず緩む。
思わず緩んだ所で、飛び込んできた。シュンの視界に。それは。

丸い湾曲を包む紺の布が、陽射しを反射する。
切り替えしの奥の股地まで、今それは陽の下に晒されていた。
由依本人は気づいていないだろう。
走ったことで翻った、ただでさえ短くなってしまっている由依の裂かれたスカートの中身は、丸見えになってしまったのだ。

「ちょ、ちょっと由依! あなた後ろ、後ろ!!」
「へ?」

固まるシュンの様子で気づいた香奈子が、慌てて由依の背後に回る。
しかし、もう遅い。
シュンの瞳は由依のお尻を、しっかり捉えてしまっていた。

「ご、ごめん」

回り込んだ香奈子が揺れる由依のスカートの襞を押さえつけ、やっとそれは隠される。
シュンも慌てて謝罪を口にするが、当の本人である由依はいまだけろっとしたままだった。

159 丸出しロワイアル :2011/05/12(木) 15:14:59 ID:UgVaFbGA0
「え? あぁ……大丈夫ですよ。どうせ水着ですもん」
「そういう問題じゃないでしょ」
「えぇ〜。どうせパンツじゃないんですし、そこまで恥ずかしくもありませんって」

呆れる香奈子に対し、けたけたと笑いながら由依は再びスカートのはしをつまみ上げた。
由依にとっては軽い冗談なのかもしれないけれど、捲り上がったスカートからは腰から太ももにかけてが大胆に露出されてしまっている。
最早下着云々の問題ではないのだが、由依の様子はあくまでも軽い。
うっ血の跡も大小の傷も、全て洗い流すかのように由依は笑い飛ばす。

「ば、馬鹿! 何やってるの!」
「あはは、全然平気です。香奈子さんともお揃いですしね」

そのノリで、ばっと。さらに由依はスカートを捲る。
しかし、今度は由依自身のものではない。
由依のスカートを押さえつけていた、香奈子のものだ。
これにより、今度は香奈子が下半身丸出し状態になった。

「ゆ、由依! 馬鹿!! 離しなさい!!!」
「あははは、恥ずかしくなーい恥ずかしくなーい」

少女らしい細身な由依とは違う、女性的な体つきの香奈子の丸みをシュンは先ほども一度目にしていた。
不意打ちで見てしまった彼女の下着姿が、シュンの中でフラッシュバックされる。
あの時のレースの縁取りとは程遠い、てかる紺地の布。
何故か香奈子も、制服の下にスクール水着を着用していた。

「あ、あなたが暴れたから私までこんなのを着るはめになったのよ! 分かってるの?!」
「替えがあって良かったですよね、濡れた下着のままじゃ気持ち悪いですし」
「そういう問題じゃないでしょ!!」
「ま、まぁまぁ、上に制服着てる限り一見分からないし……」
「氷上君は黙ってて!」

160 丸出しロワイアル :2011/05/12(木) 15:15:33 ID:UgVaFbGA0
シュンのフォローも空しく、香奈子はひたすら捲くし立てる。
尻丸出しのまま。
彼女が自分の状態を思い出し、さらにヒートアップしたのはそれからすぐのことだった。


     ※     ※     ※


ぱちぱちと爆ぜる炎の中に、ぽつんと小さな生き物が佇んでいた。
可愛らしい瓜坊は、主の横で丸まっている。

ぼたんは、環と共にこの学校に訪れた。
と言っても、環はぼたんを連れている自覚を持っていなかっただろう。
ぼたんもだ。
ただ大好きな主人を求め、ぼたんはここまで来た。

学校に着き、ひたすら杏の姿を求め彷徨うぼたん。
外を一周し、校内に入り。
右と左、別れた道で……ぼたんは、何かを感じた。

足場の良くない廊下をちょこちょこと歩きながら、ぼたんは鳴く。
返事は無い。
それでも少しして、ぼたんは探していた人物と再会することができた。

「……」

見つけた人影、ぼたんの本能が告げる。
ぷひっと、いつものようにぼたんは主に声をかけた。
返事は無い。

161 丸出しロワイアル :2011/05/12(木) 15:15:59 ID:UgVaFbGA0
「……」

ぷひっ、ぷひっ。
投げ出された藤林杏の手に、ぼたんは自分の鼻を押し付けた。
反応は勿論皆無である。
絶命を表す杏の体温の低さ、それでもぼたんはいくども鼻で杏をつつく行為を繰り返した。

