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日 本

1NAME:2012/03/15(木) 23:49:39
野田首相、がれき受け入れ自治体に財政支援の意向
2012/3/ 5 12:27
http://www.j-cast.com/2012/03/05124302.html

野田佳彦首相は2012年3月4日夜、日本テレビの番組に出演し、東日本大震災の被災地のがれきの処理について、「広域処理で応援してくれる自治体にも、国が全面に出て財政的に対応していく」と述べ、財政支援を行う意向を表明した。政府は14年3月末までにすべてのがれきを処理することを目標にしているが、現時点で処理が完了したがれきは全体の5%程度にとどまっている。

↑ 本来ならば、国が、率先して放射能検査を行い→受け入れを斡旋していくべきだがそんなことをこの政権がするわけがない。
民主党は、日本のために頑張らない、韓国の傀儡政権なので、震災復興を頑張らない。

904NAME:2017/04/17(月) 23:08:52
棟方志功の版画、いつの間にかカラーコピーと入れ替わり 神奈川県、被害届の提出を検討
2017.4.17 21:43更新
http://www.sankei.com/affairs/news/170417/afr1704170020-n1.html

神奈川県は17日、県が所有し、県民ホール(横浜市中区)の指定管理者「神奈川芸術文化財団」が保管している棟方志功作の版画、宇宙讃(神奈雅和の柵)=縦約50センチ、横約65センチ=を紛失したと発表した。カラーコピーのレプリカと入れ替わっており、県は「信頼を損ね申し訳ない」とした。 この作品は文化財に指定されていないが、県は「晩年の作品として貴重」として、窃盗容疑などでの被害届の提出を検討している。

 県と財団によると、平成26年に同県鎌倉市の県立近代美術館で展示。観覧者の指摘でコピーと判明した。その後、財団が捜索したが見つからなかったため、17日に県に報告した。 作品は県民ホールの緞帳(どんちょう)の原画として制作を依頼し昭和49年に300万円で購入、館長室に展示していた。コピーにすり替わった時期は分かっていない。

905NAME:2017/05/18(木) 23:52:29
日本にも韓国にもいるホームレス、でも両者には決定的な違いがあった! =中国メディア
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ab%e3%82%82%e9%9f%93%e5%9b%bd%e3%81%ab%e3%82%82%e3%81%84%e3%82%8b%e3%83%9b%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%83%ac%e3%82%b9%e3%80%81%e3%81%a7%e3%82%82%e4%b8%a1%e8%80%85%e3%81%ab%e3%81%af%e6%b1%ba%e5%ae%9a%e7%9a%84%e3%81%aa%e9%81%95%e3%81%84%e3%81%8c%e3%81%82%e3%81%a3%e3%81%9f%ef%bc%81-%ef%bc%9d%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e3%83%a1%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%a2/ar-BBBdQPO?ocid=iehp#page=2

日本の駅や公園、川沿いなどを歩いていると見かけるホームレス。中国のネット上でもその暮らしぶりがしばしば話題になる。中国メディア・今日頭条は15日、韓国と日本にそれぞれいるホームレスの決定的な違いについて紹介する記事を掲載した。

 記事はまず、韓国のホームレスについて紹介。韓国では「露宿者」と呼ばれるホームレスたちは、ソウルなどの大都市にある公園や駅、広場などを生活の場としており、一般的に物乞いや市民からの救済を生活源にしていると紹介。

 「一日中喋ったり歩き回ったりし、道行く人からお金を恵んでもらって食品や酒を購入し、何人かで一緒に飲み食いする。酔ったらその場で寝転び、酔いが醒めて一文無しになればボーっとし、お金が手に入ればまた飲み食いする。中には家庭や子どもがいて、家庭生活を捨てて露宿者になるケースもある」と説明した。

 そのうえで、日本のホームレスについて説明。社会福祉制度の整った日本では、収入のないホームレスが生活保護を受けることも可能であるものの、ホームレスたちはいかに貧しい生活をしていても行政から支援を受けたがらないとした。また、韓国のホームレスのように道行く人に物乞いをすることもなく、主に日雇い労働や空き缶拾いなどによって生計を立てていると伝えている。

 記事が示した「決定的な違い」とはすなわち、他人から金品を恵んでもらって生活するか、あくまで他人に頼らず自活するかの違いなのだ。先日、ホームレスに道案内してもらった中国人がお礼を渡そうとしたところ受け取りを断られ、最終的にはホームレスが「そういうつもりで道案内したんじゃない」と不機嫌になったという話が中国のネット上に出現した。通行人に「お恵み」を求めないどころか嫌がるという光景は、至る所で物乞いを見かける中国の人びとにしてみればかなりの驚きなのかもしれない。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)

906NAME:2017/05/30(火) 21:22:24
80年前に日本が建てた大連駅、今なお朽ちぬデザインと技術に驚きを禁じ得ない=中国メディア
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%ef%bc%98%ef%bc%90%e5%b9%b4%e5%89%8d%e3%81%ab%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%8c%e5%bb%ba%e3%81%a6%e3%81%9f%e5%a4%a7%e9%80%a3%e9%a7%85%e3%80%81%e4%bb%8a%e3%81%aa%e3%81%8a%e6%9c%bd%e3%81%a1%e3%81%ac%e3%83%87%e3%82%b6%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%81%a8%e6%8a%80%e8%a1%93%e3%81%ab%e9%a9%9a%e3%81%8d%e3%82%92%e7%a6%81%e3%81%98%e5%be%97%e3%81%aa%e3%81%84%ef%bc%9d%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e3%83%a1%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%a2/ar-BBBChXH?ocid=iehp#page=2

中国東北部を代表する都市の1つである遼寧省大連市には、かつてここが日本に占領されていたことを伺わせる建物が多く残っている。その1つが、市内の交通の要である大連駅だ。中国メディア・今日頭条は27日、1930年代にはアジア最大の鉄道駅だったとして大連駅を紹介する記事を掲載した。

 記事は「夢に満ちた都市・大連には至るところに輝かしい光を放つシンボルが存在するが、特に大連駅はかつてアジア最大の駅であったとともに、東北部で最も影響力と人気のあるスポットなのである」と紹介。そして、アジア最大と言われた駅舎が日本占領時代の1937年に完成したことを伝えた。

 完成当時の大連駅の様子を撮影した写真が記事で何枚か紹介されている。広々とした空間に立つ駅舎は1階、2階にそれぞれ出入口があり、2階にも自動車が乗りつけられるようになっている。駅というイメージよりも、空港のターミナルのような印象だ。そしてこの駅舎は、その後手が加えられたものの、80年が経過した現在もしっかりと残され、利用されているのである。

 大連駅の駅舎の歴史について知った中国のネットユーザーからは「小日本は当時自分の家として真剣に大連の街を作った。結局それがわれわれに良い物を残す結果となった」、「1930年代にこんなデザインというのは前衛的だ」、「今見ても古臭くない」、「1930年代にこんな進んだ高架構造をデザインしたことは賞賛に値する」といったコメントが寄せられた。また「80年代に作ったものだと思い込んでいたが、後で知って驚愕した」とするユーザーもいた。

 日本による統治に対する政治的な面での評価は別の議論として、大連でかつて日本が作った建物やインフラが今もそのまま使われている理由の1つには、その構造がしっかりしていて丈夫という点があるのかもしれない。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:(C)ziggymars/123RF)

907NAME:2017/06/05(月) 21:49:35
実は知られていない超親日国の数々。あの国と日本の「ちょっといい絆」物語
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e5%ae%9f%e3%81%af%e7%9f%a5%e3%82%89%e3%82%8c%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%aa%e3%81%84%e8%b6%85%e8%a6%aa%e6%97%a5%e5%9b%bd%e3%81%ae%e6%95%b0%e3%80%85%e3%80%82%e3%81%82%e3%81%ae%e5%9b%bd%e3%81%a8%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e3%80%8c%e3%81%a1%e3%82%87%e3%81%a3%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%84%e7%b5%86%e3%80%8d%e7%89%a9%e8%aa%9e/ar-BBC0geE?ocid=iehp

人に好き嫌いがあるように、国同士にも好き嫌いがあります。各種調査によると、日本に対して好意を寄せてくれている国のほうが圧倒的に多いのが実情です。その理由は、日本が戦後一貫して築いてきた平和国家のイメージや、世界をリードする経済とテクノロジー、伝統文化やサブカル、さらには国民性といったものが、世界の人々に好ましく思われているからだと思われます。

しかし、そういった一般的なイメージによる「親日」とは別に、ある特別な理由によって、「日本が大好き!」になった国も多く存在します。これらの国々が「超親日国」になった〝きっかけ〟を探れば、歴史に埋もれた秘話や感動の逸話、意外な人物の奮闘など、多くの興味深いストーリーが介在していることがわかります。ここではいくつかの「あの国」と日本の〝絆の物語〟を紹介していきます。

■ポーランド……窮地を救ってくれた日本への70年越しの「恩返し」

ポーランドが日本びいきになったのは、20世紀前半に日本がたびたびポーランドを援助していたからだと考えられている。当時、帝政ロシアの圧政に苦しんでいたポーランドは、日露戦争で小さな日本が超大国ロシアにまさかの勝利をし、歓喜に沸いたという。そして1914年、第一次世界大戦時、ポーランドは、ロシア軍とドイツ軍の主戦場となってしまい、多数のポーランド人がシベリアへと逃げていった。その数20万人。だが彼らはシベリアの荒野で餓死、凍死、病死と、次々に命を落としていく。挙兵したポーランド人もいたが、ロシア軍にはまったく歯が立たず、窮地に陥っていた。

そのとき、救いの手を差し伸べたのが日本人。ロシア軍に追い詰められたポーランド人部隊を救助し、シベリアから祖国へ送り届けた。そしてまた、多くのポーランド人の孤児を保護して日本へ。そして祖国へ送り返す。祖国へ帰国する際、孤児たちは船の上から「アリガト」と、日本との別れを惜しんだ。70年後、ポーランドは、その恩を忘れず、阪神淡路大震災で被災した60人の日本の子どもたちをポーランドに招待して慰めてくれたのだった……。

