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【アク禁】スレに作品を上げられない人の依頼スレ【巻き添え】part6

821名無しリゾナント:2017/01/29(日) 13:53:35
光源が近づくにつれ、瞬きの間隔は広がってゆく。
まずい。早く辿り着かないと!! 必死の思いで、肺を絞るように駆ける美希が見たものは。

「あれ、ずいぶん早かったなあ」

最初に見た時と同じ、柔らかな笑み。
暖かく、そして甘いミルクティーのようなその表情。そしてそれとは反比例するような、瞳の色の冷たさ。

「もうちょっと遅かったら、こいつに『とどめ』のちゃぷちゃぷやったんやけど」

ピンク色の看護服に身を包んだ女の、足元には。
文字通り血に沈んだ、春水の姿があった。

「春水ちゃん!!!!」
「く…来るな…や…あん…たは、逃げ」

喘ぐように言葉を出そうとする春水、しかしその頭を女が無情に踏みつけた。

「こいつが悪いんやで。『あの子』に届こうなんて、身の程知らずのことをするから」
「今すぐ!!春水ちゃんを離しなさい!!!!」
「ま、楽しい殺人ショーや。ギャラリーが一人くらいおっても、ええかな」

美希の言葉などまるで届いていないとばかりに、懐から数本のナイフを取り出す女。
女の能力は、「磁化」。磁石化された春水の体にナイフが落とされたら。磁力の力で深くえぐり込まれるナイフ。飛び散る鮮血。
そのヴィジョンは。美希の感情を激しく昂ぶらせる。

「Free her(彼女を離せ!!)!!」

走る紫の電撃。
空を裂く勢いの光線に、思わず後ずさる女。

「…死体が、一つから二つに増えるだけ。そう、思わへん?」

女の笑顔が、消える。
瞳の色と。体を流れる液体同様に冷たく、感情のない顔。
流れ込む悪意と殺気に、思わず美希は身を震わす。
だが、ここで退くことは、春水の死を意味する。
「機構」きってのエージェントである美希でも経験したことの無い、修羅場が今、幕を開けようとしていた。

822名無しリゾナント:2017/01/29(日) 13:56:30
>>808-821
『リゾナンター爻(シャオ)』番外編 「煌めく、光」 
後編はまたのきかいに

今日は狼には転載できなさそうです
代理していただけると爻、とってもうれしいですw

823名無しリゾナント:2017/01/29(日) 19:05:19
転載行ってきます

824名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:28:13
 では あとの事はお願いします 生田さん
 すみません 同じサブリーダーなのに私が先だなんて
 もしも薬の効果が中途半端に切れてでもした時は生田さんの
 チカラでしか抑える事は難しいと思って…
 や 大丈夫ですよ なんならレアでもミディアムでも…
 ごめんなさいごめんなさい冗談ですひぃ 本気で焼かないでっ
 ……でも本当に お願いしますね “次の私とも”それなりに
 接してあげてください ではまた


連続殺人犯は短命だ。
何故なら最後には逮捕されるか、精神が崩壊して自殺する事が多い。
多いとはいえ、結果が分かっている場合だけで、ほとんどの事件に
倣えばほとんどは未解決のものとして過去に流れていく。

カウンターの上に接続されたパソコンの画面を見て、春菜は顎に手を、肘をつく。
喫茶店内の窓を横切るのは通勤する背広姿や学生。
『リゾナント』のある十四区より東にある第十八区、十九区は全年齢共通の
教育機関が設置してあり、第二十区は新暦を迎える以前に設立された
ベンチャー企業群が連なり、今では二十三区まで拡大している。

二年前の日本壊滅から、二年の歳月で他国の支援を得ながら
システム機能を少しずつだが回復の兆しを見せている。
本来東京が存在した地域に新たに設立した共同復興都市『TOKYO CITY』
その裏ではリゾナンターの志に賛同した後方支援部隊の活躍による所が
大きいという話だが、彼らはその姿を見せずに未だに行方をくらましている。
今でも各地区でひっそりと活動しているらしいが、真意は不明のまま。

825名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:30:10
朝早くからの経理手続きや仕出しの手配を終えて、春菜はネットによる
各地区の動向を探っていた。主に掲示板やチャットだが、馬鹿には出来ない。
壊滅した後の日本であっても、ネットに依存してきた月日を考えれば
こんな便利なシステムを簡単に手放す訳がない。

“隠れ蓑”である喫茶『リゾナント』での情報収集力は先代から受け継いだ
ネットワーク網を介してであり、信頼する”情報屋”よりもその性能は
良くないが、見過ごせないものも確かに文字として、事実として映る。

 『また第七区で殺人事件だってよ』
 『あそこは珍しくないじゃないか。あそこは黒社会の入り口。
  ま、昔宗教集団が起こしたバイオテロ事件の方がよっぽど凄いけどな』
 『生体実験もしてたってホントかな?ドンが酔狂してたって』
 『どんだけ地球嫌いだよ』
 『国一つ沈めようとしてた奴らがなんで西を牛耳ってるんだ?』
 『詳しい事は未だに政府が黙ってるから分かんねえよなあ。
 誰が黙らしたのかも知らねえし』
 『お前らまたその話してんの?何スレ立てたと思ってんだ。
 『半年頑張ったけど結論でなかった悪夢再来』
 『残り火がなにしようが東に来なきゃどうでもいい』
 『二十二区はヤクザの頭が背負ってるって話だぜ』
 『マジかよ。俺の兄貴が働いてんだけど』
 『兄貴カワイソス。転職勧めてやれよ』
 『お前ら誰か乗り込んで来い』
 『指名手配犯にもならねえから野放し状態』
 『法律なんてそんなもんだよな。日本壊滅フラグキター?』

 来させないっつーの

春菜はため息を吐きながらパソコンを閉じた。
関心や興味のない者達が集まった所で真実には辿り着かない。
だが不幸の味は蜜の味。
楽しみを失った人間は卑下する為に満たされようとする。

826名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:31:28
情報を与えるのは楽だが、不幸を撒く行為だけはしたくない。
こうして網に引っ掛かるだけの魚で居てくれた方が良い事もある。
そこまで考えて、苦笑した。

自分も同じじゃないか、春菜の鼻孔にコーヒーの香りが刺激する。

 「またそんなの見てんの?」
 「情報を集めるには一番効率いいんだよ」
 「ガセも多いけどね。あまり真に受けないことが吉よ」
 「占いでも始めた?」
 「一回千円」
 「地味に現実的な金額ね」

亜祐美がカウンターの椅子に腰を下ろし、マグカップを傾けた。
凛々しい眉に瞳は狼と悪戯っ子が同居した様な印象を受けさせる。
受け取ったマグカップのコーヒーは砂糖入りで甘みがあった。

 「でも学生生活の時ってさ、周りの情報だけが頼りだった所ない?」
 「ああうん、分からない事もないけど」
 「今も平行線な気がするんだよね。
友達や街の人達に気持ち悪いやつだと思われない様に、とか。
  明るく楽しい人を演じて、空気を維持したり、とか。
  将来の夢の心配とか、家族事情も空気を読まない話にしない様に、とか。
  あ、言っとくと私じゃないからね。周りがそうだったって事だから」
 「でもリゾナンターになったのも学生の頃だしさ、よくもったなって思わない?」
 「今思い出すとね、目標があったからだと思うよ」

827名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:32:24
 他人を虐待する学生は相対的に目標が遠ざかる。
 何も目標がなくて日々が退屈な獣たちが強制的に詰められた檻では
 生き残るための共食いが行われるからだ。
 
 「社会人になってみて分かったのは、学生時代とは比べものに
  ならないぐらいの我慢大会がそこら中で行われてるって事。
  …どこかの親が女の子一人での外出に何も言わない事と同じ。
  親としては成績が上がって進学実績を出してもらえるか、芸能界でも
  入って自立してもらえればどうでも良かったのかもね。
  でも、今は感謝してるみたい」

過剰な干渉を見せずにやりたい事をさせてもらっている。
知識や精神を、好き嫌いを洗脳されなかった事でこうして生きている。
それがきっと相対的に得られたこその祝福だと思った。

 「あれ、なんか私達、らしくない事話してる?」
 「今更かよっ。……私もなんか軽く語っちゃってた気がする。
  はは、ここ最近昔とか思い出さなかったのに、なんでだろ」

グイッとマグカップの中身を飲み干し、春菜は背伸びをした。
その顔は少しぎこちない。落ち着かない様に髪を掻き下げる。

だがそれも無駄だと理解したように、春菜は笑った。

828名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:34:11
 「ま、いっか。そういう時もあるよ。でもさービックリしたよね」

  鞘師さんが外国留学して一年、鈴木さんが福祉関係の仕事がしたいって言って
  もう半年が経つんだよ。早いもんだね。

 「最近はあんまり連絡来ないけど、忙しいんだろうし気長に
  待ってようかと思って。今頃なにしてるんだろうね二人」
 「外国かあ。遠いね」
 「でも、元気にしてるだろうから心配いらないでしょ」
 「心配は全然してないけどね、まーちゃんが最近よく気にしてるから」
 「まーちゃん、もう熱は引いた?ごめんね、私もお見舞い
  行きたいんだけど……」
 「何言ってんの、マスター代理なのに風邪で寝込んでる子の
 お見舞いなんてリスク高過ぎだから」
 「じゃあ、今回も何か持ってってあげてくれる?」
 「そのために来たのを今思い出したわ、ご馳走様」
 「今日は何を持っていく気?」
 「そうね、軽いものっていったらやっぱりパン?」
 「パン好きだねー」
 「お母さんが好きだったのものだからねーま、あれほど
  美味くはないけど、食べれないことは無いから全然」
 「あ、昨日のおかずの残りあるからお惣菜パンにする?」
 「なんでも持ってきて、挟めば全部惣菜パンだから」
 「雑だな〜」

それぞれマグカップを持ちながら厨房へ入ろうとすると
カウンターに置かれていた春菜の携帯に着信が入る。

829名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:34:44
 「あゆみん、ちょっと画面見てくれる?」
 「え?いいの?」
 「いいよ。その携帯は殆どメンバーだけだから」
 「じゃあ全然見るけど、えーと………あ、どぅーだ」
 「出てあげて。今冷蔵庫開けてるから」


工藤遥は第十五地区のマンション群で佐藤優樹、小田さくらと共に
過ごしている筈だが、何かあったのだろうか。
今から会いに行くのだからどんな惣菜がいいか聞いた方が良いだろう。

 「あ、どぅー?今はるなん手が離せないのよ。
  うん、今ちょっとお店に寄ってんの、ねえ差し入れにさ
  パンにしようかと思ってるんだけど中身とか…え?
  うん、うん……………え?尾形と野中が、居なくなったあ?」

春菜が厨房から顔を出し、その表情には困惑が浮かぶ。
亜祐美の表情は強張り、指示を出すと慌てたように電話を切った。

 「二人が昨日から帰って来てないって」
 「昨日!?なんですぐに言わなかったのよ…」
 「とにかく話を聞きに行こう、あ、生田さんにも連絡しないと」

第十六区に居る生田衣梨奈への連絡はすぐに繋がった。
用意していた材料を再び冷蔵庫に入れて裏口から外へ出る。

二人が走り出す姿の背後に静かに佇み、蠢く闇はすぐに消えた。

830名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:36:55
怪しいと感じたのはその錠剤の形状、色、そして匂い。
全てにおいて小田さくらはその薬がどんなものかを知っている。
ダークネスが幼い子供達を”手懐ける為”に開発したものであり
さくらや牧野真莉愛、羽賀朱音は効果を試薬された被験体だった。

 精神系異能者の手によって精神を支配、干渉する為の
 微細な成分が調合してあり、それによりまだ
 異能の制御が甘い子供達に何度も服用させては”洗脳”して
 都合のいい実験体を作り出していた。
 依存症はないが副作用による精神異常を来す者も多かった。
 だが稀に、異能として発現する者が居たのも事実だ。
 真莉愛のようなドーパミンにも似た『覚醒物質』を与える事に特化したり
 朱音のように痛覚を遮断する『制御法』を会得する者も居た。

真莉愛と朱音は精神的にも不安定な部分が多々あったり、身体的な
発達にも影響を与えていたが、今では落ち着きつつある。

そういえば一人、不可思議な女の子が居た。
他の子供とは違い、まるで”自分の意志でそこに立っている”とでも言う様な。
『鏡使い』と言っていたが、そのチカラは念動力のようで。
発火能力のようで。風使いのようで。水使いのようで。発電能力のよう。
多種多彩が混じり合って朱色から黒へ変換されていくような。

決して混じり合えないもの。
不気味な気配と共に佇んでいた彼女の隣に微かに見えた”穴”。
あれは一体何だったのか。もう一度再会した時に聞いてみたいと思っていた。

831名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:37:38
―――どうして今こんな事を思い出しているのだろう。
これに頼る”時”を迎えたからなのか、胸騒ぎが、止まらない。
錠剤をケースに入れる。処分する事を決めかねていると。

 「お団子ー入るよー」
 「それは入る前に言うセリフですよ佐藤さん。開けるのと同時じゃ意味ないです」

振り返ると同時に机の引き出しにケースをしまい込む。

 「はいはい。よいしょっと」
 「ちょ、当たり前みたいに布団の上に、しわが出来ちゃうから…。
  そういえば佐藤さん。工藤さんが熱冷ましの薬に飲んでないの怒ってましたよ」
 「お団子が飲んどいて」
 「それじゃ意味がないので。フォローするのも限度があるんで」
 「むー!てかもう前の前の日に治ったって言ったのに!」
 「ちゃんと処方してもらったんですから全部飲まなきゃ。
  ていうかこんな所でのんびりしてていいんですか?」

さくらが人差し指で扉を示す。黒い影が覗いていたかと思うと
おどろおどろしく片目を黒髪で隠し、揺れた言葉が響き渡る。

 「まーーーちゃーーーんーーー?」
 「脱出!」
 「小田ちゃん!」

フィンガースナップ。『時間操作』により巻き戻された佐藤優樹の
『瞬間移動』は簡単に容易に妨害されてしまった。
一瞬何が起こったのか理解できなかったが、瞬時に佐藤の睨みが
小田を射抜くが、見て見ぬ振りをする。

832名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:39:07
 「逃げんな!ぶり返したらまーちゃんが苦しいんだぞ?」
 「もう治ったってば!熱だって計ったら問題なかったし!
  どぅーの作ったあんまり美味しくないご飯だって食べれるしーっ」
 「はあー?まーちゃんだって同じようなもんだろ」
 「ちょっと佐藤さんやめ、ベットで飛ばないでー!」

優樹はこの二週間、寝込んでいた。絶対安静で。
肺炎によって気管に炎症を患っていた為、喋る事も困難だったほどだ。
病院で入院する事も考えたが、優樹が家に帰りたいと愚図ったのを
考慮してもらい、自宅療養してつい先日、ここまで回復したという訳である。

それぞれは部屋を設けてもらい、実質ルームシェアという形で
マンションを居住区としている。ちなみに隣部屋は春菜と亜祐美が共有している。

 「でも私の記憶違いでないなら、佐藤さん泣きながら工藤さんのご飯食べてましたよね」
 「美味しくなかったから泣いたの!責任とってよね!」
 「じゃあまたご飯作ってやるよ」
 「それはもう良い!てか何言っちゃってんの?なんで居るの?」
 「ここ私の部屋ですよ佐藤さん」
 「今どぅーと喋ってんの!だーさくだかさくらんぼーだか知らないけどあゆみんと言い合ってな」
 「ここに居ない人をディスるのやめなよ。
  …別にご飯のうまいマズイはいいんだって、自分でもよく分かってるから。
  でもやらなきゃいけない事はちゃんとやらなきゃダメだって事が言いたいのハルは。
  いつかもっとヒドい怪我や病気になるかもしれないんだぞ?」
 「そうですよ佐藤さん。工藤さんの言いたいことも分かりますよね?」
 「……わぁかったよぉー」

渋々だが最後には理解してくれる。
愚図ると分かっているから遥もさくらも始終の事柄に大きな声は上げない。
猫型のクッションに当て付けるように掌を振り上げてるのは気が気じゃないが。

833名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:39:50
 「じゃあ今日はまーちゃんが食べたいもの食べようぜ。何がいい?出前?」
 「別になんでもいー」
 「それが一番困るんだけど、何もないならまたハルの美味しくないご飯だからな」
 「別にいーよ……それで。まさも手伝うから」
 「じゃ、じゃあちゃんと美味しくなるように味見してよ?」
 「…しょーがないなあ。ホントに手間のかかる子だよ」
 「でかい顔できるのも今のうちだからな。まーちゃんの味見で
  美味いかマズイか変わるんだぞ」
 「じゃあやんなーい」
 「じゃ、まーちゃんだけ朝ご飯はおあずけだな」
 「…どぅーなんてだいっきらいっ」

結局は優樹の嫉妬心による所が大きいのだが、その心が向う先は
彼女への愛深きものなのも周知の事実である。
目の前で揉め合う二人を背後に皺の寄ったベットと暴れた拍子に落ちたぬいぐるみ。

 「あのー痴話喧嘩なら片付けてから始めてもらってもいいですか?」

朝食を済ませた後のブレイクタイム。
昼には亜祐美が様子を見に来るという事で何が言いかと思案していた。
玄関のチャイムが訪問者を告げる。

 「石田さん、じゃないですよね。いくらなんでも」
 「どぅー出番だよ」
 「粗いなあ」

834名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:40:43
優樹に背中を叩かれ、遥はリビングの扉に視線を向ける。
『千里眼』の発動に暖色の煌めきとピーナッツ型に瞳孔が変形。
視覚的物質無効化と透視で玄関先に立つ誰かを視た。
同時に呆れたような、困惑した顔を見せる。

 「まりあが号泣して立ってんだけど、どうする?」
 「そのままにしたらご近所に怪しまれます」
 「だよなあ、ちょっと出てくる」

遥が扉を開けたと同時に牧野真莉愛の泣き声と慰める声が辺りに響く。
リビングに遥に肩を支えられた真莉愛と背後から羽賀朱音が顔を出す。
今日は休校のはずだが、朱音と真莉愛は制服姿だった。

 「まりあのせいでーっまりあのせいでーっ」
 「ちょっと落ち着きなよまりあ。ほらティッシュ。お茶飲みな?」
 「うぅ、ぐ、あい……」
 「どこの泣き上戸のじっちゃんだよ…何があったのさあかねちん」
 「その、簡単に言うとはーちんと野中ちゃんが行方不明なんですよね」
 「はぁっ?いつから?朝?」
 「昨日の夕方から……」
 「昨日!?なんでもっと早く連絡しないんだよ」
 「確かあかねちんは書道の合宿に行ってたんだっけ」
 「はい。帰ってきたらまりあちゃんが居なくて、そしたら
  こんな状態で帰って来てどうしようと思ってここに」
 「お前まで行方知らずになってんじゃないよーもー」

835名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:43:00
 「う、気がついたら菜園場で寝てました。ごめんちゃいまりあ」
 「そこで茶化さない。菜園場って里山?」
 「違います。学校の、お茶畑でずっと摘んでました」
 「え、まりあも合宿か何かだったの?」
 「いえ、部屋に居ても落ち着かないし、探しに行っても誰も居ないし。
  作業してたおばちゃん達のお手伝いを。昨日と合わせて40キロも摘んじゃいました」
 「記録更新してるし、てか一人でそんな事してたんだ…いや違くて。
  で、で。それがなんでまりあのせいになるの?」
 「昨日菜園場に向かう途中で二人に会ったんです。先に帰ったはずなんです。
  なのに連絡がつかないし、あかねちんも居ないし、工藤さん達に
  迷惑かけたくなかったし、怒られる前に見つけようと思って…」
 「まりあ…でもお茶摘んだのね」
 「うう、他にもたくさん収穫してから大変そうでつい…」
 「まりあさあ……あ?」
 「牧野、顔を上げて」
 「うえ?ぅぷ……」

遥の声を遮る声に真莉愛が顔を上げると、優樹がタオルを彼女の顔に押し付けて拭った。
拭い終えると頬を引っ張って、ジッと視線を交える。

 「いたいれふ、さおうはん」
 「泣き止まないとこの十倍の力で引っ張るよ」
 「ほめんなはひほめんなは」
 「牧野が本気なのは分かった。探すよ、一から」
 「……はい」
 「まりまーでしょ!」
 「はいっ、はいっ!佐藤さん!ついて行きます!」

真莉愛の泣き顔にそれだけを言って、優樹は頬を離した。
さくらと遥に視線を向けると、パンッ、と両手で乾いた音を鳴らす。

836名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:43:40
 「って事でそっこーで探したいんだけど、これ以上なんかある?」
 「……ま、その通りだな、はるなんに連絡してくる」
 「あかねちん、とりあえず着替えてきな」
 「あ、はい。まりあちゃんの服も持ってきます」
 「まりあももう泣かないの。お腹すいてる?おはぎ食べる?」
 「あ、え、い、頂きます…」

さくらに差し出された市販のおはぎを無表情のまま食べ続ける真莉愛の背後で
脱衣所の洗濯機にタオルを投げる優樹にさくらが声を掛ける。

 「ありがとうございます佐藤さん。空気変えてくれたんですよね?」
 「落ち着かないんだよーああいうジメジメしたの。
  雨降ったみたいに気持ち悪いの嫌いなんだよね、外で遊べないし」
 「なら晴れてる内に探しましょうか。今日で見つかりますかね」
 「見つかるまで探せばいーんだよ。どぅーにも言っといて。
  あ、やっぱいいわ、まさが言うから言わないで」
 「分かりました」

記憶の差異はあるが、優樹の根本的にある起因は変わらないようだ。

 「なに笑ってんの。さっさと準備っ」
 「佐藤さんもしなきゃダメですよ」
 「今しに行くんだよーだ!」

試薬を作るのにどれだけの異能者が関わり、被験者が居たかは分からない。
だが製作者の中で一人でも「子供達に救いを」と願ってくれていたなら
例え重い罪でも微笑んで許してしまっただろうか。

考えて、さくらは静かに苦笑した。

837名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:44:35
街角の大画面では報道が流れている。
報道官は三日前の興業支社襲撃事件を都内で第一事件と報道していた。
二十七人が殺された事件に住民が不安がっている。
街を行く人々は「最近は物騒になった」と言っては娯楽として消費するか
そもそも無関係だという顔で歩いていく。
第十区から西側の映像も放送されていた。
街宣車が通り、道を行く人々のうち何人かは息を飲む。
車体には興業の名前や愛国の文字が並び、それは組織が復讐に
動き出した事を示していた。
強化ガラスの窓の向こうの運転手は血走った目で街を見渡している。
助手席の男の顔には歪な傷跡が無数にある、カタギの顔ではないだろう。

ああ、戦いは終わりを知らずにまた始まるのだろう。

陰惨な事件は解決しようとする人間、聞いて知った人間を蝕む。
普通の人が信じる平和で、秩序によって整頓された世界をそのまま信じてほしい。
西側も別の意味でも秩序であるならそれを信じてほしい。

けれど信じるだけじゃどうにもならない事も世の中にはある。

 「おはようございます生田さん。朝から運動なんて精がでますね」
 「おはよう。どう?情報屋の端くれになってみて」
 「日々勉強中です、あ、オムライスご馳走様でした。
  クールなのに優しい二面性がやっぱカッコいいですね」
 「素直に受け取っとくよ。で、事件の情報とかある?」
 「十区から凄い騒ぎですよ。第七区は警察の車で侵入禁止になってます」

838名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:45:21
警察官の群れは殺気だって武装する男たちを制止する。
組織の上層部たちが入れろと言えば、警察官は入れられないという
問答を繰り返していた。

 「救急隊によればそれはもう見るもたえない人達が倒れてて
  原型を留めてないものは袋に詰めなきゃいけなかったそうですよ」
 「そんな細かくはいいから、帰ったらご飯食べてんくなる」
 「まあ簡潔に言えば、その会社を取り締まっていた若頭と共に全滅。
  見た人の中には縋りついて泣いてる人も居たみたいで。
  やり方は強引でしたけど、人柄と人望は厚かったようですね」
 「情報屋の知識を借りるとして、犯人は複数?」
 「一人です」
 「根拠は?」
 「玄関や壁には組織に所属していた人の痕跡しかありません。
  爆弾跡や弾痕、扉を破壊したのは車を使った可能性もありますが
  それにしては襲撃の目的は一人に絞っていたと考えます」
 「監視カメラの映像とか写真はないの?」
 「死体の写真なら大量にありますけど」
 「分かった。何かあったら連絡してよ。てか心強いね」
 「やー耐性って怖いですね。憧れの生田さんとお話が出来て良かったです」