「……」

周りが騒がしくなっても。
少しずつではあるが、校舎が火に飲み込まれていっても。
ぼたんは杏の横から、動かなかった。

周囲を埋めていく煙も、ぼたんの目線である下方までは届ききっていない。
そっと、杏に寄り添うようにぼたんは腰を落ち着かせた。
ぷひっ。
すりすりと杏に体を摺り寄せながら、ぼたんはゆっくり目を閉じる。

『ぼたん! ぼーたんっ!!』

大好きな主人に名前を呼んで貰える事だけを、ぼたんは最期まで望んでいた。
それは夢の中で叶う。

162 丸出しロワイアル :2011/05/12(木) 15:16:47 ID:UgVaFbGA0
【時間:2日目午前9時過ぎ】
【場所:D−6】

氷上シュン
【所持品:ドラグノフ(残弾10/10)、救急箱、ロープ、他支給品一式】
【所持品2:フラッシュメモリ、他支給品一式】
【状態 :観音堂に向かう・祐一、秋子、貴明の探し人を探す】
【状態2:左手の甲に青い宝石が埋め込まれている】

太田香奈子
【所持品:H&K SMG Ⅱ(残弾30/30)、予備カートリッジ(30発入り)×5、懐中電灯、他支給品一式】
【所持品2:治療用の道具一式、乾パン、カロリーメイト数個、濡れた下着、他支給品一式】
【状態:観音堂に向かう・スク水着用】

名倉由依
【所持品:カメラ付き携帯電話(バッテリー十分)、他支給品一式】
【所持品2:スリッパ、水・食料、支給品一式、携帯電話、お米券×2 和の食材セット4/10】
【状態:観音堂に向かう・スク水着用・全身切り傷と陵辱の跡がある】
【備考:携帯には島の各施設の電話番号が登録されている】
【備考2:ボロボロになった鎌石中学校制服(リトルバスターズの西園美魚風)は破棄済み】

ぼたん
【状態:死亡】

(関連・945・1004・1136)(B−4ルート)

163 今度こそ! もうヘタレなんて言わせない。 :2011/05/13(金) 17:26:47 ID:Y1o8o.Rw0
「まさか君が、あそこまで取り乱すとはね」
「はは、恥ずかしい所を見られてしまいました……」

苦笑いを浮かべながら、藤井冬弥は用意して貰ったコーヒーに口をつける。
冬弥が一晩過ごした消防署では、こんなものは見つからなかった。
久しぶりに温かい飲み物を口つけられたこともあり、冬弥の心もやっと落ち着けられたのだろう。
その様子に、緒方英二もほっと一息をつけた。

鎌石村消防分署から出て行った向坂環とぼたんを見送る英二達と冬弥が鉢合わせしてから、時間は大分経っている。
あの後経緯を話し合い、冬弥は七瀬留美と共に英二達の待つ消防分署にやってきていた。
まだ自分達以外の人間とまともにはち合っていなかった冬弥と留美にとって、すぐ隣に人がいたとは思ってもみないことだった。

「しかも、多い時で七人とかですよね。信じられません」
「それも今や、この様さ」
「……そうですよね、すみません」
「いや、これは僕の言い方が悪かった。すまないね、さすがに参っている部分はあるんだ」

飄々とした色のない疲労の混じった英二の笑みなんて、冬弥が見たことのない彼の表情である。
何でもこなせる天才肌の英二が、しかめっ面で覗いているパソコン。
冬弥も既に聞いていた、あの書き込みのことで彼は悩んでいるのだろう。

「ロワちゃんねる、でしたっけ」
「あぁ。結局あれから、追加の書き込みは一切来ていない」

岡崎朋也という名義で書き込まれた内容を、英二はやっと芽衣以外の人間と語る機会を得られたことになる。
ちょうど第二回目の放送が流れたという所で目を覚ました環は、その内容でこの場所を飛び出してしまったのだ。

「相沢君と柊君のこと、僕だって芽衣ちゃんだって気になってはいたさ。
 でもこれがある限り、僕達は迂闊にこの村から移動できない。
 ……結果として向坂君が様子を見に行ってくれたのは、ありがたいことなのかもしれない」