■イラン……国の救世主となった「日章丸」のドラマ

イランは、原油の確認埋蔵量が世界4位という資源大国。第二次大戦前はイギリスの半植民地のような状態だった。ところが、1951年、イランが自国の石油を国有化したことで、イギリスが激怒し、ペルシャ湾に艦隊を派遣し、海上封鎖に打って出て、イランの石油は国際市場から閉め出されてしまう。その結果、どの国もイランの石油を買わなくなり、石油輸出に依存するイランは国家存亡の危機に陥る。そのとき、果敢にもイランの石油買い付けに乗りだしたのが、日本の出光興産だ。社長の出光左三は、かねてよりイギリスから搾取されつづけていたイランに同情的だったのだ。

イギリスの目をかいくぐってタンカー「日章丸」がイランに到着。「日章丸」は、まさにイランの「救国の船」になった! この一件により、イランに「超親日国」の土台が築かれたのである。

908NAME:2017/06/05(月) 21:50:44
■トルコ……「エルトゥールル号」事故に端を発した両国の友好関係

明治23年、トルコ(オスマン帝国)の軍艦が日本を表敬訪問した際、和歌山県沖で台風に遭遇し難破。沈没してしまったのである。乗員の安否は絶望的と思われたが、地元串本の人々は、必死で人名救護にあたり、運よく島に流れ着いたトルコ人に浴衣を着せたり、食料を分け与えたりし、生存者を手厚くもてなした。結果69名の命が救われたのである。その後、トルコの教科書にエルトゥールル号事件が掲載されたこともあり、トルコの人々は親日感情を深めていく。

ときはたち、昭和60年、今度はトルコが日本の窮地を救ってくれることに。イラン・イラク戦争が勃発し、中東情勢は緊迫の度を増していた。そうした中、イラクのフセイン大統領が「イランの上空を飛ぶ飛行機を撃ち落とす」と世界に向けて宣言したのである。攻撃まで残された時間は48時間。各国とも、自国民の帰還・保護に努めたが、日本は航空機を確保できず、イラン在住の日本人たちが取り残されてしまった……。このとき、彼らを救出するために、自らの危険を顧みず救援機を飛ばしてくれたのがトルコだったのである! トルコ人は「エルトゥールル号の遭難で日本人に受けた恩は忘れていません」と語るという……。

■インド……大正時代から独立運動に関わった日本との強い絆

イギリスからの独立を画策するインドのビハリ・ボーズは、大正3年に日本へ亡命。パン屋「新宿中村屋」に匿われる(その際、ボーズが伝授したのが、中村屋名物「インド・カリー」)。その後も日本は、インドの独立に関わり続ける。そして、敗戦後の「東京裁判」では、インドのパール判事はただ一人、日本人被告全員の無罪を主張……。

■フィンランド……独立を後押しし、領土問題も解決した日本人

フィンランドも日露戦争で日本びいきに。日本はまた、フィンランドのロシアからの独立を後押しし、経済援助や武器供与も行った。さらにスウェーデンとの間に領土紛争が起きると、国際連盟の事務次官だった新渡戸稲造がこの領土問題を「大岡裁き」でスッキリ解決し、フィンランドは超親日国に!

【関連書籍】『「あの国」はなぜ、日本が好きなのか』(三笠書房)

909NAME:2017/06/16(金) 21:43:53
全10ヵ国!世界中の親日国とその理由を調べてみた
http://www.huffingtonpost.jp/tabipponet/projapanese-countries_b_8382328.html

台湾
戦時中は日本に統治されていた台湾では、教育の制度改革や烏山頭ダムの開発をはじめとしたインフラ整備に対して評価をし、親日国と言われています。
トルコ
1890年に起きた戦艦エルトゥールル号の遭難を日本人が救助し、生き残った乗組員を日本海軍がトルコまで送り届けたことがきっかけで親日国になったと言われています。
モンゴル
朝青龍や白鳳などモンゴル出身の力士が活躍していることと、日本からのODAで発展を遂げたことが影響しています。
ポーランド
第一次世界大戦後、ロシアに残留したポーランド人の孤児を救済したことが日本に友好的なきっかけとなりました。
マケドニア
1963年にマケドニアの首都で起きた大地震の復興を支えたのが、故・丹下健三氏を中心とする日本チームです。学校で習うこともあり、親日家となったマケドニア人が多い。
アルゼンチン・ブラジル
明治時代に移民として両国に渡った日本人が献身的に働き、発展に貢献したため対日感情が良好だと言われています。
フィンランド
フィンランドとスウェーデンの間で起こったオーランド諸島についての領有権争いを日本人の新渡戸稲造が解決したため、親日だと言われています。
パキスタン
1950年代、パキスタンは特産の綿花を日本に輸出していて、当時の日本の主力産業であった紡績業に大きく貢献していました。日本のビジネスマンもパキスタンを頻繁に訪れ、パキスタンの発展に大きく貢献したため、親日国となっています。
インドネシア
インドネシア独立戦争の際に、元日本軍の3000名が共に戦ったため多くの国民が親日です。スカルノ元大統領がデヴィ夫人を迎え入れたのも、日本への憧れがあったからと言われています。

910NAME:2017/06/16(金) 23:56:07
【親日家】日本好きな外国人・海外芸能人・有名人・セレブのエピソードまとめ
https://matome.naver.jp/odai/2136799701315380001
震災の際、海外アーティストが次々と来日を中止する中、誰よりも早く来日したガガ様。震災を知ってからすぐに復興支援のリストバンドを発売し、その売り上げ金200万ドル(1億6000万円)にポケットマネーの1億5000万円を加えた総額3億以上を寄付する

http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4157932.html

世界の親日国と反日国
http://kyoan.u-biq.org/enq_shinnichi.html

911NAME:2017/06/16(金) 23:58:57
世界の親日国について考察するスレ
2012年04月02日15:30
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4157932.html
台湾・インドネシア・パラオ・トルコ・ブータンは、
ほぼ親日国確定だと思うけど
他に親日の国ってありますか?

912NAME:2017/06/18(日) 10:18:20
これが日本なんだ!「ケータイを紛失したけど、やっぱり無事見つかった」=中国報道
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e3%81%93%e3%82%8c%e3%81%8c%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%aa%e3%82%93%e3%81%a0%ef%bc%81%e3%80%8c%e3%82%b1%e3%83%bc%e3%82%bf%e3%82%a4%e3%82%92%e7%b4%9b%e5%a4%b1%e3%81%97%e3%81%9f%e3%81%91%e3%81%a9%e3%80%81%e3%82%84%e3%81%a3%e3%81%b1%e3%82%8a%e7%84%a1%e4%ba%8b%e8%a6%8b%e3%81%a4%e3%81%8b%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%80%8d%ef%bc%9d%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e5%a0%b1%e9%81%93/ar-BBCLSQd?ocid=iehp#page=2

警視庁によれば、2016年に東京都内で遺失物として警察に届けられた現金は前年比7.3%増の約36億7000万円に達した。これだけのお金が落とし物として警察に届けられたというのは驚きであり、拾ったお金をネコババせず警察に届けるという正直な人がそれだけ多いということだ。この金額は東京都内だけのケースだが、「落し物」を警察に届けるというのは多くの日本人が取る正しい行動だ。 日本では落し物をしても無事発見される可能性が高いということは中国でも広く知られているが、日本滞在中の中国人がこの事実を改めて立証したようだ。中国メディアの今日頭条は16日、日本で携帯電話を紛失してしまったという中国人の手記を掲載し、「携帯電話がすぐに見つかった」と伝えている。

 この中国人は京都滞在中に携帯電話を紛失してしまったという。今や携帯電話は個人情報がたくさん入っており、この中国人もたくさんの思い出を写した写真がデータとして入っていたようだ。 大事な携帯電話を紛失したことに落胆しつつも、宿泊先のスタッフの協力のもと訪れた店に一軒一軒、携帯電話が落ちていなかったかを電話で確認したという。だが、店側からの回答はいずれも「見当たらない」というものだったそうで、改めて気落ちしながら警察に届け出ることにしたという。

 警察署を訪れてみると、非常に優しい女性が対応してくれたそうだ。日本語ができる友人の助けを得て、携帯電話を紛失したことを届け出たというが、その後、中国人が移動の際に利用した駅に電話して見たところ、何と駅に携帯電話が落し物として届けられていたそうだ。その後、紛失した携帯電話は無事にこの中国人の手元に戻ったようで、詳しい経緯は記載されていないが「最高に嬉しい」と綴っている。 「日本では落し物をしても無事発見される可能性が高い」ことを綴った当記事には、中国人ネットユーザーから多くのコメントが寄せられている。「やっぱり日本は日本だった。日本では落し物をしたからといって落胆する必要がないんだ」、「自分が聞いた話では、日本では物を落としても、落とした場所に戻ると物がそのままそこにあるらしい」、「これが日本なんだよな。日本が先進国になったのも分かる気がする」など、落し物が無事に手元に戻ってくる日本社会を称賛する声が多く見られた。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

913NAME:2017/06/29(木) 21:22:38
日本は中国から「3つの宝」を手に入れたからこそ、強くなれたのだ=中国メディア
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%af%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e3%81%8b%e3%82%89%e3%80%8c%ef%bc%93%e3%81%a4%e3%81%ae%e5%ae%9d%e3%80%8d%e3%82%92%e6%89%8b%e3%81%ab%e5%85%a5%e3%82%8c%e3%81%9f%e3%81%8b%e3%82%89%e3%81%93%e3%81%9d%e3%80%81%e5%bc%b7%e3%81%8f%e3%81%aa%e3%82%8c%e3%81%9f%e3%81%ae%e3%81%a0%ef%bc%9d%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e3%83%a1%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%a2/ar-BBDntdR?ocid=iehp#page=2

近代、日本は文明開化、富国強兵をスローガンに、欧米列強と肩を並べるほどの国力を身に着けた。一方中国大陸は清朝が世界の情勢を見誤り、列強に蹂躙される苦難の時期を迎えることになった。中国メディア・今日頭条は27日、「中国から3つの宝を得られなかったら、日本は強くなっていなかった」とする記事を掲載した。 記事は、近代に日本が弱国から資本主義の列強国になった原因についての論争が現在に至るまで絶えず行われているとしたうえで、日本の著名な東洋史専門家である内藤湖南氏が「中国からもたらされた3つの宝を得たことで、日本は強くなれた」と論じていることを紹介している。

 1つ目の宝は、魏源が記した「海国図志」だとした。この書籍は幕末の日本の志士に大きな影響を与え、明治維新へと導く流れを作ったと説明。一方で「皮肉なことに、当時の清朝政府はこの本を知りながら重要視しなかったのである」と伝えた。

