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隼
1
:
エジプト軍
◆VnUZ9WuidM
:2006/04/16(日) 03:49:43
http://参照スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1090687854/
http://関連スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1122712793/
2
:
隼
◆dIdiU4udT2
:2006/04/16(日) 04:00:09
≫どうも親の私を保護してやらなければと思っているらしい
http://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/youth/1138683733/769-771
これすなわち論外というか厚かましいという意味であり
≫親なんて子供の心と身体が健康に育つためにサポートするだけでいいから。
≫自分の思い通りにしようなんて思って子育てしても自分も子供もつらくなるだけだと思う。
核家族化といってもコアとかマニアックや弾道ミサイルではなく「無の状態から何かを築き上げること」は容易ではありませんね
3
:
ミミズ
◆JipapmwsMY
:2006/04/29(土) 14:53:48
>>2
≫どうも親の私を保護してやらなければと思っているらしい
これを書いたのは私です。
>これすなわち論外というか厚かましいという意味であり
実はこう言ってくれる息子に支えられて生きているので、思いっきり
強がって見ました・・えへへ(笑う
ちなみにゴミさん、というハンドルの方がいられる・・私は自分の事を
常に「ゴミ以下だ・・」と思うことが多いのです。
そうした者を気遣ってくれる息子の存在は、本当に大きな支えですよ。
4
:
ミミズ
◆JipapmwsMY
:2006/04/29(土) 15:23:20
なぜこうした私を息子は支えてくれているのだろう?
頭が下がる思いをして生きています。
この春に夫は失職状況となりました。
小さいときからずーと、息子二人に「あなた達が無事に暮らしを立てていける
のは、父さんがいての事だよ、しっかり父さんを支えていこう」こう云って子
供達を育てました。
親が何をどう苦しんでいるかを、常に語り続けてきたのです。
「父さんには支えがいるよ、助けようね・・」と、本当に子供達が私たち夫婦
の現実的支えでした。
物質的には親として提供できることが有りましたが、今はその意味で子供達を
支える事が出来なくなったのです。
ちっと強がっても見ていますが、夫がこれからやろうとしている事の実現には
未知数の事柄が多く、これからも息子達の支援を受け続ける事が多いと思えます。
「ゴミ以下の人間」と思っている母と、その夫を子供達は、しっかり「人間」と
認めてくれているのに時々・胸打たれる思いがしています。
さても、みっともない話です。
5
:
ゴミ
◆EBHsswvZUM
:2006/04/29(土) 16:15:18
>>4
全然みっともない話じゃないですよ。
お父様も今まで頑張ってきたのですし、今後もそうでしょう。
残念ながら私には子供は居ませんが
お互い頑張って生きていきましょう。
6
:
ミミズ
◆JipapmwsMY
:2006/04/29(土) 19:27:14
>>5
申し訳ないような、ありがとうございます。
私は少年院には入ってはいません。
ただ、お金持ちの家に育たなかったので、高校は夜間の定時制高校に入りました。
そこに転校してきた少年が「あれ年少帰りだ」「だから遠くの学校から転校して
きてる」と囁かれていたの覚えているこれが、少年院を出た方との出会いの始め
だと思います。
その少年の印象は、刃物のような感じと云えば良いのかな?敏捷さときれいな
顔立ちをしていると思った事と、何かの仕草で、敏感な心の優しい人間でなぁと
思ったことでした。
周囲から私がどう見られていたかと云えば、今時と違って、夜間の定時制は経済的
理由以外で入学する人はいなかったといえる時代でしたので「良い処の子がなぜ?」
こう思われていた様です。
7
:
ミミズ
◆JipapmwsMY
:2006/04/29(土) 19:58:18
ゴミさんはは何故ご自分がゴミさんなのでしょう?
私が自分をゴミ以下だ。こう思うには理由があります。
私の母は、私を生んで直ぐに亡くなりました。生後四ヶ月の事です。
そして私の育ての親は、生みの母の妹です。
私は、この育ての親の苦労で大きくなった訳です。
これが嫌だった、まだ赤ん坊の頃、大病をして二度も蘇生されたそうです。
私は、自分が何故生きていなければいけないのか分からない、親の努力が
実り、その成果として優秀なできのいい子に成らなければ成らないとしたら
迷惑だと思ってきました。
学校の勉強は嫌いで、引きこもって居たいにも家でただ食べさせて貰うのは
嫌だし・・実はどうやら優秀な家系の子に生まれたらしくて・・・。
どうしてこんな家系、家にに生まれたのかとつくづく嫌でしたよ!
