レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
やる夫たちは五竜亭の常連客のようです 第11夜
-
『やる夫たちは五竜亭の常連客のようです』の11スレ目です。
原作は冒険企画局編『ファンタジーRPGクイズ』シリーズ(富士見ドラゴンブック)です。
本スレはクイズ形式となっております。
スレの性質上、ネタバレはご遠慮下さいますようお願いします。
__ / :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. : |│////
/:.__:...二二ニ :.=-:、 :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :|│////
/:/ /. :. :. :. :. :. :. :. :.. :. :. :. :. :. :. :. : :. : |│////
.: / .:. :. :. :. :. :. :. :. :./ :. :. :. イ :. :. |\:.:.\|│////
/:./ / :. :. :. :. :. :. :. : /:. :. :. :/│:. :./ 丶:. :|│////
.:/ /:. :. :. :. :. :. :. :. :.:|:. :. :. / :| :. / ∨|│////
|:.| :. :. :. :. :. :. :. :. :. 八:. :.|/ |/ /`|│////
|:.| |:. :. :. :. :. :. |:. :. /\\| 、v=≦==ミ|│////
i八 |:. :. :. :. :. :. |:. :/ __≧=ミ_ ノ 〃 r':::ハ|│////
丶:.\ | :. | :|:. :. :..:|: :. 〃 r':::ハ 弋゚ソ|│////
\ :. : |八:. :. : ∨| {{ 弋'゚ソ `'' ー‐|│////
\| \:. : :八 ー‐'" , |│////
〈:. :. :.:\ |│////
∨\.:. :.\ |│////
〈:./ ;八⌒^ -‐…¬ |│////
〈 〈: :. 〉、 |/______| |│////
大きくたって戦いに役立つことなんかなにもないわ! 〈:. У:.〉 \ └┴┴ ┘ ! | ////
〈 〈: :. 〉:. :.:.|> . ィ|│////
小さい方が鎧の胸板とかも安く作れるし、 〈:. У:.〉:. :. |:. :. :.;;|≧=‐ヤ |│////
動くのにジャマだし……。 〈 〈: :. 〉 :. / ̄ /'∧ |│////
〈:. У:.〉: // / ∧. |│////
. 〈 〈: :. 〉/│ / / 〔. |│////
_,.-'"´ 三ミ、ー-、
/ / ィ /⌒`⌒ヽ\
/ / / / 夢 | ヽ
/ / イ^ー、 u,.. 、)、 ',
, ' / / //ヽ、 ○ゝ イ○ノ| |
//イ / /::::、 '´ ` ̄'|| | おお〜勇者よ〜♪
/ /イ / |::::::| / _┗' ,イ 、|
/ / |::::::| ┃r=━┫;:/ | |ヽ ペッタンコ キョニュウ
/ / ,イ ,' | ハ:::::| /!ー-、K ;:/ | |\ 汚れなき胸を邪悪への怒りでふるわ……
/ / / ! \| | |::::::::::|! /! ! |
, / / / |┐ \ `━彡' | !ヾー-、 ふる……あれ?
