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聖書通読2
1
:
福音伝道
:2024/05/11(土) 06:13:40 ID:BX/SFP8o
聖書通読のスレッドです。
前スレッド
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/news/3665/1678740003/
2
:
atheist
:2024/05/19(日) 23:04:01 ID:???
ほぼふたりで1000レス埋めるって考えてみればけっこうすごいですねw
前前スレもありましたから、単純計算でひとり1000レス、途中荒らし等があっても
元は5chで始めてますからその分や、アク禁等で別スレに緊急避難したこともありますから
大雑把に言って、3年くらいはほぼ毎日続けてることになりますね
前スレ1000 先生
言われてみるとレビは初子じゃないですね
おそらくですが、レビ族が元々出エジプト神話やヤハウェ信仰の伝承を担っていたため
カナンで複数の部族がイスラエルという単一民族のイデオロギーを形成した際
自らの部族を特別扱いした、あるいはさせようとしたのではないかという気がします
12支族の出生順はそのときの力関係で決まったんでしょうか、よく分かりません
3
:
福音伝道
:2024/05/20(月) 06:17:40 ID:BX/SFP8o
>>2
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は民数記4章です。
なぜ三男レビの系統をヤハウェが初子の代わりとされたのか
謎ですが、レビ族に土地の割り当ては無く、ヤハウェ担当として
アロンの子らの補助者となったのでした。
現代イスラエルでは、ほとんどのレビ人が世俗的な職業に就き
ごく一部がシナゴーグでの礼拝で祝福を行っているそうです。
4
:
atheist
:2024/05/21(火) 00:06:37 ID:???
>>3
現代に至るまで族の血筋が追えるとういのはすごいですね
現代社会の環境でレビ族の末裔すべてが古代の祭司の伝統を受け継ぐのは
実質的に無理というのもあるでしょうが、やはりユダヤ人とはいえ宗教的伝統が
希薄になりつつあるということのようですね
さて4章はレビびとをその氏族に従って数え、役割を与える箇所ですね
会見の幕屋で具体的に何をなすべきかがこれまた事細かに書かれていますが
総計で8千人以上と、非常に人数が多いです
出エジプト記やレビ記で描かれている幕屋を考えると
いくら大切な仕事と言っても、あまりにも過剰な人数という感じがします
実際にはみんなが同時に役割を果たすというのではなく
当番制のような感じで、各氏族が登板を選び出し、役割をまっとうする、ということなのでしょうか?
5
:
福音伝道
:2024/05/21(火) 06:26:19 ID:BX/SFP8o
>>4
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は民数記5章です。
幕屋は長さ約13.5メートル、幅約4.5メートル、高さ約4.5メートルで、
アカシヤ材の板で側面が組まれ、正面は開放されて柱が建てられ、
屋根はやぎの毛、赤くなめした雄羊の皮、じゅごんの皮で三重に覆われていたそうです。
アカシヤ材は、厚さ15mmですと幅15×高さ60cmで840gです。
900㎤で840g ざっくり1,000㎤で1kgです。
4.5×4.5m=202,500㎤ 約200kg
13.5×4.5×2面=1,215,000㎤ 約1,215kg 計約1,400kg
1人が10キロ運べるとして、140人もいれば、大丈夫そうですね
8000人という数字は異常に多いですね
6
:
atheist
:2024/05/22(水) 00:45:57 ID:???
>>5
13.5×4.5というのは改めて言われてみると、かなり狭いですよね
必要な資材の重量もさほど多いとは言えないため
やはり実際に同時に祭司として働いていた人はそんなに多くはなかったということになりそうですね
さて5章は妻の不倫の疑いに対する対処が主なテーマになってますね
証拠がないときに、どのように裁くのか、ということになりますが
結局は神明裁判という形になっているようです
方法としては「のろいの苦い水」を女に飲ませて結果を判断するということですが
この水はどのようなものだったんでしょうか?
あと、女は裁判にかけられますが、相手の男はお咎めなしなのでしょうか?
7
:
福音伝道
:2024/05/22(水) 06:00:07 ID:BX/SFP8o
>>6
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は民数記6章です。
「のろいをもたらす苦い水」って、なんだがおどろおどろしくて怖いですが
要するに「塵入りの水」です。
これは不倫関係の証拠がないけれども、夫が疑惑を持った場合、
夫が妻を祭司のところへ連れて行って神明裁判をさせたのですけど
塵水を飲んで無事ならば無罪を宣告されたのです。
一応形式的に裁判をするわけですが、妻が無罪を主張しているわけ
ですので形式裁判に近いのではないでょうか。
相手の男性は不明なので裁きようがありません。
あくまで夫にとって妻は所有物という古代ならではの規定ですが
神明裁判で疑惑がリセットされて平和になるのであればよかったのかもです。
ただホセアと妻ゴメルのような話もあります
8
:
atheist
:2024/05/23(木) 00:38:54 ID:???
>>7
塵入りの水ということなんですね
身体には良くないでしょうが、まあ病気になったり死んだりすることはなさそうです
たしかに妻の側は無罪を主張しているわけですから
実質的には疑惑を払拭して平和を回復する手立てにはなりますね
相手の男性は不明であれば、その男性の妻が疑義を差し挟まない限り
問題にされることはなさそうですね
男性が特定されていれば罪有りとなれば十戒に従って罰せられたことでしょう
ホセアの妻は遊女かなにかでしたっけ
この結婚は神の命によるものだから例外なんでしょうね
さて6章はナジルびとについての章です
ナジルびとといえば修道僧のようなイメージがありますが
この章を読む限り、期間限定っぽいですね
障害ナジルびとの場合もあるのでしょうが、ここでは期間限定ナジルびとを想定して
書かれています
今までもそうでしたが、死に触れた場合は清めなければならないのはナジルびとも同様で
それは理解できるのですが、11節で「彼が死体によって得た罪」と書かれているように
死に触れたこと自体が罪扱いになってしまうようです
ということはユダヤ教では罪と穢れの区別はないということになるのでしょうか?
9
:
福音伝道
:2024/05/23(木) 05:53:56 ID:BX/SFP8o
>>8
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は民数記7章です。
ホセアの妻は不倫して、相手の男の元に走ったのですが、その後、男によって
遊女として売られたのです。
ホセアは、その元妻を買い戻したのですね。
11節で「彼が死体によって得た罪」
この罪の原語はヘットです。有名なハッタートと同系の語ですが、
「違反」程度の意味です。「軽犯罪」「意図せずした罪」「過失」ですね。
つまり、誓願中は、俗世界を絶って「聖なる生活」をするわけです。
原語「ナジル」は「主に対して自分を聖別する」という意味で使われますが
実は「ナジル」は本来「…から自分を分離する、絶つ」という意味の言葉です。
「聖なる生活」を実践しているところ、「俗世界」より汚れている「死穢」に
思いがけず触れてしまうと「聖なる世界」が汚されたのでリセットするために
「贖いの儀式」をしてやり直すということです。
「死穢」は「聖」を汚す過失・違反と考えられていたということですね
ナジル人の誓願の公約の内容が
1.アルコールを断つ
2.髪を切るのを断つ
3.死体との接触を断つ…肉親・親族の葬儀に参加できません
この三公約違反がヘットです。
期間限定の誓願だったようですね
パウロス先生も使徒18:18でナジルの誓願を満了して髪を切ってますね
18:18さてパウロは、なお幾日ものあいだ滞在した後、兄弟たちに別れを告げて、
シリヤへ向け出帆した。プリスキラとアクラも同行した。
パウロは、かねてから、ある誓願を立てていたので、ケンクレヤで頭をそった。
10
:
atheist
:2024/05/24(金) 01:29:10 ID:???
>>9
ホセアの妻は不倫後に遊女として売られて、その後ホセアが買い戻したんですね
遊女を妻にしたと勘違いしてました
なるほど原語的にはハッタートとヘットの違いがあって
ヘットのほうは「違反」程度の意味でハッタートとは区別されるわけですね
ということはやはり穢れと罪の区別はあるということになりそうです
パウロの箇所は、誓願→剃髪という流れでナジルであることが分かるわけですね
全然気づきませんでした
さて7章は12支族の司たちが幕屋や祭壇を性別する際に捧げ物をした記述ですね
それぞれの支族ごとに捧げ物の様子が書かれていますが
レビびとを除けば11支族のはずなのに、あれ?と思って読み返してみると
ヨセフの代わりにエフライムとマナセが入っているので、レビとヨセフを差し引いて
ちょうど12ですね
逆に本来の支族(部族連合国家を形成した12部族)はエフライムとマナセが元から入っていて
ヨセフはその2部族の父として、レビはその兄弟として、あとから神話的に付け加えられたものかもしれない
と思ってしまいました
つまり本来は特に血縁関係のなかった12部族が連合する際に、兄弟神話を作り出し
祭司階級であったレビびとを兄弟神話に繰り込むと13になってしまうので、12の数合わせを行うために
ヨセフをエフライムとマナセの父ということにしたのではないかと、ちょっと考えてしまいました
11
:
福音伝道
:2024/05/24(金) 06:20:49 ID:BX/SFP8o
>>10
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は民数記8章です。
エフライムというと、北王国の中心ですね。
シロとペテルの聖所を有し、初代北イスラエル王国の王ヤロブアム1世はエフライム族
ですね。北王国の首都シケムは、マナセ族の領土ですが、エフライム族の隣ですね。
マナセからは土師ギデオン、預言者エフタが出ていますね。
いづれにせよ、12部族のすべてが兄弟神話でしょうし
エフライムとマナセもこじつけの兄弟神話、レビ族を抜いた
数合わせだろうと私も思います
元々は、単なる部族連合で、それぞれの神話を抽出して統一したのでしょう
12
:
atheist
:2024/05/25(土) 00:41:03 ID:???
>>11
どのような経緯でこれらの神話群が成立したのかは分かりませんが
最終的にはヤハウェを唯一神とする形で諸部族の間に同一の民という民族意識が生まれ
諸部族に伝わる神話的伝承を融合・統一していったのかもしれませんね
さて8章はレビ人の聖別について書かれた章ですね
4節まではメノラーについての記述でしょうか
そのあとはずっとレビびとについての話になっています
ここでもイスラエルの初子の代わりとしてレビびとを主のものとする、と語られています
やはり「なんでレビびと?」と思ってしまいますが、そもそも祭司階級というか、祭祀を司る
人々がレビびとと呼ばれ、その神話的根拠づけとして、初子の代替という理屈が出てきたように
思われます
このあたりまでは実質的に出エジプト記の続きといった感じで
祭祀について細かいことが書かれているので、なかなか物語が進行しませんね
13
:
福音伝道
:2024/05/25(土) 08:41:03 ID:BX/SFP8o
>>12
atheistさん、おはようございます。本日と明日の聖句は民数記9章です。
7節「罪を清める水」の原文直訳は「罪の水」。
10節で「手をレビびとの上に置かせなければならない」とありますが、
イスラエルの民の罪をレビ人に手に置いて移し、レビ人を「罪」として
神に捧げている儀式のような感じですね
「罪の水」をかけらられ、手を置かれ「罪」を移され、神に仕える者
として捧げられるということでしょうか。
24節。25歳から従事したことになっています。
4:35では30歳になっていました。作成年代によって下限年齢が変化したようです。
フランシスコ会訳注説。ハーパーは明確な理由はないとのこと。
五書ができてから、祭司がレビ人と呼ばれ伝説が創作されたとすれば
五書の三番目がレビ記であるのと、三男がレビであるのは関係しているのかもですね
14
:
atheist
:2024/05/26(日) 03:31:32 ID:???
>>13
たしかに手をレビびとに置くというのは罪を移す行動と同じですね
「罪の水」という原文も合わせると、レビびとに罪を移して贖わさせるということなのかもしれません
レビびとの場合は象徴的なものだとしても、イエスの代理贖罪を思い起こさせます
五書の三番目と三男というのも、ありそうな話ですね
さて9章は過越の祭りについてと、後半は雲に従って行進したり宿営したりの様子を描いています
前半の過越の祭りでは例外的に死体に触れても祭りに参加できたようですね
これはいったいどうしてなんでしょうか?
それほどに過越の祭りに参加することは必須だったということでしょうか?
15
:
福音伝道
:2024/05/26(日) 07:22:29 ID:BX/SFP8o
>>14
atheistさん、おはようございます。本日はお休みです。
明日の月曜日の聖句は民数記10章です。
ハーパーによると、二説あるそうです。
1.第一の月の14日に過越し祭に参加できなかった人たちのために
譲歩として第二の月の14日が追加されたが、ずぶずぶにならないように
守らなかった者は民から絶たれると規定された
2.第一の月は北部の伝承。第二の月は南部の伝承で、諸伝承を統合する
ために死穢と旅の者が論じられている、と。
過越の祭りはいづれにせよ、必須ですね。
16
:
atheist
:2024/05/27(月) 00:54:59 ID:???
>>15
本祭りと補祭りという説と、2つの伝承の統合説って感じですね
どちらであれ、過越の祭りは必須扱いになってるようですね
出エジプトの物語はヘブライ語聖書で何度となく言及される物語ですし
その出来事を記念するお祭りですから
やはりユダヤ教にとっては最も重要なお祭りなんでしょうね
17
:
福音伝道
:2024/05/27(月) 05:19:47 ID:BX/SFP8o
>>16
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は民数記10章です。
ペサハ(過越し)は,三大祭りのひとつですし
主イエースースの記事にもありますし
現代イスラエルでも祝われてますね
18
:
atheist
:2024/05/28(火) 01:06:01 ID:???
>>17
過越と五旬節と仮庵でしたっけ
なかでも過越の祭りはユダヤ人の歴史(と彼らが考えているもの)の決定的な出来事を
祭るものですから、特に有名なんでしょうね
さて10章は10節までがラッパ作り、それ以降がいよいよ行軍ですね
カナンへと向かう行軍は支族ごとに順次進んでいってますね
29節ではモーセの妻の父の子(つまりは義理の兄弟)が出てきますが
そういえば妻や義理の父のリウエル(ジェスロ)は一緒に行軍してるんでしたっけ?
19
:
福音伝道
:2024/05/28(火) 05:27:42 ID:BX/SFP8o
>>18
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は民数記11章です。
10:11-25:18 第二部シナイからモアブの平原までです
やっとと物語が進行します。
フランシスコ会註によると、29節のホアブ自体が、舅とも、義理の兄弟とも
とれるそうです。
しかも舅の名前が出エジプト2:18,21ではレウエル
出エジプト3:1他ではエトロ
ホアブ自体が一緒に行進したかどうか、聖書は省略していますが
フランシスコ会訳注は、一緒に行進したという立場ですね。
ハーパーは29-32節は古い伝承と指摘。モシェの義父がエテロなのかホバブなのか
と言う問題を引き起こすが、要は道案内を側苦に詳しいミディアン人に属する
砂漠の民に依頼する。ホバブは最初は断るが、モシェの説得に恐らくは応じた
雲が神を象徴し、ラッパが人間を象徴し、ホバブが外国人を象徴し
それらの案内で行軍したということで調和しているとハーパーは主張していますが
雲が神なのであれば、雲にだけ従って行軍すればよいものをと思います。
まあ銀のラッパ二つはヤハウェの命令で造ったわけですのでよいとして
ミディアン人の道案内はいかがなものでしょう。
まあ実際は砂漠の民の手引きが必要だったのでしょうけど
20
:
福音伝道
:2024/05/28(火) 05:31:58 ID:BX/SFP8o
モシェの妻、チッポラについては12章までのお楽しみで
21
:
atheist
:2024/05/29(水) 01:04:06 ID:???
>>19-20
ようやく動き出す、といったところですね
ホアブは舅(義理の父)の可能性もあるんですね
一緒に行軍したかどうかは明確に書かれていないものの
一応モーセの頼みに応じただろう、ということですね
たしかに言われてみれば神がいちいち進軍を指示してるわけですから
道案内は不要ですねw
妻のチッポラについては明日ですね
さて11章は民の不安に発したモーセとヤハウェのやり取りが書かれています
民は肉が食いたいと不満を漏らすと、ヤハウェは怒って宿営の端を焼いてしまいます
モーセもまた負担がでかすぎるとヤハウェに訴えます
そうするとヤハウェは折れて、長老を70人、モーセの補助役とし
なおかつ飽きるほどの肉を約束し、実際にうずらを風で宿営近くまで運んできます
これで一件落着かと思ったら、ヤハウェは満腹になった民にむかって怒りを発し
激しい疫病でもって民を撃ちます
なんというか、ヤハウェは大人げないですw
そりゃ民もずっとマナばかりだと不満のひとつふたつも漏らしたくなるでしょう
よほど民のエジプトにいたほうが良かったという発言が気に触ったのでしょうね
まあ宗教的な教訓としては神に従い耐え忍べ、ということでこの挿話が語られたのでしょうが
22
:
福音伝道
:2024/05/29(水) 05:31:06 ID:BX/SFP8o
>>21
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は民数記12章です。
1-10章まで、民は「完全な忠実」にあったのですが、11章から突然反転し、
ヤハウェに「不満」を持ち、「反抗」が始まります。
11-20章で民は絶えず反抗し、ヤハウェは怒ります。
そして災禍と軍事的敗北でイスラエルを罰します。
その上でヤハウェは贖いと赦しのしるしを示すわけです
だが民の反抗は続きます。
「霊」と「風」は同系の単語なので、ヤハウェは風で海から宿営の外へ
肉である鶉を大量に運びます。高さ1mほどの鶉です。
60万人の民一人一人が、2200リットル以上の鶉を集めたそうです。
ただ、これはヤハウェに守られた宿営の外に出る行為なので
ヤハウェは怒り、疫病を送り、最初の世代から、最初の死人が出ます。
肉は食べられたが、疫病で死ぬ なんとも怖い話です。
ヤハウェからしたらマナで我慢せよということですね
民を養うために与えたのですから。
23
:
atheist
:2024/05/30(木) 00:41:45 ID:???
>>22
民の反抗のテーマはこのあたりから始まるのですね
高さ1mの鶉というのはすごいですねw
ひとり2200リットル(肉をリットルで表すのは初めて聞きましたw)というのも
とんでもない量で、まさに食べきれない量ですね
ポイントとしては「宿営の外」に落とされたため、民がヤハウェの守護の外へ出た、
そのためヤハウェは怒り罰した、ということですね
それにしてもわざわざ宿営の外に落とし民を「餌で釣って」罰するのはやっぱり大人げないと思いますw
宗教的教訓としてはこういう話にならざるを得ないんでしょうが
さて12章はモーセの妻(ミディアン人)をめぐってミリアムとアロンが
モーセを避難するお話ですね
ここではチッポラが直接出てきているのではなくモーセたち兄弟の間の諍いの種に
なっています
アロンらはヤハウェがモーセによってのみ語られることに不満を抱き
モーセの妻が異邦人だと難癖をつけた形になっているようです
結局ヤハウェはアロンとミリアムに怒り、なぜかミリアムだけが罰せられます
まあここも主の選んだ預言者に難癖をつけるな、というのが教訓なのでしょうか
24
:
福音伝道
:2024/05/30(木) 06:16:42 ID:BX/SFP8o
>>23
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は民数記13章です。
>そのクシの女をめとったゆえをもって
原文は「クシュ」です。「クシュ」とはエジプトの南ヌビア地方を指しますが
フランシスコ会訳注は、アラビア出身のミディアン人ツッポラと同定されるべき
と主張しています。
ハーパーは、ツッポラと同定せず、クシュを聖書は他の個所でエチオピアと同定する
ことを指摘した上で、無名の妻としています。
その上で、なぜミリアムだけを罰せられたかについて
1.元々、女予言者ミリアムのモーセに対する反抗の物語であった。
モーセの指導的地位の優越がテーマで、民のみならず指導者層である
ミリアムの反抗が今回のテーマで、結果ミリアムはヤハウェから不浄へと
落とされた、と。アロンは後代の付加
2.大祭司アロンは清浄性を要求される立場なので、不浄へと落とせなかった
>主の選んだ預言者に難癖をつけるな
まさに、これが12章の主題のようです。
フランシスコ会訳注に立つならば、ツィボラは生きて同行していたことになります。
ハーバーに立てば、この頃、ツッポラは死亡していて、モシェはアフリカ女性を
娶っていたことになります
25
:
atheist
:2024/05/31(金) 01:21:25 ID:???
>>24
イスラエルの人にとってはミディアン地方もヌビアもイスラエルの南方に位置するため
南方の異邦人を娶ったということで、伝承が混同されたんですかね
本来は指導層であったミリアムの反抗という物語だったものに
その兄弟であるアロンが追加されたが、さすがに大祭司を不浄に落とすわけにはいかず
出来上がった物語でも結局ミリアムだけが罰を受けたという感じですね
モーセがアフリカの黒人女性を娶っていたら
聖書の他の箇所でも言及されそうですが、そういった言及がないのだとしたら
フランシスコ会訳註のほうが納得いきやすいです
さて13章はヤハウェの命によりイスラエルの各支族から一人ずつ選ばれた探索隊が
カナンの地を偵察に行った逸話ですね
南部の地方だけとはいえ、はたしてたった40日でカナン南部全土を見て帰ってこられるのでしょうか
さらにはそこで取った果物が砂漠の荒れ地で何日間ももつとは思えません
それはそれとして、カレブ(とヨシュア)を除き、イスラエルの民はそこにいたネフィリムの子孫の
大男たちにビビって、攻め入ろうという気概はありません
ここもまたヤハウェに従わないイスラエルの民、という構図で物語が進んでますね
26
:
福音伝道
:2024/05/31(金) 06:11:14 ID:BX/SFP8o
>>25
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は民数記14章です
ハーパーによると、古い資料と後代の資料からなっていて
古い資料の斥候範囲は南部カナンのヘブロン一帯に限定されていたそうです。
後代の資料では、南端のツィンの荒地から北端のレホブまでカナン全土。
古い資料ではカレブのみが神に忠実な唯一の斥候。後代の資料でヨシュアが追加。
最初の物語は、カレブを先祖と主張する部族の南部からのカナン一部征服の物語。
その後、東部境界から侵入失敗物語が追加され、北部諸部族に対する、南部の
カレブに代表されるユダによる論争の痕跡が混入しているが、
初期の主要な特徴が失われていて、神学的に整理され再編成されているそうです。
40日の偵察は、40年に対応した数字かもですし、
実際は40日で偵察できる範囲を偵察しただけだったものが、
後に範囲を広げられたもののようです。
冷凍技術のない古代ですので果物は40日持たないですよね
ぶどうは常温では2-3日です。冷蔵保存1週間 冷凍保存3週間です
27
:
atheist
:2024/06/01(土) 02:56:17 ID:???
>>26
古い資料はカレブのみ南部まで、新しい資料がヨシュア追加でカナン全土なんですね
背景には北部諸部族に対する南部ユダによる論争がある、と
カレブはユダでヨシュアがエフライムですから、この章ではカレブのみが侵攻を主張しているので
たしかに北部がヨシュアの話を追加しているように見えますね
聖書ではイエスがサタンの試練にあったのも40日間ですし
40という数字に意味をもたせたのかもしれません
編纂のときに、ぶどうの保存期間の整合性にまではさすがに気が回らなかったのでしょうね
さて14章は前章からの続きで、民の抵抗に対してヤハウェが罰を宣言する箇所です
間に例によってモーセが入ってヤハウェをなだめたため、カレブとヨシュア以外の全滅は
避けられましたが、約束の地には入れないと言われます
ここで前章の偵察40日と40年間の荒野の放浪が結び付けられていますね(34節)
ちょっと分からなかったのが5節の「モーセとアロンはイスラエルの人々の全会衆の前でひれふした。」
という箇所です
なぜふたりは全会衆の前で「ひれ伏した」のでしょうか
どちらかというと6節のヨシュアとカレブのような反応になってもよさそうなものですが
28
:
福音伝道
:2024/06/01(土) 06:29:56 ID:BX/SFP8o
>>27
atheistさん、おはようございます。
本日はお休みで、明日の月曜日の聖句は民数記15章です。
アロンとモシェもまた、古い世代で、カナンに入る前に亡くなります。
これらの世代でカナンに入れたのはカレブとヨシュアの二人だけです。
カレブとヨシュアは衣服を裂き、侵攻を民たちに説くが殺されそうになります。
アロンとモシェは60万人の民を恐れて、エジプトに戻るのではなく
荒野に留まる説得のために、ひれ伏すのが精一杯だつたのですね
29
:
atheist
:2024/06/02(日) 05:15:30 ID:???
