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八鹿高校事件ホームページのために

1もっこす</b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2003/09/12(金) 20:16
このスレッドに、八鹿高校事件の関連情報を集めます。

17もっこす</b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2003/09/15(月) 09:44
>>12
判決に出てこないものは使いません。
裁判では、解同側の主張としてありましたが、裁判所は認めませんでした。

18葉寺覚明</b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2003/09/15(月) 16:28
毎度です。「解放の道」(1977/7/15)より。

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市職員に集団暴行
「解同」の暴力幹部 人事にも不当介入 大阪・堺

 【堺】大阪府堺市の幹部職員が「解同」支部幹部に集団暴行をうけていたことが、このほど、堺市職労などの調査であきらかになりました。堺市では、全解連堺市支部などによる「解同」べったりの乱脈・不公正な同和行政にたいする批判がたかまり、同和対策事業の執行で事実上、改善がすすめられているため、こんどの暴力事件は、不公正是正を妨害する脅迫とみられています。
 堺市職労は、八日付の組合ニュースに声明を発表。
 この暴力事件を機会に、すべての管理職と職員が立場のちがいを越えて、「堺市政の民主化、働きがいのある職場と公正・民主的な市政確立へのたたかい」に市職労とともに立ち上がるよう呼びかけました。
 「解同」の集団暴力事件は、一日から二日にかけて発生したもの。市職労と同市安全委員に事情をただしたところ、市の最高幹部の一人である土肥四郎参与をはじめ部・課長六人が一日午後八時ごろから翌二日午前一時ごろまで、丸井求「解同」支部長の指導する約三十人にとりかこまれて「糾弾」をうけ、くつなどでける、なぐる、灰皿を投げつけるの暴行をうけました。
 また、「解同」支部幹部は、この事件とは別に、六月二十八日午前、市衛生部職員の医師と医療施設担当者を「解放会館」から追い出し、さらに、同和対策部の「解放会館」勤務員をも追い出して、「解同」の指導する職員にかえさせるなど、市の人事権も辞令の発行や通常の手つづきなどをいっさい無視する「解同」の”命令”ひとつでやられるなど、乱脈をきわめています。
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19葉寺覚明</b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2003/09/15(月) 16:30
>>11

一般市民。

>>16

ありがとうございます。

20葉寺覚明</b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2003/09/16(火) 22:44
>>2

中西さん虐殺事件の記事です。

「解放の道」(1970/12/5)より。

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老婆、ショックで死亡
朝田一派 通行者をおそう

 【東大阪】蛇草会館を不法占拠する朝田一派の暴力集団二百数十人は、四日よる、決起集会がおわってかえる途中の参加者におそいかかって、十三人が三日から七日間のケガをうけました。
 四日午後八時半ごろ決起集会がおわって、参加者が帰宅しはじめました。ところが暴力集団は、蛇草会館のまえにマイクロバスや自動車をおいて、道路をせまくしたうえ、通行どめをするなどの妨害をくわえたため、せまい路上に人があふれました。これを、機動隊三十人がみていましたが、暴力分子になに一つ注意をしようとしません。
 このため通行者は、「道をあるくのを妨害するな」「ムラの道をムラのものがとおるのはあたりまえや」「暴力分子出ていけ」と怒りのこえをあげ、機動隊にたいしても抗議しました。
 ようやく、機動隊の交通整理でとおれるようになりました。しかし警官は暴力集団に背をむけて、通行人を両側からはさむようにならんだため、暴力集団は、警官にかもまれるようかたちで、通行者をなぐる、つく、けるなどの暴行をはたらきましたが、警官は、とりしまろうとしませんでした。このため、集団暴行ははげしくなり一時、通行者がおしつぶされかけたり、髪の毛をひっぱられ、マフラーをとられた婦人、つきたおされた老人やメガネをとばされたりズボンをやぶられるなどの被害が続出しました。
 また、暴力集団の手先になれはてた蛇草の松島節夫は、蛇草病院入口のガラス戸三枚をたたきわる、暴挙をはたらきました。
 このような、警官にまもられた集団暴力にたいして、婦人たちは怒りの涙をこめて抗議、青年や老人、こどもも「ムラへきて暴力をふるうヨソもんをかならず追い出すぞ」と決意をかためています。
 また、この夜、暴力集団にこずかれたショックで、解同蛇草支部員の中西ヤスエさん(六三)が死亡する事件がおこりました。
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21葉寺覚明</b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2003/09/19(金) 21:23
>>20

中西さん虐殺事件です。

「解放の道」(1971/12/15)より。

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暴力分子を告訴告発
蛇草支部 傷害致死などで糾弾

 【東大阪】朝田一派の暴力集団の暴行にショックで死亡した中西イソエさん(六三)の葬式は五日午後三時、蛇草支部をはじめ大阪府下各支部代表約四百人の参列によっておこなわれました。
 中西さんの死因は、医師の診断で、朝田一派の暴行を受けたときのショックによる急性心不全と心筋こうそくであることがあきらかになり、また、遺体の右足関節部や左ヒザ付近に、けられて内出血をおこしたり、打ぼく傷がはっきりとあらわれていました。
 ところが、朝田一派の暴力集団は、破れんちにも中西さんが「病院にいこうとして河合・藤本らのデモに妨害されてショック死」と事実をごまかしたデマ宣伝をおこない、蛇草支部幹部にたいする中傷、ひぼうをおこないました。また、午後三時ごろ、中西さんの家にデモをかけ、「なにを泣いとるんや、泣くんやったら外に出て泣け」と口ぎたなくののしりました。そのあげく、中西さんの四男光男さんに暴力をふるって、全治一週間のケガをおわせるありさま。
 こうした、朝田一派の暴力にたいして、四日よるの決起集会の帰途、負傷させられた人たちは、暴力行為を指導した「解同大阪府連」の榎並明一、岡田繁次(行動隊長)および蛇草部落の暴力分子松島節夫・杉本和美らを、暴力行為および中西さんを傷害致死させたことをあげて告訴・告発しました。
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22葉寺覚明</b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2003/09/20(土) 08:38
>>21

日付が間違っていました。(1970/12/15)です。失礼いたしました。

23葉寺覚明</b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2003/09/20(土) 21:13
「解放の道」(1973/11/10)より。

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朝田一派がまた西宮市役所占拠

 【西宮】朝田一派はまたまた十月十六日から西宮市役所を占拠しました。市庁舎四階会議室に闘争本部の看板をあげ、地階職員休養室にとまりこんでいます。

”彼らこそ差別者”
部落住民の怒り爆発

 朝田一派の山口富造、西口源光ら暴力分子は連日、五十人から百人の部落住民を日当動員して市庁舎を占拠、芦原地区にたいする分裂策動をつづけています。

市当局が提供

 四階の会議室には「兵庫県連闘争本部」と書いた看板をたてて、指導部にしています。市役所方面には十数本の旗をたて、玄関に長机をおいて市民を監視しています。ロビー階段にもたむろしていて市民を尋問するなど、芦原市民のための市役所が朝田一派の事務所に”変身”したようなありさまで、「いくらなんでも無茶苦茶や、なんとかできんのか」と、市民の非難がつよまっています。
 しかし、朝田一派が「市理事者を守る」”行政闘争”と称して占拠していることを、市当局は「同和行政を円滑にすすめうために部屋を提供している」(同和対策室)とのべて擁護しています。
 こうして朝田一派は、同和対策室、職員休養室、写真用の暗室をわがものがおに使っています。
 一階湯わかし室は、朝田一派の「調理場」。地階の職員休養室は、市職員の昼休みやからだの調子が悪いときの休養のために使う部屋ですが、ここにも、朝田一派は勝手にふとんを持ちこんで寝泊りしているため職員は一切つかえなくなっています。

部落で差別発言

 朝田一派は、こうして市役所を根城にして連日、芦原地区へ七、八十人でデモをかけ、分裂策動をつづけています。
 芦原支部(亀田順一支部長)のビラのうえに反共、反同推協のビラをはり、市当局に圧力をかけて芦原支部の公民館使用を妨害するのは序の口。
 十月二十五日夜、五十人を動員して、「同推協と話しあうから共産党と手を切れ」と隣保館におしかけましたが、住民に「おまえらのくるところではない」と追いかえされました。
 つづいて翌二十六日夜には、マイクロバス一台、乗用車十三台をつらねて芦原地区におしかけてきました。かれらは、スピーカーのボリウムをいっぱいにあげて「芦原部落のヨツのみなさん、エッタのみなさん、同推協幹部と共産党にだまされてはなりません」と、口汚たなく、聞くにたえぬ差別言辞をはきながら行進してきました。
 これを聞いた住民は「ムラの団結をみだしたあげく差別するとはなにごとか」−−と家をとびだしたちまち、千人にふくれあがって自動車をとりかこんで激しく糾弾。朝田一派はネコのようにちぢこまって退散しました。
 しかし、その後も連日、執ようなデモをつづけています。こんどは、今までと一変した”無暴力主義”で、「暴力をつかいません、差別をしません」といいわけのポスターをはっています。住民の反撃をおそれてネコをかぶって「支持」をとりつける作戦にでているのです。また、地区内で小集会もひらいており、連日のデモとともに、決して軽視のできない動きといえます。

私物化が狙い

 朝田一派は、連日のデモのあと、「差別キャンペーン粉砕」と気勢をあげ、大きな声で歌を歌い、市役所にあかりをつけて夜おそくまで会議をひらいています。そのなかで「ねばり強くたたかう」ことを強調しており、かれらの「窓口一本化」を具現化させて「同和行政」を私物化するために、長期にわたって蛮行をつづける方針をもっています。
 このため、朝田一派を芦原地区と市役所から追いだし、地方自治と民主主義、部落住民の真の団結をまもるためのたたかいを続行することが、ますます重要になっています。(S)
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24名無し@もっこす党員:2003/09/21(日) 20:50
あげ

25del:del
del

26del:del
del

27del:del
del

28del:del
del

29もっこす</b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2003/09/21(日) 22:21
揚げとこ♡

30葉寺覚明</b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2003/09/27(土) 09:03
「解放の道」(1973/12/10)より。

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小森竜邦らを告訴
白昼、50人をひきつれ 教員室へ乱入、暴行

 【府中】小森竜邦が先とうにたって県立戸手高業高等学校で集団暴力をひきおこした問題について、被害をうけた和田嘉郎教諭は、六日午後八時、服部憲弁護士らとともに、府中警察署にたいし暴行傷害罪で告訴しました。
 小森を首謀者とする集団暴力事件は、告訴状によると、四日午前十時ごろ、まず、小森一派の弘中忠夫(新町町議)ら約十人が、戸手高業高校二階の教員室に乱入、つぎの授業を準備中の教諭に「校長はおるか」「おまえら、部落の子どもをいじめているんじゃねえか」などと叫びました。
 なんのためにきたのか、理由は不明ですが、かれらの叫んでいることばから推察すると、同校の生徒の一人が部落を差別する用語をつかったことを「教師の責任」として調査するのが目的であることがわかりました。このため教諭たちは「ご父兄以外の方はお引きとりください」といって、父母との話しあいに応じようとしたところ、広中は和田教諭(四〇)の左腕をつかんで「何をこきよるなら、外に出い」とつよくひっぱり、ひきずりだそうとしました。
 つづいて約二十人をひきつれて乱入してきた小森竜邦は、「暴力をやめろ」と制止した和田教諭の左腕をつかみ「嘉郎、出え」とひっぱり、右ほほを左手で平手打ち。和田教諭は「小森、叩いたの。暴力はやめい」と抗議したため、小森は一瞬ひるみましたが、こんどは広中が和田教諭の左あごを右こぶしで二度もなぐりつけて負傷させました。
 小森らは、このほか六、七人いた教諭を一人づつ、約五十人でとりかこみ、ひきずったり、こずいたり、「すわれ」「立て」「気をつけ」などの蛮行をはたらきました。このため、授業のすんだ教諭らは教員室に入れず、三時間目の授業は一時マヒしました。小森に動員された五十人のなかには、町役場の課長などの顔もみえました。
 被害をうけた和田教諭は「神聖な教育の場でこのような乱暴を働いた小森一派を許せない」と、きびしい処分を要求しています。
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31名無し@日本降参党員:2003/09/30(火) 14:51
>>30
最高裁まで争って解同側の有罪が確定したこの事件、判決文を読みたいと思って
最高裁のホームページに行ったけど、判決文を見つけることができなかった。
検索の仕方が悪いのかな?

http://www.courts.go.jp/indexs.htm

32名無し@日本降参党員:2003/09/30(火) 23:36
もっこすサン、高校はもちろん、西日本・東日本問わず、大学でもこのよう
な蛮行が行われた歴史があるのでしょうか?

