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BSまるごと大全集100%モーニング娘。ヲタ

1姫子:2002/08/19(月) 22:25
BSスペ統一スレざんす。
http://www.nhk.or.jp/morning/index.html

641姫子:2003/08/06(水) 10:41

「こげんとこ、おったと」
ふいに背中に声をかけられたひとみははっとして振り返った。スタンドの制服のつなぎから細いブラックジーンズと破れたTシャツに着替えた北里がベースのケースを肩にかけてひとみを見下ろしていた。
ずいぶん長い間、ひとみは膝を抱えたまま身じろぎもしないでそこに座り込んでたみたいだった。北里のバイトの時間が終わるのも気づかずに。
「あ、ごめん」
「いいっちゃ」
言いながら北里はひとみの隣に腰を下ろした。

642姫子:2003/08/06(水) 10:41

「オマエ、何か森やんによう似とう」
北里がぽつりと言った。
「それは……あんま嬉しくない」
「あはは、顔がやのうて。森やんもようここで、俺のバイト終わるの待っとうけん」
「ふーん」
ひとみは、まだ心持ちぼんやりした表情で水面を見ている。そんなひとみの横顔を見ていた北里が口を開く。
「大丈夫と?」
「えっ?」
「やっぱ、自分のこと思い出せんっちゅうのはつらいんじゃなかと?」
ひとみは北里の顔を見て、んへへとお決まりの笑顔を浮かべた。
「それが、不思議なことにそんなにつらくないんだよねぇ。ただ、なーんか、頼りないっていうかそういう気分で」
抱えた膝の上に顎を乗せてひとみが言う。北里にはそんなひとみが、確かにとても頼りなく心細そうに見えた。思わずその金髪頭をぽんぽんと叩いてやる。
「オマエは迷子の犬たい。本当の飼い主が見つかるまで、うっかりオマエを拾うてしもた俺らに甘えとったらええ」
ひとみは、本当に犬のように目を細めた。

643姫子:2003/08/06(水) 10:41

それからしばらく二人は黙って穏やかな那珂川の流れを見ていた。
「飽きひんか?」
「え?」
「俺の持論っちゃけど。こうやって河とか海とか、まぁ何でもいいっちゃけど、対して面白くもないもんをぼーっと見続けられる人間ちゅうのはな、芯からのロマンチストか、何かえらい悩みを抱えとる人間か、とんでもない阿呆かのどれかなんや」
ひとみは頭の上に「?」を浮かべて北里を見た。
「森やんもようここで河ば見とる。森やんはああ見えて本当はえらいロマンチストなんっちゃ」
「ふーん」
「ほんで、俺が見たところ、オマエは「とんでもない阿呆」の方なんやろうなぁち」
北里はひとみににやりと笑って見せた。
「んだとぉー」
ひとみはふざけて北里に飛び掛った。ふたりは子供のように土手の上をゴロゴロ転がった。ゲラゲラ笑いながら。

ひとしきりふざけあった後、北里が体についた草っ切れを払いながら立ち上がった。
「やけん、俺はロマンチストでも悩める男でも阿呆でもないけん。腹も減ったし。飯ば食いにいくたい」

644姫子:2003/08/06(水) 10:42

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北里とひとみはぶらぶらと歩いて昭和通りから親不孝通りに入った。森山や北里にとっては自分の家の庭のような通り。目を塞いでいても歩けるほど。博多んモンのやんちゃな小坊主達はみんな言った。「名前がよかね。自分達のためにあるようなもんやん」と。

北里はその親不孝通りの細い路地を入ったところにあるうどん屋にひとみを連れて行った。狭く小汚い店内。でも素うどん一杯130円。この辺りで一番安い店だった。
「カネないけん。こんなとこで悪かね」
北里が申し訳なさそうにひとみに言う。ひとみは気にしないというように「んへへ」と笑うが、北里の言葉を耳にした、この店を一人で切り盛りしているおばちゃんが言う。
「こんなとこで悪かったね。文句があるんならたまには天ぷらうどんでも食べてみんしゃい」
「何をおっしゃいますやら。ここの素うどんは日本一たい」
「はん。貧乏学生が調子のええこと言うてからに」
北里とひとみは笑いながらカウンターしかない店内の一番奥の席に座った。

645姫子:2003/08/06(水) 10:42

「学生、なの?」
「おう、これでも俺も森やんも一応大学生たい。まぁ、ほとんど学校には行ってないんっちゃけどね」
ひとみはぶぶぶと笑いを漏らした。
「似合わなねぇ〜」
「うるさかね。―――ひとみは……」
北里は言いかけて黙った。ぽりぽりと鼻を掻く。
「すまん、憶えてへんかったっちゃんねぇ……」
ひとみはそんな北里を見て、笑顔になる。
「キーコは優しいね」

そう言ってから、何か違和感に襲われる。
違う。

―――あたしはこの人をこんな風に呼んでなかった。

唐突にそんな思いがひとみの頭に浮かんだ。今まで頭の中にもやがかかったみたいに何もかもぼんやりしてたのに。唐突にはっきりと。それだけが頭の中に浮かんだ。でもはっきりしたのはそれだけで、北里のことを、じゃあ、何と呼んでいたのかはやっぱりもやの中。

