したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

嗚呼 海軍少年志願兵

1名無しさん:2008/06/15(日) 21:50:25
昭和20年まで、日本男児と兵役はきっても切れないものだった。
徴兵検査というのは陸軍で、満20歳。ところが海軍は志願制をとっていた。志願制とは、20歳前
ということ伊で、原則は17歳以上だが、実際は14歳以上だった。

女のいない長い養生生活が前提の海軍では、少年兵はどす女っけのない黒い性欲まみれの兵隊や上官にとって
少年兵は性欲のはけ口になっていたという。

2名無しさん:2008/06/15(日) 22:03:26
訂正
 養生生活・・洋上生活

昔は、上級学校に進学できるのはごく一部のラッキーな、金持ちだけだった。

昔は、どんなに成績がよくても、どんなに学問がしたくても、中学校はおろか高等小学校にもいけない生かせてもらえない子供は
たくさんいたはずです。
そんな子供は、くいっぷちを確保するためにも海軍に志願した、それが海軍志願兵だった。
でも厳しい訓練と厳しい罰直それに、上官からの厳しい性がまっていたのだった。

3名無しさん:2008/06/16(月) 20:27:51
海軍志願兵

  海軍志願兵年齢一覧表  −海軍志願兵 志願者の手引−
    ttp://www4.ocn.ne.jp/~dd613/japan-navy/kaigunshigan.html
戦前の日本には、「兵役」の義務があり、健康な二十歳以上男子は、
必ず軍隊を経験しなければならず、その厳しさは現代の私たちから
とても想像できない物でした。その様な時代背景の中、自ら職業軍人
になるために進んで軍隊に入る人たちも存在しました。それが、
「志願兵」と呼ばれる人たちで、特に海軍は、船という精密機器を
扱うため、「徴兵」よりも「志願兵」を重視していました。これは、
その志願者の為にどのような手順で、志願し、海軍に入隊できるかを
記した参考書です。

・水兵(少年水測兵、少年電信兵を除く)     15歳以上21歳未満
整備兵、機関兵、工作兵、衛生兵、主計兵

・水兵(少年水測兵、少年電信兵)        14歳8ヶ月以上19歳未満

・少年飛行兵(乙種飛行予科練習生)      14歳8ヶ月以上18歳未満

・軍楽兵                        16歳以上20歳未満

薔薇族「M検ものがたり」だかで、『海兵団』におけるあけっぴろ
げな『M検』の描写がありました。またサブで『ああ海軍志願兵』
というのがあって、女っけがな性欲の捌け口の無い中、夜上官に呼
び出された少年兵が『男色』の勤めをさせられビッコを引いて帰っ
てくる話がありました。また、大勢の見守る中、連帯責任で
『砲身磨き』という責めをさせられる日常もあったそうです。

厳しい訓練と体罰、検査・・「少年志願兵」を俟っている特に厳しい
性と生の生活・・こんなまだあどけない穢れない少年たちが素っ裸
、男としてあるいは女の代用として勤めさせられるなんて・・・

「写真週法」第245号( 昭和17年11月4日)
・・君等も早くやって来い ぼくら海軍志願兵の生活 横須賀海兵団
表紙に少年志願兵の写真,帽子には『横須賀海兵団』とある。
      ttp://www.jacar.go.jp/shuhou/shiryo/shiryo05.html

         (国立公文書センターアジア歴史セン

4名無しさん:2011/05/02(月) 13:15:23
「写真週報」第245号( 昭和17年11月4日)
・・君等も早くやって来い ぼくら海軍志願兵の生活 横須賀海兵団
表紙に少年志願兵の写真,帽子には『横須賀海兵団』とある。
今の中学生くらいの凛々しい少年
      ttp://www.jacar.go.jp/shuhou/shiryo/shiryo05.html

5名無しさん:2011/05/04(水) 14:04:31
少年志願兵には、徴兵検査と同じM検と称する性器・肛門検査を含む徹底的な身体検査が課される。
以下は参考に徴兵検査について。・・
日本に男子として生を受けたものは20歳になると徴兵検査を受ける、志願とは徴兵検査前に自ら志願すうのである・主に海軍だ、

