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八鹿高校事件ホームページのために

1もっこす</b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2003/09/12(金) 20:16
このスレッドに、八鹿高校事件の関連情報を集めます。

2もっこす</b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2003/09/12(金) 20:20
109 :葉寺覚明 ◆pdWuRV/fU6 :03/08/31 11:42 ID:8q7V1Z0l
>>106

すいません。当時の新聞記事です。

「解放の道」(1970/12/5)
--
暴行し、診察を妨害
四日夜死んだ蛇草の中西さん
【東大阪】朝田一派の蛇草会館不法占拠と暴力行為は、十二月四日、
ついに地もとで死者を出す事件をおこしました。死亡したのは、解
同蛇草支部員の中西イソエさん(六三=東大阪市××××××の×
市住××棟×××=です。同日午後六時十五分ごろ、決起集会にい
く途中、気分が悪くなって「大阪府連」が占拠している蛇草会館の
となりにある蛇草病院(表門が会館と一つになっている)にいき、
治療をうけて出たところを、暴力分子(府連行動隊)に「コラ、
赤犬」とバリ雑言をあびせられて、こずかれ、くつで足をけられる
などの暴行をうけました。
このあと、中西さんは自宅にもどりましたが、ふたたび苦しくなり、
病院にいきましたが、暴力分子の妨害をうけて、治療をうけること
ができませんでした。
集会がおわってかえってきた、おなじ市営住宅に住む藤岡喜代子
さんが、うめき声をきいてドアをあけると、中西さんは入口でた
おれていました。藤岡さんは、蛇草病院に走りましたが、機動隊
に妨害され、ようやく医師がかけつけたが、すでにおそく午後九
時五十分ごろ死亡しました。
--

3もっこす</b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2003/09/12(金) 20:23


115 :葉寺覚明 ◆pdWuRV/fU6 :03/08/31 17:04 ID:8q7V1Z0l
>>111
「解放の道」(1970/6/25)より。

--
暴力学生を糾弾
解放同盟和歌山地協が
「国民行進」のなかで
狭山事件を利用した暴行

 【和歌山】部落解放同盟和歌山地区協議会は六月三日、このほどお
こなわれた「国民行進」のなかで、解同和歌山地区協にくわえてきた
トロッキスト学生の暴挙を非難し、部落住民の要求とむすびつけて、
狭山事件の公平な判決を要求するたたかいを前進させるための声明を
発表しました。



116 :葉寺覚明 ◆pdWuRV/fU6 :03/08/31 17:04 ID:8q7V1Z0l
>>115のつづき。

--
解同幹部を殺せとわめくトロ学生

 さる五月三一日よる、和歌山市・児童婦人会館で「答申実施、特措
法具体化、狭山差別裁判反対国民運動」のや和歌山県集会がひらかれ、
多くの代表が参加しました。
 ところがこの集会に和歌山大学を中心とする一部トロッキスト学生
が入場していて、閉会直前に「向陽高校事件」なるものをもちだして、
集会を妨害しました。
 「向陽高校事件」というのは、昨年十一月「狭山差別裁判ふんさい」
をさけんで、ヘルメット、覆面スタイルで埼玉県・浦和地方裁判所に
乱入した五人のトロッキスト学生の一人が、向陽高校の生徒で、さる
四月二四日、復学させるにあたって、同校の松本生徒部長が、同校の
暴力行為をいましめる校内放送をおこなった内容を差別だといいがか
りをつけたもの。
 トロッキスト学生はまえまえから朝田一派や解同杭瀬支部の一部幹
部とむすびついて「向陽高校差別糾弾」なるものを策謀して、向陽高
校にたいして不当な攻撃をくわえ、和歌山県連にたいしてもこれを
「差別だ」とみとめよと強要してきました。
 この日も、議長団の制止もきかずに、「向陽高校」問題をとりあげ
させようとして、松本新一郎県連委員長の決意表明をかねた閉会のあ
いさつを、再三、中断させ、おわってからも「ころせ、ころしてしま
え」とわめきながら、松本県連委員長や県連幹部におそいかかってき
ました。またトロッキスト学生はよく六月一日、向陽高校におしかけ
て、片山高教組書記長を負傷させるという暴挙をはたらいています。
--

とりあえず第1波です。入力し次第、またコピペします。

4もっこす</b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2003/09/12(金) 20:24
122 :葉寺覚明 ◆pdWuRV/fU6 :03/08/31 21:47 ID:8q7V1Z0l
「解放の道」(1970/8/5)より。

--
第19回全国部落問題夏期講座
朝田一派の襲撃はねかえして成功!

