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うにゅほとの生活2
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うにゅほと過ごす毎日を日記形式で綴っていきます
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2016年6月30日(木)
「あぢー……」
「あついねえ……」
「……窓、開いてる?」
「あいてる……」
「あぢー……」
「あついねえ……」
「……プール行くか?」
「いく!」
見えないしっぽを千切れんばかりに振りながら、うにゅほが箪笥の引き出しを開く。
「みずぎ、みずぎ……」
「水着、持ってきてたっけ」
「うん」
「用意がいいなあ」
「こんなこともあろうかと」
「……俺が言い出すの待たなくても、行きたいなら行きたいって言っていいんだぞ?」
「?」
「我慢しなくてもさ」
きょとんとした表情を浮かべながら、うにゅほが答える。
「がまん、してないよ?」
「プール行きたかったから、わざわざ水着の準備までしてたんだろ」
「たしか……」
「たしか?」
「みずぎいれてたの、いまおもいだした」
「──…………」
肩から力が抜ける。
「どしたの?」
「なんでもない……」
「プール、ひさしぶりだねえ」
「ほんとな」
「たのしみだねえ」
「とにかく、水に浸かりたい……」
そんなこんなで市民プールへと赴いた。
調子に乗って200mほど泳いだら、まともに歩けなくなってしまい、車までうにゅほに肩を貸してもらう羽目に陥った。
体力が欲しい。
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以上、四年七ヶ月め 後半でした
引き続き、うにゅほとの生活をお楽しみください
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2016年7月1日(金)
「あぢー……」
「あついねえ……」
「エアコン欲しい……」
「ほしいねえ……」
「扇風機でもいい……」
「うん……」
「……あぢー」
「あついねえ……」
座椅子に背中をもたれながら天井を仰ぎ見ていると、うにゅほがのそりと這い寄ってきた。
「どした」
「◯◯のひざ、すわっていい?」
「暑いと思うけど……」
「あえて」
「あえてか」
あえてなら仕方がない。
うにゅほの矮躯を引っ張りあげて、膝に乗せる。
「うへえー……」
喜んでるんだか、苦しんでるんだか。
「──…………」
うにゅほと触れている胸元が、じっとりと汗で蒸れていく。
「あぢー……」
「あちーねえ……」
「アイス食べたい……」
「たべたいねえ……」
ぎゅー、とうにゅほを抱き締める。
「××、体温高いなあ」
「ごめんなさい……」
うにゅほの頭頂部に口をつけて、吐息を送り込む。
「あついー」
「はっはっは」
うにゅほが、俺の着ている作務衣の袖を食む。
「ふー」
「あっつ!」
「うへー……」
暑い暑いと言いながら、じゃれ合う俺たちなのだった。
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2016年7月2日(土)
自室の窓から外を覗きながら、うにゅほが口を開く。
「あめだー……」
「雨だな」
「ざあ、ざあ、あめだ」
「涼しくていいな」
「うん」
本降りの雨粒が世界を叩き、空気を音で満たしている。
「おじさんのかさ」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「小学生のころ、国語の教科書にそんなのが載ってたなって」
「どんなはなし?」
「ええと──」
記憶を掘り起こす。
「おじさんの傘が、雨に当たって、いい音が鳴る話……」
「……おもしろいの?」
「さあー」
「きしょうてんけつ……」
「いや、たぶん、ちゃんとした話だよ。俺が覚えてないだけで」
「そなの?」
「なにしろ、二十年以上も前の話だからなあ」
「わたし、うまれてない……」
「そう考えると、面白いもんだ」
「おもしろい?」
「いま、ここで、こうしてること」
うにゅほの頭頂部にあごを乗せる。
「──あめ、ふってたね」
「初めて会ったとき?」
「うん」
「ほんの一時間ずれてたら、会えなかったかもしれないんだよな」
「うん……」
「会えて、よかったな」
「……うん!」
出会えてよかった。
心の底から、そう思うのだ。
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2016年7月3日(日)
「んー……、う、う?」
市民プールからの帰りの車中、うにゅほが左耳を押さえていた。
「どした?」
「なんか、みみ、かさかさいう……」
「水かな」
「みず、かさかさいう?」
「言うような、言いそうにないような……」
「んぅ」
左耳を下にして、とんとんと頭を振る。
「でないー」
「水なら乾いて終わりだと思うけど……」
「みずじゃなかったら?」
「耳鼻科だな」
「えー……」
とん、とん。
「でないー……」
「明日まで様子を見て、かな」
「うー」
「うーではなく」
「ぬー」
「ぬーでもなく」
「やだ……」
「病院なんて行き慣れてるだろ」
「それ、◯◯のつきそい……」
「俺がちょっと具合悪かったら、すぐ病院行け病院行け言うくせに」
「う」
「××は俺のこと心配かもしれないけど、俺だって××のこと心配なんだぞ」
「はい……」
うにゅほがしゅんとする。
「帰ったら、綿棒で耳掃除してやるから」
「うん」
帰宅したのち、あれこれ試していたら、耳の奥から一本の産毛が出てきた。
これが鼓膜に触れていたらしい。
「……なんか前にも似たようなことがあったような」※1
「うん……」
たかだか数ミリの産毛で調子が狂うだなんて、人間の感覚器官は繊細なものである。
※1 2014年10月16日(木)参照
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2016年7月4日(月)
「──…………」
キーボードの前で腕を組みながら、呟く。
「……書くことがない」
「ないの?」
「ない」
「かくことないの、たまにあるね」
「毎日書いてるとなあ」
起伏に富んだ日常とは、決して言えない。
だが、穏やかで満たされている。
「……××、なんかない?」
「なんか?」
「こう、秘密にしてることとか」
「……ひみつにしてること、にっきにかくの?」
「やぶさかでない」
「やぶさか……」
「ごめん、適当言った」
「……?」
うにゅほが小首をかしげる。
俺だって、自分の発言に首をかしげたい。
「ひみつ、ひみつ……」
「自分で聞いといてなんだけど、言いたくないことなら言わなくていいぞ」
「うと、ちょっとまって……」
しばしの思案ののち、うにゅほが口を開く。
「ひみつ、ない」
「ないのか」
「ない……」
「質問したら、なんでも答えてくれる?」
「うん」
「ほほーう」
目を輝かせてみたものの、改めて聞きたいことなど特にない。
うにゅほのことなら、だいたい知っているからだ。
「じゃあ、パ──」
「ぱ?」
「……いや、なんでもない」
なにを尋ねようとしたのかは、ご想像にお任せします。
「──あ、日記書けた」
「これでいいの?」
「今日の出来事には違いないし……」
「そか」
無理矢理だけど、こういう日だってある。
日記は続けることが大事なのだ。
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2016年7月5日(火)
市民プールへ向けて車を走らせている途中、ふとあることに思い至った。
「××」
「?」
「俺の水着、袋に入ってる?」
「うと」
ごそごそ。
「ない……」
「やっぱりかー……」
替えの下着やバスタオルばかり気にしていて、肝心の水着を入れ忘れてしまったらしい。
「とりもどらないと」
「いや、いいよ。ここまで来たら戻るのも面倒だし」
「でも、プールはいれない……」
「たしか、三百円くらいで水着のレンタルやってたろ」
「あ、やってた」
「あれでしのごう」
受付でLサイズの水着を借り受け、プールサイドでうにゅほと合流する。
「──…………」
「──……」
「◯◯、ぴちぴち……」
競泳水着だった。
「……ブーメランパンツじゃなかっただけマシか」
「ぶーめらん?」
「なんか、こんな感じの、三角形の──」
「うへえー」
うにゅほが苦笑する。
喜んでるんだか引いてるんだか。
「そんなん出てきたら、水着取りに帰るけどな。さすがに」
「はかないの?」
「穿かないよ……」
いまの水着だって、ビジュアル的にギリギリなのだ。
「……それにしたって、この水着、ピチピチ過ぎやしないか?」
「うん」
「すげえきつい……」
「だいじょぶ?」
「大丈夫っちゃ大丈夫だけど……」
プールで小一時間ほど遊び、更衣室に戻って気がついた。
「……これ、Mサイズだ」
きついはずである。
受付のお姉さん、間違えやがったな。
教訓、プールへ行くときは水着を忘れてはならない。
小学生か。
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2016年7月6日(水)
「──……はあ」
作務衣の共襟をパタパタさせながら、溜め息をひとつつく。
暑い。
七月に入ってから暑い日が続いていたけれど、そのなかでもひときわだ。
「♪〜」
ぼけらーっとしていると、眼前でちいさなおしりが揺れた。
ワールドトリガーの新刊を手にしたうにゅほが、俺の膝に腰掛ける。
そして、
「──あつ!」
と、慌ててこちらを振り返った。
「◯◯、あつい……」
「そら暑かろうよ」
「ちがくて」
対面するように座り直したうにゅほが、俺の額に手を添える。
「……◯◯、ねつある」
「熱?」
「うん……」
「体調とか、べつに悪くないけどなあ」
「ぐあい、わるそうじゃない」
「だよなあ」
「うん」
「敢えて言うなら、全身はメチャクチャ痛い」
「きんにくつう?」
「たぶんな」
昨夜、興が乗ったので、力尽きるまで筋トレしまくったのだった。
「それで、あついのかなあ」
「他に思いつかないから、そうかも」
筋肉痛とは、言うなれば筋繊維の炎症である。
当然、発熱することもある。
「いっきにやるから……」
「うん……」
「きーつけないと、だめだよ」
「はい」
「よろしい」
「──…………」
「──……」
「……こっち向いたまま読むの?」
「だめ?」
「いいけど……」
そんなわけで、いまいち落ち着かない時間を過ごしたのだった。
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2016年7月7日(木)
「たなばた」
「七夕だな」
「ななゆう」
「ななゆう?」
「ななゆうってかいて、たなばた」
「そうだな」
「なんで、たなばたってよむの?」
「あー……」
「たなぼたとなんらかの」
「関係ないと思うぞ」
「たなから、ばたもち」
「バター餅?」
「ばたもち、おいしそう」
「確かに……」
「バターとしょうゆをひいたフライパンで」
「──…………」
「ひょうめんが、ぱりっとするまで」
「……腹減ってきた」
「おもちやく?」
「もち、ある?」
「ないとおもう」
「だよなー……」
「さがしたら、おやつあるかも」
「いや、いいよ。ダイエット中だし」
「あ、こないだこすとこで、びーふじゃーきーかった」
「お」
「おおきいやつ」
「マジか」
「びーふじゃーきー、ダイエットにいいもんね」
「ほとんどタンパク質だから、しょっぱいプロテインみたいなもんだ」
「でも、たべすぎだめだよ」
「はい」
「◯◯、ほっといたらぜんぶたべちゃう」
「気をつけます……」
「よろしい」
「ははー」
「……あれ、なんのはなしだっけ」
「七夕だろ」
「たなぼた」
「七夕」
「うへー」
「短冊とか、いいの?」
「べつにいい」
「そっか」
うにゅほにとって、七夕は平日である。
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2016年7月8日(金)
「ぐ、ぬぬ、ぬー……」
「あと1センチ!」
「う、う、う」
「もうすこし!」
「──なー!」
いまいち気の抜ける気合と共に、うにゅほの指先がフローリングをかすめる。
「ついた!」
「ついてない!」
「ついた……」
「右手だけな」
「うー」
「でも、ストレッチの成果は出てるよ」
「がんばった」
「よしよし」
「うへー……」
頭を撫でてやると、うにゅほがてれりと笑みを浮かべた。
うにゅほは前屈が苦手である。
背中側には猫かと思うくらい反れるのに、前屈だけができない。
「要するに、ふとももの裏が硬いんだな」
「そなの?」
「前屈したとき、どこが突っ張る?」
「うと……」
うにゅほが上半身を折り曲げる。
「ぐぬ、う、う──」
「そのまま」
ふとももの裏側──大腿二頭筋に触れる。
「うひ」
「ここが硬い」
「うー……」
「あと、膝曲がってる」
「も、も、いい?」
「いいよ」
「ふー……」
うにゅほが寝床に倒れ込む。
「も、すこし……」
「そうだな」
「◯◯みたいに、てのひらつきたい……」
「続けてれば、そのうちつくよ」
「うん」
「ほら、マッサージしてあげよう」
「おねがいします」
継続は力なり、である。
体それ自体は柔らかいのだから、さほど苦もなく目標達成できるの思うのだけど。
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2016年7月9日(土)
市民プールからの帰途の車中でのことである。
「はちー……」
「あちーねえ……」
「プールから上がると、急に暑いよな」
「うん……」
カーエアコンを僅かに強め、窓を閉める。
「コンビニでアイスでも買ってくか」
「そうしましょう」
「俺、ガリガリ君」
「あ、わたしも」
「じゃ、BLACKアイスにしよう」
「わたしも……」
「お揃いもいいけど、別の選んでひとくち分け合いたい」
「あ、そか」
うんうんと頷くうにゅほを横目に、直近のコンビニへと車を止める。
「××、ゴミある?」
「あるー」
うにゅほからヴァームのペットボトルを受け取り、店先のゴミ箱へと放り込む。
「あ!」
「?」
「◯◯、かんのほういれた……」
「ああ、コレ系のゴミ箱って、缶もペットボトルも中で繋がってるんだよ」
「しってる」
「知ってるのか」
「でも、ペットボトルは、ペットボトルのほういれないとだめなんだよ」
「……どっちに入れても同じなのに?」
「うん」
うにゅほなりのこだわりがあるらしい。
「わかった、今度からそうするよ」
「うん」
満足げに頷くうにゅほの手を引き、店内へ入る。
「……涼しい」
「すずしいねえ……」
「エアコン欲しいなあ」
「ほしいねえ……」
文明の風に晒されながら、ガリガリ君とBLACKアイスをついつい大量購入してしまう俺たちなのだった。
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2016年7月10日(日)
「──…………」
洗面所の鏡を覗き込みながら、寝癖を軽く整える。
丸刈りにしてから一ヶ月以上が経過し、髪もだいぶ伸びてきた。※1
「そろそろ切ろうかなあ……」
「!」
ソファでくつろいでいた鏡の向こうのうにゅほが、見えないしっぽを振り始める。
「ぼうず、するの?」
「このあいだほど短くはしないけどさ」
「しないの……」
しゅん。
がっかりしすぎである。
「ほら、だんだん横に膨れ上がってきただろ」
「うん」
「床屋のおじさん曰く、人間には耳があるから、自然とこういう伸び方になるらしい」
「なめこみたい」
「──…………」
鏡を見る。
なめこ。
首をかしげる。
なめこ。
ふと、思い至る。
なめこ。
「……髪切ります」
顔のシルエットがなめこに見えてしまった以上、他に道はない。
「ぼうず?」
「丸坊主にすると、一ヶ月でまたこうなるからなあ……」
「そしたら、またぼうずにする」
「撫でたいだけだろ」
「うへー……」
図星である。
撫でられるのは嫌ではないが、万年丸坊主もどうだろう。
出家したわけでもあるまいに。
※1 2016年6月1日(水)参照
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2016年7月11日(月)
「眠い」
「ねむいの」
「ねーむーいー……」
「わ」
うにゅほの膝に頭を乗せる。
「ねていいよ」
なでなで。
「寝ない」
「ねむいなら、ねたほういいよ」
「仕事がね、まだ終わらないんですよ」
「おつかれさまです」
「ありがとうございます」
「きゅうけい?」
「充填」
「じゅうてん?」
「エネルギーの充填中」
「えねるぎー……」
「××エネルギー」
「そんなの、あるの?」
「ある」
「あるんだ」
「××エネルギーは、××に触れることで補給できる」
「ほきゅうできないと、どうなるの?」
「死ぬ」
「しぬの」
「死にたくないので、定期的に補給しなければならないのです」
「そうなんだ」
うにゅほがうんうんと頷く。
「……馬鹿言ってないで、仕事に戻るか」
「だめ」
上体を起こそうとして、うにゅほに止められた。
「◯◯えねるぎーのじゅうてんちゅうだから、だめ」
「俺エネルギーもあるんだ……」
「ある」
「補給できないと、死ぬの?」
「しぬ」
「そうなんだ……」
「うん」
「なら、仕方ないな」
「しかたない」
というわけで、しばらくのあいだ膝枕されていた。
仕事?
終わればいいんだよ、終われば!