 昭和20年まで、この国に生を受けた男子は、20歳になると貴賎上下の別なく、本籍地で徴兵検査を受ける事が義務だった。
 徴兵検査では、通称M検と呼び、頭のてっぺんから性器肛門まで男の全てを徹底的に検査したという。兵隊は自分の意思で動いてはならない、徴兵検査はそれを直接体に叩き込む場でもあったようです。 
 徴兵検査には、婦人会(既婚)や処女会(未婚)の女の見学があった。徴兵検査場で花婿を探す者もあったという。徴兵検査礼状には「フンドシ着用のこと」となっていてフンドシ一枚でてきぱきとうごくのだが、普通、M検はついたての中でやったそうだ。昔はよく体操の時、体操着を忘れるとフリチンでさせたりした事もあったそうだが、どこの世界にも間抜けなヤツはいるもので、100人200人となると必ず一人や二人はいるもの。特に都会でサラリーマン生活をしていて、フンドシなど付けた事がなくパンツをはいて来た物は、ビンタを食らった上、フンドシ姿も気恥ずかしいだろうに可愛そうにその場でパンツを取らされ、そのまま最初から
フリチンのブラブラの素っ裸で検査場に出ていかなければならなかったという。勿論隠したり女々しいことは許されない。
 本籍地の同級生や、同級の女が見ていてもその前でフンドシ一枚すらつけない露もない姿で朝から終わりまで地獄の羞恥の一日。強制露出の一日。また九州やその他の地区では、全員最初から素っ裸で行われたという。都会暮らしのインテリでも、たとえば九州出身者は、地もとの九州の小学校の講堂とかでうける。徴兵検査令状には「ふんどし着用のこと」とは書いてなく、忘れるても心配ない。全員、全てが検査場に着くと、着ている物は全て脱ぎ生まれたままの姿になるからである。朝顔の蕾でも、ずる剥けでも、大きくても小さくても、毛深くても、色が白くても黒くても素っ裸で隠さずてきぱきと行動しなければならない。
 身長・体重は勿論M検さえ全裸、ついたてもない広々とした講堂の中で、様々な羞恥が繰り広げられる。
 当時20歳の身長は5尺5寸といわれ、165センチ台、今の中学生でもそのくらい。M検では6割が包茎だったという。性器検査は、徴兵検査のハイライト。まず陰嚢をぐいと掴みぐりぐりした上で、親指人差し指で、指を丸めるようにして陰茎の根元を掴み下に向けて絞るように強くしごくようにも揉みしだく、その上で包皮を剥く。剥くといっても環状溝があらわになるまで完全に剥くので生易しいことではない。たとえ、ずる剥けの性器でも、さらに引きつるほど剥き上げる、朝顔の蕾では大変なこと。
 しかし、剥くのよりもっと大変な目にあうこともある。徴兵検査場では、その雰囲気からして、とても立つような雰囲気ではないという。最初から裸で女がいたら、とても恥ずかしく立たないで縮みあがってしまうだろう。これから恥ずかしい事の順番を待つ者もたまらない。包茎の一物を縮こませ、毛の中に隠れてしまうくらい羞恥にどうしようもないという者もいる。嫌らしい検査官は剥く代りに先端の皮や少し顔を出している亀頭を指でさする。そして、敏感なところをいじめられようやく起ちあがった頃、もじもじして逃れようとするのを、「どうした、まだまだ、まだだめだ・・まだ頭が出てこんではないか。もっと先が出てこんと検査できんぞ…」とやる。勿論出そうになっても手で押さえて隠したり抵抗は許されない。次の順番を待つ同じように縮こませている者も、次は自分も同じ目にと思うとたまらなくなってくる、そして早く女があっちへ行ってくれないかなと祈る。

6名無しさん:2011/05/04(水) 15:27:29
大変恥ずかしい思い出。
中学1年夏から生えだしたが、
冬休みに変質者から、雑木林へ連れ込まれ、
後ろ手に縛られ、下半身を脱がされ、
さんざんイタズラされた後、きれいに刈られてしまった。

恐怖と屈辱イタズラ行為は、永遠に忘れることは出来ない。
ズボンとパンツを脱がされる時の恐怖と屈辱は、体験した人でなければ
理解できないであろう。

7名無しさん:2011/06/23(木) 12:06:17
海軍は志願制だった、17歳が普通だったが14歳に下がった。高等小学校(2年制)を卒業してすぐの
今の中学二年生位で、志願だ。
昭和17年ころの男子の平均発毛年齢は14,4歳だった。本の発毛の兆しさえあるか無き科の年頃だ。
徴兵検査前に志願する。

女っけの無い長い船の中の生活、そこで10代の肌も綺麗な少年志願兵は女の代用にされた。
裸にされて自由にされたあと、女の代わりに綺麗な膚を愛撫されいじられて肛門に入れられるのだ。

美童は、バッターなど厳しい罰直にも手心が加えられる。
綺麗な尻にあざができると困るからだ。

バッターなど連帯責任で少年兵は体罰を加えられる。そして立てなくなるくらいになるとう。
美堂は手心が加えられ形だけ。

でも、寝静まった頃、士官室に呼び出しを受ける。
そして男色の手篭めをされる。ふんどしも取らされ素っ裸にされて、まだ綺麗な膚を
晒す。是対服従で拒否や抵抗許されない。