>>28
アロンとモーセはヨシュアらと違って武闘派じゃないですからね
結局カナンに入ることができた古い世代はカレブとヨシュアだけということは
ヤハウェの命に従って戦闘を辞さなかった人ということで
このあたりにも当時のヤハウェ信仰の軍神的性格が表れているように感じます
30
:
福音伝道
:2024/06/02(日) 07:02:46 ID:BX/SFP8o
>>29
atheistさん、おはようございます。
45年後、85歳の老兵カレブは大活躍しますね
ヨシュア記曰く
14:6時に、ユダの人々がギルガルのヨシュアの所にきて、ケニズびとエフンネの子
カレブが、ヨシュアに言った、「主がカデシ・バルネアで、あなたとわたしとにつ
いて、神の人モーセに言われたことを、あなたはごぞんじです。
14:7主のしもべモーセが、この地を探るために、わたしをカデシ・バルネアから
つかわした時、わたしは四十歳でした。そしてわたしは、自分の信ずるところを
復命しました。
14:8しかし、共に上って行った兄弟たちは、民の心をくじいてしまいましたが、
わたしは全くわが神、主に従いました。
14:9その日モーセは誓って、言いました、『おまえの足で踏んだ地は、かならず
長くおまえと子孫との嗣業となるであろう。おまえが全くわが神、主に従ったから
である』。
14:10主がこの言葉をモーセに語られた時からこのかた、イスラエルが荒野に歩んだ
四十五年の間、主は言われたように、わたしを生きながらえさせてくださいました。
わたしは今日すでに八十五歳ですが、
14:11今もなお、モーセがわたしをつかわした日のように、健やかです。わたしの
今の力は、あの時の力に劣らず、どんな働きにも、戦いにも堪えることができます。
14:12それで主があの日語られたこの山地を、どうか今、わたしにください。
あの日あなたも聞いたように、そこにはアナキびとがいて、その町々は大きく堅固
です。しかし、主がわたしと共におられて、わたしはついには、主が言われたように、
彼らを追い払うことができるでしょう」。
14:13そこでヨシュアはエフンネの子カレブを祝福し、ヘブロンを彼に与えて嗣業と
させた。
14:14こうしてヘブロンは、ケニズびとエフンネの子カレブの嗣業となって、今日に
至っている。彼が全くイスラエルの神、主に従ったからである。
14:15ヘブロンの名は、もとはキリアテ・アルバといった。アルバは、アナキびとの
うちの、最も大いなる人であった。こうしてこの地に戦争はやんだ。
31
:
atheist
:2024/06/03(月) 02:42:47 ID:???
>>30
85歳でピンピンしてるのがすごいですね
わたしの知り合いに92歳でバリバリに働いている人がいますから
時々そういう化け物じみた活力を持った人が現れるのかもですね
32
:
福音伝道
:2024/06/03(月) 05:39:38 ID:BX/SFP8o
>>31
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は民数記15章です。
45年間、カナンに侵攻するぞという気持ちを持続し続けたこともすごいです
33
:
atheist
:2024/06/04(火) 01:20:04 ID:???
>>32
ヨシュアに比べ知名度は低いですが、カレブはカナン侵攻時のユダの代表といった感じで
ユダヤ人にとってはかなり大きな存在なんでしょうね
さて15章はまた捧げ物の戒めに戻ってしまってます
今回はカナンの地に入ってからということですが、捧げ物について詳細に語られていることは
今までと変わりないようです
この章では過失の罪と故意の罪について明確に語られてますね
過失は贖いによって許されますが、故意の場合は死罪となっています
具体的な例としては、32節以下に安息日の薪集めの例が載せられています
とても死罪に当たるような罪とは思えませんが、祭司階層は安息日を神聖なものと考えていたため
その違反は死に値すると考えたのでしょう
今日的な観点からはカルトとしか思えません
34
:
福音伝道
:2024/06/04(火) 06:09:55 ID:BX/SFP8o
>>33
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は民数記16章です。
ハーパーによると、15章は比較的後代に挿入された法的資料の収集だそうです。
安息日の薪集めの元は、出エジプト35:3の安息日に火をたくことの禁止についての
律法。若しくは異教の神へ火を焚くことを阻止した判例だそうですが、ここでは
それが失われて、「過失か/故意か」の判例のうち、故意の場合は厳しく罰せられな
ければならないの例として挙げられているそうです。
35
:
atheist
:2024/06/05(水) 01:05:55 ID:???
>>34
どおりで唐突に感じたわけです
薪集めは背景に異教の神への崇拝があったのであれば
まだ筋が通りますね
表面上の記述ではそれが描かれていないので、異常なカルト宗教のようになっています
さて16章はモーセとアロンに対する謀反というか反逆とその懲罰の場面ですね
ここでもコラたちがモーセに迫ると、モーセはひれ伏しています(4節)
前回と同じだとすると、コラたちの謀反にビビったということですが
モーセはコラたちに反論して、ヤハウェの裁きを待ちます
結局謀反を起こした者たちは地に飲み込まれ
その後このことに不満を述べた者たちも疫病に打たれます
この章はモーセとアロンがヤハウェに選ばれた者であり
その権威に従うべきという教訓を描いたものであると思われます
36
:
福音伝道
:2024/06/05(水) 05:51:54 ID:BX/SFP8o
>>35
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は民数記17章です
フランシスコ会訳注によると、大祭司アロンに対するレビ人コラと250人の
宗教的反逆記事(彼らは住居から出た火によって焼き尽くされた)と
政治的指導者モーセに対するルベン人ダダンとアビラムの政治的反逆記事
(彼らは地に飲み込まれた)とが政治的反逆記事がひとつになったものだそうです。
ハーパーは
1.もっとも最初期形態…ルベン族ダダンとアビラムだけの反抗
2.拡張…250人を含む物語に拡張される
3.仕上げ…反抗者の一人としてレビ人コラの導入
別個の伝承が複数の編集者によって結び合わされたそうです
37
:
atheist
:2024/06/06(木) 01:49:34 ID:???
>>36
ルベン人ダダンとアビラムの反抗とレビ人コラたちの反抗(あるいは別の250人の反抗)という
別個の伝承が編集によってひとつに結び合わされた、ということですね
おそらくはモーセの権威に対する反抗ということで同一のテーマを有するため
ひとつの事件として編集されたのかもしれませんね
さて17章はコラたちの反抗の物語を受けて、モーセがさらにアロン(レビ人)の権威を証明する
杖のエピソードになってます
他の杖がどうなったかは書かれていませんが、アロンの杖には芽が出て花や実まで結びました
これを見てイスラエルの人々は、おそらく自分たちの杖には何も出なかったので、自分たちは
滅ぼされると嘆くところで終わってます
これもまたモーセやアロンの権威をヤハウェが認めたことを表現するためのエピソードという意味で
前章のテーマを反復しているように思います
38
:
福音伝道
:2024/06/06(木) 06:28:14 ID:BX/SFP8o
>>37
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は民数記18章です。
あめんどうの実とありますが、「あめんどう」は「アーモンド」の訛ったものです。
ここでは、民の不平に対して、アロンの祭司としての比類なさの証明となって
いますが、ハーパーの推測では、レビ族が祭司職を独占することに対して
他の部族から不平が出て、レビ人祭司職を正当化するために、視覚的に神の選びが
あったというテストが元であろうとのことです。
https://nihonkaki.itembox.design/product/095/000000009529/000000009529-03-l.jpg?t=20240605160027
市販のアーモンド苗。開花しています。
モシェがアーロンの杖を、実のついた苗と交換したのかもですね
39
:
atheist
:2024/06/07(金) 01:33:15 ID:???
>>38
アーモンドということばはもう完全に日本語になってますから
そう書いてくれたほうがすぐにイメージが湧きますよね
レビ人祭司職の正当化というパターンはモーセ五書に頻出するような気がします
それにしてもアーモンドの苗がこれほど可憐なものとは知りませんでした
どちらかというと日本人好みの花ですね
さて18章は18節までが延々と近親相姦の禁止、そのあとは不倫や同性愛、獣姦や
子どもの生贄などの禁止が続きます
こういった習慣をエジプトやカナンの習慣として禁止すると同時に
こういった国々が憎むべき民族であることを印象付けているように感じます
この章に限ったことではないですが
再三に渡って「わたしはあなたがたの神、主である」といった文言が掟の最後に
置かれています
そのまま日本語で読むと特段気にも止まらない文言ですが
これ、元は「わたしはあなたがたの神、ヤハウェである」ですよね?
そうなるとヤハウェに対する排他的な崇拝と従順が強調されていることになり
ヤハウェが周辺民族とは区別されたイスラエルという民族を形成する中核と
なっていった様が感じられます
やはりちゃんと主をヤハウェあるいはYHWHと書き記した聖書を読んでみたいです
だいぶ印象が違ってくると思います
40
:
福音伝道
:2024/06/07(金) 05:59:15 ID:BX/SFP8o
>>39
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は民数記19章です。
えっと、それはレビ記18章ですね。民数記18章をお願いします。
わたしはあなたがたの神、主である の原文は
アニー ヤハウェ― エロヘーヘム
私は ヤハウェ あなた達の神 が直訳です。
ヤハウェの部分は「アドナイ」と読むことになっています。
これは定型句です。
繰り返し強調されています。
41
:
atheist
:2024/06/08(土) 01:20:07 ID:???
>>40
あれ、ほんとだw レビ記を読んでましたね、すみませんでした
ということで今日は民数記の18章と19章を読んでみます
まず18章は珍しくヤハウェがアロンに語りかける場面ですね
といっても内容はレビ人の掟ですが
簡単に言えば、レビ人は土地を持たない代わりに供え物の十分の一を受け取ることができる
という内容で、これは聖所に仕えることに専念させるためだと思われます
土地は俗世の争い事の大元になりますから
ついで19章は穢れとその清め方についてが大半を占めているようです
18章もそうですが、19章は特にまるでレビ記を読んでいるかのような感じです
物語の間に挿入された掟集といった感じでしょうか
そろそろ物語を進めてほしいところですw
42
:
福音伝道
:2024/06/08(土) 07:29:12 ID:BX/SFP8o
>>41
atheistさん、おはようございます。本日と明日の聖句は民数記20章です。
18章は、前章まででモシェとアーロンに逆らった民たちが、250人も焼かれたり
疫病で1万人以上、亡くなったりした上で、アーモンドの実がならなかったので
聖所に直接仕えられないとはっきりしたので、レビ人の祭司としての任務が再確認
されます。
論理としては、レビ人は神に捧げられた特別な存在なので聖所に近づくことが
赦される。そしてヤハウェに捧げられたものの1/10がレビ人祭司の取り分という
ことが規定されています。
>完全で、傷がなく、まだくびきを負ったことのない赤い雌牛
この「完全な赤牛」と言うのが曲者で、イスラエルでは神殿崩壊後2000年
いなかったことになっていたので2022年、アメリカから5頭の赤牛を
イスラエルの第三神殿派が輸入したという記事がありました。
「清め」の儀式のために完璧な赤牛が必要ということで、ラビによって
100%赤牛と認められた5頭だったそうです。
熊本の赤牛は、淡白でヘルシーと人気ですが、韓国牛にスイスのシンメンタール種が
掛け合わされたものでラビ基準では100%赤牛ではないようです。
43
:
atheist
:2024/06/09(日) 01:42:35 ID:???
>>42
前章の結果を受けてレビ人の祭司としての任務が再確認されている章になってるわけですね
> 赤い雌牛
ここは軽く読み飛ばしてましたが、なんと現代にまでこの規定が生きていたんですね
驚きです
調べてみましたら、赤というよりは茶色かブロンドに近い色ですね
アメリカからイスラエルに輸送された5頭の赤牛の記事もいくつか見つかりました
これで民数記の規定を満たすことができるようになり神殿での礼拝が可能になるため
第三神殿建設に向けて盛り上がってるらしいですね
さて20章はメリバの水とエドムの通過を拒否されたエピソードです
カデシュにとどまった民は水が得られないことでモーセたちとまた言い争いになります
モーセはヤハウェにひれ伏し命を受けます
さらっと読む分にはモーセは特段ヤハウェの命に背いているようには見えませんが
「岩に命じた」のではなく「岩を二度打った」のがヤハウェの命を忠実に行わなかった
ということでしょうか?
ともかくそういうことのようで、モーセはこのことで約束の地には入れなくなります
次にモーセはエドムに領内の通過を求めますが、拒否されます
これは兄弟民族であるエドムがイスラエルに敵対することを示すエピソードとして
語られているように思われます
最後にはアロンもメリバの水が原因で約束の地に入れないことが宣言され
ホル山で死にます
冒頭けっこうあっさり語られてますがミリアムも死んでますね
これでモーセの兄弟はふたりとも亡くなったことになります
44
:
福音伝道
:2024/06/09(日) 06:15:24 ID:BX/SFP8o
>>43
atheistさん、おはようございます。
本日はお休み。明日の月曜日の聖句は民数記21章です。
詩編
106:32彼らはまたメリバの水のほとりで主を怒らせたので、
モーセは彼らのために災にあった。
106:33これは彼らが神の霊にそむいたとき、
彼がそのくちびるで軽率なことを言ったからである。
ヤハウェから命ぜられたのは民を集めた上で「岩に命ずる」ことだったが、
モシェは民に語り掛けてしまった。これが詩編では「軽率」と歌われています。
また申命記
32:50あなたは登って行くその山で死に、あなたの民に連なるであろう。
あなたの兄弟アロンがホル山で死んでその民に連なったようになるであろう。
32:51これはあなたがたがチンの荒野にあるメリバテ・カデシの水のほとりで、
イスラエルの人々のうちでわたしにそむき、
イスラエルの人々のうちでわたしを聖なるものとして敬わなかったからである。
また、一度目に打った時には、本当に水が出るだろうかと疑っていた。
二度目に打って水が出た時、信頼を取り戻したのだが、遅かった。
フランシスコ会訳注によるとメリバの水は二つの記事が合併されているそうです。
ハーパーによると、「神に対するモーセとアロンの最大の反抗」とあります。
古い世代の指導者の三人は神に逆らったために途中で死ぬ事になる
なんとも残念な話です
45
:
atheist
:2024/06/10(月) 01:21:36 ID:???
>>44
詩篇によれば「くちびるで軽率なことを言ったから」ということで
民に語りかけたことが原因なんですね
申命記では「イスラエルの人々のうちでわたしにそむき、
イスラエルの人々のうちでわたしを聖なるものとして敬わなかったから」と、やや曖昧な言い方に
なってますが、これはヤハウェに対して疑いを持っていたため二度岩を打ったことが原因と
いうことですね
いずれにしても約束の地に入れないほどの罪とは思えないような気がします
むしろ実際にモーセ、アロン、ミリアムの兄弟が約束の地に至る前に死んでしまったという
伝承が先にあって、それを理由付けるためにメリバの水のエピソードに三人の死の話が
接合されたような気がします
46
:
福音伝道
:2024/06/10(月) 05:51:34 ID:BX/SFP8o
>>45
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は民数記21章です。
確かに理由付けなのかもですね。
よくわからない理由付けですが。
47
:
atheist
:2024/06/11(火) 02:12:51 ID:???
>>46
理由付けだとしたら、たしかによく分からない理由付けですね
さて21章はネゲブからアモリ人の地まで、一気に話が進みますね
ネゲブのカナン人を滅ぼした後、エドムの地を回ろうとしたとき
例によってまた民は不満を述べるようになります
そこでヤハウェは「火のへび」を民に放って多くのものが死ぬと
民は反省しモーセに懇願してへびを取り去るよう訴えます
モーセが祈ってヤハウェが応えて命じたのが「青銅のへび」を掲げることです
これはキリスト教でよくキリストの十字架の予型のように言われますが
ユダヤ教の文脈においてはこのへびはどのような意味を持っていたのでしょうか?
その後はモアブからアモリ人の地まで敵を蹂躙しながら一気に進んでいきます
48
:
福音伝道
:2024/06/11(火) 06:28:13 ID:BX/SFP8o
>>47
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は民数記22章です。
ハーパーによると、最初の勝利は、ヘブライ語で「絶滅」を意味する
地名「ホルマ」の説明だそうです。
ただなぜ反抗するイスラエルの初期世代の勝利と結びつけたのか謎です。
続いて民がまたまた反抗します。そこで噛まれると火に焼かれるように痛い
「火の蛇」を神が送ります。死人が出たので反省しモシェに泣きつきます。
モシェは神に執り成しの祈り「青銅の蛇」を拝めば助かると神から示唆されます。
さて、この「青銅の蛇」は、実は・・・
イスラエル以前にその地にあったカナン人が信仰していた土着信仰です。
青銅の蛇に香を焚いて拝んでいたそうです。
Ⅱ列王記の記事に
18:3ヒゼキヤはすべて先祖ダビデがおこなったように主の目にかなう事を行い、
18:4高き所を除き、石柱をこわし、アシラ像を切り倒し、
モーセの造った青銅のへびを打ち砕いた。
イスラエルの人々はこの時までそのへびに向かって香をたいていたからである。
人々はこれをネホシタンと呼んだ。
ネホシタンは青銅製品という意味です。偶像崇拝として「モシェの青銅蛇」は
ヒゼキヤ王によって廃されています。
福音派では、偶像崇拝とは見ず、「青銅の蛇」の癒し効果、その後の侵略成功記事から
主イエースース・クリストスの予型とみます。
民がまた逆らったのにヤハウェはイスラエルにまた勝利をもたらします
だけども列挙されている地名はそのほとんどがほぼ不明です。
そしてアモリ人に勝利し、カナンに入る前に初めて土地を占領します。
49
:
atheist
:2024/06/12(水) 00:56:17 ID:???
>>48
たしかに反抗世代の勝利ということになりますえ
伝承や創作の編集段階でいろいろと錯綜してしまったのかもしれません
青銅の蛇はカナン人の土着信仰の対象だったんですね
それをヤハウェが掲げるよう命じるというのはかなり奇異な感じがします
編集当時はカナン人の土着信仰の対象とは考えられていなかったということなんでしょうか
いずれにしても列王記の編集者が採用した伝承とは別の伝承の系列なのかもしれませんね
さて22章はイスラエルに恐怖したモアブの王バラクがバラムを招いてイスラエルを呪わせようと
する話ですね
バラムは使者たちにいきなり「主がわたしに告げられるとおりに、あなたがたに返答しましょう」と
言っています
バラムはイスラエルの民ではないのに、なぜバラムは自分の神をヤハウェと言ったのでしょうか?
そもそもバラムは何者なのでしょうか?
ともかくヤハウェは最初はついて行くなと言いますが、二度目には行けと言います
しかも途中使いによってバラムの行く手を阻みます
それを知ってバラムは帰ろうとしますが、ヤハウェの使いはそのまま行けと言います
これはバラムがバラクに組みすることをよしとしないヤハウェの意思を表現したエピソードなんでしょうが
行けと言っといて邪魔するってなんなの?と思ってはしまいますw
話はそのまま次章に続きますね
50
:
福音伝道
:2024/06/12(水) 06:20:50 ID:BX/SFP8o
>>49
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は民数記23章です。
ハーパーによると、考古学者がヨルダン川近くのデイル・アッラの神殿で
漆喰の板に書かれたバラムと呼ばれる職業的預言者について書かれた文書を
発見したそうです。バラムに関する色々な伝承と物語があったそうです。
つまり、土着の著名な預言者だったので、聖書記者たちがバラムの名を借りて
色々と物語を作ったのが真相のようです。
二タイプあって、22-24章のバラムは肯定的描写になっていて、イスラエルを祝福
します。
もう一つのタイプのバラムは民数記31:16や申命記23:4-7などでは
バラムは淫らな異教崇拝を持ち込んだり、イスラエルを呪ったことになっていて
バラムに対して否定的です。
さて、22章では、バラムは金銭で敵を呪う職業的預言者です。
モアブ王から、招聘されますが一度は断り、大金を積まれると承諾します。
そして呪う準備を整えますが、いざ呪う段になると、結果、祝福してしまいます。
これは元来の筋では、バラムは異教の呪術者として呪うのですが、ヤハウェが
阻止し、祝福に変えるという劇的な物語です。それが、ここではバアルにではなく
バラムはヤハウェにお伺いを立て、ヤハウェの言う通りに語るニュートラルな
預言者役になっています。編集者が変えたのでしょう。
それで異教徒のバラムが、イスラエルの預言者のような役回りになっていて
読者が混乱する羽目になっています。
51
:
atheist
:2024/06/13(木) 00:56:07 ID:???
>>50
なるほどすでに当時有名な土着の預言者で、聖書記者たちはその名を借りる形で
物語を作っていったのですね
たしかにバラムは悪役のイメージがあったのに、ここではあれ?なんでヤハウェの言う事素直に
聞いてるんだろ、と思いまいしたが、それは民数記後半や申命記での物語で
ここではその性格付けが変更されちゃってるんですね
さて23章はそのまま前章の続きで、バラクは何度か場所を変え祭壇を築き、バラムはヤハウェにお伺いを
立てますが、ヤハウェはイスラエルを祝福するばかりで、いっこうに呪ってくれません
ひとつ気になったのが21節です
ここでは「彼らの神、主がともにいまし、王をたたえる声がその中に聞こえる」と書かれてます
物語上、この段階ではまだイスラエルに王はいないはずですが、この王はどこから出てきたのでしょうか?
あとはモアブの王がなぜかイスラエルの神を彼らにとっての神でもあるかのごとく
平然と話を進めちゃってますね
ヤハウェの権威を認めているようで不自然な話の進め方になっているように感じました
52
:
福音伝道
:2024/06/13(木) 05:54:24 ID:BX/SFP8o
>>51
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は民数記24章です。
21節の王は、フランシスコ会訳注によると、ヤハウェのことだそうです。
一方で次章の24:7の王は最初の王のサウルかダビデのことだそうです。
モアブの王は、本来であればバアルが神のはずですが、物語の流れで
ヤハウェが神になっているので、おかしなことになっていますね
古代人はそういう整合性を気にしなかったぽいですね。
それと23:18-24の宣託は、割と古いらしいのですが、時代によって
色々と編集されているそうです。
53
:
atheist
:2024/06/14(金) 00:58:31 ID:???
>>52
たしかに王をヤハウェを指すものとして読めば読めないこともないですね
ただヤハウェをただ単に王と呼称する場面は記憶になかったので
誰のことを言ってるんだろうと思ってしまいました
やはりここも編集を重ねているため、整合性がおかしくなっているということなんでしょうね
さて24章は前章に続いてバラムがヤハウェの託宣を述べるわけですが
最後もまたイスラエルへの祝福ということで、バラクが怒ってバラムを帰してしまいます
バラムの方も最後っ屁のようにイスラエルがモアブを滅ぼすという託宣を残していきます
ここでのバラムは完全にヤハウェの預言者ですねw
バラクとバラムのエピソードは、こののちのカナン征服の前口上のような感じになってます
ヤハウェが述べたとおりになったということを印象付けるためのエピソードなのだと
思いました
54
:
福音伝道
:2024/06/14(金) 05:37:25 ID:BX/SFP8o
>>53
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は民数記25章です。
ハーバーによると、バラムの宣託を通して、ヤハウェは、繁栄、力、勝利、
希望の時を語り、イスラエルを祝福するのですが、皮肉なことに、この世代の
人達は反抗をして死にます。そして新しい世代が登場し・・・。
またキリスト教の神学では
「ヤコブから一つの星が上り、」を主イエースース・クリストスの事と読み
第四の託宣をメシア預言と解釈します。イスラエルの【永遠の支配と栄光】が
預言されていると解釈するのですね
55
:
atheist
:2024/06/15(土) 01:04:23 ID:???
