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【原作】ドラキュラ・キャスバニ小ネタ/SSスレ【準拠】

1 名無しさん@うまい肉いっぱい :2006/05/31(水) 19:18:01
こちらはドラキュラ&キャッスルヴァニアシリーズ全般のゲーム設定に準拠したネタスレです。
原作ゲーム内の設定に添った小ネタ・SSはこちらに投下のこと。
基本的に原作準拠ですが、多少の補完や捏造設定は必要ならばアリということで。
根底から違うパラレル設定は、パラレルスレのほうへお願いします。

ただし、パラレルスレと同様、読む側の混乱を避けるために
投下品の最初にはそのネタの設定とカプ傾向、できれば作品名も
明記しておくのを基本ルールとしてお願いいたします。

また、一応小ネタ専門ということで、書くうちに長くなった、または長引きそう、な場合は
スレ立てスレのほうで適宜協議の上、単独スレを立てるかどうか決定してください。

2 名無しさん@うまい肉いっぱい :2006/06/04(日) 22:15:56
に…2ゲトー!(゚∀゚;)
単発スレの言いだしっぺは自分なので恐る恐る書き込みます。

この前白液をやったらジュストの声がリア18歳らしくて可愛かった
なので、ムラムラして書いた。今は後悔している。

・白/夜/の/協/奏/曲 マクツーム×ジュスト
・ジュストがもやしっ子
・ガチホモ臭
・バッドエンドというか何これ?

マクツームは裏なんだか表なんだかよくわからない事に…
まあ、よろしければ暇つぶしにドゾー

3 我ながらこれはひどい 1/3 :2006/06/04(日) 22:17:57
「ならば、俺がその気にさせてやる…行くぞ!!」

 途端、視界は暗転した。

 数瞬後に飛び込んできた光景は、見渡す限り極彩色の四方と、蠕動を続ける壁。
 吐き気を催すのも時間の問題だった。
 思わず目を背ける。
 それはほんの一瞬の事ではあったが、今や人外となった"彼"がその隙を見逃す筈もない。

「──!」
 全身に鋭い痛みが走り、あっけないほど簡単に武器は奪われた。
 敵を排除する為のそれは皮肉にも持ち主を拘束するのに使われた。
 力の限り腕を動かしてみるがビクともしない。
(ドラキュラの力とはこれ程の物なのか…)
 そんな事を考えている間に、勝ち誇った声が聞こえてきた。
「フ…ベルモンドが聞いて呆れるな…やはりお前など俺の敵ではないな」
 言いながら、マクシームはジュストのベルトを取り外しにかかった。
 予想外の行動にうろたえる暇もない。
「…? 何のつもりだ…」
「決まっているだろう。この状況で、」
 低い声が間近で耳に注ぎ込まれる。
「わからない、なんて事は無いだろうが、ジュスト君?」
 思わず震えが走った。
 平静を保とうとするも、何か得体の知れない恐怖と混乱で顔が強張る。
 ベルトとパンツが下ろされ、下着に手がかけられた時、混乱は確信となり更に絶望へと変わった。
「…こんなことはやめろ、マクシーム。
辱めたいのならいくらでも方法はあるはずだろう」
 半ば無駄とは知りつつもそう口にしてみる。

 が、案の定問いかけは無視される。
 あっさりと下着は下ろされ、ジュストのそれは外気に晒された。

4 我ながらこれはひどい 2/3 :2006/06/04(日) 22:19:01
「マクシーム…もうやめろ、それ以上おかしな真似をするのは…」
 いよいよそこに手がかかり、包み込まれる。
 と、顔が近づいてきて今度は生暖かい感触が襲った。
 思わずぎゅっと眼を瞑る。
 抵抗しようにも雁字搦めにされた身体は全く言う事を聞いてくれない。

「そうそう無駄な抵抗をするな。噛み千切られたいのか?」
──本気だ。
 奴は殺そうと思えばいつでも自分を殺せるのだ。
 まるで、猫が獲物を捕まえては弄ぶ様に。
 ジュストは自分が狩られる立場である事をたった今思い知った。
 
 自覚すると同時に、みるみるうちに力が抜けていく。
「…そう、いい子だ。せいぜい楽しむ事だな…」
 そう言って、手の中のそれを激しく擦るように扱い始める。
 少しの驚嘆と、久しく忘れかけていた悦楽に自然と声が漏れた。

 もちろん自分でやった事が無い訳ではないが、それが他人の手によって行われている。
 それも、親友であった男に。
 得も言われぬ羞恥と恐怖とがない交ぜになり、白い頬が朱に染まる。
 必死で声を押し殺す事が、彼に出来た唯一のことだった。
 舌で先端をを執拗に責められ、やがて限界が近づく。
「ぅあ…」
 耐え切れなかった声と共にジュストは達した。
 びくん、と大きく痙攣するように震え、白濁を吐き出す。
 息の整わないジュストを尻目に、マクシームは次の手順に移行する。

「マクシーム…何を…」
 既に熱く猛った自身を取り出し、手のひらに付いたジュストのものを塗りつける。         キモスw
 そのまま慣らしてもいない奥を無理矢理に押し進んだ。
「……ひ…ッ!」
 規格外の挿入により引き裂かれる痛みに、生理的な涙が止まらなくなる。
 マクシームはそんな事にはお構いなしに、好き勝手に動いている。
 突き動かされる度に痛みが走り、
 血と体液が混ざり合う粘着質な音が絶え間なく聞こえる。
 ジュストはそれを虚ろな目で、もはや他人事の様に観察していた。

5 我ながらこれはひどい 3/3 :2006/06/04(日) 22:19:56
 もう一度だけ、ありえない期待をこめて目の前の顔を見上げる。
 
 今ここで行われている事は何かの冗談で、リディーが攫われたのも冗談で。
 また3人で過ごす日々が訪れるのだと、今すぐ言って欲しい。
 1も2も無く信じるだろう。
 だが、そこにあるのは紛れもなく親友の顔なのに、彼はもういないのだ。
 それを認識せざるを得ない状況に、いたたまれない気持ちで一杯になる。
 また、涙がこぼれた。

──唐突に動きが止まり、小さな呻き声が聞こえた。
 生暖かいものが中に放出される感覚に、ぞくりと戦慄が走る。

「…シーム…マクシーム、すまない…」
 組み敷かれた身体から、ふいに掠れた声が響いた。
「──何故謝る?」
 心底驚いた様な声が返ってくる。
「俺、は、お前の苦しみに、気付く事が…できなかった…
ずっと一緒にいたつもりでも、俺はお前の事を何も…わかっていなかった…許して欲しい。
俺に出来る事なら、何でも、償おう…だからもう、こんな」
「こんなふざけた真似はやめろと?」
「…マクシーム、違…」
 目の前の相手は無言で口の端を吊り上げ、初めて口付けてきた。
 強引に舌を絡められ、自分が出したものの苦い味を僅かに感じた。
 紡ぎかけた言葉は消され、再び行為は再開される。

 続けられるうちに、初めは苦痛でしかなかった筈のそれが段々と
 微かに、しかしはっきりと、快楽の形を示そうとしていった。
 殆ど絶望的な気分でそれを自覚する。
 
 熱い迸りを下腹部の中と外で感じた。
 

 永遠とも思われる時間が過ぎた。
 いつ果てるとも知れない行為。もう何回繰り返されたのかも判らない

 ジュストの身体は心労と痛みでボロボロだった。
 視線は宙を舞い、四肢からは疾うに力が抜け落ちている。
 その様子をふと確認してから、マクシームは満足気に呟いた。
 最も、声が聞こえているのかも不確かだが。

「…俺の物だ。あの女も貴様もな。償うと言うなら、全てを捧げてもらおう」
 直後、首筋に激痛が走ったが、もう抵抗する様子もない。
 体中が耐え切れないほど熱く疼く。
 音を立てて啜られる血と入れ替わりに、諦めにも似た虚無感が流れ込んで来た。


 再び、視界は暗転した。

6 我ながらこれはひどい :2006/06/04(日) 22:21:02
意味不明ですが終わります。支離滅裂wwっうぇwwwww
今の自分にぴったりなAAはこれですかね… m9(^Д^)プギャーッ

ごめんね。真面目な?ドジンSS初めて書いたから、厨でごめんね。

7 名無しさん@うまい肉いっぱい :2006/11/06(月) 22:29:39
規制に巻き込まれて板に書き込めないのでこっちにカキコ。
ついでに小ネタも投下。
板から出たネタなので、本編に沿ってるとは必ずしも言えないかも
しれないんだけどパラレル学園とも言えないのでここに。
ホスがわりにどぞ。

>>605
家具セット&フィギュアいいなあ、コンプしそう、つーかする絶対する
フィギュアはもちろん全関節可動&お洋服お着替え可能なんだよな?w
家具はクラシカル&ゴシック、重厚かつ優雅なデザインで。
個人的には天蓋ベッドとラノレアノレはデフォwとして
薔薇園で愛らしく語り合う百合カポゥなヨアアノレヨアが(*´Д`)ホスィ
このセットはフィギュアちょい幼めデザインきぼんw
幼な妻なアノレたん12、3歳くらいで是非

>>606
クセのある味のカレーにはなんとなくヂュストが描いてありそうな気がするw
うっかり食うとちょい危険なロシアンカリールーレット。
シモンは超肉肉しい「うまいにく」たっぷりの特製漢のビーフカリー。
あとベノレモンドじゃないけどおこちゃま用特甘カレーにはソマたんww

前にアノレ似のカンコックドールの写真貼ってたレスがあったなあ。
スーパードノレフィーのカスタムでアノレ作ってみたい…いくらかかるか考えるとガクブルものだけどw
絵師さんのAAキャラとか三頭身キャラとかなら、ピンキーの改造で
そっくりに作れそうな感じなんだけど技術のない自分がにくい…orz

そんでフィギュアの同梱してあるパンフ(?)にSSとか書いてあるといいな

8 テーブル椅子セットSS :2006/11/06(月) 22:30:29
★『テーブル椅子セット&ラノレフ・アノレフィギュア』
 うらうらと暖かい春の午後…
 ベノレモンド家の図書室は大きな窓から入ってくるそよ風と陽光でいっぱい。
 窓際にたたずんで大きな書物をめくるアノレカードの横顔にぼんやりと見入るラノレフ。
 さわやかな初夏の風にさらさらとなびく銀髪を見ているうちに、ついつい手が
止まってしまいます。
「…ラノレフ?」
「(ぎく)な、なんだ!?」
 なんだか声が裏返っています。
「さっきから手が動いていないようだが。ペンの音がしない」
「そそそそそんなことはないぞ!? ちゃんと書いてる、ただちょっと綴りのはっきり
しないところが」
「そうか? どれだ。見せてみろ」
 髪をなびかせするりと近づいてくるアノレカード。机にひじをつき、手もとをのぞき
込むと、ふわりといい匂いがラノレフの鼻をくすぐります。
「どれがわからない? 言ってみろ」
「…あ、あの、そのだな…(ちょ、顔近い! 顔近いっておまえ!)」
 ――どうやら勉強に気持ちが戻るのはもう少し先の若当主なようです。

9 城主の椅子セットSS :2006/11/06(月) 22:31:06
『城主の椅子&リヒ太・アノレフィギュア』
 闇に閉ざされた魔の城の玉座の間…
「あ……ッ、ん、く……ッ」
「クク……どうした? さっきまでとはずいぶん様子が違うようだが……?」
「黙れ…ッ、あっ」
「フ……ドラキュラの息子が聞いて呆れる。なんだこの様は、ここを…こんなにして」
「違…っ、放せ……っ、う、あッ」
 形のいい耳朶に立てられる歯にしなやかな肢体がびくりとのけぞる。
 華麗な貴公子のよそおいはずたずたに切り裂かれて血に染まり、その下の白い胸と
引き締まった腰を、ほんのりと淡く色づいた乳首をのぞかせている。
 巨大な玉座に掛けた男は、膝の上で身を震わせる獲物をゆっくりと堪能するべく爪を
研ぐ。声を漏らすまいと噛みしめた唇に血がにじむのを愛しげに舐めとり、そして
かたく閉じ合わされた脚のあいだの、秘め隠された部分に男の無骨な指先が侵入して
いく…
「あ、あ…ッ、いやだ……ッ」
 懸命に抗っても、痛めつけられた身体に抵抗するだけの気力はもはや残っていない。
 城主の唇に浮かぶ残酷な笑み。
 すすり泣きにも似たかすれた喘ぎ声が暗い石天井に反響する。
 ここは闇の底、影と夜の支配する、永遠の責め苦と快楽の部屋……

10 薔薇園のベンチセットSS :2006/11/06(月) 22:31:55
『薔薇園のベンチ&アノレ・ヨアフィギュア』
「…本当にいいのか?こんなところにいて」
「バカだなあ、君は。ヴァノレターのお遊びにいつまでも真正直につきあってたら、
こっちの身が保たないよ?」
 だって、と不思議そうに首をかしげる長い銀髪の少年。
 怒ったようにバラ色の唇をとがらせている少年は、同じ銀髪ですが肩のところで
切りそろえています。
 どちらもまるでお人形のような、白磁の肌にきらめく瞳。
 年のころはまだ十二、三歳、まだ伸びきっていない手足は子鹿のようにすんなりと
細くしなやかで形よく、花咲くバラ園の茂みのかげ、小さな石造りのベンチで、
おそろいのシルクのブラウスを着て兄弟のように身を寄せあっています。
「…でも、私はヴァノレターの言うことはなんでも聞くようにと言われている」
「だから、君はバカだっていうんだよ。あんなエロ親父のことなんか、言葉半分に
聞いておけばいいんだってば。だいたい、君が来てから僕のすることが増えてしょうが
ないんだから、少しは感謝しておくれよね。君ときたらほんとになんにも知らない
箱入りのお子様で、お坊ちゃまもいいところで、手がかかるったらないんだから」
「…………。」
「あーっ! な、泣くな、なんで泣くんだよまったく! これだからもう、箱入りの
お子さまは困るんだよね、ほらハンカチ!」
 ……赤白さまざまのバラが咲き誇るバラ園で、二人の小さなバラは、なんだかんだ
いって仲良しなようです。

11 名無しさん@うまい肉いっぱい :2007/01/04(木) 03:22:36
明けましておめでとうございます。もう日付が変わって三が日も終わりましたが。
 棚姐さんのラルアルが大団円を迎え、咽び泣きながら「最高の萌えを有難う御座いました、
本当にお疲れ様でした」と叫びつつ新年早々久しぶりに携帯ゲー、数字板以外のドラキュラ
スレを巡っていると、なりきりスレにてあらぬ電波をキャッチしてしまいました。
ズレズレのAAで読み取りにくかったけど、数年前に自分が歴史資料片手に妄想していた
ネタと似たようなこと考えている人はいるんだなぁと、テラウフフしながら火がついちまった
ジャマイカ! どうしてくれる! ウワァァァンヽ(`Д´)ノ となりながらやっちまった。
 確実に長編になるので、先ずは手始めに原作準拠で行ってみようかと思い投稿しました

サークル/ オブ/ ザ/ムーン
・ヒュー→ネイサン
・展望閣のヒュー戦後のセリフから
・微ホモ臭。自分でもよく判らない。
・相変わらずネイサンは人の話を聞いてない。
・オリジナルのセリフを数箇所差し込んである。
・ヒューが少々壊れている(読み様によってはそれ以上かも)

いやもうね、よくネイサンが努力型の主人公とか言われてるけど、その彼を凌駕するために
はヒューのほうも結構努力していたんじゃないかなと思って。しかもその努力が報われずに
悶々としているにも関わらず、プライドか高いせいで誰にも相談できずに自滅して行く様が
何とも……救えるのは君だけだネイサン!となってしまう訳で。
 新年早々腐っててごめんなさい。 ではドゾー

12 無題(6/1) :2007/01/04(木) 03:26:26
「やめてくれ! お前をこれ以上傷つけたくない! ヒュー!!」
 戦いに疲れた顔で、悪魔城の展望閣に響き渡る悲痛な叫びを上げた青年の目の前には、
己の得物――退魔の聖鞭によって衣服のあらゆる箇所が破れ、その間から夥しい血液を
流した痛々しい姿で膝をつき、己を見つめている彼の兄弟子の姿があった。
「ネイサン? ウウッ、お、俺は…」
――俺は何を……? それに、何故お前はそんな悲しそうな目で俺を見ている? そうか
 妄執に取り付かれた俺は、カーミラに完膚なきまでに打ちのめされた後、ネイサンに対する嫉妬
と言う見苦しい感情と欲望を魔に曝け出してそれから……仮初めの力を手に入れる代わりに
自分の意思を真祖ドラキュラに預けた。何と無様な姿か。
 ネイサンは痛みに顔を歪ませながらも、鋭利な刃物のような切れのある端正な容貌を真っ直ぐ
自分に向けているヒューの姿に、彼の自尊心をこれ以上傷つけたくない一心で、抱き起こそうか
どうか、手を差し伸べるべきか逡巡して動けない自分に苛立ちを感じた。
 そして、自分の魔力が低いばかりに、ラテン語の退魔の祈祷文詠唱だけでは何の効果もなく、
恩義ある師匠の息子を魔の呪縛から解くためとはいえ、彼の体力を削りつつ祈祷文の効果を
上げるために己の得物……
 本来は目の前にいる青年が継承すべき聖鞭で彼を、普通の人間ならとうに骨が折れて、
死んでいるくらいの回数以上に打擲しないと、洗脳が解けなかった己の不甲斐なさに、
改めて、悔しさと涙が込み上げてきた。
 普段の彼なら周りに心配させまいと感情を心の中に押し留めて平気な表情に造るのだが、
疲れから気が緩み、その感情を顕にするかのように目に涙を溜めると、それにつられるように
彼の引き締まった容貌が歪んできた。

13 無題(2/6) :2007/01/04(木) 03:27:22
――こんなに傷ついても「痛い」の一言も、見苦しくのた打ち回る事もしない。
あの聖鞭で数十回も打擲したにも関わらず、だ。
 ヒュー、そこまでの体力と精神を持ち合わせておきながら、お前は何故魔に
取り込まれたりしたんだ? 
「ヒュー……気が付いたのか……?」
 ネイサンは本当に解呪したかしないか判らないが、叫び続けて嗄れた咽喉から
確認のためかどうかも自分で判断できないまま、ただ、声を漏らした。
――声が掠れている。俺と戦っている間、ずっと声を掛けていたのか?
 何と苦しく、今にも泣き出しそうな貌をしている? 俺は何時からお前に
そんな表情をさせていたのか皆目分からない。
 ヒューは泣きそうになって、じっと自分を真摯な眼差しで見詰めている弟弟子――
ネイサンの傷ついた輝きを放っているグレーブルーの瞳を理解出来ずに、辛そうな表情を
しながらも呆と不思議そうな眼差しで仰ぎ見た。
 そして、どうして良いか解からず、だが目の前の弟弟子に対してこれ以上
悲しませたくない気持が先走り、抱き留めて自分が思いつく限りの感謝の言葉を
彼に伝えようと思い手を動かそうとしたが、筋が傷ついているのだろう指先しか、
それでも痛みを伴っているが動かなかった。
「…ありがとう…。聞えたよ、お前の呼ぶ声が」
 動かない躯の替わりに先程までの苦渋に満ちた表情を掻き消し、微かな笑みを湛えた
柔らかい顔付きと、低いながらも緩やかな口調で伝えた。
 まるで罪を償い、総てを赦された罪人のように清々しい心持で。
 それに伴い、一筋の涙がヒューの頬をつたった。彼に、ネイサンに己の愚かな行動を取った
経緯を包み隠さず話し、もう元には戻れないかもしれないが親友として心の声を伝えたい。
そう決意したゆえの涙でもあった。
 今までの自分であればいい年をした男が、己の恥かしい部分を他人に見せるのは
情けない事だと頑なに拒否していた。
 そして、この躯は痛みで動かない。死期を覚悟したがヒューはネイサンに心残りが無いよう、
敢えて気丈に伝えようと思った。

14 無題(3/6) :2007/01/04(木) 03:28:02
「…ヒュー。大丈夫か?」 
 ネイサンは、今まで自分が見たことがないヒューの優しく、どこか悲しみを帯びた
微かな笑みに少々不安を感じながらも、彼の次の言葉を待つつもりで恐る恐る訊いた。
――本当に呪縛は解けたのか? そうでなかったら俺は……師匠には大変申し訳ないが
この土地のしきたりに従い、お前の全身の腱を断ち、心臓にサンザシの杭を打ち込まな
ければならない。俺はこれ以上の解呪の方法を知らない。
 そう思いネイサンは予測がつかない攻撃に備え、全身を硬くして身構えた。
「ネイサン…。俺はお前に嫉妬していた」
「!?」
――ヒュー!? 一体なにを言い出したんだ? 嫉妬? お前が俺に? 能力も知識も
膂力も何もかもが俺より上回っているお前がか? 
 予想外の科白にネイサンは唖然として二の句を継げることができず、目を丸くした。
「親父がお前を認めることで、俺は要らない存在になるのが怖かったんだ」
 そしてヒューは息を呑み、瞼を閉じると切なく呟いた。
「ただ認めて欲しかった…」
――それだけではない。俺はお前にも認めて欲しかった。もっともそれは俺自身の
エゴを伴った感情だが。
 もし、お前が洗脳された俺に負けて倒れたら、問答無用で押し倒して力任せに何度も
唇を奪い、何が起ったか解からず呆然としているであろうお前の顔を尻目に、
卑怯だが痛みで動けなくなっているお前の躯から、衣服をすべて剥ぎ取り、力無く抵抗
しようとしているお前の姿に嗜虐心をそそられながら、前戯も何もせずに無理矢理、
己の欲望をお前に何度も何度もぶちまけ、力尽きて物言わぬ躯になってもなお続けるだろう。
穢れて爛れた思考と感情のままに……
 男の身でありながら、それほどまでに同性であるお前が欲しかった。そして、その思いを
遂げるために絶対的な力が欲しかった。その象徴があの聖鞭であったのに、それをお前が
継承したことで俺は父親から己の努力を否定され、お前を親父に取られた心持がした。
逆にお前に親父を取られたとも思い、お前を愛する気持と独占欲が綯い交ぜになって俺は、
俺より能力も無く簡単に聖鞭を手に入れたお前を、あからさまに見下すようになっていった。
だが、いつも他者のことを思い、一歩引いて優しく見守るお前をずっと愛し、護っていきたかったのは嘘ではない――

15 無題(4/6) :2007/01/04(木) 03:28:40
やはり幾ら包み隠さず話すとは言っても、その想いだけはネイサンに
告げるべきではない。彼が余計混乱するだけだと思ったヒューは言葉を切った。
 と同時に行き所の無い想いは、彼の漆黒の瞳から止め処なく涙をこぼれさせ
赤い絨毯の上に雨のように滴り落ちた。
――聞きたくなかった。力を持っている矜持を誇り、自尊心が高いこの男から、
そんな自虐的な感情を曝け出した言葉なんて。
「もういい…」
 ネイサンはこれ以上、師匠のモーリスの元で一緒に育ってきた親友の痛々しい姿を
見聞きしたくなかった。幼い頃から力強く、その上で人よりも何倍も努力してきた
青年の弱音など。
 そう思うと自然に耳目を閉ざしたい気持になり、ヒューの後悔の念を遮りたい衝動に
駆られた。
 しかし、死を覚悟したヒューはネイサンが聞こうが聞くまいが、総てを言うつもりで続けた。
 己の愚かしい感情のためにこの身は魔道に堕ち、その所為で愛する者の行く手を
遮って時間を取らせてしまった事への後悔と、いまだに己の心の強さを自覚して
いないネイサンに、真祖ドラキュラを倒す事のできる自信と、傷ついた自分の代わりに、
ドラキュラに捕らえられ生贄にされかけている自分の父親を助けてくれと、
どうしても伝えたかったから。
「そんな俺の心の闇を、親父は見抜いていたんだろう。だからお前を…」
「よすんだ」
――それは闇でもなんでもない。人間誰しも持ちえし感情だ。挫折を知らないお前が
陥った感情の罠だ。それを自覚せずただ、己が処理できない感情を闇雲に力で捻じ
伏せようとしたから……心が折れたんだ。師匠は決してお前を見捨てたりしない。
無駄に死なせたくなかったから敢えて力を持たせなかっただけだ。
 力強くネイサンはヒューの自虐的な科白を否定した。しかし、ヒューは今もって弱音を吐いている。

16 無題(5/6) :2007/01/04(木) 03:29:11
やはり幾ら包み隠さず話すとは言っても、その想いだけはネイサンに
告げるべきではない。彼が余計混乱するだけだと思ったヒューは言葉を切った。
 と同時に行き所の無い想いは、彼の漆黒の瞳から止め処なく涙をこぼれさせ
赤い絨毯の上に雨のように滴り落ちた。
――聞きたくなかった。力を持っている矜持を誇り、自尊心が高いこの男から、
そんな自虐的な感情を曝け出した言葉なんて。
「もういい…」
 ネイサンはこれ以上、師匠のモーリスの元で一緒に育ってきた親友の痛々しい姿を
見聞きしたくなかった。幼い頃から力強く、その上で人よりも何倍も努力してきた
青年の弱音など。
 そう思うと自然に耳目を閉ざしたい気持になり、ヒューの後悔の念を遮りたい衝動に
駆られた。
 しかし、死を覚悟したヒューはネイサンが聞こうが聞くまいが、総てを言うつもりで続けた。
 己の愚かしい感情のためにこの身は魔道に堕ち、その所為で愛する者の行く手を
遮って時間を取らせてしまった事への後悔と、いまだに己の心の強さを自覚して
いないネイサンに、真祖ドラキュラを倒す事のできる自信と、傷ついた自分の代わりに、
ドラキュラに捕らえられ生贄にされかけている自分の父親を助けてくれと、
どうしても伝えたかったから。
「そんな俺の心の闇を、親父は見抜いていたんだろう。だからお前を…」
「よすんだ」
――それは闇でもなんでもない。人間誰しも持ちえし感情だ。挫折を知らないお前が
陥った感情の罠だ。それを自覚せずただ、己が処理できない感情を闇雲に力で捻じ
伏せようとしたから……心が折れたんだ。師匠は決してお前を見捨てたりしない。
無駄に死なせたくなかったから敢えて力を持たせなかっただけだ。
 力強くネイサンはヒューの自虐的な科白を否定した。しかし、ヒューは今もって弱音を吐いている。

