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丁稚小僧と男色

1名無しさん:2011/09/03(土) 15:07:00
昔は、食いっプチを確保するため、幼くして丁稚や奉公に出された。
それは戦後間もなくんで行われた。
丁稚や奉公先で苛められ、叱られるもの、可愛がられるものがいたことでしょう。
丁稚は12,3〜4ぐらいなので丁稚先の旦那や奉公人に男色の相手にされるものも
いたことでしょう。

8名無しさん:2013/10/01(火) 17:36:52
江戸時代というか、明治まで男色は普通にある習慣だったんです。
かの土方歳三など、子供のころに奉公に出されたのですが、そこの番頭に尻を掘られかけたらしく、上野から40キロもある道のりを夜通し歩いて多摩の実家まで帰ったとか。
相当流行したらしいですね・・・。
あと、斉藤一さんは明治になってからは警察官を勤め、定年後は女子大の警備員をしていたそうです。
永倉も長生きして、孫と活動写真見るのが楽しみだったようですね。

9名無しさん:2014/08/15(金) 10:53:51
座頭市 <北野武監督作品> [DVD] (2003)
ビートたけし (出演), 浅野忠信 (出演), 北野武 (監督) | 形式: DVD
·販売元: バンダイビジュアル
·DVD発売日: 2004/03/11
·時間: 119 分

10名無しさん:2017/10/13(金) 00:33:10
されることは、蔭間も寺小姓も、小姓も大体同じ。
いずれにしても、男色は蔭の男の子の生きる方法でもあったろう。いずれにしても、昔は就職は今の8,9歳、まだ10歳にも満たない小学校低学年で、小さな子が生き
ていくためには、誰かに可愛がられる必要があったと思います。可愛がられるには可愛いこの方が得だったろう。

11名無しさん:2019/08/05(月) 07:23:53
>>4-5
昭和40年代、集団就職で中卒で入ったばかりの男子行員が、寮での窃盗の疑いをかけられ、あまり調べもせず首に。
岩手のド田舎からでてきたその子、まだ肌も綺麗でかわいい。
すぐ帰れるわけでもなく、かわいそうになって自分のアパートで一緒に住まわせることになった。
布団も一つで添い寝、泣く子を固く抱きしめてあげる。
そして唇を奪う。
だんだん手を下に伸ばして、彼の触れてはならないところを軽くつかむ、これからすることを予告するように。

あっと身を引くが、だんだん大胆に、パンツに手をかけて引き下ろしに愛撫を加える。
次第に膨らんでゆく彼の男の子に顔を近ずけ、口でそのまだ先まで皮に包まれた少年のモノに愛撫を加え、淫らな愛撫に悶えるそれから噴き出す
ものを飲み込む。
毎日のように少年花嫁を・・

12名無しさん:2019/08/06(火) 09:39:31
昭和32年ごろ、小6の正月休み、東京都心で会社を営む親せきの家に泊まった。
そこに中学を卒業して就職した要ちゃんという若い社員がいた。
そこで、風呂に行こうとしつこく誘われたが、田舎で銭湯など行ったこともなく、人前で裸になるなど
死ぬほど恥ずかしかったので断った。
たぶん、僕の小6の裸体を見たかったのかなと思った。

13名無しさん:2020/07/14(火) 14:02:10
集団就職の盛んな時代なら、子供の成長も遅く、中学卒業頃でやっと生えかけぐらいだったかも知れない。
オナニーより先に先輩店員と初夜を迎えた少年もいるだろうな。


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