帽子を深く被り、”情報屋”は人混みへと消えていった。
生田衣梨奈は鬱陶しいとでも言わんばかりに空を見上げて髪を掻き
居住区へ帰る道のりを走っていく。

帰って来て早々冷蔵庫からペットボトルを取り出して部屋に入る。

839名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:46:19
衣梨奈はベットの端に背を預けて静かにため息を吐いた。
布団に丸まって眠り続ける彼女に目を落とす。
外に散らされた黒髪に衣梨奈がしなやかに伸び、後頭部を撫でる。
呻くと彼女は態勢を変えたのか、また寝息が聞こえた。頭を軽く叩く。

 「そろそろ起きんかい」
 「んー」
 「顔洗ってくるけん、はよ起きんとご飯食べるよ」
 「んー」
 「もうしらーん」
 「んーっ」

窓から差し込む朝の光が洗面所に満ちていた。
手摺りにかけられているタオルで洗った顔を拭き、戻す。
正面、洗面所の鏡に自らの顔が映り、茶髪に黒い目の整った輪郭が見える。
いつも浮かべている皮肉な笑みも今はどこか遠い。

 「えりぽんいい?」
 「ええよ」

洗面所の扉が開けられ、譜久村聖が顔を覗かせる。
赤いフレームの眼鏡が僅かに歪んでいた。
長い黒髪の下にある黒い目がまだ眠いと訴えかけてくるが、挨拶する。

 「おはよ」
 「おはよ……あーやっちゃった。今日あそこのスーパーで
  卵の特売日だったのに、あゆみちゃんに怒られる」
 「いくら安かったと?」
 「五十円。ここから近いから買っておくねって言ったの。
  えりぽんに頼めばよかった…」

840名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:47:45
 「えりそこまで散歩で歩いてきたけん」
 「うー、あ、だからお風呂入ってたんだ」
 「汗だくなの嫌やもん」
 「お昼どうしよっか、お店にでも行く?」
 「顔見せに行けると?」
 「うん。これ以上休んでもられないからね」
 「じゃあお風呂入り。準備しとくけん」

譜久村聖も優樹と同様に高熱で倒れていた。

二週間という長い期間で運動も出来ずに窮屈な生活を送っていたが
今では表情にも明るみを取り戻している。
聖に変わり喫茶『リゾナント』は春菜と亜祐美に任せていた。
調理に携わっていた二人だからこそ心配はしていないが
常連客からの声もあってそろそろ復帰しても良い頃合いだろう。

ドライヤーで髪を乾かし、ヘアブラシで整えて髪を結える。
衣梨奈の手で彼女の髪には艶が戻っていく。
お風呂から上がってきた聖からは眠気が消えていた。

 「はーなんか、こんなに休んだの初めてかも。
  寝すぎて体が痛い。里保ちゃんよくこんなに寝てたよね。
  香音ちゃんがいつも雑な起こし方してたなあ」
 「みずきがずっと騒いでるのと一緒やろ」
 「優樹ちゃん達よりはまったりしてると思うんだけど。あ、優樹ちゃんも大丈夫?」

841名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:48:37
 「熱があっても暴れ回ってたみたいやから心配ないよ」
 「いやいや、そっちの方が心配だよ。皆ちゃんと寝かせてあげて。
  他にも何かあった?テレビとか見てないから外の事全然分かんないや」
 「あると言えばあるけど、聞きたい?」
 「聞きたい。え、聞いちゃダメなの?」
 「西の方で殺人事件が起きたと」

目の色が、変わる。安堵。彼女の色が戻ってきた。
泣き腫らして濁りきった目ではなく、リゾナンターのリーダーとして
意志を込めた目で衣梨奈を見据える。

概要を話し終えると、録画しておいたニュースなどに全て目を通して
残しておいた新聞の記事を読み、一息入れる。

 「久しぶりだね。こんなに大きい事件」
 「情報屋によると犯人は一人じゃないかっていう話」
 「一人…?これだけ一人で出来るものなの?」
 「知らん。でも出来んことはないやろ……能力者なら」
 「そっか……よし、頑張ろうか」

受け入れる。聖は記事をまとめながら自分を奮い立たせる。
“記憶の予定調和を越えた”のだ。

 「すっきりしとおね」
 「ん?うん、なんかね爽やかなの。よく寝たからかな」
 「凶悪犯やけど、もしもの時はどうすると?」

842名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:49:23
 「道重さんの決めた心を変えることはしないよ。
  絶対に死なせない。死んで終わりになんてさせない。
  たとえ重い罪でも絶対に生きて償わせる」
 「じゃ、その為にえり達も頑張るよ」
 「頼むね」
 「出来るだけやけどね。やる事はやるよえり」
 「努力努力」

握手を促され、衣梨奈は握り返す。
その時、衣梨奈の携帯に着信が入る。二件の通知。
一件は工藤遥から。もう一件は情報屋からの依頼だった。

 ―――そういえば どうして生田さんじゃなく私が?
 新垣さんなら生田さんの方が…………ああ なるほど
 うまくダシに使われた訳ですね……ふふ 大丈夫ですよ分かってます
 はあ そうですね前向きに行きましょう何事にも
 覚えてなくても覚えてることがあるならそれでいいですよね
 だって、まーちゃん達とまた話せるのが楽しみで仕方がないですもん

843名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:54:28
>>824-842
『朱の誓約、黄金の畔 - Forget about me -』

ラジオでカップリングの話があったようで興味深かったです。
ひなフェスの最終日に横山玲奈ちゃんがソロで歌うというのを聞いて
生で聞いてみたかった…。

844名無しリゾナント:2017/02/07(火) 04:00:39
『転載について』※ここは投下しないでください。

今回だいぶレスが長いのでどこかで半分にして投下してくださるととっても嬉しいです。
どうしても日常描写が欲しくてほぼ全員分書いたらとんでもない事に…。
二度とこういう無茶な事はしないようにしますので……。

845名無しリゾナント:2017/02/07(火) 04:04:44
あ、また微妙に誤字がorz

846名無しリゾナント:2017/02/08(水) 18:56:06
転載行ってきます

847名無しリゾナント:2017/02/08(水) 19:07:00
>>824-829
取り敢えず前編って事で転載済

848名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:01:17
第七区より西側はもはや闇の吹き溜まりだ。
表面はそうではないが、裏面を見ればそこら中に死体の山がある。

西と東が区分されてしまった理由は想像に難しくない。
同じ敵を仕留める、という目的のあった同種が囲めばその目的を
達する期間だけ、お互いの存在を認め合えるのだろう。
だが、その目的が達成されてしまえば、次の目的を得るしかない。
達成すれば次を、達成すれば次を、達成すれば次を。
それは欲に近いものなのだろう。狩人は獲物が居なければ生きていけない。

闇の味を知ってしまった者は欲を満たすために自身への生贄を求める。
弱者を、強者になるために消し去ってしまえという自己中心的な考えに喰われる。
そうして生き残ってきたとしても、いつかは駆逐される側となるとも知らずに。

加賀楓の目の前で一家を率いる組織の右腕が大きく深呼吸する。

黒い目には怒りと殺意が充満していた。
ダークネスの日本壊滅後、大抗争の末に三大組織と中堅組織による
平和協定を組んで均衡が保たれていた黒社会に突然訪れた嵐。
翻弄される日々、それが何よりも男を腹立たせる元凶だった。

 「お前が叔父貴の仇か」
 「仇って何?」
 「お前が何者かなんてどうだっていいんだよ。
  だがこのままじゃ俺達が危ないんでね、早々に消えてもらう」
 「この外見で騙せれる時代じゃないか。上等。
  私もあんた達の今後一切の人生をこの世から断ち切ってあげる」

849名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:02:10
お前達の闇ごと切り裂く。報復と知れ。
侠客の突進の上空に炎。

 「骨すら残させない、焼き尽くして死ね!」

楓が黒塗りの刃を振り回す、円環から突然現れる【門】からの
無数の火炎鳥が飛翔していった。

 「蜂の巣にしてやる!」

組織の屈強な男たちが一斉射撃。
違法改造されたサブマシンガン、ショットガン、アサルトライフル。
機関部から凄まじい数の空薬莢が吐き出され、炸裂する。
火炎鳥の悲鳴が響くが、撃ち落とせないものは追撃を止めない。

 「武器屋を出せ!」

右腕の怒声に三人の男達が現れる。組織が雇った助っ人だろう。
黒いローブを纏う姿に見覚えがあった。楓の目が一際鋭くなる。
彼らが広げたローブから大量の火器銃器が召喚されていく。
数十丁にも及ぶグレネードランチャーの総員射出に全員が物影に隠れた。

 「粉々になりなあ………!!?」

爆裂が不自然に断ち割られる。全てが無効化されていた。
濛々とした破壊の煙の中で、生存者たちの顔が上げられていく。
女の背後に見えたのは巨大な朱色の柱が二本。
樹齢千年はあるであろう木材で作られたかのような太い朱色の柱。
闇に覆われていた【門】は【鳥居】だった。

850名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:02:53
丹塗りの表面に白い斑点がある。斑点は長方形の紙片。
夥しい解読不明の札が張り付けられているのだ。
それが異能に通じる者ならそうであると誰もが理解できたが、門扉を
建造する為の超巨大なチカラのみで襲撃を無効化してしまったのだ。
嵐の前では微風が掻き消される原理に似ている。

 「見えてる?これがある限り、所有者の許可されたチカラしか発動できない。
  門は邪悪なる獣を封じ込めるための、いわば罪の証だ」

【鳥居】の柱の表面に貼られた呪符が青白い燐光を放つ。
全ての呪符に描かれた凄まじい数の呪印が焼き切れた。
朱色の門扉の間、四角形の空間が歪む。凄まじい悪寒。

 「つまりあんた達がどれだけの能力者と武器を携えても無意味。
  ただ死ぬ人間を選別してお互いに心中し合うしかないんだよ」

男達が出会ってきた戦場において何度も救ってきた本能的な危機感。
右腕として一家を率いた男の両足は流れるように全速後退に移行。
歪曲した空間から現れたのは青白い塊だった。

仮面を被った八本足の異質な生物に絶句する。仮面に亀裂が開かれたかと思うと
鰐のような虎のような獰猛な牙が並び、口腔は白煙を上げる唾液が糸を曳いていた。
吹きつける吐息はおぞましい程に熱い。

 「殺せ!殺せ!殺すんだああああああ!!」

悲鳴混じりの銃火器を一斉射出。
『武器屋』が『炎使い』、『土使い』、『光使い』の異能者を次々と召喚する。
爆裂、雷、熱、光、砲弾。無いよりはましだが、無能には変わらない。

851名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:03:49
轟音。
巨大な仮面が閉じられ、異能が火炎鳥ともども食われる。
口腔が咀嚼するように動く。異能の燐光が零れた。

召喚された異能者の中に【鳥居】の無効化をただ茫然と思考する者が居た。
異能自身が咀嚼する事で異能力を還元している。

異獣と呼ばれる存在を行使する里があった事を記憶が呼び起こしていた。
ダークネスによる日本壊滅時に中国からの護衛官が”隠れ里”へ訪問し
“白金の夜に”参戦する交渉をによってそのチカラが外へ公になった。
だが四年前に突如”里ごと消えた”という話を風の噂で聞いた事がある。
女はその生き残りと見て間違いはない。
間違いはないが、だからどうだというのだろう。

黒い口腔の傍らに影があった。楓の右手が黒塗りの刃を持ち
悍ましい光の列が溢れだしている。
血の色に似た目と邪悪な笑みが全ての殺意を表す。

 「行け、行け、逝け!!」

突進。【鳥居】の空間から迸る津波の様に異獣の首が伸びていく。
男達、異能者達のチカラは開かれた口腔へ還元された。
加速した大顎。
迫る下顎はアスファルトの道を削っていく。
あまりの速度と視界を埋め尽くす口に思考と行動が停止していた。
それでも反射的に異能が紡がれる。

852名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:04:58
溢れだす涙と共に異能者達が消失した。
血飛沫と切断された手足が宙に舞い、アスファルトに落ちる。
十人が一口で吞まれたのだ。
異形の巨大な口腔と牙の間からは絶望の表情を浮かべた男達が覗く。
漏れ聞こえる悲鳴は咀嚼と共に消えた。

 「まだだ、まだまだまだあああ!!」

右腕の男が立ち向かう。刀身が煌めき、半月の軌跡の裏には既に広がる大口。
アスファルトの床が口の形に切り取られ、男の上半身は消えていた。
均衡を失って倒れる下半身を仮面は静かに飲み込んでいく。

 「ああああ、あああああ、あ、あああああああああ」

一家の男達の足が一歩下がる。
死ぬ覚悟はできても、喰われることは原始的な恐怖を呼び起こす。
人間がまるで虫のように喰い荒らされていく。
大口が喉を上げて、最後の一人を呑み込んだ。
嚥下されていく人間が異獣の喉に膨らみを作り、終わると平坦に戻る。

 「ハーッ、ハーッ、ハーッ、ハーッ」

楓は重い呼吸を繰り返す。手が震え、黒塗りの刀身にも伝染する。
間違えて滑り落ちてしまえばまだ暴れまわる異獣との契約が切れる。

そうなってしまえばどうにもならず、楓は彼と共に【鳥居】へ
取り込まれるしかない。黒塗りの刃に力を込める。
呼吸を整えて、楓は動悸と抑えるために貪るように呼吸する。

853名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:06:10
視界には赤々と燃える第六区の街が広がっていた。
炎は天を焦がすように燃え盛っている。
これでもう一般の人間が西側へ来ることもないだろう。
第六区から第一区までの領域は”牢獄”だ。

 「大丈夫ですか?」
 「あいつを止めて。これ以上の犠牲は要らない」
 「…分かりました」

レイナが黒塗りに触れて【鳥居】から無数の鎖が出現すると
街の通行人たちを襲い始めている異獣を絡み潰す。
悲鳴を上げながらも成すすべなく吸収されていった。
楓の息遣いも落ち着いていく。

 「いくら加賀さんでもこの短期間で二十も喚んでる上に
  大型異獣は命を削ります。無理しないでください」
 「命なんて大げさでしょ、精神力と寿命は比例しない。
  ちょっと疲れただけだよ」
 「私がやりますよ。私は疲れなんてものはないから」

楓の白い手が伸びる。レイナの喉を掴んだ。
爪が白い喉に薄く血を滲ませる。

 「馬鹿言わないで。あんたを野放しになんてしない。
  人の子の皮を被ったバケモノなんて信用しない」
 「私は加賀さんと契約してます。加賀さんの望む事は
  全部叶えますし、出来ることは何でも出来ます」
 「言葉では何でも言えるの。バケモノに人の心が分かってたまるかってんのよ」

854名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:07:28
震える膝を叩き、加賀は立ち上がる。
敵はまだ居るのだから油断は出来ない。
何十何千何万の敵であろうと喰い尽くすまで止まれない。

 皆を消したあの女を殺すその時まで。

業火の音の間に、消防車の悲鳴のような警報音が響いていた。
レイナは首に滲む血に触れて、その色を見る。
色は、無かった。

 「それでもワタシはアナタをタスケタイ。
  ワタシタチノイノチヲスクッテモラウタメニ」

レイナの黄金の眼が静かに閉じられる。
炎に象られた影の彼女に歪な羽根が映し出されていた。
鈍い悲鳴と倒れ込む影に、レイナは目を開けて凝視する。

鞘に収めて安心したのか、加賀は意識を失って倒れていた。
レイナは慌てて彼女を起こそうとするが、対格差があり過ぎる。

“取り込む人間を間違えたことをこれほど後悔する事があっただろうか。”

 「手伝ってあげようか?」

見上げると女が立っていた。知っている顔をしていた。
もはや見間違う事すら出来ないぐらい精巧に作られた仮面のように思えた。

855名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:08:34
 「どうして……?」
 「どうしてだと思う?」

自分と同じ顔をしている女が静かに微笑んでいる。
横山玲奈は静かに微笑んで二人を見下ろしていた。

 「『血の共融』の反動で私は貴方の中に取り込まれた。
  でも貴方が喚ばれた事で私もこっちに喚び戻されたの。
  呼び出された私は瀕死の状態で里に放り出されてた所をある人に
  助け出されて、傷を癒してもらってチカラを取り戻した。
  三ヶ月もかかっちゃってね、その条件に、ある事をお願いされたの」
 「お願い?」
 「貴方に言ったら加賀さんにも伝わるからいーわない。
  でもその方が都合がいいんじゃないかな。貴方も私と同じで
  何か企んでるんじゃない?私のフリまでして」
 「………」
 「ごめんね。自分自身にだとなんか饒舌になっちゃうな。
  じゃ、行こうか。外まで連れてってあげる」
 「恨んでないんですか?私は貴方を殺したも同然なのに」
 「……おあいこにしてあげる」
 「おあいこ?」
 「私も貴方の居場所を消しちゃったから、おあいこ」
 「まさか……」

856名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:09:48
玲奈の微笑みに、レイナは静かに息を呑んだ。
異獣が最も恐れるのはその術を持つただの人間であるという矛盾。
その矛盾に従うしかない異獣という異界の住人。
加賀楓が使役する異獣の”共融”も究極の所は横山玲奈であるという事だ。

 レイナは異獣として、仲介役として存在するだけに過ぎない。

玲奈は何も用いずに【鳥居】を出現させて鎖を素手で解き、開け広げる。
描かれたローダンセが孤独に咲いていた。
アスファルトがゴボリと液状化したかと思うと、玲奈は態勢を崩す事もなく
形成された穴から出てきた異獣の口腔へ飲み込まれる。
楓を支えるレイナも同じく飲み込まれた。

闇の中でひたすら抱え続ける温かみと冷たい水の感触。
楓は今どんな夢を見ているのだろう。
髪に触れて、レイナは静かに彼女の頭に額を押し付けた。




目が覚めた。
心臓の動悸が激しくなっていた。久しぶりの悪夢。
空間を視線で眺め、何も存在しない事に安堵する。
悪夢の内容は赤ん坊の泣き声から始まり、傍らの奇妙な生物が
軋む声で語りかけてくるのだ。蛇のように尖る瞳。
人間のような不敵な笑み。

 「獣は愛を鳴き、啄むのは春の水」

最近、現実が悪夢化していて見分けがつかなくなっているのだ。

857名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:14:24
“見知らぬ自分”が語りかけてくる事に怯えすぎているのだろう。
気にし過ぎだと目を閉じて開いて眠気を追い払う。
思わず上半身を起こそうとするが体勢が崩れ、背後に倒れる。鉄製の音が響く。

 「あいってっ」
 「んあ?野中ちゃん何しとんの」
 「春水ちゃん?あれ?私…あれ、腕が…」
 「ああ、ったくー寝るにも骨が折れるっちゅーねん。ホンマに骨折れそうやわ」

野中美希は身動きが取れない事に気付く。
そして傍らには尾形春水が眠そうな声を出している事に僅かに安堵する。
裸足なのか、板張りの感触を足に感じ、唯一見える窓からは月が見えた。
照明はついていないのか、辺りは薄暗い。
目の前に洋風の縦鏡が設置されている、美希の視線はそこに固定されていた。

美希も春水も制服姿であり、身動きが出来ないのは壁に繋がり装着された鎖と
身体を捕縛する奇妙な枷の所為だった。
春水も同じような鎖と枷を取り付けられているが、彼女は固定されずに寝転んでいる。
通学中に何があったのか記憶が定かじゃない。。

 「春水ちゃん、どうなってるの?私達」
 「なんや野中ちゃん寝ぼけとんの?誘拐されたんやんか」
 「ゆうかい?Ghostbuster?」
 「妖怪って言いたいんやったら大外れやで。お化け絡んできたら握り潰す」
 「怖いよ春水ちゃん。Soft joke」
 「突っ込み待ちされたって時と場合を考えなあかんで、野中氏。
  計り間違えると私達みたいなのに吹っかけた日には血を見る事になる」
 「やった事があるみたいに聞こえるよ」
 「私はないよ。乙女やから…ってこんな事言うてる場合やないんや。
  誘拐されたんやで、覚えてないん?」

858名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:16:51
 「う、うーん……確かにそんな気がしてきた……でも春水ちゃん。
  今普通に寝てたよね?確実に寝てたよね?」
 「育ち盛りは睡眠欲も人一倍なんや。でも大変な事態に気付いた」
 「今も十分すぎるぐらい大変な事態だよ?」
 「違うっ、私ら今眼鏡じゃないよ、コンタクトレンズだよ。
  このまま目薬もせんと放置されるかもっていう状況を考えてみ」
 「……Impossible!」
 「その感じやと察したようやな…コンタクトを取らんと
  寝てしまうことがどんなに悲惨なことか……ふわー」

欠伸を手で押さえられず春水の欠伸姿を直で見る事になる。
変顔は見慣れてるがこれは少し恥ずかしい。
上書きされた様な言葉の列が並び、息が止まる。

 「獣は愛を鳴き、啄むのは春の水」

また聞こえた。赤ん坊の声が響く。痛くないのに痛い。頭に響く。

 「獣は愛を鳴き、啄むのは春の水」

見ると壁に取り付けられた鏡に美希の姿が映り込んでいる。
美希の目が蛇のような瞳で黒色の体を帯びていく。

859名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:18:35
 「春水ちゃ、春水ちゃん!」
 「な、なんや野中氏、びっくりするやろ」
 「私の体が、鏡!鏡!!」
 「鏡?」
 「私の体どうなってる!?What on earth is that!?」
 「んえ?………何もなってへんけど?」

美希の姿が得体のしれない怪物へと変化していく。鏡が見せつける。
怪物の象るそれは、『鳥』だ。
鏡の中の美希は鳥類へと退化させらている映像だった。
変化に致死性はないが、それだけに恐ろしい。
鳥のままで生き続けるなど最悪だ。

 「いいいいいいいいいぃぃ」
 「ちょ、野中ちゃんしっかりしいっ。鏡がどうしたんや?」

幻覚かと思われたが、鏡が幻であっても体の異常が現実だと訴えてくる。
春水が認識できる頃には美希の姿は黒い体毛で覆われた鳥類へと変化しているだろう。

獣は愛を鳴き、啄むのは春の水。
その言葉の意味を、真意を解かす思考が美希には残っていない。
あの悍ましい姿を見てから身体中に悪寒が止まらないのだ。
悪寒が麻痺へ、異常を徐々に実感する。
浸食していく自分に翼が生え出す様など考えるだけでも吐き気を催す。

 「あああImpossible! Impossible! Impossible!」
 「怖い怖いて野中ちゃんっ、何やってんのっ?」

860名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:19:47
 「■■■■!!■■■■■■■!!■■■■■■■■■!!」
 「それヤバイ英語ちゃうのっ?ヤバイ英語使ってる野中氏クレイジーやわ…」
 「春水ちゃん助け春水ちゃ……」

啄むのは春の水。

理解できるのと納得するのは同時だった。
情報端末を起動させ、脳内掲示板が意識の中に浮上する。
黒板にチョークで白字を書き足すように英語を連ねていく。

【text:一般検索『解析』
分析結果:鉄 コバルト ニッケル 鎖:強磁性体】

結果を確認して美希は『磁力操作』を春水に向けて干渉を開始する。
春水は静かになった美希を心配して何事かを言っていたが集中する。
バイオレットの煌めきに春水を捕縛する鎖が呼応するように震えた。
それに気づいたのか春水の表情も変わる。

 「何しとるんや野中ちゃんっ?」
 「ちょっと無理するけど我慢し、け」
 「野中ちゃん?」
 「時間かき、く」

鳥化でもつれる舌を必死に動かすが、本当に時間がないようだ。
夜盲症になりかけているのか急激に視力が悪くなっていく。
顏に対応が覆っていくのを感じながら美希は必死に力を行使する。
春水の鎖を必死に”引力”で働きかけるが、”重力”を伴うために上手くいかない。

 「の、野中ちゃんの顔から髭が生えてきとるっ」
 「come on!」
 「ちょっとま、バランスが取れへん」
 「come on!」

861名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:21:43
とうとう美希の言葉が言葉として成立しなくなってきたが
何の悪戯か、英語には適応されていないらしく連呼する。
春水は変化し始めた美希の状態に気持ちが慌てる。
『磁力操作』で持ち上げられた体を板張りの上で足を踏ん張り耐える。

 「ど、どうしたらええのっ?」
 「Come along!」
 「かおっ?顔貸せってどこのヤンキー…」
 「Come along!!」
 「分かった分かったっ、もう好きにせーっ」

言って春水は野中の目の前に屈んで目を閉じる。
間を置かずに、頬に温かい粘膜の感触。僅かに体毛が触れた。
後に吸い付く様な鈍い痛みに襲われる。

 「にいいいぃぃたあっ。野中ちゃん痛いっ、痛いってっ」

春水が目を開けると、すでに美希の顔は離れていく所だった。
顏の輪郭を覆うとしていた体毛が引いていき、美希は深呼吸した。

 「何でほっぺ噛んでんのっ?めっちゃ痛いっ」
 「いやごめん。ごめんよ。余裕がなくて思いっきり噛んじゃった。
  でも大丈夫、血は出てないよ、ちょっと赤いけど
  I owe you my life. Thank you.」
 「なんか全然嬉しくない〜。てかさっきのなんやったの?
 野中ちゃんの顔がまるで動物みたいに毛がワサワサーって」
 「相手を変化させる事ができるチカラを使ったからですよ」