 2つ目は、中国の儒家思想だ。記事は「日本人は儒家文化の忠君愛国思想によって日本人の精神を強化し、本土の武士道文化と組み合わせることで国の結束力を高めた。同時に、儒家文化から中庸の意味を知り、明治維新において西洋化を進める一方で伝統文化の保存にも努めた」と解説している。

 そして3つ目は「先進のものを学ぶ精神」としている。白村江の戦いで唐軍に打ちのめされた日本人は唐に学ぶことを決意し、その数百年後に朝鮮で明朝に打ち負かされた時にも、明朝から学ぶ姿勢を見せたと紹介。この経験が日本人に外から学ぶこと、強者に学ぶことの大切さを知らしめ、この学びを通じて自らを大きく成長させることに成功したのだと説明した。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)

914NAME:2017/08/20(日) 23:00:42
男たちが見た小池百合子という女 #1
小沢一郎、細川護煕、守屋元次官ら12人の証言
source : 文藝春秋 2017年8月号 genre : ニュース, 政治, メディア
http://bunshun.jp/articles/-/3802

小池百合子とは何者なのか。 カイロ大留学を経て、キャスターとして颯爽とテレビ画面にデビュー。1992年には新党旋風の中で政界入りを果たす。その後、いくつかの政党を渡り歩くが、彼女の周囲には、細川護煕、小沢一郎、小泉純一郎ら、常に権力者の姿があった。「男たち」の証言から、女性初の都知事の素顔に迫る。 出典:「文藝春秋」2017年8月号(全3回)(文中一部敬称略)

駅前のロータリーは歩道橋の上まで埋め尽くされていたが、彼女のイメージカラーである緑色のものを身に着けた人は、ほとんど見受けられなかった。 選挙カーの上では候補者の横で黄緑色のジャケットを着た小池百合子都知事が、よどみなく話し続けていた。私の前にいた初老の男性が、「うまいねえ。大したもんだ」と隣の女性に語りかけるのを耳にしたが、その口調には、どこか茶の間でテレビを見ながら論評しているような空虚さが感じられた。

 選挙カーの上から彼女は観客を巻き込もうと問いかけるように話すのだが拍手はまばらだった。 昨夏の都知事選では緑色の服をまとった、あるいは緑のハンカチやキュウリやニガウリを握りしめた群衆が殺到し、小池の演説に熱狂して、さかんに共感の拍手を送り、さながら野外劇場の観があったものだが。「小池百合子の前半生を描いて欲しい」と月刊誌『新潮45』から依頼があり、寄稿したのは昨年暮れのこと。以来、私はずっと「戸惑い」を感じながら、今に至っている。 彼女は非常に発信能力の長けた人で著作も多い。また、マスコミ好きでテレビや雑誌上のインタビューにも積極的に応じ、自分を多弁に語ってきた人である。だが、その彼女の「語り」をどこまで信じていいのか。

 例えば彼女はカイロ大学を「首席で卒業した」と語っているのだが、アラブ語を学んだことのない留学生がカイロ大学を首席で卒業できるとは、私にはどうしても考えられない。 また、その主張や行動には一貫性が見出せず、彼女が何を思い、何を求めて生きているのかが理解できない。彼女はアジアとの協調路線を謳った日本新党の出身で強烈な「自民党批判」で世に出た人である。ところが自民党に移ると、タカ派的な発言を繰り返すようになる。リベラル層を取り込んで東京都知事になったが、彼女は本当に「リベラル」な考え方の持ち主なのか。

 細川護熙、小沢一郎、小泉純一郎と、政治信条もタイプもまったく異なる実力者の傍らに常にポジションを得て、口の悪い人々からは「権力と寝る女」、「渡り鳥」と揶揄されながらも政界を泳ぎ切った女性である。 そして彼女は今、権力者の傍らから離れて、自らの手で地位を掴み、さらには政党まで作ってしまったのだった。 一体、小池百合子とは何者なのか。彼女の「語り」に耳を傾けるだけでは決して実像は見えてこない。ならば、小池と関わりのあった他者たちは、彼女をどう語るのか。そこには本人の「語り」とはまた別の物語が見出せるはずである。

「やります」と即断

 エジプトの首都カイロで大学を卒業し、通訳兼ガイドをしていた小池は日本テレビの幹部と現地で知り合い、それが縁となって「竹村健一の世相講談」のアシスタントに選ばれる。その後、テレビ東京が夜の経済情報番組「ワールドビジネスサテライト」を立ち上げるにあたり、初代キャスターとして引き抜かれるのは、ちょうど昭和が終わろうという時期であった。小池の起用を決めたのは日経新聞出身で、当時はテレビ東京取締役報道局長の立場にあった池内正人。「あるパーティーの席で偶然、一緒になってね、『やってみる気あるか』と聞いたら、『やります』と即断即決だった。彼女は芸能プロダクションに所属していなかったから本人の意思で決められたんだ」

次のページ「最初は陣笠でも、それで終わるつもりはありません」

915NAME:2017/08/20(日) 23:02:06
華やかな容姿と頭の回転の速さ。加えて努力家で根性もあった。番組は軌道に乗った。ところが4年後の1992年、細川護熙が新党を立ち上げ、彼女を政界へと勧誘した。「立派なニュースキャスターになれば、よっぽど社会に影響力を持てる。政治家になったって、どうせ陣笠どまりだ。つまらないじゃないかって引き留めたんだけれどね、彼女はポロポロ泣きながら、『最初は陣笠でも、それで終わるつもりはありません』と言ってね。そういえば話し合いの後、彼女が化粧室に行ったんだけど戻ってきたら、さっきまで泣いていたとは思えない晴れやかな顔をしていたので、あれって思った」

92年、40歳での決断だった。彼女はおそらく自分の年齢を意識していたのだろう。いくら持てはやされていても、テレビの世界で女性は長く活躍できない。容姿が衰えれば若い女性にとって代わられる。自分をもっと有益に生かし得る、第2ステージとして政界を選んだのだろう。永田町ならば、まだ女の寿命は長い。直後の参議院選で当選。党首の細川護熙とは美男美女の組み合わせで日本新党の広告塔となった。細川が語る。 「私が新党を立ち上げようとしたとき、周りにいたのは地味な年配の男性たちばかりでした。花がないと指摘され、小池さんをお迎えするよう助言されたんです」

 余談めくが、この頃の小池の最大の武器は、知名度とミニスカートだった。本人自身が「ミニスカートとハイヒールで戦います」と宣言し、選挙期間中も当選後もずっとミニスカートで通した。彼女が選挙カーの梯子を登る時、カメラマンたちが殺到したが、嫌な顔も見せなかった。ファッションを重視し、自分の容姿を最大限に生かそうとする。どうすればマスコミが注目するか、骨の髄からわかっていたのだろう。何を着るか、髪型をどうするか、口紅の色に至るまで細心の注意を払った。それは彼女の最大の関心事であると同時に、有権者の関心事でもあると理解していたのだろう。

 細川が内閣総理大臣となる中、彼女が党内で担当したのは広報と候補者の選定だった。細川が続ける。 「発想が自由で独特でした。例えば、ポスター用に『政治家、総とっかえ』なんていうキャッチフレーズを思いつく。私に記者会見でプロンプターを使うように勧めてくれたのも彼女でした。候補者の選定でも、テキパキと指揮を執ってくれた。一方、政策面には、そんなにコミットしていなかったかもしれません。そこは主として新聞記者や学者に手伝ってもらっていましたので」

表情を作って話をする

 政策の中身よりも、話し方やネクタイの趣味のほうがテレビを見る有権者の心を掴む。この頃から、テレビが政治を左右する傾向が強くなっていた。見た目や、ワンフレーズの受け答えが重視される。平成時代に入って政治そのものがファッション化していった。小池は時代の申し子だったのかもしれない。 「テレビの影響で政治家のあり方が変わり、テレビにうまく対応できる人が政治家として売れていくという時代になった。小池さんもその中から出てきた人、というか、彼女はテレビの中から生まれ、その先頭にいた人でしょう」

 そう指摘するのは、日本新党に合流した元社民連代表の江田五月だ。

「小池さんは日本新党のフレッシュなイメージを象徴する役割を担わされていたから、見られる、ということに過剰になってしまったのかもしれない。今でも、すごく表情をつくって話をする。ああ、小池さんだな、と思う」

916NAME:2017/08/20(日) 23:02:54
次のページやくざ世界でいえば、「姐さん」のようなポジション

細川政権は7党1会派からなる連立政権だったため始終、政策をすり合わせる必要があった。だが、そういった場に小池がいることはなかった。表向きは日本新党の顔だが、任されたのは候補者選びと広報、マスコミ対策に限られていたからだ。 絶大な人気を博したものの、細川政権は短命に終わる。彼女にとって最大の庇護者だった細川が首相辞任を表明すると、その行動は素早かった。日本新党に所属していた遠藤利明元2020年東京オリンピック・パラリンピック大臣が語る。「細川さんが辞めると言い出した時、彼女は自分が代わりに党首になるか、もしくは日本新党を解党し新しい政党をつくり自分が党首になるかで悩んでいました。その頃からトップに立ちたいという意欲はあったんだよね」

一方、江田の証言は、少し異なる。

「細川さんの輝きが失われて、ぐらつき始めた時、彼女はもう連立を組む新生党の小沢一郎さんに近づいていた。機を見るに敏だなあ、と感じた記憶があります」 自分がトップに立つか、小沢の元に参じるかで悩み後者を選んだ、ということのようだ。

 細川が辞任した94年の暮には、日本新党、公明党の一部、小沢が率いる新生党ほかが合併して海部俊樹を党首に新進党が誕生。横浜アリーナで客席を一枚布が蔽う華やかな党大会が催され話題をさらった。この時、江田は大会招集委員長を務め、その後、広報企画委員長を担当。小池は広報企画委員長代理だった。江田は続ける。「小池さんは演出や広報は確かにうまい。ただ、それは表面的なことなんですよね。環境大臣時代に『クールビズ』というのを打ち出しましたが、なぜ環境が大切なのか、そういった信念みたいなものは伝わってこない」