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2016年7月12日(火)
「あっ!」
パソコンデスク代わりの座卓の上に立ててあったタブレットペンが、ことりと倒れた。
「ごめんなさい……」
申し訳なさそうな表情を浮かべ、うにゅほがペンを立て直す。
「いや、そんな謝らなくても」
「でも」
「掃除してもらってるのはこっちなんだから、むしろ片付いてなくてごめんとしか……」
「もの、おおくなってきたね」
「引き出しないからなあ」
「すてるの、すてる?」
「そうしたいんだけど、捨てるものがなくて」
「そなんだ」
「……んー?」
座卓の上を見回して、ふと思う。
「物が増えたのは確かなんだけど、なにが増えたのかわからない……」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「言うなれば、必要なものしかない」
「これは?」
うにゅほが指差したものは、
「PC用のマイク。仕事で使ってるだろ」
「これ、まいくだったの」
「どこに向かって話してると思ってたんだ?」
「これ」
「ディスプレイかあ」
ノートパソコンにはWebカメラとマイクが内蔵されていたりするから、決して的外れではないのだけど。
「くすりと、つめきりと、めぐすりと」
「鼻炎用のスプレーと、耳栓……」
「つかわないの、ないねえ」
「でも、なにかが増えたんだよ」
「なんだろうねえ……」
「さあー……」
改めて考えてみても、よくわからない。
最初から、いまと同じものが揃っていたような気もする。
しかし、乱雑になっていることは確かなのだ。
「とりあえず、まとめて端に寄せといて」
「はーい」
とは言え、わりとどうでもいいことなので、謎は謎のままにしておこう。
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2016年7月13日(水)
泡立て器が音を立てるたび、ボウルの中身が混ぜ合わされていく。
「なにつくってるの?」
「プロテイン」
「ぷろていんかー」
「このところ、プールとか行って、体動かしてるからな」
「いいことですね」
「いいことでしょう」
しばしして、粉末プロテインとアップルジュースの混合溶液が出来上がった。
ひとくち飲んで、
「うん」
「おいしい?」
「美味しい」
セブンイレブンのアップルジュースは、サワーミルク味のプロテインを溶かす際の最適解である。
「いい加減、このプロテインも使い切らないとなあ」
「さいきんのんでなかったもんね」
「味はいいんだけど、作るのが面倒で……」
粉のまま噛むわけにも行かないし。
「まあ、ちまちま消費してくさ」
氷を入れたグラスにプロテインドリンクを注ぎ、ちびりと飲む。
「──……んー」
「?」
「◯◯、ふくろみして」
「プロテインの?」
「うん」
「そこにあるよ」
うにゅほがプロテインの徳用袋を抱え上げ、何事かを確認する。
「……◯◯、ことしなんねん?」
「2016年だけど」
「しょうみきげん、にせんじゅうごねん……」
「──…………」
「のんじゃだめ」
「……粉末だから、大丈夫じゃない?」
「だめ」
「はい」
古くなったプロテインは、無事、廃棄される運びとなりました。
3kgは多過ぎた。
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2016年7月14日(木)
「あちー……」
「あちーねえ……」
「……うわ、汗でべとべとだ」
「シャワーあびてきたら?」
「そうするかな」
「うん」
「……なんか、俺たちの部屋だけ妙に暑くない?」
「ひあたりいいからかな」
「日当たりなら、弟の部屋も同じじゃん」
「そだねえ」
「弟の部屋と俺たちの部屋で、違うことってなんだろう」
「うと、れいぞうこがある……」
「なるほど、有力だな」
「そなの?」
「冷やしたぶんの熱は、どこへ行くと思う?」
「そと」
「正解」
「だから、あちーのかあ」
「他にも可能性はある」
「どんなの?」
「弟の部屋と比べて物が多いから、風の通りが悪いのかもしれない」
「あー」
「まあ、これはどうしようもないな」
「ふたりいるからね」
「──…………」
「──……」
「あと、最も有力な説がひとつあってな」
「?」
「××が俺の膝に乗ってるから……」
「……うへー」
「首筋、汗ばんでるぞ」
「うん」
「俺のあと、シャワー浴びたらいいよ」
「そうする」
果たして、真夏日になってもくっついていられるのか。
俺たちの挑戦が始まる。
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2016年7月15日(金)
「んー……」
ぐー、ぱー。
ぐー、ぱー。
両の手のひらを、開いたり、閉じたり。
「どしたの?」
「なんか、指の調子が悪い」
「ゆび、ちょうしとかあるんだ」
「俺も初めて知った」
ぐー、ぱー。
ぐー、ぱー。
「いたいの?」
「うーん」
「いたくない?」
「痛くはないけど、すこし重いと言うか、いまいち鈍いと言うか……」
言葉にするのが難しい感覚だ。
「てーかして」
「はい」
うにゅほに左手を取られる。
熱い。
体温が高いのだろう。
「こうしたら、いたい?」
人差し指が、優しく折り曲げられる。
「痛くない」
「こうは?」
「痛くないよ」
「こっち」
「大丈夫」
しばしして、
「わかんない……」
「むしろわかったらびっくりするけど」
「したら、いたいこと、ある?」
「あー……」
ぱき。
「──つッ」
「◯◯?」
「指を鳴らすと、すげえ痛い」
「──…………」
うにゅほが白い目をこちらに向ける。
「……わかってるなら、ゆびならすのきんし」
「あ、はい……」
わかりやすく例を見せただけのつもりだったのだが、怒られてしまった。
指の使い過ぎだろうか。
しばらくのあいだ、安静にしておこう。
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以上、四年八ヶ月め 前半でした
引き続き、後半をお楽しみください
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2016年7月16日(土)
髪を切った。
「んー……」
なでなで。
助手席のうにゅほが、俺の頭へと手を伸ばす。
「ちくちくする」
「××、危ないから、運転中はやめなさい」
「はい」
素直である。
「丸坊主じゃなくて残念か?」
「ちょっとだけ……」
「坊主も、悪くはないんだけどな」
「うん」
「手入れ楽だし、寝癖つかないし──」
「あ、あかだ」
信号を確認しブレーキペダルを踏み込むと、うにゅほが再び俺の頭に手を伸ばした。
「ちくちくするー」
なでなで。
「ちくちく」
なでなで。
「──…………」
「♪」
「楽しい?」
「たのしい」
「坊主じゃなくてもいいのでは……」
「ぼうずは、すごくたのしい」
「そうですか」
「ぼうずはね、じゃりじゃりしてて、てがきもちい」
「うん」
「ひとさしゆびと、なかゆびで、ぺぺぺってやると、だんだんまえのほういく」
「……?」
「こう、ぺぺぺって」
うにゅほが、人差し指と中指を交互に上下させてみせた。
まったく意味がわからない。
わからないが、
「そうなんだ」
とりあえず頷いておくことにした。
「……坊主は、まあ、うん。気が向いたとき、またするから」
「はーい」
青信号。
アクセルペダルに足を掛け、ミラジーノを発進させる。
丸坊主かあ。
また、出家しただのなんだの言われるんだろうなあ。
しかし、うにゅほと約束してしまったからには仕方ない。
そのうち、そのうち。
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2016年7月17日(日)
「──……ぶあ!」
ペットボトルの中身を一気に飲み干し、溜め息をつく。
「はー、苦い……」
「にがいやつ、おいしい?」
「苦い」
「にがいのにのむの……」
「苦いのが効くらしい」
「たいしぼう」
「本当に体脂肪率が下がるかどうかは知らんけど、体に悪いものじゃないだろ」
ヘルシア緑茶のラベルを剥がし、ゴミ箱に捨てる。
「たいしぼう、きになるの?」
「気になるねえ……」
「◯◯、そんなふとってないのに」
「太ってるとか、太ってないとか、そこが問題じゃないんだ」
「どこがもんだい?」
「前より太ったことが問題なんだ」
「……?」
うにゅほが首をかしげる。
「父さんより痩せてるとか、弟は腹出てるとか、そんなこと言われても嬉しくない」
「うん」
「太ったねって言われるのが嫌だから、痩せたいんだよ」
「……うーん?」
「まあ、××にはわからない感覚かもしれないな」
痩せっぽちだし。
「あ、のこってる」
うにゅほが、ラベルを剥がしたペットボトルを手に取り、底に残ったひとしずくを啜る。
「……にがいー」
「苦いだろ」
「◯◯、よくのめるねえ」
「味わおうとしないで、一気に流し込むのがコツだ」
「たいしぼう、へったらいいね」
「どうかな……」
実を言うと、あまり信じていなかったりする。
「おたかいから、きいてほしい」
「ほんとな」
楽して痩せようとすると、金がかかる。
そういうものかもしれない。
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2016年7月18日(月)
「うへえー……」
「涼しいな」
「すずしいねえ、すずしいねえ」
うにゅほが子供のようにはしゃぐ。
リフォーム中の我が家から、扇風機を発掘してきたのだった。
「これで、くっつき放題だな」
「うん、くっつきほうだい」
うへーと楽しげに笑いながら、膝の上のうにゅほがこちらへ体重をかける。
暑い。
でも、汗ばんだ箇所から順に体温が奪われていく。
扇風機さまさまである。
「──…………」
「♪」
伸ばした足をパタパタさせているうにゅほを見ながら、ふと思う。
仮住まいに引っ越してきてから、密着する頻度が目に見えて高くなっている気がする。
「……部屋が狭いせいかな」
「?」
「ひとりごと」
「そか」
いまの部屋は六畳間だから、ちょっと頑張ればどこにいたって相手に触れることができる。
どうせ近いならいっそのこと密着してしまえ、という感覚だ。
「××」
「?」
うにゅほが肩越しに振り返る。
「……いや、なんでもない」
「そか」
元の家へ戻るのがすこし寂しくなった──だなんて、女々しくて言えるはずもない。
「リフォーム、もうすぐ終わりだな」
「うん」
「さっき見てきたけど、ほとんど完成してたもんな」
「すごかったねえ」
「あと十日で、また引っ越しかあ」
「うん……」
「……涼しいな」
「すずしいねえ」
軽く現実逃避をしながら、うにゅほをぎゅうと抱き締めた。
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2016年7月19日(火)
あてどなくネットサーフィンをしていると、ステレオグラムを集めたサイトに行き着いた。
「うわ、懐かしい……」
「?」
うにゅほが俺の肩越しにディスプレイを覗き込む。
「……もよう?」
「立体視だよ」
「りったいし」
「ある特殊な見方をすると、模様から文字が飛び出して見える」
「ほ!」
あ、食いついた。
3Dとか大好きだもんな、うにゅほ。
「どうやったらみえるの?」
さっさと俺の膝に陣取ったうにゅほが、鼻息荒く尋ねた。
「まず、力を抜いてください」
「はい」
ふにゃふにゃの肩をマッサージしてやりながら、続ける。
「画像の上に、点がふたつありますね」
「はい」
「ぼやーっとしたら、点がよっつに見えませんか?」
「ぼやー?」
「ぼやー」
「ぼやー……」
しばしして、
「よっつにみえる……」
「そしたら、ずれた点を重ね合わせて、みっつにしてみてください」
「みっつ……」
「ぼやー」
「ぼやー……」
またしばらくして、
「──あ!」
「見えた?」
「つち、ってかいてある!」
「正解」
「すごいねえ、すごいねえ!」
大興奮である。
「もっと見たい?」
「うん!」
いまさらながらステレオグラムにハマるうにゅほなのだった。
-
2016年7月20日(水)
「うーん……」
卓上ミラーを覗き込みながら、顎の下を撫でる。
「三十路を過ぎてから、ヒゲ伸びるのが早くなった気がする」
「そなの?」
「ほら」
首を後ろに反らせ、顎の下を見せる。
「あ、ぽつぽつしてる」
「な?」
「とこやのおじさんとこで、そってもらったばっかしなのにねえ……」
俺は、ヒゲが濃いほうではない。
二十代のころは、一週間は剃らなくても大丈夫だったものだ。
「……老けたのかな」
「かんけいあるの?」
「ヒゲって、年齢と共に濃くなってくらしくてさ」
「そうなんだ」
「なんか、男性ホルモンがうんぬん」
「ほるもん」
「よく知らんけど……」
「うしょ」
うにゅほが座卓に手を伸ばし、なにかをつまみ上げた。
「毛抜き?」
「◯◯のひげ、ぬいていい?」
「いいけど」
「やた!」
敷布団の上に正座したうにゅほが、ぽんぽんと膝を叩く。
「はい」
「ヒゲ抜くの好きだなあ」
「すき」
うにゅほの膝に頭を乗せ、目をつぶる。
「もすこしうえ」
「はいはい」
「くびそって」
「はいはい」
「ぬくよー」
「あいよー」
ぷち、ぷち。
僅かな痛みを心地よく感じながら、しばらくヒゲを抜かれていた。
-
2016年7月21日(木)
2016年7月22日(金)
「──……んが」
頬の熱さに目を覚ます。
液晶タブレットの画面に突っ伏しながら眠っていたらしい。
「……?」
こめかみの微かな痛みを気にしながら、状況の把握に努める。
まず、ここは自室である。
明かりは既に落とされており、すぐそばの布団では、うにゅほが寝息を立てている。
時刻は、
「──一時半?」
普段であれば、まだ眠るような時間ではない。
ぱさ。
肩に掛けられていた半纏が、座椅子の上に落ちた。
「……んぃ……」
うにゅほの目蓋がゆっくりと開いていく。
「◯◯、おきた……?」
「ごめん、起こした」
「──…………」
もそもそとこちらへ這い寄ってきたうにゅほが、
「えい」
ぺし!
「いて」
俺の脳天にチョップをかました。
「おさけ、のみすぎ」
「酒──」
思い出した。
濃い目のコーラハイで晩酌をしていたところ、そのまま寝落ちしてしまったのだ。
「やばい、日記書いてない!」
「えい」
ぺし!