862名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:23:47
突然の声に春水と美希が背後を振り向く。
女が、横山玲奈が微笑んで佇んでいた。

 「効果の低さと遅さから凶暴な動物には変化させられませんが
  一度誰かに使ってしまうと止められません。
  でも、まさか頬を噛んじゃうなんて、あれぐらいの言霊なら
  キスしても解除できましたよ。知りませんか?『カエルの王さま』」
 「き、キスって……あ、あんた、野中ちゃんを苦しめて何がしたいん?」
 「お二人の関係を知りたかったのと、どうやって危機を回避するのか
  この目で見てみたかったんです。すみませんでした」

玲奈が律儀に謝罪をする姿に春水と美希は内心動揺していた。
だが、美希には一つだけハッキリしておかなければいけない事がある。

 「どうして…どうして私が鳥嫌いなのを知ってるの?」
 「それはですね、あの鏡が私の使う武器だからです」

玲奈が示すのは、美希の視線が固定されている縦鏡だった。
最初の頃は春水も分からなかった美希の変化を映し出していたものだ。

 「鏡でどうして私のことが…」
 「鏡は人の心を映すという事で様々な儀式に用いられてきました。
  人だけじゃなく自然も、世界も、宇宙も、光も、闇も。
  もう一つの世界で構成された心は捉えた心と同じ性質を持ちます。
  それが野中さんの心を投影したんです」
 「私の恐怖心が私の心を覆っていくイメージを見せたって事…?」
 「心を食べる者。私はそれを異獣と呼び、従うことが出来る召喚士です」

863名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:25:02
初対面の玲奈とは違い、今の彼女は落ち着いていた。
殺気や狂気じみた気配もなく、言動すらも丁寧で大人にすら思える。
律儀に解説までできる余裕を持った、これが本来の彼女なのか、それとも。

 「イジュウって何?」
 「うーん、言葉で説明するのは難しいのでここにスケブがあります」
 「なんか取り出してきた」

玲奈がいつどこで購入したのか分からないスケッチブックにマジックペンを走らせる。
四角い枠に「鏡」と書いてその左右に「異獣」と「人間」と書いていく。

 「異獣は何百年も前にもう一つの世界が生まれた時に同じく生まれた性質によって
 特別な能力を、その存在を作り上げていきました。
 そして百三十年前、鏡を移動手段にしてこちらへやってきたんです。
 どうしてこっちに来たのか、理由は誰にも分かりません。
 でも中には凶暴な子も多く、解決策を講じることになりました。
 それが私のご先祖様、当時は退治屋をしていたそうです」

「異獣」と「人間」の下に「召喚士」という明記が追加される。

 「こちらの武器では傷すら付けられなかったので、異獣が通り抜ける作用を持つ
  鏡を材料に刀や弾丸を作り出す事も多かったようです。
  つまり人を倒すためというより異獣を倒すためだけに。
  でも退治屋なんていう職業に普通の人は穢れを呼ぶとして疎遠しました。
  だから隠れ里を作ってこの世界に度々現れる異獣と戦うために
  ひっそりと戦い、暮らしてきました。でも四年前、事件が起こります」

玲奈はなんの躊躇もなく「召喚士」の文字を塗り潰した。
闇のように真っ黒な穴となって春水と美希に見せつける。

 「召喚士の里が消えてしまったんです。”里ごと”」

864名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:27:22
 「まるで大きな怪獣が踏み荒らしたというより、”食べ尽くしたように”。
  その有様に出来るとすれば、異獣のチカラしか有り得ないんです。
  あの子達は本能的に自分達のチカラを高める為に不思議な力を持った
  人間を食べます。きっと、その犠牲になったんじゃないかと」
 「で、でもおかしくない?ずっと、何百年も従えてきた人達が
  どうして今更そんな事になるの?」
 「……裏切り者が居たんです。そうとしか考えられない」

玲奈の声が重く感じる。春水が喉を鳴らし、美希も表情が険しくなる。

 「あなたはどうして助かったの?」
 「私は運良くその場に居なかったんです。こう見えても召喚士ですから
  何人かとグループを組んで退治する事もあったんですよ。
  でも、その時に一緒だった人達ももう居なくなってしまいました」

玲奈の言葉が響く。静かな闇に漂う悲壮感のようなものは、無い。
だが嘘をついている様にも見えない。本当に彼女は一人なのだ。
僅かな同情心が、二人に募る。

 「……それで、私達にその話をしたことと、この状況は関係あるの?」
 「異獣がどんなものかは分かってもらえましたか?」
 「なんとなく、でも、急に言われてもちょっと整理が追い付かへん。
  しかもまだ私ら、君のこと全然信用してへんし」
 「ああ、まあ、そうですよね。でもこうでもしないといくら
  リゾナンターさんでも協力してくれないだろうなって」
 「協力?」
 「私と一緒に異獣を倒してほしいんです。その子、ある召喚士を
  そそのかしてこの世界を支配しようとしてるんです」
 「その話が本当だっていう証拠は?」
 「本当か嘘かの問題を言っている暇はありませんよ。
  こうしてる間にも何かしらの事件を起こしてるかもしれませんね」

865名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:33:18
威圧感。言動を回避していく状態では全てをきり返してくるだろう。
表情には不気味なほど余裕を貼り付かせて玲奈はスケッチブックを閉じる。

 「きっと他の皆さんはお二人を探してるでしょう。
  その間にあの子は召喚士と一緒にこの町をめちゃくちゃにし放題です。
  後手後手に回させてしまうハンデは紛れもなく野中さん、尾形さん。
  あなたたちお二人なのではないでしょうか」
 「これ、もしかして脅迫受けてないか?」
 「尾形さん凄い。大正解です。あ、プレゼントがないですね。ごめんなさい」
 「じゃあ代わりにこの鎖を外してくれるっていうのは?
  ちょっと体勢的にもキツいんやわー」
 「良いですよ」

玲奈が言葉を発したと同時に、二人の鎖が砂の様に粉砕した。
量子分解されたそれに驚愕の表情を見せると同時に、恐怖が全身を駆けめぐる。
触れる事もしなかったのに言葉を一つ掛けただけで可能にする。
これも異獣が作用するチカラの一種なのだと見せつけられたのだ。

そしてなんの条件もなく解放されたという事は。
この空間から出る術も当然、遮断しているのだろう。

 「どうして私達が必要なの?貴方のチカラで十分成し遂げられる筈じゃない」
 「……そうしないといけないんですよ。私は、この世界を壊すことを望んでいません。
  そして私が、私であるために。だから私の復讐を手伝ってください。
  返事はいつでもいいですよ。でも早めにした方が良いです。お二人のためにも……ね」

玲奈の立つ床が突然、波を立てる。
大きな口を広げたように無機質な闇の穴が彼女の体を呑み込んだ。
美希が手を伸ばしたが、空虚を掴むだけでしかない。
さざ波の落ち着いた世界で、春水の声は僅かに強張った。

866名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:37:01
玲奈の立つ板張りの床が突然、波を立てる。
大きな口を広げたように無機質な闇の穴が彼女の体を呑み込んだ。
美希が手を伸ばしたが、空虚を掴むだけでしかない。
さざ波の落ち着いた世界で、春水の声は僅かに強張った。

 「い、今のもイジュウってヤツなんか?チート過ぎるやろ……。なあ、私らどうしよう?」
 「とりあえず連絡を取るよ。この場所を報せなきゃ。
  悔しいけど、私達にはそれぐらいしか出来ないみたいだから…」
 「連絡するってどうやって?」
 「You'll see. 私を信じてて」

美希は自分のこめかみを指で示す。

【call:一般処理『信号送信』
 新規系列:完了 白紙処理・脳内容量拡大:完了
 To:
 本文:                          】


内容を書き、見えない紫電となって美希の言葉が空間を彷徨う。
兎のように四肢を伸ばし、壁の外へと吸い込まれていく。
誰かが受け取ってくれると信じて。脳内に浮かぶ顔に必死に祈る。
春水が美希の手を握った。心強さに美希の心は穏やかになっていく。

 「じゃあ今日はここでお泊りやな…決めた。コンタクト取るわ」
 「あ、春水ちゃんだけ。私も取る」

一人だけならきっと恐怖心を鏡に喰われていただろう。
春水の笑顔に救われる心をしっかりと自分のものであると手を強く抱きしめた。

867名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:47:02
>>848-866
『朱の誓約、黄金の畔 - Twins' flower -』

行き当たりばったりなのはストック無しでそのまま書いているので
自分もどんな結末になるのか分からないスリルを覚えてます…w
横山玲奈ちゃんの分裂はほぼ書き手の実験によるものです。
果たしてどちらが生き残るのでしょう。
野中美希ちゃんの脳内掲示板と能力に関してはまたのきかいに。

868名無しリゾナント:2017/02/17(金) 03:06:40
(いつものお願いです…)
20レスに近いので前半と後半に分けて頂けるとありがたいです。
気付けば春が近くなってまいりました…。
苦労人かえでぃーを書こうと思っただけなのにどうしてこうなった…w

869名無しリゾナント:2017/02/17(金) 03:13:43
>>865 の終盤が >>866 と重複してました。

「玲奈の立つ板張りの床が突然、波を立てる。
大きな口を広げたように無機質な闇の穴が彼女の体を呑み込んだ。
美希が手を伸ばしたが、空虚を掴むだけでしかない。
さざ波の落ち着いた世界で、春水の声は僅かに強張った。」

の方でよろしくお願いします。

870名無しリゾナント:2017/02/21(火) 20:29:21
後編転載行ってきます

871名無しリゾナント:2017/02/25(土) 02:04:30
気だるい午後。
外の陽射しに身をさらしながら椅子に座り、テーブル側の壁に
背を預けていると眠くなる。
喫茶店の休日にする事といえば掃除や雑務。
それが終わった所で珍しく事件依頼もない上に予定も入ってない。
こういった弛緩した時間を過ごすことも嫌いではない。

テーブルに肘を載せ、飯窪春菜は愛読している雑誌に目を戻す。
とても学究的な態度で、興味深い主題を長年にわたって精力的に
追跡している雑誌に視線を走らせる。

足音がして、扉の開く音が続く。
視線の端に人影、顔を上げると厨房から出てくる背広姿が見えた。
僅かに跳ね上がる鼓動。

 「あれ、まーちゃんどうしたの?一人でなんて珍しいじゃん」
 「そんな日もあるんだよ。はーあ」

佐藤優樹が春菜の体にもたれ掛かる。重い、とは言えない。
ただ想像以上に重量を感じて「グフッ」と声が漏れる。

 「ちょっとちょっと、読書の邪魔しないで」
 「面白い?マンガ?」
 「昨日発売した雑誌。中身はまあ小説だったり漫画だったり」
 「かしこぶっちゃって」
 「…なんか怒ってる?なんか言い方にグサッと来るんだけど」
 「暇なだけだから気にしないで」
 「気になるってか重いっ。まーちゃんで潰れちゃう」

872名無しリゾナント:2017/02/25(土) 02:05:11
春菜は顔面の全表情筋を引き締めて哲学者の神妙さを作り
目には身代わりで処刑される親友のために走る英雄の真摯さを宿し
唇からは新しい学説を熱弁する徒ゆえの言葉を放つ。

 「いい?まーちゃん。私とまーちゃんの体格や年齢は確かに
  私の方が勝っているかもしれない、でも持ってる部分っていうか
  まだ発展途上の十代とちょっとギリギリな二十代との間にある
  僅かに薄くてそれでも大きな壁ってものがある訳よ」

春菜の論理的かつ思索的な言葉に、優樹の反応は一つだった。

 「うるさい」

完敗。大完敗だ。冷たい言葉に春菜の表情も僅かに陰りを見せる。
思わずこの場に居ない石田亜佑美に憎悪を向けかけて頭を振った。
抵抗しようと体勢を逆に傾けようとするが、その何十倍もの力で
優樹が自身の体を押し付けてくる。あ、押されてるなーどころではない。

最後の、究極の抵抗を遂行する。

 「どかないとーこうだっ」
 「わひゃひゃひゃーっ!」

無防備な背中の脇に細く長い腕を滑り込ませ、一気に動かす。
くすぐり攻撃にはさすがに耐え切れず大声を上げて飛び退いた。
大勝利。春菜の表情はまさに悪戯の成功に微笑みが浮かんでいた。

873名無しリゾナント:2017/02/25(土) 02:07:56
 「こしょばいー!!」
 「えいっえいっ、どうだっ」
 「きゃー!」

春菜のくすぐりに優樹は耐え切れない、だが春菜も止めない。
興奮状態の優樹が彼女の腕を掴み、制するが離してくれない。
世界が揺れる。手が離れない。振動が意識を揺さぶり揺さぶられ揺さぶった。

優樹がしっかりと掴んでいる為に離れない。既に手は離れていた。
あ、ヤバイ。春菜はこの状態に覚えがあった。
耳鳴りが激しくなる。合図だ。優樹の能力が発動している。

「ままままーちゃ、まーちゃ」
「きゃー!きゃー!」

優樹の声で掻き消されてしまう自分のか細い声が悔しい。
一瞬にして闇が覆う。
意識が消える。

ああ、せめて来月で最終回のアニメを見納めてからが良かったな。
そんな思考が巡り、途絶えた。



二階の居住区にある一室。
譜久村聖と工藤遥、そして優樹の姿が並んでいた。

三人の目はベットの中で眠る春菜に注がれている。
聖が『治癒能力』が付与された紙片を片手に春菜の容体を回復させていた。
異能で傷ついた傷は一般の病院ではどうにもならない事がある。
特に優樹の『振動操作』はガラス状の物体ならば簡単に粉砕できる威力だ。
脳震盪ならまだしも頭蓋内血種や意識障害が起こらないとは限らない。

874名無しリゾナント:2017/02/25(土) 02:09:02
 「ただいま帰りましたーって、どうしたんですか?」
 「まーちゃんがやらかしちゃってはるなんがぶっ倒れちゃったんだよ」

小田さくらの手には衣装鞄が提げられていた。
だがそれには何も発さず、遥は優樹に叱責する。

「まーちゃん、反省しなよ。無意識にしたってやり過ぎ」
「……」
「まーちゃん」
「……」
「優樹ちゃん、はるなんが目を覚ましたらちゃんと謝るんだよ?分かった?」
「……はーい」
「あたしにはだんまりかよ…」

どうやら優樹と遥の間には何かあるらしい。さくらは冷静に分析していた。

「でも、でもどうやって謝ったらいいの?」
「ただ謝まるだけでいいんだよ。はるなんも事情を話せば分かってくれるよ」
「でも、でもでも絶対怒ってる。まさがはるなん怒らせてるの分かるもん」
「何かしたんですか?」
「……」
「佐藤さんが怒らせたって思う根拠はなんですか?」
「……どぅーが悪いんだ」
「は?」
「どぅーが、どぅーがまさに何も言わずに出かけて行ったから!
 探してもいないし連絡もつかなかったから!
 はるなんだけしかいなくて退屈だし、なんかこおワーッてなってたから!」

875名無しリゾナント:2017/02/25(土) 02:10:23
 「何もって、ハルちゃんと言ったよ?昨日言ったでしょ出かける事」
 「まさ覚えてないもん!誰も教えてくれなかったもん。お団子も居ないし
  皆居ないし、でもはるなんだけ居たから、嬉しかったの…」

優樹の言い訳が、つまりは遥の不在が原因である事は分かった。
興奮状態に陥った事も春菜の存在があったが故の安心感からなのも分かった。
となればやる事は一つだろう。

 「じゃあ工藤さんにも謝ってもらいましょ一緒に」
 「ええ、そういう方向にもっていく?」
 「大丈夫ですよ。ちゃんとフォローもしてあげますから」

遥の動揺に、さくらは片頬に笑みを貼り付けた。
さくらが片手を掲げ、全員の視線が集まる。

 「実はさっきお仕事料金のおまけにこんなものを貰いまして」
 「……え、やだ。やだぞハルはそんな、な、なあまーちゃん!」

衣装鞄の中身に遥が声を上げる。

 「小田ちゃん、一体なんの仕事してきたの」
 「そうですね。しいて言えば石田さんが自信喪失するほど過酷な護衛を少し」
 「この格好で?」
 「はいなかなかのスリルでしたよ」

何の躊躇もなく微笑んで見せるさくらに、聖は亜佑美を抱きしめたくなった。

876名無しリゾナント:2017/02/25(土) 02:11:12
 「そういえば当の本人は?」
 「次の仕事に一人で向かってしまいました。私はこれを持って帰れと言われて」
 「なるほどね……でも、いい考えかもしれない。うん」
 「ちょ、譜久村さんまでそんな事言わないでくださいよ。
  譜久村さんが賛同しちゃったらそれだけで詰んじゃうんですから」
 「私をどんな奴だと思ってるの。でも、はるなんの機嫌を直すなら一番だよ。ね」
 「ええ、絶対うまく行きます。石田さんはともかく、飯窪さんは好きでしょうから」
 「ま、まーちゃん…なんで黙ってんのさ」

聖の肯定からさくらに阻まれ、優樹は衣装鞄を見下ろしたまま沈黙。
遥の顔には絶望が生まれていった。

877名無しリゾナント:2017/02/25(土) 02:16:50
>>871-876
『猫の気まぐれは黒く白く』(前半)

やっぱり短編は書きやすいな…(遠い目)

878名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:40:46
正直な所、次に目を開けた風景は天国か地獄か。
もっと言えば病室か霊安室かと思っていた。
まるで夢を見ていたかのように春菜の自室には遅い午後の陽光が射し込んでいる。
数分前に聖が春菜の容態を見に来た時に、彼女の安心と喜びの表情が見て取れた。

 「良かった、まだ安静にしてて。何か飲み物持ってくるから」
 「私は生きてるんですか?」
 「軽い脳震盪だよ。でも今日一日は休まないとダメだからね」
 「あ、はい。すみません」

聖が居なくなると、人の気配がいつも以上に遠いものになったような気がした。
閉まりきっていない扉の向こうからは、時折一階からの声や音が漏れてきた。
それ以外の音は一切ない、窓のカーテンが風に揺れる音すら聞こえそうなほど
世界は静かなものとしてそこに在る。

思えば、優樹はどうしたのだろう。記憶が少しずつ鮮明になってきていた。
事故だという事を春菜は知っているが、彼女が詳細まで説明するだろうか。
誤解を招いて皆に責められてやしないだろうか。
負傷すると心配と不安な連想しか浮かばない、心も同時に弱っていた。

廊下から足音が響く。
靴下で擦り歩く音が部屋に近づいてきている。
戸惑うような足音だなと思っていると、部屋の前で止まった。
廊下側から手がかけられたらしく、扉の取っ手が回され、扉が少し開く、止まる。
妙な沈黙。
焦れた春菜が声をかけようとすると、取っ手が震えた。

 「は、はるなん?ハルだけど起きてる…?」

879名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:41:42
扉の隙間から遥の声が聞こえた。

 「あ、おかえり。帰ってきたんだね。ねえまーちゃんは下に居るの?」
 「や、あ、その、と、隣に居る」
 「ごめんね。迷惑かけちゃって。まーちゃんから事情は聞いてるよね?」
 「まあ、一応。あの、入ってもいいかな?」

不思議だ。遥もそうだが優樹とのコンビを組めば騒ぐように部屋に
入ってくるのに、奇妙な間を感じる。
遠慮し過ぎる質問に、それでも春菜は笑顔で受けた。

 「いいよ。入ってきな?」

疑問ながらも春菜は返答する。上半身を乗り出して壁に体を預ける。
僅かに眩暈がしたが、意識は保てた。
しかし取っ手は途中で停止したままで動かない。

 「どぅー?まーちゃん?」
 「まーちゃんこらっ、押すなってっ、まーちゃんから先入れよっ。
  ああもうっ、はるなん、一個だけ約束してもらうぞ!」
 「は、はいっ?」

いつものハスキーボイスではなく、地獄の底にいる亡者の口から
出ているような声に春菜の声も高く上がる。

 「とりあえずハル達が入っても、見ても、何も喋るな、一言も、喋るな」
 「ひ、一言も?」
 「良いって言うまで一言も、そうじゃないとハルははるなんに手を出しかねない」
 「わ、分かった」

880名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:42:35
遥の真剣な懇願に春菜は唾を呑み込んだ。意味は分からないが理解させられる。
扉の向こうにいる彼女の言葉からは凄まじいまでの圧力と覚悟。
春菜は妹のように可愛がる遥や優樹への愛情が揺らがない自信はあった。

 「何も言わないよ。絶対」
 「絶対だからな」
 「絶対。うん、まーちゃん。絶対何も言わないからね」

優樹に呼び掛けるが返事は無い。もしかしたら落ち込んでいるのだろうか。
遥が先頭に立っているという事は、何かがあるとして腹筋に力を込めて身構える。
いよいよ取っ手が回転し、扉が開かれた。
春菜の目が、しっかりと二人の姿を捉える。

 「………………………………………………へ?」

それはギリギリ二人には聞こえない声が漏れ出す。

漆黒の布地の袖口や、大きく襟が開いた胸元には純白のレースの縁取り。
短いスカートからは白い素肌の太腿が伸び、すぐに白い膝上丈の口下に続く。
レースで包まれた袖から伸びた白色の腕の先、手の五指には白絹の手袋。
それだけなら可愛い侍女である。
だが衝撃は二段構えというのが通例だろう。

遥と、遥の背後で見えないように抱き付いている優樹の頭部を横断するのは
夜色のレースと、繊細な飾り布の左右からは、黒い獣毛に覆われた三角耳。
いわゆる黒猫の耳が飛び出ていた。
ご丁寧にスカートの下からは黒猫の長い漆黒の尻尾が揺れている。

881名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:43:31
工藤遥と佐藤優樹はいわゆる猫耳なんとやらになっていた。
春菜の輪郭が細くなる。呼吸を貪っている訳でも蛸の物真似の最中でもない。
声が上がらない。静かに視線が震えるしかない。

うつむく髪に隠れていたが、遥の頬に朱が昇っていくのが確認できた。
今度は意味も分からず、理解も出来ない。
ただ徐々に膨らむ喜びに口角が歪み始めるのを止められない。
二人の肩が震えて、猫耳と猫尾まで震えている姿にいっそう歪む。
口を手で塞ぐが、耐え切れずに笑いがこみ上げる。だが耐える。

 「うん、うん、よし。いいよはるなん。喋っていいよ」

遥も覚悟を決めたのだろう。頬が未だに朱色に染まっているが
その瞳は現実を受け入れた光を帯びている。僅かに諦めた色もあるが。

 「ははは、あはははははははははははははははははははははっ!」

春菜は爆笑した。
声を吐き出して、春菜は腹筋を痛めたように腹を押さえ、二人を指さす。
遥の拳が震えているのを見て春菜はグッと口を手で塞いだ。

 「どう、したの?その、喜びしか生まれないあられもない姿は。
  え、えっと………ま、まーちゃん?恥ずかしいなら無理しなくていいんだよ」

春菜の声に深呼吸。明らかに深呼吸した。溜息にも似た吐息を遥の背中に吹きかけている。
それに対して遥が「熱いっ」と引き剥がそうとするが、執着にはどうしようもない。
そして満遍なく吐き出した後、突き飛ばすように優樹が遥と共に部屋に侵入する。

 「はーよっし。癒しタイム終了!」

882名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:44:26
何かを吹っ切ったように、開き直ったように腰を叩いて胸を張り、宣言する。
どうやら遥の匂いで優樹には癒し効果が得られたようだ。
それは良かった。良かったが、問題はこれからだ。

 「じゃ、そういう事だから」

春菜の思考もむなしく優樹がまるで一人ファッションショー並みの時間で
颯爽と退場していこうとする、遥がそれを止めた。

 「いやいやいや待って待ってまーちゃん。ここまで文字通り身を削ったのに
  そりゃないでしょ、特にハルの頑張りを無駄にしないで。ほら、どうよはるなん」
 「え、え?」
 「別に頭がおかしくなった訳じゃないからな。その、まーちゃんが
  謝りたいから聞いてあげてほしいのよ。な、まーちゃん」
 「……もう平気なの?」
 「あ、うん。譜久村さんには一日安静にって言われたけど、明日にはちゃんと元気だよ」
 「……ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」

悪気があった事を自覚している優樹の気持ちに春菜は感動すら覚えていた。
自分の意見は譲らないが、明らかに自分が悪いと思う事は素直に謝罪してくれる。
そんな彼女がとても愛らしい。

 「大丈夫だよ。ほら、仲直りの握手しよ」

883名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:45:11
>>878-882
『猫の気まぐれは黒く白く』(中間)