なぜ生きて居なければならないのか?こう思っていました。
自分は結婚なぞするもんか・・こう思っていました。
子供の親になって、子供とどう接していけば良いか、さっぱり検討もつかず
でした。
先生という存在も大嫌いでした・・我が家系は、大学院を抱える法人の理事長
とかマンモス大学の名誉教授さんとかが居たりしてます。
先生というのが嫌いでもありました。
私の長男は二十代半ば、下は大学三年です。親らしい事をしてきたとは思えませんが
食べ物はきちんと用意し、出来るだけ全員で一緒に食べた。他は?????です。
ただ、私でもココまで生きてきている、そして子供達が私の人格を認めてくれている
この事を感謝して生きていたいと思っています。
そしてゴミさん>お互い頑張って生きていきましょう。・・この言葉ホントに
ありがとう。無様な生き方をしているとつくづく自分を思うのですが、そんな
者にお互いと云って呉れる方もあるわけですね・・感謝です。
8
:
ミミズ
◆JipapmwsMY
:2006/04/30(日) 06:47:58
この板は、拘置所帰りの人が創設した会社の板なのですねぇ、そして誰かが
毎日、必ず書き込んでもいない板の様です。
隼さんが、2ちゃんの私の書き込みを素早く捕らえてココまで運び「ほらっ」
と、このスレッドに落として行かれましたので、のこのこやって来て書き込み
をさせて頂きます。汚れた土の中で目も見えずのそのそしている存在だとして
のハンドルで書くのですし、ゴミさんが「お互いに・・」と声をかけて呉れて
いるので、のそのそと書き込ませて頂きます。
ここに書き込む前に自分の書いたモノを読み返させて貰いました。
やはり誤字が有るなぁーこれもまた申し訳ない、ハンドルのミスな訳です。
なるだけ注意深くゴミ以下だと自分を思って生きてきているモノの体験を
書かせて頂こうと思います。
9
:
ミミズ
◆JipapmwsMY
:2006/04/30(日) 07:11:09
先に先生が嫌いだと書きました。
学校の教師の意味です。
この国に、ピラミッドの形で先生の存在を示す構造があり、教師と呼ばれる
人の職場が有るとしたら、国立大学としての「東京大学」という処かな?
私の親戚の中に・親子四人全員そこの卒業生という家庭があります。
父親が教師・先生です。
この家庭が何か特別に変わった処が有るかといえば、家庭としては親子の
問題は、親子として普通に生じますし、家を建てればローンのお世話にも
なるし、受験のための塾にも行かせたり行ったりする訳です。
偏差値がどうだとか何かは有るのでしょうが、人間として何も特別変わった
営みをしていない訳です。
犯罪を犯した家族としての構成員は居ないのですが、今いないというのは
別に、それだけの事なのだと思います。
偉い大学の教師の家も、家庭を構成したら、そこには家庭としての問題が
普通に生じますよね・・・
私は、一般の括りで云う(目指せ何々)というものが持てなかった。
良い暮らしを目指す、それがどれ程意味ある事かと思う子供時代でした。
メリハリを自分自身どう付けて良いかも分からなかった、誰かと群れよう
にも、残念・群れて楽しそうな対象も見あたらなかった。
10
:
ミミズ
◆JipapmwsMY
:2006/04/30(日) 07:36:04
教師が嫌いというけれど、今頃になって自分は全く向きじゃないけど
反面教師であっても教師という役割は、この世に必要なんだなぁと思う
ようになりました。
自分がなれない職業を担ってくれている人々として尊敬しなくちゃと云うか
素直にありがたい存在と思うようになりました。
奇妙な並べ方ですが、警察の方々もありがたいなぁと心から思っています。
この事は、またいつか書かせて頂きます。
11
:
ミミズ
◆JipapmwsMY
:2006/04/30(日) 12:16:17
母の事を少し書きます。
育ててくれた私の母は、生まれたばかりの私と、三歳になった兄の二人
そして自分に生まれた弟を育ててくれました。
それは確かなことです。
ただ「あの人は自分自身の行為に酔っている」というのは言い過ぎですが
自分は良いことをしている・・その意識が強い人だなぁと思わせる処が
有りました。
母は才媛だったそうです・・地方で燻っている人ではなかったと自分自身
思っていて、今は全く別の言い方をしますが、夫のことを馬鹿にしている
と思わせる事をいう人でした。
何が嫌だと云って母のそれが一番嫌でした。
私が生まれ、私の母と成ったため自分の人生をダメにしたという感じの事
を云っていました。本当に嫌だった。生まれて来たくなかったと本当に思いました。
今では「お父さんは素晴らしい人だった」と同じ口がいうのですから人間
はいい加減なものだとつくづく思います。
12
:
ミミズ
◆JipapmwsMY