164 今度こそ! もうヘタレなんて言わせない。 :2011/05/13(金) 17:27:35 ID:Y1o8o.Rw0
俯きながら、英二が一息漏らす。
たった一息なのに、それはとても重く。苦く、見えるものだった。

「俺も正直、これは信憑性が薄いと思います」
「分かってる。でも希望なんだ。芽衣ちゃんも望んでいる」
「リスクが高すぎます。七人だった頃ならまだしも、今ここには四人しか……しかも、うち二人は女の子なんですよ」
「分かってる。分かっては、いるんだ」

くしゃっと。
苛立たしげに短い髪をかきあげながら、英二はまた大きな一つため息をついた。

「放送を聞いただろう。一晩で三十人死ぬんだ。
 芽衣ちゃんのお兄さんに、いつ何が起こるかっていうのも分からない。可能性があるなら、一つだって潰せないよ」

ドライな英二がここまで拘るならと、もう冬弥も横槍を入れようとは思わなかった。
英二が何かに縋っている節も、そこにはあるように冬弥からは見える。
亡くなった人間のことを考えれば、いくらでも憶測はつけられるだろう。
冬弥だって、苦しんだ。
恋人や友人、多くを失った。
その中に英二の妹がいたことに、冬弥もすぐ関連を付ける。

「僕が選んだんだ、これぐらいは一人でも拭えるさ」

兄を探す幼い少女、春原芽衣。
失った仲間や出て行ってしまった環達のことに胸を痛める少女は、今奥の部屋で留美と一緒に休んでいる。
彼女の事情を英二から聞いて、すぐに冬弥は理解した。
確かに英二は、女性に優しい典型的なフェミニストである。
そんな彼がこんなにも芽衣に入れ込んでいる事情として、彼女が『妹』であることに大きな意味があったのだろう。

165 今度こそ! もうヘタレなんて言わせない。 :2011/05/13(金) 17:28:01 ID:Y1o8o.Rw0
「俺も行きます」
「……何だって?」
「俺も、緒方さんと一緒に行きます。待ち合わせは二時ですよね、今からなら軽い下調べだってできそうじゃないですか」
「馬鹿を言うな、少年。君も言っていたように、これは罠である可能性の方が高いんだぞ」

冬弥の言葉に呆れを隠す気がないのか、英二の物言いにオブラートは存在しない。
しかしそれこそ、自分の行動を否定することに他ならないことを英二自身は気づいていなかった。
そんなちぐはぐさがおかしくて、冬弥は少し頬を緩める。

留美に気を使われるばかりだった、自分のこと。
そんな自分を余裕を持って省みることができる、今。冬弥は、やっと道を見つけられた。
できることが目の前にあるのに、逃げていては全てに置いて申し訳が立たなくなると冬弥は硬い覚悟を決める。

「ここにきて、やっと俺でも手伝えそうなことが出てきたんです。一緒にやらせてください!」
「……はぁ。君達は本当に、似たもの同士の恋人だったようだね」
「それじゃあっ!」
「好きにすればいい」

短いが、全てを表す英二の了承。
冬弥にとって、これが始まりの合図となった。





「そうだ、少年。これも見て欲しい」
「死亡者報告、ですか」

冬弥の目にも入るよう、英二がノートパソコンを横に向ける。
映し出される文字は、随分と物騒なものだった。

166 今度こそ! もうヘタレなんて言わせない。 :2011/05/13(金) 17:28:27 ID:Y1o8o.Rw0
「これって……」
「嘘偽りはない。それはさっきの放送でも、その前のでも確認をした。
 更新にはそこそこムラがあるが、午前九時の段階でこの情報が追加されている」

トントンと英二の指がノックしたのは、最後の書き込み部分である。

『AM09:00:00時点の死亡者一覧』

一行目にそう明記のある書き込みの中、照らし合わせると先の放送より四人の追加死亡者が出ていることが分かった。
観月マナ、藤林椋、霧島聖、広瀬真希。
うち一人は、冬弥もよく知る少女である。

(……これで本当に俺の知り合いは、緒方さんと彰だけになったんだな)

友人である七瀬彰と、こんな状況でもう一度再会できるか。
冬弥にもそれは、分からなかった。
よもや、その彰が英二や芽衣に危害を加えようとしたなど、冬弥は思いもしなかっただろう。