ぐぬぬ。規制が憎い…。

884名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:46:44
一瞬の空白。遥の顔には虚脱。

 「いや、それとこれとはまた別問題だから」
 「今のどぅーは猫娘なんでしょ?
  なら言葉の変化があっても不思議じゃないんじゃない?」
 「まーちゃんもやるよな?」
 「まーちゃんはもうこれだけサービスしてくれてるからねえ。
  謝罪も貰ってるから、あとはどぅーが体を張ってくれるだけでこの話は
  本当のエンディングを迎えるんだよ」
 「ラスボスに立ち向かう前にもうボロボロなんだけど」
 「どぅーが何もしないならはるなんもまさもどぅーをずっと嫌いになるから」
 「そうなっちゃうかもねえ。この前貸した漫画の続きとかアニメのDVDとか
  ラーメンを奢ってあげる約束も無くなっちゃうかもしれないねえ」
 「そんなあ〜」

情けない声で遥が訴える、が、二人からそれを阻止する術を与えられている。
羞恥の苦渋と春菜から与えられる筈の愛情に答えようとする健気さが
遥の表情と瞳に同居していた。
凄まじい自制心に遥は大きく深呼吸をした。

 「……言えばいいの?」
 「ん?」
 「何をはるなんに言えば、いいのさ」
 「そうだなあ。でも典型的なのは聞いた事あるからね、メイドさん的な奴。
  思い切って両手を掲げて片足上げた猫の格好で『ご主人様、大好きだニャン☆』
  とか言ってくれれば凄い満足するかも」
 「じゃあ壁に向かって言えばおっけーな」
 「ダメですー、ちゃんとこっち向かないと認めません」
 「うーあーーーーまーーーーちゃんーーーーっ」
 「どぅー、これも人生だから。早くやんないとはるなんの体が悪くなっちゃうから」

885名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:47:44
優樹の言葉に春菜がわざとらしく頭痛に悩むフリをする。
溜息。遥の切り替えは予想以上に早い。

結論からして、優樹も遥も、根は優しい女の子だった。
部屋の中央に背中を向けて立つ。
両手が緩慢に挙げられていき、丸めた両の五指を顔の前に上げて揃える。
左膝を曲げて跳ねるように掲げ、足首を傾げる。
そして春菜の方へと振り向きつつ、顔面の表情筋全てが引きつりながらも
満面の笑みを構成して口から下を微量に出し、唇を舐め、言った。

 「ご主人様、大好きだニャン☆」


一瞬の空白。凍りつく病室。誰かの唇が破裂した。

 「ぎゃははははははははははははははははははははははははは!」
 「なんでまーちゃんが爆笑してんだよ!てか見んな!」
 「ははははははははははははははははははははははははははは!」
 「んな!!?」

優樹の笑声に重なるように、扉の向こうからも笑い声が響いてくる。
扉から現れたのは三人。
目尻に涙を浮かべていたのはいつ帰ってきたのか石田亜佑美。
笑いを我慢して聖が顔を俯いている。
傍らに居た生田衣梨奈が悪そうな笑みを浮かべ。
さくらですら憂いのある表情に笑みを浮かばせていた。

886名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:48:49
 「やー凄いですね。まさか本当にやってくれるとは」
 「笑いの神様がぶっ倒れるぐらい喜んでるって絶対」
 「でもきっと似合うって信じてた。どぅー可愛いもん」
 「はい、くどぅー笑って笑って、可愛く撮ったるけん」

衣梨奈の構える携帯に硬直する遥、無情にもシャッター音が響いた。

 「み、見てたの?」
 「うん。丁度あゆみちゃんとえりぽんが帰って来たから。
  ちなみに見に行こうって言い出したのもこの二人」
 「待って、生田さんが帰って来てるって事は…」

遥の言葉に、三人が微笑んで扉の影に手招きをする。
先程まで同じ場所で見ていたであろう四人が謙虚な姿勢で顔を出した。
尾形春水は右手に携帯を構えて。
野中美希は先輩二人の姿を見て両手を頬に添える。
牧野真莉愛はこれ以上ないほどの煌めきを放った瞳と笑顔を。
羽賀朱音は何も言うまい。

 「工藤さん、ちゃんと保存しときましたんでね…」
 「So cute! Keep a pet!」
 「まりあ付いて行きますよ!たとえくどーさんが猫になっても!」
 「可愛かったですよ、とても、とても、工藤さんが可愛い。ふふふ」

朱音が公では見せられない笑顔を浮かべてジッと見つめる。
その後ろからもう二人の姿もある。
活動期間はまだ短いが、それでも教育係の凛々しい姿を見る事が多いであろう
遥のポーズには各々の反応を見せる。

887名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:49:43
 「いや、その、全然似合うと思います。私には出来ませんけど。
  工藤さんなら許せるっていうか、許してもらえるっていうか」
 「工藤さんの頑張りは勉強になります。為になります。
  なのであと一時間ぐらいはそのままで居てほしいと思っちゃったりしました」

加賀楓は僅かに目を逸らしながら照れ臭そうに感想を述べ。
横山玲奈は遥に現在の格好を継続しろと強気な眼差しで強要していた。

 「……今ハル、何を信じていいのか分かんない」

拳を掲げて立ち尽くす遥の瞳に、真っ黒な絶望が浮かんだ。
皮肉な痙攣を起こす唇が歪み、僅かに目尻に輝くものがあった。
顔を真っ赤にさせ、そして項垂れる。
「後で覚えとけよ」という小声が優樹と春菜には聞こえた。

 「さてと、良いものも見れたし、はるなんも目が覚めた事だし。
  皆も帰ってきたって事でご飯食べようか」
 「「「「さんせーい!」」」」
 「二人は着替える?それともずっとそのままで居る?」
 「「そっこーで着替える!」」
 「ちょっとこんな所で脱がないで、脱衣所行きなさいっ」

遥と優樹の声が被り、猫耳や夜色のレースを外し始めた。
そのままその場で全て脱ぐ勢いだった為に春菜が制す。
二人の姿が一瞬、昔の幼いものへと変わったような気がした。
瞬くだけで現代の彼女達に戻っていたが、春菜は笑う。

888名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:51:41
 「何笑ってんだよはるなん」
 「なんだか、身体はいっちょ前に大きくなったけど中身は変わらないよね」
 「はいはい。どうせガキですよ。はあ、まーちゃんのせいですっごい疲れた……」
 「どぅーを泣かすためにまたやろうね」
 「もうやんないよ。絶対着ないから」
 「まーちゃんが着るならどぅーも着るよね」
 「んーん。まさ着ないよ」
 「あれ、そうなんだ」
 「うん」
 「ちょっと寂しいなあ」
 「猫じゃなくてもいいでしょ。癒し期間は売り切れです」
 「じゃあ今度はまーちゃんで癒されようかな」
 「もうやんないよっ」
 「おーいそこの三人、何あたし抜きで盛り上がっちゃってんのさ」
 「あ、出た。猫になりきれなかった女が」
 「は?どういう意味?」
 「仕事先じゃあ随分苦労したみたいだねえ、猫かぶりのあゆみさん?」

春菜の言葉に首を傾げる亜佑美だったが、人差し指で示された方向には
床に脱ぎ落された三角耳を拾うさくらの姿があった。
三角耳を被らずに両手で頭に乗せて、さくらが呟く。

 「石田さんの猫メイド姿、可愛かったにゃーん」
 「お、小田ァ!!」
 「写真あとで見せてよねー」
 「了解だにゃん」
 「ちょっと話し合おうか?ん?携帯出しなさい!」
 「はっはっはっはっは」
 「あ、ちょ。待ちなさいよ、小田ァァァァァ!」
 「小田ちゃんがやるとどうしてああもあざとく見えるんだろうね。しかも棒読み」

889名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:53:08
二人が人間の姿を取り戻し、亜佑美がさくらの携帯からようやく画像を
削除した後、二階のリビングでそれぞれの夕食に舌鼓を打つ十一人の姿がある。
食事前、衣装鞄に残っていた猫耳を見つけたさくらは真莉愛に、美希に、朱音に装着させる。
春水には朱音が無理やり付けたが、予想以上に乗り気の様で、猫のようにねだり始める。
三人からのブーイングにどことなく喜んでいる。

楓が玲奈に装着させるが、玲奈は楓の隙をついてリボンの付属された猫耳を装着させた。
楓は気付かないまま付けていたが、真莉愛に突っ込まれて頬を赤らめる。
聖が衣梨奈に猫耳を取り付けようとするが「髪が乱れる!」と怒られて落ち込む。
あまりに落ち込むものだから衣梨奈は「自分で着ける」と言って装着した。
さくらが構える猫耳を遥に羽交い締めされた亜佑美が装着されそうになる所を
優樹がさくらの背中に突進したために二人が抱き合う事故が起こったりもした。

笑いながら見ていた春菜の傍に優樹が座り込む。

 「結局、みんな付ける事になってんじゃん」
 「まあそういうもんだよね。ああそういえば思い出した。今日が何の日か」
 「何?」
 「22日は猫の日だよ。猫と一緒に暮らせる幸せに感謝する日。
  猫とともにこの喜びをかみしめる記念日が今日なんだって」
 「人間が猫になるのってどうなの?」
 「じゃあ単に感謝の日、でいいんじゃない?」
 「なるほど。じゃあはるなん」
 「何?」

890名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:54:01
 「あゆみー!」
 「ん?」
 「生田さーん!」
 「はーい」
 「お団子―!」
 「なんですかー?」
 「らぶりーん!」
 「はい!らぶりんです!」
 「はーちーん!」
 「はーい!」
 「野中―!」
 「yeah!」
 「はがちーん!」
 「はーいっ」
 「かっちゃん!横山ちゃん!」
 「「はーい!」」
 「ふくぬらさーん!」
 「なーにー?」

優樹の弾ける笑顔と共に大きな愛を叫んだ。

 「だーいっすき!!」

痛々しいながらも輝かしい青春の中で彼女は笑う。
コルクボードに最初に載せられていた全員の猫コスプレ写真は
ある一部からの必死の懇願によって公開は差し控えられた。
その後、コスプレ衣装はどうなったかというと。

 「ねえ、せっかく貰ったんだからお店の正装にする?」
 「「却下!」」

大事な思い出として箱に詰められ、押し入れの中に封印されている。

891名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:55:20
>>884-890
『猫の気まぐれは黒く白く』(後半)

うーん。投下できるかどうかやってみます。

892名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:56:18
あ、冒頭の投下し忘れがorz

893名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:57:34
>>884の前

ベットから右手を伸ばし、微笑む。優樹が一歩進み、近寄り、手を伸ばす。
両手で包み込まれたかと思うと、優樹の体に抱きしめられたのが分かった。
嫌悪感など一切感じない、とても心地のいい幼さの代謝が残る体温だ。
滑らかな黒髪の上にある三角耳が傾いて揺れた。

 「猫耳は分かるけど、この服どうしたの?」
 「お団子のお土産。オタクのはるなんが喜ぶからって」
 「や、まあ、ええっと。なんだろう、素直に頷けない。
  でも可愛いよ二人共。嫌だったはずなのに私のためにしてくれたんだ。
  それだけでも嬉しすぎるし、ほら、もう元気になっちゃった」
 「……でも別にはるなんの為じゃないよこれ」
 「あれ、そうなの?」
 「どぅーの嫌がる事がしたかったの。まーちゃんが着るって言ったら
  どぅーも絶対に着るし、そしたらまさも着るけど、どぅーが着るなら
  まさも着るの全然イケるし、だからはるなんのためじゃないの。
  でも喜んでるなら結果オーライだと思う事にした」
 「…そっか。で、くどぅーは巻き込まれたわけね」
 「まあ外で着るわけじゃないし、はるなんの前だけだしもう全然慣れたもんね」
 「…ふーん」

遥の余裕の態度に、春菜の心に芽生える思いがあった。
言わなくてもいいのだが、もう少しだけ自分の為に居てもらおう。

 「じゃあ慣れてるならもう恥ずかしい事もないってこと?」
 「まあそうだな。猫耳は何回もやってるし、服だって似合ってない事ないし」
 「でた。自分大好き。じゃあさ、語尾にニャン☆とかつけても大丈夫よね?」

894名無しリゾナント:2017/02/25(土) 04:38:28
 「何笑ってんだよはるなん」
 「なんだか、身体はいっちょ前に大きくなったけど中身は変わらないよね」
 「はいはい。どうせガキですよ。はあ、まーちゃんのせいですっごい疲れた……」
 「どぅーを泣かすためにまたやろうね」
 「もうやんないよ。絶対着ないから」
 「まーちゃんが着るならどぅーも着るよね」
 「んーん。まさ着ないよ」
 「あれ、そうなんだ。ちょっと寂しいなあ」
 「猫じゃなくてもいいでしょ。癒し期間は売り切れです」
 「じゃあ今度はまーちゃんで癒されようかな」
 「もうやんないよっ」
 「おーいそこの三人、何あたし抜きで盛り上がっちゃってんのさ」
 「あ、出た。猫になりきれなかった女が」
 「は?どういう意味?」
 「仕事先じゃあ随分苦労したみたいだねえ、猫かぶりのあゆみさん?」

春菜の言葉に首を傾げる亜佑美だったが、人差し指で示された方向には
床に脱ぎ落された三角耳を拾うさくらの姿があった。
三角耳を被らずに両手で頭に乗せて、さくらが呟く。

 「石田さんの猫メイド姿、可愛かったにゃーん」
 「お、小田ァ!!」
 「写真あとで見せてよねー」
 「了解だにゃん」
 「ちょっと話し合おうか?ん?携帯出しなさい!」
 「にゃんにゃんにゃーん」
 「あ、ちょ。待ちなさいよ、小田ァァァァァ!」
 「小田ちゃんがやるとどうしてああもあざとく見えるんだろうね。しかも棒読み」

895名無しリゾナント:2017/02/25(土) 04:45:22
スレと間違えて連投しましたorz

896名無しリゾナント:2017/04/02(日) 22:52:18
規制かかってしまったようで…どなたか代理投下お願いいたします

897名無しリゾナント:2017/04/02(日) 22:52:49
「他者認識は、他者がその存在を目にし、認めることだが…
自己は、その他者の中にある自分を見つめることによって、自己を認識する…わかるかい?」

小難しい言葉が並ぶ。科学者らしい言い回しだと思う。
ギリギリと脳が締め付けられる。段々と呼吸が回らなくなる。
能力を発動したい。だが、発動できない。
鎖がチカラを阻害する。この場所から、逃れられない。

「つまり、自己の中から他者がいなくなれば、お前という存在を認識する術は何もなくなる。
お前は最初から、この世に存在しなくなる」

遠くなる意識の中で、男の言葉を咀嚼する。
私は、誰かから名前を呼ばれることで、誰かから触れられることで、初めて存在するのではないだろうかと。
そして、その「誰か」がいない限り、私は私の存在を認識できない。

「お前の記憶から、お前以外の人間の存在を消す…さて、それでもお前は、自分の存在を肯定できるか?」

哲学的な問いだ。
だが、さくらは滑稽にも、その問いの沼に嵌まりそうになる。
誰もが自分の名を呼ばなければ、自分に触れなければ、どうやって私が私であると証明できる?

898名無しリゾナント:2017/04/02(日) 22:53:20

―――「お前なんか、いらない」


能力の否定。存在の否定。
小田さくらという、人物そのものの否定は、生命の拒絶だ。

「存在の消滅は、死より恐怖だと思わないか、小田さくら―――」

大切な人の笑顔が、浮かんで、そして消えていく。
あの日確かに見つけた青空が、また色を失っていく。

「……て」

さくらの名を呼び、手を携え、ともに闘った仲間の記憶が。
「小田さくら」の存在とともに、消滅し始める。

「やめ……」

闇がすべてを呑み込んでいく。
さくらの中から、仲間の笑顔が、記憶が、思い出が、消えていく。
譜久村聖が差し出してくれた手が、前線で生命を張った鞘師里保の姿が、
がむしゃらに誠実に、真っ直ぐに突き進む野中美希の笑顔が、ボロボロとその輪郭を失っていく。

「やめてっ!!」

899名無しリゾナント:2017/04/02(日) 22:54:14
絶叫。
発狂。
声にならないままに、さくらは吼える。

その時だ。
闇をはっきりと切り裂くものが、あった。

男は咄嗟に、さくらを解放した。

光?
いや、これは、熱……か?

瞬時には認識できないまま、二歩、三歩と男が後ろに下がる。

「……うちらの大切な先輩に触らんでくれます?」

雪を欺かんばかりの白さが、目に入った。
「ほう…」と思わず口を開く。

尾形春水は、その長き脚に焔を纏わせ、崩れ落ちたさくらの肩をしっかりと抱き止めた。

900名無しリゾナント:2017/04/02(日) 22:56:28
本スレ>>243-249 したらば>>897-899 ひとまず以上です
何処に着地するかは未定ですが頑張ります

901名無しリゾナント:2017/04/03(月) 00:56:19
投下できましたお騒がせしましたm(__)m

902名無しリゾナント:2017/04/09(日) 22:24:02
またしても規制がかかってしまいました
自分で行けるかもしれませんが一応こちらにも

903名無しリゾナント:2017/04/09(日) 22:25:23
まずいと思った瞬間には、美希の身体は大きく一回転した。勢いそのままに、彼女は春水へと投げつけられる。
春水はその身体をしっかりと受け止める。

「野中っちょ、もうちょっと考えてから……」

投げつけられたのは、ある意味でラッキーだった。漸く彼女とちゃんと話ができる。
こんながむしゃらに闘っても意味がない。とにかくしっかりと戦略を立てるべきだと言おうとした。
が、こんなに近くにいるのに、春水の声はまだ、彼女に届かない。彼女は男に再び突っ込まんと暴れる。

「ええいもう!ちゃんと聞け!」

大切な先輩が傷つけられて動揺するのは分かる。
だが、それで自分を見失って突っ込むのは自爆行為だし、ただのアホだと思う。
春水は美希の頭をぐいっと抑えつけ「小田さんは大丈夫やから。落ち着いて?な?」と少し宥めるような声を出す。

「小田さん傷つけたあいつは許さへん。だからちゃんと作戦立てんと意味ないやろ?」

殺気立っている彼女が、漸く呼吸を落ち着けてくれた。ただ真っ直ぐに、あの男を殺すことしか見えていなかった。
話にしか聞いたことはないが、鞘師里保のコインの裏―――すなわち赤眼の狂気も、こんな風に危うかったのだろうか。
だとしたら、彼女も内面に飼っているのだろうか。紫色の狂気を。

「“空気調律(エア・コンディショニング)”。
局地的に異常な湿度や不均一な密度を生み出し、それに伴う気圧の変化が音の伝わりや皮膚感覚をも乱す。
“発火能力(パイロキネシス)”よりは興味があるが、それも所詮は一時的なもの。大して研究意欲は注がれないな」

男はくいっとメガネをかけ直す。

904名無しリゾナント:2017/04/09(日) 22:25:58
再び美希が挑発に乗って突っ走ってしまいそうになるが、必死に手首を掴んで押さえつける。
数的有利なのは変わらない。
美希の“空気調律(エア・コンディショニング)”により、一度ではあるがその拳は入った。
先ほど男のズボンを燃やすことができた。距離を保ちつつ、火脚でも追い詰めることはできる。
強引に勝ちを求める必要はない。最悪、さくらを背負って逃げられればそれでも良い。
今はひとまず―――

と、春水が思考を組み立てているときだった。
目を疑った。
先ほどまで地に伏し、闇に呑まれて迷っていたさくらの姿が、なくなっていた。
どういうことだ?確かに男は「存在の消滅」と言った。
しかし、あれは他者認識を受けきれず、自己が自己を形成するのが困難になる「意識的な」消滅の意味ではないのか?
肉体ごと消滅するなんて、そんなことが…。

その疑問は、春水の腕の力が弱まるのと同時に美希が飛び出し、
再び男に攻撃を繰り出したことで、解消されることになった。

美希が大きく左拳を振り上げ、真正面から男に突っ込む。

と、インパクトの瞬間、それを受け止めた存在があった。
男の前に立ちはだかり、庇う姿が、あった。

春水も美希も、その存在に目を疑った。
だが、この部屋に居るのは、もう、彼女しかいない。

「小田、さんっ……?」

小田さくらは、両腕をクロスさせ、静かな瞳を携えて、美希の攻撃をしっかりと受け止めていた。

905名無しリゾナント:2017/04/09(日) 22:27:35
本スレ>>73-79 したらば>>903-904 ひとまず以上です
保全ネタの“悪夢”はこれのことでしたが、まさか落ちるとは思っていなかったです…

もし気付いた方がいたら代理投下お願いいたします

906名無しリゾナント:2017/04/09(日) 23:00:14
代理行こうと思ったけど自分も埋め立てですか?エラーが出てしまうので
しばらく時間をおいてから行ってきますねー

907名無しリゾナント:2017/04/09(日) 23:21:21
本スレにも書きましたが改めてこちらで

>>906
ありがとうございます!無事に行けました!
誰かが支援してくださったら投下できるんですかね?「埋め立ててですか?」エラーがよく分からない…

908名無しリゾナント:2017/08/29(火) 04:00:35
燦々と照りつける陽光が白い浜と青い波の繰り返しを照らす。
砂浜には日傘が並び、寝椅子に中高年が寝そべる。
子供と母親が浜で砂の城を作っていた。
原色の水着を着た若い男女が、波打ち際で水をかけあってはしゃいでいる。
水着姿の人々が溢れる、海水浴の光景だった。
そんな中で周囲を行く男達が振り返ってでも見たい景色がある。

赤と橙が横縞のホルターネックが、女の豊かな胸を覆っていた。
傷や虫の刺され痕すら一切ない肌に水着の赤と橙が映えて
自分の魅力を最大限に引き出す色合いを分かっているようだった。
譜久村聖はそんな視線を全く垣間見ることなく視線を横に向ける。

 「くどぅーのハリキッてる感がなんかウケる」
 「いーんですよ。譜久村さんだって借りる気満々じゃないですか」

横に立つ工藤遥は黄緑色のバンドゥで、腰には浮き輪の装備。
額には水中眼鏡を装備している。
浜辺の完全装備に本人も満足しているようだ。

 「しっかし海の家のご飯ってなんであんなに美味いんですかね。
  テンションが上がっちゃうとどうにも食べ過ぎちゃって、ふー」
 「朝ごはんにしてはちょっとハイペースだよ」
 「何か差し入れでも買ってってあげましょうか。
  生田さん達は今頃どうしてるんでしょうね」
 「さーどうかな、連絡もないみたいだし何とか頑張ってくれてるのかもね」
 「不機嫌なまーちゃんがハル的には心配ッスね…」

909名無しリゾナント:2017/08/29(火) 04:02:52
一週間も前に約束していた依頼に向かった生田衣梨奈、飯窪春菜、佐藤優樹。
三人を想いながらも、工藤にはある疑問がある。

 「んで、なんでハル達はこの”メンバー”で海水浴なんですか?
  まさか情熱的な特訓でもしようってんじゃないでしょうね」
 「そんな大げさなものじゃないよ、ちゃんとした依頼。
  この海水浴の警備と監視が今日のお仕事だよ」

譜久村の宣言に、工藤は少し間を置いて「なるほど」と付け加えた。

 「その依頼ってハル達だけですか?」
 「ううん、専門の人も来てるみたいだから、私達は気楽にやればオッケーだって」
 「なんか他人事じゃないですか?じゃあハル達なんで呼ばれたんです?」
 「そういう可能性があるからって事ではないでしょうか、工藤さん」

工藤がさらに問いかけようとすると、背後からの足音。
振り返ると加賀楓が立っていて、「よいしょっと」と呟きながら
近場にある日傘の下へ荷物をおろす。
藍色のラッシュガードに身を包み、ボーイッシュな出で立ちで佇む。

910名無しリゾナント:2017/08/29(火) 04:04:24
 「これだけ人が集まる場所では”何が起こるか分からない”。
  人一人が抱えられない事件が”起こるかもしれない”。
  浮きたつのは期待だけじゃないって事ですよね、譜久村さん」
 「本当に起こりそうだからやめろ。変に言葉に力籠り過ぎ」
 「あ、ご、ごめんなさい」
 「まあ私有地の海岸だし、所有してる人が単に心配性ってだけ。
  それにこの依頼の安全度はまあまあ高いから」
 「ハル達は別にいいんですけど、譜久村さんは日が浅いのに…」

言おうとして、工藤は口を噤んだ。
譜久村は少し困った顔をしたが「もう大丈夫だよ」と諭す。
一抹の寂しさに工藤が口を開こうとして、背後から声が上がった。

 「小田!おーだ!おい小田ァ!」
 「やめてくださいよ石田さん、暴力反対っ」

小田さくらが小走りでこちらに駆け寄る背後に、石田亜佑美が振りかぶった。
スイカの塊が、ではなく、スイカ柄のボールが何の合図もなく
見境なく後方から飛んできた。頭部の柔軟な衝撃に「ぶっ」と変な声が漏れる。

 「よっしゃ命中!」

石田亜祐美が両腕でガッツポーズを取り、砂浜に顔を出す。
赤と黒の横縞の水着にデニムパンツを履いた彼女は太陽のような笑顔だ。
砂浜に転げるボールを両手で拾い、小田は無表情に佇む。
薄紫のラッシュガードから水色の水着に覆われた谷間が覗いている。