/ /イ | ハ! |==、  ̄乙/{,川ハ! `ヽ、
, ' / イ 川ハ、o | `='"oネ、リヾ、 ヽ
/ 人 リヾ `ー、_,彡'"|,リ' ヽ _,. ' 〉
-
ひどい目に遭う話は見るの辛いけど体調良くなってくる話は安心して観れる
-
砂糖減らすといいことばかりだよね。
わかるわ〜
-
摂り過ぎが良くないのはわかるが、さも悪いもの毒のように言う昨今の風潮は極論で思想が傾きすぎ。
他の塩分や油や動物肉や炭水化物を極端に憎む風潮も同じ。そういう食物は本来は体に必要なものばかり。食欲をコントロールできず摂りすぎるから起きることであってそれらが悪の権化というわけではない。
-
「ただ、外れていないものもある。孫亮の派手好みは事実で、のちに陸凱が、孫権亡きあと孫亮の代から皇帝の金遣いが荒くなったと書いているンだ。女を集めるだけ集めて何もさせないなら結婚させてしまえ、とも上奏している辺り、浪費癖があったのは否めない」
-
この孫奮、もともと軍を率いて武昌にいたンだけど、諸葛格が『皇子が軍事的要地にいるのは好ましくない』と豫章に移そうとすると、皇子であることを盾に従わず、法をないがしろにする言動をしでかした。結局異動には従ったンだけど、諸葛格が死ぬと建業に乗り込んで帝位を簒奪しようと目論んでな」
-
「ところが、この258年に、孫亮が『王にはできんが侯にはしよう』と爵位を与えているンだ。皇族の有力な味方となるのを期待しての封爵だったと考えてよく、孫綝にしてみればそんな奴を帝位にはつけられなかったワケだ」
-
「というか、庶子という概念そのものが嫡子に対するものなんだから、そもそも全ての妃を、生きているうちに皇后にはしなかった孫権には、実理的な意味での嫡子はいないように思えてな」
-
「とりあえず応えると、孫権の男児は7人、女児は2人。ただし、これは公式見解で、大トラと小トラの間に早死にした娘がいたし、孫権の子と明記されていない息子もひとりいる。それを僕は庶子と見ているワケだが」
-
「確認したかな? 諸葛格が『諸王(皇子)を軍事的要地から遠ざける』という政策を執ったのは。二宮の変はあくまで宮中での出来事で、諸皇子が軍を率いて要地にいたら、物理的な衝突もありえた。判断としては間違いではない」
-
「本人の状況が変わったンだ。もともと平民の出だったのに羊衜に認められ孫権に取り立てられたンだけど、あれから20年経ってるからな。できたカミさん迎えたみたいで、明記はないがそのカミさんの勧めに従って建業から離れたようだ。だが、丹楊では持ち前の正義感を発揮して、相手が孫休でも法に反する行いはきっちり糾問している」
-
「そんなことがあったモンだから、孫休は『別の地に異動させてくれ』と上奏して、孫亮はそれを受け入れ会稽に流した。廃立後の孫亮が会稽に流されることになったのは、コレが影響しているように思える」
-
「さて、孫綝が孫休を選んだのには、他に継承権の持ち主がいなかったのに加えて、孫休は派閥としては孫静系皇室派に近かったからというのが挙げられる。正確には敵の敵は味方という奴で、反孫亮派なんだが」
-
「大トラの行動原理は好き嫌いに左右されるからなぁ」
-
「孫綝のよからぬ企てではないか……と疑っていた孫休だけど、孫楷や他の使者から説得されて、悩んだものの建業に出発した。宮殿に入ったもののすぐには両者面談とならず、とりあえず孫楷と孫恩が話しあってから、孫休は大臣百官を、孫綝は兵士千人を引き連れて面会している。258年10月18日のことだ」
-
258年10月21日
孫休「大将軍に、丞相と荊州牧の役職をあげましょう。弟の孫恩殿には衛将軍、アナタの一族の皆さんも侯に叙任です!」
孫綝たち『ありがたき幸せ!』(×5)
-
「大将軍・丞相・荊州牧と、陸遜か孔明かと思える役職を並べたのみならず、本人を含む一族5人を要職につけて侯に封じるという大盤振る舞いだ」
-