:2006/04/30(日) 12:25:22
母に本当に「あなたが嫌だったよ、死にたいと思って暮らしていたよ」と云うと
そんなに「憎まれていたとは知らなかった」と泣きました。
やれやれです。
本当に無邪気な人で、人々から賞賛されお手本になるのが好きな人でした。
「あんなのは嫌だ」そう思って育ったわけです。
現在同居中、私の夫をとても尊敬していてくれて、夫も優しく対応してくれて
います。肺ガン切除、C型肝炎で手術は出来ない、難聴でほとんど聴力なしです。
現在、私の姿が見えないと不安になる人で「そんなに束縛されたくなにいよ」
と思いますが、母の人生の末期に一緒に過ごし手をつないで歩くのは幸せと思って
暮らしています。
13
:
ミミズ
◆JipapmwsMY
:2006/04/30(日) 12:58:40
母は父親を早くなくしました。立派な教師だったそうです。
そして母も「先生」と呼ばれるのが好きな人でした。
私の親不孝は沢山あると思いますが、記憶に残る最初は確か小学四年生の時
のように思います。
小学校の写生会で近くの公園に写生会に行きました。
絵を描くのが得意とか得意でないの別に、何か美しいモノへの(あこがれ)が
あったのだと小さい頃の自分を思い出します。
ポプラの木立のある公園でした。朝の光にキラキラきらめくポプラの葉に
魅了され、美しいモノを表現したい思いが(あこがれ)の気持ちが、渡された
画用紙に描けず、黒のクレヨンでグシャグシャと画用紙を汚す事になりました。
それを見ていた担任の先生が、個人面談で母に「教育者の娘さんなのに美しい
モノにあこがれの気持ちが持てないお子さんだ」のような事を言って下さった
ようなのです。
それを母から伝えられ、母の自尊心をいたく傷つけたものだとの記憶があります。
14
:
ミミズ
◆JipapmwsMY
:2006/04/30(日) 13:25:46
前述の母に私のことを何か感じ取って伝えて下さっていた先生も教師の子だ
と後に聞きました。
わたしの発するシグナルを受け止めて下さっていた先生でしょうに・・
嫌なことを、余計なことを云ってくれたモノだなぁと・・そう思っていました。
また私はこうも思っていました。「先生という職業は怖い仕事だ、子供の事を
正確に理解できず、子供を誤解してしまう。もし誤解された子供が大人に
成った時、誤解を受けた子供がその先生を助ける立場に成っていたとしたら
その子供に助けてもらえるかなぁ?」と云うふうにです。
自分の子供を育てるようになって、夫と子供達を連れて、その先生の家を遠くまで
探し当て、玄関口まで宿題を届けるような気持ちでお尋ねしました。
葡萄のつるが、窓辺に伸び見事な葡萄が実っていました。
先生は、その他大勢の一人である私をどうやら思い当たってくれたご様子でした。
人生に無駄なことなど無いと近頃本当に思わされます。
15
:
ミミズ
◆JipapmwsMY
:2006/04/30(日) 13:53:28
>人生に無駄なことなど無いと近頃本当に思わされます。
これには違いないのですが・・
自分がゴミ以下だと思う事柄がこの世の中から消えてしまう事はないのです。
どうして、こんな思いをしてしまう人がいるのだろう・・
そう思う時があります。
そんな時、何もできない無力な自分を思うと、本当に自分はゴミ以下だと
思ってしまいます・・。
16
:
名無しさん
:2006/04/30(日) 14:40:49
何を言わんとしてるのか全くわからん
掴みどころの無い文を羅列されてもコメントのしようが無いし。
自分の生い立ちを不幸に思ってるんだか、はたまた自慢したいんだか
自分の人生を後悔してるんだか、不可抗力と考えているんだか
自分を卑下し、苦労しつつも
子供をここまでに育てたと自分を褒めたいのか、褒めて欲しいのか・・
少々乱暴な言い方になりましたが、もう少し内容をまとめられた方が
コメント乃至、レスが付くと思いますよ。
17
:
ミミズ
◆JipapmwsMY
:2006/04/30(日) 16:22:35
>>16
何が書きたかったのかと聞いて下さるのですね、ありがとう。
人間は簡単に評価出来ないものだ・・これを云いたいのがまずです。
次に、自分が自分なりに幸福だと思う人生を送ったとして、どうしようもない
不条理に出会っている人がいて、その人達のために何も出来ない・・。
これが辛いと云うことです。
それにつけても自分の事をだらだらミミズのように書きすぎました。
ご免なさい・・。
18
:
名無しさん
:2006/04/30(日) 16:37:28
>>17
誰のコメントを求めておられないのであれば、どのように書かれても
いいんではないでしょうか。
>それにつけても自分の事をだらだらミミズのように書きすぎました。
ご免なさい・・。