 新進党は200人を超える大野党として好スタートを切ったものの羽田孜と小沢一郎の対立が深刻化し、やがて内紛となる。江田や細川は羽田につき、小池は小沢についた。新進党の解党後は、小沢とともに自由党に参加。 この時、行動をともにした同僚に西村眞吾がいる。新進党、自由党で一緒に過ごした西村は「やくざ世界でいえば、『姐さん』のようなポジション」だったと小池を語る。「トップと近い。彼女は常にそう見られるように振舞っていた。男にはできないよ。常に脚光を浴びる人物の隣に陣取る。だいたい、街宣車の上で小泉純一郎のネクタイ、男が直しても様にならんわな。

 例えば小沢さんと飯を食う。そうすると彼女は必ず小沢さんの隣に座る。俺は党首だから『小沢先生』と呼ぶ。彼女は『小沢さん』と呼ぶ。傍から見たら、俺より上、というふうに映るわな。昔、耳かき専門の坊さんがおった。秀吉の時代。坊さんが秀吉の耳かきをする。耳かきしながら、何かしゃべってるように見せかける。実際はしゃべってへんのやけれど。すると周りの大名たちには、坊さんが何かささやいているように見える。で、その坊さんのところには大名から付け届けがたくさん届く。政界にはそういう人間が多い。

 最近の小池百合子を見ていて、よく思い出すのは管野スガ。大逆事件で女性で唯一死刑囚になった人や。このスガは死刑になるとき、他の男たちと違うて、まったく取り乱さなかったそうやね。俺の大学の先生が、この話をしてくれて、こう言うた。『女はな、アバズレほど度胸が据わってるもんや』。あと、朴槿恵にも似てる。孤独な感じが。目が笑うてない。拉致被害者の議連でも一緒やったけれど、テレビカメラが入ると、必ず映り込む。あれは本能やと思った」

 権力者の傍らにいること、トップと近しいと周囲に思わせること、マスコミに登場し知名度を保ち続けること。そのためにはどうしたらいいのか。彼女の関心は、常にそこにあったのか。だからこそ、政策や信念は周囲の状況に合わせてぶれていくのだろうか。西村は続けた。「コロッと自説を変えてしまうことがあった。例えば、在日外国人参政権、俺も小池も反対してた。ところが、小沢さんが賛成となったら、小池もそっち側に回っていた」

917NAME:2017/08/20(日) 23:04:12
男たちが見た小池百合子という女 #2
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e7%94%b7%e3%81%9f%e3%81%a1%e3%81%8c%e8%a6%8b%e3%81%9f%e5%b0%8f%e6%b1%a0%e7%99%be%e5%90%88%e5%ad%90%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%86%e5%a5%b3-supernumber2/ar-AAqmwSu#page=2

小池百合子とは何者なのか。

 カイロ大留学を経て、キャスターとして颯爽とテレビ画面にデビュー。1992年には新党旋風の中で政界入りを果たす。その後、いくつかの政党を渡り歩くが、彼女の周囲には、細川護煕、小沢一郎、小泉純一郎ら、常に権力者の姿があった。「男たち」の証言から、女性初の都知事の素顔に迫る。(#1から続く)出典:「文藝春秋」2017年8月号(全3回)(文中一部敬称略)

 権力者への徹底的な忠誠。しかし、それすらもある日、突然変わってしまう。小沢一郎の側近中の側近、自由党時代には参議院議員も務めた「小沢の懐刀」平野貞夫が振り返る。「自由党は自民党と連立しましたが、連立を続けるべきか、あるいは袂を分かつべきかで、党内の意見が分かれた。小池さんも僕も、リベラルな保守政党として、自民党とは一緒にならずにやるべきだと思っていた。小池さんは『自民党に合流しないで踏ん張りましょうよ』と言ってね。小沢も感激していた。ところが、そんな小池さんに公明党を通じて自民党が『応援するから自由党を出ろ』と揺さぶりをかけてきた。でも、小池さんを信じていたから小沢は特に対策はしなかったんです」

 自民党なんかとくっついてはダメだと主張する急先鋒だった小池が、離反するとは考えられなかったと平野はいう。「でも、いよいよ小池さんが怪しい、抜けそうだと情報が入ったので、私は小沢に、『小池さんに電話して残るように説得してくれ』と頼んだ。それで小沢が小池さんに連絡をして、『自由党で比例第1位にするから残ってくれ』と引き留めたんです。ところが、その時、小池さんがなんて言ったか。『比例1位といっても自由党から当選者が出ると思ってるんですか』って。どうして、そんなに薄情なことが言えるのか。愕然とした」

 小池は細川のもとを離れた時と同じように、主(あるじ)であった小沢から離反した理由を、さかんにマスコミに吹聴した。小沢の政治手法に疑問を感じたからだ、と。平野はいう。「直前まで小沢にあれだけ迎合していたのだから、それは言い訳になっていないと思う」 小池は保守党を経由して、予定どおり自民党入りを果たす。2002年、政治家になって11年目のことだった。「自民党を変えるには中に入って変えるのが一番だと気づいたからだ」と、彼女は語っている。

918NAME:2017/08/20(日) 23:04:46
郵政選挙の刺客第1号に

 永田町も一定数は女性を起用しなければ、世論の反発を招くと意識するようになっていた。女性議員であり、ある程度のキャリアを持ち、広報宣伝に長け、マスコミ受けする小池は、他党に置いておくよりも、引き入れて仲間にしたほうが得と自民党は判断したのだろう。 彼女にとって幸いしたのは、総裁が「自民党をぶっ壊す」が口癖の小泉純一郎だったことだ。翌年、小泉内閣でいきなり環境大臣に抜擢される。小泉ならではの「サプライズ人事」。当選回数や派閥でポストを割り振るそれまでの自民党内のルールを無視したやり方で、党内に総裁の力を見せつける効果があった。この時から、小泉と小池の間に「共犯関係」が生まれる。小泉政権の申し子として、小池は先回りして小泉の意を汲むようになるが、その最たる例がくだんの郵政選挙であったろう。

 小泉は郵政民営化法案に反対する自民党議員の選挙区に、それぞれ「刺客」を送り込む。この時、真っ先に手をあげて自ら刺客第1号になると宣言したのが小池だった。 小池は自民党の実力者、小林興起のいる東京10区に降り立った。小林らには「抵抗勢力」というレッテルが張られ、連日、ワイドショーは小林と小池の対立構造を報道し続けた。小林が悔しさをにじませ、当時を振り返る。「郵政民営化は、アメリカが要請したこと。心ある日本の政治家なら反対するのが当たり前です。日本の富をアメリカに叩き売るという法案なんだから。小泉さんは自分の権力を保持するために、アメリカにすり寄った。それにしても、あんなに凄まじい印象操作がされるなんて思ってもいなかった。クリーンな小泉さんに、かわいい小池さんが賛同して一緒にやっつけるっていう図にされてしまった」

総裁に楯突くのだから干されることは覚悟していた。しかし、まさか刺客を送り込まれ落選した上に、除名処分を下されるとまでは思っていなかったという。 「政治家になるために通産省に入った。通産省に入るために東大法学部に行った。そのために日比谷高校に行った。小学生の時、父が政治家という職業があることを教えてくれたんです。でも、うちには、何もないから学問をして政治家になれと。小池さんは小泉さんに気に入られて、すぐに環境大臣になった。でも、それだけでは満足しないで大臣なのに自分の選挙区をあっさり捨てて、刺客に立候補した。どうしてそこまで小泉さんにゴマをすったのか。選挙の時も『私は環境大臣で忙しくて、郵政民営化なんて勉強するヒマはなかった』と堂々と言っていた。それなら、なぜ手をあげてまで刺客になるのか。それは主義主張がないからで、ただの遊泳術だ」 キャスター時代に培った、ワンフレーズの受け答え。魅力的な表情の作り方、よどみのない話し方。政局がテレビを通じて茶の間に提供される。メディアと彼女が組んだ時、その力は絶大なものとなる。

919NAME:2017/08/20(日) 23:05:34
発端は沖縄の基地問題

 自民党の閣僚となった小池とメディアが組んだ結果、その後半生を大きく狂わされた人物がもうひとりいる。防衛省の大物事務次官として知られた守屋武昌だ。第1次安倍内閣で久間章生大臣が失言により更迭されると、小泉元首相の意向で後任に小池が指名される。着任時に職員が新大臣に手渡す花束に「百合の花を入れろ」というのが、小池から下された最初の注文だった。 彼女は着任するとすぐに、守屋事務次官とバトルをはじめ、その模様をマスコミは郵政選挙の時と同じように煽った。守屋は事務次官の座を追われ、同時に小池も自ら防衛大臣の座を2カ月にも満たずに降りている。一体、何があったのか。 当時、マスコミには本質が伝えられなかったが、沖縄の基地移転問題に端を発していたと、守屋武昌元事務次官は今、口にする。

「小池さんは防衛大臣になる前、小泉政権下、環境大臣と兼務で沖縄及び北方対策担当大臣をしていた。その時から、沖縄問題に大きく関与してきた。小池さんには沖縄基地問題を解決して名を挙げたい、という強烈な欲が感じられました。また、沖縄財界の一部の人たちと繋がっていて、そこで聞かされる話を鵜呑みにしていた。 小池さんは『あなたたちが主張しているV字型滑走路案はやめて、辺野古の沖合を埋め立てる案にしたほうがいい。沖縄の財界もそれを望んでいる』と言いました。環境大臣をやっていた人が海を埋め立てればいいと簡単に言うのが不思議でした。V字型滑走路案というのは米軍基地内を中心に滑走路を作るという案で、これならサンゴ礁への影響を最小限にできる。一方、沖合埋立案は、環境を破壊します。環境派を敵に回すわけにはいかない。しかし、埋立案のほうが公共事業としては、地元の業者を潤すことになるので、沖縄財界は盛んに揺さぶりをかけていたんです。こういった複雑な事情を小池さんは、十分に理解していなかった。国防に対する知識は、それまでの歴代の大臣と比べて失礼ですが低かった」

 ふたりの対立は、はた目にも明らかだった。小池は露骨に守屋を遠ざけ、守屋の部下である警察庁出身の西川徹矢官房長に接近する。そんな中で突然、毎日新聞に「守屋退任へ、後任は西川」の記事が出た。守屋は何も知らされておらず、報道を見て愕然とする。なぜ、事前に伝えてくれなかったのかと小池に抗議すると、「前日の電話に出なかった、あなたが悪い」と言われ、同時にマスコミに対しては「事務次官に電話がつながらないのは、危機管理上も問題だと思う」と吹聴された。守屋は言う。