「このことは、先に七瀬君にも伝えてある。ちょうど少年がぐずっていた間かな」
「うっ……、だ、だからあれはすみませんって!」
「まだまだこれで、君のことはからかえるな」

ぐうの音も出ない冬弥の様子に満足したのか、そこで英二は笑いを止める。

「彼女も知り合いがいたようだ。でも堪えていたよ。君のプリンセスは勇敢だ」
「……そうですね、俺も感心してばかりです」
「あと、この霧島聖という女性。七瀬君曰く、ただ者には見えなかったらしい。
 そんな人物も命を落としているんだ、尚更気を引き締めないといけないな」

167 今度こそ! もうヘタレなんて言わせない。 :2011/05/13(金) 17:28:56 ID:Y1o8o.Rw0
これで一区切りと、英二は芽衣や留美を呼んで食事にすることを提案する。
冬弥もそれを、二つ返事で受けた。
朝食がまだだった冬弥は、それで自分が空腹であることを思い出す。

「そうそう。七瀬さん、由騎のファンなんだそうです」
「は、はい! そうなんです!!」
「そうなんだ。僕も鼻が高いよ」

改めて冬弥から英二を紹介すると、留美は大はしゃぎで彼に握手を求めてきた。
英二もそれに、軽く答える。
昨晩のことで、留美にミーハーの気があるのは冬弥にも分かっていた。
冬弥からすれば、ずっと一緒にいた身としてつまらない部分もある。
しかし天才緒方英二と比べ、自分が勝る面など冬弥自身も見つけられないのだ。
これは仕方ないとしか、言えないだろう。

「えへへ、美味しいですね英二さん」
「そうだね。芽衣ちゃんと一緒なら、こんな味気ないパンだってフランス料理のフルコースに大変身さ」
「やだー、英二さんったら!」
「……」
(あ、七瀬さん引いてる)

英二の地位が転落するのは、意外と早かった。

「そうだ、少年よ。すっかり忘れていたが、僕達にはもう一つ問題があった」
「どうしたんですか?」
「僕と芽衣ちゃんの支給されたパン、これで残り一つになる」
「ブッ!」
「何をするんだ、もったいないな」

168 今度こそ! もうヘタレなんて言わせない。 :2011/05/13(金) 17:29:25 ID:Y1o8o.Rw0
冬弥の口から吹き出たパン屑を華麗に避けながら、英二は続けた。

「もしかしたら僕達、ちょっと昨日は飛ばし過ぎたのかもしれない」
「いえ、いくら何でも量見れば分かりますよね。大事に食べないといけないってこと、分かりますよね」
「結構序盤で半分くらい食べちゃったしね。むっしゃむっしゃ」
「……」
(あ、七瀬さん呆れてる)

少ないのであれば尚大事にしなければいけないはずなのに、英二も芽衣も豪快だった。
ちょびちょび消費している冬弥や留美が、馬鹿に見えるくらいである。

(いや、馬鹿なもんか。一時の快楽に、身を任せてたまるか……っ)

冬弥は耐え切った。

「そういえば、ここって食べ物とかはなかったんですか?」
「私達が探した限りでは、コーヒーの粉とか紅茶のティーパックとかそのくらいです。食べられる物があったら助かったんですけど……」
「隣は器具を使った跡があったので、他の民家を探せば何か出てくるんじゃないですかね。ね、七瀬さん」
「……」
「七瀬さん?」
「……っ! あ、そうですね! 私もそれでいいと思います」

留美は現実に戻って来た。

「じゃあ、食事を終わらせたら周囲の探索といこうじゃないか。むっしゃむっしゃ」
「いえ、もう英二さんは食べるの止めてください。本当やばいんで」
「むっしゃむっしゃ」
「春原さんも!!」

食事の席は、騒がしく幕を閉じた。

169 今度こそ! もうヘタレなんて言わせない。 :2011/05/13(金) 17:30:02 ID:Y1o8o.Rw0
藤井冬弥
【時間:2日目午前10時過ぎ】
【場所:C-05鎌石消防分署前】
【持ち物:H&K PSG−1(残り4発。6倍スコープ付き)、他基本セット一式(食料少々消費)】
【状況:脱ヘタレ】

七瀬留美
【時間:2日目午前10時過ぎ】
【場所:C-05鎌石消防分署前】
【所持品:P−90(残弾50)、支給品一式(食料少々消費)】
【状態:幻想がぶち壊された】

