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韓 国 2

13NAME:2014/09/05(金) 00:37:23
日本統治時代の朝鮮
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE

朝鮮は日本統治以前は厳しい身分制度に支えられた専制政治が行われており、民主的選挙による政治がなされることはなかったが、日本政府によって民主主義が導入された。道議会議員の8割以上が朝鮮人であり[7]、また、忠清南道知事は初代以下ほとんどが朝鮮人によって占められており、その他の道知事も同様であった[7]。

1929年、カーネギー財団から朝鮮半島に派遣されたアメリカ人記者らは、「日本は併合以来19年間にして、数百年間停頓状態にあった朝鮮と、近代文明国との間に渡り橋を架けてやった。・・・また朝鮮人の苦しみもあるかも知れぬが、日本は莫大な利益をもたらしていることは明らかである」などと[10]、李氏朝鮮時代よりも日本統治によって朝鮮人民は救われているとの評価をしている。

労働力としての徴用については、適用が控えられていた朝鮮においても1944年9月から1945年8月にかけて国民徴用令が実施された。日本本土への朝鮮人徴用労務者の派遣は1945年3月の下関−釜山間の連絡線の運航が止まるまでの7か月間であり、内地(日本)における、国民徴用令による朝鮮人の徴用労務者はごく少数であった。戦後、日本に残留した在日朝鮮人のうち、徴用で日本に来た者は245人であった(1959年の外務省の調べ)。内地(日本)に渡航して来た朝鮮人の大半は職を求めての個別渡航や、工鉱業、土木事業等の募集に応じてきた者であった[17]。この様な正式な調査結果があるにもかかわらず、2009年1月30日に韓国国務総理室傘下の日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会は「およそ12万人の朝鮮人が徴用された」と発表し、それを「強制動員の被害者」としている[18][19]。

身分解放[編集]

統監府は1909年に戸籍制度を朝鮮に導入し、李氏朝鮮時代を通じて人間とは見なされず、姓を持つことを許されていなかった白丁などの賤民にも姓を名乗らせて戸籍には身分を記載することなく登録させた[30]。これにより、身分開放された白丁の子弟も学校に通えるようになった[30]。身分解放に反発する両班は激しい抗議デモを繰り広げたが、身分にかかわらず教育機会を与えるべきと考える日本政府によって即座に鎮圧された[31]。

朝鮮語[編集]

ハングル表記の『毎日新報』(1945年8月14日)
李氏朝鮮は清国に従属下にあり漢字が重視される一方、ハングルは軽視され教育されることはなかった。また、一般人(特に女子)のための教育機関は皆無で、大多数の朝鮮人は読み書きができない状況だった[37][38]。日本統治下においては学校教育における科目の一つとしてハングルと漢字の混用による朝鮮語が導入されたため、朝鮮語の識字率は一定の上昇をみた[39]。


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