「私を外したい、ということなら、私に直接、昼間に役所で言ってくれればいい。その機会はいくらでもありました。なぜ、陰でこそこそとやるのか。こういうやり方は組織を壊します。小池さんからの電話は夜中の12時過ぎ。私の携帯電話に1回だけ、しかもワンギリです。私は就寝していて気づきませんでした。大事な電話なら、2度、3度とかけるのではないでしょうか。マスコミには事実を曲げてお話しになる。出られないようなかけ方をして、出なかった、けしからん首だ、というのは、何十年も役所に勤めあげた公務員に対してやることでしょうか。

 そもそも事務次官の後任人事は、事務方にも相談し官邸を通して決めることです。小池さんは自分の決めた人事案を、親しい新聞記者に自らリークした。既成事実化し、外堀を埋めてしまえば、それが現実になるという考え方は無謀です。新聞記事が出た日の午後、小池さんはアメリカへ向かいました。『私なら基地問題をライス国務長官と女同士、英語で話せば説得できる』と単純に思っておられたようですが、まったくライスには相手にされなかった」

920NAME:2017/09/01(金) 11:15:26
【北ミサイル】
「迅速で正確な日本の対応」「韓国の対応は悲しくなる」「3時間迷った」 韓国メディア、日本称賛の一方で韓国政府に批判集中
2017.8.30 21:42更新
http://www.sankei.com/world/news/170830/wor1708300041-n1.html

【ソウル=名村隆寛】北朝鮮が29日に発射した弾道ミサイルへの日本政府の対処に、韓国メディアは「迅速で正確な対応」(主要各紙)と評価する一方、韓国政府の対応には「3時間も迷った」(東亜日報)といった批判が集中している。 韓国各紙が日本政府の対応でとくに注目したのは、ミサイル発射を受けて発令された全国瞬時警報システム(Jアラート)による迅速な情報発信だ。「韓国軍の自国メディアへの文字メッセージ伝達よりも日本は8分も早かった」(朝鮮日報など)と、その素早さを肯定的に伝えた。

 また、日本政府の対応にも関心が集中。安倍晋三首相が通常より2時間早く出勤し国家安全保障会議(NSC)を招集したことや、首相自らのメディア対応、菅義偉官房長官による緊急記者会見などを取り上げている。 日本の迅速さと比較された韓国政府への評価は酷評一色だ。「文在寅(ムン・ジェイン)大統領がNSCを主宰しなかった」「安倍首相はトランプ米大統領と電話で40分間も話したのに、文大統領は日米首脳とは話さず、外相らとの15分の通話で終わった」「右往左往しているような様子」などと批判的な内容が並ぶ。

ミサイル発射があった29日、韓国のネット上では日本の反応に対し「また騒いでいる」「大げさだ」などの否定的な意見が目立った。30日付のハンギョレ紙は、安倍首相がトランプ米大統領に泣きつく風刺画を掲載した。 30日付朝鮮日報は論説委員のコラムで日本の対応を「大げさ過ぎると感じないこともない」としつつも、「危機や災害に予告はない。核とミサイルを頭上に抱え生活している韓国の安易な姿勢や対応の方が逆に心配になる」と韓国の危機意識の薄さに警鐘を鳴らした。

921NAME:2017/10/22(日) 05:58:18
【衆院選】
安倍晋三首相@秋葉原「リベンジ演説」大きな混乱なくも「9条守れ!」聴衆が抗議「うるさいよ」
2017.10.21 22:20更新
http://www.sankei.com/politics/news/171021/plt1710210113-n2.html

演説中、一部のグループが森友・加計学園の問題を糾弾する記事を掲げたり、「安倍やめろ」と大声を上げる人がいたが、ほとんどがかき消されていた。

 また、安倍首相の演説が始まると、それまで静かにしていた男性が突然「アベ政治を許さない」と書かれたプラカードを掲げ、「憲法9条を守れ」と叫ぶなどしたが、周囲の聴衆から「選挙妨害をするな」「帰れ」と抗議を受けた一幕もあった。

 また「TBSは偏向報道をやめろ」「テレビ朝日、偏向報道は犯罪だ」「安倍首相がんばれ」といったプラカードも多数掲げられ、都議選の演説で、組織的な抗議や意図的な報道を受けたことを意識し、対抗する動きが見られた。

922NAME:2017/11/01(水) 23:30:57
日本人のルーツは中国? いずれにしても劣悪な自然条件下で「日本人はよく発展したよ」=中国報道
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e3%81%ae%e3%83%ab%e3%83%bc%e3%83%84%e3%81%af%e4%b8%ad%e5%9b%bd%ef%bc%9f-%e3%81%84%e3%81%9a%e3%82%8c%e3%81%ab%e3%81%97%e3%81%a6%e3%82%82%e5%8a%a3%e6%82%aa%e3%81%aa%e8%87%aa%e7%84%b6%e6%9d%a1%e4%bb%b6%e4%b8%8b%e3%81%a7%e3%80%8c%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e3%81%af%e3%82%88%e3%81%8f%e7%99%ba%e5%b1%95%e3%81%97%e3%81%9f%e3%82%88%e3%80%8d%ef%bc%9d%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e5%a0%b1%e9%81%93/ar-AAui79y?ocid=iehp#page=2

日本人のルーツについては諸説あるが、中国では中国人こそが日本人のルーツだと信じている人が少なくない。中国メディアの今日頭条は29日、日本人のルーツについて「本当に中国と関係があるのか」検証する文章を掲載した。 日本のルーツに興味を引き立てられるのは、1つには島国である日本にどうやって人類が渡ってきたのかという点もあるだろう。記事は、「火山の多い孤島」という過酷な環境下で発展を遂げてきた日本人を高く評価しながら、「氷河期」に中国、朝鮮半島、そして樺太から氷河を渡って日本へやってきた人たちがいるとの説を紹介した。そして、この人びとが後の「縄文人」だと論じた。

 しかし、沖縄で発見された「港川人」と呼ばれる化石は氷河期よりも前のものとされており、氷河期説とは別のルーツがあったことになると記事は指摘。おそらく東南アジアの島々や中国・柳江から来た人々が港川人ではないかと紹介した。しかし、日本では2009年の研究で、港川人はオーストラリア先住民やニューギニアの集団に近いのではないかとの学説が発表されている。

 記事は続いて、その後の弥生時代には、朝鮮半島や中国の北方から渡ってきた人々が弥生人と呼ばれ、すでに日本にいた原住民と混血していったと伝えた。骨格が似ていることから、彼らの一部は中国山東地区、または江南呉越地区の稲作農民、および江蘇、それも三星村から来たのではないかと推測されるという。

 記事では比較的客観的に日本人のルーツを紹介しているが、多くの中国人が信じているのは「始皇帝の時代に徐福が連れて行った若者たちが日本人の先祖」だというものだ。いずれにしても、どの説もあくまで仮説であり、日本人のルーツは1つではないと考えられているが、自分のルーツを探りたいというのは人としての自然な心理である。記事は、「劣悪な自然条件」のもとでコミュニティと文化をここまで形成させた日本人に敬意を表しながら、たくましい日本人は今後更に新たな広がりを見せるかもしれないと期待を示した。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

923NAME:2017/12/25(月) 20:35:48
日本のような小さい国のどこに「あんな力」が・・・中国人が訝る誤解=中国報道
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e3%82%88%e3%81%86%e3%81%aa%e5%b0%8f%e3%81%95%e3%81%84%e5%9b%bd%e3%81%ae%e3%81%a9%e3%81%93%e3%81%ab%e3%80%8c%e3%81%82%e3%82%93%e3%81%aa%e5%8a%9b%e3%80%8d%e3%81%8c%e3%83%bb%e3%83%bb%e3%83%bb%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e4%ba%ba%e3%81%8c%e8%a8%9d%e3%82%8b%e8%aa%a4%e8%a7%a3%ef%bc%9d%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e5%a0%b1%e9%81%93/ar-BBHgIiW?ocid=iehp#page=2

中国の国土面積は日本の約26倍、人口は日本の約10倍に達する。国土も人口もこれだけ大きければ、中国人にとっては世界の多くの国が「非常に小さい国」に見えても不思議ではない。

 中国メディアの今日頭条はこのほど、中国から見て「非常に小さな国」であるはずの日本はなぜ「世界有数の実力」を持つのかと疑問を投げかけつつ、特に不可解なのは「第2次世界大戦で世界を相手に戦おうとしたことだ」と主張する記事を掲載した。

 記事は、多くの中国人が抱く疑問の1つに「日本のように小さな国のどこにこれだけの実力があるのか」ということだとし、かつては、自国よりはるかに大きい領土を獲得したこともあると主張。しかも、第2次世界大戦では米国や中国など圧倒的に大きな国土を持つ国を敵に回したと伝え、中国から見て「非常に小さな国」であるはずの日本の力は不可解なほどだと論じた。

 一方、日本が「非常に小さい国」であるというのは誤解でもあると伝え、日本の国土面積は実際にはフランスよりわずかに小さい程度で、英国やドイツよりも大きいのだと指摘。中国の国土面積が大きいため日本が小さく見えるのであり、実際の日本は世界的に見れば決して小さい国ではないと指摘した。

 また、第2次世界大戦時の日本の人口は7800万人に達しており、やはり欧州でもっとも多かったドイツを上回っていたと指摘。当時の米国は1億3000万人、中国は4億人ほどしかいなかったと伝え、当時の世界から見ても日本は国土、人口共に決して小さい国ではなかったのだとし、当時の日本は「間違いなく世界最強の国の1つだった」と主張した。

 一方で、第2時大戦で焼け野原になった日本が42年間にわたって世界第2位の経済力を維持してきたことは驚異的であると伝えつつ、四方を海に囲まれているというのはデメリットのようにも見えるが、交通や交流を阻害する物理的障害がないという意味ではメリットだと伝え、日本は「海に囲まれた地理的に不利な小国」という中国人の認識のほうが正確ではないのだと伝えている。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

924NAME:2018/02/15(木) 03:00:34
日本人の欠点を指摘したら「日本人に賛同された!」、驚くと同時に「日本人の態度は尊敬に値する」=中国メディア
2018-02-13 16:12
http://news.searchina.net/id/1653485?page=1

批判された時の反応というのは人さまざまだ。謙虚に認めて悪いところを正すのが理想だろうが、言い訳したり反論したりしたくなるのが人の性というものだろう。この点で、日本人は全体的に合格点のようだ。  中国メディアの今日頭条は10日、中国のネットユーザーが指摘した「日本の悪いところ」が、意外にも日本人に受け入れられたという文章を掲載した。記事は、批判を受け入れる姿勢に好感が持てると称賛している。

