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皇室関連書籍・DVD情報スレ

93可愛い奥様@避難所生活:2014/07/09(水) 21:50:52 ID:UdRmlmLM
全文は以下のサイトをご参照ください
ttp://ikura.2ch.net/test/read.cgi/ms/1362105563/524-543
524 :皇室 平成22年 春 46号 1:2013/03/02(土) 14:29:54.57 ID:xP49R0090
日蘭通商40周年記念―王室とのご交際と国際親善に尽くされて
(以下543まで書き起こし)

94可愛い奥様@避難所生活:2014/07/14(月) 12:11:14 ID:LeqfcvvA

ttp://dot.asahi.com/wa/2014071000083.html?viewmode=pc

プリンセス不在で皇室グラビアは壊滅危機? 皇室カメラマンの苦労

 各雑誌の皇室カメラマンたちが集まり、撮影の難しさや苦労を語った。参加したのは、瓜生浩氏(80)・元学研カメラマン、河崎文雄氏(70)・光文社「女性自身」カメラマン、高野俊一氏(69)・元サンテレフォト写真部長、島田啓一氏(65)・元新潮社写真部長、鈴木鍵一氏(60)・光文社「女性自身」カメラマン、現役雑誌カメラマン(52)。司会は岩井克己氏(67)・元朝日新聞編集委員。

*  *  *
岩井:昔は、継続的に皇室をウオッチするカメラマンがいた。天皇・皇族方に仕える侍従や宮家職員、皇宮警察と顔見知りで、連帯感や家族的な雰囲気があった。いまや「皇室カメラマン」が減り、事情も変わった。現役の苦労は伝わってきますか。

島田:いま読者が望むのは妃殿下やお子さまの話のようです。それがなければ、買ってくれません。

鈴木:05年から現在まで光文社の「女性自身」で皇室取材を続けています。5月の徳島県訪問も、雅子さまは同行せず皇太子さまの単独公務です。そのためか雑誌から取材は出なかった。

河崎:おひとりだとね。

瓜生:それこそ皇室の存在価値、という話になる。

岩井:皇室報道では、お妃ファッションも読者の楽しみのひとつです。雅子妃ご不在では、報道する側も困る。最近は、秋篠宮家の眞子さま、佳子さまにスター性が出てきたが、やはり雅子さまの不在は大きい。

瓜生:いまの状態ですと、雅子さまの写真集は何ページも作れなくなる。絵柄がどれも同じだからグラビアも組めないと思います。

9594:2014/07/14(月) 12:12:37 ID:LeqfcvvA
ttp://dot.asahi.com/wa/2014071000083.html?page=2

河崎:流れでお話しすると、美智子さまも皇太子妃時代には、葉山御用邸や軽井沢、奥日光でご静養に入るなど、表に出たくない時期があった。当時は、香淳皇后や高松宮妃など絶対的な存在がご健在で、美智子さまもご苦労なさったようです。どこから構えても、痩せた写真ばかりでした。皇后となってからは、お顔も戻りましたね。

岩井:ところで、河崎さんは、戦争をひとつのテーマに皇室を撮影してきた。昭和50年に当時の皇太子ご夫妻は、海洋博出席のために沖縄を訪問しました。ひめゆりの塔に立ち寄った際に起きた火炎瓶事件に河崎さんは、目の前で遭遇したそうですね。

河崎:そのときは、皇太子ご夫妻が、ひめゆりの塔の壕の前で説明を受けていました。気温が34・5度の猛暑のなか、報道陣もダレて雑談をしていると突然、バーンとなった。火炎瓶がおふたりに投げられたんです。はっと確認すると、持ってきたカメラのフィルムはどれも残り10枚程度。同行した皇室ジャーナリストの松崎敏弥さんのカメラを借りてシャッターを切りました。

瓜生:河崎さんの目の前で、犯人が捕まって。

河崎:周りが「両殿下、ご退避、ご退避」と叫びながら両殿下を車へ連れていく。10秒、20秒の間ですが、妃殿下と私もぶつかるなど現場は混乱しました。

岩井:両陛下は被災地や戦争の惨禍や傷痕が残る地にひたむきに足を運んでおられます。

河崎:人びとと真摯に対話をする姿を実際に見て、我々は感動する。現場のカメラマンが共感して撮影に挑まなければ、「スクープ」は生まれません。

岩井:戦後は、昭和天皇が大元帥から人間天皇へと変わり、宮内庁も皇室への「親しみやすさ」をアピールしようと考えていた。そこに、美智子さまというヒロインが登場して、皇室の雑誌報道という一時代が築かれたが、それも終わりつつあるような気がします。

9694:2014/07/14(月) 12:14:04 ID:LeqfcvvA
ttp://dot.asahi.com/wa/2014071000083.html?page=3