33もっこす</b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2003/10/01(水) 22:29
80年代に荒れ狂った校内暴力の中学校高校を調べてごらん。たいてい解放研があるから
大学では、第二次橋のない川上映運動に関係した学生が、全国で69名、あたしと同じように拉致監禁されている。
かららの証言集も部落問題研究所から出ている。

34名無し@日本降参党員:2003/10/02(木) 01:51
>証言集

題名を教えてくれ。

35葉寺覚明</b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2003/10/02(木) 22:09
「解放の道」(1976/12/5)より。

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「解同」の執拗な妨害はねのけ
「八鹿高校事件」を上映
京都・伏見

 【京都】京都・伏見区の全解連竹田深草支部11月27日夜、「解同」朝田一派の暴力的な妨害をはねのけて、市立改新隣保館で映画「八鹿高校事件」「金環蝕」を上映、約二百五十人の住民が参加して成功をおさめました。
 この上映にたいして「解同」は「”差別映画”を公共施設で上映するのはけしからん。実力で阻止してみせる」と妨害を策し、市職員を夜から翌朝まで十二時間もとじこめて脅迫、市当局に隣保館を二十七日休館の措置をさせるという暴挙にでました。
 全解連支部は、ただちに市交渉をもって抗議、隣保館をあけさせて映画上映にこぎつけるとともに、八鹿高校事件の真実をおそれて、上映妨害に執念をもやす「解同」の暴挙を糾弾、成功のために住民の協力を訴える宣伝活動をつよめました。
 これに逆上した「解同」は、上映当日の二十七日、かれらの支部事務所に「差別映画上映阻止闘争本部」なるものをつくり、京都市内だけでなく福知山、綾部など府下各地とトロツキスト暴力学生もふくめて約百五十人を動員。全解連事務所のドアをこわす、ポスターを破る。三台の宣伝車のボリュームをいっぱいにしてがなりたてながら走りまわすなどの暴力的な脅迫をくりかえしました。
 しかし、全解連支部員はじめ住民は、そのような脅しにまけずにぞくぞくと隣保館に集まり、上映がはじまるころには二百五十人が入場していました。映画をみた人たちは「なんとひどいことをするもんや。これを”差別映画”というのは、自分らの化けの皮がはげるからや」と話していました。また、「よそのものを集めてがなりたてるのは問題」と、「解同」の非難をつよめています。
 全解連支部は、暴力にたいする断固としたたたかいのなかでこそ、住民の支部がえられることを確信、さっそく「住民の正義と勇気と良識で妨害をはねのけ、大成功させた」とのビラを全戸配布しました。
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36もっこす </b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2003/10/04(土) 15:49
明朝午前1時に八鹿に出発します。
GPSソフトで調べたら、4時間12分の旅とか。
今回はロケハンもかねて写真撮影してきます。
テーマは「八鹿の夜明け」癒し系です。

37名無し@日本降参党員:2003/10/04(土) 15:58
あたらしい杉原のページどこやねん?
教えて。

38もっこす </b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2003/10/04(土) 16:09
http://jbbs.shitaraba.com/study/3489/phoenix3.html#top

39葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2003/10/04(土) 16:21
「解放の道」(1979/7/5)より。

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”差別糾弾に暴力はつきもの”
矢田公判で村越証言

 【大阪】大阪・矢田刑事事件第十九回公判が六月二十一日、大阪高裁掲示四部で開かれ、前回につづいて事件当時、「解同」矢田支部執行委員だった村越末男は、被告側証人として証言しました。
 この日の公判は、被告側弁護人と村越証人がしめしあわせた八百長のよう。村越は長々としゃべりまくておわりました。このなかで、村越自身も執筆したことを認めている、いわゆる”糾弾文書”なるものは、”糾弾の基準”として示す必要から活版印刷したと証言する一方で、木下教諭らが立候補あいさつ状を持参しなかったため、戸田ら「解同」支部幹部らが事前に印刷したが自分は知らなかったと、矛盾する供述を平気でしゃべっていました。
 また、事件当日の一九六九年四月九日は、午後八時半ごろ矢田市民館に到着したといい、「怒声、ぶんなぐるなどは枝葉末節の問題」と開き直って、”差別糾弾”に暴力はつきものだと容認する重大な発言をしていました。
 次回七月十七日午後一時から、村越証人にたいする検察側の尋問がおこなわれます。
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40葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2003/10/04(土) 22:22
「解放の道」(1978/12/5)より。

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暴行事件で2名逮捕
社党支部長らを監禁、脅迫 大牟田

 【大牟田】福岡県大牟田署は、二日朝、「解同」筑後地区協の暴力分子二名を社会党大牟田支部幹部に暴行を働いた容疑で逮捕しました。
 逮捕されたのは「解同」中山支部の原辰夫(二六)と中川謙太郎(二八)の二人。原らは十一月十五日、大牟田市松原町の解放会館に樋口裕之社会党市議(支部国民運動部長)を呼び出して監禁し、こぶしで顔面を殴り、けるなどの暴行を加えました。
 つづいて二日後の十七日夜、山門郡(やまと)郡三橋町中山の解放会館に、川口六平社会党総支部長を呼び出して集団暴行。このとき川口氏から五千円の現金をおどしとり、さらに川口氏がカネを借りていないのに、百万円の借用証書を書かせていました。
 「解同」による集団暴行は、社会党総支部がかれらの狭山盲動などに非協力的であることや、来春の市長選挙が革新統一をめざして社・共両党に話し合いがすすんでいることに不満をいだいていたことへのあらわれであるとみられています。
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4133っす:2003/10/06(月) 02:25
もっこすサン。どうも有難うございました。お礼の返答が遅くなり申し訳なかったです。
ところで、質問なんですけど所謂2chで書き込んだ場合、こちらの情報は漏れるんですか?
例えば、第三者に特定されてしまうとか。僕はそれが怖くて、中々書き込みが出来ないの
です。スレ違いかも知れませんが、お答えして頂ければ幸いです。

42名無し@日本降参党員:2003/10/09(木) 23:40
IPは管理人と削除人にしか見えないよ。

第三者に特定されるとすれば、それは書き込みの内容のせゐだらう。

43名無し@日本降参党員:2003/10/14(火) 14:46
掲示板の書き込みがもとで裁判沙汰になった人たちも、
ほとんどが内容から目を付けられた人たちだね。
被害者の方から加害者特定して被害届・捜査依頼して
警察でプロバイダーに問い合わせてピッタリ、みたいな。
あとは他人のPC(学校・会社)に利用記録残ってたとき。

44もっこす </b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2003/10/14(火) 23:35
本日は、ホームページのためのフリーの音源を捜してきました。
名曲でもかなりつかえるのがあった。
写真も自前では限界があるので、探してきました。

45名無し@日本降参党員:2003/10/15(水) 05:55
HPを開くと自動的に音楽が流れる設定にしてあるサイトもあるが、ああいうのは
どうもうるさくて好かん。つーか、ブラウザの設定で音楽だけOFFにすることは
できないのか? 他の音楽を聴きながらネットサーフィンしたい場合はどうすれば
いいんだ?

46もっこす </b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2003/10/15(水) 20:22
音を消すには、ミュートにすればいい。または、スピーカーの線を抜くとか。

47to </b><font color=#FF0000>(RfGWKFU2)</font><b>:2003/10/15(水) 22:02
>>45
XPの場合、
『スタート』→
『コントロールパネル』→
『サウンド、音声、およびオーディオデバイス』→
『システム音量を調整する』→
『音量』の中にある『デバイスの音量』内右下、『詳細設定』→
で各音源に対し個別の設定をしてください。

48to </b><font color=#FF0000>(RfGWKFU2)</font><b>:2003/10/15(水) 22:30
つづき…
サウンドカードが個別にある場合(スピーカーの接続元がPCIスロットである時)は、
CDドライブ背面にあるCDOUTからサウンドカード上のCDINへ個別のケーブルの有無を確認(サウンドカードがない場合はマザーボード上に)し、
(ビデオキャプチャー等からはAUXINへ)
それぞれ、ケーブルがない場合はPCショップで買って接続する→
先程の『詳細設定』からCD(とAUX)以外をミュートしてください。
その上でCDドライブへCDを入れて(またはビデオキャプチャーを起動)音が鳴るか確認してください。

って事で良い様な気がしますが、
あくまでも自己責任でお願いします。
失敗、もしく作業をした事による不都合が起きた場合でも責任は負いません。
( ・∀・)/>>もっこリン。
間違いがあったら訂正しといてくらはい。

49to </b><font color=#FF0000>(RfGWKFU2)</font><b>:2003/10/15(水) 22:33
追記…
全部ミュートしたせいで必要な音がでなくなった時は一個づつミュートを取り消して確認してください。
その上で必要な音とサイトで鳴る音が同じ場合はあきらめてください。

50名無し@日本降参党員:2003/10/16(木) 04:46
ありがとうtoさん。試してみます。

51もっこす </b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2003/10/21(火) 18:53
サーバー公開まであと一歩
システムを linuxに移行しました。
ドメイン取得とメインマシン取得を残すのみです。

52to </b><font color=#FF0000>(RfGWKFU2)</font><b>:2003/10/21(火) 19:13
もっこす。
ドメインに金払うの?
ダイス使うんやろ?

53名無し@日本降参党員:2003/10/22(水) 22:06
穢多非人
リナックスの漢字変換システムはタブーなしだ。
ここまでは、解同の圧力は影響していない。
ドメインは無料に限る。

54もっこす:2003/10/22(水) 22:18
実験

55to </b><font color=#FF0000>(RfGWKFU2)</font><b>:2003/10/22(水) 22:41
もっこす。
セキュリティのチェックは?
リナックス用で日本語対応したフリーのヤツってあんの?

56& </b><font color=#FF0000>(70zeVo/k)</font><b>:2003/10/22(水) 23:15
セキュリティは今のところ問題なし。
フリーで付いてる。

57もっこす </b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2003/10/23(木) 07:46
なんか昔のパンライターで書いてる気分だな。

58& </b><font color=#FF0000>(70zeVo/k)</font><b>:2003/11/18(火) 13:24
大阪市長侯補の渡辺たける氏は八鹿高校出身だそうだ。
応援するぞ。

59葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2003/11/25(火) 19:03
なかなか興味深い投稿です。

--
日本のこえ派(部落解放同盟)に協力する第四インターに抗議します 投稿者:FALC  投稿日:11月24日(月)17時17分47秒

>
> 初めまして。私は主に部落問題について調べているもので、正直新左翼運動には詳しくなく、また運動の経験もありませんが、それでも一つ気になることがあったので指摘させてもらいます。
>  
> JRCL第四インター派は現在の新左翼の中では珍しく「共同行動の原則」を打ち出して内ゲバに反対し、過去の内ゲバや、暴力で持って相手の意見を封殺する行為を正当化する団体とは関わりを絶っていますね。私はそれ自身には賛成なのですが、その一方で第四インターは、今でも部落解放同盟の運動の記事を『かけはし』に掲載したり、解放同盟のホームページにリンクしていたりしています。
>  私はこれは絶対に間違っていると思います。なぜ解放同盟とは関係を持つのか。確かに解放同盟は新左翼ではありませんが、解放同盟が最も暴力闘争路線に走っていた頃(60,70年代)の幹部の多くは、元「日本のこえ派」のメンバーであることを考えれば、彼らの暴力行為が容認される理由はないはずです。
>  もちろん、こと部落解放運動に限って言えば、「社会に許容されるルール」だの「認められた範囲」だのに収まって運動していたら、それこそ何一つ発展しなかったでしょう。しかし、解放同盟は、組織内の反対派にも、「内ゲバ」としか言いようのない暴力を行使してきた歴史があります。また、解放同盟と日本共産党の対立は有名ですが、これも昔の解放同盟の幹部がこえ派のメンバーであったからこそ起きたこととも言えますか
ら、これも広義の「内ゲバ」と言っていいと思います。そこで改めて、解放同盟が反対派に対して起こした過去の事件を、私が知っている範囲で列挙したいと思います。
>
>  日本共産党および全国部落解放運動連合会(全解連)系同盟員への襲撃事件
>  ・解同朝田派、解同三木派事務所「文化厚生会館」乱入事件(京都市左京区/1966年1月20日)
>  ・解同朝田派、解同三木派京都府連大会襲撃事件(1968年2月)
>  ・矢田問題(大阪市東住吉区/1969年4月)(この事件で解放同盟分裂。除名された共産党系同盟員は部落解放同盟正常化全国連絡会議を結成。現在の全解連)
>  ・共産党斉藤俊一議員暴行事件(大阪府八尾市/1969年6月14日)
>  ・八尾市議会乱入事件(八尾市/1969年6月27日)
>  ・共産党大阪市議団団長暴行事件(大阪市/1969年7月12日) 
>  ・映画『橋のない川』(今井正監督/日本共産党員)上映阻止事件(全国各地/1970年)
>  ・部落問題夏期講座襲撃事件(京都市岡崎/1970年7月29日)
>  ・榎原吹田市長吊るし上げ事件(大阪府吹田市/1971年6月7日)
>  ・羽曳野市庁舎占拠事件/日本共産党津田市長監禁事件(大阪府羽曳野市/1973年12月)
>  ・日本共産党演説会送迎マイクロバス襲撃事件(大阪市浪速区/1974年6月)
>
>  解放同盟荒本支部(現部落解放同盟全国連合会)及び解放同盟内部の反対派への暴行・襲撃事件
>  ・大阪府連、暴力団員を動員し浪速支部襲撃(大阪市浪速区/1974年12月)
>  ・大阪府連荒本支部再建準備会、暴力団員35名動員し荒本解放会館にて執行委員会開催中の荒本支部襲撃(東大阪市荒本/1981年11月4日)
>  ・再建準備会(?)、荒本解放会館銃撃(荒本/1981年11月19日)
>  ・荒本団地16棟集会場にて開催中の「再建準備会」へ抗議登場した荒本支部員に暴行(荒本/81年11月25日)
>  ・再建準備会、荒本団地14棟放送施設破壊、抗議した青年に暴行(荒本/81年12月5日)
>  ・再建準備会、暴力団を動員し東大阪市文化会館にて実施された「奨学金支給」会場にて荒本支部員に暴行(東大阪市/81年12月16日)
>
>  この他にも、解放同盟に批判的な一般市民に対する暴行事件は、それこそ有名な「八鹿高校事件」を始めとして、いちいち挙げていたらきりがありません。
>  
>
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60葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2003/11/25(火) 19:04
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部落解放同盟に協力する第四インターに抗議・・・・の続きです 投稿者:FALC  投稿日:11月24日(月)17時18分52秒