そこ行為によって、ビッコを引いて泣きながらかえってくるという、でも蔭間さながあらに夜毎の御勤めが
待っているのだ。

8名無しさん:2012/12/16(日) 11:32:10
太平洋末期には、陸海軍共に少年兵の徴募が数多く行われた。 陸海軍で終戦までに
少年兵は42万人もいたという。しかし、「純粋な愛国心などで徴募に応じた軍国
少年の多くは、 下士官の貪欲な男色の餌食になっていた」 (鈴木理生「大江戸の
正体」、三省堂2004)

映画「海軍特年兵」で「海兵団」で行われる厳しい訓練と罰直、「海兵団」で厳し
い訓練と指導を行うのは「教範員」という指導員、大学とか軍関係学校を出た秀才
たちと今の中学生ほどの少年兵。

厳しい訓練、でもそこで出てくる米の食事、初めて食べると喜ぶ生徒、当時の日本
の殆どがそうだった貧しい小作農の息子だ。米を作りながら米を食べたことが無い。

教範員は、彼を夜自分の個室に呼び出し境遇を聴く、彼は自殺にいたるのだが、彼
は小作で父親は大酒のみで仕事をほったらかして母親に暴力をふるう。「海兵団」
に行く前夜も彼は、母を助けて夜遅く夜が白むまで田植えをしたという。教範は、
大学まで行かせてもらった自分にはわからない生徒の境遇を知って愕然とする。
何かにつけ彼をかばおうとする。

教範員にも、教範長を含めて鬼教範員だけでなく仏の教範員と呼ばれる指導員も
いる。ちょうど今の中学生と大学生、生徒と家庭教師あるいは先生。
ちょうど「男色=少年愛」の稚児・若衆と念者の組み合わせになる年頃。もし、
男色が芽生えてきてもおかしくない・・・

特定の気に入りの生徒にやさしくしたりすることもあるだろう。海軍で兵隊はハ
ンモック(釣り床)に寝る。教範員など下士官は個室にベッド。

若い性欲旺盛な教範が寝静まった頃、お気に入りの生徒を自分の個室に呼び寄せ
る事もあっても不思議ではないだろう。

1970年に東京で元ジャズ演奏家の加藤治成が8歳の小学生男児を誘拐して殺害。
逮捕後、5年前にも同小金井で小学生6年の男児を誘拐して殺したことも自供。
二人ともアナルレイプされていた。
加藤は海軍軍楽隊にいたときにホモセクシャルに目覚め、以来、少年姦の常習者だ
ったらしい。・・

この加藤も「男色・・少年姦」を教え込まれたのは「海兵団」の「海軍軍楽隊」
〈少年軍楽兵〉の時だった。軍楽兵と言っても、野外訓練もバッターによる罰直も
変わらない。

毎年、次々と入ってくる可愛い10代の新鮮な少年志願兵でなりたつ海軍・海兵団。
陸軍もすだが、男色(少年愛)好みの上官に弄ばれ手籠にされた無垢・無力な穢れ
なき少年の肉体
どのくらいいるのだろう!

9名無しさん:2012/12/16(日) 11:40:21
「海兵団」には16歳志願の一般水兵、20歳徴兵検査で海軍希望者、19歳徴
兵検査海軍希望者、16年以降15歳志願特年兵〈14歳志願特年兵に〉がいた。

『横須賀海兵団』と書かれた水兵帽をかぶった今でいう凛々しいまだ可愛いほん
の中学生の無垢な少年志願兵。

女っけの無い、長い船の中の生活が予想される、あるいは「海兵団」、そこでま
だ10代の肌も綺麗な、こんな14歳とか、15,6の少年志願兵は女の代用と言
うか、「男色=少年愛」の恰好の性の餌食にされてもふしぎではないだろう。

海軍少年志願兵などは、連帯責任でバッターなど罰直を加えられる。そして脚腰
が立てなくなるくらいになるとう。でも膚の綺麗な美童には手心が加えられ形だ
けという。

そのかわり、寝静まった頃、一人だけ士官室に呼び出しを受ける。

そして男色の手篭めをされる。ふんどしも取らされ素っ裸にされて、まだ綺麗な
膚を晒す。上官の命令には絶対服従で拒否や抵抗は許されないのだ。

手心が加えられ形だけというのは、愛撫する綺麗な尻にあざができると困るから
だ。

その行為は、ロープを巻いた中に裸の尻を落とした格好で身動きできない恰好で
強引にされる、強姦だ。

その行為によって、ビッコを引きながら涙を浮かべながらかえってくるという、
でも蔭間さながらに夜毎の御勤めが待っているのだ。 そのためバッターだけは手
心を加えられる・・。