17 無題(5/6) :2007/01/04(木) 03:30:21
「いいんだ。今では愚かな俺にも親父の選択が正しい事がよく判る」
――ヒュー……俺は今までお前の何を見てきたんだろう? いつものお前なら語気を
強めた口調で「さっさと行け! グズグズするな」と人が戸惑っていようがいまいが、
状況に応じて一瞬で判断し的確な指示を出して俺をいつも護ってくれていたお前が
……こんなにも弱くなるなんて。
「抱き起こそうか?」
 ネイサンは惰弱な精神の持ち主に堕した彼に、手を差し伸べようとした。
余りにも痛々しい姿になった彼を放って置く事が出来なくなり、今度は自分が護ろうと
考えたからだ。
「フッ…。これ以上、俺に恥をかかせるな」 
 しかし、ヒューはそんなネイサンの甘さを見抜くと、共倒れを避けるために敢えて愛する
者の申し出を揶揄した口調で拒絶した。
――それがお前の弱点だ。目の前の悲劇にすぐ対処しようとする。お前の目的はなんだ?
 ヨーロッパの全キリスト者を救うためにその聖鞭を振るうんじゃないのか? 
お前が与えられた使命を果たせ……
「親父を…。師匠の手助けをしてくれ。頼んだぞ」
 そして、儀式の間の扉にかけられている封印を解除するための鍵の在処を教えると、
ヒューは瞳と同じ漆黒の長髪を痛む手で掻き揚げ、いつもの自信に満ちた顔付きに戻って
ネイサンにその顔を向けた。
 ネイサンは今までであれば、「俺が一人で助ける!」とがむしゃらに息巻いて一人で事を
なしていた彼が、他人に事を任せたことに軽い驚きと、何故だか判らないが、いつも自分に
見せる、眩しいくらいの自信溢れる表情に戻った事を嬉しく思い、
「分かった」
 と満面の笑みで答え、鍵のある部屋へと走り去っていった。

18 無題(6/6) :2007/01/04(木) 03:30:56
――これで俺も安心していける。だが簡単には死ねない。
 ネイサンが真祖を打ち倒し、無事に親父を助けるまで俺はひとまず消えるとしよう。
あいつに心配掛けさせたくないから――
 体の痛みはまだあるが、動かせないほどではなくなると、また愛する者を見守り
たいと願い、生きる活力が漲ってきた。
 そしてネイサンが部屋から戻って来るまでには消えたいと思い、ヒューは体の重心が
定まらないながらも歩き始めた。
 だが、何故だか自分でも解らないが違和感を覚え、ふと、展望閣を見回した。
そして奇妙な感覚の原因が、通常ならば一対である筈の玉座が一つしかない事に気付き、
歩みを止めた。
 すると突然、己の知識の中の分厚い本の頁がめくられる様な感覚に陥った。
それからドラキュラに関する事象を紐解き始めると、感慨深く夢想した。
――この城の城主、真祖ドラキュラは最愛の妻を亡くした後、他には娶らず孤閨を
守ったと言われている。貞淑なその彼が何故魔道に堕ちたかは、俺は知らない。
ただ、孤独を自分の物に出来なかったのが罪なら……止そう。ドラキュラが厄災を
振り撒く存在であるのは変わり様の無い事実だ。
 
 ヒューは己を魔道に落とした憎むべき相手に、己の遂げられない孤独な想いを重ね
合せると、うら寂しさが漂う悲しげな面持ちで感傷に浸った。
そして独り、痛む躯を庇い、ネイサンが追って来ないことを確認しながら振り返りつつ、
生きるか死ぬか分からない己の身をあても無く動かすと、魔物が蠢く城内を探索していった――

19 行動も文も痛いよ…。 :2007/01/04(木) 03:42:04
……自分でもヘボン臭が漂っている事は判ってるさ! なおかつ文体も変だ!
でも後戻りは出来ねーぇぇ 緊張のあまり二重投稿してしまう自分アホス
本当にごめんなさい。
でも読んで下さってありがとうございました。
 最後に棚姐さんへ、感謝の意を込めて〆たいと思います。

アルラルの切ない恋情をこれでもかと散りばめた流麗な、
それでいてくどくない心地よい文体と、確実に当時の資料を踏まえた
アイディアに魅せられて、毎回涙した思い出を決して忘れません。
 あなたの描く、どこか仄暗い闇を秘めながらも気高く真摯に生きているアルカード。
力強く愛する者を全身全霊で守り通すラルフ。戦友として男と女の垣根を取り払い、
気丈に面前の敵に立ち向かうサイファ。全てを知りえても決して本質を見極める心を
失わなかったエルンスト。魅力的な彼らは美しく、まるであの時代に生きているような
錯覚さえ覚えました。
 それほどまでにあなたの物語は……筆舌に尽くせないほど素晴しかった。
大袈裟かもしれないけれど、僥倖とはこの為に在るような言葉だと思いました。
本当にお疲れ様でした。

20 若百合(J)×アノレ1/3 :2007/01/16(火) 21:27:46
 白い部屋だった。
 彼の目にはそれしか映っていなかった。白。ただ一色の白。
 ときおり、影のように視界をよぎっていく何者かが見えたような気もしたが、それら
はみな、彼の意識にまでは入り込むことなく、ゆらゆらと揺れながら近づき、遠ざかり、
近づいてはまた離れていった。
 自分は誰なのか、あるいは、何なのか?
 生きているのか、死んでいるのか?
 ベッドの上の「これ」が生物であるのか、そうでないのかすら、彼にはわからなかっ
た。呼吸をし、心臓は動き、血は音もなく血管をめぐっていたが、それらはすべて彼の
知らぬことであり、石が坂を転がるのと、木が風に揺れるのと、ほとんど変わりのない
単なる事実でしかなかった。
 ただ白いだけの、水底のように音のない空間で、まばたきもせず空を見据えながら、
彼はときどき夢を見た。生物でないものが夢を見るならばだが。
 そこで彼は長い鞭を持ち、影の中からわき出てくるさらに昏いものどもと戦い、暗黒
の中を駆け抜けていった。
 そばにはいつも、地上に降りた月のような銀色の姿があった。それはときおり哀しげ
な蒼い瞳で彼を見つめ、また、黙って視線を伏せた。
 夢は、止まったままの彼の時間を奇妙に揺り動かし、見失った魂のどこかに、小さな
ひっかき傷を残した。肉体はこわばったまま動かず、そもそも、存在するのかどうか
あやしかったが、この地上の月を見るたびに、彼の両手は痛みに疼いた。
 何か言わなければならないことが、どうしても、この美しい銀の月に告げなくては
ならないことがあるような気がしたが、それが形を取ることはついになかった。彼は
ただ、無限の白い虚無に、形のない空白として漂っていた。

21 若百合(J)×アノレ2/3 :2007/01/16(火) 21:28:24
 ……光がさした。
 白い空虚の中に、一筋の、銀色の光が射し込んできた。
 彼はまばたき、自分に、目があったことに気がついた。まぶたがあり、顔があって、
顔には頬があり、その頬に、ひやりと柔らかい銀色の月光が流れ落ちていた。
 夢の中の月が、自分を見下ろしていた。
 彼は口を開けた。
 何かが喉のすぐ下まで上がってきて、つかむ前に消滅した。苦痛と、それに倍する
どうしようもない胸の痛みが突き刺さってきて、彼は思わずうめき声をあげた。
「……動かない方がいい」
 ごく低い声で、月は言った。その髪と同じく、やわらかく、ひやりとした、透き通る
ような銀色の声だった。
「お前はひどい傷を負った。命を取り留めたのが奇跡だと言っていい。自分の名はわか
るか? 言ってみろ」
「――……」
 もう一度口を開けようとしたが、声は出なかった。彼の中には空虚しかなく、答えに
なるような何物も、そこには残っていなかった。
「――わ、から、ない」
 ようやく、そう言った。
 月の白い顔に、かすかな翳が走ったようだった。
「本当に、わからないのか?」
 しばしの間をおいて、思い切ったように月は言った。
「――私の、名も?」
 わかる、と叫びたかった。わかる、あんたは月だ、夢の中でずっと俺のそばにいた。
 だがそれもまた、言葉になる前にこなごなにくだけて白い闇の中にのまれていった。
彼はただ弱々しく首を振った。
「……そうか」

22 若百合(J)×アノレ3/3 :2007/01/16(火) 21:28:56
 銀の月はつと視線を外した。
 長い髪からのぞく肩がかすかに震えているように思えて、彼は思わず手を伸ばそうと
したが、やはり身体は動かないままだった。全身が包帯に包まれ、ベッドに縛りつけ
られていることに、彼は突然気がついた。
 ここは病院だ。俺は生きている。そして怪我をしている。
 だが、何故だ?
 ――そして、俺は誰だ?
「あんた……は……誰だ?」
 ようやく声を絞り出して、彼は言った。
 銀の月は目を上げ、彼を見た。その蒼い瞳に、夢の中と同じ哀しみが浮かんでいるの
を見て、彼の胸は貫かれるように痛んだ。
「……そのことはあとで話そう」
 低い声でそれだけ言って、月の髪をした青年は立ち上がった。
「今はまだ眠れ。傷が酷い。考えるのは、身体が治ってからでも遅くはない。ゆっくり
養生しろ」
 違う。待ってくれ。
 そう声にしようとしたが、その前に、全身が砕けるような痛みが走った。白い闇から
あわてたように影が一つ走ってきて、肩を押さえてベッドに押し戻そうとする。
(だめですようごかないであなたはなんどもしにかけたんですよだれかちんせいざいを)
 うるさい。うるさい。
 俺はあいつを知ってる。俺はあいつを知ってるんだ。
 言わなければ。ちゃんと言わなければ。忘れたりなんかしていない、と。約束した、
俺はおまえを、おまえを、おまえ、を――
 腕に注射針が突きささり、流し込まれる薬液が視界に霞をかけていく。伸ばそうとした
手は無理やり下ろされ、点滴の管が突き立てられる。
 銀の月は哀しい目をして立ちつくし、闇のむこうから自分を見ている。
(……ア、ル、)
 引きずり込まれるように意識が暗闇に包まれる。
 最後まで見えていたのは、仄かに輝く銀色の月と、哀しみをたたえた二つの瞳――。

23 名無しさん@うまい肉いっぱい :2008/04/05(土) 17:01:10
パパアノレ?
悪伝直前くらいの話になります。
本番はありませんが、吸血=性行為の解釈で書いているので微エロです。
父子なんてフケツっ!っていう方はスルー推奨。
あと、私の書くアノレたんはピュアっ子ではないのでその辺も要注意。

しかし書いてる間、説得シーンでは月下パパなのに
吸血シーンがなぜかマティパパで浮かんで絵面的にものすごくいかがわしかったんだぜ……

24 Rhapsody in Blood 〜朔〜 1/6 :2008/04/05(土) 17:02:08
 朱く焼けていた西の空が少しずつ薄闇に染まっていくのを、アドリアンは自室の窓から
眺めていた。
 もうすぐ、父が目を覚ます。
 薄紫から群青に移りゆく空の色。そこに星の瞬きが見つかる頃合いに、自室を出て玉座
の間に向かう。
 ここ数日、アドリアンは父親に会えずにいた。
 人間を襲撃するのを諫め、母の遺言を守ってくれるよう説得し続けていたのを疎まれた
のだろう。
 今日も無駄足かもしれない。
 それでも、父の元に訪ねていく以外、今アドリアンに出来ることはないのだった。
 玉座の間とは言っても、取り次ぎはない。城内に数少ない人間は父に呼ばれない限りこ
こに来ることはなく、元来外からの来客などアドリアンの知る限り無かった。
 両開きの重い扉を開けて、中を見渡す。
 真紅の絨毯の延びる先、数段高くしつらえられた玉座に、今夜も父の姿はない。
 そのことに、落胆と共に安堵を覚える。
 あの日以来、父と対峙するのはアドリアンにとって辛いことだった。
 母の遺志は守りたい。しかし、父の気持ちもまた、痛いほどにわかるのだ。母を亡くし
た哀しみと、手にかけた人間に対する憎悪。
 憎んではいけない、と母が最期の瞬間まで訴えたのだから、憎むまいと思う。思いはす
るが、そう簡単に割り切れないのも事実だった。
 ともすれば父の狂気に流されてしまいそうな自分を自覚していればこそ、アドリアンは
母の遺言を口にし続けた。父にというよりむしろ、自分自身に向かって。
 空の玉座をしばし見つめ、踵を返す。
 父に会えない日は母のために祈りを捧げて過ごすことにしていた。母を亡くして以来神
に祈ったことはなかったが、死者の安寧を願う行為を祈りの他に何というのか、アドリア
ンは知らない。
 生前、母が丹精した花園の一角に墓碑がある。その墓前に向かおうと扉に手をかけた時
だった。

25 Rhapsody in Blood 〜朔〜 2/6 :2008/04/05(土) 17:02:48
『また世迷い言を云いに来たか』

 肉声ではなく、部屋全体の空気を揺るがすような声にアドリアンが振り返ると、無数の
蝙蝠が玉座に集まり、その暗がりから父、ドラキュラ伯爵が現れた。
 闇の眷属であることを見せつけるようなその出現は、おそらく自分に同じ血が流れてい
ることを思い起こさせるためにわざと行ったのだろうと、アドリアンは思う。
 母を亡くして以来、父は吸血鬼としての本性を隠そうとしなくなった。自分の前では特
にそうだ。今も、母と共に在った頃には想像も付かなかった父の姿がそこにある。人と同
じ姿形を持ちながら、人ではないものなのだと悟らざるを得ない、冷たく凄惨な魔王の容
貌。こちらを見据える紅い瞳に、かつての情など欠片も見いだせはしない。
 それを寂しいと思ったこともあった。しかし今は、恐ろしいと思う。父がではなく、こ
こまで父を変えた絶望というものが。もしそれに侵されたならば、自分もまた父と同じ道
を辿るのだろう。だからこそ、母の言葉を決して忘れてはならない。
「何度でも申し上げます。無意味な虐殺などお止めください、母上は復讐など望んではい
ませんでした」
「幾度繰り返そうが無駄なこと。リサが何を望んでいたとしても、今となっては何の意味
もない」
 父の言う通り何度も同じ問答を繰り返すだけでしかなくとも、それを無駄とは思いたく
なかった。たとえ父に届かなかったとしても、語りかけることを諦めてしまったら父との
絆をも無くしてしまう。
「母上の望みを叶えることが、なぜ無意味なのです。何でも叶えてやりたいと仰っていた
ではありませんか」
 まるで揺るがないように思えたその瞳に、一瞬影が差したように見えた。
 そしてわずかの沈黙の後、唇を嘲けるように歪める。喉の奥で押し殺したような笑いが
響いた。
「そうだ、何でも叶えてやろうと思った。──その結果がこれだ!」
 玉座の肘掛けを叩きつけ、その勢いのまま立ち上がった。
「昼に出歩くのも、疫病に苦しむ人間に薬草を与えるのも、好きにさせた」
 ゆっくりと段差を降りこちらに向かって来る。全身から立ち上る激しい怒りと憎悪に気
圧されて、アドリアンは思わず後ずさった。しかしもともと扉の前まで来ていたのだ、す
ぐに背が扉に触れてしまう。
「それが仇になったのだ」
 徐々に距離が詰まる。背後の扉を開けて逃げたい衝動を必死に押さえ、目を逸らさぬよ
う自らを叱咤する。父を説得するために来たのではなかったか。たとえ何があろうとも、
逃げることはできない。自分から背を向けるようなことだけは、断じて。

26 Rhapsody in Blood 〜朔〜 3/6 :2008/04/05(土) 17:03:28
「そもそも人間のままにしていたのが間違いだったと、今にして思う」
 血の気のない白い手が伸びて頬に触れられた瞬間、身が竦む。その冷たさにだけではな
く、身に纏う殺気にも似た憎悪とはあまりにかけ離れた優しさに恐怖を覚えて。まるで壊
れ物に触れるかのように、冷え切った手がそっと頬を撫でていく。
「闇の眷属にしておれば、私の目の届かぬところで死なせることはなかった」
 もう片方の手が、肩に置かれた。頬に触れていた手は首筋を辿り、襟元の飾り結びをほ
どいて開く。
 アドリアンは誰に教わるわけでもなく本能として、獲物の抵抗を封じる魔力が身の内に
備わっていることを知っていた。それが父から受け継いだものであることは疑いようもな
い。今、間近に父の目を見ながら、自分は既にその魔力に捕らわれているのかもしれない
と思った。先刻、逃げてはいけないと思ったことさえ、あるいは自分の意志ではなかった
のかもしれない。
 父が何をしようとしているのか、ここまでされれば嫌でもわかる。
 怖くないわけではない。それがどれほど背徳に満ちた行為かも知っていて、それでもな
お振り払って逃れようとは思えないのだ。
「お前はあまりにリサに似過ぎている。人に甘いところなどは特に」
 首周りにまとわりつく髪を父の手が背に流した。首筋を曝されただけなのに、まるで裸
にされたかのように心許ない。
「人間の血がそうさせるのか……ならばその血を、全て抜いてやろう」
 首筋を辿りつつ後ろに回された手が襟足を撫でるように軽く掴み、髪を引かれる。顎が
上がり、自然と首を曝す姿勢を強いられた。
 無防備に曝されたそこに父の唇が寄せられていくのを、ただ見ていることしかできない。
あまりの不安と恐怖で、震える吐息が無様に漏れるのを押さえることもできなかった。
 それに気づいたのだろう父が、わずかに視線を上げる。
「案ずるな。何も恐れることはない。私に任せて、お前はただ全てを受け入れていればよ
い」
 再び下に向かう父を、もう見ているのも辛くて目を閉じる。
 冷たい唇を首筋に押し当てられて震えた身体を、力強い腕に抱き竦められた。
「お前に、闇に生きる者の愛し方を、教えてやろう」
 耳元で囁かれた声は、夢見るほどに甘やかで優しく、一瞬、不安も恐怖も忘れさせる。
 張りつめていた力を抜いて身を任せたその時を逃さず、父の牙は容赦なく突き立てられ
た。

27 Rhapsody in Blood 〜朔〜 4/6 :2008/04/05(土) 17:04:17

 痛みを感じたのは、皮膚を食い破られる一瞬に過ぎなかった。
 穿たれた箇所は痛む代わりに熱を持ち、そこから甘く痺れるような感覚が広がる。
 吸い上げられる度に、まるで血と共に登るかのように身体の中をその痺れが走り抜け、
肌にまつわりつき血を舐め取る舌のざらつく感触に粟立つような感覚を覚えた。
 脈打つ首筋から血の流れに乗ってその熱が運ばれ、体中に甘い痺れが回るような錯覚に
陥る。
 知らぬ間に息が上がり、もう自分の力で立っていることもできず、父の腕に支えられて
いるような有様だった。袖にかろうじて縋りついてはいるものの、まるで力が入らない。
 押さえることもできずに漏れる喘ぎが、静まりかえった部屋にやけに響く。いたたまれ
ない羞恥を覚えて身を捩れば、それを押さえつけるようにさらに深くまで抉るように牙が
食い込んだ。
「っ…あ……ぁ…………」
 一瞬、視界が白く灼けるほどの強烈な感覚に襲われて目を見開く。
 断続的に痙攣のように震えた身体は、それを宥めるように撫でる掌の感触にも敏感に反
応し、まるで収まる気配がない。
 何か、これに近い感覚を知っているような気がして、ふと思い当たった。
 射精の快感と、とても似ている。
 アドリアンは半分人間ではないためかあまり性的な欲求は強くはなかったが、普通の人
間と同じように精通も経験したし、幾度かは自慰もしてみたことはある。
 達したときの快感と先ほどの感覚は確かに同じ種類のものだ。
 これまで、吸血は性行為と等しいと知識では知っていたが実感はなかった。
 それを今、身をもって知った。
 そして理屈ではなく感覚で理解した途端、行われている行為のおぞましさに愕然とした。
 自分は今、父親に犯されているも同然なのだ。
 父の欲望をこの身に突き立てられ、貪られて。
「嫌……だ…………っ」
 力の入らない腕で押しのけようと突っ張ってみても、びくともしない。

28 Rhapsody in Blood 〜朔〜 5/6 :2008/04/05(土) 17:04:52
 その変化に気づいたのだろう、父は一端牙を抜き、名残惜しげに傷口から溢れる血を舐
め取ると、その感覚にすら耐えられず身を震わせる自分を見下ろして、血に染まった紅い
唇にうっすらと笑みを掃いた。
「余計なことは考えぬがよい。ただ快楽にのみ身を任せて、素直に受け入れているがいい」
 傷口を、舌でこじ開けるようにねぶられて身体が跳ねた。痛みではなく、もどかしいよ
うな疼きが思考までをも犯す。
 そこを埋めて欲しい。力尽くで押さえつけて、無理矢理ねじ込んで、この身を隈無く支
配して欲しい。
 そう思うのと同時に、自分の欲するものに嫌悪を覚える。気が狂いそうだった。
 内心の葛藤を知ってか、わずかに笑ったような気配の後、牙の先が首筋に宛われる。そ
れに穿たれる期待に歓喜する身体と、再び背徳に墜ちることに抗おうとする心とがせめぎ
合う中、一度閉じた肉を引き裂くように押し広げて凶器が埋め込まれた。
 初めに受け入れたときとは比べものにならない快楽がそこから湧き立つ。その行為が何
を意味するのかを知った心理的な要素もあるだろうが、何より身体が昂ったままだったの
が最大の要因だろう。ただ牙を突き立てられた、それだけで、アドリアンは再び達した。
 自慰ではすぐに冷めた感覚が、一向に引かなかった。達したとはいっても、実際のとこ
ろ下肢に濡れた感触もなければ、そもそも勃ってすらいない。物理的に出せば満足する類
のものと違って、その快楽は果てることがなかった。
 荒く息を吐き、懸命に余韻を逃がそうとするのを翻弄するかのように貪られて、また混
乱の内に快楽の波に突き落とされる。
 そんなことを繰り返される内に、いつの間にか意識を手放していた。

29 Rhapsody in Blood 〜朔〜 6/6 :2008/04/05(土) 17:05:31

 目が覚めると、自室の寝台に横たわっていた。
 室内は薄暗い。明るさの残る空の方角からして、夕刻だろう。
 普段、アドリアンは母の生前と同じように朝起きて夜眠りにつく。こんな時間まで寝て
いることはまず無かった。
 起きあがろうとして、あまりのだるさに断念する。
 霞がかったように頭が働かない。
 悪い夢でも見ていたのだろうか。
 夢の内容を思い出そうとして目を閉じると、瞼の裏にまるで悪夢そのもののような、し
かしまごう事なき現実の記憶が映し出された。
 父の紅い瞳、血を啜った紅い唇。
 息をのんで目を開き、震える指で首筋を確かめる。牙の痕は、傷と言えるほどには残ら
ないが、虫に刺されたくらいのわずかな痕跡は残る。指先でその場所を探ると、確かにか
すかな違和感があった。何より、指で触れただけで身の内に燠火が燻るような熱が疼く。
 見開いたままの瞳から、涙が零れた。
 枕に伏せて、涙を隠し嗚咽をかみ殺す。
 アドリアンはその夜、寝台から出ることは出来なかった。

30 名無しさん@うまい肉いっぱい :2008/06/15(日) 19:08:11
発作的に書いた。
反省はしているが、投下して行く。

ラル→転生→リヒ太で、月下後同棲中

从 ゚∀〆从 「おまえはおまえのままでいいんだ、ぐたぐだ言うな」

とか男前に言われて、ソウルスティールな自分も嫌いじゃない天然闇の公子なアノレたんと
普通に男前なリヒ太でお送りします。

十数年ぶりにこんなん書いたので、なんかいろいろとスミマセン

31 標(しるべ) :2008/06/15(日) 19:09:00
 人は、すぐに死ぬ。
 私を置いて逝く。
 私は、闇の生き物だから、人を好きになってしまったら、死んでゆく人を見送って、後は、凍ってしまうしかできない。
 それなのに、彼は、「待っていろ」と言った。
 死んでしまっても、また必ず逢える。
 また人に生まれてきて、また必ず逢いに来ると。
 人が、死んでしまうのは、また生まれてくるためだと、だから待っていろと、そう言った。