646姫子:2003/08/06(水) 10:43

「どうしたと?」
突然電池が切れたかのように固まって、自分の顔をじっと見つめているひとみに北里が怪訝そうな顔をした。
「あたし、キーコのことも、知ってるかもしれない……」
機械的に答えるひとみ。北里を「キーコ」と呼ぶ度に喉の奥に変な違和感が広がった。
「やっぱ、どっかで会うとるのかもしれんね。―――やっぱ、MODSのライブどっかで見てるんやなかと?最近は熊本とか大分とかでも演りよるし」
「うん……」

そうなのかもしれない。確かに「MODS」という言葉にも聞き覚えがある。
でも。
でも、自分の名前さえ覚えていないのに、何回か見たことあるかもしれないロックバンドのことを憶えていたりするだろうか。
それに。

ひとみは北里の顔を見て思った。

あたしは多分、すぐに誰とでも仲良くなるようなタイプの人間じゃない。素直に自分をさらけ出すようなタイプじゃない。昨日森やんと一緒にいたときも、どこか落ち着かないような、緊張してるような気分だった。
でも、キーコと。
この人と一緒にいると、あたし、すごくリラックスしているような気がする。
多分、素直に、なってる。

647姫子:2003/08/06(水) 10:43

「大丈夫か?」
北里は、考え込むような、それでいて虚ろな目で自分を凝視しているひとみに心配そうに声をかけた。ひとみははっとして、我に返る。
「ああ、うん。大丈夫」

「でも、どこかで会うとるかも知れんよ。ほら、俺、顔怖いやん?だいたい初めて会うた女の子はびびりよってまともに口もききよらんけんね。ひとみは全然平気やったやろうも」
「あははは。あたしも初めてあったときは―――」
全く何も考えないで言葉が口をついて出てきた。
「怖かった…もん……?」
言ったひとみ自身が驚いて北里を見た。北里も驚いてひとみを見る。
二人ともまるで得体の知れない、例えば宇宙人とかU.F.O.とか、そんなものを見たかのようにぽかんと口を開いてお互いに見つめあった。
「な―――。思い出したと?」
「え?ええ?うん……ええっと」
ひとみは曖昧な声を出す。眉間を寄せて記憶の糸を辿る。
何でそんな言葉が出てきたんだろう。「初めて会ったとき」っていつだったんだろう?どこだったんだろう?昨日じゃない。昨日北里に会ってから一度も北里のことを怖いなんて思わなかった。
「ううううう」
ひとみはカウンターの上で頭を抱えて唸り声を上げた。思い出せない。思い出そうとすればするほど頭の中がぐしゃぐしゃになってしまう。

648姫子:2003/08/06(水) 10:44

「何ね、あんたら。さっきから二人で顔ば見合わせては百面相しよってから」
おばちゃんが北里とひとみの前に素うどんを置きながら言った。
「何か考え事ばあるんなら食べてからにしんしゃい。腹ば減っては名案も浮かばんばい」
九州人らしい、暖かくおおらかな笑顔で。つられて北里とひとみも笑顔になる。
「そうたい、そうたい。こげんとこで考えこんでもはじまらんたい。とりあえずうどんば食って。ゆっくり考えたらよか。ちょっとずつでも思い出してきよったんはいい兆候たい」
二人はしばらく無言でうどんをすすった。
うどんはおばちゃんと同じで温かくて優しい味がした。

それから、北里が勘定を―――二人合わせても260円だけれども―――払いふたりは店を出た。時計は午後1時をまわっていた。
「ちょっとレコード屋ば覗いてから、多夢―――あ、今日演るライブハウスね。多夢ば行こう。ちょっと早いけど、向こうでひとみんことば知っとうヤツおるかもしれんし」

649姫子:2003/08/06(水) 10:44
二人はぶらぶらと親不孝通りを歩いて北里の行きつけの中古レコード屋に向かった。そのレコード屋は1階にOLや女子大生に人気のフルーツパーラーが入ったテナントビルの2階で、パステルカラーで雰囲気きらびやかなそのパーラーの脇の暗くて細い階段を上った先にあった。大人二人がやっと並んで通れる程度のその細い階段を北里とひとみが上りかけたとき、頭上から心持ち嫌そうな声が聞こえた。

「何ね、お前らもここば来たとか」

二人が見上げると、そこには丁度階段を降りてきた森山の姿があった。二人との再会にあまり嬉しくなさそうな。
そんな森山の後ろ、白い影がさっと森山の背中に隠れるように寄り添った。細い階段の薄暗い明かりの中で、それが白いワンピースの女の子だと分かるのに少し時間がかかった。
「どうも」
北里が女の子に軽く会釈した。彼女のことを知っているようだった。だけど彼女は森山の後ろに隠れたまま俯いて口の中で「こんにちわ」らしきことをつぶやいただけだった。
「まだ、キーコのことば慣れんかの」
森山が彼女を振り返って、半ば呆れたような笑いを漏らして言った。北里は居心地悪そうにぼりぼりと頭を掻いた。
「ごめんなさい……」
消え入りそうな声で彼女が言った。

650姫子:2003/08/06(水) 10:45

綺麗な女の子だった。
華奢な体と真っ黒でサラサラのロングヘアー。細面の顔に切れ長の目は日本人形を思わせた。そして身にまとった真っ白のワンピースは、彼女の清純さと上品さにとてもよく似合っていた。

