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三国志Ⅸ 公孫度伝
137
:
野に咲く一輪の花
:2014/04/20(日) 20:03:07
☆☆☆☆衆心5☆☆☆☆
公孫度は軍を静養させている間、軍議を開いた。
その軍議の主な内容は、北海侵攻の件であった。
沮授が口を開く。
「大将軍、北海への征伐ですが今の保有戦力では今年度中には非常に厳しいのが現状であります」
沮授の言葉に皆沈黙する。
今の軍備で華北に十分な防衛戦力を置くと、北海に向けられる戦力は、今年度中であれば出せても6万がいいところである。
それでは、北海の守りに阻まれてしまうのである。
そうかと言って、時間をかければ中原の曹操の戦力はより拡大してしまう。
結局進退窮まる状態になってしまうのである。
場の空気が重たい中、徐貌(ジョバク)が発言する。
「大将軍、最近妙な詩が巷で流れているのをご存知でしょうか?」
徐貌(ジョバク)の言葉に公孫度は眉を潜めた。
「いや、知らんがどういう内容なのだ」
「成功して故郷に戻ってその姿を見せないのは、錦の服を着て、真っ暗な夜歩くようなものである。
誰も気づかないではないか。されど東海の畔にて会えば、感慨はなお深いものに為らん」
徐貌(ジョバク)は歌うように言った。
事実、この詩は最近平原の童子の間に大流行していた。
無垢な童子に天意は降りる。
この時代の人は、この手の啓示を深刻に捉えていた。
公孫度は顎を擦りながら考えるような素振りを見せた。
「徐貌(ジョバク)よ、どう考える?」
公孫度はしばし間を置いて問いを投げかける。
「前言の言葉は史記にもある項羽が祖国に帰るきっかけとなる文ですな。
違うのは、それに東海の畔にてという行です。これは遼東の兵と平原の兵が東海の畔にて合流せよという暗示ではと」
「うむ、わしもそう思った。たしか遼東には倭からの侵攻に備え安平の呉巨の兵力を増強させていたな」
「左様です」
呉巨とは、公孫度軍の唯一の水軍を率いる将である。
増大する倭方面からの戦力に対抗する任に当たっていた人物である。
徐貌(ジョバク)は続けて言う。
「たしかに先の下ヒ攻めで倭の戦力はほぼ壊滅状態と聞きます。今その軍を動かしても遼東に侵攻される危険性は少ないでしょう」
諸将の表情が俄かに明るくなる。
「よし、別働隊には公孫康その方が指揮を取れ。副将は呉巨を任じる」
公孫度の言葉に一瞬戸惑いを見せた公孫康。
「公孫康、お前もそろそろ三軍を率いる将となって貰わねば困る」
公孫度の言葉に静かに拱手する公孫康。
『我が息子ながら何を考えているのかよくわからんところはある』
実は公孫度の中で、この公孫康の日頃の振る舞いに何か言い難いものを感じていた。
それを隠すように、
「以上だ。皆の者各々準備に励むように」
公孫度はそう言って、軍議を終えた。
諸将一同拱手してその場を出て行く。
最後に残ったのは、沮授と陳宮である。
「先ほどの軍議の後半から何か考えがあると推測しましたがどうされましたか?」
陳宮が公孫度に問いかける。
二人は公孫度の微妙な表情を見逃さなかった。
公孫度は笑いながら、
「流石だな、先の巷に流れる詩のことよ」
公孫度は率直に胸の内を明かす。
「あの詩は我が軍に明るい兆しをもたらすものかと。まさに神意ですな」
沮授が言ったのを、公孫度は否定するように首を振る。
「神意か、あれが神意なものか、人の業だな」
公孫度はそう言い切った。
亡き公孫旺は現実的に判断する人で、それに影響を受けた公孫度だからこその判断である。
公孫旺は法家の人で、法家は現実的に物事を処理していく人間が多い。
ゆえにその影響を受けた公孫度も極めて現実的な判断が下せたのである。
「沮授、陳宮、この件秘かに背後関係を調べるように」
沮授と陳宮も公孫度の言わんとする真意がわかった。
一礼してその場を後にする。
時は益々激動の渦に巻きこまんとしていた。
138