会場前を不法占拠
警察黙認で暴力ふるう

朝田一派による襲撃は、二十九日午前十時ごろからはじまりました。まず、
国府泰造や駒井昭雄、井本武美らに指導された京都の一隊五、六十人が、
会場入口におしかけて挑発行動をおこし、丸矢直広が会場要員の一人にな
ぐる、けるの暴行をおこないました。
 これを見た会場要員と講座参加者は、ただちにスクラムをくんで抗議し
たため、さすがの暴力分子も手を出すことができず、悪口雑言をあびせて
いる状態でした。


123 :葉寺覚明 ◆pdWuRV/fU6 :03/08/31 21:48 ID:8q7V1Z0l
>>122のつづき。

--
三十数人に重軽傷をおわす

 ところが、午前十時二十分ごろ、「大阪2す三〇九六」ナンバーの
マイクロバス(大阪陸運局でしらべたところ高槻市役所の車とかくに
ん)にのっていた三十数人の暴力分子を先とうに大阪の一隊がおしか
け、やにわに鉄パイプ、レンガ、コンクリート・ブロックなどの凶器
をふりかざしておそいかかってきました。また、なかにはナイフをち
らつかせて暴行する暴力団まがいの連中もいました。
 この襲撃は数人の警官の見まもるなかでおこなわれたものであり、
三十数人が重軽傷ををおい、なかには凶器による裂傷や歯を折られた
もの、集団暴行による全身打ぼく傷など、救急車で病院にはこばれた
重傷者は二十六人もいました。
 講座実行委員会と早朝からきていた参加者は、会場を防衛するとと
もに、京都会館々長と川端署にたいして、犯人のたいほと暴力集団の
排除を要求しましたが、朝田一派と通じているかれらは、なに一つ手
をうとうとせず暴力集団のなすままに放置していました。
 このため図にのった暴力集団は、会場前を占拠して酒をのんでは
メートルをあげたり、会館のガラス三枚(一枚二万円)を割るなど、
つけあがった反社会的な行動を平然とおこなっていました。
--


124 :葉寺覚明 ◆pdWuRV/fU6 :03/08/31 21:50 ID:8q7V1Z0l
>>123のつづき。

--
西岡智が集団暴力を指揮

 この暴力集団の総指揮は、西岡智がとっており、警察とのなれあい
で時間をひきのばしながら、宣伝車四台をのり入れて、妨害演説をぶ
ちまくり、参加者を会場周辺からおっぱらおうと暴行や脅迫などの行
為を、警察の面前でおこないました。また、かれらの暴挙に抗議する
参加者に宣伝車をつっこませていました。
 実行委員会が講座成功のためにおこなった「妨害排除」の仮処分申
請は、午後三時三十分、京都地裁でみとめられました。しかし出動し
てきた数十人の警官隊は、暴力分子を排除しようとせず、午後四時四
十分まで、暴力集団の横行をみのがしていました。

同盟員中心に抗議行動展開

 この間、会場周辺には二千数百人の参加者がつめかけて、朝田一派
のおどかしや暴力にくっせず、スクラムをくんで抗議のこえをあげま
した。
 また、数百人の参加者は岡映解同正常化全国連絡会議々長、岸上繁
雄を先とうに、暴力集団の横行をみのがしている川端署と京都会館当
局にたいして、抗議行動をおこしました。
 さらに、会場の内外で二千数百人が呼応して、「暴力反対」「暴力
分子かえれ」のシュプレヒコールをねありづよくくりかえし、暴力分
子をとりかこんで抗議をつづけたため、ついにかれらは四時四十分、
警官にまもられて退散しました。
--

おわり。

5もっこす</b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2003/09/12(金) 20:24
135 :葉寺覚明 ◆pdWuRV/fU6 :03/09/01 20:06 ID:dDEVPKdN
「解放の道」(1970/2/15)より。