>>54
ここもキリスト教神学では予型論でよく取り上げられるところですよね
ヘブライ語聖書の予型論的解釈は、よく言えば新約視点からの「創造的」解釈ですが
当然キリスト教徒以外には説得力を持ちません
さて25章はイスラエルの民(の一部)がモアブの娘たちと淫行を行い
憤ったピネハスにイスラエルの男とモアブの女が虐殺される話です
この虐殺でやアフェの怒りは収まり、疫病は止みますが、総計2万4千の人が死んだと書かれています
直接的な殺戮の記述としてはピネハスだけですが、ヤハウェはこの虐殺を両手を上げて支持しますから
もう完全に狂ったカルト宗教だと言っていいと思います
もちろんユダヤ教なりキリスト教なりの立場からすれば
偶像崇拝や生贄や淫行の習慣をもつ異教徒の風習を断って
神を伝えるべき選民であるイスラエルを保った、ということになりますし
ヤハウェは人知の及ばぬ存在として、人間的な感情では計り知れない計画があると
いうことになるのでしょうが、わたしはまったくの詭弁だと思います
要はヤハウェは絶対的に正しいという証明不可能な前提に基づく思考なので
反証のしようがないからです
逆にこの思考法が近代にまで残存したことが、よく知られたキリスト教徒の暴力行為を
正当化してきたのだと思います
カナン征服同様、このような行為は実際にはなかったのかもしれませんが
聖書に書かれ、その聖書が神聖視され絶対化されることで、狂気が正しいこととして
まかり通ってしまったのだと思います
56
:
福音伝道
:2024/06/15(土) 09:46:33 ID:BX/SFP8o
>>55
atheistさん、おはようございます。本日と明日の聖句は民数記26章です。
約束の地へ入る前の最終宿営地のシティムは、死海東岸のモアブ平原にありましたので
出エジプトから、シナイ山、荒れ野を経て、高原地帯にいたことになります。
考古学的には、この辺にいた牧畜民がカナンの農耕民のために、略奪をする遊牧民から
守っている間に平和的に融合していったことになっています。
ハーバーによると祭司職がまだ固まっていなかった時期にピネハス系統の正当化の
ために、物語が建てられたとありますが、実際はシメオン族の長の子息と
現地のミディアン人の長の娘の結婚ですね。この平和的融合を暴力的に殺戮する
ことで、祭司職の正当化を聖書ははかっていることになります。
つまり神学的観点から歴史が塗り替えられているのだと思います。
そもそもは、多産を祈る現地の儀式にイスラエル人たちも平和的に参加して
いったのでしょう。だけどもそういう歴史を後代に成立した神学が
虐殺したという話に転換していた。
キリスト教徒の暴力行為というのは、私にはピンときません。
私がかかわる教会に暴力的なところはありません。
むしろ平和勢力です。
一部のリーダーが政治的なプロパガンダで聖書を悪用することがある
というのが実態ではないでしょうか。
聖書に従うならば、ペリシテ人の末裔のパレスティナ人は聖絶されてしかるべき
ですが、キリスト教徒でパレスティナ人を聖絶しろと言う人はいませんし、
暴力的なイスラエルも、あくまで市民を拉致したテロ組織壊滅を目指している
それに伴う市民の被害は残念という立場です。ここにも問題がありますが
「テロリスト壊滅」と「捕虜開放」のために暴力が正当化されるという誤りが
ありますが、イスラエル国内でも反対運動がありますし、非難するキリスト教も
あります。アメリカのように支持する勢力もありますが。
ただ、ヘブライ語聖書に書かれている暴力を、そのまま肯定する人は
いないように思います
57
:
atheist
:2024/06/15(土) 23:22:17 ID:???
>>56
わたしもピネハスの物語に至った歴史的故事はあったかもしれないものの、
基本的には祭司職の正当化が目的の物語なのだろうと思います
「カナン征服」は遺跡の考古学的調査から、平和的侵入とBronze Age Collapse(青銅器時代末期の
東地中海世界の崩壊的衰退)による平地カナン民の丘陵地帯への移動の組み合わせなんじゃないかと
今のところ考えています
イスラエルとしてひとつの民族に統合されていく過程で「カナン征服」神話が出来上がったのだろう、と
わたしがキリスト教徒の暴力といったのは、十字軍遠征から異端審問、魔女狩りを経由して
植民地支配とネイティブアメリカンや黒人の奴隷化・酷使、さらにはその間にキリスト教国で起こった
宗教戦争などを指しています
これらはもろにキリスト教という宗教がバックボーンにあります
キリスト教が「平和的」になっていったのは、啓蒙思想による宗教の相対化、さらには19世紀の
実証主義の隆盛、特に社会人類学(文化人類学)の知見による文化相対主義の台頭によるところが
大きいのだろうと思います
内部的にはキリスト教原理主義を相対化した自由主義神学の台頭も大きかったのかもしれません
こういった思想的学問的潮流によって、キリスト教の絶対化が崩壊したことが大きな原因だと思います
もちろんキリスト教はイエスの思想を(本来は)奉じる宗教ですから
そこに主張された隣人愛や非暴力は歴史を通じてずっと存在してきましたし
個々のキリスト教徒でそういった思想を実践した人もいますが、歴史的総体として見た場合の
キリスト教は近代に至るまで暴力的であったということは言えるであろうと思います
さて26章はいよいよカナン征服に打って出る前の兵員調査ですね
64節が先生の言う「第一世代」はカナンへ侵入していくなかにはいなかった、という部分ですね
もしかしたら単純に忘れているだけかもしれませんが、59節ではモーセ、アロン、ミリアムの父母の名が
語られています
出エジプト記などでこの父母のことは語られていたんでしょうか?
なぜかまったく記憶がありません
変な比較になりますが、イエスの父母であるヨセフとマリアは我々の記憶に残るような記述がなされている
のに対し、ヘブライ語聖書最大の人物と言えるモーセの父母は誰も気にしてないような感じで
ちょっと気になりました
58
:
福音伝道
:2024/06/16(日) 13:15:17 ID:BX/SFP8o
>>57
atheistさん、こんにちは。本日はお休みで、明日の月曜日の聖句は民数記26章です。
この第二回調査は
26:63これらはモーセと祭司エレアザルが、エリコに近いヨルダンのほとりにある
モアブの平野で数えたイスラエルの人々の数である。
26:64ただしそのうちには、モーセと祭司アロンがシナイの荒野でイスラエルの人々を
数えた時に数えられた者はひとりもなかった。
26:65それは主がかつて彼らについて「彼らは必ず荒野で死ぬであろう」と
言われたからである。それで彼らのうちエフンネの子カレブとヌンの子ヨシュアの
ほか、ひとりも残った者はなかった。
つまり「第一世代」は、ヨシュアと老兵カレブ以外にいなかったということですね。
出エジプトで一応、モーセの父について語られていますが印象は薄いです。
ほぼすべての聖書に登場する人物について解説する新共同訳聖書辞典にすら
アムラムの項がありません。
出エジプト
6:18コハテの子らはアムラム、イヅハル、ヘブロン、ウジエルで、コハテの一生は百三十三年であった。
6:20アムラムは父の妹ヨケベデを妻としたが、彼女はアロンとモーセを彼に産んだ。
アムラムの一生は百三十七年であった。
59
:
福音伝道
:2024/06/16(日) 17:20:27 ID:BX/SFP8o
>キリスト教徒の暴力
>十字軍遠征から異端審問、魔女狩りを経由して植民地支配と
>ネイティブアメリカンや黒人の奴隷化・酷使、
>さらにはその間にキリスト教国で起こった宗教戦争
閑話休題。
例えば、「日本人の暴力行為」として、「戦国時代、秀吉の韓国侵略、島原の乱に
おけるキリスト教徒虐殺、1910年の韓国併合、日中戦争、第二次世界大戦」などを
挙げても、私にはピンときません。
確かに、キリスト教国や日本が戦争や暴力行為をしたのは事実なのですが、
またキリスト教の名においてなされたり、神国日本の名においてなされたりしたと
して、その暴力のバッグボーンにキリスト教なり神道なり仏教があったと言える
のでしょうか。疑問です。
単にキリスト教なり神道なり仏教なりが悪用された印象を持ちます。
さて、脳内化学物質としては、オキシトシンに注目してみたいと思います。
オキシトシンの働きの一つに共感能力があるそうですが、古代人が群れを
形成したのにオキシトシンの関与があったそうです。そしてある者が道具を
開発すると群れの他のメンバーにも広がっていったそうです。
かくして5万年前には、投擲道具を開発し、狩られる弱い動物が、狩る側に
なったそうです。
しかし、人間集団が大国家を形成していくと、弱い者同士が協力して獲物を
得た道具が、人間を殺す道具になってしまったそうです。
そして記録される歴史ではBC15Cにエジプト人王トトメス3世がカナン連合軍を
敗走させる戦争の記録が残っています。
オキシトシンは、仲間に対しては愛情ホルモンなのですが、敵に対しては
攻撃的なホルモンとなるそうです。
春のクマが子熊を守るために狂暴になることがニュースで流れていますが
子熊への愛が同時に攻撃性となっているわけです。
社会的には、仲間に対する愛が、敵に対する排除、攻撃性と転ずることが
論じられています。十字軍も、キリスト教の名で敵に対する攻撃が仲間を
救うことだと結びつけられ、正義を信じた兵士を利用したリーダーたちに
悪用され、結果、リーダー達は、それぞれが占領地の領主になっています。
多くの死者を出した30年戦争はカトリックとプロテスタントの争いですが
大量印刷の発明が、プロパガンダ(本来は福音の種を蒔くことだが)によって
大勢の人を巻き込み、相手を悪魔視し、仲間を愛する反動としての敵に対する
敵対心を深くえぐられ悲惨な結果を生んでいます。
これらの負の歴史は、人間の愛という素晴らしい感情に付随する
敵に対する暴力性という「負」を悪用されたのが原因であって、
キリスト教とか神国日本などは、二次的なものにすぎないと私は考えます。
とはいえ、我々は利用されやすい人間であり、悪用された歴史がある
ということは教訓として覚えておきたいとは思います。
60
:
atheist
:2024/06/17(月) 01:48:29 ID:???
>>58
結局最初の偵察隊のなかでヤハウェに忠実に侵攻を強く主張したふたりを除いて
尻込みした、つまりはヤハウェに忠実ではなかった第一世代は
みんな約束の地には入れなかった、というのが民数記の核になっているように感じます
モーセらの父母については、出エジプト記でもちゃんと名前が出てたんですね
聖書の登場人物をほぼ載せている聖書辞典にすら項目がないということは
やはり特筆すべき人物描写がなかったということなのでしょうね
>>59
わたしは日中戦争から太平洋戦争に至る明治以降、特に昭和前期の日本には
疑似一神教化された神道が深く関わっていたと考えています
明治のはじめに、欧州を視察した明治政府のひとり(名前は失念しました)が
欧州の技術力の背景にキリスト教の国民統合の力をみて、小手先の技術導入では
欧州に追いつけない、というようなことを述べたという話をどこかで読んだ記憶があります
明治以降の天皇制は国民を統合するために疑似一神教へと変質した神道だったのだと思います
これを(あるいは欧米におけるキリスト教を)宗教が利用されたと観ることもできると思いますし
また実際にそうであったとも思います
しかしなぜ一神教なり擬制としての一神教なりが利用されたのかという背景には
やはり一神教というものが独善的・排他的性格を持ちやすいという側面があるのだろうという気がします
国が一丸となってひとつの目標に向かうときには、こういった独善的・排他的価値観が有効である、
ということなのだと思います
さらに伝統的なキリスト教で特に重要なのは、聖書を神の言葉として偽りなきものと考えてきたこと
だと思います
聖書に「神の民」が異教徒・異民族、そしてその神に反する人物を虐殺・蹂躙する記述があり
それが神において正しいこととされれば、それを自身の行為(十字軍なり魔女狩りなり)に
適用して正当化することが容易になりますし、また実際そうされてきたわけですから
わたしは大なり小なり、ヘブライ語聖書のこういった記述に、そしてそれを神の言葉として
誤りなき正しいものとして受け取ってきた宗教的伝統に責任はあると思います
オキシトシンはよく「愛情ホルモン」として紹介されるやつですね
愛情ホルモンが敵に対して攻撃的なホルモンになるのは、直感的にも非常にわかりやすいですよね
戦争という場面でなくても、例えばオリンピックで自国を応援する際の自分の感情などを考えても、
あるいはもっと身近なことで、自分の親兄弟や友人が悪く言われたときに感じる感情などを考えても
容易に納得がいきます
人間がこういったホルモンに支配されやすいのであれば
なおのこと、宗教でも国家でも、そこには負の側面があることを自覚することが大切なのだと思います
少なくとも福音書に書かれたイエスの言葉のなかには、のちのキリスト教徒が示した攻撃性・暴力性を
溶解する重要な教えがあったはずなのに、というのがわたしの偽らざる感想です
61
:
福音伝道
:2024/06/17(月) 06:20:31 ID:BX/SFP8o
>>60
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は民数記26章です。
仲間を守るためという大義名分や、同胞愛を悪用するためにキリスト教や
信仰、思想を掲げるリーダーらに騙されないように、注意深くならないと
いけないですね。
ヘブライ語聖書を読むにあたってカルト的部分については、
主イエースースの信仰やハーパー、フランシスコ会訳注などを参照しつつ、
クールにアナライズしていくのもよいかもです。
62
:
atheist
:2024/06/18(火) 01:47:53 ID:???
>>61
そうですね
ヘブライ語聖書の暴力的・カルト的な記述は実際に起こったことでないものが多かったであろう
と推測できますし、なにぶんにも古代のことで、敵国の民の虐殺などはメシャ碑文などを見ても分かるように
当時としては当たり前であったわけですから、特にヤハウェ信仰だけが暴力的・カルト的であった
わけではありませんね
ただこの古代の常識が神の言葉としての聖書に保存され、絶対的な正義の基準である唯一の神の名のもとに
近代に至るまで影響力をもってしまったことは留意しなければならないのではないかと思います
わたしたち現代の人間であっても、正義の名のもとに残酷な行いをすることがありますから
自戒を込めて注意深くならないとですね
26章は土曜に読んでますから、今日は27章ですよね?
27章は前半が土地相続の規定について、後半はモーセの後継者としてヨシュアが任命された話ですね
前半の土地相続については近代法に照らしても妥当な規定のように思われますが
実際のところはどうなんでしょうか?
古代の他の民族でも同様だったのでしょうか
後半はユダ族のカレブではなくエフライム族のヨシュアが後継者に選ばれたという話ですが
ちょうど南のユダ王国と北のイスラエル王国の代表である二部族であることに意味がありそうです
最終的な経緯を知っている我々からすると、結局アッシリア、バビロニアによる侵攻を生き延びたのは
ユダ族ですから、ここでエフライム族のヨシュアが選ばれたというのはちょっと奇妙な感じもしますが
当時は北のほうが優勢だったということなんですかね?それともこの選択には特に部族的意味は
ないのでしょうか?
63
:
福音伝道
:2024/06/18(火) 06:24:46 ID:BX/SFP8o
>>62
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は民数記28章です。
昨日は27章でした。失礼しました。
ぐぐりますと、遊牧民は末子相続だったそうです。上から順に財産分与(羊など)を
受けて独立し、最後に残った末子が残った家督を相続したそうです。
長子相続かつ一夫多妻の場合、最後の妻と末子を家長が偏愛する場合が多く、
相続紛争の元になったそうです。
27章では、部族の土地相続に重きが置かれていて、相続する男子がなくても
女子が相続できるように法改正ですね。女子に相続権がなかったのに、女子相続を
認めたわけです。ただし36章で補足があって、女子は自由に好きな相手に嫁げる
のですが、同族にしか嫁げません。親の土地が違う部族のものとならないためです。
カナン入植後、ヨシュアが土地分割をして、エフライム族には豊かな土地を割り当てた
またカレブのユダ族にも良い土地が割当たられたということはあるかもですね
諸解説には部族的な読み解きがないですね なにかありそうではありますが。
64
:
atheist
:2024/06/19(水) 00:20:59 ID:???
>>63
なんで末子相続なんてあるんだろうと思ってましたが
なるほど、上の兄弟は独立する際にすでに財産分与されているので
残った財産を末子が相続するという制度・習慣だったわけですね
ここでの女子の相続は女子に相続を認めないと男子がいない場合には
財産が他家に渡ってしまうということで、女性の権利を認めたということではないのでしょうが
相続規定としては合理的であるように思います
後継者に関しては、邪推すれば、カナン征服の伝承はもともとエフライム族の伝承で
イスラエル王国が滅んだあと、ユダに逃れてきたイスラエル王国の連中がもたらした伝承を
ユダ王国の人たちが編集し直した、ということなのかもしれないと思いました
イスラエル王国がアッシリアに征服される前までは、圧倒的にイスラエル王国のほうが
強大だったので、カナン征服神話もエフライム族の神話伝承だったのではないか、
そしてヨシュアの改革もイスラエル王国滅亡後なので、申命記史書はユダ王国の立場から編集されていますが
出エジプトからカナン征服に至るまでの神話伝承は主にエフライム族(イスラエル王国)の側の
伝承だったのかもしれない、という気がしました
さて28章はいきなり祭儀の規定についてですね
またレビ記と読み間違えたかと思って見直してしまいましたw
祭儀の規定をここに置かなければならない必然性が分かりませんが
五書ではこういった祭儀規定が頻繁に出てくるので、ここでも
カナンに入る直前ということで祭儀規定の確認として挿入されたのかもしれないと感じました
65
:
福音伝道
:2024/06/19(水) 11:47:55 ID:BX/SFP8o
>>64
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は民数記29章です。
フランシスコ会訳注によると、第二神殿時代に実際に行った方法に基づいている
そうですが、モシェと結びつけられたため、モシェの死が近いことが語られた
後に、ここと次章に置かれているそうです。
「わたしの食物」 食べ物は原語ではイッシェ。
ヤハウェが羊肉を食べるわけではないが、子羊を焼いた香りを
日に二度食べられるそうだ。新月の日には牛肉の香りを。
過越しも牛肉、羊肉の香り。
お内仏の給仕という風習が浄土真宗にありますが、これは線香を焚くだけですが
いわば香りをあげているので、ある意味似ているかな、と。
これが法華宗になると線香 ご仏飯と一汁三菜を御霊供膳として毎日、先祖を
もてなします。
66
:
atheist
:2024/06/20(木) 00:55:35 ID:???
>>65
ということはここもアナクロニスティックな挿入になっていて
実際には前5世紀前半以降の祭儀がモーセの時代のものとして書かれているわけですね
捧げ物に関しては、わたしの記憶だと親戚のうちがご先祖さまを祀った神棚に
毎日食事毎に少しずつ食べ物の一部を取って小さなお椀やお皿に入れて捧げてました
捧げ終わったら、たしかそれも自分たちで食べていたような記憶があります
これもまたこの世での生活の延長線上に(あるいはそれに類比して)
霊の世界を観ていたのかもしれません
さて29章も祭儀に関してですね
ここでは7月の1日、10日、15日といった具合に7月の聖会についての規定になっています
特に15日目は7日の間祭りをやれと書いてあります
内容的には捧げ物と労役の禁止が中心のようですが、これって安息日とはまた別にやるんですよね?
そうなると7月は祭り尽くしになってしまって、家畜は減るわ働けないわで、けっこうきついんじゃないかと
いう気がしますが、古代人ですから、もともとそんなに働いてなかったので大丈夫ってことですかね?
67
:
福音伝道
:2024/06/20(木) 05:26:46 ID:BX/SFP8o
>>66
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は民数記30章です。
ハーパーによると、出29章、レビ23章、エゼ45-46章に散在する多くの類似資料に
基づくもので、献げ物の目的は新しい世代を清め、聖別することにあるそうなのですが
動物・穀物・ワインの並外れた量は、約束の地で定着した後の農業生活を前提として
いるそうです。
農業生活があったとしても屠る動物の数が多過ぎる気がします
68
:
atheist
:2024/06/21(金) 00:37:51 ID:???
>>67
ここも前章と同じでアナクロニスティックな挿入ということですね
規定的には焼き尽くす捧げ物とか祭司以外は食べちゃダメとかあるみたいですが
実際のところはみんなで焼肉パーティー的な感じだったということはないのでしょうかw
さて30章は「物断ち」についての規定です
この物断ちというのは具体的にはどのようなことなのでしょうか?
普通に考えると食事や酒を断つといったことのように思われます
それにしてもここでは女性は父あるいは夫の承認否認に支配されていますね
古代的な男女観を反映しているのでしょうが、主にパウロやその後の教父などを通じて
ユダヤ教ほどでないにしろ、この男尊女卑の世界観はキリスト教にも継続されているように思います
もっとも現在ではだいぶ変わってきたようですが
福音書のイエスの言を観ると、こういった男尊女卑思想がほぼ観られないように思います
このことは古代においては特筆すべきことで、やはりイエスは革命的な思想家だったのだと思います
わたしはしばしばイエスの思想におけるユダヤ教的土壌を強調しますが
そのなかでこのような思想を紡ぎ出したイエスの革新性はやはり目を見張る物があるように思います
69
:
福音伝道
:2024/06/21(金) 05:36:19 ID:BX/SFP8o
>>68
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は民数記31章です。
誓願の例
1.ヤコブの誓願…所有物の1/10を神に捧げる
創28:20ヤコブは誓いを立てて言った、「神がわたしと共にいまし、わたしの行く
この道でわたしを守り、食べるパンと着る着物を賜い、
28:21安らかに父の家に帰らせてくださるなら、主をわたしの神といたしましょう。
28:22またわたしが柱に立てたこの石を神の家といたしましょう。
そしてあなたがくださるすべての物の十分の一を、わたしは必ずあなたにささげます」。
2.イスラエルの誓願…勝利の返礼としてカナンの町々を滅ぼす
民21:2そこでイスラエルは主に誓いを立てて言った、
「もし、あなたがこの民をわたしの手にわたしてくださるならば、
わたしはその町々をことごとく滅ぼしましょう」。
3.ハンナの誓願…息子が生まれたら、神に捧げる
1サム1:11そして誓いを立てて言った、「万軍の主よ、まことに、はしための
悩みをかえりみ、わたしを覚え、はしためを忘れずに、はしために男の子を賜わ
りますなら、わたしはその子を一生のあいだ主にささげ、かみそりをその頭にあ
てません」
4.ナジル人の物断ちの誓願…民6:1-8
古代の家父長制社会にあって、女性が立てた誓願の最終責任が家長にあったので
家長は支配下の女性(娘や嫁)の誓願について拒否権があったようです。
例えば、子供が生まれなかったハンナは、第一子を神に捧げるという誓願を
立てました。そして実際に息子サムエルを神殿に預けました。
誓願を聞いた時点で夫がこの誓願を無効にすれば、息子を父は手元に置くことが
可能なわけですが、無効にしなければ、実際に神に捧げなければならないわけです
70
:
atheist
:2024/06/22(土) 03:02:24 ID:???
>>69
要は物断ちというのは誓願に伴う対価ということですか?
挙げられた例を見る限り、それぞれといった感じですね
女性の誓願の場合、古代家父長制を反映して
やはり男性(父や夫)に最終責任がいくようになってるわけですね
さて31章は悪名高きミディアン人のジェノサイドの場面ですね
8節で出てくるベオルの子バラムというのは例のバラムですよね?
この前出てきたときにはヤハウェの言うことを忠実に伝えていたのに
ここでは奸計を図ったものとしてあっさり殺されています
それにしてもエグいですね
特に捕虜を取って帰ってきた兵士たちに対して
処女以外の女を皆殺しにせよと命じているところなど
およそ宗教書とは思えない記述になっています
このジェノサイドではミディアン人が対象になっていますが
ミディアン人といえば、モーセの奥さんもミディアン人ですよね?
物語からは離れますが、そもそもヤハウェ自体がミディアンあたりで信仰されていた神であろうと
いう有力な説もあります
なぜミディアン人がジェノサイドの対象として描かれることになったのでしょうか?
ヤハウェの素性を隠蔽するためと考えるのは穿ちすぎでしょうか?