「いて」
再びチョップ。
「にっきじゃなくて、ちゃんとねないとだめ」
「でも」
「さいきん、あんましねてなかったでしょ」
「忙しくて……」
「そんななのにおさけのむから、へんなねかたするの」
「はい……」
「ほら」
うにゅほが俺の手を引く。
「ふとんはいって」
「はい」
「あさまでおきたらだめだよ」
「はい」
「てーつないでねるからね」
「はい……」
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
目が覚めたのは、午前十時を過ぎたころだった。
久方ぶりにたっぷりと睡眠をとったためか、油を差したかのように調子がよかった。
人間、やはり寝ないと駄目なようだ。
-
2016年7月23日(土)
「──…………」
すんすん。
膝の上でくつろいでいるうにゅほの髪の毛を鼻先で掻き分ける。
「塩素の匂いがする」
「えんそ?」
「プール行ったからなあ」
「プールのにおい」
「そう」
「くさい?」
「臭くはないよ。夏の匂いだ」
「なつのにおい……」
まあ、市民プールは年中開いているのだけど。
「かとりせんこうのやつも、なつのにおい?」
「そうだな」
「はなびのにおいとか」
「ラムネの匂いとか」
「ラムネ、のみたいねえ」
「祭りで買おうな」
「おまつりのにおいも、なつのにおい」
「祭りの匂いか」
「なつのにおいじゃない?」
「夏の匂いだよ。ただ、いろいろ混じってるからな」
火薬の匂い。
焼き鳥の匂い。
人混みの匂い──
「たいこのおと」
「それは、音だろ」
「おとだけど、においするきーする」
「あー……」
共感覚というほどではないにしろ、言いたいことはわからないでもない。
音も、匂いも、明かりも、味も、すべてが混じり合って、祭りの空気を形作っている。
ガサガサのスピーカーから流れる盆踊りの歌。
腹を揺さぶる太鼓の響き。
赤橙の提灯に彩られた世界。
「……祭り、行きたくなってきた」
「うん」
「もうじきリフォームも終わるし、夏祭りに間に合いそうだな」
「うん!」
家の前の公園では、今年も夏祭りが執り行われるだろう。
今から楽しみである。
-
2016年7月24日(日)
「──すん!」
「どした」
「ぶー……」
うにゅほが上体を軽く反らし、
「ぷし!」
と、ちいさくくしゃみをした。
「ティッシュいる?」
「いるー……」
「はい」
ずびー。
「さっきの、くしゃみする前のやつって、不発?」
「……?」
「すん、ってやつ」
「あれは、しっぱい」
「くしゃみって、失敗するのか」
「しない?」
「我慢を失敗することはあるけど……」
「……あれー?」
うにゅほが小首をかしげる。
「不発だったから、くしゃみし直すことならある」
「たぶん、それ」
「ムズムズするよな」
「うん、はなむずむずする」
ずびー。
「……ぶー」
「風邪でも引いたかな」
「わかんないけど、ちがうとおもう」
「わからなくても、気をつけておかないと」
「うん……」
「窓は閉めて、扇風機も止めておこう」
「あついとおもう」
「あと、膝の上においでなさい」
「はい」
「暑いと思うけど」
「しかたない、しかたない」
「都合いいなあ」
「つごういいの」
風邪を引くより、ずっといい。
-
2016年7月25日(月)
カレンダーを見ながら、ぼんやりと呟く。
「そろそろ荷造りしないとなあ……」
「ひっこし、にじゅうくにち?」
「そう」
「あとよっか……」
「荷造りしないとなあ」
「しないとねえ」
「引っ越しは29日だけど、荷造りは28日までに終わらせないと駄目だぞ」
「あとみっか?」
「あと三日」
「──…………」
「──……」
「にづくりしないと」
「しないとなあ」
「うん」
口ではそう言いながら、動く気はさらさらない。
「──…………」
「──……」
「にづくり、しないの?」
「しないとなあ……」
「うん……」
「しないけど」
「しないの」
腰を浮かしかけていたうにゅほが、再び俺の膝の上に座り込んだ。
「考えてもみなさい」
「かんがえてもみる……」
「いまから全部ダンボール箱に詰めたら、引っ越しするまで何もできないぞ」
「うん……」
「仕事もあるし、着替えもあるし、読むものだってなくなるし」
「それいがいは?」
「それ以外って、そもそも持ってきてないだろ」
「──…………」
しばし思案し、
「あ、そか」
「最低限の荷物しか持ってきてないんだから、荷造りだって最低限」
「うん」
「むしろ、家に戻ってからが本番だぞ」
「ほん、あるからね」
「2,500冊な」
「ほん、あるね……」
「本棚増やしたから、まだまだ入るぞー」
「うへー……」
うにゅほが苦笑する。
結局のところ、俺は、本に囲まれていないと落ち着かないのである。
-
2016年7月26日(火)
「──終わっ、たー……!」
ぐてー。
仕事用のテーブルに突っ伏し、目をつぶる。
「おつかれさま」
「はちー……」
「せんぷうき、つけるね」
かち。
小気味良い音と共に、柔らかな風が髪をそよがせていく。
「涼しいー……」
「きょう、あついもんねえ」
甚平の共襟をパタパタさせながら、うにゅほがひとつ溜め息をついた。
「扇風機、使っててもよかったのに」
「しょるいとぶからって」
「俺のほうに向けなければいいわけだし」
「えー……」
うにゅほが口を尖らせる。
「わたしだけすずしいの、いや」
「嫌ですか」
「や」
「普通は逆だと思うんだけど」
うにゅほらしいと言えば、うにゅほらしい。
「◯◯、しごとしてるのに、あついのに、わたしほんよんでるのに、わたしだけすずしい……」
「うん、言いたいことはわかる」
「そか」
「でも、そういう××だからこそ、涼んでてほしいって気持ちもある」
「──…………」
あ、なんとも言えない顔してる。
「なんつーか、こう、××は、守りたい度が高い」
「まもりたいど」
「守りたい度が高い子は、守りたくなる」
「◯◯も、まもりたいど、たかいよ」
「……高いのか」
「たかい」
微妙に複雑である。
「……まあ、うん、守り守られで行きましょう」
「そうしましょう」
扇風機の前にふたり並んで涼む俺たちなのだった。
-
2016年7月27日(水)
「××、ほら」
「?」
うにゅほにiPhoneの画面を見せる。
「ポケモンGO」
「ぽけもんごー」
「知らない?」
「なまえはしってる」
「××、ポケモン興味ないもんなあ」
「ぴかちゅうはしってる……」
「まあ、俺も大して興味ないんだけどさ」
「そなんだ」
「なんか、外を歩くとポケモンが見つかるらしい」
「そと……」
ふたりで窓の外を見やる。
「……あめふってる」
「降ってるな」
「いく?」
「行かない」
「うん」
「あと、ポケストップってところに行くと、アイテムを入手できる」
「ぽけすとっぷ」
「公園とかが多いな」
「いえのまえのこうえん、ぽけすとっぷ?」
「その通り」
「へえー」
「だから、家から出なくても、いくらでもアイテムが手に入るのだ!」
「すごいの?」
「わからない」
「わからないの」
「だって、あんまりやる気ないし」
「ないの」
「××、やってみたい?」
「んー……」
しばし小首をかしげたあと、
「◯◯がやるきないなら、わたしもやるきない」
「まあ、大して知らんモンスター集めるために長距離歩くのもな」
「うん」
そんなわけで、俺たちのポケモンGOは、密やかに幕を下ろしたのだった。
そもそも幕が上がらなかったとも言う。
-
2016年7月28日(木)
「はい」
「ほい」
Tシャツを受け取り、ダンボール箱に入れる。
「はい」
「ほい」
ワンピースを受け取り、ダンボール箱に入れる。
「はい」
「ほい」
靴下の束を受け取り、ダンボール箱に入れる。
「はい」
「──…………」
うにゅほのパンツを受け取る。
「……いや、まあ、いいんだけどさ」
「?」
同じ箪笥にごちゃ混ぜで衣類を仕舞っている時点でお察しである。
箪笥の中身を詰め終わったあと、うにゅほがそっと口を開いた。
「ぞうさんのたんす、さよならだねえ……」
プリントされた象の絵柄を愛おしげに撫でる。
引っ越しにあたり、箪笥を買い替えることにしたのだった。
「いい加減、カビ臭くなってたからな」
「うん……」
「まあ、いままで頑張ったよ」
うにゅほに倣い、箪笥の天板を撫でる。
「……そうか。このぞうさんも、見納めか」
子供の頃から見慣れた絵柄。
箪笥自体には、良い思い出も、悪い思い出もない。
だが、記憶の各所をたしかに彩っている。
「◯◯」
「んー」
「ぞうさんのしゃしん、とる?」
「……なるほど」
箪笥そのものはなくなってしまっても、ぞうさんの絵柄だけはデータに残る。
「ナイスアイディア」
「うへー……」
便利な世の中になったものだ。
写真とは、記憶のしおりである。
差し挟むことで、思い出すことができる。
「××の写真も撮っていい?」
「だめー」
なんか嫌がられるのだった。
-
2016年7月29日(金)
「──…………」
ぼす。
仮置きしたマットレスに思いきり倒れ込む。
「うあー……」
ぽす。
「ぐえ」
マットレスに倒れ込んだ俺の上に、うにゅほが優しく倒れ込んだ。
「づーかーれーたー……」
「つかれたねえ……」
我が家のリフォームがようやく完了し、アパートから復路の引っ越しと相成った。
そして、ガレージに取り置いてあったダンボール箱すべてを運び入れたところで燃え尽きたのだった。
「ほん、かたづけないとねえ……」
「……今日?」
「うと、きょうは──」
「──…………」
「──……」
「きょうは、もう、おわり?」
「うん、明日やろう。明日からやろう。ゆっくりやろう」
「そだね」
うにゅほが苦笑するのが気配でわかった。
「ほんだな、すごいねえ……」
「すごいだろ」
「としょかんみたい」
「図書館に住むのが夢だったんだよ」
壁一面と言わず、壁二面が、上から下までまるっと本棚である。
2,500冊程度の蔵書など、造作なく収まるだろう。
まあ、収まるほうに造作はなくとも、収めるほうにはふんだんにあるのだが。
「……××、ちょっとだけ寝ていい?」
「あ、どけるね」
「いや、布団代わりに乗ってて」
「いいの?」
「××も、一緒に休もう。朝早かったし」
「うん」
「じゃ、おやすみ」
「おやすみー」
親亀子亀で昼寝をしたら、妙な悪夢を見てしまった。
いくらうにゅほが軽いとは言っても、人一人を背負ったまま眠るのは無理があったらしい。
-
2016年7月30日(土)
「あぢー……」
甚平の共襟をパタパタと動かしながら、あまりの湿度に喘ぐ。
「はちーねえ……」
「服の下とか、汗でべたべただよ……」
「わたしも……」
「……動きたくねえー」
「うん……」
無数のダンボール箱をひとつひとつ開封して本を整理しなければならないのだが、とてもじゃないけどやる気が起きない。
「××、扇風機つけよう。幸せになろう」
「なる……」
ダンボール箱でできた山の向こうから扇風機を掘り出し、コンセントを繋ぐ。
「──…………」
「はー……」
「涼しい……」
「すずしいねえ……」
「さっきとは別の意味で動きたくない……」
「うごきたくないねえ……」
柔らかな風が頬を撫で、気化熱が体温を奪っていく。
「……寒くなってきた」
「そう?」
湿度が異様に高いだけであって、気温自体はさほどでもない。
当然の帰結と言えた。
「弱にしよう」
「うん」
弱にした。
「暑い……」
「あついねえ……」
「中にしよう」
「うん」
中にした。
「寒い……」
「あいだ、ないよ?」
「うーん……」
しばし思案し、
「××、強にして」
「うん」
強にした。
「ちょっとさむいかも……」
「そこでだ」
「わ」
うにゅほを抱き上げ、膝に乗せる。
「これで、ちょうどいいはず」
「なるほど」
うんうんと頷く。
「──…………」
「──……」
「まえがさむくて、せなかあつい」
「……そりゃそうか」
脳が働いていないらしい。
数時間ばかり扇風機の前でうだうだしていると、いつしか日が暮れていた。
有意義な一日ですね。
-
2016年7月31日(日)
「──…………」
「♪」
家の前の公園で、今年も夏祭りが執り行われていた。
熱気。
喧騒。
祭囃子。
そういったものが自室にいても感じられるのは、公園の傍にある我が家の特権だ。
「ラムネおいしい」
「ひとくち」
「はい」
扇風機の前でふたり寄り添いながら、舌で祭りを楽しむ。
「焼き鳥少なかったかな」
「やきとりのぶた、もすこしたべたい」
「あとでまた買いに行くか」
「うん」
「……涼しくなったらな」
「うん……」
暑い。
あまりに暑い。
雨の予報は外れたものの、湿度の上昇までは避けられなかったようだ。
「××、ほら」
「?」
「あまりの湿気に書類がたわんでいる……」
「ほんとだ……」
「でも、まあ──」
焼きそばを割り箸でほぐしながら、言う。
「暑いほうが、祭りっぽいけどな」
「そだね」
「ラムネ、もう二、三本欲しいなあ」
「のみすぎ」
うにゅほがくつくつと笑う。
「いやだってこれ、200mlくらいしか入ってないんじゃないか?」
「そうかも……」
「ペットボトルで持って来い、ペットボトルで」
「ぺっとぼとるだと、おいしくないよ」
「まあなー」
ぬるいラムネも、生焼けの焼き鳥も、祭りだから美味しいのである。
-
以上、四年八ヶ月め 後半でした
引き続き、うにゅほとの生活をお楽しみください
-
2016年8月1日(月)
「終わっ──」
ぱん!
うにゅほとハイタッチを交わす。
「たッ!」
「たー!」
2,500冊の蔵書すべてをとうとう本棚に収めきった。
「いやー、壮観だな!」
壁一面がまるまる本で埋まるというのは、思っていた以上に迫力があるものだ。
「ほんやさんみたい……」
「たしかに、図書館と言うより本屋だな」
半分以上漫画だし。
「──それにしても、暑い……」
温湿度計を覗き込む。
「……31℃」
「まなつび!」
こんな室温のなかで肉体労働を行っていたのだから、そりゃ暑いはずである。
「湿度は60%」
「たか──い、の?」
「わからん」
うにゅほが自分の襟元を開き、覗き込む。
「びちょびちょー……」
「俺なんか、パンツまでぐっしょりだぞ」
「わたしも、ぐっしょり」
「シャワーでも浴びてくるか……」
「そだね」
「××、先入ってきな」
「◯◯、さきはいっていいよ」
「──…………」
「──……」
「××、先」
「◯◯、さき」
「ぬう」
「むー……」
結局、じゃんけんで負けたうにゅほが先に入ることになった。
勝敗が逆のような気もするが、いつものことである。
-
2016年8月2日(火)
「──シーツ」
「つるはし」
「しお」
「押し寿司」
「し、し、しそ」
「ソテツ」
「そてつ?」
「観葉植物」
「つー、つー、つる!」
「ルーツ」
「つり!」
「利子」
「しー、しもん、しもん、にんしょう……」
「牛」
「しし!」
「出立」
「◯◯、つーか、しーばっかり……」
「そうしないと終わらないし」
「おわらなくていいのに」
「××……」
「?」
「俺もいい年だし、××も子供じゃないんだから、もうすこし知的な遊びをだな……」
「ちてき……」
うにゅほが小首をかしげる。
「しりとり、ちてきとおもう」
「そうかなあ」
「ご、ごいりょくをきたえる……」
「……あー、まあ、たしかに、そういう一面もあるか」
「でしょ」
うにゅほが小さく胸を張る。
「だからって、しりとりばっか延々と続けてもなあ……」
「ちてきなあそびって、なに?」
「──…………」
「──……」
「えーと、だな」
「うん」
具体的に考えていなかった、とは言えない。
「お──」
「お?」
「……覚えてしりとり、とか」
「おぼえてしりとり」
「出た単語をすべて暗誦していくしりとりなんだけど……」
「やる!」
新たな遊びの予感に、うにゅほが目を輝かせる。
こうなっては仕方がない。
「……よし、やるか」
「しりとりの、りーからね」
「倫理」
「りんり、りょうり」
「倫理、料理、陸戦型ガンダム──」
こんなつもりではなかったんだけど、まあ、いいか。
-
2016年8月3日(水)
自室の整理の際に衣装ケースが入り用になったため、最寄りのニトリへと赴いた。
「いしょうケース、あるかなあ」
「ないこたないと思うぞ」
専用駐車場のゲートで駐車券を取り、軽くくわえてミラジーノを発進させる。
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「なんで、ちゅうしゃけん、くわえるの?」
「──…………」
駐車券をダッシュボードに置き直し、思案する。
「……あれ、なんでだ?」
考えてみれば、よくわからない行動だ。
「えーと、まず、駐車券を取るだろ」
「うん」
「そのまま持ってると、運転しにくい」
「うん」
「……だから、くわえる?」
「わたしてくれたらいいのに」
「そうだよなあ……」
無意識下の行動だから、ほとんど癖になっているのだと思う。
「いまいちみっともないし、今度から××に渡すよ」
「うん」
「……もしかして、いままでずっと気になってた?」
「すこし」
「そっか……」
「ちゅうしゃけん、きたないかもだから……」
「そこはほら、唇を内側に巻き込んでるから大丈夫」
唾液で濡れたら困るし。
「でも、へんなのくわえたらだめだよ」
「はい……」
幼稚園児並みの注意をされてしまった。
情けない限りではあるが、当を得た指摘なので、素直に受け取ることにする。
「駐車券は、もう、くわえません」
「よろしい」
衣装ケースを購入したあと、ロッテリアでシェーキを飲んで帰宅した。
ずっと半額ならいいのに。
-
2016年8月4日(木)
「うーん……」
漫然とキーボードを叩きながら、唸る。
「──1708回、かあ」
「?」
うにゅほがディスプレイを覗き込む。
「にっき?」
「ああ」
「せんななひゃくはっかいめ、なんだ」
「そう」
「すごいねえ」
「──…………」
これは、あんまりわかってないときの「すごいね」だ。
「××、1708回ぶんの日記を全部読むのにかかる時間はどのくらいか想像できる?」
「うーと……」
しばし思案し、
「……わかんない」
「では、計算してみよう」
「はい」