 続きです

 確かに部落解放同盟は被差別者の団体でしょう。しかしそれは暴力を容認する理由になるのか、と問われれば、私は否と答えます。他者の意見を暴力で封殺する行為に、被差別者がどうのとか、今も部落差別があるとかないとかなど一切関係ないと思います。まあ、個人的な意見を述べさせてもらえれば、国家権力に対する暴力行為にはあまり批判する気にはなれませんが、しかし解放同盟の暴力はほとんどが自らへの批判者です。
>  大体、解放同盟の理論は、よく読んでみるまでもなく内ゲバ主義むき出しです。解放同盟による「差別者」規定は、実際のところ中核派などによる独善的な「反革命」規定と、何も変わりません。一度彼らが「差別者」と断定したら、それはもう絶対なのです。「反革命」などと言われて動揺する人はあまりいないと思いますが、「差別者」と言われれば、誰だって動揺します。彼らはそこを利用してきたわけです。そして、よく「言葉狩り」だと批判される解放同盟の糾弾行動、あれはまさしく「ご都合主義解釈」そのものでしょう。
>  極めつけは、最近、宝島社から発売されている『同和利権の真相』に対する見解にも見られる、「日共=『全解連』の別働隊機関紙」「差別キャンペーン」なるレッテル貼りでしょう。確かに日本共産党の解放同盟批判は宣伝色が強く、また共産党はどんな運動にも難癖をつける悪い習慣があるため、私自身も、いくら解放同盟に唯一批判してきた政党とはいえ、必ずしも日本共産党を支持するものではありませんが、全く、何と言う稚拙な論理でしょう。「カクマル反革命集団」と「日共差別者集団」は、どこが違うのでしょうか。「残存ブクロ派=スパイ集団」「K=K連合」「白井=小西連合」と「日共=『全解連』の別働隊」の間に、一体何の差があるのか!
>  何故第四インターは、現在に至ってもなおこんな団体に協力するのか、私には全く理解できません。繰り返しますが、たとえ被差別者の運動であろうとも、運動は運動ですし、暴力は暴力です。解放同盟だけ例外扱いすることは許されません。そもそも、「一般はNGだが、部落はOK」などという理屈を正当化するようなことは、絶対にあってはならないのです。
>  私がここに書いてきたことは、当たり前のように一般の書店で売られている本に書いてあるものばかりです。確かに共産党系の本が多いですが、これらの書籍が「差別文書」として社会的に話題になった事例など、私は聞いたことがありません。内容が全て嘘だったら大問題になるはずなのですが、どういう訳か普通に売っているし、普通に買える。調べようとすれば誰でもすぐに調べられる。にも関わらず、相変わらず新左翼のほと
んどの人たちは部落問題については口を閉ざしたままです。私が指摘するまでもなく、これらの事件を新左翼の人たちが知らないとはどうしても思えないのに、何故何も言わないのか。「内ゲバ研究」は非常に意義のあるものだと思いますが、部落問題を抜きにしては、真の内ゲバ検証とは言えないと思います。
>  部落問題ももはやタブーとは言えません。この問題について、特に第四インター系の人たちに、真摯なご対応、ご回答をされることを強く期待するものです。
>
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61葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2003/11/25(火) 19:05
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「部落解放同盟に・・・・」の追記です 投稿者:FALC  投稿日:11月24日(月)17時24分53秒

 あ、書き忘れましたが、この文章、初めは社会批評社の「新左翼・大論争」に投稿したのですが、小西さんの勧めで改めてこちらに投稿させてもらいました。私は別に部落解放同盟を罵倒したり、第四インターの人を責めたてるためにこんなことを書いたわけではなく、むしろその逆です。解放同盟はともかく、第四インターには期待しているからこそ、この問題をうやむやにしてほしくないと考えたわけです。どうかそのあたりのことを皆さんご理解ください。
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以上、「内ゲバ廃絶・社会運動研究会 掲示板」より転載しますた。
http://6540.teacup.com/uchigeba/bbs

62葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2003/11/30(日) 14:28
「解放の道」(1970/11/5)より。

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藤沢・西村らを告訴
暴力学生と組んで 有料試写会を襲撃
高知市

 【高知】部落解放同盟正常化高知県連や労組、民主団体で構成している映画「橋のない川・第二部」上映実行委員会と高知大学祭実行委員会共催の有料試写会は、四日午前九時二十分から、高知市帯屋町東宝映画館でおこなわれ、朝田一派やトロツキスト学生の暴力をはねかえして成功させました。
 この試写会のふんさいをさけんでいた藤沢喜郎、西村渉らは、条件をのめば、こんごの上映を黙認してやると劇場がわにうら取引を申し入れていましたが失敗するや、「東宝にだまされた」と、高知大学文理学部に巣食うトロツキスト学生と共謀して、四日午前九時すぎから東宝映画館を襲撃、実行委員会や観客八人にたいして、重軽傷をおわせる暴力をふるいました。
 実行委員会は、上映を成功させるために会場をまもりぬいて、約八百人の動員をかちとりましたが、藤沢らの暴力行為によって、数百人が入場券をもちながら、鑑賞することをさまたげられました。
 藤沢らが、「トロツキスト学生とは関係がない」といっていますが、この日、現場で暴力分子を指揮しており「解同に反対したから実力で粉砕した」と、解放同盟と名がつけば暴力をふるっても当然のこととうそぶいています。
 このため実行委員会は六日、藤沢喜郎、西村渉ら朝田一派の暴力分子とトロツキスト学生十三人を、暴行傷害と威力妨害で、高知県警に告訴しました。
 高知県下では、この問題をきっかけに、民主団体のあいだで、トロツキスト学生と手をくんだ藤沢、西村らの暴力主義をきびしく批判し、かれらの妨害をはねかえして、上映運動を成功させようといううごきが、急速にたかまってきています。
 なお、実行委員会では、暴力分子の妨害をうつした写真入りの真相ビラ五万枚をつくって、高知市内に全戸配布して、うったえました。ひきつづき上映推進署名を広範な市民からあつめて、一般公開を成功させるとりくみをつよめています。
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63葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2003/11/30(日) 17:16
「解放の道」(1970/3/5)より。

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ニセ県連でっちあげ
アル中、暴力分子集め
山口

 解同中央と大阪の一部の反共分裂主義者は山口県連の破かいのために、県下の松浦憲二らを利用して策動をつづけました。
 西岡智の指示をうけた駒井昭雄は昨年十一月はじめ県内にはいりこみ、十一月二十三日開催の山口県連大会を流会させるための準備をはじめました。そして、金本県連委員長の「除名」、ニセ県連のデッチあげなどを計画し「県連再建委員会」というものをデッチあげて怪文書をくばり、デマと脅迫で同盟員の大会参加を妨害しました。
 県連大会当日、県連が公式文書で中央本部あてに大会への指導と激れいを要請していたにもかかわらず、西岡智、駒井昭雄は会場のまえを自動車で素どおりして会場に入りませんでした、そしてそのあと、松浦や解放運動に関係のない暴力団など雑多な分子を約五十人ひきつれて、会場におしかけてきました。かれらはどなりちらしながら二時間ちかくあばれまわりましたが、乱入は失敗しました。その後、西岡の指導で中国ビルの一室にあつまり十二月に分裂大会をひらく画策をおこないました。
 こうして公然と県連破かいの策動がすすめられ、十二月一六日、「山口県連大会」なるものが、中央本部の西岡、上田、米田らの指導でデッチあげられました。
 この「大会」にあつまった連中は、部落解放運動に関係のない暴力、フハイ、ダラクの札つき分子やアル中、暴力団などで、自分たちの私欲のために解放同盟のカンバンを利用しようという目的をもってあつまっているものばかりです。
 このような山口県連の破かいは、中央本部の「県連再建」などという名目でおこなわれていますが、山口や広島県連の組織問題について、中央執行委員会や中央委員会でただの一度も討議されていないにもかかわらず、西岡などのごく一部の中央本部幹部によって画策され、規約をじゅうりんして強行されてきたものです。
 このように組織の民主的運営を完全に破かいして、分裂策動が中央本部の名によって強行されている事態は、部落解放運動にとって自殺行為であり、断じて許されることではありません。
 なお、中央本部の分裂、破かい策動によってニセ「県連」にかきあつめられた連中は、過日、県連幹部がビラまき行動をおこなっていたさい、突如、刃ものをもっておそいかかるという気狂いじみた行為をおこない、その本性が大衆の前にバクロされ、きびしい批判にさらされています。
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64葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2003/12/18(木) 00:08
ご無沙汰しております。「八鹿」とは趣が異なりますが、
解同内内ゲバ記事です。

「解放の道」(1973/8/10)より。

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朝田一派が分裂騒ぎ
「京都大会」で大乱闘
駒井一派が襲撃 裏切者の醜態さらす

 【京都】朝田一派は七月十五日、「京都府連大会」なるものを京都市中京区・府立勤労会館でひらきましたが、昨年来、ますます深刻化している朝田一派の内部矛盾と分裂騒ぎを反映して、会場まえは早朝から大混乱。乱闘服に身を固めた二個大隊の機動隊が装甲車と共に出勤。「朝田出てこい」「分派かえれ」のどなりあいがつづき、三回にわたって衝突するなど、裏切り者の醜態を京の町にさらけ出していました。
 混乱の原因は、朝田善之助に造反、「府連再建」と称してさる六月十七日、京都大学で「大会」なるものをいらいて、「新分派」結成にふみきった駒井昭雄一派が三百人をひきいて大会阻止のピケをはって、実力行使に出たことによるもの。
 朝田と駒井の対立は、朝田一派内のセクト間の利害や勢力争いに端を発したものですが、三月の「全国大会」で朝田が「委員長」の権威を利用して統制処分を強行したため、矛盾がいっそう激化。その後、暴力沙汰を再三ひきおこしながら「私腹を肥やす朝田、国府の右派融和主義者」「暴力集団の新分派」などと、たがいに新聞やビラで悪ばを投げつけあい、朝田は三月中旬に「府連大会」なるものをひらいて、駒井らの除名を強行しようととしましたが、勢力が弱いために果たせず、「府連拡大委員会」でようやく除名を「朝田解同」に承認させました。これにたいして駒井は大阪の反共暴力分子、泉海節一、西岡智らとの野合を背景に反撃、六月十七日には中野孫四郎を「委員長」にした「第三解同」を結成するなど、朝田一派の矛盾をいっそうエスカレートさせました。
 この日の「大会」は、機動隊の援助をうけ、会場裏口から約四百人を入場させたものの、鉄パイプなどの凶器をもって襲撃する駒井一派の暴力による妨害で負傷者が出るありさま。多くの者が入場できず、ようやく夕方になって駒井、中野ら三十四人の除名確認と運動方針の承認を一時間あまりですませてごまかしてしまいました。
 ところで、駒井らの除名には、朝田一派の親分衆、松井久吉、川口正志、上田卓三らが反対しているといわれています。さらに朝田は委員長でありながら「朝田解同」の主張する「解放研全国集会」や「中央行動」に出席できなくなるなど、朝田一派内部の矛盾は、想像以上に激化しています。
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65名無し@日本降参党員:2003/12/23(火) 23:28
葉寺覚明=ハジカクメイ=恥かくめぇ?

66葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2003/12/24(水) 01:27
>>65

まあ、そんなところです。

67葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2003/12/31(水) 16:11
「解放の道」(1978/9/15)より。

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「橋のない川」上映成功
「解同」暴力集団の妨害排し 福岡市

 【福岡】映画「橋のない川」第一部の上映が十二日夜、福岡市民会館ホールでおこなわれ、「解同」暴力集団の妨害をはねかえして成功をかちとりました。
 映画会は「橋のない川」上映実行委員会が主催したもの。「解同」福岡市協は「差別映画『橋のない川』上映を阻止しよう」とのビラをまいて妨害。同日午後五時五十分ごろ、「解同」市協青年部を名のる五十人の暴力集団が会場におしかけて、ホールで準備中の要員を暴力で追い出し、ホールの玄関、階段通路などを不法占拠して、入場してきた人たちにぶつ、殴る、けるの暴行をはたらき、あげくの果ては市民会館食堂の陳列ガラスや看板まで打ちこわすなど、無法のかぎりをつくしました。
 これにたいし上映実行委員会は、「解同」暴力に強く抗議し、会館側に暴力集団を排除するように要請、会館側は「解同」に退去を勧告しましたが、応じないため、警官の出動を要請して排除しました。
 また、映画をみようと会館へきた「解同」の暴力にも屈せずに「暴力分子はかえれ」の抗議行動をおこない、午後八時十五分からの上映を成功させました。
 「解同」の無法な暴力にたいして、実行委員会、全解連福岡市協、公正・民主の同和行政を要求する連絡会議は、ただちに言論・集会の自由を暴力で抑圧する「解同」のへの抗議行動をおこそうと市民に訴え、十月一日の公正・民主的な同和行政、有事立法反対、県民要求実現をめざす10・1県民大集会を成功させよう―と呼びかける宣伝活動に立ち上がりました。
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68葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2003/12/31(水) 16:13
>>67

> また、映画をみようと会館へきた「解同」の


 また、映画をみようと会館へきた約四百人の市民は「解同」の

に訂正します。

69名無し@日本降参党員:2004/01/06(火) 21:05
昨年末の話しですか?
橋のない川って観てみたい

70葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2004/01/19(月) 21:50
「解放の道」(1978/4/5)より。

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議場へ「解同」支部長乱入
全解連、共産党が抗議行動
福岡・直方

 【直方】福岡県直方市議会で三月二十三日午後、五十三年度予算審議中の市議会本会議に、「解同」支部長が酒を飲んで乱入、議事を妨害するという異常な事件が発生。全解連直方支部は、「解同」の議会制民主主義を破壊する無法行為を、断固糾弾しようと、市民に訴えるビラをくばるなど、抗議行動に立ち上がりました。
 「解同」支部長の議場乱入事件は同日午後一時五十分ごろ、共産党の浜信行市議が団体助成金をとり上げて質疑しているさなかにおきたもの。浜市議は、多くの団体にたいする助成金が低いのに、なぜ、「解同」と「同和会」だけが、それぞれ千五百万円と高額なのかと質問、市当局の説明を求めていたところ、酒を飲んで傍聴していた「解同」日焼支部長の浦田某が、突然、「当局はウソをいうな」と叫んで、高さ二メートル以上もある傍聴席から議場へ飛び降り、松尾民生部長の席へかけよりました。浦田は、ただちに議会外へ排除されましたが、このため議事は、約三時間にわたってストップしました。
 また、同日午後四時ごろ、「同和会」幹部の田中、穴井の二人が電話で浜市議を呼び出して、「補助金問題の発言はやめろ」「おぼえておけ」と脅迫してきました。
 同市では、五十年十二月にも「同和会」幹部が共産党の今定市議をなぐる暴力事件が発生しています。
 事件を重視した共産党は高嶋市議会議長に適切な措置をとるよう、きびしく申し入れるとともに、「議会制民主主義を破壊し、市民の代表である議員にたいする無法行為はいかなることがあっても許すことはできない」との声明を発表しました。
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>>69

30年近く前です。

71葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2004/01/20(火) 23:44
「解放の道」(1970/10/5)より。

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朝田一派の妨害、暴行
電々公社の差別に加担 共闘会議が抗議
福知山市