--
分裂主義者の一味 山口県連幹部をおそう
路上、刃物つきつけ
ばくろした暴力集団の正体

 【下松】十三日夕方山口県下松市香力(くだまつし・こうりき)部落の路上で、
部落解放同盟山口県連合会(金本謙次委員長)から組織破かい分子として除名さ
れた松浦憲二、松橋武男ら分裂主義者につらなる暴力団の一味が、はものをふり
まわして、解同山口県連の宣伝車におそいかかるという、暴力事件がおこりました。
 この日、山口県連は東部地区協、下松支部とともに全日自労や民主団体の協力
をえて、香力部落で、松浦、松橋らニセ県連の分裂政策をばくろし、正しい部落
解放運動をすすめよう、というビラを配布する宣伝活動をおこなっていました。
 ところが、午後五時四十分ごろ、金本県連委員長、村崎義正執行委員、花田斉
下松支部書記長ののっている宣伝車めがけて、家のかげから暴力団が、包丁をつ
きつけながら、宣伝車におそいかかってきました。
 これをみた浜田広次下松支部長が、ちかくの商店から警察に電話しようとした
ところ、松村一(ニセ県連副委員長=宇部市在住)ら四人が、浜田氏をひきずり
だして暴行しました。
 かれらは、下松支部、民主団体の抗議でまもなく逃げましたが、包丁できりつ
けようとした男は、調査のけっか、呉市の暴力団にいた甲斐切清光(三十歳)で、
下松市に流れてきて、ニセ県連の副委員長を自称する中田富亀一(これも暴力団)
の配下にいることがわかりました。


136 :葉寺覚明 ◆pdWuRV/fU6 :03/09/01 20:06 ID:dDEVPKdN
>>135のつづきです。

 中田は、解同中央組織部長である地位を利用して、山口、広島、岡山県連などを
分裂させるために狂奔している破かい魔・西岡中執らに、ショッピングセンターを
「同和事業」で建ててやるから、とさそいをかけられ、支部をうらぎった男。
 山口県連と下松支部は、十四日、連名で「ニセ下松支部の殺人(未遂)行為を糾
弾し、部落民主化のたたかいを訴える」声明を発表、全県下の部落の人たちや民主
団体とともに、暴力分子の息の根をとめるまで、たたかいぬく決意をかためています。

犯人は逃走
山口県連 ただちに反撃

 【下松】十三日、香力部落の道路で、山口県連幹部に刃物をもっておそいかかった
殺人未遂事件の犯人、甲斐切清光は、中田らにたすけられて、いち早く逃亡しました。
 山口県連と下松支部は中田ら暴力分子の一味の襲撃を糾弾する行動をおこしています。
 中田は、この事件について「知らぬ、存ぜぬ」とシラを切り、逆に「共産党が香力
部落になぐりこみをかけた」とわめいています。しかし、甲斐切は、中田を親分とよ
び、事件当日、中田にたすけられて逃げていることから、いいのがれることができ
なくなりました。
 なお、警察は、殺人未遂、業務妨害、暴力行為、脅迫の容疑で指名手配しました。
 あわてた中田らは、弁護士依頼にはしりまわるとともに、村崎義正山口県連執行委
員にたいして、暴力団をつかって危害をくわえようとしています。
--

6もっこす</b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2003/09/12(金) 20:25
150 :葉寺覚明 ◆pdWuRV/fU6 :03/09/02 21:43 ID:uLr5SyEl
「解放の道」(1970/9/11)より。