 中国人ネットユーザーが指摘した日本人の「悪いところ」には、気が小さい、真の改革ができない、ケチくさい、外国人に称賛されるのが好き、否定されると傷つくといった内容だが、それに対して、日本のネットユーザーの反応は「怒るどころか賛同を示した」と記事は紹介。しかも、日本人ネットユーザーからも「問題点が分かっていたとしてもどうしようと騒ぐだけで誰も解決しようとしない」、「根本に正義の概念がないため、勇気をもって何が正しくて何が間違っていると声を上げる人もいない」、「時に傲慢で時に卑屈になる」、「言い訳は得意で偽善的」などのコメントが寄せられ、欠点を認める発言が多かったという。

 それで記事は、批判をあっさり受け入れる「日本人のそういうところは本当に尊敬する」とすっかり感心している。これは中国人にはなかなかできない反応で、本当にすごいことだと重ねて称賛した。他にも、記事は他人の客観的な意見に耳を傾け進歩できる日本の素直さも高く評価し、中国人も日本の優れている点、例えば環境保護、マナー、民度、文化、仕事態度などから学べるはずだと呼びかけた。

 思わぬところで中国人から称賛を受けた形になったが、他人からの批判を謙虚に受け入れるというのは、実際進歩に不可欠なものであり、これは日本の良いところといえるだろう。ぜひとも中国にも模倣してもらいたいのもである。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

925NAME:2018/02/27(火) 17:26:04
池上彰氏「日本人のマナーが良くなったのは1964年の東京五輪がきっかけだった」
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e6%b1%a0%e4%b8%8a%e5%bd%b0%e6%b0%8f%e3%80%8c%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e3%81%ae%e3%83%9e%e3%83%8a%e3%83%bc%e3%81%8c%e8%89%af%e3%81%8f%e3%81%aa%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%81%ae%e3%81%af1964%e5%b9%b4%e3%81%ae%e6%9d%b1%e4%ba%ac%e4%ba%94%e8%bc%aa%e3%81%8c%e3%81%8d%e3%81%a3%e3%81%8b%e3%81%91%e3%81%a0%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%80%8d/ar-BBJD4cs?ocid=iehp#page=2

Q 今でこそ日本人のマナーはいいと言われていますが……。

 東京五輪をひかえ、訪日外国人観光客にむけたインバウンドビジネスがさかんです。今でこそ日本人のマナーはいいと言われていますが、昭和の頃は「旅の恥はかき捨て」といって、海外旅行をする日本人のマナーは良くなかったものです。いつ頃から日本人のマナーは良くなったと思いますか?(60代・女性・無職)

A きっかけは1964年の東京オリンピックでした。

 きっかけは1964年の東京オリンピックでした。当時、東京都は外国からのお客さんに見られても恥ずかしくないようにと一大キャンペーンを張りました。東京都内の各家庭に配布されたパンフレットには、ゴミはゴミ箱に捨てること、痰を吐いたり、立小便をしたりしないように呼び掛ける注意事項が列記されていました。 当時、私は東京都内に住む中学生。自治会総出で街の清掃作業をしたものです。街頭にはゴミ箱が設置されました。それまで道路に捨てていたゴミを、きちんとゴミ箱に捨てる習慣がついたのは、その頃からです。

 当時は大気汚染が深刻でしたから、喉にからんだ痰を吐く人が多く、電車の各駅のホームには痰壺が設置されていました。ここに痰を吐きなさい、というわけです。 当時、電車や長距離列車がホームに着くと、我先に乗り込もうとして大混乱が続いていました。長距離列車は窓から乗り込む人も多かったのです。冷暖房などありませんから、夏は窓が全開でした。

 東京オリンピックが終わっても、列車のトイレは垂れ流し。国鉄(現在のJR)の沿線の家では干してある洗濯物に黄色い斑点がつき、「黄害問題」と呼ばれたものです。列車のトイレが徐々にタンク式になるにつれ、この問題は消えていきましたが、1980年前後でも、各地の列車のトイレは依然として垂れ流しでした。 日本人は昔からマナーが良かった、というのは過去を知らない思い込みに過ぎません。

ご質問者の指摘通り、海外での日本人のマナーも、1970年代までは最低でした。パリの高級ホテルのロビーをステテコ姿で歩いたり、ブランドショップで爆買いしたりして、ついでに顰蹙まで買っていました。 海外で恥ずかしいことをして、評判が悪いというニュースを日本国内で見聞きするようになって、ようやくマナーの向上が始まりました。 同じことを韓国の人たちは1990年代に、そしていま中国の人たちがしています。

926NAME:2018/02/27(火) 17:37:01
ご存知ですか? 2月27日は「2・26事件」で戒厳令が出された日です
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e3%81%94%e5%ad%98%e7%9f%a5%e3%81%a7%e3%81%99%e3%81%8b%ef%bc%9f-2%e6%9c%8827%e6%97%a5%e3%81%af%e3%80%8c2%e3%83%bb26%e4%ba%8b%e4%bb%b6%e3%80%8d%e3%81%a7%e6%88%92%e5%8e%b3%e4%bb%a4%e3%81%8c%e5%87%ba%e3%81%95%e3%82%8c%e3%81%9f%e6%97%a5%e3%81%a7%e3%81%99/ar-BBJD27k?ocid=iehp#page=2

1936(昭和11)年2月26日、陸軍の青年将校らがクーデターを画策して決起した。世に言う2・26事件である。このとき、約1500名の在京部隊が首相官邸や警視庁、政府首脳・重臣の邸宅などを襲撃し、大蔵大臣の高橋是清、内大臣の斎藤実、陸軍の教育総監の渡辺錠太郎らが殺害された。決起軍はこのあと帝都中枢を占拠。これを受けて事件発生の翌日、2月27日午前3時50分には、天皇の名のもと東京市内に戒厳令が施行された。いまから82年前のきょうのことだ。

2・26事件では、当時の首相・岡田啓介も官邸で殺害されたものと思われた。そのため、戒厳令発令と前後して、27日午前1時すぎには内閣総辞職が決定し、内務大臣の後藤文夫が臨時首相代理として各閣僚の辞表をとりまとめ、早朝に天皇に捧呈した。しかし、昭和天皇の意向で、後継内閣が成立するまで、後藤らが政務を担当することになる。

青年将校たちのクーデター計画の最大の眼目は、岡田内閣の打倒だった。内大臣秘書官長の木戸幸一はそれを察知し、「現内閣の辞職を一切許さない」ことを天皇の政治方針として早々に決めた(筒井清忠編『昭和史講義――最新研究で見る戦争への道』ちくま新書)。昭和天皇が内閣総辞職の要請を保留とし、また陸軍大臣の川島義之や海軍軍令部総長の伏見宮博恭王からの新内閣樹立の提言(いずれも反乱軍側の働きかけによる)を拒んだのもこのためである。戒厳令も「兵力を用いて警戒する必要がある場合」の非常措置であり、反乱軍将校が望んだ「戒厳令による軍政府樹立」とは異なるものであった。天皇は、参謀次長の杉山元が戒厳司令部の編成を上奏した際、反乱軍に対し《徹底的に始末せよ、戒厳令を悪用することなかれ》と指示したという(勝田龍夫『重臣たちの昭和史 上』文藝春秋)。ここにクーデターの帰趨は決まったものの、反乱軍の鎮圧までにはなお3日を要した。

岡田首相は生きていた。弔問客を装い脱出

 一時は死んだと思われた岡田首相だが、反乱軍は官邸に居合わせた義弟の松尾伝蔵(海軍大佐)を首相と思いこんで殺害しており、本人は無事だった。女中部屋の押し入れに隠れて一夜を明かした岡田は、27日、秘書官らの段取りで、官邸を訪れた弔問客にまぎれて脱出する。このとき付き添っていた協力者が、眼鏡とマスクで顔を隠した岡田に向かって《だから言わんこっちゃない。あれほど死体を見るなといっておいたのに、死に顔を見るものだから、気持が悪くなるんだ》と叱りつける芝居を打ち、出口に立っていた反乱軍歩哨の前を難なく通り過ぎることができたという(岡田啓介『岡田啓介回顧録』岡田貞寛編、中公文庫)。岡田は官邸を出るとすぐさま自動車に乗せられ、本郷の寺に連れて行かれると夕方まですごし、その夜は車の持ち主の家にかくまわれた。明くる28日、参内して天皇に拝謁した岡田は、《なにぶんの命あるまでその職をとるように》との沙汰を受けて復職(前掲書)、29日に事件が収拾したあと、3月9日、自らの手で内閣を総辞職する。なお、戒厳令は、反乱軍将校らの死刑(7月12日)直後の7月18日まで継続された。

927NAME:2018/03/07(水) 23:37:54
政府「報道の自由」勧告を拒否 国連人権理審査で
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e6%94%bf%e5%ba%9c%e3%80%8c%e5%a0%b1%e9%81%93%e3%81%ae%e8%87%aa%e7%94%b1%e3%80%8d%e5%8b%a7%e5%91%8a%e3%82%92%e6%8b%92%e5%90%a6-%e5%9b%bd%e9%80%a3%e4%ba%ba%e6%a8%a9%e7%90%86%e5%af%a9%e6%9f%bb%e3%81%a7/ar-BBJYw3J?ocid=iehp

【ジュネーブ共同】国連人権理事会による日本の人権状況の審査について、日本政府は7日までに、特定秘密保護法などで萎縮が指摘される「報道の自由」に関する勧告を拒否した。米国やオーストリアなどが放送法4条の改正などでメディアの独立性を一層確保するよう求めていた。

 昨年11月の作業部会で各国から出された217項目の勧告を受諾するかどうか、項目ごとに見解を公表した。従軍慰安婦問題では、中国などが要求した元慰安婦への誠意ある謝罪と補償の勧告も拒否した。 人権理は今月16日の会合で日本の見解を反映した報告書を最終的な勧告として採択する予定。勧告に法的拘束力はない。

928NAME:2018/03/13(火) 02:17:45
「隣国を援助する国は滅びる」マキャベリの予言が襲いかかる
2015-03-31
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2015/03/20150331T1642120900.html
「隣国を援助する国は滅びる」というのは、別に難しい理論ではない。
相手にいつまでも謝罪し、援助していると、自分の手持ちの金がなくなり、相手は逆に増える。金だけではない。こちらの知識、技術、あるいは文化すべてが相手に移転してしまう。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8725648.html
「君主論」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1287147267
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11522376322.html