「一日ぶんの日記を読むのにかかる時間を、仮に一分とする」
「うん」
「んで、計算しやすいように、日記を1800回としよう」
「いいの?」
「どうせ三ヶ月後には1800回になるんだから、べつにいいだろ」
「そか」
「1800回ぶんの日記を読むのに、何分かかる?」
「せんはっぴゃっぷん」
「1800分は、何時間?」
「うと──」
しばし暗算し、
「……さんじかん?」
「30時間」
「さんじゅうじかん!」
うにゅほが目をまるくする。
「すごいねえ……」
これが、ちゃんと理解したときの「すごいね」だ。
「もっとすごいのは、これ全部読破してる人が、けっこういるってことなんだよなあ……」
「すごい」
いつもありがとうございます。
「──さ、日記も書いたし、腕相撲でもするか」
「なんで?」
「なんとなく」
「いいよー」
そうして、片手vs両手のハンデ戦が始まるのだった。
勝ちました、いちおう。
-
2016年8月5日(金)
友人に紹介されたアルバムを借りるため、TSUTAYAへと赴いた。
「──お、あった」
amazarashiの「アノミー」を手に取り、中身を検める。
「わたし、あのきょく、あんますきくない……」
「たしかに、××は苦手そうだな」
「アニメこわかった」
うにゅほがアニメと言っているのは、アノミーのMVのことである。
「怖い、かなあ……」
「こわい」
「そっか」
うにゅほが怖いと言うならば、そうなのだろう。
「んじゃ、一緒にスピッツも借りましょう。スピッツ好きだろ」
「すき」
「よし」
スピッツのアルバムを二枚取り、レジへと向かう。
「あ」
不意に、うにゅほが俺の手を引いた。
「うん?」
「しーでぃー、じゅうまいで、せんえんだって」
「そうなんだ」
「かりたほう、おとく」
「××、借りたいCDある?」
「うと、ない……」
「ならいいじゃん」
聞かないCDを借りたって、仕方ないし。
「あと、ほら、本当に借りたい人が借りられなくなるだろ」
などと、心にもないことを言ってみる。
「あ、そか」
うにゅほがうんうんと頷く。
「かりたいひと、こまるもんね」
「××は優しいなあ」
うりうりと頭を撫でる。
「うへー……」
「新刊も見てこうか」
「うん!」
帰途の最中、またロッテリアでシェーキを買った。
半額だと、ついつい立ち寄ってしまうな。
-
2016年8月6日(土)
ぶうん、と、耳元で羽音。
「──ッ!」
思わず仰け反ると、視界の端を小さな影がよぎった。
「××、虫だ!」
「むし!」
うにゅほがわたわたと立ち上がる。
「おっきいむし?」
「小さいけど、甲虫だと思う」
「こうちゅう?」
「えーと、コガネムシみたいな」
「おっきい!」
「いや、大きさはテントウムシくらいで──いた!」
天井を仰ぐ。
小指の爪ほどの甲虫が、シーリングライトの周辺で螺旋軌道を描いていた。
「手掴みはしたくないサイズだなあ……」
「はえたたき」
「潰したら、ほら、中身が」
「なかみ……」
うえー、という顔をする。
「──というわけで、キンチョールを持てい!」
「はい!」
うにゅほが敬礼を返す。
「どこだっけ」
「こないだどっかのダンボールで見た気がする」
「さがす」
「俺は、こっち見張ってるな」
「うん」
甲虫は、幾度となく天井に体当たりをしながら、部屋の全域をぐるぐると飛び回っている。
かなり混乱しているらしい。
当然、俺の近くを通ることもあり、
「えい」
べし。
ぽとり。
「あっ……」
「◯◯、きんちょーるあった!」
「××、足元」
「わ」
適当にスイングしたら当たってしまった。
「ぶしゅー」
うにゅほがキンチョール☆を噴霧し、甲虫にトドメを刺す。
ティッシュにくるまれた甲虫は、丁重にゴミ箱へと埋葬されたのだった。
合掌。
-
2016年8月7日(日)
「××ー?」
「──…………」
「××、ほら、柴犬の──」
ディスプレイを指差しながら振り返ると、ベッドの上でうにゅほが寝落ちしていた。
「……すう」
「口、半開きだぞ」
「──…………」
反応がない。
熟睡しているようだった。
「──……う」
うにゅほの寝顔かかすかに歪む。
眩しいのかな。
カーテンを半分だけ閉め、日光を遮断する。
「──…………」
寝息が安らかになった。
やはり、眩しかったらしい。
せっかくなので、昼寝に最適な環境を整えてあげよう。
「……ふむ」
うにゅほの首筋に手を添える。
「う」
かなり汗ばんでいる。
温湿度計を覗き込むと、32.3℃だった。
これでは寝苦しいのも当然である。
延々と首を振り続ける扇風機の風量を上げ、ベッドのほうへと近づける。
「──……すう」
多少はましになっただろうか。
ああ、そうだ。
おなかを冷やしてはいけないな。
箪笥からバスタオルを二枚ほど取り出し、うにゅほのおなかに掛けてやる。
これでよし。
そうそう、あせもになってはいけないから、首筋の汗を拭いて──
「よし、完璧」
これで、うにゅほの安眠は約束されたも同然である。
満足感と共に額の汗を拭っていると、
「──……う?」
うにゅほの目が、うっすらと開いた。
これはいけない。
「××、××、まだ寝てていいよ」
「──…………」
「おやすみ」
右手でうにゅほに目隠しをする。
しばしして、
「……すう」
よし、寝た!
せっかく環境を整えたのだから、心ゆくまで昼寝を堪能してもらわねば。
うにゅほが目を覚ましたのは、それから一時間ほど経ったころのことだった。
「よく眠れた?」
「……うん、よくねた」
うへーと笑う。
その笑顔ひとつで、すべてが報われるのだった。
-
2016年8月8日(月)
「あちー……」
「あちーねえ……」
扇風機の送り出す温風が、右手に持ったガリガリ君を見る間に溶かしていく。
「──おっ、と」
垂れ落ちかけた雫を舐め取る。
「33℃の風だもんなあ……」
「さんじゅうさんど……」
「──…………」
「──……」
顔を見合わせ、苦笑する。
もはや笑うしかない。
「……でも、せんぷうき、すずしいよ?」
「それは気化熱だな」
「きかねつ?」
「液体は、蒸発するとき、周囲から熱を奪うんだ」
「あ、あせだ」
「そうそう。汗が蒸発するから、涼しい。汗をかいていなければ、それほど涼しくはないはず」
「──あっ」
なにか思いついたらしい。
「きりふきで、からだぬらしたら、すずしくなる?」
「あー、いいかもなあ」
「もってくる!」
持ってきた。
「しゅっ、しゅっ」
「つめた!」
「うへへ」
「今度はこっちの番な」
「ひや!」
「おらおらー!」
「すずしいねえ……」
「いや、これは単なる水遊びだ」
「あ、そか」
首筋や腕を霧吹きで濡らし、扇風機の前にふたりで陣取る。
「うあー……」
「すずしいねえ!」
「涼しい……」
「──…………」
「──……」
「さむいねえ……」
「たしかに」
やり過ぎた。
だが、涼を取る方法としては効果的である。
お試しあれ。
-
2016年8月9日(火)
「××、テレビここでいいと思う?」
「いいとおもうー」
「わかった。あ、そこのアンテナコード取ってくれるか」
「これ?」
「そうそう」
「はい」
「さんきゅー」
面倒なテレビの設置が終わり、残る荷物も僅かとなった。
「あと、ごはこ!」
「中身は?」
「うと、しーでぃーとか、でぃーぶいでぃーとか……」
「──…………」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「CDも、DVDも、すぐには必要ないよな」
「うん」
「××」
「はい」
「温度計を見てくれ」
「さんじゅうにーてんにど……」
「……今日はここまでにしましょう」
「はい」
「あぢー……」
へなへなと扇風機の前に崩折れる。
「涼しいー……」
「きりふき、いる?」
「今日はいいかな……」
既に汗だくだし。
「あ゙ー……」
「うへぁー……」
「夏! って感じだなー……」
「うん」
「暑いけどさ。××とこうしてるの、わりと好きだよ」
「わたしも」
「夏はこうでなきゃなー」
「そだねえ」
「……あぢー」
「あちーねえ……」
暑い暑いと言い合うだけなのに、不思議と楽しい。
きっと、ふたりだから楽しいのだ。
-
2016年8月10日(水)
扇風機の前でうつ伏せに寝転んでいると、背中に腰掛けたうにゅほが口を開いた。
「ね」
「んー?」
「おかあさんと(弟)、どこいったんだっけ」
「なんか岩見沢とか言ってた」
「いわみざわって、どこ?」
「遠く」
「とおく……」
「Googleマップで見る?」
「みる!」
「んじゃどけて」
「はい」
〈岩見沢〉と検索し、マップを呼び出す。
「ここ」
「いわみざわし」
「まあ、だいたい東のほうだな」
「こっち?」
うにゅほが窓の外を指差す。
「そうそう」
「なにしにいったんだっけ」
「いや、知らん」
たぶん知人の家にでも行ったのだろう。
「◯◯は、いわみざわ、いったことあるの?」
「あー……」
記憶を探り、答える。
「子供のころ、通ったことはある」
「へえー」
「あの年は、トンボが大量発生していてな」
「とんぼ?」
「高速道路を走っているだけで、一匹二匹じゃ済まない数のトンボがフロントガラスに当たって中身をぶち撒け──」
「うひえ」
うにゅほが妙な声を上げる。
「とんぼみれなくなるう……」
「はっはっは」
「もー!」
怒られてしまった。
「でも、岩見沢の思い出なんて、本当にそれくらいしかなくてさ」
「そうなんだ」
「行ったことも通ったこともあると思うんだけど、如何せんトンボのインパクトが凄すぎて」
「うん……」
「トンボの夢、見そう?」
「みそう……」
「ごめんごめん」
うりうりとうにゅほの頭を撫でる。
汗で濡れた髪の毛は、すこし通りが悪かった。
-
2016年8月11日(木)
今日からお盆休みである。
「はー……」
ベッドの上でごろんごろんと寝転がりながら、うにゅほに話し掛ける。
「なんか久々に、休んでるーって感じがする」
「さいきん、ずっと、いそがしそうだったもんね」
「忙しかったんだよー!」
ごろんごろん。
「よしよし」
頭を撫でられる。
「きょう、いそがしくないの?」
「今日は丸一日、ずっと予定ない」
「そか」
なでなで。
「じゃあ、ゆっくりしましょう」
「ゆっくりします」
「なにかする?」
「なにもしない……」
「ひるねする?」
「膝枕してくれー」
「はいはい」
うにゅほが苦笑し、膝をぽんぽんと叩く。
「××の膝枕でぼけーっとして、いつの間にか寝たい……」
「いいよ」
「──…………」
「──……」
「……俺、疲れてたのかなあ」
「うん」
「わかる?」
「わかるよ」
「そっか」
「うん」
す、と視界が暗くなる。
うにゅほが手のひらで陽光を遮ってくれたのだ。
「……ありがとな」
「うん」
そのまま一時間ほどうとうとしていた。
幸せな時間だった。
-
2016年8月12日(金)
今日は父方の墓参りだった。
菩提寺に参ったあと、両親の友人が経営しているメロン農園へと立ち寄ったのだが、
「──……うぷ」
「◯◯、だいじょぶ……?」
「……メロン食べ過ぎた……」
「ごめんね……」
ランクルの後部座席で、うにゅほが俺の背中をさする。
「わたし、さんきれしかたべれなかった……」
「十分、十分……」
やたらと分厚い切り方だったので、それでも食べ過ぎの範疇だと思う。
「……ほんとにさ、ありがたいんだけどさ」
「うん」
「メロン三個は多過ぎだよな……」
「うん……」
ほれ食べな食べなと言われてしまえば、断る術は生憎と持ち合わせていない。
「えーと、赤肉と、青肉と──なんだっけ」
「きみか?」
「そう、きみか」
「すごいあまかったね」
「俺あんまメロン好きじゃないけど、あれは美味しかったな」
「うん」
「ひとついくらって言ってたっけ」
「うと、きみかは、ななひゃくえんって」
「……絶対もっと高いよな」
「うん」
農家の友人から直接仕入れて七百円なのだから、実売価格はいくらなのだろう。
「ちょっとスマホで調べてみるか」
「おー」
〈きみか メロン〉で検索すると、通販サイトがヒットした。
「えーと、ご──」
息を飲む。
「ご?」
「……5,800円」
「ご!」
「さっきのメロンって、全部でいくらしたのかな……」
「うん……」
恐るべし、友人価格。
帰宅するころには、日はとうに暮れ落ちていた。
疲れた。
今日は早く寝よう。
-
2016年8月13日(土)
「──……は!」
壁掛け時計を見上げる。
午後五時。
「もう、五時、だと……?」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「どうして休日ってやつは、こうも矢の如く過ぎ去ってしまうんだ……」
「うと……」
うにゅほが俺の肩を揉む。
「ま、まだおわってない、よ?」
「そうだろうか……」
「そうだよ」
「……そうか」
「うん」
「そうだな、お盆休みも月曜日──まで……」
「?」
「半分過ぎたのか……」
「はんぶん?」
「あー、あー、働きたくなーい! 働きたくなーい!」
「わ」
「働きたくないオバケじゃー!」
「!」
「くすぐり攻撃じゃ!」
「うひ、ひ、ひは、ししし、ひー!」
おかしなテンションでうにゅほをくすぐり倒すと、なんだか元気が湧いてきた。
「よし、火曜日から頑張ろう」
「ひー……」
「……えーと、正直すまん」
うにゅほがほにゃりと笑う。
「◯◯が、げんきでるなら……」
「──…………」
なんと健気な子なのだろう。
「……よし、俺をくすぐれ!」
ベッドに四肢を投げ出す。
「いいの?」
「応!」
「……うへへ」
わきわき。
「こしょこしょこしょこしょ!」
「うひ、ひゃはひゃひゃひゃひゃッ!」
なべて世は事もなし。
-
2016年8月14日(日)
「──…………」
「──……」
未開封のダンボール箱に背を預けながら、ぼんやりと天井を眺める。
暑い。
言葉もない。
扇風機が送り出す湿った温風をその身に浴びて、わずかな涼を得るのみだった。
「……あのさあ」
隣のうにゅほに話し掛ける。
「いくらなんでも、暑すぎやしないかね……」
「はちー、ねえ……」
息も絶え絶えである。
「……後ろの本棚に、温湿度計がある」
「うん……」
「さっき見たんだけどさ」
「うん」
「……知りたい?」
「──…………」
しばし思案し、
「しりたくないです」
「賢明だ」
「うへー……」
うにゅほの笑顔も力ない。
「ちょっと出掛けるか。さすがにつらい」
「うん」
「適当に一時間くらい潰してこよう」
「アイスたべたい……」
「コンビニも寄ろう」
「うん!」
途端に元気になったうにゅほを連れて図書館へと赴き、二時間ほどで帰宅した。
「──暑い!」
「あついー……」
午後五時を回っているにも関わらず、室温が32℃を超えている。
「外涼しいのに、なんでこんなに暑いんだ……」
「まども、とびらも、ぜんぶあけてるのに」
「外と同じ温度じゃないと、道理が──」
ふと、記憶を辿る。
昨夜の気温はどうだったろう。
肌寒くはなかったか。
「──…………」
レースカーテンをずらし、ベッドの傍の窓を確認する。
「あ」
「?」
「閉まってた」
「えー!」
「ごめん、寝る前に閉めたの忘れてた……」
暑いはずである。
「もー……」
「申し訳ない」
「かくにんしようね」
「はい……」
窓を開けてしばらくしても30℃を下回らないあたり、まさに真夏といった風情である。
暑いの、嫌いじゃないけどね。
-
2016年8月15日(月)
数年前に夫と離婚した幼馴染が、子供を連れて遊びに来ていた。
「──…………」
「ほら、もう帰ったぞ」
「──…………」
きゅ。
甚平の裾を握り締めながら、うにゅほが俺から離れない。
「今日はどうしたんだ?」
「──…………」
「××、子供好きだろ」
「──…………」
「あの子も、遊んでほしいって──」
「めが……」
「目?」
「あのひとが、◯◯のことみるの、めが、だめ」
「……?」
「だめなめ、してる」
「もしかして──」
幼馴染は女性である。
「あー、ないない。ないって。ありえません」
「──…………」
「そんな対象として俺のこと見てないと思うぞ」
一度失敗して懲りてるだろうし。
「──…………」
ぎゅ。
うにゅほが俺の腰に抱きついた。
「えーと……」
困った。
「もう会いたくない?」
「──…………」
俺の背中に顔を押し付けたまま、こくりと頷く。
「んじゃ、今度来るときは、ふたりでどっか出かけような」
「うん……」
嫉妬してくれるのは嬉しいが、扱いが難しい。
杞憂だと思うんだけどなあ。
-
以上、四年九ヶ月め 前半でした
引き続き、後半をお楽しみください
-
2016年8月16日(火)
「はあ……」
溜め息を漏らしながら、デジタル式の温湿度計に視線をやる。
29.5℃
暑いことは暑いが、連日の猛暑と比べれば、まだましなほうだ。
だが、問題はそこではない。
「……湿度、72%」
「むしむしするう……」
台風が近づいているためか、不快指数がうなぎのぼりである。
「──…………」
自分の腕に触れてみる。
ぺた、ぺた。
「うあ、肌がべたついて気持ち悪い……」
「──…………」
俺の真似をしてか、うにゅほが自分の腕を触る。
「ぺたぺたしない……」
「さらさら?」
「うん」
「いいことじゃん」
「ぺたぺたしたい」
うにゅほがこちらへにじり寄り、俺の腕に触れる。
ぺた、ぺた。
「ぺたぺたする」
「楽しい?」
「うん」
ぺた、ぺた。
ぺた、ぺた。
「……楽しい?」
「うん」
楽しいらしい。
「楽しいなら、まあ、いいか……」
「ほっぺた、ぺたぺたしていい?」
「いいよ」
ぺた、ぺた。
ぺた、ぺた。
むにー。
ぺし、ぺし。
「……ぺたぺたじゃなくなってない?」
「だめ?」
「いいけど……」
「♪」
しばらくのあいだ、うにゅほのおもちゃと化していたのだった。
-
2016年8月17日(水)
「わあー……」
窓の外を覗き込みながら、うにゅほが驚嘆の声を上げる。
「あめ、すごいねえ……」
「台風が上陸したらしいぞ、珍しく」
「めずらしいの?」
「毎年、上陸する前に、温帯低気圧になって散るからなあ」
「おんたいていきあつって、なに?」
「……正直、俺もよくわからん」
