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『年寄りのGID・続編』
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魂を定義するにはどうすればいいのかを考えて見たいと思う。
魂の存在を認識するのは、人間の基本能力では無理である、それは
見えないからである。だが見えない魂の認識を諦めてしまっては、
人類の進歩の障害になる為、行けるところまで行く必要はある。
魂を考える前提として、生命の全てに魂が存在することを肯定して、
話を進めることにする。植物だろうが動物であろうが、魂が存在し、
それが無くなれば死という前提で話を進める。魂とは真我という説が
有力であろうと思っていて、非言語的な司令塔ということではないだろうか。
例えば考えたいという思いが発生する、その前提になっているのが非言語的な
思いもしくは脳の考える部位に魂が移動するようなことが発生している可能性。
魂は脳を支配することによって、脳を動かし複雑な思考を行わせている可能性。
その魂は脳以上に高度な思考を行っているのか、それとも単なるエネルギー体
なのかはまだはっきりした答えはわからない。
それで能力に個人差が生じるのは、遺伝だけでは説明がつかないことも
事実であり、どうしても魂の存在が関連しているのではないかという推測が
沸いてくるわけである。魂が高度化しているのと、そうでないとには差異が
生じるのではないかという疑問が自然にわいてくるのである。
高度化した魂は脳に複雑な命令を出し、複雑な思考を可能にさせているのでは
ないという思いがある。それで人にそれぞれ趣向があり、それを執着と表現
することもできる。どこに執着しているかが魂のレベルが決まるのではなかろうか。
例えると性、金、宗教、学問といった分野のどこに強い執着をもっているかによって、
魂次元を垣間見ることができるのではないだろうか。性に強い執着があるものは、
他の分野に強い執着を持つことが可能なのだろうか。おそらく、無理であろう。
執着とは脳の特定部位に異常な活動が確認されている。これは魂がそこに張り付いて
いるのではないかという可能性を示しているのではないかということである。
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