口をきかなくてもわかる。
ひとみや森山達とは別の人種。
綺麗で上品で純粋で、穢れを知らない。
清潔なお嬢様。

「じゃ、後でな」
あまり言葉も交わさずに、森山と彼女は北里とひとみの脇を通り過ぎた。すれ違いざま、彼女から花のようないい香りがした。ふいに、ひとみは昨夜自分がフロに入ってないことを思い出した。
二人が通り過ぎた後、北里がひとみに向かってニヤリと笑いかけた。
「ほら、俺、顔怖いけん」
そのおどけた北里の言い方に思わず吹きだしながらしながら、ひとみは何気なく森山を振り返った。

明るい日の光の中。森山の腕にちょこんと手をかけて、真っ直ぐな目で彼を見上げる彼女。そしてそんな彼女を見たことも無いような愛しそうな目で見つめる森山。
どこから見ても不良のゴロツキのような風貌の森山と、真っ白なワンピースの清純そうな彼女。全く正反対の取り合わせなのに。

ひとみには二人がとてもお似合いに見えた。

651姫子:2003/08/06(水) 10:45

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「森やんは、あの子とおるとき俺らに会うんば嫌がると」

ラックに入れられた大量のレコードジャケットを一枚一枚引き出し、眺めながら北里がぽつりと言った。ほんの少し寂しそうな言い方だとひとみは思った。
「大学の同級生で、すんげぇ金持ちのお嬢さんなんやと。森やん、俺には似合わんけど素直で優しくてサイコーにいい女やち、言うとったけど。……俺はあんまり……好かん」
「んへへへ。怖がられてっからでしょ?」
何となくその話は聞きたくなくて、ひとみはわざとふざけた口調でまぜっかえした。北里は横目でひとみを睨むと、レコードを眺めながらひとみの尻に蹴りを入れた。
「痛ってぇー」
ひとみはわざと大袈裟に言って、北里の隣から逃げ出した。

652姫子:2003/08/06(水) 10:46

北里が熱心にレコードを吟味している間、ひとみはぶらぶらと店内を歩き回った。
さして広くも無いその店は、元々ロック好きの店長が趣味が高じて開いたもので、中古レコード屋とはいえ、品揃えは豊富で、特に洋楽ロックは充実していた。そんなわけで自然とこの近辺のROCK好きの連中がこの店に集まりたむろするようになり、森山や北里もその中の一人だった。もちろん店内に流れる音楽もゴキゲンなROCK 'N' ROLLナンバーばかりだった。

「わーいろーわわわろーわーいろーわーわわろー」

ひとみは知らず知らずのうちに、店内に流れる、他のレコード屋に比べたらかなり大音量のBGMに合わせて口ずさんでいた。かなり力技のめちゃくちゃ英語で。

653姫子:2003/08/06(水) 10:46

「オマエ、CLASHば知っとろう!?」
それを聞いた北里がひとみに詰め寄った。ひとみは驚いた顔で北里を見た。確かに店内にはCLASHの「WHITE RIOT」が流れていた。
「あー、知ってた。……みたい」
「んじゃ、WHOは?DAMNEDは?RAMONESはどうや?」
「いや、そんな、急に言われても……」
北里の勢いに気おされて答える。
「いや、でも女のクセにCLASHば聴いとうちゃ、カッコよかねぇ。そのナリからして普通の女じゃなかとは思とうたっちゃけど、やっぱROCK好きと?PUNK好きと?」
子供のように嬉しそうに話す北里に、ひとみは思わずうなずいた。北里がまくし立てたバンドも知っているような知らないような気がする。
「松本さーん。DAMNEDばかけていいっすか?」
北里は店長の松本に声をかけた。勝手にレジカウンターの中に入って行きターンテーブルにレコードを載せる。
「CLASHも痺れるっちゃけど、DAMNEDもカッコよかやんねー」
流れ出した音に、ひとみは耳を傾ける。
速いビート。聴いたことがあるようなないような。でも、ひとみは思う。こういう音、体に馴染んでる。こういうのいっぱい聴いてた気がする。

654姫子:2003/08/06(水) 10:46

「おー、北里。えらいカッコよかねーちゃん連れとうね」
北里とひとみが頭をつき合わしてひとみの音楽の記憶を探しているところに、男の声。
「あ、山善さん」
森山も北里も確かに目立つパンクスタイルをしているが、それに負けず劣らず、いや多少勝っているかもしれないくらい派手な格好をした男がニヤニヤしながら二人を見ていた。
MODSと人気を二分するパンクバンド「ドリル」の山善という男だった。森山の1コ上で、山善と森山と言ったら、博多の街のROCKを好きなヤツで知らないヤツはいないという有名人であり人気者であり伝説の男だった。

「オマエのオンナと?」
「いやー違うっすよ。昨日の夜中森やんと西鉄グランドのバス停で酔いつぶれようたんば拾うて―――」
「あやしかのぉ。ばってん―――」
山善は物怖じしない瞳でじっと自分を見つめているひとみを見て言った。
「なかなか、つっぱらかった、ええ目しよろうね。北里もいかつか顔しとろうクセに隅におけんばい」
「いや、ほんとに、違うんっすよ」
北里は困ったようにぼりぼりと頭を掻いた。ひとみはそんな北里を見て、んへへと、笑いを漏らした。

