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【伝奇】東京ブリーチャーズ・肆【TRPG】

1那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 06:48:17
201X年、人類は科学文明の爛熟期を迎えた。
宇宙開発を推進し、深海を調査し。
すべての妖怪やオカルトは科学で解き明かされたかのように見えた。

――だが、妖怪は死滅していなかった!

『2020年の東京オリンピック開催までに、東京に蔓延る《妖壊》を残らず漂白せよ』――
白面金毛九尾の狐より指令を受けた那須野橘音をリーダーとして結成された、妖壊漂白チーム“東京ブリーチャーズ”。
帝都制圧をもくろむ悪の組織“東京ドミネーターズ”との戦いに勝ち抜き、東京を守り抜くのだ!



ジャンル:現代伝奇ファンタジー
コンセプト:妖怪・神話・フォークロアごちゃ混ぜ質雑可TRPG
期間(目安):特になし
GM:あり
決定リール:他参加者様の行動を制限しない程度に可
○日ルール:4日程度(延長可、伸びる場合はご一報ください)
版権・越境:なし
敵役参加:なし(一般妖壊は参加者全員で操作、幹部はGMが担当します)
質雑投下:あり(避難所にて投下歓迎)

関連スレ

【伝奇】東京ブリーチャーズ【TRPG】
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1480066401/

【伝奇】東京ブリーチャーズ・弐【TRPG】
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1487419069/

【伝奇】東京ブリーチャーズ・参【TRPG】
http://mao.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1496836696/

【東京ブリーチャーズ】那須野探偵事務所【避難所】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/9925/1483045822/

2那須野橘音 ◇TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 07:45:22
“彼”の姿が、変わってゆく。
オオカミのように見えていたそれが、徐々に変容してゆき――ヒトのような姿へと変わる。
どうして――
わたしは、あなたを拒絶したのに。あなたの提案を退けたのに。
どうして……そこまで……。

>諦めてなんていられるか!

不意に、わたしの傍で聞こえる声。新たな気配。
わたしを抱き上げ、どこかへ運ぼうという、強い意志のにおいを感じる。
気付けばわたしは突然姿を現した少女に抱えられ、先程までいたビルの屋上ではないどこか別の場所へと移動していた。

>この子を助けて!!

わたしをこの場所へ連れてきた少女が、胡瓜を持って呆気に取られている男へ叫ぶ。
この少女も“彼”の仲間なのだろうか。“彼”のために、わたしを助けようとしているのだろうか。

……仲間?
仲間。なかま、ナカマ……

喉と腹を食い破られたわたしを見て、男がかぶりを振る。――手遅れ、ということだ。
やはり、わたしは死ぬしかないらしい。自分でもわかるほどの致命傷だ、無理もない。

少女が男に詰め寄っている。どんなことをしてもいい、なんだっていい。
この子を救って。この子を助けて。この子を死なせないで。
そんなことを少女が必死で懇願しているのが、さざ波のように寄せては返しながら耳に入ってくる。
見も知らぬわたしのことを。お互いが何者かもわからない、他人のことを。
こんなにも懸命になって。感情を昂ぶらせて。
『何がなんでも死なせたくない』という、激しく燃え上がるような感情のにおいを放って――。

仲間。
そう、仲間だ。
仲間だから。この少女たちにとって、“彼”は仲間だから。大切な存在だから。
だからこそ、“彼”のために。こんなわたしのことを救おうとしているのだ。

姿も。年齢も。種族も。生まれた場所も。
何もかも違うのに。血筋なんて、これっぽっちも繋がってなどいないのに。
でも、大切だと想う。大事にしたいと思える。共にいたいと願う……。
それは。なんと誇り高く、高潔な魂の在り方なのだろう――


――なんて。羨ましいんだろう。


わたしは同族しか、同じオオカミしか仲間と認められなかった。
いいえ、認めようとしなかった。血の繋がりのあるニホンオオカミ以外はよそ者、自分の敵だとさえ思っていた。
……でも、それは間違いだった。頑迷で、愚かな思い込みだった。
たとえ、血の繋がりがなくたって。出会った頃には赤の他人同士であったって。
すべての命は、こんなにも。信じあい、愛し合うことができるのだ。

嗚呼。
叶うなら、わたしも。
“彼”の想いを踏みにじった、愚かなわたしだけれど。
心も身体も弱い、非力なわたしだけれど。

もしも。もしも……今までのことを悔い改めたなら。お詫びを、したなら。


――受け入れて、もらえるのかな。

3那須野橘音 ◇TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 07:46:22
「ガルルルルルァァァァァァァ――――――――――――――ッ!!!!!」

ロボが一直線にポチへと襲い掛かる。びっしりと生えた牙を剥き出しにし、鋭利な爪を振り上げて迫る。
その軌跡は粗雑そのもの。まさに暴威の化身とでも言うべきもの。
まともに浴びれば例え妖怪であっても甚大なダメージを受けるに違いない攻撃だが、それをポチは凌いでゆく。
自らの誇りであったに違いない、オオカミの姿を捨てることで得た、二本の腕で。
ポチの見立て通り、体格差からロボはポチへ攻撃を繰り出す際、極端な前傾姿勢になっている。
加えて、人狼へと変貌したロボは極端に肥大化した上半身に比べ、下半身の大きさは変身前と大して変わらない。
ただ、人間時に穿いていたスラックスが膝から破れ、獣脚が露になっているくらいだ。
つまり、上半身と下半身のバランスが取れていないということである。
それでも目にも止まらぬスピードで立ち回るあたり、狼王の面目躍如という感じだったが、いずれにせよそれは弱点のひとつであろう。

とはいえ。
ロボがそれに気付いていないわけがない。ポチが幾ら転ばせようと挑みかかっても、ロボは容易にそれを許さない。
狼王は幾度も果敢に挑みかかってくるポチを、その都度叩きのめした。
ポチを殴りつけ、蹴り飛ばし、地面に打ち付ける。その都度、ロボの全身に纏わりつく妖気が陽炎のように揺れる。

「ゲハハハハ……なんのマネだァ?オレ様にじゃれつこうってのか?だが――遊んでるヒマはねェ」
「テメェも匿ってやる、クソッタレな人間どもからな……だから、早く隠れろ。『オレ様の中へ』……!」

か、と大きな口を開く。鋭い牙が、シロにそうしたようにポチの喉笛を噛み裂こうと迫る。

「ゴオオオオオオオアアアアアアアアアアア――――――――――――――ッ!!!!!」

死の咆哮。その魔性の吼え声は数十キロ先まで響き渡り、耐性のない者の生命を容赦なく削り取ってゆく。
ただ吼え猛るだけでも人を殺傷せしめるとは、まさに獣害の権化。獣の王者。
が、それでも東京ブリーチャーズは臆さず戦いを挑む。

>――食らえ!

ノエルがナイフを投げつける。氷の呪毒を含んだ、必殺の刃だ。
が、狼王には通らない。ロボはマズルの長い口を開け、ガヂンッ!と牙を鳴らして、ナイフを受けとめた。
ロボがナイフを口で受けとめるのに使った時間は、ほんの瞬きする程度。意識を向けたのは、そのさらに半分程度。
が――そこへポチがロボの脛にまとわりつく。幾度阻止されても挫けることなく、強大な大神の王を転倒させようと試みる。
その努力はついに実を結び、ロボはポチに足元を掬われガクリと片膝をついた。
そして。尾弐がロボに接近するに充分な時間が生まれる。
ロボが忌々しげに歯を食いしばり、ナイフを銜えたまま立ち上がろうとする。――しかし。

>おい、オヤツをくれてやるよ犬っころ

イヌ科にとって致命の劇毒となりうるソレを持った尾弐の拳が、ロボの口腔に叩きつけられた。

「――――――!!!!!!???」

>――――人間と犬の、1万3千年分の愛で死ね

尾弐の酷薄な言葉が突き刺さる。
拳を銜え込んだままのロボの喉が、ごくりと動く。
ロボはノエルの放った呪毒のナイフごと、チョコレートを呑み込んだのだ。

「ゴオオッ!ガ、ァ゛、ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛……ッ!!!」

北欧神話でテュール神の腕を銜えた魔狼フェンリルのように。
ロボが驚異的な咬合力を発揮して、尾弐の拳を食いちぎろうとする。
だが、尾弐の鋼のような筋肉と鉄よりも固い骨を噛みちぎることは難しい。いいところ肉をズタズタにする程度だ。
ロボは切断が不可能と悟ると、間近の尾弐の胸板を渾身の力で殴りつけ、尾弐の巨体を後方へ吹き飛ばした。
その反動を用いて、喉奥まで突き刺さっていた拳を吐き出す。

が、吐いたのは尾弐の拳だけ。
ナイフとチョコレートは、そこにはなかった。

4那須野橘音 ◇TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 07:47:02
「テ……メェ、ら……。何を……しやがった……?」
「オレ様に……何を、やりやがった……!」

ぐらぐらと巨体をよろめかせ、ロボが憎悪に満ちた眼差しでノエルと尾弐を睨みつける。
口の端から涎を垂らし、身体を襲うかつてない感覚に対処ができないでいる。
肉体を冷気で蝕み冒す、雪の女王の氷の呪毒。
そして、もはや犬と接する者にとっては当たり前の常識である――犬を殺す劇毒、チョコレート。
強力極まりない二種類の毒物が、同時にロボの体内を侵食している。
そして、尾弐の狙い通り。
ロボはその毒を決して吐くことができない。
毒を吐き出せば、今しがた取り込んだばかりの愛妻ブランカの血肉をも――魂をも吐き出さなければならなくなる。
それだけは、何がどうなっても決してできないのだ。

「ア゛……ガ、ァ……ギ……!」
「こ……、この……オレ様が……。狼王ロボが、腹が痛い……だと……?具合が……悪い、だとォ……?」

込み上げる嘔吐感を堪える。体内の毒素を排出しようとする肉体の働きを、精神が抑止する。
喉元までせり上がってきたものを、ロボは口許を右手で覆うとごくり、と強引に呑み下した。
獣害の権化『獣(ベート)』として生を享け、数百年。
今まで一度として、こんな身体の不調を感じたことはなかった。元より魔物である、定命の生物が罹患するような病とは無縁だ。
が、それはイコール無敵ということではない。
ブリーチャーズにとって有利に働いた点はふたつ。
ひとつは尾弐の目論み通り、イヌ科にチョコレートはご法度という『常識』がジェヴォーダンの獣と狼王の伝説を上回ったこと。
もうひとつは、狼王ロボに対して小細工や罠を用いず、真正面からナイフとチョコレートと食べさせた、ということ。
罠に対しては絶対的な耐性を持つ伝承持ちのロボだが、正々堂々と出し抜かれては受け入れるしかない。

「ゴミ虫ども……がァァァァ……!オレ様に、王に――ふざけた、真似を……!!!」

ロボの頑強な肉体の表皮に、太い血管が浮かび上がり脈動する。
その目が血走る。メキメキと巨体が異音を奏でる。
その四肢が、末端からまるで凍傷の末の壊死でも起こし始めているかのようにどす黒く変色を始める――。
ノエルの呪毒が体内から無敵の王を侵食し、それをチョコレートが加速させている。
それまで散々圧倒的な暴威を振り撒いていた狼王ロボの動きが、極端に遅くなる。

「ゴオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛――――――――――ッ!!!!!」

が、――止まらない。
氷の呪毒は効果があった。チョコレートは覿面に変調をもたらした。
でも、……死なない。
どれほどダメージを与えても、ロボは斃れない。
『銀の弾丸以外では、決して斃せない』――その強固な伝説が、ロボの心臓を動かし続けている。

「オオカミは……最強の獣……。そして、オレ様は……そのオオカミの頂点に立つ狼王……!」
「そのオレ様が……『テメエら』!『人間ども』なんぞに!負けるかよ……負けて、いられるかよ!」

シロをブランカと誤認し、ポチを群れの仲間と見違えたように、ロボにはもう相対する者たちが何者なのかもわかっていない。
国立科学博物館で戦った際はまだブリーチャーズのことを認識していたようだが、今はもうそれすらできていないらしい。
シロを、愛妻ブランカを噛み殺し、大願を果たしたことで、完全に壊れてしまったのだろうか。
かつてヨーロッパを震撼させた『獣(ベート)』を彷彿とさせるように、ロボは暴れる。
猛毒に冒され、通常の妖壊ならとっくにケ枯れを起こしているはずの状態で。
ノエルの氷雪を弾き返し、尾弐を殴り倒し、ポチを吹き飛ばし、ロボは吼える。戦い続ける。
カランポーに君臨するオオカミの王としての誇り、仲間たちへの愛情。
ただ、それだけを原動力として。

「オレ様たちを絶滅させてェんだろうが!オレ様たちを皆殺しにして、勝利の余韻に浸りてェんだろうが!」
「いいぜ、殺してみろ!オオカミを絶滅させてえと思うなら、このオレ様を殺す以外にはねェ!!」
「さあ……殺ろうぜ、殺り合おうぜ……!どっちかがボロ雑巾みてェになって!!くたばるまでなァ!!!」

黒ずんだ手でブリーチャーズを招きながら、ロボは嗤った。

5那須野橘音 ◇TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 07:47:45
「……ま……、待って……」

河原医院の河童にシロを預け、とんぼ返りで仲間たちの許へ取って返そうとする祈を、何者かが背後で呼び止めた。
振り返れば、診察台に乗せられぐったりと横たわっていたはずのシロが身を起こそうとしている。
狼王に喉を食い破られ、はらわたを啖われ、致命傷を負っていたというのに。
それでも尚、立ち上がろうとしている。
が、異常な事態はそれだけではなかった。

『喋っている』。

「待って……。わ、たし、も……連れて、ぃって……ください……」

シロは診察台を赤く染める自らの血だまりの中で立ち上がると、祈に聞こえる声でそう言ったのだ。
河童が驚愕している。普通の獣であれば、とっくに死んでいるはずの負傷だ。
しかし、祈には感じられるかもしれない。
シロが今、その身体から紛れもない妖怪の証――妖気を放っているということが。
生物は親がいなければ生まれない。また、卵を産んでそれきりの魚類や爬虫類と違い、哺乳類の赤ん坊は親の庇護なしには生存できない。
当然シロにも両親はいたはずで、どんなに小さなころに死に別れたとしても、その記憶は大なり小なり残っているはずなのだ。
だというのに、シロは『自分以外の同族に会ったことがない』と発言した。
ずっとひとりで生きてきた、と。それはどう考えても理屈に合わない。
……けれど、その矛盾もシロが妖怪であったというのなら説明がつく。

「ああ……。やっと、わかりました……」
「わたしは……ニホンオオカミ……。人間たちが『ニホンオオカミは、今もどこかでひっそりと生きている』と――」
「そう信じることで。そう願うことで生まれた、妖怪……」

ニホンオオカミは1905年(明治38年)1月23日に最後の捕獲例が確認されて以来、目撃情報が途絶えた。
が、いまだにニホンオオカミは絶滅していない、見つけられていないだけで生存している、と信じる者は少なくない。
何年かに一度の周期でニホンオオカミは話題になるし、賞金を懸けて捕獲に乗り出している団体もある。
シロは、そんな人々の『そうあれかし』が生み出した存在。『ニホンオオカミという名の妖怪』だったのだ。
今までブリーチャーズがそれに気付かなかったのは、シロ自身にその自覚がなかったから。
シロ自身が『自分はまっとうなオオカミである』と思い込み、それを欠片も疑わなかったがゆえに、妖力の発露が抑えられていたのだ。
しかし、今は違う。
シロ自身の『ひとりぼっちで死にたくない』という気持ち。東京ブリーチャーズの、強い信頼と絆を羨む心。
そして、もし叶うなら。自分もその輪の中に入りたい――と願う想いが、眠っていた妖力を解き放ったのである。
ただの獣ならば致命の傷も、妖怪ならば大怪我程度で済む。
河童が慌てて秘伝の軟膏を用意し、シロの喉や腹部に塗りつける。大きくえぐれていた傷が、瞬く間に回復してゆく。

「……今までの無礼を、どうか。お許しください、勇敢な妖怪のあなた」

回復したシロは診察台から飛び降りると、祈を見上げた。

「あなたたちに。そして“彼”に。伝えたいことがあります……。どうか、わたしを連れて行ってください。あの場所へ」

そう言うと、ゆっくり部屋を出ていこうとする。向かう先は、自分が先程までいた場所。ポチが狼王と戦っているビルの屋上。
だが。
祈とシロが病院の玄関を出たそのとき、駐車場にもなっている病院の前方に莫大な妖気が発生する。
それはブリーチャーズのどの妖怪とも比べ物にならない、桁外れで圧倒的な量の妖気。

「……これは……」

ウウウ……とシロが頭を低く伏せ、威嚇の姿勢を取る。
膨大な妖気はゆっくりと渦を巻き、やがて巨大な門の形状をとってゆく。かつて祈の見たリンフォンの門に似ているが、ずっと美しい。
それはまるで、天上に聳える天国の門のような――。
ギ、ギ、と軋んだ音を立て、神を讃える天使や聖人たちの緻密なレリーフの施された両開きの扉が開いてゆく。
光が扉の隙間から溢れ、夜闇を退けて祈とシロを眩しく照らす。

突如出現した巨大な門の中から、何者かが降臨しようとしていた。

6那須野橘音 ◇TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 07:48:13
白いゆったりとしたトーガ状の、幅広の布の上に、中世の胸鎧を身に纏った出で立ち。
風にそよぐ、柔らかなウェーブのかかった長い金色の髪。美しく凛然と整った、女性らしい面貌。
そして、背から生えた三対の巨大な純白の翼――。

出現したのは、天使だった。

「……東京ブリーチャーズ……なる者は、汝なるや?」

天使はそう言うと、深紅の瞳で祈を見た。
天使と言っても、祈や他の妖怪たちと成り立ちは変わらない。人類がそうあれかしと望み、想いによって生み出した存在。
ただし、その力は土着の伝承に依って立つしかない妖怪たちに比べ、あまりにも強大である。
世界三大宗教のひとつ、その御使いという存在。
当然、その放つ力も妖力というよりは神力とでも言うべき莫大かつ神聖なもの。
その輝く力を身に纏いながら、二十代中盤程度の女性の姿を取った天使は軽く左手を巡らせ――
無造作に、ぽい、と祈の目の前に黒い塊を打ち捨てた。
それは、満身創痍でボロ布のようになった橘音だった。

7那須野橘音 ◇TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 07:48:47
「……ぅ……」

まるでゴミでも捨てるかのように、橘音が硬いアスファルトの上に投げ出される。
全身傷だらけの、酷い状態だ。身体中汚れ、学生服とマントも埃と血にまみれている。
地面に倒れた拍子に小さく声を漏らしたことで、死んでいないということはわかったが、それでも無事でないことは一目でわかる。
まさに瀕死の様相だ。

「その者、神寵を蔑ろにし汚穢に耽溺せし者なるがゆえ、主の御名に於いて我が聖罰を与えしものなり」
「我は裁く者、罰する者。神座(かむくら)の前に侍りし三大天使が一。傾聴せよ、我が名は――」

まるで神託を下すかのように、天使が朗々と告げる。
右手に長剣を持ち、甲冑を纏った、猛々しい姿。
この世界に蔓延る邪悪を、聖なる炎で一層する熾天使。

「――我が名は。大天使ミカエルなり」

大天使ミカエル。
唯一神と呼ばれるものが最も信頼するガブリエル、ラファエルら大天使の一角であり、天軍の最高指揮官。
元はエチオピアの戦闘神であったが、唯一神に帰服しその最も強大な剣となった者。
かつて天界で起こった戦争では、敵の首魁であった堕天使ルシファーを撃破したという、最強の天使。
それが、祈とシロの前に佇立している。

「邪なる身にて我が聖域『聖ミカエルの山(モン・サン=ミッシェル)』に立ち入りし不遜、本来ならば死もて贖わせるところ」

じゃき、とミカエルは剣の切っ先で橘音を指す。

「さりながら、此度は『獣』狩りの大義ありてのこと。主の御名のもと、格別の慈悲を以て其の聖罰のみで不問に付す」
「娘よ、その無価値なる者に伝えおくべし。次は無い、とな」

そう言って、甲冑の胸元を一度ごそ、とまさぐる。
装束の中から出したものを、ぽい、と橘音の身体を投げ出したときと同じように無造作に地面に落とす。
それは、鈍色に輝く一発の銃弾だった。

「それなるはモン・サン=ミッシェル修道院聖堂の祭壇に安置されし銀十字を溶かし鋳造した、魔滅の銀弾」
「銀弾はそれ一発きり、替えはない。必中の意気にて挑むが善い。――さらばだ」

敵意と叱咤、両方の綯交ぜになった言葉を投げかけると、大天使ミカエルはゆっくりと踵を返した。と同時、徐々に扉が閉まってゆく。
扉が完全に閉まる頃には、周囲に満ちていた強大な神力は消え失せ――ただ、いつもと変わらない夜のしじまが周囲に戻ってきていた。

「……ゆきましょう。“彼”のところへ」

ミカエルが完全に退去したことを実感したのか、警戒を解いたシロが言う。
シロはポチたちのいるビルの方角を見上げると、たッ、と地面を力強く蹴って駆け出した。

8那須野橘音 ◇TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 07:49:32
「グルルルルオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!!!」

二種類の毒に肉体を蝕まれながらも、それによる身体能力の低下をまったく感じさせない獰猛さでロボが暴れ狂う。
いや、その破壊力は一番最初の戦闘開始時よりもむしろ上昇してさえいるかもしれない。
まさに、手負いの獣。自身もろとも敵を破壊し尽くそうという、暴虐そのものだった。

「死ね!死ね!死ねェェェェェェッ!!!!」

ロボが一瞬でノエルに接近し、鋭利な爪の生えた右腕を振りかぶる。
強大な力を持つ災厄の魔物同士の戦いだが、フィジカルでは圧倒的にロボに分がある。
あわや、ロボの凶爪がノエルを引き裂こうとした、その刹那――

「オオオオオオオ―――――――――――ン!!!」

夜の闇を打ち破るような、オオカミの咆哮が聞こえた。
それはロボのものでも、もちろんポチのものでもない。
どこからか突然無数のオオカミのシルエットが出現したかと思うと、それは一気にロボの振り上げていた右腕に噛み付いた。

9那須野橘音 ◇TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 07:50:16
「ッグゥ!?」

ロボが顔を顰める。オオカミの群れの影が、すう……と溶けるように消えてゆく。
そして。
気が付けば、ポチやノエル、尾弐のいるビルの屋上に、一頭の白狼が現れていた。
それはすなわち、復帰したシロ。

「……お……」

『それ』を目の当たりにしたとき、狼王ロボは驚愕から、これ以上ないというほどに金色の双眼を見開いた。

「おかしい……だろうが……。おまえは……オレ様の腹の中に……いるはず、だろうが……」
「おまえは、オレ様と……ひとつになってずっと、過ごすはずだろうが……。おまえの魂を、オレ様は……啖ったはずだろうが……」

「おまえが……そこにいるのは!!おかしいだろうが――――ブランカアアアアアアア!!!!」

ロボが叫ぶ。
それは、絶対にあってはいけないこと。起こってはならないこと。
決して認められないこと――

シロ――ブランカが、生きてこの場にいるということ。

「……どうやら、間に合ったようですね」

シロが言う。人間の言葉で喋っている。それはこの場にいるノエルにも、尾弐にも、そしてポチにも。はっきりと聞こえることだろう。
そして、シロがその身体に妖気を纏っているということも。

「狼のようで、狼でないあなた。――あなたに言いたいことがあって、戻ってきました」

ふさふさした尾を一度揺らし、シロがポチの方を見遣る。

「わたしは、先程あなたを拒絶しました。先程だけではない……先日も。あなたの提案を無碍に断り、あなたの気持ちを踏みにじりました」
「わたしはずっと、仲間と言えばそれは同じニホンオオカミだけであると。そう信じて生きてきました」
「それ以外の考えのすべてを、頭の外へと締め出して。考えるのを放棄してきました――」
「……わたしは。愚かでした」

「何を……、何を言ってる……?ブランカ……?何の話をしてやがるんだ……?」

沈痛な面持ちで目を伏せるシロを見て、ロボが狼狽したように言う。
そんなロボを無視し、シロはさらにポチへと言い募った。

10那須野橘音 ◇TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 07:50:53
「わたしはずっと、仲間を追い求めていました。わたしと血を分けた、わたしと同じ種族の、わたしと同じさだめを持った仲間を」
「……でも。そんな者はいなかった。当然です……わたしと同じ存在など、はじめから。この世界には存在しなかったのですから」
「わたしはニホンオオカミ。ニホンオオカミという名の妖怪――」
「人間が、ニホンオオカミはまだ滅びていないと。どこかに棲息しているに違いないと……そう想うことによって生まれた妖怪」
「わたしは、ずっと。いるはずのないものの幻影ばかりを追いかけていた……」

「おい……、ブランカ?オレ様にもわかるように喋れよ、何を言ってるのか……」

「あなたは。仲間たちのことを裏切ってまで、わたしを救おうとしてくれたのですね。こんなわたしのことを」
「そして、仲間の皆さんは……そんなあなたの行為を知ってなお、あなたを許した。あなたの行動を、戦いを、正しいものとした」
「姿も。種族も。生まれも。何もかも違うのに――あなたたちは仲間として、お互いを信頼している。愛を育んでいる」
「――何もかもがバラバラでも。最初のうちは、他人であっても。すべてのものは、仲間になれるのですね」

東京ブリーチャーズの面々をゆっくりと見遣りながら、シロが言う。
そこには、四日前同じ場所で相対したときのような、オオカミ以外の一切を拒絶するような気配は見られない。
いいや、むしろ逆の――

「わたしが間違っていました。狭量で、浅墓でした。わたしの目には、長い間。何も見えてはいなかったのです」
「そんな、愚かなわたしですが。もし――もしも、許されるのなら――」

「おい……!何を言ってやがる、やめろ!血迷ったかブランカ!?」

ロボがずしん、と一歩を踏み出し、右腕を伸ばしてシロを黙らせようとする。
しかし、シロは止まらない。

「わたしの、ことを。この、孤独なニホンオオカミを――」

「やめろ!黙れ、それ以上言うな!おまえはオレ様の嫁だろうが!オレ様の傍にいるのが正しいんだろうが!!」

「……あなたの。あなたたちの――」

「やめろ!やめろ!やめろやめろやめろ!おまえはオレ様のものだ!オレ様の!オレ様だけのものなんだァァァァァァ!!!」

「――仲間に。入れてくれますか――?」

「やめろォォォォォォォォォォォオォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!」

シロがポチへ。ノエルへ。尾弐へ。そして祈へ――ブリーチャーズの全員に懇願する。
ロボが絶叫する。
それは、明確な決別のサイン。ロボを拒絶したということの証左。
狼王ロボを否定する、この上なく明快な答え。


「―――――――」


ロボの時間が、止まる。つい今しがたまで、あれほど荒れ狂っていた『獣』が、まるで石造りの像のように固まる。
千載一遇のチャンス。きっと二度とは訪れないであろう、ロボ打倒の唯一にして絶対の瞬間の到来。
大天使ミカエルの与えた銀の弾丸は、祈の手の中にある。

それをロボの不死の肉体へと叩き込むのは、果たして誰なのだろう。

11ポチ ◇xueb7POxEZTT:2017/10/21(土) 07:54:00
迫り来るロボに飛びかかろうとした瞬間、夜色の妖怪の前に壁が現れた。
氷の壁……ノエルの妖力によって築かれたものだ。

>「ポチ君――シロちゃんは君を逃がそうとした。生きてほしいと望んだんだ」

ポチだった頃の面影などまるで残っていないその妖怪を、ノエルはなおもポチと呼ぶ。
諭すように声をかけ、後ろから抱きしめる。
……ポチと呼ばれた妖怪が、牙を噛み締め、その隙間から唸り声を漏らした。
そしてノエルの腕を掴む。鋭い爪が彼の白い肌を裂き、肉に食い込むほど強く。

「離せ、ノエっち。言ったろ、僕はもうポチじゃないんだ。
 君から先に……転ばせてやったって、いいんだ」

>「諦めないで。まだ勝機はある」

突き放すようにそう言っても、ノエルは彼から離れない。
それどころか自分の妖力を分け与え始めた。
たった今、君から転ばせる……殺してやってもいいんだと、言った相手に。

>「……なあ、ポチ助。お前さんが自棄になるのは当たり前だけどよ……その前に、今すべき事を忘れちゃいねぇか?
  お前さんがすべきことは、諦める事でも謝る事でも、ましてや、あの化物を憐れんでやる事でもねぇだろ」
 
尾弐もまた、彼をポチと呼ぶ。
彼は、尾弐がブリーチャーズの皆といる時のにおいを知っている。
共に日々を過ごす時の親愛のにおいを。戦いの中で皆が傷ついた時に纏う、深い怒りのにおいを。
彼がどれほどブリーチャーズを大切に思っているのかを覚えている。
そのブリーチャーズを裏切ったはずの、今や名も無き妖怪に、

>「お前さんが今やるべき事は、するべき事は。テメェが惚れた女を不幸にしたクソ野郎をぶん殴ってやる事だろうが。
 ……作戦無視の仕置きは後回しだ。東京ブリーチャーズは関係ねぇ。今は、一人の男としてお前さんを手伝ってやる。だから」

それでも関係ないと。手伝ってやると声をかける。
夜色の妖怪は、自分の視界がぼやけるのを感じた。
疲れや痛みによって朦朧としている訳ではない。
一体何故……その答えに、彼はすぐには気付けなかった。
狼犬の姿でいた時は、その現象には縁がなかったから。

「……やめろよ。僕の、僕のせいなんだ。あの子があんな事になったのは。
 僕が守りたいって、覚えていて欲しいって思ったから。
 もう嫌なんだ。守りたいなんて思いたくない。誰も覚えててくれなくていい」

どんなに嬉しくても、悲しくても……涙を流す事は、なかったから。
だから自分が泣いている事を理解するまでに、数秒の時間を要した。

「なのに、なんでそんな事言うんだよぉ……」

氷の壁が打ち砕かれる。
夜色の妖怪はノエルの腕を、今度はそっと解いて、涙を拭う。

「ノエっち。尾弐っち……ありがとう」

結局、彼はポチと呼ばれる事を、ブリーチャーズである事を拒み切れなかった。
彼らへの愛情を、彼らを守りたいと願う事を、捨て切れなかった。

12ポチ ◇xueb7POxEZTT:2017/10/21(土) 07:54:35
「嬉しかった。大好きだったよ」

そしてだからこそ、彼は再び、より強く願った。
ポチである事をやめ、何も愛さず、何も願わないモノになりたいと。

「でも安心して。もう、そんな事考えないから。だから……今度こそ、失敗しないから」

13ポチ ◇xueb7POxEZTT:2017/10/21(土) 07:55:06
愛し、願うという事は、彼にとって最早失敗と同義なのだ。
だから皆を守りたければ……皆を守りたいなどと思わない、モノにならなければいけない。
……彼の心は既にひび割れ、壊れていた。
そしてそれ以上壊れて、砕け散ってしまわないように……狂気を帯びた。
狂ってしまわなければ、彼はもう立っている事も、戦う事も出来なかった。
……振り返れば、血溜まりの中からシロの体が消えている。
祈が連れて行ってくれたのだ。シロの体からは……まだ、血が流れていた。
ならばまだ、助かるかもしれない。
その結果を自分が知る事はないと思っていても……夜色の妖怪は、小さく笑った。

>「ガルルルルルァァァァァァァ――――――――――――――ッ!!!!!」

ロボが咆哮と共に、迫り来る。
弧を描き振り下ろされる大鉈のような爪。
まともに喰らえば自らの死すら認識出来ないであろう致命の一撃。
だが夜色の妖怪はそれを恐れない。
右手を前に伸ばし、内から外へ広がる弧を描く。
ロボの爪の勢いに逆らわぬまま、立板に水を流すように、その軌道を逸らす。
そして前へ踏み込み、ロボの懐へ。
姿勢を低く、ロボの脚へと飛びかかる。
両腕で片足に抱きつき、関節に外側への捻りを加えれば、彼を転ばせる事が出来るはず。
……だがロボの反応は速い。
夜色の妖怪の手が、ロボの脚にまで届くよりも速く、蹴りを放つ。
咄嗟に両腕で顔を庇うが、体が浮き上がるほどの衝撃が彼を襲う。
そのまま屋上の床を転がり……しかし平然と起き上がる。
防御が間に合ったとは言え、真正面から魔狼の一撃を受けたというのに。

「……痛くない」

夜色の妖怪は、痛みも苦しみも感じない。
そして彼は幾度となくロボへと挑みかかる。
殴られようと、蹴り飛ばされようと、切り裂かれようと、叩き付けられようとも。執拗に。

>「ゲハハハハ……なんのマネだァ?オレ様にじゃれつこうってのか?だが――遊んでるヒマはねェ」
 「テメェも匿ってやる、クソッタレな人間どもからな……だから、早く隠れろ。『オレ様の中へ』……!」

「隠れる……あぁ、そうするよ」

ロボが牙を剥き出しにして一歩前に踏み出す。

「だけどアンタの中にじゃない」

>「ゴオオオオオオオアアアアアアアアアアア――――――――――――――ッ!!!!!」

そして、なおも不遜を改めぬ同胞に怒ってか、或いは勝利を誇示する雄叫びか……ロボが猛り吠える。
……瞬間、夜色の妖怪の姿がふと、夜闇の中に消えた。
ポチだった頃の隠れ身よりも、より完全に。
においも、気配も、息遣いも、ありとあらゆる彼の痕跡がこの世から消える。
……彼は送り狼。送り狼はやや知名度の低い妖怪だが……その名を知っている人間なら、大抵はその正体も知っている。
狼は警戒心の強い生き物だ。
故に彼らは縄張りに何者かが入り込むと、一定の距離を保ちつつ見張る習性があった。
つまり送り狼の起源は……縄張りに踏み込んだ人間を警戒して監視し、付いて回っていたニホンオオカミ。
送り狼とは夜闇と自然への畏れの象徴にして……元からどこにも、存在しないもの。
そう、送り狼なんて妖怪は、存在しない。それはただのニホンオオカミだった。
その常識という強固な信仰から成る隠密……消失は、例えロボであっても、少なくとも容易には、見破れないだろう。
だが……それだけでは意味がない。
結局ロボを転ばせようとすれば、その時、夜色の妖怪は姿を現して、そこに存在しなくてはならない。
その瞬間をロボは見逃さないだろう。

14ポチ ◇xueb7POxEZTT:2017/10/21(土) 07:55:33
>「――食らえ!」

……だがそれは、その瞬間を、誰にも邪魔されなければの話だ。
ノエルがロボ目掛けてナイフを投げつけ、ロボがそれを受け止める。
その極僅かな時間の中で、夜色の妖怪はロボの足元に潜り込んでいた。
そしてその脚にしがみつき、渾身の力で体を捻る。
瞬間、ロボの体勢が崩れ……片膝をついた。

15ポチ ◇xueb7POxEZTT:2017/10/21(土) 07:56:04
「……転んだな?」

夜色の妖怪がゆらりと立ち上がりながら、そう呟く。
双眸を見開いて片膝をついたままのロボをじっと見つめる。

「今、転んだよな。しゃがんだんじゃないよな。転んだんだよな?」

問いに対する答えはない。

>「――――人間と犬の、1万3千年分の愛で死ね」

何故ならロボの口吻には、尾弐の拳が叩き込まれている。

「……お、に?」

尾弐の手首には牙が深々と食い込み、どす黒い血が止め処なく流れている。
夜色の妖怪はほんの数秒、その光景に目を奪われ……しかしすぐにロボへと視線を戻す。

「……転んだな」

消え入るような呟きと同時……夜色の妖怪が、膨れ上がった。

「転んだな転んだな転んだな転んだな転んだな転んだな転んだなやっと転んだ」

その存在が、純粋な送り狼として変貌していく。
毛皮の色はより夜闇に近づき、その輪郭は朧気に……。
どこにも存在しないモノとして……ただの恐怖の象徴として。

>「ゴオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛――――――――――ッ!!!!!」

死の咆哮。王者の雄叫び……だが夜色の妖怪は怯まない。

「グルルル……ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」

狂気に囚われた狼の咆哮が再び、もう一つ、響き渡る。

>「オオカミは……最強の獣……。そして、オレ様は……そのオオカミの頂点に立つ狼王……!」
 「そのオレ様が……『テメエら』!『人間ども』なんぞに!負けるかよ……負けて、いられるかよ!」

体を猛毒に侵されながら、ロボの暴威はなおも衰えない。
嵐の如き轟音を掻き鳴らしながら、狼王が爪を振り回す。
だがその狙いは曖昧で、定まっていない。
元からロボの攻撃は荒々しいものだった事に加え……夜色の妖怪は、最早限りなく夜闇と同化している。
狙いの甘いその一撃を、夜色の妖怪は左腕で弾き、逸らし、ロボの懐へ。
右の五指を開き、漆黒の爪を振りかぶり、切り払う。
強靭な被毛を切り裂く手応え……だが血は流れない。
切り裂けたのは被毛まで。その下の皮膚を傷つけられない。
生じた隙に、ロボの反撃が突き刺さる。
薙ぎ払うような蹴りが、夜色の妖怪を捉え、吹き飛ばす。

>「オレ様たちを絶滅させてェんだろうが!オレ様たちを皆殺しにして、勝利の余韻に浸りてェんだろうが!」
 「いいぜ、殺してみろ!オオカミを絶滅させてえと思うなら、このオレ様を殺す以外にはねェ!!」
 「さあ……殺ろうぜ、殺り合おうぜ……!どっちかがボロ雑巾みてェになって!!くたばるまでなァ!!!」

その怒号に、夜色の妖怪は僅かに首を傾げるだけだった。

16ポチ ◇xueb7POxEZTT:2017/10/21(土) 07:56:24
ロボは確かに壊れている。だが同時に、彼は紛れもない狼王だ。
彼が秘める深い愛情と誇り……それらに触れても、夜色の妖怪はもう殆ど何も感じない。
ただ僅かな、理由の分からない歩みの鈍りを覚えるだけだった。
そして、その原因を知りたいと感じる事も彼にはない。

17ポチ ◇xueb7POxEZTT:2017/10/21(土) 07:57:04
>「グルルルルオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!!!」

ただ、転ばせた相手を殺める。
それだけが今の彼の行動原理だった。故に……

>「死ね!死ね!死ねェェェェェェッ!!!!」

ロボが一瞬間の内にノエルへと詰め寄ったその時、夜色の妖怪は反応出来なかった。
その動きが見えなかった訳ではない。だが、反応出来なかった。
本来するべきだったはずの反応を。
……ロボとノエルの間に割り込み、是が非でもノエルを守ろうとする事が出来なかった。
彼はただ、自分に背中を見せた敵に追撃を加えようとしていた。
原因の分からないの胸の痛みに首を傾げながらも、その理由を思い出そうとは思えなかった。

全ての願いと愛と共に、自らを消し去ってでも、仲間を守りたい……。
そう願った事さえもが、今この瞬間に、裏目に出た。
狼になれず、守ると誓った者も守れず、そして彼は再び、失敗する。

>「オオオオオオオ―――――――――――ン!!!」

……はずだった。
だがロボの動きは止まった。
不意に虚空から現れた、無数の狼の影によってその右腕を食い止められたから。
……夜色の妖怪もまた、動きを止めていた。
たった今響き渡った遠吠え……その声音に、聞き覚えがあったから。

>「……お……」
 「おかしい……だろうが……。おまえは……オレ様の腹の中に……いるはず、だろうが……」
 「おまえは、オレ様と……ひとつになってずっと、過ごすはずだろうが……。おまえの魂を、オレ様は……啖ったはずだろうが……」
 「おまえが……そこにいるのは!!おかしいだろうが――――ブランカアアアアアアア!!!!」

ロボがその動きを完全に止めて、狼狽える。
隙だらけの姿……だが夜色の妖怪は再び動き出す事が出来なかった。
唯一出来たのは、ロボがその金色の双眸を向ける先へと彼も振り向く事。

>「……どうやら、間に合ったようですね」
>「狼のようで、狼でないあなた。――あなたに言いたいことがあって、戻ってきました」

そこには、白い狼がいた。

>「わたしは、先程あなたを拒絶しました。先程だけではない……先日も。あなたの提案を無碍に断り、あなたの気持ちを踏みにじりました」
 「わたしはずっと、仲間と言えばそれは同じニホンオオカミだけであると。そう信じて生きてきました」
 「それ以外の考えのすべてを、頭の外へと締め出して。考えるのを放棄してきました――」
 「……わたしは。愚かでした」

夜色の妖怪は、彼女から目が離せなくなっていた。
体の自由が利かない事に首を傾げる事すら出来ない。

>「わたしはずっと、仲間を追い求めていました。わたしと血を分けた、わたしと同じ種族の、わたしと同じさだめを持った仲間を」
 「……でも。そんな者はいなかった。当然です……わたしと同じ存在など、はじめから。この世界には存在しなかったのですから」
 「わたしはニホンオオカミ。ニホンオオカミという名の妖怪――」
 「人間が、ニホンオオカミはまだ滅びていないと。どこかに棲息しているに違いないと……そう想うことによって生まれた妖怪」
 「わたしは、ずっと。いるはずのないものの幻影ばかりを追いかけていた……」

視界が滲む。夜色の妖怪が両眼を拭う。
ほんの一瞬、シロの輪郭がはっきりとして、しかしまたすぐに滲む。
夜色の妖怪は、自分が泣いている事に気付いた。
一体何故……こんなちっぽけな狼を注視しても、その声に耳を傾けて、涙を流しても。
獲物を転ばせ殺める事に役立つ訳ではないのに。
何故、涙を流すだけで、あの狼王の暴威を浴びても感じなかった痛みが、酷い喪失感が、胸の奥に生じるのか。

18ポチ ◇xueb7POxEZTT:2017/10/21(土) 07:57:44
>「あなたは。仲間たちのことを裏切ってまで、わたしを救おうとしてくれたのですね。こんなわたしのことを」
 「そして、仲間の皆さんは……そんなあなたの行為を知ってなお、あなたを許した。あなたの行動を、戦いを、正しいものとした」

「……なか、ま」

夜色の妖怪の胸中。その奥にあるものに、再び亀裂が走る。

19ポチ ◇xueb7POxEZTT:2017/10/21(土) 07:58:24
>「姿も。種族も。生まれも。何もかも違うのに――あなたたちは仲間として、お互いを信頼している。愛を育んでいる」

「あ、い……」

>「――何もかもがバラバラでも。最初のうちは、他人であっても。すべてのものは、仲間になれるのですね」

「……あ、あぁ……君は……君は……!」

そして、砕け散った。
打ちのめされ、ひび割れた心を守る為に纏った狂気が。

「良かった……助かったんだね……良かった、本当に……」

嬉しい、と彼は感じていた。シロが妖怪だったとしても、そんな事は関係なかった。
安堵のあまり、その場にしゃがみ込んでしまいそうになるのを……ポチは、辛うじて堪えた。

>「わたしが間違っていました。狭量で、浅墓でした。わたしの目には、長い間。何も見えてはいなかったのです」
 「そんな、愚かなわたしですが。もし――もしも、許されるのなら――」
 「わたしの、ことを。この、孤独なニホンオオカミを――」
 「……あなたの。あなたたちの――」

ロボが何かを叫んでいる。だがその声はポチには聞こえない。
遥か遠くで響いているかのように、意識の表面を撫でて、消えていく。
ポチは呼吸も、瞬きも忘れて、シロの、次の言葉を待っていた。
その言葉が、自分の思い描いているものと同じである事を……願いながら。

>「――仲間に。入れてくれますか――?」

何度も失敗を繰り返した。
狼になりたい。彼女を守りたい。何も願わないモノになりたい。
彼の願いは、その全てが失敗に終わってきた。
シロの到着があと数秒遅ければ、また一つ、取り返しのつかない失敗を積み重ねていた。

「……やっと、願いが叶った」

……だからシロのその言葉を聞いた時、心の底から嬉しそうに、ポチはそう呟いた。

「君が、生きててくれて、そう言ってくれて……嬉しいよ。
 本当に、本当に嬉しい。だけど……ごめん。少しだけ、待ってて」

そして……ロボへと視線を戻す。

「……君は、狭量でも、浅はかでもなかった。
 ただ、諦めなかっただけだよ。僕と違って」

夜闇と殆ど同化していたポチの姿が、再び変貌していく。
失いかけていた輪郭を、取り戻していく。
彼の、そうあれかしという願いに添って。

20ポチ ◇xueb7POxEZTT:2017/10/21(土) 07:59:05
「……僕はまだ、君に恥じない僕に、なれてない」

ポチが得た姿は、ロボにそっくりだった。
獲物を転ばせた送り狼……逃れ得ぬ死の象徴。彼の発揮し得る最大限の力。
その力に、彼はロボの姿を……偉大な狼王への憧れを映した。
月光の描き出すロボの影の先で、夜色の、彼の一回り小さな似姿が描き出された。
ポチがロボへと歩み寄る。
そして彼が、シロを制止するべく伸ばした右手を、左手で掴む。
自身の右手はロボの肩へ。同時にその両手を、前触れもなく生じた氷が包む。
ノエルによって分け与えられた氷の妖力だ。
次にロボの左足に、右足を重ねる。
ノエルの妖力が二匹の足を、根を張るように地面に繋ぎ止める。
それはロボがいつ動き出すか分からないから、万全を期す為に行った事。

「……おかしくなっちゃうのってさ、楽だよね」

だが……それだけを意図した行為でもなかった。
ポチが牙を剥き出しにして、大きく口を開き……ロボの首筋に食らいついた。

《……だけど、アンタは王様だろ。そうやって呆けて、壊れたまんま、死ぬつもりかよ》

噛み付いているのだから声は発せない。
だが喉から響く唸りと、眼光と、においで、獣は意思を伝え合える。

《そんなの……僕は嫌だ。アンタが、狼の王が、ただの妖壊として終わるなんて。
 だから、だから……僕が、アンタに勝つ。アンタに勝たなきゃいけないんだ!》

強靭な皮膚を、筋肉の鎧を突き破らんと、ポチは渾身の力で牙を噛み締める。
長い死闘の中、ロボはずっと……狼の王だった。
壊れて、狂ってしまってはいたが……それでも、その強さも、愛情と誇りも、紛れもなく狼王のそれだった。
だからポチは、その憧れが、壊れたままで終わって欲しくなかった。
……祈から、清冽な、金属のにおいがする。
それは恐らくは、銀の弾丸のにおいなのだと、ポチは気付いていた。
銀の弾丸は、あと数秒もしない内に、ロボの体を撃ち抜くだろう。そしてその命は終わる。
だがその前に、己の牙を、その皮膚と肉の内側へと届かせられたなら。
狼王ロボは……妖壊としてではない。同じ狼に、狼として負けた。
例え本当は、彼の命を奪ったのが銀の弾丸だったとしても……そう思い、信じる事が出来る。
ロボを、狼の王として終わらせたい。
ポチはその一心で願った……食い破れ、と。

21御幸 乃恵瑠 ◇4fQkd8JTfc:2017/10/21(土) 08:07:06
荒れ狂うロボの視界の外で、何も無い空間から突然祈が現れたかと思うと、シロを抱きかかえて跳躍した。
それを見てはっとする。
確かに普通の動物なら助からないが、シロは100年以上ぶりに唐突に発見されたニホンオオカミであり、
橘音が最初に見た時に何か引っかかるような素振りを見せていた。
妖怪ならば、すぐに治療を受ければ助かる可能性はある。
シロが助かるように心から願うと同時に、一緒にシロを守ろうと言ったくせに、勝手に諦めていた自分を恥じた。
とはいえ、どちらにせよこの役は空を駆けることができる祈にしか出来ぬことだ。
そして、ロボと同じ厄災の魔物の力を持つ自分の役目は――ポチと共に戦う事。決して死なせない事。
故に任せてのウィンクで祈を見送った。

シロちゃんはお願い――ポチ君は僕が死なせない。ロボを倒して、必ず二人を本当の意味で会わせよう。

>「ノエっち。尾弐っち……ありがとう」
>「嬉しかった。大好きだったよ」

「そこは嬉しい、大好きだよ、だろう。人語がまだまだのようだな――!」

>「でも安心して。もう、そんな事考えないから。だから……今度こそ、失敗しないから」

「ポチ君、一体何を言ってるんだ……」

問い詰めている暇も無く容赦なく戦いは始まる。
乃恵瑠の援護が功を奏し、ポチはついにロボを転ばせることに成功した。

>「今、転んだよな。しゃがんだんじゃないよな。転んだんだよな?」

ここにきてノエルもポチの意図に気付いた。彼は転んだ者を食い殺すという送り狼の性質を利用するつもりなのだ。
とはいえ「自分で座っただけです」と言えば回避できるというお手軽な回避手段があるので、実際に使えることはあまりないのだが――
ロボはその回避手段を使う事は出来なかった。間髪入れずに尾弐の拳が突っ込まれたからだ。

>「――――人間と犬の、1万3千年分の愛で死ね」

「クロちゃん!?」

どう軽く見積もっても重傷、下手すれば食いちぎられることだろう。
やっている事はとても単純明快だが、食いちぎられるのを覚悟で真正面から手を突っ込むなど、彼以外には出来ぬ芸当。
常識を超えた正面突破の力押し、あらゆる罠を出しぬいてきたロボにとって、それは唯一避けられぬ罠だった。

>「テ……メェ、ら……。何を……しやがった……?」
>「オレ様に……何を、やりやがった……!」

尾弐は自らの片腕と引き換えに、犬科にとっては猛毒のチョコレートと、呪氷のナイフをロボに食べさせる事に成功したのだ。

>「転んだな転んだな転んだな転んだな転んだな転んだな転んだなやっと転んだ」

転んだ者を食い殺す送り狼本来の性質を発現させたポチが、実体の希薄な妖怪へと変貌していく。
対するは二種類の毒が効果覿面の狼王。すでに勝負あったかと思われた。しかし――

>「ゴミ虫ども……がァァァァ……!オレ様に、王に――ふざけた、真似を……!!!」
>「ゴオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛――――――――――ッ!!!!!」

「まだ動けるのか……!」

HPが減る程凶暴になる――妖壊にありがちなパターンであった。
やはり、いくら毒に蝕まれて満身創痍になろうとも、その息の根を止められるのは銀の弾丸ただそれだけなのだ。
こうなると、今のポチは非実体になっているとはいえ油断は出来ない。実体の薄い犬神も軽くボロ雑巾のようにされていたのだ。
それどころか、普段より危険ですらある。自らの身の安全も考えずにただ相手を食い殺すだけの存在になっているからだ。
尾弐は幸い腕を食いちぎられるのは免れたとはいえ、少なくとも両手が必要な銃を扱うのは不可能だろう。

22御幸 乃恵瑠 ◇4fQkd8JTfc:2017/10/21(土) 08:07:52
>「グルルルルオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!!!」

>「グルルル……ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」

もはや相手を屠るだけの存在と化した狼同士の対決が始まる――狼同士の戦いに手出しは無用、等と粋なことを言ってはいられない。
ポチをもう一度シロと会わせなければいけないのだから。ロボが銀の弾丸以外では死なない以上、放置したらいつかはポチが力尽きてしまう。
乃恵瑠は何を思ったか、尾弐の猟銃を手に取った。

「いくぞ――ハイパーモフモフ狩猟タイムだ!」

無駄に派手なモーションで何となくそれらしく構えるも、全くなっていない。
そして所定の手順を踏まずに、謎エフェクトと共に弾丸が放たれる。弾丸は弾丸でも、妖力で作った氷の弾丸。
もちろん、乱戦の中に撃ちこんでもポチには当たることはないというガバガバ仕様だ。
それもそのはず、これは射撃でも何でもなく、いつもの妖術攻撃だ。
猟銃を実際に使っているわけではなく、普通に氷弾を放ってもいいところを、銃から撃っているように見せているに過ぎない。
深雪の強大な妖力は広範囲の殲滅が本領であるため、挌闘戦に特化した超強い一体との戦闘では分が悪い。
そこで、それらしい小道具を使う事によって、攻撃力を強化しているのだ。人々のイメージに大きく左右される妖怪の性質上、絵面は重要である。
今ここに「ノエルに猟銃」という新慣用句が誕生した。
その意味が鬼に金棒か、猫に小判か、はたまたキ○ガイに刃物かあるいはその全部を足して3倍したような意味かは各自の解釈にお任せする。

>「オオカミは……最強の獣……。そして、オレ様は……そのオオカミの頂点に立つ狼王……!」
 「そのオレ様が……『テメエら』!『人間ども』なんぞに!負けるかよ……負けて、いられるかよ!」

もう戦っている相手が何者かも分からなくなっている。
その反面、厄災の魔物としての本質は露わになっている。それはやはり、狼を追いやった人間達への怒りと敵意。

「クロちゃん……天神細道を取ってきて。もうアイツは地獄にでも放逐するしかない……!」

適度な距離を保ちつつ氷の弾丸を連射してポチを援護しながら、尾弐にそう告げる。
厄災の魔物といえど動物、せめて輪廻の円環に還してやりたかったが、銀の弾丸が来ない以上仕方がない。
ロボを倒して戦いを終わらせない限り、ポチは元に戻らないのだ。

>「オレ様たちを絶滅させてェんだろうが!オレ様たちを皆殺しにして、勝利の余韻に浸りてェんだろうが!」
 「いいぜ、殺してみろ!オオカミを絶滅させてえと思うなら、このオレ様を殺す以外にはねェ!!」
 「さあ……殺ろうぜ、殺り合おうぜ……!どっちかがボロ雑巾みてェになって!!くたばるまでなァ!!!」

吹き飛ばされたポチに追撃をかけようとするロボの足元に、氷弾を撃ちこんでその歩みを阻む。
ポチはすぐに起き上がって再びロボに襲い掛かろうとするが、ほんの少しの間があく。

>「死ね!死ね!死ねェェェェェェッ!!!!」

「しまっ――」

一瞬にしてロボが目の前に迫り、鋭い爪を振りかぶっていた。
ロボはまともな思考能力は失っていても、戦闘センスは健在。
基本は狼であるポチに注目しているとはいえ、この状況において邪魔な後衛から始末しようと考えるのは、当然のことだった。
避けきれない――かといって狼王の前に小手先の防御は無意味だろう。
当たったら、死ぬかな――? 否、なんとしてでも、死ぬわけにはいかない。その想いが、乃恵瑠の姿を変えていく。
乃恵瑠でもみゆきでもない、決して皆には見せまいと思っていた姿になる。
それは長い白銀の髪をなびかせた女の姿をした魔物。深雪――人と雪妖の複雑な因果の果てに生まれた雪の恐怖の化身。
ノエルは死ぬわけにはいかないのだ。それは通常の意味に加え、特殊な事情がある。
それこそがその昔女王がみゆきを処分せずに、数百年かけて育てるなどと手の込んだ事をしようと思い至った理由。
厄災の魔物は滅することは出来ない――それは人間が文明社会を築く以上背負う避けられぬ宿命のようなものだから。
自分が死ねば深雪はすぐに次に生まれてくる雪ん娘に宿り、またしても厄災を撒き散らす。
母や姉のしてくれたことが全てが無駄になる。それだけは避けなければならない。
とはいえ、まだ完全に手懐けていない今の状態で深雪を表に出せば下手すれば乗っ取られてしまう。故にこれは賭けだった。
その時だった――

23御幸 乃恵瑠 ◇4fQkd8JTfc:2017/10/21(土) 08:08:17
>「オオオオオオオ―――――――――――ン!!!」

――無数の狼の幻影が現れ、ロボが振り上げた腕に噛みついた。

24御幸 乃恵瑠 ◇4fQkd8JTfc:2017/10/21(土) 08:08:51
「シロ殿、息災だったか。後でモフモフモフモフさせてもらうぞ!」

祈と共に帰ってきたシロを見て、口を突いて出た言葉は、何故か古風口調。
差し当たっての危機を脱し、深雪に引っ込んでもらおうとするノエルだったが、案の定主導権を握られた状態になっていた。
一難去ってまた一難というやつだ。

≪もう少し良いではないか。久々に表に出れたのだから少しは暴れさせろ≫

更に深雪は勝手に祈にも話しかけ始めた。

「娘子よ、人間にしてはよくやったな――この我が直々に褒めてやろう! 待て、そなた――何を持っておる!?」

祈が放つ清廉なオーラに気付き、恐怖を露わにあとずさる深雪。

≪あの娘、魔滅の弾丸を持ってきよった――後は任せた――≫

深雪は逃げるように引っ込み、いつものノエルの姿に戻った。
近くでロボが絶叫している最中だったので、ノエルの妙な態度に目を止める者はあまりいなかっただろう。
魔滅の弾丸、その名の通り魔を滅する弾丸――深雪にとっては近くにあるだけでとてつもない恐怖であった。
その結果オーライに安堵しつつ、改めて状況を認識する。
祈が銀の弾丸を持ってきたらしい。それも、ただの弾丸ではなく、魔を滅する聖なる弾丸だという。
ノエルの姿に戻っても、そのオーラは清廉過ぎてなんとなく怖いような感じがする。まるで綺麗過ぎて魚が住めない水のような。
深雪を内に宿している事に加えて、ノエルという存在自体が善と悪、聖と魔を容赦無く切り分ける一神教の善悪二元論とは相容れぬものがある。

>「狼のようで、狼でないあなた。――あなたに言いたいことがあって、戻ってきました」

ポチは無言でシロを見つめている。

「シロちゃん助かったんだよ。もう元に戻っていいんだよ」

シロは自らがニホンオオカミという名の妖怪だと明かし、ポチに今まで拒絶してきた非礼を詫びた。

>「――何もかもがバラバラでも。最初のうちは、他人であっても。すべてのものは、仲間になれるのですね」

>「……あ、あぁ……君は……君は……!」
>「良かった……助かったんだね……良かった、本当に……」

ノエルは、ポチとシロの再会を感慨深げに見つめていた。
銀の弾丸が調達された今、間もなく戦いは終わるだろう。幸い天神細道の絡繰りに勘付かれてはいないはず。
後は当初の予定通り祈が弾丸を当てればいい。もうポチがやることは無いはずだ。

25御幸 乃恵瑠 ◇4fQkd8JTfc:2017/10/21(土) 08:09:24
>「わたしの、ことを。この、孤独なニホンオオカミを――」
>「……あなたの。あなたたちの――」
>「――仲間に。入れてくれますか――?」

そして、時が止まったかのようにロボの動きが止まる。天神細道を使うまでも無く――好機は訪れた。

>「……やっと、願いが叶った」
>「君が、生きててくれて、そう言ってくれて……嬉しいよ。
 本当に、本当に嬉しい。だけど……ごめん。少しだけ、待ってて」
>「……君は、狭量でも、浅はかでもなかった。
 ただ、諦めなかっただけだよ。僕と違って」

後は銀の弾丸でとどめを刺すだけだというのに、ポチは何故かロボに近付いていく。

>「……僕はまだ、君に恥じない僕に、なれてない」

ポチはロボに組付いて氷の妖力を使って自らと共にその場に固定した。
要するに「僕に構わず撃て!」という状態であった。しかし構わず撃てと言われたところで、構わず撃てるはずはない。

「馬鹿なことはやめろ! そんなことのために力を貸したんじゃないぞ!」

≪あやつを殺したところで、一時しのぎにしかならぬ――厄災の魔物は不滅――≫

深雪がこの期に及んで今更なことを言い出した。
ロボを下したとて、"獣《ベート》"はすぐにまた新たな狼に宿るだろう。そんな事は百も承知、でもやるしかないのだ。
が、深雪の言葉には続きがあった。

≪しかし、滅する方法が二つある。一つは昔ロボが失敗し今お前がやろうとしていること、器による真の懐柔――
もう一つはもう少しだけ簡単だ、最期の瞬間に救ってやること――たとえ嘘でも、救われたと思わせてやれば良い≫

ロボの首筋に食らいつくポチを見て、彼の真の意図に気付いた。
狼として狼との対決に破れて死んだと思わせることが出来れば、ロボは救われるかもしれない。
いや、たとえそんな偽計は通じなくとも、身の危険を顧みず自分の事を想ってくれる狼がいた――
もしかしたら在りし日のブランカのように、自らが背負う残酷な宿命に抗ってくれる狼がここにいた――
そのこと自体が、救いになるのではないか。
尤も、ポチは厄災の魔物などというこの世界の複雑な事情を知るはずはない。
ただ純粋に、ロボを誇り高き狼王として死なせてやりたい。そう思ってやっているのだ。

「……いや、それでいい! 大丈夫、任せて。全部上手くいく――」

ポチにそう声をかけながら、祈の持つ弾丸をうっすらと呪氷でコーティングする。
ノエルの主要な能力の一つに、氷雪の操作がある。
それは乱戦の中にぶち込んでも味方にあてないように出来るという、魔法系能力ににありがちなご都合仕様だ。
故に弾丸も、氷で覆ってしまえばポチに当たらないように操作できるという理屈だ。
祈の耳元でそっと囁く。大きな声を出してロボにこちらの動きを勘付かれてはいけないからだ。

「祈ちゃん、お願い。その弾丸は僕には眩しすぎる――ポチ君は僕が守るから何も考えずに思いっきりやればいい」

実際に投げるか撃つかするのを祈に委ねた理由は二つ。一つは単純な物理的攻撃力の問題。
投げるにしても祈ほどの威力は出せないし、猟銃を使うにしても、ノエルは猟銃の本来の使い方は分からない。
もう一つは言葉のとおり。聖なる弾丸との相性を考えると、このメンバーの中で最も穢れから遠い祈が適任だ。
行け――! 祈にウィンクで合図を送り、彼女の放つ弾丸に意識を集中させた。

26尾弐 黒雄 ◇pNqNUIlvYE:2017/10/21(土) 08:45:36
受けた衝撃により亀裂が走り、中身の水を吐き出す給水塔。
その冷水を全身に浴びつつ、血を流す腕を抑えて立ち上がった尾弐の目に入ったのは

>「オオカミは……最強の獣……。そして、オレ様は……そのオオカミの頂点に立つ狼王……!」
>「そのオレ様が……『テメエら』!『人間ども』なんぞに!負けるかよ……負けて、いられるかよ!」

未だ地に伏せる事無く、咆哮を上げる狼王の姿。
致命の毒は、確かに喰らわせた。
どす黒く変色した四肢と、見る者にも判るその身を苛む苦痛がその証明だ。

だがそれでも尚、獣の王は倒れない。意識を混濁させ、もはや戦う相手させも見失いながらも
その誇りは折れる事無く、戦意はなおも燃え上がっている。

>「まだ動けるのか……!」
「チッ……しぶてぇな」

その姿を見た尾弐は、ノエルの言葉に同調する様に血液交じりの唾液を吐き捨てる。
そして、ノエルが尾弐が取り落とした猟銃を手に、氷の弾丸を乱射する事で作り出しだ時間を利用し、喪服の上着で傷口を巻き止血をしてから、無事であった腕を前に構える。

>「クロちゃん……天神細道を取ってきて。もうアイツは地獄にでも放逐するしかない……!」
「そいつぁ良い案だな。ここで壁の俺が抜けたら、お前さんがあの化物に食い殺されちまうって部分を除けばの話だが」

同時に、ノエルの提案に首を振って不可能だと答える。
尾弐とて、眼前の化物を地獄に叩き込む事は望むところだが……この場で、かろうじでとは言えロボの攻撃の盾となる事が出来る尾弐が離脱をすれば、
その瞬間、狼王は無防備となったノエルを食い破るだろう。
そうなれば、祈が戦線を離脱し、ポチが送り狼の伝承に従い理性を減じている今、
天神細道を取って来たとしてもそこへ狼王を叩き込む戦力がない。
故に、心情的にも実利的にも、尾弐がその選択を取る事はない。

>「オレ様たちを絶滅させてェんだろうが!オレ様たちを皆殺しにして、勝利の余韻に浸りてェんだろうが!」
>「いいぜ、殺してみろ!オオカミを絶滅させてえと思うなら、このオレ様を殺す以外にはねェ!!」
>「さあ……殺ろうぜ、殺り合おうぜ……!どっちかがボロ雑巾みてェになって!!くたばるまでなァ!!!」

「ああ、上等だ……お望み通り駆除してやるよ。無様に醜く叩き潰されて野垂れ死ね。そんで終いだ」

そうして、壊れて尚その誇りを胸に立ち続けるロボを前に、冷や汗を流しながらも冷徹な憎悪を拳に込めた尾弐であったが、

(!? なんだ、この異様な気配は――――)

近場で感じた、莫大で尚且つ澄んだ気。
それに気を取られ、一瞬だけ注意を逸らしてしまう。
そしてその一瞬は、狼王の強襲を許すのに十分な時間であった。

27尾弐 黒雄 ◇pNqNUIlvYE:2017/10/21(土) 08:46:03
>「死ね!死ね!死ねェェェェェェッ!!!!」
>「しまっ――」

「ノエルっ!!!!」

殺意と共に、その爪がノエルを貫かんとする。
如何な強大な力の一端を繰る事が出来る様になったとはいえ、そもそもノエルは肉弾戦に向いた妖怪ではない。
爪の一撃を受ければ、下手を打てば致命となりかねない。
だが、もはや尾弐は間に合わず、夜色の妖怪と化したポチは、狼王に背後から攻撃を仕掛ける事を選んでしまっていた。
尾弐の脳裏に、最悪の結末が過り――――

>「オオオオオオオ―――――――――――ン!!!」

けれど、その狂爪がノエルに届く事は無かった。
遠吠えと共に現れロボの腕を食い止めたのは、数多の狼の影。そして

>「……お……」
>「おかしい……だろうが……。おまえは……オレ様の腹の中に……いるはず、だろうが……」
>「おまえは、オレ様と……ひとつになってずっと、過ごすはずだろうが……。おまえの魂を、オレ様は……啖ったはずだろうが……」
>「おまえが……そこにいるのは!!おかしいだろうが――――ブランカアアアアアアア!!!!」

>「……どうやら、間に合ったようですね」
>「狼のようで、狼でないあなた。――あなたに言いたいことがあって、戻ってきました」

夜色に染まらぬ、まるで白夜を纏ったかの様な白き狼の姿。

「……確かに致命傷だった筈だ。一体どうやって」

死んだと思われたシロの帰還に驚愕したのは、ロボだけではない。
尾弐もまた、動物としての致命傷を受けた筈のシロの帰還に対して目を見開いていた。
だが……その混乱は、シロと共にやってきた祈の姿を捕える事で収まる事となる。
彼女の服に残る血痕と、急いで駆けた影響か乱れている呼吸……そして、先程の『人語を放していた』シロの姿。
その全てを判断材料とする事で、尾弐はようやく状況を判断出来たのだ。

「つまりあの狼は妖怪で……だからこそ、ただの動物なら致命傷の傷でも治せたってのか?
 ……はは。出来過ぎだぜ。祈の嬢ちゃん、お前さんは奇跡を、テメェの意志と力で引き寄せたのか……楓みてぇに……」

28尾弐 黒雄 ◇pNqNUIlvYE:2017/10/21(土) 08:46:34
尾弐が、脳裏に一人の女性の残影を思い浮かべ、名前を呟いたその最中にも状況は続く

>「わたしは、ずっと。いるはずのないものの幻影ばかりを追いかけていた……」
>「おい……、ブランカ?オレ様にもわかるように喋れよ、何を言ってるのか……」
>「そんな、愚かなわたしですが。もし――もしも、許されるのなら――」
>「おい……!何を言ってやがる、やめろ!血迷ったかブランカ!?」

>「……あなたの。あなたたちの――」
> 「やめろ!やめろ!やめろやめろやめろ!おまえはオレ様のものだ!オレ様の!オレ様だけのものなんだァァァァァァ!!!」

> 「――仲間に。入れてくれますか――?」

白狼シロの口から告げられる、孤独との別離を希望する言葉。
誇りという霧で、自分にも見えなくなってしまっていた内なる気持ち。
その言葉が、飾りも虚飾も無い感情の吐露が、この場に居る者達の心をも動かす。

狼王ロボは、現実と夢との乖離に耐え切れずその動きを止め、
対して夜色の妖怪は、両の瞳から流れる涙と共に、壊れ果てる事無く『ポチ』へと立ち戻った。

>「……やっと、願いが叶った」
>「……君は、狭量でも、浅はかでもなかった。
>ただ、諦めなかっただけだよ。僕と違って」
>「……僕はまだ、君に恥じない僕に、なれてない」

そうして、ポチは狼王ロボに良く似た姿を取り、ロボに牙を突き立てその動きを阻害する。
それは、狼王が銀の弾丸を避けられない様にする為であり……尾弐には判らないが、きっとそれ以上の意味も込められているのだろう。

>「馬鹿なことはやめろ! そんなことのために力を貸したんじゃないぞ!」

その姿を見たノエルは、一時ポチの行為に否定の言葉を吐いたが、
けれどポチの様子を見ている事で、尾弐が気づく事が出来なかった秘められた意志に気付けたのか

>「……いや、それでいい! 大丈夫、任せて。全部上手くいく――」

直後に逆の言葉を述べ、銀の弾丸を己が妖力でコーティングして、祈に支援を試みる。

>「祈ちゃん、お願い。その弾丸は僕には眩しすぎる――ポチ君は僕が守るから何も考えずに思いっきりやればいい」

そして尾弐は―――――

「……祈の嬢ちゃん。あんな化物相手にお前さんが手を汚す必要はねぇよ。お前さんは良くやった。
 後は俺が代わりに殺してやるから、その銃弾を寄越しな」

そう言って、狼王に憎悪を込めた視線を向けたまま、祈へ向けて怪我をしていない左手を伸ばし、その掌を開いた。
乱暴な言いぐさであるが……そこには、ここに至るまで自らの手で以って妖怪をケ枯れさせた事のない祈に対する、尾弐なりの配慮も含まれている。

もしも祈がこの場で尾弐に銃弾を手渡せば、尾弐は聖銀の浄化の光に焼かれつつも、即座に躊躇いも容赦も無く狼王を撃ち抜く事だろう。
数多の人間の命を理不尽に刈り取った狼王が救われる時間など決して与えず、ポチの想いが届く前に無様な負け犬として撃ち殺す事だろう。
必ずそうする。言わずとも、尾弐が纏う妖壊への憎悪の空気が伝えている。

――――たった一発の銀の弾丸。どのような選択をするかは、祈に委ねられた。

29多甫 祈 ◇MJjxToab/g:2017/10/21(土) 08:47:17
祈は助けてと懇願する。
それを受けた河童の医者は祈が胸に抱えたシロを一瞥すると、残念そうな表情で首を横に振った。
もう手遅れだと、そう言っているのだ。

30多甫 祈 ◇MJjxToab/g:2017/10/21(土) 08:47:45
しかし祈は諦めることができない。
「なんで!? 尾弐のおっさんは治してくれたでしょ!? ほら、まだ生きてるんだよ!?」
 祈は視線を落とし、シロの目を見た。
もしかしたら血液を失ったショックや痛み、酸素欠乏などで脳が錯乱した末に焦点が定まらぬだけかもしれないが、
その眼球はまだ動いており、祈や医者を捉えているように見えた。
何より手に抱く体がまだ温かくて、その死を受け入れることを心が拒む。
 祈は医者に詰め寄るように一歩進む。
「あたしがやれることならどんなことをしてもいい、この子を治せるならなんだっていい。
この子を救ってよ。この子を助けて。この子を死なせないで! 頼むよ!
この子は……仲間の大事な子なんだ! お願いだ! お願いします!」
 祈はぎゅっと目を瞑り、頭を下げた。
 消えて良い命などないし、加えてシロはポチの大事な想い狼なのだ。
何が何でも救ってやりたかった。
孤高に生きてきたシロ。一度はポチのことを拒んだものの、
今宵ビルの屋上で見たその影はポチと重なろうとしていた。
ポチと同様にシロもまた一人で寂しかったのかもしれないから。
もし生きたなら、この先に二人の幸せな未来があるのかもしれないから。
――どうか。どうかこの子を死なせないで。
 頭を下げたままの祈の手に誰かの手が触れた。
祈が目を開けて頭を上げると、河童の医者が観念したような表情で頷き、
祈の手からシロを己の手に、そして診療台へと移した。
「あ……ありがとうございます!」
 祈はまた深々と頭を下げた。
治らないかもしれない、だが、もしかしたら助かるかもしれない。
希望が繋がった。そんな風に思えた。
 だが、その施術をのんびり眺めている訳にはいかない。
あのビルの屋上ではまだ仲間達が戦っているのだ。
「その子をお願いします! あたし、行かなきゃ……必ず戻って来るから!」
 ロボの暴威の前では、祈などほんの少しも力になれないかもしれない。
でも、何もしないよりはマシだ。きっと何かできることがある。
>「……ま……、待って……」
 そうして踵を返し、部屋から出ようとする祈を呼び止める声がある。
「待てないよ! だってあたし、……え?」
 最初は、医者の声かと思った。何故ならここに人語を喋れるものと言えば医者と祈くらいしかいないのだ。
男性の声にしてはやけに甲高くて女性の声に聞こえたのだが、河童と言う妖怪種が高い声なのかもしれないと、
そう思ったのである。
 しかし。振返ってみれば診療台の上で異変が起こっていた。
>「待って……。わ、たし、も……連れて、ぃって……ください……」
 その声はシロの方から聞こえていた。
「なん……で」
 その体のどこに残されていたのかという量の血だまりを診療台の上に作りながら、
ぐったりと横たわっていた筈の白狼が身を起こし、四足を踏ん張り、ついには立ち上がる。
 何が起こっているか分からない、という目で祈はシロを見た。
その状態で何故起き上がれるのか、何故喋れるのか。河童の医者もまた、目を皿のように丸くしている。
 そしてもう一つ信じられないのは、シロの体から妖気が発せられていること。
祈には微かにしか感じられないが、その体から発せられているのは間違いなく妖気であると、はっきりと分かるのだ。
>「ああ……。やっと、わかりました……」
>「わたしは……ニホンオオカミ……。人間たちが『ニホンオオカミは、今もどこかでひっそりと生きている』と――」
>「そう信じることで。そう願うことで生まれた、妖怪……」
 食いちぎられた筈の喉から、シロは自身も気付いていなかった真実を告白する。
 シロは妖怪だったのだと。
 その体から一切妖気を感じなかったのは、シロ自身が自分を妖怪ではなくただの狼だと思い込んでいたからなのだろうか。
余りにも意外で言葉を失うが、だがどこかで腑に落ちている自分に祈は気付く。
どうして見つかったニホンオオカミがシロ一頭だけだったのか。どうして現実離れして美しいのか。
もしかすれば、ぬらりひょん富嶽がブリーチャーズに狼奪還を命じた本当の理由もそこにあったのかもしれない。
 なんにしても、この事態は幸運でしかない。
河童の医者が事態を飲み込めたのかはともかく、立ち上がったシロの傷口に慌てて軟膏を塗り込む。
するとロボにつけられた傷が見る見るうちに回復していく。そう。妖怪ならばこんな傷ぐらいどうってことないのだから。

31多甫 祈 ◇MJjxToab/g:2017/10/21(土) 08:48:20
傷が完治したシロは、ひょい、と診察台から飛び降りて、
>「……今までの無礼を、どうか。お許しください、勇敢な妖怪のあなた」
 祈を見上げながら言う。
 祈はしゃがんで視線を合わせた。
「いいよ。そんなことより、生きててくれたことが嬉しい」
 シロは逡巡したように視線を巡らせ、祈に頼む。
>「あなたたちに。そして“彼”に。伝えたいことがあります……。どうか、わたしを連れて行ってください。あの場所へ」
 僅かな間があったのは、詫びてすぐに頼みごとをするのが躊躇われたからだろうか。
 あの場所とは当然、祈が目指そうとしている場所と同じ場所を指しているのだろう。
そこに危険があるのは、今し方大怪我を負わされたシロが一番知っているに違いない。
それでも行くと言うのなら止めることはできない。止めても付いてくるだろう。
真っすぐに祈を見るシロに、祈は頷く。
「……オッケー。でも傷が治ったばかりなんだから、無茶すんなよ。なんかあったらあたしの後ろに隠れな」
 祈はシロの頭をくしゃりと撫でると立ち上がり、河童の医者に深く一礼して病院を飛び出した。
玄関を出て、仲間達が戦っているビルの方角を確かめ、そちらへ走り出そうとすると。
 異変が起きる。
 病院の正面。駐車場にもなっているスペースに莫大な妖気が発生する。
あまりにも莫大なそれが発生した余波だけで、爆風でも受けたような錯覚を覚えた。
「なんだ!?」
 まさかドミネーターズが襲撃でもしてきたのかと祈は臨戦態勢に入る。シロが唸り声を上げた。
直ぐにここを離れるべきかと祈が逡巡している間に、発生した妖気はやがて収束し、
渦巻きながら巨大な門を形成していく。“門”。それはどこかで見たものに雰囲気が似ている。
>「……これは……」
 しかし形成されたのは、かつて見た地獄の門とは似ても似つかない、
煌びやかで神々しく、おとぎ話や絵本に見るような天国の門とでも言うべきもの。
 天使などのレリーフが施された美しく豪奢な両扉が音を立てて開いていく。
扉の向こうから光が漏れ、何者かの気配が近づいてくる。
 息を飲みながら、これはどうやらドミネーターズの襲撃ではないようだと祈は判断する。
しかし念のため、祈は唸るシロの前に一歩出て立ちはだかった。
 その何者かが門を潜り、姿を現す。
>「……東京ブリーチャーズ……なる者は、汝なるや?」
 何者かは、耳にしたこともない綺麗な、
まるでそれ自身が福音であるかと思えるような声で祈に問うた。
「……そう、だけど」
 祈はそう答えるのが精一杯だった。
 門から現れたその姿に目を奪われる。
流麗なブロンド。まるで黄金のように輝き、波打つ長い髪。神々しいまでの美貌。
強い意志を感じさせる灼熱の瞳。凛とした表情。
服はトーガ状の布――祈の知識で言うなら“教科書等に載っている、
ローマの偉人辺りが纏っていそうな衣服”――に、胸鎧。
女性的なシルエット。人間離れどころか異界を感じさせるその姿。極めつけはその背に負う三対の白き翼。
祈は莫大な妖気の奔流に畏怖を覚えながらも、美しいと感じ目を離せない。
これぞまさに天使。“人が脳裏に描く天使そのもの”。
天使の真紅の瞳が、宝石のような瞳が祈を見ていた。
 しかし祈がその目に見蕩れているのも束の間、天使は祈から視線を外すと、左手を振って何かを放り投げた。
それは黒い物体で、硬いアスファルトの上にどさりと転がされる。
夜の暗闇に混じりそうな黒の中に見慣れた狐面を見つけたことで、祈はその正体を察した。

32多甫 祈 ◇MJjxToab/g:2017/10/21(土) 08:48:48
「橘音!?」
 祈は橘音に駆け寄る。
受け身すら取らずに放られ、転がされるままになっている橘音。

33多甫 祈 ◇MJjxToab/g:2017/10/21(土) 08:49:16
しゃがんでその体を見るに、いつも着ている学生服やマントは埃や汚れに塗れ、所々に血が滲み、ズタボロ。
どうやら全身のいたるところを負傷しているらしかった。
>「……ぅ……」
 橘音が呻く。かろうじて息はあるが、瀕死と言って差し支えない。
この天使はボロボロになった橘音を運んできてくれたのだろうか。
一体何があったというのかと祈が思っていると。
 天使が告げる。
>「その者、神寵を蔑ろにし汚穢に耽溺せし者なるがゆえ、主の御名に於いて我が聖罰を与えしものなり」
>「我は裁く者、罰する者。神座(かむくら)の前に侍りし三大天使が一。傾聴せよ、我が名は――」
>「――我が名は。大天使ミカエルなり」
 難しい言葉だったので言葉の前半は祈には理解できなかったが、
ニュアンスは理解できる。祈なりにその言葉を翻訳すれば――『私がこいつをボコボコにした』。
瞬間、ちり、と祈から妖力が放たれ、空気中で火の粉となって舞う。
 祈は睨むようにミカエルを見据え、ミカエルは倒れた橘音に剣を向けた。
>「邪なる身にて我が聖域『聖ミカエルの山(モン・サン=ミッシェル)』に立ち入りし不遜、本来ならば死もて贖わせるところ」
>「さりながら、此度は『獣』狩りの大義ありてのこと。主の御名のもと、格別の慈悲を以て其の聖罰のみで不問に付す」
>「娘よ、その無価値なる者に伝えおくべし。次は無い、とな」
 橘音を一瞥しながらそう言って、一度は向けた剣を降ろすミカエル。
大天使ミカエルと言えば、祈とて名を聞いたことがある有名な天使だ。
ガブリエルなどに並ぶ最も偉大な天使の一人で、熾天使とも称される存在。
 だからどうした。
「橘音は無価値じゃないし邪な身でもない。
事情がわかんないから今は控えるけど、そっちこそ次あたしの友達に手出したらただじゃおかないから」
 モン・サン=ミッシェルとやらで、橘音とミカエルの間に何が起こったかはわからない。
邪なる身にて立ち入ったと言っているが、もしかしたらそれ程までにミカエルが激怒し、
聖罰とやらを下すだけのことを橘音がしでかしたのかもしれない(橘音も割と無茶をする方であるし)。
故に筋違いの怒りを祈が向けている可能性はある。だから今回は控える。だが、次はない。そう言葉を返したのである。
 しかしミカエルは祈の言葉など意にも介していないようで、胸鎧から何かを取り出すと、
橘音と同様に無造作に放った。アスファルトに転がったそれは。
>「それなるはモン・サン=ミッシェル修道院聖堂の祭壇に安置されし銀十字を溶かし鋳造した、魔滅の銀弾」
>「銀弾はそれ一発きり、替えはない。必中の意気にて挑むが善い。――さらばだ」
 言葉として、表面上は激励している。だが確かな敵意が滲む。
返答を聞くまでもない。その価値すらない。そう言いたげに背を向け、再び扉を潜る、ミカエル。
「それくれたお礼は言っとく。ありがと」
 その背に祈が言葉を掛けると、両扉が閉まり、門は消失。
祈は眩く輝く魔滅の銀弾を拾い上げ、一度ポケットにしまい込んだ。 
更に橘音を抱え上げ、病院に戻って河童の医者に押し付けると、再度病院の正面に戻って来た。
 シロが待っている。
>「……ゆきましょう。“彼”のところへ」
 シロの言葉に頷く祈。一頭と一人は駆け出した。

34多甫 祈 ◇MJjxToab/g:2017/10/21(土) 08:49:52
 ロボの咆哮によって騒然となった東京の街を駆け抜けて、
やがて一頭と一人は狼王ロボとブリーチャーズの戦っているビルへと辿り着く。
換気扇や窓の縁などを足場にし、祈に先んじてビルの屋上へと駆けあがるシロ。
風火輪の炎を吹かしながら祈も続く。
>「オオオオオオオ―――――――――――ン!!!」
 そして祈がビルの屋上の縁に手を掛けて頭を上げると同時に響く、シロの咆哮。
夜の闇を切り裂くその声と共に、中空より狼のシルエットが無数に出現し、ロボに殺到する。
恐らくシロが『どこかでひっそり生きているであろうオオカミ達の姿』を、己の妖力で投影したのだろう。
 街中を共に駆けている時にも感じていたことだが、シロは自身が妖怪だと自覚したばかりだと言うのに、
その力に戸惑うどころか完全に我が物としている。
 もしかしたら心の片隅では理解していたのかもしれない。
ポチを振った後、シロはこのビルの屋上から換気扇などを伝って降りたという。
足を踏み外せば死ぬような高さでそんな無謀な行動を起こせたのも、
自身の生物離れした頑丈さや身体能力をどこかで理解していたからなのかもしれなかった。
 ロボの腕に噛みつき、ロボの動きを止めることに成功した狼達の影は、煙のように消えていく。
 一体何が起きたのかと驚愕した様子のロボだったが、シロを見て更にその目を大きく見開いた。
それも無理からぬ話だろう。殺したはずの者が生きているのだから。
>「おかしい……だろうが……。おまえは……オレ様の腹の中に……いるはず、だろうが……」
>「おまえは、オレ様と……ひとつになってずっと、過ごすはずだろうが……。おまえの魂を、オレ様は……啖ったはずだろうが……」
 シロを見ながらブツブツと、目の前の光景を否定する、ロボ。
その言葉で、どうしてロボがシロを食いちぎったのか、祈も断片的にだが理解する。
愛する妻と一つになりたい。そう思っての行動だったのだろうと。
>「おまえが……そこにいるのは!!おかしいだろうが――――ブランカアアアアアアア!!!!」
 信じられないものをみるような眼でシロを見、悲痛な叫びを上げた。
>「……どうやら、間に合ったようですね」
 驚愕に動きを止めるロボを置いて、シロは独り言ちる。
「ま、結構……ぎりぎりだったみたいだけどね。よっと」
 それに答えながら、祈もビルの縁に足を掛けてビルに登りきる。
 狼達の幻影が現れた時、ロボの振り上げた右腕はノエルを襲おうとしていた。
シロが妨害してくれなければどうなっていたことか。まさに間一髪である。
なんであれ、全員無事でいる様子だった。
 祈は膝に手をつき、乱れた息を整えながら仲間達を見遣った。
>「シロ殿、息災だったか。後でモフモフモフモフさせてもらうぞ!」
 すると窮地を助けられたノエルがシロに声を――。
(あれ? 御幸じゃ、ない……?)
 はたと気付く。ノエルの姿がノエルでないことに。
白銀の長髪。見た目は祈の主観で髪を伸ばした乃恵瑠かといったところであり、
姿がコロコロ変わるのもいつものことなのだが、その表情や僅かな動きに、祈は違和感を覚えた。
イメチェンをした乃恵瑠、いや、みゆきが表面に出てきたのだろうか。だがこの感じはそのどれとも異なっている。
 祈に気付いたそのノエルのような誰かは、シロだけでなく祈にも声を掛けた。
>「娘子よ、人間にしてはよくやったな――この我が直々に褒めてやろう! 待て、そなた――何を持っておる!?」
 と、魔滅の銀弾が握られた祈の右手を見るや否や血相を変えた。
「え、これは橘音が持たせてくれた魔――」
 祈が満足に答える間もなく、ノエルのような誰かは後ずさりをしたかと思うと、いつものノエルの姿に戻ってしまう。
一体なんだったのだろうかと思うが、気付けばポチの姿もいつもと異なっている。送り狼ともすねこすりとも違う、
まるで人が夜色の毛皮を被ったような姿になっていて、尾弐は姿こそ変わっていないものの、右腕はボロボロだ。
祈がいない間に仲間達は想像を絶する戦いを超えてきて、その過程で色々あったのだろうと、やや雑に推察された。
 やがてシロは口を開く。

