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やる夫たちは五竜亭の常連客のようです 第11夜
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『やる夫たちは五竜亭の常連客のようです』の11スレ目です。
原作は冒険企画局編『ファンタジーRPGクイズ』シリーズ(富士見ドラゴンブック)です。
本スレはクイズ形式となっております。
スレの性質上、ネタバレはご遠慮下さいますようお願いします。
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大きくたって戦いに役立つことなんかなにもないわ! 〈:. У:.〉 \ └┴┴ ┘ ! | ////
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小さい方が鎧の胸板とかも安く作れるし、 〈:. У:.〉:. :. |:. :. :.;;|≧=‐ヤ |│////
動くのにジャマだし……。 〈 〈: :. 〉 :. / ̄ /'∧ |│////
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_,.-'"´ 三ミ、ー-、
/ / ィ /⌒`⌒ヽ\
/ / / / 夢 | ヽ
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, ' / / //ヽ、 ○ゝ イ○ノ| |
//イ / /::::、 '´ ` ̄'|| | おお〜勇者よ〜♪
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/ / ,イ ,' | ハ:::::| /!ー-、K ;:/ | |\ 汚れなき胸を邪悪への怒りでふるわ……
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, / / / |┐ \ `━彡' | !ヾー-、 ふる……あれ?
/ /イ | ハ! |==、  ̄乙/{,川ハ! `ヽ、
, ' / イ 川ハ、o | `='"oネ、リヾ、 ヽ
/ 人 リヾ `ー、_,彡'"|,リ' ヽ _,. ' 〉
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モッコ・シポヨ
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「当初支持があったか、最初からなかったかという世論の違いはあるがな。諸葛格は、普段はいい点を取っていたテストで赤点を取って、前後不覚に陥った優等生で、孫綝は『今度問題起こしたら退学だ!』と云われていたのに、校外でトラブルを起こした問題児、と考えれば判りやすいかもしれない」
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「ただし、ここで問題児は居直った。帝都・建業の南(朱雀橋の南とあるので、まず間違いなく街の南)に自分が、東(こちらも青龍門とあり、街の東と断定していい)には弟・孫恩がそれぞれ居を構え、一族の者には建業の周囲に、軍を率いて陣を築かせている。文句があるなら攻めてもいいンだぞコラ、という意思表示だな」
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【ずんだもん】砂糖をたった14日やめただけでヤバイことになった男の話【ゆっくり解説】
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「はっきり云って生ぬるいね。負け戦で自分の権勢が低下しているのを察したのはいいが、孫綝が軍を率いていても怖くも何ともないというのが天下に知れ渡っているンだから、示威行為には意味がないと自覚すべきだった。脅迫ではなく実際に危害を加えないと、誰も怖がってくれないのを気づけなかったようでな」
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「そうなっては孫亮も荒れておれなかったようで、その後どうしたという記述はない。まぁ抵抗もできなかったようで、孫綝が大臣たちを集めて孫亮の廃立を宣言すると、何の抵抗もせずに退位している。本人は会稽に、全尚の一族は零陵に流されたが、当人が自害したとかそういう記述は一切、ない。この男、自分のしでかしたことの重さがまったく理解できていなかったようだ」
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「自分が助かればそれでいいとか、自分のためなら誰に迷惑をかけてもいいと考える性格に、大トラの悪影響が強かったのは誰の目にも明らかだったようでな。孫魯班を宮廷に野放しにしておくのは、孫綝でも危機感を抱いた。これ以上何かされたらかなわんからな、大トラ孫魯班も宮殿から追放され豫章に流されている。これ以後どうなったのか、正史に記述はない」
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「千秋万歳!」
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「かくて在位6年にして、孫権の末子は帝位を追われた。そのわずかな在位期間が、呉にとって身中の虫たる孫峻・孫綝、誰より孫魯班と同時代だったことが彼の不幸と云える。どこまで信用していいかは微妙なモンだが、孫綝が孫亮を責めた文章が残っている。かなり長いが、書き下して引用してみる」