655姫子:2003/08/06(水) 10:47

それからしばらく北里と山善は世間話に花を咲かしていたが、話している二人の周りをふらふらしているひとみにふと目をやった山善が、突然後ろからひとみの肩をガシッと掴んだ。
「うわぁっ!」
その勢いに驚いてひとみが声を上げる。
「オマエッ!この革ジャン、ジョンソンズじゃなかとやっ!!」
店内に響き渡る山善の声。北里も驚いて山善の顔を見てる。
「どこで買うたとっ!?この辺で売っちょるんかっ!?」
「あー。ええっと……」
山善の剣幕をぽかんと見ていた北里が慌てて口を挟んだ。
「コイツ、あの、何か昨日から自分のこととか全然憶えとらんみたいで」
「はぁ?」
「昨日は酒のせいかち思たんですけど。何か今日になっても何も憶えとらんと」
北里の言葉を聞いた山善は改めてまじまじとひとみの顔を見た。ひとみも、肩を掴まれたまま、しょうがなくんへへと笑う。
「アレか?記憶喪失ば言うヤツか?ホンマ何も憶えとらんと?」
「やけん、しょうがないんで、連れて歩いて。何か森やんのことば知っとうみたいやけん、今日の多夢ば連れて行きよったら何か―――。あ、山善さん、何かこいつのことば見覚えなかですかね?」
「知らん知らん。こげん派手な頭ばしようイカしたねーちゃん、1回見たら忘れるかいね」
それから、山善はやっとひとみの肩から手を離して。
「金髪でジョンソンズで記憶喪失ちゃ、えらいROCKしよろうが。パティ・スミスごたね。ゴキゲンなねーちゃんったい」
山善はゲラゲラと笑った。記憶のない人間に向かってゴキゲンも何もあったもんじゃないが、彼の豪快さにかかると何となくゴキゲンなようにも感じてくる。

656姫子:2003/08/06(水) 10:47

「ジョンソンズち何ですと?」
北里が尋ねる。
「何ね、オマエジョンソンズも知らんと?ロンドンのえらいカッコよかROCKファッションのブランドたい。ジョニー・ロットンやジョー・ストラマーも着とりよう革ジャンやげな。こげんもん日本に売っとりようと?博多にあるとね?」
北里のひとみを見る目が尊敬の念に変わった。彼らにとって海の向こうのパンクバンド、SEX PISTOLSのジョニー・ロットンややCLASHのジョー・ストラマーは神様の以上の存在で、その彼らのスーパースターと同じライダースを着ているというだけでとてつもなくすごいことだった。
二人の期待に満ちた目に見つめられて、やっぱりひとみは薄ら笑いを浮かべることしか出来ない。
「んへへ……」

自分の名前すら憶えてないのに、どこで買ったのかのかなんて憶えてるワケないじゃん。

657姫子:2003/08/06(水) 10:48

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北里とひとみがバスに乗って友泉亭のライブハウス「多夢」についたのは3時を少し回っていた。店の周りにはちらほらと楽器を抱えたバンド小僧達が集まり始めていた。北里がその中の顔見知りと挨拶を交わしていると、一人の男がニヤニヤ笑いを浮かべながら近づいてきた。MODSのマネージャーをしている角田だった。
「この子が、ジョンソンズば着た記憶喪失少女かいね?」
北里の隣でぼんやり立っていたひとみの顔を覗き込んで言う。
「もう知っとうと?」
「ここ来る前山善に会うたけん。キーコがおもしろか女連れて歩いとうち言うとったばい。―――森やんは?」
「オンナと会うとう。4時ごろ来ると」
二人は話ながらまだ開店していないライブハウスの店内に入っていく。ひとみも慌てて後に続いた。
「その辺に適当に座ってんしゃい」
めいっぱい入ってもせいぜい100程度のキャパのフロアーに適当に置かれたテーブルを指して北里が言った。それから角田に向かってひとみを拾ったいきさつを簡単に説明した。
「―――ちゅうことやけん。ひとみのことば何か知っとうヤツおらんか気にしとって欲しか」

658姫子:2003/08/06(水) 10:49

ステージ、と言ってもフロアから30センチほど高くなっただけの狭いひな壇の上では、MODSより若いバンドが機材のセッティングをしていた。今日の前座のバンドらしい。店の中も人の出入りが激しくなる。でも誰もひとみのことを知っている人間はいなかった。
北里はセッティングを手伝ったり、仲間たちと打ち合わせたりと忙しく動き回っていた。所在をなくしたひとみはそんな北里の姿をぼんやり見てた。