--
久米町 暴力分子の策動粉砕
解同町協、ただちに反撃

 【久米】朝田一派の暴力分子榎並明一(大阪)は八月二十四日、数十人の手下をひきつれて
岡山県久米郡久米町役場におしかけ、分裂組織をみとめろと籔木町長をおどかしました。これ
にたいして解同久米町協議会は、対町交渉をもって、榎並らの策動をふんさいしました。
 久米町には、朝田一派につながる黒田義夫といううらぎり分子がいますが、部落の大衆から
総すかんをくって孤立しているため、榎並らがとくいの暴力と脅迫で加勢するために入ってき
たものです。
 この日、榎並らは午前十時から午後五時まで籔木町長をカンヅメにして、黒田らの分裂組織
(黒田いがいにはだれもいない)をみとめろとおどかしました。とくに榎並は、籔木町長にた
いして「部落問題夏期講座であばれた連中が、五、六人ドスをもって待機しているぞ。お前は
骨ツボに入ってかえりたいのか」と、スゴ味をきかせて脅迫、「”中央本部”につながる組織
が正しいと認める」という確認書をかかせました。
 これをみた町職員は暴力団同然の榎並らの脅迫に、「これが解同幹部か」とあぜんとして、
「”解放新聞”で夏期講座暴力事件はウソだとデマ宣伝を、これではっきりした」とかたって
いました。
 朝田一派の暴力的な分裂攻撃にたいして解同久米町協は、ただちに同日十時から対町交渉を
おこない、一方的な確認書を破毀させるとともに、「久米町の部落大衆の要求にもとづいて、
解同町協と交渉して行政処置をおこなう」ことを約束させました。
 解同久米町協は、よく二十五日、決起集会をひらいて分裂策動をふんさいして、解同組織の
統一と団結をまもりぬく決意をかためました。
--

…ホント、絵に描いたような「ありがち」な記事です。ううううう

7もっこす</b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2003/09/12(金) 20:26


153 :葉寺覚明 ◆pdWuRV/fU6 :03/09/03 00:03 ID:4bSaP9EV
>>150

>「”解放新聞”で夏期講座暴力事件はウソだとデマ宣伝を、これではっきり
した」

を、

「”解放新聞”で夏期講座暴力事件はウソだとデマ宣伝をしていたのが、
これではっきりした」

…に、訂正します。すいません。

8もっこす</b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2003/09/12(金) 20:27
185 :葉寺覚明 ◆pdWuRV/fU6 :03/09/04 02:04 ID:YdXPxyIV
>>140

毎度。「解放の道」(1972/7/10)より。

--
朝田一派が集団暴行
上杉、上田らが陣頭指揮 村崎氏らを殴る

 【光】「部落解放国民大行動」と称して九州から上京中の朝田一派は七月一日ごろ、山口県光市高州地
区の路上で、村崎勝利山口県連書記長、村崎寧光支部長ら三人に集団でおそいかかり、全治十日間のけが
をさせました。
 この日、村崎書記長が同日夜、光市民ホールでひらく全国水平社創立五十周年で念講演会の街頭宣伝で、宣伝車を運転して走っていたところ、宣伝車の前にふさがって妨害。村崎書記長は「道をあけて通せ」と
マイクで抗議すると、いきなり十五、六人が車をとりかこみ「出てこい」「ひっぱり出してたたき殺せ」
と叫びながら、窓から村崎書記長の首すじをつかんでなぐりつけ、マイクをひきちぎりました。この集団
暴行を聞いて村崎寧光支部長ら二人がかけつけて抗議しましたが、朝田一派は二人にたいしても、なぐる、けるの暴行を加えました。
 朝田一派の集団は、十五台の自動車で高州地区に入っており、大阪の上田卓三が隊長格で、中国隊長は
大源実(岡山)。配下に榎並明一ら大阪の暴力分子がずらりと顔をならべ総隊長の上杉左一郎もいて、上
杉、上田らが陣頭指揮をとっていました。かれらは、狭山事件にかこつけて、反共演説をぶち「共産党や
正常化にだまされるな。村崎一家を追い出せ」とどなっていました。
 これにたいして山口県連は、ただちに抗議声明を出すとともに、四日、上杉佐一郎、上田卓三ら二十人
を集団暴行、障害、脅迫、器物破損で光警察署に告訴しました。
--

…これを思うと、いつぞやの「朝生」、加害者の小森のおっさんと村崎さん、すげいトリアワセですね。

9もっこす</b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2003/09/12(金) 20:28


202 :葉寺覚明 ◆pdWuRV/fU6 :03/09/05 02:28 ID:MBsVnP/t
「解放の道」(1974/2/10)より。
--
加害者が被害者に?
朝田一派がデマ宣伝