:
野に咲く一輪の花
:2014/04/27(日) 19:06:02
☆☆☆☆衆心6☆☆☆☆
公孫度軍が軍の一時的な休養と再編成を行っている頃、沮授は目まぐるしく動いていた。
軍の再編成、各将への振り分け、北海攻略の段取りなどやることは山ほどあったからである。
今日も自邸にて軍務の処理をこなしていた。
ふと気が付くと、深夜にまで作業していたようだ。
「如何な、こんな時間になっていたのか」
深く息を吐き、気晴らしに庭に出る。
『今日は明るいな、そうか満月であったのか』
今日は一面星空が見え、その中に闇夜を明るく照らす月の存在があった。
沮授はつねに多忙な身であったのだが、精神は充実した日々であった。
ふと、沮授は昔の事を思い出した。
月夜が沮授の心をあの頃へと誘ったのか。
沮授は、冀州(キシュウ)ではその名を知られた豪族の家から生まれた。
このまま沮授は冀州(キシュウ)で仕官をして順調に上がって行く運命だっただろう。
その運命を変えたのは、黄巾の乱前の旅先で知り合った公孫度と公孫旺に出会いに端を発する。
特に公孫旺はこれほどの人物が世にいるのかと思えるぐらいの才の持ち主であった。
法家の人でありながら、法の知識ばかりではなく幅広い知識と慧眼は郡を抜いていた。
その公孫旺をして義弟の公孫度もなかなかの人物である。
沮授はこの二人との出会いを強烈に自身の記憶に植え付けられた。
やがて、公孫度が遼東の太守となり、彼らから招かれた時、周囲の反対を押し切って遼東へと移住した。
結果、ここまでは沮授の決断に誤りはなかったことになる。
もし、この決断がなければ、袁紹に仕えていたかもしれないと思うと、沮授は複雑な心理に陥った。
月夜を見て沮授は思う。
『田豊よ、貴方は今何を思う・・・』
田豊もまた、沮授と同じ冀州(キシュウ)の豪族である。
だが、二人の辿った道は違ったものとなった。
田豊は袁紹に、沮授は公孫度に仕えた。
そして、今袁紹と公孫度は相対する存在になった。
運命の歯車は、彼らに如何なる顛末を与えるのか。
今日も悩める人を見守るが如く、月の光は優しく大地に注ぎ込んでいた。
139
:
野に咲く一輪の花
:2014/04/30(水) 00:01:37
☆☆☆☆衆心7☆☆☆☆
「兄者、どうされたというのか」
男は一人月夜を見ながら呟く。
男の名は、関羽と言う。
劉備の将にして、情においては兄弟同然である。
関羽は、劉備が益州を制覇してからずっと永安を中心に防衛の任に当たっていた。
その権限は、劉備から兵の指揮権及び統治まで委託されており、独立した権限を与えられていた。
先程先程関羽が呟いた兄者とは、劉備のことである。
劉備は益州に入り、漢中の実権を勝ち取り、涼州・雍州(ヨウシュウ)の曹操軍と戦った。
ここまでは、よかった。
武都も攻略してまさに曹操と相対すところまで来た。
しかし、その後は静観の構えを取った。
関羽が苛立ちを見せたのは、そのことではない。
秘かに益州南郡に兵を集めた劉備は、同盟相手である劉表の背後を脅かす交州を攻めた。
交州は、孫堅が実効支配している土地である。
『確かに同族である劉表の援護に入るのは、情を重んじる兄者らしい。だが大義を疎かにしていないか』
関羽ほど理想に邁進していく将はいない。
それも頑なと呼べるほどに・・・。
関羽の理想を追い続ける姿勢は素晴らしいものがあった。
だが、理想を追う者は、時に周りが見えなくなる傾向に陥ることがある。
関羽もその一人である。
関羽は、曹操軍を倒し、漢再興の夢を突き通した。
ゆえに、漢津港を曹操軍が劉表から奪取した時に迷わず軍を派遣して曹操軍を追い払った。
問題はその後である。
関羽はそのまま漢津港に居座り続けた。
本来であれば、同盟相手に返上すべきところである。
この事は、後に大いなる軋轢を生むことになる。
関羽は、月夜を見ながら、なお想いを連ねる。
『そもそも益州の重臣である張松殿などがなぜ兄者を益州に招いたのか?
