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TSFのSS「魔封の小太刀」

1luci★:2009/09/07(月) 20:07:03 ID:???0
 『昔々あるところに、とても腕の良い刀鍛冶がいました。
 ある日刀鍛冶は神託を得、魔を祓う太刀と小太刀を作り始めました。ところがこれに驚いた魔の者たちは、そんなものがあっては困ると刀鍛冶をころす相談をしました。
 けれども刀鍛冶には神がついています。魔の者たちは触れる事さえできません。色々考えた挙げ句、刀鍛冶の想い人を使うことを思い付きました。神の力のおよばない場所に誘き出そうと言うのです。

 ……斯くして、小太刀は完成しましたが、太刀は未完のまま刀鍛冶はこの世を去ってしまったのでした。』

* * * * * * * * * * * * * * * *

2luci★:2009/09/07(月) 20:11:22 ID:???0
 針葉樹林に囲まれた社。その付近から妖しい気配が漂っていた。良く見れば霧中に二つの影が近づき、そして離れ、澄んだ空気に鋼が当たる音が響いている。
 全身黒尽くめの痩身の男が刀を構えている。その左手には黒漆の鞘を、そして右手には一振りの太刀を持ち、構えている。ギラリと光る刀身は寒気が走る程に美しかった。
「……貴様、なぜ『封魔の太刀』を持ち出す?」
 そして対峙する男、御厨玲は、同じく真剣を中段に構え、少し左足を引き気味にしながら、大きく息を吐き問うた。真剣対真剣の勝負に五感はピリピリと周囲の気を感じ、じっとりと嫌な汗が身体中を舐めている。
「わしはこの太刀の力を一番知っている。これを仕上げ、この世の『魔』を支配する。そして」
 痩身の男は静かに言ってのけた。余裕があるのか、構えようともしない。刀身をじっくりと鑑賞しながら玲との間合いを一寸刻みで縮めていく。
「裏切った彼奴をもう一度封じてくれようぞ」
 壱の太刀を浴びてから、玲の動きは極端に悪くなっていた。只浴びたと言っても太刀が触れた訳ではない。『封魔の太刀』は初太刀に『魔』の力を削ぐ能力を有していた。
(くそっ、力が…。一体どうなってるんだ?)
 焦燥、そして恐怖。これまで玲が感じた事がない感情に、押しつぶされそうになってしまう。いつも『魔』を相手に『封魔の太刀』を振るってきた玲だったが、その刃が自分に向けられるとは思いもしなかった。それに、『魔』でもない自分が力を奪われるとも。
 数日前から降る雨の影響で地盤がゆるみ、山の東側では地滑りが起る程だった。群生しているコケとシダが足元を悪くし、スニーカーを履いていた玲にとっても踏み込む際に滑らないように気を取られてしまう。条件は最悪だった。
 玲はこれ以上の体力の消耗を嫌い、自ら攻めに転じようと、一気に間合いを詰める。しかし極度の緊張と焦燥でほんの一瞬、まさに刹那、踏み込む足が滑ってしまった。
「!」
 霧を纏うように痩身の男が間合いを詰める。その手に握られた太刀の鋭い斬撃が玲の首筋を狙うと、銀色の光が残像を残し扇のように広がりつつ、いやにゆっくりと近づいてきた。玲は突きを見舞おうとしていた刀を返し、痩身の男の太刀を鍔元で受けた、はずだった。
「うッ、な?」
 『封魔の太刀』はまるでカッターで紙を切るように、玲の持つ刀の刃を「切って」いた。「キィーン」と甲高い音が鳴り、刀が宙へ舞う。
 太刀はそのまま玲の身体を切って行く、玲の足は止まり、身体をその大地の冷たさを感じていた。
「ははは。なんと無様な。御厨とも在ろう者が」
 足元に佇む痩身の男は、玲を嘲笑しながら見下ろしていた。玲の身体から暖かい血が冷たい土へと吸い込まれて行く。三太刀目を浴びせようと男が振りかぶった。
「? お前は……はははっ、この世は斯くも狭いものか?! お前はわしを覚えておらんのか? 己が何者かも思い出しもせんのか!」
 出血で次第に意識が朦朧としてくる玲の耳に、聞きなれない言葉が届いていた。男が何かを唱えている。
「………。ふん、これでお前は……。……………己が何者か、思い出した上で殺してくれるわ。目が覚めたら己が姿をとくと見よ」
 それが薄れていく意識の中で玲が聞いた最後の言葉だった。

* * * * * * * * * * * * * * * *

3luci★:2009/09/07(月) 20:12:13 ID:???0
 うっすらと回りに人の気配がした。次第に焦点が合ってくると、そこにはおやじ殿と涁がいた。
「玲! 気がついたか?!」
「!!!」
 おやじ殿の声に身を起こそうとした途端、身体に激痛が走った。
「無茶はするな。今は安静にしていろ。あぁあぁ、太刀の事は後からでいい」
「……お前さ、俺がサポートに行くまで待たないからこんな事になんだよ」
 心配そうなおやじ殿と比べ、我が兄は痛いところを突いてくる。
 分ってはいたんだ。封魔の太刀を持ち出した事で、普通の相手ではない事を。しかしあの時は……。
「何、文句があんの? ったく、女がこんなキズ作ったら嫁の貰い手が無くなるっつの」
 文句は色々あるが。それより、涁、今なんて言った?……女? 誰が?
「涁、今、なんて? あ? 声?」
 声が明らかに俺のではなく、高い? そう思って自分の手だというのに重く感じる手を挙げ、のど元をさすった。のど仏が無い。俺だって二十歳前とは言え男だ。のど仏くらい出ている、いや、出ていた。それが無い。
 出血のために血の気の無い顔が、もっと青くなっていたに違いない。俺は身体のあちこちをのろのろと、探った。
 ……上に二つ、無いものがあった。下に、あるものが無かった。
「お、おやじ殿っ、しん! 俺、俺、女に!」
 痛みも一切構わず、あらん限りの力を振り絞りおやじ殿と涁の腕を掴んで、叫んだ。けれど、二人は顔を見合わせて眉間に皺を寄せただけ。
「だから、男なのに、身体が、女になってるっ」
「お前、大丈夫か? 元々女だろうが」
 いつでも俺に厳しく接して来た双子の兄だった筈の涁は、いつにも増して冷ややかに言った。
そして、俺の混乱をよそに、その日を境に俺の環境は一変したのだった。

* * * * * * * * * * * * * * * *

4luci★:2009/09/07(月) 20:12:56 ID:???0
「はぁ……」
 不必要な溜め息を吐いたのはこの数週間で何度目だろう? 抗生物質の点滴と尿道へ直接刺さっていた管のせいと、刀傷のために起き上がれなかった時には、そんなに違和感はなかった。看護士との会話の時だけ、その声が耳に入った場合に感じたくらいだ。
 しかしこうして洗面所の鏡の前に立つとその変わりっぷりに戸惑ってしまう。短かく刈り込んでいた髪は長くまっすぐに背中に達し、細い眉は三日月のように形良く、ちょっと気の強そうな目には長い睫が反り返って鳶色の瞳を守っている。鼻筋は通り高からず低からず、唇はほんの少しふっくらとしている。そして、洗面台が高い……と言うより今の背が低いのか……。やっとシャワーの許可が下りた時には、色んな意味で痛かった。その体型が……。
 どう考えても別人にしか映らないはずなのに……この姿を「玲」だと言う。俺が知っている「玲」の姿とは大違いだというのに。おやじ殿にも涁にも何度も言ったが、結局頭部のMRIを撮られるにいたっただけだった。
「はぁ……」
 その時の事を考えるとまた溜め息が。「男だ」と言えばおやじ殿も涁もハモって「お前は女の子だ」と言われ、「俺」と言えば涁に小突かれた。涁が何度も「わたしと言え」と強要してきたから、一人称を「玲」として使い始めたが、涁には「似合わないからやめろ」と言われるに至っている。
 誰にも信用されないと、自分が間違っていたのかと思ってしまう。ましてや、自分以外の事柄は、全て記憶にある通りなのだから。
 俺が守れなかった魔封の太刀は、入院中色々と事件を起こして各地を巡っているようだった。勿論、刀による殺傷事件ではなく、封印していた魔を次々と解放してそれが人々に憑き事故や事件を引き起こしていた。
 涁からその様子を聞く度に、ベッドで苦々しく思って来たが、今日それが解消される。退院だ。これでヤツを追える。
 パジャマのボタンを外すと、ささやかに出っ張っている乳房が見えた。毎度の事とはいいながら、慣れない。しかしこれは「房」とは言い辛い……。肩口の傷跡を見ながら、シャツに手を伸ばした。
「玲、迎えに……全然成長してないな。でもわたしは構わないぞ。そういうのも好きだからな。しかしブラはしなさい。少しはごまかせるから。あ、着替え続けて続けて」
 頭からシャツを被っただけの、上半身裸の状態の時、おやじ殿が扉を開けてカーテンの脇から顔を覗かせた。俺は元来男だから、男に裸を見られても構わない、が、おやじ殿は女の子だと認識している筈。この状況は明らかにおかしいのではないか?
「……おやじ殿。出てってください」
「イヤ玲。可愛いお前の着替えも手伝わないと」
「普通は手伝いません! 出て行かないならせめてカーテン閉めてください!」
 大声で言うなり手近なものを投げ付けたが、おやじ殿は怯む事無く指先で摘むように受けた。
「減るもんじゃなし、いいと思うんだが」
 いかにも不承不承という感じでおやじ殿は出て行った。
「……はぁ……」
 これから何度くらい溜め息がでるのだろう。