929NAME:2018/03/30(金) 18:22:19
年金データ再委託「SAY企画」従業員が証言「入力ミスは日本でやったもの、中国業者は正確だった」
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e5%b9%b4%e9%87%91%e3%83%87%e3%83%bc%e3%82%bf%e5%86%8d%e5%a7%94%e8%a8%97%e3%80%8csay%e4%bc%81%e7%94%bb%e3%80%8d%e5%be%93%e6%a5%ad%e5%93%a1%e3%81%8c%e8%a8%bc%e8%a8%80%e3%80%8c%e5%85%a5%e5%8a%9b%e3%83%9f%e3%82%b9%e3%81%af%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%a7%e3%82%84%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%82%82%e3%81%ae%e3%80%81%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e6%a5%ad%e8%80%85%e3%81%af%e6%ad%a3%e7%a2%ba%e3%81%a0%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%80%8d/ar-AAvgEl3?ocid=iehp

年金情報の入力業務を委託された「SAY企画」が、中国の業者に事業を再委託して個人情報が渡っていたことが問題となっている。入力作業もずさんで、86万件のミスがあった。 そのなか、SAY企画でデータ入力の仕事をしていたAさん(40代・女性)が、その実態を証言した。Aさんは言う。

「他の官庁のデータ入力をやったことがありましたが、年金機構の仕事は数が膨大。受注が決まった時は、社長は『人が足りない。友達でパソコン入力ができる人を探してくれ』と、私も声をかけられました。時給は1100円ぐらいで、いろんなところで求人を出していました。それでも人が集まらない時に、年金機構のデータがドバっと来ました」

 データ入力の手法も、お粗末なものだった。

「スキャナーで紙を読み込ませて、データ化して入力していました。だけど、手書きの紙を読み込ませると、正しくデータ化されません。複雑な漢字や旧字体もあります。それを、実際の年金機構の書類を突き合わせないといけない。これがとても時間がかかるので、昨年の秋ごろ、急に『スキャナーはやめる』となった。年金機構との約束で、1つずつ入力する契約になっていたようです。だけど、1週間ほどして、またスキャナーに逆戻り。人がいなくて『納期に間に合わないから』と上司は説明していました」

 会社側の焦りはつのり、次第に「正確に入力すること」よりも「納期に間に合わせること」を優先するようになっていったという。「スキャナーのミスをチェックすると、けっこう時間がかかるんです。すると、上司からは『1枚目だけチェックして。残りをやっている時間がない』となった。『もう適当にやってくれ』という感じです。手書きのものは『0』なのか『9』なのか数字が判然としないものが山のようにありました。いつしか、『まあ、0でいいか』みたいな感じでやってました。年金機構には、入力作業は800人程度でやると説明していたようですが、実際はその半分ぐらいしかいなかったと思います」

 データ入力のために使用されたパソコンも、性能が悪かったという。「パソコンも古くて、よくフリーズしてトラブルになっていました。よくこんな会社が年金記録の入力という大事な仕事を受注できたなと思っていました。社長は『この数はとても無理』と観念した感じになっていました。それで、中国に再委託したのだと思います。でも、中国に委託した入力作業はほとんどミスがなかったんです。名前だけだったということもありますが、すごく正確で、間違いは日本でやったものばかりでした」

 SAY企画は、2003年に設立。官公庁からの委託事業が主な業務となっている。東京商工リサーチ情報部の後藤賢治氏は言う。「SAY企画の2017年度の利益は259万円で、16年度も139万円しかありません。売り上げがあっても、利益が伸び悩んでいました。その結果、人材登用ができず、パソコンなどの設備投資も難しかったのではないか」

 ずさんな仕事の実態を見抜けなかったのは、年金機構にも責任がある。すべてが明らかになる日は来るのか。 SAY企画に取材を申し込んだところ、期限までに回答はなかった。(AERA dot.編集部取材班、西岡千史)

930NAME:2018/04/09(月) 00:24:47
日本が資源欠乏国? 「よく見れば別の顔が見えてくる! むしろ資源強国だ」=中国メディア
http://www.msn.com/ja-jp/news/money/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%8c%e8%b3%87%e6%ba%90%e6%ac%a0%e4%b9%8f%e5%9b%bd%ef%bc%9f-%e3%80%8c%e3%82%88%e3%81%8f%e8%a6%8b%e3%82%8c%e3%81%b0%e5%88%a5%e3%81%ae%e9%a1%94%e3%81%8c%e8%a6%8b%e3%81%88%e3%81%a6%e3%81%8f%e3%82%8b%ef%bc%81-%e3%82%80%e3%81%97%e3%82%8d%e8%b3%87%e6%ba%90%e5%bc%b7%e5%9b%bd%e3%81%a0%e3%80%8d%ef%bc%9d%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e3%83%a1%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%a2/ar-AAvBsUa?ocid=iehp

中国や米国は広大な国土を持つと同時に、多くの天然資源に恵まれた資源大国と言える。一方、日本は必要な資源の多くを輸入に依存しているがゆえに、「日本は資源欠乏国」と認識している中国人は多い。だが、中国メディアの快資訊は5日、日本は実は資源欠乏国ではなく、むしろ資源強国であったと伝え、その理由について考察する記事を掲載した。

 記事は、中国人の多くは「石油や石炭、鉄など多くの資源を輸入に頼っている日本は資源に恵まれない国」であり、天然資源の市場において中国は日本より圧倒的に大きな影響力と発言権を持っていると認識していると紹介。

 続けて、日本から天然資源がほとんど産出しないのは事実としながらも、資源の産出量だけでなく、貯蔵量や消費量、天然資源の自給力、海外に保有する鉱山の量、国際市場や価格に与える影響力などを総合的に評価してみると、日本の別の顔が見えてくると論じた。

 記事は、中国の雑誌「中国鉱業」がまとめた評価を引用し、日本の天然資源に対する自給能力は中国に匹敵し、海外に保有する鉱山の規模では中国を圧倒していると紹介し、「しかも日本は1つの天然資源に集中することなく、多種多様な天然資源を確保すべく、多岐にわたる鉱山を世界中に保有している」と強調。たとえば、中国で不足しがちな資源である「銅」について、日本は海外で銅鉱山の資源開発を積極的に行ってきた経緯があり、資本参加や融資などを通じて多くの銅鉱山を所有していると指摘した。

 こうした日本の天然資源をめぐる動きと評価に対し、「国内で産出されないからと言って、日本を資源欠乏国と見なすのは不適切」であり、むしろ、日本は資源強国と言えると主張。経済成長に伴って、中国では資源不足が問題となりつつあることを指摘し、資源をめぐる対応で日本に学ぶべき点は多いと伝えている。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

931NAME:2018/04/26(木) 00:45:41
10万人参加の羽生結弦凱旋パレードで、会場にゴミほとんどなし 敬服せざるを得ない=中国メディア
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%ef%bc%91%ef%bc%90%e4%b8%87%e4%ba%ba%e5%8f%82%e5%8a%a0%e3%81%ae%e7%be%bd%e7%94%9f%e7%b5%90%e5%bc%a6%e5%87%b1%e6%97%8b%e3%83%91%e3%83%ac%e3%83%bc%e3%83%89%e3%81%a7%e3%80%81%e4%bc%9a%e5%a0%b4%e3%81%ab%e3%82%b4%e3%83%9f%e3%81%bb%e3%81%a8%e3%82%93%e3%81%a9%e3%81%aa%e3%81%97-%e6%95%ac%e6%9c%8d%e3%81%9b%e3%81%96%e3%82%8b%e3%82%92%e5%be%97%e3%81%aa%e3%81%84%ef%bc%9d%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e3%83%a1%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%a2/ar-AAwjnlS?ocid=iehp#page=2

中国メディア・環球網は23日、22日に宮城県仙台市で行われた羽生結弦の凱旋パレードに10万人が参加する一方で、会場でほとんどゴミが出なかったことについて「この現象には恐れ入る」と報じた。

 記事は「約10万人が参加した大型イベントで大した量のゴミが出なかったことで、清掃ボランティアも驚きの声を出さざるを得なかった」としたうえで、22日に仙台市で行われた羽生の平昌五輪金メダル獲得凱旋パレードの様子を紹介。

 「現地市民と、全国からやってきたファン合わせて約10万人が参加。パレード開始10分後から、大学生のボランティアチームが清掃活動を開始した。しかし驚いたことにゴミだらけになるだろうという予想とは全く異なり、パレードの隊列が通過した約100メートルの間に落ちていたゴミは、家庭用ゴミ袋1袋分に満たないほどの量だったのである」と伝えている。

 記事はまた、清掃活動に参加したボランティアたちはみな羽生のファンであるほか、クリーンなパレードを実現した背景にはファンたちの積極的な働きかけがあったことを指摘。パレード開始前から、SNS上では来場者に対して「ゴミは持ち帰ろう」と呼びかけられていたことを紹介した。また、実際にゴミ袋を持って参加したファンからは「羽生くんはきっと会場がゴミだらけになるのを望んでいない」、「羽生くんを困らせたくない」との声が聞かれたとした。

 中国メディアまで「恐れ入る」、「敬服せざるを得ない」と言わしめた羽生の凱旋パレードの様子に、中国のネットユーザーの多くも「清潔で規律を守るのが、日本人の長所だ」「ゴミを拾うという小さな行動が、日本人のモラルの高さを示している」「わが国は、民度を高める計画を専門的に立ち上げるべきだと思う」といった賞賛や、中国社会も見習うべきであるとする意見や感想を寄せた。

 また、「古代中国の文明を学んだ結果だ」、「モラルというのは、法律によって保障されているもの。ルールがなければ、みんな野蛮になる」、「規律を守ることに過剰になれば、それはファシズムになる」といった見方をするユーザーも見られた。(編集担当:今関忠馬)