「待っていてくれれば、探し出す。必ず見つけて逢いにゆくと誓ってくれたのだ。だから私は、ずっと待っていた」
 逢えてよかったと、情人の腕の中で、アルカードは幸福をかみしめていた。
 何度も夢に見た、抱きしめてくれるたくましく温かい腕。
 やさしく髪をなでてくれる大きな掌の感触や、ためらいがちに重ねられる唇の熱さに、魂まで溶けてしまいそうだった。
「それでも、アルカード。俺は人だから、また死んでしまう。またお前を一人にしてしまう」
 リヒターの青い瞳に懼れが浮かぶ。
「それでもかまわない。また待っているさ」
 見つめかえしてアルカードは静かに微笑んだ。
「ずっと待っているから、また逢いに来てくれ。何度死んでも、何度生まれても、おまえの魂が私を愛しいと思ってくれるならば、私は、ずっとお前を待っている。私の恋人は、お前だけだ。お前が待っていろと言ってくれる限り、どんなに長い時間でも、待っている」
 薄いシャツ越しに伝わる恋人の熱に酔いながら、その首筋に口づける。
 咬みつきたくなる衝動を抑えて、顔を上げ、頬にふれる。
 誘うように目を閉じれば、薄く開いた唇をふさがれる。誘われるままに舌を絡め、貪るような口づけを交わし、加えられる不器用な愛撫に酔った。

 人はすぐ死ぬ。
 私は置いて行かれる。
 ただ愛された熱だけが、この魂に刻みこまれる。
 けっして凍りつくことのないこの熱を道標に、愛する人が還り来るのを、私はただ待つだけしかできない。
 闇に生まれて、光に棲む人を愛してしまったのだから。

32 古歌-イニシエウタ-【一ノ歌】1/7 :2010/06/23(水) 22:59:47

  ──はるか昔の物語である。

【一ノ歌】

 男がいた。神に叛いた男であった。かつては人であったが、いまやその身と心は闇に
浸されていた。〈死〉がその身近くに侍り、彼は闇の王と呼ばれた。
 男には妻がいた。何にもまして愛した女であった。その女は彼が戦に出ているあいだ
に、病にかかって死んだ。その胎内には産まれるはずの子が宿っていた。男の子であった
と聞かされた。戦は神の名のもとに行われ、彼は騎士として、神の名のもとにはたらい
た。しかるに神はその報酬として愛する妻と、息子を奪い去っていったのであった。
 男は激昂した。しかしその怒りは彼の気質として、深く心の中に沈滞し、昏く、陰険な
企みとなって実を結んだ。同胞のうちでも有名な智者であった彼は、夜の森を統べる赤髪
の吸血鬼と、おのが友と、その恋人とを駒にして将棋を演じた。
 駒は盤面を導かれたとおりに動き、吸血鬼の王は斃れ、彼はみごとその生贄のもとに闇
の王たる大いなる魔力と、永遠の生を得た。かつての友は彼を呪い、わが一族はこれより
闇を狩る一族となるであろうとさけんだが、去りゆく彼にその言葉はひびかなかった。も
はや人間の世は彼には遠く、神も、その神の支配する残酷な世に関することも、彼にとっ
ては意識のほかにあったからである。
 かくて、永きにわたる刻が流れた。永生を得た彼は、〈死〉を手中におさめ、永遠に生
き続けることによって、わが手より妻と息子を奪った神に叛乱をたくらんだのであった。
 闇の力の踏み台にした吸血鬼の性を継いで、彼は血を欲した。生きた者の血をすすり、
その恐怖や驚愕、陶酔、欲望、そして死を味わうことが、彼の若さをささえた。
 高位の闇の者がおおかたそうであるように、彼もまた美しかった。人であったときにも
美丈夫と称えられたものであったが、闇に身を浸すことによってその美はいや増した。黒
い髪はいよいよ艶をおび、瞳はときおり血いろの光をためてあやしく燃えた。血の気のな
い肌は透きとおるほど白く、石華石膏の彫像のように、なめらかにすきとおって固かっ
た。夜の底に、深く身を隠した彼のもとに、かつての友の追跡はとどかなかった。彼はす
でに、友であったものの顔や名前さえ忘れかけていた。……

33 古歌-イニシエウタ-【一ノ歌】2/7 :2010/06/23(水) 23:00:32
 しかし、刻は復讐するものであった。いつのまにか彼は、おのれが生に倦みはじめてい
ることに気づいた。明日を知らず、昨日をおぼえない生粋の魔とちがって、いまだに人間
性を残していた彼のこころは、流れる刻の永さと無為に、我が身と心が侵食されつつある
のに気づいたのである。
 あたかも、寄せ波によって固い岩が少しずつ削られていくかのようであった。刻は、永
遠の生に凍りついた彼の肉体にうちよせ、魂に満ちていた力を少しずつ流し去っていっ
た。彼は知らぬ間に、出られぬ檻の中におのれを閉じ込めてしまったのではないかと、う
たがいはじめた。
 無為をうち払うために、彼はあらゆることをした。配下の魔物たちに乱痴気騒ぎをさ
せ、ありとあらゆる魔界の愉しみを目の前に繰りひろげさせた。地の底から大哲学者の幻
を呼び出し、亡霊の語る言葉に聞き入った。太古の英雄とその軍団の骸骨をよみがえら
せ、史書にある勇壮な攻城戦を演じさせてみた。神話に語られる恋人たちを見た。魔物ど
もを遣わして人間をさらい、あるいは誘惑させ、気まぐれに幸運と不運を、富と欠乏をふ
り撒いた。それによって人間たちが堕落していく様子を眺め、愉しもうと努力した。
 たしかにそうした遊びは、いっときは心の憂さを晴らしてくれるものであった。人であ
ったころ、尊崇していた神に仕える者どもが、俗人と同様あっさりと、否、俗人以上にた
やすく魔の者の手のうちに堕ちて、破滅してゆくのは心浮きたつものであった。
 しかし、そうした刺激にもすぐに厭いた。人間の目にあまる卑小さにうんざりし、上品
にとりつくろいつつ、下卑た素顔をさらけだす無様に嘔気をおぼえた。このような賤しい
ものどもをいかに堕落させたところで、神にむかって唾することすらできぬと悟った。
 神はあいかわらず手のとどかぬ高みに在り、彼をあざわらっていた。おのれの無力さ
に、彼は歯がみした。いよいよ無残で悪辣な計画を練り、巧妙な仕掛けをもっていくつも
の村を、街を、国をも破滅させた。だが、彼の感じる無力はかわらなかった。神に彼の爪
はとどかなかった。彼の精神はしだいに沈滞に陥りはじめた。
 母の胎内にあったときから魔であったかつての夜の王は永き無聊を戯れで埋めるすべを
心得ていたが、その精髄を奪った彼は、なかばは人の心を残していた。
 人にとって永遠の無為とは罰にひとしい。彼は陰鬱になり、さらに精神の淀みに沈ん
だ。もはや人の愚行も、魔物どもの血なまぐさい騒動も、彼を愉しませなかった。

34 古歌-イニシエウタ-【一ノ歌】3/7 :2010/06/23(水) 23:01:12
 地上にあるあらゆる智識、いまだ人の手の触れぬ、また触れられてはならぬすべての智
慧という智慧に、彼は通じていた。この世で彼が知るべきことも、なすべきことも、もは
やどこにも無いように思えた。
 暗黒に閉ざされた城の玉座に身を置きながら、彼は、倦怠の重い鎖が身を取り巻いてい
くのを感じた。この鎖は目には見えなかったが、どんなものよりも重く、強く、ふりほど
きがたい鎖だった。美しい額に指を置き、長い髪が流れ落ちるのをうつろに見つめなが
ら、彼はみずから選んだこの鎖が、じわじわと我が身を締めつけるのを感じていた。
 ──主よ。
「呼んだか。〈死〉よ」
 ──城の門前に娘が置かれている。
「そうか」
 彼は目をとじた。おおかた近隣の村人の差しだしたものであろう。彼の配下の魔物の襲
撃を逃れるために、ときおりこうして、自らの仲間のうちから犠牲を差しだすものがいる
のだ。これもまた人間のおろかさと下劣の見本であった。
「要らぬ。帰らせよ。余はいま血を欲しておらぬ」
 ──娘は帰らぬと言っている。
 暫時姿を消したあと、もどってきて〈死〉はそう復命した。
 ──帰ったところで戻る家もなく、受け容れてくれる人もないと言った。
 彼を動かしたものがなんであったのかは判らない。魔窟と怖れられる城の門前に置きは
なされてなお帰らぬと言い放つ娘の無謀さか、それとも愚かさか、絶望か。いずれにせ
よ、娘の言葉は彼の沈滞しきった興味をわずかに惹いた。
「出よう」彼は言った。
「余が顔を見てやる。余を見てなお逃げぬとあれば、少しは気のまぎれる玩具であるかも
しれぬ」
 彼はゆき、〈死〉はあとに従った。
 黒い玄武岩できざまれた魔城の門前に、娘は頭から面紗をかぶり、布を巻いた長い棒状
のものを膝に横たえて座っていた。わずかに見える柄頭から、剣であると知れた。彼は思
わずほほえんだ。人間の娘の力弱い細腕で、人ならぬ闇の主に一太刀なりと浴びせられる
と考えているのだろうか。

35 古歌-イニシエウタ-【一ノ歌】4/7 :2010/06/23(水) 23:01:45
「余がこの城の主である」
 彼は告げた。普通の人間であればそれだけで恐怖に凍りつく声だった。
「汝はいずこより参り、何のためにここにいるか。申せ。返答次第で汝の処遇は変わる」
 娘は身じろぎし、視線をあげた。面紗におおわれた下から細い顎がわずかに見えたと
き、彼は奇妙な胸騒ぎをおぼえた。人であることを捨ててから、絶えて感じたことのない
ものであった。娘は裸足で、粗末な白い服を着せられ、あたかも犠牲の仔羊のように小さ
く、無垢に見えた。
「わたしがいずこから参りましたかはもはや申しあげても意味のないことでございます、
尊いお方」
 細いが、涼やかな声で娘ははっきりと答えた。ふたたび強い胸騒ぎが、魔の血に浸され
て揺り動かされることなどないはずの心臓が、絞り上げられる心地すらした。
「わたしは家をなくし、家族をなくしました。友もおらず、支えてくれる者とて誰ひとり
おりません。金でわたしを買おうという者もおりましたが、そのような身に自分を置くこ
とは父母の教えに反すると感じて、断りました。すると彼らはわたしを捕らえて、こちら
のお城の門前に置き去りにしてゆきました。それがすべてでございます」
「その膝に持っているものは何か。剣ではないか。余をそれで討とうとでもするか」
「いいえ。ただの人間の女にすぎないわたしに、どうしてそのような大それたことができ
ましょう。これはわたしの亡き父母が唯一遺してくれた形見、わたしの家系に伝わる、か
つて名高い騎士であったお方の持ち物であったという剣でございます」
 娘は包みから布をすべり落として、中身を差しだした。男は低くあっと声をもらして、
われにもなく後ろに身をそらした。娘は気づかず続けて、
「そのお方はたいそう知略と知謀にたけたお方と伝えられておりましたが、聖地を奪回す
るための長い戦に出るおりに、奥方様のもとに遺してゆかれた剣がこれだと聞いておりま
す。それ以来、この剣はわたしの家の女の護り刀として、代々受け継がれてまいりまし
た。けれども今では、わたしがただ一人残るばかりです」
「汝──いや、そなた、名は」
 彼の言葉はほとんどあえぐようであった。
「エリザベート・ファーレンハイツと申します、尊いお方」

36 古歌-イニシエウタ-【一ノ歌】5/7 :2010/06/23(水) 23:02:28
 涼やかな声がはっきりと答えた。
「歳は十五になります。──親しい者には、リサと呼ばれておりました」
 男はもはや自分を抑えることができなかった。つかつかと進み出て、娘の前に身をかが
め、垂れた面紗を引き上げた。
 薄闇に、月にもまがう白い顔があった。五月の空を思わせる透明な青色の瞳が、怖れげ
もなく彼を見返した。淡色のゆたかな金髪が細い肩に雲のように垂れかかり、身を飾るも
のひとつない彼女の、唯一の装身具となっていた。
 手を放し、蹌踉と男はあとずさった。ふだん、ほとんど拍動などすることのない胸が苦
しいほど早鐘を拍っていた。耳障りな呼吸音を意識した。どちらも、人でなくなってから
は久しく必要としたことのないものだった。
 耐えきれなくなって男は身をひるがえした。娘は剣を抱いたまま、黄金の髪をいただい
た美貌を無邪気にあげている。態度にも、言葉にも、恐れは微塵もなかった。見捨てら
れ、吸血鬼の餌食となるようにここに置かれたというのに、宮廷の椅子に腰かけるのと同
じように落ちつきはらい、堂々とした貴婦人のふるまいを崩さなかった。
「その娘を城内に入れてやれ」
 立ち去りながら男は命じた。
「瘴気のうすい場所──できるならば、影響のない場所を居室に選んでやれ。望むものが
あれば言うがよいと伝えよ。なんなりと与えようと」
 玉座の間にもどるまで男は足を止めなかった。何かに追われてでもいるかのように男は
玉座に身を投げ出し、両手に顔を埋めた。従者である〈死〉が、そばへ漂ってきた。
 ──主よ。あの娘がどうかしたか。
「あれはわが妻だ。エリザベータ」
 呻くように男は呟いた。
「あの剣はかつて余のものであった……十字軍のために東征する際、彼女の守り刀として
託していったものだ。忘れたことなどなかった……一度として、忘れたことなどなかっ
た。あれはエリザベータ、わが妻の血を引き、わが妻の魂を受けついだ娘だ」
 すでに遠い昔となった日々のことがあざやかに甦ってきた。まだ若い騎士であった彼
に、妻が嫁いできたのも娘と同じ十五のときであった。花嫁の面紗を持ちあげて口づけた
ときの、彼女の薔薇色に上気した頬と幸福にみちた微笑が浮かび、たったいま目にしたば
かりの娘の、なめらかな頬と重なった。

37 古歌-イニシエウタ-【一ノ歌】6/7 :2010/06/23(水) 23:03:05
 エリザベータとエリザベート。おお、そうとも、自分もまた妻をしばしばリサと呼んで
いた。幼いときから婚約の絆で結ばれていた二人は、たがいを子供のように愛称で呼びあ
うのを好んだ。それもまた愛のあかしの一つであった。聖地へむかって出立する朝も、彼
女は、おそらく感じていたであろう不安と寂しさを押しかくし、護り刀を抱いて、明るく
笑って接吻したのであった。二度と夫の手を取ることもなく、夫の接吻を受けることもな
いのだと知るよしもなく。
 ──たとえ魂が同じものであろうと、人は人。
〈死〉は骨ばかりの顎を鳴らして言った。
 ──かの娘がかつて主の妻であったとしても、その記憶を娘はもたぬ。人の記憶はもろ
い、わが鎌に一度かかったならば、前世のことなどまず憶えてはおらぬ。
「知っていたのか。あの娘がわが妻の魂を持つと」
 ──われは〈死〉。人の魂を刈り取るもの。魂の色を見分けるはわが力の内にて。
「たわけ」
 叫んで、彼は片手をうち振った。〈死〉は霧のように手応えなくあとずさった。
「余が何ゆえ汝と契約したか、判るか、〈死〉」
 ──われ、〈死〉を生み、地上に下した神に叛逆せんがために。
 いんいんとこだまする声で〈死〉は答えた。
 ──われを手の内に置きて〈死〉を否定し、わが身を神の意図に逆らう記念碑として、
黒い炎のごとく、地上にあって永遠に燃え続けるために。
「そうだ、それゆえに、余は汝を捉え、抑えつけ、抵抗できぬ術と交換条件で、わが足下
に跪かせた……契約により、汝はいかなることがあろうと、余に手出しはできぬ。余が命
令すれば従わずにはいられぬ。余は〈死〉を支配するものであり、汝の主だ。そのために
余は、わが妻といまだ生まれぬ子をその鎌にかけた汝をわがしもべとした、しかし」
 拳を固めて、玉座のひじ掛けをつよく打った。

38 古歌-イニシエウタ-【一ノ歌】6/7 :2010/06/23(水) 23:03:54
「この度は許さぬぞ、〈死〉よ。あの娘に手出しはさせぬ。わが配下の魔ども、闇に棲む
すべてのものにも伝えよ。あの娘の身に毛ほどの傷を与えること、髪の毛一本なりとも損
なうことがあろうものなら、余がじきじきに、永劫続く苦痛をその者に与える。娘は安全
に護られねばならぬ。完全に。完璧に。聞こえたか、〈死〉」
 ──主の言葉である。われは従う。
「ならばゆけ。よいか、娘を傷つけてはならぬ、一指すら触れてはならぬ、ことに汝は
だ、〈死〉よ。汝は一度わが妻を奪った。同じ魂を持つものを、二度までその貪婪な鎌の
もとにさらす気はない。娘の世話は選べるかぎり快い姿を持つものに命じよ、娘が怯える
ことのなきよう。精霊界への扉を開けよ。城の瘴気も、あの地までは及ぶまい」
 ──人には寿命のあることを忘れてはならぬ、主よ。
 影のごとく漂いながら、呟くように〈死〉は告げた。
 ──娘はなるほど美しい。確かにかつてエリザベータと呼ばれたものの魂の姿を受けつ
いでいる。しかしまったく同じではない。時が経てばいずれ老いて醜い老婆となり、死
ぬ。それは主であろうと止められぬ。娘が人である以上は。われは主との契約に従うが、
自然の法則においての死は、枉げることができぬ。
「そのようなことは判っている。行け、今は汝の骸骨の顔など見たくはない。欲深な、く
だらぬ奴隷め、行け。行かぬか」
〈死〉は姿を消した。玉座にもたれかかり、男はいまだ受けとめかねる衝撃と立ち返って
きた記憶の渦に、身じろぎもできぬまま翻弄された。
 泣けるものならば泣いていた。だが人でないものに泣くことはできぬ。身も心も凍りつ
かせたまま、男は、暗黒の城の玉座で、とつぜん舞い込んできた輝く髪の娘を想い、ひと
り胸をとどろかせていた。

39 古歌-イニシエウタ-【二ノ歌】1/17 :2010/07/12(月) 22:21:54
【二ノ歌】

 娘がやってきてからどれとほどの時間が経つのか、男は意識しなかった。そもそも時間
というものすら、男にとって意味を持たなくなってひさしい。しかし今は違った。時間は
生きているものの所有物であり、その生きているものがここにいた。
 夕暮れ、男は目覚めるたびにそわそわと歩き回り、すでに流れ過ぎた年月を数えようと
した。刻の砂は掴もうとする指から、あざけるようにさらさらとこぼれ落ちた。生きなが
ら不死となったものは、死んでいるも同然、とそれはささやいた。苛立ち、男は、歯を噛
み鳴らして誰にともなく咆哮した。主の怒りによって城は身震いし、中に住まう小妖ども
はいっせいに身をちぢめた。今にも主の気まぐれな怒りによって五体を引き裂かれるのだ
と信じて。しかし、そんなことはなかった。主は怒り、とまどい、どのようにすればよい
かもわからぬまま、ひとりの娘のことを思っていた。長い金髪を肩に垂らし、静かな青い
瞳で、怖れげもなく吸血鬼の王を見あげた娘。ひとふりの剣を、唯一家系に伝わる品だと
差しあげてみせた娘。なき妻と同じ姿をした娘。
 愛しいエリザベータその人の魂を宿した、娘。
 娘は城外と城内の境界線上に位置する、精霊界に属する土地に住まいを与えられてい
た。万が一にも血に飢えた配下が妙な気を起こさぬように、周囲には魔王の名において、
厳重な封印をほどこしてあった。
 姿も美々しく、気性の穏やかな侍女を数名選んで傅かせた。いかつい土霊に命じて、女
の住処にふさわしく飾った、瀟洒な離宮を建てさせた。内部は黒小人の手になる豪奢この
上ない調度で飾られ、空気の精たちの透明な指でぬいとったあでやかな衣装の靴の数々
が、彼女には与えられているはずだった。魔界の食物が人に与える影響を案じて、娘に
は、人間の世界から取りよせられるだけの贅沢な食物が、日に三度届けられた。
 それだけのことをしておいて、彼はまだ娘に会うだけの勇気をふるい起こせないでいる
のだった。彼、闇を統べる王、魔王と人にも呼ばれ自らも認めた強大な力の持ち主が、無
力な人間の娘に怯えているのだった。
 いくとも彼はみずからの怯懦を嗤った。従者たる〈死〉のいうとおり、娘はエリザベー
タの魂を持っているが、エリザベータその人ではない。たとえよく似た顔と姿をしていよ
うと、とどのつまりはただの人間の小娘にすぎぬ。何を怖れる必要があるのか。いくど自
問しても答えは出ず、娘のいるはずの離宮に足を向けようとしても、そのたびに、何かに
まつわりつかれるように、その歩みはとまってしまうのだった。

40 古歌-イニシエウタ-【二ノ歌】2/17 :2010/07/12(月) 22:22:29
 以前よりも鬱々とした日々を、男は過ごすようになった。無為に玉座にあって石のよう
に無感覚でいるよりも、はるかにつらい時間であった。目を閉じれば娘の澄んだ瞳と、輝
かしい金髪が細い肩をすべり落ちるようすが浮かんだ。それはまた、遠い昔、若い妻との
婚礼のおりに、彼が見ていとおしく思ったすべてと重なった。
 しかし、ああ、彼女は死んだのだ。自分が神の名のもとに異教徒を殺している最中に、
神と、その走狗である運命の手で、〈死〉の骨の手に渡されてしまった。
 であるのに、彼女はふたたびここにいる。温かい生きた血肉をまとい、あの日と同じ
若々しくなめらかな頬と、やわらかな唇を彩るほほえみを浮かべて。
 そして剣。かつて騎士マティアスと呼ばれた男のものであった。
 最後に妻を見たとき、彼女は目に涙をためながらも、あの剣を抱いて気丈に微笑んでい
た。そしていま現れた彼女も、同じ剣を抱いて、まっすぐにこちらを見つめていた。
 もう一度、あのまなざしにさらされるのが恐ろしかった。太陽の光に耐えられぬ身にな
ったと同様、あの瞳に見られれば、この身は存在することもできず蒸発してしまうのでは
ないか。そんならちもない妄想が、脳裏を離れないのだった。
 娘は彼の心臓に刺さった棘であった。動きもせず、傷つくことも永久にないはずの心臓
が、そのために痛み、びくつき、血を流して悲鳴をあげていた。彼女を監禁したのは彼で
あったが、いまでは、監禁されているのは彼であった。
 娘がいる精霊界の近くに、足を向けることさえ最近の彼は避けていた。にもかかわら
ず、毎日、娘はどうしているか、身体に障りはないか、傷ついたり怯えたりしている様子
はないかと、尋ねずにはいられなかった。
「娘は元気にしております」と判で押したような答えが返ってくるばかりだった。
「精霊界に住むのも慣れたようで、妖精どもとたわむれては、森を散策して草を摘んだ
り、踊ったり、歌を聴かせているようでございます。人間界の歌を」
「妖精どもは娘をきらってはおらぬのか」
「いえ、むしろ、たいそう好いておりますようでございます。世話につけました樹精や水
精の娘どもも、できるかぎりよくしてやろうと心を砕いております。どのような貴婦人で
さえ、あのように侍女をとりこにはしますまい。羽根ある小妖精どもなどは、娘が戸外に
いようがいまいが、蝶のようにあたりを舞って、いっときも離れようとせぬとか」
「何か欲しがることはないのか。欲しいものがあれば何であろうと言うがよいと申し伝え
てあるはずだが」

41 古歌-イニシエウタ-【二ノ歌】3/17 :2010/07/12(月) 22:26:12
「それが、何もほしがりませぬ。陛下のお与えになった衣装も装身具もほとんど手も触れ
ず、ここに来たときにまとっていた白い衣と裸足のまま、青草を踏んで歩くのが好きなよ
うに見えまする。端女どもが宝石や黄金を並べ、鮮やかな衣装に袖を通すように勧めて
も、それでは歩いたり走ったりするのに不便だから、自分はこれがよい、と。衣装の織り
手の空気の精たちは嘆いておるようでございますが」
 男は黙りこくった。報告者の小妖は、主の機嫌をそこねたのではないかと、はや戦々
恐々として身をちぢめていた。
 かなりの時間が経ったあと、はじめて男は、小妖がまだそこに縮こまっていることに気
がついて、そっけなく、去れ、と命じた。心底ほっとした様子で報告者は消え失せた。
 ──主よ。
「呼んではおらぬぞ、〈死〉よ。何用か」
 ──あの娘に、何ゆえ口づけを与えられませぬ。
 男は無言であった。広間の暗黒からにじむようにわいて出た黒衣の骸骨は、巨大な鎌を
肩にしながら漂うように玉座のかたわらに依った。
 ──あの娘がお気に召したか。ならば口づけを授け、側女となさるがよい。ほかの女に
したのと同じく。あの娘がかつて主の妻であった魂を持つならば、まして、そうなさるべ
きであろう。主はわれ、〈死〉の手に愛するものを渡さぬとお誓いなされた。主が口づけ
なさらば、あの娘は主と同じく、永遠の生を得よう。
「死者の生をか? 血に飢えた怪物の生をか?」
 苦々しく男はののしった。
「〈死〉よ、余は確かに汝の手から生命の与奪を奪うためにいまのこの身となった。だ
が、わが身に使用した法はただ一度のみ、ほかの者には使えぬ。汝の進言のとおり、娘に
わが口づけを与えたならば、なるほど、娘は永生を得よう。しかしそれは歩く死者の負の
生命だ、血を求めて飢えかわく悪鬼の生命だ。そこに人としての魂は一片として残らぬ。
そのことを知らぬ汝ではあるまい」