71
:
福音伝道
:2024/06/22(土) 08:54:02 ID:LsQB0PWE
>>70
atheistさん、おはようございます。本日と明日の聖句は民数記32章です。
誓願の原理は「かくかくの義務」を自分に課す代わりに
神様、願いをかなえてね ということですね。その代表例が断食です。
モシェの妻はミディアン人のチッポラで、息子が二人いますね。
ミディアン人が聖絶の対象となったのは、神学的に言うと
25章で、ミディアン人がイスラエル人男性を宗教的に誘惑させ異教崇拝を
させたからですね。
また古い世代は偵察後、侵略を躊躇したのに対し、新しい世代は、躊躇わず
ミディアン人と戦闘し勝利した。神の加護があったので一人も死ななかったという
対比物語ですね。
実際は、ミディアン人は遊牧民で、イスラエルはカナン農耕民に雇われる牧畜民。
遊牧民から農耕民を護衛していたようです。
なので、時には敵対関係にあったのでしょうけど、カナン、ミディアン、イスラエルは
平和的に混血していったと私は思います。
その後、捕囚後、祭司たちが自分たちの神話を創作した際に
宗教的純潔性を強調するために「聖絶物語」を描いたのだと思います。
とはいえミディアン人処女女性32000人がイスラエル男性へ妻として割り当てられ
モシェのように子をなしたのですから混血しています。
私が驚くのは、女性が羊、牛、ロバという家畜の後に記されている点です。
古代にあって女性は家畜以下の財産であった証拠なのであろうかとの印象が。
ヤハウェの素性は、聖書に描かれています。
シナイ山あるいはホレブ山の神ですね
北緯28.5393度 東経33.9749度座標の標高2200級の山の神です。
72
:
atheist
:2024/06/23(日) 02:30:08 ID:???
>>71
ミディアン人の聖絶のきっかけは例のミディアン人女性とイスラエル人男性の「串刺し」の件ですね
一応ミディアン人女性が宗教的に異教へと民を誘惑するという設定ですね
たしかに引いた目で見ると、前世代は侵略に躊躇したのに対し、新世代は躊躇なくミディアン人と戦闘
してますね
ただし処女以外の女性の皆殺しをしなかったためモーセに怒られはしますが
古代においては大げさに盛って戦闘勝利を書くのが常でしたから、ここでも
仮になんらかの戦闘があったとしても、おそらくは盛りに盛ってると思います
立場は逆ですがメルエンプタハ碑文ではイスラエルを全滅したと謳ってます
もちろんメルエンプタハがそう書いたまさにそのあとから、おそらく原イスラエル人が
カナンの地で急増しだすわけですから、まるで事実とは異なることになります
おそらくこの物語もそれと似た類のものだったのでしょう
家畜の後に女性が記されているというのも、なんとも古代の女性観というのは
すごいものですね
聖書ではヤハウェはシナイ山においてモーセに下ってきますが
そもそもシナイ山の位置はシナイ半島の何処かという以外に正確には分かってませんね
考古学的にはヤハウェの「痕跡」が見て取れるのはエドムの地など
ユダの南方あるいは南東のミディアン地方なので、いずれにしてもカナンの地には
外から入ってきた神ということになるのでしょう
さて32章はガド部族とルベン部族、それにマナセの半部族が
ヨルダン川東岸に地を得た由来譚のようなものだと思います
一見ルベンとガドの子孫たちが前世代と同様の侵略拒否をするかに見せて
結局侵略には参加し、その嗣業としてヨルダン川東岸を得るという流れになってますね
おそらくですがイスラエルという名でまとめられる諸部族がカナンの地に勃興したとき
その一部がヨルダン川東岸へと膨張していったのだと思います
聖書ではヨルダン川を渡って東から西へイスラエル民族が入っていったことになってますが
そういった西からの侵入はあったとしても一部で、イスラエルの大半はむしろ西から東へ居住を
広げていったようです
これはイスラエルの広域に渡る考古学的表面調査で裏付けられていますから
ほぼ確実だと思われますが、わたしが前から気になっているのは聖書の物語は
常に東から西への侵入という形で物語を展開させているところです
これはおそらくヤハウェの出自と関連していて、ヤハウェがイスラエルのアイデンティティとして
その民族の神となっていった過程を反映しているのだと思います
考古学と文献(この場合は聖書)をどう整合的に取り扱うか、あるいはどの場合にどちらを優先させるかは
非常に難しい問題で一筋縄ではいきませんが、たいへん興味深い問題だと思います
73
:
福音伝道
:2024/06/23(日) 07:53:40 ID:LsQB0PWE
>>72
atheistさん、おはようございます。本日はお休みです。
明日の月曜日の聖句は民数記33章です。
>イスラエルの大半はむしろ西から東へ居住を広げていった
私の理解では多様な形での浸透があったと思っているのですが、
主流は、東の山地の牧畜農耕民が、平和的に西の平地部へと浸透していったと
思っています。
元々、エジプトの支配下にあったカナンがBC12C頃にエジプトの支配が緩むと
カナンの諸都市間で内部抗争があり自滅していき、交換による農作物を得れなくなった
山地の牧畜民が、まず山地で定住し牧畜に並行して農耕もしてはじめ、徐々に
平地へ浸透し農耕に有利な土地を確保していった。特に換金性の高い、オリーブと
ぶどうの栽培に適した畑の確保が課題であった、と。
但し、ヤハウェは、方角から言うと「南の神」であり、西ではない。
西の山地の定住牧畜民がなぜ、南方のヤハウェを信仰したのかは不明ですが
BC9C頃までのイスラエルは多神教であり、バアルもエルもヤハウェも同一視され
ていて、元遊牧民にいっしょについている来る神として、ヤハウェは重宝されていたの
かもです。
74
:
atheist
:2024/06/24(月) 02:44:48 ID:???
>>73
これはイスラエル・フィンケルシュタインを含むイスラエルの考古学チームによる調査だったと思いますが
その広域表面調査では、定住地の形成が西から始まり東の方へ移行していくという移住パターンが
見いだせたそうです
仮にそうだとすれば、考えられるのはカナン人による丘陵地帯への移住ということになりますが
ヤハウェがイスラエルに入ってくるのは南あるいは南東からと考えられるので
南あるいはヨルダン川を渡って東からなんらかの形で文化の浸透があったと考えられます
遊牧民は少数で大きな距離を移動しm物だけではなく文化も伝えることになるでしょうから
遊牧民の移動というのがひとつの焦点になってくるかもしれませんね
ただなかなか痕跡が残りにくい集団ですから、こういったことを考古学的に裏付けるのは
残念ながら難しいかもしれません
75
:
福音伝道
:2024/06/24(月) 06:01:22 ID:LsQB0PWE
>>74
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は民数記33章です。
絶版になっているイスラエル・フィンケルシュタイン氏の
『掘された聖書 : 最新の考古学が明かす聖書の真実』(2009.6)の目次に
プロローグ-ヨシヤ王の時代に
第1部 歴史としての聖書?(族長を探して
出エジプトは起こったのか?
カナン征服
イスラエル人とは何者だったのか?
などがあります。氏は「カナン征服」を西から東へと考古学的証拠から
考えられていたのでしょうか。
またイスラエル人を何者と考えられていたのでしょうか。
私の知る情報では、カナンとは地中海とヨルダン川・死海に囲まれた地域ですので
東の山地からの侵入ではなく、西からの侵入だとすると、ペリシテ人のように
海からの侵入か、元々カナンに棲んでいた者が東へと拡大していったことになる
のですが? いまいち西からの侵入ということが何を指すのかイメージできかねます
カナンの西は地中海ですので。
76
:
atheist
:2024/06/25(火) 01:05:18 ID:???
>>75
分かりにくい言い方だったようで申し訳ありません
「西からの侵入」というよりは「西の海岸平野部あるいはその東のシェファラー(「低地」)から
さらに東の中央山地(ベツレヘムやベテル、シェケムなどがある山間部、つまりは後のイスラエルの中心部)への
人口移動」です
フィンケルシュタインの見立てでは、前1200年頃のいわゆる「後期青銅器時代の崩壊」に伴って
平地ないしは低地の主に遊牧民が山間部へと人口移動し農業に勤しむようになった、ということで
それが西から東への人口移動に当たります
つまりイスラエル人は単にカナン人であって、それが山間部への移動に伴い
のちに独自の文化を発展させていった、ということのようです
フィンケルシュタインと犬猿の仲であるディーヴァーもイスラエルの出現は「外(東)からの侵入や
侵攻」ではなく、カナン社会内部での移動であるとする点では一致しています
ただ主体は低地の農民であると考えている点、さらに言えばこれまでのカナンの君主制や大土地所有といった
社会構造に不満を持った改革志向の農民が主体であったと考えている点でフィンケルシュタインとは
異なるようです
あとはディーヴァーが前1200年前後に急増した山間部の人たちをProto-Israelites(原イスラエル人)として
ここにイスラエルの歴史の始まりを観るのに対し、フィンケルシュタインはその観方は拒絶しているようですね
おそらくはその時点では後のイスラエルと呼べるような特徴はなく、前9世紀などずっとあとになってから
イスラエルと呼べるようなアイデンティティが形成された、ということなのでしょう
ディーヴァーはヨシュア記までは物語だが士師記以降はそれなりに歴史を反映していると考えているのに
対し、フィンケルシュタインはダビデ・ソロモンの王国はのちのユダ王国の「創作」で
イスラエル王国とユダ王国あたりからが聖書に歴史が反映されていると考えているようで
このへんで鋭く対立しているようですね
わたしは考古学資料を検証する能力も経験もないので、ふたりのどちらがより正しいか判断などできませんが
おおよそイスラエルは少なくとも主体はカナン人であること、そのカナン人が後期青銅器時代の崩壊に
伴い山間部へ人口移動したこと、それがのちのイスラエルへと形成されていくこと、このあたりまでは
実際にそうなんじゃないかと考えています
77
:
atheist
:2024/06/25(火) 01:14:14 ID:???
さて、ちょっと脱線してしまったので、襟を正して民数記に戻ります
今日は33章ですね
ここは出エジプトから今までのリキャップみたいなものになってますが
ほぼ地名の羅列ですねw
これまでこんなに地名出てきてましたっけ?
ともかく50節以降が新しい部分で、要は原住民を徹底的に追い払ってカナンをイスラエルの民の地にせよ
ということですね
今回気になったのは、4節の「主はまた彼らの神々にも罰を加えられた。」という箇所です
これはもろ多神教あるいは拝一神教ということになってしまいそうです
出エジプト記と同様のヤハウェが一番、ヤハウェは他の神々より強い、というテーマを
そのまま引き継いでいるように感じます
78
:
福音伝道
:2024/06/25(火) 06:30:09 ID:LsQB0PWE
>>77
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は民数記34章です。
5-15節 エジプトからシナイに至る二年間 11の宿営地…出エジプト
16-36節 シナイからカデシュに至る38年間 21か所の宿営地
37-49節 カデシュからモアブ平原に至る最後の一年間 9か所の宿営地
16-36節の記事は、民数記10‐21章の旅程と別の伝承だそうです。
口語訳
33:4その時エジプトびとは、主に撃ち殺されたすべてのういごを葬っていた。
主はまた彼らの神々にも罰を加えられた。
聖書協会共同訳
エジプト人はその時、主が彼らの間で打たれたすべての初子を葬っていた。
主は彼らの神々に裁きを下されたのである。
新改訳2017
エジプトは、彼らの間で主が打たれたすべての長子を埋葬していた。
主は彼らの神々にもさばきを下された。
口語訳と新改訳は解りにくいと思います。文意は聖書協会共同訳のように
初子を打たれたのは彼らの神々に裁きを下されたのとイコールであるという
ことです。彼らの神々は彼らの初子を守れなかったのだから、と。
つまり、
ヤハウェがエジプトの神々に勝った、強い神であるということなので
唯一神教ではなくて、多神教を前提にした拝一神教ですね
>>76
詳しい説明をありがとうございます。
「後期青銅器時代の崩壊」に伴って、カナン平地の諸都市が力を失ったのは
その通りですし、カナンの下層民の一部が東の山地に移動したのも事実ですね
でも、これらは山地の牧畜民の存在を、考古学的証拠の発見のしづらさから
無視あるいは軽視しているように思われます。
いづれにせよカナン人説の根拠が考古学的資料ということがわかりました。
有難うございます
79
:
atheist
:2024/06/26(水) 01:00:30 ID:???
>>78
少なくともフィンケルシュタインに関しては、遊牧民(pastoral nomads)は視野に入れていますね
というよりも10世紀以降の領域国家の出現に至るまでは、青銅器時代から鉄器時代I期を通して現れる
繰り返される遊牧民の遊牧-定住のサイクルの一環として中央山地の人口の急増を捉えているようです
前1200前後に関しては、気候変動(寒冷化・乾燥化)→平地・低地の農耕民からの遊牧民への穀物供給の減少
→遊牧民の中央山地定住化(農耕化)、という流れで捉えているようですね
遊牧生活のときは遺物が残りにくいですが定住生活に移行すると遺物が残りますから
これが人口増という形で表れてくるようです
民としては前1200年前後に中央山地に定住化した遊牧民がのちのイスラエルの民になっていくと
考えてはいますが、10世紀以降にイスラエル・ユダ・アンモン・モアブ・エドムといった領域国家が出現するまでは
実質的にこれらの民は区別がつかないそうです(土器・建物・食性などが同じ)
わたしたちは聖書的伝統からカナンをヨルダン川以西と捉えていますが、ヨルダン川以東の山地も
ほぼまったく同様だそうです
ですからわたしたちが聖書からイメージするカナン人と考古学的・歴史学的視点から見たカナン人は
ズレがあるということなのでしょうね
わたしも忘れてしまっていることが多いので、また時間ができたら勉強し直してみます
さて民数記ですが、やはり多神教を前提にした拝一神教と捉えていいわけですね
ところで、先生に挙げてもらった各和訳で思い出しましたが
先生は改訂版の岩波訳の新約聖書ってチェックされましたか?
わたしは最近知ったのですが、ものすごく面白そうです
まず福音書がマルコから始まってます
さらには書簡もパウロ書簡、擬似パウロ書簡、その他という並びで
すべて推定執筆年代順だそうです
肝心の訳も学術的に正確な訳を目指したそうで、洗礼者ヨハネは浸礼者ヨハネ、悔い改めは回心、
十字架は杭殺柱などと、かなり過激な訳にしているようです
で、今日は34章ですね
ここは今で言う国境の確定と各部族への分配についてですね
そういえばこの分配はルベン・ガド・マナセの半部族を除いて、くじ引きで決めることになってますが
なぜくじ引きなんでしょうか?
実際はただ単に各部族がそれぞれ住み着いた地ということなのでしょうが
聖書的には部族間は平等対等の関係にあるということを強調したかったということでしょうか?
80
:
福音伝道
:2024/06/26(水) 06:07:36 ID:LsQB0PWE
>>79
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は民数記35章です
前12C頃の認識については同じだと確認できました。
前10Cまでについては初耳です。ありがとうございます。
改訂版の岩波訳の新約聖書は、2023年版で約8000円ですね。
私は初版の2004年版を持っています。ボロボロになるまで読み込みました。
2023年度版は田川訳・聖書協会共同訳2018を参照し、底本を
NA27からNA28に変更しているそうです。
「十字架」の原語は「杭」なのですが「杭殺刑」へと訳語を変更されたそうです。
少し高額ですが初版をお持ちでないなら、改訂版はおススメですね
特に学術的に聖書を読もうと思う方にはよいです。教会的でないところが。ただ、
「悔い改め」を原語は単に「心を変えること」です。それを「回心」とするところなど
学術的正確さを謳いますが、実際はやはり護教的です。キリスト教神学の影響は
少なからずあり妥協訳ではあります。
相続地の原語ナハラーは、「くじを引いて分け前に預かる」という語ですので
ナハラーを貰う際に、くじをひいたのでしょう。
新約ギリシア語の「相続財産クレーロノミア」も、動詞クレーロー(くじで割り当てる)
からの名詞化なので、古代地中海世界では、「くじ」は財産分けの際に
一般的だったのかもです。
81
:
atheist
:2024/06/27(木) 02:01:20 ID:???
>>80
改訂岩波訳は、やや護教的なところはあるものの、総じて良さげですね
ただわたしは日本語訳聖書をそもそもひとつも持っていないので
いきなり岩波訳はどうかとw
いまのところは疑問箇所は先生にお聞きすることにします
新約ギリシャ語でも相続財産の原語はくじ引きから来てるんですね
古代地中海世界はわれわれが想像するよりはるかに相互影響関係があったようですから
このへんも似たような発想になっていたのかもしれませんね
さて35章は前半がレビ人の取り分、10節からが殺人に関する内容になっています
前半は祭司階級となるレビ人の生活保障のようなものですね
他の部族はそれぞれの大きさに応じて領域的に土地を与えられますが、
そうするとレビ人の住む土地がなくなってしまうので、その保証を規定したという感じです
後半は基本的には同害復讐法ですが、過失による殺人に関してはちゃんと保護規定を設けています
「のがれの町」というのも奇妙といえば奇妙ですが
身内を殺されたものの復讐心を現実的に考慮して、このような規定にしたのでしょうね
82
:
福音伝道
:2024/06/27(木) 06:37:52 ID:LsQB0PWE
>>81
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は民数記35章です。
ハーパーによると、ヨシュア記21章の、レビ人の町をくじによって決めた記事が
元資料としています。この説に立つと、神がモシェに各部族がレビ人の町と放牧地を
命じたので、実際の占領後、くじを引いてレビ人の町を決めた。モシェの生きている
家の話なので民数記の最期に入れたということですね。
新共同訳聖書辞典によると、逃れの町は、過失による殺人者が「血の復讐」から
保護されるようにどの地点からも一日路(48km)以内に六ケ所設けられたそうです。
申命記19章では過失の例として、山へ木を伐採に行って、斧の頭が柄からはずれて
いっしょに行った隣人にあたり、死なせた場合を挙げている。
殺人というより事故ですね。この場合、証人がいて、逃れの町の長老が判決した
そうです。
83
:
atheist
:2024/06/28(金) 01:36:05 ID:???
>>82
一応くじ引きで領地を決めた頃の話がやはりアナクロニスティックにここに挿入されているというわけですね
逃れの町は一日路ということは、場合によっては血の復讐から逃れるために
半日ほどは走り続けなければならない場合もありそうですね
もう少し簡便な方法はなかったのかと思いますが、やはり復讐者の心情も考慮に入れたのでしょうね
さて今日は36章で最終章ですよね
ようやく民数記も最後ですが、最後の章とは思えないほど、あっけなく終わっています
ここでは前に出てきた相続に関する問題を扱っていて
家に娘しかいない場合は同じ部族内で結婚するよう規定されています
部族間の均衡を保つためということでしょうが、ちょっと合衆国(合州国)の構造に似た
一国内分権制のような感じですね
もちろん部族ですから土地というよりは血の繋がりによるまとまりということになりますが
イスラエルの部族連合の成り立ちを示唆しているようで、興味深い箇所です
民数記は記憶しているほど放浪や戦闘の描写は多くなく
むしろレビ記同様戒めや規定の記述のほうが目立ちました
戦闘や殺戮の描写があまりにも印象に残りやすいのでこんなふうに記憶していたのだと思います
84
:
福音伝道
:2024/06/28(金) 05:06:17 ID:LsQB0PWE
>>83
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は申命記1章です。
お疲れさまです。民数記クリアですね。
ラストの章は
これから与えられるというカナンの土地の相続の心配ですね
女子の相続を認めたものの、相続女性が他部族の男性と結婚すると
その土地が他の部族の所有になる。それは許せん。
なので、相続女性は同一部族の男性としか婚姻できない、と。
まだ奪い取ってない土地の将来の相続の心配をするなど
ちゃんちゃらおかしいのですが、(早く攻め入れよ。そっちが先だろ)と
思うのですが、モシェが神を通して決めただのという物語が重要だった
のでしょう。
85
:
atheist
:2024/06/29(土) 02:58:59 ID:???
>>84
たしかに言われてみればまさに取らぬ狸の皮算用ですねw
最終的な編集者が誰なのかは分かりませんが
ともかくきちんと律法を定めておきたいという強い意志が感じられます
さていよいよ五書も最後の申命記ですね
申命記といえば、ヨシアの宗教改革ということがまず思い浮かびますが
内容自体はほとんどモーセの演説というか説話ですよね
第1章はモーセがカナンの地に入る前のイスラエルの民にこれまでの過程を語って聞かせている
という感じの章ですね
民数記と整合性が取れているのか、分かりませんが
基本的にはヤハウェを信じずに怯んだ第一世代はモーセともども約束の地には入れないということが
説明されている点では民数記と同じですね
細かい部分ではこれまでの経緯に関して民数記との違いはあるんでしょうか?
ちょっと違うのはヨシュアの説明がモーセの代わりという感じで説明され
カレブのほうが目立つ形で称賛されているところかなと思います
もしかしたらヨシア王の元での編集でしょうからユダ族が引き立てられているのかもしれません
気になったというよりも、これまで五書の流れで読んできて改めて感じたことは
32節の「このように言っても、あなたがたはなお、あなたがたの神、主(ヤハウェ)を信じなかった。」
というセリフが、他の神々への崇拝をやめて、ヤハウェのみを信じよ、と聞こえることです
申命記の目的がヤハウェへの信仰の集中によるヨシア王及び祭司集団への権力の集中であることを
強く感じさせます
86
:
福音伝道
:2024/06/29(土) 07:48:54 ID:LsQB0PWE
>>85
atheistさん、おはようございます。本日と明日の聖句は申命記2章です。
フランシスコ会訳注によると、元々、モシェ五書は民数記で終わっていたそうです。
そして1-4章のモシェの説教は、5-26章の第二の説教「申命法典」の後に加筆された
そうです。
モシェが生きていたBC13Cに書かれたとキリスト教では解釈されているが、実際は
BC7Cに書かれたとフランシスコ会訳注は主張しています。著者はユダ(エルサレム)
在住の学識のある祭司、あるいはレビ人の筆記者、あるいはそのような人々の共同
作業。つまり申命記史家。
BC622に神殿発見された「契約の書」と申命記は類似しており、女預言者フルダに
従ってヨシヤ王が実施した宗教改革は「申命記」に命じられたものであり、ヨシヤ王
の注意を引き、よい反応を得た申命記史家たちはモシェによって語られたという体裁を
採ったということのようです。
ただ申命記史家たちの計画は一旦成功したものの、ヨシヤ王がメギドでファラオ・ネコ
に殺されて宗教改革は終わり、長続きはしなかったそうです。
>細かい部分ではこれまでの経緯に関して民数記との違いはあるんでしょうか?
9-18節 民11:11-17 出18:13-27
19-3-25節 民13:1-26
26-33節 民13:27-14:9
34-46節 民14:10-45
ハーパーは、宗教危機に際しBC8Cに北イスラエルで原申命記が二人称単数で書かれ
モシェに仲保者の理想を見て、神の意志を民に取り継ごうとした。
預言者ホセアに近いとします。
宗教的危機と物々交換から貨幣経済への移行がレビ人の地位を不安定にさせたので
申命記はレビ人の地位を擁護しているそうです。
北で成立したが、採用されたのは1C後、南で。ただ王の死と共にとん挫。
87
:
atheist
:2024/06/30(日) 02:07:03 ID:???
>>86
一応4章までとそれ以降で分かれるわけですね
ヨシア王下の保守的な祭司階級のひとたちの神学でまとめ上げられたもので
ヨシア王が死んで一旦頓挫しますが、バビロン捕囚とその後の帰還で
またこの路線が定着する、といった感じですね
申命記史家たちがいなかったら、世界的にも極めて特異な一神教という宗教は
存在してなかったかもしれません
その意味では内容は別として、ヨシア王の改革は宗教史的には極めて重要な出来事だったのでしょうね
一応民数記とは対応してるみたいですね
申命記の原型が北イスラエルで成立したという意見もあるんですね
申命記といえばもうコテコテのユダ視点だと思っていたので、興味深いです
さて2章は民がカナンの地へ向かう行程で通ろうとした周辺国について書いてあります
印象的なのはエドム、モアブ、アンモンといったイスラエルの兄弟国、親類国とされている国々には
手を付けるな、と書かれている点です
これはもしかしたらヨシア王当時の国際情勢を反映したものなのかなと思いました
東と南は現状を維持して、アッシリアの衰退で生じた北と西の権力空白地帯に領土を拡張する意図が
ヨシア王にあったのかな、と
11節や20節で出てくるレパイムとは何者でしょうか?
