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立川談志 掲示板

1立川談志 掲示板:2011/11/23(水) 17:58:37
(*)落語の情報
http://rakugoinfo.seesaa.net/


(*) 立川談志「人生、成り行き―談志一」(新潮文庫)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4101343357/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&tag=heartlinks-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4101343357
立川談志。そのセンスと頭脳で落語に革命を起こし、優れた弟子を世に送り出した、まさに至宝である。五代目柳家小さんへ入門、寄席・テレビで人気を得、時代の寵児となる。政治の季節を過ごし、芸に開眼。落語協会分裂騒動ののち、自ら落語立川流を創設する―。談志が、全幅の信頼を寄せる作家・吉川潮に、波乱万丈の人生を語り尽くした。弟子代表・志の輔との対談も収録。
<内容、目次>
第1回 落語少年、柳家小さんに入門する
第2回 “理不尽な世界”の前座修業
第3回 二つ目小ゑん、キャバレーを席捲す
第4回 結婚、そして先を越された真打昇進
第5回 だから政治家になってみた
第6回 選挙くせものこわいもの
第7回 この時、芸に“開眼”した
第8回 落語協会分裂、立川流創設へ
第9回 談志落語を自己分析すれば
第10回 落語家という人生―ゲスト/立川志の輔

2立川談志 掲示板:2011/11/23(水) 17:59:25
(*) 「落語決定盤 立川談志 ベストCD」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B004X32ZPS/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&tag=heartlinks-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B004X32ZPS

<内容>
五貫裁き 昭和57(1982)年6月18日 30周年ひとり会
二階ぞめき 平成元(1989)年10月9日 国立演芸場
権兵衛狸 昭和51(1976)年1月30日 第83回ひとり会
らくだ 昭和47(1972)年3月19日 第51回ひとり会

3立川談志 掲示板:2011/11/23(水) 17:59:50
落語家の立川談志さん、喉頭がんで死去 2011年11月21日
ttp://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20111123-OYT1T00469.htm
 人気落語家で元参議委員議員の立川談志(たてかわ・だんし、本名・松岡克由=まつおか・かつよし)さんが、2011年11月21日、亡くなった。

 75歳だった。

 1936年、東京都生まれ。52年に五代目柳家小さんさんに入門。小よしの名で前座に。54年に小ゑんで二ツ目、63年に五代目立川談志を襲名して真打ちに昇進した。小ゑん時代から頭角を現し、切れ味のある啖呵(たんか)と痛烈な毒舌でファンを増やした。同年代の三遊亭円楽さんや古今亭志ん朝さん、春風亭柳朝さんとともに「寄席四天王」と呼ばれて活躍。66年開始の日本テレビ系の演芸番組「笑点」で初代司会者を務め、テレビやラジオ、映画の世界でも売れっ子になった。

 71年には参議院全国区に無所属で立候補して当選。自民党に入党し、沖縄開発庁政務次官も務めた。

 83年には、弟子の真打ち昇進問題をきっかけに一門とともに落語協会を脱退。「立川流家元」として一派を率い、志の輔さん、談春さんらの人気落語家を育てた。

 97年にがんを公表。手術して高座に復帰したが、09年8月末に体調不良から休養を発表。10年4月に再度復帰を果たしたものの、今年4月に当面の休養を発表し、入退院を繰り返しながら闘病を続けていた。

4立川談志 掲示板:2011/11/23(水) 18:00:10
(*) 「立川談志 古典落語特選 DVD-BOX」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00009SEQQ/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&tag=heartlinks-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B00009SEQQ

落語界の重鎮、立川談志が、数多く行ってきた独演会の映像素材の中から、自らの芸に厳しい談志自身が厳選した古典落語の演目を収録した初映像作品。


<内容、目次>

京王プラザホテル エミネンスホールにて 2001.7.23
「代書屋 」・・代書屋へいろいろな客がやってくる。まず、履歴書を頼みに来た男。生年月日を旅順陥落の日から逆算したり、トンチンカンな職歴をまくしたてたりで、訂正だらけの履歴書ができてしまう・・
「つるつる 」・・幇間の一八が、芸者のお梅に恋をした。口説くとお梅は、お酒を飲まずに今夜二時に私の部屋に来れば、一緒になってもいいと言う。今夜ばかりは酒を飲むまいと思った一八だが、強引なお客の座敷の声がかかり・・