 [福知山]福天地方就職差別反対共闘会議が九月二十八日、福知山職安の会議室で、福知山電電公社の就職差別事件を究明するため、同社谷口局長らと交渉していたところへ、「解同」朝田一派の国府泰造、鈴木正光ら暴力分子十数人がおしかけて暴力をふるい、交渉を中断させる暴挙をはたらきました。
 就職差別反対共闘会議は、ただちに「朝田一派の国府泰造らによってかけられた暴力によく抗議する」声明を発表して、国府らの暴力をきびしく糾弾しました。
 抗議声明は、電電公社が「採用決定前に身元調査をおこなったことにたいして、(国府らが)突然乱入し、われわれの説得にもかかわらず暴行をはたらいた。なかでも府園部事業所勤務の白井某は三名の参加者に、足、顔面などをなぐる、けるの暴力をはたらき、二人に全治一週間の傷をおわせた」この暴力行為は「差別を容認し部落民の願いをふみにじる部落解放と無縁のもの」と糾弾しています。
 また、国府らは福知山電電公社にたいして「こんご、就職共闘とは交渉をもつな」と圧力をかけていたことがあきらかとなり、部落の人たちや教師自治体職員などの怒りがたかまっています。
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文中の「暴力によく抗議する」は、原文ママです。

72葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2004/01/21(水) 20:45
「解放の道」(1975/10/5)より。

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「橋のない川」を上映
朝田派の暴力はねかえし
埼玉・熊谷

 【熊谷】九月十三日、熊谷会館ホールで、映画「橋のない川」(一、二部)と今井監督の講演が、上映実行委員会の手で行なわれ「解同」朝田・野本派の悪質な妨害をはねのけて千二百人が映画を鑑賞しました。
 この日、「解同」野本派は、上映を実力で妨害するために、熊谷会館と道一つへだてた市民会館に陣どって、午前九時から、関西の上京組もまじえて約六百人を動員、「差別映画”橋のない川”上映糾弾埼玉集会」なるものを開きました。そして、上映二時間前の午後一時には約四百人が隊列をくんで会場に押しかけ、二つの入口通路をすわりこみで封鎖。また「解放車」を長時間違法駐車させて、近くの病院や商店からの抗議も無視して反共、反正常化演説をがなりたてました。
 さらに映画の鑑賞を市民によびかける実行委員会の宣伝カーをとり囲んで暴行を加えたほか、映画を見にきた人たちに対しても、腕を引っぱり、胸ぐらをつかみ、突きとばし、けりあげ、たばこの火を押しつけるなど、野蛮この上ない暴力で入場を妨害しました。
 上映実行委員会は、再三会館管理者、警察に、すわりこみの解除を要求しましたが、「二百人の警官では排除できない」として、道路交通法違反の「解放車」の駐車違反を放置しつづけました。
 こうしたなかで、ぜひともこの映画を見ようとしてやってきた人たちは、「解同」がつかみかかるのをふりほどき、妨害の手うすな横手のヘイを乗りこえるなどして続々と会場へつめかけ、当日券を買い求めて入場した二百数十人を含めて千二百人余が講演に耳を傾け映画を熱心に見ました。
 この日の妨害は、まさに「解同」=暴力集団、を多くの市民の前にさらけ出すとともに、社会党の県議や市議が前面に出て扇動していたこと、県同対課の職員が「解同」の手先となって映画会場すぐ前の県民センターを集会場に借りようとして断られるなどの策動をしていたことなど、「解同」に屈服した者たちの正体を暴露することになりました。
 なお、当日、心ならずも黄色いゼッケンをつけさせられて動員させられた「同盟員」には老人や婦人が多く、会場防衛に当った正常化連の人たちは、この人たちがあのような動員にかり出されてつらい思いをしなくてもすむように、一日も早く解放運動を正常化させたいと語っていました。
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73葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2004/01/26(月) 22:50
「解放の道」(1976/5/5)より。

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朝田一派
兵庫県連大会が大混乱

 【神戸】朝田一派の兵庫県連(委員長小西弥次郎)が四月二十一日、神戸市・神戸国際会館で大会を開きましたが、執行部派と反執行部派にわかれて、野次とばとうの応酬で大混乱。県連執行部も選出できないまま、幕をとじました。
 朝田一派の兵庫県連が暴力・利権分子の北川文彦を中心とした執行部派と、おなじ暴力・利権分子でありながら前書記長の山口富造を中心とした反執行部派に分裂して、抗争を続けていることは、本紙既報のとおり。反執行部は四月十日に豊岡市で決起集会をひらいて、北川文彦追放をさけんでいました。
 この対立は、大会にもあらわれ、小西弥次郎が「きびしい情勢。”分裂は差別なり”と肝に銘じたい」と訓示したが、効果なく、活動報告、会計報告、運動方針をめぐって紛糾。一方が暴力・利権を追及すれば、一方もばくろするという、みにくい姿をさらけだしていました。
 このなかで、執行部派が八鹿高校事件集団テロ事件の主犯・丸尾良昭にたいし「おまえ、ええかっこいうが、朝来事件や八鹿高校事件は暴力ではなかったのか。『解放研』の女子高校生を強姦までしている」とばくろしていました。
 役員選考委員会もひらかれましたが、二十一人中十一人までが反執行部派とあって、選考することができず、結局、臨時大会をひらいて役員を選考することになりました。
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74葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2004/01/26(月) 22:52
>>73

文中の「小西弥次郎」は、「小西弥一郎」の誤りです。
失礼致しました。関係者諸氏にお詫び申し上げます。

75葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2004/02/01(日) 19:51
国会会議録です。

http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&amp;hl=ja&amp;ie=UTF-8&amp;oe=UTF-8&amp;q=site%3Akokkai%2Endl%2Ego%2Ejp+%E5%85%AB%E9%B9%BF

76葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2004/02/02(月) 00:55
「解放の道」(1970/12/25)より。

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要求きそに差別行政なくす
大阪のなかまのたたかい

修学奨励金うけとる
暴力と妨害にくっせず
東大阪

 【東大阪】東大阪市北蛇草支部の高校生五十二人と大学生二人は十三日、「解同大阪府連」の暴力集団の妨害をはねかえして、大阪府と東大阪市から修学奨励金をうけとりました。
 こんどうけとったのは、大阪府の二期分(八〜十一月)と、東大阪市の三期分(十二〜三月)です。本紙既報のように、「大阪府連」の朝田一派は、蛇草支部にたいする分裂攻げきに利用するために、府教委に圧力をかけて支給を妨害したため、四〜七月分が、蛇草支部のたたかいによって、十一月二十、二十一日にようやく支給されました。
 この日も、支給場所の市立文化会館は、榎並明一、岡田繁次に指導された「暴力行動隊」約五十人がおしかけていて、うけとりを妨害しました。
 「暴力行動隊」は高校生やつきそいの父母にたいして、「おんどれらは”府連”のいうことだけきけばいいんじゃ」「ド犬、ドコジキ、ドぬすっと」とバ声をあびせて、妨害しました。しかし、高校生らが妨害にくっせず、整然とうけとったためか、かれらは興奮して「おまえらに金をやるかと思うと、なさけないわ。アカ犬のマヤク患者め」とののしるしまつです。
 この支給にあたって朝田一派の妨害を予想して田中征史・徳永豪男弁護士がつきそってきましたが、十五〜六人で両弁護士をとりかこみ、「暴力の見本をみせたる」と、バ声をあびせ、いまにもなぐろうとしました。なかでも岡田繁次は「アカ犬かえれ」と田中弁護士の胸をつかんで、つきとばしました。
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77葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2004/02/02(月) 20:44
部落問題研究所「部落の歴史と解放運動 現代編」(1997/12/1)より。

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 解同地協は毎年予算編成前になると差別糾弾集会をくりかえしてきた。例えば、七七年一月の「地名総監」購入企業糾弾は、市と解同との共催によるものであった。部落の地名を書き込んだ「地名総監」を購入したとされる、二〇社の支店や出張所など出先の幹部と、職安所長・労働基準監督署長などが呼び出された。怒号と罵声のうずまくなかで糾弾がつづけられ、ある人はマイクを投げつけられてケガ、ある人は長時間にわたる糾弾で極度に疲労、救急車で病院にかつぎこまれた。とくに三菱鉱業セメント事業所代表にたいする威嚇ははげしく、同席した市民生局長ら幹部も「自己批判しなければセメントは買わぬ、工業用水も止める」とつめよった。糾弾集会の1カ月後、同社苅田工場に転出した副工場長は責任を取って自殺した。
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78名無し@日本降参党員:2004/02/05(木) 22:00
「部落は恐い」の証拠ですね。
テロ集団、解放同盟はオウムより危険。
オーイ、奈良のインターネットステーションの諸君。いい加減に目を覚ませ。

79葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2004/02/05(木) 22:52
八鹿事件の歌だそうです。

>地元の演奏曲として八鹿事件を歌った合唱組曲「広き深き流れ」が
>佐伯洋作詩、大西進作曲により制作され、県下うたごえ合唱団を
>中心に地元八鹿町での発表に続き、祭典ではオーケストラの伴奏で
>演奏された。

http://gassho.at.infoseek.co.jp/history/history-gaiden.htm

80葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2004/02/07(土) 00:33
汐文社「ドキュメント八鹿高校事件」76-77ページより。

--
 大屋町Kさんの差別発言の糾弾の経過は以下のとおりである。
 五月下旬、反物を行商しているKさんは、部落の行商している人と同じ品物で値段がちがうのはなぜか、と聞かれて「品物は同じもんやが、あそこはこれやで、高こううらんとやっていけんで、私は上野の出だが、部落ではない」と差別発言。六月二二日午後八時から午前五時まで、Kさん夫妻、町長、教育長などを、平野支部と青年行動隊四〇人、朝来中の「解放研」の生徒と教師百名が糾弾。
 つづいて七月初旬の大屋町議会の議長の発言をめぐる確認会にもKさんは出ている。
 七月七日同居しているKさんの御主人のお母さん、すなわちおばあさんが、糾弾を苦にして自殺。
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73年のことらしい。有名な「老婆の首つり自殺」のソースでやんす。

81葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2004/02/08(日) 16:27
「解放の道」(1976/4/5)より。

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半数近い支部が反旗
兵庫 互いに暴力団呼ばわり

【神戸】八鹿高校集団テロ事件で、一躍悪名を全国ではせた兵庫県で、内外からの批判のたかまり、正常化連のたたかいと組織拡大の前進、県当局の「窓口一本化」廃止と五十一年度からの補助金打ち切りなどにみられるように、朝田一派の孤立化と組織分裂が深まってきています。
 ことしの全国大会方針で八鹿裁判問題にぜんぜんふれていないのが注目されます。それは、どのようにとりつくおうとも、八鹿集団暴力など、一連の暴力事件を正当化できないことのあらわれでもあります。げんに朝田一派の兵庫県連では、裁判をもてあまし気味。昨年末の会合で、ある県連幹部が丸尾らに「おまえらの命をとるようなことをバラしてやる」とはいて、ひともん着がおこり、裁判の弁護人も自治体の補助金、助成金打ち切りが影響して、山上益郎ら朝田一派お抱え弁護士を解任して、国選弁護人に変えようかとの声も支部ででています。
 兵庫ではまた、利権あさりをめぐる対立もさかん。ことし二月以後、反北川文彦(県連執行委員)から「親分・子分の暴力主義的支配体制の強化を図ろうとしている」「北川文彦らの暴力分子追放」「解同県連が暴力団だ、とするのは日共だけではない。部内の八十八支部も言っているぞ」などのビラがつぎつぎとまかれて表面化しました。さらに、全国大会で、反北川派の前田留三県連副委員長が除名されるなど、内部抗争が激しくなるばかり。
 約二百五十支部と公称する「解同県連」組織のうち百三支部が反県連派に同調しています。そのなかに凶悪犯人丸尾良昭が支部長の沢支部も名をつらねているなど、暴力・利権集団がたがいに「暴力分子」「利権屋」とののしりあって抗争、指導権を争っているのが実態ですからお粗末なもの。
 一方、朝来町沢地区では丸尾にたいする批判のこえがたかまり、丸尾の支部長反対署名が百四十人も集められました。このなかで全解連支部の結成がすすんでいます。
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82葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2004/02/08(日) 16:29
「解放の道」(1971/9/25)より。

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被疑者扱い撤回さす
堺市が弾圧を策謀 でっち上げに抗議

 【堺】大阪府堺市で堺北警察署が、部落解放同盟堺支部(丸井一美支部長)の市交渉に介入、「市職員に暴力行為をはたらいた」と同支部の滝野和清さん(35)に被疑者として出頭するよう命令を出しましたが、九月十六日、同支部や協和町市民など百三十人が抗議して、出頭命令をてっかいさせました。
 堺市教育委員会が、「解同大阪府連」朝田一派とくんで「窓口一本化」を固執、朝田一派の下部組織に入っていない家の児童・生徒に夏服を支給しないという差別行政をおこない、堺支部と父母が二ヵ月半にわたる抗議行動をおこした結果、八月十一日、全員に支給させました。
 ところが、一週間後の十八日、市教委の泉野総務課長、池西同和教育室長、森主教務部長の三人が「五月二十八日の市交渉のとき、暴行され、ケガをした」と、医師の診断書をそえて被害届を出し、同時に高尾教育長ら市幹部七人の連名で、滝野和清さんを暴行、傷害で告発しました。
 五月二十八日は、この日から約三ヵ月前。十八日になって訴えたのは、正常化の運動を弾圧する目的のでっちあげであることはあきらか。しかも、堺北署では民主運動を弾圧するのが目的である警備課が担当するなど、警察も部落解放運動への不当介入を策謀していることがわかりました。
 このため十六日、堺支部をはじめ正常化連加盟の各支部代表と協和町住民百三十人は、滝野さんをまもって堺北署に抗議。泉谷弘副部長ら十人の抗議団が、署長、警備課長らと会い、「”被害”を受けたという日から三ヵ月以上もたってから、市がわの一方的ないい分をきいて、いきなり被疑者あつかいで出頭させるのは不当だ」「”窓口一本化”をまもるための市と朝田一派との共謀とみられるが、警察はこうした背景を無視している」「公安警察である警課が調べているのは政治的策謀だ」と追及、滝野さんにたいする出頭命令を取消させました。
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83葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2004/02/18(水) 22:24
「解放の道」(1974/2/10)より。