そして、兄者はその求めにあれほどすんなりと応じたのか』
月夜を眺める関羽の心に自身すら認識しない寂しさが募っていた。
その心を癒すがごとく今日の月は優しく照らしていた。
140
:
野に咲く一輪の花
:2014/05/11(日) 18:47:52
☆☆☆☆衆心8☆☆☆☆
孫堅の治める江東は、中原とは一風変わったところである。
食も中原が麦主体であるのに対し、米を主体としている。
そして、何より今で言う占い師や預言者のような者も多く輩出している。
これは、秦漢統一前、この地に楚という大国があったことに深く関係する。
この楚の国に宰相と同じ役割を持つ令尹という役職があった。
この令尹とは、占いをもって政治を行う祭事行為の役職でもある。
楚は、こうした古代よりの慣習を引き継いでいることでも他国と比べると中原とは異なっている。
さて、ここで一人の男が月夜を見ながら、思案を巡らせていた。
男の名は、朱治という。
男はかつての反董卓連合の時も孫堅本隊とは別行動を取っていた人物である。
その為、世の多くの人に知られていないが、孫堅の快進撃を後方から支えていた重要人物である。
この孫堅陣営の中でも渦中より一歩外から見れる立場にあった朱治からしてみれば、孫堅のここまでのやり方には神懸りと言ってもいい。
事実、孫堅もまた江東特有の風土的特徴を上手く利用してきた。
すなわち、占い師の起用である。
孫堅の扱う占い師は、巫女であった。
この巫女が時に周りを驚かすように正確に予言を行ったので、孫堅も大いに重用したのである。
実のところ、孫堅が襄陽を撤退したのも、この巫女のおかげであるとも言える。
当時、呉景という人物が、江東の呉郡に滞在していた。
呉景と孫家は親戚関係にある。
この叔父に圧力が掛かり、危機に陥ったことをいち早く察知したのである。(注1)
孫堅はこの叔父救援を優先し、襄陽から撤退し転戦する。
朱治は思う。
『あの時、孫堅様が撤退したのは口惜しい話ではあるが、結果孫家の今の繁栄に繋がったのではないか。
惜しむべきは、我が孫家に天運を与えてくれた巫女が亡くなったことか』
朱治の言う通り、巫女は先年流行病で亡くなっている。
朱治は、月夜を見ながら、孫家の先行きを思う。
何よりも後方支援で孫家を支えたのは、朱治の功績である。
ふと、思案しながら池のほとりまで出て来た。
月が池に映し出される。
その池に映し出される月を見ながら想う。
『我等の行く先をどうか天よ、月よ、示したまえ!』
朱治がこの後何を想ったのか、不明である。
注1:呉景が危機に陥るのは、実際の歴史ではもっと先の話である。
この辺りにも本来の歴史とは、異なっている。
ゆえに、孫堅も在命しているとは、ある意味皮肉な因果である。
141
:
野に咲く一輪の花
:2014/05/14(水) 19:23:41
☆☆☆☆衆心9☆☆☆☆
『曹操、あの男も何を考えているかわからぬ。だが、治世に公平性があるのはわかる』
男は宮殿の庭から、月夜を見て思う。
思えば董卓が実兄である前皇帝を廃したときから男の運命は変わった。
男の名は、劉協という。
漢帝国の現皇帝である。
『朕という皇帝の存在が今や何だというのだ!』
劉協は自嘲気味に思う。
思えば、自分を擁立した董卓も曹操も変わっていた。
特に董卓は今を持ってして謎の多い人物である。
まずは、粗暴でありながら、帝国の改革者であった事。
次に、かつて半董卓連合軍が組まれた戦いの勝利後のことである。
その覇者となった董卓であるが、その後自らの死を悟った時に当時一諸侯にも満たなかった曹操を後継者に選んだのである。
曹操と董卓に接点はないように思われ、その後継者選択は今でも謎である。
そこで何が話し合われたのかも、劉協は知らない。
しかし、劉協は思う。
『曹操は悪名など意に介さない。だが、治世の実績には定評がある。董卓もその辺りを見込んだのだろうか』
ふと、劉協は儒者が理想とするある形を思い出す。
『禅譲』
もう過去の誰も知らない神話水準の話である。
「おっ!」
劉協は突然声を上げた。
庭園の池に、木の葉が舞い降り、月を映し出す水面に波紋が生じたのである。
劉協が驚いたのは、自身の考えを読まれたように為す自然の出来事であったからだ。
『いや、これが天意というものなのか・・・・。天よ、どうか我が道を指し示したまえ!』
劉協にその答えを与えたのか、月は煌々と地を照らしていた。
142
:
野に咲く一輪の花