659姫子:2003/08/06(水) 10:49

「かわいかねぇ」
背後から声をかけられてひとみは慌てて振り向いた。革ジャンを着て髪を立てた見知らぬ男。ひとみの顔を覗き込んでニヤニヤしている。
男は何の断りもなくひとみの隣に座った。
「どっから来たと?誰の知り合い?MODS?モダンドールズ?誰かの彼女じゃなかよね?」
立て続けに質問を浴びせられたが、何となくその馴れ馴れしい態度が気に食わなくて冷めた目で男を見る。
「俺、知ってる?」
ひとみは答えない。それでも男は気にしないで話を続ける。
「バッジってバンドでギターやってると。知らんと?最近結構がーっときとるばい?今日もモダンドールズの後に演ると。あ、何か飲む?持ってきてやると」
「いらない」
「やー、それにしても自分かわいかねぇ。誰と来たと?ファンの子はまだ入れんばい?」
「キーコ」
「なーん、MODSのファンね?俺キーコと同級生よ。キーコもねぇ……」
男は、丁度ステージのセッティングを手伝っていた北里をちらっと見ながら言う。
「あーあ、セッティングなんてモダンのガキどもにやらしときゃよかやのに。キーコも人がいいけん。森山に拾ってもうて最近、調子づいとろうが、ええように使われとうだけっちゃうんかいね」
そのどこと無く小ばかにしたような口調にむっとして男を見る。
「よかねぇ。自分、クールやねぇ。名前なんていうと?今日のステージば終わったら飲みにいかんと?」
「うるさい」
静かな声で答える。それでも男は聞こえてないようにくだらないお喋りを続ける。
「今日バッジのステージ見よったら絶対惚れるばい?MODSなんて今そこそこ勢いあるっちゃけど、なんや分裂ばしかかっとるっちゅー噂やん。所詮森山のワンマンバンドみたいなもんやし、キーコ子分ばしてお山の大将ば気取っとう感じやん」
「うるさいって言ってんだろ?」
「あー、気に障ったんやったらごめんっちゃ。ばってん俺みたいに中の方ばおると、いろいろ耳に入ってくるけんさぁ。今、MODSが一番みたいなとこあるけど、絶対バッジに乗り換えといた方がいいけん。なー、マジ呑みにいかんと?何やったら今からちょっと茶しにいかんか?まだライブまで全然あるし退屈やろ?洒落た店ば知っとうけん」
調子に乗った男は、ひとみの肩に手をかけた。ひとみは邪険にその手を振り払う。男から酒の匂いがした。
「よかやん。どうせMODSのグルーピーやろが?勿体ぶんなや」
言いながらもっと馴れ馴れしくひとみの肩を抱くように手を回してくる。
ぷちん。
堪忍袋の緒が音を立てて切れたのが分かった。自然と握り拳が固まる。
「ふざけん―――」

660姫子:2003/08/06(水) 10:50

「何ばしとろう?」

その声に、ひとみと男は同時に振り返った。静かだけれど威圧感のある声。
「森山さんっ」
森山がジーンズのポケットに手を突っ込んで、こちらを見て立っている。ただそれだけだけど、目は鋭く男を見据えている。
男はさっきまでの大物ぶりはどこにいったのか、さっとひとみの肩から手を離し、森山と目をあわせようともしない。
「こいつ、俺のツレやけん。ちょっかい出すな」
「いや、その、ちょっかいなんて……。あ、俺ちょっと、メンバーと打ち合わせば……」
口の中でもごもご言い訳して男はその場を逃げようとする。
「オマエ、また呑んどろう?ステージ前に酒ば呑みよったらMODSのマエは演らさん言うたろうが?」
「いや、すんません。あの、これは……」
「外ば行って酒抜いて来い」
「はいっ。すんませんっ」
男は慌てて店の外に出て行った。
森山は不機嫌そうな表情を浮かべたひとみに向き直った。
「オマエも大人しいあんなヤツの話なんか聞いとんな。ああいうしつこいんにはMODSの森山のツレやって言っとけ」
別に厳しい口調ではなかった。どちらかと言うと言葉は乱暴だが優しい言い方だった。だけど、怒りのやり場を奪われたひとみはすっきりしない。保護者ヅラをされたことにも、助けられたことにもイライラした。
それに。
北里のこと、森山のこと、MODSのこと。バカにしたあいつをぶんなぐってやりたかった。
「別に、森やんの名前なんか出さなくても、あんなの自分で追っ払える」
「何やと?助けてやったんやろうが」
「そんなの頼んでない」
二人の間に不穏な空気が流れた。走る緊張感。にらみ合う二人。

661姫子:2003/08/06(水) 10:52

「おー、森やん来てたと?―――どげんした?」
森山が来たことに気づいた、北里ののんきな声。森山とひとみの睨み合いに気づいて不思議そうな声を上げる。
がたん。ひとみはイスを蹴るようにしてテーブルから立ち上がった。
「どこいくと?」
怒りを含んだ声で森山が聞く。

「おしっこ」

662姫子:2003/08/06(水) 10:52

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「何かあったと?」
不機嫌を絵に描いたような態度のひとみが消えた後、北里が森山に聞いた。
「遠山がまた酒ば呑んできよって。ひとみにちょっかいばかけよったけん助けてやったら、勝手なことばすんなやと」
憮然とした調子で森山が答える。
「ああ、遠山ね。どうしよもなかね、アイツ」
「最近あちこちで、MODSのこととか森やんのこととかいろいろ言うとるみたいよ?森山はもうダメやとか」
マネージャーの角田が話に入ってくる。
「最近一緒に演らしたるけん、調子乗りようね。俺は高校時代からアイツのことは好かんかった。もう呼ぶのやめたらよか」
「ばってん……。下手クソやし、ヤなヤツやけど、あいつのバンド金持ちやけん。ようさん機材持っとるっちゃんねぇ」
角田がため息混じりに言った。機材持ち寄りが基本の博多のライブ事情で、これまた基本的に貧乏なバンドが多い中、「パパが金持ち」な遠山のバンドは機材目当てで、台所を預かる角田としては外すことが出来なかった。

