それから2ヵ月後、3月10日の東京大空襲は次のような原則のもとに実行された。 その5ヵ月後、やはりルメイの21航空兵団のB29による広島への原爆投下が行われ、これに匹敵する住民の大量虐殺が行われた。(後に東京裁判で、日本軍が南京で20万人を虐殺したという断罪が行われたが、全くのデッチアゲであることはいまや完全に証明されている。安全区国際委員会の活動記録ともいうべき Documents of the Nanking Safety Zone (『南京安全区の記録』国民党系国際問題委員会監修で上海の英国系出版社 Kelly & Walsh 社から1939年に発行)に、南京陥落時の人口20万が12月中ずっと20万、翌年1月14日に25万と記録されているのを見るだけで、虚偽は明らかとなる。アメリカは自ら犯した民間人殺戮という戦争犯罪を隠蔽できないとでも思ったのだろうか?)