緒方英二
【時間:2日目午前10時過ぎ】
【場所:C-05鎌石消防分署前】
【持ち物:デイパック、食料残りパン一個量】
【状態:むっしゃむっしゃ・ロワちゃんねるの書き込みに対し警戒】

春原芽衣
【時間:2日目午前10時過ぎ】
【場所:C-05鎌石消防分署前】
【持ち物:デイパック、食料残りパン一個】
【状態:むっしゃむっしゃ・ロワちゃんねるの書き込みを朋也と信じている】

(関連・945)(B−4ルート)

170 ホワイトキャンバス :2011/07/15(金) 14:45:09 ID:LPsrDc/c0
そこには、明るさが満ちていた。
用意された朝食を摂りながら、改めて少女は自己紹介をする。

「水瀬名雪です。昨日はお世話になりました」

笑顔を浮かべながらぺこりと頭を下げる水瀬名雪の動作は、年頃の子に比べるとややゆったりしたものだった。
彼女のおっとりとした性格と、負った深い怪我がその原因だろう。
可愛らしさに定評のある名雪が身に着けている学園の制服、その肩部分は裂かれていて、真っ白な包帯が覗き見えてしまっている。

「お話しました通り、名雪は私の娘です。仲良くしてあげてください」

名雪の隣では、彼女の母親である水瀬秋子が全開の笑顔を浮かべている。
それだけ、最愛の娘と再会できたのが嬉しかったのだろう。

「僕は春原陽平、よろしく。これ、秋子さん経由で借りてたんだ。返しとくね」
「あ、うん……何か、凄い格好ですね」

無くなっていなかったことに気づきもしなかった自身への支給品である携帯電話を受け取りながら、名雪は正面に座っている春原陽平をまじまじと見た。
彼が身につけているのは給食のおばさんの定番アイテム、割烹着である。
色も清潔感溢れる白。正に定番だ。

「いいだろ。友情の証さ」
「一晩明けたら随分料理が上手そうになったな、うーへい」
「よしてくれよ、るーこ。照れるじゃないか」
「……それは、昨晩いたあいつが身に着けていたものだろう? 何故うーへいの物になっている」

頭に手を置きくねくねとする陽平の横、首を傾げながらルーシー・マリアミソラは疑問をぶつけた。
るーこ同様、事情を知らない名雪も不思議そうに二人を見やる。
そんな名雪の耳元に口を寄せると、秋子はこっそり北川潤が現れたことを伝えた。

171 ホワイトキャンバス :2011/07/15(金) 14:45:37 ID:LPsrDc/c0
「えぇ?! そうだったんだ、わたしも会いたかったよ〜」

名雪にとっても潤は、馴染み深い友人の一人だ。
このような状況では再会できる確立も決して高くないことから、機会を逃したのは名雪も手痛かっただろう。

「ちょうど、わたしも離れていた時だったのよ。残念ね」
「まぁまぁ、あいつなら大丈夫ですって。うん」
「うーへいのその自信は、一体何処から来るんだ……」

呆れながら一息つき、そうしてるーこは改めて名雪と視線を合わせた。
愛らしい少女だった。よく秋子にも似ている。

「るーこ・きれいなそらだ。るーこでいい。その代わりこちらも、うーなゆと呼ばせて貰おう」
「うん。よろしくね、るーこさん」
「そしてこっちが、うーみおだ」
『上月澪です。よろしくなの』
「よろしくね、澪ちゃん」

察しの早い名雪は、挨拶が書かれたスケッチブックで澪のことをすぐに把握できたらしい。
優しく澪の頭を撫で笑む名雪の様子に、周囲にも暖かな空気が広がった。

そのまま食事を摂りながら、五人は今後のことを話し合いだした。
まず問題としたのは、食料のことである。
今彼等が摂っている朝食を用意したのは秋子と、他の子供達より少し先に目を覚ました澪だった。
材料はこの家の中にあった物で賄えたが、それで見つけられた備蓄は使い果たしてしまっている。
この人数だ。消費が多くなるのは仕方ない。

172 ホワイトキャンバス :2011/07/15(金) 14:46:10 ID:LPsrDc/c0
「食料探しかぁ。こんなことまで考えなくちゃいけないとはな〜」
「お腹が減るのはつらいぞ、うーへい。」
「それはそうなんだけどね」