42 古歌-イニシエウタ-【二ノ歌】4/17 :2010/07/12(月) 22:26:43
 ──しかし娘は生きるであろう。いまの姿そのままに、従順なしもべとして。
「余はあの娘にしもべたることなど求めておらぬ!」
 叫んで、彼はそれがまさに自分の本心であることを知った。この長く沈滞した時間の中
で、突きささっていた棘のひとつはそれであった。自分はなぜあの娘の血を啜って従属者
のひとりに加えないのか。
 これまで、同じように近隣の村から捧げられてきた娘や子供はおおぜいいた。その時の
気分にしたがって、男はその者の血を吸っては愚鈍な吸血鬼としてもとの村に放ち、村が
壊滅するのを楽しんだ。また、特に気に入ったものであれば吸血のあと城におき、みずか
らの血のしもべとして、玩具のごとく扱った。
 しかしそのどちらも、あの娘に対してしたくはないのだった。いったん彼の口づけを受
ければ、人間の魂は蝋燭の炎のように吹き消され、かわって、吸血鬼の本能と残忍な血へ
の衝動が魂のあった空洞を埋める。あの夏空の色をした瞳が、地獄の炎の紅に染まるとこ
ろなど見たくはなかった。城の後宮には彼に血を吸われた美女たちが数十人、主人の血の
口づけを待ちながら、投げ与えられる人間の男をからからに吸いつくしてもてあそんでい
る。あの中に、あの清楚な娘が加わることを考えるだけで嘔気がした。娘はあのままでお
かねばならぬ、否、あのままで、ただ、あのままでいてほしいのだ……
「去れ、〈死〉。あの娘の処遇は余が決める。汝の口出すことではない。失せよ」
〈死〉は一瞬なにか言いたげにその場に留まっていたが、やがて一礼すると、かき消え
た。男はなおもしばらく、玉座のひじ掛けに手を乗せてあごを支えていたが、やがて、思
いきったように裾を払い、大股に玉座を降りて広間をでた。


 娘の居所へ向かう足取りは奇妙にも重かった。心は一刻も早く前へとはやると同時に、
娘が先ほど聴いたとおり穏やかにいるならば、姿を見せて怖がらせてはならぬという思い
が枷のようにまつわりついた。はじめに顔を合わせたときはまだ気を張っていても、日が
たてば、自分が人外の城にいるのだと思い出す瞬間もあろう。どれほど大事に扱われてい
ても、これは玩具を飾りたててもてあそぶも同じ、あるいは、家畜を肥えさせてよろこぶ
も同じという考えが、しだいに娘のなかに起こっていはしまいか。そう考えると、いても
たってもおられぬ気持ちが彼の中に起こり、ふたたび、先へ進むのと後へ下がるのと、相
反する衝動で苦しめるのであった。

43 古歌-イニシエウタ-【二ノ歌】5/17 :2010/07/12(月) 22:27:17
 また奢侈に慣れ、媚をうるような娘も見たくはなかった。そうなれば自分は娘を殺すだ
ろうという予感もあった。しもべにするのですらない、ただ、もっとも醜く下賤な虫けら
を踏みつぶすがごとく殺すのだ。自分の前から消してしまうのだ。この夜の王の心を惑わ
せた罪、かつての幸福のまぼろしとなって現れた罪、愛するエリザベータの思い出を汚し
た罪、さまざまの罪をもって、娘は消し去られねばならぬのだ。
 王の通過は城のあちこちに台風のような効果をもたらした。彼の通りすぎたあとには震
えあがった妖物や、あまりの恐怖の圧迫に自ら潰れた小妖の死体が散らばった。多少なり
とも知恵のある魔物は息をひそめて主の精神の嵐が過ぎるのを待ち、さして賢くない妖獣
は、蛇の尾を股のあいだにはさんでこそこそと汚泥の中にもぐりこんだ。
 そうした嵐をあとにひいて、彼は娘の居所と魔城とをへだてる扉に近づいた。彼自身が
ほどこした封印がちりばめられた、重い扉であった。手をかけて、押すのにはいつもより
力がいるように感じた。細くあいた扉の隙間から、精霊界の微光と、楽しげに笑いあう振
鈴のような声が流れこんできた。


「ああ、尊いお方」
 娘は聴かされた通り、白い衣に裸足のままで、青草の上に座りこんでいた。跳ねるよう
に立つと、やわらかな金髪が翼のように宙を舞った。
 周囲で同年代の娘のように笑って花飾りを編んでいた樹精や水精の侍女たちが、あわて
て立ちあがって礼をとる。珍しげにそばにとまったり、あたりを飛びかっていた羽根ある
小妖精が蜘蛛の子を散らすように逃げ散る。輝く鱗粉がこぼれて木々や下草に飛んでい
き、いくつもの小さな頭がおそるおそる様子をのぞいた。
「ようやくいらしてくださいましたのね。お待ちしておりました。もしかして、お怒りに
なっておられるのではないかと、そればかり心配しておりました」
「余が?」
 ようやく、彼はそう言った。スカートを払った彼女ははじめてやってきた日と変わら
ず、明るくまっすぐな瞳をしていた。
 夏空の瞳。自分が二度と見ることのかなわぬ色。彼はまるで人間のように目まいをおぼ
えた。その瞳が、彼にむかってほほえんでいた。

44 古歌-イニシエウタ-【二ノ歌】6/17 :2010/07/12(月) 22:27:51
「はい。命をお助けくださった上、これほどまでにいろいろとしていただいたのに、わた
しがわがままを言うせいで、感謝を知らぬ不届き者だと思っていらっしゃるのではないか
と思っていました。そうではないのですか?」
「余が?」
 痴呆のように彼はくり返した。よく見れば、以前に見たときより娘は血色がよくなり、
痩せた身体に女らしい曲線があらわれているようであった。人間の世界にいるときには、
ろくに食物すら与えられなかったのであろう。ふっくらとした頬にほんのりと赤みがさし
て、咲きそめた薔薇のつぼみのようであった。
「そなたが何もほしがらぬと聞いてきた」
 何をいってよいかもわからぬまま、彼はつづけた。
「与えた着物に袖を通さぬとも、宝石にも黄金にも興味を示さぬとも。余には、ほかにど
うしてよいかわからぬ。そなたは、いったい余に何を望むのだ」
「望むなどと」
 言われた娘のほうが驚いているようだった。
「もはや亡いものと思っていた命をお救いいただいた上に、この上何を望むことがござい
ましょう。このように立派な住まいに、楽しいお友だちやかわいい妖精たちと毎日暮らさ
せていただいて。人里にいたころには、このような暮らしなど想像したこともございませ
んでした。他に何を望むものがありましょう」
「衣装は気に入らぬか。宝石は。女というのはああいうものが好きではないのか」
「美しいものだとは存じます。人間の世界ではきっと、とても珍重されるものなのでござ
いましょうね。けれども、わたしはそのような着物に慣れておりませんし、着てもきっ
と、無様なところをお見せするだけです。宝石も、黄金も、同じこと。わたしはこの身を
覆うこの衣一枚でよいのです。これは軽くて動きやすくて、手入れもかんたんです。あの
すばらしい衣装の数々は、一人では着ることも脱ぐこともできません」
「そのために侍女がいるのだ。この者たちに申しつければよい」
「あら、わたしは子供ではありません! 他人の手で着物を着せてもらうには、もう大き
くなりすぎました」

45 古歌-イニシエウタ-【二ノ歌】7/17 :2010/07/12(月) 22:28:29
 そう言って、また娘は鈴のような笑いを響かせた。
「起きてすぐに動きまわりたいわたしのような落ちつきのない娘は、このような簡単な衣
がいちばんよいのです。さいわい、こちらの大地に生える草は、これまで踏んだどんな布
より絨毯よりもやわらかくて、靴をはくなど勿体なくてとてもできません。そんなことを
すれば、このひんやりして心地よい露に濡れた草の感触をなくすばかりか、葉陰に隠れた
小さな花や虫を、うっかり踏んでしまうことにもなりかねません」
 そう言いながら娘はかがんで、下草の裏にかくれた小さな虫を見せた。金属質の輝きを
持つ緑色の甲虫は、一瞬透明な下翅を硝子のようにきらめかせて飛び去った。
「それで、そなたは何もいらぬというのか」
「生命をいただきました。それ以上、何を望めとおっしゃるのでしょう」
「それでも、何かあるだろう。言うがいい。なんでも叶えてくれよう。城から出すことだ
けはならぬが」
 彼は言いつのった。妻と暮らした日々ははるかに遠く、また、目の前にいる娘は確かに
亡き妻ではなかった。淑女としてきびしく育てられた彼女は、裸足で草の上に坐り、妖精
に囲まれて花を編むことなどけっしてなかったろう。彼は心底とほうにくれた。
「それでは、地面を少しくださいまし」
 しばらく考えたあと、思いきったように娘は言った。
「地面?」
「はい。それと、種と、苗、小さな鋤と、こてと、水やりのための桶と柄杓を」
 なんのために娘がそんなことを言い出したのか見当もつかなかった。娘はつま先だって
身を翻すと、踊るように周囲の草地を指さした。
「まだ両親が健在でしたころ、わたしの母は花や香草、薬草を育てて売っては、世過ぎの
助けにしておりました。わたしもそれを手伝って、植物の世話をするのが大好きになりま
した。こちらの世界では、草や花は人間の世界よりもずっと大きく、美しく育つとか。も
し少しの地面を掘りおこすご許可をいただければ、母のものと同じような、小さな花園を
作ってみたいのです」

46 古歌-イニシエウタ-【二ノ歌】8/17 :2010/07/12(月) 22:29:06
 あまりにも想像とかけ離れた要求に、彼はしばらく答えることができなかった。娘が少
しも彼を怖れるようすを見せず、ただ、救ってもらったという感謝の念をのみ向けてくる
のも信じがたかった。
 手を泥に汚して土仕事をしたいという娘はエリザベータではない。しかし、何にも怖じ
ないまっすぐな視線、淡くゆるやかに流れる金髪、堂々とそらした胸は、確かにかつての
貴婦人エリザベータのものだった。耐えられずに彼は目をそらした。
「叶えよう」
 ようやくそれだけ言うと、彼は長衣をひるがえして向きを変えた。
「どこでも好きなところを好きなだけ掘るがよい。種苗と道具はすぐに届けさせる。本当
に望みがそれだけだというのならばな」
「よろしいのですか? ああ、感謝いたします、尊いお方!」
 娘の声が喜びに弾んだ。怯えて縮こまっていた侍女たちも徐々に頭をあげ、不思議そう
にひそひそとささやきあっていた。逃げ出した小妖精たちも少しずつ近づいてきて、きら
きらと鱗粉をこぼしながら目をまるくしている。
 逃げるように扉を抜けて、彼はひどい疲労を覚えた。閉じた扉に背をもたせて、暗黒に
閉ざされた魔城の穹窿を見あげる。恐ろしげな偶像や黒い石組みに閉ざされた城が、ふい
にたまらなくおぞましいものに思えた。青草の上で踊っていた娘の、白い細いつま先が瞼
の裏でひるがえった。彼は額に手をあて、眼を覆った。自分がどうしたいのか、あの娘を
どう扱うべきなのか、まったく考えられなかった。


 その後もいくどか男は娘のもとを訪れた。扉を押し開ける寸前まで行こうか行くまいか
逡巡しつづけ、それでも、行かずにいられずに精霊界の微光のなかに足を踏みいれるのだ
った。娘はいつも彼を見てよろこんだ。その表情には一片のくもりもなかった。夏空の色
の瞳はいよいよ澄み、胸苦しいほどにあざやかにきらめいていた。
 訪れるたびに娘が女らしくなっていくことにも気がついていた。時間の流れは彼を置き
去っていったが、人間である娘の上には確実に成長をもたらしていた。まだ子供のあどけ
なさを残していた頬はほっそりとし、胸のふくらみは優雅な曲線を描いて簡素な衣装の下
に息づいていた。白い素足は軽い靴に覆われるようになり、奔放に草原を駆けまわるしぐ
さは、しとやかに侍女たちをつれて散策する貴婦人らしい歩みに変わっていった。

47 古歌-イニシエウタ-【二ノ歌】8/17 :2010/07/12(月) 22:29:37
 それでも、娘のもっとも根底たる部分は少しも変わらなかった。よく笑い、微笑み、嬉
しいことがあれば、素直な態度で率直に感謝した。彼が魔性の者であり、闇を統べる王で
あることも、ほとんど忘れられているようであった。丁寧な態度はつねに崩さなかった
が、そこには、多少のいたずらっぽさと、彼には理解できない何か、思いやりとも、同情
とも、つかない何かがあるように思えた。
 愛情、という言葉が脳裏をかすめたが、自らを嗤って彼は否定した。何の、人間の娘
が、魔物とわかっている暗黒の王に愛情など抱くものか。もし好意に近い何物かがあった
としても、それは気まぐれに生命を救い、人形のように自分を飼っている闇の王への感謝
と、おそらく畏怖、つきつめれば、恐怖にすぎない。
 いっそ、あからさまにおもねられたほうが楽だったかもしれない。そうすれば彼は躊躇
なく娘を捨てたろう。しかし娘はそんな態度を一度も見せなかった。彼が来ればよろこん
で出迎え、彼が与えた道具と種から育てあげた花園を、先導して案内するときの誇らしげ
な顔は、無邪気な喜びと誇りに満ちていた。
 幾度となく彼は尋ねた。もっと何か欲しいものはないのか。魔界の竜の額にしか生まれ
ない炎の宝石はどうか。いまだ人間の知らない技術で取り出された秘密の金属は。それは
どんな上質の糸より細くやわらかく、それで布さえ織ることが可能なのだ。地底の溶岩の
奥で生まれる炎の鳥の雛は。氷河の奥に眠る古代の幽霊船から持ち帰られた、ひと抱えも
ある珊瑚と金剛石の椅子は。
 いいえ、欲しくはありません、といつも娘はかぶりを振るのだった。それでも彼が言い
つのると、それでは、と代わりに持ちだされるのは、いつも拍子抜けするようなものばか
りだった。花園の手入れをするための剪定鋏。採れた香草や乾燥した花びらをしまってお
くための素焼きの壷。糸を紡ぐための紡錘と羊毛。紡いだ糸を布に織るための織機。織り
がった布を裁って仕立てるための裁縫道具と色糸。薬草や香草を煮つめたり、パンや菓子
を焼いたり、果物を砂糖煮にするための、小さな厨房と竈……

48 古歌-イニシエウタ-【二ノ歌】10/17 :2010/07/12(月) 22:30:15
 はじめ、女王のための小離宮のようだった建物は、いまでは居心地のいい、働き者の郷
士の女主人の家のようになっていた。華美な家具や場所を取るばかりの飾りものは片づけ
られ、実用的ですっきりとしたしつらえの品物ばかりが並んでいた。壁の上には金糸銀糸
の綴織のかわりに女主人自らが刺繍した美しい壁掛けがかけられ、長椅子には思わずその
上に横たわりたくなるような、優しげな色合いのクッションが置かれていた。
 飾り気のない食卓の上には焼きたての温かいパンや菓子が並べられ、いつでも誰でも食
べてよいことになっていた。その周りを妖精たちが花にとまる蝶のようにひらひらと飛び
まわり、香草の芳しい香りがいつもあたりにただよっていた。そして女主人その人は、花
園の世話をしているときは咲きほこる薔薇のあいだから、内にいるときは指から糸くずや
紡錘の棒をすべり落として、喜びの声とともに彼を迎えるのだった。
 召し上がってみてくださいな、と差しだされる食物はすべて彼にとっては意味のないも
のだった。彼の食物は血であり、血の中に脈打つ生命力と恐怖とその他あらゆる昏い感情
が彼の身を支えていたのである。それでも彼は食べた。舌は味を感じず、灰のかたまりを
食するも同然だったが、それでも彼はいくつもそれを口に運んだ。娘が目をかがやかして
手ずから差しだす心づくしを、断ることがどうしてもできなかった。
 自分は血をすする魔物だ、闇の王なのだと、娘にわからせてやることは簡単だった。し
かし、こうして花の咲く庭に座り、味のしない菓子と茶を前にして腰かけていることは、
はるか昔に人間であったころの甘い思い出を喚び起こした。それは舌に感じる味よりもは
るかに甘く、芳しかった。妻と向かいあって座り、とりとめもない会話をかわしながら軽
い食事をとるのは、彼が何より愛した習慣の一つだった。
 まるで自分自身に鞭打つように、その当時の幸せをまねたままごとを、ままごとである
と知りつつやめなかった。娘の小鳥めいた話し声に短くあいづちを打ちながら、その場を
離れなかった。あまりにここで長く刻を過ごしてはならぬと、理性が残酷な警告を発する
まで、座りつづけた。


 ある日、娘はいつになく青ざめた顔で彼を出迎えた。
「どうしたのだ。気分でも悪いか。何か無礼を働くものにでもあったか」
「いえ、そうではありません。……この子たちから聞きました。尊いお方、わたしが以前
住んでいた村のあたりで、疫病が流行しているというお話は、本当でございますか」
「そのことか」

49 古歌-イニシエウタ-【二ノ歌】11/17 :2010/07/12(月) 22:30:48
 人間の上に病や災害の種をまき散らして悦に入ったことも何度かある彼だったが、この
数年、そういった興味はまったく失せていた。彼の興味、彼の想念を占めていたのはほと
んどこの娘ひとりだけであり、他のことなどほとんど忘れ去っていたのである。娘をさし
だしてきた村のことさえ、気にしたこともなかった。
「配下のものがそのようなことを言っていたらしいな。余には関係のないことだ」
「お願いがございます、尊いお方」
 いつになく性急なようすで、娘はその場に膝をついた。
「わたしをほんのしばらくの間だけ、お城から出してくださいまし。村の人々に、病気に
効く薬を届けたいのです。この地で育てた薬草は、人間の世界で育てたよりもずっと効き
目があります。この薬を呑ませてあげれば、死んでいく子供たちや老人が、どんなに助か
るかしれません。お願いでございます。どうぞ、わたしを村へ行かせてくださいまし」
「ならぬ!」
 彼の咆哮は雷鳴のように周囲をゆるがした。後ろで心配げに控えていた侍女たちはおび
えた声をあげて縮こまり、同じく少し離れていた小妖精たちは、吹き消されるように姿を
消してしまった。
 花々は怯えて丸まり、草木も身をかがめてちぢこまった。微光に充たされた精霊界は、
闇の王の怒りによって世界そのものが針で充たされたように肌を突き刺す空気に変わって
いた。彼の目は久しく忘れていた血の色に爛々と燃えていた。娘だけが怖れなかった。
「きっとお怒りになることとは存じておりました。けれども、わたしが行かなければ、た
くさんの弱い人々が死ぬのです。子供や年寄りがまっ先に病に倒れました。そうでなくと
も、世話をする大人が倒れれば、誰も面倒を見てくれない子供も死ぬしかありません。罪
もない人々が苦しんで死んでいくのを、わたしは黙って見てはいられません」
「薬を届けるだけならそこにいる侍女どもに持っていかせるがよかろう。なにもそなた自
身が持っていく必要はない」
「あの村には魔物よけの札と浄めの茨が張りめぐらされています。疫病の侵入を、魔物の
しわざと考えた人々が、教会のお坊様のご指導でしたのです。そのために、彼女たちでは
中に入れないのです、この小さな子たちではなおさらです。人間のわたしでなければ、あ
の中に入って薬を置いてくることはできません」
「ならぬと言ったぞ、娘!」
 ふたたびの怒号が轟いた。びりびりと天地が揺れ、精霊界の緑の茂みは今にも枯れそう
な灰緑色に色をなくした。

50 古歌-イニシエウタ-【二ノ歌】12/17 :2010/07/12(月) 22:31:25
「忘れたか、そなたは、あの村の人間どもから吸血鬼の餌になるがいいと放り出されて、
ここに来たのだ。そなたはあの村の人間に殺されかけたのだ、そんな相手をなぜ気にかけ
る? 放っておくがいい、奴らなど勝手に死ぬに任せよ。人間はどうせいつか死ぬのだ。
早いか遅いか、楽か辛いかなどささいな違いでしかない」
「それでも少しでも長く、健康に、しあわせに生きたいと願うのも人間です」
 闇の王の怒りに燃えあがる目に互して、娘の瞳も一瞬たりともゆるがなかった。
「わたしは確かにあの村の人々に捨てられました。けれどもわたしが生まれ、育ったの
も、あの村なのです。わたしの父の墓も母の墓も、あの村にあります。以前親しくしてい
た隣人たちもたくさん苦しんでいます。わたしは死ぬべき命を、貴方さまのお慈悲に救わ
れて、今このような暮らしを与えていただいております。それはある意味、彼らに捨てら
れたからこそ得られた幸運なのです。わたしは今、とてもしあわせです。ですから、彼ら
に恩返しをしたいのです。たとえ、その意図が間違っていたとしても、彼らがわたしを捨
てたことがわたしのいまに繋がっていることは間違いないのですから」
「心の寛いことだ。自分を放りだした輩に逆に感謝するとは」彼はあざけった。
「余の前で言葉を飾るな、娘。そなたは人間の世に帰りたくなった、そうなのだろう? 
血をすする怪物の人形として扱われ、篭の鳥として暮らすのが嫌になった、ただれそれだ
けのことなのだろう、それならばそうと言うがいい、人間め」
「いいえ、いいえ」
 跪いていた娘は、身を乗り出して彼の長衣の裾にすがった。身をちぢめている侍女たち
の間から恐怖の悲鳴があがったが、娘は怖れるようすもなかった。
「今の暮らしはしあわせだと申しあげました。貴方さまが与えてくださるすべてのもの
に、感謝していないなどとはけっしてお思いにならないでくださいまし。ただ、ほんの少
し、少しだけ、かつての同朋に救いの手を差しのべることを許していただきたいのです。
 用事がすめば、必ず戻るとお約束いたします。わたしは捨てられた身です、そのことは
忘れておりません。わたしを拾って、生かしてくださったのは貴方さまです、尊いお方。
わたしの居場所は、ここにしかありません。あちらでは誰ももう、わたしのことなど必要
としていないのですから」
「必要とされていない場所になぜ構う。ただ逃げたいばかりの口実であろうが」
「逃げなどいたしません。必ず戻ってまいります。貴方さまのもとに」
「余のもとに?」
 闇の王の笑い声をまともに浴びて、花園の花の一輪が耐えきれずに枯れ落ちた。

51 古歌-イニシエウタ-【二ノ歌】13/17 :2010/07/12(月) 22:32:01
「そなたを食う怪物のもとにか、娘。そなたは生贄としてここに差しだされたことを思い
出せ。余はいつでも、この瞬間にでも、そなたの血を最後の一滴までしぼり取って、その
瑞々しい身体を枯れ木に変えることができる。余はたわむれにそなたの命をのばした。た
わむれに取りあげることも、簡単にできるのだぞ」
「承知しております」
 さすがに恐怖の色がさっと額をかすめたが、娘はひるまなかった。
「わたしの命は貴方さまのもの、どうぞ存分になさってくださいませ。けれども今は、今
だけは、ただ一度の願いをお聞き届けください。お約束いたします、必ず戻ると。戻りま
したらどのようなあつかいを受けても構いはいたしません、けれども、どうぞ、ほんの少
しだけ、あの村へ薬を届けるしばらくの間だけ、城を離れることをお許しください」
 彼は口を開いた。許さぬ、と一言吐きつけて、そのまま背を向けるつもりだった。
 しかし、その前に、こちらをひたと見つめる娘の視線に出会って、言葉を失った。言葉
を奪われたのだ、闇を統べる王が、たかが小娘のまなざしひとつに!
 娘は闇の王の黒衣の裾にすがり、必死のおももちでこちらを見あげていた。小さな唇は
見えないほどに噛みしめられ、頬は紙のように血の気をなくしている。しかし目ばかり
は、大きく見開かれたその双つの瞳ばかりは、地獄の火をともす闇の王の目に相対してな
お、まばゆい夏の空と澄みきったその輝きに、同じくまばゆく燃えていた。細い首も肩も
手も、木の葉のように震えていたが、片手で握りつぶせそうなその小さい姿に、彼は、ま
ったく言うべき言葉を見失ったのであった。
「……好きにするがよい」
 ややあって、彼の口から出たのはそんな応えであった。長衣の裾をはらって娘を突きは
なし、背を向けて足早に城へとむかう。
「なんでも好きなものを持っていけ。どこへでも、好きなところへゆけ。余は知らぬ。た
かが人間の娘ひとり、失ったところで余に何ほどの損失でもない。戻る必要もない。勝手
に、どこへでも、好きなところへ行ってしまえ」
「貴方さま!」
 何事かを叫びかける娘の声が聞こえたが、もうそれ以上は聞かなかった。彼は城内へ戻
り、扉を閉ざした。暗黒と、静寂と、地の底から立ちのぼる瘴気が闇の王を包みこんだ。