5luci★:2009/09/07(月) 20:15:07 ID:???0
 着替えを済ませ一通り病室を片づけ、お世話になった看護士さん達に挨拶し、おやじ殿を回収し階下へ降りて行くと涁が車の前で待っていた。
 何やら涁とおやじ殿がどちらが運転するかで揉めていたが、結局涁が運転席へ、俺とおやじ殿が後部座席へ座った。おやじ殿は俺の足を見てスカートがどうのと小声で言っていたが、それは敢えて無視した。スカートなんて誰が穿くか。そんな事より大事な事がある。
「……太刀の行方、どうなってますか」
 入院中、二人が俺に気を使ったのか、太刀に関する情報は殆ど貰えなかった。だから何らかの事件のニュースがある度に封魔の太刀が使われたせいだと、自分の失態を呪っていた。
「大まかには分ってるんだ。でもな、解き放たれた魔をどうやって倒して封じるのか問題もあるし、おまけに太刀と正面から戦えるかどうか」
 ルームミラーで俺を覗き見ながら、涁が頭を掻きながら言った。その目の下にはクマが出て、ここ最近の苦労を物語っていた。
「正直、手を拱いてる感じだ、なぁおやじ」
「いや、拱いてるのは涁だけ。方法はあるんだよ、玲。(問題もあるんだけど)」
 その方法を知っているのは俺だけだとでも言わんばかりに、おやじ殿は笑みを浮かべ俺の肩を抱き寄せた。……おやじ殿ってこんな人だっただろうか?
「それってどんな方法なんですか?」
 おやじ殿の手をどかし、少しドア側に腰を移動させつつ尋ねた。涁も聞かされていなかった事に腹を立てているのか、むすっとしながら視線を投げ付けた。
「御神刀は封魔の太刀だけじゃあない。実はもう一振り、小太刀がある。二振りとも同じ人物の作だと言い伝えられててな。力も太刀と同じ位あるらしい。実際使った事もないし、真偽は分らんが」
「初めて聞いたな。俺にも使えるのか?」
「知らん。使った事がないって言ったろうが」
 涁は何か言いかけたが、そのまま黙って運転に集中していた。

* * * * * * * * * * * * * * * *

6luci★:2009/09/08(火) 09:14:05 ID:???0
 神社、と言っていいのかと思うくらい小さい社。その後ろには山がそびえる。その山の中には小さな祠があり、封魔の太刀が納められていた。社の近くに御厨の道場兼私邸があった。
 その社に着くと、おやじ殿はそそくさと奥に行ってしまった。俺たちは言われた通り道場で待っていると、細長い木箱を持っておやじ殿が戻って来た。
「これが件の小太刀だ」
 見れば何の装飾もない白鞘におさめられている。太刀と異なり、圧倒されるような凄みも触れたら切れてしまうような怖さもない。ただ、大きなお札が封印として貼られている。
 涁が手を伸ばすが、あと数センチのところで固まってしまった。太刀と同じく小太刀も俺しか使えないのだろうか。
「玲、なかご」
 おやじ殿が目釘抜きを渡しながら言った。小太刀を手に取ると太刀と同じ位の重量を感じた。
 鞘を掴み両手に力を入れそこから抜き取る。中から現れた刀身は道場の光を反射させ、目が眩むように輝いている。しかし同時に、道場の温度が二三度下がった気がした。
 目釘を抜き、柄尻を握りそのまま手首を拳で叩くと次第に緩み、ハバキがちゃりちゃりと音を立てた。そのハバキを掴み刀身を柄から引き出すとなかごが現れる。
 すっかり分解した小太刀を床においた時、なかごから重く暗い空気がドッと俺たちを包んでいた。一気に緊張が高まり、イヤな感じの汗が滲んで来た。この感じは……そう、強力な魔が近くにいる時の感じだ。太刀をどうこうというより先に、この小太刀の封印を解いても良かったのか?
「おやじ殿、これは一体……?」
「静かに。今、分る」

7luci★:2009/09/09(水) 18:04:01 ID:???0
 窓から明かりが入っているにもかかわらず、一段と肌寒くなり暗い雰囲気になった――その時。
『吾は宝珠丸。封印を解いたのは誰か……? 御厨のものか?』
 無気味な声が直接頭に響いた。その声で肌が泡立った。
「私は御厨第29代当主、東吾という。太刀のことで合力願いたい」
 何かが小太刀に憑いている……涁も俺も顔を見合わせた。あろうことかおやじ殿はそいつに手伝わせようとしている!
 俺はその危うい行為に口を挟もうと腰を上げかけた。しかし涁に手を捕まれ行動を制せられた。
『何をする?』
「それは……」
 おやじ殿は太刀の盗まれた経緯を説明した。そして。
「封魔の太刀によって何故に魔が産まれるのか分らんが、その魔を封じ、太刀を奪還して貰いたい」
『満足いく見返りさえあれば、いかようにも合力しよう』
「いかなるモノでも構わん」
「ちょっと待って、おやじ殿」
 あまりの事にとうとう口が動いていた。俺に取っては耳慣れない声が道場に響く。しかしこうなっては言わねばならない。
「小太刀の中になにものかが憑いているのは分った。これだけの妖気を出すんだから、それなりに力もあるんだろう。でも、封魔の太刀と同じような力があるとは思えない」
 偽らざる気持ちだった。それに、あの賊は太刀、こちらは小太刀。実力差も加味すれば、悔しいが勝ち目がない。おまけに男から女になっている。一振りの小太刀が、基本的な身体能力もカバーしてくれるとは到底思えなかった。

8luci★:2009/09/09(水) 18:04:39 ID:???0
『ふん、己の未熟な腕など俺の力でどうにでもなる』
 心底見下した言い方に唇を咬んだ。
「玲、魔は魔の世界のものに任せるのがいいんだ。私たちはそれで人を救えばいい。それが商売として成り立てばもっといい。お前は私の言う事を聞いていればいいんだ」
 言いたい事はあったが、それは言えなかった。全てが言い訳になりそうだ。
『……では今一度、取り引きだ。今回の使用者は誰か?』
 おやじ殿も涁も俺を見た。俺も小さく手を挙げた。
『お前か……んん? お前……そうか、分った。吾は使用者の大切なモノを喰らうことで存在している。見たところ……お前はあまり物に対して執着心がないようだ。……よし、決めたぞ』
 幼い時から封魔の太刀を使って生活しろと言われていた。普通の子どものように遊ぶようなことも無かったし、おもちゃを欲しがる事も無かった。
「ま、待て! おやじ殿や涁の命と引換えにする気はないぞっ」
 そう、大事なものと言えば、封魔の太刀と家族くらいのもの。太刀は盗まれ、残ったものは家族くらいしか想い至らなかった。俺は前もって制するために声をあげた。しかし、小太刀に憑いた魔の言葉は意外だった。
『お前の家族? そんなものはいらん。第一、ここには』
「宝珠丸っ家族でないなら何なんだ? 早く言ってみろ」
 何か慌てた風でおやじ殿がヤツの言葉を遮った。涁の方を見ると、すっと視線を俺から外した。腑に落ちなかったけれど、家族以外の大事なものが気になって尋ねる事はしなかった。
『お前、聞こえるか? これよりお前とだけ話す。返事は考えるだけで良い』
 おやじ殿と涁に一瞥をくれると、じっと小太刀を見据えている。聞こえている様子はないように思えた。しかしなぜ俺とだけ話をするんだろう? 
 聞こえる、と考えると宝珠丸が言った。
『お前が吾を使う度に、お前の【男であった記憶】をいただこうぞ』