35多甫 祈 ◇MJjxToab/g:2017/10/21(土) 08:50:18
>「狼のようで、狼でないあなた。――あなたに言いたいことがあって、戻ってきました」
 それはポチとブリーチャーズへと向けた言葉だった。
己の正体が何であるかをシロは語る。狼狽するロボを無視し、更に言葉を重ねていく。
>「あなたは。仲間たちのことを裏切ってまで、わたしを救おうとしてくれたのですね。こんなわたしのことを」
>「そして、仲間の皆さんは……そんなあなたの行為を知ってなお、あなたを許した。あなたの行動を、戦いを、正しいものとした」
>「姿も。種族も。生まれも。何もかも違うのに――あなたたちは仲間として、お互いを信頼している。愛を育んでいる」
>「――何もかもがバラバラでも。最初のうちは、他人であっても。すべてのものは、仲間になれるのですね」
 シロがブリーチャーズを一人一人見渡しながら言う。祈は頷いた。
 妖怪である祈の祖母が人間と結ばれたように。ポチの両親、送り狼がすねこすりと結ばれたように。
橘音という三尾の狐が、尾弐という鬼が、ノエルという雪女が、品岡というのっぺらぼうが、
ポチと言う送り狼とすねこすりのハーフが、祈という半妖が。バラバラな者同士が繋がり、こうして一つのチームとして戦えているように。
 誰だってきっと、仲間になれるのだと祈も思う。
そう。例えそれが――。
>「わたしが間違っていました。狭量で、浅墓でした。わたしの目には、長い間。何も見えてはいなかったのです」
>「そんな、愚かなわたしですが。もし――もしも、許されるのなら――」
>「おい……!何を言ってやがる、やめろ!血迷ったかブランカ!?」
 シロが発しようとしている言葉に気付き、ロボがそれを止めようとする。
>「わたしの、ことを。この、孤独なニホンオオカミを――」
 しかしシロは止まらない。
>「……あなたの。あなたたちの――」
>「――仲間に。入れてくれますか――?」
>「やめろォォォォォォォォォォォオォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!」
 シロの言葉は。シロの気持ちは。
「うん! モチロンだよ!」
 思えば祈は、この瞬間が見たかったのかもしれなかった。シロとポチの気持ちが繋がる瞬間を。
>「……やっと、願いが叶った」
 ポチの独白。心底嬉しそうなその言葉を聞くと、祈も嬉しくなる。
 仲間の誰もがシロの言葉を拒絶しない。きっとシロを受け入れたのだと祈には思われた。
ああ、頑張って走った甲斐があったな、なんてことを思うと、胸の奥底から力が湧いてくる気がした。
 そして逆に。

36多甫 祈 ◇MJjxToab/g:2017/10/21(土) 08:50:50
>「―――――――」
 力を失った者も。
シロとポチが心を通わせた瞬間を目の当たりにしたロボは、石像の如く動かなくなってしまっている。
当初の目論見である『夫婦に見せかける』とは異なるが、結果としてシロの拒絶を受けたロボは、
ブランカとの繋がりを否定されたと思い込み、力を失ったのだ。
 魔滅の銀弾を撃ちこむ、またとない好機が訪れたことになる。
>「……僕はまだ、君に恥じない僕に、なれてない」
 しかし、ポチはそう呟くとロボへと向き直る。
そしてロボの姿を己に投影し、一回り小さい狼王ロボとなって見せると、ロボに襲い掛かった。
 ポチがロボの喉元に牙を立てる。
ポチが触れた箇所、ロボの腕や足が氷結していき、両者を縫い止めている。
それは恐らくノエルの呪氷による咄嗟のサポートだろうと思われたが、
>「馬鹿なことはやめろ! そんなことのために力を貸したんじゃないぞ!」
 どうやらノエルが氷結の術を付与し、その使い道をポチに託していたらしかった。
だがその力の使い道がノエル的にNGだったらしく、ノエルが珍しくポチに怒ってみせる。
しかしその直後に何かに気が付いたらしく、その両眼がはっと開かれた。そして、
>「……いや、それでいい! 大丈夫、任せて。全部上手くいく――」
 先程出したNGを撤回し、それでいい、そのまま行けと言う。
 踵を返したノエルが祈の元へ近づいてくる。
 しかし祈にはポチの意図が掴めないでいる。ポチは周囲の状況を匂いで察知しているから、
祈が右手に握りしめている魔滅の銀弾の存在を知っている筈だ。
なのに、その銀弾からからロボを、まるで庇うように。
だがしかしその喉元に食らいついて倒そうともしているようでもあった。
今こそがロボを倒す最大にして最後のチャンス。それを不意にしてまで為そうとしている事とはなんであろう。
 己の為か。違う。そんなことをしたところで強さの証明になりはしないだろう。
ではブリーチャーズの為か。否。ロボを庇うように立つ以上、銀弾を放つ妨げにすらなっている。
 だとすれば。
(ロボの為……?)
 考え、祈が何かに気付いた時、祈の側にやってきたノエルが、祈の耳元に唇を寄せて、そっと囁く。
>「祈ちゃん、お願い。その弾丸は僕には眩しすぎる――ポチ君は僕が守るから何も考えずに思いっきりやればいい」
 耳をくすぐる吐息がこそばゆく、祈は身じろぎする。
魔滅の銀弾を落とすまいと今の今まで固く握っていた右手を開くと、
しんとした冷たさが弾丸に宿り、その表面をごく薄い氷が覆う。ノエルが力を弾丸に注ぎ込んだのだ。
 祈に弾丸の射手を任せたノエルは考えることを止めて、ただぶちかませと言う。
しかし、
>「……祈の嬢ちゃん。あんな化物相手にお前さんが手を汚す必要はねぇよ。お前さんは良くやった。
>後は俺が代わりに殺してやるから、その銃弾を寄越しな」
 尾弐はボロボロになっていない左腕を差し出し、その役を自分に代われと迫る。
 己がロボを殺すか。それとも尾弐に殺して貰うか。その選択が祈に委ねられることとなる。

37多甫 祈 ◇MJjxToab/g:2017/10/21(土) 08:51:25
その両者を視界に収めながら、
「御幸も尾弐のおっさんも、あたしがどんな奴かってのをいまいち分かってねーよな」
 祈はふっと笑って見せる。
 多甫 祈。年は14。身長はこの夏に少し伸びて153センチ。体重は変わらず。
髪は長く腰まで届く。細身で、活動的なファッションを好む。
ターボババアの血を引く故に足が速く、足技を主体に戦う他、
人間の血が混じっている故に弱い妖力を、周囲の物を利用することで補う。
その祈にとっての戦いとは、
誰かを助ける為であり、同時に誰かを止めてやる為のもの。
倒すはあっても殺すはなく、即ち、敵ですらも救う対象なのである。
 そして祈はとことん――諦めが悪い。
橘音からロボを倒してやることが救いになると言われ、瀕死になりながら魔滅の銀弾を届けられても。
いざロボに魔滅の銀弾を叩き込み、その存在を滅ぼすと言うこの局面に来ても、尚。
未だにロボを救う方法を模索し続けていたのである。
 そして今し方思い付く。
石像のように動かなくなったロボと、それに立ち向かうポチの姿をヒントに。
 託された魔滅の銀弾は恐らく、当てればロボをその魂ごと葬るだろう。
だが、そんなものを使わずに済むのなら。
もし人に翻弄された悲しき獣(ベート)を救ってやれるなら。
シロが言うように、すべてのものは仲間になれるのだとしたら。
その希望がある限り祈は最後の最後まで、足掻いて、?いて、諦めたりはしない。
 そして祈はロボに向き直り、告げる。

38多甫 祈 ◇MJjxToab/g:2017/10/21(土) 08:51:56
「“この言葉は罠だ”」

39多甫 祈 ◇MJjxToab/g:2017/10/21(土) 08:52:28
 狼王ロボはシートン動物記に記された『いかなる罠をも悪魔的頭脳で躱す』という主旨の文言故に、
一切の罠を拒絶する“絶対の加護”のような力を備えていたようである。
本来そんな力はない筈であるが、人々がそうあれかしと思ったから、
拡大解釈的にそのような異能を備えるに至ったのだろう。
 祈が持ち込んだ催涙スプレーに瞬時に反応できたのも、
ノエルが放った凍結バナナを難なく叩き落せたのも理由はそこにあると思われたが、
それだけでは確信にまでは至らなかった。
 だがシロの拒絶を受けて石像のように固まり、ポチの牙を受けても動かぬロボの姿を見て、それは確信へと変わった。
シートン動物記のロボは妻ブランカを殺された後、確かに我を失った。
しかしそれでも意識はあり、このように動かなくなったりはしなかった。
つまりロボには、人々のそうあれかしという願いの大きさ故に、誇張表現的に、拡大解釈的にそれが現れる性質があるのだ。
 だとすれば、妻を殺された時と同様に茫然自失となった今のロボはどうか?
シートン動物記においてロボは、妻ブランカを人間に殺された後は心を乱し、非常に不注意な心境に落とされた。
その末に、今まで避けてきたはずの罠に二度も掛かってしまったと書かれている。
 それを読んだ人々はどう思っただろう。
『さしもの狼王ロボも妻に関しては我を失い簡単な罠でも引っかかってしまうのだ』と、
そんな風に思ったのではないだろうか。
だとするなら、こちらもまた拡大解釈的に、ある作用を持つことになると考えられる。
 即ち。妻という弱点を突かれて茫然自失となったロボには『いかなる罠であっても通じる』。
 故に、罠を仕掛ける。
「ポチと勝負しろ、狼王ロボ。ポチの牙に堪え切れたらお前の勝ち。でも傷を受け、血を三滴でも失えばお前の負けだ」
 人類の敵として生み出された故か、好戦的な性質を備えたロボの眼前に、
勝負という餌をぶら下げ、罠の中へと誘う。
 ただでさえ、ロボはポチの攻撃に耐えるだけという不利な条件の勝負。
しかし狼王の誇りが、いかなる罠であれ通じるという性質がそれをきっと飲ませるはずだ。
「そして約束しろ。“もしお前がポチに負けたと思ったなら、二度と誰も傷付けるな。
人類の敵、獣(ベート)の役割と心を捨てて、誰かを愛し、誰かに愛される、そんな善良な妖怪に生まれ変われ”」
 そして罠の中に踏み込めば、あるのは『約束』と言う、妖怪にとって絶対の枷だ。
 祈は言葉の罠によって、この枷によって。ロボの牙、声、爪……そして狂暴な本性。
その全てを封じて無力化しようと考えたのである。生かしたままに。罪を償うなら生きたままでもできるから。
 『三滴の血』とは、フランスに語られる人狼の伝承にある文節。
『人狼(ルーガルー)に三滴の血を流させれば勝利できる』というものがある。
つまりポチがロボの喉を食い破り、たった三滴だけでも血を流させることに成功すれば、ロボは敗北したと思うことになる。
今まで圧倒されてきたポチにそれが為せるのかという不安もあろうが、勝算もあった。
 ロボは孤独であり、愛に飢えた獣(ベート)である。そんなロボを想ってポチが牙をその喉に突き立てているのなら、
それが「君に恥じない僕」であるのなら。きっとその牙は届く。
更に、シートン動物記にはタンナリーという男が放った猟犬が狼王ロボの腰に傷跡を付けたという話がある。
犬の血が混じっているポチであれば。加えて今の弱っているロボであれば、あるいは。
そう思ったから、ポチの勝負に託したのである。
 ともあれ。
 祈は野球の投手のように構え、両手に包んだ銀弾を胸元まで持ち上げた。
更に右手を後方へ。左足を振り上げ、いつでも魔滅の銀弾を投げられる体勢に入る。
 全ては祈の推測に過ぎない。祈の罠に等掛かりはしないかもしれない為に、
当然、備えも忘れない。
ここでロボを倒せなければ、東京はドミネーターズの手に落ちるだろう。ロボは余りに強すぎる。
誰もが死ぬ。誰もが不幸になる。それだけは避けなければならない。
事態の重さは祈とて理解しているのだ。
 故に。茫然自失と錯乱の最中、ロボが祈の仕掛けた言葉の罠にイエスと答えてポチとの勝負を受け入れなければ。
もしくはポチがロボに血を流させることが出来ないと判断したならば。祈は魔滅の銀弾を投擲する。
人類の敵として生まれ、人間に翻弄され続けたその生を終わらせるのが人間の血混じりの祈だなんてのはあまりにも皮肉だが、
一切の容赦なく全力で祈が放つそれは、ノエルの力に制御されて、ポチに当たらず必ずロボを貫くだろう。
祈は祈るようにロボの動きを待った。

40那須野橘音 ◇TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 08:53:08
オオカミと犬の混血の、四足獣の姿。
闇色の被毛を纏った、人型の妖。
夜の暗さそのもののような、おぼろげな黒色の影。
この一晩に様々な姿を取ったポチが最後に取ったのは――敵であるはずの狼王ロボによく似た、人狼の姿だった。
ポチがロボへと歩み寄り、その身体を己の身体を使ってその場に縫い留める。
ノエルから借り受けた氷の妖力が、二頭のオオカミを繋ぐ。

41那須野橘音 ◇TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 08:53:45
>《そんなの……僕は嫌だ。アンタが、狼の王が、ただの妖壊として終わるなんて。
  だから、だから……僕が、アンタに勝つ。アンタに勝たなきゃいけないんだ!》

ポチが吐露したのは、憎悪でもなく。憤怒でもなく。憐憫でもなく――
憧憬、と言うべきもの。
狼王への憧れ。偉大な獣の長への敬意をその鋭い牙に込め、ポチはロボの首筋に喰らいついた。

>ポチと勝負しろ、狼王ロボ。ポチの牙に堪え切れたらお前の勝ち。でも傷を受け、血を三滴でも失えばお前の負けだ

互いに密着したまま固まった二頭のオオカミを前にして、祈が勝負を持ちかける。
それは巧妙な罠。ロボの誇りに訴え、しかして必敗の戦いへといざなうための策。
ロボがそれまでずっと貫き通してきた狼王としての矜持と不退転の覚悟を発揮し、祈の提案に乗ったなら。
今の疲弊しきっているロボが相手なら、ポチ単独の力でも或いは――。

しかし。

「……ゲ……ハハハッ、ゲハ……ゲハハハハッ、ハハ……」

それまで理想と現実の剥離に苛まれ、活動停止していたロボが、ゆっくりと嗤い出す。

「……なかなか……いい作戦だ……。オレ様が……提案から遁げることはねェと……そう、踏んでの策か……よ……」
「だがな……お嬢ちゃん。その手には乗らんぜ……。オレ様が、その勝負を……受けることは……ねえ……」
「だって、よ……」
「もう、その必要は……ねェんだ、から……な……」

ロボの獣面、その口の端から真っ赤な血が溢れ、地面に滴る。
銀色をした首筋の被毛が、みるみるうちに深紅へ染まってゆく。
その意味するところはひとつ。

ポチの牙は、ロボにしっかりと届いていたのだった。

「――ああ――。今、やっと気付いた……」
「オレ様はずっと、今までずっと――」

頤を反らし、夜天に炯々と輝く満月を見上げて、ロボが言葉を零す。
その目は怒りと絶望に燃え盛る黄金の色ではなく、どこまでも澄んだ凪のような蒼。

「ずっと、壊れていたんだな……。群れを喪い、ブランカを喪い、そして……自分自身の心さえ喪った、あのときから……」

ゆっくりと満月から視線を外し、いまだにノエルの氷で繋がったままのポチへと視線を向ける。

「おまえみてェな……チビ助にやられちまうとはな……。オレ様も、ヤキが回ったもんだぜ……ゲハッ、ゲハハハ……ッ」
「だが……よく、やってくれた……。よく、オレ様を……狂った王を、止めて……くれたな……」

今までの荒れ狂う嵐のような激しさから一変、ロボは静かにそう告げると、呪毒とチョコレートでどす黒く染まった右手を持ち上げた。
首筋に喰らいついたままのポチの頭を、ポンポンと優しく叩く。
そして。
ロボは僅かの沈黙ののち、

「……オレ様の負けだよ。坊主」

と、言った。

42那須野橘音 ◇TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 08:54:12
ギュオッ!

ロボが自らの負けを認めた瞬間、その銀色の獣毛から――否、ロボの全身から妖気が噴出する。
それは、ロボの『獣(ベート)』としての力そのもの。荒れ狂う暴威の体現。
『災厄の魔物』の根源。
銀色の妖気、それが渦を巻き、のたうち、うねりながら、ポチの身体へ纏わり付く。その身を取り囲む。
ポチの中へと、濁流のような勢いで流れ込んでゆく――。

「……何も、驚くことはねェ……。自然のことだ、当然の成り行きだ。おまえだって、オオカミならわかるだろう?」
「若いオオカミが老いた長を破り、新たな長となる。旧い長の持っていたもの、そのすべてを継承する――」
「ただ、それだけのことだ」

この地球に人類がおり、人類を襲う獣がいる限り、獣害の化身たる『災厄の魔物』が滅びることはない。
今までは、ロボが『獣(ベート)』として、その役目を果たしてきた。
しかし、そんなロボを今、ポチが下したことで、災厄の魔物の称号と力はロボではなくポチへと移行しようとしている。
ロボが滅びることで、この世界のどこかに新しい『獣(ベート)』が生まれる――転生、ではなく。
新たなる獣に災厄の魔物の力と宿命を引き継がせる、継承。
その儀が今、二頭のオオカミをの間で交わされている。

「その力は強大だ……、大きすぎる力は容易く理性を奪い、心を壊す……」
「だが、オレ様を下したおまえなら……きっと、御せるはずだ……。使いこなせ、その力を……決して破壊の衝動に呑み込まれるな……」
「……そこの仲間たちがいれば……まさか、そんなことにはならねえとは思うが……よ……」

二頭の足元の氷が砕ける、密着していた二頭の身体が離れ、ロボがよろ、と後方によろめく。
が、決して膝をつくことはしない。歯を食いしばり、力の継承が果たされるのを踏み止まって耐える。
長年自身と共に在った、災厄の魔物としての力が剥離してゆく感覚に萎えそうになる気力を奮い立たせ、ロボは周囲を見渡した。
ノエルが、尾弐が、祈が。そしてシロが、ポチとロボのことを見ている。
東京ブリーチャーズのメンバーを見遣ると、ロボは僅かに目を細めた。

「……いい群れだ……、羨ましい、群れだな……」
「オレ様は、守ることしか出来なかった……。守ってやることばかりを考えて、仲間たちの力をまるで信用していなかった……」
「だが、それではいけなかった……。群れの仲間たちは……みな、守り守られて……支え合って、生きていくもの……だったな……」
「……気付くのが、ちょいと遅すぎたがよ」

ロボの身体から放たれる災厄の魔物の妖力が徐々に減少してゆき、やがて途絶える。
筋骨隆々、三メートル近い巨躯を誇っていたロボは、見る影もなく萎んでしまった。ほとんどケ枯れしかけている。
が、それでも、爛々と光る蒼い瞳の輝きと狼の王としての矜持は、些かも曇ることはない。

「おまえはオレ様の轍を踏むなよ。――女房を守ってやれ、手前の命が尽きる瞬間まで。くれてやったソレは――本来、そのための力だ」
「オレ様ができなかったことを……おまえが、やるんだ。期待してるぜ、小さな狼王――」

力の継承を終えたロボは残った力を振り絞って右腕を突き出し、ポチを弾き飛ばすと、よろよろとたたらを踏みビルのきわまで退いた。
そして、もう一度東京ブリーチャーズの面々を見遣る。

「よくもオレ様を破ったもんだぜ、東京ブリーチャーズ……!褒めてやる!」
「だがな――オレ様はテメエらの手にはかからねえ。オレ様は狼王ロボ!王には王の死に方ってモンがある!」
「見な!『ジェヴォーダンの獣』の最期ってヤツをな……!」

制止する暇もない。ロボはそう高らかに言い放つと、何を思ったか自らの胸に自身の右手、その鋭利な爪を突き立てた。
どす黒く染まった爪が分厚い胸筋をいとも簡単に引き裂き、血がしぶく。真っ赤な肉の裂け目から白い胸骨が覗く。
やがてロボが自らの肉の中から取り出したのは、脈打つ心臓――
白く輝く満月に捧げる供物のように、ロボは自らの心臓を右手に握りしめた。

「オレ様を斃した褒美に、ひとっつだけ忠告してやる……東京ブリーチャーズ」
「本当の敵を見誤るな。今回の東京での、おまえたちとオレ様たちの戦いには……裏で絵図面を引いているヤツがいる」
「そいつにとっちゃ、オレ様もクリスも単なる兵隊に過ぎねェ。いや、オレ様たちだけじゃない……おまえたちブリーチャーズもだ」
「オレ様たちが戦い、斃れていくこと……それもすべて、そいつの計算のうち。オレ様たちは都合よく踊らされてるのさ」


「そいつを見つけ出して叩け。でないと……この戦いは永遠に終わらねえ……!」

43那須野橘音 ◇TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 08:54:38
ごふ、とロボが大量の血を吐く。
我が胸から自ら心臓を抉り出すなどということをやってのけたのだ、無理もない。
しかし、ロボは続ける。

「オレ様に勝ったからって、安心するなよ……。次におまえらが遭うであろうドミネーターズは、オレ様たちの中でも最強のバケモノだ」
「このオレ様でさえ、ヤツとの戦いは避けたい――なぜならヤツは、オレ様たち化生の天敵だからな……!」
「とは言っても、激突は免れねえだろう。おまえらの仲間の二、三人は死ぬかもしれねえ。だが……」
「……負けるなよ。無様は晒すな……おまえらは、この狼王に勝った。次の時代の王者……なんだからな……!!」

そこまで言うと、ロボは右手に握りしめていた自らの脈打つ心臓を高々と頭上に掲げ――

一気に、握り潰した。

グシャッ!という音と共に、強く握りしめた指の隙間から心臓であった肉片が飛び散る。
人狼の心臓は不死の象徴。それを、ロボは自ら破壊したのだ。
自らの不死を放棄したロボは大きく上体を反らし、両腕を広げると、

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――――――――――――――――――ン!!!!!!」

濃い藍色の空に浮かぶ皓白色の満月へ向け、咆哮をあげた。
真夜中の東京の空に響き渡る、獣の吼え声。
それはまるで、この世界に自分の存在したという爪痕を遺そうとしているような――。
獣害の体現、災厄の魔物として生まれ、ジェヴォーダンの獣(ベート)として中世ヨーロッパにおいて百人以上の人間を噛み殺し。
近世アメリカでオオカミの王と呼ばれ、カランポーの野に君臨した誇り高い一頭の大神。

狼王ロボの、それが最期だった。



「……“彼”は。救われたのでしょうか」

月に向かって吼える姿のまま絶命したロボ。その亡骸を見詰めながら、シロが呟く。
人間への憎悪と復讐の念に後押しされるまま、壊れた心で爪と牙を振るい続けてきた狼王ロボ。
そんなロボの魂が最期に安寧を得られたかどうか――それは、誰にもわからない。
しかし、ひとつだけはっきりしていることがある。

ロボは、魔滅の銀弾によって死したのではない、ということ。

妖怪にとって死と滅びは同義ではない。
死とはあくまで、現世で活動する力を失った状態にすぎない。長い時間を掛ければ、妖怪は必ず復活する。
それは、ロボもきっと同じであろう。
シロは空へと顔を向けると、細く長い遠吠えをあげた。
それはあたかも、狼の王を悼むような。例え勘違いであっても、いっとき自分のことを妻と呼んだ者への手向けのような――。


煌々と輝く満月の光の下で対峙した三頭のオオカミの戦いは、これで幕を閉じた。

シロの喉から絞り出される細い遠吠えだけが、聖堂で紡がれる霊歌のように、ただ。
いつまでも響き続けている。

44那須野橘音 ◇TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 08:55:04
「いや〜っはっはっはっはっはっ!失敗失敗!今回ばかりは、さしものボクも死ぬかと思いました!」

卓球のラケットを団扇代わりに使って顔を扇ぎながら、浴衣姿の橘音はそう言ってあっけらかんと笑った。
狼王ロボとの戦いを終えた東京ブリーチャーズは、当初の目的通りにシロを岩手県にある迷い家へと連れて行った。
本来縄張りとしていた埼玉県から遠く離れた場所に移動することに難色を示すかと思われたシロは、あっさりその指示に従った。

「ひとりぼっちの縄張りよりも、今のわたしには仲間のいる新天地の方が嬉しいです」

とのことである。
東京に留まるという案もあったが、シロはいまだに有名人である。万一人目についてはいけない。
実際、保護していたニホンオオカミが国立科学博物館から忽然と消えてしまったということで、世間はいまだ騒然となっている。
テレビやネットでは懸賞金がかけられ、猛獣のため見かけた者はすぐに通報するようにと言われているほどだ。
やはり、誰にも見つからない迷い家にほとぼりが冷めるまで滞在しているのが一番である。
シロを逃してしまった綿貫警部にとっては不幸以外の何物でもないが、ここは我慢してもらうしかない。

「まあでも、結果オーライ!こうして当初の目的通りにシロさんも救えましたし、ロボも倒せました!何も問題はないですね!」
「んじゃ、ノエルさん!卓球やりましょう!卓球!卓球で汗をかいて、温泉に入る!やっぱりこれが最高ですね!」

卓球台の前でピンポン玉を掲げ、橘音が言う。
大天使ミカエルの聖罰を受けて半死半生になっていた橘音だったが、河童の膏薬のお蔭ですぐに復活した。
今は療養を兼ねての湯治と言ったところだろうか。膏薬と温泉の効能によって、聖罰の傷はもう跡形もない。
ただ、魔滅の銀弾をどこで入手したのか、とか。どこで何をしていたのか、などと訊いても、橘音は答えようとしなかった。

「ちょっと、昔のツテを頼って……ね」

などと言って、はぐらかしてしまう。
何はともあれ今回もひとりの脱落者を出すこともなく、ロボの打倒とシロの保護というミッションを同時にこなすことができた。
結果的に魔滅の銀弾は使わずじまい、ボコボコにされた橘音はやられ損、ということにはなったが。
それは特に気にしていないらしい。
件の銀弾は戦いの後で橘音が祈から受け取り、厳重に封印して事務所の金庫の中に仕舞った。

「あれは人狼にだけ効くものじゃありません。すべての妖怪を葬り去る銃弾です。いざというときのために保管しておきましょう」

それが東京ブリーチャーズのリーダーとしての、橘音の決定だった。
いずれにしても、今回のミッションはこれでコンプリート。東京ブリーチャーズはまた、からくも東京を守ることに成功したのだ。

「さー、慰安旅行のやり直しです!お風呂に入りまくって!卓球もやりまくって!おいしいごはんを食べまくりましょう!」

浴衣の袖から白い腕を覗かせながら、橘音は仲間たちにそう笑いかけた。

45那須野橘音 ◇TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 08:55:26
そして慰安旅行が終わり、東京へと戻る日がやって来る。
束の間の骨休めから、また東京守護と妖壊漂白の任務につく日が訪れたのだ。

「シロのことは、儂らに任せておけ。ここなら人間の目は届かん、徐々に新しい環境に慣れることもできるぢゃろう」

旅館の玄関先で地面に立てた杖のグリップに両手を乗せ、女将の笑と従業員の一本ダタラを伴って、見送りに来た富嶽が告げる。

46那須野橘音 ◇TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 08:55:47
「シロ……。皓。それが、わたしの名前ですか」

ひとりぼっちでいるときは、名前を付ける必要さえなかった。しかし、今はそうではない。
自らにつけられた(橘音が勝手につけた)名前を聞き、シロが目を瞬かせる。

「……わたしには、その名がいい名なのか。悪い名なのか。それはわかりませんが――」
「誰かに名を呼ばれる。というのは、よいものですね」

シロはそう言うと、小さく笑った。
当分の間、シロは迷い家とその周辺の森を縄張りとして暮らしていくことになる。
祈の予想したように、最初からシロが妖怪だということを知っていたのかという疑問に対しては、富嶽は何も答えなかった。
ただ、好々爺然として笑うのみである。

「また、いつでも遊びにいらしてくださいね。従業員一同、心よりお待ち致しております」

笑が穏やかな笑顔でブリーチャーズの皆を送り出す。
実際に笑はブリーチャーズをいつでも温かく迎えてくれることだろう。……オーナーの富嶽は別として。

「こちらの依頼をこなしたのをいいことに、思う存分飲み食いしおって。ほれ、さっさと東京へ帰れ。もうお主らに用はないわい」

富嶽はひらひらと右手を振った。依頼が終わった今、もう引き留めておく理由はないということらしい。
そんな富嶽の言葉を聞いて、笑の傍らに立っていたシロがぴくりと耳を震わせる。

「……東京ブリーチャーズの皆さん。今回のことは、お礼のしようもありません」
「あなたがたはわたしを救い、そして狼族そのものを救ってくれました。どれだけの感謝をしようと、到底足りるものではありません」
「もし、わたしに出来ることがあるのなら――いつでも仰ってください。どこへなりとも馳せ参じましょう」
「それが。仲間の温情に応える、わたしの新しい誇り……ですから」

ノエルに、尾弐。祈と橘音を順に見回して、シロが告げる。
それからシロはゆっくりポチのところへ歩いてゆき、そっと身を寄せると、

「……くれぐれも、ご無理はなさいませんよう。皆さんの仰ることをよく聞き、決して独断で行動してはなりません」
「特に。今回のような捨て鉢な戦いは、二度としてはいけません。……約束できますね?」
「あなたの身体はもう、あなたひとりの身体ではないのです。あなたは、これからの狼族を背負って立つ者――」
「あの方と。そう、約束したのでしょう?」

と、窘めるように言った。

「……それに。東京漂白が成った暁には、あなたには是非発奮して頂かなくてはなりません」
「たった二頭のニホンオオカミを、これから。あなたとわたしで、もっと増やしていかなければならないのですから。……ね」

ポチを見て、シロは僅かに目を細める。そして、

「――ご武運を」

そう言って、親愛を込めポチの顔をぺろり、と舐めた。

47那須野橘音 ◇TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 08:56:26
現実世界とは異なる、どこかの空間。
上下も、左右も、天地の別もない。一幅の絵画のような平面かと思いきや、無限の奥行きを感じさせる、不可解な場所。
無数の絵の具をメチャクチャにバケツの中へ投入したような、うねり、のたうち続ける極彩色の世界――。

そこに、漆黒のミニスカワンピ姿のレディベアが立っている。
いや、立っているという表現は適切ではない。なぜなら、そこには床も天井もありはしないのだから。
ただ、そんな不可思議な空間に、さも当然のようにレディベアが存在している。
レディベアは一度両手を握って自らの口許に持ってゆくと、くふふ、と楽しそうに隻眼を細めて笑った。
そして今度は二の腕までのロンググローブに包んだ両腕を大きく掲げてみせ、

「お父さま!」

そう、うねり続ける空間に向かって呼び掛けた。
レディベアがそう言った途端、何もないように見えていた空間――レディベアの頭上に位置する箇所が、俄かに横一文字に裂ける。
現れたのは、巨大な『眼』だった。
空間の裂け目が瞼のように見える、十メートル以上はありそうな巨大すぎる眼。
不気味に輝く紅色の瞳孔が、レディベアを凝視する。

「東京制圧計画は極めて順調!すべてすべて、わたくしたちの狙い通りに推移しておりますわ!」
「もっとも、クリスに続いてロボまでが敗れたのは計算外でしたが……。けれど、ふん。あんな輩は時間稼ぎの囮に過ぎませんわ」
「あと少し――もうほんの少しで、この牢獄めいた世界からお父さまを解放して差し上げますから!」
「そのときこそ、世界中の妖怪、神、魔王が妖怪大統領たるお父さまの前に拝跪するとき!お父さまが世界を支配するとき……!」
「ああ、それを考えただけで、わたくしワクワクが止まりません!」

まるで夢見るように、レディベアは胸の前で両手指を組むとその場でくるくる回ってみせる。
虚空に開いた巨大な眼が一度瞬きする。

「……え?今日はやけに機嫌がいい、ですって?……ふふ……そう見えますか?」
「さすがはお父さま、その御眼はなんでもお見通しですのね!ほら……これを御覧になってくださいな!」

レディベアはワンピースのポケットをまさぐると、何か小さなものを取り出して巨眼に掲げてみせた。
それは、迷い家の看板が立ったお椀の風呂に浸かる鎌鼬をあしらった、小さなストラップだった。
夏休みが終わって学校が始まり、登校したときに、旅行の土産だということで祈から貰ったのだ。
最初レディベアはなかなかそれを受け取らず、

「そんなものでわたくしを懐柔しようとしたところで無駄ですわ」

とか

「大体なんで鎌鼬ですの。あの醜く汚い下等妖怪を思い出して実に不愉快です」

とか、さんざん憎まれ口を叩いたのだが、最終的に

「まあでも、あなたがわたくしのためと用意した貢ぎ物なら、受け取るのも支配者の度量。折角ですからもらってあげますわ!」

とテンプレのようなことを言って、それ以来肌身離さず持っている。

「やっぱり、お父さまの仰る通り。人間の学校へ行ってよかったですわ!だって、わたくしの夢が叶ったのですもの!」
「ずっとずっと欲しかったもの。この空間にいるときから望んでいたものを……わたくしは手に入れたのですから!」
「そう、わたくしは――」

ストラップを両手で包み込むように握り、胸元に抱き寄せて、目を閉じる。
幸せそうに、嬉しそうに、漆黒の娘がにっこり笑う。

「――おともだちが。できたのです……!」

祈を友人と呼び、無邪気に喜ぶレディベア。
そんなレディベアを、物言わぬ巨眼はただただ血色の瞳孔で見つめていた。

48ポチ ◇xueb7POxEZTT:2017/10/21(土) 08:59:10
>「馬鹿なことはやめろ! そんなことのために力を貸したんじゃないぞ!」

意識の外からノエルの声が聞こえる。
だがポチは耳を貸さない。むしろ一層強く牙を噛み締める。

49ポチ ◇xueb7POxEZTT:2017/10/21(土) 08:59:39
最後の最後でまた、ブリーチャーズよりも、東京の平和よりも、我を通す事を選ぶのか。
そう思われてもいい。それでも、これはポチにとって必要な事なのだ。
ずっと思い焦がれてきた狼に、彼は出会った。
シロに、そして……ロボに。
ロボは東京ドミネーターズで、妖壊だったが……ポチにとっては、それだけじゃない。
やっと巡り会えた、そして憧れを抱かずにはいられない、狼なのだ。
ポチはロボを、狼王の最期を守りたかった。
……それは、狼が同胞を深く愛する事と、根本的には同じ事だった。
ポチはやっと手に入れたのだ。彼が自分自身に求めてやまなかった、狼の、何もかもに優先される愛情を。
その対象が、敵であるロボだったのは……皮肉な事だが。

>「……祈の嬢ちゃん。あんな化物相手にお前さんが手を汚す必要はねぇよ。お前さんは良くやった。
>後は俺が代わりに殺してやるから、その銃弾を寄越しな」

視界の外から、尾弐の声が聞こえてくる。

(駄目だ!駄目だ駄目だ!そんな事させない!僕が……僕が、ロボを終わらせるんだ!)

送り狼の伝承に宿る、獲物の死を決定づける力。
その全てを、ロボに食らいつく事に注いで、しかしなおも血を流させる事は叶わない。
声を発する事は出来ない。二人の名を呼び、待ってくれと、叫ぶ事は出来ない。
ポチの心中に焦りが生じる。

>「御幸も尾弐のおっさんも、あたしがどんな奴かってのをいまいち分かってねーよな」

だが祈は、尾弐の言葉通りにはしなかった。

>「ポチと勝負しろ、狼王ロボ。ポチの牙に堪え切れたらお前の勝ち。でも傷を受け、血を三滴でも失えばお前の負けだ」
>「そして約束しろ。“もしお前がポチに負けたと思ったなら、二度と誰も傷付けるな。
>人類の敵、獣(ベート)の役割と心を捨てて、誰かを愛し、誰かに愛される、そんな善良な妖怪に生まれ変われ”」

(祈ちゃん……!ありがとう……)

彼女は少女と称して差し支えないほどに若いが、とても聡い。
ロボの危険性など誰に説かれずとも理解しているだろう。
ポチの行いが、言ってしまえばただの自己満足に過ぎないという事も。
それでも待ってくれた。戦いの結末を委ねてくれた。

《逃げるなよ、ロボ。狼の王を名乗るなら、王様らしく僕と戦え!》

唸り声に意思を乗せて、ポチもまた祈の言葉に続く。
そして、

>「……ゲ……ハハハッ、ゲハ……ゲハハハハッ、ハハ……」

呆然と放心していたロボが再び動き出す。
しかし零れるような笑い声の後に続く言葉は、

>「……なかなか……いい作戦だ……。オレ様が……提案から遁げることはねェと……そう、踏んでの策か……よ……」
>「だがな……お嬢ちゃん。その手には乗らんぜ……。オレ様が、その勝負を……受けることは……ねえ……」

「……アンタは、狼の王だろう!僕から逃げるな!!」

思わず、ポチは叫んでいた。

50ポチ ◇xueb7POxEZTT:2017/10/21(土) 09:00:04
ロボはもう我を取り戻している。
今の自分の状況が分かっていない訳がないのだ。
この勝負を受けなければ、ロボは銀の弾丸によって命を奪われる事になる。

「ホントに壊れたままで終わるつもりかよ!それでもアンタ……!」

怒号と共に、ポチはロボを睨みあげる。

51ポチ ◇xueb7POxEZTT:2017/10/21(土) 09:00:54
>「だって、よ……」
>「もう、その必要は……ねェんだ、から……な……」

……見上げたロボの口元は、真紅に染まっていた。
真紅は、その首筋にも。そして段々と銀の被毛の上を広がっていく。
渾身の力で食らいつき、圧迫していたその「傷口」から、血が溢れ出していた。
……その光景に、ポチは何も言えずにいた。
実感が追いつかないまま、ただロボを、その蒼い双眸を見上げていた。

>「――ああ――。今、やっと気付いた……」
>「オレ様はずっと、今までずっと――」
>「ずっと、壊れていたんだな……。群れを喪い、ブランカを喪い、そして……自分自身の心さえ喪った、あのときから……」

「ロボ、僕は……僕は」

ロボの瞳に、もう狂気は宿っていない。
その穏やかな声を聞いてやっと、ポチに実感が追いついてくる。
しかしそれを声に出す事は出来ない。
視界が滲んで、息が詰まる。嗚咽を堪えて呼吸をするだけで精一杯だった。

>「おまえみてェな……チビ助にやられちまうとはな……。オレ様も、ヤキが回ったもんだぜ……ゲハッ、ゲハハハ……ッ」
>「だが……よく、やってくれた……。よく、オレ様を……狂った王を、止めて……くれたな……」

そんなポチを宥めるように、或いは労うように。
ロボの手が彼の頭を優しく叩く。
そして一呼吸の沈黙を置いて、

>「……オレ様の負けだよ。坊主」

ロボは、そう言った。

「……そう、だよ。僕は、僕は、勝ったんだ。アンタは……狼と戦って、狼に、負けたんだ」

ポチも啜り泣きながら、そう答えた。
二匹の狼が、互いに勝利と敗北を認め合い……その瞬間。
ロボの全身から、妖気が噴き出した。
今宵の戦いで幾度となく東京ブリーチャーズを薙ぎ払った力。
『獣(ベート)』の、『厄災の魔物』の力が溢れ出し……ポチの身体へと流れ込む。
それはつまり……彼こそが次代の『獣(ベート)』であると、ロボに、その力そのものに、認められたという事だ。
偉大な狼王の力を受け継ぐ、狼であると。
……狼の仲間と、狼の愛と、そして狼の証明。
これでポチは望んでいたものの全てを手に入れた事になる。

「い、嫌だ……やめろ、ロボ!こんな力、僕はいらない!だってこれは、君の!」

ロボの力の源。
彼がそれを全て失った時、どうなるのか。
分からない。だが……想像は出来る。出来てしまう。
ノエルの姉、クリスの姿が脳裏に蘇る。ひび割れ、砕けていく彼女の姿が。
あの時は、彼女の力は借り物で、それが滅びの原因だったが……同じ事が起こらない保証はどこにもない。

>「……何も、驚くことはねェ……。自然のことだ、当然の成り行きだ。おまえだって、オオカミならわかるだろう?」
>「若いオオカミが老いた長を破り、新たな長となる。旧い長の持っていたもの、そのすべてを継承する――」
>「ただ、それだけのことだ」

だがロボは既に、その継承を受け入れていた。
いや、彼自身がそれを望んでいるようだった。
においと、声音と、眼光と。
それらを感じ取れば、言葉を交わさずとも、ポチには彼の望みが分かってしまった。
だから振り払う事も出来ない。

52ポチ ◇xueb7POxEZTT:2017/10/21(土) 09:01:17
>「その力は強大だ……、大きすぎる力は容易く理性を奪い、心を壊す……」
>「だが、オレ様を下したおまえなら……きっと、御せるはずだ……。使いこなせ、その力を……決して破壊の衝動に呑み込まれるな……」
>「……そこの仲間たちがいれば……まさか、そんなことにはならねえとは思うが……よ……」

不意に、ロボが、いかなる攻撃にも揺らがなかったその肉体が、大きくよろめく。

「ロボ!」

ポチは咄嗟にその体を支えようと手を伸ばす。

53ポチ ◇xueb7POxEZTT:2017/10/21(土) 09:02:25
しかしロボは自らの力で踏み止まった。
ならばポチが、彼の最期を、勝者の支えを受けねば立てない弱者にする事は出来ない。
彼の蒼眼が周囲を、ブリーチャーズとシロを見渡す。

>「……いい群れだ……、羨ましい、群れだな……」

「……ああ。僕には、勿体無いくらいさ」

>「オレ様は、守ることしか出来なかった……。守ってやることばかりを考えて、仲間たちの力をまるで信用していなかった……」
>「だが、それではいけなかった……。群れの仲間たちは……みな、守り守られて……支え合って、生きていくもの……だったな……」
>「……気付くのが、ちょいと遅すぎたがよ」

そして……ロボから流れ出る『獣(ベート)』の妖力が、途絶えた。
見上げるほどだった巨躯は萎み、頑強極まる肉体の面影も残っていない。
それでもまだ、狼の王は膝をつかない。ポチから視線を逸らさない。

>「おまえはオレ様の轍を踏むなよ。――女房を守ってやれ、手前の命が尽きる瞬間まで。くれてやったソレは――本来、そのための力だ」

「ええと……その。実はあの子は」

>「オレ様ができなかったことを……おまえが、やるんだ。期待してるぜ、小さな狼王――」

女房どころか、恋仲にもまだなっていない。
そう吐露しようとしたポチの胸を、ロボの右手が強く押した。
不意を突かれたポチは後ろによろめき……ロボもまた、後方へとたたらを踏む。
ロボの突然の行動に、しかしポチは殆ど驚いていなかった。

「……うん、約束するよ。僕は、君とあの子に恥じない狼になる」

代わりに、吐露するはずだった言葉を飲み込んで、そう答えた。
シロとの関係がどんなものであれ、彼女を守る。その事に変わりはない。
最後の最後に嘘をつくようで少しだけ気が引けたが……もう、多くの言葉を交わす時間はない。
ポチには、同じ狼には、それが分かってしまった。
そして、ロボはもう一度ブリーチャーズを見渡した。

>「よくもオレ様を破ったもんだぜ、東京ブリーチャーズ……!褒めてやる!」
>「だがな――オレ様はテメエらの手にはかからねえ。オレ様は狼王ロボ!王には王の死に方ってモンがある!」
>「見な!『ジェヴォーダンの獣』の最期ってヤツをな……!」

ロボが自らの胸に、その爪を突き立てた。
肉を裂き、骨を切り開き、引き抜く。
その手中には……今もなお強く脈打つ心臓があった。

>「オレ様を斃した褒美に、ひとつだけ忠告してやる……東京ブリーチャーズ」
>「本当の敵を見誤るな。今回の東京での、おまえたちとオレ様たちの戦いには……裏で絵図面を引いているヤツがいる」
>「そいつにとっちゃ、オレ様もクリスも単なる兵隊に過ぎねェ。いや、オレ様たちだけじゃない……おまえたちブリーチャーズもだ」
>「オレ様たちが戦い、斃れていくこと……それもすべて、そいつの計算のうち。オレ様たちは都合よく踊らされてるのさ」
>「そいつを見つけ出して叩け。でないと……この戦いは永遠に終わらねえ……!」

「……あぁ、それも引き受けたよ。任せといて。ここんとこ、僕はツイてるみたいだしね。
 あの子にも、君にも、巡り会えた。きっとソイツも見つけ出して……転ばせてやるさ」

>「オレ様に勝ったからって、安心するなよ……。次におまえらが遭うであろうドミネーターズは、オレ様たちの中でも最強のバケモノだ」
>「このオレ様でさえ、ヤツとの戦いは避けたい――なぜならヤツは、オレ様たち化生の天敵だからな……!」
>「とは言っても、激突は免れねえだろう。おまえらの仲間の二、三人は死ぬかもしれねえ。だが……」
>「……負けるなよ。無様は晒すな……おまえらは、この狼王に勝った。次の時代の王者……なんだからな……!!」

54ポチ ◇xueb7POxEZTT:2017/10/21(土) 09:03:02
そしてロボはそう言い切ると、自らの心臓を夜空に掲げ……一息に、握り潰した。

>「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――――――――――――――――――ン!!!!!!」

「……おやすみ。狼王……ロボ」



>「……“彼”は。救われたのでしょうか」

「……あぁ、勿論さ」

ポチは迷いのない口調でそう言った。
本当は、そんな事は誰にも分からない。
だがポチは、ロボの狼王としての最期を守る為に、我を通した。
ブリーチャーズと、東京の平和を差し置いてでも、それを成そうとしたのだ。
そして彼の二つ名と、力を受け継いだ。
だから誰がそんな事は分からないと言ったとしても。
自分だけは、そう断言しなくてはならない……ポチは、そう思っていた。
……シロが空を仰ぎ、遠吠えを上げる。
ポチもそれに続いて、夜空へと吠えた。何度も、何度も。
ロボへの名残を惜しむように。

56ポチ ◆xueb7POxEZTT 2017/10/06(金) 16:02:22.79ID:PYNwfZ7P
 


>「いや〜っはっはっはっはっはっ!失敗失敗!今回ばかりは、さしものボクも死ぬかと思いました!」

「……橘音ちゃんってさ、実は尾弐っちよりタフだったりしない?僕なんてまだ首と背中が痛いよ」

ロボとの戦いが終わった翌日、ブリーチャーズは再び迷い家を尋ねていた。
理由は、一つは慰安旅行の続きをする為。
もう一つは……シロをここに預ける為だ。

「ねえ……ホントに良かったのかい。君が望むなら、今からでも……」

卓球に興じる橘音達を眺めながら、狼犬の姿に戻ったポチは、隣にいるシロに尋ねた。

>「ひとりぼっちの縄張りよりも、今のわたしには仲間のいる新天地の方が嬉しいです」

「……そっか。なら、いいんだ」

シロの返答に、ポチはそう呟くと、

「僕も、その方が嬉しいよ。この後の事を考えると、尚更……」

最後にそう付け加えて……尾弐の方へと視線を向ける。

「尾弐っち。一緒にお風呂行こうよ。怪我、まだ治ってないでしょ?
 ノエっちもさ、こないだ来た時は僕、お風呂って気分じゃなかったから……今度は一緒に、どう?」

そうして二人を温泉に誘う。
理由は二つあった。

「……昨日は、ごめんね。僕、勝手な事ばかりして」

一つは……昨日の独断と、背信の、許しを乞う為。

「僕、何のお詫びも出来ないけど……もう、二度とあんな事はしないから。
 だから、だから、僕……やっぱりまだ、ブリーチャーズのポチで、いてもいいかな」

そしてもう一つは……

「もしそれを許してもらえるなら……一つ、助けて欲しい事があるんだ」

ポチは真剣な目つきで二人を見つめ、口を開く。

「僕……あの子と、シロちゃんともっと仲良くなりたいんだけど、どうすればいいのかな」

そして、やはり真剣極まる口調で、そう尋ねた。

「あの子は確かにブリーチャーズの仲間になったよ。
 だけどそれって、僕も、尾弐っちも、ノエっちもブリーチャーズでしょ?
 僕は……その、それじゃ嫌なんだ。我が儘言ってるって、分かってるけど……」

ポチは真剣に、深刻に悩んでいるようだった。
もっともこのお悩み相談は……結局、無意味なものとして終わる事になるのだが。
……さておき、その後も、慰安旅行は続く。
ポチは、頻繁に温泉に入っていた。
ロボから力と名を託された以上、いつまでも怪我を痛がってる訳にはいかない。
それと理由がもう一つ……ポチは浴場の姿見に自分を映す。
あの晩から、ポチの姿には彼の意図しない変化が二つあった。

55ポチ ◇xueb7POxEZTT:2017/10/21(土) 09:03:29
まず、白黒斑だった体毛の模様が、殆ど黒一色なった。
『獣(ベート)』の力を受け継いだからか、それとも狼に近づいたからか。
理由は分からないが……白色が少しでも残っているのは、ポチにとっては嬉しかった。
白は送り狼とは対極の色。すねこすりから……母親から受け継いだ毛色だからだ。

56ポチ ◇xueb7POxEZTT:2017/10/21(土) 09:03:59
もう一つの変化は……彼の額から背中へ走る、一筋の銀の毛並み。
ロボの色だ。こちらも、何故そうなったのかは分からない。
ロボの首筋を食い破り、その血を口に含んだからか。
『獣(ベート)』と共に送られた彼からの形見なのか。
それともポチが無意識に、その毛色を残したい、受け継ぎたいと願ったからなのか。

「……げはははー、なんてね」

理由は分からないが……ポチはその毛並みが、王冠のようで、気に入っていた。



そして……慰安旅行の終わりが、東京へと戻る日がやってきた。
荷物をまとめて旅館を出たブリーチャーズの見送りには、笑と、一本ダタラと、富嶽……そしてシロがいた。

>「シロのことは、儂らに任せておけ。ここなら人間の目は届かん、徐々に新しい環境に慣れることもできるぢゃろう」

「……その言葉、信じるからね、お爺ちゃん」

初めて会った時に見た、橘音に対する態度から、ポチは富嶽に対してあまりいい印象がない。
だが……全てが終わってみれば、彼の依頼はいろいろな事を良い方向に転ばせてくれた。
一体どこまでが彼の計算の内だったのか……。
ポチがじっと見つめてみても、富嶽はただ不敵な笑みを見せるばかりだった。

>「シロ……。皓。それが、わたしの名前ですか」
>「……わたしには、その名がいい名なのか。悪い名なのか。それはわかりませんが――」
>「誰かに名を呼ばれる。というのは、よいものですね」

……君にぴったりの、いい名前だよ。
ポチはそう彼女にそう声をかけようと思って口を開き……しかし言葉が出てこない。
もっと気が利いた言い方があるんじゃないか。押し付けがましくないか。

「また、いつでも遊びにいらしてくださいね。従業員一同、心よりお待ち致しております」
「こちらの依頼をこなしたのをいいことに、思う存分飲み食いしおって。ほれ、さっさと東京へ帰れ。もうお主らに用はないわい」

……そんな事を考えている内に、話しかける機会を逸してしまった。

>「……東京ブリーチャーズの皆さん。今回のことは、お礼のしようもありません」

そしてそのままポチに先んじて、シロが声を発した。

>「あなたがたはわたしを救い、そして狼族そのものを救ってくれました。どれだけの感謝をしようと、到底足りるものではありません」
>「もし、わたしに出来ることがあるのなら――いつでも仰ってください。どこへなりとも馳せ参じましょう」
>「それが。仲間の温情に応える、わたしの新しい誇り……ですから」

……その言葉を聞くと、ポチはもう、彼女に話しかけようという気持ちは忘れていた。
彼女が生きている。自分“達”を仲間と呼んでくれる。
会おうと思えば、一晩走るだけでいつだって会える……それだけでもう、十分すぎるほどに幸せだ、と。
……そう、思っていたら。
不意にシロが、ポチへと近づいてくる。
そしてそのまま、彼に身を寄せた。

57ポチ ◇xueb7POxEZTT:2017/10/21(土) 09:04:24
「……あ、あの、シロちゃん?」

>「……くれぐれも、ご無理はなさいませんよう。皆さんの仰ることをよく聞き、決して独断で行動してはなりません」

突然の事に狼狽えるポチの様子など気にも留めず、シロはそう語り出す。

58ポチ ◇xueb7POxEZTT:2017/10/21(土) 09:04:58
>「特に。今回のような捨て鉢な戦いは、二度としてはいけません。……約束できますね?」
>「あなたの身体はもう、あなたひとりの身体ではないのです。あなたは、これからの狼族を背負って立つ者――」
>「あの方と。そう、約束したのでしょう?」

……あのシロが、涼やかな金眼が、純白の毛並みが、自分のすぐ傍にある。
正直な話、ポチはそれだけで気が気でなくなっていたが……同時に理解もしていた。
今ここで、無様な姿を晒す訳にはいかないと。
そして思い描く。ロボだったら……あの偉大な狼王なら、この状況で、どう答えるのか。

「……げはははは。あぁ、そうさ。そう誓った。
 君にも、ちゃんと約束するよ。僕は、君とアイツに恥じない狼で在り続ける。
 君を、皆を守る為のこの命を、粗末にしたりしない」

先程までの声も出せなくなるような狼狽など、まるでなかったかのように。
ポチはシロをまっすぐ見つめ返して、力強くそう答えた。
……そして。これなら、ロボだって合格点をくれるだろう。
などと内心、独りごちていると……

>「……それに。東京漂白が成った暁には、あなたには是非発奮して頂かなくてはなりません」

シロがそう、言葉を続けた。
……一体、何の事だろうと、ポチはその続きを待ち……

>「たった二頭のニホンオオカミを、これから。あなたとわたしで、もっと増やしていかなければならないのですから。……ね」

「……へっ?え、えっ?ちょ、ちょっと待って」

まったく予想していなかったその言葉に、盛大に取り乱した。

「僕、まだ君に何もそういう事言ってないし……あ、いや、嫌な訳じゃないんだよ。
 ただそういうのって、僕の方からちゃんと……」

そうして今度こそ狼狽を隠せなくなったポチを、シロはじっと見つめ、

>「――ご武運を」

そう言って、その顔を、ぺろりと舐めた。
ポチが、腰が抜けたように、その場にへたり込む。

「う……うん、ええと……が、がんばってきます……」

ポチは、そう答えるだけで精一杯だった。
そして小さく、呟く。

「……もしかしてロボも、こんな感じだったりしたのかなぁ」

だとしたら……今回の無様に関しては、きっとロボも目を瞑ってくれるはず。
現実感の吹き飛んでしまった頭で、ポチはふと、そんな益体のない事を考えた。

59御幸 乃恵瑠 ◇4fQkd8JTfc:2017/10/21(土) 09:06:28
>「……祈の嬢ちゃん。あんな化物相手にお前さんが手を汚す必要はねぇよ。お前さんは良くやった。
 後は俺が代わりに殺してやるから、その銃弾を寄越しな」

重傷のためとどめの一撃は論外と思われていた尾弐が、辛うじて無事な方の腕を差し出す。
その有無を言わさぬ様子に、ノエルは小さく首を横に振った。
ノエルとて代わってやりたい気持ちはあったが、それでも最も成功する可能性が高い適任者に託したのだ。

「駄目だよ、この弾丸は……」

なんといっても魔滅の弾丸、魔の総本山である鬼との相性ははっきり言って最悪。
今はノエルの氷でコーティングされているため、触っても致命的な程のダメージにはならないだろうが――
負傷の程度から言っても、弾丸との相性から考えても、この一撃は祈が適任。
それにも拘わらずとどめを買って出たのは、祈への配慮もあるだろうが、妖壊への個人的な憎悪が先行してはいまいか。
そう思ったノエルはもう一度首を横に振る。

「せめてポチ君を待ってあげて……」

祈に投げさせるか、尾弐が叩きこむか、で意見が対立しているノエルと尾弐であったが、
実のところ"魔滅の弾丸をロボに叩き込んで倒す"という大前提においては、何ら違いは無かった。
最初から銀の弾丸以外では殺せないと言い聞かされ、そのつもりで作戦を練ってきてやっと今それが手元に届いたのだ。
ここまできてその大前提がどこかに吹っ飛んだらおかしいというものである。
しかし祈はそんな両者を見て、ふっと笑ったのだった。

>「御幸も尾弐のおっさんも、あたしがどんな奴かってのをいまいち分かってねーよな」

意味が分からず戸惑うノエルを余所に、祈はロボに向き直り、高らかに宣言した。

>「“この言葉は罠だ”」
>「ポチと勝負しろ、狼王ロボ。ポチの牙に堪え切れたらお前の勝ち。でも傷を受け、血を三滴でも失えばお前の負けだ」
>「そして約束しろ。“もしお前がポチに負けたと思ったなら、二度と誰も傷付けるな。
  人類の敵、獣(ベート)の役割と心を捨てて、誰かを愛し、誰かに愛される、そんな善良な妖怪に生まれ変われ”」

この期に及んで生きたまま救おうというのか。
彼の手の付けようのない暴虐を、未曾有の殺戮劇を目の当たりにして。
橘音に銀の弾丸以外では倒せないと、殺すことが救いになると言われ、それでも尚――救う方法を模索し続けていたというのか。
ノエルは祈のあまりの諦めの悪さに驚嘆した。
自らが災厄の魔物であり、かつてその力に翻弄され人に害をなした事もあるノエルは極めて妖壊に柔軟な態度を取る部類だが、
ノエルですらその発想は無かった。
それは、災厄の魔物を救うことの難しさを身を持って知ってしまっているから。いや、それも言い訳かもしれない。

――僕はいつ、諦めることを覚えてしまったんだろう

それはあるいは、壊れぬために身に付けた一つの能力なのかもしれない。
希望を持つから絶望する――諦められないのは、とても危険なことなのかもしれない。
それでも今は――祈と共に祈った。

>「……ゲ……ハハハッ、ゲハ……ゲハハハハッ、ハハ……」
>「……なかなか……いい作戦だ……。オレ様が……提案から遁げることはねェと……そう、踏んでの策か……よ……」
>「だがな……お嬢ちゃん。その手には乗らんぜ……。オレ様が、その勝負を……受けることは……ねえ……」
>「だって、よ……」
>「もう、その必要は……ねェんだ、から……な……」

ロボの毛並が真紅に染まっていく。罠にかけるまでもなく、ポチの牙は届いていたのだ。

>「おまえみてェな……チビ助にやられちまうとはな……。オレ様も、ヤキが回ったもんだぜ……ゲハッ、ゲハハハ……ッ」
>「だが……よく、やってくれた……。よく、オレ様を……狂った王を、止めて……くれたな……」

正気を取り戻したロボは、ポチの頭の上で優しく手を弾ませる。
そして、ついに負けを認めたのであった。

60御幸 乃恵瑠 ◇4fQkd8JTfc:2017/10/21(土) 09:12:08
>「……オレ様の負けだよ。坊主」
>「……そう、だよ。僕は、僕は、勝ったんだ。アンタは……狼と戦って、狼に、負けたんだ」

ノエルは安堵すると同時に、またしても驚愕した。
人狼は銀の弾丸以外では倒せないという絶対の軛が打ち砕かれた瞬間であった。
安堵したのも束の間、『獣(ベート)』の力がポチに流れ込み始める。

「なんだ……!?」

≪継承――。『獣(ベート)』が新たな憑代としてポチを選んだのだ≫

>「い、嫌だ……やめろ、ロボ!こんな力、僕はいらない!だってこれは、君の!」

この力を失ったらロボが死んでしまうのではないか、という危惧からいったんは拒絶するポチ。
でもそれは逆だ。ロボが自らの死を悟ったから継承が行われているのだ。
ノエルもまた、ポチとは別の意味で拒絶した。
災厄の魔物を滅することは出来ないとは覚悟はしていた。でも、何もポチじゃなくたっていい。

「やめてくれ! ポチ君を認めるなら猶更そんなものを背負わせるな! だってそれは……」

>「……何も、驚くことはねェ……。自然のことだ、当然の成り行きだ。おまえだって、オオカミならわかるだろう?」
>「若いオオカミが老いた長を破り、新たな長となる。旧い長の持っていたもの、そのすべてを継承する――」
>「ただ、それだけのことだ」

「"ただそれだけのこと"って……」

ノエル達が――雪妖の一族がここまで漕ぎ着けるのに、どれだけの犠牲を払ったと思っているのか。
ロボはきっと、自然系妖怪の業とか、文明社会が背負う宿命とか、そんな小難しいことを考えた事もないのだ。
それもそのはず、妖怪といえど動物。彼は、一匹の獣――狼として精一杯生きた。
世界を俯瞰する視点を持ってしまう精霊系妖怪であるノエルとは違うのだ。

>「その力は強大だ……、大きすぎる力は容易く理性を奪い、心を壊す……」
>「だが、オレ様を下したおまえなら……きっと、御せるはずだ……。使いこなせ、その力を……決して破壊の衝動に呑み込まれるな……」
>「……そこの仲間たちがいれば……まさか、そんなことにはならねえとは思うが……よ……」

やはり、"強大過ぎて危険な力"という程度の認識のようだ。
違う、逆だ。その力は、人類の敵という絶対の楔。 殺戮の限りを尽くすのが本来の姿。
ブランカに愛され、狼王として群れを率いていたあの時代こそが、奇跡だった――
何も知らぬポチは、今やその力を受け入れていた。

≪黙って見守らぬか。そなたが我を持って生まれたのが宿命なら、これもまた宿命――≫

>「おまえはオレ様の轍を踏むなよ。――女房を守ってやれ、手前の命が尽きる瞬間まで。くれてやったソレは――本来、そのための力だ」

あれ? ――本当は分かっているのか?
災厄とは、人類にとっての災厄を差す。裏を返せば、人類が踏み込んではいけない領域を守る最後の砦でもあるとも言える。
意識的に言葉では認識していなくても、心のどこかで分かっているのかもしれない。
何にせよ、ポチを信じて見守るしかないのだ。

>「オレ様ができなかったことを……おまえが、やるんだ。期待してるぜ、小さな狼王――」

>「……うん、約束するよ。僕は、君とあの子に恥じない狼になる」

ポチのその言葉を聞いたロボは、再びブリーチャーズを見回す。

>「よくもオレ様を破ったもんだぜ、東京ブリーチャーズ……!褒めてやる!」
>「だがな――オレ様はテメエらの手にはかからねえ。オレ様は狼王ロボ!王には王の死に方ってモンがある!」
>「見な!『ジェヴォーダンの獣』の最期ってヤツをな……!」

ロボはなんと自らの胸に爪を突き立て、心臓を引き抜いた。

61御幸 乃恵瑠 ◇4fQkd8JTfc:2017/10/21(土) 09:12:39
>「オレ様を斃した褒美に、ひとっつだけ忠告してやる……東京ブリーチャーズ」
>「本当の敵を見誤るな。今回の東京での、おまえたちとオレ様たちの戦いには……裏で絵図面を引いているヤツがいる」
>「そいつにとっちゃ、オレ様もクリスも単なる兵隊に過ぎねェ。いや、オレ様たちだけじゃない……おまえたちブリーチャーズもだ」
>「オレ様たちが戦い、斃れていくこと……それもすべて、そいつの計算のうち。オレ様たちは都合よく踊らされてるのさ」
>「そいつを見つけ出して叩け。でないと……この戦いは永遠に終わらねえ……!」

62御幸 乃恵瑠 ◇4fQkd8JTfc:2017/10/21(土) 09:13:08
>「……あぁ、それも引き受けたよ。任せといて。ここんとこ、僕はツイてるみたいだしね。
 あの子にも、君にも、巡り会えた。きっとソイツも見つけ出して……転ばせてやるさ」

「それって妖怪大統領じゃなくて……!?」

まるで妖怪大統領以外に黒幕がいるとでもいうような言い方。
クリスやロボが倒されたのも計画のうちだというのか。まさか妖怪大統領すらもその何者かに利用されているというのだろうか。

>「オレ様に勝ったからって、安心するなよ……。次におまえらが遭うであろうドミネーターズは、オレ様たちの中でも最強のバケモノだ」
>「このオレ様でさえ、ヤツとの戦いは避けたい――なぜならヤツは、オレ様たち化生の天敵だからな……!」
>「とは言っても、激突は免れねえだろう。おまえらの仲間の二、三人は死ぬかもしれねえ。だが……」
>「……負けるなよ。無様は晒すな……おまえらは、この狼王に勝った。次の時代の王者……なんだからな……!!」

コトリバコとの戦いの後に姿を現した面々を思い浮かべる。
残るはレディベアとカンスト仮面。二人とも得体の知れない強敵だが、"化生の天敵"という言葉にはしっくりこない。
他にまだ見た事がない幹部がいるのだろうか。考えても仕方がない。どんな奴が来ようと、迎え討つまでだ。

「ああ――言われなくたって」

ロボは心臓を頭上に掲げ、握りつぶすと、最期の咆哮をあげた。

>「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――――――――――――――――――ン!!!!!!」

>「……おやすみ。狼王……ロボ」

月に向かって吼える姿のまま絶命したロボを見つめながら、二頭のオオカミが言葉を交わす。

>「……“彼”は。救われたのでしょうか」

>「……あぁ、勿論さ」

やがて二頭は夜空に向かって遠吠えを始めた。きっと彼らなりのロボへの手向けなのだろう。
暫しそれを聞いていたノエルだったが、我に返ったように祈に尋ねる。

「そういえば……橘音くんは!?」

祈の返答を聞いたノエルは、最後まで聞く前に、
結局最初に設置した場所に置いたままになっている天神細道に向かって走り出すことだろう。

63御幸 乃恵瑠 ◇4fQkd8JTfc:2017/10/21(土) 09:13:49
゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。゚+。*゚+。。+゚*゚+。。+゚*。+゚

「……きっちゃん!」

橘音が寝ている病室内に、何もない空間から突如としてノエル――否、みゆきが転がるように現れる。
ぶかぶかの服を着た美少女という怪しからん状態になっているが、本人はそんなことを気にしている余裕はない。

「死んじゃやだ――――――――――――ッ!!
そんな危険な場所に行くなら何で童かクロちゃんのどっちかでも連れていかなかったのさ!」

泣きながら、寝ている橘音に追いすがる。
やがて、橘音が危険な状態を脱して安らかな寝息を立てていることに気付くと、今度は悪態をつきはじめた。

「この大遅刻野郎! ポンコツ探偵! おたんこナスのきっちゃん! しかもなんでこんな時までその姿のままなんだ!」

祈が無力化した鎌鼬が原型に戻ったように、妖怪は弱ると原型に戻る性質がある。
変化を維持する力すら無くなって戻ることもあれば、早く回復するために自主的に戻る場合もある。
今ノエルがみゆきになっているのは、半ば自主的なものであった。
しかし橘音はこの状態になってもいつもの姿のままだ。

「ありのままの姿見せてくれたっていいじゃん……」

純粋に早い回復を願う気持ちと、原型になってくれたらきっちゃんかどうか分かるのに――という不謹慎な考えがないまぜになった言葉。
そこで、ある可能性に思い至る。もしかして、"見せない"のではなくて"見せられない"のか?
思い返せば橘音は変化が得意であるはずの妖狐のくせに、一度も変化したところを見た事が無い。
思わせぶりに顔や性別を隠していることも、変化できる者にとっては意味が無いはずの事だ。
ムジナは顔を陰陽師の術によって固定されてしまっているが、橘音は何らかの理由で全身がこの姿で固定されているのだとしたら。
本来変化できるのが通常の妖怪が姿を固定されるのは、在り方を縛られるのと同義。顔だけでもそうなのだから、増してや全身ときたら。

「そうなの? きっちゃん――」

もちろんこれはみゆきの憶測であり、本当にそうなのか見当外れなのかは分からないが
感極まったみゆきはあろうことか橘音の布団の中に潜り込んで、そのまま寝息を立て始めた。
そして、ふわふわでもふもふの狐を抱いて眠る夢を見たのであった。

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64御幸 乃恵瑠 ◇4fQkd8JTfc:2017/10/21(土) 09:14:15
>「いや〜っはっはっはっはっはっ!失敗失敗!今回ばかりは、さしものボクも死ぬかと思いました!」

「"いや〜っはっはっはっはっはっ!"じゃね――――――――――――ッ!!」

>「……橘音ちゃんってさ、実は尾弐っちよりタフだったりしない?僕なんてまだ首と背中が痛いよ」

呆れや感心が入り混じった視線が橘音に集まっている。
しかし、橘音が半死になりながら手に入れた銀の弾丸は決して無駄ではなかった、とノエルは思う。
あれがあればこそ、ポチは必至で牙を届かせようとしたわけだし、
いざとなったら倒せるという後ろ盾があったから祈は罠を仕掛けることが出来て、ポチの牙が届く時間を稼ぐことに繋がった。

>「まあでも、結果オーライ!こうして当初の目的通りにシロさんも救えましたし、ロボも倒せました!何も問題はないですね!」
>「んじゃ、ノエルさん!卓球やりましょう!卓球!卓球で汗をかいて、温泉に入る!やっぱりこれが最高ですね!」

一行は、シロを送り届けて依頼を完遂するためと、慰安旅行の続きを兼ねて再び迷い家を訪れていた。
シロは意外にも東京を離れることを快諾、道中で思う存分もふもふさせてくれた。
橘音には何を聞いてもまともな答えが返ってこないので、事の経緯を聞き出すのはとうに諦めた。

>「さー、慰安旅行のやり直しです!お風呂に入りまくって!卓球もやりまくって!おいしいごはんを食べまくりましょう!」

一段落卓球をやった後、ポチが声をかけてきた。

>「尾弐っち。一緒にお風呂行こうよ。怪我、まだ治ってないでしょ?
 ノエっちもさ、こないだ来た時は僕、お風呂って気分じゃなかったから……今度は一緒に、どう?」

「もちろん。ポチ君、水に浸かるのが苦手ってわけじゃなかったんだ」

ノエルはお湯に入れないので、二人にも水風呂につきあってもらう。
変態をお風呂に誘ったのが運の尽きということで必然的に、ポチは全裸の変態に抱っこされた状態で入る羽目になった。
あれからポチはカラーリングが変わり、黒基調に銀の筋が入った毛並になっていた。

>「……昨日は、ごめんね。僕、勝手な事ばかりして」

>「僕、何のお詫びも出来ないけど……もう、二度とあんな事はしないから。
 だから、だから、僕……やっぱりまだ、ブリーチャーズのポチで、いてもいいかな」

「もう、本当にそうだよ! お前のようなかっこつけ野郎は除籍、除籍だ――――――――――ッ!!
勝手に二階級特進狙ってんじゃね―――――――――!」

ザバアッと音を立てて立ち上がりながら叫ぶ。(※鉄壁氷湯気完備)
これはシロを逃がそうとした事よりも、シロが殺されたと思って捨て鉢の戦いを挑もうとしたり
最後の局面で自らの危険も顧みずに銀の弾丸の前に身を晒したことを言っている。

「……と言いたいところだけどそれを決めるのは橘音くんだ。
何しろ僕は雇用どころか報酬すら貰ってないボランティアだからなあ!
それでも何かお詫びしたいと思うならここに滞在してる間毎晩僕の抱き枕だ!」

何故か全力のドヤ顔で自らがスタメン(ボランティア)という奇跡的なポジションであることを力いっぱい宣言するノエル。

「そして甘いな――計画通りにいかないことも全て橘音くんの計画通りだ。
橘音くんね――ポチ君は狼、犬じゃないって言ってた。飼い慣らせないことぐらい最初から分かってたんだよ。
それでも上手く使うのが狐の知略ってものさ。
というわけでクロちゃん、頑張ったポチ君に"オヤツをくれてやれ"!」

そう言ってニタリと笑う。お仕置きは任せた、という意味だ。
ちなみにこの言葉が相当ツボにはまったらしく、ノエルの中でしばらくマイブームになりそうなのであった。

65御幸 乃恵瑠 ◇4fQkd8JTfc:2017/10/21(土) 09:14:53
>「もしそれを許してもらえるなら……一つ、助けて欲しい事があるんだ」

ポチが先程までとはまた真剣な面持ちになるのを見て、血相を変えるノエル。
何の予備知識もなく災厄の魔物を受け継いでしまったポチである。
ノエルにも、後天的に力を受け継いだ場合どうなるかは予測がつかない。
まずポチの体はその強大な力に耐えられるのか。そして――精神が乗っ取られはしまいか。

「体調が悪いの!? それとも脳内で変な声が聞こえる!? "力が欲しいか!"とか"ボクと契約して魔法少女になろうよ!"とか!」

思わずポチを顔の前に抱き上げて目線を合わせて詰め寄る。

「そんなことない? 本当に? ――変なこと言ってごめん。それならいいんだ」

本人が悩んでないなら、余計な事は言うまい、と思うノエルであった。
ポチ自身が狼に認められた証として前向きに捉えているのがいい方向に作用しているのかもしれない。
ならば、余計な知識を与えて悪影響になってもいけない。
受け継いだばかりだからまだどうなるかは分からないが、もしもポチが自らの異変に戸惑う様子を見せたらその時明かしても遅くはないだろう。
でも、その事ではないとしたら、ポチが言う助けて欲しい事とは何だろうか。ノエルはポチを解放して次の言葉を待った。
それは予想外のものだった。

>「僕……あの子と、シロちゃんともっと仲良くなりたいんだけど、どうすればいいのかな」

「えっ――ポチ君誰かと仲良くなるの得意じゃん。ああ、そうか! 動物は脛が短いから……」

狼以外は仲間と認めない頃のシロならともかく、ブリーチャーズの仲間になってからは、ノエルのモフモフも嫌がらなかったシロである。
ポチがシロに限ってうまく近寄れないのは別に脛が短いからではなく、意識しすぎてどうしていいか分からない状態になっているのであった。

>「あの子は確かにブリーチャーズの仲間になったよ。
 だけどそれって、僕も、尾弐っちも、ノエっちもブリーチャーズでしょ?
 僕は……その、それじゃ嫌なんだ。我が儘言ってるって、分かってるけど……」

もしやこれはガールズトーク……じゃなくてボーイズトークの流れなのか!?
そう思ったノエルは脳内の人員を総動員してシロの気持ちを考える。

深雪「ポチの奴――シロ殿の奴を憎からず思っておるのか! 馬鹿な奴だ、もうとっくに落ちておるだろう!」
乃恵瑠「仲間を裏切ってでも自分を逃がそうとしてくれたら悔しいが……惚れるだろうな」
みゆき「"僕が君を守り抜く。たとえ世界を敵に回しても"キャー!」(ごろごろ)

脳内会議の結果、全会一致で「シロはもう落ちている!」という結論に至った。
もちろん脳内の者達も所詮はノエルなので、見当はずれかもしれないのだが。
なんかポチのモテっぷりに腹が立ったので、脳内会議の結果は伝えずにアタックを促すノエルであった。

「ええい、当たって砕けてこい! 駄目だったら僕が胸を貸してやる!」

66御幸 乃恵瑠 ◇4fQkd8JTfc:2017/10/21(土) 09:15:50
゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。゚+。*゚+。。+゚*゚+。。+゚*。+゚

その夜――ノエルはお仕置きの一環としてポチを抱き枕にして寝ていた。
夢の中で、深雪が何者かに話しかけていた。

「おい、そこにおるのだろう? ポチ殿を壊したらただではおかぬぞ」

「――何? ヤキが回った? ヘタレのノエルにほだされただと!? 笑止!
人間などどうでも良い、我はただモフモフした動物が好きなだけだ!
そなたがまた楽しい共食い牧場を始めたらシャレにならぬから言っておるのだ!」

「それと一つ忠告してやろう。あの人間には気を付けよ。読む鈍器で殴り殺しにされかねぬ」

そこにノエルがやってくる。

「深雪……誰と話してたの?」

「さあな――"誰"というべきか"何"というべきかも分からぬ。
実は我もクリスの中にいた頃はこのような明確な姿と自我は持っていなかったのだ。
"人間を殺せ"――というただ漠然とした思念だけがあった」

「お母さんは記憶操作の杖で君をお姉ちゃんに預けた。だとすれば君は"記憶"――なんじゃないかな?
間引かれてきた雪ん娘達の記憶、そして――今日までの人類が雪に抱いた恐怖の記憶」

人間の思念が妖怪を生み出すこの世界において、記憶とは力そのもの。
記憶なら、時に人格を持っているかのように振る舞ってもおかしくはない。

「記憶……か。そうかもしれぬな。
ところで――あの場にいた他の者は気付かなかったかもしれぬが、お前は気付いたな? あの夜、絶対の楔が一つ打ち砕かれた」

他でもない、人狼は銀の弾丸以外では倒せない、という法則のことだ。

「あの場にいたうちのお前以外の誰かが運命を変えたのだ。"運命変転"――それは世界法則を乱す力。
お前のような世界法則の範疇におさまった純粋な存在は決して持たぬ力だ」

あの時、運命を変えたのは誰――? まず思い浮かぶのは祈だ。
雪妖界の価値観では人と妖が交わるのは禁忌であり、子を成すのは大変珍しい事象である。
増してや二代続けてなど、イレギュラー中のイレギュラー。
続いてポチ。彼もまた、送り狼とすねこすりという異色の混血。
大きく分けて犬系とは言えど、あらゆる意味で違いすぎて普通はなかなかそんな仲にはならないはずだ。
それとも、意表を突いて尾弐かもしれない。きっと彼は昔人間だったのだ。
古傷だらけなのは、未だに純粋な妖怪になりきれていない証拠ではないのか。
考えを巡らせるノエルに、深雪は意味深な忠告をするのであった。

「くれぐれも気を付けよ、希望とは最大の災厄なのだから――」

゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。゚+。*゚+。。+゚*゚+。。+゚*。+゚

67御幸 乃恵瑠 ◇4fQkd8JTfc:2017/10/21(土) 09:16:12
そんなこんなで。
温泉と料理を思う存分楽しみ、従者達と母親にお土産もたくさん買い、(今度は送り狼マスコットを購入)東京に戻る日がやってきた。
ちなみにポチがいつシロにアタックするのかと楽しみに見ていたが、ついにアタックどころか話しかけもせずに終わってしまった。
まあそんなものさ、幸い彼らは妖怪、時間ならいくらでもある、と思うノエルであった。

>「シロのことは、儂らに任せておけ。ここなら人間の目は届かん、徐々に新しい環境に慣れることもできるぢゃろう」

>「シロ……。皓。それが、わたしの名前ですか」
>「……わたしには、その名がいい名なのか。悪い名なのか。それはわかりませんが――」
>「誰かに名を呼ばれる。というのは、よいものですね」

「皓はね、雪のように穢れなく輝く白って意味なんだ。とってもいい名前だよ!」

ポチの葛藤も知らずにあっさりと言ってのけるノエル。

>「……東京ブリーチャーズの皆さん。今回のことは、お礼のしようもありません」
>「あなたがたはわたしを救い、そして狼族そのものを救ってくれました。どれだけの感謝をしようと、到底足りるものではありません」
>「もし、わたしに出来ることがあるのなら――いつでも仰ってください。どこへなりとも馳せ参じましょう」
>「それが。仲間の温情に応える、わたしの新しい誇り……ですから」

「いやあ、そんな大層な! ……シロちゃん?」

シロがポチに歩み寄り、そっと身を寄せる。これは急展開来るか!?と息を飲んで見守る。

>「……くれぐれも、ご無理はなさいませんよう。皆さんの仰ることをよく聞き、決して独断で行動してはなりません」
>「特に。今回のような捨て鉢な戦いは、二度としてはいけません。……約束できますね?」
>「あなたの身体はもう、あなたひとりの身体ではないのです。あなたは、これからの狼族を背負って立つ者――」
>「あの方と。そう、約束したのでしょう?」

いい事を言ってくれた! と思うノエル。流石のポチもシロに言われれば素直に言う事を聞くだろう。

>「……げはははは。あぁ、そうさ。そう誓った。
 君にも、ちゃんと約束するよ。僕は、君とアイツに恥じない狼で在り続ける。
 君を、皆を守る為のこの命を、粗末にしたりしない」

そして、これだけでは終わらなかった。

68御幸 乃恵瑠 ◇4fQkd8JTfc:2017/10/21(土) 09:16:59
>「……それに。東京漂白が成った暁には、あなたには是非発奮して頂かなくてはなりません」
>「たった二頭のニホンオオカミを、これから。あなたとわたしで、もっと増やしていかなければならないのですから。……ね」

シロ、まさかの爆弾プロポーズ発言である。しかもシロはその辺から湧いてきた系の妖怪じゃなかったっけ。
今までたった一人で生きてきたのに何というかその辺のことを分かっているのだろうか。
ちなみにノエルは人間も動物もその辺から湧いてくるものだとこの前まで思っていた。
(雑種? 何か二種類混ざっちゃったけどまあいいや的なノリで湧いてくるという認識である)

「ちょっとシロちゃん、大胆過ぎるよ! 意味分かって言ってる!?」

これにはポチも狼狽しきっているのであった。狼だけに。

>「……へっ?え、えっ?ちょ、ちょっと待って」
>「僕、まだ君に何もそういう事言ってないし……あ、いや、嫌な訳じゃないんだよ。
 ただそういうのって、僕の方からちゃんと……」

>「――ご武運を」
>「う……うん、ええと……が、がんばってきます……」

――良かったね、ポチ君!
ノエルはそんな仲睦まじい二匹を、自分には無縁の世界だけどなんかいいな、と思って見ているのであった。
ポチにとってはこれからが本当の闘いなのかもしれないけれど。
帰る場所が出来たのだから大丈夫、そんな風に思えた。

「シロちゃん、必ずポチ君を無事に君の元に帰すからさ……ちょっとの間、借りるね!」

そう言ってしまってから、しまった――またうっかり無謀な約束をしてしまった、と一瞬後悔し、
でももうポチ君も捨て鉢な戦いはしないらしいし、まあ、いいか――そう思うノエルであった。

69尾弐 黒雄 ◇pNqNUIlvYE:2017/10/21(土) 09:17:46
>「せめてポチ君を待ってあげて……」
「……あの化物が動き出したら俺達は全滅する。直ぐ殺すべきだ」

雪妖の導きと悪鬼の誘い
慈悲持ち己の手を以って殺すか、或いは目を瞑り全てが終わりを迎えるのを待つか
悪意すら感じる選択肢を付きつけられた少女が出した答えは

>「御幸も尾弐のおっさんも、あたしがどんな奴かってのをいまいち分かってねーよな」
>「ポチと勝負しろ、狼王ロボ。ポチの牙に堪え切れたらお前の勝ち。でも傷を受け、血を三滴でも失えばお前の負けだ」

どちらでもない。『選ばない』という答えであった。
他人に与えられた選択肢をなぞるのではなく、誰も知らぬ第三の答えに手を伸ばす
それこそが祈という少女が導き出した、唯一無二の解。

「おい……待て嬢ちゃん。お前さん、自分が何しようとしてるのか判ってんのか?そんなリスクを背負いこむ必要、ねぇだろ」

その答えを前にして、尾弐が見せた感情は戸惑いであった。
己が手に委ねられたのであれば、正しく本懐を遂げた。
祈が弾丸を撃ったのであれば、納得はした。
だが、これは。祈が選んだ、狼王を救うと言う選択は、尾弐にとって理解の範囲の外に有った。

妖壊……或いは災厄の魔物は、人類の天敵だ。
数多の人の命を奪い、絶望を、悲しみを、憎悪をまき散らしてきた存在だ。
無垢な子の命を、子を守る親の命を、人生を共にした友の命を、人類は彼らから理不尽に奪われ続けてきた。
だからこそ、人類は彼らを憎み排斥する――――その義務と権利がある。

だというのに、眼前の少女は彼の存在を救おうとする。
……もし、それが。手を血に染め、他者の幸福を喰らい、罪なき者達を無造作に殺めた存在が、救われる事が許されるのであれば

「……っ」

唐突に胸の内に浮かびあがってきた、自分のものではない感情を尾弐は己の頬肉を噛み切る事で封じ込める。
そうして、ポチと狼王へと視線を向けて見れば……そこには、尾弐にとって目を背けたくなる光景が広がっていた

70尾弐 黒雄 ◇pNqNUIlvYE:2017/10/21(土) 09:18:31
>「――ああ――。今、やっと気付いた……」
>「オレ様はずっと、今までずっと――」
>「ずっと、壊れていたんだな……。群れを喪い、ブランカを喪い、そして……自分自身の心さえ喪った、あのときから……」

確かに届いた、ポチの牙。血を滴らせる狼王

>「……オレ様の負けだよ。坊主」

ポチへと……時代へ繋ぐ様に吸い込まれていく膨大な妖気と、まるで、救われた様なその表情。

>「……いい群れだ……、羨ましい、群れだな……」
>「オレ様は、守ることしか出来なかった……。守ってやることばかりを考えて、仲間たちの力をまるで信用していなかった……」
>「だが、それではいけなかった……。群れの仲間たちは……みな、守り守られて……支え合って、生きていくもの……だったな……」
>「……気付くのが、ちょいと遅すぎたがよ」

毒に侵され、己の力を譲り渡しケ枯れ、見上げる程の巨躯も縮み……だがそれでも

>「だがな――オレ様はテメエらの手にはかからねえ。オレ様は狼王ロボ!王には王の死に方ってモンがある!」
>「見な!『ジェヴォーダンの獣』の最期ってヤツをな……!」

それでも失われる事のない誇り高き姿
銀の弾丸ではない。自らの手で、自らの意志で己を終わらせるという狼王の覚悟

>「……負けるなよ。無様は晒すな……おまえらは、この狼王に勝った。次の時代の王者……なんだからな……!!」
>「ああ――言われなくたって」
>「……おやすみ。狼王……ロボ」

その壮絶な結末を。東京ブリーチャーズの面々の中で、ただ一人、尾弐黒雄は見届ける事をしなかった
途中で背を向け視線から外す事で、彼は狼王の最期から逃げた。
それは、これ以上を直視してしまえば、己の中のどす黒い何かを抑えきる自信がなかったからであり――――

>「……“彼”は。救われたのでしょうか」
>「……あぁ、勿論さ」

そうであるが故に、狼王が救われたか否か。シロが発したこの問いに尾弐黒雄は答える事は出来ない。

「――――ああ、畜生」

だがそれでも、二頭の狼の遠吠えが響く中で尾弐が吐いた悪態は、確かにそこに救いが有った事を示していた。

71尾弐 黒雄 ◇pNqNUIlvYE:2017/10/21(土) 09:19:18
―――――

>「いや〜っはっはっはっはっはっ!失敗失敗!今回ばかりは、さしものボクも死ぬかと思いました!」
>「まあでも、結果オーライ!こうして当初の目的通りにシロさんも救えましたし、ロボも倒せました!何も問題はないですね!」
>「んじゃ、ノエルさん!卓球やりましょう!卓球!卓球で汗をかいて、温泉に入る!やっぱりこれが最高ですね!」

>「……橘音ちゃんってさ、実は尾弐っちよりタフだったりしない?僕なんてまだ首と背中が痛いよ」
>「"いや〜っはっはっはっはっはっ!"じゃね――――――――――――ッ!!」

「はっはっは。まあ、アレだな。こんだけ小気味よく適当に流されたら、さすがのオジサンもいい年して年下の頭を引っぱたきたくなってきたぜ。
 というか叩かせろ那須野。俺が言うのもなんだが、お前さんどれだけこいつらに心配かけたと思ってやがんだ」

あっけらかんとした声で笑い、卓球のラケットを団扇代わりにする那須野橘音に投げつけられたのは、東京ブリーチャーズ総出によるツッコミであった。
その勢いは怒涛のもので、あのノエルがボケではなくツッコミに回る程である。
……しかし、ブリーチャーズのこの反応も当然と言えば当然であろう。狼王との戦闘の後、文字通り半死半生の状態で発見された那須野が発見された時は、文字通り修羅場であったのだから。
基本的に人間の社会常識に則った行動を心がけている尾弐が、治療を急ぐあまりに那須野を小脇に抱え、河童の運営する病院の天井をぶち抜いて診察エントリーした事が『ほんの一例』である事が
その混乱具合を明確に示しているだろう

>「さー、慰安旅行のやり直しです!お風呂に入りまくって!卓球もやりまくって!おいしいごはんを食べまくりましょう!」

だが、そんな不穏な空気もなんのその。
相変わらずの掴み所がない様子でのらりくらりと言葉を躱した那須野の提案により、
富嶽への報告もかねた慰安旅行後半戦は行われていた。