「わからんの」
「たぶんだけど、台風っていうのはすごく不安定なものなんだよ」
「うん」
「だから、北上するにつれて徐々に形が崩れていって、その残骸が温帯低気圧──なのかな?」
「そなんだ」
「いや、わからん」
「でも、わかりやすい」
「合ってるかどうか、保証はしないぞ」
「うん」
うにゅほの髪を手櫛で梳きながら、雨音に耳を澄ます。
「ざあ、ざあ、ざあ」
「雨の音」
「あめのおと、すき」
「俺も、わりと嫌いじゃないかな」
「うん」
「……でも、暑いな」
「まどあけられないから……」
「あと、臭う」
「なんか、くさいねえ」
「新築の匂いだな」
「ぺんきとか?」
「そうそう」
「まどあいてたら、きになんないのにねえ」
「でも、窓開けたら──」
窓の外を見やる。
暴風雨。
「……我慢しましょう」
「はい」
さっさと通り過ぎてくれればいいのだけど。
-
2016年8月18日(木)
午後三時、うにゅほがお皿を手に自室へと戻ってきた。
「おやつだよー」
「おやつ?」
「うん」
「珍しいなあ」
お皿を覗き込むと、緑色をしたブロック状の物体が綺麗に並べられていた。
「メロン?」
「うん」
「んじゃ、いただきます」
揃えてあった爪楊枝を一本取り、メロンに突き刺そうと──
「かたッ!」
「うへー」
「凍らせてあるのか」
「うん」
「夏らしくていいな」
「でしょー」
爪楊枝を強めに突き刺し、齧る。
「おー、甘くて冷たい」
「うへー……」
「これ、普通のメロンだろ。こんなに甘かったっけ」
「うん、あんましあまくなかった」
「……?」
「これね、メロンをミキサーして、シロップまぜて、こおらしたの」
「カットしたのをそのまま凍らせたんじゃないのか」
「うん」
「手間かかってるなあ……」
「おいしい?」
「うん、美味しい」
フルーツがあまり好きではない俺だが、これはなかなかいける。
「それにしても、高級なアイスだよなあ」
「そだねえ」
「一切れで百円くらいしそう」
「ピノよりたかい」
「ピノは二十円くらいだろ」
「そか」
「××、あーん」
「あー」
ぱく。
「ひゅめた!」
「美味しい?」
「おいひい」
贅沢なおやつで真夏の暑さをしのぐ俺たちなのだった。
-
2016年8月19日(金)
「俳句の日、らしい」
「そなんだ」
「ほら、8月19日だから」
「あー」
「古池や 蛙飛びこむ 水の音」
「まつおばしょうだ」
「知ってたか」
「うん」
「ギャグマンガ日和で?」
「うん」
「そんなもんだよなあ」
「ごーしちご」
「そうそう」
「あと、きごがはいってるんだよ」
「わかってるじゃないか」
「うへー……」
「では、季語とはなんでしょう」
「うと」
「ごー、よん、さん──」
「き、きせつの、なんか!」
「まあ、正解かな」
「ふー」
「では、先ほどの句の季語はどれでしょう」
「え」
「ごー、よん、さん、にー」
「ふるいけ!」
「蛙でした」
「かわずなんだ」
「蛙は春の季語らしい」
「へえー」
「なんかイメージ違うよな」
「なつっぽいきーする」
「俺もそう思って調べたんだけど、蛙のなかでも雨蛙は夏の季語なんだってさ」
「そなんだ」
「さて、罰ゲームは──」
「!」
「セルフくすぐりです」
「せるふ?」
「自分で自分をくすぐってください」
「──…………」
「──……」
「こしょ、こしょ……」
「くすぐったい?」
「くすぐったくない」
「だろうなあ」
「くすぐってほしい……」
「よし、そこに直れ」
「はい」
「こちょこちょこちょこちょこちょ!」
「うひ、ししし、ひひゃ、ひー!」
そんな夏の日の一幕でした。
-
2016年8月20日(土)
「──よし、終わり!」
「やたー!」
「いえー」
「いえー」
うにゅほとハイタッチを交わす。
引っ越し用のダンボール箱を、とうとうすべて開封しきったのだった。
「まさか、L字デスク用の引き出しだけ、届くまで一ヶ月かかるとはな……」
「うん……」
ニトリさん勘弁してくださいよ。
「ともあれ、これで、長かった引っ越しがようやく終わったな」
「うん」
部屋の中央に立ち、ぐるりと周囲を見渡す。
壁二面ぶんの本棚。
L字型のパソコンデスク。
木材の匂いのする箪笥。
自分たちで選んだカーテン。
「ここが、俺たちの城だ」
「うん!」
「いえー」
「いえー」
再度ハイタッチし、すのこベッドに倒れ込む。
「はー……」
溜め息ひとつ。
「……終わったら、急に疲れたな」
「おやつにする?」
「甘いもの食べたい」
「メロンアイス、またつくったよ」
「いいねえ」
「もってくるね」
「頼むー」
うにゅほ流ぜいたくメロンアイスは、家族にも好評である。
「◯◯、あーん」
「あー」
しゃく。
「あまい?」
「甘い」
「おいしい?」
「美味い」
「うへー」
次にこのメロンアイスが食べられるのは、たぶん来年の今頃だ。
今のうちに、よく味わっておこう。
-
2016年8月21日(日)
「……うー」
座椅子に腰を落ち着けて漫画を読んでいたうにゅほが、目元をくしくしとこすっていた。
「めむい……」
「めむい?」
「ねむい」
「眠れなかったのか」
「うん……」
「昨夜、窓閉めて寝たからなあ」
台風が近づいているにも関わらず窓全開で床につく勇気は、生憎と持ち合わせていない。
「昼寝したらいいのに」
「よるねれなくなる……」
「眠れなくなったことなんて、あったっけ」
「あるよう」
やたら頑強な体内時計を持っているイメージがあるのだが。
「眠れないなら、起きてればいいじゃない」
「でも」
「一緒に夜更かししようぜー」
「う」
あ、揺れた。
「でも、あさおきて、あさごはんつくんないと……」
「寝る前に作っとけばいい」
「うー……」
「××は、いい子すぎるからな。たまに寝坊くらいしたって誰も怒らないよ」
「……そ、かな」
「そうそう」
「そか」
「昼寝する?」
「する!」
洗脳完了。
というわけで、本日のうにゅほは夜更かしする気満々である。
さて、何時まで起きていられるかな。
-
2016年8月22日(月)
さて、昨夜の顛末を記さねばなるまい。
午前零時過ぎのことである。
「××、怖いの見ようぜ怖いの」
「こわいの?」
「ニコニコで、怖い映画とかやってるんだよ」
「こわいの……」
「やめとく?」
「みる……」
恐怖と興味が半々といった面持ちだ。
「ほら」
ぽんぽん。
「うへー……」
うにゅほを膝の上へ導き、該当ページを開く。
「今日は、えーと──投稿された心霊映像をまとめたやつかな」
「こわい?」
「大したことないと思うぞ」
「ほんと……?」
「怖くないほうがいい?」
「──…………」
しばし思案したのち、
「……ちょっとだけ、こわいのがいい」
「そうだな、ちょうどいい怖さならいいな」
「ぎゅってして……」
「はいはい」
明かりを消し、うにゅほを抱き締める。
ディスプレイの中では、漫画喫茶を営む男性がインタビューを受けており──
「……つまんねえー」
「うん……」
まず、インタビューが冗長すぎる。
同じことを幾度も尋ね、似たような受け答えを繰り返す。
そして、肝心の心霊映像をが合成バリバリの安っぽい代物となれば、駄作と評するのに何のためらいもない。
「見るのやめようか」
「そだね」
「わんこの動画でも見るか」
「みる!」
うにゅほがうとうとし始めたのは、午前一時半を回ったころだった。
「そろそろ寝る?」
「ねる……」
うにゅほをベッドへ連れて行き、タオルケットをおなかに掛ける。
「──…………」
すると、うにゅほが甚平の裾を引いた。
「こわくなってきた……」
「あー」
そういうの、あるよな。
「んじゃ、寝るまで隣にいてあげるから」
「て」
「手も繋いでな」
「ん……」
安らかな表情で、うにゅほが目蓋を閉じる。
寝息が聞こえるまで、さほどの時間は掛からなかった。
うにゅほが起床したのは、いつもどおりの午前六時だったらしい。
やはり、強靭な体内時計である。
-
2016年8月23日(火)
「──……う……」
暑い。
熱い。
アイマスクを外し、首筋を撫でる。
「……うわ」
汗で濡れた指先を甚平の裾で拭い取り、上体を起こす。
「あ、おきた」
「いま何時……」
「いちじすぎ」
「一時……」
午前中に出掛けようと思っていたのだが、完全に寝過ごした。
「……まあ、いいか」
大した用事でもないし。
「それにしても、暑い……」
「そかな」
「暑くない?」
「あついけど……」
カーテンを開く。
「──!」
あまりの陽射しに、思わず目を細めた。
暑いはずだ。
「……台風一過ってやつかな」
「たいふういっか?」
「台風の家族じゃないぞ」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「台風が通り過ぎたあとは、いい天気になるんだよ」
「そうなんだ」
「それを、台風一過って言うの」
「へえー」
うんうんと頷く。
「なんで?」
「台風が、周囲の雲ごと持ってっちゃうんじゃないかなあ」
「なるほど……」
納得するうにゅほを横目に、うんと伸びをする。
「腹減ったなあ……」
「めだま、やく?」
「頼んだ」
「はい」
遅すぎる朝ごはんを食べ、うにゅほとぼんやり過ごす。
仕事の少ない穏やかな一日だった。
-
2016年8月24日(水)
「うーん……」
ヒゲの生えかけた顎を撫でながら思案に暮れていると、うにゅほが俺の顔を下から覗き込んだ。
「どしたの?」
「……××と母さんが買い物行ってるあいだ、父さんが部屋に来てな」
「うん」
「俺たちの部屋があんまり暑いから、エアコン買っていいってさ」
「おー」
ぺん!
不器用な音を立てて、うにゅほが両手を打ち鳴らした。
「いいねえ」
「まあ、うん……」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「だめ?」
「駄目ではないんだけど、暑い日がないと夏って感じがしないって言うかさ」
「あー……」
「暑いのなんて、たかだか二週間程度だろ。そのためにエアコン買うのもなあって気もするし」
「そだねえ」
「なんなら、××が決めてもいいぞ」
「えっ」
「暑い夏がいいか、涼しい夏がいいか」
「うと……」
「気軽にさ」
「──…………」
両手をもじもじさせながら、うにゅほが思い悩む。
「……わたし、せんぷうき、すき」
「うん」
「◯◯といっしょにあたるの、すきだし……」
「うん」
「なつ、ずっとあつかったから、あつくなくなると、なつじゃないとおもう……」
「そっか」
「うん……」
「じゃあ、エアコンは無しにしような」
「うん」
「俺も、暑くない夏は寂しいと思うよ」
「ね」
ふたり頷き合う。
エアコンは便利だが、四季を平らにしてしまう。
暑い夏には暑い夏なりの楽しみ方があると思うのだ。
-
2016年8月25日(木)
まくらカバーを交換した。
「──…………」
すー、はー。
「××さん」
「──……♪」
すー、はー。
「……まくらカバーのにおい嗅ぐの、やめてもらえませんか」
「◯◯のにおいする」
「俺のまくらカバーだからね……」
「くさい」
「どうして嬉しそうなんだよ」
「くさくて、いいにおい」
すー、はー。
もはや言うまでもないことだが、うにゅほはにおいフェチである。
「……間接的に嗅がれるのって、なんかムズムズするんだけど」
「いや?」
「イヤかイヤでないかで言えば、イヤだ」
「ごめんなさい……」
うにゅほがまくらカバーから顔を離す。
「いや、謝るほどでは」
「でも」
「……あーもー、直接来なさい直接」
「ちょくせつ?」
「嗅ぎたいなら、頭を直接嗅ぎなさい」
「いいの?」
「好きにせい」
「♪」
すんすん。
すー、はー。
ふんふん。
すー、はー。
「……楽しい?」
「たのしい」
「あとで俺も××の嗅いでいい?」
「いいよ」
うにゅほの髪の毛は、シャンプーの残り香と汗の混じったにおいがした。
-
2016年8月26日(金)
「おー」
温湿度計を覗き込んだうにゅほが、うんうんと満足げに頷く。
「何度?」
「にじゅうはちど!」
「だいぶ涼しくなったなあ」
「うん」
「湿度は?」
「うと、よんじゅうはちぱーせんと」
「ちょうどいいな」
「うん」
実に快適である。
「とうとう夏もピークを過ぎたか」
「げじゅん、だもんね」
「来週はもう九月だぞ」
「うへえ……」
苦笑する。
「夏を過ぎたらすぐ冬が来るなあ」
「あきは?」
「北海道の秋なんて、無きに等しいし」
「みじかいもんねえ」
「冬が来たら雪が降って、雪が降ったら雪かきだ」
「ゆきかきしたいねえ」
「俺は、あんまりしたくない……」
「うんどう、なるよ?」
「寒いし……」
「あついのとさむいの、どっちすき?」
「暑いほう」
「そかー」
「××は?」
「どっちもすき」
「冬が来たら、抱きまくらにしてやろう」
「ふゆのがすき……」
うへーと笑う。
「現金なやつめ」
「うん、げんきん」
「そんな××は、膝の上にご招待だ」
「わ」
うにゅほの手を引き、膝に乗せる。
「──……ほー」
「涼しくなったからな」
「なつもすき」
「……ほんと現金だなあ」
とりあえず、くっついてれば満足なふたりだった。
-
2016年8月27日(土)
とん。
目の前に、複雑な色合いをした液体のなみなみ入ったグラスが置かれた。
うにゅほ謹製の野菜ジュースだ。
「◯◯、これ……」
「……?」
うにゅほは何故か浮かない顔である。
「どうかした?」
「うん……」
しばしの思案ののち、うにゅほがそっと口を開く。
「きょうね、やさいジュース、あんましおいしくないかも……」
「材料が足りなかった、とか」
「りんごがね、なかったの」
「それくらいべつに」
「そんでね、メロンがあったの」
「メロン入れたんだ」
「うん……」
「美味しそうじゃん」
「わたしもね、つくるときは、そうおもったの……」
うにゅほがグラスに視線を送る。
「とりあえず、飲んでみるよ」
「──…………」
グラスに口をつけ、ひとくち飲んだ瞬間、
「ぶ」
思わず吹き出しそうになってしまった。
これは、あれだ。
「……キュウリの味がしますね」
「うん……」
「キュウリにはちみつかけたらメロンの味がするって言うけど……」
メロンの甘みが薄まったことで、ウリ科独特の青臭さが前面に押し出されてしまったのだろう。
「ごめんね、おいしくなかったね」
「……いや、まあ、美味しくはないけど、飲めないほどじゃないよ」
腰に手を当てて、グラスの中身を一気にあおる。
「あしたはりんごかってくるから……」
「楽しみにしてる」
「うん」
頭を強めに撫でてやると、うにゅほが気持ちよさそうな顔をした。
悲しい顔より、こちらのほうがずっといい。
-
2016年8月28日(日)
「めだまー」
「すこしまっててね」
「はい」
エプロンをつけ、髪の毛をまとめたうにゅほが、慣れた手つきで卵を割る。
「わ」
「どうかした?」
「きみ、ふたつある……」
汁椀を覗き込むと、ちいさな黄身がふたつ、白身のなかで泳いでいた。
「お、双子か」
「ふたご?」
「卵にも双子があるんだよ」
「そなんだ……」
うにゅほが軽く目を伏せる。
「このたまご、あっためたら、ふたごのひよこになったのかな……」
「──…………」
可愛いなあ。
「ならないぞ」
「?」
「なりません」
「ならないの?」
「これ、無精卵だからな」
「むせいらん……」
「ひよこにならない卵のこと」
「へえー」
うんうんと頷く。
「俺も、スーパーの卵あっためたらひよこになるって思ってたなあ……」
「◯◯もおもってたんだ」
「小学生のころだけど」
「う」
うにゅほがほっぺたを両手で包む。
「はずかしい……」
ほんと可愛いなあ。
「ほら、めだまめだま」
「うん、まっててね」
「はい」
トーストにベーコンエッグを乗せたジブリ風ブランチは、たいへん美味しかった。
目玉焼きの黄身は、半熟と完熟のあいだに限る。
-
2016年8月29日(月)
「──…………」
「あちー、ねえ……」
二十年ものの扇風機が、ゆっくりと首を振りながら、部屋の空気を掻き乱している。
窓は開いている。
扉も開いている。
だが、風は入ってこない。
無風なのだ。
「──…………」
温湿度計を覗き込む。
「……なんど?」
「知りたい?」
「──…………」
「──……」
「いい……」
賢明である。
「……ちょっと、前言を撤回していいかな」
「?」
「たぶん、今日は、この夏でいちばん暑い日だと思うんだけど……」
「うん……」
「これ以上があると、さすがに、まずい気がする」
「うん……」
確実に健康を害される。
そんな危機感を抱くほどの暑気だった。
「エアコンさ」
「うん……」
「つけようか」
「うん……」
「……生きてる?」
「いきてる……」
ぐてー、とベッドに倒れ込んでいるうにゅほの手を、そっと取る。
「リビング行こう。涼もう。脱水症状になりそうだ」
「うん……」
夏は好きだ。
暑いのも好きだ。
だが、じっと耐え抜くものではない。
仮にそうだとしても、うにゅほを付き合わせる謂れはないはずだ。
エアコン、つけよう。
猛暑に対する備えとして、あって困るものではないのだし。
-
2016年8月30日(火)
「──よし、終わり!」
仕上げた図面をトントンと揃え、クリップで留める。
「おつかれさまー」
やわやわと手のひらを揉んでくれるうにゅほに笑顔を返し、天井付近を仰ぎ見た。
「それにしても、涼しいなあ……」
「そだねえ」
自室の室温が人体に有害なレベルへと達したため、リビングへ避難してきたのだった。
リビングにはエアコンがある。
文明の利器を肌で感じながらする仕事は、思った以上に快適だった。
「……やっぱ、エアコン必要だな」
しみじみと呟く。
「そだねえ……」
まさか、晩夏になって、ここまで気温が上がるとは思わなかった。
北海道の夏もここまで来たかって感じである。
「さ、部屋戻るか。もう夜だし、だいぶ涼しくなってると思うぞ」
「うん!」
うにゅほの手を引き、自室へ戻る。
「あ、すずしい」
「涼しいな」
冷たい空気が、汗ばんだ肌を撫でていく。
「風が出てきたみたいだな」
「たいふう?」
「いちおう、進路ではあるみたいだけど──」
そう言った瞬間、
ジャッ!