9luci★:2009/09/10(木) 17:14:04 ID:???0
 俺はその言葉に驚いた。肉親ですら信じていなかった女性化。それをいくら強力な魔だとしても判るとは。
 実を言えば入院中なぜ女になったのか考えていた。あの賊の言葉思い起こせば、何と無くヤツが関わっているに違いなかった。しかしもしそうだとすれば、人にこんなことはできない。ヤツは人外のものと言うことになる。ところがヤツは封魔の太刀を持って行った。人外のものなら太刀を持てない筈……。それに、女の体になったのが後天的ならば、なぜおやじ殿も涁も俺が男であったことを忘れているのか? 考えても明快な答えは出てこなかった。
 意外なところに答えが見つかるかも知れない。こんなことを言い出す宝珠丸ならば、何か知っているに違いないのだ。
(なぜ、それを欲しがる? この姿を見たらそんなことは言えないだろう?)
『お前の周囲に淀んだ呪詛が見える。男を女とする強い呪詛が』
(……呪詛だけなら、なぜおやじ殿や涁がわからない? 適当なことを言うな)
『口の減らんガキだ。この呪詛はな、お前だけではない、その周囲の人間さえもかかってしまう。お前の傍に来るだけで、お前の元の姿は忘れられ今のその姿を本来のものと見る。本来は人を陥れ苦しめるだけの呪詛だが……』
(! どうしたら元に戻れるんだ?!)
『呪詛をかけた相手を消し去れば普通は消える。しかし、今のお前では無理だろう』
 そこまで聞いて俺は再考した。ヤツを倒せば、太刀も戻り男にも戻れる。【男であった記憶】を失うとしても、倒すまでに力を借りなければいいだけだし、短時間であればそれ程でもないだろう。結局選択肢は一つしかなかった訳だ。
「おい、玲?! どうしたんだ?」
 床を見ながら押し黙っている俺を不審に思ったのか、涁が声を掛けた。
「あ、いえ、取り引きの品を聞いていたんです」
『して、応ずるか否か?』
 使う使わないは俺しか決められないのだ。俺は意を決し、深呼吸した。
「承知した。その代わり全力を尽くしてもらう」
『さて、これで約定は成した。吾は常にお前と一緒に居らねば肝心な時に力が出せんし、いただくこともできん。お前、左手を出せ』
 確かに小太刀とは言え、刀を持って歩いては捕まりかねない。何をするのか分らなかったが、言われたとおりにした。すると。
「ああっ、入ってくるっ」
 小太刀に左手をかざすと、鞘ごと小太刀が手の中に入ってきた。痛い訳ではなかったけれど、異物がぐいっぐいっと体内に入ってくる感覚など味わった事の無い俺にとって、それは思わず情けない声を上げてしまう程のものだった。おやじ殿も涁も固唾を飲んで見守っている。事の成り行きが分らないせいかも知れない。
「あ、あ、ぁん」
『そう艶っぽい声を出すな。こうすれば小太刀も吾もお前が願いさえすれば使えるのだからな』
 時間にすれば二十秒程度だったろうか。魔封の小太刀は俺達の前から消え、俺の左手に住まう事になった。
 退院したてで、こんなことになったからか、俺は体も心も疲れ切っていた。道場から涁に抱きかかえられるようにして出た。いつもは厳しいが、こんな時は必ず頼りになる。
「――何を要求されたんだ?」
 徐に涁が聞いてきた。先を歩くおやじ殿もちらりと振り返った。興味津津というところだろう。
「あ、まぁ、えと、た、楽しい記憶です。楽しいのって尽きないから……いいかなと」
 戸惑いながら言った答えを信じたのか、それ以上は聞かれなかった。心に引っかかった何かのせいで、俺は正直に話さなせなかった。その日、あまりにも疲れたせいか、引っかかりの正体を調べることはできなかった。

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10luci★:2009/09/25(金) 17:10:06 ID:???0
 まだ夕方だと言うのに、校舎の裏手は既に宵闇という位だった。そこが数日前、生徒の遺体があったから、かも知れない。
 そこに少年が一人、俯きながら佇んでいた。
「お前が悪いんだ。俺じゃない。俺が好きなの知っててあいつとつき合ったりしたからこうなったんだ。俺は悪く無い」
 顔を歪めた表情は、後悔からではなく愉悦からだ。身体が震えるのは恐怖ではなく明日からの楽しい日々のせいだ。
「なぁ、俺が後ろに立った時、びっくりしたか? 俺の後ろにいる奴らに落とされた時、怖かったか? 俺は爽快だったぜ、馬場」
 少年の背後にあった黒い影は、次第に大きくなって少年の身体を包み込んでいた。しかし目を瞑り悦に入っている彼には解らなかった。
「明日っから、千草は俺が慰めてやるよ。ちょっかい出す奴はこいつ等が始末してくれるしな」
 辺りに嘲笑が響いたかと思うと、それが悲鳴に変わるのに時間はかからなかった。

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11luci★:2009/09/30(水) 19:41:52 ID:???0
「玲先生、さようなら」
 一人一人、着替えを終った子ども達が三々五々帰って行く。数十分前まで、彼等の声が響いていた道場は、今は俺だけになっていた。
 魔を退治する、言葉にすれば格好いいが、実際には胡散臭さはあるし、見入りも少ないらしい。らしい、というのは、交渉はおやじ殿がしているから、俺は解らない。涁もきっとそうだろう。それに羽振りがいいとも思えない。
 いい大人がぶらぶらしている訳にも行かないし、昔から道場を開いていることもあって、俺が稽古をつけて日銭を稼いでいる。
 女性化して今日が初稽古になった。俺は少し期待をしていた。肉親以外には「玲」だと思われないのではないか? そんな淡い期待。
 しかしそれはあっさり裏切られた。誰も疑わない、というより元々が女としか見られていない。
 あまり言い続けるといけないと思って、おやじ殿や涁の前では考えないようにしていたが、こうして静かな場所で一人になると、違和感で心が折れそうになる。それまでの自分を否定されているような、誰も見てくれていないような。
 ここにこうしているのに、「玲」という存在は違うところを指している。実態がない、というのが適切かも知れない。
 身体の変化の戸惑いや、おやじ殿が嬉々として買ってくる女の子の服を着用することについては、毎日の生活で大分慣れてはきた。しかし、それを積極的に受け入れようと思っていない。涁も何かにつけて「女の子なんだから」というし。
 いい加減にして欲しい。早く元の姿に戻りたい。そうでなければ、精神的におかしくなりそうだ。
 戻ると言えば、稽古の最中に涁の車の音がしたな。例の賊の足取りが掴めたんだろうか。先程とは違う期待が沸き上がっていた。

12luci★:2009/10/01(木) 18:27:49 ID:???0
「玲、朗報だ」
 相変わらず、涁は唐突だ。しかし今はその単刀直入さがいい。
「太刀の行方が分った?」
 ニヤっと笑いながら俺の側に腰を下ろした。
「今回は骨が折れたぜ。お前、●●市って知ってるか? そこに昔から内と懇意にしてるところがあって……」
 要するに、人づてに怪しい淀みを探して、その一つがそれらしいと言う事だった。
「確信があるんだよね? なら早く行こう。夜になれば動き出すだろうし、今から行こう、涁」
「いや、今日は駄目だ。明日行く」
 直ぐにでもこの身体から解放されたいって言うのに、明日? 今日だってまだ終った訳じゃない。なぜ他人事のように冷静でいられるんだ?
 俺は立ち上がって叫んでいた。
「涁が行きたく無いなら、一人で行く! のんびり後から来い!」
「ちょっと待て玲。バックアップがいなかったらまた前回と同じだろうが。熱くなり過ぎたら見えるものも見えなくなるぞ」
「ひと事だからって……! 信じて貰えてないけど、女の姿なんて早く止めたいんだっ。大体バックアップって言ったって、涁より俺の方が上だろう?! 太刀にも触れないじゃないか!」
 言った直後、俺は涁の苦々しい表情を見た。その顔と興奮し過ぎたせいか出始めた頭痛で、俺は幾分冷静になっていた。
「……どう思おうと勝手だけどな。おやじに了解して貰わなくちゃいけないだろうが。どうせおやじの事だ、明日行けって言うだろう? だから明日なんだよ」
 そのまま立ち上がり、背を向けて歩き出した。
 冷静になってみれば、戻りたい一心で涁に当たっただけかも知れない。それに、言うべきじゃない事を言ってしまった。
 御厨の家は、代々魔封の太刀を使い、人に仇なす魔を封じて来た。しかしこの太刀を扱える人間は、御厨の家でも、その代に一人いるかいないか。おやじ殿の代は兄弟がいなかったためか、使える人間がいなかった。誰も鞘から抜く事も出来なかった。魔封を生業としてきただけに、経済的には大打撃だった。だから涁と俺が産まれた時は期待された。
 特に涁は長男だっただけに期待が大きかったようだ。俺は物心ついた時には太刀が傍らにあった。尤も、この辺の記憶は曖昧なんだが……。
 剣の腕は別としても、涁も好きで内偵をしている訳ではない。十分解っていた筈なのに……。
 おやじ殿の部屋に行こうというのか、道場から出ようとしている涁を慌てて追いかけた。
「……し、涁?」
 涁の着ているスーツの袖を軽く掴んだ。涁が立ち止まると、喜怒哀楽の無い視線が降ってきた。
「あ、いや、ごめん。言い過ぎた」
「……」
「涁……」
「言葉遣い! 妹だろうと弟だろうと、もっと年上をリスペクトしろ」
 感じた事も無かったけれど、涁の大きな手がぽんぽんと俺の頭を叩いた。涁の顔を覗こうとしたけれど、大股で歩き始めたそれを見る事は出来なかった。

