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男色奇譚

1名無しさん:2018/08/14(火) 15:34:35
「男色」って、男と男(ゲイ)ではありません。
男色って、若い男と元服前の男になりきらない12,3〜4の声変わり前の美童の愛、つまり美童愛のことです。
男色,少年愛について体験や話題、思い、妄想、お話などを。

113名無しさん:2020/09/21(月) 14:00:08
会津戊辰戦争で、新政府は、明治2年1月皆の東京謹慎護送の際に、幼年少年を2人連れて行った。
この2人が解放されるは、明治3年春。
幼いので人畜無害だから使役した!薩長の腹黒さ!と文章は完全に怒っている。
>生け捕りにされたりした少年兵もいただろうが哀れ・・・

たぶん戦利品として薩摩につれていかれたのだろう。
まだ、[男色]盛んな頃
盛んな土地へ

この会津の少年は15歳未満
つまり「稚児」の年齢・・
可愛がってもらったのだろうか

114名無しさん:2020/09/21(月) 16:20:07
【衆道(ホモ)】
江戸時代末期には既に廃れつつあった衆道だが、薩摩では近代まで盛んであり
とりわけ稚児(少年)を好み、客人に「お茶にしますか?稚児にしますか?」と勧めるほどであった。
薩摩では郷中制度という青少年の集まりがあったが
要するにケツを掘り合って結束を固めるものである
美少年は羨望の的であり常に強姦の危機に曝されていた為
特定の年長者にケツを捧げて保護して貰う必要があった
年長者は美少年を稚児様と呼び、きらびやかな着物を着せ歩くときは傍らで傘を差し掛け
夜は他の者に拉致されないように寝ずの番をした。




【郷中教育】

「胴上げで高く放り上げ、そのまま落とし絶息させる。
倒して数枚の畳を重ね、その上に多人数で乗り苦しめる。
木に釣るし手足を縛り、メッタ打ちにする・・」
(出典:薩摩見聞記)

薩摩の郷中ではこのような、教育という名の壮絶なイジメが日常でした。
理由は上級者や年長者への批判を封じ、絶対服従を強制すること
なんでしょうが・・・「議を言うな」の一言ですべてが正当化されていたみたいですね。


戊辰戦争で捕虜になった幕府軍の少年兵は、薩摩兵に
やられまくったとか。

115名無しさん:2020/11/04(水) 08:24:57
賎のおだまき考 : 少年13歳・少年美と少年愛の系譜
図書 木谷俊男 編著. [木谷俊男], 1998.10 <EF91-G289>

116名無しさん:2020/11/04(水) 09:11:52
賎のおだまき考 : 少年13歳・少年美と少年愛の系譜
図書 木谷俊男 編著. [木谷俊男], 1998.10 <EF91-G289>


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