911名無しリゾナント:2017/08/29(火) 04:05:29
 「石田さん、大人げないです」
 「別に痛くないんだから平気でしょ」
 「平気とかの意味じゃなくて、だから絡みづらいとか言われ」
 「シャラップ!それ以上は言わなくていいから」
 「あれだな、一発なんかしてやらないとっていうのが染み込んでんだよ」
 「芸人みたいに言うなし」
 「亜佑美ちゃんって何かと言うけど小田ちゃんに構ってるよね」

譜久村の言葉を聞いて、石田があらかさまに動揺した。
固まった表情が次第に震えだし、目を左右に揺れている。

 「そんなんじゃないですってば!小田ちゃんにはなんかこお…。
  そう!反応が鈍すぎるからこうして刺激してあげてるだけです!
  海に来てこんな無反応ってことあります!?」
 「あゆみんのテンションがどうにかなってるだけなんじゃねえの」
 「海に入ったら私だってテンション上げますよ」
 「じゃあ入ろう!すぐ入ろう!ほらどぅーも行くよ!」
 「はあっ?おいちょ、引っ張んなって!」

石田が工藤の腰に抱えられた浮き輪のロープを引っ張り
浜辺で跳ね上がったかと思うと、海水に飛び込んだ。

 「じゃあ私も先輩に付き合ってきますね」
 「怪我しない程度にねー」
 「はーい。あ、野中も行こう」
 「OK!行きましょう!」

912名無しリゾナント:2017/08/29(火) 04:06:43
いつの間にか背後から追いついてきた野中美希は薄緑色の映える
フレアトップの水着にストレートポニーを揺らせて小田と手を繋ぎ駆け出す。
浅瀬で沈むことなく浮き輪で海に浮上している工藤と海面をぷかぷか
浮いていた石田が浮き輪にしがみつく、その間に突っ込んでいった。
当然のように声が上がり、ボールが光に反射して空に飛び上がる。
海水に濡れた小田の表情が夕暮れ程度の明るさにまでなっていた。

 「ひと夏の一枚ゲット」

いつも以上に弾けまくる石田や工藤、小田と野中の姿を携帯で
収めながら、ふと思い、嬉しさが笑顔を浮かばせた。

 「………気を遣わせちゃってごめんね」

独り言からすぐに、背後から声が聞こえる。
とても楽しそうに海の家から駆けだす影が四つ。
砂の暑さに驚きながらそれぞれが水着を着こなせば
どこにでもいる女学生の海水浴デビューだ。

 「譜久村さん!遅くなりました!」
 「やっと来た。どう?初めての砂浜は」
 「熱いです!とってもとっても熱くてヤケドしてます!」
 「ホントにヤケドしたら大変だよ」
 「えへへへへえ」

譜久村の問いに笑顔で答えるのは牧野真莉愛。
白い水着にマントの様に羽織っていたバスタオルを両手で広げる。

913名無しリゾナント:2017/08/29(火) 04:07:25
 「水着はどう?サイズぴったり?」
 「はい。ごめんなさい、私ミズギって持ってなくて、わざわざ用意してもらって…」
 「横山ちゃんにはおさがりばかりでごめんね」
 「いえ全然。むしろたくさん欲しいです」
 「たくさんお姉さんが居るからわがまま言ったら貰えるよきっと」

横山玲奈が行儀の良いお辞儀をして礼をする。
薄紫のタンニキに、右肩にはアニメマスコットの形をした水筒を下げていた。
それは確か野中美希が所持していたものだったが、どうやら貰ったらしい。
その隣にはラッシュガードの裾を握ってレモン柄の水着を見せるのは尾形春水。
譜久村から見ても明らかに緊張しているように見える。

 「どうしたの尾形ちゃん、顔引きつってるよ?」
 「あーいえ、なんでもないんですなんでも」
 「そうには見えないんだけど、もう疲れちゃった?」
 「いや、自分的にはまだ心の余裕はあるんで、行ける気がします」
 「その余裕がもう限界に達しそうだけど、ていうかどこに?」

一人で屈伸をし始めると、それにつられて牧野と横山、加賀も参加する。
自分を奮い立たせているのか尾形が深呼吸をした。
譜久村の頭上に疑問符が立っていたのが見えているのか、ポツリと呟く少女が居た。

 「泳げないんだよね、はーちんは」

羽賀朱音が淡々とした口調で打ち明ける。
藍色の競泳水着にゴーグルを頭に装着してバスタオルを肩にかけている。
羽賀の言葉に何も言えずに尾形は奇声を放った。

914名無しリゾナント:2017/08/29(火) 04:08:25
 「なんで言うのーっ、自分が魚やって思えてきてたのにっ」
 「人間は魚にはなれないよ。エラだってないし」
 「そんなん分かってるわっ、でも泳げない人には大事な心なんや」
 「えっ、そうなの?知らなかった」

譜久村が驚き、尾形が照れくさそうに頭を掻く。

 「言ったことなかったんで。でも泳げないだけなんで海には
  全然入れるんですけど、でもあんまり積極的には入れないっていうか…」

その場で砂を蹴り、その砂が思った以上に飛んで牧野の足に掛かった。
その足をバタつかせて左右に地味に霧散するのを嫌がる面々。

 「尾形ちゃん以外は皆泳げるの?」
 「尾形ちゃん以上には泳げると思います」
 「最底辺みたいな言い方やめてっ。最底辺やけど……うっ」
 「自分で突っ込んで自分で落ち込んじゃった」
 「大丈夫だよ尾形ちゃん、近くに先生が居るじゃない」
 「ふぇ?」

尾形の肩を支えて、譜久村は浜辺に一歩進む。

 「くどぅー!出番だよ!くどぅー!」
 「はーい!?何ですかー!?」

915名無しリゾナント:2017/08/29(火) 04:09:01
呼ばれた工藤が浮き輪で海面に浮いて叫ぶ。
小田と石田はスイカのボールを不安定な立ち泳ぎで投げ合っていた。
野中はバランスを崩して水面に体を打ち付けて二人が助け出している。
工藤は浮き輪から出ると、紐を持って浜辺へと泳ぎ戻る。
海水で濡れた髪をたくし上げながら顔を振って海水を払う。

 「どうしたんですか、皆入らないんですか?」
 「問題が発生しちゃってね、くどぅーに救難信号を送ってみた」
 「ほう、助けてほしい事があるんですね?」

譜久村に助けを求められたという事に対して工藤が得意げな顔を浮かべる。
“いい女”からの頼み事というのは同性であっても悪い気がしないものだ。

 「何ですか?」
 「この尾形ちゃんに海の素晴らしさを教えてほしいの」
 「……ハルに頼んだって事は、泳ぎの方ですか」
 「さすがその道のプロだね」
 「プロ並みには教え込めませんけど。でも普通に
  泳げるぐらいにはしてあげられるかもしれないですね」
 「くどぅーは水泳が凄く上手い子なんだよ。
  前に道重さんにも泳ぎを教えてたんだって」
 「道重さん!?」

916名無しリゾナント:2017/08/29(火) 04:09:41
その名前に見事に反応した牧野が犬の様に体を伸ばす。
先ほどまで落ち込む尾形にちょっかいを出していた為に
右手の甲が横山の顎を打ち付ける。
「あうっ」と顔を無理やりあげさせられ変な呼吸音が上がった。

「牧野さん、地味に痛いですっ」
「ごめんなさい!まりあの手が勝手に動いて!」
「普通に自分からぶつけに行ってたけど」

羽賀の言葉に目もくれず、牧野は食い気味に工藤へ前のめりになる。

 「あの!工藤さん!まりあにも水泳教えてください!」
 「え?だって尾形ちゃんよりは泳げるってさっき言ってたじゃん」
 「さっきのはさっきので、今は今です。道重さんが工藤さんに
  教えてもらって泳げたって聞いた今が重要なんです!」

噛みつく様な牧野の姿勢に引き腰になる工藤。
先ほどまでのテンションを無理やり振り上げるような牧野は
両手を胸の辺りで祈るようなポーズを取る。

 「道重さんが教えてもらった事ならまりあは何でも
  吸収したいんです!道重さんが見てきたもの、感じたもの
  いろんなものを知りたいから!お願いします工藤さん!
  まりあもその勉強会に参加させてください!」
 「ああ分かった分かったってば。いくらでも教えるよ!」
 「わーい!工藤さん大好き!」

917名無しリゾナント:2017/08/29(火) 04:12:49
心底嬉しそうにして飛び跳ねる牧野を工藤は一歩引いて回避する。
無表情で見ていた羽賀が小さく挙手をした。

 「工藤さんが手取り足取り教えてくれるなら参加したいです」
 「羽賀ちゃん、誰からその言い回しを教えてもらった」
 「あの、何か手伝えることがあったら、あ、浮き輪持って来ましょうか」
 「そういえば浮き輪これしかないな、借りてくるか」
 「まりあ行くー!よこやんも行こー!」
 「牧野さん早いっ、早いですっ」

加賀が救援用の浮き輪を借りると言って海の家へと駆ける。
その背後を追うように横山と牧野も走っていった。

 「犬が二匹、か」
 「でも良かった、相性の合う子が居て」
 「あと一人ぐらい居たらバランス良いかも」
 「そうだね。そうなると良いなあ」

譜久村の言葉に少し首を傾げるが、深くは考えなかった。
いつかの話をしている、そう思っていたからだ。

918名無しリゾナント:2017/08/29(火) 04:17:57
>>908-917
『黄金の林檎と落ちる魚』

海に泳がせたかっただけなんです…それだけなんです…。
水着のイメージは皆さんのご想像にお任せします(真顔)

919名無しリゾナント:2017/08/30(水) 02:44:05
尾形が海面に上半身を伏せて、前へ出る。
顔を上げたまま、目を閉じて手足で水を叩いて進む。
見ていると、足から腰、胸、顔と順々に海中に沈んでいく。
見ると、尾形は水底に横たわっていた。

急上昇。
水飛沫と共に尾形が水面から顔を出す。
ゴーグルを外して黒髪から水を滴らせながら、得意げな笑みを浮かべる。

 「五メートルぐらいはいけたんちゃうかな?」
 「ない胸を張れるほどじゃないからね。全然泳げてねえよ。
  五メートル間ずっと溺れてただけじゃんか」

工藤が呆れながら出来の悪さに怒りながら指摘する。
顔から離れる海水を両手で拭い取る尾形は呼吸を整えると
ゴーグルを再び装着する。

 「やっぱり酸素量が足りひんのですかね…しかも今サラッとディスりました?」
 「そうだろうな。あとは浮くって事をちゃんとした方がいいよ。
  最初は水に顔をつけて、静かに浮く感じで」
 「はあ……まさかのスルー」
 「ほら持っててやるから頑張れ頑張れ」
 「工藤さん!あかねも!」
 「順番順番」

920名無しリゾナント:2017/08/30(水) 02:46:11
工藤の言葉に近くで泳いでいた羽賀が頬を膨らませる。
尾形は工藤に両手を預け、顔を海水に入れて、体を伸ばす。
華奢ではあるが、女性特有の曲線があるため、浮力で体が浮く。
水面から尾形が顔を上げ、笑みを見せた。

 「浮いた!今春水ちゃんと浮いてましたよねっ?」
 「そりゃ浮くって。次は泳ぐ練習な。
  太腿を動かすように意識して足先を上下させてみて」

言われたとおりに顔を見ずにつけては上げて、水平となった
尾形が足を動かす。手を取っている工藤が押される推進力が
出ていたが、ここからが難しい。

 「次は水中で鼻から息を出す。水面から出た口で吸う事を繰り返す」
 「えっと、鼻から息を出して、口で呼吸」

尾形が試す。右から顔を出して、盛大に咳き込んだ。
工藤の手を振り払って立ち上がり、鼻と口から水を出す。

 「うぇーしょっぱい」
 「口で吐こうとするからそうなるんだよ。
  海の中で鼻から息を吐けば自然に口が息を吸ってくれるんだ。
  これを繰り返して体に染み込ませないとどうにもならない。はい練習練習」
 「ヒーン」

921名無しリゾナント:2017/08/30(水) 02:50:40
正直な所、いくら練習しても一日で完璧に泳げるようになるということは無い。
だが尾形の場合は水面の恐怖自体がある為にこのままでは一人で貝拾いを
させる羽目になってしまう。それは絵的にも少し切ない。
あと何回か練習させて、残りは浮き輪の補助で遊ばせようと思っていた。

 「加賀、さっきから後ろで平泳ぎしてるけど何かアドバイスしてあげてよ」
 「え、えーいや、私は工藤さんみたいに詳しくは説明できないので」
 「まあ泳ぎなんて勘っちゃ勘だからな」
 「でも尾形さんはスケート経験がありますし、きっと泳ぐ姿も綺麗ですよ」
 「確かに、もうちょっと自信持とうぜ尾形。筋は良いんだからさ。
  ……尾形?何顔真っ赤にしてんだよ、疲れた?」
 「綺麗って言われて嬉しいんですよ。ね、はーちん?」
 「うっさいっ」
 「かえでぃー、もっと褒めてあげて。褒めて伸びる子だから」
 「あ、あーはい。えーっと、えー…」
 「…こりゃ当分はかかるな」

工藤がやれやれと笑い、このまま加賀に任せようと思った時だった。

 「工藤さん工藤さん!まりあ出来ましたよ!」

牧野が告げ、その言葉通り海面を泳いでいく。
速度が上がり、波を蹴り立てて左側から右側へと進んでいく。
まるで親に自慢したいという気持ちを堪えきれない笑顔。
完全に雑誌特集にでも出てきそうなモデルかという完璧な幸福感。
足でもつらないかな、などと思いながら温い笑顔を返した。

922名無しリゾナント:2017/08/30(水) 02:52:35
そうして手が両脇へを水を掻いて顔を上げようとした時
近くに居た羽賀に背中からぶつかっていく。完全な不注意だった。

 「うわっ、ぶぷっ、何?なになに?」

牧野はバランスを崩しそうになったのを食い止めようとその背中に
しがみつき、身長差のある牧野が羽賀に覆い被さる状態になるため
羽賀はパニックになって悲鳴を上げて溺れそうになっていた。
浅瀬なのに何故か二人はもがいているように見える。

 「まりあちゃん離して!」
 「待って!なんか引っ張られてる!ぷわっ」

笑っているのか泣いているのか怒っているのか分からない悲鳴を
上げて水面に波を起こしている二人を助けに行く加賀。
だが加賀自身ももつれるようにしてバランスを崩し始める。
肩よりも下だった水面が首元まで浸かっていた。

 「ちょっと何やってんのっ」

ただ事じゃないと判断して石田と譜久村も加勢に入る。
牧野を引っ張って助け出し、石田にしがみつく羽賀は半泣きだ。
加賀も自力で浅瀬へと戻った。

 「人を巻き込まないっ」
 「ご、ごめんなさい、あかねちんごめんね」
 「ゲホゲホ、鼻に入ったぁ…」
 「あかねちん、一旦上がろうか」

923名無しリゾナント:2017/08/30(水) 02:55:38
羽賀と一緒に砂浜へ上がる石田、二人の背中を見送って
牧野はショックだったのか頭を垂れる。
その頭を譜久村が撫でた。

 「後でちゃんと謝れば許してくれるよ。わざとじゃなかったもんね」
 「うう、はい…」
 「加賀ちゃんもなんか変だったけどどうして?」
 「なんか急に足を引っ張られたんです。こんなに浅瀬なのに」
 「ええ?まさか手で掴まれたとか言わないよね?」
 「まりあもっ。グーッて足を引っ張られたみたいに浮けなくなって」

工藤と牧野の会話の傍らで、加賀がゴーグルを装着する。
大きく息を吸って溜めると顔から水面に入り込む、陽射しの光で水中が見えた。
見ると、確かに砂が削られて大きな穴を作っている。
まるでスコップで掘り出されたような空洞。
手を伸ばすと、水流を吸い込む引力が腕を通して感じる事が出来た。
どうやら”原因”の一つと見て間違いないだろう。

加賀は穴の方へ腕を伸ばすと、水面が、僅かに撓む。
見えない何かが水流を操っているかのように、蛇が泳ぐように。
砂粒が舞い、穴へ移り、窪みを埋める。埋める。埋める。
血の色を帯びた眼が拳を握り上げ、砂が盛り上がるのを”止めた”。
あっという間に穴は消え、平坦な地面が形成される。

不意に、加賀は横から視線を感じた。
フグの物真似でもするように頬を膨らませた牧野の顔面。
耐え切れずに水上する。

924名無しリゾナント:2017/08/30(水) 03:00:42
 「ぶはっ、何やってんですか牧野さん!」
 「かえでぃーが急に我慢勝負し始めたからまりあも参加しようと思って」
 「してません。てか誰とですか」
 「さっきチカラ使ってたみたいだけど何かあった?」
 「あ、あーはい。多分まだたくさんあると思いますあの穴。
  多分ここの海の事故が多いのは、あの穴が原因とみて間違いないと思います」
 「穴?」
 「これぐらいの穴が開いてるんです。
  引力があって水が渦を巻いて、きっとあれに足を取られるみたいです」
 「でも普通気付くんじゃない?」

工藤が神妙な顔で呟き、加賀が首を傾げる。

 「深さからして、少し水が荒れればすぐに埋まってしまうほどです。
  多分時間があれば痕跡は消えるんじゃないかと」
 「わざわざ人の手で掘り出される理由が分からないし、天然の穴にしては
  なんか引っ掛かるな…どう思います?」
 「うーん、とりあえずまだ穴があるなら、まずはそれを埋め直さなきゃね」
 「全部を直すには時間は掛かると思いますが、横山となら一時間で出来ます、ね」
 「うん。ただ場所までは…」
 「ハルに任しとけって。ちゃんと探し当てるからさ」

工藤が自分の目を指で示す。牧野が右手を空へ上げた。

925名無しリゾナント:2017/08/30(水) 03:02:28
 「まりあも手伝っていいですか?」
 「牧野さんが良いならお願いします。スタミナを考えると心強いですから」
 「了解しちゃいまりあっ」
 「じゃあ一回休憩を挟もう、ごめんねはーちん。泳ぐの中断させちゃって」

譜久村が謝罪すると、尾形は気付いたように、首を横に振った。

 「ああいえ、全然平気です。というかこれ以上はうまくならない気がするんで」
 「なーに言ってんの。後でまた教えるつもりだから覚悟しとけよー」
 「堪忍してくださいー」
 「ファイトです尾形さん」
 「あ、う、うん。がんばる」

片手のガッツポーズで応援する加賀の言葉に尾形は大きく頷いて答える。

 「こういう事になるなら少しぐらい泳げるようになれば良かったかな」

小声を漏らすが、それを汲み取ってくれるのは野中ぐらいのものだろう。
尾形の本心を知る事が出来るのは、その本心に触れられるのはごく一部だ。
譜久村がやれやれ、という感じで視線を向けていたが、それも一瞬の事。

 リゾナンターが、始動する。

926名無しリゾナント:2017/08/30(水) 03:07:17
>>919-925
『黄金の林檎と落ちる魚』

すみません。一応続きモノですorz
現実世界ではいろいろ起こっていていつまで想像できるのかと
少ししんみりしてます…。いやまだ夏は終わらない、終わらないのだ…!

927名無しリゾナント:2017/09/01(金) 03:53:30
石田が砂浜に戻ると、羽賀は海の家の近くにある水場で顔を洗った。
砂混じりの塩味で溢れていた口がどんどん潤っていき、鼻には多少の
違和感が残ったが、状態が回復していくのが分かる。

 「はいタオル」
 「ありがとうございます」

石田からタオルを差し出され、素直に受け取った。
母親のような石田に、羽賀は少しだけ照れ臭さを感じる。
尾形、野中、牧野と同じく自身の過去を忘れてしまった為に
本当の両親が居るのかは分からないが、それでも姉のような、母のような
存在に囲まれての日々はとても楽しく、幸せだ。

 「はあ」
 「スッキリした?」
 「はい。もう大丈夫です」
 「まりあちゃんもさ、ほら、爆弾みたいなものだからあの子は。
  自分では抑えられない所があるっていうかね」
 「考えてみると、多分、まりあちゃんも同じだったと思うんです」
 「え?同じ?」
 「急に足を引っ張られてあかねもパニックだったから」
 「あ、足?足を引っ張られたの?誰に?」
 「分かんないです。でも、水面を見た時に影が見えた様な気がする」
 「悪戯だとしたら許せない」
 「人間じゃないです。でもあんなの見た事ないから、新種かも」
 「それ思い出せる?譜久村さんに報せなきゃ」

928名無しリゾナント:2017/09/01(金) 03:54:24
石田が右手を差し出すと、羽賀が左手で握り返す。
浜辺へと戻ろうとした時、足首までしか海水がない岩礁に目が留まる。
いつの間に移動したのか、小田と野中が両膝を抱えて並んで座っていた。
何をしているのかと思って近づいてみるが気が付かないのか
二人は水底をジッと見ている。

 「小田ちゃん、何見てるの?」
 「魚が泳いでないか探してるんです」

石田の問いに、小田は水底を見たまま答えた。
気付いてたのかよ、と胸中で呟く。

 「こんな浅瀬で?居るの?」
 「まあ小さいのがちらほら。石田さんはどうしたんです?」
 「ちょっとハプニングがあったのよ。二人も気を付けてね」
 「Noted with thanks.」
 「心配してくれるんですか先輩」
 「あんたに何かあったら野中ちゃんを助けられないでしょ」

「じゃーね」と石田は羽賀を連れて海へ戻っていった。

929名無しリゾナント:2017/09/01(金) 04:09:33
 「素直じゃないなあ石田さんは」
 「あ、見て下さい小田さんっ。sea cucumber!」
 「しーきゅーかんば?なにそれ?」
 「ほら、ここですここ」

野中が指し示す所にナマコが居た。

 「ああなるほど、これの事か。知ってる?これ食べられるんだよ?」
 「Seriously? 小田さん食べた事があるんですか?」
 「ううん。だって河豚と同じで、有毒生物だからちょっと考える」
 「へーそれでも食べられるって、誰が最初に食べたんでしょうか?」
 「そういうのを食べなきゃいけないほど、時代が酷かったんじゃないかな。
  私達が予想付かないぐらいの、ね」
 「fascinating story. 詳しいですね」
 「そんなんじゃないよ。ネット環境が優秀なの」

野中が立ち上がり、海岸の突堤を眺める。
何かを探しているようだが、コンクリートの上を見て「あっ」と
発見したように声を上げた。

 「angle!小田さん、釣りをしてる人が居ますよ」
 「何か釣れてるのかな?こんなに人が多いのに……行ってみる?」
 「I'd love to! 見学したいですっ」

二人で突堤を歩いていくと、高齢の男が椅子に座っていた。
日除け防止に、闇色のサングラス。手元に竿とくれば完全に釣り人だ。
男が傍らに立つ二人を見て軽く会釈をすると、二人もお辞儀を返す。
するとまた前に目を戻した。

930名無しリゾナント:2017/09/01(金) 04:11:25
突堤の先の海には騒いでいる男女。
すぐ近くを船遊びの大型クルーザーが波を蹴立てていく。
平和な光景に、男が馴染んでいた。

 「釣りですか?」
 「見たままさ」

男が釣竿を小さく回し、遠心力を得ていく。
近くで見ると分かるが、痩せて見える男の肩や足や背は強固な筋肉質だ。
袖口や裾から出る手や足に刻まれた傷跡。
漁師でもやっていたのだろうか。

 「少し前に仕事を辞めてね、知人から譲り受けた海の家をやっている」
 「まさか今釣ろうとしているのは」
 「ああ、昼食で出す魚だが、結局は自分用になるだろうけどね」

男が釣竿を小さく振りかぶり、糸を飛ばす。
驚くほど意図が伸びていき、沖に立つ消波堤に当たった。
跳ね返った釣り針は消波堤の根元に絡みついていき、止まる。
釣り針が海面に届くことは無かった。
男が引っ張っても、釣り針は取れない。
力を入れると竿が曲がりそうなほどしなり、外れた。
糸が切れた竿は男の手元で揺れている。
小田と野中は男を見るが、男は見ずに、苦笑した。

931名無しリゾナント:2017/09/01(金) 04:12:42
 「はは、まあ不器用とはよく言われるんだよ」
 「冷静に言いますが、これだけ人が居る真昼では釣れないと思います」

私設海水浴場といっても人が多い。
ましてやクルーザーの船遊びが海面を見出していては魚も寄り付かないのだ。
大物を狙うなら、あまり推奨できない。

 「ここでするなら夜か朝釣りが良いですよ」
 「分かっていて昼に釣りをしているんだが。
  実はあそこに見える海の家が流行らなくてね、時間つぶしさ」

男が示すのは、他の海の家が陣取る場所から僅かに離れた岸壁の近く。
お客の姿はおろか、看板を掲げた外見のみで、営みの気配すら感じない。

 「何か原因が?」
 「バイトと喧嘩してしまってね。置き土産に風評被害をしこたま
  叩きつけられて全員辞めてしまったんだ。
  ガラの悪いイメージが拭えないのはやっぱり痛いよな、接客業は」