13luci★:2009/10/07(水) 18:55:13 ID:???0
「ハカラレタ……」
 校長の見事に禿あがった頭が俺の目の前にあった。
 一昨日おやじ殿の話を聞いた時、ピンとくるべきだった。
 極近い場所で変死が続いている事。魔の力が働いている可能性があること。これはいいんだ。それが学校だというところで、こうなる事を考えるべきだったんだ。
「おい、玲。取り合えず聞いとけよ」
 小声で涁の諌める声。既におやじ殿の友人だとか言う高校の理事長から聞いている事件の概要や、自分の心配事をひとしきりしゃべり、喉が枯れたのか、校長は湯飲みを手にしていた。
「――ですので、理事長の手前校内での活動を許可しますので、どうか、事を大きくせず収めてください」
 生徒が数人死んだというのに、この事なかれ主義はどうかと思う。テレビや雑誌の取材で疲れているのは解るが。
「では後の事は担任に任せます。木崎先生、お願いします」
「あなたのクラスは、亡くなった二人の生徒のクラスです。まぁ、短い間ですが、せいぜいがんばってください」
 校長の横に憮然と立っていた神経質そうなメガネの男が、胡散臭そうな目を俺に向けた。この小娘が、というところか。俺だってそう思った。この姿を鏡で見たときは。
「玲、俺はこれで。……なかなか似合ってるぞ」
 校長室を出しな、真剣な表情で涁が言った。なるべく考えないようにしているところに、そんな風に言われると返って傷つく気がした。
『吾も良いと思うぞ』
(うるさいな。――おまえは魔の残気でも調べててくれ)
 昨日から宝珠丸は何かと姿の事をからかってくる。そんな事よりレーダーのようにどこにいるか探っていて欲しい。
『してもいいが、男の記憶を貰いうけるが』
(――やはりやめよう。静かにしててくれ)
 今回の件で、学校という閉鎖空間で自由に内偵をする方法として選ばれたのが、「生徒として紛れ込むこと」だった。おやじ殿は論外として(教師としてならありだが)、涁では年齢が上過ぎた。残ったのが俺という訳だ。
 しかもおやじ殿も涁も今朝まで「女子高生」する事を言わなかったのだ。
 生徒に戻って内偵する。それ自体は苦痛でも何でもない。しかし、女子高生としてクラスに仮編入となると話は別だ。
 家ではなるべく胴着と袴を穿いて、おやじ殿が買ってくる可愛い服を着ないようにしていたくらいなのだ。大分女性の姿が慣れたからと言って、女性らしく振舞っている訳ではないし、そうあろうと思ってもいない。何しろ、男に戻りたいのだから。それ故に早く事件を片付け、太刀を追いたいのに。
 ところがどうだ。紺のブレザーに赤のリボンタイ。プリーツスカートは膝上十センチ。おまけにニーソまで着用して。既成品だというのに、俺の体が一般的サイズなのか、胸以外はぴったりだった。それがなんとも情けない。
 結局、校長とのアポの差し迫った朝の時間に、おやじ殿に家計が火の車だとか、玲の服をたくさん買いすぎただの言われると、折れるしかなかった。先立つ物がなくては生きていけない。大体、考える暇も与えられてない。
 着替え終わった俺を見るおやじ殿のやにさがった目が全てを物語っていた。これがおやじ殿の計略でなくてなんだというのだ。
「――やさん? 御厨さん? 教室はここですよ」
 若干怒りに震えながら考え事をしていたせいか、いつのまにか教師を追い抜いていた。俺は踵を返し急ぎ足で戻る。ふと廊下のガラスに映った小柄な少女は、少しだけ不安そうにこちらを見ていた。

14luci★:2009/10/14(水) 19:39:53 ID:???0
「今日から転入してきた御厨玲さんです」
 教師が俺に挨拶をと促した。転校というのは初めての経験で、しかも高校生ではないし、あろう事か女の姿。人前で話すのが不得意な訳ではないけれど、緊張する。
「あ、の、御厨です。……初めてで、わからない事が多いので、色々教えてください……」
 言いながら少しざわつくクラスを見渡した。そんなに変な自己紹介だったか?
「じゃぁ、あそこの空いてる席に座って」
 そのざわつきも、俺が座るべき席の指示で消えていく。その席が誰のだったのか、前もって聞いていた事もあり驚きはなかった。
 色々な視線を感じつつ、一瞬躊躇しつつ席に着く。
『……好ましからざる影があるぞ』
 宝珠丸の言うとおり、魔の残差とも言うべきものが漂っていた。ただそれは普通の人には感じ取れないだろうものだった。
(俺も気づいた。昼休みから、色々と話を聞き始めるか)
 そう思いつつ、顔を上げると一人の少女と目が合った。その澄んだ射るような視線は忘れようがない。
『どうした? 見知った顔か?』
(――ああ。ちょっとした、な)
 遠藤朋花。数年前まで道場に通っていた。高校受験で忙しくなるからと来なくなり、そのまま辞めてしまった。その彼女と一緒のクラスとは……。
 家の近所の学校なのだから、知り合いがいてもおかしくない。せめて偽名にすべきだった。
『性別が違っておる。分かる筈もなかろう』
 そうじゃない。宝珠丸、お前は分かってない。その恥ずかしさが解ってない。
『大体、お前が男だと言う事は、お前に近づいた時点で消えてしまう。今、このとき、あの小娘が何かを感じたとしても、それはお前が男だったという疑いにはならん』
 そうか、そうだった。俺への呪詛は、俺が男だった事を周りが忘れてしまうんだった。
 ばれないという安堵の他に、誰も男の俺を覚えていない事に寂しさを覚えていた。

15luci★:2009/10/14(水) 19:41:50 ID:???0
 一人の食事になるかと思っていた昼食だったが、世話好きな人間はどこにでもいるもので、お弁当を抱えた数人が俺の机に集まってきた。
 どこから来たの? 彼氏は? どこに住んでるの? まるで身元調査のようだ。それにしても女の子ってのは直ぐ打ち解けられるんだな。男だとここまではできないな。
 それによくしゃべるし、よく笑う。話題が尽きないからなかなかこちらの思う話題に行けない。
 男子も俺に興味があるようで、遠巻きに聞き耳を立てているようだった。
「御厨さんて静かだよね」
 女子の会話展開のスピードについていけず、聞き役になっていた俺に、ショートカットの娘が言った。
「そう、ですか? あまり気にした事はないんですけど」
 女歴が短いから、どう話していいか分からない、とは答えられない。話し方で男だとばれたりはしないと思うが、必然的に丁寧語になってしまう。「〜だわ」とか「〜よねぇ」とか絶対言えない。言いたくない。
「なんか、かたいんだよね」
「前からこうだから……ところで」
 俺の話方は取りあえずどうでもいいんだ。それより仕事だ。
「わたしの席の他にもう一つ机が空いてますけど、あれはどういう?」
 一つの机に花瓶が二つ。それがどういうことなのか、俺は知っているが敢えて聞いた。教師の知っている話より、近しい人間の話の方が生々しいし、意外な発見があるかも知れないから。
 女の子たちは各々の顔を見ながら、誰が言うかを決めているようだ。リーダー格なのか押しつけられ役なのか、またショートカットの娘が口を開く。
「あれはねぇ……、クラスの男子が二人、死んだんだよ。それで」
「そうなんですか。わたし、てっきりいじめかって思って」
「いじめならまだいいよ。うちのガッコ、呪われてるもん」
 今度はロングの娘。
「馬場くんと安西が学校の七不思議を確かめに行くって言って。次の日に馬場くんが……。で、ひどいのが安西で、自分は馬場くんと一緒に行ってないって」
「そうそう。あいつが一緒にいたのみんな見てたのにねぇ。それで警察たくさん来てさ。取り調べ」
「でも、翌日には今度は安西が……」
「一番悲惨なのって、千草だよね。彼氏死んでわんわん泣いて」
「で、次の日自分も自殺しちゃって」
「あれって絶対馬場くんが連れてったんじゃね?」
「怖〜〜!」
 彼女たちの早口の会話も、俺が知っている事と同じだった。
 2年3組馬場高志、頭部損傷による脳挫傷。2年3組安西紘一、心臓損傷。2年1組千草奈緒香、頭部損傷による脳挫傷。2年1組大東文香、心臓麻痺。四件の校内死亡事件の犠牲者たちだった。
「そういえばさ、知ってる? 千草のお葬式の時、文香が、あれは自殺じゃないって、見たって」
「え、マジぃ?」
「それって何を見たんですか?」
 死んだ生徒の人数や名前、自殺他殺、その位は知っていた。しかし、「文香」という少女が何かを見た事は知らない。新しい情報だ。
「? あー、あたしあとから何度か聞いたんだけど、結局何を見たかは聞いてないんだけど」
 そうですか、と肩を落とす俺に、幾分引き加減で少女は言った。
「御厨さんて、もしかして、『ムー』とか好き?」
「……よく分からないですけど、お化け関係は好き、かな?」
 考えた末の返答だったが、この瞬間からクラスでの俺の位置づけは「おしい怪奇オタ美少女」になったのを、後日知った。