 【羽曳野】朝田一派は一月三十日、羽曳野市役所構内の広場で鉄パイプ、
棒などをふりまわしておそいかかり、九人の労働者を負傷させるという暴
力をふるいました。
 朝田一派は、この暴力事件を否定するために卑劣なデマ宣伝をくりひろ
げて、クロをシロといいふくめる策動にやっきになっています。
 今事件は、三十日午後四時ごろ、当日、朝田一派の動因した二百数十人
(大阪府西成、浪速区が中心)が「市長糾弾」などをさけんで構内をデモ、
職員会館までやってきてひきおこしたもの。かれらの隊列にいた職業的暴
力団岡田繁次ら三十人は、会館前に注射していた共産党宣伝車のフロント
ガラスを破り、鉄パイプ、棒などをふりまわして宣伝車をめった打ち。狂
乱状態になった岡田らは車の屋根によじのぼって上にいた労働者に暴行を
加えるなど乱暴のかぎりをつくしました。
 この間、現場近くに多くの警官がいましたがまったく放置したまま。岡
田らは、いちはやく外車・ムスタングに乗って逃げました。
 ところが、朝田一派は「同対審共闘」という新聞の二月二日付で、共産
党が暴力をふるったと、まったく正反対のデマ宣伝。しかも、「日共党員
が差別暴言」をはいたので「抗議」したのだと、悪質なデマをでっちあげ
ています。
 これらは、朝田一派が職業的な暴力集団であることをばくろするととも
に、クロをシロといいふくめるためには、「差別発言」まででっちあげる、
まったく恥知らずの徒党であることを証明しています。
--

cf.同じ事件についての解同の記事
http://marukyo.cosm.co.jp/forum/data/forum7/2001122821393931184.html


203 :葉寺覚明 ◆pdWuRV/fU6 :03/09/05 02:36 ID:MBsVnP/t
>>202

>会館前に注射して
を、
会館前に駐車して
に、訂正します。すいません。

10もっこす</b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2003/09/12(金) 20:29
239 :葉寺覚明 ◆pdWuRV/fU6 :03/09/09 01:42 ID:RNaWPvhq
また忙しくなったんで、短文を転載。

--
丸尾という男……事件の首謀者丸尾良昭(三三)は、朝来町在住、
自動車修理工場を経営。独身時代から暴力ざたをおこすなど粗暴な
性格の持ち主。一九七四年七月、「解同」沢支部長に就任しました
が、人望はなく、暴力と脅迫で町を制圧しました。町役場では町長
以下が「丸尾先生」と下にもおかないもてなしぶりで増長するば
かり。事件後は「糾弾(リンチ)もなければメシもまずい」と
高言していました。
--

日本共産党「許せぬ残虐なテロ--「解同」朝田・丸尾派による
兵庫県八鹿高校事件の真相」より。

11名無し@もっこす党員:2003/09/13(土) 23:18
葉寺覚明 ◆pdWuRV/fU6 って何者?

12キャベツハクサイ:2003/09/14(日) 00:18
街道もたいがい無謀・無法をくりかえしてきたことは間違いないですが、
協賛側の挑発を不問にして正当性を主張する姿勢は欺瞞です。
自らの理不尽な行為も率直に切開してみる勇気はないのですか?
八鹿にしても矢田にしても、奈良の大淀や平群の事件でも、
街道と協賛の対立が背景にありますよね?その辺の事情を覆い隠して
一方的に街道を責め立てても今ひとつ信用できません。
少なくとも街道内部(今さらなんだととは思いますが)では
それらの対立に没却して道を踏み外したと反省する向きもあります。
これらの人たちは利権や不正についても糺していこうという思いが
感じ取れます。
協賛や全解連はあくまでも自分たちは一点の曇りもなく正しいと
主張するだけで自らの捉え返しがありません。
京都の補助金の問題でも根本的な自己批判がなされていません。
どうか、協賛が繰り返してきた挑発行為も批判的に取り上げて下さい。

13葉寺覚明</b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2003/09/14(日) 00:41
おせわさまです。「解放の道」(1970/9/11)より。

--
中央町 町行政が組織介入
解放同盟 糾弾闘争たかめる

 【中央】本紙既報のように、岡山県久米郡中央町では、杉山定香町長が、朝田一派の分裂策動と野合して、分裂組織に加担したことから、これにたいする差別行政糾弾の闘争が長期にわたってたたかわれています。
 中央町ではさる七月十四日、杉山町長が、朝田一派の援助をうけた山本藤政、勝浦康行ら分裂主義者の圧力で「朝田一派につながる分列組織を行政の窓口にする」という確認書をとりかわしました。杉山町長は、「あの確認書は、かいたというよりかかされたというのが真実だ。町長印もおしたのではなくおさせられた」山本藤政にたいして忠告したが、「聞いてもらえなかった」とのべていました。
 しかし杉山町長は、圧力にくっした行動を正当化するために居直り、七月二十四日に召集した臨時町議会で、「分列組織を行政の窓口にする」決議案を提出、全県下の部落解放同盟からかけつけた約二百人の抗議を無視して、さいたくを強行しました。