文脈からすると民族の一つというより、特定の特徴を示す人たちといった感じですが
88
:
福音伝道
:2024/06/30(日) 06:59:13 ID:LsQB0PWE
>>87
atheistさん、おはようございます。本日はお休みです。
明日の月曜日の聖句は申命記3章です。
レファイムは、巨人族のことですね。新共同訳聖書辞典によると、ヨルダン川東部に
住んでいた長身の原住民の総称とあります。
この章のフランシスコ会訳注で、注目したいのは、
「イスラエルの古代の著者は、何事もすべて神の支配の内にあるものとして考え、
イスラエルに関するすべての出来事は、神の直接の介入にのよめものとして描いた」
という点です。
「神の直接介入」がモシェ五書の特徴なのかもです。
ハーパーは、イスラエル王国の外交政策について、領土拡張政策を神が承認しない
というコスモポリタン的でユニバーサルな精神で、神がエドム、モアブ、アンモンを
承認しているという物語を描いていると分析しています。
ハーパーは、レファイムを古代の強力な民の生き残りとしています。
89
:
atheist
:2024/07/01(月) 01:53:37 ID:???
>>88
巨人族のことなんですね
そういえば背がバカでかい人たちが創世記だか民数記だかにも出てきてた気がします
出エジプト記でも「ファラオの心を頑なにした」のように出てきますし
ヤハウェは歴史にバリバリに介入してますね
領土拡張計画を神が承認しないというのは南と東についてはそのとおりなんでしょうが
西と北については拡張の野望を持っていたのではないかと個人的には想像してます
北のイスラエル王国が滅び、北の民がユダに避難してきて人口も増え
(発掘で分かったこととして、それまではエルサレムですら村に毛が生えた程度だったらしいです)
なおかつアッシリアの滅亡という好機を逃すまいと考え
この期に一気に統一王国を…と一国の王であれば夢見てもおかしくないのではないか、という気がします
そもそもダビデ・ソロモンの「統一王国」という神話もこのころ出来上がったのではないかと考えています
(統一王国があったかどうかはまだ論争があって決着がついてないようですが、あったとしても
聖書に書かれているような権勢や栄華はまずなかったことはたしかなようです)
このへんはあくまでも個人的な想像の域を出ないので
話半分で読み流してください
90
:
福音伝道
:2024/07/01(月) 05:47:09 ID:LsQB0PWE
>>89
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は申命記3章です。
1:7身をめぐらして道に進み、アモリびとの山地に行き、
その近隣のすべての所、アラバ、山地、低地、ネゲブ、海べ、カナンびとの地、
またレバノンに行き、大川ユフラテにまで行きなさい。
ユフラテ川まで、イスラエルの領地だと言いつつ、2章では一転して
エドム、モアブ、アンモンとにヤハウェが領地を与えたので、そこは侵攻するな
と言っているのは矛盾しているように思います。
またエドム、モアブ、アンモンもヤハウェを信仰していたという
ストーリーとなっていますが事実と異なるように思います。
91
:
atheist
:2024/07/02(火) 01:14:57 ID:???
>>90
たしかにユーフラテス川まで行けって書いてますねw
エドムの主神が誰なのか分かりませんが、モアブはケモシュ、アンモンはミルコムの名がよく出てきますね
いずれにしてもヤハウェを排他的に崇拝していた事実はないのにどういうことなんでしょうね
その時々に応じて、周辺民を都合よく物語の中に位置づけている、ということなのかもしれません
さて3章はバシャン征服の話題ですね
ここも徹底的に征服した話になっていますが、これはヨルダン川の渡河直前の前哨戦のようなもの
かもしれません
そういえばこの地についてはモアブやアンモン、それにエドムほどは耳にしませんね
イスラエルの領土にしたと言っても、ヨルダン川東岸なので、あまり重きを置かれていなかったのかもしれません
後半には、重ねてモーセにはヨルダン川を渡らせないというヤハウェの言葉が出てきます
この前も書きましたが、なぜモーセはカナンの地に入れなかったのか、やはりいまいち分かりません
ここでは民ゆえにモーセに怒りを向けた旨が書かれています(26節)が、ちょっとモーセには
厳しすぎるという気がします
モーセのモデルとなった人物が実際にカナンの地を目指したが、結局入ることができなかった
といった事実が元にあって、それが出エジプト記から申命記に至るまでのモーセの物語と
なっていったんでしょうかね
モーセが渡河できないという前提の下に物語の肉付けがなされたため
あまり納得の行く理由が語られていないのかなとも思いました
さすがにヒーローモーセにあまり酷い悪行を被せるわけにはいかず
結局岩を二度叩いたとか民の不信仰ゆえとか、後付的な理由が考えられたのでしょうか
92
:
福音伝道
:2024/07/02(火) 05:38:52 ID:LsQB0PWE
>>91
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は申命記4章です。
バシャンも引き続き、聖絶されます。ヨルダン川東岸を広範囲にわたって
モシェは征服するのですが、これは言葉遊びが理由かもです。
動詞のハーラムが完全に破壊する なのですが
名詞化したヘーレムは、完全に破壊されて神に捧げられたものという意味となります。
ヤハウェが主導して戦い、現地民をハーラムして、清めてヘーレムとし、
ヤハウェに仕える三部族に与える、と。
とはいえ、この三部族は偶像崇拝して、アッシリアに連れ去られることになる
のですが。つまりヤハウェとの関係を物語にしているだむなのかもです
モシェは、古い世代に責任を負うリーダーなので、カナンには入れないそうです。
まあ40年も荒野を彷徨ったのであれば、もう爺さんなので物理的にも無理だった
のかもですね
93
:
atheist
:2024/07/03(水) 01:01:34 ID:???
>>92
完全に破壊するという動詞と破壊されて神に捧げられたものという名詞の同源性から
このような聖絶の物語が展開された可能性がある、ということですね
実際には出エジプトからカナン征服と考えられる年代において、大規模な破壊の痕跡が
見られないことから、観念的に異民族の破壊=神への捧げ物という物語が作られていったのかもですね
なるほど古い世代に責任を負う、というのは古代的な観念で考えれば合理的かもしれません
さて4章は申命記の主張の核となるような章かもしれません
これまでのことを振り返りながら、これから入っていくカナンの地において
唯一の神であるヤハウェの律法を守るよう強く主張が展開されています
この章が実際にヨシア王の時代に成立したものだとすると
多神教の状況にあった北イスラエルがアッシリアに滅ぼされたこと、
そしてユダにおいてもまだヤハウェ以外の神やその偶像を崇拝する人々がいたこと、
ヨシア王及びエルサレムの祭司勢力は、ヤハウェを唯一の神として
エルサレムに聖所及び権力を集中させたいと思っていたこと、などが背景にあるように感じました
申命記のこの主張はバビロン捕囚を経て、エズラ・ネヘミヤの時代に直接つながっていくように
思います
その意味ではユダヤ教の核心部分として非常に重要な章であろうと思いました
94
:
福音伝道
:2024/07/03(水) 06:00:02 ID:LsQB0PWE
>>93
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は申命記5章です。
フランシスコ会訳注は、
1-14節 契約を忠実に守り行うこと
15-24節 偶像崇拝の禁止
25-31節 神の誠実
32-40節 民に対する神の愛の証し
としています。基本テーマが語られいるのかもです。
ハーパーによると、1-14節と21-22節がまず書かれ、次に15-18節と23-28節が
追加。更に19-20節によって拡大されているが初期捕囚時代の観点からだそうです。
この上に別の記者が29-40節を追加というように複雑な成立をしているそうです。
41-43節は最終段階で加筆されたそうです。
とはいえ律法を守ることが幸福を招き、不従順は死を招くという単一原理で
よく統一されているとのことです。
95
:
atheist
:2024/07/04(木) 01:03:19 ID:???
>>94
例によってけっこう複雑な編集過程をたどっているんですね
特に後半の明確な唯一神教的表現は後代捕囚期以降のようですが
記述に統一感があるので、たしかにうまくまとめているという感じがします
さて5章は申命記版十戒といったところですね
出エジプト記に比べ、やや敷衍されているように感じます
特に安息日についてはずいぶん長々と説明しています
また偶像禁止や拝一神の掟の部分は、祝福と呪いを子孫の代まで
及ぼすと語っていますね
後半の民の反応はヤハウェにとって首肯できるものだったようで
ここでは神を恐れることの大切さが強調されています
かなり露骨といえば露骨ですが、火で焼き尽くされることを恐れて
民はヤハウェに聞き従うというような叙述になってます
これも他の神や異教を排斥する意図のもとに書かれているような感じがしました
96
:
福音伝道
:2024/07/04(木) 05:48:43 ID:LsQB0PWE
>>95
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は申命記6章です。
フランシスコ会訳注によると5-28章の第二の説教は
1.5-11章 第Ⅰ戒の詳述
2.12-26,28章は申命法典を成り立たせる特有の方を含む
フランシスコ会訳注によると
6-21節の十戒は、出エジプト20:2-17の十戒とほとんど同じだそうです。
ハーパーは、その少しの差について言及します
出エジプトは、単なる行為の禁止だが、申命記は内面的感情に言及すると。
出エジプト
20:17あなたは隣人の家をむさぼってはならない。
隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、
またすべて隣人のものをむさぼってはならない」。
申命記
5:21あなたは隣人の妻をむさぼってはならない。
また隣人の家、畑、しもべ、はしため、牛、ろば、
またすべて隣人のものをほしがってはならない』
97
:
atheist
:2024/07/05(金) 01:11:50 ID:???
>>96
出エジプト記では「むさぼってはならない」となっている箇所が
申命記では「ほしがってはならない」となってますね
「むさぼる」が実際の行為ですが、「ほしがる」は心理であって実際の行為ではないので
この部分が内面的感情ということになるんですね
そういえばイエスも行為のみならず思うだけでも罪であるというような言い回しをしていましたから
イエスは申命記バージョンの十戒に連なる信仰だったと言えるかも知れません
さて6章もまだ5章の流れでヤハウェのことばが続きます
4節の「主は唯一の主である」という部分の主は両方とも同じだとすると
「ヤハウェは唯一のヤハウェである」となってしまい、あまり意味をなさなくなるように思いますが
二番目の「主」は原語では別の言葉なんですか?
5節はイエスが引用している部分ですよね?
それからここでは「ねたむ神」が強調されています
「唯一の神」だとしたら妬む必要はなさそうですから
やはりこの章はまだ捕囚期に至る前の拝一神教的な記述となるのでしょうか?
98
:
福音伝道
:2024/07/05(金) 05:43:27 ID:LsQB0PWE
>>97
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は申命記7章です
4節原文カナ表記
シェマ イスラエル ヤハウェ エロヘーヌ ヤハウェ エハード
聞け、イスラエルよ ヤハウェは 我らの神 唯一のヤハウェである。
神学解釈を無視して、原文を忠実に解釈すると
ヤハウェは、私たちの神ですよ。私達の神はヤハウェただひとりなのですよ
という拝一神教ですね
5節とレビ記19:18の併せ技が主イエースースの立場ですね
申命記 6:5あなたは心をつくし、精神をつくし、
力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。
レビ19:18あなたはあだを返してはならない。
あなたの民の人々に恨みをいだいてはならない。
あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。わたしは主である。
「ねたむ神」は
6:14あなたがたは他の神々すなわち周囲の民の神々に従ってはならない。
の文脈で出ていますので、明瞭に拝一神教ですね。
簡単に言うと、他の神々に浮気すると、おまえを滅ぼすぞと脅かしています
6:15あなたのうちにおられるあなたの神、主はねたむ神であるから、
おそらく、あなたに向かって怒りを発し、
地のおもてからあなたを滅ぼし去られるであろう。
99
:
atheist
:2024/07/06(土) 01:53:12 ID:???
>>98
あ、両方ともヤハウェなんですね
「ねたむ神」と合わせて考えてみても、この章ではかなり明確に拝一神教の要素が
強く出ているようですね
申命記の神への愛とレビ記の隣人愛のふたつが律法の核心であるとイエスも言ってましたね
いまさらこういう言い方は変なんですが、本当にイエスは優れた教師であったとつくづく思います
長大なヘブライ語聖書の中から、普遍的な核心部分を端的に引き出す能力、
それにヘブライ語聖書でもって律法学者に反駁する類まれな理解力と想像力、
神の御心に最後まで付き従う信仰の力、
キリストと考えられたのもよく分かる気がします
さて7章はカナンの諸民族を尽く、憐れむことなく討ち滅ぼせというヤハウェの命を書いた箇所ですね
特徴的なのが、イスラエル自体は弱小民族であると認めているところです
ヤハウェの力によって、イスラエルは数も多く力も強い諸民族に打ち勝つのだ、と
一応民数記では成人男性、つまりは戦士だけで60万ほどいたことになってますから
当時としては超巨大民族ということになるでしょうが、ここではちゃんと現実に即した記述になっているようです
わたしにはやはりこのあたりの記述はヨシア王当時の情勢を反映しているように感じられます
カナン征服神話を使って、ヤハウェ崇拝以外の異教的要素の廃絶を意図して書かれたもののように
読めます
これまたエズラ・ネヘミヤ記と共通する純血主義が主張されてますね
もちろんこの「純血」は実際の血の純血というよりも、信仰の純血ということになりますが
それからやはり気になるのは5節のアシェラ像です
アシェラということば自体は、実はカナンの女神ではなく木の柱の意味だとか
いろいろ説はあるようですが、わたしは普通に女神像であったろうと思います
まだカナンの多神教的要素が色濃く残っていた時代ではヤハウェとそのアシェラ
というインスクリプションが見つかっているので、保守的な学者はどうしてもこれを
女神とは解釈したくないようですが、当時はヤハウェとエルやバールが同一の神に見られたりしてたことも
あるようですから、普通に女神像と考えていいように思います
100
:
福音伝道
:2024/07/06(土) 15:03:19 ID:LsQB0PWE
>>99
atheistさん、こんにちは。本日と明日の聖句は申命記8章です。
5節 その石の柱を撃ち砕き、そのアシラ像を切り倒し
フランシスコ訳注によると、「石の柱」は男性器の象徴、アシェラ像は、木の柱
あるいは木であり、多産の女神の象徴であった、とのことです。
ハーパーは外国人女王イゼベルのもたらした危機について言及し、この影響の
影響の払拭のために書かれていると指摘。
新共同訳聖書辞典も、アハブ王時代、王妃イゼベルの感化でアシェラ崇拝が盛んに
なって、エリヤの粛清運動、ヨシヤ王の改革運動になったと紹介。
そういう後代の事件がモシェの口を借りて律法として語られたということですね
101
:
atheist
:2024/07/07(日) 01:21:34 ID:???
>>100
申命記史家の視点から語られているので
むしろアシェラ崇拝排除という強い目的があったわけですから
やはりここは女神アシェラ像としてそのまま解釈したほうがよさげですね
さて8章は出エジプトとその後の荒野での放浪での放浪に触れ
ヤハウェの命に従うことで地上の繁栄が約束される、というユダヤ教の教えを端的に示した箇所
と言っていいと思います
3節はイエスが引用した有名な箇所ですね
申命記のこの章の文脈では、たとえ地上のパンがなくとも
ヤハウェに忠実であればマナという奇跡でヤハウェは人を養ってくれる
というような文脈で言われていますが、イエスはこの物理的な糧を
精神的な糧として解釈し直しているように思います
ですからこの章でその後に続く地上の繁栄といった神の約束をイエスはほぼ完全に無視します
というよりも、山上の垂訓にあるように、物理的な繁栄よりも、もっと深い精神的な幸いという視点で
福音を語っていきますね
102
:
福音伝道
:2024/07/07(日) 06:26:32 ID:LsQB0PWE
>>101
atheistさん、おはようございます。本日はお休みです。明日、月曜日は申命記9章です。
人はパンだけでは生きず、
人は主の口から出るすべてのことばによって生きる
とありますから、3節を含む1-6節は、主イエースースの解釈どおり、
精神的なものであるように思われます。
ただ中心点は「律法に従え」です。
「主の口から出るすべてのことば」=「律法」で
主なる神のことばである律法に従うことがイスラエルの
生きていくための真の源泉で、たとえ食べ物がなくなっても
天からマナで養われる 神を畏れなさい、と。
で、7-20節は、設定場面が未来へと突然変わります。
良き地を賜った後の未来、豊かになると、自分たちの力で豊かになったと奢り高ぶって
他の神を崇拝などしようものなら、主なる神になって滅ぼされるという警告ですね
103
:
atheist
:2024/07/08(月) 02:27:58 ID:???
>>102
もちろん「人は主の口から出るすべてのことばによって生きる」ですから
律法によって生きることになり、そのまま直で物理的な繁栄となるわけではないですが
ユダヤ教においては律法に従う見返りが必ず地上での繁栄につながっている気がします
イエスの教えはその地上での繁栄を精神的な安住、宗教的な表現で言えば
霊的な安住へと変換しているように聞こえます
そこが政治的なメシアを求めたユダヤ人たちに見放された理由であるようにも思えます
ただイエス自身の考えでは自分が伝統的なユダヤ教に反しているとか
ユダヤ教を改革しようとかいった思いでなく、ユダヤ教の経典に書かれてはいたものの
なかば忘れ去られていた神への愛と隣人愛という土台から
経典を解釈し直したのではないかと感じます
申命記史家たちはヤハウェに排他的に聞き従うことで
ユダ王国の復興・繁栄を思い描きましたが、イエスは神の国、つまりは神への愛と隣人愛によって
結ばれた精神的(霊的)な国を思い描いていたのだと思います
104
:
福音伝道
:2024/07/08(月) 06:18:03 ID:LsQB0PWE
>>103
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は申命記9章です。
>人は主の口から出るすべてのことばによって生きる
詩編119編に
11わたしはあなたにむかって 罪を犯すことのないように、
心のうちにみ言葉をたくわえました。
16わたしはあなたの定めを喜び、あなたのみ言葉を忘れません。
17あなたのしもべを豊かにあしらって、生きながらえさせ、
み言葉を守らせてください。
25わが魂はちりについています。み言葉に従って、わたしを生き返らせてください。
28わが魂は悲しみによって溶け去りますみ言葉に従って、わたしを強くしてください。
81わが魂はあなたの救を慕って絶えいるばかりです。
わたしはみ言葉によって望みをいだきます。
103あなたのみ言葉はいかにわがあごに甘いことでしょう。
蜜にまさってわが口に甘いのです
「主の口から出るすべてのことばによって生きる」という時、
私は詩編119編を思い出します。
詩編の中で最も長い詩で、アルファベット詩編です。
捕囚の後に作詞されたそうです。通俗説ではダニエル作と言われているそうですが
実際はダニエルより後代に作られたそうです。
「密にまさって甘い」とあるように、とても霊的な印象を持ちます。
申命記史家たちは、リアルの復興・繁栄のための絶対的条件として、霊的な
拝一神教を説き、更に他教への傾倒が滅亡をもたらすと警告したのかもですね。
105
:
atheist
:2024/07/09(火) 01:26:40 ID:???
>>104
国を失うという民族的苦難がユダヤ人の神の捉え方を深化させていったのかもしれませんね
申命記史家たちにとってはヤハウェはエルサレム(ユダ)、そしてイスラエル民族と分かちがたく
結びついていたでしょうから、ヤハウェ崇拝はそのままユダ王国およびイスラエル民族の繁栄へと
まさに正比例の関係でつながっていたように感じます
それに対し亡国を経験したユダヤ人にとってはヤハウェという神をもう一度真剣に捉え直してみる
必要が生じたのでしょう
おそらくここに神と自分というこれまでにないような契機が生じたのだと思います
エルサレムやユダの土地に直接結びつかない、より普遍性をもった神という観点が生じたのかも知れません
このへんは第二イザヤにその片鱗を見ることができるような気がします
さて申命記は9章ですね
これから向かうカナンの地を前に、カナンの地が得られるのはイスラエルの民が正しいからではないと
断言しています
民が正しいのではなく、カナン人が悪いから滅ぼすのだ、と
そして民がいかにこれまで強情であったかを、とくとくと語ります
後半はそのお話がずっと続きますね
この章は民にヤハウェを信じなかったことに対する反省を促し
異教(の神々)を駆逐することを強く訴えているようです
表面的にはカナン征服の話という形を取りながら、国内の異教崇拝に対する非難を
語っているように思われます
それが民が正しいのではない、という表現に表れているのかなと思いました
ヤハウェの排他的崇拝というのが申命記のテーマということなのかもしれないと思いました
106
:
福音伝道
:2024/07/09(火) 06:12:45 ID:LsQB0PWE
>>105
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は申命記10章です。
強情な民の「強情な」という形容詞は原語ではカーシェ。
牛にくびきを背負わせるとき、牛が抵抗する様からできた表現だそうです。
「首を硬くする」「うなじ強き」「頑なな」「強情な」と訳されます。
70人訳では「首を頑なにする」という合成語を作って訳しています。
ハーパーは1-6節を「危険な自己満足」と銘打ち、カナン征服によって
自己正当化する危険に対抗しているとしています。
あなた達が正しいから征服できるのではなく、神の恵みによって得るのだ。
A.カナン人が悪い B先祖に約束された土地だから。
むしろあなたたちは頑なだったので40年間お預けをくったほどなのだ、と。
9:7-10:11 反逆と赦し、タイトルされています
フラッシュバック手法でモーセが「イスラエルの反逆」を物語り
「執り成し」と「赦し」が語られていると解説しています。
書かれた時代の異教崇拝や堕落について、申命記史家たちは
かなり腹に据えかねていたのだろうと推測します
107
:
atheist
:2024/07/10(水) 01:21:45 ID:???
>>106
よく「うなじの硬い」みたいな表現で出てくる原語はこのカーシェというやつなんですか?
ヤハウェが引っ張っていこうとしても、頑として動かない、という感じですね
先祖に約束した土地だし、そこに住んでるカナン人が悪いから滅ぼすけど
決してイスラエルの民が良いから住まわせるんじゃない、といった流れですね
なるほどフラッシュバック手法というのは分かりやすいです
聖書が出エジプトや荒野での放浪を語って民をたしなめる展開は多いですね
さて10章は前半でモーセが割ってしまった石版のバージョン2の作成の話、
後半で民への説教、ですね
前半は、おそらく祭司たちが書き記した十戒の石版、あるいはそれを収めたとされるアークを
ヤハウェの律法の聖なる象徴として据えたということなんだろうと思いました
申命記が書かれたときに作られたものかも知れません
後半はこれまでと違って、ヤハウェがちょっと優しくなってますw
特に18-20節は「寄留の」という限定付きですが異国人に対して慈悲や寛容を示してますね
108
:
福音伝道
:2024/07/10(水) 06:40:42 ID:LsQB0PWE
>>107
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は申命記11章です。
フランシスコ訳注によると
石板の再生について出エジプト34:1-24に基づいているものの、出エジプトには、
「契約の櫃」が出て来ません。
この「アカシアの木の櫃」は、後代に作られたものなのかもですね
6-7節は後代の加筆で、ホル山でアロンが亡くなったとする民数記の記述と齟齬がある
そうです。
14節 もろもろの天の天をフランシスコ訳注は「最上級」と解説しますが、古代人は
天を複数形で考えていた証拠であると私は思います。
16節 あなたがたは心に割礼をおこない、もはや強情であってはならない。
「心に割礼」は原文直訳では「心の包皮に割礼を施し」
著者は「強情」の真因を「心の包皮」と比喩し、それに「肉の包皮」のように
切り取り、「素直な心」を神の前にむき出しにしなさいと命令しています。
パウロス先生、ロマ書に曰く
2:29かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、
また、文字によらず霊による心の割礼こそ割礼であって、
そのほまれは人からではなく、神から来るのである。
109
:
atheist
:2024/07/11(木) 05:06:55 ID:???