【2ch 面白いスレ】止まらぬ男の独身化に低スぺ婚活女子が人生詰んでしまうww【ゆっくり解説】
-
258年11月5日
孫休「亮を廃立した功は霍光(前漢の功臣)にも勝ります。大将軍、アナタに協力した者にはきちんと褒章を」
孫綝「心得ました!」
-
「人臣として望みうる限りの厚遇をされた孫綝は、かえって居心地が悪くなってきたンだ。ために、宮中を出て荊州に逃げようとしたら、ことさらに厚遇されそうになった。いち時期、孫休を帝位につけたのを後悔したような記述があるが、孫綝が孫休を持て余していたのは事実っぽい」
-
「どうも、何もしたくなかったみたいだ。孫綝に全てをマル投げして、自分は学術研究に没頭していたかったようでな。それがポーズなのか本心なのかは微妙なモンだが、孫綝が受け入れ丞相として天下を差配していれば、問題は起こらなかったと考えていいが、当然そうはいかなかった。下にも置かぬ扱いに居心地が悪くなった孫綝は荊州に逃げると云いだして、だが盛大に送り出すと云われて困り果てた」
-
「困るだろうな。物欲我欲というものが孫休からは感じられない。孫綝は欲が強い方だから、欲の薄い孫休のことを理解できず、対応に苦慮したみたいだ」
-
「物をもらえば喜ぶだろうと考えて、持って行ったら突っ返された……か。皇帝をどうおだてればいいか判らなくては、侫臣としては自分の立ち位置を見失いかねんな」
-
「孫亮は孫綝の奏上を突っぱねて対決姿勢を剥きだしたが、孫休は孫綝を受け入れていた。意外に思うかもしれんが、この対策は侫臣を抑え込むのにはベターだ。帝位を除く何もかも与え続けても帝位だけ確保していれば、上下の別だけは明らか。どれだけ権勢を誇ろうが、それはワタシの掌の上なんだぞ……と陰で笑える」
-
「陰で何を企んでいるか判らん孫休相手に、孫綝は委縮した……というところか」
-
【ゆっくり解説】中国に押し寄せるデフォルトの波…!投資会社1万社が破綻!?さらに地方銀行や建設銀行も経営危機で中国国民14億人が貧困状態に。
-
「というわけで、孫綝を心理的に追い詰めた孫休は、ようやっと物理的に排除する策を講じる。さっきからちょろちょろしている張布は、孫休がドサまわりしていた頃からの側近で、帝位に就くと重用された文官でな。実行犯とするには武力的に心許なかったので『文官にはなれませんが、計略に長け大事を成し遂げられる』丁奉を巻き込んだ」
-
「張布はそう勧めている。呼ばれた丁奉は、孫綝誅殺を持ちかけられて策を弄した。孫綝の兄弟部下は数多く、大臣たちも味方するとは限らない。慌ててことを起こしても孫亮の二の舞になりかねない、と。そこで、冬至のあとで行う祖先慰霊祭で斬ってしまおう、ということになった」
-
「そういう場には多数の兵は連れていけんだろうな、確かに」
-
「ここからが孫休の真骨頂でな。本人の耳に入るよう『慰霊祭で孫綝を殺す』との噂を流したンだ。明記はないが、丁奉や張布から漏れるとは思えん。意図的に流したと考えるべきだろう」
-
「何でコイツらは、そういう真似をしでかすかね」
-
「ヒトをだますために本当のことを云うの、やめない?」
-
「効果的なんだよ。行けば、場所柄多数の兵は連れ込めないから自衛策はとれず、そのまま殺される。行かなかったら日頃の厚遇に背くことになり、公然と排除する口実ができる。それでなくても前夜、強風で木が倒れたりしたモンだから、孫綝はますます不安になった……とある」
-
「かくて258年12月8日。慰霊祭が始まったが、孫綝は『おなか痛いから休みます』と子供みたいなことを云ってごまかそうとする。でも孫休から出席するよう使者が十数人送り込まれて、ついに行くことにした」
-
「誰か止めてやれよ……」
-