京王プラザホテル コンコードボールルームにて 2001.6.28
「ずっこけ 」・・酔っ払いが、居酒屋で看板だと言われてもなかなか帰らない。そこへ迎えに来た熊さんが勘定を払って連れ出したが、途中で小便をするわの大騒ぎ・・
「居残り佐平次」・・初対面の四人と品川の遊郭に遊びに行った佐平次。散々騒いだ挙句に、四人を帰して自分は居残ることに・・酒の相手ができて面白い佐平次は、やがて客の評判となるが・・
佐平次の生き様が、好きで好きで堪らない談志の陽気な高座。


「立川談志独演会」なかのZEROホールにて 2002.2.15
「松曳き」・・粗忽者の殿様は、庭の松が気になって仕方が無い。家老の三太夫と松曳きと相談しているところに、国許から書面で殿様姉上死去の知らせが。大慌てする三太夫だが・・・。
「野ざらし」・・隣の隠居・緒方清十郎を尋ねて来た若い娘が、気になって仕方がない長屋の八五郎。どこの誰だと聞けば、隠居は釣りの帰りに見つけた野ざらしの髑髏の幽霊だと言う・・

「高座五十周年、立川談志」東京芸術劇場 2002.9.5
「子ほめ」・・長屋の熊さんが、隠居に世辞の言い方を教えてもらう。赤ん坊の生まれた仲間に世辞を言って、ただ酒にありつこうって魂胆なのだが、どうにもトンチンカンな世辞になり・・
「粗忽長屋」・・浅草は雷門、行き倒れの身元を調べている役人に、粗忽者の八っつあんが死骸は隣人の熊だと告げる。しかも、死骸は行き倒れの当人に引き取らせると言うのだが・・。

5立川談志 掲示板:2011/11/23(水) 18:00:28
繊細な心持った暴れん坊 立川談志さん「死んだら喜ぶやつがいっぱいいる」
ttp://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/11/23/kiji/K20111123002093650.html
 繊細な心を持った暴れん坊―。亡くなった立川談志さんは、才気にあふれた古典落語家として活躍する一方、痛烈で毒のある言葉で落語界や社会に挑み続け、反逆児としての姿勢を終生、貫いた。

 談志さんは「柳家小ゑん」と名乗っていた二つ目時代から、テレビ、ラジオで活躍。20代後半で真打ちに昇進後は将来の落語界を背負っていく人材と期待された。

 ところが「思ったことをすぐ口にする生き方」のせいか脱線もしばしば。テレビ番組の発言で抗議を受け、参院議員になってからも“放言”を連発し「大衆の声を代弁している落語界のために頑張りたい」という願いを果たせないまま、政界から身を引いた。

 復帰した落語界でも真打ち制度などで幹部と対立。落語協会を脱退して立川流を創設し、弟子たちを厳しく指導した。

 突っ張った生き方の背景にあったのは、落語に対する人一倍の愛情。「いろんなことをやっているのはすべて寄席に客を呼ぶためだ」と話し、定期的に「ひとり会」と題した独演会を開き、芸を磨く場を確保した。