>>108
寝落ちですw
アークの件といいアロンの件といい、編集段階で新たに挿入された話になってそうですね
そういえばパウロも天が3層だか4層だかみたいな話をしてたような気がします
心の割礼はパウロの言葉で覚えてますが、元はといえば申命記なんですね
さて11章は前半でまたまたこれまでの経緯を語り、そこからヤハウェの命を守ることで
カナンの征服およびそこでの繁栄を約束してますね
26-28節が申命記の主張を要約しているようです
要はヤハウェに従えば祝福が、従わなければ呪いが訪れる、ということで
極めて単純明快な主張になってます
申命記はほぼ説教集のようなものだからでしょうが、五書のなかでは
最も明快に神学的主題を押し出してますね
110
:
福音伝道
:2024/07/11(木) 05:50:14 ID:LsQB0PWE
>>109
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は申命記12章です。
エジプトは、雨が降らないので、自分の足を使って、ナイル川から灌漑の水路を
自分の畑まで敷かないとならなかったそうです
現代でも水の9割をナイルに頼っているそうで、灌漑設備の充実した豊かな地区と
水が十分行き届かず、荒廃が進む地区があるそうです。
これは上流エチオピアで建設中の巨大ダムが水不足を招いたそうで、
ナイル川から約20キロ内陸の中部ミニア県アル・エドワでは20%の農地が荒廃した
そうです。灌漑施設があっても水が来ず、井戸を200m掘っても水が出ないそうです。
一方カナンは、山から流れる川のほかに、先の雨(秋の雨)と後の雨(春の雨)があり
水やりに苦労しないそうです。
私は夏は毎日、サトイモに浴びるほどみずやりをしています。
これで芋のふとりが確保できます。やらないと葉が焼けて枯れます。
14節 秋の雨、春の雨 原文は 先の雨 後の雨
24節 大川ユフラテから西の海 原文は、後の海 地中海の事です。
設定では、ユーフラテス川から地中海までイスラエルの地だそうです。
かなりの広範囲ですね
トルコ, シリア, イラク, サウディアラビア, クウェート, イランが
イスラエルのものということになります。
怖いですね。古代人感覚では「呪い」と「祝福」とは表裏一体です。
111
:
atheist
:2024/07/12(金) 02:00:49 ID:???
>>110
「エジプトはナイルの賜物」ですが、裏を返せばナイルの水を引けなければ
農業ができないということですからね
それに比べるとカナンの地は水が豊富ということなのでしょうね
わたしの感覚だと「浴びるほど」水をやると作物は腐ってしまうように思ってましたが
里芋はそんなことないんですね
地中海を「後の海」と表現したのは興味深いです
後ろということはイスラエルの意識は東に向いていたということになり
イスラエルにとってはメソポタミア地方が文化的中心だったんだろうかと考えてしまいます
あるいはバビロニアの圧力が感じられていた頃成立した表現ということなんでしょうか
祝福と呪いがセットになってるってことは、信賞必罰、因果応報的な考えだったんでしょうね
さて12章は異教の偶像破壊と聖所の規定という感じですね
前半の偶像破壊はまさに申命記編集当時ユダ国内にあったであろう諸々の異教崇拝の地を
壊滅させようという強い意志が感じられます
後半の聖所の定めについては、エルサレムという具体的な名は出てきてませんね
これはまだカナンの地に入っていないという物語の設定上、エルサレムがヤハウェを祭る地とは
なっていない、という配慮からでしょうか?
あとはレビ人に対する配慮もしっかり書かれており、このへんも祭司階級の意図が感じられます
112
:
福音伝道
:2024/07/12(金) 05:54:33 ID:LsQB0PWE
>>111
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は申命記13章です。
フランシスコ訳注によると、方位を表す場合、常に東を向いて、そこを起点に
前、後、右、左と東西南北を表したそうです。なので「後ろの海」は「西の海」と
伝統的に意訳されるそうです。
12:5あなたがたの神、主がその名を置くために、
あなたがたの全部族のうちから選ばれる場所、すなわち主のすまい
この「主の選ばれる場所」は申命記に19回出てきて、明示されてませんが
エルサレム神殿のことだそうです。すると各部族に割り当てられた地方の聖所に
仕えていたレビ人の仕事と収入の道がなくなります。大改革ですね。
それで19節で、
12:19慎んで、あなたが世に生きながらえている間、
レビびとを捨てないようにしなければならない。
とあるのですが、口語訳は誤訳です。
フランシスコ会訳12:19 あなたは自分の土地に住む限り
聖書協会共同訳12:19 あなたは、この地で生きているかぎり、
新改訳2017 あなたは一生、あなたの土地で
聖所のエルサレム一極化で失業した地域のレビ人神職を、ローカルの人々は
支えなさいという規定です。
フランシスコ会訳注によると、伝統的に新しい土地に入った場合、土着の神々を
大切にしなさいという風習があったそうなのですが、ここではそれの完全否定とい
う極端な主張がテーマとなっているようです。
ハーパーによると、申命記の改革を志向する律法は、カナンの宗教的誘惑に直面した
状況の下、ヤハウェ信仰の純化と、民を統合管理するために、聖所の中央集中化が
あったそうです。
元々、箱を中心として国民的規模での礼拝もあったそうなのですが、
実際の宗教生活は国中に散在する地域の聖所それぞれに中心が置かれ、
イスラエル人は地域の聖所で犠牲を捧げ、十一を納めていたそうです。
この歩いて行ける地域の各聖所は高き地にあり、亡命者の避難所でもあったそうです。
地域の祭司のところへ一般人たちは気軽に相談にも行けたのですが、
この地域聖所はカナン的な儀礼慣習の影響を受けやすく、純化を目指す方たちから
すると「変節」に見えたそうです。そのため、この礼拝集中という改革が生まれた
そうです。
で、この中央集中はハーパーの見る所、神の唯一性神学と連動している、と。
更に申命記は「名前の神学」をここで主張しているのですが
中央聖所に実際に神がおられるわけではないが、その名がそこにあると主張する
ことによって神の超越性を守れる(5,11節)。同時にカナンの神々の名前は除去
されるべきものとなる(3節)。
ハーパーによると、明示されていない「ヤハウェの選ばれる場所」はシケム
だそうです。エルサレムではないそうです。
で、申命記はユートピア的理想の中央集中を語ったが実際に実現したのは
ユダ王国のヨシヤの治世で、ヨシヤ王は「ヤハウェの選ばれる場所」を
エルサレムと受け取ったそうです。
まあシケムはカナン占領後、ヨシュアが全部族を集めて
神とイスラエルの契約の証として、主の聖所のある樫の木の下に大きな石を立てた
場所ですし、北イスラエル王国の最初の首都ですし、ハーパ説が正しいのかもです
するとエルサレムって、ユダ王国のパクリとなります。
113
:
atheist
:2024/07/13(土) 02:34:32 ID:???
>>112
ということは「後の海」というのはさほど特別な意味はないってことですね
「主の選ばれる場所」はエルサレムで、それ以外の聖所で仕事をしていたレビ人の収入が
なくなることを考慮して、それぞれの地域の人はレビびとを支えよ、ということですね
各地域の聖所は一応直接的に異教の崇拝所というよりも異教に影響された場所であったため
その純化を目指してヨシア王やそれに連なるエルサレムの祭司たちが改革を起こした、という感じですね
ハーパーの解説では申命記はヨシア王より前に成立していたという前提で
書かれているので、「主の選ばれる場所」をシケムとし、ヨシア王がそれをエルサレムと再解釈した
という解説ですね
わたしには申命記はヨシア王時代、あるいはそれ以降の成立に思えますが
北のイスラエル王国があった当時は、シケムが最も大きな聖所であったはずなので
そういう解釈もたしかに成立しそうです
さて13章はヤハウェ以外の神に従うよう促す預言者や夢見の者に対する警戒を記しています
ここはかなり過激ですね
親兄弟といえど、他の神の崇拝を唱導する者は必ず殺せと言ってますね
11節にあるように、そういった者を殺すことでヤハウェ以外の神の崇拝をする者への見せしめとし
恐怖でもってヤハウェ崇拝を推し進めようとしています
拝一神教から唯一神教への流れの中で、こういった極端な排他思想が聖典に刻まれてしまい
その影響を歴史的なキリスト教やイスラム教が受けてきたことは、まことに残念なことですが
こういった極端な排他思想がなければ
世界史上にも珍しい唯一神教という宗教形態が根付くことはなかったのかも知れません
そして唯一神教がなければイエスのような宗教家が出ることもなかったのかも知れません
114
:
暇人 A
:2024/07/13(土) 10:24:31 ID:LsQB0PWE
>>113
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は申命記14章です。
怖いのは、ヤハウェが、3節にあるように
あなたはその預言者または夢みる者の言葉に聞き従ってはならない。
あなたがたの神、主はあなたがたが心をつくし、精神をつくして、
あなたがたの神、主を愛するか、どうかを知ろうと、
このようにあなたがたを試みられるからである。
つまり、ヤハウェは疑り深く嫉妬深く、疑心暗鬼に駆られているので
被害妄想を持たれているため、本当に民から自分が愛されているか
何度も何度も確認するために、預言者や夢占いの者を通して
不思議を実現させて、他の神々への信仰を説かせる。
うっかりそれに従ってしまうと神の怒りに触れるので、
他の神々への信仰を説く預言者・夢占いの者は見つけ次第、殺してしまわないと
いけない。魔女狩りにつながる発想かもですね。
そういう専門職だけではなく、兄弟、子供、妻、親友も、異教を説けば
殺さないといけない、と。ここまでくると狂気ですね。申命記史家は。
フランシスコ会訳注によると、石打は、穢れた罪びとに触れることなく
殺せるので、汚れることから免れたそうです。また証人が最初の第一投をなし
続いて民全員参加によって、罰の社会的責任の強調効果があったそうです。こわい。
町が異教に支配されたら、剣で、町全員を殺し、家畜も殺し、財物を町の中央に
集め燃やし、焼きつくす献げ物としてヤハウェをなだめなさいと。。。
もはや大虐殺を聖書の名で推奨する悪魔の書となってますね
ハーパーは申命記を全面的に肯定していますね。
背教の環境の中に生きていた当初の読者は、徹底的な行動をとるべく迫られている。
背教は国民生活から削り取るべき必然性を帯びた客観的事実であった。
背教に走った一族の者に石を投げつけることを要求する
非妥協的に神に対する忠誠を貫けと言うよびかけがある
偶像崇拝の都市は、内に向けた聖戦の攻撃目標とならなければならないし、
無慈悲に破壊尽くされなければならない。
こうした熱意からイスラエルは有益な教訓をまなばなければならい、と。
ハーパーもくるってますね
115
:
atheist
:2024/07/14(日) 01:43:08 ID:???
>>114
民数記などで部分的に表れていた排他的で狂信的な宗教姿勢が
ここでは全面展開しているようで、ある意味ユダヤ教の極端な一側面が集約された章という感じですね
リベラルな姿勢をとって解説していたハーパーはどうしちゃったんでしょうねw
申命記(あるいはこの章)を解説している人が宗教右翼よりな人というだけなのかもしれませんが
リベラルで客観的な姿勢からはあきらかにはみ出した解説をしてるみたいですね
さて14章は主に食事規定について書いてあります
いきなり1節で額の髪を剃ってはならないとかいてありますが、これはどうしてなんでしょうか?
これも死んだ人を悼むひとつの習慣だったのでしょうか?
食事規定は相変わらずですが、動物自体に対する宗教的観念というよりも
周辺民からイスラエルのアイデンティティを明確に区別するひとつの方法として
採用されたものなのかも知れないと感じました
21節では自然に死んだものは食べてはいけないが寄留の他国人には食べさせてもいいと書かれています
これも動物に対する宗教観念と言うよりもやはり神の民として周辺民からの区別を表しているように
思いました
29節の寄留の他国人、孤児と寡婦に対する配慮はレビ記でも書かれていたと思います
社会内部でのこのような「社会福祉的」姿勢は注目に値する部分ですね
116
:
福音伝道
:2024/07/14(日) 07:20:27 ID:LsQB0PWE
>>115
atheistさん、おはようございます。本日は日曜なのでお休みです
明日の月曜日の聖句は申命記15章です。
江戸時代に真宗と日蓮宗以外は、亡くなった方が仏弟子となった証拠として
故人に剃髪を施し、戒名を与えたそうです。
ベドウィンの風習ではレビ記にあるように
19:27あなたがたのびんの毛を切ってはならない。
ひげの両端をそこなってはならない。
19:28死人のために身を傷つけてはならない。また身に入墨をしてはならない。
わたしは主である。
親族が亡くなった際、服喪の慣習として、もみあげを剃ったり、髭の両端を落としたり
刺青をすることがあったようです。
額を剃る風習もカナンなどにあり、それを真似るなということのようですね
ハーパーによると、服喪に際して「額を剃る」のは、イスラエルの死者を悼む
嘆きの習慣に入り込んだバアル崇拝の習慣だったので禁止されたとのことです。
申命記史家は、管理できず土着化するローカル聖所を破壊し、中央集中したため
十一について、遠方からエルサレムに上る場合は銀に変えて上京し、エルサレムで
犠牲獣を買って奉納せよとする一方で、地方でリストラされたレビじんのために
7年の十一の3年目と6年目を中央ではなく、地方のために使えとしたようです。
この地方分はレビ人のみならず社会的弱者救済にも当てられたということですね
117
:
atheist
:2024/07/15(月) 03:41:05 ID:???
>>116
日本でも似たような風習があったんですね
カナンでももみあげや髭を剃ったり切ったりして死者を悼む風習があったので
そのカナンの風習と一線を画すための禁止されたらしいってことですね
「社会福祉」的な規定がレビ人のみであれば
単に祭司階級の自己保身とか自己防衛になってしまいますが
社会的弱者にも適用されているので、このへんはユダヤ教の先進的な部分だったのかも知れませんね
118
:
福音伝道
:2024/07/15(月) 06:28:49 ID:LsQB0PWE
>>117
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は申命記15章です。
卑弥呼の時代、日本人男性は刺青をしていたようです。
「男子は大小と無く、皆黥面文身す」と魏志倭人伝にあります。
中国では、罪人に刺青をしていたそうなので、野蛮と映ったことでしょう。
古代各地で 刺青や剃髪の習慣があったようです。
最近ではファッションでのタトゥーがあり、インバウンドを狙う日本では
「刺青お断り」を外すのがトレンドのようです。
119
:
atheist
:2024/07/16(火) 00:28:53 ID:???
>>118
考えてみればアフリカのいわゆる未開社会のひとたちも体に装飾を施してますし
10万年くらい前の洞窟から身体糊塗用の色素と見られるものもみつかったりしてるので
刺青というのはむしろ人類が古くから行なってきたお身体装飾の主流と言えるのかも知れませんね
アメリカ人などはごく普通の人がタトゥー入れてますから、タトゥー=ヤクザもんというのは
近代日本の特殊文化なのかも知れません
さて15章は主に借金の赦し、奴隷身分の解放について記されています
7年毎に借金の返済がちゃらになるなら、大金を貸す人はいなくなるような気がしますが
実際にこの規定通りに行われていたのでしょうか?
仮に規定通りではないとしても、富の偏在や身分の固定を防ぐ規定として
これまたユダヤ教の優れたところなのかもしれないと思いました
ちょっと気になったのは6節です
もしかしたらこの箇所がユダヤ人=金貸しというイメージに寄与したのかな、と
逆にユダヤ人が金融業を営むようになっていったのも
単に歴史的経緯からだけではなく、こういった聖句にも淵源があるのかなと感じました
17節の行為は人を家に固定することの象徴的行為なんでしょうが
痛そうですね
120
:
福音伝道
:2024/07/16(火) 06:10:07 ID:LsQB0PWE
>>119
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は申命記16章です。
フランシスコ会訳注によると、債務7年目免除は本文通りですと、免除の年があり
その年になると国中で一斉免除となったのですが、多くの学者は個別に借金して
7年目が免除の年になった解釈されているそうです。
対策としては6年で返済するように約束するとかだったのかもですね。
雇用人は3年契約だったそうで、奴隷は6年契約で7年目には自由になる
という制度であったそうですが、一説には奴隷の働きの価値は雇用人の半分
という意味かもとフランシスコ会訳注は推測しています。
ハーパーによると、元々は農作地を7年ごとに休耕にするという習慣があり
申命記史家は、イスラエルの社会的不公平を解決する革命的に解決する手段として
採用されたそうです。
背景として、小農民が裕福な債務者に対して、恒常的に土地を失うということがあり
それを是正するための律法だとのこと。
そして、申命記は、農地を借金のために失った小農民に対する規定を、農地のみ
ならず、社会的身分、借金の為に奴隷として身売りさせられてしまった者にまで
拡大し7年目の奴隷解放を命じているそうです。
古代貨幣が流通するに伴い貧富の差が生まれ、それを改革する立場のようですね
121
:
atheist
:2024/07/17(水) 02:24:02 ID:???
>>120
一応は規定通りってことですね
土地・財産・身分の格差、不平等が蓄積して
ヤハウェ共同体の一体性が損なわれるのを回避するための社会的施策が
宗教的な律法という形で法制化されたということなのでしょうね
さて16章は過越の祭、七週の祭り(後のペンテコステ?)、それに仮庵の祭について
簡潔に記されています
これまでもレビ記(でしたっけ?)で記されてきた主要な祭をここで再整理してる感じですね
特徴的なのは、「むすこ、娘、しもべ、はしためおよび町の内におるレビびと、
ならびにあなたがたのうちにおる寄留の他国人と孤児と寡婦と共に」喜び楽しまなければならない
と書かれているところです
ここではユダの土地にいる人すべてが身分・民族・社会的境遇に関係なく
祝うことが謳われています
セットで書かれている「あなたはかつてエジプトで奴隷であったことを覚え」、というのが
その背景にあり、これが共同体の底辺や寄留の他国人への配慮につながっているような気がします
122
:
福音伝道
:2024/07/17(水) 05:52:24 ID:LsQB0PWE
>>121
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は申命記17章です。
過越の祭、七週の祭り(後のペンテコステ?)、それに仮庵の祭は、
出エジプト、レビ、民数記にも出てきますね。
ただ出エジプトでは犠牲獣は1歳の羊か山羊ですが、申命記では、
仔羊、仔山羊のほか、牛でもOKです。また中央の聖所限定に変更されています。
また過越し祭りと酵母をいれないパンは別の儀式でしたが、申命記では
一つの祭りに合体しています。
7節 それを焼いて食べ
口語訳は、出12:9に合わせて、原文の「煮る」を「焼く」に改竄していますね
これは霊的な犯罪的行為ですね
新共同訳、聖書協会共同訳は、正しく「煮て」
新改訳第三版、2017は、ごまかし訳の「調理して」
「七週の祭」は、出34:22と一致。出23:16では「取り入れの祭り」
民28:26だと「初穂の祭り」
ギリシア語ではペンテコステ(50日目の日)
ユダヤ教の伝統だと、シナイ山で十戒を受けた記念日だそうです
三大祭りで一番にぎわったのが最後の秋祭りの仮庵の祭だそうです
身分・民族・社会的境遇に関係なく盛大だったのでしょう
123
:
atheist
:2024/07/18(木) 02:24:57 ID:???
>>122
申命記と出エジプト記や民数記では、細かいところで祭の記述がちょっと違ってるんですね
「煮る」を「焼く」に変える意図がわかりません
「焼く」に特別な意味があるのでしょうか?
三大祭りでおそらくいちばん有名なのは過越の祭だと思いますが
一番賑わったのが仮庵際というのはちょっと意外です
秋の収穫のあとだからでしょうかね
さて17章は前半が例によって異教に走るものの処分、後半が王を立てる場合の注意って感じですね
前半は一応証人を複数立てる条件をつけてはいますが
ともかく異教はなんとしても排除しなければならないという強い動機が感じられます
後半の王については「主が選ばれる者」というのがみそであるような気がします
実際に主が誰を選んだかは祭司に委ねられるでしょうから、ヤハウェ信仰に反する者が
王になることがないよう配慮されているのだと思います
物語の設定上はまだカナン征服前で、王を立てる立てないといった話が
出てくるような時期ではありませんが、書かれたのがヨシア王の時代ないしはその前後であれば
具体的にユダ王国の王となる者を想定していたのでしょうね
124
:
福音伝道
:2024/07/18(木) 06:24:14 ID:LsQB0PWE
>>123
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は申命記18章です
12:9生でも、水で煮ても、食べてはならない。
火に焼いて、その頭を足と内臓と共に食べなければならない。
と、ありますのに申命記16:7で
そしてあなたの神、主が選ばれる場所で、それを【煮て】食べ、
朝になって天幕に帰らなければならない。
だと、矛盾となるので、口語訳は、聖書の整合性のために
【煮て】を【焼いて】と改竄し、
新改訳系は【煮て】を【調理して】と胡麻化して訳しています。
一番賑わったのが仮庵際は、フランシスコ会訳注です。
秋の収穫(ぶどうとオリーブの収穫)のあとなので、農繁期が終わって
民が開放的気分になったのかもですね
サムエル記上8章 10:9では、王政に否定的
同9:1-10,10:16では王政に肯定的
申命記のここでは、中立的とフランシスコ会訳注は解説しています。
ハーパーによると前半は、司法制度についてであり、そもそもは地方で裁判して
いたものを中央で裁判するように中央集権化したものであり、通常であれば
上級審は王が裁決したはずであるが、申命記は王政に信頼を置かず意図的に
無視しているとのこと。
王については、申命記は王権に高い評価を与えていず、歴史の中で
王が異教崇拝を導入したことを非難し、社会階層全てに公儀を施すのではなく
富裕階級を築き上げ、結果他国との戦争に民を巻き込んだと非難した上で
それでも尚、約束された地の暮らしに王が生活の一部を担うと認めているそうで
ユートピア的に理想の王像を描いているそうです。
「市民王」が申命記の描く理想の王像だそうです。
125
:
atheist
:2024/07/19(金) 02:01:15 ID:???
>>124
なるほど12章で「煮ても」食べるのはダメだと書いてあるのに
16章では「煮て」食べなければならないと矛盾したことを言ってることになるので
口語訳はそこを「焼いて」と変えてしまったわけですね
ハーパー的には申命記は王政に信頼をおいていないと考えているんですね
わたしはこれについてはよく分かりません
言われてみるとそのとおりとも思えますし、ちょっと深読みのし過ぎのようにも思えます
ただ申命記史家はかなり原理主義的な思想を持った集団であったであろうということは
言えると思うので、王政についても理想主義的な王を思い描いていたのかも知れませんね
さて18章は前半でレビ人の取り分というか処遇について語っていますが
9節あたりから預言者とその他の「霊能者」を区別して、異教の風習に染まらないよう注意を促しています
簡単に言うと、預言者とその他の霊能者の区別は、語ったことが成就するか否かということになりそうですが
占いでよくあるように、大抵の場合、どうとでも取れるような言葉で語られたりしますから
実際に預言者とその他の霊能者を区別するのは難しいんじゃないと思います
このへんはどうやって本物の預言者とそうでない者を識別していたんでしょうか?
126
:
福音伝道
:2024/07/19(金) 06:11:50 ID:LsQB0PWE
>>125
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は申命記19章です。
前半は異教崇拝に傾きがちな地方聖所を廃したために失業した地方レビ人の権利保障の
話で、地方に留まっても犠牲獣の内、肩と頬と胃の肉は地方レビ人のものだよ、
地方レビが中央に上ったら、中央レビ人と同じ権利を有するよという話ですね
後半は、土着の異教に影響されるなという話で、預言者と他の者をどう識別するか
というと、第一には、ヤハウェが派遣した預言者は「ヤハウェの言葉」を語る者
である。他の神のことを語る者は偽物である。
では、偽予言者がヤハウェの言葉を預かりを語る者だと自称した場合はどうか。
偽予言者が語った言葉が実現しなければ、そいつは偽物であると聖書にはありますね
atheistさんが危惧される「どうとでも取れるような言葉]への対応は書かれてないですね
127
:
atheist
:2024/07/20(土) 02:29:18 ID:???