14,5〜6少年志願兵は、バッターでビッコであるくか、男色でビッコにされ
るかだ。


      
●少年軍楽兵
陸軍少年軍楽兵は、軍の中で軍楽隊員となる者で、戦地にも派遣去れる志願兵で
で、入校時16歳から19歳までの少年志願兵です。
軍楽兵と言え戦地に派遣されるので、輸送船が撃沈されたり戦死者も出ている。
新宿、戸山町に合った「戸山学校」の中に「軍楽学校」があった。19年8月に
卒業した少年軍楽兵74名はそれぞれビルマなど戦地に配属され,終戦までに2
8名が戦死しました。

昭和45年10月に発覚した少年専門に狙う加藤治成事件、少年の場合変質的である。
東京周辺で男子小中学生30人位を狙った変質的な事件である。餌食にされた少年
達にとっては悪夢のようなものだったろう。

週刊誌報道によると、必ず初めにしたというのが口に依るもの、所謂フェラだ。
切手や車で送ってあげるなどと言って近ずきさびしい処で犯行。ある中学一年生
は「そんなエッチなことかんべんしてください!と、考える事も出来ないその気
の遠くなるような行為から必死で逃れようとした。
男は、ダッシュボードからナイフを取り出し、「エッチとは何だ!、おれはエッ
チといったために殺したガキもあるんだ!」と脅し、むさぼりつくした。公園や
人気もいない村山貯水池の山の中に連れて行かれ全裸に剥かれてされた者もいる。
さらに尻を犯されたものや、全裸の写真を撮られたものもいた。二人の少年を殺
して死刑となった。

東京の西部、まだ空き地や雑木林が多かったころ、バス停でバスを待つ可愛い少
年を見かけると、送ってあげようと声をかけた。当時バスの本数もすくなかった
だろう。クルマ〈小型トラック〉の助手席に好みの少年を引き上げる沖、まだ声
変りもしない少年の少年の薫りに、これからすることを想うと激しく興奮したと
いう。そうとも知らない少年には親切なおじさんとしか映らなかっただろう。
男の子だから心配もしないだろう。

処が、車を止めると本性をあらわした、自分の経営する会社の倉庫に連れ込んで
犯す事もあったという。必死で塀に昇って逃げようとする少年の脚を以て引き降
ろし、また犯す時ほど興奮する事はなかったと。

彼は、海軍時代、海軍軍楽兵(少年志願兵)で、軍隊時代上官から無理やり
「男色」=少年愛=を教え込まれたという。
彼に殺された二人の少年には肛門を犯した跡が有ったという。また襲われたりハ
ントされいたずらされた30人以上の男子小中学生殆どすべては口に依る口淫
(フェラチオ)を必ず最初にしたという。
彼も少年軍楽兵の時,上官からそうして弄ばれたのだ。

なお、70年代、90年代の12,3〜4のJr.も、こうした口淫、肛門姦が
ジャニーズ喜多川氏からされていて、拒否するとダンスの立ち位置だけでなく、
テレビにも出してもらえないことは『週刊分春』などでとりあげられている。

10名無しさん:2012/12/16(日) 11:43:09
「日本二ユース第32号」で昭和十六年一月十四日の日付。タイトルは「海の誇
り胸に海兵団入団(横須賀)」とある。 ニュースの内容は「海軍の兵は十五歳で
志願した特年兵や満十六歳以上で志顔したー般志願兵、それに満二十歳の徴兵検
査に合格した兵も団門をくぐった」として、画面は次の通り。 「点呼を受ける
入団者、肺活量の測定や、つり輪にぶらさがる身体検査、下士官の指導で水兵
服に着替える新兵、家族に私物を渡して別れる新兵全国に有った「海兵団』では、
毎年五月二十七日の海軍記念日は、市民に構内が開放され、運動会などで終日に
ぎわい児童、生徒らも参加した。

また、15才以上、16歳未満(後に14歳以上に改定)の「特年兵」と呼ばれ
る少年も、水兵、整備兵、機関兵、工作兵、看護兵、主計兵などとして1万74
00人が少年兵として貢献したことも明記しておきたい。

「海兵団」は、横須賀、武山、浜名、呉、大竹、安浦〈広島〉、佐世保、,舞鶴、
、大湊、大阪、田辺にあった。

海軍は志願制で16歳から志願できた。

その後、15歳、14歳と若くなり多くの少年志願兵が志願し戦死した。



海軍に志願すると、「特年兵」等を含めて例外なくすべて「海兵団」で厳しい
教育訓練を受ける・。10代の少年志願兵で成り立つ海兵団は児童虐待の巣窟
だった。

この映画「海軍特年兵」のように。。


・海兵団 (映画「海軍特年兵」)
 ://www.youtube.com/watch?v=uW3PzZbD-0M
 ://www.youtube.com/watch?v=WLjzK568O20
 ://www.youtube.com/watch?v=qjM2g1Sz0w8