四十日をこえる抗議行動

 さらに八月はじめ、杉山町長は生健会にたいしても、「山本藤政を窓口にしなければ、交渉をうけつけない」と、不当な攻撃をくわえてきました。
 解同美作地区委員会(塚本繁夫委員長)はただちに「杉山町長差別行政糾弾闘争本部」を設置、全地区委の力を結集して連日、抗議行動をおこし、解同組織にたいする不当な介入をやめ、「確認書」と議会決議を撤回せよと根ばりづよい闘争をつづけてきました。
 このため、杉山町長は九月五日に、「同和行政の正常化のための町議会」を、召集しなければなっらなくなりました。

老婆をなぐる暴力分子

 町議会の開催をおそれた山本、勝浦らは流会させる戦術をとって策動しました。このため杉山町長は、「議員の欠席が多く成立しない」という理由で、前日になって中止するという不誠実なたいどをとりました。
 議会傍聴を予定していた解同美作地区委と中央町協は、対町交渉にきりかえて、五日あさ、百五十人の代表者が町役場にあつまりました。ところが、勝浦、池本実らはまたも町長宅におしかけて、杉山町長を軟禁し、交渉を妨害しました。
 このため百五十人は杉山町長宅へ抗議行動をおこしましたが、町長宅から出てきた勝浦、池本ら数人は、やにわに六十九歳になる原田いえのさんや、杉本久夫(四一)、西屋和平(四五)さんらにたいして、ける、なぐる、傘でつくなどの暴行をくわえて、負傷させました。とくに原田いえのさんは、腰のネンザ、打ぼく傷などのケガで、十日以上も寝たままです。
 みんなは、あまりにもひどい勝浦らの暴行に抗議し、正当防衛権を行使してとりおさえました。
 このあと勝浦らは、全治一ヵ月のケガをさせられたとデマっていますが、部落のなかまは「無抵抗の老婆ををなぐるなんてひどいやつだ。勝浦こそ暴力分子だ」と、抗議のこえがたかまっています。
--

14葉寺覚明</b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2003/09/14(日) 00:43
>>13

>召集しなければなっらなくなりました
を、
召集しなければならなくなりました
に、訂正します。

15名無し@もっこす党員:2003/09/14(日) 20:24
なんでいつも訂正するの?
スタイルのつもりかなぁ。

16もっこす</b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2003/09/14(日) 20:53
手入力なんだよ。
スキャナーなら、文字化け訂正になるが。

17もっこす</b><font color=#FF0000>(08EeniEM)</font><b>:2003/09/15(月) 09:44
>>12
判決に出てこないものは使いません。
裁判では、解同側の主張としてありましたが、裁判所は認めませんでした。

18葉寺覚明</b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2003/09/15(月) 16:28
毎度です。「解放の道」(1977/7/15)より。

--
市職員に集団暴行
「解同」の暴力幹部 人事にも不当介入 大阪・堺

 【堺】大阪府堺市の幹部職員が「解同」支部幹部に集団暴行をうけていたことが、このほど、堺市職労などの調査であきらかになりました。堺市では、全解連堺市支部などによる「解同」べったりの乱脈・不公正な同和行政にたいする批判がたかまり、同和対策事業の執行で事実上、改善がすすめられているため、こんどの暴力事件は、不公正是正を妨害する脅迫とみられています。
 堺市職労は、八日付の組合ニュースに声明を発表。
 この暴力事件を機会に、すべての管理職と職員が立場のちがいを越えて、「堺市政の民主化、働きがいのある職場と公正・民主的な市政確立へのたたかい」に市職労とともに立ち上がるよう呼びかけました。
 「解同」の集団暴力事件は、一日から二日にかけて発生したもの。市職労と同市安全委員に事情をただしたところ、市の最高幹部の一人である土肥四郎参与をはじめ部・課長六人が一日午後八時ごろから翌二日午前一時ごろまで、丸井求「解同」支部長の指導する約三十人にとりかこまれて「糾弾」をうけ、くつなどでける、なぐる、灰皿を投げつけるの暴行をうけました。
 また、「解同」支部幹部は、この事件とは別に、六月二十八日午前、市衛生部職員の医師と医療施設担当者を「解放会館」から追い出し、さらに、同和対策部の「解放会館」勤務員をも追い出して、「解同」の指導する職員にかえさせるなど、市の人事権も辞令の発行や通常の手つづきなどをいっさい無視する「解同」の”命令”ひとつでやられるなど、乱脈をきわめています。
--