温泉宿で卓球のラケットを振るい、インフレしたスポーツ漫画じみた魔球が放たれたり、
尾弐がスマッシュを以って那須野の仮面へ向けて卓球のボールを叩き込んだりと、一頻り汗をかき……

と、そこで狼犬の姿に戻ったポチがとことこと尾弐とノエルの元へと歩み寄り口を開いた

>「尾弐っち。一緒にお風呂行こうよ。怪我、まだ治ってないでしょ?
>ノエっちもさ、こないだ来た時は僕、お風呂って気分じゃなかったから……今度は一緒に、どう?」

ポチからの男同士の風呂の誘い
意外な提案に、一瞬、ノエルと視線を合わせた尾弐であったが

>「もちろん。ポチ君、水に浸かるのが苦手ってわけじゃなかったんだ」
「おう、付き合うぜ。噛まれたり殴られたりはオジサンの身体にゃキツイからな。折角だし男同士の話でもするか?」

冗談めかした笑みを作りながら、その誘いを快諾した。

72尾弐 黒雄 ◇pNqNUIlvYE:2017/10/21(土) 09:19:51
そうして温泉――――ならぬ冷泉に浸かり、運動で温まった体を冷ました所で、ポチが小さく……けれど、はっきりと聞こえる声で言葉を紡ぐ。

>「……昨日は、ごめんね。僕、勝手な事ばかりして」
>「僕、何のお詫びも出来ないけど……もう、二度とあんな事はしないから。
>だから、だから、僕……やっぱりまだ、ブリーチャーズのポチで、いてもいいかな」

それは、謝罪の言葉
……先の狼王との戦いの中で、心理的にも状況的にも仕方がない部分があったとはいえ、ポチが指示に反する事を行ったのは事実だ。
結果的にはそれで上手くいったとはいえ、それでも、その事はポチの中に棘として引っかかってしまっているのだろう

>「もう、本当にそうだよ! お前のようなかっこつけ野郎は除籍、除籍だ――――――――――ッ!!
>勝手に二階級特進狙ってんじゃね―――――――――!」

「落ち着け色男。お座り。ステイ。ハウス」

そんなポチの言葉に興奮して立ち上がったノエルの腕を引き、水風呂の中に引き込む尾弐
けれど言葉は止める事無く続けさせるのは、ノエルがポチを傷つける言葉を吐く事はないだろうと踏んでの事。

>「……と言いたいところだけどそれを決めるのは橘音くんだ。
>何しろ僕は雇用どころか報酬すら貰ってないボランティアだからなあ!
>それでも何かお詫びしたいと思うならここに滞在してる間毎晩僕の抱き枕だ!」

そして、案の定。ノエルはポチが命令違反を犯した事に怒っていなかった。
彼が怒っているのは、ポチが捨て鉢な行動を取った事に対してだけ……つまる所、ノエルという青年は優しいのである。
そんなノエルのおどけた様子を、腕を組みながら見ていた尾弐であったが、

>「そして甘いな――計画通りにいかないことも全て橘音くんの計画通りだ。
>橘音くんね――ポチ君は狼、犬じゃないって言ってた。飼い慣らせないことぐらい最初から分かってたんだよ。
>それでも上手く使うのが狐の知略ってものさ。
>というわけでクロちゃん、頑張ったポチ君に"オヤツをくれてやれ"!」

「ゴハッ!?……お、おいノエル、お前さんなぁ……!」

突然、矛先が自分に向けられ、尚且つ、アドレナリンが大量分泌されていた状態での台詞を言われた事で、思わず咳き込み口の端を引き攣らせる。
だが、ポチの相談自体は至極まじめなものなので無視する訳にもいかず、尾弐は冷水を掬い自身の顔に浴びせ、小さく呻いてから口を開く

「まあ、あれだポチ助。確かにお前さんのした事は危険だったし……命令違反でもある。
 だけどな……そんくらいで仲間を見限るつもりなんて、毛頭ねぇよ。悪さして叱られて、反省してるんだ。今回はそれで充分だろ」

そこまで言ってから、片目を瞑り、但しと付け加える

「但しそうだな……オヤツじゃねぇが、次、同じような事をやったら、お前さんには御洒落をくれてやる。
 具体的には――――お前さんの毛を刈って、プードルみたいにするからな」

冗談交じりにそう言う尾弐。
そんな弛緩した解答を受けたポチ。彼は……尾弐とノエルの様子に一度安堵の空気を見せてから、しかし急に真剣な様子を作り口を開いた。

73尾弐 黒雄 ◇pNqNUIlvYE:2017/10/21(土) 09:20:20
>「もしそれを許してもらえるなら……一つ、助けて欲しい事があるんだ」
>「僕……あの子と、シロちゃんともっと仲良くなりたいんだけど、どうすればいいのかな」

「……ん、んん?」

真剣な口調で放たれた言葉。だが、その意味が理解出来ずに首を傾げる尾弐。

>「あの子は確かにブリーチャーズの仲間になったよ。
>だけどそれって、僕も、尾弐っちも、ノエっちもブリーチャーズでしょ?
>僕は……その、それじゃ嫌なんだ。我が儘言ってるって、分かってるけど……」

しかし、補足として語られた内容を聞いて、その言葉の真意を理解し

>「ええい、当たって砕けてこい! 駄目だったら僕が胸を貸してやる!」
「は―――――ははははは!よーし、オーケー判った。そういう事ならオジサンがいっちょ力になろうじゃねぇか!」

尾弐にしては珍しい程に楽しげな笑い声を出しながら、ノエルの応援と重なるようにしてその依頼を了承した。

「いいかポチ助。女を口説きたいなら、まずは清潔感だ。前提として、汚ぇものが好きな奴ってのは少ねぇもんだ。特に嗅覚が鋭い狼―――」

そうして、アドバイスをしたり励ましたり応援したりしつつ、男達の語らいは遅くまで続いた……。

――――――

74尾弐 黒雄 ◇pNqNUIlvYE:2017/10/21(土) 09:20:53
かくして、旅行の最終日。旅立ちに相応しい快晴の空の下で、東京ブリーチャーズの面々は旅館の玄関先に荷物を以って立っていた。

>「シロのことは、儂らに任せておけ。ここなら人間の目は届かん、徐々に新しい環境に慣れることもできるぢゃろう」
>「また、いつでも遊びにいらしてくださいね。従業員一同、心よりお待ち致しております」

「ああ、次は金払って普通に来るぜ。宿代代わりの労働は真っ平ごめんだからな」

見送りに来たのは、富嶽と笑の二人。
笑はまだしも、富岳が見送りに来た事を意外に思いつつ、荷物を纏めていた尾弐は二人に対して手をひらひらと振り答える。
そして、そんな挨拶の最中、宿へと残る事となったシロが口を開いた。

>「シロ……。皓。それが、わたしの名前ですか」
>「……わたしには、その名がいい名なのか。悪い名なのか。それはわかりませんが――」
>「誰かに名を呼ばれる。というのは、よいものですね」

>「皓はね、雪のように穢れなく輝く白って意味なんだ。とってもいい名前だよ!」
「……そうだな。キレェな名前が有って、それを呼んでくれる相手が居るってのは幸せだ。自分が今そこに居る事を認めて貰えるって事だからな」

名前――――これまで、ニホンオオカミという種族名しか持ち合わせていなかったシロの感慨に対し、
ノエルの言葉に続ける様にして、尾弐もそう言葉を吐きだす。
その言葉には小さな影が混じっていたが、それは次にシロが口に出した言葉と行動とによって吹き飛ばされてしまう

>「……くれぐれも、ご無理はなさいませんよう。皆さんの仰ることをよく聞き、決して独断で行動してはなりません」
>「特に。今回のような捨て鉢な戦いは、二度としてはいけません。……約束できますね?」
>「あなたの身体はもう、あなたひとりの身体ではないのです。あなたは、これからの狼族を背負って立つ者――」
>「あの方と。そう、約束したのでしょう?」

彼の純白の狼は、激励の言葉と共にポチへと寄り添うと

>「……それに。東京漂白が成った暁には、あなたには是非発奮して頂かなくてはなりません」
>「たった二頭のニホンオオカミを、これから。あなたとわたしで、もっと増やしていかなければならないのですから。……ね」

そう言って、ポチをペロリと舐めたのである。

>「――ご武運を」
>「う……うん、ええと……が、がんばってきます……」

告白の準備を通り越して、まさかの逆プロポーズ。その意外性と、女という生き物の強さを見せつけられた尾弐は、
口元を手で覆い、湧き出る笑いを堪えている。

>「……もしかしてロボも、こんな感じだったりしたのかなぁ」
「くっくっ……こりゃあ、何が何でも生きて幸せになんねぇとな。頑張れよポチ。同じ男として応援するぜ?」

そうして、なんとか堪え切るとポチの呟きを耳ざとく拾い、その背中を軽く叩くのであった。

75 多甫 祈 ◇MJjxToab/g:2017/10/21(土) 09:21:41
>「……ゲ……ハハハッ、ゲハ……ゲハハハハッ、ハハ……」
 狼王が口を開く。まず発せられたのは嗤いだった。
 尾弐の制止を振り切って言葉の罠を仕掛けた祈は、
その嗤い声を聞きながら、魔滅の銀弾をいつでも投擲できる構えを僅かにも崩さない。
 狼王は続ける。
>「……なかなか……いい作戦だ……。オレ様が……提案から遁げることはねェと……そう、踏んでの策か……よ……」
>「だがな……お嬢ちゃん。その手には乗らんぜ……。オレ様が、その勝負を……受けることは……ねえ……」
「――そうかよ」
 祈は狼王の返答に目を細めた。
 策は成らず。祈の言葉の罠は、雑な悪足掻きに過ぎなかった。
だとすればこの銀弾を投擲し、ロボを消滅させる他に道はないのだろう。
>「だって、よ……」
>「もう、その必要は……ねェんだ、から……な……」
 しかし、ロボの言葉には続きがあった。
魔滅の銀弾を放り投げる体勢に入っていた祈は、その言葉で体勢を崩し、銀弾を落としかける。
必要ないとはどういうことか、という疑問は、ロボの首元を見たことで氷解する。
 首元から流れ、銀毛を汚していく赤色。血液。
どう少なく見積もっても三滴以上の量がある。それは即ち、ポチの勝利を意味していた。
「……罠なんて必要なかったな」
 祈は崩れた体勢を立て直すと、銀弾を握りしめた右手を開く。
そして銀弾を親指に載せ、ピンと弾く。落ちてきたのをキャッチすると、ポケットに仕舞い込んだ。
 ポチの牙はロボの肉体どころか心にまで届いたらしく、
狼王ロボは、敗北したことで正気を取り戻した様子だった。
その金色の瞳は澄んだ蒼へと変わり、憑き物が落ちたように穏やかな空気を纏っている。
もうロボにこの弾丸は必要ない。
 ロボは己が狂っていたことに気付いたと明かし、そんな自分を止めてくれたポチに礼を述べた。
それを受けたポチは、ロボに勝利したことが嬉しいのかそれとも悲しいのか、
あるいはその両方か。その瞳から大粒の涙を流す。
そんなポチの頭を、ロボは宥めるように、讃えるように優しく叩いてやるのだった。
>「……オレ様の負けだよ。坊主」
 そしてロボが敗北を認めると。その体から銀色の妖気が奔流となって噴き出す。
暴風のように吹き荒れ、月光を反射しギラギラと禍々しく光るそれは、ポチへと流れ込んでいく。
>「なんだ……!?」
 ノエルが警戒したように声を上げるが、依然、ロボに敵意は見えない。
ということはこれは攻撃ではないことになる。しかも妖気を噴き出させるロボの肉体は力を失い、
徐々に萎んでいくところを見るに、今行われていることは――。
>「い、嫌だ……やめろ、ロボ!こんな力、僕はいらない!だってこれは、君の!」
 ――狼王ロボの、獣(ベート)の力をポチに与えている、ということだろうか。
>「やめてくれ! ポチ君を認めるなら猶更そんなものを背負わせるな! だってそれは……」
 拒絶の姿勢を見せるポチを見て、ノエルが警戒を強める。
>「……何も、驚くことはねェ……。自然のことだ、当然の成り行きだ。おまえだって、オオカミならわかるだろう?」
>「若いオオカミが老いた長を破り、新たな長となる。旧い長の持っていたもの、そのすべてを継承する――」
>「ただ、それだけのことだ」
 しかし、ロボは事も無げに言った。
>「"ただそれだけのこと"って……」
 ノエルがその言葉に、納得できぬような表情で呟く。
ポチは狼王の言葉に納得したのか、それともそうせざるを得ないと思ったのか、
その力を受け入れる体勢に入っていることであるし、
祈には、どうやらポチはロボから強力無比な獣(ベート)力の一端を勝者の証として貰える、というような話に見え、
くれるんだったら有難く貰ったらいいんじゃないか、とも思うのであるが、
精霊に近い妖怪で様々な気に敏感なノエルのことだ。
妖壊だったロボから放たれた妖気がポチに宿ることに何か気掛かりなことでもあるのかも知れなかった。
 ロボは尚も体から妖気を迸らせ続け、ポチへと送り込む。
更に、その力に呑まれるなと、俺のようになるなとポチにアドバイスを送り、ブリーチャーズを見渡すとその群れを讃えた。
それらを終えた頃には、すっかりその妖気は枯れ果てて、三メートルほどもあった肉体は見る影もなく萎み切っていた。
その身に宿る妖気、妖力。その全てをポチへと継承し終えたのだろう。

76 多甫 祈 ◇MJjxToab/g:2017/10/21(土) 09:22:17
>「おまえはオレ様の轍を踏むなよ。――女房を守ってやれ、手前の命が尽きる瞬間まで。くれてやったソレは――本来、そのための力だ」
>「オレ様ができなかったことを……おまえが、やるんだ。期待してるぜ、小さな狼王――」
 そして力だけでなく願いもポチへと託すと――急にポチを突き飛ばした。

 既にポチとロボを拘束していたノエルの呪氷は剥がれており、
ポチはあっさり押されてしまう。また、反動でよろめいたロボの体は、ビルの淵へと近づく。
>「……うん、約束するよ。僕は、君とあの子に恥じない狼になる」
 突き飛ばされたポチだったが、ロボが突き飛ばすのを知っていたかのような、
穏やかな声でその期待に応えることを約束する。
この辺りで、何かがおかしい、と祈は思い始める。
 ロボはよろめきながらも、ビルの淵で踏みとどまった。その誇り故か決して膝をつくこともせず、
改めてその輝く蒼の双眸でブリーチャーズを見渡すと、高らかに言う。
>「よくもオレ様を破ったもんだぜ、東京ブリーチャーズ……!褒めてやる!」
>「だがな――オレ様はテメエらの手にはかからねえ。オレ様は狼王ロボ!王には王の死に方ってモンがある!」
>「見な!『ジェヴォーダンの獣』の最期ってヤツをな……!」
 『最期』と聞いて、祈が止める間もなく。
「ああっ!?」
 ロボはその右爪を己が胸に突き立て、肉を裂き骨を割き。ついには心臓を抉り出してしまう。
祈が救うことのできないものは幾つもあるが、その中の一つが、救いの手を自ら手放す者だ。
己が命をここで使うと決め、誰の手をも拒む者。それは強固な意志で、祈の手を逃れてしまう。
たとえ、ここで河童の軟膏を持ってきて強引にロボを治療した所で、ロボはきっと再び命を絶とうとするに違いない。
いや、でもと、逡巡する祈。しかし、最期を迎えようとする者の迫力に気圧され、動けずにいる。
流れる血もそのままに、強く脈打つ心臓を掴んだままに、ロボは荒く息を吐き、言葉を重ねた。
>「オレ様を斃した褒美に、ひとっつだけ忠告してやる……東京ブリーチャーズ」
>「本当の敵を見誤るな。今回の東京での、おまえたちとオレ様たちの戦いには……裏で絵図面を引いているヤツがいる」
>「そいつにとっちゃ、オレ様もクリスも単なる兵隊に過ぎねェ。いや、オレ様たちだけじゃない……おまえたちブリーチャーズもだ」
>「オレ様たちが戦い、斃れていくこと……それもすべて、そいつの計算のうち。オレ様たちは都合よく踊らされてるのさ」
>「そいつを見つけ出して叩け。でないと……この戦いは永遠に終わらねえ……!」
 その言葉群に、祈は戦慄する。
今まで東京ブリーチャーズと東京ドミネーターズの戦いとは、
『妖怪大統領』が東京侵略を目論み、ブリーチャーズがそれを阻止すべく迎え撃つ、という構図であった。
だがロボの言葉が真実であれば、この構図は第三者が介入し組み立てたことになる。
この両者をぶつけようと思えば、
少なくとも侵略する側である『妖怪大統領』を唆すなどして東京にけしかけたであろうことが窺え、
更には。もしかすれば。
東京ブリーチャーズの結成すらもその第三者によって仕組まれた可能性だってあるのだ。
そのことにまで考えが及び、祈はぞくりとする。一体いつから、どこまでを仕組まれているのか。
 考えられる目的は妖怪大統領側と日本妖怪側という巨大な妖怪勢力同士をぶつけ合わせ、
あわよくば共倒れさせる、というようなものだが、そこにどんな利益があると言うのだろう。
目的も理由も姿も、その全てが不透明で。余りに不気味だった。
 更にロボは次に会うであろうドミネーターズが
ロボでさえ避けたい“最強のバケモノ”であり、“化生の天敵”であると不吉に告げると――、
抉り出した己の心臓を握り潰し、
>「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――――――――――――――――――ン!!!!!!」
 遠吠えを上げて。凄絶な、誇り高き死を迎えるのだった。
>「……“彼”は。救われたのでしょうか」
 諸手を広げ、遠吠えを上げ、立ったままに死を迎えたロボ。
その姿を見て、静かにシロが問う。
>「……あぁ、勿論さ」
 その問いかけに、ポチが答えた。
助けることはできなかった。だがこれで良かったのだろう。ポチが言うように、これでロボの魂は救われたのだろう。
 しかし。

77 多甫 祈 ◇MJjxToab/g:2017/10/21(土) 09:23:06
(尾弐のおっさんは、――嫌なんだろうな。こういうの)
 救われぬ者もいるのかもしれない。
 祈は振り返って、この光景から目を背ける尾弐の背を見つめた。
 尾弐はどうやら、妖壊というものに対して並々ならぬ憎しみを抱いているようであり、
また、“人に仇成す妖壊は滅ぼすべきでありそこに一片の慈悲も救いもあるべきではない”、
というようなことを考えているようでもあった。
確かめた訳ではないので本当のところは祈には分からないのだが、少なくとも表面上はそう見え、
もしそんな風に妖壊を憎んでいるとするなら、憎き妖壊たる狼王ロボが救われて誇り高い死を迎える様とは
どれ程に辛く、どれだけ耐え難い苦痛なのだろう。
 申し訳ない気持ちが込み上げるが、ブリーチャーズとして一緒に戦い続けるのなら、
今後も似たようなことは起こり得る。
尾弐が妖壊を殺そうとするのなら、祈は妖壊でもなるべく助けようとする。
妖壊退治におけるこの姿勢の差異は、いずれ尾弐と祈の間に軋轢を生むのかもしれない。
いつか、尾弐が祈を疎ましく思う時だってくるのかもしれない。
そしてその時、尾弐が自分を憎んだり嫌ったりできるように、謝るなんてことはしちゃいけないのだろう。
(……あたしは誰かに死んで欲しくない。そんで尾弐のおっさんにだって、できたら……)
 尾弐は妖怪を前にすると目の色が変わる。
憎悪の色が込められて、お前を今から殺してやると、その目が口程に語るようになる。
そうして相手の存在、その全てを否定しようと拳を振るう。
 だが普段その目は橘音を見る時に穏やかで、その手はポチを撫でる時には優しくて、
ノエルにツッコみを入れる時でさえ傷付けないように注意を払っていることを祈は知っている。
そんな優しく穏やかな尾弐もまた真実で、
というよりもきっとその優しい姿こそが本来の尾弐なのだろうと祈は思う。
そこには、そうあって欲しいというような祈の願望も多分に含まれているのかもしれないが、
とかくそんな優しい尾弐にこれ以上、その手を血で汚して欲しくないな、なんてことを祈は少し思うのだった。
 シロとポチの遠吠えが長く響く。ロボの死を悼むように。

 戦いの後、祈は後処理をした。放置できないことが3つ程残っているからだった。
 まず、ノエルが潜った後の天神細道を使って、ロボの死体を彼の故郷と思しきフランスはジェヴォーダン地方の、
誰にも見つからない場所へと送ってやった。
このような大きな騒ぎがあったのだから、ビルにいつ誰が登って来るとも分からないのであり、
見つかれば更なる騒ぎになってしまうと思われたからである。
 次に。このビルに誰がくるともわからない以上、そこを根城にしているというシロも誰かに見つかってしまう可能性がある。
その為一時的に事務所に保護することにした。祈は事務所の鍵は持っていなかったが、
幸い中には居候の妖怪がいるので、その妖怪に鍵を開けて貰って事なきを得た。
そちらにシロを預けると、ついでに天神細道も事務所に置いておき。これにて後処理は終了と言った所だろうか。

78 多甫 祈 ◇MJjxToab/g:2017/10/21(土) 09:23:35
>「いや〜っはっはっはっはっはっ!失敗失敗!今回ばかりは、さしものボクも死ぬかと思いました!」
 後日。一行は再び迷い家を訪れていた。
場所は遊戯室。快癒した橘音は浴衣に着替え、すっかりくつろぎモードである。
ラケットを団扇代わりに己に向けて振りながらそんなことをあっけらかんと言い放っていた。
>「……橘音ちゃんってさ、実は尾弐っちよりタフだったりしない?僕なんてまだ首と背中が痛いよ」
 その様に呆れるポチ。
>「"いや〜っはっはっはっはっはっ!"じゃね――――――――――――ッ!!」
 ロボとの戦闘を終えた後、橘音を心配して天神細道を潜り、病室へと誰より早く向かったノエルは吠えて、
>「はっはっは。まあ、アレだな。こんだけ小気味よく適当に流されたら、さすがのオジサンもいい年して年下の頭を引っぱたきたくなってきたぜ。
>というか叩かせろ那須野。俺が言うのもなんだが、お前さんどれだけこいつらに心配かけたと思ってやがんだ」
 半死半生の橘音を見て珍しく狼狽していた尾弐などは、もはや目が笑っていなかった。
>「さー、慰安旅行のやり直しです!お風呂に入りまくって!卓球もやりまくって!おいしいごはんを食べまくりましょう!」
 総ツッコミを受けながら、しかしこんなことを明るく言い放てる橘音は大物なのだろうけど。
「ちょっとは反省しといた方がいいよ橘音。そのうち尾弐のおっさんにほんとに引っぱたかれるよ」
 ラケットを人差し指の上でくるくる回しながら、橘音と同じく浴衣に着替えた祈も呆れ顔で言うのだった。それに加え、
「ね。そう思わない?」
 なんて、シロに唐突に振ってみたりする祈。
今回迷い家を訪れた一行の数は、前回よりも一頭多く、シロの姿もそこにあった。
世間のほとぼりが冷めるまで迷い家で保護することになったので連れてきたのである。
それをシロも嫌がっている様子はないし、納得しているようだった。
 こうしてシロを迷い家に連れてこれたのも、シロを無事守り抜き、ロボを打倒できたからだ。
数キロに及ぶロボの死の咆哮は、それを聞いた者に、
巨大な肉食獣に今まさに狙われている、襲われている、食べられている、というような非常に強いイメージを与えたらしく、
耐性のない者の中にはショックで亡くなった者もいたようだった。東京の街は混乱に落とされ、犠牲はあったものの。
一人でも、一頭でも多く生き延びることができたのは喜ばしい事だろう。
 そしてもう一つ、魔滅の銀弾を使わずに済んだのも僥倖だっただろうか。
祈的にはロボを完全消滅させずに済んだことは勿論、
橘音が言うにはそれは『すべての妖怪を葬り去る銃弾』であるので、
『妖怪大統領』や、その裏に控える黒幕めいた第三者と対峙する際の切り札となるかも知れないからである。
いま魔滅の銀弾は事務所に厳重に保管されているらしい。
 ロボが示唆した戦いの絵図面を引く第三者の存在や、次のドミネーターズのことなど、
不安の種は尽きないが、なんであれ。こうして再び仲間達と生きて旅行ができるのは喜ばしいことであり、
この世の物とは思えない絶品とも言える料理や、極楽のような温泉を堪能できるのは素直に嬉しいものであるので、
気持ちを切り替えて、時間が許される限りはそれを楽しもうと思う祈であった。
 早速、橘音の言う通り温泉にでも入りまくるかと遊戯室を後にしようとする祈の耳に、
>「尾弐っち。一緒にお風呂行こうよ。怪我、まだ治ってないでしょ?
>ノエっちもさ、こないだ来た時は僕、お風呂って気分じゃなかったから……今度は一緒に、どう?」
 こんなポチの声が届く。
見遣れば、ほとんど黒一色になった体毛や、額から背中へと走る一筋の銀色が目に入る。
ロボとの戦いの後、ポチの姿には多少変化が見られたのだが、
変化が見られたのはどうやら見た目だけではなかったようで、
以前のような焦燥や、仲間への壁のようなものが見えなくなり、心の余裕が窺える。
そして見えなくなったものの代わりに、心なしか仲間への親愛の情とも言えるものを覗かせてくれるようになったようだ。
 どうやらポチの誘いに応じてノエルも尾弐も一緒に仲良く温泉へ向かうらしく、
それがなんだか微笑ましくて、祈は笑ってしまう。
 祈は祈で温泉に向かい、湯に浸かった。やはり心地良く、ここ数日の疲れが吹き飛んでいくようだった。
博物館でロボと出会って以来それとなく不調であった体も、風火輪を無理に使ったことでケ枯れ気味だった妖力もすっかり回復したようで。
湯に浸かって伸びをしながら、男三人だけで仲良くしてるのもずるいし、今度温泉に入る時はシロも誘ってみようか、なんてことを考える。

79 多甫 祈 ◇MJjxToab/g:2017/10/21(土) 09:24:09
そうして続いたブリーチャーズの旅行の後半戦だったが、ついに東京へと帰る日が訪れた。
 それを迷い家の玄関で見送るのは、シロとぬらりひょん富嶽、女将の笑と従業員の一本ダタラであった。
>「シロのことは、儂らに任せておけ。ここなら人間の目は届かん、徐々に新しい環境に慣れることもできるぢゃろう」
 富嶽は見送りに立ち、そう請け負って、
>「……その言葉、信じるからね、お爺ちゃん」
 ポチがそれに応じた。
 シロはそこでようやく、シロという名が己の物であることに気付いたようで。
>「シロ……。皓。それが、わたしの名前ですか」
>「……わたしには、その名がいい名なのか。悪い名なのか。それはわかりませんが――」
>「誰かに名を呼ばれる。というのは、よいものですね」
 そんな風に呟く。その呟きに何か言いたいことがあるようにそわそわしているポチだったが、
結局口を開くことはできず、
>「皓はね、雪のように穢れなく輝く白って意味なんだ。とってもいい名前だよ!」
 と、ポチより先にノエルから、その名前についての説明が入ってしまった。
 へぇ、そういう意味なんだと祈は勉強した気になる。
博識なのは何百年と雪の女王の元でその資質を磨いた乃恵瑠の人格が統合されてる故だろうか。
咄嗟にこのような説明ができるのは流石である。。
>「……そうだな。キレェな名前が有って、それを呼んでくれる相手が居るってのは幸せだ。
>自分が今そこに居る事を認めて貰えるって事だからな」
 尾弐もシロに同意し、今シロが感じている幸せを改めて言葉にして伝えてやるのだった。
>「また、いつでも遊びにいらしてくださいね。従業員一同、心よりお待ち致しております」
 穏やかな笑みを浮かべ、心地良く送り出してくれる女将の笑。
笑はいつもにこやかで綺麗で、優しい人だった。
>「ああ、次は金払って普通に来るぜ。宿代代わりの労働は真っ平ごめんだからな」
「元気でね、笑さん。……あたしびんぼーだから多分もう来れないと思うけど。
ぬらりひょんのじっちゃんも、一本ダタラさんも元気でね」
 尾弐に続き、祈も別れの挨拶を交わす。
>「こちらの依頼をこなしたのをいいことに、思う存分飲み食いしおって。ほれ、さっさと東京へ帰れ。もうお主らに用はないわい」
 笑とは反対に苦い顔で、嫌味めいた言葉で送り出す富嶽。
祈の様々な質問にも答えることなく、のらりくらりと躱しきったぬらりひょん富嶽。
まったくもって食えない妖怪であったが、どこか憎めないお爺さんだったと祈は思う。
 無口で働き者な一本ダタラや、従業員の妖怪達。
趣のある旅館、木陰の涼しさ、温泉の熱。おいしいコーヒー牛乳。たまらないご馳走の数々。
その全てと……そして仲間になったばかりのシロとまでも今日でさよならだなんて。
そんな風に祈が少ししんみりした気持ちになっていると、シロが耳をぴくっと耳を振るわせて、口を開く。

80 多甫 祈 ◇MJjxToab/g:2017/10/21(土) 09:24:35
>「……東京ブリーチャーズの皆さん。今回のことは、お礼のしようもありません」
>「あなたがたはわたしを救い、そして狼族そのものを救ってくれました。どれだけの感謝をしようと、到底足りるものではありません」
>「もし、わたしに出来ることがあるのなら――いつでも仰ってください。どこへなりとも馳せ参じましょう」
>「それが。仲間の温情に応える、わたしの新しい誇り……ですから」
 シロはブリーチャーズを、己の仲間達を誇らしげに見渡した。
仲間から一人離れてしまう側のシロがそう言ってくれたことで、
祈の中にある寂しい気分も消えていく気がした。
>「いやあ、そんな大層な! ……シロちゃん?」
 シロの言葉に謙遜して見せるノエルだが、そのシロはまだ個人的に伝えたい言葉があったようで、
ポチに寄り添うと、無理をしてはならないだとか、捨て鉢な戦いをしてはならないだとか、
もう一人の体ではないのだとか、約束しなさいだとか。なんだか心配性な母親のようなことを言って、ポチを狼狽させた。
そしてポチに約束させると、
>「……それに。東京漂白が成った暁には、あなたには是非発奮して頂かなくてはなりません」
>「たった二頭のニホンオオカミを、これから。あなたとわたしで、もっと増やしていかなければならないのですから。……ね」
 こんなことを言うのだった。
>「ちょっとシロちゃん、大胆過ぎるよ! 意味分かって言ってる!?」
>「……へっ?え、えっ?ちょ、ちょっと待って」
>「僕、まだ君に何もそういう事言ってないし……あ、いや、嫌な訳じゃないんだよ。
>ただそういうのって、僕の方からちゃんと……」
 ノエルもポチもシロの言葉に慌てふためくが、そんな二人を見てもシロは動じることなく、
>「――ご武運を」
 と言って、ポチの顔をぺろっと舐めた。狼なりのキス、と言った所だろうか。
>「う……うん、ええと……が、がんばってきます……」
 想い狼からのキス。それにはポチもへたりこんでしまい、もはや頷くことしかできない様子だった。
離れていくシロを見送りながら、
>「……もしかしてロボも、こんな感じだったりしたのかなぁ」
 呆然と呟くポチ。
>「くっくっ……こりゃあ、何が何でも生きて幸せになんねぇとな。頑張れよポチ。同じ男として応援するぜ?」
 それを見て、尾弐が楽しそうに言う。
>「シロちゃん、必ずポチ君を無事に君の元に帰すからさ……ちょっとの間、借りるね!」
 またしてもうっかり約束を、今度はシロとしてしまうノエル。
その横で祈は小首を傾げながら、「ねぇ御幸、発奮しなきゃならないってなに?」とか言っていた。
 こうして、祈の夏休みは終わっていった。
 祈は再び学校へ通うことになり、そこでモノとしばらく振りに顔を合わせた祈は、お土産のストラップを彼女に手渡した。
最初は散々憎まれ口を叩いたモノであったが、ツンデレっぽい台詞と共になんやかんや受け取ってくれた。
 目玉のオ○ジよろしく、気持ちよさそうにお椀の湯に浸かる鎌鼬のマスコット。
モノとお揃いのそれは、祈が持つ橘音から仕事用にと渡されたスマホのストラップホールに取り付けられて、以来ずっと一緒だ。
モノの方でもどうやら意外にも大切に持ってくれているようであり、
祈はなんだが、友達ができたようで少し嬉しくなったりしたのだった。

81那須野橘音 ◇TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 09:25:19
おや、弥助の女房が珍しく鉄漿(かね)をつけてるぞ。めかし込みやがって。

新兵衛がとこの女房は髪なんて梳いてやがる。普段はいつ髪結に行ったかもわからないほつれ髪のくせに。

ふふん。村に何かあるんだな。

なんだろう、秋祭かな。祭なら、太鼓や笛の音がしそうなものだ。それに第一、お宮にのぼりが立つはずだけど……。

あいつの家にも、いつになく人が出入りしてるな。……いや、違う。あいつの家にみんなが集まってるんだ。

あれは――

82那須野橘音 ◇TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 09:25:44
あれは。葬式だ。

あいつの家の、誰が死んだんだ?けれどもあいつの家に住んでるやつなんて言ったら……。

……葬列が出ていく。あいつめ、手向けのつもりか白装束なんて着やがって。

いつもは、真っ赤な唐芋みたいな顔してやがるってのに。今日は、しなびた茄子みたいに元気がないや。

…………

…………

……そうか。

あいつのおっ母が死んだのか。そういや、あいつのおっ母……具合がよくなくて、ずっと床に就いていたもんなあ。

ああ……。

あいつが普段は獲ろうとしないうなぎなんかを、ずぶ濡れになって獲っていた理由がわかったぞ。

きっと、床に就いていたおっ母が、あいつにうなぎが啖いたいと言ったんだ。

この世の名残に、いいもんを啖いたいって……。それで、あいつがはりきり網を持ち出したんだ。

ところがボクがいたずらをして、せっかく獲れたうなぎを盗って来てしまった。

だから、あいつはおっ母にうなぎを食べさせることができなかった。そのままおっ母は死んじゃったに違いない。

ああ、うなぎが食べたい、うなぎが食べたいと思いながら、死んだんだろう。

ボクのせいで。

…………

…………

……あんないたずら、しなけりゃよかった。

83那須野橘音 ◇TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 09:27:19
あいつが、井戸端で麦をといでいる。

ボクと一緒で、ひとりぼっちのあいつ。

……いや、ボクはひとりぼっちじゃない。ボクにはともだちがいる。いつかの冬、山の中で出会ったあの子。

ボクのことを呼んでくれる。ボクを撫でてくれ、ボクに笑ってくれ、ボクと一緒に眠ってくれるあの子。

でも、あいつにはもう誰もいない。おっ母も兄弟も、女房も子供も。ともだちも。

…………

…………

84那須野橘音 ◇TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 09:28:17
いわし売りが弥助の家のそばにいる。

弥助の女房に呼び止められて、いわし売りはいわしを載せた大八車を道端に放り出して、弥助の家に入っていった。

……ちょうどいい。

このいわしを五、六尾も失敬しちまおう。そして、あいつの家に投げ入れてやれ。

うなぎのお詫びってんじゃないけれど、おっ母の分まであいつがうまいものを啖えれば、ボクのいたずらも帳消しになるかもしれない。

いわしなんて大したもんじゃあないが、あいつが日頃啖ってる味気ない粟飯に一品増えりゃ、上等だろう。

きっとあいつも喜ぶはずさ。ああ、いいことしたなあ。なんて気分がいいんだろう!

…………

…………

…………

…………

えへへ。今日は、どっさり栗を拾ってきてやったぞ。あいつ、きっとまた喜ぶな。

あれ?あいつ、なんであんな怪我しているんだろう。ほっぺたに青あざをこしらえたまんま、なんだかぶつぶつ言っているぞ。

……いわし屋に盗人と間違えられて、ぶん殴られただって……?ボクが、あのときいわし屋からいわしを盗んだから……?

また、迷惑かけちゃったみたいだ。

で、でも。でもでも。

この栗は、盗んできたものじゃない。ボクが山へ行って、あの子と一緒に拾ってきたものだ。

だから。

……食べてくれると、嬉しいな。

85那須野橘音 ◇TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 09:29:06
「ムジナさんから報告書が届きました」

秋も深まった、11月のある日。自らの探偵事務所にいつものメンバーを集めると、橘音は開口一番そう切り出した。

「だいぶ危ない橋を渡って頂いていたようです。ムジナさんに感謝を――それで、報告の内容なのですが」
「妖怪大統領の正体を突き止めた……とのことです」

一気に東京ドミネーターズの首魁である妖怪大統領の秘密に迫った、というのだ。これが本当なら大スクープである。
機能性一辺倒の味気ない所長用事務机の傍らに立つと、橘音は右手に持った数枚のレポートをヒラヒラと振ってみせた。

「妖怪大統領の正体。それは――」
「バックベアード。かつてアメリカに出現し、大破壊をもたらしたと言われる存在です」

バックベアード。
アメリカ出身の妖怪と言われる存在で、書籍によっては西洋妖怪のボスとするものもある。光化学スモッグの化身とも言われる。
巨大な単眼を持ち、そこから生物を幻惑したり、破壊したり、盲目にするといった各種の瞳術、光線を放つという。

「少し前の妖怪ブームなどで、バックベアードもある一定の知名度を持つようになりました。が――」
「正直なところ、バックベアードという存在が何者なのかについては、まったくと言っていいほどわかりません」
「文献に記されている通りの姿なのか。妖術も目から発するものなのか。そして何より、何が弱点なのか……」
「『何もわからない』のです。何故なら、これも。人間が『そうあれかし』と望んだから」
「『バックベアードは正体不明』と、人類が定義したからです」

そのトレードマークである巨大な一つ目が弱点である、という説はあるが、文献(やアニメなど)では倒してもすぐに復活している。
何より、あの強大な力を持っていた東京ドミネーターズのクリスやロボが恐れ、服従を誓っていた相手だ。
当然、東京ブリーチャーズが今まで戦ってきたどんな妖壊とも比較にならないほど強い、と思うべきだろう。

「……まあ、ぶっちゃけた話、判明したのは妖怪大統領の正体だけ!倒し方だとかは依然わからないまま!ということです」
「でも、大きな前進と言えるでしょう。『何もワカランということがわかった』というだけでも、ね」

わからないことに無理矢理リソースを割く必要はない。
つまり、こちらは従来通り東京ドミネーターズの来襲に対処し、ひとりずつ幹部を倒していけばよいということだ。
妖壊大統領に関しては、今後もムジナに情報収集してもらえばいい。

狼王ロボとの決戦の後、東京ドミネーターズの幹部が直接(祈以外の)ブリーチャーズの面々と顔を合わせることはなくなった。
もっとも、だからといって何もなく平和であったということではない。
この数ヶ月の間に、ブリーチャーズはドミネーターズが差し向けてきたと思しき妖壊の何体かを撃破している。
とはいえ、さすがにクリスやロボほどの強さを持つ者はいない。ドミネーターズも人材不足、ということだろうか。
現状、東京ブリーチャーズと東京ドミネーターズの戦いは膠着状態にあると言ってよかった。

「彼らがボクたちの前に姿を現さないこと、それは彼らがボクらに尻尾を掴ませず、秘密裏に行動しているということ」
「それは由々しき問題です。こちらも懸命に彼らの足取りを追っているのですが……よい結果は得られていません」
「クリスとロボは妖怪大統領の配下ではありましたが、妖怪大統領の計画より自分たちの目的を優先させた――」
「だからこそ、こちらも対処をすることができましたが、これからはそうはいきません」
「クリスとロボが前哨戦……とは言いませんが、ここからが西洋妖怪との戦いの本番と言っても過言ではないでしょう」
「次に彼らが姿を見せるときが、大きく状況の動くとき。それをくれぐれも忘れず、皆さん戦いに備えていてください」

珍しく茶化したりおどけたりすることなく、橘音はそう言って全員に注意を促した。
それだけ、これからの戦いは激しいものになるだろうということだ。
もっとも、今までだって決して安楽な戦いをしてきたわけではないが――いずれにせよ、油断はするなということだろう。
……が。

「……ま、だからと言って、あんまり気を張り詰めていても疲れるだけです。ゆる〜く行きましょう、ゆる〜く」
「大切なのは柔軟性です。どんな状況に対しても臨機応変に対処できるようにってことです」
「じゃっ!辛気臭いお話はここまでにして、お茶の時間にしましょう!笑さんがお饅頭を送ってくださったんですよ!」

祈にお茶を淹れるように言うと、橘音はひと仕事終えたとばかりに所長用の椅子へぼすんと腰掛けた。

86那須野橘音 ◇TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 09:30:01
「祈、一緒に給食を食べましょう」

午前の授業が終わり、給食の時間を告げるベルが鳴る。
学校でも一番楽しみな時間の到来だ。
モノがさも当然といった様子で向かい合わせに机を移動させてくる。
祈の中学校に転入し、不戦協定を結んでからというもの、レディベア――モノはその約束を忠実に守っている。
東京ドミネーターズや東京制圧計画のことに関しては、一言も口にしない。クリスとロボが敗死した際も、モノは何も言わなかった。
それこそ、この少女は妖怪大統領の名代レディベアではなく、ただのモノ・ベアードなのではないかという錯覚を起こすほど。
モノは祈に懐き、何かグループ単位で行動する必要がある際はたいてい祈とペアを組みたがった。
お蔭でこの数ヶ月、クラスの中で祈とモノはすっかりニコイチと認識されている。
そんなこんなで、今日も。ふたりで給食を食べようとしているのだが――。

「……祈。食べながらでよいですから、わたくしの話をお聞きなさい」

パンを小さくちぎって口に運びながら、不意にモノが言う。
いつもは日常のどうでもいい話題を明るい調子でまくしたてるのだが、今日に限ってはやけに神妙な表情をし、声を潜めている。
隻眼で祈をじっと見据えると、モノは僅かな逡巡の後、

「今夜。貴方がた東京ブリーチャーズを潰しに行きます」

と言った。

「今までのような、虚弱貧弱無知無能の雑魚妖壊をけしかけるのではありません。わたくしが直接出向きます」
「フィールドは、怪人65535面相が用意致しますわ。気が付けば、貴方たちはもうあの者の結界の中に陥っているでしょう」
「その結界の中に蠢くのは、あの者の用意したおぞましき妖異。まったく、どこからあんなものを見つけてくるのやら」

おかずのミートローフをフォークで切り分けながら、モノはふる、と一度身を震わせた。
今回カンスト仮面が用意した敵というのは、妖怪であるモノをして怖気を揮うような存在であるらしい。
それをモノ、レディベア自身が指揮して東京ブリーチャーズにぶつける。それはつまり、橘音の言っていた状況の大きく動くとき。
しかし。

「まあでも、心配はいりませんわ。少なくとも貴方の安全はわたくしが保障致しましょう」

モノはにっこり笑うと、不意にそんなことを言ってきた。

「今夜、わたくしはひとり供を連れてきますが――」
「その者に、貴方のことも守るように申し伝えておきましたから」

妙なことを言い始めた。

「わたくしひとりでは危ないというのでお父さまが用意した護衛なのですが、頼りになる者なのです」
「敵対すれば死あるのみ――そんな者ですが、味方となればあれほど心強い存在もおりません。……尤も、少々変わり者なのですが」
「とにかく、貴方は大船に乗ったつもりでいなさいな。それも、クイーン・エリザベス級の大船に……ね」

そう言うモノの眼差しからは、祈への純粋な好意がほの見える。
罠に嵌めるとか、真意の見えない言葉で惑わせるといったことではなく、正真祈のためを思って言っているのだろう。

「本来、ここでこのようなことを言うのは協定違反。罰されて然るべきことであるのかもしれません」
「それでも。ここだからこそ言うのです、ここでは貴方とわたくしは敵同士……では、ありませんから」
「ふ、ふん。別に、情にほだされたわけではなくてよ?貴方がいないと、人間社会の案内役がいなくなる。ただそれだけですわ!」

そう言って、モノはちぎったパンを優雅な手つきで口に運んだ。
そんな遣り取りを行いつつ、時間は過ぎてゆく。
そして――


夜が訪れる。

87那須野橘音 ◇TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 09:30:25
ガタンゴトンと揺れる車内で、東京ブリーチャーズは目を覚ました。
周囲を見回せば、自分が電車の中にいることがわかるだろう。よくある在来線の、壁際に長いシートが据え付けられている車両だ。
一見新品に見える車両には中吊り広告の類はなく、代わりに壁や天井、床にところどころどす黒い染みがある。
出入り口の自動ドアの上に設置された液晶モニターも、黒いままだ。
が、異常なのはそんな車両の様子ではない。

『なぜ、自分たちはここにいるのか』ということだ。

東京ブリーチャーズの面々は、確かに自分の居室で。塒で。各々眠りについたはずである。電車に乗った覚えなどない。
だというのに、自分は今、確実に電車に乗っている。
ノエルなら自分の知らないうちに電車に乗っていたという夢遊病チックな可能性もあるかもしれない(?)が、他の者は違う。
第一、ポチは電車に乗れない。だというのにノエル、祈、尾弐、ポチ、橘音の五人は紛れもなく電車の中にいた。

「……ん……、うぅ……ん……ムニャムニャ……。えへへ、もうそんなにきつねうどんは食べられませんよお……」

シートにほとんど横倒しになり、テンプレな寝言を言いながら橘音がいまだに眠りを貪っている。
だいぶぐっすり眠っているらしく、どれだけ揺すっても起きない。
そんな中で電車はガタン、ゴトン、と規則正しい線路の音を響かせ、わずかに揺れながら、どんどん進んでゆく。
窓はあるが、外の様子は見えない。まるで暗幕が張り付いているかのように、無窮の闇が景色を覆い隠している。
と。

《次は〜活け造り〜 活け造り〜》

車内アナウンスが聞こえた。――活け造り、とは駅の名前だろうか。
だが、普段は都民として生活しているブリーチャーズには、都内にそんな名前の駅などないということは容易にわかるであろう。
アナウンスが流れても電車が駅に到着する気配はまるでなかったが、不意に車内にひとつ変化が起こった。
自動ドアの上方に設置されている液晶画面がパッとついたのだ。
普通、ドア上の液晶には天気予報だとか、コマーシャルだとか、電車の遅延情報などが表示される。
が、ブリーチャーズの面々の前で起動したそれに映し出されたのは、単なるお役立ち情報ではなかった。

『ぎゃああああああああああああああ!!!!』

液晶モニターの横に埋設されたスピーカーから、大音量で絶叫が迸る。
映し出されたのは、酸鼻を極める殺戮の様子だった。
ブリーチャーズの面々の乗っている車両とよく似た、いや同じ内装の車両の中に、男がひとりいる。
その男の周りには、四匹の小さな猿が群がっている。身長は50センチもなく、みなお揃いの緑色の上着に制帽をかぶっている。
いわゆる駅員の格好だが、その猿たちが持っているのは切符を確認するための機械でも、警笛でもなかった。
刃物を持っている。
四匹の猿たちは男に群がり、出刃包丁のような刃物で男を切り刻んでいるのだった。

『ひぃぃぃぃ!!!助けてっ!!!たすけ……たす、たすけ……――』

男の懇願もむなしく、猿たちは歯茎を剥き出しにし癇高い鳴き声をあげながら男を解体してゆく。
腹を割き、臓腑を取り出し、散々オモチャのように弄ぶ。
男はまさに魚の『活け造り』のように臓腑を抉られ、腹の中をからっぽにして息絶えた。
それと同時に、ブツン……と液晶モニターの映像が暗転する。
終わり、ということらしかった。

88那須野橘音 ◇TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 09:30:49
《次は〜えぐり出し〜 えぐり出し〜》

活け造りが終わって、十分程度も経っただろうか。
また、車内アナウンスが響く。
今度は『えぐり出し』。もちろん、そんな名前の駅などないというのはわかりきっている。
再び、ドア上方の液晶モニターが点灯する。そこもやはり電車の中で、髪の長い女性が呆然と立ち尽くしている。
と、そこへ後方車両の連結ドアが開き、先程と同じ格好をした二匹の猿が入ってきた。

『ひ……ひぃぃ!!いやっ、こないで……こないでぇぇぇぇ!!!』

女性は悲鳴を上げたが、猿たちが止まることはない。耳触りな鳴き声と共に女性へと殺到する。
先程、猿たちは包丁のような刃物を持っていた。女性も先程の男性のように、切り刻まれてしまうのか。
……しかし、猿が今回持っていたのは刃物ではなかった。
銀色に輝く、一見するとスプーンのような器具。――だが、スプーンではない。
ノエルならば、その器具が何であるかわかることだろう。

それは、アイスクリームディッシャー。アイスクリームの塊から、球状にそれをくり抜くための道具。

『やっ……、やめっ……やめて……いや、いやぁぁぁ……!やめ、やっ、やめやめやめ……いぎゃあああああああ!!!』

女性もその器具に気付いたらしい。にじり寄る猿たちに怯えて後ずさりしたが、猿たちは止まらない。
一匹の猿が身体にまとわりつき、女性を転ばせる。どっとうつ伏せに倒れ込んだ女性の髪を掴んで顔を上げさせ、二匹目の猿が嗤う。
二匹目の猿が、恐怖に大きく見開かれた女性の眼窩にアイスクリームディッシャーを突っ込んで――。

……ブツン。

映像は、そこで途切れた。

電車は相変わらず一定の速度を保って走り続けており、停車する気配はない。
自動ドアも、そして窓も開かない。尾弐の怪力で殴りつけたとしても、窓ガラスはびくともしないだろう。
連結部のスライドドアも同様に動かず、別の車両に移動することも叶わない。
それは、東京ブリーチャーズの面々が車両の中に閉じ込められてしまった、ということを意味していた。

《次は〜挽肉〜 挽肉〜》

十分後、またアナウンスが流れる。ブラックアウトしていたモニターが点灯し、電車内の様子が映し出される。
ショートカットの二十代くらいの女性が、恐怖に引き攣った表情で一匹の猿と対峙している。
今度の猿はなにやらハンドルのついた器具を持っている。ミートグラインダー(挽肉製造機)だ。
その不吉極まる器具で、女性をミンチにしてしまおうというのだろうか。
先程までは、ブリーチャーズはそれを見ていることしか出来なかった。――が、今回は状況が些か異なる。

その光景は、隣の車両で繰り広げられていた。

『いやあああああああああああ!!!』

女性が悲鳴を上げ、猿に背を向けて逃げ出す。自分の今いる車両から、前方車両へ――
東京ブリーチャーズの面々のいる車両へ。

「た、助けてっ!助けてください!猿っ、猿が……!」

それまで開かなかった車両連結部のスライドドアが開き、女性が転がるように車両へ入ってくる。
女性はほとんど倒れ込む形でノエルに縋りつくと、

「お願いです、助けて……!たっ、助けてください……!」

と、息も絶え絶えに懇願してきた。

89那須野橘音 ◇TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 09:31:15
ノエルに縋りつく女性の背後で、カララ……と音を立てて車両連結部のスライドドアが開く。
そこから現れたのは、短躯にグリーン色の上着を着て制帽をかぶった、駅員姿の猿。
しかしその顔は本物の猿には程遠く、シンバルを叩く猿のおもちゃをグロテスクにしたような醜貌をしている。
両手で抱えるようにミートグラインダーを持った猿は、扉を背にしばし東京ブリーチャーズを観察するように眺めた。

「ひっ……」

女性が猿を見て引き攣った悲鳴を上げ、ノエルに一層強くしがみつく。
東京ブリーチャーズの面々が猿から女性を守ろうとするそぶりを見せると、猿はブリーチャーズを敵と認識したのか、

「ウッキャ――――――――――ッ!!!」

血走った眼をこれ以上ないほど丸く見開き、歯茎を剥き出しにすると、鉄製のミートグラインダーを振り上げて襲い掛かってきた。
猿は動きが素早く、床だけでなく壁や天井までも利用して電車内を縦横無尽に跳ね回る。身体が小さいぶん打撃も当てづらい。
攻撃方法は鈍器として使ってくるミートグラインダーの一撃と、爪によるひっかき。歯を使った噛みつき。
ただの人間からすれば、この猿はまさしく脅威と言えるだろう。
電車内はそう広くはなく、長い得物を振り回すにはスペースが足りないし、派手な立ち回りもしづらい。
また、たまに車両が揺れるため、足場も安定しない。
……とはいえ、東京ブリーチャーズは今までもっと不利な状況下で凶悪な妖壊たちと戦ってきている。
この程度の相手なら、せいぜいが『チョコマカ動き回って面倒くさい相手』と感じるくらいであろうか。

猿はあくまで物理攻撃に終始するのみで、妖術などを使ってくる気配はない。
壁を走る、天井の中吊り広告用のバーにぶら下がる等、猿は散々ブリーチャーズを手こずらせるも、攻撃を受けると後方へ飛び退いた。

「ウキキキッ……キキッ……!」

猿の背後のスライドドアが音もなく開く。目と歯を剥き、威嚇めいた声をあげながら、猿は元来た後方車両へと消えた。
あの猿はいったい何なのか。そして、この電車は。自分たちの置かれている状況は。
……と、そんなとき。
猿が退却した場所とは反対の、前方車両側のスライドドアが開き、そこからふたりの人影が車両の中へと入ってきた。
そのうちのひとりに、ブリーチャーズの面々は見覚えがある。

「東京ブリーチャーズの皆さま!切符を拝見いたしますわ!」

猿の着ていたものとはまた違うデザインの黒い上着にタイトスカート、同色の制帽。
やはり駅員とおぼしき服装に身を包んだ、ツインテールに隻眼の少女――レディベア。
その後ろには、ワイドネックのカットソーにグレーのパーカーを羽織り、ジーンズを穿いた二十代後半くらいの青年が佇んでいる。
一見細身だが、揺れる車内において微動もしていない辺り体幹がしっかりしているのだろう。
短い金色の癖毛に澄んだ碧眼の整った顔立ちは、中性〜女性寄りなノエルとはまた違った男性的な美しさがある。
つまりイケメンだ。街を歩けば、モデルか芸能人かとさぞかし人目を引くことだろう。
そんな、東京ブリーチャーズの面々にとっては初見となる青年を従え、レディベアが高らかに告げる。

「夢の世界へようこそ!そう……ここは夢の中。現実世界の貴方たちは今、睡眠状態にあるのですわ」

軽く右手をブリーチャーズへと伸ばし、隻眼を細める。

「夢の中では、誰もが無防備になるもの。どんな強者であろうと、夢の結果には抗えない。従うしかない」
「その果てにあるものが、死……だったとしても」

大きく裂けた口許からギザギザの歯を覗かせ、レディベアは昏く嗤った。

「この夢から覚めるには、死ぬしかないのですわ。夢の結末は絶対的死。それしかないのです」
「それがこの世界のルール。この『猿夢』のね……うふふふ、あっはははははは……!」

ガタンゴトンと揺れる列車の中で、レディベアの笑い声がいやに反響する。
ひとたび乗り込んでしまったが最後、死体となる以外に下車する方法はない。
夢の中で臓腑を掻き出され、目玉をくり抜かれ、挽肉になって死を迎え。それが現実世界にも反映される――


それが『猿夢』。

90那須野橘音 ◇TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 09:31:38
「さあ、東京ブリーチャーズの皆さま。この夢の中で、どう無様な抵抗を見せて下さるのか……楽しみにしておりますわ?」
「わたくしたちはその姿を、隣の車両からじっくり楽しませて頂きますから!では――」

「……ちょっと待った、レディ!」

思うさま挑発をして前方車両へ去ろうとしたレディベアを、不意に青年が制する。
レディベアは胡乱に青年を見た。

「なんですの?」

「まだ、わたしの挨拶が終わってないよ?」

「は?何を言っているのです、もう話すことなど何も――」

「いいから、いいから!折角こうして会えたんだ、自己紹介くらいさせてほしい!やあやあ、諸君!はじめまして!」

「ちょ、ロ――」

レディベアの制止も聞かず、青年はにこやかに笑うと両手を広げ、無造作にブリーチャーズたちへと歩み寄ってきた。
そして五人(一人は寝ている)を順番に見遣り、まず最初に祈へと手を伸ばす。

「いや〜、キミがイノリちゃんか!よろしく!故あって今は名を名乗れないんだけれど……」
「そうだなぁ。わたしのことは謎のイケメン騎士Rとでも呼んでくれると嬉しいな!はっはっは!」

青年、改め自称イケメン騎士Rが祈の右手を取り、ねんごろに上下に振って握手する。
ノリが軽い。とても東京制圧――ひいては世界征服を企む妖壊集団のメンバーとは思えない。
Rは祈へと一歩距離を詰めると、他の者に聞こえないようそっと耳打ちした。

「……レディから話は聞いてるよ。レディの初めてのともだちになってくれて、ありがとう」
「もうね……最近のレディときたら、口を開けばほとんどキミの話ばかりで。よっぽど気に入ったんだと思うよ、うん」
「これからも、レディのいい友人でいてくれると嬉しい。彼女、ああ見えて寂しがり屋だから」

そう言って、ぱちりと茶目っ気たっぷりにウインクする。
次にRはノエルに向き直ると、同じように握手をしようとした。

「やあ――次期雪の女王陛下!クリスの妹ちゃん?それとも弟くん?どっちで呼べばいいかな?」
「クリスのことは……本当に惜しい女性を亡くした。心から、お悔やみを申し上げるよ」

Rは胸元に左手を添え、一瞬悼む表情を見せたが、すぐにまた笑顔を向ける。

「彼女はずっとキミのことを案じていたよ。でも……立派に成長したキミを見れば、きっと安心するだろうね」
「彼女とはもっと仲良くなりたかったんだけどねえ、主にベッドの中で!ほら……彼女、すごく魅力的な身体をしてただろう?」
「まっ、彼女はわたしなんて眼中になかったみたいで。まったく見向きもされなかったんだけど!ははは!」

あっけらかんと笑う。どうも青年なりのジョークらしい。
それから、Rはポチの方を見ると、その傍に跪いた。

「はじめまして、新しい狼王殿。あのロボがまさか、自分以外の誰かを認めて後を託すとは……俄かには信じられなかったけれど」
「ここへきて、その疑問も氷解したよ。なるほど、キミからは強い意志の力を感じる。彼が認めるのもうべなるかな、だ」

右手を伸ばすと、Rはポチの頭を撫でようとする。

「彼とは仲良くできなかった。だから、わたしには彼の心のうちを理解することはできなかった」
「けれども、彼に託されたキミなら、きっと彼の遺志を継いでくれることだろう」
「……彼の魂が。キミと共に在りますように」

軽く胸の前で十字を切ると、Rは立ち上がった。

91那須野橘音 ◇TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 09:32:08
「さて」

Rが尾弐と対峙する。
その細身の佇まいからは、妖気は感じられない。見た限りでは、ただの人間以外の何者でもない。
祈やノエルにそうしたように、Rは人懐っこい笑みを浮かべると、尾弐へ右手を差し出しかけた。
が、握手を求めようとはせず、すぐに手を下ろしてしまう。

92那須野橘音 ◇TIr/ZhnrYI:2017/10/21(土) 09:33:18
「シェイクハンドはノーサンキュー、という顔をしているね。そんなに警戒しなくてもいいよ、ミスター」
「少なくとも、わたしはキミたちと戦うためにここへ来たわけじゃないからね。あくまでわたしはレディの護衛だ」
「キミたちがレディに危害を加えるというのなら話は別だけれど、今回のキミたちの相手は我々じゃない……だろう?」
「まっ!わたしはギャラリーということで、背景か何かと思ってもらえると嬉しい!」

ホールドアップ!という感じで、笑いながら諸手を挙げてみせる。

「それにしても、話には聞いていたが――予想以上に面白い」
「イノリちゃんやノエル君、ポチ君は、まったくもって正義の味方。愛と勇気に満ち溢れた、キラキラ輝く魂を持っているけれど――」

尾弐の姿を見遣りながら、碧色の双眸を細める。

「ミスター。そんな色の魂を持つキミが、どうして正義の味方なんてやっているのかな?」
「キミにふさわしい居場所は、そんなキラキラした場所より。むしろ……」

そこまで言いかけると、Rはハッとして口を噤んだ。苦笑を浮かべ、一度かぶりを振る。

「いや。失言だった、許してほしい。やっとキミたちに会えた嬉しさから、ちょっぴり饒舌になってしまったみたいだ」

「いつまでお喋りしているんですの!親睦を深めるために貴方の随行を許したわけではなくってよ!?」

レディベアが叱責する。Rは軽く肩を竦めると、東京ブリーチャーズから離れてレディベアのところへ戻っていった。

「ふん。余計な時間を使ってしまいましたわ。――では、貴方たちがこの夢の世界で果たしてどれほど耐えられるか」
「せいぜい無様な足掻きでわたくしを楽しませてくださいな!アデュ……あ、あら?」

最後まで余裕の口ぶりでそう言い放つと、レディベアは前方車両へと退去しようとした――が。

ドアが開かない。

レディベアとRが東京ブリーチャーズに接触しに来た際はあれほどスムーズに開いたスライドドアが、ビクともしない。
取っ手に両手をかけ、レディベアは渾身の力を込めてドアを開こうとしたが、押しても引いてもドアは微動だにしなかった。
レディベアは狼狽した。

「ど、どうなっておりますの……!?」

すると、車両内に不気味なアナウンスが入る。

《次は〜つらぬき〜 つらぬき〜》

レディベアが開けようとしている前方車両のドアの代わりに、後続車両のスライドドアが開き、駅員姿の猿たちが入ってくる。
その数、五体。みな丸い目を血走らせ、歯を剥き出しにし、キッキッと不快な鳴き声をあげている。
猿たちはアイスピックのようなものを持っている。考えるまでもなく、それで車両の中にいる者たちを貫こうというのだろう。
そう。『この車両にいる者たちすべて』を。

「ま、まだわたくしが退避しておりませんわよ!?なんとかなさいな、R!」

「と言われても……。嵌められちゃったかな?こりゃ参った!あっはっは!」

「笑い事ではありませんわぁぁぁぁぁぁ!!!??」

想定外の事態に慌てるレディベアとは対照的に、まるで危機感というものがなく笑うR。
そんなふたりのことなどまるでお構いなしに、五匹の猿たちは一声高い叫び声をあげると、どっとブリーチャーズへと襲い掛かってきた。

93多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/10/22(日) 22:23:37
 11月のある日のこと。
ブリーチャーズの主要メンバーは橘音によって事務所に集められた。
そこで橘音は彼らにあることを話し始める。
それは品岡ムジナが突き止めたと言う『妖怪大統領』の正体についてだった。

>「妖怪大統領の正体。それは――」
>「バックベアード。かつてアメリカに出現し、大破壊をもたらしたと言われる存在です」
「バックベアード……」
 祈はその名前を、繰り返すように呟いた。倒すべき敵、『妖怪大統領』。
遂に判明したその名は、バックベアード。
 祈はスマホを取り出すと、橘音の話を聞きながらもバックベアードの情報を検索し、
その後、出てきた画像をポチに見せてやった。
オタク文化にそこそこ傾倒しているノエルは当然として、人間社会で暮らす尾弐もギリギリ知っていると思われるが、
狼犬であるポチにはテレビを見る習慣などないだろうから、ほぼ確実に知るまいと思ったのである。
「これね」
 祈がポチへ差し出したスマホ。
画面には、黒い太陽のような球状の体に大きな赤い一つ目を持った妖怪の姿が映し出されている。
スマホに取り付けられた鎌鼬のストラップが揺れた。
 バックベアード。恐らく日本でその姿を知らない人間はそう多くあるまい。
一度見たら忘れがたい、シンプルで印象的なシルエットを備えていることもあるが、
何より国民的な知名度を誇る作品において強大な敵として登場するからである。
『妖怪大統領』を名乗るのも、その作品における『西洋妖怪の総大将』という設定を色濃く受け継いでいることが窺えた。
 もしその作品がこのバックベアードの原典であるとするなら、日本人が生み出してしまった妖怪ということになり、
アメリカ出身というのもどちらかと言えばそう設定されているだけということになるのだろう。
アメリカ出身の妖怪(日本産)という産地偽装的なパワーワードにはくらくらする思いだが、
アニメやネット等を通じて外国にまでその知名度が及んで共通認識が生まれ、
アメリカ人も含めた人々のそうあれかしによってアメリカのどこかで妖怪として生まれたのであれば、
れっきとしたアメリカ出身の妖怪と言えなくもないのかもしれない。
日系アメリカ人のようなものだろうかとか考え始めると、やはり混乱を禁じ得ないが。

94多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/10/22(日) 22:24:55
 閑話休題。
そのバックベアードだが、品岡がその名前や正体を掴むことにすら危ない橋を渡ったという話から察するに、
どうやら全アメリカ妖怪の選挙によって妖怪大統領になった訳ではないようであった。
もし選挙によってその座に就いたのなら、その顔や名称、能力、正体。
それらは広く知れ渡っており、その辺を歩いている妖怪でも捉まえて妖怪大統領とは何者かと聞けばすぐわかっただろう。
 だがそうではなかった。
ということは恐らく、“秘密裏に”妖怪大統領に就任したのだと考えられた。
秘密裏に妖怪大統領になるなど可能であろうか、という疑問もあるが、恐らく可能なのであろう。
“アメリカ妖怪のトップ達が彼を大統領として認めること”で。
 日本妖怪でも橘音の上司に御前なる人物がいるように、
妖怪はその種族ごとに派閥やら組織を持ち、トップの者達がいる様子である。
同様にアメリカでも妖怪に派閥や組織があるのであれば、その上層部がバックベアードこそ妖怪大統領だと認めてしまえば、
バックベアードの存在が妖怪大統領として広く知られていなくても、
問題なく実権を握り、妖怪大統領として影から妖怪達の世界を動かすことができるのである。
必然、上層部しかその情報を持ちえないので、それを探るには彼らに接触したり尾行するなど危ない橋を渡る必要も出てくる、ということだ。
 広大な土地を持ち、様々な人種を受け入れている故に伝承も多く、
強力な妖怪も犇めいているであろうアメリカという大国で、トップの妖怪達に己を認めさせたバックベアード。
その強さはどれ程のものであろう。どのような手段で己を認めさせたのだろう。
先に橘音が述べた大破壊とやらがその手段だったのか。それとも瞳術で操ったのか。
なんであれ、恐るべき敵であることは確かだった。

 その後、橘音からはその名前以外には特に何も掴めていない事や、
次にドミネーターズが動くときこそ大局が動くときである、というようなことを伝えられた。
 迷い家の笑から饅頭が届いたからお茶を淹れて欲しいと言われたので、
祈はキッチンスペースでやかんに水を汲み、コンロで湯を沸かす。
火力を最大にすると、青い炎がごうと揺れた。
 茶葉の用意をしながら、祈は考える。
バックベアードがいるのであれば、“それ”もいるのであろうか、ということを。
 妖怪としての知名度としては申し分なく、人類の敵がいるのであれば人類の味方と呼べる存在がいてもおかしくはなく。
人類がそうあれかし(そうあればいい)と思えば生まれるのが妖怪なら、
人々は常に悩み苦しみ、助けを求めてきた訳であり。神や天使のような存在だっているのであれば。
――ちゃんちゃんこを付けたあの少年も、この世界のどこかにいるのだろうか。
 皆に緑茶を出しながら、妖怪ポストを探したら今度投函でもしてみようか、などと考えている祈である。

95多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/10/22(日) 22:31:29
 午前の授業を受け終わった祈は、授業の終了を告げるベルが鳴る中、
ちらりと横目にモノを窺った。
教科書を綺麗に揃えて机に仕舞う、どこか品のあるモノの姿が目に入る。
『妖怪大統領』の正体を聞かされてからというもの、どうにも気になっていることがあるのだった。
(やっぱ、モノは“ベア子”なのかな……?)
 品岡の情報提供のお陰で『妖怪大統領』の正体がバックベアードであると判明した訳であるが、
そうなってくると自然、バックベアードを父と呼ぶレディ・ベアが何者であるかも芋づる式に判明してくることになる。
名前とその特徴的な容姿などからもしかしたらと前々から思っていたことであるが、
それは品岡の情報提供により祈は確信に近いものに変わった。
モノ・ベアード。いや、レディ・ベアの正体。
それがバックベアードの娘として描かれたベア子という――妖怪キャラクターであると。
実際にバックベアードとの血の繋がりがあるのかどうかなど不明な点は多いものの、
別の妖怪がそのように振る舞っているのでないなら、きっとそうなのではと祈は考える。
 モノは立ち上がると、祈へ向き直り、こう言った。
>「祈、一緒に給食を食べましょう」
 そして、言いながら机を寄せてくる。
「え、あ、うん。オッケー。なんだっけ? 今日の給食」
 人の秘密を勝手に暴いてしまったようでなんとなくバツが悪くなりながら、
つらつら考えていた思考を打ち切り、祈もそれに応じて机を寄せた。
 以前ならばモノの一挙手一投足にも警戒していた祈だが、
今ではすっかりモノと行動することに慣れ、警戒を解いている。
少し前までは不良として認識されている故かクラスメイトからは近寄りがたく思われ、
グループワークや体育の授業などでは常に余っていた祈だが、
モノが積極的に祈を誘ってくれるので余らずに済むようになった。
また、見目麗しく人気のある転校生であるモノが祈の側にいることで、
クラスメイトや先生の祈への対応や評価も良い方向へ変わりつつあり、声を掛けてくれる者も増えた。
学校は前よりも楽しくなってありがたいばかりであるが、モノとの語らい自体も祈は楽しいと感じていた。
存外気が合うようで、校内ではほとんど一緒に過ごしている。
まるで本物の親友のように、ニコイチ(二娘一)のモノと祈。
敵同士であるのにこれでいいのかと時折思うがそれはさておき。
 今日の給食のメインはミートローフであった。
ミートローフは挽き肉を塊にして焼いたり燻製にした料理であり、乱暴な言い方をするとハンバーグと似た料理である。
ハンバーグ好きな祈は、皿に載せられたそれらを見て内心ガッツポーズを決めた。
そして席に着いて手を合わせ、いただきますと言って、フォークを手に取った時のこと。
>「……祈。食べながらでよいですから、わたくしの話をお聞きなさい」
 モノが神妙な顔で、潜めた声で切り出した。
いつもは授業のことだとかテレビで見聞きしたことだとか。
そんな日常の世間話的な話題を明るく話してくるのだが、今回はどうも様子が違うようであった。
真面目な顔で祈をじっと見てくるので、祈も真面目な顔を作った。
 モノは逡巡したように一度黙ると、言う。
>「今夜。貴方がた東京ブリーチャーズを潰しに行きます」
 嗚呼、と祈は思った。楽しい時間ももう終わりなのだな、と。
祈は視線を落とす。
「……なぁ、そろそろ諦めない? 東京侵略。何が目的か知らないけど、もっと平和的にやれるんじゃねーの。
それにもうクリスやロボはいなくて、逆にあたし達は強くなってる。このまま続けても……そっちだってジリ貧の筈だろ」
 そして、フォークで雑にミートローフを分割しながら言うのだった。
 ドミネーターズは強力な妖壊を二人も失い、当初は4人いたドミネーターズも2人に減った。
対してブリーチャーズは主要メンバー5人全員が生き残り、かつノエルとポチがクリスとロボの力を受け継いでいる。
7対2になったようなものだ。いかに化生の天敵とかいうのを追加メンバーとして数え7対3となったところで、
この戦力差は覆し難い筈だ。

96多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/10/22(日) 22:33:51
 そう思い、食い下がるように停戦を求める祈だったが、モノは聞く耳を持たなかった。
それどころか今回は余程自信があるらしく、
>「今までのような、虚弱貧弱無知無能の雑魚妖壊をけしかけるのではありません。わたくしが直接出向きます」
>「フィールドは、怪人65535面相が用意致しますわ。気が付けば、貴方たちはもうあの者の結界の中に陥っているでしょう」
>「その結界の中に蠢くのは、あの者の用意したおぞましき妖異。まったく、どこからあんなものを見つけてくるのやら」
 とまで言うのだった。
 身震いするまでに強力な妖異を従えて、自ら出向くと。
大統領の名代たるモノが直接出向くと言うことは、それ程までに人員が不足しているということだろうか。
だがどうであれ、強力な妖異が前線で暴れてモノが瞳術でサポートする、
というような連携を取られれば厄介なのは確かで、激戦・苦戦は必至だろう。
 そして、戦場で出会えばもう言い訳はできない。
祈とモノは戦わざるを得ず、どちらかが倒れることになる。死に別れることさえもあり得るのだろう。
>「まあでも、心配はいりませんわ。少なくとも貴方の安全はわたくしが保障致しましょう」
>「今夜、わたくしはひとり供を連れてきますが――」
>「その者に、貴方のことも守るように申し伝えておきましたから」
 と思っていた祈だったが、モノはそんなことを言い出すのだった。
ミートローフを頬張りながら、祈は真意を探ろうとモノの目を見る。
>「わたくしひとりでは危ないというのでお父さまが用意した護衛なのですが、頼りになる者なのです」
>「敵対すれば死あるのみ――そんな者ですが、味方となればあれほど心強い存在もおりません。……尤も、少々変わり者なのですが」
>「とにかく、貴方は大船に乗ったつもりでいなさいな。それも、クイーン・エリザベス級の大船に……ね」
 その目に浮かんでいるのは好意であって、敵である祈を本当に助けてくれようとしていることが窺えた。
祈はミートローフを飲み込むと、寂しく笑んで、
「ありがと。でもいいよ。仲間が命賭けてんのに、あたしだけそういうズルはできないし」
 丁重にお断りするのだった。モノにそれを聞き届けるつもりがあるのかどうか、祈に窺い知ることはできなかったが。
「つーか、こういうのあたしにバラしちゃったり、守るとか言っちゃていいのかよ。敵同士なんだろ。あたし達」
 そして、祈は問う。
>「本来、ここでこのようなことを言うのは協定違反。罰されて然るべきことであるのかもしれません」
>「それでも。ここだからこそ言うのです、ここでは貴方とわたくしは敵同士……では、ありませんから」
>「ふ、ふん。別に、情にほだされたわけではなくてよ?貴方がいないと、人間社会の案内役がいなくなる。ただそれだけですわ!」
 するとその問いに、モノはこんな風に答える。千切ったパンを優雅に口へと運んで。
いかにもツンデレお嬢様っぽい台詞に、祈はふっと笑う。
「そうだったな……ここじゃあたしとモノはと、――敵じゃないんだったね」
 友達、という言葉を祈はかろうじて飲み込んだ。友達と言うにはあまりに歪な関係で、
これから戦わなければならない相手に言うべき言葉ではないような気がしたからだ。
 そうして、給食の時間が過ぎ、授業が終わり、夕方になり………………夜が来る。

97多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/10/22(日) 22:37:18
 がたん、ごとん。がたん、ごとん。
電車の音が聞こえていた。電車なんて家の近くを通っていないのにどうしてだろう。
祈がそう思っていると、音に合わせて体が揺さぶられていることに気付く。
次第に意識がはっきりして来る。目を開けると、どうやら電車の中にいるらしいことがわかった。
(なんだ、ここ。夢……?)
 気が付けば祈は電車の座席に腰かけて眠っていたようだった。
寝ぼけ眼を擦って辺りを見渡すと、電車の中には仲間達の姿があり、橘音などはぐーすか寝ていた。
以前の旅行で乗った新幹線を思い出してこんな夢を見ているのだろうか? と祈は思う。
それにしては、新車なのだか古いのだかよくわからない電車に乗ってしまっているようであるし、
夢にしてはかなりのリアルさがあり、もしやここは夢ではないのでは、と一時思う。
 しかし、やはり夢であろう。と祈は思い直す。
下がスパッツなのはともかくとして、もっぱら寝巻に使っている、フードに兎の耳の付いた子どもっぽいパーカーがそのままであり、
どれだけうっかりしていたとしてもこんな姿で出歩いたりはしない。
それに窓の外を見てみれば真っ暗で、風景はおろか灯りの一つも見えない。手抜きと言うほかなく、これが夢でなくて何であろう。
じゃあ寝直そうと、誰もいない座席のシートにごろんと横になり、眼を閉じる祈。

《次は〜活け造り〜 活け造り〜》

 しかし、眼を閉じていても奇妙なアナウンスが煩く流れてくる始末。
これから寝ようと言う時になんと邪魔だな、変な夢だな、などと思っていると。
『ぎゃああああああああああああああ!!!!』
 絶叫。大音量でどこからか聞こえてくるのである。
 祈は飛び起き、その音源を探した。すると自動ドアの上側に設置されている液晶モニターに取り付けられた
スピーカーからであることがわかり、祈はその画面に釘付けになる。
その画面の向こうでは、男性が駅員の制服を着た猿達に虐殺されていた。
映っている場所はこの電車内だと思われて、あまりにリアルで。
これが単なる悪夢などではないと祈は直感する。
何故かはわからないが、これは現実に起こっていることであり、
今この電車のどこかで、あの猿達によって、この拷問めいた虐殺が行われているのだと。

――『気が付けば、貴方たちはもうあの者の結界の中に陥っているでしょう』

 モノの言葉が脳裏によみがえり、思い出す。
 モノから襲撃予告を受けた祈は、それが仲間達の危機に直結することを考え、
仲間達にそのことを伝えようと思ったのだが、
しかし今は敵ではないからと、罰を受ける覚悟でそれを祈に伝えてきたモノを裏切ることもできず、板挟みになってしまった。
結局スマホを片手に、仲間達にメールを送ろうかどうか悩んでいる内に祈は寝てしまったのだった。
そして寝ている間に、祈達は妖異とやらのいる結界の中に連れ去られてしまった、ということらしい。
 しかも電車のスライドドアは前方後方問わず、祈の力では開く気配がなく、完全に閉じ込められているようだった。
窓も開かない、壊せない。
ネジの一本から外してみようと思ってびくともせず、この電車のどこかで行われている虐殺を止めることはできない。
その間にも猿達による虐殺は続いていき、画面越しに行われる酸鼻極まる光景に、祈は目を逸らさざるを得なかった。
 諦めずにドアを蹴ったり、窓を何度も叩いたり、他に開ける方法がないかと模索している内に時間が経過し、やがて、

98多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/10/22(日) 22:42:48
《次は〜挽肉〜 挽肉〜》

 人の死に様を決める不気味なアナウンスが再び流れ始めた。
先程と同じように、映像が液晶画面に映り、今度はミートグラインダーを持った猿が一匹、
女性へと向かって行くさまが見える。
>『いやあああああああああああ!!!』
 画面に映る女性が叫んで、猿に背を向けて走り出す。
すると程なくして、画面内でドアが開くような音がすると同時に、祈達がいる車両の後方のドアが開き、
先程画面に映っていた女性が飛び込んでくる。
「!」
 祈は弾かれたようにそちらに顔を向けた。女性はこちらのすぐ後ろの車両にいたようだ。
でも閉まっていた筈のドアが何故開いたのだろう、と瞬間的に疑問が湧くが、それは後だ。
>「た、助けてっ!助けてください!猿っ、猿が……!」
>「お願いです、助けて……!たっ、助けてください……!」
 飛び込んできた女性は顔面蒼白になり、そうして手近にいたノエルに縋りつきながら、
助けを求めてくるのであった。
その女性の背後でスライドドアが再びからからと開き、猿が這入ってくる。
>「ひっ」
 緑色の制服、駅員姿の猿を見て、短い悲鳴を漏らす女性。
その女性とブリーチャーズを観察するように暫し眺めていた猿であったが、
祈が猿に近づいていき、
「おい。ボコボコにされたくなかったら武器降ろせ」
 と睨んでみせると、
>「ウッキャ――――――――――ッ!!!」
 目を見開き、歯を剥き出しにし、飛びかかってくるのだった。
祈に向けて振り下ろされたミートグラインダーを祈は腕で払い、攻撃の方向を斜めに反らした。
ミートグラインダーを床に叩きつけることになってよろめく猿だったが、すぐに体勢を立て直して飛び退いた。
そして壁や天井、つり革などを利用して縦横無尽に、ブリーチャーズを撹乱するように動き回る。
それを時には振り返りながら目で追う祈。
 揺れる車両の中では猿に分があり、常人であればそれを目で追うのも一苦労であろうし、
戸惑ったことだろう。しかし。
「忠告はしたからな」
 祈の背後に回った猿が再び祈に飛びかかってきたところで、
祈は振り返りざまにカウンターの拳を猿の顔面に叩き込んだ。
時速140キロ以上の世界で生きる祈は動体視力もそれなりのものを持っており、
また、もっと強力な妖怪達との戦いを潜り抜けてきたのだ。
確かにこの身動きのとりづらい車内を縦横無尽に動き回るのは厄介だが、
少々俊敏な程度で妖術すらも使ってこない猿など、敵ではない。
 不安定な足場故に蹴りは出さなかったが、
その拳は動物愛護団体から苦情が出てもおかしくないレベルで猿の顔面にめり込み、
反動で猿は電車の後方へと吹っ飛び、床に叩きつけられる。
>「ウキキキッ……キキッ……!」
 それでもまだ立ち上がる元気があるのは、やはり妖怪と言うべきか。
猿は鼻血を噴き出しながらも立ち上がり、後方車両のドアを開ける。
そしてこちらを恨めしそうに睨みつけて、後方車両に逃げ帰っていくのであった。
 とりあえずの危機は去った、と思いきや、
今度は猿と入れ違いになるように前方車両のスライドドアが開き、

99多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/10/22(日) 22:48:05
>「東京ブリーチャーズの皆さま!切符を拝見いたしますわ!」
 などと元気に言って、モノ、否。レディ・ベアが入ってくる。
着用している衣服は、猿達とは少々異なるが駅員の制服のようであり、
背後にはパーカーにジーンズの男が控えていた。男は給食時に話していた例の護衛であろう。
金髪碧眼の美形で、細身ながらもどこか筋肉質な印象があった。
 宣言通り、二人揃って現れたということである。
>「夢の世界へようこそ!そう……ここは夢の中。現実世界の貴方たちは今、睡眠状態にあるのですわ」
 レディ・ベアはブリーチャーズへ右手を伸ばし、高らかに告げる。 
>「夢の中では、誰もが無防備になるもの。どんな強者であろうと、夢の結果には抗えない。従うしかない」
>「その果てにあるものが、死……だったとしても」
  雰囲気たっぷりに、楽しそうに、饒舌に語るレディ・ベア。
>「この夢から覚めるには、死ぬしかないのですわ。夢の結末は絶対的死。それしかないのです」
>「それがこの世界のルール。この『猿夢』のね……うふふふ、あっはははははは……!」
 そして、この妖異の正体を明かす。『猿夢』だと。
 『猿夢』とは人が眠っているときに出会ってしまう悪夢であり、
その夢の中では猿や小人によって、アナウンスに沿った凄惨な方法で殺されてしまい、
更にはそれが現実でも死に繋がると言うタイプの都市伝説である。
眠りの時間というもっとも無防備な、安息の時間を侵される恐怖を具現化した存在とも言えるだろう。
 だが祈に言わせれば、これは“人選ミス”だ。
>「さあ、東京ブリーチャーズの皆さま。この夢の中で、どう無様な抵抗を見せて下さるのか……楽しみにしておりますわ?」
>「わたくしたちはその姿を、隣の車両からじっくり楽しませて頂きますから!では――」
 などと言い、背を向けて去ろうとするレディ・ベア。その手がスライドドアの取っ手に掛けられる。
その背に追い縋ろうと、祈は車両の後方から前方へと走った。
 そう、人選ミス。『猿夢』は確かに夢の世界で殺されればそれが現実に反映されると言う恐ろしい妖異だ。
だがそれは人間のような存在にとっての話だ。肝心の殺戮者がただの猿でしかないのなら、
何匹いたところでブリーチャーズを倒すことは叶わない。レディ・ベアが姿を隠し、サポートすらしないのならば尚更のこと。
 そしてある意味では、好機。
(猿夢を使ってまた無関係な人間まで巻き込みやがって……!
油断しきったその背中を取っ捕まえて、ボコボコにしてでも侵略を辞めると誓わせる。これでこの戦いを終わりにしてやる!)
 そうして駆ける祈が僅か数メートルというところまでレディ・ベアに近付いた時。
>「……ちょっと待った、レディ!」
 側に控えていた男が、レディ・ベアを留めた。レディ・ベアが足を止めて振り返る。
そうだ、この男の存在を忘れていた。この男はレディ・ベア曰く、『敵対すれば死あるのみ――そんな者』。
この護衛がロボの言う化生の天敵とやらとイコールであるかは分からないが、
護衛をしている以上強力な妖怪であるのは間違いなく、
祈がレディ・ベアを攻撃しようとするのなら、それを黙って眺めている筈もないのだ。
 その横を上手くすり抜けてレディ・ベアを攻撃する算段を付けなければと祈が思っていた時。
>「まだ、わたしの挨拶が終わってないよ?」
 男はこう言うのだった。警戒を強める祈は、その言葉で急ブレーキをかける。
(――あいさつ? 挨拶って言ったのか? あいつ。挨拶代わりに攻撃を仕掛けてくるとかそういうこと?)
 祈はモノの提案を断った為、この男から見て祈もまた敵。やはり攻撃する対象に含まれるのだろう。
そう考え、折角の好機を前に立ち止まり、男の出方を窺わざるを得なくなった祈だったが、
男はレディ・ベアの制止の声を振り切ると、
>「いいから、いいから!折角こうして会えたんだ、自己紹介くらいさせてほしい!やあやあ、諸君!はじめまして!」
 とかなんとか言いながら、両手を広げて無警戒にこちらに歩み寄って来るのだった。
「……は?」
 構えたまま、呆気に取られる祈。笑顔の男。

100多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/10/22(日) 22:52:42
 男の言う挨拶とは、本当にただの挨拶だったらしい。
 攻撃などという思考がおよそ窺うことのできない表情と動作で、
男はブリーチャーズを見渡すと、
駆けてきた為に一番手近にいる祈へと近づいてくる。そして祈の右手を取ると、シェイクハンド。
>「いや〜、キミがイノリちゃんか!よろしく!故あって今は名を名乗れないんだけれど……」
>「そうだなぁ。わたしのことは謎のイケメン騎士Rとでも呼んでくれると嬉しいな!はっはっは!」
 大凡緊張感と言うものも感じられない声で、にこやかに言う。
状況に適応できず、どう対応していいかわからなくなった祈はされるがままになり、
「う、うん……どうも……?」
 とか適当に返事をする。そして男、もとい謎のイケメン騎士Rは、顔を祈の耳元に寄せると、
>「……レディから話は聞いてるよ。レディの初めてのともだちになってくれて、ありがとう」
>「もうね……最近のレディときたら、口を開けばほとんどキミの話ばかりで。よっぽど気に入ったんだと思うよ、うん」
>「これからも、レディのいい友人でいてくれると嬉しい。彼女、ああ見えて寂しがり屋だから」
 そっと耳打ちをする。耳元で喋られてどうにもくすぐったい思いをしながらも、
この男について、少しわかった気がする祈であった。
 謎のイケメン騎士Rはレディ・ベアの護衛としていつも近くにいて、話し相手になってやっており、
また護衛対象の幸せを願うだけの優しさがあること。
そしてもう一つには――、やはり《妖壊》なのであろうということ。
 戦場で爽やかに笑み、緊張感なく友好的に接してくるイケメン騎士R。
しかしそれは大凡この場に相応しくなく、考えようによっては異常ですらある。
今まさに女性が猿によって殺されそうになったこの場で、
先程誰かが殺されてたこの車内で。こんな爽やかな笑顔で話せることは。
その人好きそうな笑みからは東京侵略を目論む集団の一人とも到底思えないが、彼もまた妖怪大統領に仕える身であり、
目的達成の為ならば多くの犠牲を厭わない……そんな者の一人なのかもしれないのだった。
 謎のイケメン騎士Rは祈だけでなく他のブリーチャーズの面々とも言葉を交わしていく。
その振る舞いは自称するようにどこか礼節を重んじる騎士らしくあり、
十字を切る姿からは、なんと言おうか教会から祝福を受けた“聖騎士”か何かであろうかと思わせた。
妖壊らしいとも化生の天敵とも思えない男ではあるが、
もし聖騎士だとかそういう伝承から生み出された系列の妖怪であるのならやはり、油断することはできない。
何故なら彼ら聖騎士は大抵――。
>「いつまでお喋りしているんですの!親睦を深めるために貴方の随行を許したわけではなくってよ!?」
 レディ・ベアがイケメン騎士Rを叱責する声が響き、はっとなった祈は、巡らせていた思考を中断する。
レディ・ベアはイケメン騎士Rの会話を強引に打ち切らせると、
>「ふん。余計な時間を使ってしまいましたわ。――では、貴方たちがこの夢の世界で果たしてどれほど耐えられるか」
>「せいぜい無様な足掻きでわたくしを楽しませてくださいな!アデュ……あ、あら?」
 そう言って再び前方車両へ移動しようとするのだが、どうやらドアが開かないらしい。
彼女が両手を掛けて引っ張っても、ドアは先程のようにスライドしたりはしなかった。
 狼狽するレディベアだが、

 《次は〜つらぬき〜 つらぬき〜》

 そこへ更に不気味なアナウンスが聞こえて、後方車両のドアから猿達が入って来たことで、
レディ・ベアの狼狽は加速する。

101多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/10/22(日) 23:19:23
 入ってきた猿達の中には、先程祈が殴り飛ばした鼻血付の猿もおり、
どうやら増援を呼んできたのだろうとわかる。
血走った目を大きく見開いて、威嚇するように、あるいは笑うように歯茎をむき出しにした猿達が――5体。
手に手にアイスピックか錐かと言った鋭い得物を持っていた。
 レディ・ベアはドアが開かないのも、このタイミングで猿達が入って来るのも計算外だったようで、
慌てふためきながらイケメン騎士Rになんとかするように命じ、
イケメン騎士Rはそれを「嵌められちゃったかな?」などと緊張感なく笑って受けた。
どうやらレディ・ベアもイケメン騎士Rも、味方に裏切られ閉じ込められてしまったようである。
 そんなことお構いなしに甲高い奇声を上げ、向かってくる猿達。
狙いはブリーチャーズのようだ。
 こちらには寝たまま動かない橘音がおり、守らなければならない女性もいる為、
それ程脅威ではない猿が相手とはいえ対応せねばならない。
更に狙いがブリーチャーズなら、味方からの裏切りを受けて閉じ込められたとはいえ、
レディ・ベア達はこちらに手を貸したりはしないだろう。
少なくともイケメン騎士Rがレディ・ベアを猿達から守ろうとレディ・ベアから離れてくれるのであれば、
この混乱に乗じてレディ・ベアを倒してしまう、というようなことも考えられたかもしれないが、それも見込めそうにない。
ということは、今はレディ・ベアを倒す機会ではないのだろう。これ以上考えている暇もなかった。
(まずは猿達をぶっ倒してからだな)
 『猿夢』に登場するのは猿が数体(あるいは小人が数体)とアナウンスをする者だけ。
どうやら猿達は開かずのドアを開けられるようなので、まずは猿達をとことん痛めつけ、
降伏させた後にアナウンスをする者までのドアを開かせる。
そしてそちらもとことん痛めつけ、両者に二度と人間を殺さないと約束させる。
とりあえず猿夢に対してはそんな感じにしようと方針を定めながら、猿達へと走る祈。
 先程殴り飛ばした鼻血付の猿と祈の目が合う。
丁度向かってくるので、祈はその猿を倒してやろうと、そちらに狙いを定めた。
祈は電車の揺れにも慣れてきており、今度こそは確実に蹴りを浴びせ、猿をノックアウトすることだろう。
 しかし勿論、ここで妖術を使えるノエルが、ここが狭い車内で逃げ場がないことを利用し、
祈に先んじて猿達を一気に氷漬けにしてしまったりしても良いのであり、そうなれば祈は急ブレーキをかけるだけである。
それに一般人と思しき女性も車内にいるが、その女性にとってここは夢で、
目が覚めれば奇妙な夢だったとして忘れてしまうのではないだろうか。

102御幸 乃恵瑠 ◇4fQkd8JTfc:2017/10/25(水) 00:33:58
ロボとの対決後――ドミネーターズは定期的に下っ端西洋妖怪をけしかけてくるようになった。
ところで、橘音の事務所は霊的防御は皆無。
当然、事務所に雑魚が攻め込んで来ようとした事も何度もあったが、橘音が出るまでも無く全てノエルと愉快な仲間達が門前払いした。
東京ブリーチャーズ拠点防衛班"スノウフェアリーズ"。
リーダーのノエル(センター枠)を筆頭に、戦いの激化に伴う増員のどさくさに紛れて補欠メンバーとなったカイとゲルダ、(左右の人枠)
同じく補欠メンバーとなったペットのハクト(珀斗)(マスコット枠)で構成される、直上階に店舗がある地の利を最大限に利用した鉄壁の自宅警備班である。
ペットの種族は玉兎――月で餅をついている兎を姿が投影されたという、白い兎の姿をした妖怪だ。
力をノエルに貸していた時の女王の傍らで護衛を務め、雑居ビルがペット禁止の上に人に化けても耳が隠しきれないということでそのまま実家にいたのだが、
この度の拠点防衛の強化の必要性に伴い「東京ならウサ耳バンド付けた人だと思われるから大丈夫でしょう」との雪の女王の一言で派遣されてきた。
ある時は倒した猫妖怪に仲間になりたそうなつぶらな瞳で見つめられ、思わず補欠メンバーにぶち込んだりもした。
そんなにホイホイ入れていいものかと思うが、補欠メンバーには以前橘音を食べた猛者もいるぐらいなのでまあ大丈夫だろう。
そんな自宅警備の模様は別途番外編などでお伝えすることにして――

>「ムジナさんから報告書が届きました」

11月のある日、事態は進展したのだった。

>「妖怪大統領の正体。それは――」
>「バックベアード。かつてアメリカに出現し、大破壊をもたらしたと言われる存在です」

バックベアード――
確か初出の時に並み居る古典妖怪達と並んで紹介されてしまったため古典妖怪と勘違いされて広まってしまった都市伝説系妖怪だったか。
古典妖怪の基礎能力値の高さと都市伝説系の柔軟さを併せ持っているとしたら、非情に厄介な相手だ。

>「……まあ、ぶっちゃけた話、判明したのは妖怪大統領の正体だけ!倒し方だとかは依然わからないまま!ということです」
>「でも、大きな前進と言えるでしょう。『何もワカランということがわかった』というだけでも、ね」

ところで、妖怪大統領の正体が分かれば妖怪大統領の娘を名乗るレディ・ベアの正体も芋づる式に推測が付くというものである。
ネット界隈の一部ではバックベアードには娘がいるという設定があり、「このロリコンどもめ!」のキメ台詞と共に世のロリコンどもを成敗するという。

「もしや奴の真の目的は東京に蔓延るロリコンを成敗することなのか!? よし、今度遭遇したら確かめてみるぞ!」

と碌な事にならなさそうな決意を固めるノエルであった。

>「クリスとロボが前哨戦……とは言いませんが、ここからが西洋妖怪との戦いの本番と言っても過言ではないでしょう」
>「次に彼らが姿を見せるときが、大きく状況の動くとき。それをくれぐれも忘れず、皆さん戦いに備えていてください」

至って平常運転なノエルはさておき、橘音が珍しく真面目に注意を促す。
橘音はもちろん、ここにいるメンバーは一枚岩だと信じて疑わない。しかし。
橘音はその場にいなかったので知らないが、前回、尾弐と祈、あるいはポチやノエル含む祈達との妖壊に対する姿勢の違いが銀の弾丸を巡って表面化してしまった。
それは前から薄々垣間見えてはいたが、救う事が不可能であれば、結果的に倒すしかなければ、その違いが表立って問題となることはない。
でも――祈に、あるいはポチに、救えぬ者を救う力が、運命を覆す力があるとしたら?