663姫子:2003/08/06(水) 10:52

「にしても、可愛げなかオンナよねぇ。普通は助けてもろうたら喜ぶもんやなかと?」
森山がつぶやくように言った。どうにも納得いかないらしい。
「ひとみか?」
「あげなオンナ―――いや、やっぱオンナやないのかも知れんばい」
「そういや、あの後山善さんに会うたっちゃけど。森やんジョンソンズって知っとっと?」
「あ?新しかバンドか?」
「いや、ロンドンの有名な服屋のメーカーらしいんちゃけど。ジョニー・ロットンも着とうらしか」
「それがどげんしたと?」
「ひとみが着とう革ジャン、そのジョンソンズごた言うメーカーの革ジャンでこの辺にはまず売っとらんすごい代物やって山善さんが言うとって。それにアイツCLASHとかも聴いとうみたいやし。やっぱただモンやなかよ」
「へー。アイツ、東京弁やし、金髪やし。ロンドンから来たんやったりして」
森山のセリフに北里が吹き出した。
「多分それはなかね。後でひとみに「WHITE RIOT」歌わしてみたらよか。すごい英語で歌いよるけん」
「何かそれ」

664姫子:2003/08/06(水) 10:53

「ただいま」
ふらっとひとみがトイレから戻ってきた。
「うわっ!何するとっ!!」
森山の声が店内に響き渡った。

トイレで洗ってきた、まだびしょびしょに濡れたままの手を、いきなり森山のシャツで拭いたのだ。しかも無表情のまま。
ひとみの奇行に、森山は怒りより驚愕が勝って呆然とひとみを見た。

「んへへ」

気の抜ける薄ら笑い。
いつものひとみに戻った。

「あほう」
森山はひとみの頭をはたいた。わりかし本気で。
「いったーーーーーーっ」
ひとみは頭を押さえてしゃがみこんだ。
「機嫌ば直ったと?」
「出すもん出したら、直った」
「汚か」
しゃがんだままのひとみの背中を、ふざけて軽く蹴る。
ひとみはゲラゲラ笑った。
森山も、二人のやり取りを見ていた北里もゲラゲラ笑った。

665姫子:2003/08/06(水) 10:53

午後5時30分。
ステージのセッティングもリハーサルも終り、三人はテーブルに座って店のオープンを待っている。
「そや、ひとみ。CLASHの「WHITE RIOT」ば歌え」
誰かのギターを抱えて、ガシャガシャと鳴らしていた森山が突然言った。ひとみは森山の決して上手いとは言えないギターに合わせてすぐに大声で歌いだした。

「わーいろーわわわろーわーいろーわーわわろー」

それを聞いて森山と北里が大笑いする。
ひとみは壊れたレコードのようにそのフレーズだけを繰り返した。

笑いすぎて目の端に涙を浮かべた森山が息も絶え絶えに言った。
「すごかー。「わ」と「ろ」だけで「WHITE RIOT」ば歌うヤツはじめて見たっちゃん」

もうすぐ、ステージが始まる。
ROCKに塗られた夜が。

666姫子:2003/08/06(水) 10:53


                             つづく。

667姫子:2003/08/08(金) 02:54

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『END OF THE NIGHT 04』

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668姫子:2003/08/08(金) 02:55

そのキャパ100にも満たない小さなライブハウスには当然出演者用の控え室なんてモノはなく、せいぜい事務所兼更衣室兼スタッフの休憩室になっている薄汚れた小部屋があるだけだった。
最初の出演バンド、モダンドールズのステージが終り、ひとみにちょっかいをかけてきたいけ好かない男、遠山のバッジの演奏が始まった頃、森山達MODSのメンバーとひとみはその小部屋にいた。

開演が近づくにつれ口数も減り、黙々と楽器のチューニングや髪のセットをしているメンバー達の中で、ひとみも、ビニールのカバーが破れてウレタンの飛び出したソファーの肘掛に大人しく腰掛けて口を閉じている。小部屋は緊張感に包まれていた。これからステージで一気に爆発させる為に、エネルギーを溜めているみたいだ。
ひとみが肘掛に腰掛けているソファーには森山が背中を丸めて座っていた。腿の上に肘を付き顔の前で握りこぶしをぎゅっと固めている。目はきつく、鋭く、床を凝視していた。
パワーを溜めているんだ。
ステージ前の森山はぴりぴりと張り詰めていて、このときだけは誰も寄せ付けない空気を発している。誰も彼に話しかけたりしない。

669姫子:2003/08/08(金) 02:55

でも、そんな森山を見ていたひとみがふいに口を開いた。
「森やん……バンダナ」
森山が顔を上げて怪訝そうにひとみを見た。
「手首、バンダナ、しないの?」
森山はただ、ひとみを見ていた。口をきくのもおっくうなのか答えもしないで。ただ表情の無い目を少し細めた。