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「孫亮陛下は劉丞を寵愛なさり、美色を好まれ、役人や民衆の婦女から美しい者を選んで宮中にとどめられました。また、兵士たちの子弟から若い者を集めて御苑の中で軍隊ごっこをなされ、武器庫の獲物を遊び道具としたのは、身分の上下を問わず嘆いたものです。先帝の忠臣であった朱拠の子朱熊・朱損が朱公主様を殺害したのは、全公主様の企てに従っただけだというのに、事態を精査もせずに軽々しくふたりを殺し、いさめの言葉も聞き届けいただけませんでした。陛下はまた、宮中に小船三百を作ってはそれに金箔を押したため、工人たちは休む間もありませんでした。全尚には何の能力もなく、自らの一族を執り仕切ることができずに魏へと走らせ、自身も力量以上の地位について陛下の行いをいさめることもせず、敵に通じて国家の大事を漏らしておりました。ゆえに今月(258年9月)27日、劉丞を斬り全尚を捕らえ、陛下に退位いただいた次第であります」
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「まぁ、これらがすべて本当であったとしても、それほど責められることではない。劉丞はともかく、美人を後宮に納めるのは君主の行いとして外れてはいない(規模にもよるが、それほどの多人数だったとの記述はない)。若年親衛隊が、若いだけに武器の扱いに慣れていなくても無理はなかろう」
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【ずんだもん】砂糖をたった14日やめただけでヤバイことになった男の話【ゆっくり解説】
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ひどい目に遭う話は見るの辛いけど体調良くなってくる話は安心して観れる
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砂糖減らすといいことばかりだよね。
わかるわ〜
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摂り過ぎが良くないのはわかるが、さも悪いもの毒のように言う昨今の風潮は極論で思想が傾きすぎ。
他の塩分や油や動物肉や炭水化物を極端に憎む風潮も同じ。そういう食物は本来は体に必要なものばかり。食欲をコントロールできず摂りすぎるから起きることであってそれらが悪の権化というわけではない。
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「ただ、外れていないものもある。孫亮の派手好みは事実で、のちに陸凱が、孫権亡きあと孫亮の代から皇帝の金遣いが荒くなったと書いているンだ。女を集めるだけ集めて何もさせないなら結婚させてしまえ、とも上奏している辺り、浪費癖があったのは否めない」
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この孫奮、もともと軍を率いて武昌にいたンだけど、諸葛格が『皇子が軍事的要地にいるのは好ましくない』と豫章に移そうとすると、皇子であることを盾に従わず、法をないがしろにする言動をしでかした。結局異動には従ったンだけど、諸葛格が死ぬと建業に乗り込んで帝位を簒奪しようと目論んでな」
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「ところが、この258年に、孫亮が『王にはできんが侯にはしよう』と爵位を与えているンだ。皇族の有力な味方となるのを期待しての封爵だったと考えてよく、孫綝にしてみればそんな奴を帝位にはつけられなかったワケだ」
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「というか、庶子という概念そのものが嫡子に対するものなんだから、そもそも全ての妃を、生きているうちに皇后にはしなかった孫権には、実理的な意味での嫡子はいないように思えてな」
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「とりあえず応えると、孫権の男児は7人、女児は2人。ただし、これは公式見解で、大トラと小トラの間に早死にした娘がいたし、孫権の子と明記されていない息子もひとりいる。それを僕は庶子と見ているワケだが」
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「確認したかな? 諸葛格が『諸王(皇子)を軍事的要地から遠ざける』という政策を執ったのは。二宮の変はあくまで宮中での出来事で、諸皇子が軍を率いて要地にいたら、物理的な衝突もありえた。判断としては間違いではない」
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「本人の状況が変わったンだ。もともと平民の出だったのに羊衜に認められ孫権に取り立てられたンだけど、あれから20年経ってるからな。できたカミさん迎えたみたいで、明記はないがそのカミさんの勧めに従って建業から離れたようだ。だが、丹楊では持ち前の正義感を発揮して、相手が孫休でも法に反する行いはきっちり糾問している」
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「そんなことがあったモンだから、孫休は『別の地に異動させてくれ』と上奏して、孫亮はそれを受け入れ会稽に流した。廃立後の孫亮が会稽に流されることになったのは、コレが影響しているように思える」
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「さて、孫綝が孫休を選んだのには、他に継承権の持ち主がいなかったのに加えて、孫休は派閥としては孫静系皇室派に近かったからというのが挙げられる。正確には敵の敵は味方という奴で、反孫亮派なんだが」
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「大トラの行動原理は好き嫌いに左右されるからなぁ」