>「……ま、だからと言って、あんまり気を張り詰めていても疲れるだけです。ゆる〜く行きましょう、ゆる〜く」
>「大切なのは柔軟性です。どんな状況に対しても臨機応変に対処できるようにってことです」

橘音に臨機応変と言われ、要らぬ心配か、と思う事にした。
きっとこれからの戦いで決着方法にこだわっている余裕なんてない。それが何にせよ相手を無害化するのに最善の手段を取るしかないのだ。

>「じゃっ!辛気臭いお話はここまでにして、お茶の時間にしましょう!笑さんがお饅頭を送ってくださったんですよ!」

おやつの時間になるとノエルは「待ってました」とばかりにいったん自分の店舗に帰って、すぐにお洒落容器に盛られた団子のようなものを持って戻ってきた。

「じゃじゃーん! 新商品の"雪見だんご"。餅部分はうちのペットのお手製なんだ」

冷たくなっても固くならない餅のようなものにアイスが包まれている。
どう見てもミニ雪見○福の類似品です本当にありがとうございました。

゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。゚+。*゚+。。+゚*゚+。。+゚*。+゚

103御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2017/10/25(水) 00:37:02
"大きく状況の動くとき"は思わぬ形でやってきた。
その日、いつも通り拠点に攻めてきた雑魚に「オヤツをくれてやる!」と雪見だんごを食わせて補欠メンバーに放り込んだノエルは、
水風呂に入って出ると、服も着ずにありのままの姿で寝てしまった。
夏は服を着ないと冷気が逃げるので良くないのだが、近頃気温が下がってきたからまあいいや、ということらしい。(そういう問題ではない)
ノエルは必ずしも毎晩夜になったら寝ないといけないわけではないのだが、戦ったりして疲れた日は寝るようだ。
おそらくこの日に雑魚が攻め込んできた事自体、仕組まれていたのだろう。

目を覚ますと、電車に乗っていた。
自分でも気付かないうちにありのままの姿で深夜の公園で歌っていたことがあるとかないとかいうノエルである。
ありのままの姿で電車に乗る→「そんなつもりじゃなかったんだ!」「はいはい続きは署で聞こうねー」という最悪のコンボが思い浮かんだ。
慌てて自分の体を見て服を着ていることに気付き、安堵する。

「良かった……! 寝ながら脱ぐことはあっても寝ながら着ることは多分無い、ということはこれは夢か!」

と、独自の理論でこれが夢だという事を察するノエル。

>「……ん……、うぅ……ん……ムニャムニャ……。えへへ、もうそんなにきつねうどんは食べられませんよお……」

隣では橘音がいかにも寝言っぽい寝言を言っている。

「夢ってことは何してもいい! 仮面を引っぺがしても大丈夫だな!」

尤も、本当にただの夢だとしたら仮面を引っぺがしたとことでノエルの想像図が出てくるだけなので意味は無いのだが。
仮面に手を伸ばしかけたところで、尾弐がいることに気付いて手を引っ込める。
夢の中でも尾弐のノエル抑止力は健在らしい。
気付けば尾弐だけではなく、深夜に出歩くはずがない祈や、電車に乗れないはずのポチもいる。

>《次は〜活け造り〜 活け造り〜》

はて、池袋の仲間だろうか、と思うノエル。寝ようとしていた祈が何事かと起き出す。
モニターに、不気味なサル達によるスプラッタ極まる殺戮の光景が映し出された。

>『ぎゃああああああああああああああ!!!!』
>『ひぃぃぃぃ!!!助けてっ!!!たすけ……たす、たすけ……――』

「まずいよ、これは……!」

それなりにオタク文化に傾倒しているノエルは、これがただの夢ではないということを直感した。
橘音を揺すりながら声をかける。

「橘音くん! 起きて!」

結界に閉じ込められた時の対処法として、召喚魔法等の外界と強制的に繋がる技を使うことによって結界を破る糸口とする、という手法がある。
橘音が持っている召怪銘板や天神細道が脱出の役に立つかもしれない。
そう思ったノエルは、耳に息を吹き込んだりくすぐってみたり、あの手この手で起こそうとするが、一行に起きる気配は無い。

>《次は〜えぐり出し〜 えぐり出し〜》

そうしている間にも、虐殺は続く。
祈が力尽くで脱出口を開こうと試みるが、ドアも窓もびくともしない。

「神聖なるアイスクリームディッシャーを何てことに使ってるんだ! 出てこーい! 返り討ちにしてやるわあ!」

虐殺の光景を見せつけられながら何も出来ないもどかしさから煽ってみせる。

>《次は〜挽肉〜 挽肉〜》
>『いやあああああああああああ!!!』

今までいくら開けようとしても開かなかったスライドドアが突然開き、女性が縋りついてきた。

104御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2017/10/25(水) 00:38:53
>「た、助けてっ!助けてください!猿っ、猿が……!」
>「お願いです、助けて……!たっ、助けてください……!」

この女性はやはり、巻き込まれた一般人、だろうか。

「もう大丈夫。これはただの悪い夢だからね」

そう言って安心させるように抱きしめる。

>「おい。ボコボコにされたくなかったら武器降ろせ」
>「ウッキャ――――――――――ッ!!!」

サルは祈に顔面パンチを叩きこまれていったん退散していった。
サルと入れ替わるように、見知らぬ青年を伴ったレディ・ベアが現れる。

>「東京ブリーチャーズの皆さま!切符を拝見いたしますわ!」
>「夢の世界へようこそ!そう……ここは夢の中。現実世界の貴方たちは今、睡眠状態にあるのですわ」
>「夢の中では、誰もが無防備になるもの。どんな強者であろうと、夢の結果には抗えない。従うしかない」
>「その果てにあるものが、死……だったとしても」
>「この夢から覚めるには、死ぬしかないのですわ。夢の結末は絶対的死。それしかないのです」
>「それがこの世界のルール。この『猿夢』のね……うふふふ、あっはははははは……!」

「やはりそんなことか……。それはそうとして」

今この時をレディ・ベアの正体を突き止める好機と見たノエルは、謎の使命感に突き動かされ無謀な挑戦に打って出る。

「諸君、僕は幼女が好きだ。諸君、僕は幼女が好きだ。諸君、僕は幼女が大好きだ!
幼女の手が好きだ、幼女の足が好きだ、幼女の髪が好きだ、幼女の瞳が好きだ
幼女の肌が好きだ、幼女の匂いが好きだ、幼女の体操服姿が好きだ、幼女のランドセルが好きだ
幼女のつるぺたが好きだ、幼女の全てが好きだ。駅員のコスプレをした幼女なんてもう最高だ!」

幼女好きになり切った迫真の演技と共に、幼女大好き演説を一息にぶちかました。
飽くまでもレディ・ベアの正体を突き止めるためであって、実際にはノエルはロリコン的な意味の幼女好きというわけではない。多分。
もしもそうだったら、みゆきになった時に自給自足の永久機関に突入して大変なことになってしまう。
「このロリコンめ!」と返してくれたかはともかくとして、レディベアは隣の車両に退避しようとする。

>「さあ、東京ブリーチャーズの皆さま。この夢の中で、どう無様な抵抗を見せて下さるのか……楽しみにしておりますわ?」
>「わたくしたちはその姿を、隣の車両からじっくり楽しませて頂きますから!では――」

「そのためだけにわざわざ夢の中まで来たんかい!」

いくら自らの味方のコントロール下とはいえど、ダメージが現実にも反映される夢に入ることは、それなりに危険が伴うのではないだろうか。
本当に観戦のためだけに来たのだろうか、疑問は尽きない。

>「……ちょっと待った、レディ!」
>「なんですの?」
>「まだ、わたしの挨拶が終わってないよ?」
>「は?何を言っているのです、もう話すことなど何も――」
>「いいから、いいから!折角こうして会えたんだ、自己紹介くらいさせてほしい!やあやあ、諸君!はじめまして!」

青年は、レディベアの制止も聞かずに勝手に挨拶を始めた。

>「いや〜、キミがイノリちゃんか!よろしく!故あって今は名を名乗れないんだけれど……」
>「そうだなぁ。わたしのことは謎のイケメン騎士Rとでも呼んでくれると嬉しいな!はっはっは!」

「自分で自分の事をイケメンって言うのやめて! 実際にイケメンなだけになんかムズムズする!」

ちなみにノエルが自分のことをイケメンと言うのは乃恵瑠やみゆきの姿の時限定であって、ノエルの姿の時は言わない。
これはノエルの人格が作られた際のみゆきの「イケメンの自覚が無い無自覚系イケメンでいこう!」という方針の名残りによるものである。

105御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2017/10/25(水) 00:40:05
>「やあ――次期雪の女王陛下!クリスの妹ちゃん?それとも弟くん?どっちで呼べばいいかな?」
>「クリスのことは……本当に惜しい女性を亡くした。心から、お悔やみを申し上げるよ」

「えーと、クロちゃんが全身鳥肌になっちゃうから弟でお願いします」

何故か妖気が感じられない相手の正体を探る手掛かりを得るという意味で、敢えて握手に応じるノエル。体温も感触も人間そのものだ。
本当にただの人間? いや、そんなはずはない。恐ろしく高位の化け物は完全に人間に成りすますとはよくある話だ。

>「彼女はずっとキミのことを案じていたよ。でも……立派に成長したキミを見れば、きっと安心するだろうね」
>「彼女とはもっと仲良くなりたかったんだけどねえ、主にベッドの中で!ほら……彼女、すごく魅力的な身体をしてただろう?」
>「まっ、彼女はわたしなんて眼中になかったみたいで。まったく見向きもされなかったんだけど!ははは!」

「当たり前だろう、お姉ちゃんの巨乳に顔を埋めることを許されるのは僕だけだ。
……って何言わせるんだコラ―――――――ッ!! こっちには中学生もいるんだから!」

こんな感じで調子よくポチにも声をかけたRだったが、尾弐に向かって気がかりな事を言う。

>「それにしても、話には聞いていたが――予想以上に面白い」
>「イノリちゃんやノエル君、ポチ君は、まったくもって正義の味方。愛と勇気に満ち溢れた、キラキラ輝く魂を持っているけれど――」
>「ミスター。そんな色の魂を持つキミが、どうして正義の味方なんてやっているのかな?」
>「キミにふさわしい居場所は、そんなキラキラした場所より。むしろ……」

「クロちゃんは僕よりよっぽど正義の味方だよ! いっつも体を張ってみんなこと守ってくれるんだから!」

適当なこと言いやがって、と思いながら抗議しつつ。
相手の目には比喩ではなく本当に魂の色が見えているとしたら――その可能性に思い至り、ぞっとする。

>「いや。失言だった、許してほしい。やっとキミたちに会えた嬉しさから、ちょっぴり饒舌になってしまったみたいだ」
>「いつまでお喋りしているんですの!親睦を深めるために貴方の随行を許したわけではなくってよ!?」
>「ふん。余計な時間を使ってしまいましたわ。――では、貴方たちがこの夢の世界で果たしてどれほど耐えられるか」
>「せいぜい無様な足掻きでわたくしを楽しませてくださいな!アデュ……あ、あら?」

と、余裕綽々で退場しようとするレディベアだったが、ドアが開かない。

>「ど、どうなっておりますの……!?」
>《次は〜つらぬき〜 つらぬき〜》

更にアイスピックを持った猿が5匹雪崩れ込んできて、レディベアは大慌てである。

106御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2017/10/25(水) 00:41:11
>「ま、まだわたくしが退避しておりませんわよ!?なんとかなさいな、R!」
>「と言われても……。嵌められちゃったかな?こりゃ参った!あっはっは!」
>「笑い事ではありませんわぁぁぁぁぁぁ!!!??」

どうやら、ドミネーターズの統制の取れてなさは予想以上のようだ。
表向きのリーダーであるレディベアを何者かが亡き者としようとしているらしい。
敵ながらご愁傷様である。

「あーあ、観戦のためだけに来たりするから……」

おおかた、「夢の中に送ってあげるからアイツらの無様な様子を楽しんできてはどうですか」なんて言われて来たんじゃないだろうか。
思えばレディベアは最初に遭遇した時からしてブリーチャーズにとどめを刺せる状況だったのに見逃し、
博物館でロボと対峙した時は詳しい事情はよく分からないが、ロボを撤退させたことで結果的に助けられた。
何らかの理由で敢えてこちらを生かしているとすれば、普通に敵を潰そうとする派と対立するのは自明の理。
それか単純に大統領の娘という身分のおかげで高い地位にいて疎ましく思われているという可能性もあるが。

「5匹なら一人一匹か――と言いたいところだけど橘音くんは非戦闘員だから一匹そっちに行くかも!」

自分に向かってきたサルを一匹、尋問用に首から下を氷漬けにする。
敢えて全部を一気に凍らせなかったのは、そこまでするほどの相手でもないと思ったのと、もう一つ。
サル達の動きを観察するため。やはり、ブリーチャーズだけではなくレディベア達も普通に攻撃対象になっていた。
サルが一通り無力化された後、レディベアに向き直る。

「やっぱり君達も僕達もこの夢の中では同じ扱いみたいだ。つまりここで全員共倒れすれば僕達をここに送り込んだ奴の思う壺、というわけだね。
そこで取引だ――ここから無事に脱出するまで手を組んでみる、というのはどうだろう」

サルを尋問してすんなりいけばいいが、おそらくそう簡単にはいかないだろうな、と思ってのことだ。
何しろレディベアをして死しか脱出する方法は無いと言わしめた最恐の悪夢。
ただでさえそうなのに、その上足を引っ張り合っていては脱出できるはずもない。
逆に、双方脱出に成功した場合、うまくいけば向こうが内輪で潰しあってくれる。
悪い取引ではないだろう。相手が乗ってくればの話だが。

107ポチ ◆CDuTShoToA:2017/10/27(金) 21:09:34
狼王ロボとの戦いが終わってから数ヶ月……ポチの一日は、日の出と共に始まる。
犬や狼は人と比べると睡眠時間の長い生き物だ。
大型犬や狼は一日の半分かそれ以上を寝て過ごす。
ポチも日々をそのように過ごしていた。だが今はもう違う。
彼はロボを倒し、その渾名と力を受け継いだ。
かの王と、己の帰りを待っていてくれる同胞に、恥じない自分になると誓いも立てた。
その為には今まで通りにただ生きているだけでは、駄目なのだ。
朝は通勤中のサラリーマン達を躱しながら歩道を駆け抜け、
昼は公園のタイヤに噛み付いて顎を鍛え……
などとしていると、不意に彼の足元に円状の結界が現れる。召怪銘板によるものだ。

「お仕事、かな?……げははは、いいよ。最近の僕、調子いいしね」

そう言って召喚に応じると……事務所にいたのは橘音、ノエル、尾弐、そして祈。

「やっほう、お待たせ。今日は何を探せばいいのかな?
 それとも追っかけ回して、転ばせる方?」

>「ムジナさんから報告書が届きました」

「……あぁ、そういう」

>「だいぶ危ない橋を渡って頂いていたようです。ムジナさんに感謝を――それで、報告の内容なのですが」
 「妖怪大統領の正体を突き止めた……とのことです」
>「妖怪大統領の正体。それは――」
>「バックベアード。かつてアメリカに出現し、大破壊をもたらしたと言われる存在です」

「……なんだか、随分ふわっとしてるね」

ポチはあまり自分以外の妖怪に詳しいタイプではないが、それでも橘音の説明には違和感を覚えた。
名の知れた妖怪というものには、本来「逸話」が付き物なのだ。
偉大な妖怪であればあるほど、それは広く知られていて……簡単に調べが付くはずなのだ。

>「これね」

祈がそう言ってポチにスマホの画面を見せる。
映っているのは大きな目玉の付いた、根っこがあちこちに生えた黒い球体。

「……ふーん、変な見た目だね。あんまり強くなさそう。噛みつきたくはないけど」

人間社会の情報媒体全般に疎いポチは、恐れ多くもそんな事を呟き、

「だけどこんなに簡単に姿が分かるのに、なんでそんなふわっとした情報なの?」

そう尋ねた。もっと有用な情報をこれから話すつもりなのかとも思ったが、
もしそうなら橘音は自分が口を挟むような無駄な間を置かないはずだ、とすぐに考え直した。

>「少し前の妖怪ブームなどで、バックベアードもある一定の知名度を持つようになりました。が――」
 「正直なところ、バックベアードという存在が何者なのかについては、まったくと言っていいほどわかりません」
 「文献に記されている通りの姿なのか。妖術も目から発するものなのか。そして何より、何が弱点なのか……」
 「『何もわからない』のです。何故なら、これも。人間が『そうあれかし』と望んだから」
 「『バックベアードは正体不明』と、人類が定義したからです」

ポチの疑問はすぐに氷解した。
氷解しただけで、それは有用な情報があったという意味ではなかったが。

>「クリスとロボが前哨戦……とは言いませんが、ここからが西洋妖怪との戦いの本番と言っても過言ではないでしょう」
 「次に彼らが姿を見せるときが、大きく状況の動くとき。それをくれぐれも忘れず、皆さん戦いに備えていてください」

結局、するべき事は今までと変わらない、という事だ。
敵を待ち受け、返り討ちにする。探し出すのはムジナの仕事だ。

>「……ま、だからと言って、あんまり気を張り詰めていても疲れるだけです。ゆる〜く行きましょう、ゆる〜く」
 「大切なのは柔軟性です。どんな状況に対しても臨機応変に対処できるようにってことです」
 「じゃっ!辛気臭いお話はここまでにして、お茶の時間にしましょう!笑さんがお饅頭を送ってくださったんですよ!」

「お饅頭かぁ……僕、今まで食べた事ないや」

そう言うと、ポチは姿を変化させる。
人と獣の中間、人間で言えば6〜7歳時ほどの背丈と容姿に。
控えを含めたブリーチャーズのメンバーから意見を募り、最終的にこのような姿に落ち着いた。
……その際に生じた、6歳時の声で喋る巨漢やイケメンを始めとする迷走の数々は割愛するとして。
彼は鋭い爪の生えた指で饅頭を手に取り、丁寧に、かつ素早く、包み紙を開く。
そして一度饅頭を軽く宙に放ると……その間に包み紙で立体的な犬を折り、それをテーブルの上へと弾くと
……落ちてきた饅頭を悠々と、大きく開いた口で受け止める。

108ポチ ◆CDuTShoToA:2017/10/27(金) 21:10:14
「んー、甘い!美味しい!」

人型への変化。またその際の動作に関しても、ポチは日々特訓を重ねていた。
……食に関する礼儀作法に関しては、別途学習が必要なようだが。

>「じゃじゃーん! 新商品の"雪見だんご"。餅部分はうちのペットのお手製なんだ」

「へえ、美味しそうな匂いだし……なにより綺麗なとこがいいね」

そう言ってノエルの披露した雪見だんごを一つ摘み、口に放り込む。

「……ごめん、違った。一番いいのは……美味しいとこだ。
 それにしても、甘いにも色々あるんだね。面白いなぁ」



そして、その日の夜。
ポチはいつも通りの過ごし方をしていた。
シロと再開し、ロボとの戦いを繰り広げたビルの屋上。
あの夜以来、ポチはそこを縄張りのようにして、夜を過ごす事が殆どだった。
そこで……己の内側、『獣(ベート)』の力へと意識を向け、それを操る術を探る。

「……僕の中に、その力があるのは分かる。
 だけど、どう引き出せばいいのか……それが、まだ分からない」

感覚を研ぎ澄ますように目を閉ざしたポチが、小さく呟く。
『獣(ベート)』の力はロボから譲り受けたもの。
生まれ持った送り狼の力とは違う。
ある意味では、猟銃と同じように……彼はまだその引き金の引き方を掴めないでいた。
ポチが一度目を開く……そしてロボが最後に立っていた、屋上の縁へ視線を向ける。

「心配ご無用だよ、ロボ。確かにまだ、僕にはこの力を上手く引き出せないけどさ。
 ……だからって……使い道がない訳じゃ……ないんだぜ」

そう呟きながら、そのまま自然と眠りの中へと落ちていく。



……そして気がつけば、ポチは眠りに就いたビルの屋上ではない、何処かにいた。
冷たい床。金属のにおい。がたん、ごとんと響く音。断続的な揺れ。
……こないだの旅行の際に乗った新幹線とはやや違うが、電車の中にいる。
ポチは十秒ほどの時間をかけて、そう理解した。

(ううん……なにこの夢)

屋上で眠りに就いた事までは朧気にだが覚えている。
故に今この状況が夢であるとは、なんとなくだが分かった。しかし、

(……僕が見る夢にしては、なんだか味気ない夢だなぁ)

あの夜の戦い以来、ポチは……彼の感性からすると良い、夢を見る事が増えた。
東京ブリーチャーズか、或いはシロやロボにまつわる、取り留めのない、しかし心地よい夢を。
だがこの夢は違う。

>「良かった……! 寝ながら脱ぐことはあっても寝ながら着ることは多分無い、ということはこれは夢か!」
>「……ん……、うぅ……ん……ムニャムニャ……。えへへ、もうそんなにきつねうどんは食べられませんよお……」

確かにブリーチャーズの皆は傍にいる。
だが……どうもその言動や振る舞いが夢らしくない。

>「夢ってことは何してもいい! 仮面を引っぺがしても大丈夫だな!」

今ポチの眼の前にいるノエルは……夢の中のノエルと言うよりもむしろ。
同じ夢の中にいる、いつもの、本当の、ノエルのように見えた。

「……ノエっち?君も、夢を見てるのかい?
 祈ちゃんはどう?尾弐っちは?この夢は、僕の夢のはずなんだけど」

首を傾げてポチが尋ねる。
狼の感性が、この状況からとてつもない、きな臭さを嗅ぎ取っていた。

>《次は〜活け造り〜 活け造り〜》

そしてその予感は、的中する。

109ポチ ◆CDuTShoToA:2017/10/27(金) 21:10:35
>『ぎゃああああああああああああああ!!!!』
>『ひぃぃぃぃ!!!助けてっ!!!たすけ……たす、たすけ……――』
 「まずいよ、これは……!」

モニターに映し出されるのは男性が生きたまま解体され、活け造りにされていく映像。

>「橘音くん! 起きて!」

ノエルは橘音を起こそうと揺さぶり、祈はドアや窓を破ろうと動き出す。
が、どちらの試みも功を成さない。
一方でポチは……その場から動かないままだった。
ただ感覚を研ぎ澄ます。

「……尾弐っち。僕が警戒する。祈ちゃんを手伝ったげてよ」

この状況、最も危険に近い状態にあるのは祈だ。
もし突然、開かないはずのドアが開いたら。破れないはずの窓が破れたら。
その後で起こってはならない事が起こる可能性は、ゼロではない。
故に尾弐にそのように声をかけた。
……それにもし尾弐の怪力でドアや窓を開けられればそれは僥倖だし、
そうでなくとも失敗した者が一人から二人に増えるのは、祈にとってはいい事のはずだ。

>《次は〜挽肉〜 挽肉〜》

……程なくして次のアナウンスが車内に流れる。
液晶画面に映し出されるのは青ざめた顔をした若い女性。

>『いやあああああああああああ!!!』

「……今の声」

ポチが画面から顔を背ける。
止める事の出来ない惨劇を見続ける事に辟易したのではない。
スピーカーから聞こえてきた声と同じものが……僅かにだが、後方車両からも聞こえた気がしたのだ。
そしてそれは聞き間違いではなく……直後にポチの視線の先で、ドアが開く。

>「た、助けてっ!助けてください!猿っ、猿が……!」
 「お願いです、助けて……!たっ、助けてください……!」

転がり込むように逃げてきた女性が、ノエルに縋り付いて助けを乞う。
ポチはそちらを見ない。
喋る黒塗りの犬が彼女にとって悪夢に含まれるのか分からないし、
何より……逃げてきた者がいるのなら、当然、追ってくる者だっているに決まっている。
ポチが睨め付ける後部車両へのドアが、再び開く。
姿を現したのは、先程まで液晶画面の向こうで残虐なショーを繰り広げていた、駅員姿の猿達。

>「おい。ボコボコにされたくなかったら武器降ろせ」

祈が忠告の言葉を投げかける……が、猿達がそれを受け入れる気配を見せる事はなかった。

>「ウッキャ――――――――――ッ!!!」

猿達が奇声を発し、動き出す。
地形を利用した縦横無尽な動きは、ポチにはなかなか追いにくい。
四足の狼の姿では、振り返る為に必要な動作が祈達に比べて多いからだ。
しかし……ポチはそもそも、その動きを追おうともしていないようだった。
音とにおいだけで敵を捉え……ただ、襲ってくるのを待つ。
……不意に、一匹の猿が、ポチへと仕掛けた。
骨格的に対応の困難な頭上、後方から、ミートグラインダーが振り下ろされる。
そして……鈍く激しい音が響く。
ミートグラインダーが、車両の床に叩き付けられた音が。
避けられないタイミングと速度のはずだった。
だが結果として猿の一撃は外れた。
そしてその背後には……最初から微動だにしないままの、ポチがいた。
一体どのようにして攻撃を躱したのか……それはともかくとして。

「まったく、汚れちゃったらどうしてくれるのさ。僕の王冠が」

ポチが牙を剥き、猿へと飛びかかる。
日々の特訓で鍛え上げた咬合力と鋭い牙が、その細首を噛み砕かんと迫り……
しかし瞬間、車両が僅かに大きく揺れた。
予想外の事に僅かに狙いが逸れる。
牙は猿の首筋を引っ掛け……切り裂いたが、致命傷にはならなかった。

「おっと……運がいいね。それで……どうする?
 もう一回、僕に届くか試してみるかい?僕はそれでも構わないけど」

そう尋ねてみるものの、猿の群れは再び奇声を上げて、後方車両へと消えていった。

「……どうなってるんだろうね、この状況。
 これがただの夢だったら、僕すっごく間抜けだけど……
 皆も、同じ夢を見てるって事で、いいんだよね?」

ポチがそう言って皆を見回す……が、
問いの答えが返ってくるよりも先に、今度は前方車両のドアが開いた。
姿を見せたのは……黒を基調にした駅員衣装に身を包んだ、ツインテールに隻眼の少女。
それと……端整な顔立ちの青年が一人。
容姿の美醜はともかく……助けを求めているようには見えないな、とポチは感じた。

110ポチ ◆CDuTShoToA:2017/10/27(金) 21:11:03
>「東京ブリーチャーズの皆さま!切符を拝見いたしますわ!」

「あぁ、そういう……」

>「夢の世界へようこそ!そう……ここは夢の中。現実世界の貴方たちは今、睡眠状態にあるのですわ」
 「夢の中では、誰もが無防備になるもの。どんな強者であろうと、夢の結果には抗えない。従うしかない」
 「その果てにあるものが、死……だったとしても」

そんな馬鹿な、とポチは首を傾げた。
夢の中で死んだからと言って、現実の世界でも死んでしまうなんて、ひどく理不尽な話だ。

>「この夢から覚めるには、死ぬしかないのですわ。夢の結末は絶対的死。それしかないのです」
>「それがこの世界のルール。この『猿夢』のね……うふふふ、あっはははははは……!」

とは言え……彼女の言葉は嘘ではないのだろう、ともポチは思っていた。
それがルール。送り狼が転ばせた相手を殺める妖怪であるように、
この夢……『猿夢』は、迷い込んだ者を殺める怪異なのだろう、と。
……しかし、だとしたら気がかりな事が一つ。

>「さあ、東京ブリーチャーズの皆さま。この夢の中で、どう無様な抵抗を見せて下さるのか……楽しみにしておりますわ?」
 「わたくしたちはその姿を、隣の車両からじっくり楽しませて頂きますから!では――」
 「……ちょっと待った、レディ!」

だがポチに、その気がかりに関して思索を巡らせる時間はなかった。
レディベアの背後に控えた青年が、不意に声を張り上げたからだ。
警戒しない訳にはいかない。

>「いいから、いいから!折角こうして会えたんだ、自己紹介くらいさせてほしい!やあやあ、諸君!はじめまして!」

しかし青年は両手を左右に広げると、無防備にブリーチャーズへと歩み寄ってきた。
においは人間そのもの。声からもにおいからも、敵意は感じ取れない。

>「はじめまして、新しい狼王殿。あのロボがまさか、自分以外の誰かを認めて後を託すとは……俄かには信じられなかったけれど」
 「ここへきて、その疑問も氷解したよ。なるほど、キミからは強い意志の力を感じる。彼が認めるのもうべなるかな、だ」

自らをRと名乗った青年は、ポチの前に跪くと彼の額へと、右手を伸ばす。
……しかしその指先がポチに触れる直前、ポチは人狼へと姿を変えた。
Rの指先が虚空を撫でる。

「……アンタからは、嫌なにおいはしないけど……悪いね。
 この王冠は、そう気安く触らせたくなくてさ。
 ええと……人間の挨拶は確か、こうだよね?」

そう言うとポチはRの伸ばした右手を、爪が刺さらないように丁寧に、右手で掴んで、軽く上下に振った。

>「彼とは仲良くできなかった。だから、わたしには彼の心のうちを理解することはできなかった」
 「けれども、彼に託されたキミなら、きっと彼の遺志を継いでくれることだろう」
 「……彼の魂が。キミと共に在りますように」

「げははは、そんなお祈りされなくたって、ロボは僕と共にいてくれるさ」

どちらからともなく握手を終えると、Rはそのまま尾弐へと向き直り……

>「シェイクハンドはノーサンキュー、という顔をしているね。そんなに警戒しなくてもいいよ、ミスター」

そう、切り出した。

「……いやぁどうだろ。僕には敵の右手を握り潰せるいい機会だって顔に見えるよ……なーんて」

間違っても尾弐には聞こえないように、ポチは冗談めかして呟く。

>「少なくとも、わたしはキミたちと戦うためにここへ来たわけじゃないからね。あくまでわたしはレディの護衛だ」
 「キミたちがレディに危害を加えるというのなら話は別だけれど、今回のキミたちの相手は我々じゃない……だろう?」
 「まっ!わたしはギャラリーということで、背景か何かと思ってもらえると嬉しい!」

偽りのにおいは感じない。
ロボとの戦いで、においのみを信じた結果、シロがあのような事になったので警戒は絶やせないが。
それでも率先して仕掛けにいく必要はないだろう。

>「それにしても、話には聞いていたが――予想以上に面白い」
>「イノリちゃんやノエル君、ポチ君は、まったくもって正義の味方。愛と勇気に満ち溢れた、キラキラ輝く魂を持っているけれど――」
>「ミスター。そんな色の魂を持つキミが、どうして正義の味方なんてやっているのかな?」
>「キミにふさわしい居場所は、そんなキラキラした場所より。むしろ……」

「……えーと、それは僕達の相手になりたいって意味で受け取っていいのかな」

111ポチ ◆CDuTShoToA:2017/10/27(金) 21:11:37
ポチにとっての尾弐は、殆どの時間を優しい心で過ごしている、良き仲間だ。
少なくとも、ついこないだ仲間全員と東京の安寧よりも、
己の望みを優先した自分よりかはずっと良い奴のはずだ、とポチは思う。
もちろん彼の全てを知っている訳ではないが、そんな事はRだって同じだ。
隠し事だってあるかもしれないが、それもやはり、ついこないだまでの自分と同じだ。
故に、その物言いは看過出来ないと言いたげに、ポチは小さく短く、唸る。

>「いや。失言だった、許してほしい。やっとキミたちに会えた嬉しさから、ちょっぴり饒舌になってしまったみたいだ」

が、Rはすぐにその言葉を撤回した。
……或いは撤回ではないのかもしれないが、少なくとも非礼を詫びた。

>「いつまでお喋りしているんですの!親睦を深めるために貴方の随行を許したわけではなくってよ!?」
>「ふん。余計な時間を使ってしまいましたわ。――では、貴方たちがこの夢の世界で果たしてどれほど耐えられるか」
>「せいぜい無様な足掻きでわたくしを楽しませてくださいな!アデュ……あ、あら?」

レディベアがRを呼び戻し、高飛車な態度を置き土産に背中を向けて……しかし車両を去らない。
気が変わって、ここでやりあうつもりかと一瞬思ったが……それにしてはずっと背中を向けたままだ。

>「ど、どうなっておりますの……!?」

どうやらドアが開かないらしい。

>《次は〜つらぬき〜 つらぬき〜》

そのままアナウンスが響き……獲物をアイスピックに持ち替えた猿が五匹、入ってくる。

>「ま、まだわたくしが退避しておりませんわよ!?なんとかなさいな、R!」
>「と言われても……。嵌められちゃったかな?こりゃ参った!あっはっは!」
>「笑い事ではありませんわぁぁぁぁぁぁ!!!??」

>「あーあ、観戦のためだけに来たりするから……」
「いい気味じゃないか。それに……アイツらなんて、ただの猿だろ?何をそんなビビってるのさ」

とは言ったものの……ポチはレディベアの戦闘を見た事はないが、
話に聞く限りでは祈を容易く制してみせた事もあるらしい。
その彼女が、こうも狼狽する……それは単に予想外の出来事に見舞われたから、それだけなのか。
それとも……彼女が先ほど語った通り、この『猿夢』が、彼女にとっても絶対的な死であるからなのか。

>「5匹なら一人一匹か――と言いたいところだけど橘音くんは非戦闘員だから一匹そっちに行くかも!」

「助けが必要なら、呼んでくれたっていいんだよ。げははは」

レディベア達へ振り返り、冗談めかして笑うポチ……その背後から、猿が襲いかかる。
首筋の毛皮が赤く汚れている。先ほど、ポチの牙を引っ掛けられた猿だ。
意趣返しのつもりか。猿は逆手に掴んだアイスピックをポチの首筋へと振り下ろす。
ポチは動かない。ピックの先端が、その毛皮に触れる。
もうどう足掻いても回避は間に合わない……はずだった。
しかしピックはポチの首筋を捉えられなかった。
直後、ポチを狙った猿が、身動きが取れなくなった。
後ろから首筋を掴まれたのだ。
……毛皮に触れるほど肉薄したピックを躱し、更に猿の背後を取り、その首を掴み取る。
祈でも、そんなに素早く動く事は出来ない。
ならばポチは彼女以上の速さで動いたのか。そんな訳はない。

112ポチ ◆CDuTShoToA:2017/10/27(金) 21:13:51
「……どうしたんだい。そんな所を刺そうとして。
 送り狼はそこにはいないよ。どこにもいないのさ」

ロボとの戦いで見せた、送り狼の真の性質。
送り狼の名を知る者の殆どが知る「そうあれかし」。
すなわち……送り狼の正体はニホンオオカミで、そんな妖怪は実在しなかったという概念。
あの時は何も感じないモノになりたいと願ったが故にその力を使いこなせた。
だがその場から完全に消えるという事は……つまりケ枯れと、死の狭間に潜り、そこに留まるという事。
加減を間違えばそのまま消滅してしまう、諸刃の剣と称するにはあまりにも危険な行為。
「送り狼」の力であるなら、今までもずっと使えたはずのそれを、
ポチが一度も見せた事がなかったのは、戻ってこれる自信がなかったからだ。
半端者である自分を厭い、嫌悪していた頃のポチでは……消えてしまえば、戻ってくる理由が、弱かった。
……しかし、今は違う。
自分にはロボとの約束がある。かつての自己愛を超えて、ブリーチャーズの仲間達を愛している。
何よりも、シロを待たせている。
その強固な、戻ってくる為の理由と……そして『獣(ベート)』の力がある。決して消滅する事のない力が。
それらを命綱にする事で……今のポチは、送り狼の『不在』の力を、扱う事が出来る。

>「やっぱり君達も僕達もこの夢の中では同じ扱いみたいだ。つまりここで全員共倒れすれば僕達をここに送り込んだ奴の思う壺、というわけだね。
  そこで取引だ――ここから無事に脱出するまで手を組んでみる、というのはどうだろう」

「さっきあれだけビビってたんだから、今更ムキになったりしなくていいよ。
 僕もちょっと気になってるんだ。君、強いんでしょ?
 そんな君が、この夢にあれほどビビる理由はなんなの?」

捉えた猿の首を強度に圧迫し……その骨を軋ませながら、ポチは尋ねる。
もしこの猿の群れに終わりがないとかだったら確かにちょっとヤバいかも、などと考えつつ。
……そしてそれから、未だに寝こけている橘音へと視線を下ろした。

「気を悪くしたらごめんよ。だけど……実際、僕らを手を組むのは悪くないと思うよ。
 橘音ちゃん、こんなに騒がしくしても起きないけどさ。
 夢の中で、寝てるって……じゃあ橘音ちゃんの……意識?精神?まぁそういうのはさ、今、どこにいるんだろね」

ポチの言葉はもちろん希望的観測に過ぎないが……希望が多くて損する事はない。
と言うよりもむしろ、この『猿夢』がレディベアの狼狽相応の怪異であると認識するならば、
橘音の状態は今のところ唯一の希望なのかもしれないとすら、ポチは考えつつあった。

113尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2017/10/31(火) 00:05:20


>「ムジナさんから報告書が届きました」

生命の息吹に満ちた夏は過ぎ去り
山を覆う艶やかな紅葉すらも散り、樹皮と大地の黒が目立ち始めるその時節。
何時も通りの喪服の上に黒のロングコートを羽織り、皮手袋を嵌め、すっかり冬着となっているのは尾弐黒雄
開口一番那須野の口から告げられたその言葉に、彼は手慰みに弄んでいた不揃いのルービックキューブを机へと置いた。

「このタイミングで報告書……ムジナの奴、ドミネーターズ共の拠点でも掴んだか?」

狼王との戦いからこれまで小競り合い程度の事件しか起きていない中での、突然のムジナからの報告
若干の緊張を孕んだ那須野の様子から尾弐が予測し訪ねてみると、返ってきたのは彼の案想像以上に大きな成果であった。

>「だいぶ危ない橋を渡って頂いていたようです。ムジナさんに感謝を――それで、報告の内容なのですが」
>「妖怪大統領の正体を突き止めた……とのことです」
>「妖怪大統領の正体。それは――」
>「バックベアード。かつてアメリカに出現し、大破壊をもたらしたと言われる存在です」

「…………大戦果じゃねぇか。返って来たら銀座で寿司でも奢ってやらねぇといけねぇな」

妖怪大統領。東京ドミネーターズの首魁と目される妖怪の正体の特定。
これまでの戦いの中でもついぞ表にでる事のなかったその情報に対し、尾弐は思わず目を見開き、
次いで久方ぶりの凶暴な笑みを浮かべる。

>「少し前の妖怪ブームなどで、バックベアードもある一定の知名度を持つようになりました。が――」
>「正直なところ、バックベアードという存在が何者なのかについては、まったくと言っていいほどわかりません」
>「……まあ、ぶっちゃけた話、判明したのは妖怪大統領の正体だけ!倒し方だとかは依然わからないまま!ということです」
>「でも、大きな前進と言えるでしょう。『何もワカランということがわかった』というだけでも、ね」

那須野の捕捉説明や祈が携帯電話で調べた情報により、具体的な輪郭を帯びてくるバックベアードという妖怪の実態。
それは、あくまで人類の『そうあれかし』という意志を反映した、ポチの言う通り曖昧な正体不明のものであったが、それでも

「ああ、そうだな――――それでも相手が実在する事は判ったんだ。なら、手は打てる」

それでも、正体不明の何者かであるよりは余程対処の手段はある。
例えば眼前に液体が有ったとして。それが水だと判っていれば凍らせる事も気化させる事も出来るように、
それが確かに妖怪である事が判れば『何かしらの手段』を考案する事は可能なのである。
ここ最近の張りつめた状況の中、閉塞した状況への突破口が見えた事で、若干の楽観を見せる尾弐

>「もしや奴の真の目的は東京に蔓延るロリコンを成敗することなのか!? よし、今度遭遇したら確かめてみるぞ!」
「そうかい。なら妖怪大統領との戦いの時は、ノエル用の猿ぐつわが要りそうだな」

ノエルも同じように楽観的な様子を……いや、彼の場合は常に同じような感じであるから参考にはならないのだが、
それでも発言からどことなく普段より気が緩んでいる様に感じられる。
だが、そんな二人の空気を引き締める様に、常の様なおどけた様子も無く那須野が真剣な様子で口を開く

114尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2017/10/31(火) 00:05:51
>「クリスとロボが前哨戦……とは言いませんが、ここからが西洋妖怪との戦いの本番と言っても過言ではないでしょう」
>「次に彼らが姿を見せるときが、大きく状況の動くとき。それをくれぐれも忘れず、皆さん戦いに備えていてください」

「……あいよ大将。それじゃあ、オジサンはせいぜい腰に湿布でも貼って準備しておくとするかね」

張りつめたその様子に対し、一瞬驚いた様な表情を浮かべる尾弐であったが、直ぐに那須野の懸念を噛み砕き理解すると、
言動こそ不真面目なままではあるものの、黒のネクタイを締め、同時に僅かながらも緩んでいた自身の油断を締め上げる事とした。

「やれやれ……いい年しても、説教される小坊主か、ってな」

尾弐はそこで、何とはなしに師に注意された小坊主の姿を思い浮かべ、それと自分と重ねてしまう。
そして…イメージと己の体躯との落差に小さな苦笑を作ると、照れ隠しの様に手に持った饅頭を一口で喰らい飲み込んだ。


>「じゃじゃーん! 新商品の"雪見だんご"。餅部分はうちのペットのお手製なんだ」
>「……ごめん、違った。一番いいのは……美味しいとこだ。
>それにしても、甘いにも色々あるんだね。面白いなぁ」

「……その新商品。仲間内で食うならいいが、売るのはやめとけ色男。毛でも入ってたら食品衛生法に引っかかって営業停止喰らうぞ」

あと、ついでにノエルが持ってきた新商品に突っ込みを入れた。
蛤女房は迷惑防止条例違反。鶴の恩返しは鳥獣保護法違反。世知辛い時代なのである。

――――――

「……あン?」

尾弐黒雄の瞼が開く。規則的な振動でも、金属の擦過音でもない。
嗅ぎなれた赤い鉄錆の臭いで、尾弐黒雄は目を覚ました。
組んでいた腕を解き周囲を見渡して見れば、そこは墨でベタ塗りにされた様な窓の外の黒と、
鉄臭い無数の黒い染みの紋様が特徴的な、乗った覚えの無い電車の車内。
そして、東京ブリーチャーズの面々。何時も通りのポチ、寝間着姿の祈、熟睡している那須野、着衣への違和感を訴えているノエルの姿。

「……。何となく現実じゃねぇってのは判るが……俺の夢って訳でもなさそうだな」

就寝時には確かに嵌めたままであった皮手袋が存在していない事。
己の身体を苛む痛みが消えている事。
そして、見るのは常に悪夢である尾弐の夢と比べて、昏いとはいえまだ終わってはいない情景である事。
それらの事からこの状況が現実ではない事は察したものの、具体的にどんな状況に置かれているのかを
把握する事が出来ず、尾弐は首を傾げるが

>「……ん……、うぅ……ん……ムニャムニャ……。えへへ、もうそんなにきつねうどんは食べられませんよお……」
>「夢ってことは何してもいい! 仮面を引っぺがしても大丈夫だな!」

「……おい那須野。この状況で何時までも寝てっと、油揚げ作って食わすぞ。昔ながらの鼠の奴」

さりとて、眠っている那須野と仮面に手を伸ばしてはひっこめているノエルの呑気な様子からそこまで危機感を覚える事も出来ず、
窓に拳を叩き入れたり、或いはコンクリの床でも砕く威力で床へと蹴りを入れたりする事で、
列車の頑強さを試す程度の状況確認は行ったものの、それ以上の検証を行う事はしなかった。

>「……ノエっち?君も、夢を見てるのかい?
>祈ちゃんはどう?尾弐っちは?この夢は、僕の夢のはずなんだけど」

「いや――これは、俺の夢じゃねぇな。そんでもって、複数人が意志を持っちまってる以上ポチ助の夢でもねぇ。
 ここまで頑丈って事は、一種の異界みたいなモンだと見て間違いねぇんだろうが、何か妙な感じが……ん?」

鉄など容易く変形させる自身の膂力でも傷つかない強度。想定以上の頑強さを誇る列車。
そして、ポチと自身が自意識を持ち動いている事から、此処が異界の類であるとの判断をした尾弐だが……
突如として鳴り響いた社内アナウンスに思案に耽っていた顔を上げ、次いで点灯したモニターへと視線を向ける

115尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2017/10/31(火) 00:06:26
>『ぎゃああああああああああああああ!!!!』
>「まずいよ、これは……!」

「……! 祈の嬢ちゃん、ノエル、ポチ。多分、このふざけた映像は何の意味もねぇただの嫌がらせだ。
 出来るなら目を逸らしとけ。記憶に残すと暫く肉が食えなくなるぞ」

……点灯したモニターから流れ出た映像は、悍ましい生作りの過程であった。

モニターの先には、刃物を持った四匹の猿と一人の人間が写っている。
ぬいぐるみを悪意を以って作り変えた様な姿である猿達に……人間の男は襲われていた。
腕と脚は縦七つに切り裂かれ、首から下の皮膚を林檎の皮を向く様に切り剥かれ。
骨を覆う筋肉を切り取られ、ぽっかりと開いた腹からは、つみれの様にグズグズに切り裂かれた臓器が露出している。
可能な限り生かされて……そして絶命しても尚、筋痙攣で動く男の姿は、まさに『人間の生作り』。
それ以上に相応しい呼称を浮かべる事が出来ないものであった。

そして、出来の良いスプラッタ映画の様な映像は、これで終わりでは無い。

>《次は〜えぐり出し〜 えぐり出し〜》

アナウンスが流れ、ブラックアウトしたモニターが再度点灯すると同時に流れたのは、
先ほどのものとは別の惨状。見知らぬ女性が襲われる光景。
……そして、その女性が絶命したと思わしき映像の後。

凶行の動画が流れる中、祈はなんとかドアを壊そうと、あるいは窓を破壊しようと足掻いている。
先程自身の膂力で破壊出来ない事を確認している尾弐は、その行為が無駄な事であるとは判っていたが、しかし祈の行動を止める気にはならなかった。
……避けられない他人の惨劇を前にして、例え無駄であろうと何かを行う。そうしなければ自分を保てない。
尾弐自身はとうに感じなくなった物であるが、人間にはそんな情動があるという事を、知識としては記憶しているからだ。

ノエルは那須野を起こそうとその肩を揺すっている……だが、奇妙な事に那須野はどうにも起きる様子がない。
尾弐もの様子に違和感は持ったものの、さりとて現状直ぐに危機であるという訳では無い為、
叩き起こすのはノエルに任せ、モニターに視線を向けながら、周囲を警戒する事に専念する事とした。

>「……尾弐っち。僕が警戒する。祈ちゃんを手伝ったげてよ」
「それは……いや、そうだな。そうさせてもらうわ」

そして、ポチ。彼は尾弐に対し祈の手伝いを……正確には、不測の事態に備えて祈のカバーに入る事を提案した
人懐こくも、どこか薄い紙1枚を隔てている様な距離感を保っていた以前のポチでは、恐らく言わなかったであろうその言葉……言い表すのであれば、
『頼りがいのある』発言に、尾弐は一瞬驚いた顔を見せつつも、了承をしてみせた。
そうして、尾弐はとうに諦めてしまった事に対し、それでも尚も何か出来る事を、助けられる手段を、と足掻いている祈の傍へと歩み寄ると
彼女の死角となる場所をカバーする事とした。


やがて――――女性を襲った惨劇の映像も終わり、更に次にモニターに流れた映像は

> 《次は〜挽肉〜 挽肉〜》

ミートグラインダーを持って襲い掛かる猿と、その猿から逃げる女性の姿。
……ただし、先ほどの二つの映像と異なっているのは、その惨劇の声が、隣の車両から聞こえてきているという事であろう。

これまで流れてきたモニター上の惨劇を一切視線を逸らす事無く眺めていた尾弐は、小さく舌打ちをしてから
視線をモニターから車両と車両を繋ぐドアへと向けると

>「た、助けてっ!助けてください!猿っ、猿が……!」
> 「もう大丈夫。これはただの悪い夢だからね」

先程まではびくともしなかったドアが容易く開き、その先から息も絶え絶えと言う様子で、猿に襲われていた女性が飛び出して来た。
一瞬その女性に対し拳を向けかけた尾弐だが、その必死の様子と害意が感じられない事から判断に迷い、その間に女性はノエルへと縋り付き、助けを求め始めた。
その直後、女性が逃げ出してきた車両の奥からやってきたのは、映像と同じ醜悪な猿達
猿達は、車両を渡って来てから少しの間、様子を伺う様にブリーチャーズと逃げ出した女の姿を眺め見ていたが

>「おい。ボコボコにされたくなかったら武器降ろせ」

祈の言葉を起点とし、自身の敵であると判断したのだろう。
唾をまき散らしながら無作為に尾弐達へと襲い掛かってきた。

116尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2017/10/31(火) 00:07:22

突然の強襲……だが、その戦闘能力は大したものではなかった。

確かに動物として素早く、的が小さい為に攻撃は当たり辛いが、それだけなのだ。
現に、偶然ドア付近に居た尾弐とポチへ襲い掛かってきた数匹の猿は、ポチにの能力に容易く翻弄され、
尾弐には何度か刃を当てているものの、強靭な鋼の如き皮膚に傷の一つすら付けられない。
猿の内、一匹が尾弐とポチの壁を抜けて祈へと迫ったものの、得意とする速度で祈に負けて顔に拳を叩き込まれる始末だ。

そうして暫くの交戦の後、不利を悟ったのかあるいは別の理由か、猿達は元の車両へと一時撤退を決め込んだ。

「……化物が弱ぇのは良い事なんだがな」

敵対者としては余りにお粗末な『猿夢』に対し、逆に警戒を覚える尾弐であったが、その思考を遮る様に響く声が一つ



>「東京ブリーチャーズの皆さま!切符を拝見いたしますわ!」
>「夢の世界へようこそ!そう……ここは夢の中。現実世界の貴方たちは今、睡眠状態にあるのですわ」

「東京ドミネーターズ……!」

前方の車両より現れた人影。声の正体。それは、かつてコトリバコとの戦いの際に対峙した、東京ドミネーターズが一人
妖怪大統領の娘であると自称するレディベアであった。
己が仕組んだ悪意の罠を自慢げに語るその姿を、怨敵たる化物の姿を目撃した尾弐は、
ノエルの人として不味い台詞すら耳に入れる事無く、重圧すら感じさせる程の殺意をレディベアへと向け

>「いいから、いいから!折角こうして会えたんだ、自己紹介くらいさせてほしい!やあやあ、諸君!はじめまして!」
>「そうだなぁ。わたしのことは謎のイケメン騎士Rとでも呼んでくれると嬉しいな!はっはっは!」

だが、その直後にレディベアの傍に控えていた男の声を聞き、その人物に意識を向けた瞬間――――尾弐の殺意は霧散した。
いや正確には、殺意は別の感情に押し潰されたのである。
ノエルとは別の系統で整った顔立ちをし、柔和な空気を纏う青年。
一見すればただの人間にしか見えず、そして実際に妖気も感じ取る事の出来ない、ふざけた偽名を名乗るその青年。
彼を認識した瞬間、尾弐の直感が『レディベアを無視してでも青年に最大限の警戒を行う様に』訴えかけたのだ。

>「さて」

そして、尾弐が自身でも判らない本能的な警鐘に内心で戸惑っていた間に、その他の東京ブリーチャーズの面々への挨拶……本当に挨拶だけを交わした
その男は、最期に尾弐の前に立つと、余裕の態度で尾弐へと微笑すら向けて見せた

>「シェイクハンドはノーサンキュー、という顔をしているね。そんなに警戒しなくてもいいよ、ミスター」
>「少なくとも、わたしはキミたちと戦うためにここへ来たわけじゃないからね。あくまでわたしはレディの護衛だ」
>「キミたちがレディに危害を加えるというのなら話は別だけれど、今回のキミたちの相手は我々じゃない……だろう?」
>「まっ!わたしはギャラリーということで、背景か何かと思ってもらえると嬉しい!」

「……。おいおい、オジサンこう見えて社会人だぜ?求められりゃ握手くらいするぜ。お前さんの腕を捻じ切るくらい、しっかりとな」

そんな男の正面に立ち、多弁な男の言葉を受けた尾弐は、己が感じる警戒心を表に出さずに抑え込み、
敵意のみを含めた言葉を返して見せた。
それは、強い警戒をしている事を悟られない為の腹芸であったが……

>「それにしても、話には聞いていたが――予想以上に面白い」
>「イノリちゃんやノエル君、ポチ君は、まったくもって正義の味方。愛と勇気に満ち溢れた、キラキラ輝く魂を持っているけれど――」
>「ミスター。そんな色の魂を持つキミが、どうして正義の味方なんてやっているのかな?」
>「キミにふさわしい居場所は、そんなキラキラした場所より。むしろ……」

「――――」

その演技は、青年によって突き崩される。
青年の発した言葉によって、ほんの一瞬……刹那よりも尚僅かな時間。尾弐の纏う空気が変わった。
常の様な乾いた気だるさでも、妖壊に向けた炎の様な殺意でもない。
黒く粘り付く泥の様に悍ましく、新月の海の様に昏い、奈落の呪詛めいた……

117尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2017/10/31(火) 00:07:56
>「クロちゃんは僕よりよっぽど正義の味方だよ! いっつも体を張ってみんなこと守ってくれるんだから!」
>「……えーと、それは僕達の相手になりたいって意味で受け取っていいのかな」

「いや……期待されてる所悪ぃんだが、俺の魂なんて汚れてるに決まってんだろうが。
 若ぇ連中と違って、年食えば心も腰の骨も肝臓もキレエなままじゃいられねぇんだよ」

だが、その異常はまるでテレビ画面に走ったノイズの様に一瞬で消え、後にはいつも通りの尾弐黒雄が残る。
もしも、その変容を察する事が出来る人物が居たとするのであれば眼前の青年だけであろうが――――尾弐にとってそれは問題ない事だった

>「いつまでお喋りしているんですの!親睦を深めるために貴方の随行を許したわけではなくってよ!?」
「まあ……御託はさておき、のうのうと観客なんてやらせる必要もねぇわな」

そう。別段、問題ない。どのみち、眼前の青年もレディベアも生かして返す必要はないのだ。
尾弐はミシリと音が成る程に拳を握りしめ

>「ま、まだわたくしが退避しておりませんわよ!?なんとかなさいな、R!」
>「と言われても……。嵌められちゃったかな?こりゃ参った!あっはっは!」
>「あーあ、観戦のためだけに来たりするから……」
>「いい気味じゃないか。それに……アイツらなんて、ただの猿だろ?何をそんなビビってるのさ」

「――――いや、自信満々で出てきてマジかよ」

……そして、握りしめた拳を振るう前に、繰り広げられた寸劇じみたやり取りによって脱力させられてしまった。
まさかの、車両から脱出する事が出来ないというレディベア。
彼女の焦った様子と、襲い掛かって来る猿の殺意ははどう見ても演技には見えず……つまりそれは、この襲撃計画が、レディベアの手から
別の誰かの演目へと切り替わった事を示していた。

「さーて、面倒くせぇ事になってきやがった、畜生が……!」

ノエルが猿を氷雪によって猿を縛り、ポチが猿の頸椎を噛み砕こうとせんとするのを横目に、
尾弐は、猿の一匹が眼球めがけて突き出してきたアイスピックを歯で噛み受け止め、驚愕して硬直した猿を左手で掴む。

「おいおい、厄介な連中がいるからって、テメェ等が許されると思うなよエテ公。
 ……折角だからお前がこれからどうなるか、教えてやるよ。『次は、肉団子』だ」

そうして尾弐は、まるでルービックキューブを弄ぶ様に、猿を四肢の端から小さく小さく折りたたんでいく。
あまりに惨い行為だが、それを行う尾弐に感情の色は無い。ただただ、作業的に猿を小さく小さく、団子の様に丸めていく

>「やっぱり君達も僕達もこの夢の中では同じ扱いみたいだ。つまりここで全員共倒れすれば僕達をここに送り込んだ奴の思う壺、というわけだね。
そこで取引だ――ここから無事に脱出するまで手を組んでみる、というのはどうだろう」
>「気を悪くしたらごめんよ。だけど……実際、僕らを手を組むのは悪くないと思うよ。
>橘音ちゃん、こんなに騒がしくしても起きないけどさ。
>夢の中で、寝てるって……じゃあ橘音ちゃんの……意識?精神?まぁそういうのはさ、今、どこにいるんだろね」

そして、そんな残虐行為の最中。尾弐の耳に、ノエルとポチの二人によるレディベアの共闘を提案する声が届いた。
一瞬、眉を潜める尾弐だが……

「ま、馬鹿じゃなけりゃ共闘以外はねぇだろ。テメェ等も、エテ公と俺達全員を相手にした後で自分を嵌めた奴を相手取れる――――程に無尽蔵じゃねぇんだろ? 
 だったら、俺らに協力するのが賢い選択だ」

……意外な事に、本当に意外な事に、尾弐は二人の提案への賛同の意志を見せた。
ドミネーターズとの共闘。妖壊を滅する者としか認識しない尾弐にとってそれは、唾棄すべき選択である様に見えたが、一体どの様な心境の変化であろうか

「お前らは無傷で帰って、嵌めた奴をぶっ潰せる。俺達はテメェらが潰し合う事で、その戦力を減らせる……お互いにメリットの有る選択だろ」

尾弐は、赤黒い団子の様になった猿を中空に放り投げて無造作に殴りつけると、
手首を振り、付着した血を飛ばしてから視線をレディベアへと向け、再度口を開く。

118尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2017/10/31(火) 00:17:21
「……で、だ。もし協力する気が有るなら教えろ。この『夢の主』は誰だ?」

そうして、未だ目を覚まさない那須野の前の席へとドカリと腰かけた。

「昔取った杵柄って奴でな。オジサン、異界、結界の類にはちっとばかし詳しいんだよ。
 ……夢魔、或いは猫又。精神世界に住む魔物が『夢』を異界として区切り、支配する為には、たった一つだけ変えられないルールがある。
 それは――――夢を支配する側は、必ずその内側に登場人物として存在しないとならねぇって事だ」

座ったまま眼前の那須野から視線を外し、先ほど逃げ込んできた女へと視線を向ける。

「当然だな。起きてる奴に夢は見れねぇ。だから、夢を支配下に置く以上は自分も夢を観る必要がある。
 姿を誤魔化す事も、認識をすり替える事も出来る。だが、どんな魔物も高僧にも、夢を観ないままに夢を統べる事は不可能だ
 ……そんでもって、一介の都市伝説にしちゃあ頑丈過ぎる列車と、これだけの人数を取り込む妖力。
 こいつは俺の直感だが、この夢の主はとっくの昔に『猿夢』じゃないんじゃねぇか?」

そうして、最後にレディベアの傍に立つ青年へと視線を動かす

「打破すべき『夢の主』は誰か……別に答えたくなきゃ答えなくてもいいが、その時は相応の態度で対応させて貰うぜ」

バキリと鳴らされた指は、仮初の共闘を拒否された場合の対応を明確に示している

119那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2017/11/03(金) 08:16:29
>そこで取引だ――ここから無事に脱出するまで手を組んでみる、というのはどうだろう
>気を悪くしたらごめんよ。だけど……実際、僕らを手を組むのは悪くないと思うよ。
>だったら、俺らに協力するのが賢い選択だ

「だっ……、誰が貴方たちのような下等妖怪どもと手など組むものですか!莫迦も休み休み仰いなさいな!」

東京ブリーチャーズ三人の提案した『一時的共闘』の申し出に、レディベアが気色ばむ。
支配者クラスである東京ドミネーターズを率いる者としてのプライド、というものだろうか。
しかし、提案をにべもなく突っぱねたレディベアに対して、謎のイケメン騎士Rが小声で囁く。

「レディ、よく考えてごらん。彼らの提案は決して悪くないと思うけどね」
「それに――この『猿夢』が恐ろしい妖異だというのは、キミも知っているだろう?生還したければ戦力は多いに越したことはないよ」
「対等に手を組むのが矜持に反するのなら、あくまで矢面に立つのは彼ら。キミは必要に応じて手を貸すということにすればいい」

「でも……うーん……」

「……手を組めば、イノリちゃんと堂々と一緒にいられるよ?」

「あっ」

レディベアはチラリと祈の方を見てから、腕組みして眉間に皺を寄せ熟考したような素振りを見せると、

「や……、已むを得ませんわね!あくまで今回限り、例外中の例外ということで――」

と、前言を翻してブリーチャーズとの共闘を呑む態度を見せた。
しかし。

「よし、決まりだ。東京ブリーチャーズの諸君、答えは『ノー』だ」

Rが一度かぶりを振る。

「今の相談はなんだったんですのっ!?」

がびん、とショックを受けるレディベア。

「一応、騎士なものでねぇ。一度決まった立ち位置を、利害関係によって軽々しく翻すことはできないんだよ」
「とはいえ、だ。最初に言った、キミたちと戦うつもりはないという言葉にも偽りはない。わたしはあくまで背景と思ってほしい」
「わたしはキミたちを助けない。キミたちもわたしを助ける必要はない。攻撃し合わない、それが妥協点かな」
「いや、我ながら石頭だなとは思うんだけど!でも、気分と言うか信念と言うか、ポリシーの問題だから!」
「スッキリしないことはしたくないんだよね!だから、勝手だとは思うが許してほしい!」

右手を後頭部に添え、あっはっは、と朗らかに笑うRである。

「第一、わたしは非力だし。自分とレディの身を守るだけで精一杯さ、キミたちに加勢したところで役立たずだよ」
「あ、でも、それはわたしひとりの話だから!レディのことはキミたちにも是非お願いしたい!」

「なんですのそれは!?それでもわたくしの護衛――」

「いいから、いいから!ホラ、話をしている余裕なんてないよ?そろそろ次の駅員さんが巡回に来る頃じゃないか?」

Rが車両内で氷漬けになったり、尾弐によって肉塊に変えられたりした猿たちを軽く指差す。
見れば氷漬けになった猿が、ポチの捉えた猿が、急速に朽ち果ててゆく。
ブリーチャーズの眼前で猿たちは瞬く間に白骨化すると、塵に変わった。
尾弐の作った肉塊もシュウシュウと音を立てながら溶解し、腐汁となって電車の床の中に埋没してゆく。

「…………」

異様なその光景を目の当たりにしたレディベアが息を呑み、つつつ、と祈の隣にやってくる。

「し、しし、仕方ありませんわ。そこまで貴方がたが手を組んでほしいと言うのなら、ええ。そう、非常時ですもの……ね?」

うんうん、と自分を納得させるように言っては頷く。
と、またしてもスライドドアが開き、新たに四匹の猿が入ってきた。
その着ている衣服は先程までの猿と同じ駅員の上着だが、体躯が心なしか先程よりも大きくなっている。
小型のニホンザル程度だったのが、チンパンジーくらいの大きさに変わっていると言えばいいだろうか。

《次は〜 ほねぬき〜 ほねぬき〜》

もう何度目かになる、不吉な車内放送。
猿たちは手に巨大なペンチのような器具を持っている。それで骨を無理矢理えぐり取ろうというのだろうか。

「ウキャ――――――――――――――ッ!!!」

四匹の猿はそれぞれ祈、ノエル、ポチ、尾弐に狙いを定めると、一気に襲い掛かってきた。

120那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2017/11/03(金) 08:17:55
「いやああああああああああッ!!!」

女性の癇高い悲鳴が車両内に響き渡る中、再度の戦闘が始まった。
チンパンジー程度の大きさになった猿たちが吊革をターザンロープ代わりに使ったり、壁や天井を足場にして躍りかかってくる。
先程の猿たちは多少のすばしっこさはあったものの、東京ブリーチャーズの敵ではなかった。
が、今度は違う。その証拠に今度は祈の打撃を受けても一撃では怯まず、ニタリと嗤って反撃してくる。
ノエルの氷結でも、容易に凍り付かない。氷の膜が身体を覆っても、すぐに全身の筋肉を膨張させて粉砕してしまう。
ポチの不在の妖術に対しては対処できていないらしいが、先程のように頸部を掴んでも容易には拘束できない。
両手持ち用の巨大なペンチを巧みに取り回しながらの攻撃は、尾弐をもってしても制圧が困難であろう。

『強くなっている』。

それはあたかも、先程の猿たちによって東京ブリーチャーズの性能を確認し、対応した猿を送り込んできたかののように。

「アシスト致しますわ、祈!」

か、とレディベアが隻眼を見開く。その瞳から膨大な妖力が溢れ出、蒼白い炎のように燃え盛る。
妖怪大統領譲りの瞳術だ。その視線に射竦められた存在は、何者も身動きが取れなくなる。
今にも飛びかかろうというポーズのまま金縛りにあった猿は、祈にとって絶好の的であろう。

「――ポチ君。キミは言ったね、レディがこの夢にこれほど怯える理由は何かと」

ブリーチャーズが狭い車内で乱戦状態になって戦う中、前方車両側のスライドドアに背を預けたRが口を開く。
本当に自分は背景扱いということで、猿たちとの戦いには参加しないつもりらしい。

「この『猿夢』とは、ただ夢の中で猿に襲われる――それだけの妖異じゃないんだよ」
「猿だけじゃなく、この電車も。わたしたちの今いる夢の世界そのものが『猿夢』なんだ。つまり『猿夢』とは――」
「『夢の中で猿に襲われ、そこで殺されると現実でも死ぬ』のではなく『猿によって殺されるという夢』の妖異なのさ」

ひらりと右手を振り、Rが告げる。
ほとんど差がないように聞こえる両者だが、そこには明確な差がある。
猿が人の夢に侵入して殺人を働くのではなく、人が猿の支配する夢の中に引きずり込まれるという違い。
つまり、現在東京ブリーチャーズは敵の胃の中にいるということ。この時点で『詰み』なのである。

「もう分かっていると思うけれど、さっきの猿はあくまで人間用。戦う術を持たない者を一方的に虐殺するための獄吏だった」
「が、今度は違う。猿夢はキミたちの戦力を分析し、その能力を上回る存在を差し向けてくる」
「そして――その数は無尽蔵。だって夢だからね?夢の世界では、どんな物理法則や世の理も意味を成さない」

強烈な打撃を浴びて大きく仰け反るも、すぐに持ち直した猿がレディベアの瞳術を力ずくで打ち破り、祈へ殴り掛かる。
あるいは鋼鉄の巨大なペンチを振り上げ、ノエルの頭蓋を陥没させようと攻撃を繰り返す。
あるいは不在の妖術に目が慣れてきたとでもいうのか、ポチの攻撃や体捌きをものともせずに跳ね回る。
あるいはペンチを自らの腕の延長さながら取り回し、尾弐の死角を巧みに衝いて矢継ぎ早に打撃を放つ。

今この瞬間も、猿たちは東京ブリーチャーズの戦闘力を分析、計測し、自らの強さを調整しているかのようだ。
現状、まだブリーチャーズ陣営の方が有利ではあるものの、それも三十分後、一時間後となればどうかわからない。
このままではジリ貧で徐々に押されてゆき、ひとりまたひとりと斃れ……ということにもなりかねない。
と、すれば。

121那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2017/11/03(金) 08:18:13
「さっき、この夢の主は誰だ……と言いましたわよね」

祈へ援護射撃をしながら、レディベアが言う。

「わたくしは、面白い妖壊を連れて来たから、ブリーチャーズが苦しむのをアリーナ席で楽しむといい――と言われただけですわ」
「ですから、わたくしがこの『猿夢』に関して持っている情報は、最初に話したものだけ。あとは知りません」

レディベアに虚偽の様子はない。正真、彼女は『猿夢』に関しては大した情報を持っていないのだろう。

「ただ――」
「これは電車なのでしょう。ならば、運転手がいるはずですわ。いくら夢の中でも、運転手なしで走る電車などありえませんもの」

「まあ、運転手がいるとするなら、当然運転席。先頭車両にいるはずだよねえ」

レディベアの証言に、Rが言葉を足す。
恐らく定期的に車内放送をし、猿たちをけしかけている者が運転手なのだろう。
……と、すれば。

「猿を倒しながら先頭車両までたどり着き、運転手を倒して電車を止める……というのが、一番手っ取り早いですかしら」

口で言うのは簡単だが、それは極めて困難なミッションである。
例え今戦っている猿たちを倒したとしても、次には更に強い猿たちが行く手を塞ぐことになるだろう。
入口上の液晶画面によれば、現在東京ブリーチャーズのいる車両は電車のほぼ中央。
先頭車両へ行くには、さらに四両ほどの車両を移動しなければならない。
その間、過酷な戦いを凌ぎ切れるか?それが問題だった。

122那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2017/11/03(金) 08:18:51
夢の中を結界とし、誰かを閉じ込めようとするのなら、自らもまた夢を見なければならない。
それは誰にも曲げることのできないルールである。尾弐の言う通りだ。
これほど強固な結界を構築する以上、『猿夢』の主もまた東京ブリーチャーズと同じ土俵にいると考えるべきだろう。

「いやぁ、お見事!やっぱり強いな、とんでもなく強い!さすが、クリスとロボを倒しただけのことはある!」

ブリーチャーズたちが猿をからくも撃退すると、Rがぽんぽんと拍手をする。

「R!見ていないで、貴方も手伝ったらどうなんですの!?」

レディベアがぜえぜえと肩で息をしながら突っ込む。
東京ドミネーターズの大統領代行である自分が働いているのに、護衛が働かないとは何事かと言っている。
が、Rはまったく悪びれもせず、軽く肩を竦めた。

「わたしの出る幕なんて、ないと思うけどね。それより、ほら……先に進んでいいみたいだよ?」

言いながら、前方車両へ続く連結部のスライドドアの取っ手に手をかける。
軽く力を入れるだけで、先刻あれほど強固に閉まったままだったスライドドアはあっさりと開いた。

「また閉まっちゃうといけない、ここはわたしが開けたままにしておこう。みんなの準備が整ったら、先へ進もうか」

そう告げて、全開にしたドアに身を凭れさせる。

「祈、大丈夫ですか?お怪我はありませんこと?」

他のブリーチャーズそっちのけで、レディベアが気遣わしげに祈の具合を確かめてくる。
祈に大きな負傷がないことを確認すると、レディベアはほっと息をつき、

「……よかった」

そう、ふわりと笑った。
が、いざ準備を整えて次の車両に進もうとしたところ、異常事態が起こった。
つい先ほどまで車両の長椅子で寝こけていたはずの橘音が、忽然と姿を消している。
乱戦状態の戦いの中では、橘音に注意を払う余裕など誰にもなかったとはいえ、狭い車内である。
橘音が目を覚まして起き上がるなりすれば、気付かないはずがない。
というのに、誰ひとりとして橘音が車内から姿を消したことに気付かなかった。
夢に引きずり込まれた女性も、知らないと言っている。戦いの巻き添えを喰わないよう隅で丸まっていたらいなくなっていた、と。

「いなくなったものは仕方ありませんわ。先へ進みませんこと?こんな不祥事、一刻も早くお父さまにご報告し処罰して頂かないと!」

自分をこんな境遇に追いやった者が許せないとばかり、レディベアが祈の右手を取って歩き出そうとする。
次の車両へ移動すると、またしても不吉なアナウンスが流れる。

《次は〜 ひきさき〜 ひきさき〜》

前方車両のスライドドアが開き、二匹の猿が現れる。
今度の猿は、先程のチンパンジー大の猿よりさらに一回りほど大きい。
全身が明るい茶色の長い毛で覆われており、でっぷりと肥えている。その姿は動物園で見かけるオランウータンに酷似していた。
ただし、腕が極端に長い。猿臂というくらいで、猿には長い腕を持つ者が多いが、それを踏まえても長い。手長レベルと言えばよいか。
その両手の先端には、これまた長い鉤爪が装着されている。

「グフッ……グフフッ……ブキャァァァ―――――――――――ッ!!」

駅員の上着を纏い、制帽をかぶったオランウータン二匹がブリーチャーズめがけて攻撃してくる。
数こそ減っているが、今度の猿は前車両の四匹よりさらに強い。
行く手を塞ぐように前方車両のドア前に陣取った二匹の猿は、座ったままその場を動かない。
しかし、長すぎる腕で縦横無尽に攻撃を仕掛けてくる。四本の腕は車両の隅から隅まで届き、ブリーチャーズの死角を狙う。
そのスピードはターボババアのそれに匹敵し、氷雪を容易く受け付けず、狼王の被毛を斬り裂き、鬼種の筋肉をも貫通する。
そして、ブリーチャーズの肉体には徐々に異常が現れる。
一挙手一投足のたび、まるで水の中で動いているような――そんな抵抗を感じる。
ままならない夢の中で足掻く感覚。
猿だけではない――この電車内の空間そのものが、ブリーチャーズの敵としてその威力を発揮している証左だった。
『猿夢』の中にいる限り、東京ブリーチャーズはその支配を受け入れ、イニシアチヴを取られ続けるしかない。
それがレディベアの言う、絶対的死。逃れられぬ死の夢の正体だった。

123那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2017/11/03(金) 08:19:19
オランウータンの猿臂に嵌められた鉤爪が、容赦なくブリーチャーズを傷つけてゆく。
この空間、夢の中では、すべての事象が猿たちの有利に働く。仮に猿たちを退けることができても、それは一時的なことに過ぎない。
すぐに倒した猿を上回る強さの猿が現れ、ブリーチャーズを夢の世界と現実世界、二つの世界に跨って殺害しようと押し寄せてくる。
二匹のオランウータンをからくも撃破すると、また先程のように前方車両のドアが開き、先に進めるようになった。
相変わらず橘音は忽然と消えたままだ。
この電車の中で唯一の一般人である女性はと言えば、すっかり呆然自失してしまっている。
たとえ無事にこの夢から生還できたとしても、精神に重篤な障害が残るかもしれない。
しかし、この一団と離れたら確実に死ぬ、ということだけは理解しているのか、ブリーチャーズに縋るようについてきた。

《次は〜 まっぷたつ〜 まっぷたつ〜》

次の車両に移動した途端、前方のスライドドアが音もなく開き、ぬう……と巨大な影が入ってくる。
それは身長二メートル以上ある、真っ黒い筋肉の塊のような巨猿だった。
ゴリラだ。しかし通常動物園で見るそれとは比較にならない。前のめりの姿勢だというのに、頭が天井につっかえている。
ほとんどブリーチャーズの前方の空間を埋め尽くすような巨大さだ。
そんなゴリラが手に持っているのは、これまた規格外の大きさのチェーンソー。
オランウータンの持っていた単なる鉤爪さえ、ポチや尾弐の防御を突き破ったのだ。チェーンソーの威力は想像に余りある。
また、対物理・対妖術防御力も今までの猿より強固なのは間違いない。
そして、ブリーチャーズの行動を制限する纏わりつくような空気の重さ、ままならなさはどんどん酷くなっている。

「ゴホッ、ゴホホ……グルルルルァァァッ!!」

ゴリラがスターターロープを勢いよく引っ張ると、ドルルルルン!という轟音と共にチェーンソーが起動し、刃が猛転を始める。

「さ、さすがに息切れしてきましたわ……!わたくし、元々飛んだり跳ねたりは苦手なのです!」

顎先に滴る汗を拭いながら、祈の隣でレディベアが渇いた喉を無理矢理唾液で湿らせて言う。
レディベア――モノは基本的にインドア派である。妖怪なので運動神経は人間とは比較にならないが、屋外より屋内を好む。
中学校では祈を付き合わせて図書室へ行き、山ほど本を借りて片端から読破したりしていたのだ。
それでもこの電車内での戦いではきっちり祈の動きに合わせ、瞳術で猿の動きを止め、あるいは幻惑し。
活路を開いているあたり、東京ドミネーターズ大統領代行の肩書きは伊達ではない。
……とはいえ、その動きも最初の頃に比べてだいぶ精彩を欠いている。
本来東京ブリーチャーズにのみ適用されるはずだった、行動を阻害する重苦しい空気。
それを同様に感じているのだから無理もない。

「…………」

Rは、まだ動かない。最後列で一般人の女性を護るように、腕組みして佇んでいる。

「グォルルルォゴォアアアアアアッ!!!」

ゴリラがチェーンソーを振り回しながら突撃してくる。その突進力、膂力はひょっとしたらロボのそれを上回るかもしれない。
チェーンソーの回転する鋭利な刃は車内の鉄の柱を容易に切断し、掠っただけでも尾弐たちの膚を傷つける。
万一直撃すれば、いくらブリーチャーズでも只では済まないだろう。

「わたくしの《魔眼》の効きも悪いですわ!これだから下等な類人猿は……!」

かつて祈を一撃で戦闘不能にし、今なお猿狩りに覿面な効果を発揮したレディベアの瞳術も、ゴリラには効き目が薄い。
祈のスピード、ノエルの妖術、ポチの牙、尾弐の怪力、そしてレディベアの瞳。
今までの戦闘で収集したデータを活かし、それを上回る猿を創造して戦わせる『猿夢』。
そして、もしこのゴリラを首尾よく倒せたとしても、次にはもっと強い猿が確実に現れるという事実。
これこそまさに悪夢であろう。

ゴリラのチェーンソーが祈の胴を上下泣き別れにしようとするところを、レディベアの束縛の妖術が間一髪食い止める。

「……祈!」

「これは……さすがに一筋縄ではいかない、かな?」

他人事のように呟くR。
ノエルの放った妖術の氷雪を跳ねのけ、ゴリラが飛礫として逆に投げ返す。
影と同化しようとするポチの首根を引っ掴み、影から引きずり出して壁に叩きつける。
尾弐の拳を分厚い胸板に受けるも、僅かにぶれたのみで殴り返してくる。

「ゴオオオギャアアアアアアア―――――――――――ッ!!!!」

咆哮。ゴリラが一歩、また一歩と前進し、ブリーチャーズたちを追い詰めてゆく。
このままいけば、全滅は必至であろう。夢の中で死に、そして現実世界でも死ぬ。逃れられぬ絶対的死――

しかし。

124那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2017/11/03(金) 08:19:56
突然、ガクン!と電車が大きく揺れる。
まるで今日初めて運転席に座ることになった新米運転手の運転のような、無理な急ブレーキだ。
それから電車が不自然に右に傾く。あたかも、本来の線路から別の線路へ強引に方向転換したかのように。
ブリーチャーズやレディベアのみならず、ゴリラもバランスを崩している。ブレないのはRだけだ。
ゴリラが狼狽している。それは、この世界の支配者である猿にも想定外の出来事が起こり始めているということの証拠だった。

と。

《はいは〜い! 本日は猿夢鉄道、地獄行き通勤特快をご利用いただき誠にありがとうございま〜す!》

そんな、やけに能天気な車内放送が流れてきた。
今までの陰鬱なアナウンスとは明らかに違う。その内容は殺し方を予告するものではないし、それ以前に――
祈、ノエル、ポチ、尾弐は、その声を聞いたことがある。

それは、まぎれもなく橘音の声だった。

《当車両は時間調整のため、次の駅にて一旦停車致しま〜す!ご利用のお客さまには、大変ご迷惑をおかけ致しまぁ〜す!》
《なお、次の駅より先は特急となり、地獄まで停車致しません!乗り換えをご希望のお客さまは次の駅で下車願いま〜す!》