高野:美智子さまは、皇室の宝でした。

瓜生:平成5(93)年に、日本雑誌協会が「ひかり輝いて」という現皇太子ご夫妻のご成婚記念の写真展を全国で開いたときは、会場が人であふれた。

岩井:ヒロインの後継者が現れたと思ったが。

瓜生:あのまま雅子さまが表に出て、人気が持続すればよかった。それにしても、取材規制が多すぎる。

岩井:撮影は取材を希望する媒体の中から代表の1、2社に制限される。

鈴木:代表取材でも撮影時間は1分程度。「(会場に)お入りになってから、ここの位置にいらしたらシャッターを切ってください」と言われる。訪問先の県庁の広報が「はい」と我々の肩をたたいて、終わりですよ。

河崎:お元気なころは、この場所ではおもしろい絵が撮れない、とどんどん主張したものです。

現役雑誌カメラマン:私も川嶋紀子さんのご婚約のころから、いまも現役で現場に出ています。代表撮影になると、各社の希望をくみ取った写真を撮る必要がある。女性誌は、皇后さまやお妃のファッションを望むから「女性中心の構図」を、男性誌は天皇中心の構図を望む。各媒体への配信が前提ですから、1分程度の撮影時間では無難な絵を抑えることに追われます。納得いくまで粘った渾身の一枚など撮れません。

※週刊朝日  2014年7月18日号より抜粋

9794:2014/07/14(月) 14:33:43 ID:LeqfcvvA
ttp://dot.asahi.com/wa/2014071100070.html

撮影中にどかした相手は現天皇陛下?! 皇室カメラマン秘話

 今年は両陛下がともに傘寿の節目となる。振り返れば、おふたりのご成婚前後、女性週刊誌が次々に創刊。各誌の皇室カメラマンはミッチーの姿を記録に残そうと火花を散らした。瓜生浩氏(80)・元学研カメラマン、河崎文雄氏(70)・光文社「女性自身」カメラマン、高野俊一氏(69)・元サンテレフォト写真部長、島田啓一氏(65)・元新潮社写真部長、鈴木鍵一氏(60)・光文社「女性自身」カメラマン、現役雑誌カメラマン(52)が集まり、とっておきの秘話を明かした。司会は岩井克己氏(67)・元朝日新聞編集委員。

*  *  *
高野:私は、33年間ほどサンテレフォトという通信社に在籍しました。皇室取材は、浩宮さまが小学校5年ごろに、ご一家で苗場スキー場に行かれたのを皮切りに、平成8(96)年まで続けました。昭和天皇もごく近い距離で、撮影させていただきました。

河崎:声まで覚えているよね。「あっそう」という。

高野:近すぎて、レンズが陛下にぶつかりそうになった。昭和の時代は、特にお子さまたちの姿が印象的です。紀宮さまの学習院初等科の入学式もそうです。

高野:皇太子ご一家の写真は、海外からも関心が高かった。学習院の伝統である赤ふんどし姿の浩宮さまは世界へ配信しました。

岩井:怒られませんでしたか。

高野:まったく。礼宮さまの赤ふんどしも撮りました。紀宮さまも、近くで取材させていただいた。

岩井:自由な雰囲気で写真を撮っていたようですね。

瓜生:僕は昭和48(73)年から30年ほど、学研の「皇室アルバム」などで皇室取材に関わりました。皇室との距離の近さは、「監視役」としても機能しました。身元の怪しい人間が報道陣に紛れ込めば、護衛の皇宮警察に合図を送る。彼らにも「あなたたちの場所は、安心だ」という互いの呼吸があった。

岩井:僕が昭和61(86)年に宮内庁を回り始めてすぐのころです。明仁皇太子さまと美智子さま、浩宮さまが訪問した展覧会場で熱心にしゃべっている。明仁ご夫妻の会話を一生懸命にメモしていたら、カバンごとドーンとだれかにぶつかった。「あっ、すみません」と振り返ったら浩宮さまだった。

河崎:我々女性誌は、美智子さまのアップを狙います。某女性誌の、あるカメラマンが美智子さまを一生懸命に撮りながら、「邪魔だよ。どいてよ」と。どかした相手が、皇太子さまなんですよ(笑)。

岩井:明仁さまに?

河崎:ご本人は、びっくりなさったでしょうね。

瓜生:昭和の終わりごろでしょうか。常陸宮妃華子さまが埼玉鴨場で珍しい鴨を抱いてたので、そばで写真を撮らせていただいた。

河崎:珍しい鴨って。

瓜生:日本では見ない種類。で、ポンと肩をたたかれたから、ひゅっと見ると常陸宮さま。それからずっと鴨の説明を続けてくださる。「はい。そうですか」と、お返事をしているうちに、取材が終わっちゃった。

河崎:皇室と一般の人との距離も近かった。昭和のころは、ご一家で軽井沢に滞在した。テニスコートで、明仁さまと美智子さまが地域の人に囲まれている。いまは、考えられない。

島田:宮内庁側の警戒が強くなったのは、川嶋紀子さんや小和田雅子さんの登場で、テレビのワイドショーの取材陣が現場に出てきたあたりかな。

高野:ご本人たちに、声を掛けてはいけないことになっていたのだけれど。

島田:ワイドショーは「たかが宮さまじゃない」という感覚で突撃していった。

※週刊朝日  2014年7月18日号より抜粋

9894:2014/07/16(水) 14:42:02 ID:f6bUEA9A
ttp://dot.asahi.com/wa/2014071100083.html?viewmode=pc

今では撮れない雅子さまの破顔一笑 皇室カメラマンの嘆きとは?