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「孫綝のよからぬ企てではないか……と疑っていた孫休だけど、孫楷や他の使者から説得されて、悩んだものの建業に出発した。宮殿に入ったもののすぐには両者面談とならず、とりあえず孫楷と孫恩が話しあってから、孫休は大臣百官を、孫綝は兵士千人を引き連れて面会している。258年10月18日のことだ」
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258年10月21日
孫休「大将軍に、丞相と荊州牧の役職をあげましょう。弟の孫恩殿には衛将軍、アナタの一族の皆さんも侯に叙任です!」
孫綝たち『ありがたき幸せ!』(×5)
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「大将軍・丞相・荊州牧と、陸遜か孔明かと思える役職を並べたのみならず、本人を含む一族5人を要職につけて侯に封じるという大盤振る舞いだ」
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258年11月5日
孫休「亮を廃立した功は霍光(前漢の功臣)にも勝ります。大将軍、アナタに協力した者にはきちんと褒章を」
孫綝「心得ました!」
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「人臣として望みうる限りの厚遇をされた孫綝は、かえって居心地が悪くなってきたンだ。ために、宮中を出て荊州に逃げようとしたら、ことさらに厚遇されそうになった。いち時期、孫休を帝位につけたのを後悔したような記述があるが、孫綝が孫休を持て余していたのは事実っぽい」
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「どうも、何もしたくなかったみたいだ。孫綝に全てをマル投げして、自分は学術研究に没頭していたかったようでな。それがポーズなのか本心なのかは微妙なモンだが、孫綝が受け入れ丞相として天下を差配していれば、問題は起こらなかったと考えていいが、当然そうはいかなかった。下にも置かぬ扱いに居心地が悪くなった孫綝は荊州に逃げると云いだして、だが盛大に送り出すと云われて困り果てた」
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「困るだろうな。物欲我欲というものが孫休からは感じられない。孫綝は欲が強い方だから、欲の薄い孫休のことを理解できず、対応に苦慮したみたいだ」
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「物をもらえば喜ぶだろうと考えて、持って行ったら突っ返された……か。皇帝をどうおだてればいいか判らなくては、侫臣としては自分の立ち位置を見失いかねんな」
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「孫亮は孫綝の奏上を突っぱねて対決姿勢を剥きだしたが、孫休は孫綝を受け入れていた。意外に思うかもしれんが、この対策は侫臣を抑え込むのにはベターだ。帝位を除く何もかも与え続けても帝位だけ確保していれば、上下の別だけは明らか。どれだけ権勢を誇ろうが、それはワタシの掌の上なんだぞ……と陰で笑える」
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「陰で何を企んでいるか判らん孫休相手に、孫綝は委縮した……というところか」
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【ゆっくり解説】中国に押し寄せるデフォルトの波…!投資会社1万社が破綻!?さらに地方銀行や建設銀行も経営危機で中国国民14億人が貧困状態に。
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「というわけで、孫綝を心理的に追い詰めた孫休は、ようやっと物理的に排除する策を講じる。さっきからちょろちょろしている張布は、孫休がドサまわりしていた頃からの側近で、帝位に就くと重用された文官でな。実行犯とするには武力的に心許なかったので『文官にはなれませんが、計略に長け大事を成し遂げられる』丁奉を巻き込んだ」
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「張布はそう勧めている。呼ばれた丁奉は、孫綝誅殺を持ちかけられて策を弄した。孫綝の兄弟部下は数多く、大臣たちも味方するとは限らない。慌ててことを起こしても孫亮の二の舞になりかねない、と。そこで、冬至のあとで行う祖先慰霊祭で斬ってしまおう、ということになった」
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「そういう場には多数の兵は連れていけんだろうな、確かに」
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「ここからが孫休の真骨頂でな。本人の耳に入るよう『慰霊祭で孫綝を殺す』との噂を流したンだ。明記はないが、丁奉や張布から漏れるとは思えん。意図的に流したと考えるべきだろう」
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「何でコイツらは、そういう真似をしでかすかね」
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「ヒトをだますために本当のことを云うの、やめない?」
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「効果的なんだよ。行けば、場所柄多数の兵は連れ込めないから自衛策はとれず、そのまま殺される。行かなかったら日頃の厚遇に背くことになり、公然と排除する口実ができる。それでなくても前夜、強風で木が倒れたりしたモンだから、孫綝はますます不安になった……とある」
