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バクーから帰ってきたら
464
:
名無しさん
:2017/11/19(日) 09:12:17 ID:5CVNwMxE0
知覚の主体の精神や、対象の事実は、他人に伝えることができず、メディアと言われる言葉やビデオなどだけが、伝えることができますので、
精神や事実のような、バーチャルな概念を、想定する必要性が、問題になります。
精神は、特定の精神でなければ、精神病と言われて、強制的に精神病院に隔離監禁された上に、抗精神病薬を投与されて、個人の人格を抹殺されますが、
そのような特定の精神が、法律のように明示されていないだけでなく、そのように特定の精神でないとされた言動があったという事実が、まったく証明されず、証拠もありません。
事実は、刑事訴訟の主たる争いですが、事実を他人に伝えることができないにもかかわらず、どのようにして、事実を争い、精神を罰するかが、ロマン主義そのものです。
第二次世界大戦後の日本国憲法は、明治時代の大日本帝国憲法から、絶対主義の残滓を削ぎ落しましたから、ほとんど純然たるロマン主義を掲げていますが、
すでにコンピュータが実用化された直後でしたから、飛行機が実用化された時代に、航空母艦でなく戦艦大和を作ったように、大時代の時代錯誤の典型と言えるでしょう。
コンピュータを作った記号論理学は、ロマン主義の知覚に異議を唱えて、ロマン主義が間違いであることを実証するために、コンピュータを作ったようなものですが、
具体的には、精神や事実はバーチャルであり、そんなものが在ると信じるのは、妄想や幻覚であると断じました。
刑事訴訟や精神医療は、ロマン主義の主たる産物であり、事実や精神が無いように、間違いを根本から破壊すべきであると、言っているのでしょうか。
論理法則を基準にするなら、そうなりますが、論理法則はもちろん流行文化が遺伝情報を取捨選択して、身体や脳の変更不能なハードウェアを作ったにすぎませんから、
それを基準にする根拠が皆無であり、私たちは変更不能なハードウエアを嘆くしかないのでしょうか。
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