と、よく熱した鍋に冷たい水をぶちまけたような音が轟いた。
「あめ!」
「××、そっちの窓!」
「はい!」
慌てて窓を閉め、ほっと一息。
「たいふう、きた?」
「たぶん……」
「……あちーね」
「暑いな……」
温湿度計をそっと裏返し、扇風機の前に並ぶ俺たちだった。
-
2016年8月31日(水)
「──…………」
ふらふらと頭が前後に振れる。
意識にもやがかかっている。
「……◯◯、どしたの?」
「うん……」
「だいじょぶ?」
「大丈夫……」
本当に大丈夫かな。
どうかな。
「んー」
うにゅほの手のひらが、俺の額に触れる。
「あつくない」
「熱はないと思う」
「ねつない」
「うん、熱はないんだけど……」
「でも、◯◯、ぐあいわるそう……」
「具合が悪いというか、なんか、ぼーっとする」
「なつばて?」
「どうだろう……」
「あつかったもんねえ」
「あんまり暑いから、エアコンかけてリビングで寝たもんな」
「すずしかったねえ……」
「いまも扇風機ガンガンかけてるし」
「うん」
「……なんか、心当たりがあり過ぎて、夏バテしないほうが不思議な気がしてきた」
「うん……」
「××は大丈夫か?」
「まだ、だいじょうぶ」
「そっか」
「◯◯、よこになる?」
「すこし……」
「せんぷうき、くびふりにするね」
「××、リビングで涼んできな」
「んー……」
「××まで夏バテしたら、誰が俺の面倒を見てくれる」
「ふふ」
くすりと笑って、うにゅほが立ち上がる。
「つめたいの、つくっとくね」
「ああ」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
目を覚ました俺を待っていたのは、メロンミルクのスムージーだった。
美味しかった。
-
以上、四年九ヶ月め 後半でした
引き続き、うにゅほとの生活をお楽しみください
-
2016年9月1日(木)
「九月に入ったせいか、今日は涼しいな」
「そだねえ……」
レースカーテンを揺らめかせた涼風が、汗ばんだ額を撫でていく。
「すこしだけ、寂しい気もするけど」
「うん……」
「夏が過ぎて、秋が来たら、すぐに××の誕生日だな」
「うん」
「今年のプレゼント、何にしようかなあ……」
「たのしみ」
「プレッシャーかけるなよー」
「うへー」
「ところで、いま何度?」
「うーと、さんじゅう、にど」
「32℃……」
「さんじゅうにど……」
涼しくなったわけではなく、単に慣れただけだった。
「今年は残暑が厳しいのかな」
「きょねん、こんなにあちかったっけ……」
「あんま覚えてないけど、ここまでではなかった気がするなあ」
「ちきゅうおんだんかだ」
「どーだろ」
局地的な偏差で地球規模の判断を下すのは、いささか軽率な気もする。
「エアコンね、みんなのへやにつけるって」
「随分な出費だなあ」
「でも、ちきゅうおんだんかだから」
「なら仕方ないな」
「うん」
ともあれ、自腹を切らずに済みそうでよかった。
エアコンの価格なんて馬鹿にならないからなあ。
工事やら何やら面倒事はあるが、背に腹はかえられない。
来年は、エアコンのある夏を謳歌しようではないか。
-
2016年9月2日(金)
カリ。
綿棒で耳掃除をしていたところ、耳の奥で異音が鳴った。
カリ、カリ。
硬い耳垢だろうか。
ひとしきり掃除をして耳の穴から綿棒を抜き取ると、
「血だ」
綿棒の先が、ちょっぴり赤く染まっていた。
「ちー!?」
うにゅほの背筋がピンと伸びる。
「ほら、これ」
「ちーだ……」
「耳の穴のどっかが傷ついたのかな」
「オロナイン、オロナイン」
「待て」
うにゅほの肩を掴んで止める。
「……耳の穴にオロナイン?」
「うん」
「どうやって塗るんだ」
「こゆびに、ぺちょってして……」
「奥のほうだったら?」
うにゅほが小指を立ててみせる。
「わたしのゆび、ほそい」
「俺の指よりは細いけどさあ……」
「どうしたらいいの……」
「どうもしなくていいと思うんだけど」
「だって、ちー」
「ちょびっとだろ」
「でも、ちー……」
耳から血を出したことが心配で仕方ないらしい。
「じゃあ、こうしよう」
引き出しからオロナインを取り出し、ほんのすこしだけ綿棒の先に塗る。
「これでいいだろ」
「あー」
うんうんと頷く。
「はい」
そして、床に正座し、ぽんぽんと自分の膝を叩く。
塗ってくれるらしい。
「んじゃ、失礼して」
オロナインって、耳の穴につけても大丈夫なのかなあ。
そのことだけが微妙に心配な俺だった。
-
2016年9月3日(土)
最近、セイコーマートでしか売っていない大きなプリンにハマっている。
「××、あーん」
「あー」
デザートスプーンを差し出すと、うにゅほがぱくりと食いついた。
「おいひいねえ……」
「こんだけでかいと、大味になりそうなもんだけどなあ」
ぱく。
卵の味をしっかりと残した、とろけるような、なめらかな生地。
普通サイズで売っていてもトップクラスの味である。
「でもなあ……」
「?」
「カラメルソースが苦いんだよな、これ」
「あー」
プリンの容量が多いから、当然の権利のようにカラメルソースも多い。
それがひときわ苦いのだから、たまらない。
「そもそもの話をするとだな」
「うん」
「プリンにカラメルソースって、いるか?」
「うーん……」
うにゅほが小首をかしげる。
「かんがえたことなかった」
「考えてみよう」
「うん」
「──…………」
「──……」
「やっぱ、いらないんじゃないかな」
「きいろいとこのがおいしい」
「たぶん、飽きないように味を変化させてるんだろうけどさあ」
「あー」
「だったら、カラメルだけ別でつけとけばいいのに」
「ね」
「特に、サラサラのカラメルソースの場合は──」
ここから数分ほどカラメルソースに対する愚痴が続くが、割愛する。
うんうんと俺の意見に真面目に聞き入ってくれるうにゅほの姿が印象的だった。
「──とにかくだ」
「うん」
「プリンは、美味い」
「うまい」
最終的には、そこに行き着くのだった。
-
2016年9月4日(日)
「今日は涼しいなあ」
「そだねえ……」
自室を通り抜ける風に、肌寒さすら覚える。
「今度こそ、秋が来たかな」
「そうかも」
「いま何度?」
「うーと、にじゅう、ろくど」
「26℃」
「うん」
本当に涼しかった。
「ことしのちきゅうおんだんか、おわり?」
「地球温暖化って、そういうのじゃないから」
「……?」
「説明しようか?」
「いい……」
うにゅほがふるふると首を振る。
賢明である。
「ところで××さん」
「はい」
「ちょっと肌寒いから、こっちへ来んかね」
ぽんぽんと膝を叩いてみせる。
「んしょ」
俺の膝の上で、ちいさなおしりが形を変える。
「うへー……」
「あったかいな」
「あったかいねえ」
「暑いのと寒いの、どっちが好き?」
「さむいの」
「そっか」
なんとなくわかるので、理由は尋ねない。
「雪かきがなければ、冬も好きなんだけどなあ」
「ゆきかき、すき」
「へんなやつ」
ぷにぷにとうにゅほの頬をつつく。
「へんじゃないよ」
「そうかあ?」
「ゆきかき、たのしい」
「へんなやつ」
「へんじゃないよ」
以下、無限ループ。
雪かきが楽しいとは、得な性分だよなあ。
-
2016年9月5日(月)
「──…………」
のそりと上体を起こし、枕元に置いてあった眼鏡を掛ける。
午後四時。
いささか昼寝が過ぎたかもしれない。
「あ、おきた」
「おはよう……」
「おはよ」
「なんか、イヤーな夢を見てた気がする」
「どんなゆめ?」
「あんまり覚えてないんだけど……」
腕を組み、天井を仰ぐ。
「オオスズメバチが……」
「すずめばち」
「なんか、こう」
「うん」
「鼻の中に潜り込もうとしてくる、みたいな……」
「!」
そう告げた瞬間、うにゅほが目を伏せた。
「どした」
「──…………」
もに。
ほっぺたを両手で優しく引っ張ると、観念したようにうにゅほが口を開いた。
「……◯◯がねへるとき、ね」
「うん」
「いはずらしはの……」
「いたずら」
「うん……」
「どんな?」
「はなのあはまをね、つんつんって」
「貴様のせいかー!」
「ほめんなはい!」
「いや、いいけど」
「……いいの?」
ほっぺたから手を離す。
「鼻の穴にボールペンでも突っ込んだなら別だけど、それたぶん夢と関係ないし」
「そかな……」
「それくらいのいたずらなら、俺も××にやってるし」
「やってるの?」
「うん」
口のなかに指を突っ込んでみたりとか。
「おあいこだ」
「そうだな」
そうかなあ。
まあ、いいけど。
うにゅほになら、むしろいたずらされたい俺だった。
-
2016年9月6日(火)
「うーん……」
くるくる、くるり。
座面であぐらをかいたまま、パソコンチェアを回転させる。
「あ、あそんでる」
「遊んでるわけじゃないんだけど……」
「ちがうの?」
「違うよ」
チェアから立ち上がり、うにゅほの手を引く。
「ちょっと、ここ座ってみ」
「すわるの?」
「ああ」
うにゅほがチェアに腰掛ける。
「んで、足を上げる」
「……?」
うにゅほが膝を抱えると、パソコンチェアが右に回転し始めた。
「あ、まわる、まわる」
半回転ほどして、止まる。
「すごいねえ……」
「すごいかどうかは知らんけど、この椅子、勝手に回るんだよ」
「すごい」
「すごいのか」
「うん」
「そうか……」
すごいらしい。
「どっかねじれてるのかもしれない」
「ねじれ?」
「輪ゴムとか、ねじったら元に戻ろうとするだろ」
「あー」
「んで、回転させたら直るかと思って」
チェアの背もたれを掴み、うにゅほごと回転させる。
「うあー」
くるくる、くるくる。
「あはは、まわるー」
十回転ほどさせて、目を回さないうちに止める。
「もっと」
「酔うぞ」
「もすこし」
「もうすこしだけな」
椅子が勝手に回る謎は解けなかったが、うにゅほが楽しそうだったのでよしとする。
-
2016年9月7日(水)
「おらおらー!」
「あはは、まわる、まわる、めーまわる」
くるくる、くるくる。
「逆回転!」
「わ、わ、まわるー!」
くるくる、ぴた。
「はい、おしまい」
「おわり?」
「終わり」
「えー」
「ちょっと立ってみ」
「うん」
うにゅほがチェアから腰を上げる。
「あ──」
ふらり、と。
よろめいたうにゅほを抱き留めて、諭す。
「座ってると気づかないけど、けっこう目が回ってるんだよ」
「そか……」
「やり過ぎると、酔うしな」
「ようかなあ」
「酔うぞ」
「そうかなあ」
信じていない、というか、ただ単にまだ回り足りないだけだろう。
「ぎゃくかいてんしたら、なおる?」
「治らない」
「なおらないかなあ」
「三半規管って、そういうのじゃないから」
「そうかなあ」
「……そんなにぐるぐるしたい?」
「したい」
「仕方ない……」
「わ」
うにゅほを軽く抱き上げて、パソコンチェアに腰掛ける。
「一緒に苦しみを共有しよう」
「やた!」
というわけで、ふたりで飽きるほど回転してみた。
「──…………」
「……わかった?」
「おー……」
ふらふら。
「しばらく立っちゃ駄目だぞ、転ぶから」
「うん……」
「気持ち悪くない?」
「くらくらするう」
「大丈夫?」
「だいじょぶ」
なにやってんだかと思わないでもないが、これはこれで楽しいから困る。
-
2016年9月8日(木)
「あー……」
くるくる、くるくる。
チェアは回る。
「あ、まわってる!」
「回ってます」
「ずるい」
「ずるくないです」
くるくる、くるくる。
「わたしもまわっていい?」
「はいはい」
回転を止め、自分の膝をぽんぽんと叩く。
「うへー」
うにゅほを膝に乗せ、今度は逆回転。
「ぐるー、ぐるー」
気分はコーヒーカップである。
「◯◯、かんがえごとしてたの?」
「ああ」
「なにかんがえてたの?」
「そうだなあ……」
くるくる、くるくる。
「なにから考えようか、考えてた」
「……?」
「最近、やることが多すぎて、渋滞を起こしててなあ」
「うん」
「んで、なにから手をつけたもんやらと」
「ふうん……」
「……なんか、のび太が似たようなこと言ってた気がする」
「ドラえもん?」
「そう」
「なんて?」
「なにから手をつけようか考えてるうちに眠くなる、とかなんとか」
「おんなじだ」
「同じじゃまずいよなあ……」
くるくる、ぴた。
「……なんか、酔ってきた」
「だいじょぶ?」
「回りすぎた……」
膝の上のうにゅほを抱き締めながら、めまいが過ぎるのを待つ。
考えごとは捗るが、長くはもたないようである。
-
2016年9月9日(金)
「いへへ……」
夕飯のカレーを食べていたら、ほっぺたの内側を噛んでしまった。
舌先でなぞると、薄く血の味がする。