橘音の声の放送はいつも通りの緊張感のない、軽快な語り口で次の駅のアナウンスを続ける。

《次は〜 きさらぎ〜 きさらぎ〜》

駅名を告げると、車内放送は終わった。
それとほぼ同時に、今まで一定のスピードで走っていた電車の速度が落ち始める。駅へ停車するためだろう。

「グギャアオオオオオ――――ッ!!!」

そうはさせじと、ゴリラが思い出したように攻撃を再開してくる。
電車が駅に到着する前に、全員を葬り去ってしまおうとでも考えているような猛攻だ。
激しい攻撃を凌いでいると、やがて電車の前方にぽつんと小さな無人駅が見えてくる。
電車が無人駅のホームにゆっくり停まると、右側の自動ドアが小さな音を立てながら開いた。

「行きますわよ、祈!こんな電車は懲り懲りですわ!」

祈の手を引っ張り、レディベアが一番にホームへと降り立とうとする。自分の陣営が用意した電車だということは棚上げだ。
ゴリラはチェーンソーを振り上げ、長大な牙を剥き出しにして吼えたが、電車の外へは出られないらしい。
ノエルと、ノエルに縋りついている女性。ポチ、尾弐、Rが降りると、最後に先頭車両の扉から黒い人影が降りてきた。

「アハハ、いや〜!ギリギリで間に合いましたね!」

あっけらかんと笑う橘音である。

「どうして運転席から出てきたのか、って?ふっふっふっ……実は、ボクがすべての黒幕だったのです!」
「……あ、ウソですよ?そんな怖い顔して睨まないで下さいよ、ハハハ……」
「話は後です。まずは改札を出ましょう、そこまで行けばもう、あのゴリラも手出しできないでしょうから」

誤魔化すように告げてから、マントを翻して改札をくぐろうとする。
改札とは言っても、東京の各駅にあるようなタッチ式の自動改札機などない。ただ、古びて錆びついたゲートを通過するだけだ。

『きさらぎ駅』。

『猿夢』と同じ、近年有名になったネットロアの一種だ。正体不明の駅で、そこへ迷い込んだ女性が行方不明になっている。
周囲には街灯ひとつ立っておらず、駅以外は完全な暗黒に包まれている。
錆びついた看板に、駅員ひとりいない駅舎。ちかちかと明滅する、剥き出しの蛍光管。
きちんとメンテナンスされているのかさえ怪しい、古い駅だ。いわゆる秘境駅というものだろうか。
不気味な場所だが、地獄行きの快速列車で真っ直ぐあの世に直行するよりはマシだろう。

125那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2017/11/03(金) 08:20:51
「キミが東京ブリーチャーズのリーダー、狐面探偵君か。はじめまして――お噂はかねがね」

「どうも。ボクもアナタのことは聞いてますよ……イケメン騎士さん」

改札をくぐり、きさらぎ駅の入口に差し掛かったところで、橘音とRが握手と共に挨拶を交わす。
すぐに手を離すと、橘音はマントを翻してブリーチャーズの面々に向き直り、軽く一度咳払いした。

「さて、ではご説明しましょう。どうしてボクが運転席にいたのか」
「理由は簡単です。猿夢は眠っている無防備な皆さんを夢の世界に引きずり込みましたが、ボクだけはそれが不充分だったのです」
「なぜなら、ボクはそういった外的な攻撃に対して耐性がありますのでね。……このマントのおかげで」

橘音が常日頃から羽織っている漆黒のマント、狐面探偵七つ道具のひとつ『迷い家外套』。
このマントは結界として働き、着用者を守護する。マントの生み出す結界が、猿夢の魔手から橘音を護ったということらしい。
……眠るときもマントを身に着けているのか、という問題は別として。

「夢の世界で起きているということは、現実世界で眠っているということ。逆もまた然り――」
「皆さんは、先程車両の中で眠っているボクの姿を見たのではありませんか?」

マントによって守護されていたため、橘音は夢の中で覚醒せず、メンバーの前でも眠ったままだった。
そして夢の中に完全に引きずり込まれる前に現実世界で目を覚ましたがゆえ、忽然と姿が消えたのだ。
たった今自分の身に起こった事態を敵からの攻撃と判断した橘音は、現実世界で準備を整えると、もう一度眠りについた。
そして、今度は敢えて敵のフィールドに引きずり込まれたのだという。

「眠った先に何が待ち受けているのか。何が起こるのか。事前に分かっていれば、ある程度対処は可能です」
「例えば……ボクが夢の中で目覚める場所を皆さんのいる車両ではなく、先頭車両の運転席に変更するくらいは……ね」

首尾よく運転席で覚醒した橘音はすぐに電車の路線を変更し、地獄直行のはずの電車を途中停車させたのだ。

「『猿夢』の死のシナリオを覆すには、別の夢をぶつけるしかない。それがこの『きさらぎ駅』……」
「きさらぎ駅とは、幻の駅。現実世界と幽界、常世の狭間にある駅。夢の中の駅」
「ごくたまに出現する、二つの世界に跨る綻び。その中に偶々人が紛れ込んでしまうというのが、件のネットロアの真相なのです」
「ま……非常事態なんで使いましたが、決してイイモノじゃありません。こんな駅からは早く立ち去るに越したことはない」

ふう、と息をついて軽く肩を竦める。

「その前に、やることをやってから……ね」

「……貴方。何が言いたいんですの?」

祈の隣にいるレディベアが小首を傾げる。

「ふふ……。わかりませんか?」

そう言って、橘音はこの場にいる全員の顔を勿体つけながらゆっくり見回した。
探偵稼業にありがちな、謎解きタイムの間の取り方である。とかく探偵とは結論を中々言わないものだ。

「ボクたちのいるこの場所は、もう『猿夢』の世界ではありません。猿たちのアドバンテージは消滅している、つまり」
「ここでは、猿夢は無敵でも無尽蔵でも、ましてや不死身でもない……ということです」

橘音が『猿夢』の世界から『きさらぎ駅』の世界に進路変更したお陰で、猿たちはもう先程までの優位性を保てなくなった。
そして、結界の構築には術者がその場に立ち会うことが必須。夢を結界に使うなら、自らもその場にいなければならない。
……だとしたら。

「クロオさんは、とっくに気付いていたんでしょ?電車に皆さんを引きずり込み、猿をけしかけた『猿夢』の主が誰なのか――」
「これは『人を殺すことを存在意義とする怪異』、改心する可能性も、また情状酌量の余地もありません」
「ってことで。漂白しちゃってくださいな」

尾弐に視線を向け、橘音はそうはっきり告げた。

126多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/11/05(日) 20:23:06
「オッルアアア!」
 祈は繰り出された錐を体を捻って躱し、突っ込む勢いのまま猿の顔面に飛び蹴りを見舞った。
猿はのけ反り、床に後頭部をしたたか打ち付けるが、それでも慣性を殺しきれず、
まるで祈を乗せたスケートボードのように後頭部を擦りながら滑っていく。
そのまま後方に控えていたもう一匹の猿をも巻き込んで後方のドアに激突して、ようやく止まる。
 二匹の猿は錐などの得物を放し、ぐったりしてしまった。
「これで二匹だな」
 ふぅ、と一息吐きながら周囲の様子を窺うと、
ノエルは問題なく猿の首から下を氷漬けにして拘束しているし、
ポチも――どう見ても攻撃が当たったように見えたのだが――いかなる手段か猿の攻撃を薄皮一枚で避けて背後に回ってその首根を抑え込んでいて、
尾弐もまた猿をぐちゃぐちゃの肉団子に丸めてしまっており、その手段はどうあれ、倒している。
 ブリーチャーズの圧勝だった。
(全然楽勝じゃん)
 祈は安全を期すため、猿達の衣服を脱がせてそれをロープ代わりにし、猿達を縛り上げ始めた。
すると、こんな会話が聞こえてくる。
>「やっぱり君達も僕達もこの夢の中では同じ扱いみたいだ。つまりここで全員共倒れすれば僕達をここに送り込んだ奴の思う壺、というわけだね。
>そこで取引だ――ここから無事に脱出するまで手を組んでみる、というのはどうだろう」
>「気を悪くしたらごめんよ。だけど……実際、僕らを手を組むのは悪くないと思うよ。
>「ま、馬鹿じゃなけりゃ共闘以外はねぇだろ。テメェ等も、エテ公と俺達全員を相手にした後で自分を嵌めた奴を相手取れる――――程に無尽蔵じゃねぇんだろ? 
>だったら、俺らに協力するのが賢い選択だ」
 それは祈が予想だにしなかった、ブリーチャーズからドミネーターズへの共闘の申し入れであった。
特に妖壊を憎む尾弐がこのような話を振るのは意外で、どのような心境の変化があったものかと思うが、
>「お前らは無傷で帰って、嵌めた奴をぶっ潰せる。俺達はテメェらが潰し合う事で、その戦力を減らせる……お互いにメリットの有る選択だろ」
 この言葉を聞いて得心する。なるほど、そのような計算が働いていた故にできた申し入れだったのだ、と。
確かに、どうやらレディ・ベアとイケメン騎士Rは裏切られた身の上のようであり、猿達も途中から明らかにレディ・ベア達を敵として認識していたようだった。
件の、この戦いを仕組んだ第三者の手によるものか、
この戦いはもはやブリーチャーズ対ドミネーターズ(レディ・ベア達)対ドミネーターズ(裏切者)の構図に塗り替えられている。
ここで提案を突っぱねれば、レディ・ベア達はブリーチャーズと猿夢からの挟撃を受けることになり、裏切者にとって思う壺。
両者をなんとか退けて猿夢を脱することができても、消耗した状態では裏切者にトドメを刺されかねない。
レディ・ベア達にとっても共闘は悪い話ではない筈だ。
 尾弐が眠りこけたままの橘音の正面座席にどかりと腰掛けて、もし協力するつもりがあるのならばこの『夢の主』を明かせと迫る。
(精神世界に住む魔物、夢の支配者は夢の中に自身も存在しなければならないというルールがあるらしいのだった)。
 最初はその提案をにべもなく突っぱねるレディ・ベアだったが、イケメン騎士が何事か耳打ちし、こそこそと話したかと思えば、
>「よし、決まりだ。東京ブリーチャーズの諸君、答えは『ノー』だ」
 やっぱり断ってきた。

127多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/11/05(日) 20:24:53
>「今の相談はなんだったんですのっ!?」
「マジで何だったんだよ!?」
 提案を受ける流れっぽかったのに、
なんなんだこいつフリーダム過ぎるだろ、とか祈が思っていると、
>「一応、騎士なものでねぇ。一度決まった立ち位置を、利害関係によって軽々しく翻すことはできないんだよ」
 とかなんとか、それっぽいふわっとした説明が入った。騎士なのか気分屋なのか職業が分からなくなるが、
とりあえずレディ・ベアだけが共闘、イケメン騎士Rは中立ということになったようである。
それに文句を付けるレディ・ベアだったが、朗らかに笑いながらそれを宥め、
>「いいから、いいから!ホラ、話をしている余裕なんてないよ?そろそろ次の駅員さんが巡回に来る頃じゃないか?」
 と言って、イケメン騎士Rは猿達を指さした。見ればブリーチャーズによって無力化、
あるいは倒された猿達は、気化するような奇妙な音を立てながら急激に朽ちていくところであった。
見る見るうちに溶解あるいは白骨化し、塵へと変わっていっては、電車に吸収されるように消えていく。
 それを見たレディ・ベアは祈にも聞こえるくらいの音で息を呑み、祈の側へとやってくると
>「し、しし、仕方ありませんわ。そこまで貴方がたが手を組んでほしいと言うのなら、ええ。そう、非常時ですもの……ね?」
 そんなことを言う。祈は苦笑して、こう返した。
「……非常時だからしょうがねーな。後ろで援護頼むよ。瞳術は得意だろ、“レディ・ベア”」
 とりあえずの共闘。レディ・ベアとの共闘は初めてではないが、初めてであるかのように。
そして、イケメン騎士Rの言う通りに前方のスライドドアが開いて、新たに四匹の猿が入ってくる。
祈はそこで微かな違和感を抱いた。
 ともあれ、その猿達は先程の猿達よりも一回り大きく、チンパンジー程あるかと思えた。
このように補充要員の猿が幾らでも出てくるのであれば、『猿夢』にとって猿達とは己の一部でしかなく、
幾らでも作りだせて、不要になれば壊してしまえる粘土のような存在なのかもしれなかった。

《次は〜 ほねぬき〜 ほねぬき〜》
 そんなアナウンスが聞こえてき、猿達の手に握られている巨大なペンチがどのように使われるものなのか分かる。
これで魚の骨を抜き取るように、ブリーチャーズ達の骨を生きたまま抜き取ってやろうと、そういう言うことなのだろう。
>「ウキャ――――――――――――――ッ!!!」
 猿達は絶叫を上げ、ブリーチャーズの四名に狙いを定めて襲い掛かって来る。
>「いやああああああああああッ!!!」
 女性の悲鳴が戦闘開始のゴングだった。

128多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/11/05(日) 20:26:54
 チンパンジーほどのサイズの猿を一匹相手取る祈。
早速こちらから一発拳を見舞うが、猿はにたりと笑って、ぶんとペンチを振り回して反撃してくる。
(図体だけじゃないな……!?)
 大きくなり、ウェイトが増しただけでない。明らかにこちらの攻撃に耐えうる頑強さを備えている。
パワーも先程とは違うようで、ノエルが氷結させて動きを封じても、それを砕いて脱出してしまう。
>「アシスト致しますわ、祈!」
「助かる!」
 レディ・ベアの瞳術によるアシストを受けながら、猿との戦いを続ける祈。
動きの止まった猿の鳩尾に蹴りを入れたり、拳や足の連打で応戦しながら、
その後方で女性を守るよう傍らに立ち、スライドドアに背を預けたイケメン騎士Rが語る声を聞いて、
猿達の強さの理由を知る。
>「――ポチ君。キミは言ったね、レディがこの夢にこれほど怯える理由は何かと」
 『猿夢』とは即ち『猿によって殺されるという夢』であり、
この夢の世界、電車から猿からアナウンスに至るまで、全てが猿夢そのもの。
そしてこの夢の世界にいる限り、猿によって殺されることは絶対的に決まっているのだと。
故に『猿夢』は猿達は幾ら倒されようとも、その戦力を分析し、より強い猿を生み出しては際限なく送り出してくるのだと。
倒しても倒してもそれ以上に強い敵が出てくるとは、まさに悪夢だ。
 ではこの悪夢を終わらせるにはどうすればよいのか?
>「さっき、この夢の主は誰だ……と言いましたわよね」
 レディ・ベアがふと口を開いた。
丁度、瞳術による束縛を破って再び殴り掛かって来る猿を祈がいなし、合気道の要領で壁に激突させた時のことだった。
>「わたくしは、面白い妖壊を連れて来たから、ブリーチャーズが苦しむのをアリーナ席で楽しむといい――と言われただけですわ」
>「ですから、わたくしがこの『猿夢』に関して持っている情報は、最初に話したものだけ。あとは知りません」
 猿は激突して頭をぶつけた際に脳が揺れたのか、頭をしきりに振っている。
>「ただ――」
>「これは電車なのでしょう。ならば、運転手がいるはずですわ。いくら夢の中でも、運転手なしで走る電車などありえませんもの」
 成程、と祈は頷く。人の生き死にを決めるアナウンスをしているであろう運転手こそが『夢の主』であり、
猿夢の本体だとするなら、そいつさえ倒してしまえば、この悪夢から脱することができるかもしれない。
>「まあ、運転手がいるとするなら、当然運転席。先頭車両にいるはずだよねえ」
 イケメン騎士Rが補足する。
運転手こそが夢の主であり運転席にいるのだとすれば、目指すべきは先頭車両ということになる。
>「猿を倒しながら先頭車両までたどり着き、運転手を倒して電車を止める……というのが、一番手っ取り早いですかしら」
「そういうことになる……なっ!!」
 こちらを向き、未だにふらつく猿の側頭部を全力で蹴り飛ばし、その意識の根本を断ち切る。
今度こそ猿はぐらりと、白目を剥いて仰向けに倒れた。
「……よしっ」
 くはぁー、っと膝に手を付いて呼吸を整える祈。
こちらの動きを分析し、祈の速さにすら対応しつつあった猿。それを倒すのはなかなかに骨が折れる作業であった。
猿真似と言う言葉があるくらいに、猿は人の真似をするのが得意な賢い生き物として知られる。
それ故の観察力、分析力なのだろうか。全く厄介だ。

129多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/11/05(日) 20:36:47
 他のブリーチャーズ達もどうやら猿達を辛くも撃退したようである。
それを見て、
>「いやぁ、お見事!やっぱり強いな、とんでもなく強い!さすが、クリスとロボを倒しただけのことはある!」
 などと言いながら拍手を送るイケメン騎士R。
本当に中立を貫くつもりのようで、レディ・ベアが手伝えと言ってもどこ吹く風だ。
肩をすくめて前方車両へと続くスライドドアまで歩いて行き、
>「わたしの出る幕なんて、ないと思うけどね。それより、ほら……先に進んでいいみたいだよ?」
 などと言ってスライドドアの取っ手に手を掛け、引く。
するとスライドドアは何故かするりと開く。それを見た祈の中に再び生じる、違和感。
何かがおかしい、と思う。
>「また閉まっちゃうといけない、ここはわたしが開けたままにしておこう。みんなの準備が整ったら、先へ進もうか」
 そう言って、スライドドアが閉まらないように凭れ掛かるイケメン騎士R。
>「祈、大丈夫ですか?お怪我はありませんこと?」
 拭えない違和感。しかしその正体が分からず考え込む祈だが、
レディ・ベアが寄ってきてそう訊ねてくるので、思考を中断する。
「……ないよ。お陰様でね」
 ややあって祈がそう答えると。
>「……よかった」
 そんな風に朗らかに笑って言うのだった。少女漫画だったら背景に花でも散っていることだろう。
「た、盾になってるやつが無事だからって喜びすぎなんだよ! あたしらが敵同士だってことを忘れんなよ!」
 嬉しくない訳ではないが、照れ臭かったのと友人関係を疑われるのもどうかと思って、突き放すように振る舞う祈だった。
そのまま前方の車両に歩いて行こうとして、ふと気づく。橘音がいないことに。
「あれ? 橘音がいない……?」
 聞けば誰も見ていないし、居なくなったことに気が付かなかったと言う。
天神細道を使って脱出したのであれば天神細道が残る筈であるし、もし一人だけ攫われてしまったのだとすれば心配であるが、
>「いなくなったものは仕方ありませんわ。先へ進みませんこと?こんな不祥事、一刻も早くお父さまにご報告し処罰して頂かないと!」
「お、おい……!?」
 そんな風に言ってぷりぷりしながら、レディ・ベアは祈の手を取って前方の車両へと歩いて行ってしまうのだった。
「あ、おねーさんも付いてきて! みんなの後ろに隠れながらでいいから!」
 それだけ言うのが精一杯である。

《次は〜 ひきさき〜 ひきさき〜》

 そうしてブリーチャーズ一行が前方の車両へと辿り着くと、
更なる前方車両へと続くスライドドアが開き、ぬっと腕が生えてくる。
先端に凶悪な鉤爪が装着されたその腕は異様に長く、ずるずると伸びてき、ほとんど車両の端、祈達の足元にまで届いてきた。
それに続いて、ようやく二匹の猿が姿を現す。
駅員姿なのは変わらないが、先程よりも更に大きく、ずんぐりとした体躯や茶色い体毛はオランウータンを思わせた。
「次はゴリラぐらいは出てきそうなもんだな……おねーさんはこの辺で待ってて」
 祈はうんざりと呟き、女性を車両の連結部付近で待つよう指示した。
>「グフッ……グフフッ……ブキャァァァ―――――――――――ッ!!」
 オランウータンに似た猿は吠えて、他の猿達同様に襲い掛かって来る。
但し、その場からは動かない。しかし少しでもその背にあるスライドドアへ近づこうものなら、
この車両の端まで届くほどに長い腕を縦横無尽に振り回してくるのである。
祈の速度にも対応しているらしく、近づこうとした祈は左腕を浅く鉤爪で裂かれてしまう。
これ以上は危険だと思い、一旦車両の連結部にまで下がった。
どうやらここまでは猿の腕が届かないらしいのである。

130多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/11/05(日) 20:40:29
「オランウータンってより、ナマケモノだなあいつら! 動かないし!」
 裂かれた箇所を押さえながら毒づく祈。
 どうやらあの猿達は、尾弐の筋肉の鎧を貫通し、狼王の力を得たポチの被毛を切り裂くだけの力を持ってるらしく、
更には雪の女王たるノエルの氷雪での攻撃も容易く受け付けないだけの頑健さをも備えているようだった。
ここを含めてあと4両ほどの車両を移動しなければならないのに、この時点で既にブリーチャーズの能力を見極められつつある。
各々まだ全力は出していないだろうが、次の車両に行く頃には、
完全に通常の自分達を上回るスペックの猿達を生み出してくるかもしれず、
こいつはちょっとやばいかな、などと考える祈だが、ふと気づく。
「動かないんじゃなくて、、動けないんだな、お前達……」
 これだけのスペックがあれば、その腕の長さを活かしてこちらまで進撃してこれば容易く制圧できるというのに、
それをしないということは、その長すぎる腕がネックとなっていることが考えられた。
動こうにも長すぎる腕がどこかにつっかえてしまって、上手く動くことができないのだと。
思い返せばスライドドアを潜ってこちらの車両に入って来るのも一苦労の様子だった。
あるいは、こちらを足止めする為に、あの場所から動かないよう命じられているのかもしれない。
 であるなら、幾らでもやりようはある。
「みんなちょっと下がってて!」
 と、祈は皆に後方車両まで下がることを提案し、戦い続けるメンバーに皆が下がったのを見届けると。
「――“風火輪”!」
 その足に、今まで履かれていなかった筈の風火輪が出現する。
 祈は予めレディ・ベアからこの襲撃を聞いていた。だが一向に敵が現れないままに眠らねばならない時間になった。
故に祈はいつでも戦えるように、洗った風火輪を家の中に持ち込み、履いた状態で眠ったのである。
詳細はともかく、結果として。祈はその力を夢の中にまで引きずり込むことに成功する。
 祈がフラミンゴのように右脚を曲げると、風火輪のホイールが回転し火花を散らし始める。
サッカー選手がシュートを決める時のように、もう少し足を後ろにやりたいのだが、狭い連結部ではこれが限界だろう。
「せー……のっ!」
 回転数を上げながら、生み出した炎を切り離すイメージで勢い良く右足を振り抜く。
すると、ごうと燃え盛る炎が狭い車内を飛び、座席やつり革、逃げ場のない猿達の腕や体を焼いた。
どんなに腕が長くとも、猿である以上関節は限られており、肘は一つきり。
車両の端から端まで届くその腕の長さでは、肘を曲げようにも曲げきることはできない。
つまり、一度でもその上腕や体に炎が点いたなら、彼らはもう自分の手で炎を叩いて消化したり、
燃えている毛を払って取り除いたりというようなことができず、彼らはただ炎によって焼き尽くされることになるのだ。
猿夢の一部に過ぎないとはいえ苦しむ姿は見たくなく、
また早めに終わらせる為にとそこそこ高火力で焼き払った故に祈の消耗は激しかったが、
ともあれ、オランウータン型の猿達を倒すことには成功する。
「ふぅーっ……よし、これであと車両は3つ! 次いこっか!」
 滴り落ちる汗を拭いながら、祈。
 ぶすぶすと燃える猿達も、先程と同様急速に朽ちて電車に吸収されていく。
夢の主の意向なのか、座席などに点いた炎もすぐに消えた。車内の温度は少々高くなったものの、
ノエルでも移動できないと言う程ではない。
 重力が増したような、水中で動いているような、纏わりつく重さを感じながら、
次の車両へと移動するブリーチャーズ一行とドミネーターズ。
その後ろに女性も、茫然自失の体であるがしっかりと付いてきていた。

131多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/11/05(日) 20:44:26
《次は〜 まっぷたつ〜 まっぷたつ〜》

 次の車両に到着すると早速アナウンスが流れ、前方のスライドドアが開き、
猿……否。身長は二メートル以上はあろうかという巨体の猿が入って来る。
黒い体躯。がっしりとした肩幅。動物園での花形の一頭。
(マジでゴリラかよ……)
 ゴリラだった。だが屈んでいるにもかかわらず天井に頭をつっかえさせるほどの巨体で、
立ち塞がられると後ろのスライドドアはもう見えない。
そして手には――その隆々とした筋肉であれば、そんなものなくても人を真っ二つにするなど簡単であろうに、
ご丁寧にチェーンソーまで持っている。スターターロープをぐんと引っ張ると、刃が猛然と回転し始めた。
>「ゴホッ、ゴホホ……グルルルルァァァッ!!」
 興奮した様子のゴリラを見て、
>「さ、さすがに息切れしてきましたわ……!わたくし、元々飛んだり跳ねたりは苦手なのです!」
 と、弱音を吐くレディ・ベア。言われてみれば好んで運動しているところを祈は見たことがない。
もっぱら図書室で本を読んでいて、祈はそれに付き合って図書室にある数冊の漫画を読んだりしているのだった。
「はっ。運動不足なんじゃねーの……あたしも、人のこと言えねーけどな」
 水中で動いているような重苦しさは増しつつあり、息苦しさを感じるほどだった。
加えて、度重なる戦闘での消耗。倒しても倒してもそれ以上の強敵が現れると言う苦境が体を重くしている。
だが。
>「グォルルルォゴォアアアアアアッ!!!」
 状況は待ってはくれない。ゴリラは吠えて、チェーンソーを振り回しながら突進してくる。
「燃えろ!」
 先程と同様に風火輪で生み出した高火力の炎をぶつける祈だったが、それをゴリラは突進の勢いとチェーンソーで跳ね除ける。
炎は確かに掠めた筈だが、その瑞々しい体毛には水分が豊富に含まれていると見て取れた。
先程のオランウータン戦から更に学習し、機動力があり、しかも炎の効き辛い猿を生み出してきたのだと思われた。
「くそっ」
 ゴリラは完全にこちらのスペックを超えてきているようだった。
しかも回転刃は車内の鉄の柱すら容易に斬り裂く鋭さで、容易に近づくことも出来ず、手に負えない。

 そして戦いの最中。ゴリラに攻撃を加えようと、祈がどうにかチェーンソーを掻い潜り、ゴリラの背後に回った時のことだ。
ふと、祈の足がもつれ、倒れそうになった。祈が思っていたよりも消耗が激しく、限界が近かったようだ。
特に風火輪の高火力の炎を放つには多大な妖力を消費する。それを二発も放てばさもありなん。
 壁に手を付いて顛倒を防ぐが、祈が背後に回ったのを当然に察知しているゴリラがそれを見逃すはずもなく、
ぐるりと振り向くと横薙ぎにチェーンソーを振り回してくる。
その刃が細い鉄柱を切り裂いて祈の胴へと迫る。しかし体勢を崩している祈は、目で追うしかできず。
(――やば)
 
>「……祈!」
 刃を止めたのはレディ・ベアだった。束縛の妖術が間に合い、ゴリラの動きを止めたのだった。
胴体まであと数センチという所で回転する刃に冷や汗を掻きながら、祈は後方へ飛び退く。
「い、今のはマジで死んだかと思った! ありがと!」
 あと一瞬束縛の妖術が遅ければ、祈の上半身と下半身は別たれていたのだろう。
魔眼の効き目が悪いと言っていたのに、ゴリラの動きを止める為にどれ程の妖力をつぎ込んだのか。
 しかし、ジリ貧だ。
 ゴリラの猛威は恐ろしく、一歩進む度に着実にブリーチャーズを追い詰めてくる。
今のは運良く生き残れたが、このままではいずれ全滅してしまうだろう。
それを防ぐ手立てを、と祈が思考を目まぐるしく巡らせていると。ガタン、と大きく車両が揺れた。
>《はいは〜い! 本日は猿夢鉄道、地獄行き通勤特快をご利用いただき誠にありがとうございま〜す!》
 と、アナウンスが響く。だが先程の声とは別人だ。この声はどちらかというと祈が聞き慣れたもので。
「橘音!?」
 橘音の声だった。橘音の声は緊迫した状況に不似合いな程、緊張感なく続けた。
>《当車両は時間調整のため、次の駅にて一旦停車致しま〜す!ご利用のお客さまには、大変ご迷惑をおかけ致しまぁ〜す!》
>《なお、次の駅より先は特急となり、地獄まで停車致しません!乗り換えをご希望のお客さまは次の駅で下車願いま〜す!》
>《次は〜 きさらぎ〜 きさらぎ〜》
 この緩さは紛れもなく橘音だ。電車はどうやらきさらぎ駅へ止まるらしく、
電車のスピードが落ち始め、何も見えなかった筈の窓の外の景色が変わり、小さな駅が見えてくる。
あそこに降りることができれば、少なくともこのゴリラを狭い所で相手取るようなことはしないで済みそうだ。

132多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/11/05(日) 20:50:29
>「グギャアオオオオオ――――ッ!!!」
 それを察し、逃がすまいと思ったのか、ゴリラの攻撃が激しさを増す。
だががむしゃらになっている分攻撃の精度は落ちており、また読みやすくもなっている。
切り刻まれて転がっている細い鉄柱の破片をゴリラの眼に向けて投擲するだけでも効果が見込めた。
運よく左目に突き刺さり、ほんの僅かな隙も生まれる。
 そうしてゴリラとやり合っているうちに、電車はきさらぎ駅に辿り着き――扉が開く。
>「行きますわよ、祈!こんな電車は懲り懲りですわ!」
 祈の手を引き、我先にとレディ・ベアが扉の外へと飛び出した。
「みんなも早く!」
 それに続き、猿達を除く乗車していた全員が電車の外、きさらぎ駅へと降りると、最後に先頭車両から橘音が降りてくる。
橘音はブリーチャーズに合流すると、
>「アハハ、いや〜!ギリギリで間に合いましたね!」
 などと言って笑うのだった。
 行方知れずだった橘音が生きていたことは勿論だが、ゴリラは電車から降りられないらしく、
電車の出入り口で吼えるしかないようだ。どうやら助かったようで、そのことにも祈は安堵する。
>「どうして運転席から出てきたのか、って?ふっふっふっ……実は、ボクがすべての黒幕だったのです!」
>「……あ、ウソですよ?そんな怖い顔して睨まないで下さいよ、ハハハ……」
 橘音はこんな時でも、いつも通りに空気を読まない発言を繰り出してくる。
>「話は後です。まずは改札を出ましょう、そこまで行けばもう、あのゴリラも手出しできないでしょうから」
 脱力しながらも祈は、橘音に続いてきさらぎ駅の中を歩いた。
外灯もない古びた小さな駅。ところどころにある、存在しない筈の駅名を示す、『きさらぎ』の文字が書かれた表示看板。
駅の外側は真っ暗で何も見えず、人っ子一人おらず、寂れた場所だった。
いかにも廃墟然としていて、辿り着いたものに孤独と恐怖を与えそうな風景だった。
 駅員もいない改札を潜り、きさらぎ駅の入口へと一行は辿り着いた。
そこで橘音はイケメン騎士Rと挨拶を交わすと、
橘音が何故運転席にいて、きさらぎ駅に降り立つことが出来たのかという種明かしをする。
迷い家外套の結界のお陰である、と。
迷い家外套の便利さ・有用さには驚くばかりだが、上級妖怪の力を秘めた妖具の一つなのだから、それくらいはできて当然なのかもしれなかった。
そして猿夢に再び入り運転席にやってきた橘音は、きさらぎ駅という別の夢をぶつけることで、『猿夢』の路線を変えたと言う訳である。
だが長居するのも良くないから駅からは早く立ち去るべきだと補足を入れると、軽く息を吐いて続けた。
>「その前に、やることをやってから……ね」
 肩をすくめる橘音。
>「……貴方。何が言いたいんですの?」
 それにレディ・ベアが問うと、
>「ふふ……。わかりませんか?」
 などと逆に問うて、生き生きし始める橘音である。
ああ、これは推理を披露するときの顔(は見えないので、雰囲気などから察するに恐らくそう)だと、祈は思う。
勿体ぶって全員の顔を見回したっぷり間を取ると、名探偵・那須野橘音は続けた。
>「ボクたちのいるこの場所は、もう『猿夢』の世界ではありません。猿たちのアドバンテージは消滅している、つまり」
>「ここでは、猿夢は無敵でも無尽蔵でも、ましてや不死身でもない……ということです」
 尾弐へ視線を向ける橘音。祈もそれにつられて尾弐を見る。
>「クロオさんは、とっくに気付いていたんでしょ?電車に皆さんを引きずり込み、猿をけしかけた『猿夢』の主が誰なのか――」
>「これは『人を殺すことを存在意義とする怪異』、改心する可能性も、また情状酌量の余地もありません」
>「ってことで。漂白しちゃってくださいな」
 そして橘音は尾弐に、『猿夢』の主の漂白を頼むのだった。

133多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/11/05(日) 20:55:04
>『クロオさんは、とっくに気付いていたんでしょ?電車に皆さんを引きずり込み、猿をけしかけた『猿夢』の主が誰なのか』。
>『ってことで。漂白しちゃってください』。
 これらの言葉から察するに、『夢の主』は今この場にいる誰かということになるのだろう。
てっきり運転席にいるものだと祈は思い込んでいたが、運転席のある最前列車両から橘音が無事に出てきた時点で
その線は消えているのだ。
 ではもし、この中に夢の主がいるのだとすれば誰か?
 そう考えた時、一番怪しく思えるのはイケメン騎士Rだろう。何故なら彼の言動は余りに不可解だ。
これまで祈の中に生じていた幾つかの違和感。
>『いいから、いいから!ホラ、話をしている余裕なんてないよ?そろそろ次の駅員さんが巡回に来る頃じゃないか?』
 そう言いながら朽ちていく猿達を指差したり、
>『わたしの出る幕なんて、ないと思うけどね。それより、ほら……先に進んでいいみたいだよ?』
 などと言ってスライドドアの取っ手に手を掛けて開き、
それが再び閉まらぬように凭れ掛かるイケメン騎士Rの姿が思い出された。
だが、イケメン騎士Rが猿達を指差した時点では、猿は朽ち始めていただけに過ぎない。
――“なのに何故、次の駅員がやってくることがわかったのだろう”?
そしてどうして、“触れてもいないスライドドアが開いていることがわかったのだろう”?
 思えば、「夢の主とは運転手ではないか」とレディ・ベアが言った時、
「運転手ならば先頭車両にいるだろう」とブリーチャーズの目指す場所を誘導したのもイケメン騎士Rだった。
それもこれも全て、彼自身が“ある事実”を隠蔽し、場を撹乱するために放った言動だと考えれば合点がいく。
「てことはあんただったんだな……」
 祈は小さく呟いた。
 当然、猿達に命を狙われていたブリーチャーズは『夢の主』から除外される。
猿達から救った橘音も勿論、祈の背後にいたとはいえ標的にもなっていたレディ・ベアもだ。
必然、消去法で夢の主はイケメン騎士Rか襲われていた女性の二択になり、
そこにイケメン騎士Rの怪しい言動を繋ぎ合わせると、自然とどちらか夢の主なのかは浮かび上がってくる。
 祈は夢の主と思しき者を指差した。
 猿夢の主。それは。
「あんただったんだな。――“おねーさん”」
 指を差された女性は、「ひっ」と声を上げて視線を彷徨わせた。
そう。猿夢の本体、その正体とは。この一般人と思しき女性だ。
「ま、最初に開かずのドアを開けて平然とこっちの車両に入ってきてたし、
尾弐のおっさんが『夢の主』の話してた時に見てたのってこのおねーさんだしな」
 尾弐が気付いているというのなら、これが決定打だろう。
猿達に襲われる女性に化けて守られる立場になることで、攻撃されることなく間近でこちらを観察できると言う訳だ。
そしてそもそも、祈だけが知っている情報としてこんなものがある。
>『敵対すれば死あるのみ――そんな者ですが、味方となればあれほど心強い存在もおりません。』
 これはレディ・ベアがイケメン騎士Rという護衛について語った言葉であるが、
食べたことのない料理を美味しいなどとは語れないように、
心強いとまで言って信頼するからには、レディ・ベアはイケメン騎士Rの能力や正体を少なからず知っていなければならない。
もしイケメン騎士Rが『猿夢』の主、本体であるとするならば、
それを知るレディ・ベアが真っ先に彼に攻撃を止めろと命じたり食って掛かるに違いないのであり、
それをしなかった時点で、彼が猿夢の本体であるという疑いはとっくに晴れているのだ。
 ではあの怪しげな言動は何か、と問われれば、
結局のところ、彼は中立という立場を貫いたのだろうと思われた。
 一人戦わずいたイケメン騎士Rは、当事者として必死に戦っていたブリーチャーズと違い、
全てが見えていた。最後列で女性の傍らに立っていたから、女性についても観察できたのだろう。
電車の隅で怯えたように縮こまりながらも、つぶさにブリーチャーズを観察し、戦力を分析する女性の目を。
そのデータを元に、次の猿を生み出すために電車に妖力を送り込む姿を。
スライドドアが開くよう操作する動きを。それによって猿夢の正体を知ることができたのだ。
 だが、彼の言葉を信じるなら彼は中立。
夢の主が誰であるかに気付いたからと言って、それを明かすような真似はブリーチャーズの利になる為にできない。
だが気付いていて黙っているのも猿夢の利となり、居心地が悪い。
なので「敵がくる」だの「ドアが開いた」だのという助言めいた言動でその居心地の悪さを相殺した。
また運転手ならどこにいるだろうかという疑問に対しても、運転するなら前方の車両だろうという一般論を述べたに過ぎないのであり、
場を混乱させようという意図を持った行動ではないと解釈できる。
それが彼なりの中立、騎士としてのポリシーなのだろう、と。

134多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/11/05(日) 21:03:03
 ただ、これはかなりイケメン騎士Rに寄った甘い見立てである。
 尾弐はこう言っていた。
>……そんでもって、一介の都市伝説にしちゃあ頑丈過ぎる列車と、これだけの人数を取り込む妖力。
>こいつは俺の直感だが、この夢の主はとっくの昔に『猿夢』じゃないんじゃねぇか?」
 もうひとり『夢の主』がいるのではないか、という可能性を示していたのである。
 即ち、『夢の主』とはこの場において二つの意味がある。
ブリーチャーズを夢の世界に引きずり込んで、電車を動かしたり猿達に殺させようとした『猿夢本体』のこと。
もう一つは、この猿夢が一介の都市伝説にしてはあまりに強力である為、
猿夢に力を与えるか、直接猿夢の世界を乗っ取るなりして都合よく動かしている者がいるのではないか、
という尾弐の直感に基づく『黒幕』のことだ。
 先程の消去法で、既に夢の主になり得る人物はイケメン騎士Rと女性の二人にまで絞られており、
この女性が『猿夢本体』だとすれば、もう一方の『黒幕』という役柄が、残ったイケメン騎士Rに振られても何ら不思議はない。
 もしイケメン騎士Rが黒幕であれば、怪しい言動もあらかた説明がつく。
次の敵が出てくることもドアが開いていることも、何のことはない、自分が操る側だから全て知っていたのだと。
そして『猿夢本体』を裏から操っていた『黒幕』であると言うことは、
同時にブリーチャーズとレディ・ベアの両者を葬ろうとした、裏切者の一人であるとも考えられる。
 確定ではないが、疑わしい事に変わりはない。
レディ・ベアの手を引いて、それとなくイケメン騎士Rから離しながら、祈は続ける。
「ってことで……約束しろよ、『猿夢』。命が惜しいなら。
もう誰も殺さず、襲うとしても人を脅かす程度に留めるって。あと戻せるんなら殺した人達の魂も元に戻せ」
 祈は言い終えると女性に一歩近づき、右脚を上げて構える。
足に装着された風火輪のホイールが唸りを上げ、火花を散らし始めた。
確かに消耗しているが、お前を葬るだけの余力はあるのだという、ポーズである。
「こっち7人もいる。あんたに勝ち目はない」
 改心はしないと橘音は言う。だが、命は誰でも惜しい。
命惜しさに誓ってしまい、人を襲えなくなれば改心したのと同じことだ。
但し、妖怪は忘れられては存在を保てないので、人を脅かすことは許す。
そんな約束を祈は持ちかけたのである。
 女は悔し気に口を一文字に結ぶと、き、き、き、と。猿のような声を上げるが、やがて
「……わかった」
 そう言った。そして、急速に老いていく。顔は酔っぱらったように赤く、皺くちゃになり、腰が曲がり。
髪は白く染まりごわごわとしたものに変わる。
腕や脚には白い毛がうっすら生え揃って、その姿は老婆というよりはヒヒ――マントヒヒに近いものになる。
着ている服も、先程猿達が来ていたよりも上質な、駅長用の制服に変貌するのだった。
正体を現した『猿夢』、その本体は、伏して言う。
「もう、誰も、襲わない。だから頼む、見逃してくれ」
 敗北を悟ったらしく真の姿を晒し、しゃがれた声で命乞いをする猿夢の本体。
約束させたしこれならいいでしょ、とばかりに祈は尾弐を見る。
 だが『猿夢』の真意は分からない。
もう誰も襲わないという言葉を吐きはしたが、相手は『人を殺すことを存在意義とする怪異』なのだ。
いずれ抑えが効かなくなり、消滅しても構わないからと人を殺そうとするかもしれない。
握られている拳も反抗の意志の現れやもしれない。
何せ狡猾な猿夢のことだ。ブリーチャーズが見逃すと言って油断すれば、殺す時は今と、誰かを道連れにしようとするかもしれない。
 疑い出せばきりはないが、ともあれ。漂白する(殺す)のか、それとも見逃すのか。
その選択は尾弐に委ねられることになりそうである。

135御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2017/11/08(水) 00:14:17
>「だっ……、誰が貴方たちのような下等妖怪どもと手など組むものですか!莫迦も休み休み仰いなさいな!」

と、共闘の申し出をにべもなく突っぱねようとするレディベアだったが、内輪の相談タイムでRに説得されたらしく、共闘に乗ってきた。

>「や……、已むを得ませんわね!あくまで今回限り、例外中の例外ということで――」

尾弐が夢の主は誰かと、二人に詰め寄る。

>「打破すべき『夢の主』は誰か……別に答えたくなきゃ答えなくてもいいが、その時は相応の態度で対応させて貰うぜ」

レディベアによると、実際にこの夢の中で物事を操っている実行犯についてはよく分からないが、セッティングは怪人65535面相通称カンスト仮面がしたらしい。

「アイツか――ッ! 
言われてみれば祭神簿を破壊しに来た時もお姉ちゃんが倒されたのは想定通りみたいな感じだったし、
ロボは死に際に黒幕がいるって、クリスも自分も駒に過ぎないって言ってた。
きっと最初から潰し合いさせて最終的には全員消すつもりだったんだ。
残る幹部は君だけになったところで一挙に潰しに来たというわけか――!」

と、共闘の流れになったところでRがいきなり断ってきた。

>「よし、決まりだ。東京ブリーチャーズの諸君、答えは『ノー』だ」
>「今の相談はなんだったんですのっ!?」

「ナチュラルに本来の用法の『だが断る』しないで!」

思わずレディベアに続いてツッコミを入れつつ、
Rが登場してからというもの渾身のボケはことごとくスルーされ、それどころかRに対しては自分が何故かツッコミに回っていることに気づき戦慄した。

「貴様、まさかボケ殺しか……!」

一言で言うと騎士だからという理由で共闘は出来ないらしい。
本人は気分とかポリシーとか言っているが、レディベアには共闘するように仕向けたことを考えると、本当はもっと本人の意思を超越した絶対的な理由なのかもしれない。
例えば、彼がドミネーターズに手を貸すにあたって結んだ契約等が関係しているのかもしれない。
結局レディベアだけ共闘して、Rは手を貸さないが危害も加えないという妥協点となった。
この際レディベアから詳しい情報を聞き出したいところだが、ゆっくり話している時間もなく、次の襲撃が始まる。

136御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2017/11/08(水) 00:16:18
>《次は〜 ほねぬき〜 ほねぬき〜》

チンパンジーの集団が流れ込んできた。
先ほどより格段に強くなっているようで、簡単には凍ってくれない。

>「アシスト致しますわ、祈!」
>「助かる!」

レディベアは主に祈の後方援護において、本来敵とは思えないほどの働きを見せてくれた。
プライドの高い彼女としては一度共闘を飲んだ以上きっちりやる、ということだろうか。
Rが猿夢の性質について語り、サル達を倒しながら先頭車両を目指そうという方針になった。

「そうだ! 気合でこれは田舎の電車だと思い込めば2両編成になって運転席にすぐ着くかもしれない」

ノエルはそんな事を言いながら、どこからともなくおやつのバナナを取り出した。
ありのままの姿で寝たのに服を着ていたことを考えると、その人が普段持ってそうなものは持っているという仕様なのだろう。
そしてサルはバナナが好き、という圧倒的に強烈な記号的俗説が存在する。
あれは実際はそこまで滅茶苦茶好きというわけでも無いらしいのだが、
妖怪バトルにおいてはたとえ真実ではなくてもそのようなイメージが流布していることこそが重要なのだ。
というわけで、バナナをサル達に見せびらかしてから適当に投げた。

「オヤツをくれてやる!」

狙い通り、祈がKOした以外のサルが一斉にバナナに群がった。

「よし! ポチくん、クロちゃん、今だ!」

こんな感じでチンパンジー達を撃退し――

>「いやぁ、お見事!やっぱり強いな、とんでもなく強い!さすが、クリスとロボを倒しただけのことはある!」

「いやあ、それほどでも〜」

――チンパンジー戦でのノエルは主にバナナ投げ係りであった。文字通りの意味でそれほどでもない。

>「R!見ていないで、貴方も手伝ったらどうなんですの!?」
>「わたしの出る幕なんて、ないと思うけどね。それより、ほら……先に進んでいいみたいだよ?」

Rがドアに軽く手をかけると、開かずのスライドドアがあっさり開いた。

「なんで開くねん!」

と、空気を読まずに普通にツッコむノエルであった。
それを言うと、最初に助けを求めてきた女性も同じなのだが、その時は必死な様子で助けを求められたのでそこまで思い至らなかったのだ。

137御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2017/11/08(水) 00:18:11
>「祈、大丈夫ですか?お怪我はありませんこと?」
>「……ないよ。お陰様でね」
>「……よかった」
>「た、盾になってるやつが無事だからって喜びすぎなんだよ! あたしらが敵同士だってことを忘れんなよ!」

「……キマシタワー!
『どうしよう、敵なのに好きになっちゃった!』の王道パターン!? よろしい、ならばお父さんを説得して東京侵略をやめてもらうんだ!」

花の美少女二人の様子を見て喜んでいたノエルだったが、祈があることに気付いてそれどころではなくなった。

>「あれ? 橘音がいない……?」

「そんな……!」

この恐怖の夢の中で尚ノエり続けていたノエルだったが、これには流石に焦った。
気をしっかり持っていなかったからこの悪夢の世界に吸収されてしまったのだとしたら。
なんていう最悪の事態が頭をよぎる。
とはいえ、レデイベアの言う通りいなくなったものはどうしようもない。無事に脱出したことを信じて先に進むしかなかった。

>《次は〜 ひきさき〜 ひきさき〜》

登場したのは二匹のオランウータン。
意気揚々とバナナを投げるノエルだったが、今度は全く反応しない。どうやら完璧なバナナ耐性を身に着けたらしい。

「サルのくせにバナナが効かないだと……!? どうすればいいんだ……!」

ふざけているようにしか見えないが、本人は大真面目である。
サル達はこちらが能力を見せるとそれに適応してくる。
そこで、もう少し接近戦で仲間達に頑張ってもらって、乃恵瑠の姿で出せる大出力は出来る限り後に取っておこうという算段だ。
祈が何かを思いついたようで、皆に下がるように指示を出す。

>「――“風火輪”!」

祈は風火輪の力で燃え盛る炎を飛ばし、一撃にして二匹のオランウータンを葬った。

>「ふぅーっ……よし、これであと車両は3つ! 次いこっか!」

「す、すごい……!」

テンプレ驚き役のごとく感心しているノエルであった。
祈はこれで切り札を切ってしまったので、もう同じ手は通用しないだろう。
しかし残る車両はあと三つ、見通しがついてきた。

138御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2017/11/08(水) 00:25:00
>《次は〜 まっぷたつ〜 まっぷたつ〜》
>「ゴホッ、ゴホホ……グルルルルァァァッ!!」

「かみをバラバラにするチェーンソーかぁあああああッ!!」

高速回転をを始めるチェーンソーを見て、ノエルは力の限りツッコんだ。
流石にヤバいと思い、リミッターを解除するために乃恵瑠の姿になろうとする。
が、やり方が分からない。それもそのはず、やり方なんて意識したことはない。
変わろうと思っただけで(あるいは下手すると変わろうと思わなくても何かの拍子に)一瞬で変わっていたはずだ。

「あれ!? バナナを消す手品ってどうやるんだっけ」

ノエルは混乱して意味不明なことを言い始めた。
精神がそのまま投影される夢の中なので、現実世界みたいに気軽には変われないということかもしれない。
(妖怪は精神に基盤を置く存在なのでその辺の感覚が人間とは逆なのだ)
あるいはこの夢の支配者によってリミッター解除禁止規制でもかけられているのだろうか。

>「さ、さすがに息切れしてきましたわ……!わたくし、元々飛んだり跳ねたりは苦手なのです!」

本人の言う通り、瞳術を武器とするレディベアはどちらかというと後衛系の立ち位置のようである。
基本的に非戦闘員の橘音を除くと、いつものメンバーは自分以外バリバリの前衛戦士系なので、後衛がもう一人いるのも悪くないなあ、等と思い始めていた。

「さては貴様インドアー派か……実は僕もなんだ! ゲームとかやる?
そうだ! ここから無事に脱出出来たらうちに遊びに来ない? お店に並べる用の漫画もたくさんあるし裏メニューもご馳走するよ!」

ノエルは敢えて本拠地(の直上階)に敵組織のリーダーを招き入れようとする大胆発言を繰り出した。声掛け事案発生である。
レディベアが身内に裏切られて動揺している今が、一気に畳みかけて相手の本当の目的等を探る好機と見ているのだ。
それはともかく、思った通り祈の風火輪はすでに通用しなくなっていた。
体勢を崩した祈をゴリラのチェーンソーが真っ二つにしようとする。
とっさに氷結の妖術で止めようとするが相手はすでに耐性を身に着けており、ノエルの姿で出せる出力では、動きが僅かに遅くなっただけだった。
しかし次の瞬間、ゴリラはぴたりと動きを止めた。レディベアの束縛の妖術が間一髪で間に合ったのだ。
相手はレディベアの術にも耐性を身に着けているはずであるにも拘わらず。

139御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2017/11/08(水) 00:26:30
>「……祈!」
>「い、今のはマジで死んだかと思った! ありがと!」

「祈ちゃん、下がって!」

ノエルが祈と入れ替わるように進み出る。が、リミッターを解除できない以上全くの無策である。
とりあえずヤケクソで必殺技(?)を放った。

「聖なる吹雪よ!闇より現る邪悪なるものを消し去りたまえ、エターナルフォースブリザード!!!!!!!」

ゴリラは一瞬氷結するも、すぐに気合で粉砕されて逆に弾丸のように弾き飛ばされて返り討ちになった。

「あぎゃああああああああああああ!!」

こんな感じで追いつめられる一行であったが、突然電車に急ブレーキがかかる。

>《はいは〜い! 本日は猿夢鉄道、地獄行き通勤特快をご利用いただき誠にありがとうございま〜す!》
>「橘音!?」

「橘音くん、良かった……!」

何が何だか分からないが、何はともあれ橘音が無事だったことに安堵するノエル。
そして橘音の車内放送は、もうすぐ停車するので脱出するようにと告げる。

>「グギャアオオオオオ――――ッ!!!」

そうはさせじと、今までにも増した猛攻を再開するゴリラ。
先ほどまでの調子だと、しのぎ切れるか危ういところだ。しかし――
“乃恵瑠”が腕を一閃すると、チェーンソーの駆動部分が凍り付き、その動きを止めた。
橘音の声を聞いた瞬間、何故かあっさりと変化することができたのだった。
橘音以外のメンバーはノエルに対してブリーチャーズのノエルのイメージしか持っていないが、橘音は雪の王女としての一面も知っている。
その橘音が夢の中に戻ってきたからかもしれなかった。

「こんなこともあろうかと弱い振りをしておったのだ。切り札は最後までとっておくものだ――なんてね」

続いて足元に氷の妖術をかけ、滑って転ばせることに成功する。

「ポチ君、転んだよ――!」

ちなみにゴリラは喋れないので、「座っただけです」の回避手段は使用不可能だ。
そしてゴリラは乃恵瑠の妖術には未対応。
このままポチ達を援護しながら戦えば、停車するまでの僅かな時間なら、凌ぎ切ることは可能だろう。
そうしてゴリラの猛攻を凌いでいると、ついに電車は無人駅に停車する。

140御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2017/11/08(水) 00:28:20
>「行きますわよ、祈!こんな電車は懲り懲りですわ!」
>「みんなも早く!」

レディベアが祈の手を引いていることに目ざとく気づき、「キマシタワー!」などと言いながら電車を降りる。
ゴリラは電車から降りることは出来ないらしい。

>「アハハ、いや〜!ギリギリで間に合いましたね!」
>「どうして運転席から出てきたのか、って?ふっふっふっ……実は、ボクがすべての黒幕だったのです!」

レディベアの隻眼に、瞳術をかけられそうな勢いで睨まれる橘音であった。

>「……あ、ウソですよ?そんな怖い顔して睨まないで下さいよ、ハハハ……」
>「話は後です。まずは改札を出ましょう、そこまで行けばもう、あのゴリラも手出しできないでしょうから」

迷い家外套のおかげで完全に夢の中に引きずり込まれることを免れた橘音は、一度目覚めてから皆を救うためにわざと夢に引き込まれたという。
何故か裸マント、という謎ワードが思い浮かんだ乃恵瑠であった。
マントを着て寝たのは合っているかもしれないが、多分裸ではないと思う。

「きっちゃん……! 助けにきてくれたんだね!」

真相を聞いた乃恵瑠は思わず橘音に抱き着いてモフモフするのであった。橘音にとってはとんだ罰ゲームである。
降りた駅はきさらぎ駅。猿夢の先ほどまでの事態よりは断然マシだが、まだ安心はできない。
きさらぎ駅の元ネタの当事者の女性は消息不明のままで終わっているのだ。
ちなみに類似の存在しない駅系の話では無事に生還できたパターンもあり、そっちにしてくれればもっと良かったのにとも思うが、
きさらぎ駅ほどの知名度が無いと猿夢には対抗できなかったということだろう。

>「ま……非常事態なんで使いましたが、決してイイモノじゃありません。こんな駅からは早く立ち去るに越したことはない」
>「その前に、やることをやってから……ね」

唐突に、ここで猿夢の主を始末してしまおうという方向に話を持っていく橘音。
言われてみればその通りだが、とりあえず脱出出来ただけで安堵してしまってそこまで思いつかなかった。

141御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2017/11/08(水) 00:32:05
>「クロオさんは、とっくに気付いていたんでしょ?電車に皆さんを引きずり込み、猿をけしかけた『猿夢』の主が誰なのか――」
>「これは『人を殺すことを存在意義とする怪異』、改心する可能性も、また情状酌量の余地もありません」
>「ってことで。漂白しちゃってくださいな」

橘音は勿体ぶった言い方で、尾弐に漂白を促す。続いて祈が一般人らしき女性に詰め寄る。

>「あんただったんだな。――“おねーさん”」
>「ま、最初に開かずのドアを開けて平然とこっちの車両に入ってきてたし、
尾弐のおっさんが『夢の主』の話してた時に見てたのってこのおねーさんだしな」

消去法で言って怪しいのはRとこの女性。
Rもこの女性か同程度かそれ以上に怪しいのだが、こちらは一応ブリーチャーズと同様に狙われていたレディベアがある程度素性を知っているのだ。

>「ってことで……約束しろよ、『猿夢』。命が惜しいなら。
もう誰も殺さず、襲うとしても人を脅かす程度に留めるって。あと戻せるんなら殺した人達の魂も元に戻せ」

女性は正体を現すと、祈の説得(脅迫?)に応じ、条件を飲んで命乞いをする。
サルの駅長のような姿になったそれに、乃恵瑠は尋ねる。

「君は怪人に使役されてるんだよね? 対価は何? それとも……弱みを握られてる?」

そう思い至ったのは、最初に助けを求めて縋り付いてきた様子が、演技とは思えないほど真に迫っていた気がするからだ。
弱みを握られて強制的にやらされているのだとしたら、それも腑に落ちる。

「セッティングしたのはカンスト仮面――怪人なんとか面相だ。
怪人っていかにもトリックとか偽装工作とか得意そうじゃん。真犯人を隠すために他の人を犯人っぽく仕立て上げたりも出来るかもしれない」

相手がすでに正体を現しているとはいえ、ここは現実世界とは違う法則が支配する夢の中。
普段自由に変化できるノエルが一時変化できなくなった事を考えれば、その逆の事態も起こり得る。
いくら疑わしくてももしも犯人ではなかったら、取返しがつかない。億が一の可能性も考え、慎重論を唱えるのであった。

142ポチ ◆CDuTShoToA:2017/11/11(土) 04:17:15
>「だっ……、誰が貴方たちのような下等妖怪どもと手など組むものですか!莫迦も休み休み仰いなさいな!」

「ん、んー?ホントに良いのかい?となると僕ら……まずここで殺し合いをして、
 それから生き残った方だけが次の車両に進む事になるけど……そっちの方が馬鹿馬鹿しくないかい?」

ポチは首を傾げてレディベアの顔を覗き込む。

>「や……、已むを得ませんわね!あくまで今回限り、例外中の例外ということで――」

暫しの相談タイムの後、結局レディベアは共闘に納得を得たらしい。
そして……

>「よし、決まりだ。東京ブリーチャーズの諸君、答えは『ノー』だ」

Rがきっぱりと話を締めくくった。

>「今の相談はなんだったんですのっ!?」
「……本気で言ってるのかい?やだなぁ、考え直そうよ」

そう言いながらポチは……送り狼の『不在』を、使おうとしていた。
この場から消え去り、一歩詰め寄り、首を掻き切る。
それで一対四。共闘の提案を二度も蹴られている以上、既に状況は先手必勝。
ポチは共闘する事に見切りをつけていた。
そして……結局、彼は姿を消す事なく、Rをじっと見つめていた。
思い留まったのではない。
ただこのまま動き出した時に、それが成功するイメージが、どうしても思い描けなかったのだ。

>「一応、騎士なものでねぇ。一度決まった立ち位置を、利害関係によって軽々しく翻すことはできないんだよ」

結局Rは、自分自身はブリーチャーズに対して中立を保つ、といった主張を述べた。
ポチとしてもその結論は、敵対し合うよりかはずっとマシだ。異論はない。
軽く溜息を零して……そこでポチは、自分が安堵していた事に気付いた。
においも外見も、ただの人間としか思えないRを相手に。

>「し、しし、仕方ありませんわ。そこまで貴方がたが手を組んでほしいと言うのなら、ええ。そう、非常時ですもの……ね?」
>「……非常時だからしょうがねーな。後ろで援護頼むよ。瞳術は得意だろ、“レディ・ベア”」

「……あぁそうさ、仕方ないよ。非常時だもん。
 だけど多分、ええと……レディちゃんだっけ。君はいつもそうしてた方が可愛げがあるよ」

得体の知れない危機感に戸惑っている内に、レディベアも共闘に対して前向きに心変わりしたらしい。
と、そうしている間にまたもスライドドアが開く。
入ってきたのは四匹の猿……ただし、先ほどの倍以上の、チンパンジーほどの大きさのものが。

>《次は〜 ほねぬき〜 ほねぬき〜》

「……なーんか、嫌な予感」

車内放送が終わるや否や、一匹の猿がポチへと狙いを定め、飛びかかる。
体躯が膨らみ、しかし素早さは先ほどの小型の猿と遜色ない。
突き出されたペンチがポチへ迫る。先端を力任せに突き刺し、骨を抉り取る算段。
そして……ポチがその場から消えた。ペンチを躱し、姿を現すと同時に、猿の頭を右手で掴む。
そのまま床に強烈に叩きつける……よりも早く、ポチの視界が何かに覆われた。
殆ど反射的に『不在』を用い、その場を離脱。
距離を取り、改めて状況を見る……何をされたのか、それは単純明快だった。
ただ猿は得物であるペンチから片手を離し、掌打を繰り出した。
された事は単純だが……しかし同時に驚異的でもあった。
つまる所、猿は『不在』によって距離を詰められる事を前提に、戦術を組み立てていたのだ。
……猿はポチを挑発するように、笑みを浮かべながらじろじろと彼を見つめている。

143ポチ ◆CDuTShoToA:2017/11/11(土) 04:17:53
「……ムカつくなぁ、その目つき。なんだか知らないけどめちゃくちゃ腹が立つよ」

>「――ポチ君。キミは言ったね、レディがこの夢にこれほど怯える理由は何かと」

戦闘が一度仕切り直しになったのを見計らってか、Rがポチへ声をかける。

「あぁ、言ったよ。言ったし、もうなんとなく分かってきたさ。コイツらは……」

>「この『猿夢』とは、ただ夢の中で猿に襲われる――それだけの妖異じゃないんだよ」
 「猿だけじゃなく、この電車も。わたしたちの今いる夢の世界そのものが『猿夢』なんだ。つまり『猿夢』とは――」
 「『夢の中で猿に襲われ、そこで殺されると現実でも死ぬ』のではなく『猿によって殺されるという夢』の妖異なのさ」

「……ご親切にどうも」

そう呟いたポチが辟易とした表情でいるのは、Rのマイペースぶりに参っているから……だけではない。
言葉による説明を受けるまでもなく、猿夢の脅威を……肌で体験しつつあるからだ。
これ以上、進化をされては堪らない。お喋りを切り上げポチが前に出る。
距離を詰めると同時、大きく振り被った右拳が猛然と弧を描く。
捌かれれば大きな隙を晒す事になる……が、『不在』を用いれば反撃を恐れる心配はない。
存在を消して更に一歩前へ。懐へ飛び込み、猿の下顎へと狙いを定め……目があった。
直後に上段から振り下ろされるペンチ……自ら体勢を崩し転ぶ形で辛くも躱す。

「送り狼が転ばされるなんて、参っちゃうなホント!」

だが窮地を脱した訳ではない。
ポチは仰向けに倒れたまま体勢、猿が再びペンチを振り上げる。
追撃は不在で躱せるが……その後に続く展開は、再び仕切り直し、となる。
つまり猿達に時間を与え、更なる進化をされる事になる。
多少の手傷を負ってでも不在を使わず追撃をいなし、カウンターで仕留めてしまうべきか。
ポチはそう判断し……

>「オヤツをくれてやる!」

しかし不意に響くノエルの声。同時に猿がポチから視線を離してその場を飛び退く。
一体何が……と行方を目で追うと、見えたのはバナナに群がる猿達の姿。

>「よし! ポチくん、クロちゃん、今だ!」
「……ナイスだノエっち!ぶちのめしてやる!」

そんなのありかよという叫びを飲み込み、ポチが床を蹴る。
猿達が我に返って振り返った。その内の一匹がポチをペンチによる刺突で迎え撃つ。
対してポチは……一際強く、跳躍。
同時に変化を解く。人狼の姿から狼の姿へ。
そして突き出されたペンチを足場に再度跳躍……勢いのままに猿の首を食い千切る。

「へん、これはまだ見せてなかったからね。避けらんないだろ。
 それにしても……なんだかすっごくスカッとしたなぁ。なんでだろ」

自分でも理由の分からない強い敵愾心に首を傾げつつ、ちらりと尾弐を見る。
猿を二匹残してしまったのが気がかりだったが、問題なく仕留められたようだった。

>「いやぁ、お見事!やっぱり強いな、とんでもなく強い!さすが、クリスとロボを倒しただけのことはある!」
「……まだまだ、こんなもんじゃないさ」

>「R!見ていないで、貴方も手伝ったらどうなんですの!?」
>「わたしの出る幕なんて、ないと思うけどね。それより、ほら……先に進んでいいみたいだよ?」

>「なんで開くねん!」
「……そりゃ、手で引っ張ったからでしょ。ねえ?」

どうせ気の利いた回答など返ってこないだろうと、ポチは皮肉を零す。

>「また閉まっちゃうといけない、ここはわたしが開けたままにしておこう。みんなの準備が整ったら、先へ進もうか」
「ほらね……ズルいよなぁまったく。それ、体力温存のつもりでやってるなら、ただじゃおかないぜ」

冗談めかして言ってはいるが、先頭車両まで辿り着いて疲れ切ったところで前言撤回、敵に回られては堪らない。
さりとて、やはりお前も矢面に立てと言っても、どうせのらくらと受け流されてしまうだろう。
彼の嘯く騎士道精神が嘘でない事を祈るしかないこの状況は、あまり好ましくはないが……。
今のところは、彼に門番をさせて休憩するくらいしか出来る事はなかった。

144ポチ ◆CDuTShoToA:2017/11/11(土) 04:18:22
>「祈、大丈夫ですか?お怪我はありませんこと?」
 「……ないよ。お陰様でね」
 「……よかった」
 「た、盾になってるやつが無事だからって喜びすぎなんだよ! あたしらが敵同士だってことを忘れんなよ!」

>「……キマシタワー!
  『どうしよう、敵なのに好きになっちゃった!』の王道パターン!? よろしい、ならばお父さんを説得して東京侵略をやめてもらうんだ!」

「ノエっちが何言ってんのかはさっぱり分かんないけど、
 ちゃんと他人と仲良くなれるんだね、レディちゃん。だったら支配なんて目論むより、そっちの方が気楽じゃないかい?
 ……ていうか、支配って一体何がしたいのさ?」

軽口を叩ける程度には呼吸を整え、ポチが次の車両へ視線を移すと……

>「あれ? 橘音がいない……?」

祈がふと、呟いた。
弾かれたようにポチが橘音がいたはずの座席を見る。確かにいない。

「な、なんで……確かに、余裕綽々って訳には行かなかったけど……」

だが橘音が狙われている事に気付けないほど切羽詰まっていた訳でもなかった。
にも関わらず、いつの間にか橘音の姿は消えている。

>「いなくなったものは仕方ありませんわ。先へ進みませんこと?こんな不祥事、一刻も早くお父さまにご報告し処罰して頂かないと!」

「……前向きに考えるなら、夢から出ていけたって事……なのかな。
 まぁ……確かにレディちゃんの言う通りだよ。
 次に来る猿を、そこの頼れる騎士さんが素通りさせないとも限らないしね」

そうして今度こそ次の車両へ向かう。

>《次は〜 ひきさき〜 ひきさき〜》

姿を現したのは、オランウータンに似た腕の長い、二匹の猿。

>「次はゴリラぐらいは出てきそうなもんだな……おねーさんはこの辺で待ってて」
「少なくとも、まだ人間にまでなってない事を喜んどこうかな」

うんざりとした調子で呟く祈にそう答えつつ、再び人狼の姿を取る。
そして一歩前に出ようとして……不意に狼の感性が、警鐘を鳴らした。
本能に従うままにその場を飛び退く。一拍遅れて、ポチの胸から血が噴き出した。

「だ……大丈夫、掠っただけだよ。
 だけど……気をつけて。あの爪、めちゃくちゃ鋭いし、それに……」

……体が、重い。
たった今の一撃……避けられなかったのは、狼の感性に、体が付いてこなかったから。
ポチが飛び退いた分だけ、再び前に出る。
祈は一旦後方へ退いたが、全員でそこにぎゅうぎゅう詰めになる訳にもいかない。
なおも縦横無尽に襲い来る鉤爪を捌き、時に体で強引に受け止めながら、ポチは思考する。
……どうすればいい、と。
猿二匹の腕の長さは、懐に潜り込めばそのまま弱点にもなる。
だが……まるで水中で藻掻いているような今の状態では、とてもそんな事は成し遂げられない。
不在を使えば、どうだろうか。
攻撃は掻い潜れるだろう。だが距離がある上に、この体の重みからも逃げられるとは限らない。
最低でも二呼吸ほどの時間、存在を消す必要があるだろう。

(……出し惜しみしてる場合じゃない。だけど……ちゃんと、出来るのか?)

送り狼の不在とは、言ってしまえば最大限にカッコつけながら、消滅しているだけだ。
攻撃を躱す為のほんの一瞬だけでも、心身に強い負担がかかる。
だから使う時は紙一重で、一呼吸にも満たない間だけに留めていた。
……もし、不在を使った後で戻ってこれなかったら。
死ぬのは怖くない。だが皆を、シロを残して消えてしまう事は、怖い。
彼らの為に出来るはずだった事が出来なくなるのが、
助けるべきだった時にいられなくなるのは……恐ろしい事だ。

145ポチ ◆CDuTShoToA:2017/11/11(土) 04:19:43
(……一呼吸分、前に出よう。奴らはまず僕を狙うはず。それが攻め込むきっかけになる)

それが、自分の取れる安全かつ最善の一手。
ポチはそう判断し、前へ踏み出すべく膝を屈め……

>「みんなちょっと下がってて!」
>「――“風火輪”!」

「へ?」

不意に響いた祈の声に振り返ったポチの眼に映るのは、燦然と燃える炎の車輪……風火輪。
ロボとの戦いではそれどころではなかったので間近で見るのはこれが初めてだが、富嶽から譲り受けた妖具らしい。

>「せー……のっ!」

祈が右足を後ろへ振り上げる。そして続く動作は……決まっている。
右足が勢いよく振り抜かれると、生じた炎が床を走り……車内のあれこれと、猿の腕へと燃え移った。

>「ふぅーっ……よし、これであと車両は3つ! 次いこっか!」

「あんまり無茶は良くないよ、祈ちゃん、大丈夫?」

会心の一手を目の当たりにしたポチは、自分の事をこっそり棚に上げつつ、祈の顔を覗き込む。
滴り落ちるほどの大粒の汗……やはり大きく疲労している。

「……でも、正直助かったよ。ありがとね。次は、僕らが頑張るから」

だが彼女のお陰で、切る手札を最小限に次の車両へと進む事が出来るのもまた事実。
……あと三両。自分達の全てを見切られる前に、押し通れるのか。
内心に渦巻く不安を、拳を強く握り締めて押し殺し、次の車両へと進む。

>《次は〜 まっぷたつ〜 まっぷたつ〜》

行く手を阻むように現れるのは……ゴリラだ。
前屈みの体勢でも頭が天井に届き、脇をすり抜ける隙間もない、巨大なゴリラ。
そして今回も得物を手にしている。チェーンソーだ。

「……次は何を持ち出してくるんだい?猟銃とか?」

零れたポチの呟きは、冗談が半分……もう半分は、虚勢だった。
強がりを口にしないと、気力が萎えてしまいそうだった。
体は重く、敵は巨躯に見合わないほど迅速で、しかも力強い。
振り回されるチェーンソーを躱し続けるだけでも息が上がっていく。

「……僕が前に出る!時間はかけらんない、さっさとやっちゃわないと!」

だが……それでも、前に出なければジリ貧になるだけだ。
横薙ぎに払われたチェーンソーを飛び越え、前へ。
しかしゴリラは素早くチェーンソーの軌道を反転させる。
高速回転する刃は、振り抜く必要がない。触れるだけで、ポチの肉体を致命的に破壊するだろう。
回避行動の取れない空中で……しかしポチは身をよじり、チェーンソーを躱す。
その両手で、吊革を掴み、強引に跳躍の軌跡をねじ曲げたのだ。
まさしく猿真似だ。だがこの手ももう次は通用しない。
このまま一気に、チェーンソーを振り回せない懐へ潜り込む。
ポチが不在を発動する……その直前、ゴリラの左腕が弾丸のように彼へと伸びた。
そのまま首根っこを掴まれ、振り回され、壁に叩き付けられる。
肺が破裂したかと錯覚するほどの衝撃に、ポチは声も上げられない。

146ポチ ◆CDuTShoToA:2017/11/11(土) 04:20:19
(嘘だろ……消えるタイミングを完全に読まれた……?
 それとも……まさか、消えてから、掴まれた?)

ゴリラはすぐにポチを打ち捨てた。
掴まれたまま、嬲られる事を覚悟していたポチは違和感を覚えつつも、ゴリラを見遣る。
……手を離された理由は、すぐに分かった。
ゴリラの丸太のような脚の隙間、その向こう側に、祈が見えた。体勢を崩している。
助けなくては……そう思った瞬間、しかしポチは同時に気付いていた。
間に合わない、と。今から立ち上がり、彼女を助ける。或いはゴリラを止める。
どちらも間に合わない、と。
だが、思考はそこで終わらない……助ける、ではなく、庇うなら……。
シロの言葉が脳裏に蘇る。
『特に。今回のような捨て鉢な戦いは、二度としてはいけません。……約束できますね?』
あの言葉に、ポチは約束すると返事をした。

(そうだ、僕は約束した。……ロボにも、シロちゃんにも、恥じない狼で在り続けるって。
 間に合わない。止められない。だからなんだ。
 ロボなら……絶対諦めない。だから僕も!)

牙を食い縛り、渾身の力で床を蹴る。
自分が思っていた以上に速く、体は動いた。
送り狼は転ばせた者を殺める妖怪だが……同時に、誰かを送り届け、守る妖怪でもある。
それ故か……しかしそんな事はポチには関係ない。
考えるのはただ、チェーンソーの前に躍り出て、腕で食い止め、そのまま蹴り上げる。ただそれだけ。
上手く行けば、片腕か、それで足りなければ両腕を台無しにされるだけで済む。
それでも足りなければ……もしそうなっても祈が斬られるよりかは、遥かにマシだ。そして……

>「……祈!」

レディベアの悲鳴じみた声が響く。
同時、ゴリラの動きが止まった。レディベアの瞳術による事だとすぐに分かった。
祈を振り返る。彼女は既に体勢を立て直して離脱していた。

>「い、今のはマジで死んだかと思った! ありがと!」

「心臓が止まるかと思ったよ……僕からもありがとね、レディちゃん!」

だがポチはその場に留まったままだ。
どのみち、離れてしまえばリーチの差を活かし続けられるだけ。
ならば危険を承知で踏み留まった方がマシだと判断したのだ。

>「これは……さすがに一筋縄ではいかない、かな?」

とは言え……それは結局「距離が離れれば状況はなお悪くなる」というだけ。
今の距離を保つ事で状況が打破出来るかどうかはまた別の話だった。
距離を詰めたポチが狙われればノエルが妖術を放てる。尾弐も攻勢に転じられる。
だが例えそうなっても……もう有効打が生み出せないのだ。
祈の手も足も、ノエルの妖術も、ポチの牙も爪も。尾弐の怪力、レディベアの瞳術でさえも。

>「ゴオオオギャアアアアアアア―――――――――――ッ!!!!」

送り狼の力を解放しようにも……相手は素早く、しかも恐ろしく屈強だ。
満足に体を動かせない今、致命傷を受けない事だけで精一杯で、転ばせる事などとても出来ない。
だが……不意に、電車が大きく揺れた。
響き渡る耳障りな、金属の擦れる音。急ブレーキが踏まれているのだ。
疲労と重い空気のせいで揺れに堪えられない。体制を崩し、膝をつく。
急ブレーキはこの為か、と顔を上げると……しかしゴリラもよろめいている。

>《はいは〜い! 本日は猿夢鉄道、地獄行き通勤特快をご利用いただき誠にありがとうございま〜す!》

一体何故、と考える暇もなく響く車内放送。スピーカーから聞こえるその声は……

「……橘音ちゃん?」

>《当車両は時間調整のため、次の駅にて一旦停車致しま〜す!ご利用のお客さまには、大変ご迷惑をおかけ致しまぁ〜す!》
 《なお、次の駅より先は特急となり、地獄まで停車致しません!乗り換えをご希望のお客さまは次の駅で下車願いま〜す!》
 《次は〜 きさらぎ〜 きさらぎ〜》

「……無事だったんだね」

ポチが安堵の溜息を零し……しかし、はっと我に返ってゴリラへ視線を戻す。
目があった。

147ポチ ◆CDuTShoToA:2017/11/11(土) 04:21:08
「……あれ?もしかしてコイツはこっちでなんとかしろ、みたいな?」

>「グギャアオオオオオ――――ッ!!!」

「……そうっぽいね!」

この車両で仕留めると言わんばかりに激化する猛攻。
しかし相手にも焦りがあるのか、攻め方が荒い。
これならば転ばせる事も出来るか……。

>「こんなこともあろうかと弱い振りをしておったのだ。切り札は最後までとっておくものだ――なんてね」

そう考えると同時、ノエルの声と共に届く強烈な冷気。
瞬間、ポチは……後方へ飛び退いていた。
最も間近にいた自分が逃げの姿勢を見せれば、ゴリラはそれを追ってくる。
ノエルならば……そこに合わせてくれると信じて。
果たして……無言の連携は成立した。
祈の牽制によって左目を傷つけられたゴリラの足元に氷が這い……足を滑らせる。

>「ポチ君、転んだよ――!」

「……ゲハハ」

ゴリラが片手片膝を床に突いた瞬間、ポチがにたりと笑った。

「ゲハハハ、ゲァ――――――ッハッハッハッハァ!!!」

そして一瞬間の内に、その体が膨れ上がる。
彼が思い描く最も強き者の、憧れの姿へと、変化する。狼王ロボの似姿へと。

「オーケーノエっち!出し惜しみはもうやめだ!
 この猿を叩きのめして、気持ちよく眼を覚まそうか!」

ゴリラが凍りついたチェーンソー振り上げ、鈍器代わりにしてポチへと振り下ろす。
ポチは……それを真正面から迎え撃った。
ロボと同等か、それ以上の膂力を持つゴリラを相手に真っ向勝負は下策。
分かっている……だがそれでも、ロボならばここで怯えた一手など打ちはしない。
懐へ飛び込み、放つのは左の手刀。
ゴリラの右腕の軌道を、左腕でいなすようにして繰り出した人狼の爪が、ゴリラの右目を切り裂いた。

「次があるなら、三つ目のゴリラを作るんだね」

そうしている間にも電車は徐々に速度を落としていっている。
そして……ついには、完全に停車した。自動ドアが音を立てて開く。

>「行きますわよ、祈!こんな電車は懲り懲りですわ!」
 「みんなも早く!」

祈とレディベア、ノエルの脱出を見届けてからポチも車外へ飛び出した。
ホームに降り立つとすぐに振り返り、尾弐と共に、ゴリラが外へ出てくる所を待ち構える。
が……どうやらゴリラは車外へは出てこられないらしい。ポチは大きく溜息を吐いた。

>「アハハ、いや〜!ギリギリで間に合いましたね!」

「あぁ、橘音ちゃん……ホント助かったよ。でもどうやって」

>「どうして運転席から出てきたのか、って?ふっふっふっ……実は、ボクがすべての黒幕だったのです!」
 「……あ、ウソですよ?そんな怖い顔して睨まないで下さいよ、ハハハ……」

「……尾弐っち。最高の働きをしてくれた橘音ちゃんに、オヤツをくれてやってよ」

相変わらずの空気を読まない発言に呆れながらも、ポチは橘音の後に続いて駅の外へ。

148ポチ ◆CDuTShoToA:2017/11/11(土) 04:21:29
>「キミが東京ブリーチャーズのリーダー、狐面探偵君か。はじめまして――お噂はかねがね」
 「どうも。ボクもアナタのことは聞いてますよ……イケメン騎士さん」

「うーわ、胡散臭さで鼻が曲がりそう」

猿夢からは脱出出来たとは言え、今もなお異常な夢の中にいるのに、何を呑気に……と言いたげな声色。
そんなポチの心境などお構いなしに狐面探偵による解説タイムが始まる。

>「ま……非常事態なんで使いましたが、決してイイモノじゃありません。こんな駅からは早く立ち去るに越したことはない」
 「その前に、やることをやってから……ね」

橘音は意味ありげな言葉で解説タイムを締め括った。

>「……貴方。何が言いたいんですの?」
 「ふふ……。わかりませんか?」

そして今度は謎解きタイムがしたいらしい。
どうせ言っても無駄なので、その頃にはポチはもうその辺の壁にもたれて静聴の姿勢に入っていた。

>「クロオさんは、とっくに気付いていたんでしょ?電車に皆さんを引きずり込み、猿をけしかけた『猿夢』の主が誰なのか――」
 「これは『人を殺すことを存在意義とする怪異』、改心する可能性も、また情状酌量の余地もありません」
 「ってことで。漂白しちゃってくださいな」

「ん、んん?あれ?結局答え合わせはしてくれないの?犯人はお前だ、って」

結論だけ聞ければいいや、といった気持ちでいたポチは慌てて橘音の言葉を思い出そうとする。

>「あんただったんだな。――“おねーさん”」
 「ま、最初に開かずのドアを開けて平然とこっちの車両に入ってきてたし、
  尾弐のおっさんが『夢の主』の話してた時に見てたのってこのおねーさんだしな」

「ふむむ……」

>「もう、誰も、襲わない。だから頼む、見逃してくれ」
「おっ、祈ちゃん大当たり?」

>「君は怪人に使役されてるんだよね? 対価は何? それとも……弱みを握られてる?」
「あれ?……だとしても、猿夢は人を殺す夢なんでしょ?誰かに使われてても関係ないんじゃ」

>「セッティングしたのはカンスト仮面――怪人なんとか面相だ。
  怪人っていかにもトリックとか偽装工作とか得意そうじゃん。真犯人を隠すために他の人を犯人っぽく仕立て上げたりも出来るかもしれない」

「あっ、なるほど……ふむふむ……面白い推理合戦になってきたなぁ……」

皆の話を一通り聞いた後、ポチは腕を組み首を傾げながら暫し唸る。

「……うーん、祈ちゃんとノエっちには悪いけど、猿夢は漂白した方がいいよ」

そして、ポチは祈ともノエルとも違う結論を出した。

「……僕らだって、自分が危ないかどうかよりも、大事な事があるだろ。
 だったら……人を殺す事が、約束を破れば消えちゃうとか、そんな事よりも一番大事な奴だっているはずさ」

ポチは猿夢の傍へと歩み寄り……

「だけど、コイツを殺しちゃうのは、ちょっと待った方がいいと思う」

尾弐を振り返り、手のひらを見せる。

「……もし夢の中から、夢を見ている人が全員消えてしまったら、その夢はどうなってしまうと思いますか?
 なーんて、今のは橘音ちゃんの真似。どう?似てたでしょ?」

ポチは皆を見回してから、背後に立つ猿夢を見上げ、首を傾げる。

149ポチ ◆CDuTShoToA:2017/11/11(土) 04:22:27
「で、どうなっちゃうの?……もしかしてさ、消えちゃうんじゃない?
 さっき尾弐っちが言ってたよ。夢には、主がいるって。あれはちょっと意味が違ったけど。
 ええと、つまり僕が言いたいのは……」

その表情はにこやかで、猿夢も少し緊張が解けたのか、自ら言葉を発しようと口を開き……

「君、今も誰かに取り憑いてんじゃないの?」

しかし直後、人狼の爪よりもずっと鋭い眼光が、猿夢を射抜いた。

「僕も……送り狼も、人に憑きまとう……取り憑く妖怪だからさ。
 同類として、ちょっと気になるところなんだよね。
 もし違うならすごく脅かしちゃって悪いなと思うんだけど……」

そこまで語るとポチは大きく口を開いて見せる。その内側に連なる鋭利な牙を。

「もしそうなら、黙ってたお前にはオシオキをしてやる。今は出来なくても、後で、絶対に」

150尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2017/11/15(水) 00:50:43
>「よし、決まりだ。東京ブリーチャーズの諸君、答えは『ノー』だ」
>「今の相談はなんだったんですのっ!?」
>「マジで何だったんだよ!?」

「……ま、そりゃ断るわな」

騎士を名乗る男の拒否に対し、されど尾弐は別段感情を動かすような態度を見せる事は無かった。
それは、提案が断られる事を想定の内に入れていたからである。
故事に有る、共通の敵の元に団結する呉越同舟――――そんなものは所詮『まやかし』だ。
例え強大な敵を前にしようと、眼前に立つ者が憎むべき敵であれば、折りを見てその背中を刺す。
それが、敵意と悪意の性質である。
語ってはいないが、レディベア達が共闘を受け入れていた場合……尾弐は乱闘の最中で、彼女達を背後から襲い仕留めるつもりであった。
後の同士討ちを願うというのはただの建前。
東京ドミネーターズを潰し合わせるよりも、油断した二匹の化物を仕留める方が確実であるからだ。

「ったく、化物に保護者が居るってのは厄介なモンだ」

そう言いながら、ねめつける様な視線を向けたのは騎士を名乗る男に対して。
その後、尾弐は右腕で首の後ろを抑えため息を付きつつ、新たに現れたチンパンジー程の大きさの猿に視線を向けた。

―――――

>「いやぁ、お見事!やっぱり強いな、とんでもなく強い!さすが、クリスとロボを倒しただけのことはある!」

「人を盾に安全地帯で観察かい。随分いい趣味だな騎士サンよ。まるで立派なコソ泥みてぇだぜ」

猿の持つ巨大なペンチによる強烈な一撃を顔面に喰らった尾弐は、口内が切れて流れ出た血を吐き捨てる。
その右手には猿の頭部がしっかりと掴まれているが、頭を掴まれた猿は、暴れるでもなく四肢を力なくだらりと垂れ下げている。
当たり前だ。頭蓋ごと頭を握りつぶされてしまえば、抵抗など出来得る筈も無い。

>「……キマシタワー!
>『どうしよう、敵なのに好きになっちゃった!』の王道パターン!? よろしい、ならばお父さんを説得して東京侵略をやめてもらうんだ!」

「いや、屠殺前提の家畜に名前付けさせるような真似するんじゃねぇよ色男」

猿の死骸を無造作に放り捨て、ノエルのノエりに適当に流しつつ、尾弐は思考を巡らす。

(猿によって殺される夢、先頭車両の運転手に、夢だからこそ無尽蔵に強くなる猿か……ちと不味ぃな)

先のレディベアの言葉を判断の一助とするのであれば、夢の主。運転手と思わしき存在が居るとされる車両までの距離はまだ長い。
そして、辿り着くまでに登場する猿の力がもしもブリーチャーズの力を総体として上回ってしまえば、どうなるかは自明の理であろう

(手を打とうにも、どうも確証が持てねぇ。こういう時に那須野が居れば……いや、それこそ甘えだな)

頭を振って、視線を怯える女性へと向け、次いでそれを眠る那須野に移動させた尾弐は

「……あ?」
>「あれ? 橘音がいない……?」

そこで、眠っていた那須野橘音の姿がいつの間にか消失している事に気付く。
――――気づいた瞬間、尾弐の背に冷たい物が駆け上がり、次いで溶岩の様な熱く昏い感情が吹き上がり、その視界を赤く染め掛ける。が

>「いなくなったものは仕方ありませんわ。先へ進みませんこと?こんな不祥事、一刻も早くお父さまにご報告し処罰して頂かないと!」

「……状況的には、先に進むしかねぇか」

意外な事に尾弐は、一呼吸しただけで平静を取り戻していた。

(禁煙中のサラリーマンか俺は……化物共がのうのうと近くで生きてやがるせいで、どうにも気分が落ち着かねぇ。
 ……この猿夢ってのは『猿に殺される夢』だ。逆に言えば、夢の主は『猿を使って殺す』事でしか俺達を仕留められねぇって事でもある。
 なら、猿にやられてねぇ那須野が消えたのは、やられたんじゃなく逃げ切ったって考えるのが筋だろうに)

思考を纏め理論で自分を鎮め、感情を振り払う様に息を吐いてから、尾弐は開いた次の扉へと歩みを進める
耳に届くのは、もはや危機慣れ始めている不快なアナウンス――――

>《次は〜 ひきさき〜 ひきさき〜》

―――――

151尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2017/11/15(水) 00:51:51
「……相変わらず『場』を敵に回すってのはやり辛ぇな」

尾弐は、オランウータンを模した猿の鉤爪により二の腕に負った傷を、羽織る喪服を千切り巻き付ける事で止血しながら一人ごちる。
強襲を掛けて来た猿達は、祈が風火輪を使用する事で焼き払い撃退する事が出来た。
……が、それは無条件に喜べる勝利ではない。
短時間ではあるものの、交戦した猿の身体能力は更に向上し、とうとう尾弐の肉体の防御すらも貫く威力を手に入れていたのだ。
更には、空間に対し奇妙な力が働き、相乗効果でポチをも捕える攻撃を繰り出してさえもいる。
初めは脆弱だった猿が、仮に祈が切り札の一つを切らなければ、相応に消耗させられたであろうレベルの敵となったのは恐るべき事だ。
おまけに、風火輪は消耗が激しい上に、次の猿にはその対策も成されてしまっているだろう。
相手は歩兵を失ったが、こちらは飛車の動きを封じられた。
割に合わない成果である。

>「……でも、正直助かったよ。ありがとね。次は、僕らが頑張るから」

「俺からも礼を言うぜ祈の嬢ちゃん……ただ、今後その道具は出来るだけ使わないようにしといた方がいい。
 そいつは、生粋の妖怪が使うにも消耗が激し過ぎるシロモンだ。常用すれば、敵より先に嬢ちゃんの体がぶっ壊れちまうぞ」

それでも、前に進むしかない。
尾弐は祈の肩をポンと叩き、労いと忠告の言葉を発しつつ、先陣を切り歩みを進める。


―――――

>《次は〜 まっぷたつ〜 まっぷたつ〜》

>「さ、さすがに息切れしてきましたわ……!わたくし、元々飛んだり跳ねたりは苦手なのです!」
>「はっ。運動不足なんじゃねーの……あたしも、人のこと言えねーけどな」

「あのチェーンソーに触れば、嫌でも(首が)飛んだり刎ねたり出来んだろ。苦手の克服がてら逝ってきたらどうだ、ドミネーターズ」

レディベアに対し、ノエルとは真逆の嫌悪感を隠さない暴言を叩き付ける尾弐だが、その視線は眼前に現れたゴリラを模した怪物に固定されている。

コトリバコを彷彿とさせる巨躯に、狼王に匹敵する隆々とした体躯。
手にする轟音を奏でる武器は、触れれば尾弐の肉体ですら容易く切り裂いてしまう事であろう。
おまけに体に掛かる負荷は更に増し、もはや岩でも背負っている様である。

だが、それでも進まねば。前に進まねばならない。

>「……僕が前に出る!時間はかけらんない、さっさとやっちゃわないと!」
「あいよ。なら追撃はオジサンが行くとするかね」

先頭を切って飛び出したポチの後に続き、尾弐も駆ける。

――――先手必勝。
相手がこちらを上回る力と速さを手に入れていると仮定するのなら、それを発揮する前に叩き潰すのは戦の常道である。
その意味で、ポチの選択は正しいものであると言えるだろう。
ただ一つ、誤算があったとすればそれは

「ポチ助っ!?」

猿夢の戦力が、想像以上に凶悪に成長していたという事であろう。
祈の速度を上回る反応速度、尾弐の防御力を上回る攻撃力、ポチの不在を見抜く洞察力、ノエルの氷結を打ち破る耐久力。
眼前のゴリラは、それらの全てを兼ね備えていたのだ。
壁に叩きつけられたポチに注意を引かれたその瞬間に、隙を見せた尾弐に対してもチェーンソーが振るわれる。
それでも唐竹割りに放たれた刃を紙一重で回避し、ゴリラの腕に拳による一撃を放った尾弐であったが……

152尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2017/11/15(水) 00:52:41
「なっ、腕がめり込――――」

ゴリラの皮膚は、その鋼の様な外見に反して衝撃を吸収する柔軟ささえも持ち合わせていた。
結果、鉄をも容易く圧し折る尾弐の一撃は効果を見せる事は無く、肉によって腕を固定された尾弐は、
ゴリラにの持つチェーンソーの持ち手によって強かに殴りつけられる事となった。
数度の殴打を受けた後に吹き飛ばされた尾弐は、座席の角に強かに背中を打ちつける。

……尾弐にとって運が良かったのは、猿が自身を傷つけてまで仕留める事に括らず、嬲る事を目的として攻撃を仕掛けた事であろう。
仮にゴリラが、自身の腕を斬る覚悟で尾弐にチェーンソーの刃部分を向けたとすれば、尾弐の胴と首は泣き別れする事になっていただろう。
そして、尾弐にとって運が悪かったのは

吹き飛ばされた事で距離が開き、祈のフォローに入れなかった事であろう。

「げほっ――――逃げろ、祈っ!!」

体勢を崩した祈に振りかざされるチェーンソーの刃
尾弐はどう動こうが間に合わない。ポチは疾走しているものの、間に合うかどうかは五分五分。
仮に間に合ったとしても、庇って傷を負う事以外は難しいであろう。

(どうやっても間に合わねぇ……糞がっ!なら、チェーンソーを振り抜いて出来た隙を利用して、
 一か八か、化物の首に取り付いて骨を圧し折ってぶち殺す!
 後は、ノエルの氷で嬢ちゃんの傷口を塞いでから、妖気を流し込んで延命を図れば……!)