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東京でも集団暴力

【東京】大阪・羽曳野市で暴徒と化している朝田一派は東京でも二月三日夜、荒川区と台東区で正常化連のビラを配布していた仲間を襲撃、ら致したあげく、なぐる、けるの暴力を加えました。
 三日午後七時すぎ、正常化連準備会の小畑力夫が台東区清川二丁目、都営アパートでビラを配布していたところ、朝田一派の志鎌重夫がなぐりつけてケガをさせました。
 また、同日午後十一時ごろ、高橋新平さんら三人が荒川区荒川八丁目でビラをくばっていたところ、自動車や自転車であとをつけていた若い男女五・六人がおそいかかって、自動車で同町内の区立荒川集会所(朝田一派が占拠している)にら致、三十数人で不法監禁し、若林芳夫(朝田一派の「都連」書記長)がなぐるけるの暴力を加えました。
 急をきいて、川口真治共産党区議ら約二十人がかけつけて抗議、十一時四十分ごろ奪還しました。
 朝田一派の集団暴力、監禁を受けた小畑、高橋さんらは、告訴する準備をすすめています。
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84葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2004/02/19(木) 23:36
「解放の道」(1970/12/25)より。

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二千七百人が観賞
映画「橋のない川」大和高田市で上映

 【大和高田】映画「橋のない川・第二部」が十九、二十の二日間奈良県大和高田市の高田キネマで上映され、二千七百人が観賞しました。
 大和高田市での上映にたいしても、社青同奈良教育大班など約二十人の暴力集団が、国道の交差点でうずまきデモをやり、警官に暴行をくわえ、二人がたいほされるという気ちがいじみた暴挙をはたらき、解同奈良県連青対部と称する連中が、上映阻止のビラをまいて妨害しました。
 しかし、上映運動妨害を指揮している朝田一派の川口解同奈良県連書記長の地元、御所市柏原部落から百五十人が観賞するなど、高田周辺の部落や教師、一般市民などが、暴力集団の妨害をはねのけて観賞しました。
 また、全国水平社創立者の一人である坂本清一郎氏も顔をみせ、「わたしたちが願いつづけ、歩みつづけてきたたたかいの姿、すじ道を正しく描いてくれているので、ほんとうにうれしかった」とはなしていました。
 なお、奈良県では十二月十二日の奈良市での上映いらい、映画「橋のない川・第二部」の観客は一万三千人をこえました。
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85葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2004/02/21(土) 14:35
「解放の道」(1976/4/5)より。

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朝田派県連が分裂
埼玉 野本の独裁、利権を非難

 【浦和】埼玉県で朝田一派の「解同県連」が分裂、三月十三日に「部落解放同盟を愛する会埼玉県連合会」という団体がつくられました。
 朝田一派の中執でもある野本勝彦の独裁と利権あさりは、かれらの組織内でもひんしゅくをかうほど異常なもの。組織を私物化するために事務局員八名中、六名を解雇して関西系のトロといわれる連中で補充。野本の妻静子が会計をしている県連財政のうち五千万円が使途不明であったり(――彼女は、このほか同和建設協会、企業連などの会計を兼任していますし、大宮市内に八千万円もかけて豪邸を新築し、また、軽井沢に別荘を那須別荘地に土地を所有しているともいわれています。)
 このような組織の私物化と利権あさりは、県民のきびしい批判をうけていましたが、事務局員の解雇を契機に内部矛盾が爆発、昨年十一月、県連副委員長大野一良氏を中心に「部落解放同盟埼玉県連合会愛する会」を結成して、野本勝彦・静子夫妻を中心とする幹部の利権あさりの実態をばくろしてきました。
 愛する会は、野本のたくみな策略にかかって解散したとつたえられていましたが、三月十三日、極秘で正式発足したもの。「解同県連」の組織は千五百世帯と公証。このうち「愛する会」は、二十支部、七百人と発表しています。
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86葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2004/02/22(日) 12:07
「解放の道」(1975/2/25)より。

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京都
橋のない川に1200人
府職・市職 教組青年部 暴力集団の妨害排し

 【京都】京都市職労、同府職労、京都市教組の各青年部が共催して、二月一八日、京都教育文化センターで「映画と講演の夕べ」(映画「橋のない川」第二部上映と、川上雅詮京教組部落対策委員長の講演)が開かれ、千二百人が参加して大成功をおさめました。
 この催しは、京都でも「同和行政」をめぐる不公正や朝田一派の無法な暴力がくりかえされているなかで、「労働者こそ、正しい部落解放理論を身につけよう」と開かれたもの。
 当日、「市職反戦」を名のるトロツキスト、市内の朝田一派「青年部」、全電通に巣くう「反戦」などをはじめ、青ヘル、黒ヘルや四メートルの竹槍で、「武装」した集団など三百人がおしかけましたが、防衛隊にはねかえされ、妨害策動はみごとに失敗しました。
 このあとも、妨害集団は路上にタムロし、ウズまきデモをくりかえし、ときおり警官隊と「衝突劇」を演じて見せましたが、集会参加者と付近住民のもの笑いのタネになるだけでした。
 参加した労働者は「朝田一派の反民主主義的な本性がよくわかった。それにしても、なぜ差別をなくすことを訴えているあんな感動的な映画を『差別映画』というのか」と、朝田一派の蛮行に怒りをのべていました。
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87名無し@日本降参党員:2004/02/24(火) 13:27
今度民主党から参院選に出馬する松岡徹(松岡とおる)が犯罪行為を働いた
記事はありませんか。

もしあったら、至るところにその記事をバラ撒いて、松岡の当選を断然阻止
してやります。

88葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2004/02/26(木) 22:56
>>87

こんなのありますた。

http://www.jcp-osakahugikai.com/katudou/2001/20010205-3.html

89名無し@日本降参党員:2004/02/27(金) 20:15
>>88
謝謝。いろいろなところにバラ撒いてやります。

90葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2004/02/29(日) 00:04
「解放の道」(1977/1/25)より。

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「解同」内対立を激化
市交渉中に傷害事件

 【堺】年末に支給したものを「解同」の圧力に屈して、返済をもとめてまわる堺市当局の無責任な態度に施策をうけた人たちは、断固として拒否しました。
 また同和町内で「解同」にたいする批判がたかまるなかで、「解同」堺市部内でも、市側の年末措置を認めようとする現執行部派とあくまで「窓口一本化」に固辞する旧執行部派とが対立。十七日、約四百人を動員して「市立解放会館」で「市交渉」をおこないましたが、両派は「交渉」そっちのけで口論、場内で山口組系の暴力団がからんだ傷害事件が発生し、「交渉」が中断する事態がおこりました。
 この日は、速水逸良、島伊三郎両助役らが出席。旧執行部派が市幹部に①昨年末個人支給した制度資金の前面回収②「窓口一本化」の再確認③市長名での自己批判と今後の決意表明――など四点を押しつけようとしていました。
 ところが、「窓口一本化」によって利権あさりをねらう旧執行部派は、「個人給付はすべての地区住民に支給されるべきだ」という姿勢をとっている現執行部派にば声をあびせて攻撃に終始して、「交渉」はタナ上げのまま休憩に入りました。
 このとき、「交渉」に参加していた土建業者が山口組系の組員に刺されるという事件が発生したため、交渉はそのまま中断。このため「解同」は市にたいして、今回の問題は「しばらくたな上げ」を宣言しました。
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91葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2004/02/29(日) 02:00
「解放の道」(1978/12/5)より。

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「解同」幹部に求刑
共産党府議暴行事件で
大阪地裁

 【大阪】九年前、買いもしないバスを買ったとごまかして大阪府から五百三十六万円を受けとり、ウソの清算報告書まで出していたことを追及された「解同」大阪府連の上田卓三らが共産党府議団控室に乱入、暴行傷害事件の差し戻し後半が十一月二十九日、大阪地裁刑事一部(大政裁判長)で結審、検察側は「解同」光明町支部長の高田登美雄に罰金二万円を求刑しました。
 一九七〇年二月二十七日におこったこの事件は「幽霊バス事件」として有名。共産党の藤川豊議員(当時、故人)と串田晋事務局員が右下腿部打撲でそれぞれ十日から一週間の傷をうけたため両氏らは上田卓三、高田登美雄ら八人を住居侵入、障害・暴行で告訴しました。しかし地検は高田のみを起訴。大阪地裁は一部有罪、一部無罪の判決、高裁も一審判決を支持し、高田は最高裁に上告しましたが棄却、地裁に差し戻されていました。
 検察側は、「藤川委員が強く二回けられ、一回が氏名不詳、一回が高田登美雄であるが、バス不正事件追及に抗議の目的で府議団控室に乱入し、同一場所、同一時間に犯罪が生じているので、同事犯として障害の責任が高田にあることは明白」と断罪しています。
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92葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2004/02/29(日) 14:49

「解放の道」(1978/4/15)より。

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「解同」の妨害はねのけ登園

二人の幼児が無事に
全解連など市民が守りぬく
大阪・吹田

 【吹田】大阪・吹田市光明町で、「解同」支部が市立ことぶき保育園に入園する二人の幼児の親が、かれらの下部組織「保育父母の会」に入っていないことにいいがかりをつけて、連日二十数人を動員、保育園の玄関にピケをはって妨害しました。
 しかし、全解連支部や広範な市民のきびしい批判と抗議をうけた「解同」は十二日ピケを解き、二人の幼児は無事、元気に保育園へ通えるようになりました。
 「解同」に入園を妨害されていたのは、大小田春義さんの長男・康祐ちゃん(生後四ヵ月)と西河義治さんの長女・真理ちゃん(四歳)の二人。
 入園式のおこなわれた七日、西河さんらが子どもとともに保育園へ行くと、「父母の会」会員ら二十数人が入口に立ちはだかって入会を強要しました。翌八日、二人の子どもは無事に登園できたものの、十日朝、「解同」副支部長の高田博一らが、二十数人の主婦らを動員して妨害しました。
 これにたいして全解連支部は「市は入園を決定している。『解同』に権利はない。すぐにピケを解け」と抗議。お母さんに抱かれた西河真理ちゃんは、いったん園内に入り、保母にあずかられるようにしましたが、「解同」にとりかこまれて大声でわめかれたため、おびえた真理ちゃんが泣き出したので、お母さんはやむなく保育園から出ました。
 さらに十一日、門坂民生部長が市の責任で二人をあずかろうと、「市が措置決定をしているのであずかります。門をあけなさい」と松田保育園長に指示。松田園長が門を開けようとすると「解同」と「父母の会」の十数人が実力で妨害。門坂次長が「妨害をやめなさい」とくりかえし通告したにもかかわらず、無視しました。
 事態を重視した「公正・民主の教育と同和行政を要求する吹田市民の会」の池原隆・市職労委員長、佐々木紘治・水道労組委員長など代表十人は、市に「子どもが安心して保育所へあずけられるよう、万全の対策をとれ」と要請。全解連支部は「『解同』のいっさいの妨害を排除せよ」と要請するとともに、「こどもの心を傷つける『解同』=『父母の会』」と、真相を訴えるビラを市民に配布しました。
 このようなとりくみのなかで、「解同」はピケを解除したもの。しかし、かれらは、二人の親が「『父母の会』に入会した」とデマをとばしたため、全解連支部は「ウソやデマは絶対に真実にとってかわることはできない。二人の親は、『父母の会』に入会せずに、正々堂々と保育所に入れました。いまこそ、住民全体の納得のいく公正・民主的な同和行政を実現するためにたたかおう」と、光明町一帯の住民に呼びかけるビラを全戸配布しました。
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>>91

「藤川委員」を「藤川議員」に訂正します。

93名無し@日本降参党員:2004/03/17(水) 14:49
生徒から暴行、被害教諭を施錠部屋に隔離…兵庫の高校

・修学旅行先で2年男子生徒(17)に暴行を受け、負傷した兵庫県猪名川町、
 県立猪名川高校(関保校長)の男性教諭(39)が、職場に復帰した3月初め
 から、学級担任を外され、学校にいる間、鍵をかけた応接室で隔離状態に
 置かれていることが16日、わかった。
 教諭が被害届を出し、男子生徒は2月下旬、傷害容疑で逮捕されたが、
 学校側は「生徒たちとの無用な混乱を防ぐため」と説明している。

 調べによると、男子生徒は1月29日深夜、修学旅行先の山形市内のホテルで
 教諭がカラオケを歌わせないことに腹を立て、教諭を土下座させたうえ、頭をける
 などして約1週間のけがを負わせた疑い。当時、約10人の生徒と別の教諭2人も
 いたが、止めることができなかったという。

 教諭は心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断されたが、2月中旬、職場
 復帰を申し出た。しかし、学校側は混乱が収まっていないとして、2月末まで
 休職するよう命じた。3月1日以降、出勤したが、生徒たちの目に触れないよう、
 生徒が登校する約1時間前までに出勤させ、生徒が下校するまで応接室にいる
 よう指示された。応接室は外から施錠され、校長室を通らないと出入りできない
 ようにした。

 池田正章教頭は「異常事態だとは思うが、生徒との無用な混乱を避けるために
 は仕方がない」と説明する。しかし、教諭は「どうして被害者側が監禁されなければ
 ならないのか分からない。何をすることもなく、応接室に1日中いて精神的に参って
 しまった」と話している。 (一部略)
 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20040317ic01.htm

94葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2004/04/20(火) 10:38
お久しぶりです。「解放の道」(1971/3/5)より。

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結婚式に乱入・暴行
朝田一派「橋のない川」に因縁
羽曳野市

