16歳の時「To know him is to love him」というセンチメンタルな曲を書き、自ら作ったバンド”テディ・ベアーズ”で58年にこれをNo1ヒットさせた。
しかしフィルの狙いはバンドによる演奏ではなく、自分が作り出したサウンドを再現することだった。
テディ・ベアーズを解散したフィルは、59年にはプロデューサーとして1枚あたり1.5セントの収入で当時ハリウッドで著名な音楽プロモーター、レスター・シル(後日フィルとレーベル「フィリス」を設立)と契約した。こうしてフィルはプロデューサーの第1歩を踏み出した。