思ったより深手らしい。
「だいじょぶ……?」
「らいじょーぶ、だいじょーぶ」
「オロナイン、ぬる?」
「オロナインはそこまで万能じゃないぞ……」
「そか……」
心配してくれるのは嬉しいが、しすぎの感は否めない。
「こうないえんなるかも……」
「なるかもなあ」
「こうないえん、いたいよ」
「知ってるよ」
「こうないえんは、ビタミンびーつー」
「よく覚えてたなあ」
「うへー」
「まあ、いまはサプリメント切らしてるんだけど」
「かってこないと」
「……口内炎になってからでよくない?」
「なってからだと、いたいよ」
「そうだけど……」
「かってこよ」
「……そうだな、そうするか」
「うん!」
押し負けた。
「あ、替えの歯ブラシ買っとかないと」
「くたくただもんね」
「涼しくなってきたけど、ガリガリ君補充しとく?」
「うん」
「……そうだ、目薬もなくなりそうだったんだ」
ドラッグストアへ行くとなった途端、買おう買おうと思って忘れていた品々が次々と浮かんでくる。
「用事ができて、よかったかもしれないなあ」
「ビタミンびーつー」
「××も飲んどくか?」
「いい」
きっぱり。
錠剤飲むの苦手だからなあ、うにゅほ。
-
2016年9月10日(土)
「あー、あー、あー……」
首筋に指を這わせながら、喉の調子を確かめる。
「どう?」
「ちょっとかすれてる……」
「やっぱりか」
「のど、いたい?」
「すこし」
「かぜかなあ」
「ひき始めかもしれない」
「かぜは、ひきはじめがかんじん」
うにゅほにぐいぐいと背中を押され、ベッドに戻る。
「はい、たんぜん」
「はい」
「はい、もうふ」
「はい」
「はい、ますく」
「はい」
「つけたげるね」
「はい」
「めがね、まくらもとおくね」
「はい」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
目蓋を閉じる。
なんでもしてくれるなあ。
「──…………」
どこまでしてくれるんだろう。
「××」
「?」
「寝るまで手を握っててくれるか」
「うん」
ぎゅ。
左手があたたかいものに包まれる。
「××」
「はい」
「子守唄、歌って」
「こもりうた……」
「子守唄」
「うと……」
あ、困ってる。
「こもりうた、あんまししらない……」
「××の好きな歌でいいよ」
「すきなうた……」
「──…………」
「……うたわないと、だめ?」
「駄目」
「う、わかった……」
緊張のためか、左手を握る力が強くなる。
そして、ささやくような声で、
「……あ、る、こー、あ、る、こー、わたしは、げんきー……」
トトロのオープニングテーマを歌い始めた。
「あるくの、だいすきー……」
「──…………」
「どんどん、い、こ、おー……」
ほんと、なんでもしてくれるなあ。
満たされた気持ちになりながら、しばらく子守唄に耳を澄ませていた。
-
2016年9月11日(日)
所用があり、PCの前から離れることができなかった。
「◯◯、◯◯……」
「ん?」
「ごよう、ない?」
「用?」
「うん」
「えーと、じゃあ、冷蔵庫からペプシ取ってくれるか」
「はい」
いそいそ。
うにゅほがタンブラーにペプシを注ぎ、手渡してくれる。
「ありがとな」
「うん」
しばしして、
「◯◯、◯◯……」
「どした」
「ごよう、ない?」
「んー」
「ない?」
「すこし暑いから、窓開けてくれる?」
「はい」
いそいそ。
うにゅほが、ふたつある窓を開いてくれる。
「ありがとな」
「うん」
しばしして、
「◯◯、◯◯……」
「んー」
「ごよう、ない?」
「──…………」
もしかして。
「……××、構ってほしいのか?」
「かまってほしい」
やっぱり。
「言えばいいのに……」
「だって」
ぽんぽんと膝を叩いてみせる。
「ほら」
「……うへー」
うにゅほが俺の膝に、対面で座る。
「こっち向いて座るのか」
「うん」
ぎゅー。
正面から強めに抱き締められる。
人恋しかったのかもしれない。
ぽんぽんと背中を叩いてやったあと、ディスプレイに向き直る。
なんだか子守りをしている気分だった。
-
2016年9月12日(月)
「──はーち!」
「……ふ、う……!」
「きゅーう!」
「──…………」
「……きゅー、う!」
「ふはッ、ふう、ふう、も、むりー……」
「記録、八回です」
うにゅほが大の字になって寝転がる。
「ほんと腹筋ないなあ」
「うひ」
うにゅほのおなかは、ほっそりぷにぷにである。
筋肉も脂肪も薄いため、くびれがあまりないのも特徴だ。
「むにむに」
「ひひ、やめへー!」
「わかった」
手を止める。
「──…………」
「──……」
しばし沈黙。
「……むにむに」
「うひ」
「ぷにぷにぷにぷに!」
「ひゃ、うし、ししし、ひー!」
俺の両手から逃れるように、うにゅほが膝を抱え込む。
「横っ腹がガラ空きだぞ!」
「くふ、ひふふ、ひー! や、やめ──」
「わかった」
手を止める。
「──…………」
「──……」
なにかを期待するような目で、うにゅほがこちらを見上げる。
「こちょこちょこちょこちょ!」
「いひゃ、うふ、いししししし!」
しばらくくすぐり倒したあと、
「つぎ、わたしのばん」
「え……」
思わず後じさる。
「かくご!」
「ちょま、ひゃ、あひゃははははははは!」
本日も平和な一日でした。
-
2016年9月13日(火)
近所の本屋でみなみけ15巻を購入し、帰宅した。
「15巻、持ってなかったよな」
「たぶん……」
日常ものの漫画は、どこまで読んだかを思い出しにくい。
「新刊コーナーにあったから、まずもって間違いないとは思うけど……」
それでもたまに裏切られるのだから、油断ならない。
部屋着の甚平に着替えながら、うにゅほに尋ねる。
「××、何巻まであった?」
「うと──」
うにゅほが本棚の下のほうを覗き込み、
「あ!」
と、声を上げた。
「……もしかして、15巻持ってた?」
「ううん」
ふるふると首を振る。
「じゅうごかんは、なかった」
「なかったのか」
「うん」
こくりと頷く。
「でも、じゅうさんかんと、じゅうよんかんが、にさつずつあった……」
「ええ……」
確認する。
「……本当だ」
我ながら間抜けである。
「これ、どうしよう」
「売るのも面倒だし、捨てるのもなんだし、このままでいいんじゃないか」
「そだね」
「……あと、これを教訓として、15巻は二冊買わないようにしよう」
「そだね……」
どの漫画を何巻まで所持しているか、ちゃんとまとめておいたほうがいいかもしれない。
-
2016年9月14日(水)
「んー……」
耳が痛い。
慣用句ではなく、実際に痛い。
「××、右の耳たぶ触ってみて」
「みみたぶ?」
「優しくな」
「うん」
恐る恐る、うにゅほが俺の耳たぶに触れる。
ふに。
「あつい……?」
「熱持ってるよな」
「あと、なんかかたい」
「あて」
「あ、ごめんなさい」
「優しく」
「はい……」
ふにふに。
「なーんか、内側にしこりがあるんだよなあ」
「できもの?」
「たまーにできて、いつの間にか治る」
「そなんだ」
ふにふに。
「××」
「?」
「耳たぶの感触が気に入ったなら、左のほうにしてくれるか」
「はい」
うにゅほが左耳に触れる。
ふにふに。
「◯◯、ふくみみ?」
「福耳ではない」
「ではないの」
「福耳の人は、もっと耳たぶでかいと思うぞ」
「どれくらい?」
「いや、厳密な定義はないと思うけど……」
「わたし、◯◯のみみ、ふくあるとおもう」
ふにふに。
「……××が言うなら、あるかもな」
「うん」
うへーと満足げに笑いながら、左の耳たぶを揉み続ける。
「気に入ったのか」
「うん」
まあ、いいけど。
耳たぶ触られるの、ちょっと気持ちいいし。
-
2016年9月15日(木)
「◯◯、いすかしてほしい」
「椅子?」
「ほんとるの」
「あー」
壁一面、床から天井まですべて本棚だから、踏み台がなければ届かない場所も出てくる。
「どれ読むんだ?」
「ねぎま」
よりにもよって、いちばん上の棚である。
「いいよ、俺が取る。××は椅子支えててくれ」
そう言って腰を上げると、うにゅほがふるふると首を横に振った。
「とどくよ」
「届くかなあ……」
「とどくよ」
「んじゃ、俺が支えるから」
「うん」
うにゅほが自信満々にチェアの上に登る。
「んしょ」
「──…………」
「……んー、しょ!」
「××」
「んぃー!」
「諦めよう」
「はい……」
指こそ棚に掛かるのだが、奥の単行本にまでは、どうしても届かないようだった。
「ほら」
「わ」
うにゅほを肩に担ぎ、優しく床に下ろす。
「おー……」
「俺が取るから、椅子を支えて──」
「んしょ」
うにゅほがチェアの上に登る。
「……?」
「ん」
「──…………」
「もっかい」
「担げと」
「うん」
「はいはい」
担ぐ。
「うへー……」
満足そうである。
「──…………」
ぺし。
「わ」
ぺし。
「たたかないでー」
「鼓みたいだと思って……」
「もー」
うにゅほを肩に担いだまま、しばらくじゃれていた。
-
以上、四年十ヶ月め 前半でした
引き続き、後半をお楽しみください
-
うにゅほって東方のうつほのことだよね??
-
2016年9月16日(金)
「じゅーさん、じゅーし、じゅーご──」
のんびりとしたうにゅほのカウントに合わせて、ヒンズースクワットを行う。
「にじゅくー、さんじゅー、さんじゅいち──」
「ぐ……」
タイミングを自分で調整できないためか、これでいて案外きつい。
「さんじゅごー、さんじゅろーく、さんじゅなーな──」
うにゅほがチェアから立ち上がり、
「よんじゅいーち、よんじゅにー、よんじゅさーん──」
「……?」
俺の背後ににじり寄る。
そして、
「──ごじゅー!」
ぴょん。
「わ、とと!」
うにゅほが、俺の背中に飛び乗った。
「こら、危ないだろ」
「ごめんなさい……」
予測していても数歩ばかりたたらを踏んでしまったのだから、完全な不意打ちならどうなっていたことか。
「おんぶくらいしてあげるから、いきなりはやめましょう」
「はい……」
「んで、このままスクワットすればいいのか?」
「うん」
「カウント頼む」
「はい」
うにゅほをちゃんと背負い直し、スクワットを再開する。
「ごじゅいーち、ごじゅにー、ごじゅさーん──」
「うぐ、ぬ、ぬぐ……」
重い。
いくら痩せっぽちとは言え、40kg前後はあるのだ。
「ごじゅろーく……」
「──…………」
「ごじゅろく?」
「……も、駄目……」
うにゅほを背中に乗せたまま、慎重にその場に崩折れる。
「うでたて、する?」
「もっと無理」
それが可能になる頃には、俺も立派なマッスルボディであろう。
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2016年9月17日(土)
首の後ろにできものができた。
「──…………」
「あ、またさわってる!」
バレた。
「つい……」
「そんなことしてたら、いつまでたってもなおりませんよ」
「すみません」
たしかに、うにゅほの言うとおりなのだ。
指先から雑菌が入り込み、更に炎症が悪化することは珍しくない。
だが、どうしても気になってしまうのだ。
「オロナイン、ぬりなおしますね」
「はい」
「あと、さびおもはりますね」
「お願いします」
絆創膏の上からなら、多少触れても問題あるまい。
「──…………」
じー。
うにゅほが俺の顔を覗き込む。
「どした?」
「さびおはっても、さわったらだめだよ」
「まさか、そんな」
「──…………」
「……はい」
完璧に心を読まれてしまった。
俺がわかりやすいのか、うにゅほが凄いのか。
「はい、おしまい」
満足げな表情で、うにゅほが包装紙をゴミ箱に捨てる。
「きれいにはれました」
「ありがとな」
「うん」
首の後ろなんて、ひとりでは綺麗になんて貼れないからなあ。
「すぐなおるから、がまんしてね」
「オロナイン塗ったから?」
「うん」
うにゅほのオロナインに対する信頼度は、絶大である。
なんでか知らないけど。
-
2016年9月18日(日)
近所の神社で例大祭が執り行われていた。
俗に言う縁日である。
神社の境内に屋台が並ぶ、年に一度のお祭りだ。
「行くか?」
と尋ねると、
「いく!」
と諸手を挙げられたので、行くことにした。
とは言え、
「××、大丈夫か……?」
「……ぐへー……」
あまりの賑わいに、うにゅほがすぐに人酔いしてしまったのだけれど。
「ほら、わたあめ」
「わたあめ、たべる……」
なんとか確保したドラえもんの袋を車内で開き、ふわふわのわたあめをを取り出す。
ちなみに、ひとつ500円だった。
なんか値上がりしてない?