>>126
第1段階の選別はヤハウェの言葉を語るのか、それ以外の神の言葉を語るのかということで
これはひとまず分かりやすいですよね
問題は第2段階で、ヤハウェの言葉を語ると称しながら異教の神の言葉、あるいは嘘を語っている場合で
その見分けの基準が言葉が実現するかどうかとなるわけですね
これも想像ですが、神の言葉を預かったと本気で思い込んで預言した上、外れてしまった人は
問題なく排除されたと思います
それに対しあくまでも実際にはヤハウェの言葉を預かったと自分では思っていないのに
そう偽って語る人は、当然外れたときのリスクを考えて、抽象的な物言いをしたことと思います
実際に神の言葉を預かるということがあり得るのかは、信仰の問題ですから置くとして
上記のように預かっていないのに預かったふりをする偽預言者は判別がつかないだろうということです
そういったことはおそらく当時の人達も考えていたでしょうから、いったいどこから預言者という
特殊な類型の人たちが生まれ、社会で一定の認知を受け、ユダヤ教の中に根付いていったのかというのが
ちょっと疑問だったんです
さて19章は殺人や偽証に関する掟について書かれてますね
拙いながらも古代としては、そして宗教的律法の枠内としては、「被告人」の権利の保証や
偽証の排除についてよく考えられているように思います
ただ21節にあるように、根底にはハムラビ法典流の同害復讐法があるため
いわゆる近代的な人権の尊重にまでは至っていないようですね
たびたび語られる信仰共同体の純化のために同害復讐が是認されているようです
128
:
福音伝道
:2024/07/20(土) 08:14:29 ID:LsQB0PWE
>>127
atheistさん、おはようございます。本日と明日の聖句は申命記20章です。
基本、預言者の予言が外れた場合の対処方法は、民に責任転嫁すると思われます。
モシェ自身がまずそうです。
お前たちがヤハウェ信仰に純粋ではなく、金の子牛像を作ったから云々と。
まちこさんも、台風が来ないと予言して、台風が来て畑の支柱が折れた際も
責任を私へ転嫁されてました。
同害復讐法はフランシスコ会訳注によると、原則であって、実際は
故意の殺人を除くと、同等の保障をして解決を図ったそうです。
論点はあくまで過度な復讐禁止にあったそうです。
ただ、6節「復讐する者」、原文は「ゴエル」で「血の復讐をする者」という意味で
殺害された者の近親者の中から最も近い者が、殺人犯を殺す義務を負ったそうで
その義務者をゴエルと呼んだそうです。
ここには文字通りの「同害復讐法」が生き残ってます。言葉さえあるほとです。
イスラエルのこの慣習を緩和するために、ハーパー曰く、「逃れの町」が設定された。
フランシスコ会訳注によると、元々、「逃れの町」は地方聖所が担当したが、申命記に
よって聖所が中央に一本化されると、一般地が新たに「逃れの町」となったとのこと。
しかしハーパーはこの「逃れの町」が実際に機能していたのか確証がない。
申命記のユートピア的記述の可能性ありと指摘しています。
ハーパーは続けてlex talionis(タリオ法 同害復讐法)に言及して、
関大に扱おうとするいかなる誘惑も未然に防ぐために引用しているとしてます。
129
:
atheist
:2024/07/21(日) 00:41:31 ID:???
>>128
なるほど民に責任転嫁するという方法がありますねw
預言が外れたのはお前らがヤハウェに従順じゃなかったからだ、と
6節の「復讐する者」では単に個人的な怨念で復讐するという感じですが
原文的には「殺人犯を殺す義務を負った者」なんですね
こうなるとまさに目には目をとなってしまい、共同体に亀裂が入るので
その緩和のために「逃れの町」が規定されたわけですね
ハーパー的には、これはあくまでも理想であって現実とは限らないようですが
さて20章は戦いの心得という感じですね
さすがに慣れてはきましたが、それでも酷いですね
自分たちの嗣業となる土地に関しては例外なく皆殺し、
そうでない町については、男は皆殺しにして、女子供家畜はぶんどり分として
自由に使ってよし、ですからね
とは言っても、実際にこのような征服が行われた痕跡はほとんどないので
やはりここもあくまでも異教徒には容赦するなというのが主旨なのでしょう
130
:
福音伝道
:2024/07/21(日) 10:20:05 ID:LsQB0PWE
>>129
atheistさん、おはようございます。本日はお休みです。
明日の月曜日の聖句は申命記21章です。
申命記の戦争の記述はハーパーによると、「戦争」は王の職務となっていて
職業軍人が中心になっていたに対して、王政以前の古い聖戦の理想を描いている
そうで、戦争の主体はヤハウェであり、兵隊は職業軍人ではなくて市民だそうです。
で、ヤハウェの戦力は、天の軍勢で、武器は稲妻、嵐(士5:20-21)、地震(ヨシュ6:20)
通常、夜明けに襲い掛かり、敵を恐怖させ敗走させるそうです。
その霊的な戦争のためには陣営は霊的に清浄でなければならないため、
まず祭司が戦争説教をし、市民兵士が勝てると信仰することが求められるそうです。
で、あくまでユートピア的理想なので、領土外の遠隔地に対しては降伏勧告と
強制労働という古代的な人道主義を説くが、領土内の他国人については一転して
無条件殲滅するという極端なことが説かれているそうです。
あくまで戦争遂行は「神からの賜物である領土」についてだけだという主張は
実は、リアルの王政による軍事的冒険主義に対する申命記史家の批判が背景に
あるそうです。あくまでハーパーの分析ですが。
131
:
atheist
:2024/07/22(月) 00:39:15 ID:???
>>130
そういう見方もあるんですね
申命記史家が現王政に批判的で、ヤハウェによる「聖戦」を現王政の軍事的冒険主義に
対置して称揚しているというのは私にはあまりよく分かりません
たぶんわたしの頭のなかではヨシア王=ユダ王国王政=神殿勢力という感じで
王政と申命記史家が一体になっているからだと思います
この前提自体が間違っている可能性もあるので
ハーパーの見方も、ひとつの見方として頭においておこうと思います
132
:
福音伝道
:2024/07/22(月) 07:30:42 ID:LsQB0PWE
>>131
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は申命記21章です。
余談ですが、1955 年にニムルドでアッシリアのエサルハドン誓約文書という
粘土板が発見されて、その中の呪いの言葉が申命記28章の呪いの言葉と類似
するということで、注目されました。その後、ニムルド版は断片で多くの
学者が再現を試みていたのですが、2009 年に完全版のタイナト版が発見され
全貌が明らかになると、申命記は、実はエサルハドン誓約文書の影響を受けて
エサルハドン誓約文書では、アッシリア王エサルハドンが、息子を王にするの
で、それに忠誠を誓え。永遠にアッシリア王家に忠誠を誓えというものなのですが
申命記史家は、この王をヤハウェに変えて一神教としたのではないかという新説が
提唱されるようになりました。
この制約書粘土板は各地の神殿に置かれていたそうです。
原申命記も、神殿に置かれていたという伝承があります。
ハーパーの軍事的冒険主義がリアルの何を指すのかは不明です
133
:
atheist
:2024/07/23(火) 01:07:42 ID:???
>>132
ユダヤ教が唯一神教へと変わっていく重要なきっかけが申命記改革だったということを考えると
その申命記がアッシリアという異国の文書に影響を受けていた可能性があるというのは
宗教史的にはかなりインパクトが大きいですね
もちろん影響と言っても、形式だけを模倣したものから神学的影響まで
様々に解釈されるでしょうから、一概に唯一神教がユダヤ教自体の内在的発展の結果であるという
解釈を否定することはできませんが、ユダヤ教及び聖書というものを考察するときに
当時の国際関係や異国の影響というものを無視してはならないという極めて重要な教訓にもなりますね
さて21章は、前半が野で見つかる殺害された人の扱い、後半が捕虜に取った女の扱い
及び長子の権利やわがままな息子についてです
前半の例はずいぶんと奇妙と言うか珍しい例ですが、犯人が見つからない場合の
その殺人の罪をどうするかということですね
犯人がわかっていればその犯人を処罰することで「清め」となるのでしょうが
犯人がわからなければ地が汚れたままになるので、こういった手続きが必要になるということなんでしょうね
後半もまた、やや奇妙です
これまで異教徒との婚姻をかなり強く否定してきたはずなのに
ここでは妻に娶ることを認めています
「美しい」という形容がついていることからも、実際にイスラエルの男のなかには
異教徒だろうが異国人だろうが、自分の欲望に逆らえない人が実際にそれなりの数いたのでしょうね
ですからここでは現実的な対処を提示しているように見えます
一応もうその女性に飽きてしまった場合にはちゃんと女性の自由を保証するという
配慮もされてはいますが、女性の意思は考慮されてませんね
長子の権利については、父権者の横暴や気まぐれを制御するための規定であるように見えます
手に負えないわがまま息子は結局石打のリンチで殺されるんですねw
これもまたとにかくユダの地から悪を排除しようという宗教的潔癖主義が感じられます
134
:
福音伝道
:2024/07/23(火) 05:54:14 ID:LsQB0PWE
>>133
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は申命記22章です。
未解決殺人事件では、血によって土地が汚されたので
その土地を代表して近隣都市の長老の責任において牝牛の首を折って
贖罪しなければにらないということですね。首を折るのは、これは犠牲獣では
ない贖罪であると言うことの象徴だそうです。そして地方のレビ人がこの儀式を
監督・指導したそうです。ここは中央化されなかったようです。
ハーパのによると捕虜女性を公平に扱うための権利保障の側面があるそうです。
というのは捕虜女性はイスラエル男性と婚姻して、男性の保護なしではイスラエル
社会で生きていけなかったそうです。一旦捕虜から妻となると、市民として扱われ
離婚に際しては奴隷のように売られることはなく、自由に市民として出ていけた
とのことです。
一夫多妻制にあって、愛されなかった妻の息子の長子権は父親の私意によって
奪われてはならないと規定されています。これは紛争の元だったのでしょう。
これは創世記48:13-20の否定です。爺様が長子マナセではなく、エフライムに
長子権を与えたのですが、こういう恣意行為を申命記は否定したわけです。
手に負えない息子問題はハーパーによると、絶対的な家父長権が崩壊した時代に
あって。申命記改革は、地域の長老に問題解決に当たれと命じているそうです。
それで、手に負えない息子は石打にされて殺されるわけで、我々現代日本人が
読むと野蛮なのですが、この息子は死刑に値する犯罪を犯している者のことの
ようです。
最期が、木にかけられた者は神にのろわれた者 ですね
135
:
atheist
:2024/07/24(水) 01:04:43 ID:???
>>134
そういえばなんで牝牛の首を折るんだろうと思ってました
犠牲獣とは区別された贖罪なんですね
たしかに古代としては捕虜の女性に対しては奴隷のような扱いにはなってませんね
愛されない妻に対しても息子の長子権を否定することなく保証しています
このあたりは宗教共同体としての平等性が発揮された部分だと思います
「手に負えない」「わがまま」といった日本語からは
死に値するような罪を犯した人物のようには聞こえませんが
実際は相当の罪を犯しているということなんですね
さて22章は細かい規則を集めた律法集のような感じになってます
どれも現代からみると奇妙に映りますが、全体としてやはり宗教的潔癖主義が感じられます
特に9節から11節はただ単に異種のものが混ざるのを嫌っているようにしか見えません
13節以降は特殊な例を非常に細かく説明しています
ということはこういったことがそれなりに頻繁にあったのかも知れません
ここでも女性は生命や生活の保証の対象とは見られていても
意思主体とは見られていませんね
女を犯したらその父に金を払って自分の妻としなければならないというのは
女が傷物になってしまったため、他の男に嫁ぐことができないので
女の意思に関係なく妻とせよ、ということだと思いますが
ここでは女の生活の保証は考慮されていても女の意思はまったく問われていません
まあ古代とはそういう時代だったのでしょうね
136
:
福音伝道
:2024/07/24(水) 06:14:08 ID:LsQB0PWE
>>135
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は申命記23章です。
一般市民に
11羊毛と亜麻糸を混ぜて織った着物を着てはならない。
と、命じられているのは、羊毛と亜麻糸で織ったレビびとの祭服が出エジプト
8:5彼らは金糸、青糸、紫糸、緋糸、亜麻の撚糸を受け取らなければならない。
にあるように、「金糸、青糸、紫糸、緋糸」という染色された羊毛と亜麻糸で
織られているからですね。異種のものを混ぜるのは特別な祭司だけであった
ようです。
13節以降は娘は単に父の所有物であり、銀50シェケルの価値ということが
前提にあるようです。結婚したが気に入らず結納金の銀50シェケルを
取り戻したくて「非処女」だったと難癖をつけたという話が元のようです。
現代にすると233万円程度だったので、でかかったのでしょう。
ただ父親が処女の証明をすると、逆に銀100シェケルを賠償しなければなら
なかったようです。当然ですね。
ちなみに主イエースースの頃は銀の価値は下がっていて50シェケルは40万円程度のようです
137
:
atheist
:2024/07/25(木) 01:54:11 ID:???
>>136
少なくとも服装に関しては生地を混ぜるのはレビびとだけなので
一般市民には禁止されたということですね
古代的観念だと女は財産ですから実質的に結納金と処女の交換なのに
「買った商品」に瑕疵があるとクレーム付けて代金を取り戻そうとする奴がいたわけですね
金額的にもちょうど新車を買ったのに、実は中古を売りつけやがって、とあらぬクレームを付けてるような
もんですね
さて23章も細かい律法が続きます
1節でいきなり去勢した男子が出てきますが、古代イスラエルでも去勢はあったのでしょうか?
2節は酷い話ですが、私生児ということは婚外で生んだ子となってヤハウェの祝福を得ない子と
考えられたのでしょうね
前半で特徴的なのはアンモンとモアブに比して、エドムとエジプトには好意的なところです
申命記が書かれたときの時代状況なのか、筆者の神学なのか、理由は分かりません
9節以降では戦時での「下(しも)」の扱いですね
10節の「夜の思いがけない事」はセックスなのか自慰なのか、そのあたりでしょうか?
排泄についても規定があるところがすごいですが、これもまた汚れを嫌う宗教的潔癖主義の
表れのような気がします
そのあと奴隷の扱いや神殿娼婦、神殿男娼、利息、請願と律法が続きますが
最後の隣人の畑の箇所は面白いですね
隣人の畑に入ったら、飽きるまで食べてよいというのがすごですw
これならいざ生活に困っても生きていけそうですw
138
:
暇人 A
:2024/07/25(木) 06:11:29 ID:LsQB0PWE
>>137
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は申命記24章です。
1節で口語訳は省略して「去勢した男子」となっていますが、
原文は「睾丸が傷ついた者」「陰茎を切り取られた者」ですね。
勝海舟は子供の時に睾丸を犬に噛まれて手術したそうですが、
こういう事故に遭った人は古代でもいたのかもですね。
問題は「陰茎を切り取られる」去勢が古代イスラエルであったかですが
なかったのではないでしょうか。
ただ、宦官が古代アッシリアで始まったとされていて、BC9C頃にはありました
ので、聖書はアッシリアを意識してアンチ去勢と謳うのやもです。
フランシスコ会訳注によると、口語訳で「私生児」とそれている語は
「不法な近親結婚」「姦通にる非嫡出児」を指すと思われるとのことです。
一夫多妻制の世界ですので。また10代は、実質「永遠」という意味だそうです。
アンモンとモアブは、ロトとロトの娘たちの近親相姦の子孫だから排除したようです
逆にエドムの祖は、イスラエルの祖のヤコブの兄のエサウなので差別するな
エジプトに寄留したことがあるから、エジプト人は3代目から会衆になってOK
という申命記感覚ですね。
京都も似たところがあつて、私が子供の頃に宇治市から京都市へ引っ越しすると
祭りに参加させてくれなかったです。20年ほど居住すると祭りの協賛金だけは
要請されるようになりましたが参加はさせてくれなかったです。地域コミュニティ
が閉鎖的だったです。九州は来た時からウエルカムで驚きました。
10節 夜の思いがけない事→夢精の事です
排せつに関してですが、陣営のうちに神が住まう。その神の力によって勝利すると
信じられていたので陣営内を清潔に保つ必要があるというのが建前です。
実際は清潔でないと病気が蔓延したからではないでしょうか。
人間飢えたら泥棒すると、戦中に疎開した子供たちが大人になって仰せでした。
彼らは畑泥棒したようです。
1人が食べる分はわずかなので、赦されたのかもですね
139
:
atheist
:2024/07/26(金) 02:58:02 ID:???
>>138
なるほど当時のユダにはなかったけどアッシリアにはあったので
反アッシリア的姿勢として去勢を否定的に捉えていた可能性があるってことですね
一夫多妻を前提にこの「私生児」は姦通による非嫡出子だけでなく
不法な近親婚による子も意味していたと考えられるのですね
どちらにしても「永遠」に排除されると言われるほど、禁忌に触れる行いということになりそうです
アンモンとモアブに比してエドム、エジプトの厚遇というのは
元の神話であるロトの娘たちの近親婚が関係しているということですね
これは上記の話と合わせると合点がいきます
それにしても京都も古都としてのプライドがあるのか、かなり閉鎖的なんですね
「夜の思いがけない事」は本人にとって「思いがけない」ということで夢精になるんですね
排泄処理には衛生上の理由もある、と
わたしも飢えたら死ぬより泥棒すると思います
しかしその「泥棒」行為を律法で認めているところがすごいですね
さて24章はまだ諸律法が続いているようです
前半は妻の離縁についてですが、離縁というより妻の再婚禁止の条件について
という感じです
むしろ5節の新妻に対する扱いのほうが目を引きます
新婚早々夫が戦死することを回避する律法のようで
ここはずいぶん女性に対する配慮が感じられます
12-15節の貧しい人に対する配慮も注目に値しますね
総じてユダヤ教は共同体内部のことがらについては
古代でもかなり先進的であったように感じられます
同じことは16節以降の律法にも感じられます
古代に限らず身内の罪は身内が贖うといった観念が根強くありますが
古代においてこういった思考ができることもその先進性を示しているような気がします
また17節でも人の身分や現状によって裁きを曲げてはならないというのも
現代ではあたり前のことですが、古代ということを考えるとすごいことであると思います
18節以降も、孤児と寡婦と寄留の外国人に対する社会福祉的規定になってますね
140
:
福音伝道
:2024/07/26(金) 07:52:33 ID:LsQB0PWE
>>139
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は申命記25章です。
古代中国でも日本でも新婚の者が戦争に徴兵されましたので、
申命記の配慮は突出していますね。
石臼についても、毎日小麦を挽いて小麦粉にしてパンを焼いたそうなので
石臼を質にされるというのは、炊飯器を質に取るようなものですね。
これも禁止されています。最低限の生活保障ということなのでしょう。
申命記が5節以下、人道上の規定するのは、イスラエルを傷の無い、調和のある社会へ
と改革しようとしているからだそうです。
神に対する様々な悪をまず防止した上で、
結婚が進んで容認される社会、誘拐がふさがれ、皮膚病が祭司によって管理される社会
貧しい者や底辺の者たちに特別の配慮を惜しまない社会。
日雇い労働者には適切に賃金が支払われる社会。
貸与は裕福の者が貧しい者へ社会的利益の還元(援助)として描かれており、
利子を稼ぐ手段と申命記は考えてないそうです。
しかも7年ごとに債務は帳消しにされる社会であることを思い出すと
かなり優遇しようとしているのかもです。
141
:
atheist
:2024/07/27(土) 00:46:48 ID:???
>>140
新婚者の戦役免除なんて聞いたことがないですからね
石臼が炊飯器というのは分かりやすいです
日々食事に使うものなので、これもまた一種の社会保障と言えるものだと思います
こういった記述を読むと、申命記記者が「理想主義」だというのは分かる気がします
現実にこういった記述通りに律法が運用されたかは分かりませんが
少なくとも古代社会においては突出した社会保障や社会福祉的観点を持っていたことになりますね
さて25章もまだ律法が続きます
むち打ちが40を超えてはならないとされているのは、それ以上に打つと
死んでしまう危険があるからでしょうか?
そのあとにある死んだ兄弟の妻の処遇はけっこう面白いですね
律法の中心は兄弟の家(名)を絶やさないということにあるようで
未亡人を娶ることを拒否した兄弟は徹底的に辱められます
それから気になったのが11-12節です
「隠し所」というのは要は陰部ですよね?
やはり男性の陰部を鷲掴みにするような不埒な真似は絶対許さないということでしょうか
哀れみをかけずに手を切り落とせとまで言うくらいですから、非常に強い禁忌だったのでしょう
最後はアマレクびとに対する復讐のことばで終わってます
なんかこの章だけではないですが全体的に体系的な記述と言うよりは
思いついたままに律法を語ってるような感じに見えます
142
:
福音伝道
:2024/07/27(土) 05:57:06 ID:LsQB0PWE
>>141
atheistさん、おはようございます。本日と明日の聖句は申命記26章です。
鞭打ちについてぐぐりますと、現代ではシンガポールで残っているそうです。
打たれる回数は成人男性で上限24回、少年で10回だそうですが、
実際は傷害罪などの重罪でも8〜12回が限度だそうです。
1回打たれるだけで失神してしまう受刑者も少なくないそうなので、40回というのは
相当です。
フランシスコ会訳注によると、古代イスラエルには牢獄がなかったそうで、
死刑の他は、罰金刑か鞭打ち刑だったそうです。申命記が40回まで得っていと
定めたため、数え間違いを避けるためユダヤでは39回を上限としたそうです。
十字架刑の前、主イエースースが鞭打たれましたが、これが最高数の39回です。
死刑確定の重罪人が39回の鞭打ち。身体がボロボロですね。
レビラト婚ですね。近代日本でも兄嫁が子なしで戦争未亡人になった場合、
弟が兄の家を継ぐというのはありましたね。
儒教では逆縁婚としてタブー視するようで、武士階級では忌避されたそうですし
将校の未亡人には遺族年金が充実していたのですが、庶民階級では一般的でした。
「隠し所」はמבשׁ 語義分析すると「恥ずかしいところ」です。陰部のことですね
ハーパーによると、レビラト婚は大家族制を前提としており、弟は兄の家に暮らして
いたそうです。創世記38章では、弟オナンは、兄嫁の寝所に入ってセクスはしたもの
の、射精を膣の中でせず、地へ向けて放出したそうです。自分の子供にならず、
法的には兄の子とされるのが赦せなかったようです
143
:
atheist
:2024/07/28(日) 02:22:30 ID:???
>>142
鞭打ちが身体にどれほどのダメージを与えるのか経験したことがないので
分かりませんが、部活で顧問にケツバットされたことはあります
一発で痺れるような痛みでした
おそらく鞭打ちはそれ以上の威力でしょうから、皮膚が裂け肉が切れるような状態なんでしょうね
それを39回というのは恐ろしい刑です
女性がひとりで生きていけない社会であれば、兄弟が娶るのは合理的な女性保護になりますね
恋愛とか愛情よりも、家に収まることが大切な古代では女性の側にも違和感はなかったのかも知れません
むしろオナンのように男性のほうが自分の子とならない性行為に憤慨する、つまりは一家の長となれない
ことに憤慨する場合のほうが多そうです
さて26章はカナン征服後に行われるヤハウェへの感謝とその言葉についてですね
ともかく気になったのは5節の「わたしの先祖は、さすらいの一アラムびとでありました」
という箇所です
エゼキエル書などでもそれとなくイスラエル民族の祖先がカナンの諸部族であることが
語られていますが、ここではアラム人ということになっています
この「アラム人」というのはアブラハムのことを指しているのでしょうか?