渡辺 清「 海の城―海軍少年兵の手記」 朝日新聞社 朝日選書1982
千坂 精一「特攻基地の少年兵―海軍通信兵15歳の戦争」光人社2006



--------------------------------------------------------------------------------

11名無しさん:2012/12/16(日) 11:45:53
徴兵検査で徴兵の陸軍でもあったようだが、10代の少年志願兵でなりたつ海軍
には伝統的罰直があった。その名を[砲身磨き]という。
昔鉄砲は天皇陛下からの授かり物、陸軍でも海軍でも毎日きれいに手入れしてお
く。それは夜突然行われる…皆が寝静まる頃 古兵が銃の点検を行う.そして手入
れの良くないのを発見するや、総員起床となる。
そして、その班全員が前に出され往復ビンタを食らって、「連帯責任」で班全員
砲身磨きというのを命じられることに。むしろ、砲身磨きを見るために行なう。

砲身なら別にどうってことはないと想うかもしれないが、「砲身」とは銃のこと
ではないというのが、この罰直の罰直たるところというか、いやらしいところ。
砲身とは、全ての男子が股の間に付けているモノといったらわかるだろう。
それを磨くつまりセンズリのこと。

つまり銃の手入れにかこつけ、センズリを掻かせること.一番多いのが15、6、
オナニー盛りの今で言えば高校生位 か。一番恥ずかしい年頃、同じ年頃の他の者
や古兵が取り囲む中、たとえ自分は落ち度はなくても「連帯責任」で、裸になり
直ちに実行しなければならないのだ。

まず自分の物を砲身にしてから、たっぷり磨きを掛ける。 でも、なかなか砲身に
ならないのだ。
周囲で、嫌らしい囃子の中、一番恥ずかしい年頃の少年達が繰り広げる羞恥の
世界。 これは班で競わせる意味もある。恥ずかしがっていたら、いつまでも柔
らかいまま、 発射テストも有り、ひとりふたりと許され減っていっていく・
、恥ずかしいことを一気に出きる者は早く開放される。

この罰直の残酷さは、恥ずかしがれば恥ずかしがるほど、いつまでも恥ずかしい
想いをするということ。そしてそれはいつも原因を作った当事者ということ。頭
も良くエッチなこともいえないような子ほど、手を指を動かすのも恥ずかしくて
砲身にもならず、いつまでも続けることに・・.そしてだんだんすくなくなって
来ると気持ちもますまsy落ち着かない。一人二人になり、ますます勃たない。

そうして最後になるのは、決まって当の本人、みんなをこんなことに遭わせた罪の
意識や、受けた厳しい罰直もあって・・考えてみてください、エッチなこともいえ
ないような子が一人になっても許されず、15、6〜7のオナニー盛りとはいえデ
リケートな男の子が真っ赤になって、自らの体を使っての正視できない淫らなこと
をさせられるのだ…それをまわりで・・。 また,要領の悪い者が班にいる班はいつ
もしなければならないのだ。  

15,6と言えば、いつの時代もすることは同じ、しなければ夢精してしまう。し
かも厳しい訓練で一人に成る機会もない。そういう年頃の少年たちに親心とうわけ
でもないだろうが、徹底的に自らを否定し、自ら自らをいじめ尽くさねば解放され
ない恥ずかしい罰直。本人は勿論、連帯責任で毎度突き合わされる者もたまらなか
っただろう。(自涜はできるが)。今でいえば児童虐待だ。

いじめが猛威を奮った昭和59年、大阪のマンモス男子高校で起こったいじめ報復
殺人事件、二人の一年生は同級生からいじめをうけていた。それも教室で自慰行為
という思春期の少年なら誰でもするとは言え、人前でできない恥ずかしい行為を強
要されてさせられていたのだ。最初は授業中の教室の机の下で、でも射精しないと
言って今度は昼休みの教室でさせられたが射精できなかったので、今度は放課後の
教室で時間制限もなくたっぷりさせられた。。、二人はクラスメートの見ている前
で人に見せられない淫らな行為を、今、中学、高校などでいじめにこうした衆目の
中での「自慰行為」という一度そんな行為を見られたらいきていけないようなこと
をさせるいじめが密かにおこなわれているようだ。

エッチなこともいわない勉強のできる子だったりなかなか勃たないようだ。自殺の
原因にもなっているようだ。二人は少年院送りとなったが1年で解放となった。
それは思春期にある少年にとってあまりな事だとだれもが認めるようなことだから
だが、同じ思春期真っ盛りの年頃の無垢な海軍少年志願兵では、同じことが日常的
伝統的に行なわれていたのだ。