そんな事を気にせず、どんどん書いて結構だと思いますよw
ただ、ミミズさんが苦しんでおられるのか
誰かの意見を求めてカキコされてるんだか、解らなかったもので(^^;
>人間は簡単に評価出来ないものだ・・これを云いたいのがまずです。
人は十人十色と言いますからねw。
何も無理に人が人を評価することは無いと思います。
人の見方もそれぞれですし
的の外れた意見でしたら、あやまります。
19
:
ミミズ
◆JipapmwsMY
:2006/04/30(日) 16:41:55
>>18
>何も無理に人が人を評価することは無いと思います。
ありがとう。
>人の見方もそれぞれですし
そうですね・・そしてそれを一々気に病む必要もないことです。
的の外れた意見でしたら、あやまります。
20
:
ミミズ
◆JipapmwsMY
:2006/04/30(日) 16:43:28
ご免なさい↑書き直します。ちょっと手が
21
:
ミミズ
◆JipapmwsMY
:2006/04/30(日) 16:52:45
>>18
>何も無理に人が人を評価することは無いと思います。
ありがとう。
>人の見方もそれぞれですし
そうですね・・そしてそれを一々気に病む必要もないことです。
>的の外れた意見でしたら、あやまります。
ご親切なレスを有り難うございます。
一つ不条理な目に遭っている人のことでレスお願いいたします。
この方は、私などと違って卓越した生き方を体得なさっていて余計な
お世話なのかもしれませんが、こうした報われない方が居る・・この事に
苦しんでいます。
22
:
ミミズ
◆JipapmwsMY
:2006/04/30(日) 17:12:07
二人の中学教師の話です。
この方達は、勤務が終わって当然帰宅している時間でした。
スポーツ少年団という任意の団体が、勤務先の体育館を使用する日の
出来事です。
学校から目と鼻の先の生徒の家から電話がかかり「まだ帰宅していない」
というのです。
広い学校中を少年団の生徒と共に探しました。生徒二人が帰宅しなかった生徒
を見つけだしました。
見つけた少年は狭いところに頭から入り込み足だけ出して居たのだそうです。
すぐ引き出しましたが、顔が腫れ上がり意識のない状態でした。
一人の教師は生徒達の手をかりて、意識のない生徒の人工呼吸を始めました。
もう一人は電話で意識のない生徒の家に電話し救急車を呼びました。
近くでしたのですぐさま意識のない生徒の親が駆けつけました。
そして、人工呼吸をしていた教師を「お前がやったのか」と云って殴りかられ
ました。教師にしても、そこに居合わせた生徒にしても意識のない生徒の命を
守ろうと必死だったのですが、突然の暴力に酷いショックを受けたのです。
23
:
ミミズ
◆JipapmwsMY
:2006/04/30(日) 17:22:23
四日前のこと、きちんと知った内容です。
二人の教師の内の一人の慌てた電話が、帰宅が遅いと心配していた家に
不穏な形で伝わった様子をきちんとした形で知りました。
このような電話だったようです。「お子さんが吊された形で発見されました」
という伝え方だったことが書類の形で記されていました。
慌てていたし、確かに不審な状況での発見でしたが、どうしてこんな事が起きて
しまったか、客観的に誰もが答えを出せるはずのない状況でしたが、犯罪が起きた
という断定はどこにも無いはずの出来事でした。
24
:
ミミズ
◆JipapmwsMY
:2006/04/30(日) 17:40:48
意識のないまま病院に運ばれた少年は死亡の宣告を病院で受けました。
殴られ顔を腫らした教師も病院に付き添いましたので、そのカルテが
その病院にあるかもしれません。
この事態は、裁判史上記録に残る混迷を続けてきています。
一人の命を救おうとした教師は、左遷の形の異動をさせられたと聞いていて
何もその人に落ち度のないばかりか、一人の命を救おうと懸命だったのに辛い
思いをなさってと気にしていました。
その後のその教師の消息を詮索しないでいたのですが、三余年前に実母の方が
その教師のご自宅の前で、ご自宅の屋根の雪が落ち雪の下になにって死亡して
見つかったと聞かされました。
そして、あの事件の後に生まれたお子さんは重度の障害をもって生まれ育って
いられるのだと聞きました。
いまではいっさいのご近所付き合いを避けておいでだとのことでした。
もう一人の教師は、その事件で犯人とされ少年院に行った方のお母さんの口から
の話で「もう疲れた仕事止めたい」とスーパーで出会って話しかけてきた。と
聞きました。「いつでも仕事は辞められるよ、辞めてしまったらそれっきり、
もう少し頑張って」と声をかけたら「そう言ってくれるなら頑張る」と答えた
と話して呉れました。
私にはなにか、本当にやるせない話です。どう思われますか?