サングラスの奥の細い目には微笑み。
悔しさの帯びない表情は既に諦めきっていた。
男は糸を失った釣竿を海面から上げて、左腕の腕時計を見つめる。

932名無しリゾナント:2017/09/01(金) 04:13:50
 「とはいえそろそろ開けないと、悪戯されてもかなわんからな。
  じゃあね、お嬢さん」

小田と野中は顔を見合わせて軽く微笑んだ。

 「Two heads are better than one」

野中の英語に、男は素直に首を傾げた。

933名無しリゾナント:2017/09/01(金) 04:17:56
>>927-932
『黄金の林檎と落ちる魚』

少し短いです。スレ立てお疲れ様です。
訳アリのおじさんが登場しました。

934名無しリゾナント:2017/09/03(日) 01:28:48
海の家に賑わいの声が響く。

工藤遥がカレーを頬張り、隣に座る牧野はかき氷を匙で掬って口に運ぶ。
頭痛が来たらしく、こめかみを指で押さえている。
隣で横山が再びかき氷を掬う。
彼女もこめかみを指で押さえる。二人で笑い合った。
譜久村はタコライスとかき氷、羽賀はラーメン、尾形はたこ焼きとかき氷。
小田はしらす丼、野中はカツ丼、加賀は焼きそばを注文した。

 「見事なまでに定番が揃ったね」
 「もうちょっと皆珍しいの選ぶと思ってた」
 「いやいやいや。海で定番っていうのが良いんだろ」
 「石田さん元気出してください。スイカならまた買いましょ」
 「その私のスイカ大好きキャラいつまで引っ張るつもり?
  しかもお店に用意されてないってだけで落ち込むこと前提なの止めてくれる?」
 「ほらほら、スイカ割りやりたい人が手上げてるよ。優しい後輩だね」
 「じゃあ皆で割ろうねー2つ余るから皆分けて食べようねー」
 「怒んなよー」
 「先輩、私も後輩です」
 「へー良かったね」
 「つめたーい」
 「すまないねお嬢さん、まさかこんなにたくさんお客が来てくれると思わなくてね」

店主の男が笑った。手には石田が頼んだ魚介パスタの皿を持ち、テーブルに置く。
魚介類の芳醇な香りが麺と具材を引き立てている。

935名無しリゾナント:2017/09/03(日) 01:31:06
 「なにこれめっちゃ本格的。一口ちょうだい」
 「言いながらフォークで巻きとってるじゃない。あ、いただきます」
 「ちょっと熱いかもしれないから気を付けるんだよ」

工藤がフォークを伸ばして麺を巻きとる。
口に運び、噛むと舌には独特の味が広がる。
魚介類の芳醇な味が麺と具材を引き立てていた。

 「うま、魚介だからかなんかいろいろ混ざってる。
  でも臭みもないし和風だけど洋風みたいな、とにかくうま」
 「こら、あんまり取るな。自分で注文してよ」

亜佑美が皿を自分の手元に戻す。
隠すように食べる姿を見て、隣の譜久村は笑うしかない。

 「ははは、秘伝のソースを気に入ってくれたなら嬉しいね」
 「勿体無いッスよねーこんなに美味しい料理を出してくれるお店をハブるなんて」
 「今はネットで何でも美味しそうな料理が食べれる場所を調べられる。
  こういってはなんだが、情報を食べに来てる気がしてならない。
  けれどお嬢さん達みたいな笑顔を見る為に、この店は皮肉にも在り続けてる」
 「好きなんですね。ここが」
 「そうなのかな…。まあ、この店の最後のお客さんとして精一杯振舞わせてもらったよ」
 「まだ諦めるの早いよ。おじさん」
 「しかし……」
 「まあ明日楽しみにしときなって」

936名無しリゾナント:2017/09/03(日) 01:36:13
 「何か秘策があるの?」
 「簡単な話、人を呼べばいいんですよ」
 「チラシ配り!」
 「呼び込み!」
 「いやいや、もっと簡単な事があるだろう?
  人を呼ぶだけならチラシ配りも呼び込みも必要ない方法で出来るじゃん」
 「そんな簡単なことが出来る訳……」
 「出来るよ。だってあたしら、リゾナンターだろ?」

心に光を。放つ光は闇を払って共に鳴る事を誓う者。
共鳴者に成りえる者達と響き合い、呼応する者達。
たとえそれがどんなに闇で覆われていたとしても必ず共鳴する。
それが光と闇に愛された者達の宿命。

 「……でも、一時気持ちを合わせた所でまた離れるかもしれない」
 「ハルは思うんですよ。多分きっと、たった一度のきっかけで良いんです。
  たった一度だけでも気持ちを合わせたなら、それだけで上手くいく気がする。
  だからあのおじさんに見せてやりましょう。見えなくても、視得るものを」
 「何言っちゃってんのよ。凄い大変なこと言ってるの分かってる?」
 「それにどぅー、明日の調査はどうするの?」

937名無しリゾナント:2017/09/03(日) 01:42:59
 「あ、あーあーえっと。まあほら、昼にはまたここで食べるんですからその時に。
  大丈夫ですよ、リゾナントのバイトリーダー張ってますから」
 「なんだかなあ。行き当たりばったり感でさっきの言葉の説得力が。
  うーん………でもまあ、悪くないと思うよ。一か八かやってみる?」
 「さすが譜久村さん」
 「一番頑張るのはどぅーだからね。頼りにしてるよ」
 「私達も手伝いますよ工藤さん」
 「やってやりましょう」
 「I'm going to do it!」
 「ノリがいい後輩で良かったね、どぅー」
 「ですね……ありがとう、皆」

工藤の言葉は静かに仲間を頷かせた。
彼女の強い言葉が響く。遠くを見ているような、そんな、響きを残して。

夕方の浜辺での野外焼き肉では、若い連中が肉の奪い合いとなる。
海の家の店主による厚意により、夜は花火大会の花火が見れる見晴らしのいい
隠れスポットに向かい大騒ぎとなった。
男が保護者として率先してくれた事により、未成年の多い彼女達には有難かった。
何度も奢らされそうになる姿に、親戚のおじさんのようでもある。

 「今日初めて会ったのにもうあんな風に。若さかなあ」
 「妥協してくれてるような気もするんですけどね。
  でもあのおじさんが喧嘩するなんて、一体何があったんでしょう」
 「さすがに詳しくは聞けないよ。でも、仲が良くても喧嘩しちゃうのが人間だからね」

938名無しリゾナント:2017/09/03(日) 01:45:06
花火を見終えた後、最初に牧野が眠気眼をこすり、次に横山、尾形と睡眠欲を露わにし出す。
依頼主から指定された民宿へと帰り、男ともそこで別れた。
大部屋に人数分の布団が敷かれ、牧野と横山はすぐに夢の中へ落ちていった。

 「じゃあ電気消すよー」
 「おやすみー」
 「おやすみなさーい」
 「おやすみー」

反応して部屋の照明が落ちる。
暗い部屋には静けさ。かすかに聞こえるのは、空調機の音と個々の寝息。
遠い潮騒の音が聞こえ、子守歌となる。

布団の中で、加賀は思い出していた。
今日一日だけでいろいろな事があった。
笑い驚き、泳ぎ走り、食べて飲んだ。
一日中がお祭り騒ぎで、自分が心底楽しかったのだと気付く。

明日の調査で海の異変を解決すれば、その時間も終わるのだろうか。
整理する間もなく、疲労ですぐに瞼が下りた。


目が覚めた。
暗い部屋に、窓を抜けた星と夜の街の光が微かに射し込む。
横を見ると、枕元の時計の表示は午前三時。
深夜か早朝か迷う時間。
夜の潮騒の音だけがまだ遠く聞こえていた。
横から小さな寝息が響く。

939名無しリゾナント:2017/09/03(日) 01:46:12
欠伸をしようとして止まる。真夜中に起きた原因は、喉の渇きだ。
空調機を見ると冷房ではなく乾燥になっていた。
それでも加賀しか起きていないようだ。
布団から起き上がり、靴を履く。
備え付けの冷蔵庫へ向かい開けると、缶ジュースやペットボトルの水が
入っていたが、何故か温くなっていた。
冷蔵庫は最新ではなく、ダイヤルで温度調節をする年期の入ったもので
そのメモリが「0」を示している。
仕方がないので財布を掴んで静かに部屋を進み、廊下に出る。
階段を下りて、民宿の裏口から出た。
周囲には潮騒の響き。磯の香り、夜の浜辺で騒ぐ人間も居ない。
背後を見上げると、加賀が居た部屋が見える。誰も起きていないらしい。

 「かえでー」
 「うわっ、った、あ、よ、よこ?あんた何してんの」
 「かえでーも飲み物買いに行くんでしょ?」
 「まさか起きてたの?なんで言わないの」
 「どうするんだろうと思って見てたの。冷蔵庫も使えなかったし」
 「…つまり?」
 「私もついてって良い?良いよね?」
 「……はー、ちゃんと自分のお金で買いなよね」
 「やった」

940名無しリゾナント:2017/09/03(日) 01:48:11
横山と共に街灯が点々と灯る夜の道路を二人で横断していく。静かな夜だ。
椰子の木の間に、皓々とした光を放つ自販機を見つける。
近くに寄って確認すると、予想した通りの通常価格。
民宿にも設置されていた自販機は観光客価格だった為、先は付近の住民の
ための価格設定なのだ。
富士山の頂上にある自販機とまではいかないが、それでも高い。
だからこうしてわざわざ外にまで出たのだ。

 「ほら先に選んで」

横山は少し迷ったようにして、冷たいお茶を選んだ。
加賀も違う種類のお茶を選び、落ちてきた商品を取り出した。
左頬の肌が粟立つ。左側に何かがいる。

 「かえでー、何か感じない?」

横山の言葉に急いで顔を左に向ける。
海辺の道路沿いに街灯が点々と続くが、闇を追い払いきれていない。

二車線の道路の中央に、先ほどまではいなかった人影がある。
一人ではなく、数えていくと四人。子供だ。
女の子か男の子かは分からないが、車道の中央で輪になっている。
見た瞬間から、背中に氷柱が突っ込まれた様な悪寒。
子供達は両手を掲げて、左右の子供と手を繋いでいる。

緩やかに左から右へと足が動いている。
無言で行われる輪舞。異界の光景だ。

941名無しリゾナント:2017/09/03(日) 01:49:54
 「何あれ…」

幽霊や超常現象を信じない訳ではないが、加賀が持っているのは
視る力ではなく聴く力だけだ。
だが、眼前にある現実は異常そのものだった。
そして気付く。路上の子供達が、二人を見ていた。

 眼球が、無い。

闇色の眼窩からは、黒いタールのような涙が頬に零れている。
黒い口の黄色い乱杭歯の間から、同じくタールの涎が垂れていた。
『異獣』にも奇怪で異様な容姿の者は何匹も在るが、人型なだけあって
あまりにも質が悪い。

横山が加賀の背中にしがみつき、一刻も早くこの場から逃げたいと思う。
子供達は眼球の無い目で二人を見ているが気にしていられない。
三歩目で止まって上半身を戻す。

 『刀』が無ければ『本』の意味がない。
 油断した。まさかこんな所で遭遇するとは思わなかった。

 「よこ!走って!」

横山の腕を掴み、そのまま民宿の裏口に飛び込み、階段を三階まで駆け上がる。
勢いのまま部屋を跳ね開ける。同時に布団から小田が跳ね起きた。

 「どうしたの?」

942名無しリゾナント:2017/09/03(日) 01:50:47
そこから石田、工藤、譜久村と起きていく。
尾形、野中、牧野、羽賀は未だ寝続けていた。

 「出ました」

幽霊だか超常現象だかを見たという説明をどうすれば良いのか分からない。
だからこそその手の話を重要視できるように、そう呟く。

 「出ました」
 「出たって何が?」
 「窓、窓見てください窓。道路、道路を見てください」
 「なんだよお、面白いものでもある訳じゃなし」
 「ある意味で面白いですから早く」

加賀の慌てぶりがおかしいのか石田と工藤は笑ったが、窓辺で言葉が止まる。
民宿の三階の窓からでも、路上の子供達が見える。
七人も黒い涙を流す目で見上げていた。
見ているだけで恐怖を巻き起こす、異様な姿だった。

 「あれ、幽霊ってやつですよね?」
 「ああ、あーまーそんな気がしないでもないっていうか」
 「肉眼で見るの初めてだけど、攻撃したら反応するのかな」
 「ええー…」

943名無しリゾナント:2017/09/03(日) 01:52:07
加賀は二人の反応に、絶句した。
あんなに異常な光景なのに戸惑う表情しか浮かべない。
僅かに引きつって、だが恐怖を感じているのかよく分からない。
路上の子供たちはこちらを見上げたままの姿勢で動かない。
横山はまだ譜久村と小田に慰められている。

加賀に違和感が生まれていく。冷静に考えれば疑問がある。
子供達がこちらを見上げている。
『異獣』を従えているから分かる。

 “まるで次の命令を待っているようだ”

加賀が荷物から『刀』を抜き出すと、小田と石田がギョッとする。

 「ちょ、かえでぃー、一体何する気?」
 「さっきの石田さんの言葉を貰ってみようかと思います」
 「あまり大きい事はしちゃダメだよ」
 「大丈夫です。サイズはアレに合わせますから」
 「サイズ?」

加賀が鞘から僅かに抜かれた刃を構える。
横山の瞳が煌めく。体内から召喚された『本』が燐光を放つ。
周辺に居た全員の背筋が凍り付く。

子供達の一人が吹き飛ばされた。
“見えない風”に遊ばれるように小さな体が空中で回転する。
さらに向かい側の輪にいる他の子供達も吹き飛ばされた。
黒い血が暗い夜に撒かれ、また街灯の下に落下していく。
無言の悲鳴で、だが異形の子供達は逃げ惑うことなく吹き飛んでいく。
次々と吹き飛び、落下。街灯の下で黒い血を広げていった。

944名無しリゾナント:2017/09/03(日) 01:56:34
工藤と石田がスプラッター映画を見るように引きつった表情を見せる。
そして互いを見た後、気分の悪さに部屋を出て行った。
小田が僅かに目を細めて呟く。

 「まるで大きい犬が暴れまわってるみたい」
 「ああ、あれは鯱です」
 「しゃ、鯱っ?」
 「子供ですけど、並の人間ならぶつかった瞬間に破裂します」
 「凄いね…」
 「でもこれで、ようやく分かりました」

暗い路上には、七人の子供たちの幽霊が倒れている。
這った姿勢からそとってこちらを黒い穴の目で見上げていたが
その輪郭が崩れ、青い光を発し、崩れていく。
ようやく理解したと同時に、胃の底から怒りが沸き起こる。

室内に顔を戻す。吐き切った石田とダウンした工藤が帰ってくる姿と
小田と譜久村の苦笑した表情。

 「まんまと引っ掛かったって事ですね。しかもよこも知ってたな」
 「あれ、なんでバレたんだろ」
 「あんな消え方をするのはアイツらしかない」

さっきまで怯えていた表情が悪戯を暴かれた子供のように表情を浮かべる。
見た事のない異種で気付かなかった、人型が操る異獣はあまりにも謎と種類が多い。

945名無しリゾナント:2017/09/03(日) 02:00:10
 「演出担当はどぅーとあゆみん、空調機を調節したのは私。
  喉の渇きで真夜中に起きる様に考えたのははるなんだけどね」

譜久村が自分を示す。
喉の渇きから全てが計画の内だった。

 「こうしてこんな…」
 「まあ恒例行事っていうかね。ハル達も譜久村さんに騙された方だから」
 「まだ眠りこけてるこの子達も去年同じ目に遭ってるよ。
  その時はあたし達も参加して死んだフリしたり、手間が掛ったけどね」
 「横山ちゃんには計画してる所をバレちゃってね。でもかえでぃーと
  一緒に参加させた方が雰囲気でるかなと思って。
 「でも厳密にいえば私達は騙してないよ、幽霊とは一言も言ってないし」

小田の言葉に、加賀が口を結んだ。
指摘されれば、確かに勝手に幽霊だと思って騒いだだけだ。
悪戯をする方が子供、と言いたいが、加賀自身にも反射してくる。

 「ちょっと出てきます」
 「あ、かえでぃー」

頬を朱色に染める加賀は部屋を出る。廊下で一人。
階段を下りて、ホテルを回り込み、浜辺に向かった。

946名無しリゾナント:2017/09/03(日) 02:04:56
>>934-945
『黄金の林檎と落ちる魚』

拗ねでぃー発動。無理やり肝試しも挟んでみました。
新曲の「若いんだし!」聞きました。ライヴでDo!DO!と叫びたい…。

--------------------------ここまで投下お願いします。

少し長くなってしまったのですが、余裕がある行に狭めてもらっても
全然かまいませんので、投下しやすい形でよろしくお願いしますorz

947名無しリゾナント:2017/09/07(木) 20:06:56
夜の浜辺の突堤に腰かける。
街の街灯が背中から淡く届き、寄せては返す黒い波頭を照らす。
引っかけられた悔しさはすでにない。
夏場におけるお節介な行事ではあるが、今思い返せば笑い話だ。
気付けばまだ数ヶ月しか会っていない面々とも普通に会話が出来ている。
横山とは冗談すら言い合える関係を築き始めていた。
命の取り合いの緊張は薄まったが、心地よさを感じているのも事実だった。

夜の潮騒の間に、足音。

 「おや、どうしたんだね」
 「あ……えっと、ちょっと風に当たりたくて。どうしてこちらに?」
 「夜釣りだよ。早朝に釣れる魚もいるらしいからね。楓ちゃんだったかな?」
 「はい。加賀楓です」

海の家の店主が折りたたみの椅子と釣り具入れを下ろし、加賀の横に座る。
無言で釣竿を振るう。
糸が夜空を渡り、暗い海に落ちていく。
着水音は潮騒に消されて聞こえない。
夜に灯る小さな火。座る男の口にある煙草に火は灯っていない。
彼なりの配慮だろう。

 「お嬢さん達は一体どんな仲なんだい?年もバラバラのようだし」
 「ちょっと変わった仲ですけど、楽しいですよ。まだ出逢って一年にも
  満たないけど、でも、これだけ絆のある人達に会えたのは幸運だと思います」
 「そうか、それは、とてもいい人生だね」

夜の海へと釣竿を緩く動かしつつ、男は笑った。

948名無しリゾナント:2017/09/07(木) 20:07:33
 「お店を経営してて、まるで、そう、学校のような家庭のような雰囲気があるんです」
 「へえ?店を?そんなにも若いのに」
 「ああいえ、私はまだ駆け出しなのでお手伝い程度しか。
  でも先代達からずっと受け継いでるんです。やり方はずいぶん変わりましたけど」
 「一度行ってみたいもんだねえ」
 「ぜひ来てください」

ふと、加賀は思った。
言ってはみたものの、譜久村達の判断なしで招待してもいいのだろうか。
明日聞いてみた方がいいだろう。謝罪と共に。

当たりがないらしく、男が釣竿を握る右手首を返す。
釣竿の先の意図が銀の曲線を描いて戻り、釣竿を左手に取る。
また釣竿が振られ、糸と針が夜空を飛翔していく。

 「私はずっと仕事の毎日だったからね。毎日毎日、飽きもせずに。
  何度も縁はあったが、それも全て蹴って仕事に明け暮れた。
  だが、最後の最後に親友だった男が裏切った。あいつはただ
  利用できる人間を捜していただけなんだ。全ての厚意すらも。
  だからどんな小さなことでも良いから恩を返したくて海の家を引き取った。
  ……数十年にも叩き込まれた警官の正義感でも、誰の心をも動かす事は出来ない」

暗い海面に釣り針を投げ込み、しばらくして手首を返し、糸を戻す。
釣り針には、漫画の様に海草が引っ掛かっていただけだ。
海草を外し、男は再び釣り竿を力強く振る。
釣り針は夜空を飛翔していき、海原に落ちた。
空から夜は去っていき、水平線の端が紫に染まっている。夜明けは近い。

949名無しリゾナント:2017/09/07(木) 20:08:11
 「君達はまだ若い。だから、何度でも挑戦する事が出来る。
  何度でも、何度でもね。それが人生さ」
 「それは誰もが持ってる特権ですよ」
 「……そうだね。もう少し、頑張る事にするよ。
  君達の厚意を無駄にしないために」

背後から足音。
顔を向けると、突堤の根本に人影。横山と工藤が歩いてきていた。

 「あ、おじさんこんばんわ。あ、おはようございますかな?」

欠伸をしながら工藤が進んでくる。

 「午前10時まではおはようございます、らしいですよ」
 「ふうん。加賀ちゃんもおはよう」
 「おはようございます。どうしたんですか」
 「迎えに来たんだよ」
 「その割には遅かった気がするんだけど」
 「二度寝しちゃったから多分そのせいかな」
 「完全にそのせいでしょ」

加賀の言葉に横山が笑った。笑って受け流した。

950名無しリゾナント:2017/09/07(木) 20:10:18
 「小田ちゃんが言い過ぎたってちょっと落ち込んでたんだけど
  睡魔に負けて眠りこけてる」
 「いえ、私もちょっと大人げなかったです。すみません。あとで謝りに行きます」
 「加賀ちゃんは真面目というか、もうちょっと言ってやってもいいんだよ。
  もう知らない関係じゃないんだからさ」
 「……じゃあ、これからはもう少し言わせてもらいますね、たくさんありますから」
 「あら、これはちょっと焚きつけ過ぎたか」

三人は再び海へ目を戻す。
暗い先の空が、紫から赤となっていく。
そして銀色の光が現れ始めていた。

 「来たっ」

男の声で横を見ると、釣竿が揺れている。
一気に急な曲線を描いていくと、糸の先、浮きが上下し、沈んだ。

釣り針にかかった魚が、糸を右へと引っ張っていく。
海を右から左へ横切る。銀の線。
獲物はとんでもない速度だ。男の体も左へ流れる。
加賀は慌てて横から男が握る釣り竿を掴む、凄い引きだ。

 「こいつあ二人でも無理だ。この竿の強度でも持つかどうか」
 「おじさんっ、人手集めてくるから頑張って!かえでぃーも頼んだ!」
 「力任せに引っ張らずに魚を泳がせて弱らせましょう!」
 「あ、ああ分かった」
 「私も手伝うっ」

三人で息を合わせて釣竿を操る。

951名無しリゾナント:2017/09/07(木) 20:13:29
竿先が一体なんの素材で作られているのかは分からないが、凄まじい曲線にも
耐えているという事はよほどの業物なのだろうか。
だがこれならば最悪の場合にも折れる事はない、ならば考える事は一つだ。
加賀も釣りの技術や経験が高い訳ではないが、基本知識ならある。
彼女の掛け声に男は糸を巻いては泳がし、泳がしては糸を巻き、魚を寄せていく。

 「連れてきたぞ!あたし達はどうすればいい!?」
 「とりあえず網の準備を……あ!」
 「うわっ、なんだありゃ!」

十数分の格闘で距離が縮まっていた先、赤紫の波間に銀鱗が見えた。
三人が竿を引くと、海原を蹴立てて百、いや二百センチを超える大魚が跳ねた。
青に赤、緑の鱗。
無表情な魚類の目が、明けていく夜空から見下ろしていた。
巨体が波間に落下して、水しぶきを立てる。

 「あれですっ、あれです工藤さんっ、あかねが見た影!」
 「まさかあれがあの穴を作った犯人?」
 「人じゃないから、犯魚ですかね」

石田と羽賀の背後から眠気眼の譜久村と小田も現れる。
尾形、牧野、野中はやはり熟睡中のようだ。

 「よし、釣りあげるぞ!」
 「能力使わないの?」
 「でもおじさんも居るし、下手な事するとバレちゃいますよ」
 「大丈夫ですよ工藤さん、絶対に逃がしませんから」

952名無しリゾナント:2017/09/07(木) 20:14:30
工藤は二人の背中を見つめている。
男が汗を滲ませている中、加賀と横山にはまだ余裕があるように見える。

 「おじさん、大丈夫ですか?」
 「ああ、手が痺れてるが俺が頑張らないとな。一緒に釣りあげよう」
 「はい。よこももうちょっと頑張って!」
 「分かってる、よおっ」

二十分近い格闘で、釣り糸は突堤にかなり引寄せられていた。
魚も弱ってきているが、あまりの大物で糸も限界に近い。
勝負に出なければ、負ける。

 「おじさん、よこ、合図したら竿を引いて…………………せーーーのっ!」

三人は呼吸を合わせて、一気に竿を引く。
海面が弾け、大量の水飛沫とともに大魚が空中に引き上げられる。
全力で釣竿を引く、加賀の目が僅かに朱色に染まった。
放物線を描き、大魚が突堤に落下。
水中の銀鱗は、コンクリートの上で青や赤、緑の鮮やかな体色を見せる。