16luci★:2009/10/16(金) 17:39:24 ID:???0
 秋の日は釣瓶落としとはよく言ったもので、五時を過ぎると大分暗くなる。俺は涁が来るまでの間、校舎の北東側に来ていた。
「ここみたいだな」
 目の前には風雪に角が削れた四十センチ程の高さの石があった。振り向き、見上げると校舎の非常階段が少し錆びた姿をさらしていた。
 馬場高志、千草奈緒香、大東文香の三人の遺体が相次いで発見された場所だ。
『元々何かを封じていたのだろう』
 宝珠丸の言うとおり、何かが「いた」感じはあった。それもよくない何かが。空気が澱みあまり気分がいいところではない。
 その原因がどこに行ったのか、俺には今近くにいない位しか解らなかった。宝珠丸が何も言わないところを見ると、奴も解らないのだろう。
 亡くなった三人の想いが伝わってくるかと思い、石のそばで膝を折った。地面に触れても何も残っていない。
『おい、見られているぞ』
 背後の気配は俺も気づいていた。
「何、してるの? 一人で来ることじゃないよ」
 明らかに不信感のある声だった。以前は良く聞いた声の主が背後から尋ねてきた。
「……昼間、話に聞いたので、ちょっと。えぇっと……」
「遠藤。ここ、みんな怖がって来ないんだよね、呪われるって。御厨さんて呪われたい人?」
 隙のない歩きで音もなく近づいて、立ち上がった俺と殆どぶつかるくらいで止まった。
 今の俺の身長が155センチ。それよりもかなり高いところから見下ろされている。瞳を逸らさないその視線は、真実を知っていると訴えているようだ。
「呪われたい訳じゃなくて……」
 そんなことじゃない。俺は男に戻るために目の前の仕事を片づけたいだけだ。しかし、それを言うことはできない。替わりに何を言えば……あ、そうだ。
「ムーが好きなだけです」
 未だにムーが何か解らないが、取りあえずこれで良い筈。
 しかし遠藤は顔を歪めていた。
「ふぅん? 御厨さんて、真性のあっちの人なんだ」
 言いながら彼女は一瞥をくれて立ち去って行った。
『お前、シンセイノアッチとは何だ?』
「さぁ? なんだろうな?」
 宝珠丸も俺もたくさん疑問符をつけながら、そこをあとにした。

17luci★:2009/10/17(土) 16:40:58 ID:???0
「はははっ、お前『ムー』好きって言ったのか?! 笑わせ過ぎだ!」
 迎えに来ていた涁が、今日の教室内での話を聞いた途端笑い出した。滅多に笑わない奴に何を大笑いされたのか解らない俺は、ぶすっとして少し早歩きで、そして涁から視線を外した。
「まぁ、いいか。その方が話しも聞き易いだろ?」
「……涁の方は何か判ったのかよ」
「話し方気をつけろ。安西のことを中心に聞いてきた。大分魔に取り込まれてたみたいだな」
 それまでとは打って変わって真面目な表情になる。
「どんな感じだったって?」
「安西は怪奇系のサークルを作っててな、学校の怪談を探ってたらしい。特に鬼門にある石な。人喰い石とか言われていて、何年か前に生徒がいなくなったと」
 あの石には魔が潜んでいた蹟はあったけど、人が取り込まれた感じは無かったな。
「最初は一人で調べてたようだ。それが一月くらい前か、人が変わったように攻撃的になったらしい」
「馬場はどこに出てくるんだ?」
「スポーツもできる、勉強もできる馬場君は、安西の中学からの友人だった。仲も良かったらしい。安西はあんまり明るくなかったみたいで、周囲とも壁があったようだ」
 何となく解った。魔に魅入られた要因は安西は妬みにあったんだろう。あいつらは心の隙を上手く突き、取り入って、そして最後には喰らう。
「という話から推察すると、馬場は安西に、安西は魔に、その他二人も魔に殺されたんだろう。対外的には安西以外は自殺になるだろうけどな」
「毎度のことだけど、よく調べてくるよな」
 こと、調査に関して涁の能力はすごいと思う。しかし折角褒めたのに顔を背けてしまった。
「あ、あぁ。これが仕事だ。で、どこに潜んでるのかは解らないのか? 動向が解らないのはあまり好ましくねぇしな」
『それ程心配する相手でもなかろう。小物に過ぎぬ。こちらが動いていれば、気になって自ら出て来よう』
 どちらかと言えば、俺も涁の意見に近い。なるべく慎重に事を運びたい。しかしあまり悠長に時間を使うのも本意ではないのだ。
 できれば相手から出てきて欲しい。その方が早く片づけられる。
「こっちは石の方をもう少し見てみる。涁は大東の方。あ、もしかしたらそっちに出ることもあるかも知れないから、取りあえず気をつけて。学校にいると助けに行けないから」
「自分の身くらい自分で守る」
 注意を促しただけだというのに、何か気に入らないのか涁は大股で先に行ってしまった。

18luci★:2009/10/19(月) 14:23:07 ID:???0
* * * * * * * * * * * * * * * *

 二三日の間、安西の意志を持ち、人外の力を振るう魔は、なかなか現れなかった。
 その間の学校生活では生徒たちとも大分打ち解けてきた。からかい半分か興味本位なのか、お化けの話や怪奇現象について語ってくる男子や女子が多くなっていた。
 楽しくないと言えば嘘になる。それ自体はいいのだ。ただ、俺の仕事にとって実りある話では無かった。
 俺自身がみんなに対して負い目がある事もその理由の一つだろう。正体を偽っているというのは、結局、騙しているのと変わらない。
 それに、次第に女としての生活に慣れているのがイヤだった。話をすればするほど、女言葉を使わなくてはならないのだ。涁やおやじ殿の前で自然に女言葉がでてしまった時は、暫く落ち込んでしまった。
 学校では遠藤の視線がどこにでもあり気が抜けず、家では自分の「慣れ」に気をつけなくてはならず、気を抜けるのは部屋くらいしかない。それすらも、おやじ殿がいつ覗きに来るか判らない。
 しかし、今日、その状況も変化の兆しを見せた。
 他のクラスか上級生か、見覚えのないいわゆるヤンキーな生徒が安西の事で話しがあると言ってきた。時間は放課後、場所は遺体発見現場。
 次の展開が読めそうで、早く授業が終わって欲しいと願ってしまった。
 何が起こるにせよ、これが足がかりになって、仕事を終えられる。終われば本当の自分を取り戻す為に動ける。
『吾の言った通り、動きが出てきたのぅ』
 嬉しそうに宝珠丸が言う。
(ああ、これで進展しそうだな。今日は力を借りるかも知れないぞ)
『吾はいつでも構わん。喰えればそれでよい』
(太刀と同じ働きをしてくれればいいさ)
 俺は頭の中で話をしながら、いそいそと指定の場所に向かう。
 あ、涁に一応メールを出しておくか。
 携帯メールには短く「事件を知っている生徒と現場にて会う」とだけ打ち込み、送信した。
『良いのか? 待たずとも。一応兄だろう』
(相手は子どもだ。何も案ずる事などないだろう?)
『過度な自信は慢心に通ずる』
 慢心などしていない。己の剣の腕を考えての事だ。涁の力を借りなくても、できる。

19luci★:2009/10/20(火) 17:51:25 ID:???0
 これまで封魔の太刀を使っていた時には、太刀を振るうだけで魔を封ずる事ができていた。ある程度力のある魔の場合、複数の人間を操る事ができるのだが、俺は構わず太刀を振るってきた。後先を考えずに。
 しかし太刀のない今、それではだめなのだ。宝珠丸の力がどの程度か判らないし、その度に力を借りていたら、いつか俺は男の記憶を喰われ尽くし女でいる事を当然と思ってしまうだろう。
 だから俺はやり方を変える事にした。安西を殺した魔はどこかに潜んで、新たな獲物を探しているだろう。そこに俺が来たのだ。当然、何者かを探りに来る。別の無くしてもいい人間に憑いて。だから封じる素振りだけ見せれば、人間から出ていき本体のところに戻るに違いない。
 それを追えば確実に追い込める筈。
 ただ憑かれた人間の気を失わせても魔は出ていかない。その方法は宝珠丸が知っていた。
『吾の言う通り呪符を書け。それを貼れば魔は出て行かざるをえんし、再び入れぬ』
 宝珠丸がなぜ知っているのか疑問だが、今はその知識が心強かった。

 現場は校舎の角が重なり死角になっている。しかし複数の人の気配があった。
「話があるとは言われてましたが、こんなにたくさんの話が聞けるとは思いませんでした」
 三人の男子たちが目の前にいるが、それ以上の気配を感じる。見ればそれぞれ魔にとり憑かれて、目が死んでいる。
「すごく重要な話なんだぞ。重要なんだ、お前にとって、俺たちにとって重要」
 言動がおかしい上に涎を垂らし手招きしている奴ら。まともな神経なら近づかないだろう。でも、俺は違う。
(宝珠丸、頼むぞ)
『任せろ』