何も憶えていないはずなのに、ひとみは自然に動いていた。ステージ前の緊張感の中に居る森山の気持ちを壊したくなくて、口で説明する気になれなかった。ひとみは自分のリーバイスの尻ポケットに突っ込んでいたバンダナを引っ張り出すと、ソファーの肘掛から下り、森山の前に立つ。手にしたバンダナを三角に折ると両端を持ってぐるぐる回して帯状にする。そしてひとみも何も言わず、森山の前にしゃがみ込み、彼の右の手首にそのバンダナを巻き始めた。

670姫子:2003/08/08(金) 02:56

あたしは、いつもこうしてた。
ステージ前の森やんの手首にバンダナを巻くのはあたしの仕事だった。

ひとみは確信する。
森山のこと、北里のこと思い出したときと同じ。他のことは何も憶えてないのに、その一点だけが、淀んでしまった記憶という沼の中からぽっかり水面に浮かび上がってくるように、はっきりと―――思い出すんじゃない、「分かる」んだ。

「きつく、ない?」
森山の細い手首に巻きつけたバンダナの両端を結んで、結び目を手首とバンダナの隙間に押し込めながら静かに聞く。
「なん―――。ああ」
されるがままになっていた森山は、何か言いかけて、でも止めて低く答えた。
ひとみはさっと立ち上がると、元いたソファーの肘掛に戻った。

671姫子:2003/08/08(金) 02:56

ひとみ達のいる小部屋にまで響いていたバッジの下手糞な演奏がやんだ。
誰からとも無く、メンバーが無言のまま立ち上がる。
ギターを、ベースを、スティックを持ち。

最後に森山が立ち上がった。
ほんの一瞬、手首に巻かれたバンダナに目を落としてから、ゆっくりと部屋を出ていく。

1977年の、MODSのステージが、始まる。

672姫子:2003/08/08(金) 02:56

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メンバーを見送った後、店のフロアに出たひとみは、そこに詰め込まれた熱気に息を呑んだ。
さっきまでの雰囲気とは違う。さっきまでの観客は、どれアマチュアバンドのライブを「見てやろう」、気楽にROCKを楽しもうという空気で、それなりに盛り上がってはいたものの、こんな真剣な緊張感―――熱、は無かった。
限界にまで詰め込まれたぎゅうぎゅう詰めの人、人、人が、ステージの上でセッティングをしているMODSを凝視している。興奮と期待を込めた目で。これから始まる、彼らがやらかしてくれる「何か」を待っている。

北里と、ギターの樋口と後藤がアンプの前で音を確認している。ドラムの宮本はシンバルの位置を直している。―――森山は、マイクスタンドの前に立ち、頭を落として自分の足元をジッと見つめている。
溜めている。

673姫子:2003/08/08(金) 02:57

始まる。
何かが。
始まる。

全員が定位置につく。
森山が顔を上げてメンバーの顔を見る。

それから、森山は、初めて客席を見る。
いや、睨みつける。
目が、違う。
強面であってもどこか陽気で穏やかな森山の目に、狂気に近い色が宿る。

フロアの熱が一気に上がる。
ドラムスの4カウント。

―――爆発する。

674姫子:2003/08/08(金) 02:57

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走るビート。音の渦。全てを煽り、捻じ伏せる森山の声。

「知ってる」

「違う」
「知ってる」

「違う」

「知ってる」
「違う」

ステージに向かって押し寄せ、飛び跳ねるオーディエンスでぎゅうぎゅう詰めのフロア。熱と波の様なうねり押しつぶされながら、ひとみは混乱の中にいた。押され、足を踏まれ、誰かの振り上げた拳が頬を掠めてもひとみは気づかない。MODSのステージに熱狂する人々の真ん中で一人、呆然と立ちすくんでいる。色の無い表情、凍りついた体。目だけがステージの上の彼らを追っている。

675姫子:2003/08/08(金) 02:57

あたしはMODSを知っている。
でもこれは、あたしの知ってるMODSじゃない。

相反する記憶に引き裂かれそうになる。
体が小刻みに震える。
脂汗が吹き出る。

痛い。
頭が痛い。
体中の関節が痛い。
悲鳴を上げている。

ひとみの全てが。

フロアを揺るがすドラムスのビート。
体に馴染んだ8ビート。
でも、違う。
あたしの知ってるMODSのビートじゃない。

ステージの上を駆け回る二人のギタリスト。
ギュンギュン唸るギター。
大好きなフレーズ。
でも、違う。
あたしの知ってるクールで熱いギターじゃない。

676姫子:2003/08/08(金) 02:58

胸を張って、大また開きでベースを鳴らす北里。
ひとみの大好きな強烈なダウンピッキング。
でも、違う。
あたしの知ってる渋く吠える「キーさん」と、どこかが違う。

そして。

細い両腕を広げ客を煽り、吠えるように歌う、森山の剥き出しのボーカル。
ひとみの愛する強くて激しくてどこか優しい目、声、歌。

でも。
違う違う違う。

その瞬間。ひとみの中で記憶が鮮明に蘇った。
それは洪水のようにどっとひとみの中に押し寄せて来る。

両手でマイクを掴んで噛みつくように叫ぶステージの上の森山。
―――ぶら下げたテレキャスが足りない。
両腕を広げ、客席を指差し、中指を立てるステージの上の森山。
―――細い腕を埋め尽くすタトゥーが足りない。

そして。
ひとみを包み揺るがし駆り立てる、その声、歌。

677姫子:2003/08/08(金) 02:58

違う!