・映画「海軍特別年少兵」
「海兵団」での厳しい訓練と連隊責任の罰直・・
://www.amazon.co.jp/gp/search?search-type=ss&index=blended&keywords=%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E7%89%B9%E5%88%A5%E5%B9%B4%E5%B0%91%E5%85%B5&__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A

12名無しさん:2012/12/16(日) 11:48:15
少年兵は高等小学校を出た14歳の少年が志願するのだが、彼らには羞恥拷問とも思
える厳しい運命が待ち受けていたのである。

 それはまず、志願時の身体検査に始まる。14歳の一番恥じらう年ごろの少年がす
っ裸にされて徴兵検査と同じ厳しい性器肛門検査を受けるのだ。徴兵検査を受ける2
0歳の壮丁でさえ羞恥で顔がほてるという性器を握られるM検を思春期の少年が受け
るのである。当時の14歳は全般に発育が遅く、陰毛もようやく生えてきたか言う年
頃である。徴兵検査同様、硬くまれた6,7センチの少しばかり大きくなった、まだ
すんなりしたものを無理矢理、冠状溝までめくり上げられ、しごかれ、肛門まで押し
広げて覗かれるである。陰毛が発毛し、他人の性器との差異が気になる年代なのである。昔の少年は恥ずかしくなかったという事は絶対ないだろうから、それだけに「海
兵団」における衆人監視のもと、全裸での性器検査や歩行訓練などは耐えられないほ
ど恥ずかしかったであろう。

狭い軍艦に乗る海軍は、全裸身体検査や全裸整列訓練にもずっと間隔がせまいそうだ。くっつき過ぎると前の者の尻に敏感な肉体が当たってしまう。半勃ちしてしまい慌て
て避けるように後退すると尻に後ろの者の性器に触れてしまい、一層角度を増してし
まうという。

 さらに入隊してからも羞恥の儀式は続き、夜になると採用時の身体検査以上に厳しく、かつ性的いたずらの性器検査をされるという。

13名無しさん:2012/12/16(日) 11:48:51
日本には「海軍特年兵」とか、「少年戦車兵」・・とか14歳の少年兵、15歳の予科
練などがたくさんいました。海軍は志願兵です。みな「海兵団」で素っ裸にされて
の「M検」を含む厳しい身体検査を受けて入る。志願兵とは少年兵で16歳以下だと
いう、あの「予科練」も今の高校生(甲種)から中学生〈乙種〉位 、「海軍特別
年少兵」という映画もあった。中学に進まない者、進めない者、が「高等小学校校」
(今の中1、2、二年制)を出てすぐ14歳でMケンを受ける。

昔は貧農の子など成績が優秀でも、中学校(今の中1〜高2)に進学できない子は
沢山いただろう。昭和30年代でさえ高校進学率は30%位だったのだ。当時は1
割にも満たなかっただろう。

当時の男子の発毛年齢は14,4歳だから発毛期。萌芽の兆しが有るかなきかの頃
、早熟な者はジャングルもいればパイパンもいただろう。


 「海軍特別年少兵」という映画を見た、14歳で志願した「海軍少年志願兵」の
物語である。中には軍国少年で、親に内緒でハンコも自分で押して出すものもいた
ようだが、貧農の子は早く兵隊になってえらくなりたい、えらくなって親孝行をし
たいと志願したそうだ。
主人公の少年は、最後に自殺してしまうのだが、日本がまだ貧しかった時代、日本
の大部分だった貧農の小作、身体検査の日の夜も世が明けるまで田植えの手伝いを
行う。実際は最低位の消耗兵、厳しい訓練、ちょっとミスを犯すと「連帯責任」で
厳しい罰直。最後は野外演習で、鉄砲の「菊の紋章」を落としてしまい、夜全員動
員で探すも見つからず、責任を感じて一人だけで探す、そして鉄砲をのどに充てて
自殺してしまう。

男はみんな20歳になれば兵隊になるのだから、いまのうち兵隊になり、少しでも
位が上になり親のめんどうもみたいと少年兵に志願したのだ。厳しい身体検査をさ
れる場面もあった。M検を想像させる場面もあったが勿論、性器が映ることはなか
った。本当は素っ裸なのだろう。
 そして「海兵団」に入団。日中は過酷な訓練があり、夜は兵舎の中で検査や教育
訓練がある。しかし彼は要領が悪くヘマばかりやってしまう。そのたびに「連帯責
任」で班全員がビンタとか制裁を受ける。ある日は彼の班だけ食事を許されず、そ
れどころか、重い食卓を全員で手を伸ばし頭の上まで持ち上げていなければならな
かった。彼はそのたびに班全員から責められる。
 映画にはなかったが、もし銃の点検があればおそらく「砲身磨き」をさせられる
班だ。そして彼は責任をとって一番最後まで砲身磨きを続けるのであろう。
 映画にっは無かったが、厳しい訓練が終わり、軍艦に乗っても尻を「精神注入捧」(バッター)で殴られる毎日である。夜には上級兵の性の慰みものにされるのであ
る。愛撫させられる位ならいいが女の代用として肛門に太いものを押し込まれたりする。涙をこらえて耐えるしかないと言う。