いつまでこの島に閉じ込められ続けるか分からない現状で、この問題は大きい。
配給されたパンだけで凌げると楽観するのは、危険だ。

「さっさとこんなことが終われば、悩まなくていいこと何だろうけどさ」
『ご飯、大事なの』
「うーん、でも何十人もいるんだろ? この島に。それこそどれだけ食べられる物が残ってるかって……ん? あれ?」

はた、と。
そこで陽平は、ふと気づいた。

「え。今、何時」
「うーへい、時計ならそこにあるではないか。まだ八時になったばかりだ」
「八時?」
「そうだ、八時だ」
「るーこ、あの放送って六時間毎って言ってなかったっけ。前の放送、0時とかだよね」
「む?」

腕を組み、首を傾げ、そして閃いたと。
るーこは大きく頷いた。

「む。寝過ぎたか」
「あはは、僕達どれだけ暢気なんだか……」
「休めるうちに休んだ方がいいんだから、それはいいのよ」
「秋子さんは気づいていたんですか?」
「えぇ。それに、ちゃんと聞いていたから……澪ちゃんと、一緒にね」

173 ホワイトキャンバス :2011/07/15(金) 14:46:38 ID:LPsrDc/c0
寂しそうに視線を下げた澪が、ぎゅっと自身のスケッチブックを抱きしめる。
物言わぬ少女が物語るその動作、食卓から笑いが消えた。

「……詳しくは、お皿を片付けてからにしましょうか」

食べ終わった後の食器を集めると、秋子はそのままキッチンへと姿を消す。
準備が整えられるまで、口を開く者は誰もいなかった。





「気を落とさないでね」

改めて席に着いた秋子の第一声に、緊張が走る。
秋子は自分のデイバッグから支給品である名簿を取り出すと、席に着いた皆が見えるよう机の真ん中にそれを広げた。
自身がつけた書き込みをなぞりながら、秋子は静かに放送で伝えられたことを話し出す。
亡くなった人数は膨大で、彼等の想像をはるかに超えていただろう。

「こんな、ことって……」

かたかたと震えながら、名雪が言葉を零す。
誰もがショックを受けていた。
誰もが現実を、すぐには受け止められなかった。

「優勝したら何でも願いを叶える、か。金銭で解決できることならともかく、少々幻想的過ぎるな」
「そこまでして、僕達を焚き付けたいのかよ……っ」

打ち付けられた陽平の拳が、テーブルを大きく震わせる。
そんなことで何かが発散できるはずもなく、陽平の中の憤りも結局は燻り続けるしかなかった。

174 ホワイトキャンバス :2011/07/15(金) 14:46:57 ID:LPsrDc/c0
「ねえ、お母さん。私、北川君を探しに行きたいよ」
「名雪……」
「だって香里が!」

椅子から立ち上がり掴みかかってきそうな勢いの名雪の目を、秋子は諭すようにじっと見つめる。
錯乱しかけた名雪の心も、それでやっと落ち着きを取り戻した。
泣き崩れそうになる自分を、名雪はぐっと堪える。
悲しいのは自分だけじゃないということ。

視線を秋子の奥に移した名雪の目に、秋子の隣に座っていた澪の姿が映りこむ。
先に秋子と共に放送を聞いていたらしい澪の目は、よく見ると真っ赤に充血していた。
きっとたくさん泣いたのだろう。
それでも彼女は、拳をぎゅっと握り締め、今は自分の感情を堪えている。

最年少の彼女が我慢をしているのだ。
他のメンバーが、弱音を吐く訳もない。

「ねえ、名雪ちゃん。香里っていう子、もしかして北川の彼女だった?」
「彼女とは、違いますけど……でも特別だったと思います」

いつも一緒にいたが、潤の好意の欠片がどうなっていたかを名雪は知らない。
美坂香里の態度からして、名雪は二人の仲が恋仲に進んでいるようには見えなかった。
その上で、何だかんだで親しい二人を見ているのが名雪も好きだった。

「北川君……絶対、つらいよ」
「そうだよな。あん時電話が繋がったってことは、香里って子もまだ生きてたってことだもんな……北川も、悔やみきれないだろうな……」
「え……?」