 【羽曳野】「解同大阪府連」の朝田一派が結婚式場にのりこんで暴力をふるい、新郎をなぐりケガをさせるという気ちがいじみた暴行事件が、大阪府羽曳野市で発生。親族をはじめ結婚式場に居合せた人たちを憤がいさせました。
 朝田一派に暴行されたのは、羽曳野市職労副委員長の森田豊一郎さん(二六)。森田さんの結婚式は二月二八日午後二時から、羽曳野市立市民会館でおこなわれる予定でした。ところが午後一時ごろ、朝田一派が分裂策動でデッチあげた「解同向野支部」の和島才一、浅田満、海原明美ら二十人の暴力分子が会場に乱入。結婚式に出席していた川口清・羽曳野市職労委員長ら三人の組合幹部の首をひっぱたりして、新郎新婦の控室へつれこみ、「映画”橋のない川”の上映に協力するのは差別だ」と脅迫しました。
 このあと、会場にきた森田氏が、結婚式準備のために控室をあ、けるよう話したところ朝田一派の連中は「なまいきな奴や」「いてしまえ」となぐりかかり、森田氏は顔をなぐられ、メギネが割れてその破片でまゆと眼下をキズつけられたため、結婚式は一時間あまりおくれました。
 羽曳野市では、部落解放同盟羽曳野支部(高松実委員長)を中心に民主団体によって映画「橋のない川・第二部」上映実行委員会がつくられ、三月六日に市民会館で上映するとりくみがすすめられています。
 ところが市当局は、いったん会場使用を許可しておきながら、朝田一派の圧力にくっして二月二十日、松本市長名で「使用許可取消し」を一方的に通告、二十七日、には「上映禁止」の仮処分まで申請ましたが、裁判官や上映実行委の弁護士から「憲法違反」とと指摘されて、取り下げる始末。
 同日、市職労も松本市長に「市民会館は市民ならだれでも使用できるたてまえ、不当な取消しは許せない」と抗議しました。破れかぶれになった朝田一派には、これが気にいらず、市職労にいんねんをつけ、結婚式場にのりこんできたもの。
 この暴挙を知った部落住民をはじめ多くの市民は、「あれが、”朝田解同”のやることか」として非難のこえをあげています。
--

テンの打ち方など誤植ぽい箇所が多いのですが、いちおう原文ママです。

95もっこす </b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2004/04/21(水) 19:00
>>94
よくさがしたね♪
すごい。
タイムリーだよ。

96もっこす </b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2004/04/25(日) 18:17
山 史門 (CYL03752)
解放同盟分裂以前(2308/3248)

花田 信一郎 さん、こんにちは。

>さて、次です。八鹿高校事件について述べてみましょう。全解連の批判、攻撃と
>いうものが稚拙で、少なくともマスコミに相手にされないという理由に事象だけ
>をとりあげて唯我独尊的に事を語るという性格があるからです。

朝日新聞記者上丸洋一氏は「なぜ新聞は書かなかったのか」ということについて
次のように述べています。

////////////////////////////////////////////////////////////////////////
 発生当時新聞は、この事件を兵庫県内の読者に向けて地方版に小さく報道した
だけであった。なぜ社会面に書かなかったのか。事件から20年あまり経った95年、
取材にあたった元新聞記者たちを訪ね歩き、話を聞いた。
 ある元部長は電話口でこう言った。「はっきりゆうたら逃げたんですよ。あま
り関わりたくないという意識がありましたな」。ところが、その後じかに会った
とき、彼は「部落差別は深刻だ。被差別者の立場に立って・・・」と何かを警戒
しているかのように、固い口調で繰り返した。その変わり様は不可解だった。別
の元記者はこの事件の報道を再検討すること自体、けしからんことだ、といった
口調だった。「部落解放のための糾弾を普通の暴力事件のように書けば、解放同
盟が暴力集団のように見られてしまう懸念があった。だからできるだけ抑えた」
と語る元支局部長もいた。(中略)
 天声人語の筆者深代惇郎は、八鹿町を管轄する豊岡支局に電話をかけ、「なぜ、
もっと書かないんだ」と若い支局員をしかったという。
 新聞は自らの主体的な判断で、事実は事実としてしかるべき紙面にきちんと書
くべきだった。それが新聞の役割であり、書かないのは暴力の黙認に等しかった。
いや、当時の記者にもその意識はあったに違いない。実際、多くの関係者が「い
ま思えば、もっと書くべきであった」と振り返った。
////////////////////////////////////////////////////////////////////////

97もっこす </b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2004/04/25(日) 18:19

 どこにも全解連の批判、攻撃というものが稚拙だったから、事象だけをとりあ
げて唯我独尊的に事を語っていたから、マスコミが相手にしなかったという理由
はありません。あなたの主張は、マスコミ関係者のスケープゴートでしかありま
せん。
 翌日の東京の各紙には「赤旗」を除いて一行も報道されず、現地の兵庫や関西
で発行されている新聞でさえ、全く黙殺したものがあるほか、取り上げた新聞も、
事件の性質から見て扱いが小さい上、その内容の多くは「八鹿高教諭らと解同系
もみあい」とか、「教師団と共闘会議側とトラブル」などと、集団リンチという
凶悪な犯罪が行われた事件の真相を伝えるにはほど遠いものでした。


>日共と解放同盟の分断亀裂の原因は何であったとお考えですか?

 当時の自民党がどのような方針を持っていたかは、1958年12月『部落解放運動
の最近の動向』(自民党同和問題議員懇談会)でまとめています。

////////////////////////////////////////////////////////////////////////
部落解放運動が「いわゆる民族民主統一戦線の一貫としての共同闘争」として
進むことが何より危険だ。勤評闘争で部落解放同盟が「勤評は差別を助長し同和
教育の障害になる」として和歌山その他で共同闘争をしていたことを重視し、こ
れが「勤評評定反対のような社会運動、政治運動等の権力闘争の統一行動に結び
つき、高められていくことに強い警戒感をもっている。さらに解放同盟が日本共
産党の部落対策路線に接近しつつあることも着目する。しかし、全体としては
「まだ解放同盟の組織は、それほど強固なものではないと思われる」。強力な運
動体になる前に先手を打つべきだ。
////////////////////////////////////////////////////////////////////////

 背景には、自民党が「国民の間で進みつつあった革新共闘の一層の発展をくい
止め、そこから部落解放同盟を脱落させようとした」ことがあります。

 1959年6月に自民党治安対策特別委員会が作成した「国家の安全保持に関する
意見(案)」では次のように言っています。
「資本家、企業家は、いわゆる資本主義的悪弊を改め、労働者はマルクス・レー
ニン主義的階級闘争思想を排脱して、労使双方が国民経済の中におけるそれぞれ
の任務を自覚し、相互に立場を尊重する健全な労使慣行を確立すること」。

98もっこす </b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2004/04/25(日) 18:21
 この案は、勤評闘争に見られる国民の幅広い統一行動の発展を前にして、これ
を分裂・弱体化させることをめざして作り上げられた方針で、具体的には、「全
日本同和会」の育成としてでてきました。会が結成されたのは、安保闘争が頂点
を迎えていた60年5月10日、まさに部落解放同盟が三池炭鉱争議に連帯して運動
を強化しつつあった時期のことです。同和会の結成大会宣言には、「左右の階級
独裁を排し、国民を分裂・構想に導くような階級闘争はとらない」という言葉が
入れられています。

 とくに60年の安保闘争の絶頂期の6月17日に作成された「当面の公安情勢の分
析とその対策」では、「当面は、共産党、容共分子の孤立化を図ることを方針と
すること」と述べています。

 もう一つは、自民党側からの同和対策の積極化という形あらわれてきました。
政府同和対策予算(補助金と特別交付金)を「地域住民の自覚と積極的協力を基
とした受入態勢」のある地域を「モデル地区」として重点的に投下し始めました。
住民の「自覚と積極的協力」というのは、住民の下からの部落解放運動がないこ
と意味する言葉でした。

 6月17日の提案が出てから2ヶ月後に同和対策審議会設置法が公布されました。
同和対策のイニシアティブをとったのが、ハト派ではなく、勤評闘争や安保闘争
の対処の先頭に立っていたタカ派「素心会」グループであったこともうなずけま
す。素心会は、安保闘争や同時に進行した三井・三池炭坑争議に特別鋭い関心を
示し、緻密に情報を集め、周到な分析を加えていました。

 アメリカ政府もこの路線を支持・応援しました。ホワイトハウスで作成された
文書では池田内閣を「反政府派の社会主義者に最も巧妙に対応してきた内閣であ
り、それは社会福祉計画と生活水準向上のための諸政策により大きな力点を置く
ようになったし、かつこれを通じて左翼勢力を封じ込め、徹底的に孤立させ、公
的活動からしめだすことを目指している」と評価されています。

99& </b><font color=#FF0000>(70zeVo/k)</font><b>:2004/04/25(日) 18:22
 結論は1961年3月27日付自民党治安対策特別委員会文書「国民に対する指導理
念確立に関する件」にまとめられています。その具体策として「福祉国家建設の
ための政策を勇敢に実施」することが提唱され、「健全な国民運動」を組織して、
革新的な民族民主統一戦線が強大化するのを未然に防ごうとし、そこで同和対策
の具体化を急いだのです。

 この「左翼勢力を封じ込める」という方策は、部落解放同盟の中の活動的な勢
力もその対象とするものでした。自民党は解放同盟内に「思想的対立が深刻化し
てきた傾向」(全日本同和会第3回大会資料1962年4月)のあることを察知し、
その指導部主流を補助金行政への道へと誘導して、活動的な勢力を孤立させよう
としたのです。同和対策審議会の設置や運営に重要な役割を果たした山本政夫氏
は「朝田君は、まあ物取り主義結構じゃないかと言っていた」と証言しています。
ロストウ路線に通じていた当局者は、このような物取り主義者たちを補助金行政
=開発行政によってたやすく「若い指導層の新しい源泉」にかえることができる
こと気づき、自信をもち始めました。

100& </b><font color=#FF0000>(Fm7GU/Nk)</font><b>:2004/04/25(日) 18:24
 その実例とは、1961年10月、愛媛県で部落解放同盟が、自民党が主導権を握っ
て組織された県同和対策協議会に吸収合併されたことです。愛媛県は、勤評政策
を先導的に試行して自民党の新しい地域支配の実験場として位置づけられました。
このことは、たとえ部落解放同盟を名乗る勢力であっても、一定の条件を与えれ
ば地域支配の有力な一翼を担う勢力へと変質することを証明したのです。

 このようにして自民党は、同和対策事業を地域ボス主導の方向で推進すれば、
革新的統一戦線を打ち砕くことができることを知りました。また解放運動指導部
の一部を開発行政の担い手に変えて地域支配を補強することができることに気づ
きました。

 他方、活発になってきた要求実現運動(請願運動)=活動的な勢力に対しては、
弾圧を加えました。以下の府県は解放同盟が活発な地域で、しかも教組、全日自
労、生活と健康を守る会など共同闘争を組んだ支部に向けられました。それは住
民に根ざした戦闘的な支部に痛打を加えるもので、解放同盟左派を孤立化・弱体
化させるものでした。

*1962年7月4日 高知県興津(オキツ)事件
  高知県警が250名の武装警官を動員し、小室部落を急襲
  13人逮捕、14〜15人負傷
*1962年7月6〜7日 
  高知県警80名の武装警官が再び急襲。17人逮捕
*1963年8月23日 山口県
  警官150人を動員、県連活動家9人逮捕
*1963年11月13日 香川県
  失対打ち切り反対で県連・全日自労支部、県と団交
  警官を動員して一人逮捕
*1963年11月20日 香川県
  上の問題で県庁で交渉中の同盟員3人を不退去罪で検束
*1964年7月21日 大阪府
  蛇草支部など16団体が5日、国産生ワクチンの安全性確認を要求して対市交渉
  府警、暴力行為があったとして市議を逮捕。蛇草支部を手入れ。
*1964年7月28日 広島県
  15日の水害復旧要求の対市交渉で暴力行為があったとして、県連委員長を逮捕
*1964年9月22日 岡山県
  県連井原市協、部落行政施策の完全実施を要求して160人で市長交渉をした際、
  県警を動員して退去を命令
*1964年12月 大阪府
  北蛇草で警察、不正受給として生活保護者を調査
*1965年1月24日 奈良県
  県警、桜井市の3診療所を国民健康医療費詐取容疑で家宅捜査
*1965年6月17日 奈良県
  大和高田市3部落の低家賃住宅入居選考で、部落住民の反対を押し切り抽選
  会を強行、これに抗議した同盟員3人を逮捕。

101もっこす </b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2004/04/25(日) 18:26
 1962年5月24日、興津事件が始まる6日前、高知県同和対策審議会の初会合が
行われました。この審議会に知事が「同和関係団体の一本化を促進し、同和行政
の運営を円滑にすること」諮問しています。この意味は第一に、行政側の審議・
決定した予算や計画を「円滑」に実施する態勢をつくりたいということであり、
一旦決定されたことに対して住民側が意義や抗議をすることを許さないようにし

たいということです。第二に同和対策事業の窓口を一本化できるよう同和関係団
体を統合したいということです。興津事件を推進するような戦闘的な組織は排除
し、愛媛のように解放同盟と融和団体との合併をはかってそれに同和事業の実施
をゆだねたいということです。解放同盟の右派を政府・自治体に引き寄せ、右派
と同和会とが協力し解放同盟の左派を押さえつけながら同和対策予算による施策
を実施するという構造なのです。

 大阪府では同和対策審議会で、府会議員、同和事業促進協議会4名、解放同盟
府連3名によって審議が進められているうちに、識字運動をはじめ住民に根ざし
た活動を発展させていた蛇草では「暴力行為」を理由に支部が手入れを受けるあ
りさまでした。同じ解放同盟に入っている人々であっても、あくまで住民の要求
に密着して運動を進めようとする勢力は弾圧を受け、「物取り主義結構」とする
勢力には審議会のポストが与えられたのです。

 このように運動への一定の譲歩を装いながら、実は解放同盟の右派的な指導者
を「開発行政」の担い手の隊列に加え、これを手なずけようとする動きでした。
そしてこの動きが右派的指導者を官僚化し部落解放運動を変質させる効果は、驚
くほど早くかつ顕著に現れました。同和対策審議会答申やそれを具体化した同和
対策事業特別措置法は、この動きの全国化でした。(続く)

99/03/16(火) 07:07 山 史門(CYL03752)

102もっこす </b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2004/04/25(日) 18:32
八鹿高校の同和教育(2307/3248)

RE:01201

花田 信一郎 さん、こんにちは。

>>ここらを問題にするなら、解放研の設置が八鹿高校の(同和?)教育への「介入」
>>にあたるのかどうか、といったあたりにまで踏み込んで評価を下す必要が出て
>>きますね。