 このようなことは陸軍の少年兵も同じことである。軍隊は男だけの世界のである。
上官には絶対服従である。この中で少年兵が「男色」(少年愛)の餌食になった。
少しでも早く出世するためにと、羞恥の儀式を耐えて少年兵になったのであるが、
入隊後には更に過酷な体験が待っていたというわけである。

特に過酷な訓練は連隊責任と罰直を伴う。いろいろないやらしい罰直が考えだされ
行なわれていた。
海軍に多かった14、15〜16の性熟期の少年兵用に編み出された罰もあって、少
年兵には耐えられないものだったろう。

14名無しさん:2012/12/16(日) 11:50:40
海軍特年兵

「兵役法」では、志願できるのは17歳以上だが、海軍は16歳で志願できたそう
である。海軍は基本的に志願制をとっていた。(一部、徴兵検査で海軍を選ぶこと
もある。)

昭和16年7月には。「海軍特別年少兵制度」を創設、従来16歳以上とされてい
た志願兵年齢を特例として、15歳以上16歳未満と定めた。同16年11月には、
さらに1歳引き下げ14歳からとした。


あゝ14才 大日本帝国海軍史上最年少の勇士である。少年兵より更に2才も若く
しかも特例に基ずいたものであったため特別年少兵 特例年令兵の名があり 特年
兵と略称された。昭和16年帝国海軍はその基幹となるべき中堅幹部の養成を目的
にこれを創設した。

太平洋戦争の時局下に純真無垢の児童らが一途な愛国心に燃えて祖国の急に馳せ参
じた。その数は17年の一期生3千2百名をはじめ 二期生4千名 3、4期生各
5千名 終戦の20年まで約1万7千2百名におよんだ。
横須賀 呉 佐世保 舞鶴の四鎮守府に配属されて活躍した、戦場での健気な勇戦
奮闘ぶりは 昭和の白虎隊と評価された。

昭和16年7月、海軍特別年少兵制度を創設、「官機密第5921号」により、従
来16歳以上とされていた志願兵年齢を特例として、15歳以上16歳未満と定め
た。(名称:「特別年少兵」または「特例年齢兵」)

昭和16年11月19日、「達第351号」により年齢を更に1年引き下げ14歳か
らとし、教育期間を1年6ヶ月以内と定める。(名称:「練習兵」)

昭和17年9月1日、第1期生3,500名が各海兵団に入団
横須賀鎮守府=武山海兵団(旧横須賀第2海兵団)
呉鎮守府=大竹海兵団(呉海兵団大竹分団)
佐世保海兵団=相浦海兵団(佐世保第2海兵団)
舞鶴海兵団=舞鶴海兵団(団外兵舎)
※入団3日後に修業期間を約1年に短縮
※特年兵は第1期〜第4期まで、総数は17,000名〜18,000名

将来の海軍中堅幹部養成を目的とした教育方針、教方法などは、予科練を作った
尾崎俊春中佐が中心となって進められたといわれている。

15名無しさん:2012/12/16(日) 11:52:22
待望の大竹海兵団の営門の前で,頭ら左、難なく営門を通過, 錬兵場に整列。
 其のとき、満15歳未満の者、こちらに来い。大きな声で伝達があった。張り
切っている私は指導の通り15歳未満と、書かれている表示の前に整列した。

其のとき、満15歳未満の者、こちらに来い。大きな声で伝達があった。張り切
っている私は指導の通り15歳未満と、書かれている表示の前に整列した。
第2次の身体検査がある、本官が誘導するから付いてくる様にしろ。食事を終
えたことを報告、いよいよ第2の関門である、身体検査場に導かれた。姓名と
生年月日を名乗り検査を受けることになった。

身長、体重、目、鼻、口、肺活量、更に性病の検査(M検)、等々、多岐に渡
る検査を受け、最後に軍医の前で、今で言うカルテらしき書類を見て、良し、
合格、 左腕に合格の印判を押され、42分隊まで駆け足で帰り4教班の、班長
に報告した。 ・・・・