この状況において、尾弐が辿り着いたのは祈の負傷を前提とした次善の策であった。
狼王の誇りを受け継ぎ、祈を守る為に駆けだしたポチ。彼の気高い行動とは真逆の、妥協と打算の選択肢を尾弐は選んだ。

……だが。

>「……祈!」
>「い、今のはマジで死んだかと思った! ありがと!」

尾弐の打算よりも、ポチの脚よりも、早く祈を救い上げた者が一人。
それは、東京ドミネーターズが一人、レディ・ベアであった。
彼女は瞳術でゴリラの動きを縛り、祈が体勢を立て直す時間を作り出したのである。
敵であるレディベア手によるものであるとはいえ、祈が助かった事に安堵の色を隠さない尾弐。けれど

>「これは……さすがに一筋縄ではいかない、かな?」

それは、状況が最悪に至らなかったというだけの事。
東京ブリーチャーズの面々の攻撃が効果を発しないのであれば、時間と共に状況は悪化するのみ。所謂、ジリ貧という奴だ。
そう。『このまま』であれば、確かにそうなっていた。

>《はいは〜い! 本日は猿夢鉄道、地獄行き通勤特快をご利用いただき誠にありがとうございま〜す!》

だが、突如として車内に響くアナウンスがその状況を打ち破る。

>《当車両は時間調整のため、次の駅にて一旦停車致しま〜す!ご利用のお客さまには、大変ご迷惑をおかけ致しまぁ〜す!》
>《なお、次の駅より先は特急となり、地獄まで停車致しません!乗り換えをご希望のお客さまは次の駅で下車願いま〜す!》

それは、先ほどまでの不快な声色とは違う聞きなれた声。
地獄へ向かう列車の中で響いたのは――――那須野橘音の声であった。

そして、那須野の言葉と共に急減速する車両。
焦った様に暴れ出したゴリラの様子は、今の出来事が猿夢にとっても想定外のものである事を告げている。
これが示すものはつまり……

「やってくれたぜ……これで、ジリ貧になったのはエテ公の方って訳か」

無期限に無尽蔵に戦力を吐き出す事が叶った『猿夢』の側に、タイムリミットが設けられたという事だ。
その後の展開は早いものである。
終わりが見えるのであれば、出し惜しみをする必要はない。

153尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2017/11/15(水) 00:53:11
ノエルが乃恵瑠としての権能を行使し、圧倒的な冷気を以って、
耐性の出来ていないゴリラのチェーンソーを凍結させ、更に足元を凍らせる事で転倒させる。

>「ゲハハハ、ゲァ――――――ッハッハッハッハァ!!!」

それにより、送り狼としての特性を十全に発揮する事が叶ったポチは、狼王の姿を模した形態となり、
その鋭利な爪を以ってゴリラの右の眼球を引き裂いた。
更に、祈が金属片を投擲する事で左の眼球を破砕する。
それでも尚、狂乱と共に無茶苦茶に暴れ回るゴリラであったが

「さぁて、それじゃあオジサンも働くかね……最も、俺には他の連中みてぇな必殺技はねぇんだ。だから」

最後に尾弐がその懐に入り込み、暴れ回るゴリラの鳩尾に軽く掌を添える

「――――喰らわしてやれるのが、猿真似で悪ぃな」

そして、言葉の直後に響く火薬の爆発した様な炸裂音と、その巨体を仰け反らせるゴリラの姿。
……尾弐が放った攻撃は、名を『発痙』という。
そう。かつて狼王ロボが人間形態の時に用い、一撃で尾弐の内臓のことごとくを破砕し瀕死に追い込んだ技である。
尾弐は、かつての戦いの折に自身がが受けた技を、自分と同じ様な敵と遭遇した時の為に研鑽していたのだ。

最も……いかに人外の身体能力を持つ尾弐とはいえ、武道における奥義とも言えるその技巧が一朝一夕で身に付く筈も無く、
今のゴリラの様に視界を奪われ防御行動を取れない相手にしか放つ事が出来ないのであるが。

ただ、それでも威力は折り紙つきだ。
他のブリーチャーズの攻撃と合わせ、いかな強靭なゴリラとはいえども無人駅に辿り着くまでの時間を稼ぐくらいは出来るだろう。

>「行きますわよ、祈!こんな電車は懲り懲りですわ!」

―――――



>「アハハ、いや〜!ギリギリで間に合いましたね!」

「……ああ、そうだな」

>「どうして運転席から出てきたのか、って?ふっふっふっ……実は、ボクがすべての黒幕だったのです!」
>「……尾弐っち。最高の働きをしてくれた橘音ちゃんに、オヤツをくれてやってよ」
>「きっちゃん……! 助けにきてくれたんだね!」

「よし、突っ込み所が多すぎて何から言っていいか判んねぇ……!」

『きさらぎ駅』……別種のネットロアの領域に辿り着く事で、何とか猿夢の猛威から逃れた一行は、
現れた那須野の緩い空気も相まって、弛緩した会話のキャッチボールを交わしている。
それは死を乗り越えた後と考えれば仕方のない事ではあるのだが……

>「ま……非常事態なんで使いましたが、決してイイモノじゃありません。こんな駅からは早く立ち去るに越したことはない」
>「その前に、やることをやってから……ね」

けれど、いつまでも喜劇じみた寸劇を続ける訳にもいかない。
何故ならば、性質こそ違えど『きさらぎ駅』も決して良いモノではなく、その上……主導権は外れたとはいえ、猿夢は未だ此処に『居る』のだから。

>「クロオさんは、とっくに気付いていたんでしょ?電車に皆さんを引きずり込み、猿をけしかけた『猿夢』の主が誰なのか――」
>「これは『人を殺すことを存在意義とする怪異』、改心する可能性も、また情状酌量の余地もありません」
>「ってことで。漂白しちゃってくださいな」

夢の主……この場に居るであろう、力を失った『猿夢』の存在について、探偵の謎解きの場面の様に語る那須野。
尾弐は腕を組み、目を瞑り、沈黙しながらその言葉を聞き……けれど動かない。
そして、尾弐が沈黙する間にも各々が各々の見解を述べていく

154尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2017/11/15(水) 00:53:44
>「あんただったんだな。――“おねーさん”」
>「ってことで……約束しろよ、『猿夢』。命が惜しいなら。
>もう誰も殺さず、襲うとしても人を脅かす程度に留めるって。あと戻せるんなら殺した人達の魂も元に戻せ」

>「もう、誰も、襲わない。だから頼む、見逃してくれ」

祈は、最初に猿から逃げ、ここまで辿り着いた女性こそが猿夢であると指摘する。
祈に指摘された女性は狒々の様な姿を現し、人を襲わないから助けて欲しいと命乞いの台詞を吐き、祈はその命乞いに同調し
許すという選択肢を示した。

>「君は怪人に使役されてるんだよね? 対価は何? それとも……弱みを握られてる?」
>「セッティングしたのはカンスト仮面――怪人なんとか面相だ。
>怪人っていかにもトリックとか偽装工作とか得意そうじゃん。真犯人を隠すために他の人を犯人っぽく仕立て上げたりも出来るかもしれない」

ノエルは『猿夢』が脅迫されている、或いは使役されている可能性を提示し、
真犯人でないという可能性――――疑わしきは罰せずという慎重論を語ってみせた。

>「……もし夢の中から、夢を見ている人が全員消えてしまったら、その夢はどうなってしまうと思いますか?
>なーんて、今のは橘音ちゃんの真似。どう?似てたでしょ?」
>「君、今も誰かに取り憑いてんじゃないの?」

ポチは、猿夢を漂白する事を是としつつも、
今ここで殺す事の危険性を示し、更に猿夢が未だ誰かに憑いている可能性を提示した。


それらの全ての提案と意見を聞き届けた尾弐は、暫くの沈黙の後にゆっくりと閉じていた瞼を開き。そして言う

「……おいおい。お前さん達心配し過ぎだろ。大将がそんなリスクに気付かずに漂白しろなんて言う訳ねぇだろ?」

「それに、例えば猿夢が――――人質を取られていたとして」
「或いは、家族を守る為に必要だったとして。復讐の為だとして。正義を成す為だとして。愛の為だったとして。脅迫されていたとして」
「仕方なく人を殺していたとして。そこにどんな理由があれ」


「それは、俺が猿夢を殺さない理由にはならねぇよ」



その言葉は無慈悲で。何の躊躇いも無く。
尾弐黒雄は伸ばした腕は右手で掴み取る。
己が猿夢であると告解し、変貌した女の首を。
そして、頸椎を砕くべく右手に力を込める――――その直前。

155尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2017/11/15(水) 00:57:02
「……っと、そういえば忘れてた事があったな。大将、この化物の首を捻じ切る前に、今回の仕事の報酬について確認させてくれねぇか?」

唐突に。尾弐は那須野へ背を向けたまま、思い出した様に今回の任務の報酬について語りだした。

「突発的な仕事だから現金で出せとは言わねぇが……代わりに現物で頼みてぇものがあってな。
 今日の昼に、お前さんの事務所で『最後に』出された菓子があったろ?
 アレが随分俺好みの味だったんで……良ければ箱で送って欲しいんだがよ。後、個人的にも買いてぇから、あの商品の名前教えてくれねぇか?」

普段は報酬など形骸だと語る尾弐にしては珍しいその要求。
それは、夢の中で那須野に再開して以来、尾弐の中にしこりの様に残り続けた懸念を祓う為に発されたものであった。

(大将……マントで夢から逃れたってのも、運転室を占拠して進路を変えたって話も判った。理屈も通ってる。
 ただ一つだけ腑に落ちねぇのは――――お前さんが『どうやって』運転室を占拠したのかって事だ)

東京ブリーチャーズを圧倒する猿を繰りだせる『猿夢』。
その進路を決定付ける運転席とは、果たして戦闘を得意としない那須野一人で制圧出来る程に、脆弱な作りをしているのだろうか。
自身の領域の中で無敵を誇る猿夢が、こうも容易く夢の支配権を奪われるものであろうか。

その懸念を抱いた尾弐は、この問いによって確認する事とした。
即ち、那須野橘音が『信頼できる語り手』であるかどうかを。

これが尾弐の過剰な疑心暗鬼による単なる勘違いであれば、問題ない。
尾弐は、他の東京ブリーチャーズの反対をも押し切り、猿夢を絶命させんと未だ掴んでいる猿の首を圧し折る事だろう。

だがもしも――――万一、那須野橘音が『信頼できない語り手』であると判断すれば、
尾弐は即座に、残った左手で那須野を拘束せんとその腕を掴むだろう。


『笑の送ってきた饅頭』と『雪見だんご』、果たして帰ってくるのはどちらの菓子の名であろうか

156那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2017/11/17(金) 18:36:24
『猿夢』の世界から離れた『きさらぎ駅』の世界で、東京ブリーチャーズは『猿夢』の正体を突き止めた。
車両内で唯一の人間――と思われていた女性が、みるみるうちに駅長じみた姿の猿へと変貌してゆく。
祈の脅しに屈服したのか、『猿夢』はブリーチャーズの前にひれ伏すと、

>「もう、誰も、襲わない。だから頼む、見逃してくれ」

と誓った。

>きっちゃん……! 助けにきてくれたんだね!

「――ふん」

ノエルに抱き付かれながら、橘音は口許に薄い笑みを浮かべて猿夢を見ている。
今後殺戮をやめ、殺した人々も戻すなら見逃すという祈の条件に対して、猿夢がどう反応するかを観察しているようである。

>君は怪人に使役されてるんだよね? 対価は何? それとも……弱みを握られてる?
>君、今も誰かに取り憑いてんじゃないの?

ノエルとポチが口々に疑問を口にするが、猿夢は答えない。ただ、じっと許しを乞うようにこうべを垂れるだけだ。
橘音がちらりと尾弐を見る。
橘音にとって尾弐はとりわけ付き合いの長いパートナーだ。ポジション的には東京ブリーチャーズのサブリーダーのようなものである。
その尾弐に『漂白しろ』と言った。ならば、後は尾弐の裁定を是とするだけだ。

>……おいおい。お前さん達心配し過ぎだろ。大将がそんなリスクに気付かずに漂白しろなんて言う訳ねぇだろ?

そんな中、尾弐がメンバーの危惧を一蹴する。

>それに、例えば猿夢が――――人質を取られていたとして
 或いは、家族を守る為に必要だったとして。復讐の為だとして。正義を成す為だとして。愛の為だったとして。脅迫されていたとして
 仕方なく人を殺していたとして。そこにどんな理由があれ
 それは、俺が猿夢を殺さない理由にはならねぇよ

「その通り。それに、言ったでしょ?『猿夢』とは、殺戮を存在意義とする存在。ヒトを害することを糧とする妖壊――」
「そんな妖壊に『殺しをやめろ』と言うのは、『明日から二酸化炭素を吸って生きろ』と言うのと同じ。不可能なのです」
「ここで跡形もなく消滅させてしまうしか……ね」

「そ、そんな……!それは話が違――」

橘音の無慈悲な漂白宣言に、地面に額をこすりつけていた猿夢が顔を上げる。
尾弐が猿夢の首を鷲掴みにする。
橘音の半面から覗く口許に刻まれた笑みが、僅かに深くなる。
もう少しだけでも尾弐が手に力を入れれば、猿夢の首はヘシ折れるだろう。

……しかし。

>……っと、そういえば忘れてた事があったな。大将、この化物の首を捻じ切る前に、今回の仕事の報酬について確認させてくれねぇか?

尾弐は突然話柄を変え、そんなことを言ってきた。

「はぁ?」

突然水を向けられ、思わず橘音は頓狂な声を上げた。

>後、個人的にも買いてぇから、あの商品の名前教えてくれねぇか?

「し……、商品?」

ノエルに抱きつかれたままの状態で、戸惑ったような態度を見せる。
きさらぎ駅にいる全員の視線が橘音に注がれる。が、橘音は沈黙したまま尾弐の問いに応えようとしない。
……いや、答えられない。
尾弐が左腕を伸ばし、橘音の右腕を掴む。
『抱きつかれている』から『拘束される』に変わった橘音は、しかし泰然とした佇まいは崩さぬまま、小さく俯くと静かに嗤い始めた。

「…………ク…………、クククッ。ククククッ、クカカ……。クカカカカカ、カカカカ……!」
「これはこれは……さすがは葬儀屋クン。他のお気楽な正義気取りの坊ちゃん嬢ちゃんとは違う、なかなかの推理力だネ……!」

橘音の中性的な声が、みるみるやや高めの男の声音に変化してゆく。
と同時に、その姿も変容してゆく。黒い学帽と迷い家外套は、べっとりと血に塗れたような真紅のシルクハットとマントへ。
身長は二メートル近い長身へ。半狐面は口髭を蓄えた、にんまりと嗤った顔の形状をした仮面へ――

そう。

怪人赤マント――怪人65535面相、カンスト仮面。

157那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2017/11/17(金) 18:44:54
「あ……、赤マント!」

レディベアが隻眼を丸く見開き、呆気にとられたように右手の人差し指で赤マントを指す。
まるでその場に実体がない者であるかのように、赤マントはするりとノエル、尾弐の拘束から逃れると、帽子のつばに軽く手を振れた。
そして、全員の前で慇懃に一度会釈をする。

「クカカ……ご機嫌よう諸君!我が主の愛娘、親愛なるレディを引き取りにまかり越したヨ」
「ビックリしているネ。クカカ!以前、キミたちは吾輩の名を騙ってニホンオオカミを奪おうとしたろ?そのお返しだヨ」

「赤マント……わたくしの身を危険に晒すなど、何を考えておりますの?返答次第では、貴方の行いは叛逆行為と――」

「叛逆行為?」

早速、レディベアが赤マントを鋭く睨みつける。が、赤マントはそんなレディベアの怒りもどこ吹く風、

「バカな。他の妖怪ならいざ知らず、この吾輩が偉大なる妖怪大統領閣下に、そしてその御息女たるキミに背くなど、あるわけがないヨ」

と言って、一度甲高く笑った。

「ならば、なぜ……」

「逆に質問するがネ、レディ。キミは今回の事態において、毛筋ほどの傷でも負ったかネ?」

「……それは」

マントから出した白手袋に包まれた指で指摘され、レディベアは言葉に詰まった。

「だろう?キミは常に護られていた。そこにいる半妖のお嬢ちゃんに、そしてRに。半妖のお嬢ちゃんはレディのために盾となり……」
「Rは常に戦場を俯瞰しながら、レディに害が及ばないよう気を配っていた。それは現時点では最強の盾と矛の組み合わせだヨ」

「何を言っているんですの?貴方――」

「戦場にはスリルがつきもの!まして見るだけじゃなく参加型のアトラクションともなれば、その楽しさは何倍にもなる!」
「どうだネ?『自分は絶対安全な位置で』、『ひょっとしたら死ぬかもしれないスリル』を味わう楽しさ――堪能しただろう?」
「吾輩は何ひとつ、ウソはついていないよ……アリーナ席で楽しみたまえとね、クカカカッ!」

「……あー……」

しばしの間を置いて、レディベアが得心したように声をあげる。
つまり、レディベアは今まで正真正銘『ブリーチャーズが苦しむのをアリーナ席で楽しむ』娯楽を提供されていたのだ。
ただしそれはアクション映画や漫画を見るような『静』の娯楽ではなく。
ジェットコースターやフリーフォールといったギミックに乗り込んで体験する『動』の娯楽だったのである。
テーマパークによくある絶叫系のライドは、つまるところスリルを楽しむもの。間近に感じる『死』を楽しむもの。
今レディベアが体験した戦いは、まさにそれだった。
勿論、ジェットコースターに安全ベルトやロールバーが付いているように、万一の危険もないよう対策は施してある。
それが、祈とRだった――というわけだ。
赤マントは東京ブリーチャーズが共闘を申し入れるところまで見越して、敢えてレディベアを電車内に置き去りにしたということらしい。

「それなら、最初からそう言ってお……」

「ネタばらししちゃ詰まらないじゃないカ。ひょっとしたら死ぬかもしれない!どうしよう!ってギリギリの精神が楽しさを生むんだヨ」
「どうだネ?レディ。吾輩の提供したアトラクション『猿夢』は――楽しかっただろ?」

ククッ、と赤マントが嗤う。
今まで体験したことのなかった、妖怪としての力を存分に振るうという興奮。自らを殺そうと迫る者を打倒することの昂揚。
敵であるはずの存在と、とりわけ――祈と一緒に力を合わせて戦い、障害を乗り越えるという達成感。

赤マントの問いに、祈の隣でレディベアは一度ふる、と震えると、一瞬だけ祈を見た。そして、

「……楽しかったですわ。とても」

抗いがたい感覚に、一度頷いた。

「それは何よりだネ。吾輩は妖怪大統領閣下第一の臣。いつだって、閣下とレディのことを考えているのだから」

「……そうでしたわね。貴方はお父さまの第一の臣下――それを失念していましたわ」

レディベアは祈をもう一度見ると、ゆっくり赤マントのところへ歩いて行った。Rもそれに倣う。
東京ブリーチャーズと東京ドミネーターズの、束の間の共闘は終わった。

158那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2017/11/17(金) 18:48:45
「それにしても、驚いたネ。以前は正直よく見てなかったんだけど……なんとも面白いコがいるじゃァないカ」
「キミだよ、キミ……お嬢ちゃん」

ゆる、と赤マントが祈を指す。

「キミ、あの女の娘だろ?颯と言ったっけ、そっくりだものネ……まるで生き写しだ。すぐにわかったヨ、クカカカカッ!」
「あの赤ン坊が、こんなに大きくなるなんてネェ……時間の過ぎるのは本当に早いものサ。ああ、まだ昨日のように思い出すヨ――」
「あの女と、その連れ合い。キミのママとパパが悶え苦しみ、死んでゆく姿をネ……クカカカカカッ!」

弧を描いて笑みを刻む仮面の双眸が、口が、禍々しく映える。
赤マントは大きく背を仰け反らせて嗤った。
それは、突然肉親の話題を振られた祈はもちろんのこと、尾弐にとっても憎悪を誘う態度であったに違いない。

「まだ赤ン坊のキミを抱きしめて、『お願い、この子だけは助けて』ってネ……みっともなく命乞いをしていたっけネ!」
「クカカカッ!あの無様な姿!最高の見世物だったヨ!思い出しただけでゾクゾクする……堪らないネ!」
「また見たいなァ!キミは見せてくれるかな?キミのママみたいな命乞いを!哀れにもがく有様を!クカカカカカッ!」

ひとしきり嗤うと、祈を見た赤マントはおどけた様子でヒラヒラと両手を振ってみせる。

「おおーっと、勘違いしてもらっては困るヨ?誤解のないように言っておくけれど、キミのママとパパを殺したのは吾輩じゃない」
「ひょっとして、聞かされていないのかナ?だよネェ……もし聞かされていたなら、今頃キミはこんな所にはいないはずサ」
「キミも残酷な男だネェ、葬儀屋クン。橘音と示し合わせて、このことは秘密にしておこうって。口を噤んじゃったのかネ?」
「そして、何も知らないお嬢ちゃんに自分たちは味方でございって吹き込んだワケだ!いや〜、なんて悪辣なんだろうネ!」
「吾輩も悪党の自覚はあるが、キミたちほどじゃないヨ!良心の呵責に耐えきれないから、バラしてしまってもいいだろう?」
「教えてあげるヨ、お嬢ちゃん。お嬢ちゃんのママとパパを殺したのは――」

ニヤニヤと嗤いながら、赤マントは尾弐を一瞥した。そしてすぐに祈へと視線を戻し、ねっとりとした口調で、

「そこにいる葬儀屋クンと。キミたちのリーダー、那須野橘音……なのサ」

と、言った。

「親を殺しておきながら、その娘をのうのうと手駒として使うだなんて、キミらの方がよほど妖壊に近いんじゃないのかネェ?」
「人道的見地から言えば、とてもとても!そんな非道な真似はできっこないヨ、クカカカカカカカ―――――ッ!!!」

「……御託はそのくらいになさい、赤マント」

尾弐を嘲弄する赤マントに対し、傍らのレディベアがさも不快といった視線を向ける。

「大男はともかく、祈をそれ以上愚弄することは許しませんわ」

「クカカ……これは失礼?レディ。では、我々はそろそろおいとまするとしようかネ!」

おどけて一礼すると、赤マントはばさりと真紅の外套を広げた。その中に、まるでブラックホールのような渦が発生する。
かつて東京ドミネーターズが初めて姿を現したときのように、マントの内側が別の空間へと繋がっているのだろう。

「……と、その前に――」

レディベアがそこへ入る前に、赤マントは軽く右手を閃かせて何かを尾弐のいる方向へ投擲した。
それは独鈷だった。かつて、赤マントがクリスにとどめを刺したときに使ったものだ。
ただし、それは尾弐を狙ってのものではない。
投げつけられた独鈷は尾弐ではなく、尾弐が首を掴んだままの猿夢に命中し、その胸に食い込んだ。

「ガ……、ギ……!!」

猿夢が血を吐く。
そんな猿夢の様子に、赤マントは呆れたように肩を竦めた。

159那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2017/11/17(金) 18:55:51
「まったく、情けない。ここ最近の都市伝説系の中でも、とりわけ凶悪だというので期待したのにこのザマとはネェ」
「無能は無能なりに役に立ちたまえ。キミは既に『もう人は襲わない』という誓いを立ててしまった。妖怪にとって誓いは絶対――」
「……しかし。今この場で『誓いを聞いたものを皆殺しにすれば』、誓いはノーカン!なかったことになる!」
「精々死ぬ気で頑張りたまえ、クカカカカカッ!」

「ガ、ギギッ……ギィィィィィアアアアアア――――――ッ!!!!」

猿夢が絶叫する。胸に喰らった独鈷から禍々しい妖気が溢れ、全身へと伝播してゆく。
みるみるうちに猿夢の首が太く変化してゆき、尾弐の拘束を払いのける。
猿夢はやがて先程のゴリラをも遥かに凌ぐ、身長四メートルあまりの巨猿へと変貌した。
ただ、その目は血走っており皺だらけの面貌は恐怖と苦痛に歪んでいる。自らの意思で変身したのではなく、変身させられたのだ。
赤マントの独鈷から靄のように溢れる紫色の妖気が、猿夢の全身を包み込む。

「グゴゴォォォォアアアアアアアアッ!!!」

ぶおん、と唸りをあげ、猿夢の豪腕が最も近くにいた尾弐を襲う。
その威力は凄まじい。先刻あれほど猛威を振るったゴリラをさらに凌駕している。
風火輪を、雪の女王の力を、《獣(ベート)》を、そして尾弐が新たに得た浸透勁をも学習し、それを上回る力を得た猿夢。
それが東京ブリーチャーズを潰そうと迫る。断末魔のような咆哮をあげながら突進してくる――

が。

尾弐の次にポチへと攻撃目標を定めた猿夢が、不意に左拳を振りかぶったまま動きを止める。
と、次の瞬間、双眸を剥き出しにし刃を食い縛った表情のまま、猿夢の首はずるり……と胴体を離れ――地面に落ちた。

『斬り離されている』。

泣き別れになった首が胴体の前方に落下すると、数瞬の間を置いてその断面から思い出したように鮮血が迸る。
さながら間欠泉のようにどす黒い血液を噴き出しながら、巨大な猿夢の体躯はぐらりと傾ぎ、ずずぅぅん……とうつ伏せに斃れた。
猿夢はぴくりとも動かない。それどころか、砂の像か何かのように形を崩し、四肢の末端から急激に消滅してゆく。
一般的な妖怪の『死』ではない。ましてケ枯れでもない。
それは『滅び』だった。いつか長い年月をかけて蘇ることの可能な『死』とは違う、永劫の無のとば口。
そして――
消えてゆく猿夢の背後に立っていたのは、パーカーにジーンズ姿の青年。謎のイケメン騎士Rだった。

「R!」

レディベアがその名を呼ぶ。

「いつまでも、働かないニート騎士だと思われるのも不本意だからね。これで電車の中で戦ってもらった貸し借りは無しだ」

Rが告げる。
その手にはいつの間にか、十字架を象った美しい長剣が一振り握られている。美術品と見紛うばかりの美しい西洋剣だ。
しかし、東京ブリーチャーズの面々にはそれが耐え難く恐ろしいものに映るだろう。
剣だから、武器だから恐怖を感じる――ということとは違う。もっと根本的な、妖怪としての根源に訴えかける恐怖。
例えるなら、橘音がモン・サン=ミッシェルで手に入れてきた魔滅の銀弾のような――。
『あの剣をもし向けられたなら、自分は確実に滅ぶ』という本能的直感。

「猿夢は敵に合わせて無限に強くなってゆく妖壊。だから、誰かひとりは『猿夢に手の内を見せない者』が必要だったんだ」
「わたしは猿夢本体を一撃で葬り去れるという確証が得られない限り、軽々には動けなかったのさ」
「みんなをダシにしたのは申し訳ない!けれど、どうか理解してもらえれば嬉しいね!はっはっはっ!」

そこまで言うと、Rはまた朗らかに笑った。
が、ノエルやポチ、尾弐には理解できるだろう。
そんな小細工を使わずとも、Rは猿夢を一刀の下に屠れる実力を持っている。

「折角、吾輩が苦労して趣向を凝らしたというのに……」

手駒を瞬殺され、赤マントが不平を漏らす。
それを聞いたRは抜き身の剣の切っ先を赤マントへ向けた。

「おまえの目論見はわかった。レディを愉しませようとしたことも。……だが、その遣り方がわたしには気に入らない」

「ほう」

「今回は踊ってやったが、次も踊るとは思うな。そして覚えておくがいい」
「わたしは『レディの守り役ではある』が『東京ドミネーターズじゃない』。おまえたちと目的を一緒にしているとは思うな」

それまでの飄々とした様子は鳴りを潜め、Rから剣呑な気配が立ちのぼってゆく。

160那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2017/11/17(金) 19:00:11
敵愾心を隠そうともしないRの態度に、赤マントは両手を上げてホールドアップした。

「クク……さすがにその聖剣を向けられては、吾輩も降参するしかないネ!わかった、謝ろう。もう二度としないヨ」

「その言葉、忘れるな。わたしもこの剣も、敵に対しては堪え性がない」

「わかった、わかった」

赤マントはあくまでおどけた態度だったが、Rはそれでも納得したのか剣を下ろした。
そして、レディベアのところへ歩いてゆく。

「……R」

「さて、東京ブリーチャーズのみんな!名残惜しいが今夜はこれで。また、近いうちに会おう!」
「そのときは、みんなでお茶できると嬉しいな。戦いなんて、しないに越したことはないからね!では――」

レディベアの頭にぽんと軽く左手を乗せ、それからブリーチャーズへ振り返ると、Rはいつもの調子で言った。
それから、赤マントの作り出した外套の内側の空間へと入ってゆく。

「……潮時ですわね。今夜は疲れました、わたくしも帰ります」

小さく息をつくと、レディベアも退去を告げる。共闘で大量の妖気を使ってしまったのが堪えているらしい。
しかし、Rと違ってなかなかマントをくぐろうとしない。レディベアはじっと祈を見つめ、何か言いたげに口を開いた。
それから、祈へ向けて手を伸ばしかける。

「……ア、アデューですわ。東京ブリーチャーズの皆さま……ほんの少しの間でしたが、共闘。面白かったです」

伸ばしかけた手を下ろすと、レディベアもまた外套をくぐって姿を消した。

「クカカ、これで吾輩の役目はおしまい!吾輩も失礼するよ。もちろん、諸君らはここへ置き去りだがネ!」
「きさらぎ駅は幻の駅。現世と常世の狭間に位置する世界――。通常の手段では脱出不可能!」
「別に、血まなこになって諸君を殺さずとも。東京でない場所に置き去りにすればよかったのだネ、最初から!」
「それでは東京ブリーチャーズの諸君、たっぷりと幻の駅を楽しんでくれたまえ!またお目にかかれるといいがネ、クカカカカッ……!」

赤マントの姿がどんどん薄れてゆく。耳障りな哄笑だけをいつまでも響かせ、赤マントもまたこの場から消え去った。
ただ、東京ブリーチャーズの四人だけを置き去りにして。



チカチカと、ホームの切れかかった蛍光管が明滅する。
線路には電車はない。猿夢が滅びたことで、停まっていた電車も消えたのだろう。
駅には人が来る気配も、もちろん後続の電車がやってくる気配もない。
どこまでも伸びる線路と、くろぐろと夜闇の中に浮かび上がる山の稜線。それだけがこの駅の周囲を彩るすべてだ。
チームのブレーンである那須野橘音の姿はない。四人は自分たちだけの力でこの場を切り抜け、生還しなければならない。
尤も、もし橘音がこの場にいたとしても、五人はいつものチームワークを発揮できるかわからない。

『教えてあげるヨ、お嬢ちゃん。お嬢ちゃんのママとパパを殺したのは――』
『そこにいる葬儀屋クンと。キミたちのリーダー、那須野橘音……なのサ』

赤マントが告げた言葉。
それを祈とノエル、ポチはどう受けとめるだろうか。
それが事実だという確証は何もない。信頼と絆にヒビを入れるため、赤マントが吹聴したデタラメかもしれない。
だが、虚言であると断言もできない。
しかし、尾弐は知っている。
赤マントの言葉が、確かに過去の真実のひとつを言い当てているということを。

いずれにしても、四人はこの『きさらぎ駅』の世界から現実へと立ち戻るため、対策を講じなければならない。
でなければ、帝都は赤マントたち東京ドミネーターズに蹂躙し尽くされてしまうだろう。
ふと耳を澄ますと、駅舎から出た方角から幽かに祭囃子の音が聞こえてくる。
駅ホームの看板には『やみ-きさらぎ-かたす』と駅名が書いてある。
ルートは三つ。ひとつは『きさらぎ駅』から上りの『やみ』駅を目指すか。
それとも下りの『かたす』駅を目指すか。
もしくは、駅舎を出て祭囃子の聞こえる方向を目指すか――。

きさらぎ駅に留まっていたところで事態は好転しないだろう。四人は相談して選ばなければならない。

161多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/11/22(水) 19:24:53
 本来の姿を現し、伏して許しを請う猿夢。
それに対し、ノエルは脅迫された可能性を指摘し、見逃すことも視野に入れようと提案。
ポチもまた、猿夢がこちらを騙している可能性を考えて漂白には待ったをかけた。
そして選択を任された尾弐は、猿夢の首根を掴みながらも橘音に問うのだ。
――”お前は本物の那須野橘音か?”と。
>「はぁ?」
 皆で最後に食べたお菓子。その商品名、あるいは銘柄を答えよ。
尾弐の放った問いに、素っ頓狂な声を上げる橘音。
>「し……、商品?」
 那須野橘音本人であるならば即座に答えられるであろう質問、その答えに窮した。
その“那須野橘音の形をした者”は沈黙を保ち、異常を察した尾弐がその右腕を掴むが、
>「…………ク…………、クククッ。ククククッ、クカカ……。クカカカカカ、カカカカ……!」
>「これはこれは……さすがは葬儀屋クン。他のお気楽な正義気取りの坊ちゃん嬢ちゃんとは違う、なかなかの推理力だネ……!」
 その姿が歪む。口から聞こえてきたのは橘音の声でなく男性の声だった。
顔は某ハッカー集団が好んで被る仮面へ。頭上に赤いシルクハット、肩口からはマントが出現し、
身長は2メートルは在ろうかというものへと変わっていく。
その姿は、幾度となく橘音とぶつかった仇敵。カンスト仮面こと、怪人65535面相。妖怪名は赤マントという。
>「あ……、赤マント!」
 レディ・ベアが驚愕の声を上げた。
赤マントはするりと、尾弐やノエルの拘束からいとも簡単に逃げてしまう。
「橘音に化けてやがったのか!」
 祈は完全に騙されてしまっていた。
橘音らしい振る舞いができるのは、怪盗の宿命として名探偵たる橘音とぶつかることが多いからだろう。
>「クカカ……ご機嫌よう諸君!我が主の愛娘、親愛なるレディを引き取りにまかり越したヨ」
>「ビックリしているネ。クカカ!以前、キミたちは吾輩の名を騙ってニホンオオカミを奪おうとしたろ?そのお返しだヨ」
 驚愕するブリーチャーズを見て楽し気に嗤い、帽子のつばをつまむようにして会釈する赤マント。
 赤マントは、この身を危険に晒すなど叛逆行為ではないのかと詰め寄るレディ・ベアの言葉を笑い飛ばし、
そんなことはないと明確に否定する。
 では何故そんなことをしたのか、という問いにはこう答えた。
>「戦場にはスリルがつきもの!まして見るだけじゃなく参加型のアトラクションともなれば、その楽しさは何倍にもなる!」
>「どうだネ?『自分は絶対安全な位置で』、『ひょっとしたら死ぬかもしれないスリル』を味わう楽しさ――堪能しただろう?」
>「吾輩は何ひとつ、ウソはついていないよ……アリーナ席で楽しみたまえとね、クカカカッ!」
 ブリーチャーズとレディ・ベア達が共闘するであろうと言う事だけでなく、
祈がレディ・ベアを守り、レディ・ベアはサポートに回り、イケメン騎士Rは中立の護衛となるであろうと言う、
その反応までも織り込み済み。
全てが計算尽くの参加型アトラクションに仕立て上げて見せた、というのであった。
そしてこれ以上猿夢と戦わせてはレディ・ベアが危険と判断すれば、自ら電車のかじを取り、安全圏へと導く。
アトラクションが終わって用済みになった『猿夢』も、
橘音に化けてブリーチャーズに処分させればそれでお終いということだろう。
 那須野橘音はその頭脳で時に人や場を己の良いように操るが、赤マントがして見せたのもまさにそれだった。
その手腕、その頭脳は橘音と並び驚嘆に値するのだろう。
操られた側としては甚だ不快でしかないが。

162多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/11/22(水) 19:27:31
 レディ・ベアの表情は、赤マントの言葉に一応の納得の色を見せる。
だがレディ・ベアからすればドッキリに嵌められたようなものだろう。
>「それなら、最初からそう言ってお……」
 文句を言い募ろうとするレディ・ベアだったが
>「ネタばらししちゃ詰まらないじゃないカ。ひょっとしたら死ぬかもしれない!どうしよう!ってギリギリの精神が楽しさを生むんだヨ」
>「どうだネ?レディ。吾輩の提供したアトラクション『猿夢』は――楽しかっただろ?」
 赤マントはそれを遮り、愉快そうに言う。
 レディ・ベアは祈の顔を一度窺うように見ると、深く頷き、実感の籠った声で言うのだった。
>「……楽しかったですわ。とても」
>「それは何よりだネ。吾輩は妖怪大統領閣下第一の臣。いつだって、閣下とレディのことを考えているのだから」
>「……そうでしたわね。貴方はお父さまの第一の臣下――それを失念していましたわ」
 そうして、赤マントの方へとレディ・ベアは歩いて行ってしまう。
 “楽しかった”。その言葉は、少なからず祈に衝撃を与えた。
 一歩間違えば死んでいた、そんな命懸けの共闘が、たったその一言に集約されるのかと。
モノ――、レディ・ベアにとって祈達は、スリルのあるジェットコースターか何かと同等のものに過ぎず、
結局、妖怪大統領の側へと戻って行ってしまうのかと。
 祈は歯噛みし、レディ・ベアの背をただ、見送ることしかできない。
>「それにしても、驚いたネ。以前は正直よく見てなかったんだけど……なんとも面白いコがいるじゃァないカ」
>「キミだよ、キミ……お嬢ちゃん」
 そんな祈に追い打ちをかけるように、赤マントは祈を指差した。
「……なにが面白いって?」
 祈がささくれだった気持ちを隠そうともせずに答えると、
>「キミ、あの女の娘だろ?颯と言ったっけ、そっくりだものネ……まるで生き写しだ。すぐにわかったヨ、クカカカカッ!」
>「あの赤ン坊が、こんなに大きくなるなんてネェ……時間の過ぎるのは本当に早いものサ。ああ、まだ昨日のように思い出すヨ――」
>「あの女と、その連れ合い。キミのママとパパが悶え苦しみ、死んでゆく姿をネ……クカカカカカッ!」
 至極楽しそうに赤マントは続ける。
 急に母のことを言われたことや神経を逆撫でするその声音に、祈の目の色が変わる。
 赤マントを睨みつける祈。が、しかし、と祈は思い直した。
敵のペースに飲まれるなと理性が働いたのだ。
「どうせ出鱈目だろ。どこで母さんの名前を聞きつけたんだか知ら――」
>「まだ赤ン坊のキミを抱きしめて、『お願い、この子だけは助けて』ってネ……みっともなく命乞いをしていたっけネ!」
>「クカカカッ!あの無様な姿!最高の見世物だったヨ!思い出しただけでゾクゾクする……堪らないネ!」
>「また見たいなァ!キミは見せてくれるかな?キミのママみたいな命乞いを!哀れにもがく有様を!クカカカカカッ!」

163多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/11/22(水) 19:34:32
「――母さんはそんなこと言わない!!」
 吠えるように祈は言う。
 母がそんなみっともなく命乞いをするものか。お前のようなやつの眼前で。
そんな思いが、体の奥底から怒気と共に湧いてくる。
急な興奮に呼吸が乱れ、ふーっ、ふーっ、と荒い息を吐いた。
 出鱈目でしかないに決まっている。だが亡き母への侮辱は許せない。
ケ枯れは近いがそれでもと、祈はシュートを狙うサッカー選手のように右足を後方へ伸ばす。
 尾弐が使用は控えるよう言ってくれていた風火輪の――ホイールがギュルルと回転し始めた。
「……そォかよ。分かりやすく喧嘩売ってくれてるって訳だ? あ”? “赤布”。
確かに母さんは死んだ。でも嘘吐くんならもっとリアルにしろよ。お前みたいな雑魚妖怪にあたしの母さんがやられるかよ」
 祈は赤マントをきつく睨みつけ、言う。
 相手は嘘を吐いている、出鱈目を言っている。その前提がある。
だから怒り心頭にあっても、祈の中にはまだ冷静な部分が残っていた。
>「おおーっと、勘違いしてもらっては困るヨ?誤解のないように言っておくけれど、キミのママとパパを殺したのは吾輩じゃない」
>「ひょっとして、聞かされていないのかナ?だよネェ……もし聞かされていたなら、今頃キミはこんな所にはいないはずサ」
>「キミも残酷な男だネェ、葬儀屋クン。橘音と示し合わせて、このことは秘密にしておこうって。口を噤んじゃったのかネ?」
>「そして、何も知らないお嬢ちゃんに自分たちは味方でございって吹き込んだワケだ!いや〜、なんて悪辣なんだろうネ!」
>「吾輩も悪党の自覚はあるが、キミたちほどじゃないヨ!良心の呵責に耐えきれないから、バラしてしまってもいいだろう?」
>「教えてあげるヨ、お嬢ちゃん。お嬢ちゃんのママとパパを殺したのは――」 
>「そこにいる葬儀屋クンと。キミたちのリーダー、那須野橘音……なのサ」
 だからこの話を聞いても、雑な路線変更だとしか思わなかった。
嘘を見破られたので咄嗟に話を作り変えたのだと。子どもを嬲るのに失敗したら今度は仲間割れを誘う。
なんて嫌な奴だろう。しかし、いかにも赤マントの考えそうなことではある。
 祈はそれを鼻で笑って見せた。

164多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/11/22(水) 19:37:16
「リアルにしろっつったろ。そんなの尾弐のおっさんに聞けば一発でバレる嘘だ。
言ってやれよ尾弐のおっさん。嘘だって」
 いよいよホイールの回転が速くなり、炎を帯び、赤い光を放ち始める。
母に続いて今度は仲間を侮辱され、堪忍袋の緒は切れる寸前だっだ。

 だが、祈が尾弐の反応を見た時、あるいはその返答を聞いた時。ホイールは回転を止め、炎は消える。
祈の右足が力なく地に着いた。

「……尾弐の、おっさん?」
 祈は硬直する。
それは“一点の曇りなく赤マントの言葉を否定しきる、というようなものではなかった”。
 赤マントの言葉が出鱈目や嘘、口から出任せだと思えている内はまだ耐えられた。
何せ敵の言葉だ、真に受ける方がバカバカしい。
 だが信頼する仲間が、他ならぬ尾弐がその言葉を否定しきれなかったら。
そして赤マントの放った“橘音と尾弐が父と母を殺した”という言葉を完全に否定できないと言うことは。
『暗に肯定していることに他ならず』。その事実には、耐えることができない。

 橘音と尾弐が父と母を殺した、というのか。

――どうして。

何かの間違い――、でも今――。


那須野橘音と尾弐黒雄。この二人が。
母、多甫 颯、母さんを。父さんを。

    嘘だ。

――――――――――――――殺した。

橘音と尾弐が父さんと母さんを殺した橘音と尾弐が父さんと母さんを殺した橘音と尾弐が父さんと母さんを殺した
橘音と尾弐が父さんと母さんを殺した橘音と尾弐が父さんと母さんを殺した橘音と尾弐が父さんと母さんを殺した
橘音と尾弐が父さんと母さんを殺した橘音と尾弐が父さんと母さんを殺した橘音と尾弐が父さんと母さんを殺した
橘音と尾弐が父さんと母さんを橘音と尾弐が父さんと母さんを橘音と尾弐が父さんと母さんを橘音と尾弐が
父さんと母さんを橘音と尾弐が父さんと母さんを橘音と尾弐が父さんと母さんを橘音と尾弐が父さんと母さんを橘音と
尾弐が父さんと母さんを橘音と尾弐が父さんと母さんを橘音と尾弐が父さんと母さんを橘音と尾弐が橘音と尾弐が
父さんと母さんを橘音と尾弐が父さんと母さんを橘音と尾弐が父さんと母さんを橘音と尾弐が父さんと母さんを
橘音と尾弐が父さんと母さんを橘音と尾弐橘音と尾弐橘音と尾弐橘音と尾弐橘音と尾弐橘音と尾弐橘音と尾弐
父と母を父と母を父と母を父と母を父と母を父と母を父と母を父と母を父と母を父と母を父と母を父と母を父と母を

………………――
……――――

…………。

165多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/11/22(水) 19:40:14
 それからのことを、祈はぼんやりとしか覚えていない。
 狂暴化した猿夢をイケメン騎士Rが斬って。レディ・ベアが何事か言いたげにしながら帰って。
置いてけぼりにされたブリーチャーズは、きさらぎ駅から帰ることもできないままになっていて。
それらを祈は茫然自失の状態でただ見ていた。
 そして気が付けば祈は。
「…………」
 鍵のかかった扉を見つめている。駅内の女子トイレ、左から2番目の個室を占領し、
フタを降ろした洋式便器の上で膝を抱えて座っていた。
切れかかった蛍光灯が時折明滅しながら、女子トイレを薄暗く照らす。
 『きさらぎ駅』から如何に脱出するか、というような話し合いが行われている最中、
ノエルがかたす駅に行くことを提案し、ポチが
>「結局、ぬか喜びさせられただけか……なんて言ってる場合じゃないね。
> アイツらが僕らをここに置き去りにして目を覚ましたなら、
>次は橘音ちゃんが狙われるかもしれない。急いでここから出ないと」
>「だけど……アイツの言う事を全部真に受けるのは良くないよ。ねえ、祈ちゃん、尾弐っち」
>「……アイツは僕らを殺さなくてもいいなんて言ってたけど、
>でも殺せるなら、絶対その方がいいに決まってるんだ。
>こっそり戻ってきて、背中をブスリ……なんて真似をしてこないとも限らないからね」
 と言った辺りで、
『ごめん、先行ってて。あたしは後から追い付くから』などと言って勝手に中座し、
トイレに閉じこもってしまったのである。
 祈の脳裏には赤マントの言葉が、不快な嗤い声と共に蘇っていた。
言っていた言葉の全てが真実ではないのだろう。
 だが、
>『教えてあげるヨ、お嬢ちゃん。お嬢ちゃんのママとパパを殺したのは――』
>『そこにいる葬儀屋クンと。キミたちのリーダー、那須野橘音……なのサ』
 この言葉を尾弐は否定しきることができなかった。
ということはやはり橘音と尾弐が祈の両親を――。
 いいや、と祈は頭を振る。何かの間違いだと。
 橘音や尾弐がそんなことをする筈がない。
そう、例えば。“助けられなかった”の間違いかも知れない。
風火輪という強力な妖具を使っていたという母だから、きっと橘音や尾弐と共に妖壊と戦っていたのだろう。
しかしある時、強力な妖壊との戦いなどで母が危機に陥り、父もそれに巻き込まれた。
橘音の知恵と尾弐の力を以てしても何もできず、結果として両親は命を落とした。
助けられなかったのを見殺しにしたと捉えた赤マントが、“二人が両親を殺した”などと悪し様に言ったのだ。
尾弐のことだから、責任を感じて本当に自分が殺してしまったように思っているのかもしれない。
だからあんな反応だったのだろう。そう考えれば辻褄は合う。そうだ、そうに違いない。
 そう思う祈だったが、この扉を開けて仲間達を追いかけようとは、思えなかった。

166多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/11/22(水) 19:45:13
 恐らく仲間達は、先にかたす駅とやらへ向かった頃だろう。
だが、追いついてしまったら。そう思うと怖かった。
 尾弐と顔を合わせてしまうからだ。
 辻褄を幾ら合わせた所で、それは真実にはなったりはしない。
もし再び尾弐と顔を合わせれば、祈は本当に父母を殺したのかと問い質してしまうかもしれない。
聞くのを堪えても、目や態度で聞いてしまうかもしれない。そうしなくても尾弐が自ら話し始めるかもしれない。
そしてもし、その答えが『俺と那須野がお前の両親を殺した』というようなものだった時、
――尾弐や橘音のことを、万が一にも嫌ってしまうのが怖い。
 祈は尾弐や橘音のことが大好きだった。
 尾弐は桃の節句には沢山のご馳走と、あろうことか桃の木なんてものを担いできてくれた。
そんなの初めてで、嬉しくてうれしくて、泣くかと思った。
祈を撫でてくれる手はごつごつとしていて温かくて、ぶっきらぼうながら優しい声は聞いていれば安心する。
心のどこかで父親の影を重ねていた。
 橘音は孤独に戦っていた祈に声を掛け、居場所を与えてくれた人だ。
路地裏の悪童を助手に、そしてブリーチャーズの一員にしてくれた。生まれて初めての仲間ができた。
その時祈へと差し伸べられた、白い手袋に包まれた手を、祈は忘れられない。
飄々としてて、爆弾発言が得意で、一緒にいると退屈しなくて。
 二人とはこれからもずっと変わらず一緒に居られると思っていた。
(なのに、こんなの、やだ……)
 目から涙が零れた。膝に顔をうずめた。
 もし父母を殺したのが事実だったとしても、二人が喜々として殺す筈がない。
そこには何か、止むを得ない重大な理由があるに違いなかった。
そしてそのことに責任を感じて苦しんでいるのなら、祈はそれを赦してあげなければいけない。
祈が傷付いた顔をすれば、尚更二人は苦しむのだから。
『理由があったんならしょうがないよ』なんて、あっけらかんと言えればそれが一番いいのだろう。
なのに。

 真実を聞いて、己の心がどう動くか分からないのだった。
父や母がいないことを寂しく思い続けた十数年。
時には肩車されている子供がたまらなく羨ましく見えたこともある。
止むを得なかったから殺したと言われて、簡単に許容できるだろうかと、不安が過る。
 今は何より己が信じられなかった。
嫌いたくない、憎みたくない。恨みたくない、二人の手を拒むようになりたくない。
関係を壊したくない。二人が苦しんでいるなら解放してあげなければならない。
そう思うが、自信がない。
 だから、逃げたのだ。今の宙ぶらりんな状態を保つために。
いっそのこと、ずっと真実など知らない状態で居られれば――。そんなことすら祈は考える。
皆の元へ戻ることも、進むこともできず。己を信じられない祈は、ただ座り込んでいた。

167御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2017/11/23(木) 18:43:22
>「……おいおい。お前さん達心配し過ぎだろ。大将がそんなリスクに気付かずに漂白しろなんて言う訳ねぇだろ?」
>「それに、例えば猿夢が――――人質を取られていたとして」
>「或いは、家族を守る為に必要だったとして。復讐の為だとして。正義を成す為だとして。愛の為だったとして。脅迫されていたとして」
>「仕方なく人を殺していたとして。そこにどんな理由があれ」
>「それは、俺が猿夢を殺さない理由にはならねぇよ」

無慈悲ともいえるその言葉に対して、乃恵瑠は何も言わずにただ少し悲し気な顔をするだけであった。
妖怪が人間界に適応するといっても、その妖怪本来の性質は変えることはできない。
ではどうするかというと、その性質を人間界的に見て平和的な方向に振り向けるのだ。
鬼とはそもそも悪意と敵意の権化、人間界に適応しようと思うならばその悪意と敵意を人類の敵に向けてやるしかないのかもしれない。
あるいは過去に、仲間が妖壊に情けをかけたばかりにそれが仇となって命を落とした、なんてこともあるのかもしれない、と思う。
このまま尾弐は有無を言わさず猿夢を漂白すると思われた――が、そうはならなかった。

>「その通り。それに、言ったでしょ?『猿夢』とは、殺戮を存在意義とする存在。ヒトを害することを糧とする妖壊――」
>「そんな妖壊に『殺しをやめろ』と言うのは、『明日から二酸化炭素を吸って生きろ』と言うのと同じ。不可能なのです」
>「ここで跡形もなく消滅させてしまうしか……ね」

ここにきて乃恵瑠も違和感に気付き始める。どこがどうとは言えないが、いつもの橘音と何かが違う。

>「そ、そんな……!それは話が違――」

話が違う、それは事前に猿夢と橘音、否、偽橘音との間に何らかのやり取りがあったことを示している。

>「……っと、そういえば忘れてた事があったな。大将、この化物の首を捻じ切る前に、今回の仕事の報酬について確認させてくれねぇか?」
>「突発的な仕事だから現金で出せとは言わねぇが……代わりに現物で頼みてぇものがあってな。
 今日の昼に、お前さんの事務所で『最後に』出された菓子があったろ?
 アレが随分俺好みの味だったんで……良ければ箱で送って欲しいんだがよ。後、個人的にも買いてぇから、あの商品の名前教えてくれねぇか?」

>「はぁ?」
>「し……、商品?」

「曲者が! お前橘音くんじゃないな!? 橘音くんをどうした……!」

乃恵瑠は偽橘音の足元を氷で地面に縫い付け、拘束する。
ノエルは普段橘音が言う事は多少無理があっても「橘音くんが言うならまあそうなのだろう」と信じて疑わないが、
今回に限って慎重になったのは心のどこかで本物ではない事に勘付いていたのかもしれない。

>「…………ク…………、クククッ。ククククッ、クカカ……。クカカカカカ、カカカカ……!」
>「これはこれは……さすがは葬儀屋クン。他のお気楽な正義気取りの坊ちゃん嬢ちゃんとは違う、なかなかの推理力だネ……!」

「カンスト仮面! 今日という今日は許さないぞ!
具体的にどうするかというと拘束した後に母上に引き渡し記憶操作の杖で原型をとどめない程にノエライズしてやるわあ!」

168御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2017/11/23(木) 18:46:53
姉の仇とも言うべき存在の登場に気色ばむ乃恵瑠。
ちなみにノエライズとは思考をノエリストにカスタマイズするという恐ろしい所業のことである。

>「クカカ……ご機嫌よう諸君!我が主の愛娘、親愛なるレディを引き取りにまかり越したヨ」
>「ビックリしているネ。クカカ!以前、キミたちは吾輩の名を騙ってニホンオオカミを奪おうとしたろ?そのお返しだヨ」
>「赤マント……わたくしの身を危険に晒すなど、何を考えておりますの?返答次第では、貴方の行いは叛逆行為と――」

「聞くまでもなく叛逆行為だろう、とりあえずこいつボコるぞ!!」

しかし、カンスト仮面はスリル満点のアトラクションを提供しただけという謎の理論を展開するのであった。
そしてレディベアはそれに何故か納得する。

>「……あー……」

「納得してんじゃねー! 今の理屈だともし祈ちゃんに何かあったら君にも危険が及んだかもしれないんだよ!?」

束の間の共闘の間、祈がレディベアを守ったのと同じように、レディベアも祈を守ってくれた。
そして、レディベアの活躍がなければ間違いなく祈は少なくとも戦闘不能に追い込まれていた。

>「それなら、最初からそう言ってお……」
>「ネタばらししちゃ詰まらないじゃないカ。ひょっとしたら死ぬかもしれない!どうしよう!ってギリギリの精神が楽しさを生むんだヨ」
>「どうだネ?レディ。吾輩の提供したアトラクション『猿夢』は――楽しかっただろ?」

>「……楽しかったですわ。とても」

「楽しかったの!? マジで!?」

自分が頑張らないと安全装置が飛んでっちゃうアトラクションとかいくら何でもスリルあり過ぎちゃうか、と思う乃恵瑠であった。

>「それは何よりだネ。吾輩は妖怪大統領閣下第一の臣。いつだって、閣下とレディのことを考えているのだから」
>「……そうでしたわね。貴方はお父さまの第一の臣下――それを失念していましたわ」

「いやいやいや、自分で自分のこと第一の臣とか言っちゃうやつには気を付けた方がいいよ!?
そいつ僕の勘だと下剋上系ラスボスだよ!?」

こうやって前置きをしておいて、次にまた同じようなことをやって
「ああまたアトラクションかー」と油断させておいて今度はガチでハメてくる作戦という可能性もあるのだ。
さっきカンスト仮面が言った“お気楽な正義気取りの坊ちゃん嬢ちゃん”の中に
さりげなくレディベアも入っていやしまいか、むしろその筆頭ではないかと思う乃恵瑠。
ちなみに下剋上系ラスボスとは権力者(暫定ラスボス)に忠実な臣下の振りをして仕えつつ利用して、
終盤で本性を現し主君をハメて失脚させ、真ラスボスに出世を果たすタイプの敵のことである――!

169御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2017/11/23(木) 18:50:45
>「それにしても、驚いたネ。以前は正直よく見てなかったんだけど……なんとも面白いコがいるじゃァないカ」

唐突に祈に絡み始めるカンスト仮面。
その口ぶりから考えて、カンスト仮面が祈の両親を殺したと思って間違いないだろう。
>「また見たいなァ!キミは見せてくれるかな?キミのママみたいな命乞いを!哀れにもがく有様を!クカカカカカッ!」

「何がおかしいッ!!」

薄氷の瞳で氷の刃を突きつける。
乃恵瑠は、祈の両親は共に祈が幼い頃に亡くなったという程度の情報しか知らない。
母親は妖壊退治をしていて殉職したのだろうかとは思っていたが――

>「……そォかよ。分かりやすく喧嘩売ってくれてるって訳だ? あ”? “赤布”。
確かに母さんは死んだ。でも嘘吐くんならもっとリアルにしろよ。お前みたいな雑魚妖怪にあたしの母さんがやられるかよ」

真実であろうと無かろうと、祈を動揺させ戦意喪失させるのが目的だろう。
幸いというべきか、祈は押し負けてはおらず、怒り心頭で凄んでみせる。

>「おおーっと、勘違いしてもらっては困るヨ?誤解のないように言っておくけれど、キミのママとパパを殺したのは吾輩じゃない」

「今更何言ってるんだ……!」

>「教えてあげるヨ、お嬢ちゃん。お嬢ちゃんのママとパパを殺したのは――」
>「そこにいる葬儀屋クンと。キミたちのリーダー、那須野橘音……なのサ」

もちろん事実無根の真っ赤な嘘の可能性もあるが、カンスト仮面の狡猾さから考えて、
悪徳営業マンの十八番の、嘘は言わずに誤った認識を植え付ける類のものの可能性もある。
二人は全てが駄目になる前に次善の策を選ぶことができる側の者だ。
実際に二人に一瞬SATSUGAI計画を企てられたことがある(ような気がする)乃恵瑠は、割と冷静にそう考えた。
もちろん、カンスト仮面がその姦計でもってそうせざるを得ないような状況に追いやり、その様子を高みの見物していた、という可能性だ。
当然その場合でも犯人はカンスト仮面と言い切って問題は無い、どころか自ら手を下すより余程悪質な犯人だ。
しかし、当事者としては双方ともそうは割り切れないのが人情というものだろう。

>「リアルにしろっつったろ。そんなの尾弐のおっさんに聞けば一発でバレる嘘だ。
言ってやれよ尾弐のおっさん。嘘だって」

まずいな――と思う乃恵瑠。
真っ赤な嘘ならそれでいい、しかしもしもカンスト仮面の言葉に少しでも真実があれば、尾弐の態度から、祈はそれを目ざとく察するだろう。
そして、その不安は的中してしまった。

>「……尾弐の、おっさん?」

世の中には永遠に封印しておいた方がいい真実もあると乃恵瑠は思っている。
暴いたところで誰も幸せにならない、それどころか誰しも不幸になる類の真実がそうだ。
カンスト仮面は自らその封印しておくべき真実を作らせ、十何年の時を経てからそれを暴いて見せた――
なんという狡猾な残忍さだろう。
しかも、尾弐は今しがたどんな理由があろうと人を殺した妖壊は許さないと自分で言ったばかりだ、その意味でも完全にハメられた形になる。

170御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2017/11/23(木) 18:54:09
>「親を殺しておきながら、その娘をのうのうと手駒として使うだなんて、キミらの方がよほど妖壊に近いんじゃないのかネェ?」
>「人道的見地から言えば、とてもとても!そんな非道な真似はできっこないヨ、クカカカカカカカ―――――ッ!!!」

「黙れ……黙れ黙れ黙れ!! どうせお前の言葉は誰も幸せにしないんだ、二度と無駄口たたけないようにしてやる!」
ここまでこちらを動揺させチームワークを崩壊させる切り札を切って来たのだ、
ここで一気に畳み掛けて来るつもりだろう、上等だ、受けて立ってやる――
そう思った乃恵瑠は放心状態になった祈に代わり、極寒の冷気を纏い今まさに氷の投げ槍を放たんとする。
しかし、レディベアの次の発言がそれを制した。

>「……御託はそのくらいになさい、赤マント」
>「大男はともかく、祈をそれ以上愚弄することは許しませんわ」

束の間共闘したとはいえ、敵であるはずのレディベアが明らかに祈の肩を持つ発言をしている。
もしや、クリスと自分のように、レディベアと祈の間にも祈自身も知らない何か特別な関係性があるのではないか――
と、ほぼ確信に近い推測を付けた。
そうだとしたら、レディベアが今までに何度か結果的にこちらを助けるような行動をしたのも、
つい先刻の戦いで必死でゴリラの動きを止め祈を救ったのも全て辻褄が合う。
似ていない姉か、はたまた伯(叔)母か従姉か、物心付く前の祈を知っている年の離れた幼馴染かは分からないが――
(流石にリアルタイムで親友とは思い至らない)

「もしかしてさ、祈ちゃんは君にとっても大切な存在なの? だったら猶更そんな奴とつるんでちゃ駄目だ。
気が変わったらいつでもうちの店に来て――待ってる」

娘がこのような人を疑うことを知らない感じでは、親も推して知るべしだろう。
妖怪大統領と親子ともどもカンスト仮面の掌の上で踊らされてるんじゃないか?とも思う。
ただでさえ幼くして両親を失っている祈に、これ以上哀しい別離をさせてはならない。

>「クカカ……これは失礼?レディ。では、我々はそろそろおいとまするとしようかネ!」
>「……と、その前に――」

置き土産とばかりに猿夢に何かを投げるカンスト仮面。

>「まったく、情けない。ここ最近の都市伝説系の中でも、とりわけ凶悪だというので期待したのにこのザマとはネェ」
>「無能は無能なりに役に立ちたまえ。キミは既に『もう人は襲わない』という誓いを立ててしまった。妖怪にとって誓いは絶対――」
>「……しかし。今この場で『誓いを聞いたものを皆殺しにすれば』、誓いはノーカン!なかったことになる!」
>「精々死ぬ気で頑張りたまえ、クカカカカカッ!」

やはり、彼にとって猿夢も使い捨ての駒に過ぎないのであった。
先刻のやり取りから騙されて利用されていたことは確実、
もしかしたらノエルの思ったように無理矢理やらされている可能性もあったが、真相は永遠に葬り去られることになった。

>「グゴゴォォォォアアアアアアアアッ!!!」

171御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2017/11/23(木) 18:56:34
カンスト仮面によって強制的に変身させられ、巨大な怪物となって襲い掛かってくる猿夢。
その身体能力は尾弐を圧倒し、乃恵瑠の氷柱の攻撃も通らない。
全滅、という最悪の事態が頭をよぎる。その時だった。突然猿夢は首を胴体から切り離されて倒れた。

>「R!」
>「いつまでも、働かないニート騎士だと思われるのも不本意だからね。これで電車の中で戦ってもらった貸し借りは無しだ」

死は終わりではないと知っているノエルは、妖壊にとって死は一つの救いの形だと思っている。しかし滅びは永劫の無――
そして、精霊系妖怪であるノエルは、滅びをもたらすもの――魂の循環を断つものを、良くないものとして認識している。
滅ぼされる者がどんな聖人君子でもどんな悪い奴でも、そこは変わらない。

>「猿夢は敵に合わせて無限に強くなってゆく妖壊。だから、誰かひとりは『猿夢に手の内を見せない者』が必要だったんだ」
>「わたしは猿夢本体を一撃で葬り去れるという確証が得られない限り、軽々には動けなかったのさ」
>「みんなをダシにしたのは申し訳ない!けれど、どうか理解してもらえれば嬉しいね!はっはっはっ!」

「……ありがとう、正直助かったよ」

“どうして!? 君なら普通に死なせてやることだって出来たんじゃないか”
その言葉をすんでのところで呑み込み、複雑な気持ちながらもお礼を言う。
全滅必至だったところを助けてもらった立場で文句は言えない。
そして、険悪な雰囲気で牽制しあうRとカンスト仮面。
Rの言った『レディの守り役ではある』が『東京ドミネーターズじゃない』とはどういうことだろうか。
やはりカンスト仮面率いる造反勢力が妖怪大統領親子を出し抜こうと企んでいて、Rはそれに勘付いているのかもしれない。

>「さて、東京ブリーチャーズのみんな!名残惜しいが今夜はこれで。また、近いうちに会おう!」
>「そのときは、みんなでお茶できると嬉しいな。戦いなんて、しないに越したことはないからね!では――」

「うん、本当にね――」

そうしみじみと相槌を打つ乃恵瑠。
それは、祈とレディベアを戦わせたくないのと、単純にRと戦いになったら勝てる気がしないのと二つの意味でだ。

>「……潮時ですわね。今夜は疲れました、わたくしも帰ります」
>「……ア、アデューですわ。東京ブリーチャーズの皆さま……ほんの少しの間でしたが、共闘。面白かったです」

Rとレディベアが撤退していく。
レディベアは去り際に、未だ放心状態の祈に声をかけようとしたように見えた。

>「クカカ、これで吾輩の役目はおしまい!吾輩も失礼するよ。もちろん、諸君らはここへ。」置き去りだがネ!」
>「きさらぎ駅は幻の駅。現世と常世の狭間に位置する世界――。通常の手段では脱出不可能!」
>「別に、血まなこになって諸君を殺さずとも。東京でない場所に置き去りにすればよかったのだネ、最初から!」
>「それでは東京ブリーチャーズの諸君、たっぷりと幻の駅を楽しんでくれたまえ!またお目にかかれるといいがネ、クカカカカッ……!」

172御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2017/11/23(木) 19:00:33
最後にカンスト仮面が去り、そこにはブリーチャーズの4人だけが残された。
この駅に降り立った時は助かったと思ったが、蓋を開ければ猿夢では一行を仕留めきれないかもしれないと思ったカンスト仮面がより確実な方法に切り替えただけ。
事態は何も好転していないどころか悪化しているといえた。

「ここに留まっているわけにもいかないしどうしよう。
ネット上で広まっているきさらぎ駅の法則が適用されているとすると……改札を出てはいけないらしい。
そうなると線路の上を歩いて移動することになるけど、やみ駅は黄泉の国って説があるんだ。
……かたす駅の方に向かいながらお助けキャラを探すのが無難なのかなあ」

乃恵瑠は祈の両親の話題には触れようとせず、脱出方法の話を切り出した。
ここでその話を持ち出しても事態は好転しない、今は脱出するのが先決だ。
といっても名案があるわけではなく、消去法による消極的な提案である。
ポチはというと、カンスト仮面による奇襲の可能性を示し、周囲への警戒を促した。言われてみればその通りである。
普段動物として生活しているポチは人間界の知識に疎く脱出方法の考案は期待できないが、動物的感覚は優れている。
彼の言うように、奇襲への警戒をしてもらうのが適任だろう。
そんな話をしている中、尾弐と顔を合わせていられなくなったのであろう祈がトイレに立てこもってしまった。

>『ごめん、先行ってて。あたしは後から追い付くから』

「えっ、先行っててって……」

確かに普通の場所なら祈は多少の遅れをとっても一瞬で追いつくだろうが、何が起こるか分からないここでまさか置いていくわけにはいかない。
早く行って連れ戻した方がいいのだろうが、何て声をかけていいのか分からない。
そこで、とりあえず自分で出てくるまで待ってみることにするが、一向に出てこないのであった。

「どうしよう……」

いっそ微妙な空気で一緒に行動するより二人ずつにでも分かれた方がいいのではとも
一瞬思ったが、こちらの戦力が分散するのはカンスト仮面の思う壺だろう。
何かきっかけがなければずっと連れ戻しに行く決心が付かないところだったが、意外にもすぐにその時は訪れた。

「ん、あれ……?」

乃恵瑠は何かおかしいな、という顔をして落ち着きなくそわそわしはじめたかと思うと、
意を決したかのようにガタッと音を立てて立ち上がり、慌ただしくトイレに走っていった。

「連れ戻してくる!」

何のことはない、本来の用途でトイレに行く必要性に迫られたのだった。
「うぅ……僕は基本トイレ行かない仕様なのにこの世界設定ミスしてないか!?」とぼやいたところでどうしようもない。
ちなみにノエルは必ずしも人間のように規則正しく食べたり寝たりしなくていいのと同じように、本来滅多にトイレに行かなくていい仕様である。
乃恵瑠は祈の隣の個室に駆け込んだかと思うと、あることに思い至ったようで、深刻に悩んでいる祈に丸聞こえ状態で大騒ぎしはじめた。

「いや、待てよ……。これ夢の中ってことは現実世界で大惨事になるのでは……!?
でもこのままじゃどっちにしろ大惨事だし!
そうやってクールなイケメン兼美女枠の僕のキャラ性をぶち壊しにして生きる気力を奪う作戦だな……!
おのれカンスト仮面、許さないぞ! なんとしてでも生きて帰ってぶっとばしてやる!」

173御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2017/11/23(木) 19:04:44
あまりにアホらし過ぎるが、本人にとっては死活問題なのだから仕方がない。
乃恵瑠はどんな手を使ってでも生きて帰る決意を新たにし、ついでにとんでもないことを思い付いてしまった。
それは、邪視という目を見ただけで死にたくなる化け物に果敢に立ち向かった都市伝説に由来する発想である。
ショルダーバッグの中を探ってみると、案の定飲んだ後のジュースらしき空のペットボトルがあった。
暫し空のペットボトルを無言で見つめて一言。

「大丈夫、誰も見ていない――」

彼女は今、変態の階段を更なる高みに向かって一足飛びに駆け上がろうとしていた――

数分後――どこか吹っ切れた様子の乃恵瑠が未だ立てこもっている祈に扉の外から語り掛ける。
ちなみに先程のとんでもない思い付きが何だったかは断じて知らない。

「そろそろ行こう。ちゃんと連れて帰らなきゃ君のお祖母ちゃんに怒られちゃう。
あの二人は信じられなくたってお祖母ちゃんは信じられるでしょ? お母さんのお母さんなんだから」

「僕ね、実はお母さんから橘音くんにうちの子をよろしくってされてたんだ。祈ちゃんもそうなんじゃないかな?」

祈は最近橘音に拾われたという認識に近いが、橘音は祈を生まれた時から知っている、と聞いたことがある。
生まれた時から、ということは当然母親の颯と元々知り合いで、更にはその親のターボババアの代からの旧知の仲でも何ら不思議はない。
たまたま一人で妖壊退治をしていた子どもに声をかけたら颯の娘だった、というのは出来過ぎた話だ。
実はそこにはターボババアと橘音との間に何らかのやりとりがあった、と考えるのが自然だろう。

「あの耳聡いお祖母ちゃんが何も知らないはずないもんね。
きっと全てを知った上で君を橘音くんに託したんだ。だから、大丈夫――
あとね、クロちゃんを問い詰めないであげて。こういうのは当事者には正しく語れないものさ。
帰ってからお祖母ちゃんに聞くんだ」

そこまで言うと乃恵瑠は祈が出てくるまで待って、祈が出てきたら抱きしめてから手を引いて皆の元へ戻るだろう。(手は洗ってあるからご心配なく――)
そして、いかなる心境の変化か最初とは真逆のアグレッシブな案を提示するのだった。

「そういえばアイツ、通常の手段では脱出不可能って言ったよね。
裏を返せば前例がないことをやりまくれば脱出できるんじゃないかな?
例えば、祭囃子やってる人たちに突撃するとか――」

174ポチ ◆CDuTShoToA:2017/11/28(火) 15:19:28
>「……おいおい。お前さん達心配し過ぎだろ。大将がそんなリスクに気付かずに漂白しろなんて言う訳ねぇだろ?」

「まぁ……そりゃそうだけどさぁ。元はと言えばその橘音ちゃんが変に勿体ぶるから悪いんだよ。
 探偵が最後まで謎を解き明かしてくれないなんて、ひどい職務怠慢だよ、ねえ?」

ポチはじとりと橘音を見つめる。
とは言え、尾弐は意見を曲げるつもりはなさそうだ。
橘音もあくまで漂白する事を促し続ける。

>「そ、そんな……!それは話が違――」

「……尾弐っち。やっぱりなんだかきな臭い……」

ポチの制止の言葉は、最後まで紡がれる事なく途切れた。
尾弐から、においがしたからだ。
ほんの僅かな懸念のにおいが。

>「……っと、そういえば忘れてた事があったな。大将、この化物の首を捻じ切る前に、今回の仕事の報酬について確認させてくれねぇか?」
>「突発的な仕事だから現金で出せとは言わねぇが……代わりに現物で頼みてぇものがあってな。
 今日の昼に、お前さんの事務所で『最後に』出された菓子があったろ?
 アレが随分俺好みの味だったんで……良ければ箱で送って欲しいんだがよ。後、個人的にも買いてぇから、あの商品の名前教えてくれねぇか?」

>「はぁ?」
>「し……、商品?」

「……橘音ちゃんもそうだけど、尾弐っちもさ、結構勿体ぶるよね」

尾弐の右手が橘音の首を掴み、ノエルの妖術がその足元に氷を這わせる。
この場にいる誰がその気になっても、次の瞬間には致命の一撃を叩き込める状況。

>「…………ク…………、クククッ。ククククッ、クカカ……。クカカカカカ、カカカカ……!」

その中心にいながら、橘音に化けた何者かは、笑った。

>「これはこれは……さすがは葬儀屋クン。他のお気楽な正義気取りの坊ちゃん嬢ちゃんとは違う、なかなかの推理力だネ……!」

そしてその真の姿を露わにする。
瞬間、レディベアが驚きの声を上げた時には既に、ポチは右の手刀を放っていた。
狙いは赤マントの胸元、心の臓。
しかしその一撃は空を切るのみに終わる。
尾弐とノエルの拘束も、ポチの手刀も、赤マントはまるで意に介さずにすり抜けてしまった。

>「クカカ……ご機嫌よう諸君!我が主の愛娘、親愛なるレディを引き取りにまかり越したヨ」
>「ビックリしているネ。クカカ!以前、キミたちは吾輩の名を騙ってニホンオオカミを奪おうとしたろ?そのお返しだヨ」

「うるさいな。じゃあ今からお返しのお返しをしてやるよ」

とは言ったものの……尾弐とノエルの拘束からあっさり逃れた赤マントだ。
勢いに任せて攻撃を仕掛けたところで通じる訳もない。

>「クカカ……ご機嫌よう諸君!我が主の愛娘、親愛なるレディを引き取りにまかり越したヨ」
>「ビックリしているネ。クカカ!以前、キミたちは吾輩の名を騙ってニホンオオカミを奪おうとしたろ?そのお返しだヨ」
>「赤マント……わたくしの身を危険に晒すなど、何を考えておりますの?返答次第では、貴方の行いは叛逆行為と――」
>「聞くまでもなく叛逆行為だろう、とりあえずこいつボコるぞ!!」

だがレディベアの瞳術ならどうだろうか。
単純な殴る蹴るよりかは通じる可能性が高いのでは。
ポチはそう考えたが……

175ポチ ◆CDuTShoToA:2017/11/28(火) 15:21:31
>「逆に質問するがネ、レディ。キミは今回の事態において、毛筋ほどの傷でも負ったかネ?」
>「……それは」

>「戦場にはスリルがつきもの!まして見るだけじゃなく参加型のアトラクションともなれば、その楽しさは何倍にもなる!」
>「どうだネ?『自分は絶対安全な位置で』、『ひょっとしたら死ぬかもしれないスリル』を味わう楽しさ――堪能しただろう?」
>「吾輩は何ひとつ、ウソはついていないよ……アリーナ席で楽しみたまえとね、クカカカッ!」

……その時には既に、これ以上の共闘は望めそうにない雰囲気が作られていた。

>「それにしても、驚いたネ。以前は正直よく見てなかったんだけど……なんとも面白いコがいるじゃァないカ」
>「キミだよ、キミ……お嬢ちゃん」

赤マントはなおも芝居がかった口調で、今度は祈を指差した。
そして語り出すのは……彼女の両親の話。二人の、死の間際の話だった。
反吐が出るような悪趣味を、殴って止めてやろうにも……動けない。
赤マントに攻撃が通じるか分からない事に加え、向こうにはレディベアとRもいる。
怒りに任せて仕掛ければ……無事でいられるか分からない。

>「また見たいなァ!キミは見せてくれるかな?キミのママみたいな命乞いを!哀れにもがく有様を!クカカカカカッ!」
>「――母さんはそんなこと言わない!!」

祈から、ノエルから、強い怒りのにおいを感じる。
そのにおいが、かえってポチに冷静さをもたらしていた。
皆が怒りに浮足立っては、赤マントはこれ幸いと先手を打ってくるかもしれない。
そう考えたが故にポチは黙して、ただ赤マントを睨んでいた。
しかし……赤マントに意識を集中していたが為に、ポチには感じ取れてしまう。
赤マントから……嘘のにおいが、しない事を。
勿論、ここは夢の中だ。そのせいか先ほども橘音に化けた赤マントのにおいを嗅ぎ分けられなかった。

>「おおーっと、勘違いしてもらっては困るヨ?誤解のないように言っておくけれど、キミのママとパパを殺したのは吾輩じゃない」
>「教えてあげるヨ、お嬢ちゃん。お嬢ちゃんのママとパパを殺したのは――」

だから……もう一つのにおいも、勘違いであって欲しいとポチは祈っていた。

>「そこにいる葬儀屋クンと。キミたちのリーダー、那須野橘音……なのサ」

尾弐から感じる、一言では言い表せない感情のにおいを。

>「リアルにしろっつったろ。そんなの尾弐のおっさんに聞けば一発でバレる嘘だ。
  言ってやれよ尾弐のおっさん。嘘だって」
>「……尾弐の、おっさん?」

においが、膨れ上がる。
祈から、渦巻く感情のにおいが。

>「親を殺しておきながら、その娘をのうのうと手駒として使うだなんて、キミらの方がよほど妖壊に近いんじゃないのかネェ?」
 「人道的見地から言えば、とてもとても!そんな非道な真似はできっこないヨ、クカカカカカカカ―――――ッ!!!」

失敗だったと、ポチは自分を責める。
例え皆を巻き込む殺し合いの火蓋を切る事になっていたとしても。
この赤マントを自由に喋らせておくべきではなかった。

>「黙れ……黙れ黙れ黙れ!! どうせお前の言葉は誰も幸せにしないんだ、二度と無駄口たたけないようにしてやる!」

ノエルが叫び、その右手に氷の槍を作り出す。
ブリーチャーズの一人を激しく動揺させたこの好機、赤マントが逃すとは思えない。
ならば受けて立ち……今からでも黙らせる。ノエルもその気だ。
……不利という言葉すら生ぬるいほど、あまりにも分の悪い戦いになるが、やるしかない。

176ポチ ◆CDuTShoToA:2017/11/28(火) 15:26:40
>「……御託はそのくらいになさい、赤マント」
>「大男はともかく、祈をそれ以上愚弄することは許しませんわ」

だが不意に、レディベアの声が凛と響き、場を制した。
ポチが訝しむように目を細める。
ついさっき共闘しただけにしては随分と……親密なにおいをさせている、と。
ポチはノエルほど想像力を働かせはしなかったが、何かある、程度の疑念は抱く。

「……なんだか知らないけどさ。半端な事しててもいい事ないぜ、とだけ言っとくよ」

>「クカカ……これは失礼?レディ。では、我々はそろそろおいとまするとしようかネ!」
>「……と、その前に――」

このまま立ち去ると見せかけて、不意に赤マントが猿夢に向けて独鈷を放つ。

>「まったく、情けない。ここ最近の都市伝説系の中でも、とりわけ凶悪だというので期待したのにこのザマとはネェ」
>「無能は無能なりに役に立ちたまえ。キミは既に『もう人は襲わない』という誓いを立ててしまった。妖怪にとって誓いは絶対――」
>「……しかし。今この場で『誓いを聞いたものを皆殺しにすれば』、誓いはノーカン!なかったことになる!」
>「精々死ぬ気で頑張りたまえ、クカカカカカッ!」

猿夢の胸に突き刺さった独鈷から凶悪な妖気が溢れ出す。
妖気は猿夢の胸から四肢へ、頭部へと、這うように伝わっていく。
それに伴って……猿夢の体が膨れ上がる。

>「グゴゴォォォォアアアアアアアアッ!!!」

尾弐の握力で抑えきれぬほど太く、屈強に。
先ほど電車の中で戦ったゴリラよりも、更に巨大で……恐らくは素早く、力強く。
尾弐が弾き飛ばされ、猿夢は次にポチを見下ろした。

「くそっ……!」

気の利いた悪態を吐く余裕もない。
ポチはただ次の瞬間に襲い来るであろう攻撃を躱し、
そしてどう反撃するべきかに意識を集中させ……しかし猿夢は、動かない。
ただ拳を振り被った姿勢のまま数秒静止し……ふと、その首が、胴体から滑り落ちた。
何が起きたのか、ポチには分からなかった。いや、分からない。
猿夢の首が切り落とされたのは分かる。
だが何故そうなったのか……それが分からない。
……首から上を失った猿夢の体が揺らぎ、倒れる。
そうなって初めてポチは、理解出来た。

>「R!」

猿夢の首が切り落とされたのは、Rが、その手に握った長剣を振るったからなのだと。
剣の閃きすら見せずに、彼はそれを為したのだと。

>「いつまでも、働かないニート騎士だと思われるのも不本意だからね。これで電車の中で戦ってもらった貸し借りは無しだ」

「……こりゃまた、とんでもない腕前だね」

軽口を叩くのはRをあくまでも「この場で戦闘になり得る敵」と認識しているが故の、せめてもの虚勢だ。
だが内心、ポチは戦慄していた。その剣技にではない。
猿夢の死体が、風化する石像のように崩壊する……「存在しないもの」へと還っていく。
その様を、ポチは直視しない。注視もしない。視線の端で捉えるに留める。
何故か……Rから、目を逸らせないのだ。Rの手にした十字剣から。
狼の、そして妖怪の本能が、その剣から意識を逸らす事を許さない。

>「猿夢は敵に合わせて無限に強くなってゆく妖壊。だから、誰かひとりは『猿夢に手の内を見せない者』が必要だったんだ」
>「わたしは猿夢本体を一撃で葬り去れるという確証が得られない限り、軽々には動けなかったのさ」
>「みんなをダシにしたのは申し訳ない!けれど、どうか理解してもらえれば嬉しいね!はっはっはっ!」