 がんを公表したのも「ひとり会」の高座。その後の記者会見でも「おれが死んだら、喜ぶやつがいっぱいいる」と発言するなど、常に言動が注目される落語家だった。

6立川談志 掲示板:2011/11/23(水) 18:00:42
(*) 立川談志「人生、成り行き―談志一」(新潮文庫)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4101343357/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&tag=heartlinks-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4101343357
立川談志。そのセンスと頭脳で落語に革命を起こし、優れた弟子を世に送り出した、まさに至宝である。五代目柳家小さんへ入門、寄席・テレビで人気を得、時代の寵児となる。政治の季節を過ごし、芸に開眼。落語協会分裂騒動ののち、自ら落語立川流を創設する―。談志が、全幅の信頼を寄せる作家・吉川潮に、波乱万丈の人生を語り尽くした。弟子代表・志の輔との対談も収録。
<内容、目次>
第1回 落語少年、柳家小さんに入門する
第2回 “理不尽な世界”の前座修業
第3回 二つ目小ゑん、キャバレーを席捲す
第4回 結婚、そして先を越された真打昇進
第5回 だから政治家になってみた
第6回 選挙くせものこわいもの
第7回 この時、芸に“開眼”した
第8回 落語協会分裂、立川流創設へ
第9回 談志落語を自己分析すれば
第10回 落語家という人生―ゲスト/立川志の輔

7立川談志 掲示板:2011/11/23(水) 18:01:09
(*) 立川談志「現代落語論」(三一新書)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4380650073/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&tag=heartlinks-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4380650073
著者:立川談志

1965年に記された立川談志師匠の著書が復刻。

<内容、目次>
その一 落語の観方聞き方。
噺のおもしろさ。 落語の落げ。 「地口落ち」。 「考え落ち」。 「見立落ち」。 「幽霊落げ」。 落げの演出法。 噺のスター。 笑い三態とギャグ。 ケチはケチなりに、泥棒は泥棒なりに。 間抜けの楽しさ。 寄席のエリート。 講談と落語。 落語のルール。 郷愁と夢。 素朴・正義感・四季。 艶笑落語。 艶物復活。 女性は艶物がお好き。 艶物の演出法。 廓噺について。 色物について。 音曲について。 

その二 真打になるということ。
浅草松竹演芸場。 映画『大平原』に感激。 多摩川園劇場。 少年講談。 寄席通い。 はじめて志ん生を聞く。 三遊亭歌笑の死。 落語は非行化を救う。 みっともないから、ヤメテクレ。 真山恵介さんとの出会い。 小さん師匠の家。 小よし誕生。 ふしきな世界。 前座・二つ目・真打。 前座の修業。 ワリの話。 楽屋帳の話。 落語の題名について。 出番のやりくり。 予備出演ということ。 師匠を真似ること。 バケた林家三平。 イジられる話。 楽屋で博打はご法度。 鯛焼に泣く。 怒鳴られる奴ほどものになる。 初高座。 無言のルール。 噺のケイコ場。 月謝なしに噺を教わる。 十八歳で二つ目になる。 自分の落語をつくりだす。 湯浅喜久治とのこと。 古典落語のセンスとトピック。 妙な現代化はやめよう。 若手落語会。 春風亭橋之助のこと。 若手落語会の崩壊。 若手試演会のこと。 東宝若手勉強会をクビになる。 落語錬成会のこと。 ウエストサイド物語に感動。 アスティアにサインをもらう。 タップダンスに熱をあげる。 噺家とモダンジャズ。 噺家芝居。 大阪へ出演。 石井均と松竹文化演芸場。 梅田の花月。 西条凡児の漫談。 真打の声がかかる。 五代目立川談志の誕生。 オレは真打だ。 

その三 昔の噺家・今の寄席。 
柳亭左楽・桂文治・三遊亭円歌のこと。 謳いあげる春風亭柳好。 落語ライブラリーの計画。 ツバナレと入れかけ。 三河島まつみ亭。 千住の栗友亭・神田の立花亭。 木馬館と麻布十番クラブ。 川崎演芸場のことなど。 噺家に受けない麻雀。 はじめての独演会。 村田英雄さんの浪曲。 「二人のシャンソン歌手と一人の落語家」。 「女は風船そよ風まかせ」。 楽しい夜のショー。 安上り勉強法。 寄席ブームと「談志ひとり会」。 

その四 観客・芸・人気ないしは笑について。 
労音という名のお客。 アートシアターという寄席。 噺家の演出と創造。 古今亭志ん生の芸について。 愛される芸人とは。 人柄と芸のきびしさ。 落語の超越した笑い。 落語の笑いとギャグ。 古典落語は泣いている。 スパゲッティの伴奏。 客席のエチケット。 笑わせない工夫。 いい笑いを教える。 落語はどうなるか。 