953名無しリゾナント:2017/09/07(木) 20:15:42
背鰭や尾鰭を振り、水を散らして大魚は突堤のコンクリートの上で跳ねる。
浜釣りの装備でよく釣れたと呆れるほどの大きさを誇る。
突堤の上で魚がまた跳ねる。
押さえようと伸ばした加賀の手から魚が逃げる。
男が先に居る工藤へ顔を向けた。

 「網を!」

跳ねるように工藤が動き、男の構えた網で大魚を捉える。
青い網のなかで魚が暴れるが、徐々に落ち着いていった。

 「やりましたね」
 「ああ、はは。大きいなあ」

男が初めて心の底からの笑顔を浮かべた瞬間だっただろう。
横山も予想以上に大きな獲物に珍しいのか、加賀の肩越しに魚を見ている。

 「やったね、凄いよかえでぃー」
 「横山ちゃんも頑張ったね」

譜久村や石田から賛美され、笑顔を向き合って浮かべる二人。
羽賀と小田、工藤は腰を下ろして大魚を見下ろしていた。
小田が首を傾げ、少し神妙な表情を浮かべている。

954名無しリゾナント:2017/09/07(木) 20:16:41
 「まさかこんな魚がこの海に居たなんて」
 「でも凄い色してますよねこれ。こんな模様見たことない」
 「だってそれ、普通の魚じゃないですからね」
 「え?」
 「残念ですが、それ食べられないです」

全員が小田の言葉に呆けたが、石田が反射的に口を開く。

 「ちょっと小田ちゃん、またそんな空気読まない事を」
 「不味いですよ。強烈な味で人が簡単に死んじゃいます」
 「まさか、猛毒持ってる?」
 「数年に一度しか見られないので希少価値は高いです。
  でも食べるとなれば……止めませんよ?」
 「止めなさいよ!全力で止めて!洒落になんないから!」

小田が優しい毒を含む微笑みを唇に宿す。
食べる為の釣りだったが、大魚の自然の防御が上回る。
魚は網の下で跳ねている。悲鳴が上がって思わず吹き出す工藤。

 「なんだよこのオチーっ」

工藤の笑いに誘われて他の面々ももはや笑うしかない。

955名無しリゾナント:2017/09/07(木) 20:22:47
 「あーあ、楽しみだったのになあ。私もう焼いてるイメージ出来てました」
 「でも確かあかねちんが食べられないんじゃなかった?」
 「今心底ホッとしてるでしょ」
 「……えへへ」
 「はーもう何この状況、ウケルんだけど」

笑い終えて、魚の処遇を考えたが、人の手が入らない沖合いに帰す事となった。
元々沖合に棲みついていたが、荒波に揉まれて浅瀬に留まっていたのだろう。
砂の穴は毒魚の特性によるものだと断定付けられた。
それによって被害者が出てしまう事態になったが、これでもう事故は起こらない。
きっと。

 「ありがとうな」

男は何故か魚に感謝していた。強敵への賛辞にも似た爽快さを込めて。
その場には立ち会わなかったが、沖へ斜方投射された魚は頂点から放射線を描き
大海原へと落下すると、毒魚として雄々しい巨体に背鰭の戦旗を立てて帰っていったという。

 「見て、赤い林檎だよ」
 「何その表現、かっこつけー」
 「でも長い夜だった気がします」
 「ホントにね」
 「寝オチしてたヤツらが言うことじゃないけどなー」

956名無しリゾナント:2017/09/07(木) 20:23:35
海原の左側から太陽が姿を現し、巨大な黄金の林檎となって陽光を投げかけていた。

 「じゃあ帰ってもうひと眠りしようか」
 「あれ、でも今日も警備の仕事が」
 「大丈夫だよ。お昼からでも。途中で寝ちゃってもダメだしね」
 「リーダーにさんせーい」
 「よし、じゃあ帰ろう」

朝日の眩しさを片手で防ぎ、譜久村が告げた。
反転して突堤を戻っていく。彼女の背にそれぞれが続いていく。
加賀が男に礼を言って走り去っていくと、それを見届けた。
全員が笑い合い、進んでいく。

数時間後には予期しない、新たな出逢いを迎えるとは知らずに。

                             Continued…?

957名無しリゾナント:2017/09/07(木) 20:33:48
>>947-956
『黄金の林檎と落ちる魚』以上です。

お疲れ様でした。これで今年の夏を終われそうです…。
実はこの後、三人と合流して新しい子との絡みをと思ったんですが
工藤さんの記念作品に着手したいのでここまでとさせて頂きます。
ありがとうございました。

958名無しリゾナント:2017/09/27(水) 13:04:08

紅い刃が大地へ斜めに突きたつ。
反対側からはダガーナイフが交差して刺さる。
交差する刃の峰で、太陽の光が切断された様に煌めいた。

 「はー、くどぅーもタフだねえ。風邪はすぐ引くクセに」
 「やー鞘師さんこそ、よくもまあそんなに血を出して元気ですね。
  貧血だからすぐ寝ちゃうんじゃないですか?」

鞘師里保の言葉に、戦闘訓練の直後の為、工藤遥かの息が乱れながらも言った。
笑う鞘師の隣に工藤が座り込む。
二人して”リゾナンターの為の秘密の特訓場”という名の丘に並んで
沈みゆく夕日を眺めていた。

 「まあ、えりぽんよりは加減を知ってるから、訓練相手には助かってるかな」
 「生田さん凄そうですよねえ。この前もボロボロになった二人が
  鈴木さんに怒られちゃって、まるでお母さんみたいでしたね」
 「あっはっは。香音ちゃんがお母さんか。くどぅーにはそう見えるって
  香音ちゃんに言っておくかな」
 「やっぱり譜久村さんですか、好きですねえ」
 「くどぅーもじゃないの?一回触ってみれば?ハマるよ?」
 「ハルは同意なしでハグしてますから、じゅーぶん堪能してます」
 「む、なにそれ、うちだってフクちゃんのあーんな所やこーんな」
 「分かってますって。そんなムキになんないでくださいよお」
 「もう訓練に誘わない」
 「ごめんなさい調子に乗りましたごめんなさい。次の依頼のためにどうしても
  鞘師さんと組手してもらわないと。相手がちょっと強いみたいで」
 「大丈夫だよ。ちゃんとやれてる。今のくどぅーなら負けない」

959名無しリゾナント:2017/09/27(水) 13:04:44
茶化さない、真面目で率直な感想に、工藤の唇が緩む。
鞘師は事実を言う。嘘は言わない。言えない、というのが正しいだろうか。

 「チカラの使い方、人との触れ合い方、うちもずっと
  悩んでた所だから、その苦労もちょっとは分かるよ」
 「なるほど」
 「うん。でも、本当によく乗り越えたなって、凄いと思う」

工藤が見ると、鞘師の横顔には夕暮れのような憂いの表情が浮かんでいた。

 「うちは、まだまだだなって、そう思うぐらいに」
 「何言ってるんですか。鈴木さんも言ってましたよ。
  鞘師さんが皆を助けてくれてるって。ハルもそうだなって思うし
  まーちゃんなんて鞘師さんに頼りきってる所あるし」
 「あー、優樹ちゃんはほら、皆でサポートしてる部分あるから」
 「でも、鞘師さんの存在は大きいですよ。それは、認めてます、皆」

不安そうに見つめる工藤に、鞘師がおかしそうに吹き出す。

960名無しリゾナント:2017/09/27(水) 13:05:30
 「何で笑うんですか」
 「いや、優樹ちゃんもさ、そんな顔をして言ったなあって。
  ずっと一緒に居ようねってメールまでくれて」
 「まーちゃんも感謝してるんですよきっと。素直じゃないから
  本人には言わないけど、本心ですよそれも」
 「うん。ありがとう。くどぅーだと説得力あるよ」

片膝を立てて座る鞘師の目は、前方を眺めていた。
夕日が橙色の煌めきを放ち続ける。

 「綺麗だね。うち、オレンジ嫌いじゃないよ」

鞘師が再び告げた。工藤も暮れなずむ風景を眺める。
言われてみれば、訓練と戦闘が連続する半生で、こんなにも世界を
ゆっくりと見送った記憶が無かった。

リゾナンターはたくさんの感情を見てきて育った傭兵の様なものだ。
工藤もまた、ある機密的な異能者養成所で戦線に向かった事がある。
子供ばかりの傭兵たちに紛れて、夕日の下での悲喜劇を見てきた。

リゾナンターとして戦線に向かうのも、実はあまり変わらない。
生まれて死に、殺し殺されることが繰り返される光景。
目の前で倒れ伏す姿も見てきた。
乾く喉に血溜まりの川。溺れる屍に滑る肉。乱れる息。流れる汗。
工藤の胸の内で何かが軋む。

 「消えちゃうのが勿体ないね」
 「はい……でも、また明日見れますよ」
 「そうだけど、今日だけしか見れないよ、この色は」

961名無しリゾナント:2017/09/27(水) 13:06:05
鞘師が告げる。先ほどの何かを無視して、工藤も肯定する。
世界が美しい。世界は美しい。残酷でも悲劇でも受け入れる、世界は、広い。

座る工藤の右手が動く。
大地に刺してあるダガーナイフではない、体毛が覆われた、鋭い爪。
鞘師が怪訝な顔を浮かべる。一閃。
紅い一閃、鮮血、問う鞘師との間で、静かに、殺意が芽生える。

 「何で?この手は何?」
 「ハルにも、分かりません」

他人が鞘師を殺すかもしれない。工藤は敵に復讐するだろう。
だが工藤は、それ以前に鞘師をどうにかしなければいけない気がした。
理解できないままに鞘師の上段の切り下ろしを工藤の爪が迎撃。
二つの彗星が激突し、離れていく。

鞘師の右上腕が切られて鮮血が噴出。工藤の右肩にも痛みと出血。
両者が追撃を放ちつつ駆け抜け、チカラが激突、拮抗。
裏切り、狂乱、工藤の顔裏から伸びていく体毛、浮き出る口角。
もう工藤の面影は、顔から半分のみとなっていた。

 「何で急に、それはくどぅーの意志なの?」
 「分かりません。分からない、分からないんです…!」

突きに薙ぎ払い、上段下段、左右と数十から数百もの紅線となって
双方の間で刃と爪が激突する。胸は激痛を訴えていた。

962名無しリゾナント:2017/09/27(水) 13:06:49
ア゛ウォオオオオオオオオオオオオオ!

工藤遥だった”獣”が人間とは思えない咆哮を空に吐き出す。

 「くどぅー!」

訓練時の比ではないほどの閃光の嵐。
工藤は叫んでいた。心の底からの叫びだった。
既に自分が「大神」になった事を理解し、苦痛を訴える。
せめて鞘師に止めてほしい。今ならまだそんな心が残っていた。
この一片の良心が消えない内に、工藤は自身の命を止めるべきと考える。

 「工藤、それでいいの?それで本当に……うちは……止めなきゃいけなくなる」

鞘師が構えをとる。”獣”の背筋が冷える、凄絶な構えに絶望する。
赤い刃は獣の頭部と身体を分断した。
跳ね飛ばされる頭部が丘の芝生に堕ちていく。
半生で最高の一撃といっても良いぐらいの、歪みのない切っ先。
貫通した刃先は背後の大木すら両断し、上半分が横倒しになり、重々しい音を立てた。
夕暮れに散った葉の間に、頭部の体毛がざわめく。
鮮血と共に獣が横へと倒れていく。

 「工藤、ごめん。出来ないよ、うちには」

跳ね飛ばされた頭部が体液となって地面に染み込む。
純白の体毛に覆われた強固な骨格と筋肉は、”カワ”となって彼女を護る。
視神経や脳髄を切り離された”カワ”に意志は無く、”カワ”に覆われた
小さな工藤遥はまるで赤子のように丸まり、腹部の位置で生きていた。
赤ずきんが狼に食べられたかのように幻想的な異能。
筋肉、皮膚、体毛、骨格ですら自分のものではない、擬人化。

963名無しリゾナント:2017/09/27(水) 13:09:01
 「……うちは、やっぱりこのままじゃいられない。
  咲いても朽ち枯れるだけなんて、うちには出来ない。
  世界を見るべきなんじゃうちらは、例え一人でも、独りじゃないから」

工藤の意識はまだ、あった。
思わず左手で自らの唇に触れる。唇は両端が上がり、半月の笑みを作っている。
笑っていた。工藤遥、笑っている。

 「工藤、最近血の匂いがするけど、何をしとるんじゃ?」

心臓が跳ね上がる。体液もそのままに、工藤は体を起こす。
洗い流している筈の事実を、鞘師はきっぱりと言い当てた。

 「うちにはもう何も出来ないけど、皆が居るから心配はしない。
  きっと皆がなんとかしてくれる。くどぅーも、独りじゃない」

虚ろな視線の中に飢える光。工藤は何も言えなかった。
舌にこびり付いた血の味が鮮明に思い出せる。
本能が、吠える。

肉を食み、血溜まりの道を舌で這い舐めながら、どこに行けばいいと啼いていた。

964名無しリゾナント:2017/09/27(水) 13:12:43
>>958-963
『銀の弾丸Ⅱ -I wish-』

内容的に続編にするべきか悩んだのですが、この形になりました。
投げ出さない様にオープニングだけ置いておきます。
シリアス路線なので基本は深夜投下とさせて頂きますがよろしくお願いします(土下座)

------------------------------------ここまで
またしたらばでお世話になります…。

965名無しリゾナント:2017/10/16(月) 03:38:30
それは決戦前夜。
以前の日常を捨てるように前に進むための戦いへ。
体力温存のために僅かな休憩をする事となった。
異能者である以前に、彼女達は人間。

眠気眼が見開かれた先に、静かに佇むのは頼りの仲間。

 「おはよう愛ちゃん」
 「ごめ、どれぐらい経った?」
 「まだ30分しか経ってないよ。皆まだ眠ってる」
 「ガキさん交代しよう。あーしはもう良いから」
 「その前に、愛ちゃんにもう一度確認したい」
 「……二度は無い。もう引き戻れんよ」
 「いくら生まれがあの組織からだとはいえ、愛ちゃんは
  普通に暮らしても良いんだよ。全てを私に被せれば
  あっちは今の生活を約束してくれる。
  スパイである私を差し出せヴぁ…」

頬を摘ままれ、言葉が濁る。
その姿に笑って、歯を見せた。

 「あーしが望む世界にガキさんがおらんのは、ちょっと寂しいな。
  生きてさえいれば全てが上手くいく。そう思わんか?」
 「…たくさんやりたい事、あったんじゃないの?
  引き戻せないなら、二度と引き戻せない可能性だってあるんだ。
  その可能性の方がきっと高い。やりたい事が全部消えるよ」
 「いつも思うけど、あんたは頭使いすぎやよ。
  もっと良い方に考えればいいのに、そのおかげで今までも
  たくさん助けてもらっとるんやけどね」
 「この道は真っ暗で、闇に溶けこんでる。まるで光が小さく見えるの」
 「皆で照らせば怖くないやろ。頼りない光を、大きく皆で囲って。
  ガキさんも一緒に囲ってくれるやろ、小さな、本当に小さな光を」
 「…全部終わったら、どうするの?」

966名無しリゾナント:2017/10/16(月) 03:39:29
 「そうやなあ…もっと光を増やす、かな。九人の光が小さいなら
  もっともっと増やせばいい。あーしらの共鳴はそのためのものやから」
 「もし、この戦いで減ってしまうことになったら…?」
 「考えは変えん。この希望を途絶えない事が、あーしらに出来る小さな
  光だと思っとる。増やす事がきっと、あーしらの運命とやらの願いやよ」
 「…分かった。もう何も言わない。私もその希望、見てみたくなった」

無数の星々が煌めき、散っていった。
静かな世界が大きく揺るがされ、半数を失って、光が、現れる。
九つの光が瞬き落ちていく姿に誰かは両手を上げる。
掬いとった光に繋がれた細い線と、結ばれた共の心。

 「どうしたとーみずき」
 「ん?いや、なんか今星が落ちてった気がして」
 「え?それ流れ星やないと?」
 「そうなのかな?一瞬だったからよく分かんなかった」
 「願い事を聞く暇もないって感じやんね。伝説だし」
 「でも伝説になるぐらいなんだから、誰かは叶ってるのかも」
 「叶わないから希望として伝説になったんやない?」
 「えりぽんならどうやって願いを叶えてもらう?」
 「そんなの、手と足で叶いに行くに決まっとるやん。努力努力」
 「努力でも叶わないってなったら?」
 「そんな事絶対ないから。人が努力しないって事ないから」
 「どうして言い切れるの?」

967名無しリゾナント:2017/10/16(月) 03:40:28
 「努力してなかったら、途中で諦めたりせんよ。本当に努力を
  したことがないっていうんなら、苦しい事すらせんって」
 「ふうん、そういうものなのかな」
 「その証拠がえりだから」
 「そっか。そうだね」

コーヒーの匂いが辺りに漂う。
壁には色褪せた写真の隣に、新しい写真たちが並ぶ。
常連客の中で譲渡の声を何度も聞くが、その予定はない。
再びその景色を眺める先輩の懐かしい表情を見てしまえば分かるだろう。
料理の詰まれた皿にフォークを刺し入れ、口に含む。
何十種類ものオリジナルレシピのノートを全て頭に叩き込んでいる。

いつか先代達に披露できるよう腕を訛らせない様に何度も作る。

 「じゃ、そろそろ寝るよ。明日も早いけん」
 「おやすみ」
 「みずきー」
 「んー?」
 「…なんでもなーい」

明日もよろしく。その次の日も。そのまた次の日も。

星が散って、落ちていく。
辿り着いた先でもまた、多くの光に囲まれるだろう。
自分の手と足で集まれ光よ、胸の高鳴る方へ。

968名無しリゾナント:2017/10/16(月) 03:46:08
>>965-967
いい気分だったので保全作を載せてみました。

969名無しリゾナント:2017/10/16(月) 21:43:36
ごめん、約束の作品間に合わなかった

970名無しリゾナント:2017/10/27(金) 03:04:52
 「はー…疲れたっと」

頭を下げた宇宙人のような街灯が、夜道に白い光を落としている。
街灯に羽虫が群がっていた。
蛍光灯にぶつかる音が夜に響く。
駅前ならともかく、アパートや個人住宅が並ぶ地区に人通りは少ない。
言い訳のように街灯が光を放つ夜道が延々と続いている。
噎せ返るような湿気を含む夜と、汗で肌に張り付くTシャツがただでさえ
暑い八月の夜をさらに不快にしている。
日本はそろそろ亜熱帯になってるんじゃないかとさえ思えた。

若者にありがちな、この現実は何か違うという自己逃避と切って捨ててしまいたい。
学生時代から今まで、全てに違和感がある。
なにかの遊びに思えて、世界がふわふわしていた。
なぜみんなは真剣に現実を受け入れているのだろう。
この焼かれて溺れてしまいそうな現実は理解できない。

 「理解できても、きっと私はすぐに見捨てるだろうけどね」

一人呟いて、足でアルファルトを強く踏む。
そうえば今、あの店には誰が居るのだろう。
喫茶『リゾナント』はこの地一帯ではもう十年の節目を迎えた。
そこでは彼女、飯窪春菜は成人しているという事もあって責任者を任されている。
マスター代理は譜久村が担っているが問題はない。
最初の頃は不安がなかったわけではないが、今ではしっかりと責務をこなしている。
張り合いのある仕事は楽しい。未来は明るい。

このまま生活を送るのなら、それはそれで幸せな事なのだろう。

 「きゃっ、何?」

971名無しリゾナント:2017/10/27(金) 03:05:43
靴の裏で何かが潰れる感触で、思わず飛び退く。
薄紙の塊を潰したような感触だった。
街灯の楕円が作る円の外れ、アスファルトの上には、虫の死骸があった。
羽はちぎれ、体液がスファルトに染みを作っている。
夏につきものの蝉だった。

 「いいい……うそ、でしょー…」

路上に蝉が留まっているわけがない、元々ここで死んでいたのだろう。
ついていないというか、気持ちの悪さが勝る。
可哀想という気持ちが芽生えたのは、死骸の上を越えた後だった。

手を合わせて顔を上げると、半分の月が夜空に捧げられている。
まるで満月だったのに誰かが噛みついてしまったみたいだ。
喫茶店に辿り着く。
「Clause」のプレートが揺れて、微かに鳴り響く鐘の音。
だが本当に微かな音だった為に、店内からの反応はない。
そもそも、もしかしたら誰も居ないのかもしれない。

 「まあ、明日には帰ってくるよね」

972名無しリゾナント:2017/10/27(金) 03:07:09
依頼の数も増加したり減少したりとバランスが悪い。
向かう人数もその時による上に、帰宅時間も一致しない。
ここ一週間のリゾナンターは多忙の毎日を過ごしていた。
飯窪も今しがた依頼を終えて帰宅したのだ。
喫茶店の風景も少し寂しそうに見える。

 「明日からお店も開かなきゃいけないし、忙しいなあ」

以前は居住区として利用していた二階には空き部屋が三つある。
一つは空き部屋というよりロフトだが、そこは荷物置き場と化していた。
休憩室としてのリビングを抜けて、飯窪は違和感を覚える。

 「あれ?」

テーブルの上に、鞄が乗せてある。
それはポシェットに近いサイズで、メーカーのマークが縫われている。
誰のかは判別できないが、触れて持ち上げてみるとそれとなく重量を感じた。
何かが入っている。
良心が痛むが、名前すら書いていないとすると中身を確認しなければ
このまま放置も出来ない。

チャックを引き、飯窪は覗き見をするように真上から見下ろす。
予想していたものと遥かに違っていて、一瞬怪訝な顔を浮かべた。
手を入れて、それを持つ。

973名無しリゾナント:2017/10/27(金) 03:08:04
 「なにこれ」

その数は十四、弾丸だった。
個人が所持しているゴム弾とは違って先端が尖った銀製の小口径。
初めて見るものだったが、どうしてこんなものが放置されているのだろう。

飯窪の体が固まる。
背後の扉の奥から物音が聞こえ、息を止め、耳を澄ます。
立ち上がって、扉の前へと足を運び、耳を押し当てる。
空き部屋の筈だ。
鍵は一階の厨房にあるが、その場所を知っているのはこの店の関係者のみ。
どんな用事があろうとも滅多に開かれることは無い。

音は一種類だけではなかった。
ねちゃねちゃとした音と、途切れ途切れに熱を帯びた声。
心がざわざわと騒ぐ。
扉の前に静かに寄り、声を聴きとろうとする。

 「ねえ、今どんな気持ち?当ててやろうか?」

部屋に踏み込みたくなる衝動を堪え、さらに聞き耳を立てる。
快楽に咽ぶ声の主に気付いて驚愕の色を隠せない。

 「もしかして照れてんの?こんなにドキドキしてさ…。
  この一瞬だけはハルも、緊張するよ…………はあぁ。
  やっぱり、ハルの孤独を埋められるのは君だけだ…!」

974名無しリゾナント:2017/10/27(金) 03:08:52
瞬間、頭の内部で何かが切れた。
数百種類の恋愛漫画による妄想空想の嵐の中で、理性を保つ。
興奮と好奇心が今までの思い出を脳裏で真っ赤に染め上げる。

 「どぅー!」

リビングに通じる扉を細身の腕でぶち破ろうと勢いをつけるが
外側に開くタイプだった為に一瞬態勢を崩す。

 「っ、もうっ。どぅー!皆がいないと思って、誰と、なに、やって…」

再び内側に勢いよく足を踏み入れたが、飯窪を責める声は続かなかった。
ここでラブコメなら、彼女は実はテレビの猫だかドラマだかの映像でも
見て騒いでいて、少し卑猥に聞こえたみたいな展開が待っていただろう。
現実は予想の斜め上を行く。

手に持っていた弾丸が落ちた。床を転がっていく。
転がっていくフローリングの床の先には、一面に青いビールシートが
敷かれており、視界がカメラのように一部分ずつ切り取っていく。
分厚いシートの上には赤い水溜りが大量に出来ていた。
赤い水に弾丸が浸かる。
青いシートの中央にだらりと投げ出されているのは、長い肉片。

975名無しリゾナント:2017/10/27(金) 03:10:26
青白い肌の先に五本の指。指の先には爪があると、当たり前のように確認。
何をどう見ても、人間の腕だった。
肩の下から切断された右手がビニールシートの上に転がっている。
断面には白い骨と赤い肉、皮膚の下の黄色いイクラのような脂肪の層が見えた。

腕の先、部屋の奥へと視線が動いていく。
糸鋸に鉈、柳刃包丁に肉切り包丁、ハンマーにナイフという凶器が
青いビニールシートの上に几帳面に並べられている。
先には、また切断された白い足が転がっている。
愛するものの死体を想像して、飯窪の目は終点の窓際に向けられる。