19葉寺覚明</b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2003/09/15(月) 16:30
>>11

一般市民。

>>16

ありがとうございます。

20葉寺覚明</b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2003/09/16(火) 22:44
>>2

中西さん虐殺事件の記事です。

「解放の道」(1970/12/5)より。

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老婆、ショックで死亡
朝田一派 通行者をおそう

 【東大阪】蛇草会館を不法占拠する朝田一派の暴力集団二百数十人は、四日よる、決起集会がおわってかえる途中の参加者におそいかかって、十三人が三日から七日間のケガをうけました。
 四日午後八時半ごろ決起集会がおわって、参加者が帰宅しはじめました。ところが暴力集団は、蛇草会館のまえにマイクロバスや自動車をおいて、道路をせまくしたうえ、通行どめをするなどの妨害をくわえたため、せまい路上に人があふれました。これを、機動隊三十人がみていましたが、暴力分子になに一つ注意をしようとしません。
 このため通行者は、「道をあるくのを妨害するな」「ムラの道をムラのものがとおるのはあたりまえや」「暴力分子出ていけ」と怒りのこえをあげ、機動隊にたいしても抗議しました。
 ようやく、機動隊の交通整理でとおれるようになりました。しかし警官は暴力集団に背をむけて、通行人を両側からはさむようにならんだため、暴力集団は、警官にかもまれるようかたちで、通行者をなぐる、つく、けるなどの暴行をはたらきましたが、警官は、とりしまろうとしませんでした。このため、集団暴行ははげしくなり一時、通行者がおしつぶされかけたり、髪の毛をひっぱられ、マフラーをとられた婦人、つきたおされた老人やメガネをとばされたりズボンをやぶられるなどの被害が続出しました。
 また、暴力集団の手先になれはてた蛇草の松島節夫は、蛇草病院入口のガラス戸三枚をたたきわる、暴挙をはたらきました。
 このような、警官にまもられた集団暴力にたいして、婦人たちは怒りの涙をこめて抗議、青年や老人、こどもも「ムラへきて暴力をふるうヨソもんをかならず追い出すぞ」と決意をかためています。
 また、この夜、暴力集団にこずかれたショックで、解同蛇草支部員の中西ヤスエさん(六三)が死亡する事件がおこりました。
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21葉寺覚明</b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2003/09/19(金) 21:23
>>20

中西さん虐殺事件です。

「解放の道」(1971/12/15)より。

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暴力分子を告訴告発
蛇草支部 傷害致死などで糾弾

 【東大阪】朝田一派の暴力集団の暴行にショックで死亡した中西イソエさん(六三)の葬式は五日午後三時、蛇草支部をはじめ大阪府下各支部代表約四百人の参列によっておこなわれました。
 中西さんの死因は、医師の診断で、朝田一派の暴行を受けたときのショックによる急性心不全と心筋こうそくであることがあきらかになり、また、遺体の右足関節部や左ヒザ付近に、けられて内出血をおこしたり、打ぼく傷がはっきりとあらわれていました。
 ところが、朝田一派の暴力集団は、破れんちにも中西さんが「病院にいこうとして河合・藤本らのデモに妨害されてショック死」と事実をごまかしたデマ宣伝をおこない、蛇草支部幹部にたいする中傷、ひぼうをおこないました。また、午後三時ごろ、中西さんの家にデモをかけ、「なにを泣いとるんや、泣くんやったら外に出て泣け」と口ぎたなくののしりました。そのあげく、中西さんの四男光男さんに暴力をふるって、全治一週間のケガをおわせるありさま。
 こうした、朝田一派の暴力にたいして、四日よるの決起集会の帰途、負傷させられた人たちは、暴力行為を指導した「解同大阪府連」の榎並明一、岡田繁次(行動隊長)および蛇草部落の暴力分子松島節夫・杉本和美らを、暴力行為および中西さんを傷害致死させたことをあげて告訴・告発しました。
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22葉寺覚明</b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2003/09/20(土) 08:38
>>21