20luci★:2009/10/23(金) 23:27:19 ID:???0
 身を低くして一番近い男子に向かってダッシュした。肩から下げたカバンから素早く呪符を取り出したのと同時に呪符を相手に叩き付ける。
 崩れ落ちる男子から黒い気が抜けだしていく。
『おい! 来るぞ』
 背後から放たれた蹴りをバッグで受け止めた。そう思った。
「うっ?!」
 バッグごと一メートルくらい飛ばされ、尻餅をついてしまっていた。体術の稽古でも涁にだって倒されたことは無かったのに。
 素早く立ち上がり再度ダッシュしつつ、バッグを相手の顔目掛けて投げ、死角を利用して呪符を貼った。
 これで二人。視界の端に新手が三人見えた。男子が倒れた左方から三人目が掴みかかろうと手を伸ばす。そこにタイミング良く右回し蹴りで中段を狙う。
 ところがまたはじき飛ばされ相手に背を向け倒れていた。
『お前、今の自分を忘れたか』
 そう、だった。今は見た目通り、力の出ない女の子でしかない。それなのに男の時と同じ攻撃をしては通用するはずもない。俺の培ってきた体術は、人より力のある魔を相手にしては効果がない。どんどん不利な状況になっていく……しかし剣術なら。
(小太刀!)
 左手が熱くなったと思うと、白鞘の柄じりが現れそれを掴んで抜き出し、立ち上がりながら構えようとした。
「!」
 脇腹に強烈な痛みが走り、思わず跪いていた。そして男子三人に手足を押さえ込まれてしまった。
『馬鹿め! 油断しおって』

21luci★:2009/10/26(月) 11:26:06 ID:???0
 宝珠丸に言われても言い返せない自分が情けない。
 俯せの体に力を入れてもビクともしない。……これが女の力なのか……。
「あはははは。女、変な技を使うが、お前なんか目じゃないぞ。俺は力を手に入れたんだ」
 こいつは安西の意識なのか? それとも喰われた彼の意識をトレースしているだけの魔なのか。
「自分の力じゃないだろう? 使わせて貰っているだけのくせに」
「……直ぐに殺してやろうと思ったが、止めた」 
 一人、手の空いた者が背後に回った。
「何を、ひゃあ?!」
 内腿に少しひんやりとした不気味な感触が走った。撫でられた!
 これから起きる可能性がある、色んな事が頭を一杯にしていた。そして。
(犯される?!)
 そう思った途端、パニックを起こしていた。
「女子の癖に儂の事を詮索したのが間違いだ! たっぷりとその身に教え込んでやるっ」
「わあああああっ」
『下郎! 吾に触れるな!』
 スカートの中に手を入れられるのと同時に宝珠丸が叫び、何事か唱える。次の瞬間には手足の戒めは無くなっていた。同時に、自分の体だと言うのに自分の意志とは違う言葉が口から飛び出した。
「吾の体に触れるとは……不埒千万よ。その罪、自らの命で償え!」
『か、体が?! 宝珠丸、お前なのか?』
 宝珠丸はそれに答えず、俺の体は小太刀を抜きさり手足を押さえていた三人の胴を次々と薙いだ。俺は目を瞑る事もできず切られていく奴らを見た。
 血しぶきを上げながら、それが黒い霧のように霧散していく。
 残りの一人が視線に入る。体は小太刀を振り上げ猛然と突進した。
 目の前の男子生徒も迎え撃とうと、普通では考えられないくらい大きく口を開け、長い牙が見えた。

22luci★:2009/10/30(金) 18:18:17 ID:???0
 小太刀が振り下ろされた刹那、生徒の体が横に飛んで行った。
「やめろっ、玲!」
 叫びながら体当たりを喰らわせた涁が立ち上がり俺の両肩を掴む。
 その声に反応するかのうように、俺は自分の体の感覚を取り戻した。
「宝珠丸、一体どういう事なんだ!?」
『今はそれどころではないぞ』 
 涁の背後で倒れた生徒が立ち上がるのが見えた。迎え撃とうとすると涁に押しとどめられた。
「お前は手を出すな! いいな!」
 言い放ちながら振り返り、掴みかかってくる相手の懐に当て身を喰らわせた。それでも動く生徒に、涁はどこに持っていたのか呪符を叩き付けていた。

 魔に支配されていた生徒は、それが抜けると自分が何故ここにいるのか解らない風だった。涁は残った生徒を帰らせると、その場に座り込んでいた俺に向かって言った。 
「お前、自分が何をしたか解ってんのか?」
「あれは……俺じゃなくて」
「いいか、俺たちは人に徒なす魔を祓うのが仕事だ。魔が取り憑いているからって人を傷つけて良い訳じゃないぞ。ましてや」
「解ってるよ。けど、あれは俺じゃない」
 そんな事をわざわざ言われなくても解ってる。生徒を切った時のシーンが目に焼き付いて離れない。
 生徒の肉体はこの世からなくなりはしたが、俺が、俺の身体が殺した事実は変わらない。
 両の掌を見ながら、俺は今さらながらに事の大きさを想い、震え出していた。

23luci★:2009/11/02(月) 21:57:25 ID:???0
『全く、気の弱いことよ』
 元はと言えば宝珠丸がしたことだ。今まで黙っていた癖に。
 涁にも聞こえたのかきょろきょろしながら、誰の声だと聞いてくる。
「宝珠丸、どういうことなんだ? 俺の体を好きに使えるなんて聞いて無いぞ」
 立ち上がりながら、目の前にはいない者に向かって言った。あまりに怒っているためか声が震えていた。しかし宝珠丸は気にした風でもない。
『話しておらぬからの。掻い摘んで言えば、お前の体に取り込まれている吾は、一心同体のようなもの。もし、お前が傷つき死にでもしたら、吾も二度と日の目を見ること叶わぬ』
「て事は、玲の体はお前の支配下にあるのか?」
 事態を把握しかねている涁が、俺に向かって言った。
『そうではない。こいつの心の隙が無くては如何に吾でも無理だ。先ほどは乳を揉まれて泡を喰っていたからのぅ』
「ぅうるさいっ、びっくりしただけだ! 二度と無い!」
 頬が熱くなるのが解った。それを隠すために怒鳴っていた。
「セクハラなんぞ、おやじで慣れてるだろうに」
「女がそんなの慣れる訳ないだろ?!」
 自分で言っておきながら、もの凄く違和感を感じた。この場合の違和感、それは、自分の性別を女と言っておきながら、違和感が全くない事だ。俺は「男が」と言うべきじゃなかったのか? 俺は元々男なんだから。
「なんだ? どうした?」
 突然、フリーズしたように動かなくなった俺に、涁が不思議そうな顔を見せていた。
「あ、や、ちょちょっと待って。え? あれ?」
 自分が今の性別になったのは、例の賊のせいだ。今は女でもその時まで男だった。その記憶をどんどん遡っていくと、ある時期に女の子だった自分に突き当たる。
 ある筈の無い少女時代の記憶が、何故ある?
『何を混乱しておる。吾の力を貸したのだ。約束通り戴いたまでの事』
「あ……」
 俺はぺたりと座り込んでいた。頭の中で宝珠丸の笑い声がこだまする。
 過去の記憶の性別が反転している。涁と一緒に稽古をしていた姿。しかしそれは男の子ではないのだ。それなのに、イヤだとか、戻せとか、そんな感情が生まれてこない。意識と記憶の上流では女である事を容認しているせい? 俺の思い出の筈なのに、他人の過去を振り返っているような、覗きをしているような感じがしていた。
 宝珠丸と約束したとき、考えていたようで考えていなかったのか。
 今はだま、「違っている」と、「そうじゃなかった」という事実を認識できている。しかしこの先、宝珠丸の力を借りていれば、何れは……記憶の不整合に違和感を感じなくなる、そんな日が来るのだろうか。
 俺は白刃の前に丸裸で立っているような、そんな怖さを急に感じて背筋が寒くなっていた。
「大丈夫か? 玲?」
「あ、うん……」
 よたよたと涁に伴われ、学校をあとにした。頭が一杯になって、まともな考えも纏まらない俺には、周囲に気配を押し殺した人物がいたことを気づけなかった。

24luci★:2009/11/19(木) 22:22:48 ID:???0

* * * * * * * * * * * * * * * * 

 山城の中はいつもと変わらぬ。変っているというなら、それは私の方。
 先日来、あの方に逢うことまかりならんと父上に言われ、仕方なく日々を過ごしてしまった。しかし今日は約束の日。是が非でも行かなくてはならぬ。
 すでに刻限は近づいてしまっている。もし、道中迷いでもしてあの方と遭えなかったら……いや、そんなことになろう筈がない! 誰に止められようと必ずあの方の元へ行く。
 日頃の行いが良いからか、神の導きか、侍たちに会わずに城を抜け出せたぞ。
 ……城からの山道は足下が悪くてたまらぬ。月明かりだけでは心許ない……しかし、ここを駆け下りなくては……。
 愛しいあの方。今日、やっと念願が叶う。なんと待ち遠しいことだろう。
 約束の刻限は過ぎているが、なに気にすることはない。あの方が私を置いていく筈がない。そら、もうそこの木陰から顔を覗かせる筈……。
 ……多分、誰にも見とがめられぬよう、注意して来ているのだろう。だから遅いのだ。そう、待っていれば、必ず……。
 来た!
 いや、待て、人数が……。
 あ! お前は! 何故ここにおるのだ! 私は、私は!
 それはなんだ?! 何を持っているのだ? 太刀ではない! それは……首、か!?