しまわれていた筈のテーブルの上には、人間の胴体が横たわっていた。
首から上が無く、小さな胸が二つ、女性だ。
鎖骨に水平の線が描かれ、胸から腹部へと垂直に切り開かれている。
肋骨が折られ、赤黒い洞窟のような胸郭が見えた。
赤い穴の上には、光沢のある長い髪。
手先は血に染まり、赤い滴を垂らしている。飯窪の口は開いたままだった。

工藤遥がゆっくりと顔を上げ、飯窪の存在たった今気付いたようにこちらを見た。
濡れた様な目には暖色の鋭さの輝きに陶酔。
口から顎、そして前掛けをかけた胸が真っ赤に染まっている。

遥が正座をし、テーブルの上の女の胴体にフォークとナイフを当てて、硬直していた。
工藤の斜め左前には、皿があった。
皿の上に丸みを帯びる痙攣した物体、心臓が載っている。

 食べていた。

976名無しリゾナント:2017/10/27(金) 03:11:35
それは関係の比喩ではなく、単純に、本当に、食事として食べていた。
生で食べる訳でもなく、ある程度は料理されている事を頭の後ろで理解する。

頭に上っていた血が急速に下がっていく。
手や足の先が冷えて、痺れる。
心臓がドキドキと鼓動を鳴らす。
恐怖なのか驚きなのか分からない、緊張していた。
ようやく飯窪の脳は冷静に現実を解釈し始めていた。

 「は、あ?」

口が開き、開いたなら眼前の光景に感情が動き始める。

 「なにこれ?ねえ、くどぅー?なに、やってんの?」

ビニールシートの前で、工藤の前で、飯窪は動けない。

 「食べ、いや、くどぅーはお肉好きだし、でも、こ、殺し…」
 「…あーあ、とうとう見つかった」

いたずらを見つかった子供のように、工藤は首を傾げる。
肩にかかる黒髪、滑らかく幼い頬。暖色の獣のような眼光以外は工藤遥だった。
その目に見覚えがある、異能発動時の、彼女の目だ。

 「誰なの?あなた、本当にくどぅーなの?」

977名無しリゾナント:2017/10/27(金) 03:18:46
>>970-976
『銀の弾丸Ⅱ -I wish-』

お待たせしました。オープニングから少し間が空きました。
書き始めたのが夏場だったので季節は夏から冬へと入っていきます。
お食事中の人すみません。

978名無し募集中。。。:2017/10/29(日) 02:49:45
>>73 続きです。

悪夢の光景に世界が回る。落ち着きを取り戻そうと息をすると
生焼けのレバーを食べた時のような味が喉に来る。
ようやく部屋に溢れる血の匂いに気付いた。
嗅覚は眼前の光景が嘘ではないと全力で主張している。
口角が上がっていて、工藤は微笑んでいるように見えた。

 「やだ、やだこんなの、こんな」
 「落ち着いてはるなん。とにかく聞いて、ちゃんと説明するから」
 「ひっ」

工藤が腰を浮かせると、飯窪の足は後ろに一歩下がる。
少し寂しい笑顔で、工藤が腰を下ろす。
後方に引けていた飯窪の腰はその場で停止している。

 「ハルはハルだよ」

工藤が淡々と告げる。

 「でも、こうしないとハルは生きられないんだ」

979名無し募集中。。。:2017/10/29(日) 02:50:30
工藤の口から出た言葉がよく分からない。
それでも頭の中で単語を分解して理解しようとする。
工藤遥。17歳。口が悪い。ショート。中二病。トリプルエー。
病弱でヘタレ。能力は。

 「……あ」

出来てしまった。唐突に、いや既に答えは出ていた。
理解できたできないしないといけないできないでもできてしまった。
小柄な彼女の巨大な影に寒気を感じなかった訳がない。
だが、彼女の場合は肉体変異させる『獣化』ではない。
では彼女の異常性は一体どこから生まれているのか。

 人を食べる、その本能がどうして彼女に芽生えたのか。

考えるが、この現状で冷静な答えが出てくる訳もない。
飯窪には他に考える事がある。

残念ながら日本では死体が道に落ちている事はないし、たまたま食卓に
出てくることもない、ましてや土葬の習慣もない。
なおかつ人間の死体を食べる習慣も、ない。
眼前の食卓や床のビニールシートの上にある死体は新鮮なものだ。
飯窪は唾を飲む。
血の臭いが喉に再び広がっていく

 「どぅーが、殺した、の?」

工藤が口を開くが、言葉が出る前に予測できた。

 「私も、食べるの?」

980名無し募集中。。。:2017/10/29(日) 02:51:42
言葉にした瞬間、頭の中でサイレンが鳴る。飯窪は反射的に屈んで
ビニールシートに落ちている一番近い武器、ナイフを手に取った。
サバイバルナイフの柄についた血で手が滑る。
ホラー映画だと、主人公はパニックになって叫び声を上げて逃げる
シチュエーションだが、飯窪はナイフを握った。

リゾナンターとしての責務が、彼女にはある。
裏切り、その言葉に、だがナイフの刃先が迷う。

これまでにも先代のリゾナンター同士で争いが起こった事がある。
裏切り、意志の違い、分かれる未来、将来性。
まさか工藤とその立場になるなど、飯窪は考えた事がなかった。
だから悲しい。
工藤が人を襲ってしまった、その事実が既に目の前に置かれている。
飯窪の目が濡れて光りが籠る。

ナイフを握ったまま立つ飯窪に、座ったままの工藤が部屋で向かい合う。
工藤は白い手を床に伸ばす。
指先が血で赤く染まっており、現実だとさらに主張する。
飯窪のナイフが僅かに反応して、刃先が跳ねた。
切っ先は血に濡れた工藤の顔へ向けられていた。

981名無し募集中。。。:2017/10/29(日) 02:53:11
 「そんな事ある訳ないだろ?」

手が戻り、握った濡れタオルで口から喉、胸元を拭う。
一回では取れないので、顔の血をさらに拭っていく。

 「はるなんを食べるなんて事、絶対にないよ」

血の赤が消えて、白い工藤の顔が現れた。飯窪のナイフは、動かない。

 「だって、くどぅーは食べなきゃいけないんでしょ?」
 「うん。でも、メンバーは食べない。はるなんを食べる訳がない」
 「本当に?」
 「言っても信じてくれないだろうけど、本当」

工藤の目に感情が渦巻く。

 「多分皆にどんな目に遭わされても、ハルは皆を殺せない」

それでも飯窪はナイフを下ろさない。
部屋に横たわる死体、血液、内臓。鼻をつく血の臭いという現実が
工藤の言葉を信じる事を拒否させようとする。
真実であろうと頭が理解しても、体が拒否する。

 「じゃ、ハルは出てくね」

982名無し募集中。。。:2017/10/29(日) 02:54:59
遥が立ち上がり、飯窪のナイフがまた跳ね上がる。
自分の心に連動するようにナイフが動く。
向けてはいけないのに、弱い心が命令する。

 「ずっと隠してたけど、バレたらもう一緒にいられない」

遥は寂しそうに微笑む。
両手を首の後ろに回し、前掛けを解く。
飯窪の手のナイフは遥が動くたびに刃先で追ってしまう。

 「どこに行くっていうの?」
 「言わない。必要な荷物は持っていくけど良いよね」

床に転がる弾丸を拾う。
指の中で遊ぶように回した後、静かにポケットに入れる。

 「えっと、片付けできなくてごめん」

黒い髪が尾を引くように、遥が頭を下げた。戻った顔には微笑み、頬を掻く。

 「片付けと掃除の方法は、流しの下の裏に封筒で貼り付けてあるから
  それをやってみる方が良いと思う。臭いの取り方はコツがあるし。
  あ、流しの下っていってもシンクの下じゃなくて横の方だから」

憂い顔のような笑顔。初めて見る表情だ。
何故こんなにも普通に会話をしているのだろう。
背後には食べかけの料理が残される。それなのに彼女はいつもの調子で話す。

983名無し募集中。。。:2017/10/29(日) 02:56:12
 「この店に来るのも最後かあ……好きだったなあ…」

血臭に囲まれる空間で呟いた工藤が飯窪の横をすれ違う。

 「じゃ」
 「待って」

思わず言ってしまった。ナイフを握っていない手が前に出る。
飯窪の手と工藤の間には、女性の胴体だけの死体や血だまりが広がっている。
二人の間には、血塗れの現実が横たわる。

すべきことは分かっている。
理解している。人間として、サブリーダーとしてするべき事を知っている。

其れよりも優先されたのはナイフを床に捨てて、両手で工藤を抱きしめる事だった。
工藤の熱い体が怯える様に震えた。

 「はるなん?」
 「私に押し付けないでよ。一緒に片付けるから、それから考えよう?」
 「何、を」
 「説明してくれるんでしょ。この有様を」
 「……うん」
 「なら、出ていくって言うなら、全部話してから出て行って」
 「…分かった」

984名無し募集中。。。:2017/10/29(日) 02:56:52
血が流れている肉の体。人間の体を飯窪は抱きしめている。
裏切る心は誰にでもある。
だからきっと、この感情は元々飯窪の中にもあったものだ。
だから認めるしかない。認めるしかないのだ。
彼女を信じるしかない事に。
工藤はただずっと困惑し、それでも笑顔のままだった。

985名無し募集中。。。:2017/10/29(日) 03:11:50
>>978-984
『銀の弾丸Ⅱ -I wish-』

工藤さんのセーラー服姿は女優さんになっても見れるのかな…。

>>86
おめでとうございます(他人事…w)

>>79
そうです。ファルスの台詞を貰いました。
興奮状態を表すために異常性を高めたかったので…w

986名無し募集中。。。:2017/11/01(水) 03:49:54
飯窪から見て、工藤はまだ幼い。
大人の道に片足を突っ込んではいても、まだ17歳といえば子供だ。
リゾナンターは年相応に見えないメンバーも歴代を含めて多い。
彼女もその一人だが、生い立ちを考えると無理もないとは思う。
だが飯窪は、そんな大人びるだけの彼女があまり好きじゃなかった。
幼い子供が鉄の匂いを纏って死体に跨る姿などあってはいけない。
けれどそんな飯窪の想いを知る筈もなく、工藤は部屋の片づけを開始した。

慣れているとでも言いたげに既に首、手、足と切断されていたので
それぞれを市が指定するゴミ袋を二重にして入れて、口を縛る。
飯窪は言われるがままに解体に使った糸鋸や鉈、包丁やナイフに向かう。

指示通りに新聞紙に包んで同様にゴミ袋に入れる。
床の青いビニールシートは端から畳み、これもゴミ袋に入れる。
工藤がこちらを見つめていた。

 「壁の下の方まで広がる大きめのを使うと汚れなくて便利なんだよ」
 「…それ、あんまり役に立つ知恵とは思えないんだけど」
 「まあね。時と場合と人による、考えるとけっこー範囲狭いなこれ」

笑い声。普段通りに会話している事に気付き、ぞっとした。
十二個のゴミ袋が出来たが、下の方に血が溜まって重くなっている。
道具と敷物で数十キロを十二個に分割したものの、それでも一個に
対する重量が大きいのは確かだ。
硬直していた体は時間が経つと慣れてきたのか落ち着いていた。

987名無し募集中。。。:2017/11/01(水) 03:50:31
 「ふう…で、これをどうするの?」
 「ハルが決めてある場所に埋める、はるなんは待っててよ」
 「どこに行くの?」
 「一回で行けるよ、今までもそうしてきた」
 「下、下まで手伝うよ」

飯窪は小さい袋を四つ持てた。工藤は一度に大きな八つの袋をまとめて持つ。
階段を軽やかに駆け下りていく工藤の背中を見る。
飯窪も続いて下りていく。
暑い夜のため、一階まで下りただけで汗が噴き出た。

 「工藤さん、こちらです」
 「すみません、また頼めますか」

車のエンジン音が聞こえたかと思うと、そこには見覚えのある
スーツを着た二人の男女がドアから現れる。
後方支援部隊、事前に応援を呼んでいたらしい。
つまりは、工藤の行動を以前から知っていた事になる。
それが少しだけ、悔しかった。

 「一緒に、来る?」


二人は無言のまま、車は夜の街に出る。
コンビニや二十四時間チェーンの店からの灯りを抜けていく。
車は郊外に向かい、当たり前のことだが、そこでようやく死体が
夜の山かどこかに捨てるのだと気付いた。

988名無し募集中。。。:2017/11/01(水) 03:51:08
工藤の横顔に、飯窪は口を開き、悩みながらも聞いてみる事にする。

 「どぅーって本当は力持ちだったんだね」
 「え?」
 「ほら、さっきの私の二倍を運んだのに、この暑さなのに
  汗も出てないし、息も切れてない……いつもなら前髪が引っ付くぐらい
  もっと汗かいてるのに、もしかして隠してた?」
 「あー……うん。隠してた」

考えて、工藤が肯定する。

 「養成所に居た頃によく分からずにチカラを使いまくってたら
  周りの子達に怖がられてさ、それから手を抜くようにした。
  汗はチカラの分泌物でどうとでも見せられたし。
  目立つ事をしてると監視もキツくなるし、自由が少なくなるし。
  その頃から何度も抜け出してたしね」

車内にはまた沈黙。気まずい。
一時間ほどで、車は山中に入る。
国道は通っておらず、黎明技研の研究所と公務員の保養施設があるが
別ルートの山道を行けば、誰かに会う事もない。
山道を進み、中腹で停車する。
周囲に人がいない事を確認して、助手席の女はライトを脇に抱えた。
運転席の男は積んであったシャベルを担いで、ゴミ袋を持って外に出る。
工藤もゴミ袋を掴み、ガードレールをまたいでジャンプで越える。
重い荷物を持って飛び越えるなんて、どんな筋力だ。
飯窪はガードレールを跨いでようやく越えていく事がやっとだった。

989名無し募集中。。。:2017/11/01(水) 03:51:43
ライトで照らしながら夜の山中を下っていく。
木々の梢の間から月光が降り注ぐが、森の闇は深い。
ライトで照らしても暗い下生えの雑草が足にまとわりつく坂を下っていく。
土の植物の匂い。
手に触れた枝が折れて、青臭さが鼻に突き刺さる。
飯窪は木の根で転ばない様に慎重に進むが、工藤は闇が見えているかのように
軽快に坂を下っていく。
飯窪は常に彼女の背中を見ながら降りていく。
月光がほとんど差しこまない夜の森を進むなど普通は怖いが、平気だった。

目の前に工藤が居るからだろう。
夜の闇の怪物だの、死者の霊だの、工藤の前では怖くともなんともない。

恐怖が目の前にあるのだから。

木々の間の開けた場所に出ると、雑草が茂る間に進み、工藤達が足を止める。
ゴミ袋を置いて、シャベルを握る。
垂直に下ろして、刃先を地面に深く突き立てた。

 「ここ?」
 「うん。はるなんは周りを見てて、大丈夫だろうけど念のために」
 「う、うん」

990名無し募集中。。。:2017/11/01(水) 03:52:41
刃先で掘り返した土を脇に捨てる。シャベルを突き立て、繰り返す。
機械であるかのように一定のリズムでさくさくと土を掘っていく。
まるでケーキのスポンジでも掘っているかのような速度だ。

 「あのさ、穴ってどれぐらい掘るの?」
 「2メートルぐらいかな。浅いと野犬が掘り返して見つかる」
 「……焼いたりは出来ないの?」
 「場所が確保できないし、人をまるまる燃やすのに時間がかかる。
  あとは匂いですぐにバレるんだよ。だから埋めた方が簡単なんだ」
 「それも経験から?」
 「うん、経験から」

工藤が土を捨て、また地面にシャベルを突き立てる。
大人二人がようやく一回目の土を横に捨てる間に、工藤は三回も往復している。
まるで掘削機だ。
腰の深さまでになった穴に入り、工藤は男と共に本格的に掘っていく。
月光の下で数分ほど、無言で工藤は掘っていた。
男女二人も無言のまま言葉もなく手伝っていく。

胸辺りまで掘って、穴を広げる作業になる。

 「聞いても、いい?」
 「いいよ、なんでも」

工藤の手が止まった。動揺は一切浮かべない。

 「なんでも答えるよ。もう隠す理由もないし」
 「ええっと、工藤遥って名前は本名?」
 「あーていうか、ハルはもう死んだ事になってるから。
  でもこの名前で生きてきたから、この名前で呼んでくれると分かりやすい」

991名無し募集中。。。:2017/11/01(水) 03:53:21
工藤の目は静かだったが必死さが籠る。冗談の表情では、ない。

 「分かったよ、どぅー」

二人の上に不愛想な月光が降り注ぐ。

傍らには土の山。
そして地面に置いたライトと分割された女の死体が詰まったゴミ箱。

 「この人は、どんな人間だった?」
 「能力者だよ。だから名前も分からない、分かるのは、今回の依頼を
  してきた人をつけ狙ってたから、返り討ちにした」
 「まさか持って帰ってきたの…?」
 「そのまま放置も出来なくて、せっかくだし」
 「…食べるようになったのって、そのチカラのせい?」
 「人の食べ物が食べられないって訳じゃないよ。
  でも全然食べた気がしないんだ。食べても食べてもすぐに消化する。
  牛肉や豚肉も好きだけど、気持ち的にも満たされるのはこっちなんだよね」

工藤はいつも肉類を美味しいと言って食べていた。
牛肉、豚肉、鶏肉、挽き肉。
彼女が食べて喜んでいる姿に微笑ましく感じていた。
だが人間の抱える飢えは限界を超えると相当、辛い。
意識が朦朧として正気を保てなくなる。それ以上の飢えを飯窪は知らない。
だが彼女はそれ以上なのだろう。
通常の食事では摂取できないほどの飢えを知ってるのだと遠回しに言っている。
彼女の気遣いを思うとかつての自らの愚かさを責めそうになる。
そんな飯窪に工藤は笑ってみせた。

 「普通の人を殺すのは抵抗があるけど、能力者ならまだマシかなって」

992名無し募集中。。。:2017/11/01(水) 03:53:56
飯窪は返答できない。
彼女を妹のように愛しているし、勢いで許容はしたが人を殺すという事を
当たり前の様にしてはいけない。
家族から切り離された天涯孤独でも、ホームレスやカフェ難民でも日雇い派遣労働者でも。
異能者だとしても立場は変わらない。
自分に跳ね返る現実に、飯窪は顔を俯かせる。

 「ごめん」
 「それは、何の謝罪?」
 「黙ってた事、でもいくら皆でもこういうのって気味悪いでしょ、実際。
  この人達はハルと行動するって聞かないから手伝ってもらってるんだけど
  正直言って申し訳ないっていうか、やってほしくないんだよ。
  もうハルのわがままに誰も巻き込みたくない」

それでも工藤はリゾナンターとして活動を辞める事はしなかった。
都合が良かったのかもしれない。
だが、工藤遥はそれを容易な事態だと受け入れる事はしない。
どれほどの葛藤があっただろう。
別の意志とは裏腹に、仲間と共に過ごしていた時、彼女の中でどんな思いだったのか。
それでも真っ先に謝罪したのは工藤だった。

993名無し募集中。。。:2017/11/01(水) 03:54:36
 「こんなヤツでも感情があって、普通に人間みたいに振舞うのって
  まともな人間からしたら凄く異常なことだしさ」
 「どぅーは怪物じゃないよ」

飯窪は反射的に言っていた。
本当は目の前の工藤が「悲しい」と言っている事に奇妙な違和感を覚えていた。
昨日までの工藤にだったらこんな感情は抱かなかった。
それでも好きだからと、納得させる。

 「工藤さん、これで良いですか」
 「あ、はい。これぐらいで大丈夫です」

既に穴は見下ろすほどに深く大きくなっている。
深さはすでに2メートル、幅は4メートルぐらいだろうか。
掘った土は小型トラックの荷台分ぐらいありそうだが、雑談をしながら
三人で十分の作業と思えば優秀過ぎるほど早い。
横に置いていた死体入りのビニール袋を運ぶ。重い。
振って投げようとして、工藤が声を上げた。

 「中身出して入れてほしいんだけど」
 「え?そんな事したら…」
 「入れたままだと土と同化するのに時間がかかる。だから出してあげて」

工藤にしてみれば、土に同化していつか証拠が消える方が安心できるのだ。
飯窪の手は迷う。工藤が心配顔になっていた。

994名無し募集中。。。:2017/11/01(水) 03:55:10
 「きついならするよ。後ろ向いてゆっくりしてな」
 「うん……ごめん」

結び目を解いた途端、鼻につく血の臭い。
口で呼吸しても血の味が喉に来るようで思わず手で口を塞ぐ。
袋の下を持って、穴に向けて逆さにする。
右か左か分からないが、血に塗れた腕が穴の底へと落下していく。

穴の反対側では男達が同じように袋を逆さにして、女の太腿を落としていく。
三人で黙々と袋の結び目を解いては、手や足や太腿、分割された
胴体を落としていった。動物の肉とは違う、生々しい。

分解に使った道具すらも捨てるらしく、少し気になった。

 「道具も捨てるの?」
 「うん。一回使うと酸でも使わない限り証拠として残る」
 「ああ、ルミノール反応、ね」
 「中古ならそれなりの場所で安く買えるしね。ネット様様だよ」

穴の縁で、工藤が両手を合わせた。睫毛を伏せ、目まで閉じる。

 「ごめんなさい」

死者への礼儀と謝罪で自分の罪を誤魔化すための、偽善。
それでも工藤は手を合わせて、黙祷する。
する必要もないけど、それでもするのが工藤遥なのだ。
飯窪も手を合わせて黙祷する。男達も便乗する。

薄目を開けて前を見ると、工藤はまだ黙祷していた。
彼女は好きこのんで人を殺して、食べてる訳ではない。
もうすぐ死ぬ人に死んだら食べても良いですか、と聞くわけにもいかない。
生きにくい設定を二重に背負う彼女の心はまだ幼い。
どちらかがなければ普通とはいえないまでも、もっと楽に生きられただろう。

995名無し募集中。。。:2017/11/01(水) 03:55:40
 「じゃ、埋めよっか」

工藤の顔はいつもの表情に戻っていた。
目には罪悪感が見えたが、触れない方が良い。
今度は四人で穴に土を被せていく。
工藤は相変わらずとんでもない腕力でシャベルを動かす。
ほんの三分で土が埋まっていき、草原に小さな山が出来る。
土の小山に乗って、工藤は足で固めていく。飯窪も足で踏む。

 「これでいいよ」

工藤が止まったので、飯窪も止まる。
まだ少し盛り上がってはいるが、そのうちに雨が降って土が固まり、周囲に
雑草が生えてくればもう見つかる事もないだろう。
こんな山に開発や建設で掘り返される事は、二人が生きている間にはないはずだ。

タオルで土塗れの顔や手を拭う。

終わった。全てが終わったのだ。儀式めいた事柄に、飯窪はようやく息を吐く。

 「じゃ、今までお世話になりました」
 「え」
 「はるなんはこの人達に送ってもらって。ハルはここから山を越えて
  向こうの街に出るよ。宛があるから、荷物はそっちに送ってもらう」

工藤のあの脚力なら山を越えるのに一時間も掛からない。

996名無し募集中。。。:2017/11/01(水) 03:56:13
 「今日の事は、皆には黙っててほしいけど、でも多分誤魔化せないから
  話して良いよ。全部ハルのせいにして良いし」
 「本当に、出ていくの?だってまだどぅーはリゾナンターなんだよ?」
 「依頼は一人でもやれるヤツを連絡してくれたら動くよ。まあちょっと面倒だけどさ」
 「……どぅー」
 「また改めて皆には説明するし。ってどうにもならないか、どうしようかな」

その時にようやく溢れだす寂しさに、飯窪は泣きそうになった。
別れてしまう現実に、ようやく実感が沸いてきたのだ。
誰よりも罪悪を感じていた彼女。
二度と会えないような物悲しさ。手で口を籠らせる。
妹の様に愛しさを感じた彼女との別れがこんなにも辛いものだったなんて。

 「なんだよはるなん。何泣いてるんだよ。二度と会えない訳じゃないんだからさ」
 「……するから」
 「え?」
 「私が、なんとかするから、戻って来てよどぅー」
 「……」
 「大丈夫だよ、ちゃんと私も説明するから。だから帰ろう。一緒に」
 「どうにもならないって。話したところで納得できる話じゃないし」
 「それ、あゆみんやまーちゃんにも同じ事言える?」

差し出される手に、工藤の視線が注がれる。
立ち去ろうと足を引くが、再び下がる事はない。
飯窪が一歩進む。進む、手が、工藤の腕を掴んだ。

彼女は肯定も否定もせず、静かに飯窪と共に歩き出す。
鉄錆の匂いが濃度を増し、血の足跡が続いていく。

997名無し募集中。。。:2017/11/01(水) 03:58:11
>986-996
『銀の弾丸Ⅱ -I wish-』

拝啓、ハル君が面白そうなので見てみたいです。


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