「止めた部下もいたンだよ。ただ、本人曰く『陛下から出席せよと何度も何度もお言葉をいただいては、お断りするワケにはいくまい』と、日頃の厚遇に応えないのはまずいと考えたのが判ることを云っている。孫亮の孫綝抹殺計画は完全にねじ伏せた孫綝だけど、たった2ヶ月少しで完全にふぬけてしまっていたのか、それとも今度は注進する輩がいなかったからか、信じられないくらいあっさり対応を誤っているンだ」
-
「孫綝は、自分の役所で火を出すよう兵に命じている。火事を理由にすぐ退出しようと考えたワケだが、孫休が打ち続けた布石がきっちり生きているのが判る。慰霊祭に出れば殺されるという噂なのに、孫休ではなく他の誰かの謀略だろうと考えていた。日頃の厚遇から、孫休は退出を引き留めまい……と甘く見ていたのが伝わってくるな」
-
「孫休は孫綝に悪意を抱いていない……と本人に思わせるためのトラップか」
-
「それと知らない孫綝は、ノコノコ慰霊祭会場に現れた。まもなく火事が起こったと知らせが入り、孫綝は退席を申し出るが、孫休は『外にも兵がいるのだから、わざわざ丞相が赴くことでもありませんよ』と逃がさない。さすがに不審に思ったようで、孫綝が逃げようとすると、丁奉・張布の兵が孫綝を縛り上げた」
-
孫綝「命だけはお助けを! 交州への流罪で勘弁してください!」
孫休「アナタはどうして滕胤や呂拠を流罪にせず殺したのです」
孫綝「では、宮廷の奴隷としてください! どうか命だけは!」
孫休「アナタはどうして滕胤や呂拠を奴隷とせず殺したのです」
-
「そんなワケで孫綝は処刑され、外の兵士たちに首級が示された。孫綝は殺したが兵は許すので、武器を捨てて投降するように、と。五千からの兵は投降したが、しなかった者もいたようで、特に孫綝の一族には、船で魏に逃げ込もうとした者もいた。追っ手がかかって討ち取られたが」
-
「何年か前の諸葛格殺害、そのままの事態だな」
-
「事後処理はもっと非道いぞ。孫峻でも瑾兄ちゃんの墓には手を出さなかったのに、孫休は出しているンだ。孫綝の一族、つまり孫静の子孫は、諸葛格のとき同様皆殺しになったが、それだけでは収まらず、孫峻の墓を暴いて副葬されていた官位の印璽を没収し、棺の表書きも削って無位無官にして埋め直している」
-
「事後処理はもっと非道いぞ。孫峻でも瑾兄ちゃんの墓には手を出さなかったのに、孫休は出しているンだ。孫綝の一族、つまり孫静の子孫は、諸葛格のとき同様皆殺しになったが、それだけでは収まらず、孫峻の墓を暴いて副葬されていた官位の印璽を没収し、棺の表書きも削って無位無官にして埋め直している」
-
「実は、それくらい腹に据えかねるモノがあったようでな。正史にも『孫魯育を殺したことへの報復である』とはっきり書かれている。ただし、先に云った通り孫魯育殺害は孫峻の責任ではない。それが何を意味するのか……は、何回か先で触れる。ともあれ、孫綝は殺され、孫静系皇室派は皆殺しになり、この一件は幕を閉じた。享年28」
-
「孫堅からみれば甥に当たるか。孫静は孫権が呉を率いる立場になると、官職を退いて(虞翻治める地に)隠居しているンだが、これに連座してのことだと見ていいだろうな」
-
「そうとしか思えん。さすがに存在を史書から抹消することはできなかったようだが、孫暠は十中十まで殺されたとしか考えられず、次男孫瑜・三男孫皎・四男孫奐は対魏最前線に駆り出され、いずれも孫権に排除されたと考えていい最期を遂げている。以前云ったときにはスルーされたが、割と重要なことを確認しよう。孫静系皇室派が呉の宮中に現れるのは、孫権が老いの床に伏せってからだ」
-
「孫暠以来弾圧され使い捨てられていた孫静系の怒りが、孫峻・孫綝の代で爆発した……?」
-
「フォローはしかねるな。実は、孫休が建業に到着する前に、孫綝は自分で帝位に就こうと目論んで百官に意見を求めているンだ。孫綝の権勢を恐れて誰もが賛成する中、誰あろう、虞翻の息子がたったひとり反対の声を挙げている」
|
|
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板