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新・年寄りのgid・続編

1名無しさん:2008/06/23(月) 22:08:48 ID:44RhXZyo
立てますが、面倒は見ません。妨害があれば、有志のかたが、可愛がってあげて下さい。
柔道では、「いっちょう、もんでやる」と言います。昔の警察も、非行少年や、非行少女を、もんでやりました。

焦点は、「解離しやすい心の病気を、いかに治療するか」、「いかに半殺し医療から立ち直り、病気を許容するか」などです。
「半殺し」は、精神障害者を兵士に仕立てるために、昔の軍隊がよく使いました。

第1スレッド 年寄りのGID
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/963/1169715678/
第2スレッド 『年寄りのGID・続編』
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/963/1178316767/
第3スレッド 新・年寄りのGID
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/963/1194405221/

436did:2008/12/10(水) 05:40:51 ID:???
若い頃、中央線のお茶の水か、水道橋か、どちらかの駅を利用していました。
お茶の水が多かったのですが、水道橋を使うこともありました。

この写真は、昭和37年の水道橋ですが、
ちょうど私が、このあたりに暮らすようになった時期です。
http://showa.mainichi.jp/memory/2008/10/16-0264.html#A

中央線の高架の、写真のすぐ右が水道橋の駅です。
カメラの位置が、野球場の東京ドームの方向ですが、
私は駅を降りると、神田川の橋を渡って、手前の左のほうへ行きました。
中央線に沿って、こちら側に神田川があり、
川岸の外堀通りを、写真の左の方に行くと、左手に順天堂大学があります。
その北側の、本郷二丁目という所に、何年か暮らしていました。

お茶の水女子大学は、茗荷谷のほうにあって、お茶の水にはありません。
私は入学させてもらえませんでしたが、お友達にお茶の水の人が何人かいて、
私の本郷の住まいにも、よく遊びにきてくれました。
仲良くなっても、私はMtFでしたから、結婚したいとは思いませんでした。

昭和37年に、お茶の水女子大学の学生さんと、MtFとが、仲の良いお友達だったことを、
今のGIDの人は、想像できないかも知れません。
私は、頭が悪かったので、小石川の植物園に、よく遊びに行きました。
小石川と茗荷谷とは、わりと近いのですが、
お茶の水に入学できなかったので、茗荷谷に行くと、涙がこぼれました。
泣きながら、横目で、通り過ぎた時もありました。

家庭の主婦で良かったのですが、変な道をたどって、変な人間になってしまいました。
今のGIDの人には、できるだけ思い通りの道を、歩んで欲しいのですが、
ハリーベンジャミンの説が輸入された後に、GIDには、非行と精神障害が、流行しました。
彼は、GIDを、精神病でない、と言いましたが、
もちろん、統合失調症ではない、という意味ですから、
精神障害でない、という意味ではありません。
彼の説が流行してから、GIDに、非行や精神障害が増えました。
今も、一筋縄では行きません。

私の頃は、GIDは半陰陽の一種でした。
外国での治療や手術の情報を聞くために、札幌へ行きました。
当時は、日本で、できませんでした。
半陰陽でないかと疑われ、未発見の新しい病気ではないかと、検査されました。
どこでも同じで、半陰陽ではなく、体質と精神的な原因によるものです。
身体が、シーメールのような、男性の骨格や皮膚や皮下脂肪でなく、女性の見掛けでした。
女性の外観の身体に、男性の性器が付いていましたので、
半陰陽を疑われるのは、当然でしたが、
考えてみれば、女性の外観に男性の性器など、半陰陽の人には、めったにありません。

この身体のために、苦しみました。
性器は男性ですから、なぜ乳房や骨格や皮膚や皮下脂肪が女性なのかと、怨みました。
大学が、苦痛でした。
当時の大学生は、卒業すれば、エリートになったのでしょうが、
私には、転落して行く道しか、ありませんでした。

体質や精神的なものが原因なら、20才頃まで様子を見るべきでしたが、
精神的に耐えられませんでした。
このスレッドでも、多くの人が書いておられるように、
激越なホットフラッシュに襲われ、
これを抑えるために、エストロゲンを使いましたので、
女性的だった身体が、どうしようもなく女性的になり、
男として生きる道を、完全に、諦めざるを得なくなりました。

437did の続き:2008/12/10(水) 05:44:11 ID:???
【続き】当時のソ連で手術を受けました。
3ヶ月後に、帰ってきた時も、本郷で暮らし始めましたが、
戸籍が男性のままでしたので、ソ連とのかかわりは、その後も続き、
現在は、日本で暮らしていますが、ロシア国籍の女性です。
余談ですが、年寄りのGIDには、もともとロシア人の血の混じっている人もいます。

グーグルの、ストーリートビューを見ると、
昔は貧弱だった街路樹が、こんもりと枝葉を茂らせています。
青年時代に歩いた道筋をたどると、目頭が熱くなり、涙がこぼれて来ます。
この道を歩いた頃は、本当に苦しかった。
こんな女の身体で、生きていけるはずがありませんでしたので、
手術にすべてを賭けました。
今は、私の子供が二人と、夫の子供が一人で、孫が五人います。
代理母出産です。

今の人は、mtfなら、身体の男っぽいことを、悩んでいる人が多いかも知れません。
昔の私が、身体が女っぽくて、苦しんだのと同じです。
男の身体と、女の身体で、悩みが正反対などと、ひねくれて考えてはいけません。
身体のことは、心底、心に応えます。
mtfの人が、私のように女っぽい身体で悩むのも、
パスしない男っぽい身体で悩むのも、苦しみは同じです。
パスするmtfの人が、パスしないmtfの人を毛嫌いしては、いけません。
自惚れては、いけません。
パスしない人が、パスする人を羨ましがるのも、間違っています。
嫉んでは、いけません。

私が知ったことは、男や女や、性別や手術のことではなく、
人間らしい心が、安らぎになるということでした。
そうでなければ、せっかく身体がパスしても、人間に適応できなくなります。
びっこを引いて歩いている人も、顔に大火傷の痕形のある若い女の子も、
一生懸命、歩いているのを見ると、私は美しいと思います。
目頭が熱くなるのを、こらえるのに、苦労します。
拗ねないで、グレないで、投げないで、へこたれないで、
斜に構えずに、正直に歩いてみてください。

私は、昔、歩くのが恐かった。
お姉さん、お茶の水女子大学は、どちらですか、と尋ねられると、
返事ができずに、うつむいて走り去りました。
声を出すと、女性の声だったので、出せませんでした。
男の声で話せないことが、死ぬほど苦痛でした。
考えてみれば、今も昔も、年を取っただけで、同じです。
身分証明書を見せるのでなく、裸になるのでもありませんから、
性転換前も、性転換後も、同じですが、
若い頃は、恐くて、人と話ができませんでした。
女性の身体と声に、男性器が付いて、男性の服装でいることが見つかると、
逮捕されて、新聞に名前と写真が載り、両親が袋叩きにされ、私は刑務所に入れられ、
強制的に男性器を切除されるのでないかと、夢にまで見て、うなされました。
今は昔です。


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