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「かくて258年12月8日。慰霊祭が始まったが、孫綝は『おなか痛いから休みます』と子供みたいなことを云ってごまかそうとする。でも孫休から出席するよう使者が十数人送り込まれて、ついに行くことにした」
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「誰か止めてやれよ……」
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「止めた部下もいたンだよ。ただ、本人曰く『陛下から出席せよと何度も何度もお言葉をいただいては、お断りするワケにはいくまい』と、日頃の厚遇に応えないのはまずいと考えたのが判ることを云っている。孫亮の孫綝抹殺計画は完全にねじ伏せた孫綝だけど、たった2ヶ月少しで完全にふぬけてしまっていたのか、それとも今度は注進する輩がいなかったからか、信じられないくらいあっさり対応を誤っているンだ」
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「孫綝は、自分の役所で火を出すよう兵に命じている。火事を理由にすぐ退出しようと考えたワケだが、孫休が打ち続けた布石がきっちり生きているのが判る。慰霊祭に出れば殺されるという噂なのに、孫休ではなく他の誰かの謀略だろうと考えていた。日頃の厚遇から、孫休は退出を引き留めまい……と甘く見ていたのが伝わってくるな」
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「孫休は孫綝に悪意を抱いていない……と本人に思わせるためのトラップか」
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「それと知らない孫綝は、ノコノコ慰霊祭会場に現れた。まもなく火事が起こったと知らせが入り、孫綝は退席を申し出るが、孫休は『外にも兵がいるのだから、わざわざ丞相が赴くことでもありませんよ』と逃がさない。さすがに不審に思ったようで、孫綝が逃げようとすると、丁奉・張布の兵が孫綝を縛り上げた」
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孫綝「命だけはお助けを! 交州への流罪で勘弁してください!」
孫休「アナタはどうして滕胤や呂拠を流罪にせず殺したのです」
孫綝「では、宮廷の奴隷としてください! どうか命だけは!」
孫休「アナタはどうして滕胤や呂拠を奴隷とせず殺したのです」
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「そんなワケで孫綝は処刑され、外の兵士たちに首級が示された。孫綝は殺したが兵は許すので、武器を捨てて投降するように、と。五千からの兵は投降したが、しなかった者もいたようで、特に孫綝の一族には、船で魏に逃げ込もうとした者もいた。追っ手がかかって討ち取られたが」
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「何年か前の諸葛格殺害、そのままの事態だな」
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「事後処理はもっと非道いぞ。孫峻でも瑾兄ちゃんの墓には手を出さなかったのに、孫休は出しているンだ。孫綝の一族、つまり孫静の子孫は、諸葛格のとき同様皆殺しになったが、それだけでは収まらず、孫峻の墓を暴いて副葬されていた官位の印璽を没収し、棺の表書きも削って無位無官にして埋め直している」
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「事後処理はもっと非道いぞ。孫峻でも瑾兄ちゃんの墓には手を出さなかったのに、孫休は出しているンだ。孫綝の一族、つまり孫静の子孫は、諸葛格のとき同様皆殺しになったが、それだけでは収まらず、孫峻の墓を暴いて副葬されていた官位の印璽を没収し、棺の表書きも削って無位無官にして埋め直している」
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「実は、それくらい腹に据えかねるモノがあったようでな。正史にも『孫魯育を殺したことへの報復である』とはっきり書かれている。ただし、先に云った通り孫魯育殺害は孫峻の責任ではない。それが何を意味するのか……は、何回か先で触れる。ともあれ、孫綝は殺され、孫静系皇室派は皆殺しになり、この一件は幕を閉じた。享年28」
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「孫堅からみれば甥に当たるか。孫静は孫権が呉を率いる立場になると、官職を退いて(虞翻治める地に)隠居しているンだが、これに連座してのことだと見ていいだろうな」
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「そうとしか思えん。さすがに存在を史書から抹消することはできなかったようだが、孫暠は十中十まで殺されたとしか考えられず、次男孫瑜・三男孫皎・四男孫奐は対魏最前線に駆り出され、いずれも孫権に排除されたと考えていい最期を遂げている。以前云ったときにはスルーされたが、割と重要なことを確認しよう。孫静系皇室派が呉の宮中に現れるのは、孫権が老いの床に伏せってからだ」
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「孫暠以来弾圧され使い捨てられていた孫静系の怒りが、孫峻・孫綝の代で爆発した……?」
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「フォローはしかねるな。実は、孫休が建業に到着する前に、孫綝は自分で帝位に就こうと目論んで百官に意見を求めているンだ。孫綝の権勢を恐れて誰もが賛成する中、誰あろう、虞翻の息子がたったひとり反対の声を挙げている」
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