175 ホワイトキャンバス :2011/07/15(金) 14:47:14 ID:LPsrDc/c0
腕を組み、一人しみじみとしている陽平の物言いに、名雪の動きが止まる。
名雪だけじゃない。
陽平の言葉の意味を理解できていたのは、この場には誰もいなかった。
疑問をぶつけるために、るーこが口を開く。

「何のことだ、うーへい」
「あいつ名雪ちゃんの電話使って、その香里って子と連絡取ってたんだよ」

固まる。
動きは止まっていた。
その上で、固定される。

まるで陽平だけ別次元に迷い込んでいるようだった。
彼にとっては、何気ない部類に入る出来事である。
思わず陽平がたじろいだと同時、降って沸いた鋭い視線の集中砲火と詰問が、彼に襲い掛かった。

「北川君と香里が?! どういうことなんですか!」
「電話は通じなかったはずですが……」
「電波が通じる場所を見つけたのか、うーへい」
『それは一体いつぐらいの時なの』
「わー! ちょっと待って、待って!! ちゃんと答えるから!」

押し寄せる女性陣を押さえつけ、陽平は潤と二人で見張りをしていた時のことを説明しだす。

「えっとだな、まず時間か? えっと……深夜!」
「もっと具体的には覚えていないのか」
「時計とか、そんなちゃんと見てなかったんだよ」

曖昧過ぎる陽平の記憶に顔をしかめながら、先を促すように皆揃って口を閉じる。

176 ホワイトキャンバス :2011/07/15(金) 14:47:37 ID:LPsrDc/c0
「ほら、秋子さんから借りていた携帯電話……って、名雪ちゃんのなのか。とにかくな、それ、手が空いてたら調べようってことで持ってたんだけど……僕、すっかり忘れててさ」
「前置きはいらん、さっさと話せ」
「だーもう、せかさないでよ! その携帯思い出したのが、北川が自分の携帯持ってたからなんだよ」
「それは北川君が没収されずに、自分のを持ち込めていたってことですか?」

頷く陽平。
衣服以外の身包みは剥がされて当然と考えていた面々にとっては、それは驚愕の事実だった。

「ちなみに僕は、そういうのは特にない。稀なことには変わりないと思うよ」
「いや、うーへいそれは早計だ。るー達の目の前には、立派な証拠があるじゃないか」

るーこの視線の先では、澪がきょとんと瞳を瞬かせている。
その、彼女の胸元。抱えられている物。
気づいた名雪が言葉を零した。

「スケッチブック……」
「そういうことだ。うーみお、それは支給品とは別の、お前が持ち込めた物じゃないのか」

筆談するまでもない。
こくこくと、澪はすぐに肯定を表した。

「うーん、これは改めて持ち物を確認しといた方が良さそうだね」
「そうだな。でもまずは、うーへいの話の方が大事だ」
「はいはいそうですね、せかさないでってば。えーっと、それでとりあえず番号交換したんだよ。北川が通話はできないけど機能は生きてるって言ってたからさ、一応ね。そしたらメッセージが出た」
「メッセージ?」
「この電話と通話できる、みたいな。そんなの。で、実際北川の電話にかけられるようになった」

一端名雪に返した携帯電話を再び受け取り、春原は軽い動作でアドレス帳を開く。
そこには彼の登録した、北川潤という項目が映っていた。

177 ホワイトキャンバス :2011/07/15(金) 14:47:58 ID:LPsrDc/c0
「その後この携帯を使って、北川は待ち合わせを取り付けてたんだ。多分その相手が、香里って子じゃないですかね。あの態度、明らかに女の子に対してっぽかったし。履歴は……あれ、載ってない」
「発信記録は残らないのか」
「いや、その前に試したのは残ってるんだけど。北川の家電とか。何でだろ」
「北川君が何処に行ったとかは、聞いてないかな」
「うっ……ご、ごめん、スルーしてた。夜中のテンションって怖いなぁ」
「かけてみませんか。今、電話を」

それまで黙っていた秋子がおもむろに口を開く。

「電話が通じるなら、無事も確かめられます。早い方がいいでしょう」
「うん、わたしもお母さんの言う通りだと思う」
「事実確認がすぐ取れるな」
『どきどきなの』
「せ、せかしてきますね本当に……」