「……それ、別に僕らに事情を教えてくれたって良かったんじゃないの?」

呆れたような声……それらも虚勢だ。
……同時に零れた半笑いは、依然変わらないRの呑気な様子に、毒気を抜かれてしまったからだが。

177ポチ ◆CDuTShoToA:2017/11/28(火) 15:27:38
>「折角、吾輩が苦労して趣向を凝らしたというのに……」

赤マントが不満げにぼやき、Rが長剣の切っ先をそちらへと向ける。
安堵から来る深い嘆息を吐きそうになるのを、ポチは辛うじて堪えた。

>「クク……さすがにその聖剣を向けられては、吾輩も降参するしかないネ!わかった、謝ろう。もう二度としないヨ」
>「その言葉、忘れるな。わたしもこの剣も、敵に対しては堪え性がない」
>「わかった、わかった」

「……誓いを聞いた相手を殺せば全部ノーカン、だそうだよ」

呆れ混じりの皮肉と共に安堵を吐き出し、精神を落ち着かせる。
……これで少なくとも、ドミネーターズとの、これ以上の戦闘は起こらない。

>「さて、東京ブリーチャーズのみんな!名残惜しいが今夜はこれで。また、近いうちに会おう!」
>「そのときは、みんなでお茶できると嬉しいな。戦いなんて、しないに越したことはないからね!では――」

>「うん、本当にね――」
「……君らが上座に座りたがらないなら、わりとあり得る話なんだろうけどね」

……そしてドミネーターズの三人の姿が、完全にその場から消え去った。

>「ここに留まっているわけにもいかないしどうしよう。
  ネット上で広まっているきさらぎ駅の法則が適用されているとすると……改札を出てはいけないらしい。 
  そうなると線路の上を歩いて移動することになるけど、やみ駅は黄泉の国って説があるんだ。
  ……かたす駅の方に向かいながらお助けキャラを探すのが無難なのかなあ」

ノエルがすぐに話を切り出した。
祈の両親の話題は、今するべきではないと判断したのだろう。
……だがポチは、そうは思わなかった。

「結局、ぬか喜びさせられただけか……なんて言ってる場合じゃないね。
  アイツらが僕らをここに置き去りにして目を覚ましたなら、
  次は橘音ちゃんが狙われるかもしれない。急いでここから出ないと」

祈は見るからに呆然としていて、放心状態だ。
何が起こるか分からない怪異の中をこんな状態で歩き回らせる訳にはいかない。

「だけど……アイツの言う事を全部真に受けるのは良くないよ。ねえ、祈ちゃん、尾弐っち」

祈と尾弐に呼びかけ、反応を伺う。
祈は……黙ったままだ。

「……アイツは僕らを殺さなくてもいいなんて言ってたけど、
 でも殺せるなら、絶対その方がいいに決まってるんだ。
 こっそり戻ってきて、背中をブスリ……なんて真似をしてこないとも限らないからね」

……この状況で注意散漫でいる事の危険性を述べる。
彼女が冷静さを欠いている自分の状態を、正しく認識出来ているのか確かめる必要があった。

>『ごめん、先行ってて。あたしは後から追い付くから』

……結果として、祈はそう言い残して逃げるようにトイレに閉じこもってしまった。
彼女の残り香は依然として、幾つもの感情が入り乱れたにおいがした。

>「どうしよう……」

「どうしようもこうしようも……」

ポチが何かを言いかけて、しかし言葉を途切らせた。
ノエルの方を振り向いて、彼が何やらもじもじと内股気味になっている。

>「ん、あれ……?」
>「連れ戻してくる!」

「……まぁ、そうするしかないよね」

今の状況と気分ではツッコミを入れる気分にもなれず、ポチは静かにノエルを見送る。

178ポチ ◆CDuTShoToA:2017/11/28(火) 15:29:04
「……ねえ尾弐っち」

そしてそれから尾弐へと振り向いた。

「ノエっちはさ、あの話、後回しにしようって思ったみたいだけど。
 僕はそうじゃないんだ。別に根掘り葉掘り聞きたい訳じゃないよ。
 僕にとっては、祈ちゃんのお父さんもお母さんも、知らない人だしね」

ポチは元々そういう考えをする妖怪で、そういう習性の狼だ。
仲間、家族と認識した者を愛し、そうでない者を排除する。
クリスとの戦いの時も、一般人を逃そうとしたのは祈の意思を尊重する為でしかなかった。
ロボとの戦いを経てポチの心持ちは多少変化したが……それでも根本的な部分は変わらない。
尾弐が過去に誰を殺していようと、その事に大きな興味は抱かない。
そんな彼がわざわざ赤マントの言葉を蒸し返し、今も尾弐に語りかけるのは……

「そう、何も知らないんだよ。だから何も言ってあげられないんだ、祈ちゃんに。
 ノエっちは多分今、祈ちゃんを励ましてるよ。
 もしかしたらそれは上手くいって、祈ちゃんは出てきてくれるかもしれない」

それくらいしか、祈と尾弐の為に出来る事がないから。
もしかしたらただ闇雲に傷を抉るだけの事になるかもしれない。
だとしても、事情を知らないポチにはこうする事しか出来ないからだ。

「でも尾弐っちの顔を見たら、見てたら、いや見てなくたって、きっとまた悩み出すよ。
 ……悩みって、そういうもんだろ。
 悩みを悩みじゃなくせるのは、尾弐っちと、ここにはいない橘音ちゃんだけなんだよ」

……祈は、その悩みが、もっとドス黒い何かになってしまう事を恐れている。
だがポチは、悩み続けるくらいなら、そうなった方がマシだと考えていた。

「……ちゃんと、尾弐っちが話をした方がいいよ。
 口利いてもらえなくなるかもしんないけどさ。
 でも祈ちゃんに怪我はさせらんないだろ」

179尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2017/12/01(金) 23:39:29
>「これはこれは……さすがは葬儀屋クン。他のお気楽な正義気取りの坊ちゃん嬢ちゃんとは違う、なかなかの推理力だネ……!」

「……長い事探偵の傍に居たんだ。ホームズにゃなれなくても、ワトスンの真似事くらいはできねぇとな」

言葉を放つ尾弐の表情は苦い。
眺め見る視線の先、拘束せんと力を込めていた尾弐の手から、まるで実態が無いかのように擦り抜けたのは、東京ドミネーターズが一人――――怪人65535面相であった。
そう。尾弐が懸念した通り、現れた那須野橘音は怪人65535面相が化けた偽物だったのである。

>「クカカ……ご機嫌よう諸君!我が主の愛娘、親愛なるレディを引き取りにまかり越したヨ」
>「ビックリしているネ。クカカ!以前、キミたちは吾輩の名を騙ってニホンオオカミを奪おうとしたろ?そのお返しだヨ」

>「カンスト仮面! 今日という今日は許さないぞ!
>具体的にどうするかというと拘束した後に母上に引き渡し記憶操作の杖で原型をとどめない程にノエライズしてやるわあ!」
>「うるさいな。じゃあ今からお返しのお返しをしてやるよ」

道化じみた言動をする赤マント。だが、尾弐は彼の妖怪の実力が本物である事を疑っていない。
何せ、眼前の妖怪は那須野橘音が知略を尽くし数十年に渡り追って尚捕える事が出来ず、
尾弐黒雄がその規格外の身体能力を駆使して行った強襲を幾度も退けた怪物なのだ。
少なくとも、ポチが感じている通りに、この場で勢い任せに無策で襲撃をした所で捕えられる様な相手ではない。
故に、尾弐は赤マントの動向を探る。
赤マントとレディベアの間で繰り広げられる説得の寸劇など見るべき価値は無いと断じ、
ただただ、その喉元を千切り折る為の隙を探さんと、赤マントの服の動き一つ見落とさぬ様に意識を加速する。

そして―――だからこそ、出遅れた。
己に対する害意の刃、或いは仲間に対する敵意の刃。
それにばかり視線を向けたが故に、気付くのが遅れてしまった。
赤マントの言葉の刃。心を切り刻まんとする悪意の刃が、祈へと向けられていた事に。

>「キミ、あの女の娘だろ?颯と言ったっけ、そっくりだものネ……まるで生き写しだ。すぐにわかったヨ、クカカカカッ!」
>「あの赤ン坊が、こんなに大きくなるなんてネェ……時間の過ぎるのは本当に早いものサ。ああ、まだ昨日のように思い出すヨ――」
>「あの女と、その連れ合い。キミのママとパパが悶え苦しみ、死んでゆく姿をネ……クカカカカカッ!」

「っ……!」

気付いた時にはもう遅い。
赤マントは、人の神経を逆撫でする様な不快な笑みを浮かべ、語りだしていた。
かつての、東京ブリーチャーズの原型とでもいうべき集団の結末を。その末路を。真実を。

>「まだ赤ン坊のキミを抱きしめて、『お願い、この子だけは助けて』ってネ……みっともなく命乞いをしていたっけネ!」
>「クカカカッ!あの無様な姿!最高の見世物だったヨ!思い出しただけでゾクゾクする……堪らないネ!」
>「また見たいなァ!キミは見せてくれるかな?キミのママみたいな命乞いを!哀れにもがく有様を!クカカカカカッ!」

>「――母さんはそんなこと言わない!!」

>「教えてあげるヨ、お嬢ちゃん。お嬢ちゃんのママとパパを殺したのは――」
>「そこにいる葬儀屋クンと。キミたちのリーダー、那須野橘音……なのサ」

>「リアルにしろっつったろ。そんなの尾弐のおっさんに聞けば一発でバレる嘘だ。
>言ってやれよ尾弐のおっさん。嘘だって」

赤マントのその語りを聞いた祈は、けれど赤マントの言葉に激昂し、明確な意志を以ってその言葉を否定した。
それは、これまでの日々で培われてきた尾弐と那須野への信頼によるものであったのだろう。
何気ない日常から命をすり減らす様な戦いの日々に至るまで、共に過ごしてきた仲間との絆を信じた言葉であったのだろう。

だが。

「……」

尾弐黒雄は、祈のその問い掛けに応える事が出来なかった
赤マントの言葉――――尾弐黒雄と那須野橘音が、多甫祈の両親を殺したという言葉を、否定する事が出来なかった。

180尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2017/12/01(金) 23:39:59
>「……尾弐の、おっさん?」
「嬢ちゃん、俺は……」

無言を貫く尾弐に、不安に揺れた瞳を向ける祈。
その瞳を。迷い子の様な瞳を向けられた尾弐は、何かを言い掛け…………口を閉ざし、静かに祈から視線を逸らした。

それは百の言葉よりも雄弁な、意志の表示。
親に全幅の信頼を寄せる赤子を谷底へと放り投げるような所業。


……ああそうだ。つまり、尾弐黒雄が。この悪鬼こそが、祈の両親を『殺した』のだ。


>「親を殺しておきながら、その娘をのうのうと手駒として使うだなんて、キミらの方がよほど妖壊に近いんじゃないのかネェ?」
>「人道的見地から言えば、とてもとても!そんな非道な真似はできっこないヨ、クカカカカカカカ―――――ッ!!!」
>「黙れ……黙れ黙れ黙れ!! どうせお前の言葉は誰も幸せにしないんだ、二度と無駄口たたけないようにしてやる!」

赤マントの挑発と、尾弐を庇う様なノエルの激昂にも尾弐は言葉を発する事は無かった。
妖壊を前にしてまき散らかされる殺意も敵意すらも、今の尾弐には存在しない。
赤マントの手により狂化した猿夢の剛腕。
それを防御することも無く受け、駅の壁を砕く程の勢いで叩きつけられて尚。
口から血を流しながらも、無言で立ち尽くす。

>「猿夢は敵に合わせて無限に強くなってゆく妖壊。だから、誰かひとりは『猿夢に手の内を見せない者』が必要だったんだ」
>「わたしは猿夢本体を一撃で葬り去れるという確証が得られない限り、軽々には動けなかったのさ」
>「みんなをダシにしたのは申し訳ない!けれど、どうか理解してもらえれば嬉しいね!はっはっはっ!」

唯一、騎士がその絶技を以って猿夢を切り捨て、存在ごと灰塵へと還した時は、
彼が手に持つ剣に対して警戒の色を見せていたが、それも普段の彼からすれば鈍い反応であった。
刑の執行を待つ罪人の様に、祈と視線を合わせない様に沈黙を貫く尾弐。

>「……ア、アデューですわ。東京ブリーチャーズの皆さま……ほんの少しの間でしたが、共闘。面白かったです」
>「クカカ、これで吾輩の役目はおしまい!吾輩も失礼するよ。もちろん、諸君らはここへ置き去りだがネ!」
>「きさらぎ駅は幻の駅。現世と常世の狭間に位置する世界――。通常の手段では脱出不可能!」
>「別に、血まなこになって諸君を殺さずとも。東京でない場所に置き去りにすればよかったのだネ、最初から!」
>「それでは東京ブリーチャーズの諸君、たっぷりと幻の駅を楽しんでくれたまえ!またお目にかかれるといいがネ、クカカカカッ……!」

だが、それでも
此度もまた暴虐を尽くし、立ち去らんとする東京ドミネーターズ。彼らに対し


「……東京ドミネーターズ。テメェ等の未来に、一片の救いもあると思うな」


最後に尾弐はそう呟いた。
覇気は無い。ただ、その言葉には呪詛めいた感情が込められていた……。




―――――――

181尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2017/12/01(金) 23:42:59
ドミネーターズが立ち去った後、一行は都市伝説である『きさらぎ駅』の中へと取り残された。
閉じた闇と、遠くに響く祭り囃子の音は、その場に居る者達の不安を厭がおうにも掻き立てるが……
しかし、この空間の空気が重いのはきさらぎ駅だけのせいではないだろう

>『ごめん、先行ってて。あたしは後から追い付くから』
>「えっ、先行っててって……」

空気を変える為に、脱出の手段を話し合おうとしたノエル。
赤マントの不意打ちという可能性への早期の対処を求め、それに追随したポチ。
……だが、彼等のその心遣いは報われない。
言葉を受け取る事が出来ない程に心理的に追い詰められ、言葉を振り切り立ち去ってしまった祈。
そして、駅の椅子に腰かけ、右の掌で自身の顔を覆い隠している尾弐。

二人を軸として、東京ブリーチャーズという集団に深い罅が入り始めていた。

「……」

祈を追いかけノエルが走り去り、構内にはポチと尾弐が取り残される。二人は暫くの間沈黙を保っていたが

>「……ねえ尾弐っち」

――――やがて、ポチが静かに口を開いた。

>「そう、何も知らないんだよ。だから何も言ってあげられないんだ、祈ちゃんに。
>ノエっちは多分今、祈ちゃんを励ましてるよ。
>もしかしたらそれは上手くいって、祈ちゃんは出てきてくれるかもしれない」

かつて、東京ブリーチャーズの原型に何があったか。
那須野と尾弐が語らぬ以上、ノエルとポチがそれを知る由は無い。
或いは、そこにはノエルの思った通りの知らぬ方が幸福な事実があるだけかもしれない。

だが、それでも。
例えそこに刻まれている事実が昏いものであるとしても、隠して沈める事無く語るべきだとポチは告げる。

その言葉に根幹にあるのは、ポチが尾弐と祈の為に何かをしたいからという『我儘』だ
けれど……その我儘は、どこまでも正しく優しい。
善意とは、本来押し付けであるものだ。
ポチが二人の為に何かを成そうとするのであれば、その我儘を押し通し、過去を暴く他ない。

>「……ちゃんと、尾弐っちが話をした方がいいよ。
>口利いてもらえなくなるかもしんないけどさ。
>でも祈ちゃんに怪我はさせらんないだろ」

どこまでも自分たちの事を大切に……そう、例えるなら、まるで家族の様に想ってくれているポチの言葉を受けた尾弐。
彼は、顔を覆っていた掌を静かに外し、鋭利な双眸を開くと……ポチの頭に、その大きな手を置いた。


「ありがとな、ポチ助。お前さんの言う通りだ……だけど悪ぃ。俺は、そんな当たり前の事ができねぇんだ」


そう言った尾弐が浮かべた表情は、困った様な作り笑いであった

182尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2017/12/02(土) 00:23:06
そのまま視線を空へと動かし、ポチの頭を撫でながら尾弐は言葉を続ける

「……あの赤マントの奴は、嘘は言ってねぇ。俺は、確かに俺の意志で嬢ちゃんの両親を殺す選択をした。経緯はどうであれ、それは紛れも無い事実だ」
「そうだ。あの二人が揃って生きる道は、確かにあった。それを知ったうえで、俺はその選択を取らなかったんだ」

絞り出すように出す言葉であるが、尾弐は意識してそこに感情の色を込めていない。

「事実が変わらねぇ以上、死の詳細を知った所で救われる事なんて何一つねぇ。だから……いや」

そこまで言い掛けて、自分が言い訳じみた言葉を発している事に気付いた尾弐は頭を掻いて言葉を中断する。
そうしてポチの頭から手を放し立ち上がると……そこでトイレから戻ってきたノエルに気付き、
背を向ける形で駅の柱へと体を預けた。

>「そういえばアイツ、通常の手段では脱出不可能って言ったよね。
>裏を返せば前例がないことをやりまくれば脱出できるんじゃないかな?
>例えば、祭囃子やってる人たちに突撃するとか――」

「……微妙な所だな。どうみても誘蛾灯だとおもうが、逆に言やぁ潰せば夢の強度も落ちる弱点とも言える。
 まあ、幸いここは『きさらぎ(鬼)駅』だ。俺をどうこう出来る相手もいねぇだろうし、その方針で動くならオジサンが先導するぜ」

……そのまま、語りかけてきたノエルに努めていつも通りの態度で話す尾弐の姿は、
彼が祈に真相を語るつもりが無い事を明示していた。

183那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2017/12/02(土) 21:02:21
『猿夢』は滅びた。
東京ドミネーターズは撤退した。
祈たち東京ブリーチャーズは戦闘に勝利した。今はもう、誰も危害を加える存在はいない。
しかし。
赤マントの去り際に残した一言が、どんな殴打よりも激しく、どんな斬撃よりも鋭く彼らを傷つけていった。

『教えてあげるヨ、お嬢ちゃん。お嬢ちゃんのママとパパを殺したのは――』
『そこにいる葬儀屋クンと。キミたちのリーダー、那須野橘音……なのサ』

その言葉をウソだと信じる者と、そう断言できない者。
認識の齟齬が東京ブリーチャーズの間に亀裂を入れ、溝を穿つ。
強力な妖壊をけしかけるまでもなく、赤マントはその口舌のみでブリーチャーズにかつてない打撃を与えた。
あたかも、それこそが今夜の目的であったのだと――そう嘲笑いでもするかのように。
結果ブリーチャーズは今後の行動指針を決定することもできず、きさらぎ駅で足止めを余儀なくされている。
祈はトイレに籠ってしまった。いつも快活な祈がふさぎ込む姿など、ブリーチャーズの面々は誰も見たことがない。
年長者であり、古参であり、メンバーのまとめ役でもある尾弐が、あからさまな苦悩を見せる姿も。
そしてこんなとき、決まってメンバーを叱咤し、進むべき道を示し、すべての謎を解く鍵を握っているであろう橘音は、この場にいない。

>結局、ぬか喜びさせられただけか……なんて言ってる場合じゃないね。

ポチが提案する。夢の世界から撤退した東京ドミネーターズが狙うとしたら、孤立している橘音であろう。
さらにポチは赤マントが前言を翻して再襲撃してくる可能性までも想定する。

>連れ戻してくる!

乃恵瑠が急に尿意(?)を催し、ダッシュでトイレに向かうと、ホームには尾弐とポチだけが残った。
ポチは何もかも明らかにしてしまうべきだ、と尾弐に忠告する。
例え恨まれることになろうと、憎まれることになろうと、謎を謎のままにしておくよりはマシだろうと。
確かに、祈には知る権利がある。肉親の最期がどうであったのか、それを証人から問い質す権利が。
だが、尾弐は――そして橘音は、それをよしとしなかった。
嫌われることを懸念しているのではない。
憎まれるのが恐ろしいのでもない。
理由は簡単。ただ、それが無為なことだと知っているがゆえ。
仮に祈へそれを語って聞かせたとして、いったいそこに何が残るだろう?
両親の凄惨な最期を知り、尾弐と橘音の所業を知り。
それで前向きに歩いてゆけるのか?すべてを理解し、呑み込み、自らの心の糧のひとつとして、一歩を踏み出せるのか?
そんなことは無理だ。
祈はたかだか14歳の少女でしかない。そんな少女に、詳らかにされた事実をすべて受け入れろというのは残酷に過ぎる。
だからこそ、黙っていた。
いつか、少女が大人になったとき。どんな事実も受け止められるだけの心の成長が遂げられたとき。
そのときまで、黙っていようと決めたのだ。

だが。

それを、赤マントが踏みにじった。
妖怪にとっては昔と言うには早すぎる、十数年前の出来事を。まだ真新しいかさぶたを。
笑いながら剥ぎ取ったのだ。

184那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2017/12/02(土) 21:15:09
チカチカと、女子トイレ天井の蛍光管が頼りなげに明滅している。
それはあたかも、絶望の中に何とか希望を見出そうとする――儚い可能性に縋ろうとする今の祈の心にも似て、甚だ不安定な明かりだ。
きっと、長くはもたない。早晩蛍光管は切れて、二度と光らなくなってしまうことだろう。
そして――すべて暗黒に包まれてしまう。一条の光さえ差さない、真闇に変わる。

赤マントの言葉を否定しろ、という祈の言葉に、尾弐は従わなかった。
それは、赤マントの言葉が虚言でないということの確かな証拠。真実の証明。
祈の両親の死に、尾弐と橘音のふたりが深く関与していることは間違いない。
そして、それがふたりにとって『祈に言えないこと』であるということも。

一度疑い始めるときりがない。今まで告げられた優しい言葉が、温かな振る舞いが。
すべて嘘と偽りに満ち満ちた行いであったかのようにさえ思えてしまう。
とはいえ、いつまでもそうしてはいられない。
この『きさらぎ駅』には祈とノエル、ポチ、そして尾弐の四人しかいないのだ。ここから出るには、否応なしに仲間と話すしかない。
……はずだった。

「……そこに誰かいるのか?」

トイレの入口の方で声がする。それはノエルともポチとも、まして尾弐とも違う声。

「もう終電は出たし、トイレの中にいても誰も来ないよ。そんなところにいないで、出てきなさい」
「参ったな……。家出少女か?多いんだよなあ。駅の施錠ができないじゃないか」

祈が何らかの返事をすると、声の主はぶつくさと独り言をぼやいた。二十代後半くらいの、男の声だ。
どうやら、この『きさらぎ駅』の駅員のようである。こんな人界の外にある秘境駅に駅員がいるとは驚く他ない。

「ここは君がいるべき場所じゃない。家に帰りなさい、きっと君のご両親も心配しているはずだよ」

駅員らしき男は女子トイレの入口に佇み、個室に籠ったままの祈を諭す。

185那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2017/12/02(土) 21:15:28
「おおかた、親と喧嘩して帰れなくなった……とか。そんなところだろう?いるんだよ、君みたいな子」
「でもね。そんなの、大したことないさ。後になって考えたら、どうしてそんなことで喧嘩なんてしちゃったんだろう?なんて――」
「そう、笑って話せることに決まってるんだ。君の場合だって、きっとそうさ」

そう言うと、駅員の男はハハ、と笑った。

「君のお父さんかお母さん……いや、おじいちゃんかおばあちゃん?それとも、親代わりになってくれている誰か……?」
「確かにその人たちは君にひどいことを言ったかもしれないし、やったかもしれない。君が怒るに足ることを」
「……けど。それは決して、君を怒らせようとか。家出させようとか。そんなことを考えてやったことじゃないはずだよ」
「君のため、よかれと思ってやったことが、たまたま裏目に出てしまった。君を偶然怒らせてしまった……ただ、それだけなんだ」
「思い出してごらん、その人たちのことを。その人たちが、今まで君にしてきたことを」
「君が今感じている不幸よりもずっとずっと大きな幸せを、喜びを、その人たちは君に与えてくれたんじゃないかな?」

何の前触れもなく駅舎に現れた駅員の存在は、東京ドミネーターズとの戦闘を終えたばかりの祈には不審に感じられるかもしれない。
けれどその声音は穏やかで、告げる言葉は優しく親昵さに溢れている。

「喧嘩は悪いことじゃない。気に入らないことがあるのなら、どんどんすればいい」
「我慢をしていると、心には知らないうちに澱が溜まってゆく。ときには全部ぶちまけて、発散することも必要なんだ」
「ただ、相手を憎むために喧嘩じゃダメだ。相手をより深く知り、自分をより深く知ってもらう――」
「今よりもっと、相手と仲良くなるための喧嘩でなくちゃ、ね」
「君の相手は、それを許してくれないほど狭量な人たちなのかい?君が心のうちを明かすことを、迷惑に思う人たちなのかな?」

ガタリ、と個室の扉の向こうで物音がする。
トイレの入口で、駅員は何か身じろぎしたようだった。

「ホームを出て、祭囃子の聞こえる方向へ行きなさい。そうすると、櫓と提灯が見えてくる」
「その櫓の脇をすり抜けて、ずっとまっすぐ進むんだ。走りなさい、脇目もふらず……特に、櫓の周りで踊っている者を見てはいけない」
「道は上りの坂道になってゆくはずだから、そこをのぼっていくんだ。何か聞こえるかもしれないが、耳を貸さないこと。約束できるね」
「その坂道の果てに、迎えが来るはずだ。その迎えと合流すれば、君は元いた場所に戻れるはずさ」
「時間がない。そこから出て、元の場所に戻るんだ。君が本来いるべき世界に……そして、君の心を。大切な人に話すといい」
「そうすれば。君は今よりもっと、ずっと――絆を深めていくことができるだろう……」

駅員の声が、徐々に小さくなってゆく。
そして。

>うぅ……僕は基本トイレ行かない仕様なのにこの世界設定ミスしてないか!?

乃恵瑠がトイレに駆けこんだとき、その姿はもう、どこにもなかった。

186那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2017/12/02(土) 21:22:34
祈は個室から出てくるだろうか。そして、尾弐と話をするだろうか。
いずれにせよ、ここに留まっていたところで事態が好転することは決してない。
きさらぎ駅系の話には、改札を出てはいけない――という一節があるが、改札を出なければ祭囃子の方には行けない。
改札の内側から外を見ると、はるか前方に薄ぼんやりと明かりが灯っているのが見えた。
祭囃子の音色もそこから聞こえてくるようである。そこで祭りをしている者がいるのだろう。

>例えば、祭囃子やってる人たちに突撃するとか――
>まあ、幸いここは『きさらぎ(鬼)駅』だ。俺をどうこう出来る相手もいねぇだろうし、その方針で動くならオジサンが先導するぜ

自動改札機などといった文明の利器はない。なんの遮蔽物もない改札を抜けると、駅の出入口の脇に農作物の販売所があった。
田舎によくある、雨風を凌ぐだけの小さな小屋に近所で採れた作物が無造作に置かれている、無人販売所だ。
よく熟した桃とブドウ、それから大振りのタケノコがいくつか売られている。
ただ、通常の無人販売所にあるような『お代はコチラ』的な代金を入れる入れ物がない。
ついでに金額の表示もない。どころか『ご自由にどうぞ きさらぎ駅』などと書いてある。
タダで配っているので、持って行ってよいということなのだろうか。

ノエルと尾弐の提案通りに祭囃子と明かりの方へ歩いていくと、徐々に音が大きくなってゆく。と同時、明かりの詳細も見えてくる。
土がむき出しで、草一本生えていない広場のど真ん中に大きな櫓が立っており、その周囲に粗末な小屋が幾棟か建っている。
櫓から無数の提灯が小屋の屋根へ向けて吊り下がっており、周囲を照らしているのだった。
そして、その櫓をぐるりと囲むようにして、盆踊りか何かのように無数の影が踊っている――

否。

『身をくねらせている』。

それは、遠目に見るれば確かに人のシルエットを持ったものであった。頭があり、胴体があり、四肢があり、直立している。
が、違う。
『人ではない』。
まるで、絵心のない人間が描いた棒人間のような。針金を人型により合わせたような。
目鼻も、指も、身体の凹凸も何もない『人のような何か』が、一心不乱に身をよじり、うねり、のたうっている。
現在のメンバーの中で最もネットロアに詳しいノエルは、『それ』が何かわかったかもしれない。

『くねくね』

近年、ネットロアによって爆発的に広まった怪異。
それが群れをなし、櫓の周りをゆっくりと。緩慢に。かと思えば時に痙攣するように激しく。
ただただ、身もだえするように回っている。
櫓の頂上から、祭囃子が聞こえてくる。遠間には陽気なお囃子のように聞こえたが、近付くにつれてその印象が変わってゆく。
引き攣った悲鳴のようにも聞こえる笛の音。
まるで規則性というもののない、ただ無茶苦茶に叩いているだけの太鼓。そして――

お囃子の音色の中に響く《テン……ソウ……メツ……》の声。

櫓もくねくねたちも、そして祭囃子のような何かも、東京ブリーチャーズにとっては初めて見聞きするものに違いない。
……が、尾弐だけは櫓の周りにいくつか建っている粗末な掘っ立て小屋に見覚えがあるだろう。
もうずっと昔、まだ尾弐が橘音とふたりで妖壊退治をしていた頃。
ぬらりひょんの富嶽に依頼された案件で、向かった先の村。

『巨頭オ』と書かれた看板の先に存在した村の小屋と、それは瓜二つだった。

まるで伝承では決して語られることのない類の、悍ましくも名状しがたい神へ祈りを捧げるかのように。
くねくねたちは『テン……ソウ……メツ……』が響く中、一心不乱に身をくねらせ続けており、ブリーチャーズに気付く気配はない。
そのままことを荒立てず、櫓を迂回して行くなら、戦闘を回避して坂道まで到達することも可能だろう。

187那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2017/12/02(土) 21:28:40
櫓を迂回して、先へ進む。
櫓の先は駅員が言った通り緩やかな上り坂になっていた。道はやがて峠のようなカーブの連続になり、上へと続いている。
つづら折りになった上り坂をのぼってゆくと、眼下に櫓の明かりが見えた。
踊るくねくねたちの影が提灯のオレンジ色の光に照らされて、その身体の何倍も大きく長く伸びている。
難所は過ぎた。このままくねくねたちに気取られずに行ければ、無事に頂上までたどり着けるだろう。
と、思ったが。

……ヒタ……、ヒタ、ヒタ、ヒタリ。

舗装もされていない坂道を踏みしめる、濡れたような足音。
それは、これから向かうべき進路の先から聞こえてきた。
櫓の方から聞こえる物音ではない。間違いなく、ブリーチャーズの前方から聞こえてくる。
それは徐々に大きくなってゆき、やがて急カーブの向こうから一匹のくねくねが姿を現した。
闇の中にぼんやりと浮かび上がる、真っ白な人型のシルエット。
だが、それは決して人間ではない。その証拠に顔らしき場所には目鼻も口もなく、髪も生えておらず、ただただのっぺりしている。
身体にも凹凸はなく、まさしくただのラクガキをそのまま実体化させたような、曖昧極まりない存在。
くねくねは夢遊病者か昔のホラー映画のゾンビのように覚束ない足取りで、ゆっくり坂道を下ってくる。
東京ブリーチャーズとの距離が近づいても、くねくねは何もしない。ゾンビのように襲い掛かってくることもしない。
櫓へ行こうとしているのだろうか、ただゆっくりと、上半身をのたうたせながら歩くだけだ。
くねくねはネットロアでも『見るだけなら無害』と言われている。物理的に危害を加えられたという話もない。
櫓のくねくねたちがそうだったように、今回も刺激せずにやりすごせば問題なく通過できるだろう。
……と、思われたが。

くねくねをやり過ごし、100メートルほど進んだ後で、ポチは気が付くかもしれない。
すれ違ったはずのくねくねが『振り返ってこちらを見ている』。
もちろん、くねくねに目はない。それどころか身体に表裏の区別さえない。
だから、振り返ったこともこちらを見ているということも、一見しただけではわからない。
が、それでも。
ポチの優れた五感は、今のくねくねが立ち止まり、振り返ってブリーチャーズを凝視していることに気が付くだろう。
そして――

《¥「@・。pmぬytrvべでrftgぬhyじm、おp!!!!!!!!》

くねくねはどこにそんな器官があるのかという程の声量で、突然けたたましく何かを叫び始めた。
耳を劈くような大声量だ。何を言っているのかなどわからない、そもそも人間や妖怪には発声不可能な声。
が、その意味するところはわかる。
それは警報だった。この地に自分たち以外の『異物』が存在していることを仲間に教えるためのサイレン。
途端に、広場で各々のたうち続けていたくねくねたちが踊りを止める。皆が一斉に坂道にいるブリーチャーズを凝視する。
掘っ立て小屋の引き戸が勢いよく開き、そこから新たな怪異が飛び出してくる――。

《オッ!オッ!オオオオッ、オオオ!オオオオオオオオオオオオオオオ!!!》

それもまた、人間のようで人間でない何かだった。
大まかな造作自体は人間に見える。が、その頭が胴体に不釣り合いなくらい大きい。
頭だけで1メートルくらいはあるかもしれない。イースター島のモアイが人間になったらこんな感じだろうか。
そんな巨大な頭の人間によく似た何かが、気を付けの姿勢で頭だけを左右に激しく振りながら歩く。
数は三十人はいるだろうか――三十匹と言った方がよいか。
そんなくねくねと巨頭が叫び声に応じ、櫓を離れ。
ブリーチャーズのいる坂道へと集まってくる。

くねくねたちの歩行は遅く、ブリーチャーズに追いつくには時間がかかるだろう。
が、巨頭たちは違う。甚だ歩きづらそうな姿勢とは裏腹に、その歩みはやたらと早い。
くねくねも異様だが、まるで薬物中毒者のように焦点の定まらない双眸をグルグルと回転させ、涎を撒き散らし。
薄笑いを浮かべながら頭を激しく左右に振り、髪を振り乱して坂道を上ってくる巨頭の姿は恐怖としか言いようがない。
そして。

188那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2017/12/02(土) 21:33:30
《テン……ソウ……メツ……》

聞こえてくる、不気味な声。
くねくねの群れを押しのけ、巨頭がブリーチャーズに襲い掛かってくる。

《オオオオオ!!!オッ!オオッ!オオオオオオオオオオ!!!!》

巨頭が頭とは不釣り合いに細い手を伸ばす。
万一しがみつかれでもしたら、身動きが取れなくなり巨大な口によって噛みつかれ、喰われてしまうのは明白だ。
尤も、巨頭たちは見た目通り頭と身体のバランスが取れていないらしく、足払いなどすれば簡単に転倒する。
また胴体の耐久力も人間並みにしかないらしく、尾弐の膂力やポチの牙などで容易に粉砕できる。
妖術を使うこともないので、ノエルの凍気で凍り付かせることもできるだろう。
しかし。

《オオオオ!オオ!オオ!オオオオオ!オオオオ!!!》

巨頭は『多い』。
どれだけ倒そうとも、凍りつかせようとも、仲間の死体を乗り越えて襲い掛かってくる。
一見して十人も入れないように見える、櫓の周りの掘っ立て小屋から、無尽蔵と言っていいほど巨頭が続々と飛び出してくる。
また、巨頭はしぶとい。完全に息の根を止めるには、頑丈な顔面を粉砕するか心臓を破壊するしかない。
でないと巨頭は這いずってでもブリーチャーズに近付き、その足に喰らいつくだろう。
かつて尾弐と橘音がこの怪異と遭遇した際も、ふたりは際限なく現れる巨頭にうんざりし、逃走の道を選んだのだ。

そして、そんな巨頭たちの後続には、これまた輪をかけて数の多いくねくねたちが控えている。
くねくねと交戦したという妖怪の話は聞かない。よって、くねくねがどんな攻撃をしてくるのか、どれほど強いのか、誰も知らない。
何か未知の攻撃をしてくるかもしれない。妖術を使ってくるかもわからない。
いずれにせよ戦いたくない相手だということに変わりはないだろう。

おまけに――

《テン……ソウ……メツ……テン……ソウ……メツ……テン……ソウ……メツ……テン……ソウ……メツ……テン……ソウ……メツ……》

……まだ『何かいる』。
ぼんやりと感じられるのは、ノエルの身体を構成している山気――山の霊気とよく似たものである。
が、ずっと穢れており澱んでいる。呪文のようにテン、ソウ、メツと繰り返しているのは、たちの悪い山神の類であろうか。
邪悪な山神は同じ山に棲む雪女とは相容れず、それどころか忌み嫌われている。
山神に攫われ、犯され――山神の子を孕まされる雪女が、里には少なからずいるのだ。
もちろん、今ここにいるそれがノエルの里の近くにいた山神であるとは限らない。
が、山神という存在そのものが雪女にとって不倶戴天の敵であることには変わりない。

《オオオオオ!オ!オオ!オオオオオオオ!オ!!》
《テン……ソウ……メツ……テン……ソウ……メツ……テン……ソウ……メツ……》

巨頭の群れのおらびが、不気味な呪文のような唸りが、ぐるぐると渦を巻いてブリーチャーズの鼓膜に響く。
太鼓の、笛の音色が、すぐ近くで聞こえる。
それでも追撃を振り切りながら坂道をのぼりきると、そこには巨大な岩が鎮座していた。
5メートル以上はあるだろうか、大きいとしか形容できない岩だ。
そして、その岩の向こうに山を穿って作ったらしいトンネルが見える。どうやら大岩はそのトンネルを塞ぐ形でこの場にあるようだった。
大岩を破壊することさえできれば、きっとこの世界から脱出することができるに違いない。
……が、その手段がない。尾弐の大力をもってしても、さすがに5メートル以上ある大岩を動かすことはできないだろう。

背後からは続々と巨頭とくねくねが押し寄せ、東京ブリーチャーズに迫っている。
逃げ道はなく、四人は坂道のどん詰まりに追い詰められた。
祈がきさらぎ駅で出会った駅員は、坂道の果てに迎えが来ると言った。
だが、その指示した場所には大岩で塞がれたトンネルがあるだけだ。迎えらしき人影もない。
ひょっとしたら、あの駅員もまた偽橘音と同じく赤マントの変装した姿で。祈をさらなる絶望へ追い込もうと画策しているのだろうか?

《オオ!オ!オオオオ!オオオ!オ!》
《……テン……ソウ……メツ……》

首を激しく振りながら、満面の笑みを浮かべて巨頭たちが追ってくる。
くねくねがにじり寄り、呪文が大きくなる。


東京ブリーチャーズは危機に瀕していた。

189多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/12/06(水) 20:01:27
 塞いだ視界は暗く。時間は遅々として進まない。
祈の思考は同じところをグルグルと回り続けた。
 あれから何分経っただろう。みんなはもうかたす駅に着いただろうか。
そんなことを考えていると、
>「……そこに誰かいるのか?」
 トイレの入口から男の声が聞こえてきた。
誰だろうとぼんやり考える祈だったが、その答えは分からない。
ここきさらぎ駅にいるのはブリーチャーズだけの筈だが、その声はブリーチャーズの誰とも似つかなかった。
>「もう終電は出たし、トイレの中にいても誰も来ないよ。そんなところにいないで、出てきなさい」
「…………」
 男の言葉に対し、祈は沈黙という答えを返す。
鼻をすする音はここに誰かが居ることを示し、沈黙は男の言葉に応じるつもりはないという明確な意思表示だった。
祈が黙っていたのは警戒もあったろう。
>「参ったな……。家出少女か?多いんだよなあ。駅の施錠ができないじゃないか」
 声からして20代か、30代頃であろうか。その男の声は困ったようにぼやいた。
施錠するという言葉から察するに、男はきさらぎ駅の駅員か何かであるようだった。
どこかの駅員だった男の霊がきさらぎ駅に流れ着き、
ここを自分が管理する駅だと勘違いして居着いている、という可能性も充分にあるが。
>「ここは君がいるべき場所じゃない。家に帰りなさい、きっと君のご両親も心配しているはずだよ」
 ともあれその駅員と思しき男は、めげることもなくトイレの入口から祈へと声を掛けてくるのだった。
仕事熱心なのか、優しいのか。あるいはその両方か。
>「おおかた、親と喧嘩して帰れなくなった……とか。そんなところだろう?いるんだよ、君みたいな子」
 違う、喧嘩したんじゃない、と祈は思ったが、
男の中で祈はすっかり親と喧嘩して家出した娘になってしまっているらしく、男はそのまま続けた。
>「でもね。そんなの、大したことないさ。後になって考えたら、どうしてそんなことで喧嘩なんてしちゃったんだろう?なんて――」
>「そう、笑って話せることに決まってるんだ。君の場合だって、きっとそうさ」
 男の話はある種、的外れではあった。
祈は赤マントに連れてこられただけで、親と喧嘩して迷い込んだ訳でもなければ、
こうして籠っている原因は笑えるような話でもきっとない。
だが男なりの懸命さで、顔も知らない少女のことを、返事もしない誰かのことを想って言葉を紡いでいた。
 それが優しい声音だからだろうか。それとも顔も知らない誰かの言葉だからだろうか。
祈はその言葉に、不思議と耳を傾けることが出来た。
その的外れな言葉の中に、意味を見出そうと思うことが出来た。

190多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/12/06(水) 20:03:43
>「君のお父さんかお母さん……いや、おじいちゃんかおばあちゃん?それとも、親代わりになってくれている誰か……?」
>「確かにその人たちは君にひどいことを言ったかもしれないし、やったかもしれない。君が怒るに足ることを」
>「……けど。それは決して、君を怒らせようとか。家出させようとか。そんなことを考えてやったことじゃないはずだよ」
>「君のため、よかれと思ってやったことが、たまたま裏目に出てしまった。君を偶然怒らせてしまった……ただ、それだけなんだ」
 尾弐と橘音が父母を殺したにせよ、誤って死なせてしまったにせよ。
少なくともそれ自体は祈の為にしたことではないのだろう。
だがそれを“黙っていたこと”は、きっと祈の為だった。
 祈が橘音によってブリーチャーズに引き入れられたのは、恐らく危なっかしいからだ。
ブリーチャーズに所属する前からムカデや大蛇、蛙、蜘蛛、人面犬……人を襲う妖怪達と戦い、
一人で倒してきた祈だが、いずれは一人ではどうにもならない強敵と対峙する時が来る。
それこそドミネーターズのような難敵と出遭っていたら、今頃命があるかどうかは怪しいものだ。
しかし個ではなく群れとなり、力を合わせれば生存率がグンと上がるのは自明の理で、
事実八尺様やコトリバコなど様々な怪異との戦いは、仲間がいたからこそ生き延びることができたと言えよう。
だが父母の死の真実を知って祈が精神不安定に陥れば、それは叶わなかった。
仲間との不和。孤立。集中力の欠如。様々な要因が重なり、あっさり命を落としていたかもしれない。
戦いに参加しなくなったとしても、その事実が重ければ、重みに心が潰されていたかもしれない。
 橘音と尾弐は、祈の命と心を守る為に、沈黙を守っていたのだと考えられた。
>「思い出してごらん、その人たちのことを。その人たちが、今まで君にしてきたことを」
>「君が今感じている不幸よりもずっとずっと大きな幸せを、喜びを、その人たちは君に与えてくれたんじゃないかな?」
 ブリーチャーズの一員として過ごした日々。
それは人知れず孤独にただ戦い続ける日々と比べ、どれ程充実していたことだろう。
 だからこそ、祈は怖いのだ。この日々や幸せを失うことが。
 祈が少しでも気持ちを表に出してしまったら、どうなるかわからない。
歯止めが効かなくなり、紡いだ言葉は尾弐や橘音を傷付けてしまうかもしれない。
そして真実を知った時、祈が思っている以上に根が深ければ、
自分を想って口を噤んでいてくれた二人を永劫、嫌悪したり憎んだり、そんな風になってしまって、
こんな日々や関係なんて終わってしまうのではないかと、そう恐れた。
 ずっとこのままでいればその終わりを見なくて済むんじゃないか。先延ばしにできるんじゃないか。
そう思ったから、祈はこんなところにいるのだ。
 それを見透かしたように、男は言う。
>「喧嘩は悪いことじゃない。気に入らないことがあるのなら、どんどんすればいい」
 祈はその言葉にはっとする。
>「我慢をしていると、心には知らないうちに澱が溜まってゆく。ときには全部ぶちまけて、発散することも必要なんだ」
>「ただ、相手を憎むために喧嘩じゃダメだ。相手をより深く知り、自分をより深く知ってもらう――」
>「今よりもっと、相手と仲良くなるための喧嘩でなくちゃ、ね」
>「君の相手は、それを許してくれないほど狭量な人たちなのかい?君が心のうちを明かすことを、迷惑に思う人たちなのかな?」
 喧嘩していい。気持ちをぶつけていい。きっと相手は受け止めてくれる。
それは、少しでも気持ちをぶつければ関係が壊れてしまうと考えていた祈にとって意外とも思える言葉で、
蛍の放つ微かな光のような……希望だった。
きっと尾弐と橘音は受け止めてくれる。そう思うが、保証などない。人と人の関係に、絶対はないのだから。
だがそこには確かに、気持ちをぶつけてもこの日々や関係が終わらないかもしれないと言う、可能性が見えた気がしたのだった。

191多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/12/06(水) 20:06:42
>「ホームを出て、祭囃子の聞こえる方向へ行きなさい。そうすると、櫓と提灯が見えてくる」
>「その櫓の脇をすり抜けて、ずっとまっすぐ進むんだ。走りなさい、脇目もふらず……特に、櫓の周りで踊っている者を見てはいけない」
>「道は上りの坂道になってゆくはずだから、そこをのぼっていくんだ。何か聞こえるかもしれないが、耳を貸さないこと。約束できるね」
>「その坂道の果てに、迎えが来るはずだ。その迎えと合流すれば、君は元いた場所に戻れるはずさ」
>「時間がない。そこから出て、元の場所に戻るんだ。君が本来いるべき世界に……そして、君の心を。大切な人に話すといい」
>「そうすれば。君は今よりもっと、ずっと――絆を深めていくことができるだろう……」
 説明しながら、諭しながら。少しずつ男の声と気配が遠ざかるのを祈は感じた。
祈が出てこないと見て、去ろうとしているのかも知れなかった。
「あの! ありが――」
 察した祈が慌ててそう口にしたとき。
>「うぅ……僕は基本トイレ行かない仕様なのにこの世界設定ミスしてないか!?」
 先程のとは明らかに違う声と、ドタバタとした足音。
次いで祈の隣の個室に駆け込む音が聞こえてきた。
その声はいつもより少し高いノエル(乃恵瑠)のものだった。
先に行っていてと祈は言ったのだが、まだ駅の構内に残っていたらしい。
しかもどうやら、具合が悪いようだった。
>「いや、待てよ……。これ夢の中ってことは現実世界で大惨事になるのでは……!?
>でもこのままじゃどっちにしろ大惨事だし!
>そうやってクールなイケメン兼美女枠の僕のキャラ性をぶち壊しにして生きる気力を奪う作戦だな……!
>おのれカンスト仮面、許さないぞ! なんとしてでも生きて帰ってぶっとばしてやる!」
 隣の個室で大騒ぎし始めるノエル(乃恵瑠)の声。
聞いた話によればノエルは精霊寄りの妖怪であるからトイレには行かなくても良いようなのだが、
先程の言葉からすると、今日はそうでもないらしい。
夢の世界から異世界(常世とあの世の境界?)に連れてこられた影響であろうか、
元のノエルの姿に戻れていないことからも、体調を悪くしたかもしれないことが窺えた。
言葉に焦りのようなものが滲んでいるのを祈は感じ取る。
 どうやら用を足しに来たようであるが、夢の中で用を足せば現実で大変なことになりそうな予感は確かにある。
具体的にはおねしょ、ということになるだろうか。
ではどうするのかというと。
 心配しているもののなんとなく声を掛けるタイミングを失い、祈が黙っていると、
何かをごそごそと探るような音がし、衣擦れの音が響く。
>「大丈夫、誰も見ていない――」
 更にそんな、決意すら感じられる声が聞こえたかと思えば。
空いたペットボトル容器に何らかの液体を注ぐような、奇妙な音を祈は聞いたような気がしなくもない。
(えっ、えっ、なに……? なにしてんの……!?)
 祈の動揺などお構いなしに事態は進み、その数分後には、
足取りも軽やかにドアを開き、水で手を洗う音が響いてきた。
 ノエル(乃恵瑠)が変態の階段を一足飛びに駆け上がったのか定かではないが、
とかくその足音は、頭に疑問符を浮かべる祈のいる個室の前に移動すると、動きを止めた。
そして、

192多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/12/06(水) 20:15:09
>「そろそろ行こう。ちゃんと連れて帰らなきゃ君のお祖母ちゃんに怒られちゃう。
>あの二人は信じられなくたってお祖母ちゃんは信じられるでしょ? お母さんのお母さんなんだから」
 祈に声を掛けてくるのだった。
用を足しに来ただけだと思っていた祈は不意を突かれて、びくりと体を震わせた。
 尾弐と橘音のことを信じていない訳ではない。
だが尾弐の赤マントへの反応は、『父母を殺した』という言葉を肯定するに等しいものだった。
殺していないと思っていても殺していると本人が肯定しているのなら、
殺した可能性はあるのかもしれないのだと祈は認識している状態にあり、
この状態が、もはや二人を疑っているのか信じているのか、祈には分からないでいた。
 だが、祖母についてははっきりしている。
「……うん」
 祖母は、信じられる。
祈は祖母に育てて貰い、祖母の作ったご飯を食べて生きてきたのだから。
>「僕ね、実はお母さんから橘音くんにうちの子をよろしくってされてたんだ。祈ちゃんもそうなんじゃないかな?」
「…………」
 どうだったのだろう。祖母からブリーチャーズの話を聞いた記憶はあまりない。
だが、ブリーチャーズに入ることを大反対された覚えならある。
しかし祈が強硬姿勢を崩さなかったことで、祖母はもはや手足を全てもがねば止められまいと思い、諦めたようだ。
その祖母が、ある日珍しく正装をして出かけて行ったことがある。
その日以降、祈がブリーチャーズに所属して妖壊と戦うことに大々的に反対しなくなった。
もしかしたらその日が、橘音に“よろしくしてきた日”なのかもしれない。
>「あの耳聡いお祖母ちゃんが何も知らないはずないもんね。
>きっと全てを知った上で君を橘音くんに託したんだ。だから、大丈夫――
>あとね、クロちゃんを問い詰めないであげて。こういうのは当事者には正しく語れないものさ。
>帰ってからお祖母ちゃんに聞くんだ」
 祈が商店街でコトリバコと戦ったことも知っていたくらい耳聡い祖母だから、きっと知ってるだろう。本当のことを。
 それでも黙っていたのはやはり、祈の為だったのだろう。
尾弐や橘音に直接聞くのか、それとも祖母に聞くのかはともかくとして、帰らねばならない、という気持ちが祈に芽生えた。
祖母を安心させるためにも。それに、祖母に会いたい気持ちも出てきた。
 祈はようやく足を降ろして涙を袖で拭い、扉を開けて外へと出てきた。
「ごめん、手間かけて」
 それをノエルは何も言わず抱きしめてくれた。照れ臭いやら、ぬくもり代わりの冷たさがありがたいやら。
そんなことを考えている内、ふと大切なことに気付いた。

 お 前 な ん で 女 子 ト イ レ に い る ん だ よ。

 瞬間、祈は硬直する。平然と入ってきているので全く気付かなかったが、
ノエルは男である。
いや、見た目は乃恵瑠であるし、話によれば元々はみゆきという雪ん娘であったらしいから、
見た目が男性なだけの女性だと考えることもできなくはないのだが
性別に男を選んで生きてる筈の者が女子トイレに入ってきていいのかは疑問を挟む余地がある。が。
(ま、いっか……)
 祈にはツッコむだけの気力がなかったし、なんやかんや来てくれたのが嬉しかったのだ。
差し出された手を掴んで、ノエル(乃恵瑠)に連れられて女子トイレを出る祈。
するとポチや尾弐はまだ駅内にいるのを見つける。先に行ってと言ったのに、
結局皆待ってくれていたのだった。
 尾弐とはまだ目を合わせることはできないものの、
これできさらぎ駅に残されたブリーチャーズは全員揃ったことになる。

193多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/12/06(水) 20:20:17
>「そういえばアイツ、通常の手段では脱出不可能って言ったよね。
>裏を返せば前例がないことをやりまくれば脱出できるんじゃないかな?
>例えば、祭囃子やってる人たちに突撃するとか――」
 ノエル(乃恵瑠)はそこで、トイレに入る前とは違う提案をしてみせた。
トイレで用を足し、すっきりしたことで別の選択肢が見えたのだろうか。
>「……微妙な所だな。どうみても誘蛾灯だとおもうが、逆に言やぁ潰せば夢の強度も落ちる弱点とも言える。
>まあ、幸いここは『きさらぎ(鬼)駅』だ。俺をどうこう出来る相手もいねぇだろうし、その方針で動くならオジサンが先導するぜ」
 尾弐はそれを、いつも通りの態度で受けた。
一時は動揺していたように見えたが、尾弐は大人だから、祈と違って切り替えが早いのかもしれない。
尾弐から真相を話すつもりはないようであり、そこにはほっとする祈。
そして迷ったものの、祈も己の意見を述べることにした。
「祭囃子の方へ行くのは賛成だけど、突っ込むのは反対」
 祈は目を瞑って、男の言葉を思い出しながら繰り返す。
「祭囃子の方へ行くと、櫓と提灯が見えてくる」
「その櫓の脇をすり抜けて、まっすぐ進む。なるべく走る。その時、櫓の周りで踊っているやつを見たらだめ」
「まっすぐ進むと坂道になってて、そこをのぼる。途中で何か聞こえても耳を貸したらだめ」
「坂道を登り切ったら迎えが来る。その迎えと合流すれば……元いた場所に帰れる」
 男の言葉を思い出しながら喋ったからだろう。
祈の声は思ったよりも落ち着いていて、自分でも平静に聞こえた。
少なくとも、今すぐ気持ちが爆発するようなことはなさそうである。ほっと胸を撫で下ろしながら、
「……って、お助けキャラっぽい人が言ってたよ。突っ込むか迂回するかは任せた」
 祈はそう付け加えた。

 祭囃子に突撃するのか、それを避けて坂道を進むのかはともかくとして、
四名中三名が祭囃子方面に行くと言っている為、多数決的にブリーチャーズはそちらを目指すことになったようだった。
 簡素な改札を出ると、まず目につくのは、農作物の無人販売所と思しき小さな小屋だ。
東京暮らしの祈には珍しく思え、そちらに目を向けると、
ラインナップは桃や葡萄、タケノコと言った具合。良く熟れた果実や大振りのタケノコは、
スーパーなどに置いてあればそれ相応のお値段になるだろうと思われたが、
なんと『ご自由にどうぞ きさらぎ駅』などと書いてあり、無料で持って行っていいらしい。
良く育った桃、葡萄、タケノコ。しかも無料。抗いがたい魅力を放つそれらだが、
異世界に迷い込む類の話では、異世界のものを持って行こうとしたり食べる行為がNGであり、
それが切っ掛けで死んだりその世界から出られなくなったりする。
 だがこれはきさらぎ駅の駅員、管理者たる先程の男が用意したものだろう。
親切にもこの世界から出る方法を教えてくれた男が用意したものだとするなら。
「…………」
 祈はそれらをじっと見つめた。

194多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/12/06(水) 20:25:01
 一行が祭囃子の音と明かりに近づいていくと、遠目に、櫓や櫓の周囲で踊っている者達、
それに提灯などの明かりや掘っ立て小屋などが確認できた。
櫓の周囲で踊っている者達は、一目見て、ただの人間でないことが解る。
一心不乱に体をくねらせて動き回る人型の落書きのようなそれは、なんらかの妖怪だ。
あの人型の不気味な妖怪達を締め上げたところで脱出方法など聞き出せはしないであろうし、
しかも数は多く、潰そうなどとすれば骨が折れるだろうと思われた。
その為だろうか、ブリーチャーズは櫓の周囲の彼らを避け、迂回して坂道の頂上を目指すことにしたようだった。
ちなみに祈の履いている風火輪には留め具がついており、
これを下げるとホイールが回転しないよう固定することができ、坂道などでも歩けるようになるのである。
 お助けキャラと思しき男の言葉に従って進みゆくブリーチャーズは、
くねくねとした妖怪達に気付かれることなく坂道の中途までやってきた。
このまま順調にいくかに思われたが、坂の上から一体の白いくねくねした妖怪が歩いてくる。
それは、まるでこちらを認識していないかのように、
上半身を躍らせるようにくねらせながら麓の櫓か掘っ立て小屋を目指し、下っていく。
祈は視線をその妖怪に合わせぬようにしながら、その横を何事もなく通り過ぎた。
ああ、良かった。何もなかった。このまま坂道の頂上へ進めば、迎えと合流できる――。そう思った矢先。

《¥「@・。pmぬytrvべでrftgぬhyじm、おp!!!!!!!!》

 それは突如後方から大音量で聞こえてきた。声にならぬ声。言葉ではない言葉。
(なんだ!?)
 思わず祈が振り返ると、先程のくねくねした妖怪がその音源のようであった。
その大音量に気付いたのか、麓に見えるくねくねとした妖怪達がぴたりと動きを止めた。
そしてぎゅるりと、頭と思しき部分をこちらへと向けてくる。
この音は警報だった。気付かれてしまったのだ。
 同時に麓の掘っ建て小屋の引き戸が勢いよく開く。そこから巨大な頭が次々に飛び出してくる。
それらは、1メートルは在ろうかという巨大な頭に見合わない小さな体躯を持った歪な人型の妖怪達で、
恐るべき速度で、ブリーチャーズを目がけて駆けてくるのだった。

《オッ!オッ!オオオオッ、オオオ!オオオオオオオオオオオオオオオ!!!》
 
 雄叫びに似た、不気味な奇声をあげながら殺到する巨大な頭の妖怪達。
 ざっと見て20か30体はいるだろうか。その後方には大量のくねくねとした妖怪も続く。
しかも先程から意識を向けないようにしていた《テン……ソウ……メツ……》という声も俄然強くなってきているのがわかる。
巨頭の妖怪達、くねくねとした妖怪達、そして謎の言葉を繰り返す声。それらは完全にブリーチャーズを狙っていた。

「これ急がないと死ぬやつだ……!」
 ブリーチャーズは死ぬ気で走り、坂を上らざるを得ない。
万全の状態ならばともかく、猿夢との戦闘で消耗したブリーチャーズがこの数をまともに相手にするのはあまりに危険だった。
しかも巨頭は、ねじ伏せてもねじ伏せても掘っ立て小屋から無尽蔵に湧いてくる。これではきりがない。
「くそっ」
 追い縋ってきた巨頭の妖怪を蹴り落とし、
ボウリングのボウルでピンを弾き散らすように、後続の巨頭の妖怪達にぶち当てて距離を稼ぎながら、祈は呟く。
 そうして駆けに駆けて、なんとか坂道を登り切ったブリーチャーズを迎えたのは、大岩だった。
この山を穿って作ったと見えるトンネルの出入口――唯一の道を大岩は塞いでおり、
ブリーチャーズを阻んでいる。
 トンネルの先にこそ出口があるやも知れない。その先に迎えが来ているのかもしれない。
だというのに、大岩は尾弐やポチの力を以てしても砕くことや退かすこと叶わない。
ここは完全な行き止まりになっていた。

195多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/12/06(水) 20:37:48
 前方に大岩。後方には巨頭の妖怪やくねくねした妖怪、謎の声が迫ってきている。
これではいずれ、殺されてしまうだろう。
 坂道に上って行けば迎えと合流できる筈だったのに。
どこかで道を間違えたのだろうか。いや、ここまでは一本道だった。ここで合っている筈だ。それなのに。
恨めし気に見た所で、しかし大岩は退いてはくれはしない。
 こんな所で自分達は死んでしまうのだろうかと、そんな絶望にも似た予感が瞬間過ぎる。
 しかし。
>『そこから出て、元の場所に戻るんだ。君が本来いるべき世界に……そして、君の心を。大切な人に話すといい』
>『そうすれば。君は今よりもっと、ずっと――絆を深めていくことができるだろう……』
 男の声と、
>「帰ってからお祖母ちゃんに聞くんだ」
 ノエルの声が蘇る。
(いやだ。絶対ここから出るんだ。そして話をするんだ……あたしはッ!)
 こんなところで死んでたまるかと、祈の目に生気が満ちる。
だがどうしたらいい。そう思い、辺りを忙しなく周囲を見渡す祈だが、ここには何もない。
あるのはただ地面とそこに鎮座する大岩のみで、この大岩が自分から動いてくれでもしない限りは――。
そう考えた時、祈の脳裏に閃きがあった。
「……っ、尾弐のおっさん! 『下だ』! 大岩の下の地面を掘るんだ! そしたら勝手に岩は退いてくれる……と思う! 多分!」
 逡巡しながらも、祈はここでようやく、まっすぐ尾弐を見た。
そして地面を蹴って見せる。すると地面に車輪の跡がついた。
祈が蹴っただけで跡がつくと言うことは、これは土や泥や砂などで構成された、ただの地面ということだ。
5メートルを超える大岩は動かすことはできなくとも、大岩の下の、ただの地面ならばその限りではない。
これをもし崩すことができたならば。
 ただでさえここは坂道の頂上で、地面には僅かながら傾斜がある。
そこで大岩の下の地面をノエルの氷の刃で削ったり、獣(ベート)の力を受け継いだポチの剛力で抉り取ったり、
尾弐の浸透剄などの衝撃で吹き飛ばしてしまえば、更なる傾斜が生まれる。
そうすれば自らを支える地面を失い、バランスが崩した大岩は勝手に滑落するか転がり落ち、
そして転がり落ちる大岩は、迫りくる妖怪達を一網打尽にしてくれるだろう
(頑丈な妖怪達のようだからこれぐらいではくたばるまいが)。
転がる程でなくとも、大岩の真下の地面を崩したことでトンネルと大岩との間に人が一人通れるぐらいの隙間でもできれば万々歳だ。
 何故この妖怪達が、坂道を上るブリーチャーズに死に物狂いで襲い掛かるのか、
という疑問や一抹の不安はあるが、生き延びる為には、今はこれしか考えられなかった。
 祈は尾弐から迫りくる妖怪達へと向き直り、立ちはだかる。
尾弐や仲間達がどのような選択をするのであれ、時間を稼ぐ必要があると思ったからだった。
妖力は底を尽きかけているが、今こそそれを振り絞るべき時だろうと。
そして、祈の手には。
「桃には邪気を払う力があるって言われてんだってな」
 桃が握られていた。
先程の無人販売所から失敬してきたのである。
異世界の物を持って行くのはNGだが、しかし迷い家のように逆に持って行く方がプラスになるパターンも存在し、
あの駅員が置いてくれたものなのだからきっと悪いものではない、そう思って持ってきたのだ。
尾弐が以前持ってきてくれたのが桃であり思い出深く、尚且つ抗いがたい魅力を感じたのも理由にあるが、ともかく。
 祈は桃を、勿体ないと思いながらも妖怪達に向けて放り投げる。
イザナギが迫りくるヨモツシコメを桃や葡萄やタケノコで追い払ったように、桃に邪気を払う力があるのなら、と。
桃は地面に落下すると、迫りくる妖怪達の方へと転がっていくのだった。

【祈、大岩の下の地面を崩して大岩を滑落させることを提案。
更に、仲間達がどのような選択をするのであれ、選択し実行するまでの時間を稼ぐ為、迫る妖怪達の前に立ちふさがって見せた。
それから時間稼ぎになるかと思い、桃(無料)を投擲してみる】

196御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2017/12/08(金) 06:11:07
>「ごめん、手間かけて」

個室から出てきた祈を抱きしめていると、急に彼女が体を硬直させたような気がした。
今は乃恵瑠の姿なのでとっさに女子トイレに入ったのだったが、少なくとも橘音以外の認識ではノエルは時々女装する男である。

「いや、その……どうも姿が変わりにくいしかといってこの格好で男子トイレは気が引けるし……」

と小声で言い訳を繰り広げるノエル。どうせ誰もいるわけないのだから男子トイレでも全然問題無いとは思うが。
せめて巨乳に顔をうずめさせてあげることができれば力押しで女子トイレ入室許可判定をもらえるかもしれないが、(※そういう問題ではない)
生憎乃恵瑠は残念もといスレンダー系である。
乃恵瑠は毛玉の妖怪を洗濯機に放り込みたい謎の衝動に駆られた。
祈は結局それに関しては何も言わずにノエルに手を引かれて皆の元に戻るのだった。
ノエルの提案に対し、尾弐は行くなら自分が先導すると心強い言葉を返す。

>「……微妙な所だな。どうみても誘蛾灯だとおもうが、逆に言やぁ潰せば夢の強度も落ちる弱点とも言える。
まあ、幸いここは『きさらぎ(鬼)駅』だ。俺をどうこう出来る相手もいねぇだろうし、その方針で動くならオジサンが先導するぜ」

続いて、意外にも祈が意見を述べ始めた。
その胸中は計り知れないが、とりあえず普通に会話出来る状態になったことにひとまず胸をなでおろす乃恵瑠。

>「祭囃子の方へ行くのは賛成だけど、突っ込むのは反対」
>「祭囃子の方へ行くと、櫓と提灯が見えてくる」
>「その櫓の脇をすり抜けて、まっすぐ進む。なるべく走る。その時、櫓の周りで踊っているやつを見たらだめ」
>「まっすぐ進むと坂道になってて、そこをのぼる。途中で何か聞こえても耳を貸したらだめ」
>「坂道を登り切ったら迎えが来る。その迎えと合流すれば……元いた場所に帰れる」

「その情報、いつの間にどうやって仕入れたの……!?」

まるで預言者のような発言に乃恵瑠が驚きながら尋ねると、祈はこう続けるのだった。

>「……って、お助けキャラっぽい人が言ってたよ。突っ込むか迂回するかは任せた」

お助けキャラらしき者は見当たらなかったが、自分が行くまでの僅かな時間に祈に情報を与えた者がいたのだろうか、等と思う。
しかし罠でないとも限らない、鵜呑みにするのは危険かもしれない。

「とりあえず祭囃子の方に行ってみて様子を見てどうするか考えよう」

197御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2017/12/08(金) 06:14:02
駅を出ると、無料の無人販売所のようなものがあった。
桃とブドウとタケノコという組み合わせを見た乃恵瑠は創世の神話の一節を思い出し
鞄に入るだけしまいながら皆にも声を掛ける。

「ご自由にどうぞらしいし持てるだけ持っていくんだ。
さっきバナナに猿が群がったのと同じようなことが出来るかもしれない。
美味しそうだからってくれぐれも食べないように。帰れなくなったらいけないから」

美味しい物を投げて敵がそれに群がってる間にどうにかするという戦法はこの国の原初から存在する由緒正しき戦法なのだ。
乃恵瑠はこれを“オヤツをくれてやる戦法(派生)”と名付けることにした。
(ちなみに本来のオヤツをくれてやる戦法は何の小細工も無しに敵の口に毒物を突っ込む戦法である)
そうして祭囃子の方に進んでいくと、その実態はくねくね達の乱舞であった。
それを見た乃恵瑠の中で、祭囃子に突撃するという可能性は瞬時に消え去ったのであった。
あれは種族自体が妖壊とでもいうべきか、言葉が通じないし知性を持っているかも不明な部類の者達である。
締め上げたところで情報が聞き出せるはずもない。

「あのくねくねしてる奴らはあんまり見ないようにね。もしあれの正体が分かってしまったらバカになっちゃうらしい」

人間界にきてまだ数年ながらもオタク属性を遺憾なく発揮し、皆に注意を促しながら坂道を登っていく。
お囃子の中から聞こえる《テン……ソウ……メツ……》の声に気付き、種族レベルの宿敵の気配に僅かに顔をしかめる乃恵瑠であった。
前方から歩いてきたくねくねを何とかやり過ごしたと思った矢先――

>《¥「@・。pmぬytrvべでrftgぬhyじm、おp!!!!!!!!》

「はあ!? 普通にすれ違っといて何今更気付いてんの!?」

掘っ立て小屋の扉が開き、そこから大量の巨頭が飛び出してきた。

>《オッ!オッ!オオオオッ、オオオ!オオオオオオオオオオオオオオオ!!!》

大量の雑魚を相手にするのは、メンバーで唯一範囲攻撃妖術を持つ自分が適任。そう思った乃恵瑠は進み出ると。

「――エターナルフォースブリザード!!」

超上級者にのみ許される詠唱破棄のエターナルフォースブリザードを放った!
詠唱が面倒になっただけじゃないかというツッコミは禁止である。何はともあれ、巨頭達は氷結して砕け散って死んだ。

198御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2017/12/08(金) 06:15:55
「楽勝楽勝! ――妾を誰と心得る! ……ん?」

勝利宣言をしているそばから、掘っ立て小屋から次々と新しい巨頭が飛び出してくる。

>「これ急がないと死ぬやつだ……!」

「……これ無限に沸いてくるやつじゃん。きっと逃げ切ったら勝ち系のイベントだ。
つまり逃げろおおおおおおおおおおおお!!」

迎え撃つから逃げ切るに方針を切り替え、坂の上に向かって走り出す。
巨頭の後ろには大量のくねくねが控えている。
なんとなく物理攻撃は効きにくそうな上に、当たったらバカになる光線とかMPを吸い取る謎の踊りとか繰り出してきそうだ(勝手なイメージ)
追いついてきた巨頭を退けつつなんとか坂を上り切った一行。
しかし彼らを待ち受けていたのは、トンネルを塞ぐ大岩だった。

「そんな……!」

場は一瞬絶望的な空気に包まれかけたが、祈が何かを閃いたようだ。

>「……っ、尾弐のおっさん! 『下だ』! 大岩の下の地面を掘るんだ! そしたら勝手に岩は退いてくれる……と思う! 多分!」

幸い地面は岩盤などではなくただの地面のようで、岩の接地面に尖った氷柱を打ち込むと、その部分が穿たれて隙間が出来た。
とはいえ、勝手に岩が動き出すほどまで広範囲に掘っていては追いつかれてしまいそうだ。

「ポチ君、これが差し込めるぐらいまでお願い!」

乃恵瑠は長めの砕けない氷の板を作り出した。大きな岩をてこの原理で動かすのはよく行われることだ。
これを岩の下に差し込めるほどの隙間が出来れば、あとは尾弐の怪力でなんとかなるかもしれない。
そして犬は穴掘りをするイメージがあるので、ポチは地面を掘るのは得意かもしれないと思ったのだった。
そして祈は迫りくる化け物達の方に向き直り、時間稼ぎをする役を買って出たのだった。
尾弐が怪力で敵を食い止めている間に俊足の祈が活路を開くいつもの構図とは逆パターンである。
今は尾弐の怪力が活路を開く方にこそ必要と思ったのだろう。
しかし、妖力の尽きかけた祈に一人でその役をさせるわけにはいかない。
無尽蔵に出てくる巨頭や何をしてくるか分からないくねくねはもちろんのこと、今のところ声が聞こえてくるだけの山神も油断できない。
あの邪悪な山神は近頃はヤマノケ(山の怪?)と呼ばれていて、人間が取りつかれたなどという噂が後を絶たないのだ。
とにかく、近づいてくる敵はエターナルフォースブリザード(相手は死ぬ)するまでだ。

>「桃には邪気を払う力があるって言われてんだってな」

「うん。とりあえずオヤツをくれてやる戦法だ!」

祈が桃を投げるのを見て、乃恵瑠はぶどうとタケノコを投げた。
「どれが効くか分からないからとりあえず全種類投げてみよう作戦」である。

199ポチ ◆CDuTShoToA:2017/12/13(水) 04:51:03
ポチが尾弐を見上げる。
右手で自身の顔を覆い隠し、黙り込んでいた彼が、その手を外し目を開いた。
そしてポチの頭を軽く……あるいは力なくか、撫でる。

>「ありがとな、ポチ助。お前さんの言う通りだ……だけど悪ぃ。俺は、そんな当たり前の事ができねぇんだ」

「……尾弐っち?」

不出来な作り笑いを浮かべる尾弐は、今まで彼から感じた事のないにおいを纏っていた。

>「……あの赤マントの奴は、嘘は言ってねぇ。俺は、確かに俺の意志で嬢ちゃんの両親を殺す選択をした。経緯はどうであれ、それは紛れも無い事実だ」
>「そうだ。あの二人が揃って生きる道は、確かにあった。それを知ったうえで、俺はその選択を取らなかったんだ」

違和感はにおいだけではなかった。
その言葉も。彼がこんなにも曖昧な……何の意味もない、言い訳を口にした事など、一度だってなかった。
……そんな事言ってたって、何も変わらない。状況を変えないと。
思い浮かんだその言葉を、しかしポチは口を噤み、飲み込んだ。

>「事実が変わらねぇ以上、死の詳細を知った所で救われる事なんて何一つねぇ。だから……いや」

理解したのだ。理解するまでに時間がかかった。
尾弐はいつも頼れる存在だった。
肉体がどれだけ傷めつけられようと、彼が怯むところなど見た事がなかった。
だから時間がかかった。
彼の心は、その皮膚ほど頑丈ではなくて。
かつて傷を負い、今再びその傷を再び抉られ、血を流しているのだと。
そう理解するまでに。
……ポチは自分の頭に置かれた手のひらが、いつもと違ってひどく小さく感じていた。
もう、ポチに言える事は何もなかった。

>「そういえばアイツ、通常の手段では脱出不可能って言ったよね。
>裏を返せば前例がないことをやりまくれば脱出できるんじゃないかな?
>例えば、祭囃子やってる人たちに突撃するとか――」

ノエルがトイレから帰ってくる。祈も一緒だ。

>「……微妙な所だな。どうみても誘蛾灯だとおもうが、逆に言やぁ潰せば夢の強度も落ちる弱点とも言える。
  まあ、幸いここは『きさらぎ(鬼)駅』だ。俺をどうこう出来る相手もいねぇだろうし、その方針で動くならオジサンが先導するぜ」

やはり尾弐はこれ以上、先ほどの話を続けるつもりはないようだった。

>「祭囃子の方へ行くのは賛成だけど、突っ込むのは反対」
 「祭囃子の方へ行くと、櫓と提灯が見えてくる」
 「その櫓の脇をすり抜けて、まっすぐ進む。なるべく走る。その時、櫓の周りで踊っているやつを見たらだめ」
 「まっすぐ進むと坂道になってて、そこをのぼる。途中で何か聞こえても耳を貸したらだめ」
 「坂道を登り切ったら迎えが来る。その迎えと合流すれば……元いた場所に帰れる」

けれども祈は祈で、どうやら落ち着きを取り戻しているように見える。
ノエルは一体どのような話をしたのか……と、
事の顛末を知らないポチは彼ほど上手く出来なかった事を悔みつつ、思考を切り替える。
少なくとも上辺はいつものブリーチャーズに戻った。
ならば次に考えるべきは、この『きさらぎ駅』からの脱出方法だが……。

>「その情報、いつの間にどうやって仕入れたの……!?」
>「……って、お助けキャラっぽい人が言ってたよ。突っ込むか迂回するかは任せた」

祈にはその心当たりもあるらしい。
情報源はお助けキャラっぽい人と曖昧だが……

「いいじゃん、行ってみようよ。きさらぎ駅はよく分かんないけど、
 元のお話から遠ざかる感じならその方がいいんじゃないかな」

案外信じられそうだとポチは思っていた。

200ポチ ◆CDuTShoToA:2017/12/13(水) 04:52:21
ポチは猿夢もきさらぎ駅も知らないが、妖怪だ。
夜の闇を、逃げ切れぬ脅威を、存在しないモノへの恐怖を原典とする妖怪。
だから怪異の仕組みがなんとなくだが分かる。
恐怖を基とするモノは少なからず、決して全てではないが救いが伴う。
完全な恐怖、逃れようのない破滅など誰だって願い下げなのだ。
何か助かる道があって欲しいと、そうあれかしと望まれる。

>「とりあえず祭囃子の方に行ってみて様子を見てどうするか考えよう」

「……ん、待って、このにおい」

方針が定まり駅を出ると、すぐにポチが皆を呼び止めた。
道の脇に視線を逸らすと、粗末な作りの小屋があった。
無人販売所だ。桃とブドウとタケノコが、ご自由にどうぞと並べられている。

>「ご自由にどうぞらしいし持てるだけ持っていくんだ。
  さっきバナナに猿が群がったのと同じようなことが出来るかもしれない。
  美味しそうだからってくれぐれも食べないように。帰れなくなったらいけないから」

「あ、お腹空いて見てた訳じゃないんだね」

さておきブリーチャーズ一行は祭囃子の方へと歩いていく。

「……なんだか、いやーな雰囲気になってきたね」

悲鳴のような笛の音に、ただ無闇矢鱈と叩き付けられるだけの太鼓の音。
そして櫓の周りを回り続ける……何か。

>「あのくねくねしてる奴らはあんまり見ないようにね。もしあれの正体が分かってしまったらバカになっちゃうらしい」

「それってにおいを嗅ぐのもやばいかな。見るのとどっちが不味いんだろ」

敵に関する情報を得る為に、ポチは視覚以上に嗅覚を用いる。
もし、くねくねのにおいを知る事も「正体を知る」に含まれたら。
とは言え今からずっと鼻を使った索敵を封じるというのもリスキーだ。
脅威はくねくねだけではない。
櫓の周りに建った小屋はにおいなんか嗅がずとも嫌な予感がするし
……それ以外にも、悪寒を誘う気配がこの場には紛れている。

「……ちょっと、試しとこうかな」

一呼吸ほどの逡巡の後、ポチは目を閉じ、鼻で息を吸い込む。

「っ……やめときゃよかった、頭がピリピリする。
 ……けど、まぁ輪郭くらいは掴めそうかな。
 行こう……けど気を付けて、ああいや、前は見ないで。地面を見てて」

前方から接近する新たなにおいを察知して、ポチが視線を下ろす。
そのままくねくねとすれ違い、歩き続け……

「……なんか、やな予感がしてきた」

背後のにおいが止まっている事にポチが気付いた。
獣の感性が、自分が今見定められている事を告げている。

「前には何もいないよ。今んとこね、だから」

>《¥「@・。pmぬytrvべでrftgぬhyじm、おp!!!!!!!!》
>「はあ!? 普通にすれ違っといて何今更気付いてんの!?」

「走って!なんか色々やばい!」

追ってくるにおいは一種類ではない。
くねくねを直視しないよう気を付けつつ振り返ると……ポチはその注意が無用のものだったと理解する。

>《オッ!オッ!オオオオッ、オオオ!オオオオオオオオオオオオオオオ!!!》

くねくねの群れが見えなくなるほどの大群。
頭だけが異様なまでに巨大な人型の怪異がブリーチャーズを雪崩れのように追ってくる。

201ポチ ◆CDuTShoToA:2017/12/13(水) 04:52:46
>「――エターナルフォースブリザード!!」
 「楽勝楽勝! ――妾を誰と心得る! ……ん?」

ノエルの妖術が巨頭の群れを一掃するも……すぐに増援が現れる。

>「これ急がないと死ぬやつだ……!」
>「……これ無限に沸いてくるやつじゃん。きっと逃げ切ったら勝ち系のイベントだ。
  つまり逃げろおおおおおおおおおおおお!!」

「倒すだけ無駄か……でも足止めはしないとね」

ポチが身を翻し、同時に人型に変化。
宙返りを打って皆に前を譲り……そのまま巨頭の群れへ。
見るからにアンバランスな体だ。
最もやりやすい位置にいた一体、その額を蹴りつけた。
体勢を崩した巨頭が坂を転げ落ちる。後続達を巻き添えにしながらだ。

「転んだな……ってカッコつけても、この数相手じゃなぁ」

送り狼の本領と、ロボの姿を取る事で発揮出来る『獣(ベート)』の片鱗。
それらを以ってしてもこの巨頭とくねくねの群れを全滅させる事は出来ないだろう。
そもそもここはまだ夢の中で、さっきの猿夢同様、数に限りがない可能性もある。
それでも何もしないよりはマシかと、手近な巨頭を追加で坂から蹴落としておく。

「よし、行って!どうせキリがなさそうだし、今の内に振り切っちゃおう!」

ポチは巨頭の足止めを続けながら叫ぶ。
自分の機動力なら一気に距離を開ける事は容易いし、体力的にも一行の中では余裕がある方だ。
だから殿を務め……蹴落とした巨頭が十を超えた頃合いで、皆を追って坂を駆け上る。
だが坂の上で待っていたのは、呆然と立ち尽くす皆の背中。
何故立ち止まっているのか、理由はすぐに分かった。
岩だ。巨大な岩が道を、トンネルの出入り口を塞いでいる。
背後を振り返る。巨頭達が、くねくねが迫ってきている。
それに正体不明の、だが確実に脅威である何かの声も。

「お、尾弐っち!一緒に押そう!早くどかさないと……!」

だが押せども引けども岩はぴくりとも動かない。
それでも必死にポチは岩を動かそうと試み続ける。
岩の下の潜り込んで全身で押して、それでも駄目なら体ごとぶつかって。
しかし、動かせない。
……ポチが、巨頭の群れを振り返った。
飛び込めば、少しは時間を稼ぐ事が出来る。
逃げ道は一つじゃないかもしれない……そんな考えが、脳裏をよぎる。
……だがそれはほんの一瞬だけだ。
ポチはすぐに頭を振って、ブリーチャーズの皆を振り返る。

「……なんとか、ならないかな」

思い出したのは、シロの言葉だった。
皆さんの言う事をよく聞き、決して独断で動かないよう……。
その通りにした。どうにもならなければ、その時は自分が少しでも時間を稼がなくてはならない。
だがそれは……皆の言葉を聞いてからでも遅くない。

>「……っ、尾弐のおっさん! 『下だ』! 大岩の下の地面を掘るんだ! そしたら勝手に岩は退いてくれる……と思う! 多分!」

「あっ……!そっか!」

果たして、祈は妙案を閃いた。
ポチが敵の群れに飛び込んでいれば、かえって彼女を焦らせるだけの結果になっていただろう。

202ポチ ◆CDuTShoToA:2017/12/13(水) 04:54:08
>「ポチ君、これが差し込めるぐらいまでお願い!」

「あぁ、任せといて!」

応えるや否やポチは一心不乱に穴を掘る。
送り狼の力に、『獣(ベート)』の片鱗。
更には「ここ掘れわんわん」という、そうあれかし。
固い土をまるで豆腐のように掘り返しているポチだが……その表情には未だに焦りが浮かんでいる。
理由は、声だ。
絶え間なく響き続ける《テン……ソウ……メツ……》の声。
その正体、原典をポチは知らない。
だが既に理解はしていた。

>「桃には邪気を払う力があるって言われてんだってな」
  「うん。とりあえずオヤツをくれてやる戦法だ!」

「掘れた!けど……そのやり方だけじゃ駄目だ、ソイツだけは!」

十分な穴を掘り終えたポチが振り返り、叫ぶ。
《テン……ソウ……メツ……》の声の主。
送り狼であるが故に、神使である狼を原典とするがゆえに理解できるその正体。
山神。邪悪な怪異として認識されていたとしても、それでも山神は山神。
追い祓えると油断していれば、万が一の事が起きてしまうかもしれない。
だが、つい今さっきまで穴を掘っていたポチに出来たのは叫ぶ事だけ。
体勢が悪いのだ。体ごと向き直り、力を溜め、地を蹴るまでには一呼吸ほどの時間がかかる。
ポチが祈とノエルを見て……そしてその視線は尾弐へと行き着いた。

「……尾弐っち!早く!!」

尾弐を急かすその言葉だけで、ポチには精一杯だった。
何を、どうして欲しいのかも言えていない、その言葉だけで。

203尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2017/12/17(日) 02:40:25

>「祭囃子の方へ行くのは賛成だけど、突っ込むのは反対」
>「祭囃子の方へ行くと、櫓と提灯が見えてくる」

ノエルと共に戻って来た祈。彼女は、先程のふさぎ込んだ様子と比べて随分と持ち直した様だ。
少なくとも、真剣な様子で『聞いてきた』という、祭囃子へと向かった場合の指針を語るその姿は、
触れるだけで壊れてしまいそうなものではなかった。

割り切った……訳ではあるまい。尾弐は、祈に何も語っていないのだから。
ポチの言った通り、真正面から向き合う事をしないままでは、感情とは完結しないものだ。
きっと、今も祈の胸中では尾弐に対する不満と不信が芽生えている事だろう。

だが、それでも……暗い感情を覚えながらも、祈は彼女の中の何かを信じて再び顔を出した。
そして、今一度先に進むことを語った。
平坦な声で言葉を紡ぐ祈に、尾弐は祈の瞳を見る事無く答える。

「そうかい。なら、早々に向かうとするか……覚めねぇ夢の結末なんて、ロクなもんじゃねぇだろうしな。
 とっとと起きて、たまにゃラジオ体操でもするとしようぜ」

……尾弐が祈に全ての答えを言わなかった事は、祈の心を慮っての事。確かにそれは事実である。
これまでその成長を眺めて来た、人間で例えるのなら、家族の様な距離感にいる幼い少女の心を壊したくなかった。
故に、祈が大人になるまで――――せめて、尾弐の行為に悪意を以って返せる程に強くなるまでは何も語らない事を、那須野と決めた。

だが、その事実と並行してもう一つ
那須野にすら語っていない事実が存在していた。

それは単純な話だ。誰に聞かれても恥ずかしい滑稽譚だ。
鋼の如き肉体を有し、妖壊に憎悪を燃やし、人間の死は数字としか数えない怪物は。
笑える事にそいつは、自分が切り捨てた――はるか昔の、たった一人の女の死を、未だに割り切れずにいるのである。

那須野との約束とは別に。尾弐が自分自身の感情を割り切れていないから、祈に事実を語る事が出来ない。

無意味に積み重ねた年の功で、見えない傷口から流れ出る血を覆い隠しながら
悲しむ権利も、憤る資格もないというのに、愚かにもいつまでも忘れない事のみを繰り返す。

……それでも尾弐は先の言葉の通り、前に立って歩き出す。せめて自身の役目を果たす為に。

――――

204尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2017/12/17(日) 02:40:59
改札を抜けた先でまず目に入ったのは、田舎で良く見られる無人販売所の様な形状の小屋であった。
販売所といっても、立てかけてある看板に書かれた文句を信用するのであれば配布場と表現した方が近いのかもしれない。
桃や葡萄は瑞々しく、魅力的なものであるが。

>「ご自由にどうぞらしいし持てるだけ持っていくんだ。
>さっきバナナに猿が群がったのと同じようなことが出来るかもしれない。
>美味しそうだからってくれぐれも食べないように。帰れなくなったらいけないから」

「黄泉戸喫(ヨモツヘグイ)……共食の観念を元にした逸話か。良く知ってたじゃねぇか色男。
 死者の国のモノを持っていては出られない。死者の国のモノを口にすりゃあ帰れない。
 果たしてこの夢が何処に繋がってるのかは知らねぇが、此処の住人になりたくなきゃ、食い物も水も口にしねぇ方がいいだろうな」

ノエルが語った通り、ここがどの様な場所であるのかが定かでない以上は、その地の食物を口にするべきではないだろう
尾弐は、ノエルが鞄に筍や桃を詰め込むのを眺め見つつ、猿夢の攻撃でボロボロになった上着を空になった籠の上に置いた。

「用意したのが誰かは知らねぇが、対価は籠に入れとくぜ」

誰に言うでもなくそう述べると、尾弐は小屋から何も持ち出す事無く歩を先に進める。

――――

歩を進め、響く祭囃子が不気味な程に大きくなった頃。
先程祈が語った通り、遠目に櫓が見えてきた。
その周囲には、響く太鼓と笛の音に合わせるかの様にくねくねと蠢く奇怪な人影。

>「……なんだか、いやーな雰囲気になってきたね」
>「あのくねくねしてる奴らはあんまり見ないようにね。もしあれの正体が分かってしまったらバカになっちゃうらしい」

「見る事による呪い……っと。深く考えたら不味ぃんだったな」

『くねくね』。それは都市伝説が口伝からネットロアに切り替わる黎明期に流れた怪異の名称であり、
その内容は田畑でくねくねと蠢く奇怪な人影と、それを見た者に降りかかる災厄を記した怪奇譚である。
尾弐自身はその危険性を良くは知らないが、ノエルの真剣な様子から見て知る事が禁忌である呪いの類と判断し、その群れから意図的に視線を逸らした。

だが、現れた怪異は『くねくね』だけではなかった。
《テン……ソウ……メツ……》と、何処かから鳴り響く声と、櫓の周りにいくつか立っている小屋。

「っ……!? ちっと急ぐぞ。詳しく説明する時間はねぇが、あの小屋が俺の知ってるモノと同じなら、今の状況との噛み合わせが最悪だ――――」

そして、数多居るその怪異達の中でも、尾弐は櫓の周りに建つ複数の小屋に対して強い警戒を示して見せる。
それは、尾弐黒雄があの小屋と類似した物を眼にした事が有るが故の反応であった。
かつての仕事で『巨頭オ』と言う看板の先に在った村でソレと邂逅した時の事と、その際の逃走劇の顛末を思い出し、尾弐は悪寒からの冷や汗を流す。

205尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2017/12/17(日) 02:41:25
……。幸いな事に、櫓を迂回する事で異形共の注意を引く事は避けられた。
異形達は櫓の前で踊り狂う事に夢中で、それ以外に注意を向けられないらしい。
その事に一息つき――――きっと、それが不味かったのだろう。

正面から歩いてきた、一体のくねくねに気付くのが遅れた。
或いはもう少し気付くのが早ければ身を隠す事なり出来たのかもしれないが……しかし、それは後の祭りであった。

>《¥「@・。pmぬytrvべでrftgぬhyじm、おp!!!!!!!!》
>「はあ!? 普通にすれ違っといて何今更気付いてんの!?」

ブリーチャーズの横を通り抜けて行ったくねくねは、ポチが異変を察すると同時に、けたたましい奇声を発した。
そしてそれが―――――百鬼夜行の始まりの合図。

>「走って!なんか色々やばい!」
>「これ急がないと死ぬやつだ……!」

現れしは奇奇怪怪の魑魅魍魎共。
巨大な頭部を持つ人型。白く塗りつぶされたかの様な人型。姿の見えぬ不気味な声。
百とも見える異形の群れが、巣穴から逃げ出す蟻の様に湧き出て東京ブリーチャーズへと追いすがる。

>「くそっ」
>「――エターナルフォースブリザード!!」
>「転んだな……ってカッコつけても、この数相手じゃなぁ」

ノエルと祈、ポチがそれぞれ応戦し、幾何かの数を削るが……しかし、巨頭の化物の増殖数はそれを凌駕する。
同胞の残骸を踏み越えながら、蜘蛛の糸に縋る亡者の様にひたすらに追走を諦めない。

「お前らまともにヤり合うな!こいつらは、合わせ鏡の鏡像みてぇなもんだ!!」

言いながら尾弐は、ノエルが氷結させた巨頭の怪物の内の一体を力任せに蹴り砕き、氷の散弾として接近していた一団に放ち足止めするが
それすらも数秒の時間稼ぎにしかならない。
……かつて那須野と尾弐の二人で巨頭の怪物と戦った時は、周到な準備をした上でおよそ72時間もの間巨頭の怪物を殺し続けたが
数百を超える数を仕留めてそれでも尚、増殖する巨頭の数に押され、撤退する事しか出来なかった。
その時の辛酸を思い返しながら、尾弐は坂道を駆け上がる。
これは殲滅戦ではなく、撤退戦なのだ。
追いつかれた時が敗北の時。故に、走って、走って、走って……

けれど

>「そんな……!」
「っ……!」

逃走の先に待ち受けていたのは、行き先であるトンネルの入り口を塞ぐ大岩であった。

206尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2017/12/17(日) 02:44:53
>「お、尾弐っち!一緒に押そう!早くどかさないと……!」
「ったく、マラソンの次はバーベル上げとか、オジサンに対してハード過ぎるだろ!」

直ぐにポチと尾弐、単純な膂力ではこの場に居る東京ブリーチャーズの中でも上位に位置する二人が岩をどかそうとするが
獣の王の力を宿すポチと、コンクリに埋まった標識をも引き抜く膂力の尾弐の力を合わせても尚、大岩はピクリとも動かない。
尾弐は苦し紛れに拳を叩き込むが、ただの岩であれば即座に瓦礫に変える拳は、大岩に罅一つ入れる事は叶わなかった。

「有り得ねぇ、どんな硬さしてやがんだこの岩――――!」

そうして足掻いている間にも、異形の群れは接近してくる。
刻一刻と近づくタイムリミットに、最後の切り札を使う事が頭を過った尾弐であるが

>「……っ、尾弐のおっさん! 『下だ』! 大岩の下の地面を掘るんだ! そしたら勝手に岩は退いてくれる……と思う! 多分!」
「祈の嬢ちゃん――――ああ。任せとけ」

言葉と共に向けられた真っ直ぐな視線に一瞬たじろぎながらも、尾弐は祈の発言に沿って動く事を決めた。
ノエルが純氷の板を作り、ポチが岩の下の地を掘り返す間に尾弐は静かに呼吸しながら全身に力を滾らせる。

>「……尾弐っち!早く!!」

そして、いよいよ山神の声が耳元で聞こえる程の大声になった時

《テン……ソ「ガタガタうるせぇ有象無象――――こいつらに手ぇ出すなら、地獄にすら逝けると思うなッッッ!!!!!!!!」

尾弐は、先ほど猿夢に負わされた傷口から血が噴き出す程に力を込め、
黒の色彩すら見える程の邪悪な妖気を周囲へとまき散らしながら、聞いたものを震え上がらせる様な怒声と共に、ノエルの作り出した氷の板の端に拳を叩き付けた。
腕力によって土の中へ押し込まれる氷の板。次いで込められた浸透頸が氷の板を伝い、それは上手くいけば氷の板の先端。
トンネルの向こう側で炸裂し、岩を後ろから押す傾斜を転がす為の一押しとなるだろう。

無論、慣れない技術を力技で使えば尾弐の拳とて無事では済まない。
氷を殴った尾弐の拳は砕け、裂けた皮膚から赤黒い血が流れ出るが……今回に限って言えば、尾弐にとってそれは僥倖であった。
尾弐は即座に、振り返る事もせず血塗れの腕を振るう。
血液は赤い水滴となり、回避をしなければポチやノエル、祈。それぞれの皮膚、或いは衣服へと付着する事だろう。

日本の土着信仰において、血とは穢れだ。
まして、悪鬼の血液などとなれば、力の弱い神々にとっては劇物とすら成り得る。
……魔を祓う桃ではダメだというポチの声を聞いた尾弐の判断は、吉と出るか凶と出るか。

207那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2017/12/17(日) 18:20:09
どれほど倒しても、倒しても、巨頭がその数を減らすことはない。
いや、むしろ増えている。相手が強大ならば強大なだけ、その戦闘力を圧倒的物量で押し潰そうとしているかのようである。

《オッ!オッ!オッオッオッオッ!》

巨大な頭を左右に振り、口の端から泡を吹きながら、巨頭が迫る。
ぐねぐねと人間ではありえない方向に関節を動かしながら、くねくねがゆっくり坂道をのぼってくる。
大岩のある坂の頂上はそう広くはない。祈たちが斃す妖壊たちの死体によって、立ち回れる場所も徐々に狭くなってゆく。
このままでは、全滅は必至であろう。

しかし。

>桃には邪気を払う力があるって言われてんだってな
>うん。とりあえずオヤツをくれてやる戦法だ!