「わあー……」
うにゅほが瞳を輝かせる。
「わたあめ、久し振りだな」
「うん」
「手で千切って食べるんだぞ」
「?」
小首をかしげる。
「このままたべたら、だめなの?」
「わたあめは、とても湿気に弱い食べものです」
「はい」
「人間の呼気に含まれる水分でも、シナシナになって固まっちゃうんだよ」
「そなんだ……」
「だから、美味しく食べたいなら、小分けにして食べましょう」
「て、ふいたほうがいい?」
「そのほうがいいな」
ハンカチで手を拭い、わたあめに向き直る。
「いただきます」
「はい、どうぞ」
うにゅほが、わたあめをひとつまみ、そっと口に入れる。
「あまい……」
「美味しい?」
「うん!」
「俺も食べようかな」
「◯◯、あーん」
「あー」
ひとくちめは、甘くて、ふわふわな、子供の夢のような味。
「……美味い」
「でしょ」
うにゅほが満足げに笑う。
わたあめの味にはすぐに飽きてしまったけれど、その笑顔に飽きることはないのだろう。
-
2016年9月19日(月)
甚平で過ごすには厳しい季節になってきたため、作務衣を出すことにした。
甚平と作務衣の違いは一目瞭然である。
半袖半ズボンのものが、甚平。
長袖長ズボンのものが、作務衣。
「あ、さむえきてる」
「いい加減、寒くなってきたからな」
「さむえから?」
「上手いこと言いやがって!」
うにゅほのほっぺたを引っ張って伸ばす。
「うにー……」
離す。
「ぷあ」
引っ張る。
「うにー……」
離す。
「ぷあ」
まったく抵抗しない。
楽しくなってしばらく繰り返していると、うにゅほがすんすんと鼻を鳴らした。
「◯◯、くさい」
「──……!」
軽くショックを受ける。
「風呂から上がったばっかなのに……」
「ちがくて」
ふるふると首を横に振る。
「さむえ、たんすくさい」
「……あー」
たしかに、いささか樟脳臭い。
「くさいー」
うにゅほが俺に抱きつき、鼻先を共襟の隙間に埋める。
すんすん。
ふがふが。
「◯◯は、せっけんのにおいする」
「せっけん派だからな」
「いいにおい」
「どっちだよ」
「まざったにおい」
「臭そうだな……」
「いいにおくさい」
「なんだそれ」
「うへー……」
すんすん。
ふがふが。
うにゅほはにおいフェチである。
しょーがねーなと苦笑しながら、しばらく黙って嗅がれていた。
-
2016年9月20日(火)
「──お」
うにゅほの作る野菜ジュースは絶品だが、今日のは特に美味だった。
「××、作り方変えた?」
「わかる?」
「なんか、すごい美味しい」
「うーとね──」
「待った」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「当てる」
「あたるかなあ」
「当ててみせる」
野菜ジュースをひとくち含み、ワインのテイスティングのように口内で転がしてみる。
「うーん……」
「わかる?」
「ニンジンと青汁、りんごとオレンジは──」
「はいってるよ」
「でも、前からだもんな」
「うん」
「キウイもだっけ」
「うん」
「……ぶどう?」
「ぶどうはね、はいってない」
「巨峰……」
「きょほう?」
「大きいぶどう」
「ぶどう、はいってない……」
「なんだろう、ぶどう系の風味がする、ような、気が、しないでもないんだけど……」
「んー」
うにゅほが微妙な顔をする。
「……にてるかなあ」
「じゃあ──」
当てずっぽうで粘ってみたが、一向に答えが出ない。
「……降参です」
「ざんねん」
「答えは?」
「うーとね、ぷるーん」
「プルーン……」
わからないのも当然だ。
「俺、プルーンそのまま食べたことないもんなあ……」
「おいしいよ」
「明日、野菜ジュース作るとき、味見しようかな」
「うん」
果物はあまり好きではないが、プルーンの味に興味が湧いた。
ぶどうに似ているのだろうか。
-
2016年9月21日(水)
キッチンへ赴くと、うにゅほが野菜ジュースを作っていた。
「あ、◯◯」
「プルーン、ある?」
「あるよ」
うにゅほが指差した先に、巨大なぶどうの実のような紫色の果実が鎮座していた。
「あじみ、する?」
「うん」
うにゅほがプルーンを手に取り、包丁で手際よく四等分にする。
「はい」
「おー……」
カットされたプルーンをつまみ上げ、観察する。
「……なんか、ナスの古漬けみたい」
「そかな」
「この、微妙な茶色が……」
「おいしいよ」
あまり美味しそうには見えない。
しかし、味見したいと言ったのは俺だし、気になることも確かだ。
果実の内側に吸い付くように、プルーンを口へと運ぶ。
「──…………」
甘い。
さほど酸っぱくはない。
見た目から予想していたような、ぶどうに似た風味は感じられない。
「おいしい?」
「んー……」
しばらく味わったあと、飲み下す。
「……普通?」
「ふつうかー」
「なんかに似てるのかなって思ってたけど、なんにも似てないな」
「プルーンあじ」
「うん、プルーン味」
うにゅほがプルーンの皮を剥き、ミキサーに入れる。
「おいしいジュース、つくるからね」
「期待してる」
「うん」
うにゅほの作る野菜ジュースは、やはり絶品である。
-
2016年9月22日(木)
「──…………」
クレジットカードの利用明細を開き、絶句する。
「マジで……」
リフォームをして本棚が増えたのをいいことに、Amazonでポチりまくったことは確かだ。
だが、正直、ここまで行くとは思っていなかった。
「◯◯、めいさいみして」
「……見せなきゃ駄目?」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「みないと、かけいぼつけれない」
「……そうだな。そうだよな」
うにゅほの左手のiPhoneには、既に、家計簿アプリが表示されている。
あとは金額の入力を待つばかりだ。
「──…………」
そっ、と。
開いたままの利用明細を、うにゅほの眼前に差し出した。
「──ろ!」
うにゅほが目をまるくする。
「ろくまん、さんぜん、ごひゃくごじゅうななえん……」
「はい……」
「すごい……」
「使いすぎてしまいました」
「……はー」
とす。
うにゅほがチェアに腰を下ろす。
「ほん、かいすぎたねえ……」
「うん……」
「たくさんかったもんねえ」
「塵も積もれば山となる、ってやつだな……」
「せっせいしないと」
「はい……」
読者諸兄も、クレジットカードの使い過ぎにはご注意を。
-
2016年9月23日(金)
「──けほ、ごほッ!」
喉の痛みを追い出すかのように、空咳を繰り返す。
風邪だろうか。
そうかもしれない。
「ゔー……」
「はい、ますく」
「むぐ」
〈だーれだ!〉を思わせる体勢で、うにゅほが俺にサージカルマスクをつけてくれる。
背後からだと言うのに器用なものだ。
「ひきはじめが、かんじん」
まったくその通りである。
「あし、つめたくない?」
「冷たい……」
「くつしたはかないと、だめだよ」
そう言って、靴下を履かせてくれる。
「さむけ、しない?」
「する……」
「まっててね」
そう言って、半纏を出してくれる。
至れり尽くせりである。
「かぜぐすり、のんだ?」
「まだ……」
「うーろんちゃ、いる?」
「いる……」
「さむけ、まだする?」
「する……」
「あったかく、する?」
「する……」
「わかった」
パソコンチェアを反転させると、うにゅほが俺の膝に腰を下ろした。
「ぎゅーして」
「ぎゅー」
「あったかい?」
「あったかい……」
本当に、至れり尽くせりである。
いつまでもうにゅほに甘えていたい気持ちもあるが、心配をかけてはいけない。
ひき始めのうちに、さっさと治してしまおう。
-
2016年9月24日(土)
図書館から帰宅し、自室の扉を開けたときのことだ。
「──……?」
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
「さむい!」
うにゅほが自分の両腕をさする。
そう、寒いのだ。
外は汗ばむほどの陽気であるにも関わらず、室内だけが冬のように寒い。
数秒ほど考え込んで、ようやく思い至る。
「──あ、エアコンか!」
「うん」
「試運転してたのかな」
「そかも」
風邪気味であるにも関わらず外出していたのは、そもそも、エアコンの据付工事の邪魔にならないようにという配慮からである。
忘れていたわけではないのだが、意識にのぼっていなかった。
「わ」
ベッドの枕側に据え付けられた室内機を見て、うにゅほが感嘆の声を上げる。
「おっきいねえ……」
「圧迫感あるなあ」
「きりがみね、だって」
「リビングのエアコンと同じやつだ」
ベッドの上に置いてあった取扱説明書をパラパラとめくる。
「冷房、暖房、除湿、送風」
「だんぼう!」
「暖房機能はあるけど、真冬は使わないほうがいいって聞いたな」
「そなんだ」
「でも、××はストーブのほうがいいだろ」
「……うへー」
うにゅほが肯定の笑みをこぼす。
手についた灯油の匂い、大好きだもんなあ。
「──…………」
今年もふがふが嗅がれるのだろうな、などと思っていると、自然と笑みが浮かんできた。
「秋まではエアコンで、冬になったらストーブかな」
「そうしましょう」
「冬、楽しみだ?」
「うん」
うにゅほが楽しみにしているのなら、俺も楽しみにしておこう。
……豪雪でなければいいなあ。
-
2016年9月25日(日)
残暑が死ぬほど厳しかったので、さっそくエアコンを活用してみることにした。
「はー……」
「すずしいねえ……」
エアコンの真下に位置取り、吹き出す風を一身に浴びる。
「扇風機も悪くないけど、やっぱ質が違うな」
「せんぷうきは、すずしい」
「エアコンは?」
「つめたい」
「わかる」
どちらも一長一短あるが、今年のような猛暑にはエアコンのほうが適しているだろう。
「九月も終わるし、冷房つけるのは今年最後になるかもしれないなあ」
「だんぼうは?」
「昨日も話したけど、雪が降るまでは使ってみようかと」
「ストーブ、つかうよね?」
「ちゃんと使うってば」
苦笑し、うにゅほの頭を撫でる。
「半端に寒いときにストーブつけると、室温上がり過ぎちゃって、すぐに消して、またつけてってなるからな」
「うん」
「逆に、すごく寒いときには、エアコンは力不足だ」
「ストーブだ」
「そう。要するに、使い分けだな」
エアコンの取扱説明書をぱらぱらとめくりながら、呟く。
「……今年の冬は、どうなるかなあ」
「なつあつかったから、ふゆさむくなるとおもう」
「寒いのはいいけど、雪がな」
「たくさんふるとおもう」
「希望?」
「うん」
「俺は、ちょっとでいいんだけど……」
「たくさんのほうが、きれいだよ」
「その感覚はわかるけどな」
世界が白く塗り込められる風景は、滅びの美学をも内包している。
好きか嫌いかで言えば好きだが、実生活に影響を与えるとなると、話はすこし違ってくる。
「……まあ、なるようになるか」
「うん、なる」
逆に言えば、なるようにしかならない。
祈っても無駄なので、祈ることもしない。
降ったら降ったで、愚痴を言おう。
降らなかったら、慰めよう。
うにゅほがいれば、だいたい楽しい。
-
2016年9月26日(月)
廊下を歩いているとき、うにゅほがふと口を開いた。
「◯◯、こしいたい?」
「腰?」
上体を軽くねじってみると、わずかに違和感があった。
「痛いってほどじゃないけど、すこし……」
「やっぱし」
「よくわかったなあ」
本人ですら自覚していなかったのに。
「うしろからみたら、すぐわかるよ」
「後ろから……」
「くのじになってね、ひょこひょこしてるから」
「マジか」
無意識に、患部をかばうような歩き方になっているのだろう。
「まっさーじ、する?」
「する」
「わかった」
「あ、今日は踏んでくれるか」
「ふみふみ?」
「ふみふみ」
「わかった」
自室へ戻り、床の上にうつ伏せる。
「頼むう」
「はい」
ふみ。
ふみふみ。
「あ゙ー……」
「きもちいい?」
「爪先、爪先、そーそーそこそこ!」
小柄で痩せっぽちなうにゅほと言えど、体重はそれなりにある。
「……はー、極楽じゃあ」
「ふみふみ、すき?」
「大好き」
「ふつうのまっさーじは……?」
「大好き」
「ふみふみおわったら、ふつうのまっさーじしていい?」
「頼むう」
うにゅほのふわふわマッサージは、効きこそしないが極上の心地よさを誇る。
「あ、普通のマッサージするなら、ベッドの上でいいか」
「うん」
たぶん寝落ちする。
案の定寝落ちした。
睡眠障害に効果があるのではないか。
-
2016年9月27日(火)
「……ゔー……」
座椅子に背中で腰掛けたうにゅほが、苦しげにうめき声を上げる。
「大丈夫か?」
「だい、じょ、ぶー……」
あまり大丈夫そうには見えない。
「おなか撫でるか?」
「うん……」
うにゅほの隣に膝をつき、腹巻きの上からおなかに触れる。
「ちょくせつなでて……」
「はいはい」
腹巻きの下に手を入れると、かなり蒸れていた。
なで、なで。
円を描くように、おなかを撫でる。
「ほー……」
「どうよ」
「とてもいいです……」
なで、なで。
「──…………」
「ふー……」
しばらく撫でていると、空いた左手が手持ち無沙汰になってくる。
読みさしの小説を手に取り、片手で読み進めていると、
「……だめ」
うにゅほに奪い取られてしまった。
「しゅうちゅうしてください……」
「ごめん、ごめん」
「……しおりのとこ?」
「?」
「よんでたの」
「まあ、うん」
「わかった」
こほん、とうにゅほが咳払いをする。
「よん、のうさぎをおって。きゅうかはにしゅうかんよりながかった。マイク・ドノヴァンも──」
ああ、朗読してくれるのか。
「つらくなったら、途中で止めていいからな」
こくりと頷き、続ける。
「ゆーえすロボットしゃは、ふくごうロボットからけっかんを──」
ちいさな朗読会は、うにゅほが疲れるまで続いた。
贅沢な小説の楽しみ方だと思った。
-
2016年9月28日(水)
「──……雨だ」
寝起きに頭が重いと感じていたら、案の定雨が降っていた。
どうにも気圧の変化に敏感過ぎる体質である。
「あめ、ひさしぶりだね」
「そうだな」
台風も、結局こちらへは一度も来なかったし。
「……◯◯、だいじょぶ?」
「××こそ大丈夫か?」
「わたしは、だいじょぶ」
「なら、俺も大丈夫」
「ならじゃなくて……」
うにゅほが心配そうな顔でこちらを見上げる。
真面目に答えよう。
「……まあ、すこしだるいくらいだよ。本当に大丈夫だから」
「そか」
「それにしても、今日は蒸すなあ」
「うん」
「何度ある?」
「みてくる」
うにゅほが、本棚の隅に飾ってある温湿度計を覗き込み、文字盤を読み上げる。
「にじゅうななど、ろくじゅうごぱーせんと」
「なるほど……」
作務衣の共襟をパタパタと動かし、汗ばんだ肌に風を送る。
「ちょっと湿度が高めだな」
「うん」
「エアコンの除湿機能、試してみるか」
「しつど、さがるかな」
「下がらなかったら困るぞ」
「エアコンのいみないもんね」
「高い金出したんだもの、除湿くらいしてもらわないと」
俺が出したわけじゃないけど。
一時間後──
「うお、48%になってる!」
「すごい!」
「一時間で17%も吸ったのか……」
「すごいねえ」
エアコンの除湿機能、侮れない。
-
2016年9月29日(木)
「うう……」
ストレッチをしていて、内腿の筋を思いきり痛めてしまった。
「足、開きすぎた……」
「むりしないで」
「はい……」
無理したつもりはなかったのだが、思った以上に体が硬くなっていたらしい。
「前屈はできるんだけどなあ」
「ぜんくつ、できない……」
「逆だな」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「××は前屈できないけど、それ以外はだいたい柔らかいだろ」
「◯◯は、ぜんくつできるけど」
「それ以外、だいたい硬くなっちゃったみたいだなあ……」
子供のころは、体が柔らかいことが自慢だったのに。
「しっぷ、はる?」
「いや、いいよ。場所が場所だし」
「えー……」
どうして残念そうなんだ。
「貼るなら肩に貼ってほしい」
「かたこり?」
「こりこり」
「こりこりー」
うにゅほが俺の肩を揉む。
「ほんとだ、こりこりだ」
「最近、肩がすこし重くて」
「こりこりだもん」
「……こりこりって言い方、気に入ったのか?」
「うん」
背後でこくりと頷く気配。
「こりこり、こりこり」
やわやわと肩を揉む手を心地よく感じながら、軽く首を回す。
「くびも、こりこり?」
「首は、そこまででもないかな」
うにゅほが首筋を揉む。
「くびも、すこしこりこり」
「こりこりかあ」
「うん」
そんなことを言い合いながら、しばしマッサージを受けていた。
-
2016年9月30日(金)
「◯◯、あまぞんからなんかとどいたー」
「お、来たか」
うにゅほから小さな包みを受け取る。
「ほんじゃない?」
「本じゃない」
「なに?」
「まあ待て、いま開けるから」
包みを開封し、中身を取り出す。
「じゃーん」
「……?」
貧乏な家の泡立て器のようなそれを見て、うにゅほが小首をかしげる。
「これ、なに?」
「キープラー」
「……うーと」
「説明するより、見せたほうが早いかな」
PCからキーボードを外し、Jキーをターゲッティングする。
そして、キートップの角に引っ掛かるように針金を滑り込ませ、
「えい」
すぽん!
一気に引き抜いた。
「え!」
「ほら、取れた」
「え、え、それ、とっていいの?」
「取るための道具なんだってば」
「あ、そか……」
「たまには掃除しないとなあ」
そう言いながら、すぽんすぽんとキートップを引き抜いていく。
「……あの」
「うん?」
「やってみたい……」
「いいぞ」
うにゅほにキープラーを手渡し、軽く指導する。
「──ここでひねって、角に引っ掛ける」
「はい」
「んで、あとは引っ張るだけ」
「……いきます」
すうはあと呼吸を整えて、
「ん!」
引っ張る。
「──…………」
抜けない。
「もっと力入れていいぞ」
「こわれない?」
「壊れないって」
「──んっ!」
すぽん!
「ぬけた!」
「抜けたな」
「やった!」
「おめでとう」
「うへー……」
引き抜いたSキーを天井にかざしてご満悦である。
「でも、キーのした、きたないね」
「……俺も、ここまで汚いと思わなかった」
キーボードの掃除は、こまめに行いましょう。
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