>ご指摘のとおりだと思います。ただ、裁判記録には、上記のようなBUNTENの問題
>提起は示されていないわけです。
>昭和48年(1973年)には解放同盟兵庫県連の支部が地区にも
>発足しています。つまり、このことが「解放研」の発足にどれだけ主体的に関っ
>たのか。或いは「子供たちの主体的な意思」としての「解放研設立要求」であっ
>たのか。もちろん、どちらかが一方的にあったというわけではないだろうと思い
>ますが、これは少なくとも「八鹿高校」の「解放研設立」という事象ですから、
>生徒たちの意思はどうであったのか、という視点は極めて重要だと思っています
>ね。今は、いくつかの文献から、そういうことを調べています。

 最高裁民事判決では、事件当時の八鹿高校の教育について、「少なくとも(解
同が主張するような)部落差別を助長するような差別教育ではなかったことは明
らか」だとしており、「解同」が要求した「部落解放研究会」を教職員側が承認
せず、「解放研」生徒との「話し合い」に応じなかった点について「落ち度」が
なかったことは認定しています。

103もっこす </b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2004/04/25(日) 18:33
 解放研の性格と実態については、八鹿中学の卒業生の田村氏が述べています。
雑誌『部落』94年11月号より
////////////////////////////////////////////////////////////////////////
 3年生の前期に、生徒会の会長をしておりました。夏休みまでは解放研もそん
なに目立った存在でなかったのですが、秋の文化祭の行事には解放研の時間を確
保するように指示され、シュプレヒコールが始まり、突然何が起こったのかな、
という感じでした。それに引き続いて、ある生徒の交換日記に書かれていた未解
放部落の生徒に関する記述が差別意識のあらわれだということで、確認糾弾会が
もたれました。「部落差別とはどういうことか」と質問され、分かりませんと言
うと、「それが差別なんだ」と言われてびっくりしました。そうした中で生徒会
の役員は解放研に入るようにと言う指示があって、入りました。和田中学校の確
認会があるから出るように、と突然来るわけです。
 非常に苦しい状態でしたね。例えば解放歌を歌えないと差別者だと言われるの
で、お風呂の中で一生懸命覚えるとか、それから国語の時間に解放歌の意味調べ
とかもうそれは必死でしたね。
 11月22日、生徒会の係の先生が、生徒会の前役員と新役員は反省会をするから
残ってほしいと言われました。残っていたら、反省会ではなくて、八鹿高校に連
れていかれたんです。(目的も何も言わずにです)。ゼッケンをはちまきを渡さ
れ、これは絶対手放すなと言われて高校に入り、うろうろするなということで、
木の下に集まっていました。
////////////////////////////////////////////////////////////////////////

104もっこす </b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2004/04/25(日) 18:36
 最高裁は、「解放研は、人間的な触れ合いと全人格的な結びつきを基盤として、
教える者と教えられる者との間に良好な教育的秩序が必要な学校教育において、
その全てを根底から破壊しかねない重大な危険性を帯有しているのみならず、指
導面でも、教師の指導を排除して、教育現場において関係者の総学習、総点検の
実施を要求する解放同盟の指導を至上のものとしており、運動体的色彩の濃い生
徒の集団であって、本来教師の指導、助言のもとに学習活動をすべきクラブ又は
同好会とはまったく異質のものであった」と、「解放研」が「解同」という外郭
団体の指導下組織であることを明らかにしています。
 学校教育が「不当な支配を受けない」と言うのは、教育基本法で保障されてい
ます。「解放研」問題を口実として県立八鹿高校に「解同」丸尾派が教育介入を
図ろうとしたのは明白です。

>ただ、八鹿高校の部落研というのは、その前身
>にあたる「社会科学研究会」から数えれば、事件の10年前に発足しているわけで
>す。そこから分化して4年前に「部落研究会」として独立をしています。
>八鹿高校でいわゆる「同和教育」としての授業が始まったのは昭和46年の春から
>です(1971年) 。
>で「同和教育」でどういう内容が指導されていたかといえば「部落の歴史」や、
>「起源論」が中心だったという証言があります。つまりここで問題になるのは、
>「部落差別も一般差別も一緒」という結論への導入なんですね。それは違うとい
>う生徒の意見に対しては「根源を考えるには、社会体制と歴史で考えよう」とい
>った回答になる。

 ここまでに何か問題があるのでしょうか?

105del:del
del

106もっこす </b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2004/04/25(日) 18:42
>再び「現実の実態がそこにない」という反論には「実態に部落
>差別の根源があるのか、そんなものは先生にはわからない」という話になる。
>このあたりは、現在の全解連の主張と大きな隔たりはありませんから、こういう
>指導が行われていたということについては、かなりの信憑性があると思います。

 「実態に部落差別の根源があるのか、そんなものは先生にはわからない」とい
う指導が行われていたのでしょうか?
 卒業生である三木氏が雑誌『部落』94年11月号で証言しています。
////////////////////////////////////////////////////////////////////////
 それと事件の関係で言うと、ぼくが3年生の時、同和教育をめぐってちょっと
したもめごとがあったんですよ、ぼくのクラスで。ホームルームの同和学習の時
間に、部落出身でぼくの友人が、歴史ばかりの同和学習をきらって欠席したんで
す。恐らくその時間への批判を欠席というやり方であらわしたんだと思います。
 ぼくたちの担任の先生は、普通の先生でしたが、その日の放課後、班長を集め
て会議を開き、民主的な方向で解決してくれました。ぼくはどっちかというと解
放研ばりの意見で、「歴史ばっかり学んで何になる、部落差別の現実に学ぼう」
と主張しました。そういう意見に対しても丁寧に対応してくれて、率直で真剣な
討論になりました。歴史を学びながら、現実問題の学習を大きく取り入れようと
いう結論になり、クラスへ提案されました。
 このように生徒の問題提起に対して、先生たちは誠実に対応されていました。
だから事件の時「教師が生徒との話し合いを拒否した」のが事件の発端だといわ
れていましたが、ぼくたちはすぐそのウソに気がつきました。おそらくそれは、
事件当時の在校生の一致した見方だったと思います。それがあの日の生徒たちの
行動を支えていたものだと。
////////////////////////////////////////////////////////////////////////

107もっこす </b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2004/04/25(日) 18:45
>つまり「社会科学研究会」「部落研究会」の方針が強く反映されたものであった
>ということにもなりますね。

 学校教育がなぜ生徒の「社会科学研究会」「部落研究会」の方針が強く反映さ
れたものとなるのでしょうか?

>日本共産党が中枢を占める「兵庫県高教組」の声明をみると「結成以来二十数年
>、一貫して民主的な教育を推進してきた分会である。また、高校全入運動の中心
>となるなど、地域住民と提携し、その要求を自らのものとしてともに解決してき
>た分会である。生徒をよく理解し、親と生徒と学校の深いつながりの中で、差別
>のないホームルーム編成や生徒の自主活動を保障するなど、同校教師の実践は高
>い評価を得ている」などと自画自賛だらけなのだが、もしそのとおりであるなら

>ば、こういう事件はおきるはずもないのである。(#2245)

 実践は声明のとおりです。雑誌『部落』94年11月号より
////////////////////////////////////////////////////////////////////////
 私が高校にいた頃は、事件以前だったんですが、八鹿高校の自治会はすごいと
いう話はその頃から聞いていたんです。何か安保闘争では東京まで代表を送った
学校であるとか、但馬ではじめてフォークダンスをした学校であるとか。
 自由な校風ってのが本当にあふれていましたね。その反面、責任をもって高校
生活を創り出していく、別の言い方をすれば、一人前に扱われたというか、それ
が一番大きな違いでした。それまでの中学校の管理教育とあまりにも違うのです。
 リーダーキャンプの後、いよいよ本キャンプに入るわけですが、リーダーたち
を中心に立案から実行にいたるまで、全部生徒がやるわけです。バスの予約まで
生徒がしなければならない。自分がしなければ、誰もしてくれない、それまでの
人生になかったことでしょう。(卒業生三木氏)

 普通は教師が何をどうしたかということで教育が語られると思うんですが、八
鹿高校の場合は、生徒がいかに何をするのか、そっちの比重が非常に高い学校だ
と思います。八鹿高校事件後、八鹿高校の教育が語られる場合、民主教育や同和
教育がクローズアップされましたが、やっぱり同和教育ばっかり見られてしまう
ということがありますね。(外から虚像をつくってくれるな)。
 何が違うかというと、まず授業ですね。
 地学:ラジオの気象情報を聞いて天気予報図を書く
    全員が天気図を書けるようになる
 倫社:自由テーマで原稿用紙10枚以上全員提出
 物理:グループで何度も実験し、その度にレポート提出
    レポートを書くために友だちの家にグループで集まる
 体育科のキャンプだけじゃなくて、通常の授業の中で、自然に仲間づくりがさ
れていく。それと生徒自身に主体的に取り組ませる工夫された授業ですね。
 キャンプやホームルーム活動、学校祭に懸命に取り組んで、勉強一辺倒ではな
い豊かな高校生活を送った。クラブに入っていない生徒ものめり込めるメニュー
がたくさん用意されている学校だった。
 生徒自治会という面でいえば、特に事件後、他の自治会活動を知って感じたん
ですけれども、いわゆる民主的自治会活動をやっているという高校の場合、教師
の方が社会的な問題に取り組ませるよう指導しているところが多いように思いま
した。ところが八鹿高校の場合、そういう教師からの指導は何もない。八鹿高校
の場合は授業改善の問題であるとか、どういうクラスをつくるかということ、学
校祭への取り組みとか、そういう高校生の等身大の発想がまず大切にされた。民
主的というより自由な雰囲気が強かったと思います。
 特に執行部とかホームルーム運営委員の連中なんか、自分たちは先生と対等の
立場で学校づくりをやっているという意識が非常に強くて、先生がどんなことを
言おうが、自分たちのことは自分たちできめるんだという伝統がありましたね。
だから事件の時も、自分たちの学校なのになんで外部が介入するんだという怒り
がまずあったんです。
 八鹿高校事件というものに対して、教員の方もたたかったし、生徒も生徒の立
場で一緒にたたかった。とくに先生方が入院して授業がない時、学校の管理運営
はどこがやったかというと生徒自治会だったんです。12月2日授業が開始される
まで自主授業をやったわけです。そして校長、教頭、県教委に対して正常な学校
を取り戻せ、先生と生徒の身の安全を保障せよという要求をつきつけながら、学
校を運営してきた。(卒業生濱氏)

108& </b><font color=#FF0000>(70zeVo/k)</font><b>:2004/04/25(日) 18:46

 当時の中学校解放研の中に、八鹿高校の差別教育というのを徹底的にあおられ
て、八鹿高校へ行って教師を糾弾するんだという目的をもって入学した生徒もい
ました。だからクラスの中でもこわごわなんです。朝来中、和田山中は解放研の
組織率も高いし、向こうは向こうで八鹿中はどうかなとうかがっている。ところ
が八鹿高校の場合は、ホームルームでの活動をすごく重視されていて、それにの
めり込んでいってしまいました。一年生の夏のキャンプは、全員で分担しながら
やっていく。その中でクラスがまとまっていく。
 それができた頃に学校祭に突入する。いやおうなくクラスの行事が進んでいく。
                            (卒業生田村氏)
////////////////////////////////////////////////////////////////////////



98/10/02(金) 13:00 山 史門(CYL03752)

109もっこす </b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2004/04/25(日) 18:52
山 史門 (CYL03752)
八鹿高校再び(2633/3248)

花田 信一郎 さん、こんにちは。

>特に「地名総鑑闘争」についての、はぐらかしたと
>しかいいようのない回答については言葉を失いましたね。
                      ・・・・・
>>>>>解放同盟の「地名総鑑糾弾闘争」における一定の成果について、認めるという
>>>>>立場をとるのか、それは全く認めるに値しない。そのような運動は同和問題の
>>>>>解消について、解放運動として意味のない、取り組むようなことではないとい
>>>>>う点で否定されるのか、まずここをはっきりさせてください。
>>>解放同盟の活動がなければ、もっと巧妙な悪質なものが際限なく出回っていた
>>>と思います。
>> 確かに「地名総鑑」の発行は防げたでしょう。しかし、就職の機会均等の保障
>>は、上記のような取り組みがなければ、実現できなかったでしょう。(#2626)
は回答になっているでしょ。

>しかも今度は公明党
>批判のための「だらだらとした引用」を繰り返すことに終始する。「共産党も
>ひどいが公明党はもっとひどいのだ」という印象を与えることによって議論を
>拡散し回避しているとしかいいようがありません。
>要するに山さんにとっては
>「共産党」こそが全てなのですね。とにかく一切の批判はうけつけない。徹底
>して「はぐらかす」というのであれば、続ける意味などありません。質問に対
>して質問で切返すなどというのは「反論」にはならないということが山さんに
>はわからないのでしょう。

>>竹入氏へ
>>の場合は「批判された政党」がとりうる許容範囲ではなかったか
という花田さんの認識について、コメントすることがいけないことですか?
あなたの認識に対する一切の批判はうけつけないということですね。
 印象を与えているのではなく、現実に「公明党が機関紙上でどのようなことを
しているのか」を示しているわけでしょ。議論の拡散ではないでしょ。
 ここで論点になっていること以外について論点を広げてはいません。

110& </b><font color=#FF0000>(70zeVo/k)</font><b>:2004/04/25(日) 18:54

 そもそも「全解連の運動は大衆的かどうか」が論点だったはずです。それに日
本共産党の問題を持ち出してきて、議論を拡散し回避したのは花田さんでしょ。
 花田さんは、全解連の具体的な運動について言及したことはないでしょ。ある
なら発言番号を明示して下さい。
 「自分は広げていいが、他人は広げるな」ということですね。


>> 共産党や共産党員に対する公務員による盗聴や盗撮などは許されるというこ
>>とでしょうか?
>そんなことをいつ私が述べましたか?