その五 わたしの落語論。
新作落語は落語ではない。 上方落語と大阪の寄席。 テレビ落語。 落語家が売れるということーマスコミと落語。 落語一筋は昔のこと。 わたしたちの前にはマスコミがある。 二足の草鞋ははける。 落語は果して大衆的か。 芸の保護と大衆化。 器用でないと生きられない。 貧乏は芸を滅ぼす。 無料でも客は客。 現代の落語家

8立川談志 掲示板:2011/11/23(水) 18:02:07
(*)立川談志 インタビュー( 2010年07月27日)
ttp://tower.jp/article/feature/67990

立川談志の高座を収めたDVD『立川談志大全』にまつわる話

「芝浜」のこと

──お久し振りです。私は今年になって入院されてる間、DVDの編集をずっとやっていたので、毎日声は聴いていて、いつも家元と一緒にいた様な気がしてますけど。

立川談志 :編集って、切ったり貼ったりするの?

──DVDはそれができないんですよ。絵が飛んでしまいますからね。収録場所がさまざまで、ホールの響きも違います。その響きは生かしつつ、最大公約数でレベルやら声の聞こえ方を平均化するんです。それと、私が録らせていただいたのは、2003年からですから、その頃から、声の調子がその日によって良かったり悪かったりする。それを聴きづらい声にならないように直していくんです。画面の中でもさかんに「ごめんね。こんな声で」みたいなことをおっしゃっている。

立川談志 :今の映像ってのは、どの位置から撮っているわけ?

──一番後ろですね。

立川談志 :すると、この間の「芝浜」も一番後ろから撮って、あのくらいになっているわけだ。それをテレビで観る事もできるわけだ。ホォー。

──私なんか、いつも後ろか横で聴いてますから。正面から見てないんです。あの「芝浜」も今回の映像で初めて観たんです。あの時はヘッドフォンから流れてくる客席の空気に凍りついてました。

立川談志 :そうね。俺も凍りついちゃったけど、客席もそうだったね。

──そうなんですよ!だからアレはノーカットで全部はいっていますよ。枕の導入からね、最初は客席もわりとゆったりとしていたのが、本編に入って、女房の演出がいつもと違うっていうところに来たときに、お客さんが引き込まれていく雰囲気が、私は音だけしか聴いていないんですけども、感じたんですよ。もちろん自分も感じているんですが、それが、客がじーっと聞き入る空気があって。その瞬間に、これはすごいことになったかもしれないって。

立川談志 :(写真家の)橘君もシャッター押せなかったって言っていたけどね。

──そういう雰囲気でしたよ、この「芝浜」は。その空気は、DVDで見る人でもわかると思うんです。
あのシチュエーションを変えたっていうのは、出番前に考えていたんですか?

立川談志 :いやいやもともとね、「芝浜」の原作っていうのは、人情噺みたいで嫌で、女房が亭主のためにやったんだっていうのがみえみえでね。「私のやったことは悪かったかね、悪くないよ」っていっているけど、そのバックには「どうだ」といわんばかりみたいな了見もみえないことはないんでね。それが嫌なんで、全部自然にそうなっちゃったんだという演出には変えていましたけどね。だけどあの時の事を具体的にいうと、女房のほうから「私お酒飲む」って言い出したのは、あの場の感情注入っていうかな、勝手に言い出したんだ。だから落語の神様が降りて来た様だと。

 (以下、続く)