52 古歌-イニシエウタ-【二ノ歌】14/17 :2010/07/12(月) 22:32:36



「……貴方さま」
 やさしい声がそう呼びかけたとき、彼は我にもなく幻聴を耳にしたのだと思った。
 娘が城を出たという報告を受けて、どれくらい経ったのかは記憶になかった。いずれに
せよ城の混沌のうちでは時間の流れは意味をもたない。彼自身の記憶も、あいまいになっ
ていた。鬱々とした数日を玉座に座り通して過ごした気もする。かと思うと苛々と立ちあ
がり、意味もなく衝動的な怒りの発作をほとばしらせて、城内の魔物どもを震撼させたお
ぼえもある。
 しかしもっとも頻々として頭に浮かぶのは、ただこの主人のいない精霊界の離宮の庭に
来てひとり座り、世話をする者のない花園と、食物の並ぶことのない石の食卓をぼんやり
と眺めているおのが姿だった。
 それは想像だったろうか、それとも事実だったのか? 実際に自分はそこへ行って、帰
らぬとわかっている鳥を待つように、ただ茫然と座りつくしていたのだろうか? いずれ
にせよいま彼はそこにいて、からの食卓の前で、心なしか元気のない花園の薔薇をうつろ
に見つめていたのだった。そしてその声はやわらかな風のようにやってきて、思わぬ愛撫
を彼の聴覚に与えたのだった。
「ただいま戻りました。遅くなりまして申しわけございません。できるだけ、人に見つか
らぬように歩かねばならなかったものですから」
 長い金髪が流れて頬を撫でた。娘は軽い足取りでそばを通りすぎ、彼の前に膝をついて
両手を取った。
 少し疲れているように見えた。指先は荒れ、頬は泥や枝がかすってできたらしい傷に汚
れていたが、仕事を果たした安堵と満足感が、以前よりもまして彼女を輝かせていた。
「薬は村の教会の、聖母御堂の祭壇に置いてまいりました。なくなった場合の処方と、与
え方を記したものもいっしょに。聖母子像の足もとに、白百合といっしょに重ねてまいり
ましたから、きっと村人たちは、天なる母が村の窮状を救うために、奇跡によってもたら
してくださったと考えることでしょう」
「そなたは、それでよいのか」
 口から出た声は驚くほどしわがれていた。これほど長いあいだしゃべらなかった期間は
絶えてないような気がした。
「薬を置いたのは造りもののマリアではない。そなたであろう。かつて吸血鬼に食われる
ようにと、奴らが差しだした娘が救いをもたらしたのだ。そのことを知らしめずによいの
か。奴らに以前の行為を後悔させてやろうとは思わなんだか」

53 古歌-イニシエウタ-【二ノ歌】15/17 :2010/07/12(月) 22:33:16
「そのようなことをしてどうなりましょう。わたしはもう、あの村にとっては死んだも
の。幽鬼が薬を与えたとしても、信じてなどもらえません。聖母の奇跡と思ってもらった
ほうが、村人のためでもあり、わたしのためでもあります」
「薬を与えたとなれば、今いちど村に迎えられるかもしれなかったではないか。なのに、
何故戻った。ここは人食いの魔物の城」
「お約束いたしましたもの」
 握った手を、娘はそっと頬にあてた。吸血鬼の冷たい、血の匂いのする手を頬に当て、
安堵するかのように微笑んだ。
「必ず戻ると、お約束いたしました。それに、あそこではわたしは用のないもの。必要な
のは薬であって、わたし自身ではございません。ここには、わたし自身を必要としてくだ
さる方がおられます」
「余か」
「貴方さまです」
「口幅ったいことを。人間が」
「無礼と思われたならば、お許しくださいませ」
 闇の王の手を両手で包んで、娘は彼を見あげた。ああ、夏空の瞳、あの日の妻と同じ。
彼はふたたび混迷に落ちこんでゆく自分を感じた。
「貴方さまがわたしをなぜ救ってくださったのか、わたしの上にどなたを重ねておられる
のか、それはわかりません。けれども、わたしがここにおりますことで、貴方さまをお慰
めすることができるならば、わたしはそれでよいのです」
「余を慰めると?」
「はじめてお見受けしたとき、なんと悲しいお顔をなさる方だろう、と思いました。村人
が噂していたような、血に飢えた恐ろしい化け物ではなくて」
 冷たい手のひらにむかって、娘はそっと囁きかけた。
「そうして貴方さまはわたしを生きながらえさせてくださいました。さまざまなわがまま
も、聞いていただきました。わたし自身に目をかけていただけたなどとは、うぬぼれてお
りません。けれども、わたしが貴方さまにとって何らかの意味をもつのであれば、それ
が、わたしにとっては嬉しいのです。
 両親が亡くなって以来、よこしまな心でわたしに近づいてきた者はいくたりかおりまし
た。けれども貴方さまのように、まるで壊れ物を扱いかねる少年のように、こわごわとわ
たしに触れてくださる方はおりませんでした。貴方さまはあまりに長く孤独でいらっしゃ
ったので、ご自身のお心すら扱いかねていらっしゃるように感じます。それほど感じやす
く、さびしいお方を、どうしておひとりで置くことなどできましょう」

54 古歌-イニシエウタ-【二ノ歌】16/17 :2010/07/12(月) 22:33:48
 彼は口を開けた。この思い上がった人間の娘に向かって、きわめて辛辣な言葉を吐いて
やるつもりだった。けれどもそんな言葉は何ひとつ出ず、ただ彼は、崩れるように身を折
って娘をかき抱いた。
 娘はしなやかで温かく、やわらかな髪は樹と花の香りがした。闇の王の頭はゆたかな胸
に預けられ、黒髪と金髪がもつれるように混じりあってこぼれた。
「ここに──いてくれ」
 ややあって、ようやく呻くような声がもれた。胸の奥、自分自身でさえ忘れ去ってい
た、はるか遠くの過去からこだましてくるような、かすれがちなそれは囁きだった。
「余から──離れるな。どこにも行くな。ここにいてくれ──ずっと。虜囚ではなく、自
由な意志をもって。ここにいると、どこにも行かぬと、言ってくれ。どうか」
「行きません」
 幼い子供を撫でるように、娘は闇の王の髪をやさしく梳いた。
「どこにも、行きません。けっして、離れはいたしません──貴方さまがそうとお望みに
ならないかぎり、また、どうにもならぬ人の定めが、死が、わたしを連れてゆかぬかぎ
り、おそばにおります。貴方。愛しいお方」
 ああ、と彼は吐息をついた。エリザベータとエリザベート、ふたつの影が、彼の裡でひ
とつに重なった。彼は妻を愛し、この娘を愛していた。二人は魂を同じくする違う人間だ
ったが、魂の根幹において、彼女たちはひとつだった。そしてそのひとつの部分におい
て、彼女は彼を愛し、彼は彼女を愛していた。今にして、それがわかった。
 吸血鬼は涙をもたぬ。泣くときは血の涙を流す。娘の衣を汚すことを怖れて彼は顔をそ
むけようとしたが、娘は自ら手をのばして、油のようににじんできた、古血の色の涙をぬ
ぐった。
「愛しい女よ」彼は呟いた。
「エリザベータ──エリザベート。リサ。わが妻よ」
 彼らは長いあいだ抱き合ったままでいた。枯れて丸まりかけていた花園の植物が、少し
ずつ生気を取りもどしつつあった。長いあいだ庭を離れていた小妖精たちが集まってき
て、木々のあいだからおっかなびっくり、戻ってきた娘と、その腕に抱かれてぴくりとも
せぬ闇の王の姿を、目をまるくしてのぞき込んでいた。娘は十七歳になっていた。

55 古歌-イニシエウタ-【二ノ歌】17/17 :2010/07/12(月) 22:34:23
 婚礼の準備は慌ただしく行われた。女主人が戻ってきたことに有頂天になった侍女たち
は、ここぞとばかりに彼女を飾りたてた。これまで与えられたすべての衣装が引き出さ
れ、点検され、縫い直されて、新しいものが仕立てられた。黒小人たちは花嫁のための華
麗な装身具を作るのに必要な宝石と貴金属を手に入れるために、行ったことのないほどの
地下深くにまで潜らねばならなかった。軽やかな空気の精たちの手で休みなく織機が動
き、またたくまにまばゆいばかりの花嫁衣装が縫い上がっていった。
 列席するのはごく少数のものに限られた。闇を統べる王が人間の妻を娶ることを、快く
思わないものも多かったからである。〈死〉もそのひとりであった。
 ──賢い判断とは思われぬ、我が主。
 準備を指図する主に向かって、陰気な顔を黒い頭巾に隠した〈死〉はうつろな声で進言
した。
 ──あの女は人間、いつか老いて滅びるとはすでに警告した。そばに置くならば、血の
口づけを与えて闇の花嫁となされるべきであろう。よいことではない。
「汝の主は余か、それとも汝か」
 不機嫌に彼は答えた。
「かつて奪われた者を、運命が返してよこしたのだ。なぜそれを闇に引きずりこむことが
ある。余はエリザベータを人として愛し、喪った。リサもそうする。いずれ喪うとして
も、余は彼女を人として愛する。闇に彼女を染めることはせぬ、決して」

56 古歌-イニシエウタ-【二ノ歌】18/17 :2010/07/12(月) 22:34:51
 ──今いちど考え直されよ、主。後悔なさるのは主となろう。
「汝の陰気くさい顔にも言いぐさにも飽き飽きだ、〈死〉よ。あちらへ行け。余は余が決
めたように事を運ぶのだ。汝は従者であり、主が余であることを忘れるな」
〈死〉は消え失せ、その後、しばらくは姿を現さなかった。
 婚礼は暗い城の中ではなく、花嫁の住まう精霊界の庭で行われた。純白に真珠と金剛石
を飾った花嫁は、朝露に揺れる咲きそめたばかりの白百合のようであった。またかたわら
に寄りそう花婿たる王は、黒と金に、血の紅に燃える紅玉を飾っていた。
 これほど対照的でありながら、まるではじめから一対であったかのように似つかわしい
組み合わせであった。介添えを務める精霊の侍女たちは口々にほめそやし、列席を許され
た数少ない闇の貴族たちでさえ、人間の花嫁の汚れない美しさに圧倒された。小妖精たち
は飛びまわって花びらをまき散らし、花嫁と花婿の進む先に薔薇色の道を造った。
 神の前で誓う人間のそれとはちがって、この不可思議な婚姻はただ双方の誓いと口づけ
のみがしるしであった。問いかけがあり、答えがあった。指輪のかわりに、ひとふりの剣
が取り交わされた。それはかつてある騎士のものであり、妻の身の護りとして託されたも
のだった。子孫に伝えられた剣はいまその本来の持ち主のもとに戻り、再び、花嫁の手に
渡された。新たな妻の護りとして、新しく結ばれる絆の証として。夫から渡された剣を両
手に受けて、花嫁は嬉しげに剣を抱いた。
 闇の王は数百年前の人間の青年に戻ったように、ふるえる指先で花嫁の面紗をあげた。
小さな白い顔が微笑みかけた。うすく上気した頬と、夏空の色の瞳が見つめていた。
 王は身をかがめ、ようやく取りもどした愛する花嫁に、想いをこめて口づけた。

57 古歌-イニシエウタ-【三ノ歌】1/10 :2010/11/24(水) 22:47:01
【三ノ歌】

 それは嵐の夜であった。稲妻が木々の梢をかすめ、はげしい雨脚が、幽霊のような白い
影をそろえて湖面をさわがせる一夜だった。陋屋をゆるがす風雨と雷鳴のただ中に、その
女は、割れんばかりに戸を叩く鉄の拳の音をきいたのであった。
 扉のところへ行くまでもなく、戸はあっけなく内側へひらいた。恐怖にとらわれて震え
る女が見たのは、戸がまちを圧するばかりの黒衣に身を包んだ大男と、頭巾の下で昏く燃
えるふたつの眼のみであった。震えおののく女にむかって、男は、雷鳴をも圧する轟々た
る声をとどろかせた。
「この近辺でいちばん腕のよい産婆とはうぬか」
 女は声も出ぬまま何度も頭をうなずかせた。これまでの人生で幾度も赤子を取りあげ、
そのほとんどを生かしてのけてきたのは彼女のひそかな矜持であった。魔女の評判を立て
られることをおそれて、表むきには単なる洗濯女として生計のみちを立てるように見せか
けていたが、その実、彼女は近在の貴族の夫人でさえ、評判を聞きつけて産の手伝いに呼
ばせる腕利きの産婆であった。
「わが主の奥方様にこよい御子がお生まれになる。汝はおれとともに行き、奥方様の御子
のお生まれを手伝うのだ。無事にすむならわが主は汝に大いなる褒美をお与えになるであ
ろう。しかししくじった折りには」
 そこで男は言葉を切った。なんとも不吉な沈黙であった。女は顎をふるわせて何度もう
なずき、言葉にならぬ承諾をつぶやきながら、用意をしようともがくように粗末な寝台か
ら立ちあがりかけた。
「用意などいらぬ。必要なものはすでに用意されている。ただうぬがおれに同道すればよ
いのだ。来い」
 一陣の颱風のように男の黒衣がひるがえった。
 夜着一枚のまま小屋の外へ引き出された女の眼に一瞬映ったのは、全体が鋼鉄でできた
かのように黒光りする、一輛の巨大な馬車であった。はげしい雨の中で、その四方には蒼
白い鬼火がおどり、繋がれた黒い馬の眼は血色に爛々と輝いている、──と見たとたん、
乱暴に馬車の中に放りこまれ、戸が閉まった。恐怖のあまりかぼそい悲鳴をもらして身を
丸めた女の周囲で、熱のない火をやどした水晶の灯火がゆれた。身体をささえる贅沢な座
席は、古血を思わせる黒に近い紅のビロウドであった。

58 古歌-イニシエウタ-【三ノ歌】2/10 :2010/11/24(水) 22:47:34
 外で雷鳴がとどろいた。雷鳴よりなおすさまじい、黒衣の男の叫び声であった。男は御
者席にあがり、外套をひるがえして鞭をふるった。蒼白い鬼火の光に、女はその手に人な
らぬ刃物のようなかぎ爪と、もつれた獣毛を見たと思った。
 しかし血色の眼の馬があがき、駆けだすと、もはや何も見る余裕はなかった。猛烈な速
度で馬車は迅った。雷鳴も嵐も、その速度には追いつけぬようであった。むしろそれ自体
がひとつの嵐であり、竜巻に運ばれる地獄の車であった。女は座席にうずくまり、震えな
がら、口中に必死に祈りの言葉を唱えつづけるしかなかった。
 どれほどの時間がたったのか、女は感覚しなかった。気がつくと、馬車は停まってい
た。扉は開き、黒衣の男が、その横に佇立していた。
「出ろ」唸るように男は言った。
「主は奥方様を案じておいでだ。行け。迎えが来ている。よいか、必ずやりとおせ。しく
じろうものなら──」
 頭巾の下で刺すような瞳が光った。その下で、突き出た口と牙が期待するように鳴るの
を見たような気がして、女は震えあがった。夜着の前を押さえ、神に助けを祈りながら、
今にも怪物の牙にとって喰われるにちがいないと信じて、鉄の馬車からおそるおそる足を
踏み出した。
 しかし、何も起こりはしなかった。そこは豪壮な城の門前で、荒々しい石組と高い尖塔
がいくつも夜の空を貫いているばかりだった。門は開いており、そこから、ひとりひとり
が高位の貴婦人のような装束を身にまとった美貌の女たちが、心配と気づかいを顔にあら
わして、流れ出るように現れるところだった。
「よくぞおいでくださいました」
 女の手をとり、彼女たちは口々に言った。
「さ、お早く。御子様はもうすぐお生まれになります」
 男と馬車はいつのまにか姿を消していた。女は侍女らしき美貌の女たちに、巻きこまれ
るように城内に連れこまれた。汚れた夜着を純白の麻の着物に替えさせられ、裸足の足に
やわらかい羊毛の靴が履かされる。
「お早く、お早く」と女たちはせかした。
「奥方様はお苦しみでございます。主様にはたいそうなご心痛。どうぞお早く、御子様を
無事に取りあげてくださいませ」

59 古歌-イニシエウタ-【三ノ歌】3/10 :2010/11/24(水) 22:48:05
 いくつもの昏く、そして豪奢な部屋を通りぬけ、いつの間にか開けた別の宮居に連れこ
まれていた。それまで通りぬけてきた陰鬱な城とはちがって、そこは居心地よくしつらえ
られた、貴婦人のための住まいであった。
 これほど美しく、心をこめて仕上げられた室内を、女はそれまで見たことがなかった。
侍女たちのそよ風のような手に導かれて奥の間へと入ると、広い寝台の上に、あざやかな
金髪を枕の上に広げた、目もさめるばかりに美しい婦人が、出産の苦痛に汗をうかべて、
侍女たちにとりまかれていた。
 侍女たちひとりひとりも美しかったが、この婦人の美貌に比べては、みな太陽の前の星
にひとしかった。苦痛の中でも貴婦人はやってきた女をみとめ、涙ににじんだ目を微笑ま
せて、手を差しのべた。
「貴女がわたしに力をかしてくださいますのね」
 細い声で彼女は言った。
「どうぞ、お願い。この子に、生命を与える、お手伝いを」
 銀の糸をはじくようなその澄んだ声に、女の恐怖は一瞬にして吹き飛んだ。あまりに異
常な体験も、周囲の異様さもすべて忘れて、目の前の婦人の苦しみを少しでも軽くするこ
とでのみ頭が充ちた。「奥様」と思わず駆け寄って女は貴婦人の手を取った。
「どうぞあたしにお任せを。御子様は必ず、ご無事に生まれておいでなさいます」
 貴婦人は弱々しく微笑んで女の手を握りかえすと、ふたたび襲ってきた陣痛に、白い喉
をのけぞらせて悶えた。
 女は半白のもつれ髪をきりりと布で縛ると、周囲であたふたしている侍女たちに次々と
指示を飛ばした。熱い湯と布、舌を噛まぬように咥える手巾、御子が出てきた時に受けと
められるようやわらかな産着の用意。「ゆっくりと息をなさいませ、奥様、」と女は枕頭
に寄りそって励ましの声をかけた。
「御子様は必ずご無事にお生まれなさいます。元気にお生まれなさいます。もう少しのご
辛抱でございますよ、さ、息を吸って、吐いて、さあ」
 貴婦人は言われるがままに乱れる息をととのえ、しだいに間隔を詰めて襲ってくる痛み
に蒼白になりながらも、女の手に寄りすがって呼吸をした。
「さ、今でございます、奥様、力をお入れになって、そう、下腹にでございますよ、あ
あ、御子様です、御子様の頭が見えました、そう、もう少し、もう少し」

60 古歌-イニシエウタ-【三ノ歌】4/10 :2010/11/24(水) 22:48:38
 噛んだ布の下から漏れる呻き声に、侍女たちはほとんど貴婦人が死ぬのではないかと思
ってでもいるように手を握り合って揺れている。「何をしておいでだい」自分も汗まみれ
になりつつ、女は寝台の足もとにしゃがんで赤子を受けとめる用意をして叫んだ。
「お湯のたらいと、それから布だよ。早くおし。ほら、もう一息でございますよ、奥様、
御子様はもう肩まで出ていらっしゃいます、ああ、もう一息、もう一息」
 ふいに、ざわめきを打ち破るような高い泣き声が響いた。産婆の手の中にすべり落ちた
赤子が、この世の空気をはじめて吸って上げた、勝ちほこるような産声だった。慣れた手
で臍の緒をくくって断ち落とし、侍女たちがあわてて捧げた盥の湯に、小さな足を蹴って
泣く赤子を、そっと浸す。
「男の子でございますよ、奥様、ご立派な若君でございますよ」
 夢中で女は口走った。血と粘液を洗い落とされた赤子は、もう泣いていなかった。湯の
中に、母とよく似たあわい金髪がゆらゆらと広がり、ぱっちりと開いた澄んだ淡青の瞳
が、不思議そうにこちらを見あげている。
 その瞳に思わず吸いこまれる心地がして、なんと美しい御子だろう、と女は心中に独語
した。白い小さな顔はまるで名工の手になる人形のように整い、生後間もない赤ん坊とは
思えないほどの完璧な美に輝いている。瞳は二つの宝石のよう、白い肌は磨いた大理石よ
りなめらかで、わずかに開いた口には真珠のような白い歯がそろい、やわらかい金髪が雲
のように小さな頭を取りまいて、聖堂の天使の後光めいて輝いている──。
 その時とつぜん、冷水を浴びせられたように女の頭上に恐怖がなだれ落ちた。
 ああ違う、これは人間の子ではない。人間の赤子が、生まれ落ちた直後にすでにこのよ
うに美しいはずがない。髪の毛も歯も生えそろい、瞳を大きく開けて、見えるものすべて
にけげんそうにまばたいている完璧な子など、いるはずがない。これは何か魔性のもの、
この世ならぬ生き物の子供、在ってはならぬ異形の存在。
 恐怖にひきつった手から赤子を取り落とさなかったのは、ひとえに、ここで恐怖をあら
わにすれば何をされるかわからぬという本能の警告であった。ここへ連れてこられたとき
のあの鋼鉄の馬車と、黒衣の御者の雷鳴にも似た声がふたたび脳裏にこだました。
 女の恐怖を知ってか知らずか、おそらくはこれも人ではないのであろう侍女たちは、無
事に産を終えた女主人の手当てに大わらわであった。汗にぬれた額を冷水で吹き、風のさ
さやきに似た声で何事か語りかけながら、着物を替え、乱れた髪をくしけずり、血にぬれ
た寝具や布を取りかたづけて、寝心地のよい新しい品になおさせている。

61 古歌-イニシエウタ-【三ノ歌】5/10 :2010/11/24(水) 22:49:10
 貴婦人は出産の疲労にほとんど喪神しているようであったが、それでも侍女たちの心遣
いにうなずき、微笑を返してしているようである。手の震えをなんとか隠そうとしなが
ら、女は盥から魔性の子供を引きあげた。ここで、この悪魔の子の首をひねって息の根を
止めることこそ、神の御心にかなうしわざではないかとの考えがふと頭をよぎった。
 ああ、そのようなことをすれば、どんな災いがわが身に降りかかることか! しかしこ
の魔物の子がこの世に生まれ落ちることを阻止することが、自分がこの場に呼ばれたこと
の神のご意志でないとどうして言える? 悪魔の子! 怪物の子! どれほど美しく、目
に快くとも、それが地獄の生き物の眷属であるのなら、この場で始末することこそが、神
が自分に求めておられる奉仕というものではないのか?
 だが、そのようなことを実行する暇は、女には与えられなかった。婦人の周囲に集まっ
てざわめいていた侍女たちがうたれたように動きを止め、いっせいにその場に膝をついて
頭を垂れた。まるで風になびく花々を見るようであった。
 同時に、すさまじいばかりの威圧と、それまでとは比べものにもならぬ強烈な畏怖が、
女の身体を金縛りにした。赤子の首にのばしかけた手はその場で凍りついた。
 産着にくるまれ、はや眠たげに目を閉じかけている赤子を、わきから伸びた手がさらい
とった。星々のようにまたたく多くの指輪と、蒼白な皮膚の、王侯の手であった。
 衣擦れの音がさらさらと鳴り、衣装の金糸が薄闇にちらついた。豪奢な黒衣と黄金に身
を飾り、ゆたかな黒髪を垂らした美丈夫が、路傍の石を見るように女を見おろしていた。
 またたきひとつしないその双眸に捉えられたとたん、自分が子供を殺さなかったこと
を、女は心底安堵した。もし殺してなどいたならば、この男、おそらく子の父親であろう
この蒼白の帝王は、泣きわめく女の魂を死よりもさらに悪い運命に放りこみ、二度とそこ
から出しはしなかったことだろう。
「汝か。我が子を取りあげたのは」
 魂そのものをうち震わせる声で王は言った。
「では、受けとれ」
 膝の上に重い革袋が投げ出された。金属のぶつかり合う音がした。
 女がそれをふところにかいこんだのは、欲というより、むしろ恐怖からであった。もし
この報酬を断れば、即座に八つ裂きにされるであろうという考えが真紅のまぼろしとなっ
て脳裏を支配した。王はすでに人間の産婆のことなど眼中になく、息子を抱いて、寝台の
上の妻のもとに歩み寄っていた。貴婦人は疲れ果て、血の気を失いながらも、夫と、生ま
れたわが子に手を差しのべ、輝くばかりの笑みを見せた。

62 古歌-イニシエウタ-【三ノ歌】5/10 :2010/11/24(水) 22:49:54
「──余の子か」
「貴方さまの御子です」
「そなたが産んだ」
「貴方さまが産ませてくださいました」
 王はしばし黙した。産まれて間もない息子の顔に目を落とし、やわらかい髪を梳き、完
璧な額と見事にそろった白い歯を、ほとんど怖れているかのようにたどった。子供は小さ
な手をのばし、父の指を珍しげに、ぎゅっと握った。造りもののようなその手の思いがけ
ぬ力強さに、父たる王は、たじろいだように手を引いた。恐れなど知らぬはずの王の瞳
に、ほんの一瞬、戦慄めいたものが駆けぬけた。
 蒼白いまぶたを固く閉じると、父王は産着の中の子供を高くかかげて、「見よ!」と
朗々と轟く声をあげた。
「見よ、そして聞くがよい、わが力に従い、わが王座に臣従するすべてのものどもよ! 
 これはわが血を分けた息子、わが血の血、わが肉の肉なり! この幼き息子をわが血と
権能を継ぐものと認め、今ここに名を与える! 子はアドリアン、アドリアン・ファーレ
ンハイツ・ツェペシュがその名! 勇猛なる古のわが祖の名、またこの子を産みしわが妻
の名において、以後この者に一指すら指すものは、すべて直ちに、わが怒りのもとに打ち
倒されると知るがよい!」
 轟々ととどろく王の叫びが駆けぬけ、こだましながら城館の奥に沈んでいくと、やがて
地の底から、その命令に応じるさまざまな声が、何重もの合唱となって応、応、とささめ
き昇りきて、地を揺るがすばかりの大合唱となった。
『ああ、王よ、われらを統べる偉大なる主よ、われらは王の子の誕生を言祝ぐ。その血と
受けつがれし権能に忠誠を誓う。王の子に闇の祝福を、王よ、われらが王、暗黒の主』
 人間の言葉ではない咆哮も多く入りまじる讃仰の声を、王は黙して受けていた。子はす
でに産着にくるまれて寝息をたてている。もう一度その幼いながらに完璧な顔に目を落と
し、頭を垂れた侍女に子を渡すと、もう一度妻の額にそっと手を置いた。
 青空の色の瞳がやわらかく微笑みかえすのを見て、王はつと踵を返し、敷居をこえて出
ていった。背後で報酬の袋をかかえたまま失神している人間の産婆には目をくれもせず。