26luci★:2010/03/08(月) 07:42:30 ID:???0
「あああああ?!」
「どうした、玲?!」
 泣き叫びながら目が覚めた俺の前に、いきなり視界に飛び込んできたおやじ殿の姿。夢のせいで混乱していたせいか、おやじ殿がひどく不快な存在に思える。
「な、なんでもないです。取りあえず出てってください」
「そうか?」
 心配しているのかどうなのか、おやじ殿の顔を見る余裕は俺に無かった。
「……玲、汗でぴったりなTシャツは見る分には楽しめるが、寝るときには着替えておけよ。風邪をひく」
「!」 
 俺は自分の胸元を隠しながら枕を投げつけていた。
 それにしてもなんてイヤな夢だったんだろう。古い時代だったと思う。着物を普通に着て、街灯などない時代……。
 夢は自分の深層心理を映し出すと聞いた事があるが、あれが俺の深層心理なのだろうか? それとも前世?
 輪廻を信じるなら、前世がなんであろうと気にすることはないのだろう。が、今の俺の姿と夢の中の女が妙にオーバーラップして気になってしまう。
 細部に渡ってリアルだった。それに、あの高揚感と喪失感。待ち合わせに行くときの胸の高鳴りは、明らかに恋いだった。だからこそ死を確信したときの胸を切り裂かれるような痛み。今でも手が震えてくる。
 男に対する恋心を体験したようなものか。しかし不思議と違和感がないのはどうしてだろう。……いや、寧ろ心地よいとさえ……違う! 俺は、女であることを容認した訳じゃない!
 ぶんぶんと頭を振ると、涙に濡れた目尻に髪がまとわりついた。

27luci★:2010/03/08(月) 08:39:16 ID:???0
 それから数日。
 不思議な事に、数日追うのを止めた途端、それまでなかなか尻尾を掴ませなかったというのに、自分の方から痕跡を残すようになっていた。
 以前宝珠丸が言っていたように。
 俺が聞いた噂を検討し、次の一手について話をしようと、何故か俺の部屋に涁がきていた。
「遅くまで残ってると、得体の知れない何かの姿を見るんだそうだ」
「ふん。動き出したのはいいが、後手に回ったな。玲、お前の方は感じないのか?」
「よどみを感じる程度。宝珠丸は何かないのか?」
『お前が感じるの同程度だ』
 涁が溜息を吐いた。
「まぁ、他人に憑いたり被害がないなら良しとするか」
『吾の言うとおり、待てばよい。そろそろ贄が必要になるころよ』
 生け贄? それはどういうことだ?
「何を言ってる? 安西が何をしようとしてるのか知ってるのか?」
 俺の言いたいことを涁が代弁していた。
『簡単なこと。魔は人の魂を喰らい、肉体を喰らう。が、肉体は現世で必要なもの。憑いた人の魂が減れば、それを満たそうとするのは道理じゃ』
「そんなこと一度も言わなかったじゃないか! て事は、生徒を狙ってるって事か?!」
『それが分かるなら苦労はないのぅ』
 ふざけた言い方をしやがる。むかつきながら、声を荒げようとした時、涁が割って入った。
「いや、まぁ、宝珠丸の言うことももっともだろ。俺たちはできることをやればいいんだ」
 大人な意見だけど、納得はできない。前もって言ってくれれば何か後手に回らずに済んだかも知れないのに。
 この調子だと、まだ言ってない事もあるんじゃないだろうか?
「宝珠丸、もう隠してる事はないんだろうな?」
『得にならぬ事はせぬ』
 微妙な言い回しだ。得になるなら隠すってことか? ……しかし、こいつの強力なしじゃ安西はともかく封魔の太刀を取り返すのは難しいし……。
「……期待してるから」
 出来る限り張りのある声でそう言うことにした。
「ところで玲」
 徐に近付いてくる涁の顔。以前はイヤな事などなかったのに、あの日から傍に近付かれるのがイヤになっている。兄弟でそんな事はあってはならないだろうに。
 少しだけ身体を引いた。
「な、なに?」
「お前、ちゃんと眠れてるのか?  目の下クマがひどいぞ」
 そんなに?  鏡鏡……って、女じゃないんだ! 顔なんてどうでもいいだろ。涁も俺が手鏡を投げ捨てた様子を見て変な顔してる。
 確かに眠れていない。あの夢を毎日見てるのだから。
 毎日女としての感情に晒されて、起きれば自己嫌悪して。そんな毎日じゃ眠りたくなくなる。
 誰かに話して、そう思っても、おやじ殿も涁も俺の事を初めから女としか見てないし、真剣に聞くとは思えなかった。だから、夢の内容も、夢を見るから寝たく無い事も知らない。
「何してるのか知らんが、今日はとっとと寝ちまえよ。いざと言う時身体がついて来なくなるぞ」
「……うん」
 俺は取りあえずそう答えるしかなかった。

28luci★:2010/03/09(火) 09:26:35 ID:???0
* * * * * * * * * * * * * * * * 

 あれは八郎太殿の首と……。何故殺めたのだ?! お前は私を逃がしてくれたではないか!
 許さぬ、決して許さぬぞ!
 愛しい八郎太殿の首は冷たい。もう、私に微笑みかけてくれぬ……。あの日の約束も果たされぬまま……。
 
 八郎太殿、実は、私の輿入れが……平気なのか? 私が、その……あ……。
 ――! 本気で言っているのか? 刀を作り終えたら? それは、この国を出るということか?
 あぁ、八郎太殿! その言葉、真だろうな? 私と一緒で後悔はしないのだな。
 ふふ、嬉しすぎて涙が出てしもうた。今一度強く抱、あっ。そちもおったのか?!
 ……すまぬ、邪魔をしたな。今日のところはこれで帰るとしよう。
 興奮したせいか顔が熱い。少し冷やさねば……あぁ、刀ができるのが待ち遠しい。

29luci★:2010/03/09(火) 09:27:12 ID:???0
* * * * * * * * * * * * * * * * 

 朝日がカーテンの隙間から差し込み、それが瞼をくすぐったのか、自然と目が覚めていた。
 あれは、前の夢の続き? というか時間軸はそれ以前……。温かく嬉しい感情が湧きあがって、追体験したような感じだった……。
 それより、あの水鏡に映った顔は、今の俺と同じ顔……。あれは俺なのか? 前世? 本当に起きた事なら、どのくらい前の事なんだろう? 
 前世ならそれでもいいが……何故こんなにも気になるんだ。胸が苦しくなるんだ。何か、何かが引っ掛かって、むず痒い。
 昔の事なら宝珠丸が知ってる可能性もある。それとなく聞いてみるか。
 せめてこの霞だけでも晴らさないといけない気がする。そう、強く心が訴えかけてる。それが今のこの姿の説明にも繋がるような、そんな気がする。

30luci★:2010/03/10(水) 12:48:29 ID:???0
(宝珠丸、聞きたいことがある)
『知りうる範囲であれば』
 俺は言葉を選んだ。
(俺たちは肉体の感覚を共有してるのか?)
『いかにも――それで?』
(お前の生きた時代の夢を見てる気がする。そこにはこの姿そっくりの女と刀鍛冶が出てくる……)
 俺は見たままを伝えてみた。しかし。
『ふむ、それだけでは何とも探りようがないのぅ』
(同じように夢をみてるんじゃないのか?)
『見る気になれば。無論お前の意識を探ることもできるが、今はしておらぬ』
(そうか……)
『まぁ、急いても仕方なかろう。吾はちと疲れた。もうよいな?』
 それきり宝珠丸は逃げるように意識を消し、返答しなくなった。
 宝珠丸は知らないという。しかし、何かがある気がしてならない。そう、何となく、宝珠丸には嘘があると思えてならない。
 俺の中に入っているんだ。夢も、俺の意識も、そう、こういう思考も分かっているに違いないのに。何故それを隠そうとするんだろう。知られたくない事もあるのは理解できるが、こちらばかり丸裸なのも嫌な感じだ。
 宝珠丸が当てにならないなら、自分で調べるまでか。といってもどうしたもんだろう?
 鬱陶しいくらい長い髪をかき上げながら、夢の内容をもう一度思い返してみた。
 城は山城だった。刀鍛冶の名前は、八郎太。女の、というか俺の名前は? 確か首を持ってきた侍が……そう、姫と呼んでた……。姫ってどこのだろう? いや、それ以外に聞いたような――あっ八郎太はお濃と。
 年代が分かりそうな情報は記憶になかったのは残念だった。しかし俺の中の何かが、これだけでもいいと、一刻も早く調べろと言っている、そんな気がした。

