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嗚呼 海軍少年志願兵

1名無しさん:2008/06/15(日) 21:50:25
昭和20年まで、日本男児と兵役はきっても切れないものだった。
徴兵検査というのは陸軍で、満20歳。ところが海軍は志願制をとっていた。志願制とは、20歳前
ということ伊で、原則は17歳以上だが、実際は14歳以上だった。

女のいない長い養生生活が前提の海軍では、少年兵はどす女っけのない黒い性欲まみれの兵隊や上官にとって
少年兵は性欲のはけ口になっていたという。

19名無しさん:2014/08/18(月) 10:02:10
木谷俊男「賎のおだまき考 : 少年13歳・少年美と少年愛の系譜」(国会図書館蔵000002727681)

20名無しさん:2017/10/13(金) 00:20:17
昔は、どんなに成績がよくても、どんなに学問がしたくても、中学校はおろか高等小学校にもいけない生かせてもらえない子供は
たくさんいたはずです。
そんな子供は、くいっぷちを確保するためにも海軍に志願した、それが海軍志願兵だった。
でも厳しい訓練と厳しい罰直それに、上官からの厳しい性(男色)がまっていたのだった。

21名無しさん:2017/10/21(土) 22:08:51

太平洋末期には、陸海軍共に少年兵の徴募が数多く行われた。 陸海軍で終戦までに
少年兵は42万人もいたという。しかし、「純粋な愛国心などで徴募に応じた軍国
少年の多くは、 下士官の貪欲な男色の餌食になっていた」 (鈴木理生「大江戸の
正体」、三省堂2004)という。

映画「海軍特年兵」で「海兵団」で行われる厳しい訓練と罰直、「海兵団」で厳し
い訓練と指導を行うのは「教範員」という指導員、大学とか軍関係学校を出た秀才
たちと今の中学生ほどの少年兵。

厳しい訓練、でもそこで出てくる米の食事、初めて食べると喜ぶ生徒、当時の日本
の殆どがそうだった貧しい小作農の息子だ。米を作りながら米を食べたことが無い。

教範員は、彼を夜自分の個室に呼び出し境遇を聴く、彼は自殺にいたるのだが、彼
は小作で父親は大酒のみで仕事をほったらかして母親に暴力をふるう。「海兵団」
に行く前夜も彼は、母を助けて夜遅く夜が白むまで田植えをしたという。教範は、
大学まで行かせてもらった自分にはわからない生徒の境遇を知って愕然とする。
何かにつけ彼をかばおうとする。

教範員にも、教範長を含めて鬼教範員だけでなく仏の教範員と呼ばれる指導員も
いる。ちょうど今の中学生と大学生、生徒と家庭教師あるいは先生。
ちょうど「男色=少年愛」の稚児・若衆と念者の組み合わせになる年頃。もし、
男色が芽生えてきてもおかしくない・・・

特定の気に入りの生徒にやさしくしたりすることもあるだろう。海軍で兵隊はハ
ンモック(釣り床)に寝る。教範員など下士官は個室にベッド。

若い性欲旺盛な教範が寝静まった頃、お気に入りの生徒を自分の個室に呼び寄せ
る事もあっても不思議ではないだろう。

1970年に東京で元ジャズ演奏家の加藤治成が8歳の小学生男児を誘拐して殺害。
逮捕後、5年前にも同小金井で小学生6年の男児を誘拐して殺したことも自供。
二人ともアナルレイプされていた。
加藤は海軍軍楽隊にいたときにホモセクシャルに目覚め、以来、少年姦の常習者だ
ったらしい。・・

この加藤も「男色・・少年姦」を教え込まれたのは「海兵団」の「海軍軍楽隊」
〈少年軍楽兵〉の時だった。軍楽兵と言っても、野外訓練もバッターによる罰直も
変わらない。

22名無しさん:2020/08/18(火) 11:17:13
陸軍身体検査規則 徴兵と志願、12歳のM検
[書誌情報]

責任表示:
木谷俊男 編著
出版者:
[木谷俊男]
出版年月日:
2003.2
請求記号:
AZ-666-H3
書誌ID:
000004023794


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