いずれにしてもイスラエル民族自身の民族意識にはヤハウェとの契約で
カナンの諸民族からは独立したひとつのイスラエルという民族となった、
という意識があったように思います
ヤハウェ信仰とイスラエルの起源が明確に分かっているわけではないので
断定的にには言えませんが、もともと雑多なカナンの諸民族出身であったはずの
中央山地に集まった人たちが、イスラエルというひとつの民族意識を醸成した背景には
ヤハウェ信仰という宗教が強く関与していたのだろうということが感じられます
これはユダ王国やイスラエル王国が成立した時期とほぼ同時期に成立した
アンモンやモアブ、エドムといった周辺領域国家にも、イスラエルほど出自が雑多でないとしても
ある程度言えそうなことですが、イスラエルの特殊性はやはり神との契約という観念にあるような気がします
この「人為的な」契約から逆に「血筋」としての族長物語が形作られていったのだと思います
144
:
福音伝道
:2024/07/28(日) 07:42:24 ID:LsQB0PWE
>>143
atheistさん、おはようございます。本日はお休みです。
明日・月曜の聖句は申命記27章です
フランシスコ会訳注によると、
5節の「わたしの先祖は、さすらいの一アラムびとでありました」は、
父祖ヤコブを指すそうです。
ヤコブは、アラム人である母リベカから生まれ、兄エサウから長子権を奪うと
アラム人の伯父ラバンの元に身を寄せ、ラバンの娘二人を娶ったので、
ヤコブがアラム人と呼ばれていたためだそうです。
次に三年ごとに什一を貧しい人に施すことが語られています。
什一を現代でも推奨する教会がありますが、三年ごとに集まった什一をすべて
貧しい人たちに施す教会がないのは不可思議です。
口語訳はわかりにくいので聖書協会共同訳を引用します。17-18節
今日あなたは、「主を神とし、主の道を歩み、その掟と戒めと法を守り、
その声に聞き従います」と明言したので、
主も、今日あなたに向かってこう宣言された。
「あなたに告げたように、あなたは主の宝の民となり、すべての戒めを守る。
ヤハウェの掟と戒めを守ると、明言(=同意,=契約)したので
ヤハウェはそれを受けて、『ヤハウェの宝の民』とした、と。
父祖ヤコブの血を一方で誇りながら、他方で律法を遵守するから
『ヤハウェの宝の民』とされるとあります。『契約の民』ですね
145
:
atheist
:2024/07/29(月) 01:48:30 ID:???
>>144
ヤコブのことなんですね
そういえばラバンとかリベカはアラム人ということになっていたような気がします
イサクとレベカの子がヤコブとエサウで、ヤコブがイスラエルと改称しイスラエル十二支族の
父となった、という流れですから、まあアラム人と言えなくもないですね
繁栄の福音ではマラキをもとに什一献金の重要性を強調しますが
不思議と申命記に書かれている什一の貧者還元を唱える繁栄の福音系の教会は聞きませんね
血筋を強調することは民族の一体感を醸成するのに寄与したのでしょうね
ただヘブライ語聖書で最終的に強調されるのはヤハウェとの契約であり
ヤハウェに聞き従うかどうかなので、やはりイスラエルがひとつの民族として
意識されたのはヤハウェ信仰、とくにヤハウェとの契約という観念によるのでしょうね
146
:
福音伝道
:2024/07/29(月) 19:46:36 ID:LsQB0PWE
>>145
atheistさん、こんばんは。本日の聖句は申命記27章です。
まあ捕囚後のユダヤ人は実際に喋っていたのはアラム語です。
主イエースースもアラム語を喋ってました。
アラム人と呼ばれても さほどの違和感がなかったのかもですね
147
:
atheist
:2024/07/30(火) 00:55:36 ID:???
>>146
たしかに捕囚後のユダヤ人の話し言葉がアラム語であれば
アラム人と呼ばれても違和感はなさそうですね
さて27章は以前も出てきたゲリジム山での祝福とエバル山での呪いについて
さらに詳しく書かれていますね
祝福については具体的に書き記されていませんが
呪いについては15節以下で詳しく書かれています
内容的には十戒に通じる掟以外に、性的禁忌に関するものが多いですね
近親相姦や獣姦が厳しく禁じられています
これはこの章が執筆された当時、実際にこのような「逸脱した」性行為がかなり行われていたということでしょうか
エバル山については祭壇のような構造物が発掘されたことで話題にはなりましたが
発掘者のZertalが主張する「ヨシュアの祭壇」という説はほぼ受け入れられていないようです
(これをヨシュアの祭壇だと言い張って、聖書は正しかったことが考古学で証明されたと嘯く人たちが
けっこういます)
それでも鉄器時代1期(前1200-1000頃)という、かなり早い段階でのイスラエルの宗教的活動に伴う
構造物であろうとは言われているようですね
ですからゲリジム山とエバル山の申命記やヨシュア記の記述の証明にはなりませんが
すでに鉄器時代1期には「原イスラエル人」になんらかの宗教的活動があったことは示唆される
ように思います(ただしこれがヤハウェ信仰であったかどうかは分かりません)
148
:
福音伝道
:2024/07/30(火) 09:03:25 ID:LsQB0PWE
>>147
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は申命記28章です。
12の呪いが置かれていますが、最初と最後の呪いは後代の追加だそうです。
つまり最初は10の呪いで、偶像崇拝、両親への尊敬、殺人は十戒から。
地境を移す行為は19:14,父の妻と交わることは23:1の踏襲。
以下、近親相姦や獣姦問題はハーパーによると、『大家族の高潔さを守ることを意図』
したものだそうです。この時代、現代のような核家族ではなく、一夫多妻制の主人の下、
大家族制だったので、いろいろと間違いが起こったのかもです。
50代の主人が、10代女性を第四夫人として迎え、第一夫人の息子が20代ということが
あったのでしょうし。
https://assets.st-note.com/production/uploads/images/75967650/picture_pc_cf5c923b7db21c5adfb8f9ad538353c2.jpg?width=2000&height=2000&fit=bounds&quality=85
ゲリジム山とエバル山の間の谷間に重要都市シェケムがあります。
アブラハムはカナン到着後、最初の祭壇を築いたのが、
創世記12:6シケムの所、モレのテレビンの木のもと です。
申命記が、エルサレムへと神殿の中央一本化する中で、この二つの山を
呪いと祝福と記載したのは、歴史的な経緯を無視できなかったからだと
思われますが、古代においてはエルサレムではなく、こちらが聖所の
中心だったことが、申命記からも推察できると思います
149
:
atheist
:2024/07/31(水) 02:41:47 ID:???
>>148
12の呪いは、おおまかにはこれまでの焼き直しって感じですね
一夫多妻の大家族だとたしかに息子が父の妻よりも年上ということも起こり得ますし
息子と父の妻の間に血のつながりがないこともありますので、比較的簡単に
近親相姦が起こってしまいそうですね
ですからくどいほど近親相姦に言及されるんでしょうね
獣姦はなんでか分かりませんがw
アブラハム伝承の重みがあるためエルサレム中心主義の申命記史家たちも
シェケムを無視することができなかった、ということですね
それにしてもゲリジム山もエバル山も、我々の感覚からすると山というより丘ですねw
さて28章は申命記のなかでは異常に長い章ですが
構成自体は祝福と呪いという単純な構成になってますね
13、14節あたりまでが祝福のことばで、残りはすべて呪いです
つまりは圧倒的に呪いのことばのほうが多く、かつ詳細です
ここはやはりイスラエルの民に対する警鐘ということなのでしょう
36節などに見られるように、この章の少なくとも一部はバビロン捕囚以降に書かれたもの
のように思われます
53節以降の親が子を食らうという極めて陰惨な描写は預言書その他でも
出てきたように記憶しています
このような凄惨な描写は、申命記後のヘブライ語聖書のひとつの決まり文句のようになって
いっているようです
まさにヤハウェに従えば天国、背けば地獄、という感じですね
150
:
福音伝道
:2024/07/31(水) 09:31:16 ID:LsQB0PWE
>>149
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は申命記29章です。
ハーパーによると、祝福と呪いとがバランスを欠き、呪いの方が多いのは
背景に危機的状況があるとのことです。またこの祝福と呪いの形式は
アッシリアの宗主権条約に見られるものと非常に似ているとのことです。
アッシリアは戦時の残忍性で悪名高かったそうなのですが、決定的な
影響を与えるとハーパーは見ています。
にしてもヤハウェが呪う時、最終段階として、イスラエルの絶滅があるのは
驚かされます。
63節主は今あなたがたを滅ぼし絶やすのを喜ばれるであろう。
あなたがたは、はいって取る地から抜き去られるであろう。
151
:
atheist
:2024/08/01(木) 01:39:28 ID:???
>>150
この表現法もアッシリアの条約に酷似しているんですね
呪いの最終段階にイスラエルの絶滅があるというのは
それだけ申命記記者の危機感が強かったということなのでしょうね
さて29章は前章の呪いの部分がまだ続いているといった趣になってますね
前半はもう何度も書かれていることですが、これまでの経緯を振り返り
ヤハウェがいかにイスラエルの民を救い、守ってきたかを切々と訴え
その神に背いた場合の呪いがこのあとに続きます
一応将来の人々の言という形を取っていますが、28節の内容は
やはり捕囚以後の筆であることを伺わせます
ここでもヤハウェを差し置き、他の神々に仕えることが
いかにイスラエルに災いをもたらすかが強調されていますね
申命記記者の目から見て、それほど当時のイスラエルは
多神教的慣行が横行していたのでしょう
実際前6世紀、つまりはバビロニアによって滅ぼされるまで
イスラエルやユダの民衆はアシェラ信仰を含む様々な神へ信仰をもっていたであろうことが
考古学的にも分かっていますから、宗教的「極右」である祭司や律法学者などにとっては
このような状況が許しがたかったのだろうと思います
152
:
福音伝道
:2024/08/01(木) 06:31:47 ID:LsQB0PWE
>>151
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は申命記30章です。
ソドム、ゴモラ、アデマ、ゼボイム…神の呪いを表現する時の代表的な地名
ソドムとゴモラは南の伝承 アドマとツェボイムは北の伝承で、ここでは
合体しているそうです。
ハーパーによると、背教は災難と結果として生ずる捕囚。
従順は約束の地での繁栄と長命を意味する。
モーセはイスラエルの前に二つの明確な道を提示するそうですが
いわゆる『不自由な選択』ですね
しかも
29:4しかし、今日まで主はあなたがたの心に悟らせず、
目に見させず、耳に聞かせられなかった。
とあるように、
ヤハウェは決して契約を履行させるために、人間の心に介入して強制まではしません。
自分で気づきなさいという姿勢ですので、捕囚は避けられない運命でも
あるわけです。
簡単そうに見えて、色々な信仰と習合していくのを避けるのはとても
困難なのかもしれません
153
:
atheist
:2024/08/02(金) 05:30:07 ID:???
>>152
例によって寝落ちですw
ソドムとゴモラは有名ですが、アデマとゼボイムというのは記憶にありません
北と南の伝承の違いということですね
この呪いの部分が捕囚期ないしそれ以降の編集だとすると
事後的にイスラエルの信仰が理想的なヤハウェ唯一神信仰ではなかったこと、
そしてそれが破滅的な結果をもたらすことを強調したかったのだと思います
信仰ですからこれを否定することはできませんが、世俗的な観点からは
単なる無根拠な理由付けであって、実際は信仰の如何を問わず、当時の国際関係や
領域国家の優劣の結果に過ぎないのでしょう
ただ宗教的に重要なのは、このような理由付けが民をしてヤハウェを排他的に崇拝せしめ
さらにはヤハウェが唯一の神であるという観念に至らしめたことなのだと思います
さて30章はこれまでの祝福と呪いの総括という感じですね
4-5節あたりの記述から、明らかに捕囚期以降に書かれたもののように思われます
捕囚とそこからの帰還というユダヤ人の歴史を振り返って、祝福と呪いのどちらを選択するか
と民に提示しています
実際にイスラエル王国、ユダ王国の滅亡と捕囚を経験したユダヤ人にとっては
非常に説得力のある文言になっているように思います
しかも11節にあるように、ヤハウェの戒めは難しいものではなく
やろうと思えばできることです
とはいえ、それができないのが人間ですからねw
だからこそ、パウロは律法の行いではなく、イエスの信に新たな救いの基準を置いたのだと思います
154
:
福音伝道
:2024/08/02(金) 06:47:02 ID:LsQB0PWE
>>153
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は申命記31章です。
要するに、他の神々を礼拝せず、ヤハウェのみを愛しなさい。
そうすれば幸せになりますよ、ということですね。
唯一神教ではなくて、拝一神教ですね。
古代では、すべての転変地変を王の責任にしたりしたそうですが、
ここでは、「契約」という概念を出し、「民の契約不履行」が
不幸の原因だと主張しているわけですね。
ここでは明らかに国家滅亡と捕囚後の民に申命記は語り掛けています。
捕囚の地でこれらを聞き、回心して生きなさい。そうすれば神はもう一度
あなたたちを集め繁栄させてくださる、と。
危機の中で生まれた神学ですね
155
:
atheist
:2024/08/03(土) 03:25:13 ID:???
>>154
唯一神教と書いたのは、捕囚期以降の編集部分ではないかという想定に基づいてのことで
ヨシア王当時ということではありません
申命記も複雑な編集過程をたどっているでしょうから、拝一神教的な部分と
唯一神教的な部分が混在しているのだろうと思います
捕囚期前(ユダ王国後期当時あるいは分裂王国当時)のユダヤ教の実態というのは
聖書の編集過程や考古学的に知られる断片的な遺物から推測するしかないと思いますが
祭司的神学と民間信仰との間の乖離もあり
なかなか難しい問題なんだろうと近頃感じています
例えば拝一神教(monolatry的であったのか、単一神(henotheism)教的であったのかなどは
判断が難しい場合があるように思います
いずれにしても捕囚期を経て、より明確な唯一神教へと移行していきますね
なるほど「民の契約不履行」というのは適切な表現ですね
ユダヤ教の粘り強いところは、民の契約不履行でヤハウェと民の関係が解消されるのかと思いきや
民の回心によって復興や繁栄の希望を繋いでいるところでしょうね
さすが世界中に散らされても2000年間生き延びた民族だけのことはあります
さて31章は、いよいよモーセを通して語られたヤハウェの律法の締めという感じですね
設定上はこれからカナンの地に攻め入るにあたり、モーセが最後の訓戒を述べる場面ですね
ここでも民が契約を破り、ヤハウェに見捨てられる未来を「見通して」語っています
次の章から19節などで言われている「歌」に入るわけですね
ずっと律法が語られてきましたから、堅苦しい律法書のような趣きでしたが
こうして最終局面で歌の形でまとめ上げる編集は、なかなかどうして物語的な盛り上がりを感じさせます
モーセの死を前にしたことばというのもクライマックスへ向けて読み手の感情を高めていく構成で
ユダヤ教徒ではないわたしにも、けっこう心に来るものがありますね
156
:
福音伝道
:2024/08/03(土) 07:36:09 ID:LsQB0PWE
>>155
atheistさん、おはようございます。本日と明日の聖句は申命記32章です。
モーセからヨシュアへのリーダー交替が描かれているのですが
フランシスコ会訳注によると、
14,15節と23節が元来一続きであったそうです。
この間の16-22節は別伝承が加えられたそうです
ハーパーは、二つではなく、幾つかの別の資料層に由来する断片とのこと。
16-22節は、ヤハウェがモーセに歌を書きしるせと命じ、
モーセがそれを受けて歌を書き、民に教えるわけですが
次章から地際の歌が始まり佳境を迎えます。
盛り上げ方がうまいですね
157
:
atheist
:2024/08/04(日) 02:48:15 ID:???
>>156
挿入された部分が捕囚期直前ないしは以降という感じですかね
そう言えばちゃんとモーセからヨシュアへのリーダーの交替も書かれてますね
この辺もしっかり物語を構成する意図が感じられます
32章はその歌の部分になりますね
この章ではよく取り上げられる8-9節がやはり目につきます
ここではエル・エリヨンが主神で、諸々の民を神の子ら(「イスラエルの子ら」)に分配し、
ヤハウェはイスラエルの民を自分の取り分とする、という記述になっているかと思います
問題の「イスラエルの子ら」はクムラン文書では「神の子ら」で
LXXでは「神の御使いら」のようになっていたと思います
文脈からどう考えても「神の子ら」が原文であったであろうと推測されますが
ここはフランシスコ会訳注やハーパーではどのように解説されているのでしょうか?
8-9節が多神教的背景を伝えているのに対し、そのあとに続く文では
拝一神教的な主旨、さらには39節でははっきりと「わたしのほかに神はいない」と
唯一神教的な文言が記されています
このあたりの編集過程はどうなっているのでしょうか?
最後はヤハウェがモーセに死地を示す形になっていますが
ヤハウェのモーセに対することばは心なしか、優しさが滲んでいるようにも感じられます
158
:
福音伝道
:2024/08/04(日) 08:37:13 ID:LsQB0PWE
>>157
atheistさん、おはようございます。本日はお休みです。
明日の聖句は申命記33章です。
8節原文直訳
エリヨンが諸部族を相続させる時
アダムの子らを分割する時
彼は民の境界を据えた。
神の子ら数に従って 異本:イスラエルの子らの数に従って。
創世記では、エル・エリヨンですが、ここではエルがなく「エリヨン」(至高者)です。
続く節で、ヤハウェの取り分は、ヤハウェの民、ヤコブがヤハウェの相続分であると
ありますので、原文は、「至高者」がいて、神々に土地を分け与えた。
神々の1人のヤハウェの割り当てはヤコブとヤコブの子孫であるという意味で
多神教世界観が背景にありますね
フランシスコ会訳注によると、
マソラ本文では「神の子ら」を「イスラエルの子ら」と読む。
ヘブライ語クムラン写本、古代ギリシア語訳、ラテン語訳は「神の子」なので
本来は「神の子ら」であるとして、本文を「神の子ら」と訳しています。
エリヨンは「いと高き方」と訳しています。
ハーパーは、エリヨンについて解説していず、すべての民族が誕生する時、
イスラエルが民族として選ばれた。と、8,9節を説明しているだけです。
15節 エシュルンは、フランシスコ会訳注によると、「正しい」という形容詞から
派生した語であるが、イスラエルの称号であるが、ここではイスラエルの忘恩と
不忠実を非難して皮肉的に使われているとのこと。
ちなみに「正しい」はヤーシャール。
エシュルンは33章でも出てきます。
159
:
atheist
:2024/08/05(月) 02:00:51 ID:???
>>158
8-9節については意外にもフランシスコ会訳注が客観的に観ているのに対して
ハーパーのほうが重要な論点を流してしまってますね
15節のエシュルンについては文脈から明らかにイスラエルの民のことを指しているので
なんらかの別名だと思ってましたが、背後には皮肉が込められていたんですね
申命記も残すところ、あと二章となりました
モーセ五書は2回3回読んだくらいでは、そこに盛られている含蓄や課題を
咀嚼することは到底できませんが、今回の通読でおぼろげながら輪郭らしきものが把握できてきた
ように思います
160
:
福音伝道
:2024/08/05(月) 05:01:53 ID:LsQB0PWE
>>159
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は申命記33章です。
お疲れさまです
五書も残すところ二章ですね。
なにせ外国の古代の書物。注解なしにはなかなかむつかしいですね
諸古伝承があり、編者の思想があり、諸異本があり、神学的立場により
様々な解釈がありと。。。
ハーバーもフランシスコ会訳注も、リベラル的解釈に属しますが、
とはいえキリスト教神学の下にあります。
福音派の信仰的な解釈が対極にあります。
これらから有益な情報を取得しつつ、読めたらいいのですがなかなか難しいです
161
:
atheist
:2024/08/06(火) 01:28:08 ID:???
>>160
注解がないと無理ですね
注解なしでも読めるような訳だと、特定の神学や解釈を押し付けることになって
探究的な読み方には適しませんから、最初に一通りの見通しを立てるには
いいかもしれませんが、それ以上の読みができなくなりますしね
結局様々な注解や解説書、あるいは注釈等を見比べて読んでいくしかなさそうです
さて33章はモーセによるイスラエルの民の祝福になっていますね
それぞれの部族ごとに祝福の言葉が語られますが、簡単に済ませられる部族もあれば
比較的詳細に言葉が語られる部族もあります
レビやヨセフがやや重視されている感じでしょうか
意外に思ったのはアセルが「他の子らにまさって祝福される」と言われているところです
これは単なる修辞的なもので、特段アセルを他の部族より持ち上げているわけではないんでしょうか
アセルなんてほとんど記憶にないくらい影が薄いように思っていました
162
:
福音伝道
:2024/08/06(火) 05:47:18 ID:LsQB0PWE
>>161
atheistさん、おはようございます。本日の聖句は申命記34章です。
>アセルが「他の子らにまさって祝福される」
これは単なる言葉遊びだと思います。
というのは、アセルというか、アシェルが「幸福な」「祝福された」という意味の
ヘブライ語だからです。
カルメル山以北の地中海沿岸寄りの肥沃な土地を割り当てられたものの
カナ人の強固な都市アコ、ティルス、シドンがあり、完全に掌握できなかったそうです。
幼児イエースースをエルサレム神殿で拝した女性預言者アンナがアシェル族です。
163
:
atheist
:2024/08/07(水) 01:37:53 ID:???
>>162
なるほど「アシェル」にはそういう意味があったんですね
そうなるとたしかに言葉遊びだと納得できますね
幼児のイエスを神殿で拝した女性がアシェル族だというのも知りませんでした
さていよいよ申命記、モーセ五書も最後ですね
最終章はモーセの最期の場面です
ヤハウェはイスラエルの民がこれから入っていくカナンの地をモーセに見せ
再度モーセはそこに入っていくことはできないと言いますが
書き手も偉大なる預言者の最期にふさわしい賛辞をもって申命記を閉じています
これを言ってしまってはいけないのでしょうが、ネボ山の頂きからカナンの全地
(ダンからネゲブまで)見えるものでしょうか?
実際に見えなくても、方角は分かりますから、詩的な表現として
このように書いたのだと思います
ということでもう3年か4年くらいになるでしょうか、本当に長期に渡って
聖書の通読にお付き合い頂き、ありがとうございました
もちろんしっかり読めなかった箇所も多く、またまだヘブライ語聖書のほうは
読んでない箇所もあると思いますが、わたしとしては、いつかやろうやろうと思っていた
日本語訳聖書を読むということが曲がりなりにもできました
ひとりでは絶対に無理だったと思います
また日々の講読でわたしが知らなかったり気づかなかったりすることを
適宜ご教授いただけたことも通読の励みになりました
いったん通読はここで終了となりますが、聖書を読むのがこれで終わりというわけではありません
特にヘブライ語聖書は史的・考古学的知見や文献学的・宗教学的知見を深めなかれば
なかなか十分にその意義を捉えることができないので、今後またなにかの機会に
先生に質問することがあるかと思います
あるいはまた単発で特定の書を通して読みたいと思うことがあるかも知れません
そのときはぜひまたいろいろと教えていただければと思います
本当に長いこと、お付き合いくださりありがとうございました
164
:
福音伝道
:2024/08/07(水) 06:24:44 ID:LsQB0PWE
>>163
atheistさん、おはようございます。長い間ご苦労様です。
たいへん勉強になりました。有難うございました。
また機会がよろしくお願いいたします
wikiによると、ネボ山からはエリコの西岸地区の町が見えるそうです。
腫れて視界が良いとエルサレムも見えるそうです。
カナン全景とまではいきませんね
特に北はヨルダン川の渓谷の一部しか見えませんので、とてもダンは見えないです
ネフタリ、マナセ、エフライムも見えません。
165
:
atheist
:2024/08/08(木) 01:45:26 ID:???
>>164
常識的に考えてもカナン全土が見渡せる山となれば数千メートル級でもどうか
となりそうですよね
そういえば空の澄み渡った日には和歌山からでも富士山が見えると聞いて驚いたことがあります
高い山の上から平地や丘陵地を観るのとは逆になりますが、ヨルダンに富士山級の山があれば
もしかしたらとは思いますね
それでは、また質問等ある場合は、ここか、あるいは先生が普段いそうなところに
書き込みすることにします
166
:
福音伝道
:2024/08/08(木) 05:33:05 ID:LsQB0PWE
>>165
お疲れさまでした
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