#2365で
>>>やりかたがまずかった。下手だ
>>>った)という以上の感想は、判決についてはない
と警察の盗聴に関して述べていらっしゃるので、上記の問いを発したわけです。

>> 八鹿高校事件に関しては、花田さんは、解同による拉致・監禁・暴行・傷害
>>は共産党員なら許されるという立場でしたよね。
>
>共産党員なら許されるなどということではありません。
#2245では
>>>日共系教師たちは・・・
>>>教師集団など認めるに値しないというのが、私の考えですね。
と述べていますよ。
 じゃあ、誰であっても「解同による拉致・監禁・暴行・傷害」は許されるとい
うことですね。「解同」の「拉致・監禁・暴行・傷害」という「人権侵害」は問
題にしないということですね。
以前、#2298で
>>>糾弾闘争として負傷者を出したことについて、それ自体は遺憾な面があ
>>>ることを否定しない。
とおっしゃっています。これは負傷者を出したことは「残念だ」という気持ちで
すね。それ以上の「人権侵害」に対する評価はないということですから。
 そして同時に#2298で
>>>その経過をみれば「おこるべくしておこった」事
>>>件だという面を強く感じるということです。
と事件を肯定し、前回も
>色々な経過の中から「不当な差別があれば」それが決して望ましいことで
>はないにしろ、あのような結果を生み出したことは、やむをえない面を否定で
>きないと述べているのです。
と「やむを得ない」と認められているのですから。


>あの事件に関
>しては、解放研の設立を一度は学校側も認めながら、それが全解連によって不
>当に潰され、彼らは生徒との話し合いを拒否したのです。同和問題について考
>え方の異なる研究会が学校に設置されることは全くおかしなことではありませ
>ん。

 忠告してきたことを聞かないからこんなところで「墓穴」を掘るんですよ。解
放研の設立を認めなかったのは、「全解連」でしたか。八鹿高校事件の時に「全
解連」ってありましたか?

 この件については#2297で次のように反論しているのですが、花田さんは
>>>山さんが世に言う「最高裁判決」というものを金科玉条の如く支持していること
>>>はよくわかりました(笑) 別に「最高裁判決」が全て妥当な判決ばかりなどとい
>>>う認識は、私は有しておりませんので。
全く無視していますね。これを「議論の回避」と言うんですよ。

111もっこす </b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2004/04/25(日) 18:56
/////////////////////////////////////////////////////////////////////////
>5月12日に「解放研」承認を要求する生徒が校長・教頭に話し合いを求め、その
>経過の中で6月には校長・教頭・分校教師らが研修会にも参加。7月には管理職
>の責任において「解放研」の発足が承認された。別に「部門研」を潰せなどとい
>う要求はでていません。ところが日本共産党党員教師もしくはシンパの教師とい
>う面々は、とにかく策動に励むわけです。8月5日には校長・教頭が欠席したま
>ま、職員集会を開催し「解放研部室」の撤去を決議しています。職員会議の性格
>を議決機関・諮問機関どうとるかは別にしても、こういう方式がまともだとは到
>底思えません。

 職員会議では承認されていないのですよね。なぜ「管理職の責任において」、
解放研の発足が承認されたのですか?学校という中で、議決機関・諮問機関だろ
うが、教職員の承認を得ずに、管理職が独断を行うことが誤りだと思います。
/////////////////////////////////////////////////////////////////////////

 花田さんの言うことがいかに一方的かを示します。
八鹿高校事件前日11月21日に兵庫県高等学校教職員組合が訴えた文「但馬の住民
のみなさん、全県下県民のみなさん」や東上高志同和教育著作集18『ドキュメン
ト八鹿高校事件』部落問題研究所所収「この無法、この蛮行−朝来事件の真相と
背景−」1974年2月では、次のようになっています。

/////////////////////////////////////////////////////////////////////////
 研修会とは、「部落差別に立ち上がる高校生の一泊研修会」で、主催者は但馬
同和教育協議会高校部会で、参加者は各高校の校長、教頭、同和主任、「解同」
一部役員、部落出身高校生などで行われた。
 しかし、研修会とは名のみで、その中身は各学校の同和教育の点検という形で
すすめられ、確認・糾弾会となりました。
 八鹿高校についていえば、「解放研をつくれ」という要求を参加していた教頭
につきつけ、いくら「職員会議で決定しなくては私の一存では決められない」と
言い続けても、認めるまで大多数の生徒・解同青年行動隊と一緒になって長時間
せめつづけ、強引に認めさせました。 
 けれども、この無茶苦茶なやり方で認めさせた「解放研」設置の要求は、今日
に至っても職員会議の承認を受けずに校則のどこにもない方法−すなわち、校長
独断で部室も与えられ、教頭が顧問になっています。
////////////////////////////////////////////////////////////////////////

112& </b><font color=#FF0000>(70zeVo/k)</font><b>:2004/04/25(日) 18:59
////////////////////////////////////////////////////////////////////////
>その後の話し合い要求も拒否し11月16日には待機した解放研生徒
>と話合った3人の教師をとり囲み連れ出し、そのまま11月22日まで一斉スクラム
>下校という方式を採ったわけです。18日には「解放研生徒」21人が職員室に座り
>込み話し合いを要求。彼らは依然として話し合いに応じない。11月19日釈明を求
>める生徒たちの要請も拒否。20日に「差別教育糾弾闘争」に発展した。

 最高裁民事判決では、事件当時の八鹿高校の教育について、「少なくとも(解
同が主張するような)部落差別を助長するような差別教育ではなかったことは明
らか」だとしており、「解同」が要求した「部落解放研究会」を教職員側が承認
せず、「解放研」生徒との「話し合い」に応じなかった点について「落ち度」が
なかったことは認定しています。解放研の性格と実態については、「解放研は、
人間的な触れ合いと全人格的な結びつきを基盤として、教える者と教えられる者
との間に良好な教育的秩序が必要な学校教育において、その全てを根底から破壊
しかねない重大な危険性を帯有しているのみならず、指導面でも、教師の指導を
排除して、教育現場において関係者の総学習、総点検の実施を要求する解放同盟
の指導を至上のものとしており、運動体的色彩の濃い生徒の集団であって、本来
教師の指導、助言のもとに学習活動をすべきクラブ又は同好会とはまったく異質
のものであった」と、「解放研」が「解同」という外郭団体の指導下組織である
ことを明らかにしています。学校教育が「不当な支配を受けない」と言うのは、
教育基本法で保障されています。
 つまり「解放研」問題を口実として県立八鹿高校に「解同」丸尾派が教育介入
を図ろうとしたために起こったのです。
////////////////////////////////////////////////////////////////////////
 16日には、教頭から「臨時職員会議の結果、解放研生徒との話し合いはしない
ことになった」という返事があった。このため生徒は、電話連絡により、連合解
放研に支援を依頼し、3時半頃には20名の他校の「解放研」が来た。一方的に同
和室3名の教員を罵倒し、他校の「解放研」20名近くが職員室入口にたむろし、
帰ろうとする教師たちを妨害した。
 17日の日曜日には「解放研」の生徒が八鹿高校内の職員室をはじめ教師の机の
中まで「差別教師糾弾」のポスターをはりめぐらせ、18日朝には「八鹿高校教師
の冷たい仕打ち」なるビラを高校前・養父・和田山・新井・生野の各駅前でまい
た。「解同」の宣伝車6台が八鹿高校に入り、大声でがなりたてていた。休み時
間にはシュプレヒコールが繰り返される騒然たる状態が続く中で「三項目の要求」
が出されます。18日の座り込みの21人の中には他校生も含まれており、さらに昼
過ぎには、マイクロバスで40名の他校「解放研」生徒を引き連れて丸尾が乗り込
み、3時40分に「八鹿高校教育正常化共闘会議の闘争宣言」をスピーカーで行い、
八鹿高校は異常な状態におかれます。ここですでに「解同」に八鹿高校は占拠さ
れているのです

113& </b><font color=#FF0000>(Fm7GU/Nk)</font><b>:2004/04/25(日) 19:02
 「三つの要求事項」は次の通りです。
一、八鹿高校解放研の顧問をさらに3名つけること(但し、その人選は解放研の
希望を受け入れること)
二、八鹿高校解放研と先生の話し合いをもつこと(但し、但馬地区高等学校連合
部落解放研究会並びに各役員を含むこと)
三、現在、八鹿高校の同和教育は、部落の解放と全ての生徒の幸せにつながって
いないことを認めること。

 要求されているのは、八鹿高校の教師と生徒の話し合いではないのです。二は
但馬各地で「話し合い」という名で行われてきた「点検・確認・糾弾」を受けよ
ということです。三の要求は、八鹿高校の同和教育は、差別教育であったことを
認めよということです。
 またこの研究会は単なる「同和問題について考え方の異なる研究会」ではない
こともお分かりでしょう。人事まで要求する研究会なのです。このような研究会
が「学校に設置されることは全くおかしなことではありません」と言えますか?
 また三の要求なんて、「本来教師の指導、助言のもとに学習活動をすべきクラ
ブ又は同好会とはまったく異質のものである」ことは明白でしょう。
 もし、こうした要求の一つでも飲めば、八鹿高校は、南但馬の各小中学校や行
政と同じように、反社会的暴力利権集団としか言いようのない解同に蹂躙される
ことは火を見るより明らかでした。

 20日には、他校の「解放研」生徒、青年行動隊によって職員室の出入りが自由
にできない状態になる。さらにこの日から「約1200〜2700人が同市内で集会とデ
モを繰り返した」(「毎日新聞」)
 この夜、「八鹿高校差別教育糾弾共闘会議」に切り替えた彼らは、21日午後4
時から21名の「解放研」生徒をハンストに入らせ、最悪の事態をつくっていった。
 「三項目」要求をのむまでは、どこまでも、どんな手段を使ってでも、押し切
る−という彼らのやり口がよく分かる。

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>21日からの「ハンスト抗議」(生徒らの)も放置して、日共系教師たちはスクラム
>を組み校歌とインターナショナルをうたって一斉下校。こうした中で流血事件が
>おき、双方に負傷者が出たわけです。要するに「生徒不在」の中でのこれだけの
>闘争を平気でやってのける、放置するなどという教師集団など認めるに値しない
>というのが、私の考えですね。

 また判決では、、事件当日、危険を感じた原告らが集団下校した点についても、
「落ち度」なしと、次のように教職員の態度・行動の正当性を認めています。
「緊急事態に直面した原告らが、自らの身体の安全と八鹿高校の教育の自主性、
主体性を守るため、非常手段として集団下校したことには無理からぬものがあり、
むしろ緊急避難であったということができる」とした上で、刑事判決の原告非難
部分を引用しながら「解放研の性格と実態、解放研生徒の要求する『話し合い』
の内実等を子細に検討すれば、右の指摘が果たして正鵠を射たものかどうか疑問
なしとしない」とその誤りを指摘しています。
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114& </b><font color=#FF0000>(Fm7GU/Nk)</font><b>:2004/04/25(日) 19:07
 上記の動きを見ても、八鹿高校の「解放研」生徒20名の動きでないことは明ら
かです。すなわち、八鹿高校事件は、八鹿高校「解放研」を全面に出してはいる
が、最初から「解同」丸尾一派が、組織的・計画的に進めていたことが明らかで
ある。要求を受け入れれば、話し合いと称する「糾弾」を、受け入れなければ、
それを理由に一気に攻め込むという、まことに巧妙な「三項目要求」に端的に表
れている。
 「ハンスト」ですが、それは今では八鹿高校では誰一人知らないものはいない
「ビフテキランチ」を腹いっぱい食べさせてのハンスト入りであった。
 夜になると、「一万人集会で共闘しよう!」という呼びかけで「デモや抗議糾
弾集会が約3時間にわたって」(町長資料)繰り広げられ、糾弾会会場づくりも
行われ、投光器が設置され、「解放車」が配置されるなど、翌日の準備が着々と
整えられていった。
 
 学校においては、「解放研」生徒の座り込み、断食に加えて、18日から他校
「解放研」、青年行動隊、座りこんでいる生徒の父母、「解同」丸尾一派が出
入りし、教師を威圧して、騒然たる有様であった。こうした中で教師たちは、
身の安全を守るために18日から集団登下校を行い、授業を守り通してきたので
あった。解同小西委員長は「授業を放棄してスクラムを組んで学校を逃げ出し
た」などと罵ったが、八鹿高校の全教職員は22日の襲撃の日まで、これほどま
でに困難な状況にありながら、一人として職場を放棄していないのである。

115もっこす </b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2004/04/25(日) 19:08
 22日に教職員のとった処置は、襲撃から生徒を守り、身の安全を守るために、
ホームルームで事態の緊急性を伝えて生徒の下校を促し、そして年休届けを出
して全員が校門を出ることだった。教師たちは、八鹿高校の校歌を歌いながら
整然とスクラムを組んで校門を出ていった。
 それに対して、「解同」丸尾一派は数百名を動員して襲いかかってきたので
ある。道路に座りこんだ教師に対して、彼らが何をしたかは「告訴状」に見る
とおりである。

今回は、八鹿高校事件を中心にしました。残りは別RESで。

00/02/14(月) 13:58 山 史門(CYL03752)

116葉寺覚明 </b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2004/06/08(火) 19:46
ご無沙汰しております。「解放の道」(1975/6/15)より。

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新聞労連青婦協を襲う
東京の朝田一派

 【東京】「部落解放同盟」都連青年部を名のる、朝田一派とトロツキスト暴力学生約八十人が、七日夜新聞労連青婦協の集会参加者に突撃、二十人を負傷させる事件をひきおこし、関係者のなかに怒りがひろがっています。
 新聞労連東京地連青婦協は、この日東京湾内で船上交流集会を開きました。マスコミ内部で「朝田タブー」がひろがっていることから、労働者の立場で、部落問題を正しく知ろうと、同集会で「橋のない川」の上映を計画。朝田一派は、これにいいがかりをつけて参加者を襲撃したものです。
 朝田一派は、最初「日共新聞労連の差別映画上映糾弾」などとかきたてたビラを配っていましたが、上船場受付に、参加者が集りはじめたころあいをみはからって、隊列をくんで突入。参加者約二百人は、スクラムを組んで乱入者を阻止しましたが、数回にわたる突入で、最前列にいた二十名の人たちが傷をおわされました。
 参加者は、「一方的な主張を暴力でおしとおそうとする態度は許せない」「八鹿高校の話も聞いていたが、暴力集団としての本質がよくわかった」といかりの声をあげ、交流集会を成功させました。
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