 今年は両陛下がともに傘寿の節目となる。振り返れば、おふたりのご成婚前後、女性週刊誌が次々に創刊。各誌の皇室カメラマンはミッチーの姿を記録に残そうと火花を散らした。瓜生浩氏(80)・元学研カメラマン、河崎文雄氏(70)・光文社「女性自身」カメラマン、高野俊一氏(69)・元サンテレフォト写真部長、島田啓一氏(65)・元新潮社写真部長、鈴木鍵一氏(60)・光文社「女性自身」カメラマン、現役雑誌カメラマン(52)が集まり、とっておきの秘話を明かした。司会は岩井克己氏(67)・元朝日新聞編集委員。

ttp://dot.asahi.com/print_image/index.html?photo=2014071100083_1
座談会に参加した(左から)島田氏、高野氏、瓜生氏、河崎氏、岩井氏(撮影/小暮誠)

*  *  *
岩井:現場で特に感じることはありますか。

鈴木:長期療養中の雅子さまは、公務もご欠席が基本です。我々は、いつ撮れるのだろうと考える。それで、取材要項に「撮影時はストロボ使用不可」とあるときは、雅子さまが来るかもしれない、と期待します。

現役雑誌カメラマン:ストロボ禁止のルールは現場が混乱します。天皇ご一家の夕食会が皇居の御所であるときは、皇太子ご夫妻と秋篠宮ご夫妻が続けて半蔵門を通過することがある。片方はストロボNGで、他方はOKです。大慌てで部品を付け替えるか、両方ともストロボなしで、写りの良くない写真を撮らざるを得ません。

鈴木:僕らは、公的な場でもいいから、雅子さまをきちんと撮りたいですね。

瓜生:乱暴な言い方かもしれませんが、撮影させるのも皇室の方々の仕事だと感じる。昔は、カメラの前で、いい表情をしてくださったんです。

岩井:雅子さまは、本当におかしいと豪快に口を開けて笑ったものです。ところが写真として残っているのは、河崎さんが撮った一枚くらいでしょう。

島田:そういった光景は、東宮職も撮らせませんね。

9994:2014/07/16(水) 14:44:27 ID:f6bUEA9A
ttp://dot.asahi.com/wa/2014071100083.html?page=2

河崎:皇太子ご一家が神奈川県葉山町にある葉山御用邸で過ごしたとき、皇太子さまが、私に話しかけてくれました。雅子さまが私のカメラを見て、「重たそうですね」とおっしゃるから、「持ってみますか」と言ったら「いいんですか」と、気さくでした。愛子さまがにこにこしていたころは、雅子さまも笑っていた。雅子さまが出ると誌面にぱっと華が咲くんです。

瓜生:売れるよね。

鈴木:雅子さまをよく知っている方の間では評判がいいんですよね。

河崎:紀子さまは女帝のようだと、どこかの雑誌が書いていた。私は紀子さまはいい方だと思うけど。

島田:ご婚約報道のときから、紀子さまは「いい子」だと評判でした。川嶋家はよい方ばかりだった。

瓜生:雅子さまのご成婚取材では、小和田家との間に信頼関係が築けなかった。

現役:小和田家の前の駐車場に報道各社が集まって毎日通いましたね。

瓜生:ご迷惑をかけるわけですから気は使いました。しかし、ご成婚のあとに、アポイントを取ったうえで雅子さまの写真をご実家に届けたら、玄関でお母さまが「はい」と受け取って終わりです。

河崎:慶事ですから、各社は取材に行きます。残念ですが、わずらわしいとしか受け止められなかった。

鈴木:雅子さまの父親の小和田恒さんはたまに帰宅時に「ご苦労さん」とおっしゃることもあった。

瓜生:皇室というのは、世間を味方につけるべきです。「一生お守りします」と宣言した皇太子さまも、雅子さまが世間から信頼されるためには、もっと積極的になるべきです。

岩井:ご本人のおっしゃるままに黙って従うことが、必ずしも守ることにはつながらない。周囲に危機感が薄いのではないでしょうか。

※週刊朝日  2014年7月18日号より抜粋

101避難所管理人★:2015/01/03(土) 23:02:50 ID:???
>>100はスレッド趣旨と異なる書き込みのため削除しました。


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