9立川談志 掲示板:2011/11/23(水) 18:02:32
──あと、女房の性格を変えたじゃないですか。かわいいだけの女房じゃなかったですよね。

立川談志 :いや、前の女房はね、かわいいっていうより健気な女房でね。あんまり好きじゃなかったんだよね。

──本来だったら私もこの間の女房の演出のほうが家元が好きなタイプなんじゃないかと。

立川談志 :うん。そうだと思うよ。だってあんなことされたら、普通だったら下手すりゃ、女こしらえるよね。(笑)あんな立派な女じゃたまらないってんでね。

──あれは、もう一度やれといわれてもやりにくいですよね。

立川談志 :出来過ぎただけにもうやりにくいねぇ。それと、ふっと考えてやったことはニ度目にやるともうふっと考えたことでなくなるから、それにもう飽きちゃうわけね。


──町田の「居残り佐平次」は帰っちゃう事件未遂の時のやつなんですが、帰らなくて良かったかと。

立川談志 :あの時は久し振りに帰りたくなったね。でも戻ってあの「居残り」だろ。どうなるかわからないもんだね。ま、「居残り」と同じ全て成り行きって訳。人生成り行き。いや、帰ったことはよくあるね。いろんな理由で。「こんな下手な漫才の後には上がれねえ」って帰っちゃったり。その時は放送ですけどね。その時上がってた奴ってのが「のいる・こいる」なんだ。こないだ「おまえら俺が帰ったの覚えているか?」って聞いたら、「覚えてます」って。あのくらいはギャグになるんだ。それから俺の独演会っていうのはね、俺しかでないんだ。他の人みたいに前座を使わない。俺が行かなきゃ始まらないわけね。北海道放送、札幌でね、遅刻してとっくに定刻を過ぎているの。客席のドア開けてね、俺がね「早く始めろ、このヤロー!」って言ったんだ。周りは驚きやがってね。(笑)

 (以下、続く)

10立川談志 掲示板:2011/11/23(水) 18:02:57
──そういうの、いいサービスですね。(笑)いや、サービスかな?(笑)

立川談志 :ずいぶん、帰っちゃったな。三越落語会ってのがあってね、前のが延びて随分遅れちゃったから、師匠の前で休憩とりたいんです、っていうから、嫌だ、俺は早く上がりたいし、客の食事を遅らせりゃあいいじゃないかって。聞きたくなきゃ落語なんておっぱらかしていくだろうし、そんなもん嫌だって言ったら、なんとかしてやってくれっていうし、嫌だっていうんで、着物をたたみはじめたんだ。そうしたら三遊亭圓遊師匠(先代)が驚いてね、芸人のくせに頼まれた仕事を平気で放り出して帰っちゃうなんて、初めてみたらしい。もっとも、この人は幇間持ちもやっていたせいで、余計驚いたのかもしれないけどね。その後で、柳家小さん師匠がここに出ることになっていたのだけど、ダメになったので、代わりに談志を出させますといったら、向こうが「頼むからあの人だけは勘弁してくれ」って。「お前、断られちゃったよ」って小さん師匠に言われたけどね(笑)。俺の代わりに師匠が行ったこともあったね。粋なもんだろって言ったんだよ、鈴本に。弟子の代わりに師匠が来るなんてのはね。そうしたらね、「そうはいうけどね、あなたね。林家三平さんが休んで、橘家円蔵さん(先代)が来るのは困ります」って。(笑)そりゃあ、そうだよね。師匠が売れてればね。(笑)
シャレで俺の代わりに、今の里う馬、前座の談十郎をおくったんだよ、二つ目になってたかな。いいでしょう。師匠の代わりに前座が深いところに上るなんていうのはって言ったら、冗談じゃないって鈴本が文句いってたよ。シャレにならないって。なるだろ、って言ったら我々の世界で「シャレがきつすぎる」ってヤツね。「シャレがきついよ」って。

──小さん師匠が行くときって、快く行ってくれたわけですか?

立川談志 :そうだね。親子関係みたいなもんだったんだよ。俺が泊まると、ふとんの四隅を押さえてくれるような人。だからなんでも言えた。喧嘩なんて年中だよ。師匠に平気で小言言っちゃうしね、「うるせえや、どうのこうのって」「うるさくねえや」。でね、どっちが受けるの受けないのとかでね、「じゃあ二人会やろう」って。「俺と二人会やったら、師匠やる前に客は全員帰っちゃうよ」って。讒謗だよね。(笑)「うるせえ、馬鹿野郎」って。流石にね。俺のことなぐってね。なぐるったって、ちょいと頭はたくくらいですけどね。そのくらいの間柄だからね。何でも言えたしね。何でも言えるような状況を俺が作ったつもりでいたわけよ。

 (以下、続く)


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