追い立てられるように北川の番号を呼び出すと、春原は携帯電話に耳をつけた。
聞き覚えのあるコール音が続く。北川が出る、気配はない。

「どうだ、うーへい」
「駄目だ、留守番電話になる」

それから何回か繰り返したが、北川が電話越しに答えてくることはなかった。
不安が解消されることは無く、結局名雪がメッセージを残し、今後も定期的に連絡を試みようということで話はまとまった。

「固定電話に繋げられるかは、まだ分からないんですよね」
「そうなんですよ。ここの家、電話線は繋がっているみたいなんですけど番号が分からなかったもんで……」
「電話番号が分かりそうな建物……ここからなら、分校跡っていうのかな」

地図を取り出した名雪が指を差す。
距離もそこまで離れていないため、簡単に辿り着けるだろう。

178 ホワイトキャンバス :2011/07/15(金) 14:48:39 ID:LPsrDc/c0
「そうだな、まずそこに行って見るのがいいだろう。食料も見つかるかもしれない」
「あ、そういえば北川が最初にいた消防署なら、電話帳あるかもしれないねって話したよ」
「おい馬鹿うーへい、それを先に言え」
「へ?」

がたっと一斉に立ち上がった面々が、すぐに荷物をまとめだす。
一人座ったままの陽平は、おろおろと素早い彼女達の動きに翻弄されるだけだった。

「うーへい。それはあいつに何かあったら、そこに向かうかもしれないってことだ」
「え?」
「勿論、絶対ではないと思います。でもわたし達が消防署に向かうかもれないと知っていたら、どうでしょう」
「え??」
『香里さんという方が亡くなったなら、一緒にいたかもしれない北川さんにも何かあったかもしれないの』
「え???」
「北川君と香里が本当に会えたかは分かりません。でも可能性は、一つだって見過ごせないんです」

一人座ったままの陽平を除き、彼女達はすぐに部屋から出て行った。
すれ違いざまに掠め取られた携帯電話、その持ち主である名雪の髪が陽平の前でさらりと舞う。

「え、え、え、えぇぇ……?」
「遅れるな、馬鹿へい。うーなゆ達を思えば、正直一分一秒でも早い方が好ましいだろう」
「だって分校跡は……」
「後回しだ」
「い、言うの忘れてたけど、消防署って電話線切れてるって北川言って……」
「電話帳というものがあればいいのだろう? グダグダするな、いいから来い」
「わ! ひ、引っ張らないでよ、る〜こ〜〜〜」

179 ホワイトキャンバス :2011/07/15(金) 14:49:10 ID:LPsrDc/c0
これからどうするかを話し合うのは、ここまでだ。
指針ができたら後は早い。
一晩過ごした民家を背に、振り返ることなく目的地へと歩を進める。
陽平以外。

「る、るーこ! もう自分で歩けるから!!」

掴まれた首根っこが解放されるまで、陽平の視界から民家が消えることは無かった。




【時間:2日目午前8時過ぎ】
【場所:F−02】

春原陽平
【所持品:防弾性割烹着&頭巾・スタンガン・GPSレーダー&MP3再生機能付携帯電話(時限爆弾入り)・支給品一式】
【状態:鎌石村消防署に向かう】

ルーシー・マリア・ミソラ
【所持品:IMI マイクロUZI 残弾数(30/30)・予備カートリッジ(30発入×5)・支給品一式】
【状態:鎌石村消防署に向かう・疲労回復・服の着替え完了(パーカーにジーンズ)】

水瀬秋子
【所持品:IMI ジェリコ941(残弾14/14)、木彫りのヒトデ、包丁、スペツナズナイフ、殺虫剤、
 支給品一式×2】
【状態・状況:鎌石村消防署に向かう
 健康。主催者を倒す。ゲームに参加させられている子供たちを1人でも多く助けて守る。
 ゲームに乗った者を苦痛を味あわせた上で殺す】

水瀬名雪
【持ち物:GPSレーダー、MP3再生機能付携帯電話(時限爆弾入り)
 赤いルージュ型拳銃 弾1発入り、青酸カリ入り青いマニキュア】
【状態:鎌石村消防署に向かう・肩に刺し傷(治療済み)】
【備考:名雪の携帯電話に入っていたリモコンの存在を示すボイスメッセージは削除されている・時限爆弾のメモは残っている】

上月澪
【所持品:フライパン、スケッチブック、ほか支給品一式】
【状態・状況:鎌石村消防署に向かう・浩平を探す】

(関連・519・670)(B−4ルート)


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