25
:
ミミズ
◆JipapmwsMY
:2006/05/01(月) 10:30:16
2ちゃんに書き込めないしで、真相究明というハンドルの人と対話が
できませんが、真相究明というその人は、高裁判決文を入手したそうです。
その判決文の主文には首を傾げる記述があって、高裁の判断が三人居る
全員一致の判断だと思えない揺れを感じさせるモノになっています。
「真相究明さん」は判決文を入手なさって、亡くなった少年には擦過傷
程度の傷しかなく(遺体の傷を示す図面も有り)現場の図面をみても無理
矢理押捺させてできあがった自白供述調書によって作り上げた事件がリアルに
「真相」として判決文を読んでもこれだと力ある事実として納得いかなかった
と思われます。
他のことのついでと云っては何ですがこの事件の家裁有罪(書類送検を含む)
全員の元少年の親御さん達と会いました。この2週間の間の事です。
成人を果たした子供の親御さんとして、実に自信に満ちた様子の方々でした。
「今頃になって、モノが言えるようになりました。」と云っておられましたが
再審の壁は高そうです。
26
:
ミミズ
◆JipapmwsMY
:2006/05/01(月) 11:16:10
賠償請求訴訟は、原告が賠償請求を被害者にする事を裁判所が認めるか認めない
かの裁判なので原告から被告本人に請求があって始めて賠償金が支払われる実行
が始まるのだそうです。この裁判の被告は元少年達自身ですので原告は元少年そ
れぞれに損害賠償を請求しなければなりません。
教護院に入っていた少年の母親と、少年院に入っていた母親と膝を交えての会話
で知った損害賠償請求裁判の仕組みです。
「請求はあったの?」と聞きました。否でした。
「原告の幼稚園の卒業生が居るって聞いてたけど、辛くて誰って聞けないで
来たけど、確かなことよねぇ」と聞きますと、我が子が少年院に入所してい
た元少年の親御さんが「いるよ」と答えてくれましたが、その意味を「もう良い」
と聞かずじまいでした。
被害者が被害者遺族がと、2ちゃんでもマスコミ一般でもその方達の現実を見ないで
まるで称え上げをしているようですが、私からすると自分が教育という場で手がけた
子供に「我が子を殺された」と国にしっかりレッテルを貼って貰わねばならない
側の心情に何の違和感も感じないのでしょうか?
賠償請求を教え子に何時しに行くのでしょう。(その事こそ残酷であるように思います。)
勿論払わず、その時にまた新しい展開が生じるのでしょうが、どのようなやりとりをする事になるのでしょう・・。
この事にマスコミは何で気づかないのだろう?残酷に殺された少年は【義経贔屓】の
お国柄の日本人だから好きなのだろうけど、それは事実と乖離しているのに
その事に耳を貸さない・・
この事件の後に「不可解な」と云われる少年事件が頻発していました。
そして子供達の教育環境をねじ曲げさせ、不安定にさせてきた事実が有る。
学校が標的に成ってきた事件も起きてきたはずです。
被告側は何の誰に恥じる事をしていないと、胸を張って生きている、少なくとも母親
達は「美しくチャーミング」に見えましたよ・・。
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