日付が間違っていました。(1970/12/15)です。失礼いたしました。

23葉寺覚明</b><font color=#FF0000>(WuRV/fU6)</font><b>:2003/09/20(土) 21:13
「解放の道」(1973/11/10)より。

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朝田一派がまた西宮市役所占拠

 【西宮】朝田一派はまたまた十月十六日から西宮市役所を占拠しました。市庁舎四階会議室に闘争本部の看板をあげ、地階職員休養室にとまりこんでいます。

”彼らこそ差別者”
部落住民の怒り爆発

 朝田一派の山口富造、西口源光ら暴力分子は連日、五十人から百人の部落住民を日当動員して市庁舎を占拠、芦原地区にたいする分裂策動をつづけています。

市当局が提供

 四階の会議室には「兵庫県連闘争本部」と書いた看板をたてて、指導部にしています。市役所方面には十数本の旗をたて、玄関に長机をおいて市民を監視しています。ロビー階段にもたむろしていて市民を尋問するなど、芦原市民のための市役所が朝田一派の事務所に”変身”したようなありさまで、「いくらなんでも無茶苦茶や、なんとかできんのか」と、市民の非難がつよまっています。
 しかし、朝田一派が「市理事者を守る」”行政闘争”と称して占拠していることを、市当局は「同和行政を円滑にすすめうために部屋を提供している」(同和対策室)とのべて擁護しています。
 こうして朝田一派は、同和対策室、職員休養室、写真用の暗室をわがものがおに使っています。
 一階湯わかし室は、朝田一派の「調理場」。地階の職員休養室は、市職員の昼休みやからだの調子が悪いときの休養のために使う部屋ですが、ここにも、朝田一派は勝手にふとんを持ちこんで寝泊りしているため職員は一切つかえなくなっています。

部落で差別発言

 朝田一派は、こうして市役所を根城にして連日、芦原地区へ七、八十人でデモをかけ、分裂策動をつづけています。
 芦原支部(亀田順一支部長)のビラのうえに反共、反同推協のビラをはり、市当局に圧力をかけて芦原支部の公民館使用を妨害するのは序の口。
 十月二十五日夜、五十人を動員して、「同推協と話しあうから共産党と手を切れ」と隣保館におしかけましたが、住民に「おまえらのくるところではない」と追いかえされました。
 つづいて翌二十六日夜には、マイクロバス一台、乗用車十三台をつらねて芦原地区におしかけてきました。かれらは、スピーカーのボリウムをいっぱいにあげて「芦原部落のヨツのみなさん、エッタのみなさん、同推協幹部と共産党にだまされてはなりません」と、口汚たなく、聞くにたえぬ差別言辞をはきながら行進してきました。
 これを聞いた住民は「ムラの団結をみだしたあげく差別するとはなにごとか」−−と家をとびだしたちまち、千人にふくれあがって自動車をとりかこんで激しく糾弾。朝田一派はネコのようにちぢこまって退散しました。
 しかし、その後も連日、執ようなデモをつづけています。こんどは、今までと一変した”無暴力主義”で、「暴力をつかいません、差別をしません」といいわけのポスターをはっています。住民の反撃をおそれてネコをかぶって「支持」をとりつける作戦にでているのです。また、地区内で小集会もひらいており、連日のデモとともに、決して軽視のできない動きといえます。

私物化が狙い

 朝田一派は、連日のデモのあと、「差別キャンペーン粉砕」と気勢をあげ、大きな声で歌を歌い、市役所にあかりをつけて夜おそくまで会議をひらいています。そのなかで「ねばり強くたたかう」ことを強調しており、かれらの「窓口一本化」を具現化させて「同和行政」を私物化するために、長期にわたって蛮行をつづける方針をもっています。
 このため、朝田一派を芦原地区と市役所から追いだし、地方自治と民主主義、部落住民の真の団結をまもるためのたたかいを続行することが、ますます重要になっています。(S)
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24名無し@もっこす党員:2003/09/21(日) 20:50
あげ

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