63 古歌-イニシエウタ-【三ノ歌】6/10 :2010/11/24(水) 22:50:33



 女は自分の小屋の自分の寝台で目覚めた。朝の陽光が小窓から弱々しく這いずりこんで
いた。はじめ固いわら布団に背をもたせたまま、嵐の音で悪い夢を見たのかといぶかしん
だが、すぐに自分の身につけている真新しい麻の服と靴、そして、枕元に置かれた膨らん
だ重い革袋に気がつき、同時に、昨夜の恐ろしい体験がすべて真実であったと知って、恐
怖のあまり動けなくなった。
 しばしのち、勇気をふりしぼって革袋を開けてみると、名も知らず、読むこともできな
い文字で銘を刻まれた古代の金貨がざらざらとあふれ出た。また、荒い造りの皇帝や神々
の肖像を刻印された装飾品のほかに、鳩の卵ほどもある一対のエメラルドの裸石も含まれ
ていた。どちらも瑕ひとつなく、五月の木々輝きを内部に閉じこめたように鮮やかな碧に
輝いていた。
 女はこれほどの富と、それが想起させる恐ろしい一夜の記憶にほとんど押しつぶされそ
うになったが、与えられた財宝と衣服一式を持って外に出、村の教会に駆けこむことで折
り合いをつけた。教会の神父は要領を得ない女の話を辛抱強く聞き、それが悪魔のもたら
した財宝であるなら、神の家に納めることによって浄めることは自然であると教えた。女
は胸をなで下ろし、罪の赦しとひきかえに、莫大な財宝を神のしもべに渡した。
 ふたたび粗末な身一つになって足取りも軽く女が帰っていくと、袋を受けとった神父は
すぐに金貨を机の上に開け、存分にその輝きと手ざわりを楽しんだ。
 それから慎重に溶かして地金に替え、一部を自分用に取りのけておいて、黄金の十字架
を鋳造させて、教区の大司教のもとにうやうやしく送り届けさせた。一対の巨大なエメラ
ルドが、神を讃えるふたつの瞳のように上部に輝いていた。この贈り物を嘉納した大司教
は、神父をやがてもっと大きな教区の教会に転任させ、司教の位階を与えた。これには神
父がこっそりふところに入れた金の残りも大いに役だった。
 そして正直な産婆は変わらずつましい暮らしを送りながら、しばらくの間は悪夢にうな
される夜をすごしたが、それもやがて忘れっぽい人間のこと、異様な一夜は夢の奥に遠ざ
かり、忘れ去られた。

64 古歌-イニシエウタ-【三ノ歌】7/10 :2010/11/24(水) 22:51:11


 しかしこれらは闇を統べる王にとってまったくかかわりのないことであった。産まれた
ばかりの息子と、愛する妻の元からもどった王は、陰鬱な玉座に崩れるように腰をおろし
て顔をおおった。
 幼子の澄みきった瞳と絹糸のようなあわい髪、神授のように粒のそろった美しい歯並び
が彼を苦しめた。それはまさに、彼の子が人でないものの血を引いたあかし、尋常の生ま
れではない徴にほかならなかった。子供の見惚れるような真珠色の歯の列に、すでに、小
さな犬歯のような異常な尖りをもった歯が存在するのを、彼ははっきりとみとめていた。
『我が主よ。何をお悩みか』
〈死〉のいんいんとした声が響いた。
「余はわが子にいったい何を与えたのだ」
 顔をおおったまま呻くように彼はいった。
『闇の王冠を』
 間髪入れずに〈死〉は応じた。
『暗黒とそこに住まうものどもすべてを統べる権能を。すべてに勝る力と地獄の恩寵を。
永遠の生と若さと美を保ちうる肉体を。人という塵を越える、完璧なる生命を』
「余はよい。かまわぬ」
 王は従者の応えなどほとんど耳に入れてはいなかった。
「余はみずからの選択によって人であることを放棄し、闇の王となった。それはよい。だ
が、あの子供は、息子は、余の子に生まれるという運命であったがために、生まれながら
に闇の軛につながれることとなってしまった。余はあの子の髪を見た。揃った歯を、すで
に備えられた牙を見た。あの子供は人と余と、昼と夜の血を同時に継いでしまった。選ぶ
ことさえ許されずに」
『人の血など、抜いてしまえばよろしかろう』
 しごくあっさりと〈死〉はいった。
『奥方を人として置かれるのは我が主のご意向。枉げられぬ。しかし御子息は人と魔双方
の血の結晶。放置すればいずれ、御子息自身がお苦しみになられよう。ならば下賤な人の
血など早くに抜きさり、闇の貴公子としてお育てなさるがよろしかろう。すでに人には遠
いお生まれ。人は、少しでも己らとはちがうものを怖れる』

65 古歌-イニシエウタ-【三ノ歌】8/10 :2010/11/24(水) 22:51:48
 王は答えなかった。妻から、リサから子ができたと知らされたときの歓喜と、同時に身
をつらぬいた恐怖と不安がよみがえった。思えば遠い昔、かつての妻エリザベータは、そ
の身のうちにわが子を宿したまま死んだのであった。妻と子を同時に喪ったと知った自分
は神を呪い、策略を弄して闇の帝王となった。
 そのことはよい。自ら望んだことである。しかし妻がぶじ子を産み、その子を目にした
とき、彼は胸にこみあげる大きな愛情とともに、かつての自分の呪いが、すべてわが身に
はね返ってきたことを知ったのであった。
 わが息子、血をわけた愛しいわが子。しかしその血のために、子は望みもせぬのに人で
も魔でもないたそがれの生を歩むことになってしまった。人はおそらく、あの子を受け入
れまい。しかし闇に身を浸しきることもまた、なかばを流れる人の血が拒むであろう。そ
うしたすべてが、父たる自分のもたらしたことなのだ。父として祝福と愛を注ぐかわり
に、呪われたこの身が贈ったのは、闇にも光にもなれぬ幽明の生命とは──。
『我が主よ。どうぞご決断あれ』
「──あの子供は、人の子として育てる」
『なんと申された。御子息は闇の王の子。人の子などに身を落とす必要がどこにあろう』
「あれはリサの子だ。リサが人であるなら、その息子も人として育つべきだ」
 語気をつよめて彼はいった。
「余は父としてあれに生を与えた、だが、望みもせぬものまで与えてしまった。あの子が
成長し、みずから望んでそれを選ぶならばよい、だが、望まぬのならば、母と同様ひとと
して暮らさせてやるがよい。それが父の愛であり、せめてもの償いだ」
『償いとは、なんの償いか。御子息は闇の帝王の嫡子、望むなら、天地のすべてさえ統治
する御力をお持ちになろうものを』
「煩い、〈死〉」
 片手をうち振って、王はかたかたと音を立てる従者を払いのけた。
「余が決したことだ。主が余であることを忘れるな。さがれ、〈死〉。貴様の骸骨顔は見
たくもない。余はもはや血をすすらぬ。人の血はわが糧とはせぬ。妻と子とが人としてあ
るならば、せめてはこの身も、あらんかぎりは人としてふるまおう。たとえ餓えかつえよ
うとも、少なくともわが妻が人としての生を終え、息子がおのれの道を選ぶまでは、余は
ふたたび、人としてあれらの前にありたい」
『それでは御身が保ちますまい』

66 古歌-イニシエウタ-【三ノ歌】10/10 :2010/11/24(水) 22:54:04
「それが何だ? どうせこの身は不死なのだ。飢えようが渇こうが、人が食物をとらぬの
とは訳がちがう。そう、兎や鳥の血をすすってもよい。それなら人が家畜の肉を喰らうも
同じであろう」
『人の血は御身の単なる糧にあらず。そこに含まれる恐怖と混乱、憎悪と死へ向かう生命
の最後のひらめき、それこそが御身の御力の元なれば、獣の血では身の養いにしか』
「ならば力などふるうまい」
 なかば恍惚として彼はいった。
「余が望むのは永遠の中のただ一時、人としてわが妻と息子と暮らすことのみだ。力など
要らぬ、支配など望まぬ。余は喪ったものを取りもどした。今は少しでも、あの者たちと
ともに生きたい。欺瞞に過ぎぬとは承知している。だが、ひとときの夢を余は見たい」
〈死〉は何もいわなかった。
「余を裏切った神が、奪ったものをこの手に返してきた」
 うっとりと彼は両手をあげた。かつてそこから引きちぎられた、愛と幸福をなつかしむ
かのように。
「もう一度、あの憎悪と絶望の前にこの手にしていたものを、胸に抱くことを許された。
 哀れな子に黄昏の生を与えたのは、父たるこの身の罪だ。母が人としての死を迎えるま
では、あの子も人として生きさせよう。選ばせるのはそれからでよい。いずれ人とは生き
られぬ運命ならば、ただこの城でそばに置き、心のなぐさめともしよう。母に似た子だ。
やさしい心の子であろう」
〈死〉は姿を消していた。暗い玉座の間に、王は独り座していた。血の気のない両手は虚
空に向かって差しのべられ、離宮に眠る妻と息子を、いつくしむように抱いていた。

67 古歌-イニシエウタ-【四ノ歌】14/1 :2011/03/28(月) 00:15:33
【四ノ歌】

 幸福な日々は河のようにすぎていった。闇に閉ざされた長い年月にささくれた王の心
に、なだめのさざ波のようにやさしく触れながら。彼は息子が成長するのを驚嘆の思いで
見守った。生まれた直後から驚くべき美しさをもっていた彼の息子は、日を重ねるごとに
ますます美しく愛らしさを増した。揺り篭で眠る赤ん坊は聖画の智天使の美をそのまま映
したように、完全で濁りがなかった。玩具のような手に触れ、その指の思いがけない力を
感じるとき、王は第一日目に感じたのと同じ驚嘆と歓喜を心中に抱くのだった。
 母親となったリサは乳母を使わず、自らの乳房を赤ん坊に含ませた。母の腕に抱かれ、
ふくよかな胸に頭を預ける子の姿は、大理石の聖母子像が生きて血肉を持ったかのようだ
った。しかしある日、息子が乳を飲むところに立ち会っていた彼は、眠り始めた子供を揺
り篭に戻し、服を合わせようとしている妻の胸に目をとめて驚愕した。
「血が出ている」
「はい」
 なんでもないことのように妻は答えた。小さな歯が開けた穴が乳首の周囲に点在し、血
がまだ糸を引いて流れていた。彼女は血を拭い、胸元のリボンを結んだ。
「この子は乳と血の両方を必要としています。ですからわたしはその二つを与えるので
す」
「しかし、おまえは傷ついている」
「母親とはそういうものです」
 親指をくわえて寝息をたてる息子のやわらかい髪に指を通しながら、妻は微笑んだ。
「子供の必要としているものを与えることができなくて母親と呼べますでしょうか。ご心
配には及びません、貴方さま、わたしはこの子のためならば、命も魂も与えるのです」
 吸血鬼と人とのあいだに生まれた子は、成長するためにもまたその双方の糧を必要とす
るのだった。妻のもとから自らの城に戻った王はうちしおれ、妻子をこのような運命に引
きずりこんだ自分の愚かさを、何度目ともわからぬほど呪った。そしてまた、どのような
運命が息子に用意されていようとも、母親がこの世にあるかぎりは人間として育てるのだ
という決意を新たにしたのだった。

68 古歌-イニシエウタ-【四ノ歌】14/2 :2011/03/28(月) 00:16:12
 子供の成長は、澱んだ時の流れに流れこんだきらめく清流のようだった。やがて乳離れ
した子供は揺り篭を出て元気よく床を這いまわり、目についたものをなんでも口に入れて
は、世話をする侍女たちと母親を笑わせた。夜ごとにやってくる父親にも無邪気にまとわ
りつき、膝に這いあがってまわらぬ舌で何事か話しかけ、黒髪の房を不思議そうに弄ん
だ。子供を抱く父の手は魔法の品物を抱くように恐ろしげで、怯えてすらいるようだっ
た。
「そんなに怖がらなくてもよろしいのです。子供というのは、意外に丈夫なものですわ」
 妻に笑われても、自らの息子というあまりにも小さく不思議な奇跡を目の前にすると、
これまで破壊と憎悪を無造作にまき散らしてきたこの手が、膝の上の愛くるしい子にまで
害を与えるのではないかと感じられてならないのだった。
 しかし、子供は臆することなく父親になつき、呼びかけ、体温を持たない青ざめた肌に
ふっくらとした頬をすりつけてきた。おそるおそる抱きしめると、細い骨とふっくらとし
た肉付きの下に、力強く脈打っている心臓と生命の炎が見えた。純粋な人間のものとは違
っていたが、それはまぎれもなく、自分と、妻との血と魂が混ぜ合わせられて生まれた
存在なのだということを実感させた。王は頭を伏せ、霞むような巻き毛になりはじめた息
子の銀色の髪に、祈るように顔を埋めた。
 赤ん坊は成長し、つかまり立ちを始め、やがてよちよちと歩き出した。静かな精霊界の
離宮の庭が、走りまわる子供のせわしない息づかいと笑い声に騒がせられるようになるの
にいくらも時間はかからなかった。子供は精霊の侍女たちや、翅をもつ小妖精たちを相手
に、人間の子供がけっして知ることのない奇妙で謎めいた遊戯をした。しなやかな手足は
日ごとに若木のように成長し、銀の髪は長くふさふさと伸びて、背のなかばを越すまでに
なった。
 薔薇と薬草の園の世話を母とともにするのも大きな楽しみだった。母は手作りの菓子や
飲み物を篭に入れて野に出、幼い息子にひとつひとつの薬草の名前や効力、組み合わせに
よって生まれるさまざまな薬効、毒であっても使用に気をつければ奇跡的な妙薬となる植
物のことを教えた。授業が終わると食べ物の篭を持って薔薇園に座り、侍女たちの給仕を
受けながら、母子二人で午後の茶会を楽しんだ。あたりには小鳥にまじって、小公子がす
っかり気に入った妖精たちが蝶や蜂の翅で群れ飛び、こぼれた菓子やパンの分け前を狙っ
ている。母子は笑い声を上げながら甘い蜂蜜菓子や砂糖煮の果実を手に乗せてさしだし、
取り合いの喧嘩を指先で引き分けて、仲良く分けて食べるようにいってきかせた。

69 古歌-イニシエウタ-【四ノ歌】14/3 :2011/03/28(月) 00:16:49
 そして夜になれば、黒衣の長い裾を引いて父がやってきた。精霊界には人界における意
味での夜は存在しなかったが、父の吸血鬼としての性質は、人界の太陽の存在に影響を受
けずにはいられないのだった。誰にも告げられることはなくとも、子供はそのことを察し
ていた。父から受けついだ、吸血鬼の血が語ったのかもしれない。夜しか自分たちのもと
へ来られないことを、父が悲しんでいることも知っていた。そこで子供は飛びつくように
して父を迎え、その日にあった楽しみ事をすべて報告するのだった。母に教わった薬草の
知識や、爽やかな森の空気や、薔薇に囲まれた午後の茶会や、小妖精たちにきちんと行儀
よく食べるように説教してやったことなどを。すると父は蒼白な顔にかすかな笑みを浮か
べ、大きな手で髪を撫でてくれるのだった。口数の少ない父ではあったが、母と同じく、
心から自分を愛してくれていることを、本能的に子供は悟っていた。


 そして同じころ、領主の暴政と、狭量な聖職者たちの貪欲に苦しみ続けていた村のひと
びとに、不思議な噂が拡がりはじめていた。
 話の中で、その男はあまりにも追いつめられ、ついには家の中には麦粒ひとつ、赤ん坊
に飲ませる水一滴すらなくなってしまったため(井戸の使用には税金がかけられ、使用量
は厳密に役人によって量られていた)、絶望の極に達し、このような人生を続けるなら森
の魔物に喰われた方がましだと考えてただ一人、夜の森に入った。明かりもないまま、月
明かりに照らされた木立を抜けて歩いていくと、しだいに木々は密になり、闇の天蓋のよ
うに空を覆った。しかし奇妙なことに足もとの道だけは彼を導くように蒼い光を放ちつづ
けていた。心をなだめるようなその光に導かれて歩きつづけていくと、行く手に、鋼鉄と
黒い石でできた巨大な城門が、霧と木々の間から姿を現した。門は夜の中でさらに昏く、
陰鬱で、影と闇から編まれているように見えた。その後ろに控えた城の影はさらなる威容
を誇り、岩の巨人のような輪郭はいくら見あげても天守のありかが目に入らないほどだっ
た。

70 古歌-イニシエウタ-【四ノ歌】14/4 :2011/03/28(月) 00:17:24
 男は震えあがった。自暴自棄になって森へ入ったものの、いざこうして昏く闇に属して
いると一目でわかるものを目にすると、弱い人間の魂は本能的に頭をかかえて縮こまろう
とした。けれども彼が回れ右をし、その場から走り去ろうとするより先に、鎖の音を立て
ながら城の跳ね橋がおりてきて、地面についた。中から明るい光を手の上に浮かべたこの
世ならぬほど美しい女が出てきて、白い手をのばしてゆっくりと男を差しまねいた。
 男がなぜそれに従ったのかはわからない。女の美しさに惑ったか、それとも、森に入っ
た当初の目的を思い出し、恐ろしい怪物に喰われるよりも姿なりとも美女であるものの手にかかりたいと願ったのか。いずれにせよ男は美女に連れられて城の中へ入った。外部と
同じく陰鬱な部屋部屋のいくつかを通りぬけたが、薄明に浮かびあがるその調度や装飾
は、彼がいかなる教会や王侯のもちものにも見たことのないすばらしさだった。足音だけ
が響く長い通路をぬけると、女は男を、何本もの蝋燭で照らされた美しい小部屋に導い
た。
 あまい薔薇と蜜蝋の香りが部屋を充たしていた。おおぜいの、いずれ劣らぬ美しい侍女
たちに囲まれて中心に座しているその貴婦人を見た瞬間、男はうたれたように跪いた。天
使のような、いや、天使よりも美しい銀髪の幼児を膝に抱き、五月の空のように青いドレ
スの裾を長く引いたその貴婦人は、聖母マリアの地上に降臨なされた御姿に間違いないと
思われたからだった。
 這いつくばって震えながら聖母の祈りを捧げる男に、貴婦人はヴェールの下から笑みを
含んでやさしく、何も怖がることはありません、と告げた。それから、わたしは聖母様な
どではありません。あなたと同じ、ただの人間の女です。
 俺に何のご用でしょうか、とおそるおそる男は尋ねた。貴婦人は見るもまばゆく、侍女
たちの美貌もその前では満月の前の星のように薄れて見えた。
 あなたにお願いしたいことがあります、と貴婦人は言った。
 貴女様のお言葉ならどんなことでもお聞きいたします、奥様。
 わたしの夫であられる方は、と彼女は、その一言に無限の愛情をこめて告げた。
 人の血を飲まなければ身を支えていけないお方です。今は人ではなく、ほかの動物や鳥
の血を飲んで渇きを癒しておられますが、そのためにあの方が苦しまれているのをわたし
は知っています。わたしはあの方のお苦しみを少しでも軽くしてさしあげたい。

71 古歌-イニシエウタ-【四ノ歌】14/5 :2011/03/28(月) 00:17:59
 それではここが、噂に聞く吸血鬼の魔王の城なのか。男は総毛だったが、目の前に腰か
けて顔を俯けている貴婦人の優美な姿と声から、とうてい離れることはできなかった。
 あなたが辛い暮らしをしていることは知っています、と貴婦人は続けた。家族に着せる
布一枚ないこと、食べさせるパンも、麦も、水一滴すらないことも。絶望してこの闇の森
に入ってきたことも、わかっています。
 もし、あなたがこの城に来て、わたしとわたしの夫を助けてくださるのならば、城はあ
なたと家族の暮らしを支えることを約束します。住む場所も、着る物も、食べ物も、必要
なだけ与えましょう。畑を作って、自分たちの食べる分だけの作物をこしらえることも許
しましょう。ただ一つ、ある義務を果たすことだけを約束してくださるならば。
 その義務とはどんなことでございましょうか、奥様。
 月に一度、と貴婦人は、いくらか悲しげに目を伏せて言った。
 月に一度、盃に一杯の、血を絞ってわたしの夫に捧げてくださるならば、あなたの暮ら
しは必ず守られましょう。これは魔法や魔術ではありません。また、いかなる闇の契約を
も意味しません。わたしはただ、夫を、そしてわが子の父親を愛する人間の女として、あ
なたにお頼みしているのです。
 貴婦人はひたむきな眼差しを男に向けた。その瞳はドレスと同じ、明るい五月の空の色
だった。
 血を捧げたからといって、闇に対する忠誠を求められることはありません。もしそのつ
もりならばミサを唱え、聖なる方への信仰を維持することもできます。血はただこの城に
とどまり、生活を支えるための代償であると、そう考えてください。あなたの生活を食い
荒らし、水の一滴からまで貢ぎ物を搾り取ろうとする領主や聖職者のかわりに、わたしが
求めるのは夫のための血をほんの少し、それだけです。
 男が答えられないでいると、貴婦人は微笑を浮かべて、もちろん、強制するつもりはあ
りません、と言った。
 あなたはいつでもここから出ていっていいのです。考える時間もあげます。これをおと
りなさい、と差しだされたものは、摘み取られてまだ間もない、朝露に濡れた一輪の白薔
薇だった。

72 古歌-イニシエウタ-【四ノ歌】14/6 :2011/03/28(月) 00:18:32

 もし、わたしの願いを聞いてくださるのであれば、いつの夜でもいいのです、また森に
いらしてください。そしてこの薔薇を、森の大地の上に置いてください。城の門はあなた
のために開かれるでしょう。家族ももちろん、いっしょに連れてきてかまわないのです。
どうぞ、落ちついてよく考えてから、取るべき道をきめてください。
 言葉を切ると、貴婦人は侍女たちを従えて立ちあがり、銀髪の子をあやしながら、衣擦
れとともに出ていった。茫然として取りのこされた男に、ふたたび、明かりを持った侍女
の一人が近づいてきた。彼女は一言も口をきかぬまま男をもとの門まで送り、外へ出し
た。
 後ろで巨大な扉が閉まる轟音が、男の正気を呼びもどした。ふり向くと、そこにはうっ
すらと霧の漂う森の闇があるばかりだった。手には馥郁と香る白薔薇が露にきらめき、ふ
ところには大きなパンのかたまりとチーズ、葡萄酒の革袋が詰めこまれていた。茫然とし
て顔を上げると、自分があとにしてきた村の入り口が、すぐそこに見えていた。かすかな
薔薇と蜜蝋の香りが、服や髪に染みついていた。

 この話を隣に住む同じような境遇の友人にして聞かせたあと、男は村から姿を消した。
妻も子供たちもいっしょに。
 薔薇はいつまでたっても新鮮さを失わず、汚れきった小屋の悪臭さえ消し去るほどだっ
た、と男は友人に聞かせた。与えられたパンとチーズは家族全員が十二分に食べるまでな
くならず、葡萄酒の袋はいっこうに空になることがなかった。信じようとしない友人に、
男は咲きほこる白薔薇を見せた。真珠母とエメラルドで刻まれたようなそれは、たった今
切りとられてきたかのように朝露にしとどに濡れ、甘やかな芳香を放っていた……
 そのようにして、噂は少しずつ広まっていった。城に招かれ、貴婦人を目にすることが
できるのは、罪がなく、ごく正直で、しかも、どうしようもなく追いつめられている者に
かぎられた。飢えのあまりに領主の森の鹿をひそかに殺した若者は、そのために凶暴な猟
犬に追いつめられ、八つ裂きにされるところを貴婦人に救われた。無慈悲な親に売られ、
娼婦として男の慰みものになる運命から森へ逃げこんだ娘は、明かりを手にした人ならぬ
侍女に迎えられた。食いつめた親から口減らしのために捨てられた子供は、星のように輝
く翅のある妖精に導かれて、鉄と黒曜石の城の大門の前に出た。

73 古歌-イニシエウタ-【四ノ歌】14/7 :2011/03/28(月) 00:19:07
 泥棒や強盗、人殺し、詐欺師や奴隷商人などは、いくら望もうともけっして招かれるこ
とはなかった。村人たちが消えてゆくという噂に苛立った領主や、これは悪魔の仕業に違
いないと断じた修道士たちも同様に。彼らは大勢で隊伍を組み、松明と十字架を振りまわ
して声高に聖句を唱え、聖水をまき散らしたが、それはただ森の動物たちを不必要に驚か
せたばかりだった。しまいに、酷使された領主の馬が闇で地面の穴に前脚をひっかけ、乗
り手を地面に放りだした。これに驚いた修道士たちの驢馬がいっせいに走りだし、木に突
進して修道士たちのつるつるした剃髪をもう少しで割りそうになったところで、捜索は中
断された。
 消えた人々はだれ一人、その後姿を現すことはなかった。村長たちは彼らを死人として
扱うことに決めた。彼らは森の獣か、さもなくば魔物に喰われたのだ。ほかにどう考えよ
うがあっただろう?