:2014/05/31(土) 14:45:19
☆☆☆☆衆心10☆☆☆☆
「公孫度軍襲来!」
その報を北海の袁紹が受けたのは、200年11月のことである。
袁紹陣営に激震が走った。
「公孫度がこちらに兵を挙げるのは、早くても来年のことではなかったのか?」
そう言うのは、郭図である。
先の袁紹に進言した田豊に対する不快さを隠さない口調である。
一方で、ここまで袁紹は珍しく目を閉じて静観の構えを取っている。
「して、軍勢は如何ほどであろうか?」
高幹が問う。
高幹は袁紹の信頼も厚い親戚であり、軍事にも明るい人物とされている。
「6万との報告が入っております」
高幹の問いに物見の者が答える。
「それは、間違いないか?」
ここまで、袁紹同様無言であった田豊が問う。
「間違いございません」
田豊はその答えを聞いて何か違和感のようなものを感じていた。
『公孫度はいたずらに兵を出す者でもない。しかし、平原方面から出せる兵力は、確かに今現在では6万がいいとこであろう。
それでも何かおかしい』
田豊の思慮を他所に、ここまで無言であった袁紹が口を開く。
「ならば、ここで篭城だな。袁家の意地を見せてやろう」
袁紹の言葉がいつになく重く感じる。
一同袁紹の威厳に圧倒された。
『ここで公孫度を破れば、挽回の時は訪れる』
今の袁紹には、確かにそのように思わせるだけの雰囲気があったのである。
143
:
野に咲く一輪の花
:2014/06/08(日) 18:19:36
☆☆☆☆衆心11☆☆☆☆
「よし、引き付けて・・・・今だ、放て!!」
審配の掛け声と共に放たれる弓矢。
公孫度軍に多大なる被害が与えられていく。
『勝てる!公孫度軍の寄せ手の士気は明らかに落ちている』
兵がそう思うほどに北海の守りは磐石で、袁紹軍の士気は上がっていた。
加えて、ここに来て袁紹の沈毅な態度が確かな安心感をもたらす。
兵ばかりではない。
『行ける、行けるぞ、ここで公孫度軍を叩けば、我が軍は再び飛翔する機を得る。そして・・・』
謀臣の郭図の中にそう思わせる何かが今の袁紹軍にあった。
一人、田豊を除いて。
『ここまでの情勢は我が方に有利に働いている。だが、何か我らに見落としているものはないか?』
「伝令!各諸県に通達!敵勢力の何でもよい。何か小さな動きでもあれば知らせるように!」
田豊の不安を他所に公孫度軍の攻勢は日に日に衰えていた。
そして、ある朝。
「公孫度軍がいない。昨夜のうちに撤退したのだ!」
あれほど重囲していた公孫軍の撤退。
そして、袁紹軍の勝利。
「袁将軍、万歳!」
兵の勝利の歓声が響く。
「袁紹様、ついにやりましたぞ」
郭図が興奮する中、袁紹は静かに目を閉じていた。
「行けるぞ、行けるぞ、追撃だ、そして失地回復だ!」
誰かがそう叫んだ。
144
:
野に咲く一輪の花
:2014/06/25(水) 21:08:32
☆☆☆☆衆心12☆☆☆☆
追撃の言を受けた袁紹。
袁紹は静かに立ち上がりながら剣を抜く。
「追撃だ」
袁紹の威厳のある物言いで、全軍の士気は高まる。
そのままの勢いで出撃する袁紹軍。
「なかなか敵軍も撤退する速度が速いではないか!」
審配がそう言う。
事実斥候の知らせによれば、公孫度軍の撤退は急速に戦線を縮小させつつある。
だが、なんとか追いつけそうだ。
袁紹軍はそれこそ昼夜を問わず相手を追い詰めようとしていた。
その甲斐もあって、袁紹軍は2日後ついに公孫度軍に追いついた。
相手は撤退中の傷ついた軍。
このまま攻撃に入れば、袁紹軍の勝利だったのかもしれない。
しかし、ここで田豊が各地に放った偵騎から驚くべき報告が入る。
東來港が公孫度の水軍に襲われ、占領されていたのである。
のみならず、公孫度の水軍は、そのまま北海へ向けて進軍中。
さらに今から引き返しても、別働隊の敵軍のほうが先に北海に到着する。
袁紹軍に動揺が走る。
まるで頃を見計らったように公孫度軍本隊が反転してくる。
一人田豊は、
「殿、万が一のことも考え、殿は東武港にお退きくだされ。それがしは、北海にて公孫度軍を出来るだけひきつけます」
「田豊、それは不要ぞ、かくなる上は、全軍東武港に撤収する!」
この危機に対しても、袁紹は不思議な威厳があった。
『開き直りなのか、はたまた・・・・』
田豊は、袁紹の威厳に押された格好で、
「殿はそれがしが承ります」
そういい残し、陣を後にする。
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