祈とノエルが駅前の無人販売所から持ってきた果物と野菜を投げると、それはすぐさま覿面な効果を発揮した。
祈の投げた桃を見た途端、巨頭たちは我先にと桃へ群がった。
今まで執拗に東京ブリーチャーズを狙っていたのは何だったのかと思えるほど、巨頭たちは一心不乱に桃を奪い合う。
また、ノエルの投擲したブドウは瞬時に蔓を伸ばして巨頭とくねくねの身体に絡みつき、その自由を奪い――
タケノコは地面に落ちるや否や成長し、無数の強靭な青竹となって壁を作り妖壊たちの進路を塞いだ。

無人販売所にあった三種の農作物は、いずれもイザナギの冥界譚にてイザナギの命を救った由緒正しい神果である。
尾弐の言う黄泉戸喫の逸話の通り、迂闊に食べればどうなっていたかはわからないが、アイテムとしてはこの上なく有用である。
竹の障壁によって、大岩を退かすのに多少時間ができた。
が、だからといって安心はしていられない。

《テン……ソウ……メツ……テン……ソウ……メツ……》

ずっと聞こえている、不気味な声。それが近付いている。
そして、“それ”はやがて闇の中からゆっくりとその姿を現してきた。

大きさは、さほどでもない。巨頭やくねくねと同じく、人間大の背丈と言えばよいか。
ただ、その姿は奇怪と表現するしかない。
その存在には、首がなかった。
生白い色の肌をした、首のない人間。――いや、脚も一本しかないので人間のシルエットとも違う。
首のないカカシのような姿の何か。その胸元に、老人のような皺くちゃの顔面が貼りついている。
総体、かつて岩手の迷い家で見た一本ダタラのような姿だが、愛嬌のある造作だった一本ダタラよりもずっとずっと禍々しい。
何か人知を超えた悪意だとか、おぞましい悪夢を煮詰めたような、見るだけでも怖気を揮う姿である。
そんな不気味な何かが、皺だらけの顔にニタニタといやらしい笑みを浮かべながら、両手をメチャクチャに振り回してやってくる。

穢れた邪悪な山神――『ヤマノケ』。
この妖壊が、祭りの主。巨頭やくねくねたちの首魁なのだろう。
巨頭とくねくねだけでは不充分と、自らがブリーチャーズを仕留めに出座したということだろうか。

《テン……ソウ……メツ……テン……ソウ……メツ……テン……ソウ……メツ……テン……ソウ……メツ……》

>掘れた!けど……そのやり方だけじゃ駄目だ、ソイツだけは!

ポチが叫ぶ。
巨頭たちが先を争って喰い合っている桃も、身を絡めとるブドウの蔓も、他とは神格を異にするヤマノケには効果がない。
巨頭とくねくねが道を開け、ヤマノケが竹の障壁を掴む。強固な青竹がミシミシと軋む。
このままでは、青竹の障壁も破壊されてしまうだろう。

《テン……ソウ……メツ……テン……ソウ……メツ……》

声が近い。距離はまだ離れているはずなのに、まるで耳元で囁かれているような感覚をおぼえる。

>ガタガタうるせぇ有象無象――――こいつらに手ぇ出すなら、地獄にすら逝けると思うなッッッ!!!!!!!!

勝ち誇ったようにも聞こえるヤマノケの声に対して、尾弐が怒号で応える。
それはまさに鬼神を彷彿とさせるような、すべての邪怪を撃滅せんとする咆哮。
その声量に気圧されたのか、妖壊たちは束の間怯んだ。

208那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2017/12/17(日) 18:21:04
祈が時間を稼ぎ、ポチが大岩の下に穴を掘り。
出来た穴にノエルが作った氷の板を差し込んで、尾弐が梃子の原理でそれを動かす。
先程の険悪な雰囲気が嘘のような、絶妙のチームワークである。
そして尾弐渾身の一撃が氷の板に叩きつけられると、その衝撃は板の反対側で炸裂し、ダイナマイトでも使ったかのように爆発した。

ドドドォォォォォンッ!!!!

耳をつんざく轟音。それでも大岩は厳然とそこに在り、びくともしないように見えたが――。

ぐらり。

やがて大岩はゆっくりと坂道の方向へと傾き、徐々に速度を上げて下り坂の方へと転がっていった。
ブリーチャーズは楽々避けられるだろうが、密集している妖壊たちはそうはいかない。
いまだに桃に気を取られていたり、ブドウの蔓に絡めとられていて身動きの取れない者たちが、大岩に押し潰されてゆく。
もともと坂道が隘路だったということもあり、巨頭とくねくねたちはなすすべもなく転がってゆく大岩の下敷きになった。
そして、ブリーチャーズの目の前には遮蔽物のなくなった洞窟が大きな口を開けている。
祈に助言した駅員の言葉が正しければ、この洞窟の果てに迎えが来ており、現世に立ち戻れるということなのだろう。
とはいえ、簡単には行かない。

《テン……ソウ……メツ……テン……ソウ……メツ……》

大岩の下敷きになって随分減ったとはいえ、巨頭とくねくねは全滅したわけではない。
坂道の下にある掘っ立て小屋から、新たな巨頭が続々と顔を出す。
そして、相変わらず聞こえる不気味な声。ヤマノケもまだ健在らしい。
ブリーチャーズが薄ぼんやりと輝く洞窟の中に入ると、逃さんとばかりに追撃を仕掛けてくる。

《……れろ》

両手をメチャクチャに振り回しながら、一本しかない脚で跳ねながらヤマノケが洞窟を直進してくる。
いつの間にか、《テン……ソウ……メツ……》は別の言葉へと変わっていた。

《いれろ》
《いれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろ》

『入れろ』と言っている。
ヤマノケは女の肉体に好んで憑依する。山は女性に例えられることが多く、山の神であるヤマノケにとって神聖なものだからである。
神聖なものを穢し、破壊することによって、自らの澱んだ力を増す。それがヤマノケの目的なのだ。――よって。

《いれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろ》

今この瞬間、ヤマノケの視線はただひとり。祈にのみ注がれていた。
一応ノエルも現在は女性の姿のはずだが、ノエルには見向きもしない。
……さすがの山神も、変態には憑依したくないということだろうか。
一旦ヤマノケに憑依されてしまうと、追い出すのは至難の業と言われている。
四十九日の間に追い出せなければ、一生追い出せない。その四十九日も、よほどの高僧が法力の限りを尽くさなければ不可能という。
もしここでヤマノケが祈に取り憑くようなことになれば、今のブリーチャーズでは手の施しようがない。

《オッ!オオッ!オ!オオオオオオオオオオ!オッ!》
《いれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろ》

大岩の下敷きにならなかった巨頭たちが、くねくねが、そしてヤマノケが、洞窟内になだれ込んでくる。
ブリーチャーズたちは疲労の極にある。祈も、ノエルも、ポチも、尾弐も、ケ枯れ寸前であろう。
ヤマノケが祈を追い詰める。胸の老人じみた顔に嬉しそうな笑みを浮かべて、祈へ両手を伸ばす。
その皺だらけの枯れ枝のような指先が、祈の身体を捕えようと――。

しかし。

バヂンッ!!

ヤマノケの手が祈に触れる寸前、横合いから飛び出してきた何かがヤマノケを弾く。

《ギ……ギギッ!?》

ヤマノケは眉を顰めると、身軽に後方へ飛び退いた。
邪悪な山神を弾き飛ばしたのは、一枚の札。
そしてどこから現れたのか、いつの間にか祈を守るようにして佇んでいる、ひとりの男。

「……大丈夫かい?家出少女」

猿夢の着ていたような、しかし少しだけデザインの違う制服に身を包んだ二十代後半くらいの男は、肩越しに振り返って祈へそう言った。

209那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2017/12/17(日) 18:26:51
《ギィィィ……ギギッ……》

弾かれた右手を押さえ、ヤマノケが憤怒の表情を浮かべて駅員の男を睨みつける。
しかし、異様な姿の妖壊と対峙しても、駅員は泰然とした様子を変えようともしない。

「わたしの言うことを信じて、ここまで辿り着いたな。偉いぞ……あと一息だ、がんばれ」
「ここはわたしが押さえる、君たちは先へ行け。もう、迎えは来ている」

左手で洞窟の奥を指し示し、男はそう言った。
そうはさせじと、ヤマノケが巨頭の群れに指示し男へと差し向ける。
男は伸ばしていた左手を引き、制服のポケットをまさぐると、中から何枚かの札を取り出した。
そして、素早く両手で印を結ぶ。

「雷は木気に通ず。建御雷之男神に御願奉りて、此処に暴魔羅刹を掃う金鎗を振り下ろさん!急急如律令!」

男が印を結び、呪を唱えると、途端に札から黄金の稲妻が迸った。
雷撃が襲い来る巨頭の群れを、くねくねを焼き焦がし、瞬く間に真っ黒い炭へと変えてゆく。
ヤマノケが不快に顔を歪めるが、男の行動はまだ終わらない。

「紅蓮は火気に通ず。火之迦具土神に御願奉りて、此処に不浄を清める燎原を顕さん!急急如律令!」

男が新たな印を結び終え、札を投擲すると、瞬時に札から激しい炎が放たれ、巨頭たちを足止めする。
それでも何体かの巨頭は炎に焼かれながら男へ迫ったが、男に攻撃を加えることはできなかった。
まるでその場に存在しない幻影か何かのように、巨頭の攻撃は男の身体をすり抜けてゆく。
本当に肉体がないのではない。卓越した体捌きのなせる業だ。
巨頭たちとすれ違いざま、男が常人ではありえない速度で拳足を命中させてゆく。
急所を的確に粉砕された巨頭たちは、なすすべもなくばたばたと倒れた。
尾弐の攻撃が膂力に物を言わせた剛拳なら、男の攻撃は必要最小限の動きで敵の急所を突く柔拳であろうか。

《いれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろォォォォ――――――――――!!!!》

業火を乗り越え、ヤマノケが男へと飛びかかる。
しかし、男はあべこべにヤマノケの右手首をがっしと掴むと、制帽のつばの奥から鋭い眼差しでヤマノケを睨みつけた。

「禍々しき神よ。山の怪(やまのけ)よ――」
「生憎だが、この子には指一本触れさせん。まして、中に入るなどもっての他だ」
「おまえはこれからもここにいろ。ずっとだ……わたしが祭壇を拵えてやる」

決然とした様子で、男が告げる。
その声も、容姿も。身のこなしも、札を使った業も、ノエルやポチ――そして祈にとっては初めて見るものである。
だが、尾弐だけはそれに見覚えがあるだろう。
苦い記憶として、今も鮮明に脳裏に焼き付いているその声。忘れ得ぬその顔――。

ヤマノケが男の手を振り払い、狂ったように両腕をばたつかせて暴れ出す。
巨頭とくねくねが数に任せて男へ群がる。

「地霊は土気に通ず。大己貴神に御願奉りて、今ぞ石筍よ起れ!急急如律令!」

男の印により地面が隆起し、土でできた無数の鋭い棘が妖壊たちを刺し穿つ。
いっとき男は振り向くと、祈の顔をじっと見つめた。

「……仲間たちを信じなさい。最後まで……その想いが君を強くする、希望を切り拓く――忘れるんじゃないよ」

祈にそう言うと、男は小さく微笑んだ。優しい、温かな笑顔だった。
それから男は尾弐の方を向くと、

「黒雄さん、この子をよろしくお願いします」

そう言って頭を下げ、単身ヤマノケたちへと突進していった。

「わたしがバケモノどもを押さえている間に行くんだ!時間がない……振り返らず走れ!」

210那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2017/12/17(日) 18:29:24
洞窟は長く、一本道ではあるが曲がりくねっており、ブリーチャーズはしばしの間歩くことを余儀なくされた。
そして、その長い洞窟の果てに――

四人はまたしても、大岩が道を塞いでいる光景に遭遇した。
今度の大岩は洞窟入口の岩に輪をかけて大きい。岩と言うよりは岩盤と言った方がよいレベルだ。
むろん、持ち上げたりずらしたりすることなどもっての他である。
また、地面も先程と違って硬く、ポチの爪をもってしても掘削するのは困難であろう。

背後からは、なんの物音も聞こえてこない。追手の姿もない。
洞窟の入り口で、男がまだヤマノケたちを相手に持ち堪えているということの証左であろう。
しかし、それもどれほど持つかわからない。
いずれにしても、この大岩を何とかしない限りは先へ進めず、ブリーチャーズに生還の手段はないのだ。
このまま手をこまねいているしかないのか――そんなことを考えるも、不意に四人の耳に声が響いた。

――れて。

――離れて。

――離れてください!

その声はごく小さな、か細いものだったが、四人にははっきりと聞こえたことだろう。
四人が大岩から離れると、ほどなくして洞窟が鳴動を始め、足許がぐらぐらと揺れた。
まるで地震だ。天井からパラパラと飛礫が落ちてくる。
地震はどんどん強くなってゆく。このままでは地震によって洞窟が崩落し、四人は生き埋めになってしまうかもしれない。

と、思ったが。

ドッゴォォォォォォォォン!!!!!

轟音と共に、鎮座していた大岩に亀裂が入る。次の瞬間大岩はバラバラに砕け散り、形を失って崩れ去った。
障害物を失った洞窟の前方から、眩い光が差す。――地上の光だ。
そして、濛々と立ち込める土煙と火薬のにおいの中、崩れた岩の上に立つひとりの人影。
逆光のため、その顔かたちをはっきり確かめることはできなかったが、そのシルエットが何者であるのかを雄弁に物語っている。
学帽にマント、長い髪。

「いや〜ははは、ギリギリで間に合ったみたいですね!」

聞き慣れた、明るい笑い声。

「怖い夢を見たようですね。でも、安心してください――夢は。覚める時間ですよ」

逆光を背負った、真っ黒なシルエットのまま。
それは、ブリーチャーズへと白手袋に包んだ右手を差し出した。

*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-**-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*

祈、ノエル、ポチ、尾弐の四人は、それぞれ前夜自分が眠った場所で目を覚ました。
猿夢との激闘や、ヤマノケたちとの撤退戦で負った傷は跡形もない。最初から存在しなかったかのように消えている。
ともすれば、猿夢やきさらぎ駅での出来事はすべて本当にただの夢でしかなかったのか――とさえ思えてしまう。
外に出ても、何も変化はない。いつも通りの日常。いつも通りの東京の光景が広がっている。

そうだ。

きっと、夢だったのだろう。日々の戦いに慣れきった頭が、夢の中でまで戦いを始めてしまったのに違いない。
その証拠に身体には怪我もなく、目の前には前日と何ら変わらない世界が広がっている。

そう、何も。なにひとつ変わらない――




那須野橘音が事務所にいない、その一点を除いては。

211那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2017/12/17(日) 18:32:11
都内某所の雑居ビル。一階のフローズンスイーツショップ『Snow White』の脇にある、下り階段をおりた先。
そこに『那須野探偵事務所』という看板を掲げた、橘音の塒がある。
事務所の扉を開くとすぐに応接室になっており、そこが東京ブリーチャーズのたまり場になっているのだが、今はガランとしている。
トイレにも、バスルームにも、そして寝室にも橘音の姿はない。
応接室の奥、ブラインドカーテンのかかった窓を背にして据えられている所長のデスク。そこが橘音の定位置だった。
橘音はいつもそこに座ってパソコンに向かっていたり、アイスクリームを食べたりして過ごしていたのだ。

そんな橘音のデスクの上に、封筒が一枚置いてある。
表には『東京ブリーチャーズの皆さんへ』の文字。
封を切り、中を改めると、便箋に手書きでメッセージがしたためられていた。

212那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2017/12/17(日) 18:37:54
『 親愛なる東京ブリーチャーズの皆さんへ

 おかえりなさい。
 皆さんが無事に黄泉比良坂から帰ってこられて、本当によかった。
 そう。アナタたちは東京ドミネーターズによって、本物の黄泉比良坂。現世と冥府の境界に送られてしまっていたのです。
 危ういところでしたが、皆さんひとりの欠員もなく戻ってこられて何よりでした。

 話は変わりますが――
 大変勝手かつ突然ながら、ボクは皆さんにお別れを言わなければいけません。
 ボクは罪を犯しました。
 罪は購われなければならない。購われない罪など、あってはならない。
 ボクは裁かれる必要がある。
 
 連絡のつく関係者には、あらかじめ事情を話しておきました。
 あとは、アナタたち四人だけです。

 ノエルさん。
 ボクのことをともだちと思ってくれて、ありがとうございます。
 ボクも、ノエルさんのことをかけがえのないともだちだと思っています。
 でも。それも今日までです。もう、アナタとボクはともだちじゃない。いいや、最初からアナタとボクに付き合いなどなかった。
 アナタとボクは、互いに見ず知らず……そういうことでお願いします。
 アナタは次の雪の女王。日本の、いいや――この世界すべての雪妖を統べる者。
 そんなアナタに、罪人の友人なんてものがいていいはずがない。
 アナタの母上がお待ちです。故郷へお帰りなさい、アナタが東京にいる理由は、もうないのですから。

 ポチさん。
 ロボの力を受け継ぎ、新たなる『獣(ベート)』となったアナタの未来は、きっと苦難に満ちたものとなるでしょう。
 アナタの中に宿る力は、到底人間社会とは相容れないものです。
 人間は、アナタの中に宿る力を駆逐し、徹底排除することで、今の栄華を獲得したのですから。
 ……でも。アナタが強い心を持ち、原初の衝動に抗い続ける限り、平和は維持されるはずです。
 アナタの今後は、その衝動といかに向き合うか。どうすれば御せるのか。折り合いをつけていられるのか……それを探す時間となる。
 けれど、大丈夫。アナタはひとりぼっちじゃない。アナタには、家族になろうと言ってくれる相手がいる。
 迷い家へお行きなさい。彼女がアナタのブレーキになってくれるはず。彼女と、お幸せに。

 クロオさん。
 ボクの大切なパートナー。
 アナタとの思い出は、枚挙に暇がありません。けれど、それもおしまいです。
 ……ただ……もし、アナタもボクをパートナーと思ってくれているなら。最後にひとつだけ、ボクのお願いを聞いて下さい。
 今、アナタと同じ場所に居るであろう、その年若い三人を、どうか。守ってあげてください。
 彼らが幸せになるように。彼らが誰の手も借りず、ひとりで幸せを掴み取れるようになるまで。
 それから……叶うなら。クロオさん、アナタご自身も。幸せになる努力をしてください。
 おっと、お願いがふたつになっちゃいましたね!これはうっかり!……ま、このくらいは最後と思ってサービスしてください……ね。

 祈ちゃん。
 きっと、ボクに訊きたいことがたくさんあるでしょう。
 それらすべてをお話ししないまま、お別れを告げてしまう不義理なボクをどうか、お許しください。
 黙っていてゴメンなさい。でも、ずっと隠しておく気はなかった、ということだけは、どうか分かってください。
 アナタが大人になったとき。きちんとひとりで、両の足で立てるようになったとき。
 そのとき、すべてお話ししようと――そう決めていたのです。
 ボクはもう、お話しすることはできませんが……アナタの知りたいことは、オババが教えてくれるでしょう。
 どうか、そのときは。ボクのことを愚かなヤツだと罵ってやってください。

 
 ボクのお伝えしたいことは以上です。
 それでは――
 皆さんがこの手紙を読んだ、本日只今をもって。

 東京ブリーチャーズのリーダー、那須野橘音の名において――

 ――東京ブリーチャーズを、解散します。

 那須野橘音 』

213多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/12/21(木) 18:42:59
「やった……!」
 祈が投擲したたった一つの桃へと群がり、互いに潰し合う巨頭の妖怪達。
邪気を払うどころかむしろ桃に惹かれて集まってしまっているが、それが幸いした。
ノエルによって放られた葡萄が地面に落ちると急速的に成長し、
妖怪達の密集する場所へ驚異的な速度で蔓をぎゅるりと伸ばし、
妖怪達に絡みついてその動きを拘束したのである。一網打尽とはこのことだ。
タケノコもまた急成長を見せ、強靭な青竹の壁となって妖怪達を阻む。
桃と葡萄とタケノコ。これらによって時間を稼ぐことに成功したのだった。
 祈は思わずガッツポーズを決めるが、一匹、桃など見向きもせずに、
ブリーチャーズを見据えている妖怪がいた。
青竹と青竹の間にできた隙間。その向こうに浮かぶ、不気味な眼光。

《テン……ソウ……メツ……テン……ソウ……メツ……》

 それは巨頭の妖怪とも、くねくねした妖怪とも違う、一本足の人間のような形をした妖怪だった。
但し首から上はなく、顔面は胸にはりついている。
その顔は深い皺の刻まれた老齢の男のもので、ニタニタとした、べとつくような嫌な笑みを湛えていた。
 先程から耳鳴りのように聞こえてくる気味の悪い言葉が、
その妖怪が一歩一ミリ近付くだけで強まるのを祈は感じ、この妖怪こそが声の主だろうと思われた。

>「掘れた!けど……そのやり方だけじゃ駄目だ、ソイツだけは!」

 ノエルが生み出した純氷の板を大岩の下に差し込めるように地面に隙間を掘り終えたポチが、
後方を見て警告を飛ばした。
 すると唐傘妖怪を擬人化すればこんな感じになるのではないかと思えるような異貌の一本足の妖怪が、
めちゃくちゃに腕を振り回しながら、ブリーチャーズへと一本足で器用に歩み来る。
葡萄の蔓の妨害も乗り越えて、タケノコの作った青竹の壁を両腕で掴み、こじ開けようとしてくるのだった。
 巨頭の妖怪達がいくら頭を叩きつけても平気だった青竹が、みしみしと音を立てる。
それを見て、巨頭の妖怪やくねくねした妖怪達とは明らかに格が違う、
ポチの言う“ソイツ”とはこの妖怪のことであろうと祈は察した。
祈はその妖怪と目が合い、何故だかぞわりと背筋が寒くなるのを感じる。
このままでは青竹の壁を壊されてしまうだろうと思われた。
 しかし、
>《テン……ソ「ガタガタうるせぇ有象無象――――こいつらに手ぇ出すなら、地獄にすら逝けると思うなッッッ!!!!!!!!」

 尾弐の一撃が間に合った。
尾弐は純氷の板の端を全霊の、己の拳が砕けるほどの力を以て、空気を震わす怒号と共に強打する。
激しい音と衝撃に、祈は地震でも起きたのかと思わず振り返ってしまった。
 純氷の板は地面に深く突き刺さり、大岩の下へと潜り込む。
板が押し込まれた分だけ、周囲の地面が押されてボコリと盛り上がった。
更に浸透剄が衝撃として純氷の板を伝い、トンネルの入り口付近で轟音と共に爆裂し、付近の地面をも吹き飛ばす。
それによって傾斜が生まれ、勢いが生まれ、大岩が、――動いた。
 大岩は純氷の板の上をズズズ、と緩やかに滑り始めたかと思うと、
次第に勢いづいて、地響きと共に坂道を転がり始めた。
それを咄嗟に祈は避けて目で追うと、大岩は青竹をへし折り、
妖怪を蹴散らし、あるいは下敷きにしながら麓まで転がっていく。
それによって押し寄せる妖怪の大半を倒したが、
麓の掘っ立て小屋からは次から次へと巨頭の妖怪が現れ、坂道の頂上を目指して再び駆けてくる。
尾弐が言うように合わせ鏡に映した像のように、無限にそれらは補充されてくるようであった。

「今のうちにとんずらだ!」
 なんであれ、道が開いて、追ってくる妖怪の数は一時減った。
背筋が寒くなるような視線を向ける不気味な一本足の妖怪と睨みあっていても仕方もないし、
駆けるべき時は今である。
祈は言い捨て、妖怪達に背を向けると、トンネルへと向かって走り始めた。

214多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/12/21(木) 18:53:29
 その背を見て、足を止めた影がある。
一本足の妖怪、ヤマノケだった。
胸に付いた顔を歪めて、忌々し気に祈の背を見つめている。
祈は気付いていないが、服の背には血液が付着していた。
瘴気すら放つ、強き悪鬼の穢れた血だ。
祈が大岩を目で追っているときに、尾弐が飛ばしたものが付いたのである。
 神聖なものを穢すことによって力を増す、そんな特性を持ったヤマノケにとって、
ここに迷い込んできた者達は尾弐を除いた全員がある種ご馳走であった。
 妖怪の血が混じっているとはいえ、人間の少女。
白雪のように美しく穢れを知らず、子を為させることもできる雪女。
雌ではないようだが、名が大神から転じた者であり、神の御使いとも言われる狼の血族。
そのご馳走に一時とは言え穢れを纏わせる尾弐の行動はまさに、
上等な料理に蜂蜜をぶちまけるが如きもので、ヤマノケにとって許されざる所業であった。
 しかもあの鬼が少女だけでなく、
雪女や狼の血族にも血を放っていたようにヤマノケには見えていた。
忌々しさに怒気が込み上げて顔面を紅潮させるヤマノケだったが、だが、と嗤う。
 拳を砕き血を振り絞って、一時穢してまで守りたいと思う彼の鬼にとって尊き存在。
それらを捕らえ、より穢して、あの鬼の前で破壊するのはどれ程の愉悦だろうと。
 ヤマノケは猛然と走り出す。その背後に大量の巨頭やくねくねを従えながら。
まずは――。


《……れろ》
《いれろ》
《いれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろ》

「ぁぁあぁああああーーッ!!」
 狙われたのは祈だった。
ブリーチャーズは全員ケ枯れが近いが、その中でも最も弱そうだから狙われたのだろうか。
ケ枯れ寸前の祈など人間の子どもとさして変わらないのだから。
 時折なけなしの妖力を使って走る速度を上げているが、
それでもヤマノケはぴたりと祈の背後に付いて――憑いてくる。
 ヤマノケが呟く言葉はテンソウメツなどという呪文めいた意味不明なものから
もはや命令に変わっており、
しかもその声はもはや大音量で、地響きのように全方位から、脳を、精神を揺さぶるように響いていた。
離れている時でさえ耳鳴りのように聞こえていたものが、
背後に迫っているのだからそれも当然と言えよう。
 祈は走りながら、声を打ち消すように叫んで対抗するしかない。
 一時でも耳を貸したり心折れれば、本当に内側に入って来るであろう、
その侵略するかのような声に抗いながら、祈は必至に走った。
足を止めて捕まっても終わってしまうだろうと予感があった。
 走っても走っても距離は開かず、やがてヤマノケの手が祈の背に届こうとしたとき。

 バヂンッ!!
《ギ……ギギッ!?》

 音と何かとすれ違う気配。
更には声が止み、後方のヤマノケが自分を追うのをやめた感覚に、祈は足を止めて振り返る。
一枚の札が、先程祈が走っていた場所で舞っていた。

215多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/12/21(木) 19:02:03
>「……大丈夫かい?家出少女」
 そして気が付けば、男が立っている。
 駅員のような制服に身を包み、祈をヤマノケから守るように立つその男は、
肩越しに祈を見てそんな風に言う。
 ヤマノケが男を警戒してか、後方に飛び退いて距離を取る。
 見覚えはなかったが、声とその呼び方で気付いた。
「その声……あんた、さっきの!」
 トイレに閉じこもっていた祈に声を掛けてくれた者だと。

>「わたしの言うことを信じて、ここまで辿り着いたな。偉いぞ……あと一息だ、がんばれ」
>「ここはわたしが押さえる、君たちは先へ行け。もう、迎えは来ている」
 その男はトンネルの奥を指差し、祈達に行けと言う。
「助かるけど、押さえるってそんな、無理だって! 妖怪がたくさんいんだよ!? 一緒に逃げよう!」
 そう。追ってきているのはヤマノケだけでない。
巨頭の妖怪の群れもくねくねした妖怪達もいるのだ。
先程は運よくヤマノケを弾けたようだが、ただの駅員の幽霊だかにどうこうできるものではない。
 祈と男がそうこう言っている間に、巨頭の妖怪達が雄たけびを上げながら追いついてきた。
ヤマノケが巨頭の妖怪達に指示し、男へと差し向ける。
「ほら早く――」
>「雷は木気に通ず。建御雷之男神に御願奉りて、此処に暴魔羅刹を掃う金鎗を振り下ろさん!急急如律令!」
 男はポケットから札を取り出すと、印を結びなんらかの呪文を唱える。
瞬間、札から雷が迸り、狭いトンネル内を縦横無尽に駆けた。
それは、巨頭の妖怪やくねくねとした妖怪を瞬く間に黒く染め上げ、炭へと変えていった。
>「紅蓮は火気に通ず。火之迦具土神に御願奉りて、此処に不浄を清める燎原を顕さん!急急如律令!」
 更に男が印を結んで呪文を唱えれば、
次は業火が噴き出し、逃げることも許さず妖怪達を焼き尽くす。
 男を心配して立ち止まっていた祈だが、それは無用な心配だったようだ。
巨頭の妖怪もくねくねとした妖怪も。
そしてこの一団を率いているであろうヤマノケですらも全く寄せ付けない。
 強い。べらぼうに強い。札と呪文(神仏への誓願であろうか)によって強力な術を発動させ、操る。
これは陰陽師と言うやつだろうかと祈は思う。
 体捌きも一流だ。巨頭の妖怪が炎に焼かれながらも襲い来るが、
その攻撃を最小限度の動きで躱し、
更に拳や足を最短距離で妖怪達の急所に当てられていく。全く無駄がない。
 妖怪との戦いに慣れているとさえ祈には感じられた。最近の駅員とはここまで強いのか。
「すげえ……」

《いれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろォォォォ――――――――――!!!!》

 業を煮やしたか、男へと自ら飛びかかってくるヤマノケ。
だが男はヤマノケの腕を掴んで動きを封じてみせ、決然とした声音で告げる。

216多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/12/21(木) 19:11:07
>「禍々しき神よ。山の怪(やまのけ)よ――」
>「生憎だが、この子には指一本触れさせん。まして、中に入るなどもっての他だ」
>「おまえはこれからもここにいろ。ずっとだ……わたしが祭壇を拵えてやる」

 その言葉を聞いて、どうしてだろう、と祈は思う。
どうして初めて会った自分にこんなにも良くしてくれるのだろう、と。
 男の腕を跳ね除け、ヤマノケが暴れ出す。
更には巨頭やくねくね達も群がるが、
男は再び札と呪によって地面から無数の土の棘を生み出し、妖怪達を串刺しにして退けた。
 土の棘が壁となり、一時妖怪達との距離が開く。
再び妖怪達との交戦が始まるまでの僅かな間ができ、その間に男は振り返って、祈の方を見た。
 男を見ていた祈と目が合う。
>「……仲間たちを信じなさい。最後まで……その想いが君を強くする、希望を切り拓く――忘れるんじゃないよ」
 男は祈に微笑んで、子どもに言い聞かせるような優しい声音でそう言った。
「わ……わかった、よ。忘れない……ようにする。多分」
 温かな笑みを向けられて、何故だか祈は照れてしまって、ぎくしゃくとした奇妙な返事になってしまった。
男はその返事を聞いてどう思っただろう。次に男は尾弐へと向けて、
>「黒――……を……願――ます」
 何事か言って、頭を下げた。
それは土の棘を破壊する音や巨頭の妖怪の雄叫びで掻き消されて、祈には聞こえなかった。
 ばらばらに砕けていく土の棘。押し寄せる妖怪の大群、そしてヤマノケ。
>「わたしがバケモノどもを押さえている間に行くんだ!時間がない……振り返らず走れ!」
 それを見た男はそうブリーチャーズへと指示し、妖怪達へと単身、勇敢に突っ込んでいく。
その背中を祈は見ながら思う。
 どうしてだろう。何か大切なことを見落としているような、そんな思いを抱くのは。
この男ともっと話したいと、話すべきことがあるのではないかと、そんな風に感じるのは。
訳も分からず心から湧き上がってくるその気持ちに、どうしようもなく後ろ髪を引かれながらも、
「あのッ……ありがとう!」
 そう言うのが精一杯で、祈は男の言葉に従って、
振り返らないようにしながら長いトンネルの奥へとひたすらに走るしかなかった。

217多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/12/21(木) 19:17:57
 やがてトンネルの出口へと辿り着いた。
しかしそこでブリーチャーズを迎えたのは、またしても大岩だった。
トンネルの出口を塞ぐ大岩は、入口を塞いでいたものよりも大きく、
誰が押そうが引こうがびくともしない。
当然、祈が押したところで一ミリたりとも動かない。
「尾弐のおっさんの浸透剄でもやっぱ無……うわっ! つーか尾弐のおっさん手、大丈夫なの!?」
 尾弐の右拳が砕けてボロボロになっていたことに今になって祈は気付いた。
祈があのような提案をして、無茶をさせた所為だろう。
「つーかあたしの所為か。ごめん、尾弐のおっさん。無茶させて」
 視線を合わせないながらも、祈はそう謝罪する。
尾弐がこの状態では先程のような一撃は放てまいし、放てたとしても放たせては駄目だ。
そして放ててもきっと、この大岩は動かせまい。
 地面もアスファルトのように固く、ポチが掘ったり壊すことも出来なさそうである。
ここまできてまた足止めだなんて、と思っていたが、
大岩の先から聞こえてくる声があった。

――れて。
――離れて。
――離れてください!

 それは大岩に阻まれて聞こえ辛いが、橘音の声だった。
男の言っていた迎えとは、橘音のことだったのだ。
 声に従ってブリーチャーズが大岩から離れると、トンネル全体が揺れ始めた。
揺れに合わせ、ゴォン……ドゴォン……そんな風にどこから音が響いてくる。
揺れは次第に強まり、祈は立っていられなくなる。
 天井から土埃やら礫やらが落ちてき、いよいよ崩れそうだと、
この先で橘音は何をしているんだと祈は思っていると、
その答えはすぐに出た。
 大岩にびしりと亀裂が入り、光が差す。
隙間から風が入ってき、火薬の匂いが吹き込んでくる。
そして轟音とともに砕け散る大岩。何のことはない、大量の火薬でこの大岩を砕いていたのだ。
 眩い光に、祈は目を細めて、腕を眼前に翳した。
>「いや〜ははは、ギリギリで間に合ったみたいですね!」
>「怖い夢を見たようですね。でも、安心してください――夢は。覚める時間ですよ」
 聞き慣れた明るい声。
 逆光の中で、見慣れたシルエットが祈達へと右手を伸ばしていた。

218多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/12/21(木) 19:29:20
「はっ」
 目を開けると同時にがばっと上体を起こす祈。
前方に伸ばした両腕に跳ね除けられた布団の端が、膝の上に落ちる。
そこはトンネルのような暗い場所ではなかった。
見慣れた自分の部屋で、どうやら祈は布団の上で寝ていたようだった。
明るい窓の外では雀が鳴いている。 
 さっきまでトンネルにいた筈なのに、と思い体を捻って確認してみるが、
衣服や髪についていた土埃や血やら泥やらはなくなっているし、手指から桃の匂いがすることもなかった。
そう、祈は悪夢から覚めて、現実へと戻ってきたのだ。
学習机の上を見遣れば、置かれた時計は7時を指しており、
祈は疲労感から寝た気があまりしないながらも、起きることにした。
今日は土曜日だ。
 履いたままの風火輪を脱ぎ、布団を片付けて居間に行くと、祖母の姿はなかった。
普段なら土日は休みだが、珍しく仕事で朝から出かけているのだった。
 祈は卓袱台の上に置かれた「朝食は冷蔵庫に。温めて食べなさい」というメモに従って
冷蔵庫に収められた朝食をレンジで温め、ベーコンエッグや食パンを足して一人で食べた。
 軽くシャワーを浴びていつもの私服に着替えると、祈は風火輪を鞄に詰めて事務所へと向かった。
 悪夢から目覚めることができたのは、
迎えに来てくれた橘音や仲間達のお陰であるから礼を言わねばと思ったし、
何より、聞かねばならないことや、言わねばならぬことがある。
事務所になら橘音はいるだろうし、他の仲間も集まっているかもしれないと思ったのだ。

>『そこから出て、元の場所に戻るんだ。君が本来いるべき世界に……そして、君の心を。大切な人に話すといい』
>『そうすれば。君は今よりもっと、ずっと――絆を深めていくことができるだろう……』
 気が付けばきさらぎ駅で会った男の言葉が脳裏に蘇っている。

 事務所に辿り着き、躊躇いながらも、意を決してえいやと扉を開く祈。
しかし、どこにも橘音の姿は見当たらなかった。
 先に他のブリーチャーズがいたか、それとも後から合流してきたかはともかくとして、
祈は事務所の中(例えば寝室や浴室、トイレ、やかんの中など)探せど橘音の姿がない事を知り、
やがて所長デスクの上に置いてあった『東京ブリーチャーズの皆さんへ』と書かれた封筒の中身に
目を通すことになる。
 封筒の中身。便箋に書かれていたのは、橘音からのあまりに唐突な別れの言葉だった。
 絆を深めることができる筈だった。
なのに、――その相手がいなくなってしまった。
祈はただ愕然として、悲しいやら悔しいやら、どうしていいかわからず歯噛みするしかできずにいた。

219多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/12/21(木) 19:39:32
――――――
――――

「……?」
 暫し立ち尽くして便箋を眺めていた祈だったが、
ふと便箋に記された言葉の中に、重要なものが抜け落ちていることに気付いた。
 “東京を守って欲しい”というような文言がないのだった。
いや、東京ブリーチャーズが解散したのならその任務も消えるのかもしれないが、
東京ブリーチャーズが解散したからといって
ドミネーターズまでも解散する訳ではないし、妖怪大統領の侵攻は続くだろう。
事態は何一つ解決していないのだ。
むしろ妨害する者がいなくなったことで、ドミネーターズの侵攻は容易になるだろう。
 そして、それを指を咥えて見ていれば、
己が目的を達成する為ならば虐殺も辞さない、
そんなテロリストの親玉のような妖怪がやってきて東京を支配する。そうなれば日本は終わりだ。
東京だけでなく日本の全てが彼の支配下に置かれるだろう。
そこが迷い家だろうが雪山の奥であろうが関係ない。
なんせ結界破りのプロがその配下にいるのだ。安全圏などどこにもない。
妖怪も人間も、全てが彼に傅く。傅くまで彼の暴虐は続くだろう。
 ……なのに、解散をした後はまるで、そんなものは関係ないかのように、
各々故郷や新しい地で、あるいは今まで通り平和に暮らせるかのように書かれている。
これは明らかにおかしな点だと言えた。
 そして仲間へと向けられた唐突な別れの言葉と、犯した罪を贖うという言葉。
それらから祈が考えられるのは一つだった。
「もしかして橘音のやつ……一人でドミネーターズと戦う気なんじゃないのか?」
 そう、例えば橘音が『自分の命を犠牲にしてドミネーターズや妖怪大統領を排除する』、
というようなことを考えていたとすれば、
別れる理由も、解散した後に平和に暮らせるかのように書いてある理由も、
罪を贖う方法も、一つの線で繋がってくる。
 祈達が猿夢に囚われたりきさらぎ駅に行っている間に、妖怪大統領の倒し方でも突き止めたのだろうか。
それとも追い詰められて、自棄を起こしてしまったのか、それはわからない。
 だがなんであれ、祈が次にすべきことは決まった。

220多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2017/12/21(木) 19:48:45
「橘音を探さなきゃ」
 橘音の言う通りに祖母に父母のことを聞くつもりなど祈には毛頭ない。
橘音と尾弐から直接聞き出すつもりでいたし、
橘音のいない日常を平然と受け入れることもしなかった。

 ポチがその場にいなければ、祈は靴や靴下を脱いでポチを呼ぶか、
あるいは事務所を飛び出してポチを探し出し、説明した上でこう持ち掛けるだろう。
「ポチ。橘音の捜索を頼みたいんだけど、ケンタッ○ーのチキン三個でどう? 今ならポテトも付けるよ」
 と。
 あの便箋は少なくとも、
橘音が現世と冥府の境界から事務所に戻った後に書かれたものだと推測できた。
でなければ“皆さんが無事に黄泉比良坂から帰ってこられて、本当によかった”などとは書けない。
 そして、祈が目を覚ましたのが7時。
この時間が仮に、トンネルを抜けて精神が肉体に戻った時間と同一だとするなら、
橘音が事務所に戻るにはこれと同等か、あるいはそれ以上の時間を要することが予測された。
(精神だけそこに飛ばしたのか、生身で赴いたのかなどに因るだろう)。
 その後、仲間への連絡やらをして、便箋に文を書いたりするのだから、
最低でも戻ってから10分、いや、20分は掛かったに違いない。
朝食などを摂ったり多少休めばもっとかかる。
 それを考えれば、橘音がどれ程早く事務所を出られたとしても7時20分そこら。
現在の時間はまだお昼前で、それ程遠くには行けていないと思われた。
ポチの鼻ならきっと追跡ができるだろう。
 どこかで天神細道を使って遠くに行ったと言うなら、
天神細道が置きっぱなしになっている筈だから、それを使って追いかければいい。
 ポチが協力してくれなくたって、一人でやる。
(橘音がバカな事考えてんなら、ぶん蹴っ飛ばしてでも止めてやる。
あたしはあんたに、言いたいことや聞きたいことが山ほどあるんだ)
 祈は橘音を探し出す。そんな決意をしたのだった。

221御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2017/12/23(土) 05:54:49
駄目でもともとの精神で投げてみた桃とぶどうとたけのこは、想像以上の効果を発揮した。
こんなことなら早く投げとけば良かった、という感じである。
雑魚に任せてはおけぬと思ったのか、ついに真打ちらしき妖壊が姿を現した。

>《テン……ソウ……メツ……テン……ソウ……メツ……》

「気を付けろ――あれは紳士じゃない方の変態! 変態の風上にも置けぬ輩だ! いや、あんな奴を変態とは認めてやらないぞ!」

現れた妖壊――ヤマノケを見て、嫌悪感を露わにする乃恵瑠。
見るだけで怖気を誘うような姿なので当然といえば当然だが、それだけではない。
ノエルの中で変態には由緒正しき紳士な方の変態と邪道の紳士じゃない方の変態の二種類があり、ヤマノケはまごう事なき後者であった。
かつて雪の女王の元で修行していたころ、里の者に被害が続出したことがあるのだ。
憤った乃恵瑠は従者とペットと共に討伐に赴き、辛くも討伐に成功したのだが――
追いつめられた時のおぞましい記憶がまざまざと甦る。
紳士じゃない方の変態というのはどうにも存在が受け付けないのだった。

>「掘れた!けど……そのやり方だけじゃ駄目だ、ソイツだけは!」
>《テン……ソ「ガタガタうるせぇ有象無象――――こいつらに手ぇ出すなら、地獄にすら逝けると思うなッッッ!!!!!!!!」

尾弐の一撃が炸裂し、ついに大岩が動き出した。
振り向きざまに血が飛び散って、ノエルと祈とポチへと付着する。
否――神聖なものに取り付くというヤマノケを寄せ付けぬために意図的に付けたのだ。

>「今のうちにとんずらだ!」

洞窟の中に逃げ込む一行。
尾弐の狙いは当たっていたようで、ヤマノケは足を止めたように見えた。
しかし――

>《……れろ》

聞こえてきたのは、今までとは違うパターンの声。

>《いれろ》
>《いれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろ》

「入れろだって!? ご無体なぁああああああああああ!!」

これは別に入れろ(意味深)という意味で言っているわけではなく、ヤマノケは文字通り入る――憑依するという方法によって相手を犯す。
人間等に憑けば精神を食い尽くされヤマノケの力を増す餌となり、同じ山神としての属性を持つ雪女は、仲間を増やす苗床として利用される。
しかしターボババアの血を引く祈や狼の脚力を持つポチはよもや追いつかれまい。
真っ先に追いつかれるのは自分だ、上等だ受けて立ってやる――と覚悟を決め、敢えて走る速度を緩める乃恵瑠。
人間を殺してはいけない時代になってからはめっきり行われなくなったが、もともと寝技(意味深)に持ち込んで相手を凍死させるのは雪女の得意技だ。
災厄の力を宿している自分なら、憑依する過程で確実に凍死させることができる――そう踏んだのだった。
しかし予想だにしなかったことに、ヤマノケの狙いは祈ただ一人であった。
その理由は単純に「※ただし変態は除く」なのか、女の中でも年若い方が好きなのか、
あるいは乃恵瑠やポチが宿す災厄の力を忌避した結果なのかは分からない。
本来なら祈の脚力をもってすればすぐに引き離せるはずなのに、後ろにぴったりと付いている。
そう、まるですでに憑いているかのように。

222御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2017/12/23(土) 05:59:10
「こっちに来い! 妾が相手をしてやる」

乃恵瑠は自らにターゲットを移すべく、必死の色仕掛けを敢行する。
具体的には片方のスカンツの裾を太腿までたくし上げ、もう片方の手で上衣の裾を胸の下まで上げて脇腹をチラ見せする。
ふざけているようにしか見えないが、本人は大真面目である。
裸ストールになるのもやぶさかではないが、それでは駄目なのだ。
全見せよりも見えそうで見えないチラリズムが良い、といつか毛玉の妖怪が言っていたのである。
しかし、慣れないチラリズムに挑戦した努力も空しく、ガン無視されるのであった。
乃恵瑠は毛玉の妖怪を洗濯機に放り込みたい謎の衝動に駆られた。

「貴様――さては紳士じゃない方のロリコンかぁあああああああ!!」

いたたまれなくなった乃恵瑠はヤマノケロリコン説をプッシュするのであった。
とはいえヤマノケに取り付かれた噂では、取り憑かれたのはまだ年若い少女ばかりであるため、満更有り得なくもないかもしれない。
誘い受けにひっからないなら自ら襲い掛かるしかないわけだが――

「あれ? 置いて行かれてる……!」

乃恵瑠が無い色気を出そうと無駄な努力をしている間にヤマノケは乃恵瑠を追い越して先を走っていた。
こうして成す術もなく、ヤマノケの魔手がついに祈に届かんとする。
その時、突如横合いから飛んできた札がヤマノケを弾き飛ばした。

>《ギ……ギギッ!?》
>「……大丈夫かい?家出少女」

「誰!?」

それは、駅員のような服を着た見知らぬまだ若そうな男性だった。
時空のおっさんというよりは時空のお兄さんといった感じだ。

>「その声……あんた、さっきの!」

「もしかしてさっき言ってたお助けキャラの人!?」

>「わたしの言うことを信じて、ここまで辿り着いたな。偉いぞ……あと一息だ、がんばれ」
>「ここはわたしが押さえる、君たちは先へ行け。もう、迎えは来ている」
>「助かるけど、押さえるってそんな、無理だって! 妖怪がたくさんいんだよ!? 一緒に逃げよう!」

「そうだよ! ここは俺に任せて行け!なんて分かりやすい死亡フラグ立てられたら置いていけないよ!」

祈と同じく男の身を案じる乃恵瑠だったが――

223御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2017/12/23(土) 06:02:32
>「雷は木気に通ず。建御雷之男神に御願奉りて、此処に暴魔羅刹を掃う金鎗を振り下ろさん!急急如律令!」
>「紅蓮は火気に通ず。火之迦具土神に御願奉りて、此処に不浄を清める燎原を顕さん!急急如律令!」

「凄い……! 難しい呪文を噛まずに言っている!」

男が呪文で妖壊達を軽々と焼き払うのを見て、感嘆の声を漏らす乃恵瑠。感心しどころが微妙にずれているのはともかくとして。
呪文を聞く限りその業は五行説に則っているようで、陰陽師か東洋系の退魔師だろうな、とは思うがそれ以上のことは分からない。
ただ一つ確かな事は滅茶苦茶強いということだ。
戦いの最中の束の間に、男は振り返って祈の方を見た。
男の顔をまじまじと見て、それから祈の方を見て、首をかしげる乃恵瑠。

>「……仲間たちを信じなさい。最後まで……その想いが君を強くする、希望を切り拓く――忘れるんじゃないよ」
>「わ……わかった、よ。忘れない……ようにする。多分」
>「黒雄さん、この子をよろしくお願いします」

――なんだろう、この蚊帳の外な感じ。
と、同じことを感じているかもしれないポチに視線で語りかけるのであった。

>「わたしがバケモノどもを押さえている間に行くんだ!時間がない……振り返らず走れ!」

「祈ちゃんは大丈夫だから! ポチ君も僕も橘音くんもいるから!」

アウトオブ眼中だったにも拘わらず空気を読まずに捨て台詞を叫んでから走り出す乃恵瑠。
そしてトンネルの中を走りながら、祈に意味ありげに語りかける。

「ねえ、祈ちゃん、あの人さ――」

何を言うのかと思いきや、あっけらかんとした笑みを浮かべて。

「すっごく――かっこよかったね! 最近の駅員ってすごいんだね!」

やがてトンネルの出口へたどり着くと、またしても大岩が道を塞いでいた。

>「尾弐のおっさんの浸透剄でもやっぱ無……うわっ! つーか尾弐のおっさん手、大丈夫なの!?」
>「つーかあたしの所為か。ごめん、尾弐のおっさん。無茶させて」

「きっと大丈夫だよ。これが夢なら生きて帰りさえすれば元通りだ。
さっきの人、もう迎えは来ているって言ってたけど……もしかして岩の向こうにいるのかな?」

最初は祈の言うところのお助けキャラの人を半ば警戒していた乃恵瑠だったが、今や疑うべくもなかった。
乃恵瑠は試しに岩の向こうに向かって叫んでみた。

「おーい、そっちに誰かいるー!?」

>――れて。
>――離れて。
>――離れてください!

「橘音くん……!」

224御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2017/12/23(土) 06:05:35
その時、洞窟内が地震のように揺れ始めた。
しかし、橘音が外側からダイナマイト的なもので破壊したのだろうか、大岩が砕け散る。
お助けキャラの人が時間がないと言っていたのは、もう少し遅かったら洞窟が崩落して帰れなくなっていた、ということなのかもしれない。

>「いや〜ははは、ギリギリで間に合ったみたいですね!」
>「怖い夢を見たようですね。でも、安心してください――夢は。覚める時間ですよ」

「きっちゃん、やっぱり助けに来てくれたんだね……!」

乃恵瑠は眩い光を背に手を差し伸べる橘音に飛びついて――

「大好きだよきっちゃん! ご褒美にモフモフモフモフしてあげる!」

橘音を抱きしめてモフモフの刑を敢行する乃恵瑠。
――いや、橘音は常に人間態をとっているためモフモフはしていないはずだ。

「あいたたたた! 痛いよ乃恵瑠! それにぼくきっちゃんじゃないよ。寝ぼけてるの?」

橘音とは明らかに違う声で我に返ると、乃恵瑠は白い兎――ペットのハクトを力いっぱい抱きしめてモフモフしていた。

「あ、ごめん……!」

寝ぼけて違う人の名前を呼んでしまうのは修羅場になるパターンだが、その点はそれほど気にしていないようだ。
ハクトはペットできっちゃんはともだちであり、多分ペット(意味深)とかともだち(意味深)ではないので当たり前といえば当たり前だが。

「大丈夫? すごくうなされてたけど……」

「ちょっと怖い夢を見たけど至って元気……」

そこで何かを思い出したらしく慌てて布団が濡れていないかを確認し――事故が起きていない事を認識すると。

「そうか――やっぱり全部夢だったんだ!」

服を着ているから夢、と同じくまたよく分からない理論で勝手に納得する。
寝ている間にいつの間にか乃恵瑠の姿になっている事だけに、夢の名残りが残っていた。
こうして全部単なる夢だったということにしていつの通りの日常に戻ろうとする乃恵瑠だったが――

《言っておくが夢ではないぞ――本当にあの世に片足突っ込んでおったのだ》

突然深雪が語りかけてきた。
あれ!? いたの!? と思った瞬間、気が付くといつものノエルの姿になっていた。

《生きている人間がいない場で暴れても面白くないし大人しくしとこうかと思ったまでだ》

まあそんなものか、と思いつつ、生きている人間でないのならあの駅員は何だったんだろう、と改めて思うノエル。
単なる夢ではなかったのだとしたら、カンスト仮面が祈にあのことを告げたという事実はあり、おそらく祈もそのことを覚えているのだろう。
そして、その場にいなかった橘音は自分のいない間に敵の口からそんな事が告げられてしまったことをおそらく知らない。

225御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2017/12/23(土) 06:10:36
「大変だ、橘音くんに言わなきゃ!」

「ちょっと待って!」

慌てて橘音の事務所に向かおうとするノエルをハクトが引き留める。

「服を着て! 風邪引いちゃう!」

「――あっ」

理由は若干ずれているものの(雪女は風邪をひかない)結論的には至って常識的な進言をするハクト。
服を着たノエルは、頭の上に乗ってついて来ようとするハクトをこの場に留まらせ、
気を取り直して階下へと降りていく。
しかし、中に入っても橘音は見当たらない。

「さては隠れんぼだな――そこか! そこか! そこかぁあああああああああ!!」

祈と橘音が顔を合わせる前に知らせておかなければと思って来たのだったが、結局橘音が見つかる前に祈が来てしまった。
総出で風呂場に突入したり、原型にならないと入れないようなヤカンの中なども探索したが一向に見つからない。
最終的には、所長デスクの上に手紙にたどり着くこととなる。
どこをどう突っ込んでいいか分からず、やっと出た言葉は――

「年若い三人って……僕、そんなに若くないよ……」

そんな割とどうでもいい点であった。
もしも橘音がきっちゃんなら、二人はほぼ同年代のはず。
つまり橘音はきっちゃんではなかったということだろうか。
妖怪は外見や言動と実年齢が必ずしも対応しないので、どう見ても幼女が実は超絶BBAなんていうのもザラにある話である。
この雑居ビルの上の方の階でネット放送局をやっているユーチューバーがその一例だ。
しかし、ここでもう一つの可能性に思い至る。
昔を知っているからこそ、年若いと思ってしまったという可能性。
橘音の中では、自分は未だあの日の雪ん娘みゆきのままなのではないか――ということ。

「……酷いよ橘音くん。もう友達じゃないって。罪ぐらいなんだ! 雪の女王はキツネ一匹かくまうぐらい朝飯前だ!
つーか解散!って……ホームレス中学生のお父さんじゃないんだから! どうすんの東京侵略されちゃうよ!?」

226御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2017/12/23(土) 06:11:26
つまりこれは、勝てないと悟り仲間を無駄死にさせることは出来ない思った結果か、
もしくは――確実に勝てる方法を突き止めたか。
どちらにせよ共通するのは、橘音が特攻隊になろうとしているということ。
取り返しのつかないことになる前に、見つけ出して踏みとどまらせなければならない。

>「もしかして橘音のやつ……一人でドミネーターズと戦う気なんじゃないのか?」
>「橘音を探さなきゃ」
>「ポチ。橘音の捜索を頼みたいんだけど、ケンタッ○ーのチキン三個でどう? 今ならポテトも付けるよ」

橘音は探偵なので追跡できるような痕跡は残っていないかもしれないが、試してみる価値はある。
が、ポチの方を心配そうに見るノエル。

「ポチ君――」

何も知らないまま、ロボから力を受け継いでしまったポチ。
獣として生きている彼が小難しい世界の理を知る由もなく、誰かが教えない限り、強力な力を受け継いだ、という認識しか無かったはずだ。
教えることで悪影響になってはいけないと思って黙っていたのだが、こんな形で知ってしまうことになるとは。
ノエルは屈んでポチを抱きしめ、そっと耳打ちするのであった。

「大丈夫――僕も君と同じだ」

227ポチ ◆CDuTShoToA:2017/12/28(木) 00:36:05
>「ガタガタうるせぇ有象無象――――こいつらに手ぇ出すなら、地獄にすら逝けると思うなッッッ!!!!!!!!」

怒号と共に振り下ろされる憤怒の拳。
地響きのような轟音が響き……そしてほんの僅かに、トンネルを塞ぐ大岩が、動いた。
固唾を呑んで見守っていたポチが、その場を横に飛び退く。

「やった……動いたよ!祈ちゃん、ノエっち!行こう!」

岩はまず氷の板の上をゆっくりと滑る。
そうして緩やかに山の斜面に至り……そこから急激に加速して、坂を転がり出す。
巨頭とくねくねの群れが薙ぎ倒されていく様は爽快だったが、じっくり見物している暇はない。
皆がトンネルへ駆け込むのを待ってから、ポチもその後に続いた。

>《テン……ソウ……メツ……テン……ソウ……メツ……》

「……アイツ、まだ付いてきて……!」

腐っても、怪異に堕ちても、山の神は山の神。
あの大岩も山の一部であるとすれば、仕留められなかったのは必然。
振り返ればヤマノケの眼光は、祈のみを、まっすぐに捉え続けている。

>《……れろ》
>《いれろ》
>《いれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろ》

>「こっちに来い! 妾が相手をしてやる」

ノエルがヤマノケを迎え討とうと声を張り上げる。
それでもヤマノケの狙いはあくまでも祈のようで、ノエルには見向きもしない。
ポチが牙を食い縛り、身を翻して足を止め、深く息を吸い込む。
連戦に次ぐ連戦……狼の持久力を以ってしても、もういつケ枯れを起こしてもおかしくない。
だが、やるしかない。

「入れろだって?叩き込まれるのはアンタの方だ……!」

トンネルの壁を蹴り、三角飛びの要領でヤマノケの前に回り込む。
そのまま勢いを乗せた回転飛び蹴り。
振り回した腕に弾かれる。弾き飛ばされた勢いでもう一度壁を蹴り、今度は爪を振り下ろす。
だがやはり、弾かれる。ポチだけが一方的に跳ね除けられた。
体格の差があるとは言え、強烈な一撃を叩き込んでいるはずなのに。
……相性だ。相性が悪い。最悪と言ってもいい。
送り狼は、山の神の使い……ニホンオオカミを原型とする妖怪。
二度退けられなおも挑みかかるポチは、しかし自身の攻撃が通る感覚がまるで得られずにいた。

「ぐっ……!」

ポチがヤマノケの腕に弾かれる。
だが今度は今までとは少し様相が異なる。
……空中で体勢を立て直せていない。
大きく前方に殴り飛ばされて、ポチはそのまま地面に落ちる。
同時に、変化が解けた。
最早変化を保つだけの妖力すら残っていないのだ。
顔を上げれば、ヤマノケは祈のすぐ後ろにまで迫っていた。
そしてその手が祈の背へと伸び……何かが爆ぜるような音がした。
ヤマノケの手が弾かれる。

>「……大丈夫かい?家出少女」

気付けば祈の傍には、一人の男が立っていた。

228ポチ ◆CDuTShoToA:2017/12/28(木) 00:36:39
>「わたしの言うことを信じて、ここまで辿り着いたな。偉いぞ……あと一息だ、がんばれ」
 「ここはわたしが押さえる、君たちは先へ行け。もう、迎えは来ている」

駅員の制服に身を包んだその男が左手で洞窟の奥を指す。
だがポチはその言葉よりも……彼がまとうにおいに、強く心を奪われていた。
強い、強い、親愛のにおい……はるか昔に、嗅いだ事があるような、だが思い出せないにおい。

>「雷は木気に通ず。建御雷之男神に御願奉りて、此処に暴魔羅刹を掃う金鎗を振り下ろさん!急急如律令!」
>「紅蓮は火気に通ず。火之迦具土神に御願奉りて、此処に不浄を清める燎原を顕さん!急急如律令!」

そのにおいにポチが戸惑っている内に、男は見慣れない術を用いて怪異の群れを迎え撃ち始めた。

>「……仲間たちを信じなさい。最後まで……その想いが君を強くする、希望を切り拓く――忘れるんじゃないよ」

……けれども、祈へ語りかける時、一際強くなる、この親愛のにおい。

>「黒雄さん、この子をよろしくお願いします」

それに……どうやら彼は、尾弐と既知の仲らしい。
……だがポチはそこで思考を中断した。
一瞬「もしかしたら」と思いはしたが……自分が思いを馳せても、詮無い事だと。

>「わたしがバケモノどもを押さえている間に行くんだ!時間がない……振り返らず走れ!」

「……あなたが誰かは知らないけど、ありがとう。必ず、恩は返すよ。
 あなた自身には返せなくても、必ず」

そう言って、ポチは体を起こして走り出した。
走ると言うより、倒れそうになりながら急いで歩いていると言った様相ではあったが。
それでも長い長い洞窟を、足を止めずに進み続け……

「……嘘でしょ」

その先には、岩があった。
出入り口を塞ぐ巨大な岩が。
狼の姿のまま、前足の爪で岩に触れる。
硬い。トンネルの入り口にあったそれと同じだ。
地面の硬さも、先ほど体を打ち付けて、文字通り痛いくらいに分かっている。
……だが、駅員姿の男は言っていた。
迎えはもう来ていると。

>「尾弐のおっさんの浸透剄でもやっぱ無……うわっ! つーか尾弐のおっさん手、大丈夫なの!?」
 「つーかあたしの所為か。ごめん、尾弐のおっさん。無茶させて」

>「きっと大丈夫だよ。これが夢なら生きて帰りさえすれば元通りだ。
  さっきの人、もう迎えは来ているって言ってたけど……もしかして岩の向こうにいるのかな?」
 「おーい、そっちに誰かいるー!?」

「だといいけど。もしもし、聞こえてる?
 なんなら気を利かせて、先にこの岩をどけといてくれたってよかったのに……」

>――れて。

「……ん?」

>――離れて。

「……あっ」

>――離れてください!

「……あー、今の苦情は忘れてくれると嬉しいな」

直後に始まる地震。
一呼吸ほど遅れて響く爆発音。
眩い逆光と爆風によって生じた粉塵で、迎えの者の姿は見えない。
だがそれでも、その姿の輪郭は見える。

>「いや〜ははは、ギリギリで間に合ったみたいですね!」

そして何よりも、声が聞こえる。

>「怖い夢を見たようですね。でも、安心してください――夢は。覚める時間ですよ」

「おはよう……には、まだ早いのかな。ひとまずは……そっちも無事みたいで良かったよ」

229ポチ ◆CDuTShoToA:2017/12/28(木) 00:37:01
 
 

……気がつけば、ポチはいつもの寝床にいた。
夢の中で負った傷も、ケ枯れ寸前だったはずの疲れも残っていない。

「……夢だった?いや、まさか……」

真偽を確かめるべく事務所に向かう。
しかし事務所に近づくに連れて、ポチに違和感が生じる。
……狼の嗅覚は鋭い。故に、分かってしまう。
同じにおいでも……そこににおいの主がいるのか。
それともそれが、ただの残り香にすぎないのかが。
元から駆け足気味だったポチが、一層強く地面を蹴る。
そして事務所に辿り着くと……

>「さては隠れんぼだな――そこか! そこか! そこかぁあああああああああ!!」

「……何やってんの、ノエっち」

祈とノエルが事務所のありとあらゆる物をひっくり返している最中だった。

「いや……なんとなく、察しはつくよ」

事務所の中にも、最早橘音のにおいは、残り香しか感じられなかった。
血の臭いはしない。橘音を探す過程であちこち荒れてはいるが、争いの気配や残り香もない。
……ポチは橘音の残り香を辿る。
辿り着いた先は、橘音のデスクだ。そこに最も強く、においが残っている。
そして見つけたのは……橘音が残した自分達への手紙。
ポチへと向けて記されていたのは……ロボが残した力の事と、細やかな祝辞。

>「もしかして橘音のやつ……一人でドミネーターズと戦う気なんじゃないのか?」

手紙の全てを読み終えた後、祈が一つの可能性に思い至った。

>「橘音を探さなきゃ」
>「ポチ。橘音の捜索を頼みたいんだけど、ケンタッ○ーのチキン三個でどう? 今ならポテトも付けるよ」

「……祈ちゃん」

だがそれに応えるポチの声は、静やかだった。
祈のそれと比べると格段に気力に欠けている。

>「ポチ君――」
 「大丈夫――僕も君と同じだ」

ノエルが心配そうに、励ますように声をかける。
……今度は返事すらない。
聞こえていなかったのだ。ノエルの声が。ぼんやりとしか。
ポチには、代わりに別の声が聞こえていた。
自分の中にある、自分ではない何かの声。
何者か、ですらない。
人格ではない、宿命か、概念か……何かとしか言いようのない何かの声が。
曰く、喰らえ、と。
喰らってしまえば、これ以上失う事はない。
命は巡る。喰らう事は、一つになる事。
知っているはずだ。そして今なら、理解出来るはずだと。
……手紙を皆で読む為、ポチは既に人型にヘンゲしている。
左手の親指がゆっくりと、他の指の爪を撫でる。
舌が静かに、牙をなぞる。ロボの被毛さえ食い破れた牙を。

「……心配、いらないよ。ノエっち。僕はちゃんと知ってたんだ」

依然変わらない静かな声。
ポチの右手が、ノエルの左手首を掴む。
そして……

「……この力の正体は分からなくても。
 ロボを狂わせてしまったものだって事だけは、知ってたんだ。
 それに……ロボは言ってたろ。お前がやるんだ、って。だから……平気さ」

……それに、ノエルは、皆はここにいる。
手を伸ばすだけで掴めて、その存在を実感出来る。
橘音だって、皆で力を合わせればきっと見つけられる。
だから喰らう必要なんて、ない。
それらの言葉だけは……心の中で、自分自身に言い聞かせるように呟いた。

「祈ちゃん、報酬なんていらないよ。代わりに迷惑料をもらうからね、橘音ちゃんから」

もっとも、橘音の事だ。
皆がブリーチャーズの解散を受け入れず、自分を探す可能性だって考慮しているだろう。

「……まっ、いつも人探し物探しに僕を使ってた橘音ちゃんが、
 何の対策も取ってないとは思えないけど……ていうか実際においしないし……。
 でも、探す為の心当たりならあるよ、二つ」

ポチは指を二本立ててそう言って、

「一つはね……奴らを探す事だよ。ドミネーターズを。
 橘音ちゃんが東京漂白を諦めてないなら、奴らのいる所に橘音ちゃんだって現れるはずさ。
 そしてもう一つは……」

指を一本折り曲げると、次に尾弐に視線を向けた。

「尾弐っち、まさか橘音ちゃんの意志を尊重しよう……なんて言わないよね。
 いや、尊重するなら責任持って僕らの保護者をしてもらわなきゃ。
 ……何かないかな、尾弐っち。橘音ちゃんを見つける為の、足がかりとか」

230尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2017/12/30(土) 17:29:16

洞窟の奥。その先に在るであろう明日の光を目的に彼等は走る。

既に策は弄し終え、手も尽くした。
黄泉を抜ける為の三種の供物――――即ち、桃、筍、葡萄。其れ等をもって、退路を進む為の時間を得た。
転がり落ちる巨岩を以って、追いすがる総体を削りもした。
これが神話の世界で在るのなら、後は道を駆け抜けるだけであっただろう。

だが……東京ブリーチャーズの面々が黄泉路を抜ける為には、神話を準えても尚、一手足りなかった。

悪鬼、雪妖、妖犬、半人半妖
如何な力を持つとはいえ、『所詮』彼等は妖怪だ。

神話の主神格が持つ様な、単身で岩を動かす力も
数多の亡者から逃げ切る神足も、穢れし山神を払いのける神格も有してはいないのである。

故に、彼らが黄泉路から逃げ切る為には、神話を越える為の後一手が必要であった。
――――けれど、その一手こそが届かない。
先に述べた通りに、策は弄し終え、手も尽くしたのだ。

メンバーの各々があらゆる手段を講じた結果が齎した状況が今なのである。

《オッ!オオッ!オ!オオオオオオオオオオ!オッ!》
《いれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろいれろ》

>「入れろだって!? ご無体なぁああああああああああ!!」
「叫ぶ元気があるなら走れ色男! とにかく今は全力で逃げろ!」

自身の血液による穢れが堕ちた山神相手には効果が薄い事を知った尾弐は、疲労で鉛の様に重い足を無理やりに動かし、歩を進める。
だが、堕ちても神である山神の歩は速く、その声は瞬く間にブリーチャーズへと近づいてくる。
更には、数を取り戻した巨頭やくねくねの奇声も轟音となって響いてくる。

>「ぁぁあぁああああーーッ!!」
>「入れろだって?叩き込まれるのはアンタの方だ……!」
「っ……ざけるな!チンケな山神風情がっ!」

そして、道中のノエルによる色仕掛けも、ポチの爪による強襲さえも効果を示す事は無く、
ヤマノケの皺枯れた指は尾弐が静止する間もなく祈へと伸び――――1枚の符により、弾き飛ばされた。

231尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2017/12/30(土) 17:29:48
>「……大丈夫かい?家出少女」
>「その声……あんた、さっきの!」
>「もしかしてさっき言ってたお助けキャラの人!?」

「なっ……!?」

突如の援軍に喜色を浮かべる祈とノエル。だが、尾弐だけは反応が異なっていた。
ほんの一瞬。擦れ違った瞬間にだけ見えた男の姿とその声に、尾弐は思わず足を止め驚愕する。
男が放つ紅蓮の業火も、奔る雷光さえも目に入らない程に。
それは……その男の姿が、声が。泣きたい程に懐かしいものであったから。

>「わたしの言うことを信じて、ここまで辿り着いたな。偉いぞ……あと一息だ、がんばれ」
>「ここはわたしが押さえる、君たちは先へ行け。もう、迎えは来ている」

そうして、祈へと優しい声で言葉を投げかけ、反対に怜悧な声と共にヤマノケ達を屠る男は、最後に背を向けたままの尾弐へと向けて言葉を掛ける

>「黒雄さん、この子をよろしくお願いします」

その言葉を受け、祈へと視線を向ける尾弐だが……男へと振り返る事はなかった。
……本当は、振り向きたかった。振り返って、懺悔の言葉を述べたかった。
感謝の言葉を投げかけたかった。叱責の言葉を放りたかった。
歓喜の声をぶつけたかった。未練の声を漏らしたかった。
可能であるのなら――――人の摂理に背いてでも、その手を握り、現世へと引きずり出したかった。

けれど、それは出来ない。やってはいけない。
それを行うという事は、尾弐の背後に立つ男の覚悟を否定する事と同義であるからだ。
故に尾弐は、振り返る事なく拳を握りしめて短く誓う。

「……あいよ、旦那。『約束』するぜ」

そして、そのまま決して振り返る事無く歩を進める。
裾を引く未練の感情を捻じ伏せながら、東京ブリーチャーズと共に走り出す。


・・・

232尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2017/12/30(土) 17:30:13
>「……嘘でしょ」

辿り着いた洞窟の最奥。
されど其処には、最後の関門が立ち塞がっていた。
先の巨岩とは比較にならない巨岩。もはや岩盤とでも言うべきそれが道を塞いでいたのである。

「……こいつぁ、流石に砕くのも動かすのも無理そうだな」

>「尾弐のおっさんの浸透剄でもやっぱ無……うわっ! つーか尾弐のおっさん手、大丈夫なの!?」
>「つーかあたしの所為か。ごめん、尾弐のおっさん。無茶させて」
>「きっと大丈夫だよ。これが夢なら生きて帰りさえすれば元通りだ。
>さっきの人、もう迎えは来ているって言ってたけど……もしかして岩の向こうにいるのかな?」

「……心配すんな嬢ちゃん。こんなもん狼王の時に比べり掠り傷だし、ノエルに言う通り、起きりゃ痣くらいしか残んねぇよ。
 ただ……悪ぃが浸透徑は無理だ。つか、仮に打ててもこのサイズ相手にゃ力不足だしな」

尾弐は、声を掛けて来た祈に対し少し驚きをみせつつも、大した怪我では無いと強がりを見せる。
そして苦々しい表情で岩の周りの土を蹴ってみるが、先ほどと違いまるで金属のように固い土は僅かにも削れる事はなかった。
幸い、未だ怪異の群れは追ってきてはいないが、時間の猶予は少ない事に違いは無いだろう。
ここに来ての手詰まりに、東京ブリーチャーズの面々が思案に暮れ、もはや岩の向こうへと声を掛ける以上に出来る事が無い中

>――れて。
>――離れて。
>――離れてください!

洞窟の中に響いたか細い、けれど聞きなれた声。
尾弐がその声の主に思い至った直後、洞窟内が鳴動し――――まるで火薬の炸裂音の様な轟音と共に、巨岩が砕け散ったのであった。
飛来する瓦礫からその背でブリーチャーズを庇ってから、尾弐が巨岩が存在した場所へと視線を向ければ、其処から眩い光が差し込んでおり、そして

>「いや〜ははは、ギリギリで間に合ったみたいですね!」
>「怖い夢を見たようですね。でも、安心してください――夢は。覚める時間ですよ」

見慣れた。聞きなれた。
そんな人影が逆光の中手を差し伸べて来た。
一瞬。その姿に、尾弐は自身の過去に存在する情景を思い出し、しかし軽く首を振ると

「ったく、いい年して起きるのにモーニングコール頼りたぁ情けねぇ……まあ、それはさて置き」

巨岩を動かす際に傷付き血まみれになった腕で、伸ばされた白手袋をしっかりと掴んだ。

「――――おはよう。良い朝だな」

言葉と共に視界は強い光に白んで行き――――世界は朝を迎える。

・・・

233尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2017/12/30(土) 17:30:46
「っぐ……」

目覚めと共に訪れる、体の中を金属の棒でかき回されているかの様な激痛と不快感。
思わず声を漏らす程のその苦痛が、皮肉にも尾弐にここが現実である事を告げた
痛みを紛らわす為、或いは不快の原因を鎮める為に、寝起き早々にウイスキーを一瓶胃に流し込んだ尾弐は、
シャワーを浴びて汚れを流すと、クリーニングから帰ってきたばかりの皺の無い背広の横に掛けた
普段着代わりに使用している皺の多い背広を羽織ると、財布と鍵だけを持ち、自室の玄関の扉を開く。


>「さては隠れんぼだな――そこか! そこか! そこかぁあああああああああ!!」
> 「……何やってんの、ノエっち」

「あー……何かあったのか?」

那須野の事務所へ足を踏み入れると、ノエルと祈がそこら中の扉を開け、荷物をひっくり返し、
それをポチが眺めているという奇怪な状況となっていた。
ノエルだけなら『なんだノエルか』で済む話であったのだが、その行動に祈が追随している事を確認した尾弐は、
何か異常事態でも起きたのかと声を掛け

そして知る。
那須野橘音の失踪と、東京ブリーチャーズ解散の号令を。

234尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2017/12/30(土) 17:31:16
>「……酷いよ橘音くん。もう友達じゃないって。罪ぐらいなんだ! 雪の女王はキツネ一匹かくまうぐらい朝飯前だ!
つーか解散!って……ホームレス中学生のお父さんじゃないんだから! どうすんの東京侵略されちゃうよ!?」
>「もしかして橘音のやつ……一人でドミネーターズと戦う気なんじゃないのか?」

「罪ってのが判らねぇが……東京ブリーチャーズを解散しても、漂白計画は止まらねぇ。
 方針を決める権限が那須野にはねぇ以上、嬢ちゃんの言う通り那須野が独力で問題を解決するつもりだって可能性は十分あるだろうな」

己に宛てた手紙を読み終えた尾弐はそれを懐に仕舞うと、取り乱す様子も無く腕を組む。
そして、ポチとノエルがそれぞれの中に宿る『力』について語っている、その内容を聞き終えてから
祈の推測に賛同の意を見せた。

>「橘音を探さなきゃ」
>「尾弐っち、まさか橘音ちゃんの意志を尊重しよう……なんて言わないよね。
> いや、尊重するなら責任持って僕らの保護者をしてもらわなきゃ。
> ……何かないかな、尾弐っち。橘音ちゃんを見つける為の、足がかりとか」

当然、この場に居る妖怪の面々は那須野を探す事を提案する。
追って見つけ、理由を問いただし、力を貸そうとする。
短い付き合いではない、共に死線を潜り抜けた間柄だ。それはある意味当然と言えるだろう。

「捜すか……それは、何の為に捜すんだ?」

だが尾弐は、来客用の椅子に腰かけ、彼等の提案に制止を掛けた。

「那須野は無為な事を無意味にやる奴じゃねぇ。そんな那須野が東京ブリーチャーズの解散を示したって事は、関係を切ったって事は。
 今後において俺達の存在は足手まといになると判断したからだろ。それなのに、探してあいつの邪魔をしてどうすんだ」

「もはや契約は破棄された。お前等は東京ドミネーターズと戦う大義名分も義務もねぇ。
 家で大人しくしてろ。なんならどこか遠くに越しちまえば、連中もわざわざ追っては来ねぇだろ」

「那須野の善意を無駄にするなよ」


そう冷静に、淡々とそこまで言ってからその場に居る全員の顔を眺め―――――

「…………そう説明して、大人しく諦めてくれる様なら俺も保護者をしたんだがなぁ」

暫くの沈黙の後、諦めたかの様に溜息を一つ。

235尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2017/12/30(土) 17:31:33
「……俺の知る限り、大将への足がかりになりそうな場所は三つだ」

そして、ガシガシと頭を掻いてから手の甲を前に向けて指を三本立てた尾弐は、
一本目の指を折りながら口を開く。

「一つは、妖狐族を束ねる『御前』の膝元だ。傘下である那須野が、頭目に事前に通している可能性は十分に有る」

そして、指を更に一つ折り尾弐は続ける。

「もう一つは、『迷い家』の富嶽だ。国中に網を張ってる様なあの御老体なら、大将の尻尾を掴んでるかもしれんねぇ」

そして、一瞬祈へと視線を向けてから三本目の指を折る

「最後に……人間側の霊的戦力の本拠地『日本明王連合』。
 本質的に妖怪の敵対者だからな、今は強力しているとはいえ、東京ブリーチャーズへの監視は怠ってねぇだろうよ」

そこまで言い切ってから、突然に己の知る心当たりを語りだした尾弐に対し訝しんでいるであろう3人へと苦笑を向ける。

「そんな不思議そうな目ぇすんなよ。俺だって、こんな別れ方に納得してる訳じゃねぇんだ。
 一人でも那須野を追うつもりだったが……お前等、放って置いたらバラバラに那須野を追い出すだろ?
 それで襲撃でも受けたら目も当てられねぇ。だったら全員で動いた方がよっぽど効率的じゃねぇか。それに」

そこで尾弐は一度言葉を切り、悪巧みでもしていそうな笑みへと表情を変える

「東京ブリーチャーズは解散したんだ。だったら、失踪したダチ公捜すのは俺達の勝手だろ」


そう言って椅子から立ち上がった尾弐は、事務所の隅に在ったホワイトボードを引っ張り出し、三人の前に設置すると、
黒マジックで『ドミネーターズを探す』『御前』『迷い家』『日本明王連合』と、その厳めしさには似合わぬ綺麗な文字で記していく。

「……さて、だ。俺は探偵じゃねぇからな。さっき言った三つの候補は、所詮は俺の憶測だ。
 無駄足になる可能性はあるし、そもそもこの三つは必ずしも協力的な訳じゃねぇ。
 特に、日本明王連合に関しては根本的に妖怪の敵だ。滅ぼされる可能性すら有る。
 だから、ドミネーターズの襲来を待つか、心当たりへと向かうか――――最良を議論しようじゃねぇか」


……那須野橘音が東京ブリーチャーズの面々と縁を切るつもりであったのなら、尾弐黒雄に手紙を残すべきではなかった。
『彼らが幸せになるように。彼らが誰の手も借りず、ひとりで幸せを掴み取れるようになるまで守って欲しい』
手紙の中でそう尾弐に願った事で、尾弐が那須野を探す意志が固まったからだ。

何故なら……皆の心を、幸福を守るのであれば、那須野橘音を失う事は有ってはならないのだから。

(大義名分を渡したのはお前さんだ。覚悟しとけよ那須野……例え地獄の底からだろうと探し出して、
 尻尾ひっ掴んでこいつらの前に引きずり出してやるぜ。こいつらと、お前さんの幸福の為にな)


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