 闇の城のまわりに、小さな、あたらしい集落が生まれはじめていた。家々はどれも質素
だが快適にしつらえられ、そばには住むものの人数に見合った小さな畑も添えられてい
た。精霊界と人界の境界におかれたそこは、精霊の見える人間なら見ることができただろ
うが、入るには、そこの女主人の許しがなければけっして足を踏みいれられなかった。貴
族や修道士などは言うまでもない。はじめは数人だった住人の数は、少しずつ増えていっ
た。
 彼らの熱烈な賛仰の対象は、自分たちを救ってこの地に迎え入れてくれた貴婦人その人
だった。彼女は彼らにとって、何もしてくれない聖堂の冷たい像よりもはっきりとした存
在を持ち、しばしば村の小径を歩いては、われがちに出てきてひと目でも救い主の姿を見
ようとする村人たちにやさしく声をかけ、手をとり、困ったことがないかどうか問いかけ
た。
 唯一の条件として提示された、月に一度、杯いっぱいの血を差しだすという約束は、肉
どころか骨の髄まで搾り取っていく外の世界の統治者たちとくらべれば、天国のようなも
のだった。人々はくじ引きで順番を決め、当番にあたった者は誇らしい気持ちで手首を傷
つけて血をため、貴婦人にささげた。いくらか悲しげに微笑み、傷ついた肌をさすって丁
寧な感謝の言葉を口にした。傷に塗るようにと渡された軟膏はさわやかな香草の香りがし
た。

74 古歌-イニシエウタ-【四ノ歌】14/8 :2011/03/28(月) 00:19:43
 貴婦人と、その夫である「尊いお方」に、人々は心から感謝した。たとえ血を飲むこと
が必要であろうと、支配者であるその王は彼らを生かし、外界の圧政から救い出してくれ
たのだ。彼らは血のほかにも、作った作物からささやかな献上品を捧げた。素朴な焼き菓
子や刺繍をした毛織物、木ぎれから刻んだ子を抱く貴婦人の像。子供たちは野に咲く花を
集めて花束や花輪を作り、やってきた貴婦人にわれがちに投げかけた。貴婦人は笑って子
供たちを撫でてキスし、いい子ねと話しかけて、赤い頬をもっと赤くさせた。村のあちこ
ちに薔薇の生け垣ができ、四季を問わず咲き乱れた。貴婦人を表す白薔薇と、そして、そ
の夫である血の王を示す紅薔薇が、常に並んで植えられていた。


 妻がしいたげられた人間たちを救い、彼らから血を受けとっていることを、むろん王は
知っていた。その相談を持ちかけられたとき、彼は反対した。反対したというより、拒否
したのだった。人の血をすすることは、彼にとっていまや恥ずべき所行となっていた。裏
では悲鳴をあげる家畜の血を絞って飲んでいたとしても、せめて妻の前では、何もかわら
ぬ人間のふりをしていたかったのだ。
「でもわたしにはわかります。貴方さまのお苦しみが」と妻は言った。
「恥ずべきは人に害を与え、理不尽な苦痛を与える行為のみです。生きるために糧を必要
とするのは、なんら恥ではありません。わたしたちが食糧として肉や野菜を口にするよう
に、貴方さまは血を必要となさるというだけのこと。もし誰にも害を与えず、納得の上で
血を与えてくれるものがいたとしたら、貴方さまのお苦しみも少しは楽になるでしょう。
どうぞやらせてくださいませ。わたしの主人は、貴方さまでいらっしゃいます。貴方さま
のお許しがなければ、なにひとつ、できないわたしなのです」
 そして彼は妻の懇願を受け入れたのだった。
 妻はしいたげられた人々を集め、城の周囲に住処をあたえて、月に一度、彼らから受け
とった血を夫に届けさせた。息子が生まれて以来、動物の血しか口にしていなかった彼
に、人間の血は確かな活力と、深い満足を与えた。

75 古歌-イニシエウタ-【四ノ歌】14/9 :2011/03/28(月) 00:20:18
 しかしそれは、自分が人の血をすするおぞましい生き物であるということを再確認する
ことでもあった。その苦悩も、妻は察しよく受けとめていた。空になった血の盃を陰鬱な
顔つきで見つめている夫に近づき、その手をとって、彼が血を欲すること自体は何も悪い
ことではないともう一度語ってきかせた。圧政から救われた人々が、どれだけ彼に感謝し
ているかをも。そして村人たちから捧げられたささやかな手仕事の成果や、菓子や花輪を
見せ、紅薔薇と白薔薇を上手に組みあわせて編まれた花冠をも見せた。かぶる者を傷つけ
ないように、薔薇の刺は注意深く削り取られ、茎はしっかりと編まれて凝った網み目で周
囲を飾っていた。妻はそれを夫の額に乗せ、髪を撫でつけた。
「貴方さまは彼らの救い主なのです」と彼女は言った。
「その冠はそのしるし。どうぞ彼らの気持ちを、無駄になさらないでくださいまし」


 そしてまた、時は流れた。銀髪の美しい子供が七歳になろうとするころ、城に新しい来
訪者がたてつづけにやってきた。
 一人はやせ細ってほとんど裸の、今にも息絶えそうな傷ついた少年で、汚れてもつれた
髪の毛はくすんだ銀色だった。背中には鞭で叩かれたあとが縦横に走り、腹にも頭にもは
げしい殴打のあとがいくつもあった。火を押しつけられたらしい火傷痕が脇腹や内股の柔
らかいところに残り、額は割れてまだなまなましい傷が口を開いていた。
 侍女たちの手で城内へ運びこまれ、手当てを受けた彼は、どうしてここへやって来たの
か覚えていないと言った。ここから遠い、ある村で暮らしていた彼は、幼いころから動物
の言葉を理解し、人の思いや先に起こることを見通す不思議な力の持ち主だった。そのた
め、悪魔の子供と怖れられた彼は、小さいころから呵責ない虐待を受け、ついにある日、
住んでいた家に火を放たれて焼かれそうになった。唯一、ずっと彼の味方でいてくれた母
親が、自らを犠牲にして彼を逃がしてくれた。そこから先はよくわからない。ただ苦痛と
悔恨にさいなまれ、自らの運命を呪いながら死を願って歩き回り、力つきて倒れたあと、
この城で手当てされている自分に気がついたのだと。
 城主たる闇の王は、この少年に秘められた生まれつきの巨大な魔力を感じとった。磨き
をかければおそらく、闇の貴族にも匹敵するであろう大きな力に。その力がおそらくこの
城を引き寄せ、招きもしないのに城門を自らのもとに出現させたのだ。生きるために。

76 古歌-イニシエウタ-【四ノ歌】14/10 :2011/03/28(月) 00:20:57
 そしてこの少年がようやく起き上がれるほどになったころ、また新たな訪問者があっ
た。
 これは兄と妹の二人連れで、忘れ去られた古代の呪法を使い、闇の城の存在する次元へ
の扉を開いて、やってきたのだった。兄は燃えるような赤毛と刺すように鋭い瞳をした少
年、妹は、怯えた顔のまわりに明るい金髪を垂らして、心細げに兄の服の裾を握ってい
た。
 少年は闇の王の前で怖れげもなく名を名乗り、自分たちは太古から連綿と繋がる魔力を
継承する一族の、その生き残りだと告げた。
 一族はかつては人々の中に生きていたが、しだいに魔物や悪魔の使いとして排斥されは
じめ、山奥の隠れ里に身を隠すようになった。だが、ついにその里も見つけだされて焼か
れた。生き残ったのは自分と妹二人だけ。もはや人間の世界に、兄妹の生きる場所はな
い。一族に伝わる伝承の中に、闇の世界を支配する王と、その居城への門を開く呪法があ
った。それを使って、自分たちはここへやってきた。どのような条件も受け入れる。どう
か、自分たちをここに受け入れ、魔術と闇の力の修行をさせてほしい。
 これらの闖入者に対して、はじめ王はどのような態度をとるべきか決めかねた。境遇の
違う少年ふたりと少女ひとり、しかしその秘められた魔力には確かなものがある。先に現
れた少年──ヘクターと名乗った──は、生存本能に押されてとはいえ、呪法に頼らず闇
の世界の扉をこじ開け、城を引き寄せるだけの潜在能力を持っている。そしてもう一人─
─アイザック、と胸を張って言った──は、太古から引きつがれてきた強力な魔力の血筋
を確かに受けついでおり、狭い里で何代も重ねて練りあげられてきた魔力の高まりは、赤
毛の少年の燃えるような目に如実に表れている。
 彼らを城のまわりの村に住む人々に交ぜるわけにはいかなかった。彼らはある程度魔法
を受け入れてはいるが、この少年たちは、結局はただの人間でしかない彼らとは根本的に
ちがう存在だ。いずれ外で受けたのと同じ恐怖と疎外が、彼らを外へはじき出すだろう。
 何よりも、野放しにされた魔力ほど危険なものはない。ヘクターとアイザックの持つ力
はまだ未完成で、あやうい均衡で爆発から遠ざけられているだけだった。少しでも扱いを
誤れば、人間というもろい殻は一瞬にしてはじけ飛び、盲目にして貪欲な力の塊が、犠牲
者を捜して世界をさまようことになるだろう。それは人間たちにとっても、また闇を支配
する王たる彼にとっても、避けなければならない事態である。

77 古歌-イニシエウタ-【四ノ歌】14/11 :2011/03/28(月) 00:21:30
「でしたらあの二人は、貴方さまのもとで教育なさればよろしいでしょう」
 考えあぐねた彼に助言を与えたのは、やはり妻だった。
「余のもとで。余が教えるのか。子供を」
「子供というほど幼くはありませんわ」ヘクターは十歳、アイザックは十一歳だった。し
かし厳しい暮らしが彼らの魂を大人びさせていた。
「二人は魔力を持っています。誰か導いてやるものが必要です。そして、この世界に貴方
さま以上に魔術の扱いに通じた方がいらっしゃいますでしょうか。この先彼らが幸せに成
長するにも、立派な大人になるにも、貴方さまのお導きがあれば安心でしょう。あれだけ
の力を持つのなら、大きくなればきっと貴方さまのお力にもなります。それに」
 抱いた子供をあやしながら、彼女は悪戯めかして微笑んだ。
「この子にも、そろそろ人間のお友だちが必要ですわ。──いっしょに勉強したり、遊ん
だり、取っ組みあって喧嘩したりできる誰かが」
 妻の真意がどこにあったにせよ、彼はこの忠告を受け入れた。ヘクターとアイザックは
小さな部屋をそれぞれ与えられ、新しい衣服と靴をひとそろい貰った。小さな公子の小姓
となるのに恥ずかしくない小綺麗な服だった。身に秘めた魔力のおかげで、彼らはなみの
人間の入り得ない闇の城を自由に歩き回れた──主たる魔王の許しがあってこそだった
が。
 また妹──ジュリアといった──については、妻が自ら手もとに話し相手として引き取
り、礼儀作法とともに、薬草の知識や賢女としての心得、女性の手仕事などを教えた。精
霊の侍女たちははじめこのおびえた顔の少女を軽蔑していたが、そのうち、彼女にも兄ほ
どではないが、太古の魔力が宿っていることを知って、ささやかな魔法を──もつれた糸
を使って人を惑わす方法や、人の瞼に振りかけて眠り込ませたり、自在に恋に落ちさせた
りする不思議な粉薬の作り方を伝授しておもしろがった。
 七歳になった小公子は、城の図書館に棲む老爺から初等教育を受けはじめたところだっ
た。ヘクターとアイザックもそれに加わった。ほとんどの庶民と同じくヘクターは読み書
きができず、アイザックは一族の口承で呪文を教わっていただけで、文字についてはヘク
ターと同様だったので、七歳の子供の勉強仲間としてはちょうどよかった。

78 古歌-イニシエウタ-【四ノ歌】14/12 :2011/03/28(月) 00:22:06
 気がやさしい素直なヘクターに、小さな公子はよく懐いた。手をつないで歩く銀髪の公
子とヘクターは、公子の髪が月光のように淡くきらめく銀、一方ヘクターは少し錆びた銀
という違いはあったが、実の兄弟のように仲睦まじく見えた。多少狷介な気のあるアイザ
ックの崇拝の対象は常に師であり、闇と魔術の王である魔王その人にあった。公子はその
師の息子であり、それ以上のの存在ではなかった。公子に対して大仰なまでにうやうやし
く接することで、彼は愛情の代わりに礼儀を払って公子に接した。
 午前中彼らは図書館で老爺の出す課題を解き、午後には精霊界の離宮の庭で、剣や組み
手の訓練をした。そして三人が疲れて空腹になると、いつも離宮から公子の母君が輝くよ
うな姿で進み出て、少し休憩になさいとやさしい声で呼びかけるのだった。侍女たちが五
人分の食べ物と飲み物を運び、行列の最後には、大きすぎる盆をかかえた小さなジュリア
が真っ赤な顔で身体をそらして、慎重に歩を運んでいた。
 ジュリアを含めたみんなが席についてしまうと、奥方は侍女たちを下がらせて、四人の
子供たちの本当の母のように菓子を切りわけ、飲み物を注いで、勉強の進み具合を尋ね
た。この菓子も飲み物もみんな、母上がご自分でお作りになったのだと公子は自慢げに言
った。ジュリアもよく手伝ってくれましたよ、と横から母がやさしく口を添える。みん
な、ほんとうによい子たち。アドリアン、スプーンで悪戯をしてはいけません。ヘクター
にアイザック、その果物を食べてしまって、もう一つケーキをお取りなさい。
 庇護者である魔王に強い忠誠と尊崇の念を募らせていたアイザックも、このやさしい奥
方に関しては特別な思慕を抱かずにはいられないようだった。公子を除いてここに集まっ
たのは、みな親のない子、親をなくした子、誰からも愛されず人から憎まれてきた子だっ
た。奥方の笑顔と隔てない愛情は、彼らの乾いた心に慈雨のように降りそそいだ。ジュリ
アが女主人を見あげる目は、まさに女神を見るようだった。剣の訓練でできたかすり傷に
やわらかい指で薬をつけてもらうとき、アイザックの尖った瞳は年相応にやわらぎ、魔王
に愛された女性の輝く顔を、あこがれの目で見あげた。
 そして夜になると、少年たちは城の一室に顔をそろえ、闇の王が現れるのを待った。夜
の訪れとともに目覚める王は、黒衣に暗い色の紅玉と黄金をきらめかせてゆったりと歩ん
でくるのが常だった。自らの息子とその二人の学友の顔をじっくりと見回し、前夜までの
課程を一人ずつ復唱させると、その夜の授業にとりかかった。どれをとっても人間のいま
だ触れたことのない秘密の扉が、少年たちの前で次々と開かれていった。水を吸いこむ砂
のように、少年たちは秘密の知識を貪欲に吸収していった。

79 古歌-イニシエウタ-【四ノ歌】14/13 :2011/03/28(月) 00:22:40


 やがて公子は十歳になった。父たる王は息子を正式に騎士として叙任し、成人たること
を認める儀式を執り行った。彼がまだ人間であったころ、息子を持つことを夢見ていたこ
ろに、思い描いていた式典が華麗に繰り広げられた。
 城の玉座の間の一角には一時瘴気を追いはらうための徹底的な結界をほどこした観覧席
が設けられ、人である妃が式典に列席できるように、特別な配慮が払われた。同様に式典
に出席した闇の貴族たちにとっては憤懣の種だったが、この人間の女性にどれだけ王が愛
着を抱いているか、またその身にいかなる形であろうと非難や攻撃を浴びせたものがどの
ような目にあうか知りつくしていたので、不満は態度に出さず、王妃として、また公子の
母として彼女が粛々と席につくのを、貴族らしい鷹揚な慇懃さで迎えた。
 十歳の公子はすらりとして美しく、しなやかな若木のように高く頭を上げて頬を上気さ
せていた。母の見守る前で、玉座にかけた父の前に跪き、剣を肩に触れられながら、誓い
の言葉を澄んだ声で述べた。父は儀式に使った剣を鞘に収め、騎士の最初の佩剣として、
また成人を迎えた子への父母からの贈り物として、その場で息子に与えた。
 その剣こそ、かつて彼が人であったころ、妻であった女性のもとに自らの代わりとして
遺した剣であり、その血を引いた現在の妻の守り刀でもあった。剣は長い時間を経て幾人
もの人々の手を過ぎ、もとの持ち主の息子の手に戻った。
 十歳の公子にとってその長剣はまだ少し長すぎ、佩くと鞘の先端が床に届くほどだった
が、父母の心のこもった贈り物を受けた少年は成人を認められた誇らしさと喜びに目を輝
かせ、着せかけられた長衣をさすっていた。身につけるにはまだ大きい鎧や盾も剣に会わ
せた意匠のものが造られ、同じく贈り物として、玉座の間の片隅に安置されていた。また
城の周囲に住む村人たちからも、救い主であり寛大な支配者である王の子息の成人に際し
て、心づくしのパイや菓子、花、素朴な彫刻や刺繍が山と捧げられていた。
 この場で同時に、公子の二人の従者の成人の儀も行われた。それぞれ十三歳と十四歳に
なっていた彼らは、正式に闇の宮廷での地位を認められ、人間でありながら王のかたわら
で今後も魔術の奥義を究めることを承認された。これもまた列席した貴族たちにとっては
不快のもとだったが、王手ずから教育したこの二人が、人間としては驚嘆すべき魔力を持
つに至っていること、闇の者でさえ手の届くもののほとんどないような高度な魔術でさえ
使いこなすようになっていることを考えると、表立って文句の言える者はなかった。

80 古歌-イニシエウタ-【四ノ歌】14/14 :2011/03/28(月) 00:23:13
 この日を境に、公子と従者たちの道は微妙に分かれた。それまで三人兄弟のようにいつ
もともにいた彼らは、二人と一人にわけられた。
 王の息子として、成人した公子は高貴の生まれに義務づけられた教育、王たることの意
味、真の高貴さと誇り、勇気と力の意味を学ばねばならなかった。生まれながらに身体に
流れる闇の王の血、その強大な力を制御する術は、人間のそれとはおのずから違ったもの
にならざるを得なかった。
 また、そうした闇の帝王学を修めるとともに、知らなければならない知識も膨大にあっ
た。父の統べる闇の世界に巣食う魔物と有力な貴族たち、その名と力、性向、勢力と本体
の能力、詰め将棋にも似た闇の者の手口とその交渉の方法、また闇の世以外にも数多く存
在する異界、そこに棲息する想像を絶した異質な存在、彼らを利用し、あるいは交渉する
特別の言語、数多く存在する異界の通路と落とし穴、戦いの方法……
 兄同然に慕う二人とともにいられないことを公子は悲しんだが、身につけた剣を撫で、
もう大人なのだからと自らに言いきかせた。辛いときにはいつも母がいて、やさしい声と
手で涙を拭ってくれた。
 そして二人の従者たちは、将来、公子が王たるときに備えて、ますます魔術の研鑽に励
んだ。気がつけば彼らは、無から有を生み出す究極の禁術──悪魔精錬術をさえ、その身
につけるようになっていた。自らの魔力を結晶させ、そこからまったく新しい生き物を造
り出すこの禁術は、闇の貴族の中でもごく限られた者しか使えず、しかも、生み出すばか
りかその生き物を成長させ、はるかに強力に進化させるなどという技を使えるようになっ
たのは、闇と人の二つの世界を通じても、この二人しかいなかった。
 二人はいつしか、ほかの貴族たちを押しのけて魔王の側近となり、二十歳にも満たない
身ながら、その双の腕として働くようになっていた。兄同然の二人が父に信任されている
のを見て、公子はよろこんだ。
「私も父上のように立派な王になるから、二人とも私にも変わらず仕えてほしい」と無邪
気に公子は頼み、実直なヘクターは感極まって幼い主を抱きしめた。
「もちろんです、若君はいつでも俺のご主人です。いつまでも、俺はあなたに心を込めて
お仕えします」
 アイザックはいくぶんさめた目でこれを見守っていたが、公子の明るい目を向けられる
と、瞳をなごませ、胸に手をあてて軽く礼をすることで返事に代えた。

81 古歌-イニシエウタ-【五ノ歌】18/1 :2011/03/28(月) 00:24:56
【五ノ歌】

〈死〉はほとんど姿を見せなかった。精霊界の離宮へはもちろん、闇の城においても見か
けられることが少なくなった。ほんのときたま、城に棲みつく魔物たちや闇の貴族たち
が、なかば透きとおった影となって地下水路を徘徊する〈死〉を見たと噂したが、それも
噂にすぎなかった。魔物たちは人間への攻撃を禁じられ、退屈しきっていたが、王の命令
とあっては従うしかなかった。うさばらしに仲間同士で殺しあったり、森の動物を引き裂
いたりするものはあったが、人への禁令は固く守られた。
 主である王はといえば、しもべの存在すら頭の中から追いやっていた。今の彼にとっ
て、〈死〉と、それが思い出させるものほどおぞましいものはないのだった。なかば闇の
血を引いた息子はどうあれ、人間である妻は、いつか確実に死を迎える。その日が来るこ
とを、なによりも彼はおそれた。妻に気づかれぬよう何重にも守りの術をかけ、できるか
ぎり老いを遠ざけるとともに、いかなる病からも傷からも守られるようにしていても、か
つての妻、エリザベータが突然に〈死〉の手に奪われたことを考えると、不安でいてもた
ってもいられなくなった。いつか彼女がいなくなることを思うだけでも苦しみのあまり、
冷えた血が氷のように血管の中で凝固するように感じた。
 妻は夫のそのような思いを察していた。一日の課題を終えた公子が自室に引き取ってし
まってから、夫の頭を膝にのせて、妻はしずかに歌をうたった。古い穏やかな歌曲は夜の
しじまにやさしく溶けた。身じろぎもしない夫の黒かった髪は白く変わり、黒衣の上で息
子とよく似た白銀の色に光をはじいていた。
 人の血は彼の糧であり、その糧は保護された人々から献上されるもので十分に保証され
ていたが、本来、闇の魔力を本当に養う糧とは、血を吸うときにともに吸いとられる人間
の感情、恐怖や哀願、混乱、狂気、そして死なのだった。愛情のもとに絞られ、感謝と崇
敬の念をこめて捧げられる血は、肉体は保っても魔力の糧とはならなかった。闇によって
せき止められていた人としての老いが、徐々に彼の上に降りつもり始めていた。

82 古歌-イニシエウタ-【五ノ歌】18/2 :2011/03/28(月) 00:25:28
「余は醜くなったであろう」
 静かに燃える暖炉の前で、駄々をこねるように彼は何度も妻に尋ねた。始めて彼女がこ
の城に来たとき見た若々しい美丈夫は、いまは皮肉げに唇を曲げた白髪の男となってい
た。なめらかな肌には皺が寄り、美しい手はごつごつと節くれだっていた。いいえ、と妻
はかぶりを振り、荒れた手を愛しげにとって口づけた。
「以前の貴方さまもお美しゅうございました。そうしていまの貴方さまは、以前にまして
お美しゅう存じます」
「世辞はいらぬ。人の目におのれがどう写るかくらい理解している」
「わたしがお世辞など申しあげないのはご存じのはず」
 妻は両手で夫の皺の刻まれた頬を包むと、額と頬と唇に次々と唇をあてた。
「貴方さまの老いは、わたしのために人の恐怖を啜ることをやめられたから。おん自らの
身を支える大切な糧を捨てたがために今のお姿があるのだとしたら、この髪も、お顔も、
お手も、刻まれたものすべてが、わたしを愛してくださることの証し。なぜ醜いなどと見
えましょう。わたしには今の貴方さまが、何よりもとうとく美しいと感じられるのです」
 妻の細い指にさすられ、闇の王は深い吐息をついた。そしていっとき自らの暗い血と運
命を忘れ、人間であったころの単純な喜びを、愛する妻の手と暖炉のぬくもり、美しく賢
い息子、芳しい薬草の香りのする家庭を、目を閉じて味わうのだった。


 穏やかな日々はなんの変わりもなく五年の間続いた。公子は成長し、母ゆずりの美貌に
父の血を引く強靱さと、秘めた魔力を持ち合わせた魅力的な少年になった。はじめは身長
にあまった剣もいつか見事に使いこなせるようになり、学問と鍛錬にはげむかたわら、母
のもとで安らぐときには剣を抜いて、いっぱしの騎士気取りで、どんなことがあっても母
上は私が守ってみせます、と若々しい声で宣言し、母と侍女のジュリアを微笑ませた。
 すっかり若者らしくなったヘクターとアイザックも暇を見つけては姿を見せ、幼いころ
のように、奥方の心づくしの並ぶ茶会の卓を囲んだ。公子は二人の話を聞きたがり、一人
前の廷臣として、父のそばで働くことが許されていることをうらやんだ。ヘクターは公子
をなだめて、それもこれも、いずれ若君によき側近を与えたいとのお父君のご意向なので
すから、といさめた。

83 古歌-イニシエウタ-【五ノ歌】18/3 :2011/03/28(月) 00:25:58
「若君はいずれお父君の玉座をお継ぎになる大切な方です」弟同然の公子のふくれた頬を
つついて、ヘクターは笑った。
「俺たちはその日のために、もっとさまざまなことを学ばねばなりません」
 子供の手が離れた母は、幼い魔女見習いとなったジュリアに手伝わせて、さまざまな薬
草の組みあわせや、小さな白魔法の編み出しに時間を費やしていた。そこから生み出され
たさまざまな薬やよい食物、病人に元気をつけるためのささやかなまじないは、作り手自
らの手で病める人々、飢えに苦しむ人々のもとへ届けられた。
 妻が城の外へ出ることに関して夫たる王はあまりよい顔をしなかったが、こういう薬
は、きちんと使い方を理解している者が説明しないと、取り扱いが危険なこともあるので
す、ときっぱり告げられると、反論することができなかった。どのみち彼は、妻が求める
ことに対して、本当には拒否することなどできないのだった。
 配下の魔物たちのうちから護衛をつけさせることを提案したが、人々を怖がらせてはい
けないからとそれも断られた。闇の者はしょせん闇の者であり、万が一にも、人々を傷つ
けるようなことが起こってはならないから、とも。
 でも、と笑いながら彼女は言った。
「わたしたちの息子でしたら、きっと連れていっても大丈夫かもしれませんわね。あの子
はわたしの薬草術についてもよく知っていますし、少しは人間の世界を見せておくこと
も、あの子には必要ですもの」
 そこで、そのように事は運んだ。若い公子は母の護衛を務めることを喜び、光栄に感じ
るとともに、話にしか聞いたことのない人間の街を歩けることに少年らしい興奮を覚え
た。護衛の役割はようやく剣が似合うようになったばかりの彼にとって、魅力的な冒険で
あり、騎士としての栄誉の任務だった。
 ヘクターとアイザックの二人も、実の母同然に接してくれる女主人のことを気遣わない
わけはなかった。いつものように茶菓の卓を囲んでいるときに、ヘクターは小さな革袋を
取りだし、城の外へ出るときは必ずそれを身につけてくれるように懇願した。
 中身は小さな宝石のついた銀の首飾だった。細い銀線を複雑に組みあわせて魔術的文様
を編みあげた中に、小指の先ほどの虹色に光る石が収まっている。

84 古歌-イニシエウタ-【五ノ歌】18/4 :2011/03/28(月) 00:26:30
「魔力の結晶です」とヘクターは言った。「危険が迫れば孵化して、命令に従ってくれま
す。どうか、これだけでも持っていてください。俺たちを安心させるためだけでも」
「そう言われては、断るわけにもいきませんね」
 女主人は困ったように笑って鎖を指にからめた。鎖を首の後ろで留めると、息づくよう
に魔力の石はゆっくりと明滅した。
「これはあなたが造ったの、それともアイザックが?」
「石は俺です」ヘクターはいくぶん恥ずかしげに言い、同僚のほうに首を傾けた。
「でも、その銀細工はアイザックがやりました。魔力を物にこめることについては、俺よ
り彼のほうが上ですから。俺はあまり手は器用な方じゃないし」
「奥方様にめったな物を差しあげるわけにはいかないから」アイザックはむっつりと答
え、自分の答えに頬を赤くした。奥方は笑って赤毛の若者を引き寄せ、本当の母親のよう
に接吻した。
「ありがとう、二人とも。必ず身につけることを約束します。でも、人を驚かせないよう
に、そっと、内緒でね」
 そして母が出かける時になると、公子は自分の剣帯をしっかり締め、母は魔力の石の飾
りをつけて、きらめきが漏れないよう胸元に石を入れた。ヴェールをかぶった母のあとに
ついて篭や瓶をかかえ、苦しむ人々の家を回った。貧しい人々の上にかがみ込む母の美し
い姿に、公子は、幼いころ自分やヘクターたちの、また城に迎えられた人々の上に傾けら
れたと同じやさしい慈愛の輝きを、誇らしい思いで見つめるのだった。


 だが、外の世界では不穏な動きが起こりはじめていた。魔物や悪魔の襲撃を受けなくな
った周辺の領主や聖職者たちは、自分たちが課している重税や教区税から、人々の目をそ
らす目標を失ってしまったことに気づいたのだった。
 これまでは魔物や悪魔が出現したとの知らせがあれば、兵士を派遣し、あるいは悪魔祓
いを行って、お前たちの納めている税はこのためにこそ遣われているのだと見せつけるこ
ともできた。だがそれがなくなったこの数年、人々は無意味に収奪される金や収穫物に不
満を高めていた。守ってもらうべき魔物の襲撃もないのに、なぜ理不尽な重税に耐える必
要があるのか?