932NAME:2018/05/02(水) 23:33:54
古賀茂明「南北会談で“外交の安倍”のウソが露呈 今そこにある日本の危機とは?」
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E5%8F%A4%E8%B3%80%E8%8C%82%E6%98%8E%E3%80%8C%E5%8D%97%E5%8C%97%E4%BC%9A%E8%AB%87%E3%81%A7%E2%80%9C%E5%A4%96%E4%BA%A4%E3%81%AE%E5%AE%89%E5%80%8D%E2%80%9D%E3%81%AE%E3%82%A6%E3%82%BD%E3%81%8C%E9%9C%B2%E5%91%88-%E4%BB%8A%E3%81%9D%E3%81%93%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%8D%B1%E6%A9%9F%E3%81%A8%E3%81%AF%EF%BC%9F%E3%80%8D/ar-AAwvMaG?ocid=iehp#page=2

南北首脳会談が終わり、ゴールデンウィークが始まった。

 これに先立ち、安倍政権の支持率低下に危機感を募らせた安倍総理は、北朝鮮問題で蚊帳の外にされているというイメージ払しょくを狙って日米首脳会談を行ったが、米朝首脳会談で拉致問題を取り上げると約束してもらっただけで何の成果もなく帰国した。 追い打ちをかけるように、南北首脳会談では、南北に米を加えた3カ国、または米中2カ国を加えた4カ国協議を行うことが発表され、ますます「蚊帳の外」のイメージが広がってしまった。

「外交の安倍」は完全に不発どころか、逆にそれで躓いてしまった安倍総理としては、次の切り札である「経済の安倍」で勝負するしかなくなってきた。そのため、来年秋の消費税増税の影響緩和を大義名分として、来年度予算での巨額の対策費計上などが早くも画策されている。いつも繰り返される支持率目当てのただの大盤振る舞いである。

 しかし、いくら目の前の株価や大企業の利益が上昇したからと言って、地方経済を含めた日本経済の競争力が回復するわけではない。安倍総理の立場に立っても、このままでは、彼にとっての最重要課題である中国との軍拡競争に勝ち抜くことなど夢のまた夢という状況だ。

 日本経済の長期展望を語る時、財政赤字や少子高齢化と社会保障の問題などが議論の中心になっている。しかし、私が最も不安に感じているのは、日本の競争力の源が揺らいでいるということだ。中でも、人材と新規事業の創出における日本の立ち位置を冷静に見つめてみると、凍り付くほどの恐怖感に囚われる。

■先進国から転落しかかっている日本

 まず、これはかなり広く認識されていることかもしれないが、日本は今どれくらい裕福な国だと見ることができるのかを再確認しておきたい。国民の豊かさを図る代表的指標が一人当たり国内総生産(名目GDP)だ。そのランキングで見ると、日本は世界何位くらいに位置するのかと聞かれたら、先進国のトップが集まるG7(先進国首脳会議)というものがあるから、3位くらいか、まあ、悪くても7位くらいかなと思う人がいるかもしれない。しかし、日本の順位は世界25位(2017年のIMF統計より)。90年代は、最高3位で、一貫してベスト10に入っていたから、その地位の低下は明らかだ。25位と言えば、先進国から転落寸前と言っても良い。

 そうは言っても、アジア・中東諸国に比べれば、まだまだ断トツ1位だろうと考えたくなるが、実はアジア・中東でも、日本の位置づけは大きく後退している。順位は毎年変動するが、17年は、マカオ、カタール、シンガポール、香港、イスラエルに次いで6位(2017年のIMF統計より)である。イスラエルとは為替レート次第で順位は入れ替わる可能性はあるが、今やシンガポールに追いつくのはほとんど不可能という状況だ。

 経済規模では、まだまだ日本の規模は大きいが、ついこの間中国にGDPで抜かれたと思ったら、今や中国は日本の2.5倍近くにまで成長している。つまり、日本経済の規模は中国の4割程度しかないのだが、これも意外と知られていない。

933NAME:2018/05/02(水) 23:34:26
■将来を担う企業が育たない日本

 米中では、新興企業が短期間で急成長し、世界を動かす影響力を持つまでになるが、日本ではそういう動きが全くない。安倍政権もそうした事態を憂慮し、お得意の「成長戦略」で、新興企業などのビジネス環境を他国に負けない水準にしようとぶち上げた。その時のスローガンが、世界銀行が発表するビジネス環境ランキングで「先進国3位を目指す」というものだった。そもそも、「先進国」3位としたのは、ビジネス環境の整備には途上国が非常に力を入れていて、既に上位に陣取っているので、世界3位というとあまりにも実現性がないから、先進国に限って3位に入ろうというまやかしの目標にしたのだ。しかし、この構想は全く不発。かえって順位を落とす結果となった。2017年の世界ランキングでは、日本はベスト20にも入れず34位。35位のロシアに激しく追い立てられるという始末だ。ベスト5には、1位のニュージーランドに続いて、2位シンガポール、4位韓国、5位香港とアジア3カ国が並び(表1)、この他にも15位に台湾が入っている。

 つまり、世界各国が新規事業を育てようとそのための環境整備に邁進しているので、日本が多少アリバイ作りの政策をやっているだけでは、完全に置いてきぼりになっているということなのだ。このままでは、さらに世界との差は開き、新規事業の成長で大きな後れをとるのは確実だ。

■将来を担う人材教育でアジアに遅れる日本

 日本経済の将来を占ううえで最も重要なのが、人材だ。そこでも日本はアジア諸国に大きく遅れている。 世界の大学ランキングというものがあるが、実は、日本の大学は、東大でも世界46位と大きく順位を下げている(Times Higher Education2018)」。

 世界ではどうしてもアメリカやイギリスの大学が上位に入るので、アジアだけのランキングで見るとどうなるか。当然東大が1位だと思う人が多いかもしれないが、実は、毎年順位を落としてついに8位まで下がってしまった。1位シンガポール国立大学、2位清華大学(中国)、3位北京大学(中国)、4位香港大学、5位香港科技大学、5位南洋理工大学(シンガポール)、7位香港中文大学で9位と10位は韓国の大学である。上位21校中(20位が2校あるので21校)のうち、日本は東大と京大(11位)の2校だけ。中国は7校、韓国と香港が5校、シンガポール2校だった。

 将来のことを考えると、子供や孫の進学では、東大や京大よりも中国やシンガポールや香港の大学を勧めた方が良いということになるのだが、実は、日本人には、これらの大学に進学するのは極めて難しい。語学の壁があるということもあるが、それ以上に入試のレベルが、中国などの大学の方が日本よりもはるかに難しいからだ。

934NAME:2018/05/02(水) 23:35:46
 中国の受験競争の激しさは有名だが、その厳しさに負けて、日本の高校に留学して日本の一流大学を目指す動きがここにきて急速に強まっている。先日もNHKのニュースで放送していたが、宮崎県の私立高校が中国で留学生獲得の営業をかけたら多くの優秀な中国の学生が応募してきた。今や学生の過半が中国人で、日本の大学に全員が合格している。留学生に聞くと、中国で良い大学に入るのは難しいから諦めて、日本の大学を目指すことにしたという。彼らにとっては、日本語で受けるとしても、まだ中国よりは易しいというのである。それほど、日本と中国の若者の学力に差がついているということになる。

 この傾向は、経営大学院(MBA)については、より顕著だ。フィナンシャルタイムズが発表した世界のMBAランキング2018では、ベスト100のうち大半はアメリカの大学院だが、アメリカ以外では、英国の14校に次いで2番目に多くランクインしたのが、中国の7校だった。1位スタンフォード(米)、2位INSEAD(仏)、3位ペンシルバニア大ウォートン校などの常連に交じり、何と中国の中欧国際工商学院が8位とベスト10入りをして世界を驚かせている。その下に続く9位がMIT(マサチューセッツ工科大)、10位カリフォルニア大バークレー校と聞けば、そのすごさがよくわかる。5、6、7位がハーバード、シカゴ、コロンビアだが、今の勢いだと、10年以内にトップの座を占める可能性もあると言われるほどだ。ちなみに、この大学院の卒業生の卒業直後3年の平均年収は、16万2858ドル。1ドル110円で計算すると1791万円だ。日本のMBAを卒業してもほとんど箔付け程度にしかならないのと比べると雲泥の差と言って良いだろう。

 この中国の大躍進に対して、日本のMBAがベスト100にいくつ入っているのだろうかと思って、ランキングを上から順にスクロールしてみると、ついに一番下の100位まで行っても発見することはできなかった。つまり、100位以内にゼロである。中国の7校に比べて、何とも寂しい話だ。

 これらの情報は秘密でも何でもない。新聞などでも報じられている。ただし、記者に何の問題意識もないので、これが何を意味するのかが理解できず、極めて小さな扱いでごく一部の情報を載せるだけである。

 一方、優秀な若者は徐々にこうした事実に気づき始め、東大よりも海外の有名大学を目指す動きが広がっている。しかし、それは、残念ながら、まだごく一部である。 それを象徴する話を聞いた。元民主党女性議員の令嬢が、上智大学を卒業後、香港の大学院に進学した。それをその元議員が友達に話したら、「上智まで出たのに、なんでまた、香港なんかに出したの?」という反応ばかりが返ってくるというのだ。その元議員の令嬢は、メールでこう連絡して来たという。

「ママ、中国は日本をドンドン追い越してるのに、日本人は、気づいてない。それって、相当ヤバくない?ここで勉強したことをちゃんと生かせる仕事がないから、日本に帰っても仕方ないね。アメリカかシンガポールで仕事を探すわ。給料もずっと高いから」

 もう一人、カリフォルニア大バークレー校でMBAを取って、アメリカで今年起業したある日本人の若者の話を聞いた。「日本に帰る理由を考えたけど、一つもなかった。強いて挙げれば、そこそこおいしいご飯がタダ同然で食べられることかな。ランチの定食が10ドル(1100円)なんて信じられないよね。アメリカだと、その何倍もするからね。でも、アメリカの大都市なら、お金さえ出せば、おいしい店はたくさんあるし、日本の何倍も稼げるから、結局、安いご飯は大した魅力にはならないな」

 そして、こう付け加えた。「日本人留学生は、ほとんどが政府や企業のひも付きで、日本に帰る前提で勉強している。留学は箔付けというレベルだから、米国で独立して活躍できる人材は少ないね。中国人ならたくさんいるよ」 日本の未来を支えるはずの若者のレベルが国際比較でこんなに低下しているとしたら、日本経済の将来は本当に危機的状況にあると言って良いだろう。

 しかし、よく考えると、それ以前に、「日本礼賛」論がもてはやされる中、こうした事態を国民が認識していないこと、そして、何よりも安倍総理という政府のトップがその深刻さを全く理解する能力がないように見えることこそ、最大の危機ではないだろうか。




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