こうして「海兵団」で第二次の身体検査場に連れて行かれるのは「満15歳未満」
の者つまりまだ高等小学校(小学校高等科)を卒業したばかりのほんの14歳 、
ほんの萌芽の兆しさえ有るかなきか、150センチ位、発毛期の無垢の少年達だ。

今なら人権問題になるような、思春期の少年達に徴兵検査も変わらない残酷で厳
しい裸体の性器・肛門検査が待っている検査場に連れて行かれる少年達・・、み
なこうして「少年志願兵が」作られていったのだろう。

合格した後あの過酷な「海兵団」の訓練と罰直生活が例外なく待っているのだ。
何か憧れのようなものを抱いていたとしても・、男色の餌食にされるものもいた
ことだろう。

16名無しさん:2012/12/16(日) 11:56:06
種少年飛行練習生〈予科練〉身体検査
乙種少年飛行兵〈予科練〉を1年下げて15歳未満で採用する、と、云う制度が海軍に出来た。
年齢を1年下げて、満14歳から15歳未満で志願できると言う制度である。私はこれに飛びついた。

採用試験    
高等科2年生になって、受験の機会を伺っていた頃、やはり募集があった。
踊るような気持ちで、海軍少年飛行兵(予科練)を、第1志望とし、第2志望を水兵として志願をした。
其の年の 12月今の益田市において、 学科試験と体力試験が行はれた。私は何故か最後迄残され、 やっと試験官の前
に呼びだされた駄目なのか? 絶望感を感じながら、試験官の前に立った..。・・
待望の大竹海兵団の営門の前で,頭ら左、難なく営門を通過, 錬兵場に整列。 其のとき、満15歳未満の者、こちらに来い。
大きな声で伝達があった。張り切っている私は指導の通り15歳未満と、書かれている表示の前に整列した。
其のとき、満15歳未満の者、こちらに来い。大きな声で伝達があった。張り切っている私は指導の通り15歳未満と、書かれ
ている表示の前に整列した。
第2次の身体検査がある、本官が誘導するから付いてくる様にしろ。食事を終えたことを報告、いよいよ第2の関門である、身
体検査場に導かれた。姓名と生年月日を名乗り検査を受けることになった。
身長、体重、目、鼻、口、肺活量、更に性病の検査(M検)、等々、多岐に渡る検査を受け、最後に軍医の前で、今で言うカル
テらしき書類を見て、良し、合格、 左腕に合格の印判を押され、42分隊まで駆け足で帰り4教班の、班長に報告した。 

ttp://www.fureai-net.tv/daitoua/

艦が沈む間際、十七歳くらいの分隊士従兵が軍刀を二振り背負っている。従兵とは上官の身の回りの世話をする兵隊だ。なるべく身軽にならなければいけないそのときに、私は「なぜ」と聞いた。軍刀を最後まで守れとの命令だという。
そんなバカなと思ったが、軍人は命令に絶対服従である。従兵は楽して出世が早いので、下級兵士の望むものであったが、徴兵で海軍に入った私は、従兵として上官の機嫌とりだけはしたくなかった。成績優秀者は従兵になるしきたりであった。
ttp://www1.odn.ne.jp/koyama/musasi.htm

当時海軍志願兵の合格基準 、−海軍志願兵 志願者の手引− 
[18歳以上] 157cm  49kg
「18歳未満」 156cm  47kg
「17歳未満」 155cm  45kg
「16歳未満」 151cm  41kg
「15歳未満」 147cm、 38kg ・・・14歳

因みに、昭和36年の13歳男子の平均は146cm〈文部省〉
現在13歳は160センチ位。


(参考)
実録手記・中学生M検物語り   さぶ
嗚呼海軍予科練習生の悲劇    さぶ
ああ海軍残酷物語―少年志願兵  さぶ

小淵 守男「巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争」光人社2011.10
井上 理二「駆逐艦磯風と三人の特年兵 波濤の中の青春」光人社文庫709 2011.9
「矢矧、大和、磯風の最期と少年兵」 2011/9/23
鈴木 理生「大江戸の正体」 三省堂2004

17名無しさん:2012/12/16(日) 11:57:36
1965年1月と1970年10月には加藤治成事件が起きた。1965年は
12歳の小学6年生が被害者であり、猥褻行為をしようとして抵抗され絞殺し
て全裸にしてその遺体を山林に捨てた。1970年は8歳の少年が被害者であ
り、切手をあげると誘い出し荒川河川敷で猥褻行為をしようとしたら抵抗され、
刃物でめった刺しにして殺害した。加藤は30枚ぐらいの少年の全裸写真を持
っていて、それまでに相当数の少年に猥褻行為を繰り返していた。彼は軍隊時
代に上官から同性愛を強要されて、それから性倒錯者になった。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板