85 古歌-イニシエウタ-【五ノ歌】18/5 :2011/03/28(月) 00:27:06
 それに困窮して森に迷いこんだ者を救ってくれるという不思議な城の噂も、不満に拍車
をかけていた。実際にそれを目にし、また姿を消す人間があとをたたないのがその存在の
証明だった。動物以下の扱いを受けながら飢えて死ぬより、悪魔と契約しても人間らしく
暮らせるのならばと、多くの者が村を捨てて森に入った。その全員に城の門が開かれたわ
けではなかったが、確かに、森に消えて戻ってこない人間は増えていた。
 支配者たちは焦りはじめた。自分たちの支配をおびやかそうとする何者かがいる。それ
は超自然的な方法で民の心をとらえ、暗闇に引きこんで神の、ひいては、王侯や教会の支
配から人々を引き放そうとする。民草からしぼり取った税と収穫物で肥え太った彼らにと
って、金づるを闇に消え去らせてしまう者は、確かに、悪魔以外の何者でもなかった。
 そして富裕な市民の中にも、不満を抱くものはいた。医師は最近、自分たちのところに
かつぎ込まれる患者が減っていることを感じていた。
 町に流れる噂によると、それは、妖精のように美しい貴婦人が深夜、病に悩む貧しい者
のもとに現れて、薬を与え、治療法を教えていくためだという。その薬は医者の水薬や瀉
血などよりはるかによく効き、萎えた身体に力を与え、手のつけようのない熱病に劇的な
効果をもたらした。また食べ物を買う金もなく飢えている下町の貧民のもとにも貴婦人は
現れ、篭にあふれるほどのパンと、栄養豊かな果物や肉の燻製を与え、皆で分けるように
と言いおいて去っていった。
 治療費が払えず門前払いを食わせた患者が、別人のように健康そうになって町を歩いて
いるのを、彼らは何度も見かけることになった。また、パンくずひとつ買えずに青い顔で
物乞いをしていた子供が、ふっくらと赤い頬を取りもどして元気にはしゃいでいるのを見
て、商人たちは顔色を変えた。
 こうしたことはの彼らの矜持と、それより大事な世間体というものを深く傷つけた。町
の人々はしだいに医者や商人を軽く見るようになり、聖母のようにやさしく麗しいという
その不思議な貴婦人の来訪を待ちこがれるようになった。
 貴婦人の与える薬は香りを嗅ぐだけでも熱を追いはらい、苦痛を取り去ってくれた。ま
たそのパンは、まるでキリストが与えたパンと魚のようにいくら食べても減らないという
噂だった。独り占めすればあっという間になくなってしまうが、皆で仲良く分けさえすれ
ば、十人も子供のいる家族が二十いたとしても、けっして尽きることはないと。

86 古歌-イニシエウタ-【五ノ歌】18/6 :2011/03/28(月) 00:27:38
 施政者、つまり王侯と教会、そして富裕な市民たちにとって、これらはゆゆしい出来事
だった。自分たち以上の権威をもつ何者かが、人々の心をとらえている。しかも強制と恐
怖とではなく、愛と施しとで。増長した市民たちは支配の軛を脱し、反対に自分たちに襲
いかかってくるかもしれない。考えただけで身の毛のよだつ事態だった。
 なんとかせねばならない、と彼らは衆議一決した。そのような怪しい女など、いずれ悪
魔の手先に決まっている。甘い言葉や誘惑を重ねて、神のもとの従順な仔羊であるべき市
民に、いらざる知恵を吹きこもうとしているのだ。一刻も早くその女を始末し、市民を悪
魔の魔手から救い出すべきだった。なぜならその女は間違いなく魔女であり、今は甘い餌
で人々を引き寄せているが、いずれは本性を現して、人々を地獄のしもべにしてしまうに
違いないからだ……。
 ひそやかに策略を練る人間たちの影に、暗い眼窩と、むき出しの歯を持ったなにものか
が動いた。大鎌がにぶく光り、黒い外套の裾が鼠のようにさっと物陰に消えた。


 ふいに、強烈な不安にかられて彼は目を開いた。
 いつもと同じ目覚めのはずだった。棺をとすることからは長く離れており、頭の下には
人間と同じベッドのやわらかい枕と絹の敷き布があった。昨夜呑んだばかりの血の盃が、
まだ滴をこびりつかせたまま脇の小卓に置かれている。
 彼は起きあがり、鼓動していないはずの心臓を抑えて身を丸めた。自分は夢など見な
い。魔物は夢を見ない。生きながら死んでいる吸血鬼は。自分の眠りはいかに偽装しても
人のそれと同じではなく、日の出ている間、自分は死者なのだ。死者が夢を見るわけもな
い。だが、最悪の悪夢を見たと同じ、いや、それより悪いかもしれない、このいてもたっ
てもいられぬ焦燥はどうしたことだ。
 寝台から降り、脇から昨夜脱いだままの化粧着を取りあげて羽織ろうとしたとき、あわ
ただしく扉が叩かれた。
「我が主。陛下」ヘクターの息せき切った声だった。
「陛下。若君様がひどい傷を負って戻られました。ただ今離宮で手当てを受けておられま
す、急いでお越しください、奥方様が──」

87 古歌-イニシエウタ-【五ノ歌】18/7 :2011/03/28(月) 00:28:08
「リサは」自分が喋っているとはとうてい思えなかった。声が唇からこぼれ落ちるのを別
人のことのように感じていた。
「リサはどうした。彼女は。わが妻は」
 嵐のように魔王は扉に向かった。人の真似をするためだけに身につけていた化粧着は一
瞬で蒸発し、魔力がかたちをとった黒と真紅の闇の王の衣服が、昏い薔薇のように全身か
ら咲き出てきた。
 黒い暴風となって部屋を出てきた主人に鼻先をかすめられ、ヘクターは苦痛に顔をゆが
めて飛びのいた。ただの人間であれば今の一瞬で跡形もなくこの世から吹き飛ばされてい
ただろう。荒々しい魔力の竜巻として進む主人を、急いでヘクターは追った。
 この日、奥方はいつものように息子を連れて、少し離れた街へと薬を持って出かけてい
た。たいていの訪問は夜間に行われるのだったが、この街は最近、夜になると聖別された
松明や武器で武装した夜警団がひっきりなしに徘徊するようになっており、夜よりも昼
間、人混みにまぎれて入りこむ方が安全だろうと彼女は判断したのだった。
 街では最近、奇妙な疫病が流行っており、罹った者はひどい腹痛と下痢の末に、衰弱し
て死んでしまうのだった。人間のみならず、牛や馬などの動物にも被害は広まっており、
このまま放置すれば、街一つが全滅しかねない様相を呈していた。
「これは病気ではありません」と貴婦人は顔を厳しくして言ったのだった。
「だれかがあの街の井戸や川に毒を投げ込んだのです。でなければ、同じ井戸や水源から
水を飲んでいる者にばかり症状が出るはずはありません。しかも、動物にまで。なんて酷
いことを。水がなければ、生き物は生きてはいけないのに」
 そして作れるかぎりの毒消しと胃腸を整える薬、水から毒を抜くための方法をわかりや
すく示した書き物を篭に詰め込み、決然と出発したのだった。昼間に出かけることの危険
を訴えるジュリアやヘクターたちは必死に留めたのだったが、苦しむ人々を救おうとする
彼女の決意をくつがえすことはできなかった。
 一陣の黒い暴風となって王は妻の離宮に躍り込んだ。精霊の侍女たちは部屋の一隅に固
まって泣いており、全身から魔力と憤怒を発散させる主人が入ってくると、細い悲鳴をあ
げてますます身を縮めて抱き合った。

88 古歌-イニシエウタ-【五ノ歌】18/8 :2011/03/28(月) 00:28:42
 ジュリアとアイザックだけが、長椅子に寝かせられた公子のそばに膝をついていた。ジ
ュリアもまた恐怖に肩を震わせたが、気丈に礼をとり、意識のない公子の額から懸命に血
をぬぐい取ろうとしていた。公子の白い頬にはいくつも痣とすり傷ができ、服はずたずた
に裂けて、あちこちから血が流れていた。剣は長椅子のひじ掛けに立てかけられている。
長い銀髪は泥と血でよじれた束になり、裂けた唇に血の塊が盛りあがっている。
「若君様。若君様」長椅子から力なくだらりと垂れている手を、必死になってジュリアが
さすりなから呼んでいた。
「お父君がいらっしゃいましたよ、若君様。どうぞ気をしっかりお持ちになって、目をお
覚ましくださいまし、若君様、若君様」
「リサは」
 人形のように動かない息子の前に立ちつくして、彼はそれだけを口にした。
「これの母は。リサはどうした。わが妻は」
 黙して動かなかったアイザックが、手にしていたものを主に差しだした。鎖の切れた首
飾の残骸で、石を留める部分がゆがみ、血がついていた。そこで始めて王は、長椅子のか
げに目立たぬようにうずくまる、翼を持った異形の影を見た。彼の弟子たちの術によって
生み出される、魔力の結晶の産物だった。
 手をのばすと、壊れた首飾が掌に重く乗った。影の生き物が靄のように形を崩し、もと
の魔力となって首飾の乗った手に吸いこまれた。血と苦痛と狂気の味が舌の上に広がっ
た。そして混乱と悪意が。叫喚が。声高く叫ばれる神の名が……
 彼は生き物の目を通して世界を見ていた。正確には、それが宿っていた魔力の結晶を通
して。永いあいだ見たことのない昼の世界、太陽の光。行きかう人々。
 妻がいる。たぐいまれな美貌をヴェールに隠し、人々を救うためのものを詰めこんだ篭
を提げ、後ろに息子を連れて、ある家の裏口をくぐろうとしている。あたりに人影はな
い。奇妙なくらいに静かだ。
 だが次の一瞬、静けさは恐ろしい喧噪と暴力に取って代わられる。とつぜん家の中か
ら、武装を固めた兵士の一団があふれ出てくる。
 貴婦人は息を呑むような仕草をしたが、悲鳴もあげず、ただちに踵を返そうとする。だ
が、武装を固めた兵士の無骨な腕ががっしりと細い首筋を掴む。腕をすべった篭が転が
り、薬や乾燥させた薬草の束が落ちる。

89 古歌-イニシエウタ-【五ノ歌】18/9 :2011/03/28(月) 00:29:13
『魔女だ! 魔女を捕まえたぞ!』
『篭の中身に触るな! 毒だ、呪われるぞ!』
『母上! 母上!』
 若い公子の悲痛な叫びが響く。剣を抜きはらって兵士たちに斬りかかろうとするのを、
『いけません!』という母の鋭い叱声が止める。
『この人たちを傷つけてはいけません。彼らは何も知らないのです。自分がなにをしてい
るか、わかっていないのです』
『偉そうな口をききやがって、この魔女めが』
 兵士の手が母の頭からヴェールをむしり取る。下から表れた、咲きほこる百合のように
清楚な美貌にはっとしたように手を止めたが、じきに自分の任務を思い出したか、『来
い!』と腕をつかんで乱暴に引き立てた。公子も剣を奪い取られ、髪をつかんで殴られ、
蹴られた。母はきっと顔を上げて兵士を見た。
『子供に乱暴なことをしないでください。この子は何もしていません』
『何が子供だ。どうせ魔物か何かのくせに』
 返ってきたのは嘲りと暴力だった。ドレスはずたずたに裂かれ、奪い取られた。人を救
うための薬と処方は泥の中に踏みにじられて見えなくなった。大勢の兵士に囲いこまれ、
母と子は押し出されるように街の広場へと引き出された。
 そこにはすでに火刑台が用意されていた。そばには司教の冠を被った聖職者が立ち、街
に疫病と災いをまき散らした魔女に対する断罪を読みあげるべく待機していた。
 街の人々が広場を埋めていた。罵声が飛び、石や汚物が彼女に向かって飛んできた。中
には彼女に救われた人々も多くいた、しかし、今ここで表立ってそれを口にすれば、彼女
と同じように火刑台に上って焼かれるしかなかった。彼らは口をつぐみ、命を救ってくれ
た貴婦人に対して、口汚く罵りながら腐った卵を投げつけた。
 下着一枚になった彼女はそれでもまっすぐに顔を上げ、強い視線をじっと空に注いでい
た。まったく怯えたようすのない女にたじろぎながらも、司教は、街に拡がった病と汚染
された水は、すべて魔女である彼女の仕業だと言明した。でなければなぜ、その治療法を
知っていたり、こそこそと人の家の裏口から入ろうとするのか。
『おまえは魔女か、女』

90 古歌-イニシエウタ-【五ノ歌】18/10 :2011/03/28(月) 00:29:48
『お答えする意味があるとは思いません、司教様』
『おまえは井戸に毒を入れ、人々に呪いをかけ、災いをこの地にまき散らしたのだ』
『いいえ、毒を入れたのはわたしではありません』落ちつきはらって彼女は言った。
『けれども誰が入れたかは、今わかりました。けれども、口にはいたしますまい。なんと
答えようとあなたがたは、魔女としてわたしを殺すおつもりなのでしょうから』
『なんという穢れた女だ!』宝石を指にきらめかせた男が叫んだ。これは自らの手で、毒
を下町の井戸に投げ込んで回ったことのある男だった。動揺を隠すために、彼はたっぷり
したガウンの袖の中にむっちりした両手を隠した。
『まさか、闇の力に触れたこともないと抜かすのではあるまいな、貴様は?』
『闇を統べるお方が、わたしの夫です』静かに彼女は答えた。そこには侵しがたい威厳
と、高い誇りが込められていた。
『あの方は誰からも見捨てられたわたしを拾い、愛し、妻と呼んでくださいました。その
ことについてなにひとつ、否定するつもりはありません。あの方は確かに闇に住まう王、
けれども、あの方ほどにすばらしい方を、わたしはほかに知りません』
『サタンの妻! 魔王の妃!』
 あまりのことに、司教は金切り声で叫んだ。群衆は震えあがった。その時まで石を投げ
ることに躊躇していた少数の人々も、目の前で堂々と発された、闇の者への愛という究極
の冒涜に、口もきけなくなった。
『魔王とお呼びになるなら、たしかにそうでしょう』と彼女は言った。
『あの方は闇の王、夜と影と暗黒に住まうすべてのものを支配する方。けれども悪魔では
ありません、少なくとも、あなた方が考えているような意味では。愛を知り、与え、また
求めることのできるものの、いったいなにが悪魔でしょうか』
『えい、黙れ。黙れ』
 狂ったように司教は杖でもって彼女を打ちすえた。女の目はあまりにも美しく澄み、彼
の内心さえも貫きとおすようだった。領主や商人たち同様、貧しい人間のための水源に毒
を入れることを、神の仕事を果たす手段として承認したことを、司教ははじめて恐ろしく
感じ、恥じた。だがそれはすぐに目前の敵、魔女、彼の秘めた悪事を見透かす者への強烈
な殺意にとって変わった。なんとしてもこの女を消してしまわねばならなかった。女があ
らぬことをしゃべりださないうちに。毒と疫病が本当は誰のしわざなのか、あの青く澄ん
だ夏空の色の瞳が、人々に告げてしまわないうちに。

91 古歌-イニシエウタ-【五ノ歌】18/11 :2011/03/28(月) 00:30:24
『燃やせ! 燃やせ!』
 狂ったように群衆は叫んだ。興奮と狂熱があたりに煮えたぎり始めていた。彼女に救わ
れた家族でさえ、今は敵だった。サタンの妻! 魔王の妃! そのような者の救いを、今
まで嬉々として迎えていたとは!
『燃やせ! 燃やせ!』
『燃やせ! 燃やせ!』
 下着まで引き裂かれ、肌もあらわな姿で彼女は火刑台に引きずりあげられた。汚物と血
で汚れた顔を、それでも彼女は高くあげて空を見つめていた。凛とした横顔のあまりの高
貴さに、刑吏の手はとまどい、ためらったが、なんとか自分の仕事を思い出した。
『子供も燃やせ! 悪魔の息子だ!』
 地面に押さえつけられていた少年に、群衆が殺到した。それまで必死にもがき、叫び、
あがいていた公子は、殴打され、踏みにじられながらも母のもとへ近づこうとしていた
が、自分を殺そうとつかみかかってくる数多くの凶暴な手に、はっと身を固くした。本能
的な恐怖が、少年の裡に流れる闇の血を呼び起こした。銀髪の少年の姿はゆらめき、溶け
て流れるように見えた。
 次の瞬間、そこには傷つき、血を流した一頭の狼が横たわっていた。狼は悲痛な叫び声
をあげると、身をよじって人々の手を逃れ、ひと飛びで高い屋根へ駆けあがると、全身の
毛を逆立てて唸り声をあげた。
『変身したぞ!』
『悪魔だ! 悪魔の子だ!』
 恐怖のどよめきが群衆からあがる。狼の姿は輪郭を崩し、ふたたび少年の姿に戻った。
 だが、その形相は一変していた。呼び起こされた闇の血のために、淡い蒼色だった瞳は
爛々と金色に燃えていた。小さな唇からは牙がのぞいて、獰猛な唸り声がもれていた。指
は折れ曲がって建物の端をつかみ、延びた鉤爪が釘のように梁に食いこんでいた。血を流
す身体と、捕らわれた母、そして周囲を取り囲む狂乱した群衆に、怒りの咆哮をあげた。
全身をぶるぶると震わせ、何かを脱ぎ捨てるかのように、背中を曲げた。
『いけない!』

92 古歌-イニシエウタ-【五ノ歌】18/12 :2011/03/28(月) 00:30:57
 声とともに、銀色のきらめきが飛んだ。誰もが水を掛けられたようにはっとした。子供
に気を取られていたすきに囚人が何かを投げたことに気づいて、刑吏があわてて女をしっ
かり押さえつける。屋根の上で少年はぎくりと身を引きつらせ、あたりを見回した。その
頭上に、黒い翼が大きく広がった。両腕がつかまれ、足が屋根を離れた。
『は、母上!』
『憎んではいけません。人を憎んでは』
 火刑台の上に立ちながら、母はやさしく微笑んでいた。幼い日々、平和な離宮の庭で、
暖かな居間で、静かな寝室で、いつも見ていた笑顔だった。
『あなたのお父君は、あなたに人として育ってほしいとお思いでした。わたしもそう思い
ます。ですから、人を憎んではいけません。あなたがいま見ているのは人のほんの一面に
すぎない。悪も善も、両方を秘めているのが人間なのですから』
『母上、いやです、母上』
 涙声で公子はもがいた。もしものためにとヘクターから渡されていた魔力の結晶から生
まれた怪鳥が、力強い脚と翼で公子の身体を吊り下げていた。嘴には奪い返してきた公子
の剣もくわえている。泥に汚れた頬に涙が筋を引く。
『母上、私、私は──』
『火をかけよ!』
 これ以上しゃべらせてはならないと判断した司教が、大声で命令した。女はすでに柱に
縛りつけられ、脚もとには油に浸された薪が積みあげられていた。松明が投げ込まれ、た
ちまち燃えあがった。裂けたスカートの裾が燃えあがり、炎が立ちのぼった。熱さに近く
にいた群衆が波が引くように下がった。
『母上──母上!』
『アドリアン、──』
 轟炎に囲まれて立ちながら、母はなおも微笑んでいた。その唇が、最後に小さく動くの
を公子は見てとった。その言葉が意識に刻まれると同時に、少年の力は尽きた。
 瞼がおり、視界が暗くなった。ぐったりとなった公子をつれて、影の生き物は燃えさか
る処刑台と歓呼する群衆をあとに、一路、闇の城へとはばたいていった。

93 古歌-イニシエウタ-【五ノ歌】18/13 :2011/03/28(月) 00:31:29


 これらの事実を、手の中で消滅するまでのほんの一呼吸のあいだに、生き物は王に伝え
た。王はそのすべてを見、聞き、知った。妻の身に何が起こったかを理解した。幻が消え
ても、彼はしばらく彫像のように凝然と空中を見つめていた。あたかもそこにまだ、妻の
顔と、それを取り囲んだ火、押し合う群衆の紅潮した顔また顔が見えるかのように。
 やがて彼は握りつぶされた首飾の残骸を手から滑りおとすと、ヘクターと小さなジュリ
アの呼び声に背を向け、よろめくように城へと足を向けた。
 そこから先は断片的な映像でしかない。安らかに食卓を囲む自らの民を、愛と尊敬でも
って彼を養っていてくれた人々の住む村は、一瞬にして暗黒の翼に包まれた。湯気をたて
る料理も、子供のおもちゃも、つくろいかけた着物もみな置き去りにされ、風に吹き払わ
れたように村は無人となった。咲きほこる薔薇も沈丁花も吹きすぎた颱風によってあっと
いう間に黒く枯れ果て、塵となって辻に舞った。
 彼は自らの足もとに恐れおののく民を見た。これまで愛情深い主であった王の突然の変
貌に驚き怯え、理解できないまま身を寄せあっている人々の顔を見た。その善良な顔の一
つ一つは、妻の死に熱狂していた人間たちと同じだった。どれも人間、どれひとつとして
変わりはない。炎の中で彼女は死んだ、リサは、リサは……。
 魂ぎる絶叫を遠いもののように聞いた。肉が裂け、甘く新鮮な血と恐怖の香りが濃く鼻
をついた。長く嗅いだことのない芳香だった。人形のように手足が放り出され、豚を捌く
ようにはらわたが地上にこぼれだした。いまだに驚愕と恐怖を貼りつけた首が引き抜か
れ、血しぶきをたてて床に落ちた。
 絶叫と混乱は、徐々に鎮まっていった。気がついたとき、彼は踝まで血に浸る部屋の中
で、五体を引き裂かれた人間たちの死体に囲まれ、唖然と膝をついていた。
 自分が何をしていたのか、何をしようとしているのか、ほとんど考えてもいなかった。
頭はしびれたようになり、白い靄につつまれていた。その中でただ一つ、炎で書かれた文
字として、妻の名前が大きく燃えていた。
 リサ。


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