31luci★:2010/03/12(金) 14:44:35 ID:???0
「今日どこに行ってたんだ? 連絡取れなかったぞ」
 食事を取りダイニングの椅子で一段落取っているところに涁が話しかけてきた。正直言って、あまり話をする気分ではないのだけれど。おやじ殿はテレビを見ながら大笑いしている。
「それはすまなかったけど……実は、最近変な夢をみるんだ」
 俺は掻い摘んでお濃、八郎太、そしてその時の様子を話していた。
「――そうか。それで? 心理学の本でも借りてきたのか? それとも、前世とでも思ったのか?」
「どちらかと言うと後者。だから、図書館行ってこの辺りの歴史を調べてきたんだ」
 ちらっとおやじ殿を見ると、こちらには背を向けて頬杖をついている。涁は俺の隣に座って少し目を細めて俺をまっすぐ見ていた。何故前世などという言葉が出たのか、少し不思議だった。珍しくオカルティズムを刺激するような内容だったのだろうか。
「で、戦国時代くらいか、この辺りは後藤という家があったらしい。知ってる?」
 頭を振る涁に、言葉を進めた。
「後藤武篤、この人が家系図の最後に載ってる人物で、彼は三男二女儲けたらしい」
「なんでその時代、というかその後藤何某がいた時代が、お前の夢の時代と同じだって思うんだ? 仮に前世としても特定できないだろう?」
「それは……口伝があって、それに刀鍛冶の事が」
「それが八郎太だっていうのか? 馬鹿らしい。全然意味ないだろ。もっとこう――歴史的事象とか名称とか何か理由があるんだと思ったぞ。お前、そんな事に感けてないで直ぐ連絡取れるように待機しとけよ」
 文句だけ言うと、返事も待たずに涁は自室に行ってしまった。
 確かにそれが特定する証拠とは言い難いのは分かってる。でも、直感的にそう思った。この系図の女がお濃で、この口伝にある刀鍛冶が八郎太だと。
 涁には話せなかったけれど、もう一つ興味深い事も分かった。御厨は後藤家の家臣だった。それが後藤家が近隣の豪族に滅ぼされると権力を得、地域を支配したのだ。
 後藤が滅び御厨が台頭……それは裏切りのせい? ただの偶然? 
 もし、前世というなら、もし、御厨が後藤を裏切っていたなら、俺の姿がお濃と瓜二つというのは皮肉に満ち溢れている。或いは、何か作為的なモノがあるような気がするのだ。
「玲、その話面白そうだけど、この件が終わってからにしような」
「?!」
 突然耳元で囁かれ、椅子から立ち上がっていた。湧きあがる鳥肌と寒気に細い両肩を抱いていた。
「お、おやじ殿っ、変な事しないでください!」
「……ふふん、隙があるが悪いのだ。目の前の事に集中集中」
 笑い声を残して去っていくおやじ殿に、俺はやはり嫌悪感を感じずにはいられなかった。

32luci★:2010/03/16(火) 15:56:24 ID:???0
* * * * * * * * * * * * * * * * 

 それは、これまでと違って、夢の中で夢だと分かる不思議なものだった。自分の目に映っている筈なのに、どこかドキュメンタリー映画を観ているような感覚を覚えていた。
 
 俺は二人の男に腕を掴まれて、暗い廊下を歩かされていた。抵抗してもずるずると引きずられ、次第に大きくなる木組みの格子、恐らく座敷牢に恐怖を感じていた。
 自分の喉から高い声が辺りを劈く。
「貴様、裏切り者めっ。ええいっ放さんか! このようなところに閉じ込める気か?! 私を誰だと思っておる!」
 両脇の男たちはそれに答えず、俺は座敷牢の中に放り出されていた。
「目をかけてやったのに! その挙句がこれか?! あのお方を殺めたのも」
「あの二人を切ったのには理由がございますれば。姫、あなたはこの国の置かれた状況が分かっておりませぬ」
 廊下の奥から差し込む光が、答え始めた侍の背中を照らし、まるで後光が射しているように見える。これから言う事が正論であると言わんばかりに。
「今、姫が隣国に嫁がなかったら、我が国は滅ぼされてしまうのですよ。あの強欲で好事家の男に民も家臣も殿も蹂躙され何も残らなくなってしまう。それが分かっているのに一時の感情に任せてこの国を見捨てるというのですか」
「それは……しかし貴様も言っていたではないかっ、策があると! 助かる術があると!」
 格子を掴む指先が震え白くなった。
「如何にも、申し上げました。某が助かる、そういう策があると」
 策、その言葉が頭の中で響く。そしてそれが稚拙な言葉遊びの枠を出ない、騙りだと理解するのに時間はかからなかった。自分の愚かさに声までも震えていた。
「! きっ貴様! 最初からその心算で?!」
「勿論、姫も献上しなくてはいけませんので、それまでしばし御休息を」
 慇懃な態度でそう答えると、侍は踵を返し嘲笑だけを残していった。
「待てっ! 卑怯者! 許さんっ、決して許さぬぞ、御厨ああっ!」

33luci★:2010/03/17(水) 11:30:36 ID:???0
 そして自責と後悔に包まれ数日が過ぎた。
 怒号と煙が辺りに充満して、香ばしいようなそれでいて吐き気を催すような臭いが鼻をついた。そこへ、足早に御厨と呼ばれた侍が刀を四本持ち、前身ごろに血を付け姿を現した。
「姫、時が来ました。さぁ、参りましょう」
 牢の鍵を開けるとそいつは出るように促す。俺は沸騰しそうになる気持ちを抑え、睨んだ。
「二度とお前の言うとおりにはせぬ。勝手にどこへでも尻尾を振りに行けばよかろう。父上がいる限り、そうそうこの国も負けはせぬわ」
 にやりと笑う侍に、嫌な予感がした。
「殿は先ほどご自害なさったようですが。――さぁ、早く。火の手が速ようございます。某と一緒に来れば、何不自由なく大切にお暮らしいただけましょう。某も朽ち果ててゆく姫など見たくもありませぬ。さぁ、さぁ!」
「き貴様、それでも侍か?! 誰ぞおらぬか?! 裏切り者ぞ!」
 城を攻められ混乱の最中にあるためか、人が来る気配は無かった。しかし、侍は明らかに苛立ち、嫌悪の表情を俺に向け牢に入ってきた。
「……全く、某がせっかく姫の為を思ってしている事を……最期まで聞き入れぬとは……こうなったのも姫の所為なのですよ」
 蒔絵を施している鞘と柄を掴んだ。
 切られると思った時、牢の外に禍々しい気配が現れた。よく知った気配。けれど今は俺に向けて明らかな殺意を向けていた。侍もその気配を察したのか、視線を向ける。
「何だ? あれは」
 黒い影のようなモノがヒトの形となっていく。
「オノウ、ヒドイデハナイカ。コノヨウナトコロデオトコト……ヨクモヨクモウラギッテクレタアアア」
「――八郎太殿、違う、違うのだ。私は……騙されて!」
 問答無用とばかり、飛びかかってくる影。しかし、俺の体は動こうとしなかった。これでいいとさえ思っているように目を瞑ってた。
 と、獣の断末魔の叫び声かと思うような音が耳を劈く。目を開くと、よろよろとした影に向かい侍が太刀を振るっていた。
「小太刀は一度使ってみたが、太刀の方がやはり使いやすい。……一で「魔」の力を奪う、二で切り裂き、三でその地から別の世界に封印する、だったかな八郎太。では二の太刀」
 太刀は影を真っ二つに切り裂く。その間も「裏切り者」「赦さぬ」と言い続けるが、最初の禍々しさは殆ど感じなくなっていた。
「これで三つ目ぞ、八郎太。どこへでも封じられてしまえ。それっ」
 宇宙船に空間に切れ目ができ、内部のモノが真空中に吸い込まれるように、影は忽然とあっという間に姿を消していた。
「は、八郎太殿……」
 三分にも満たない、自分を殺そうとした存在にも関わらず、俺の心は溢れんばかりの悲しみと、そしてそれを覆い尽くそうとする憎しみで掻き乱されていた。
「貴様一度ならず二度までも――殺してやるっ」
 無手で帯刀している侍に挑みかかるが、自殺行為に等しい。侍は先ほどの太刀を振るった。
「?!」
 掠りもしていないのに、力が抜けていく。まるで、俺が賊に封魔の太刀を振るわれた時のように。
「魔に対しては使えるのでしょうが、人に対してはどうなのでしょう。姫、力が抜けましたか? それとも、愛しすぎて魔になってしまわれましたか?」
「赦さぬ、未来永劫赦さぬ! いつか必ず、貴様の一族郎党全て殺してやる! 八郎太殿の、父上の、そして」
 二太刀目が俺を襲う。切られたけれど痛くない。冷たい、いや、熱い? そんな感覚しかなかった。
 ただ、掴みかかろうとしていた腕は無かった。前のめりに倒れると、もう立ち上がれなかった。
 何もできず消えていく、それが悔しく、涙が溢れ、そして叫んでいた。
「絶対に、その太刀、御厨に連なる者には使わせぬ! 必ず私が殺してやる!」
 三太刀目が狂喜に笑う御厨に振るわれ、俺の視界は真っ暗になっていた。


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