あたしの知ってる森やんの声はこんなに細くない。
でも。
でも、これは紛れも無く、森やんの声。

どういうこと?
知ってるのに、知らない。
違うのに違わない。

ひとみの目の端に、一筋。
涙のつぶが走った。

悲しくてじゃない。
怖いんでもない。
それは。
混乱に引き裂かれた心が上げた、悲鳴。

678姫子:2003/08/08(金) 02:59

「ションベン」

ステージの上の森山が、吐き捨てるように一言だけ言う。
それを聞いた客席はより一層ヒートアップ。速いビートのイントロ。突きあがる何本もの拳。湧き上がる歓声。そして、それらもかき消すような森山のボーカル。
自然と、ひとみの口が動いた。ステージの上で吠える森山と一緒に、口の中でつぶやくように歌う。

「俺はいつも一人
つまはじき者さ
誰もが嫌う街のドラ猫野郎だ」

―――この曲、知ってる。

そして唐突に気づく。
違うとか違わないとかじゃない。
知ってるとか知らないとかじゃない。

ズレ。

その言葉がひとみの頭を支配した。
ズレてるんだ。

ひとみの記憶と、いまひとみが目の前にしている現実が。

679姫子:2003/08/08(金) 02:59

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『俺はいつも一人
つまはじき者さ
誰もが嫌う街のドラ猫野郎だ』

ステレオからその曲が流れ出したら、リビングに寝転がって本を読んでいた森やんが顔をあげた。
「なん―――。えらい懐かしか曲やん」
「キーさんが、昔のテープ整理してたら面白いモノが出てきたからって、CDに焼いてくれた」
あたしは答えながら、あたしの定位置、ビニール張りのソファの上に。
「余計なことを」
森やんは苦笑いしながらそう言って。でも、その音にしばらく耳を傾けてた。

『みんなオイラを狙っているのさ
だけどオイラはやられはしないぜ
FUCK OFF!』

「若かね、俺」
昔の自分の声にそんなつぶやき。
「これ、アルバムに入ってないんだよね?」
「そういや、入ってないっちゃんねぇ。博多時代によう演っとった」
目を細めて、遠くを見る森やん。懐かしそうな、ほんの少し寂しそうな顔。
あたしの知らない頃。
ううん、生まれてさえいない頃を思い出してる。
森やんの大事な思い出。

ああ、寂しいのはあたしの方、か。

680姫子:2003/08/08(金) 03:01

「一番パンクにカブれとった頃で、狭かライブハウスで。がむしゃらやったね」
「まだ、チサさんもカジさんもいない頃のMODS?」
「そうそう―――うわー、下手くそやねぇ」

『そばによるんじゃないぜ
ツラも見たくない
ションベン終わる前に
どこかに飛んでけ』

古いライブのテープを焼いたモノだから、音はあんまりよくない。こもった音。
でも伝わる。
若くて、荒削りで、ストレートな森やんの声。

森やんは、起き上がって、床の上に胡坐をかいて座りなおした。
それでも、そんな昔の自分の音に聞き入っている。
「下手くそやし、単純な曲やけど―――、悪く、なか」
独り言のように、そうつぶやいた。

「もう、こんな音は、出せん」

その、寂しさと哀しさとプライドの混じった森やんの言葉に、胸が締め付けられた。
なぜか、涙がでそうになった。
こういうとき、すごく距離を感じる。
あたしと、森やんの、距離。

あたしには理解できない。
あたしにはたどり着けない。
あたしには―――。

681姫子:2003/08/08(金) 03:01

「どうした?」
森やんがあたしの顔を覗き込んで、あたしは慌てて顔を上げた。
ぐい。奥歯を噛締めて溢れ出てきてしまいそうなモノを抑える。
森やんはそんなあたしを見て、微かに笑って。
あたしの頭に手を置いた。
森やんは何も言わなくても、優しさを伝えられる。
あたしは言葉ですら、何も伝えられない。

「んへへ」

「オマエは、笑わんでもいいときに、笑うっちゃんね」
森やんはぽんぽんとあたしの頭を叩いて言った。
どういう意味か分からなかった。

682姫子:2003/08/08(金) 03:02

『荷物まとめてコットンフィールズ
あの娘を探してニューオリンズ』

曲が変わった。
PUNKなノリの「ションベン」から、一気にルーズなROCK 'N' ROLLナンバーに。

「げ。また一層古かモンを」
森やんが言う。
「これ、俺が初めて作ったオリジナルたい」
少し聞いて、ゲラゲラと笑う。
「すごかね、もろストーンズの「ブラウン・シュガー」のパクリっちゃんねぇ―――これ、いつのテープと?」
あたしはキーさんが手書きで書いてくれたレーベルを見る。
「77年12月・徒楽夢。だって」
「77年か。樋口とか後藤とかと演りよったときっちゃねぇ。そうそうモダンドールズとかロッカーズとかとヒストリー・オブ・ブリティッシュ・ビートちライブば企画して―――」

森やんがその頃のことを話してくれる。
あたしは静かにその話を聞く。
森やんの優しくて低い声。
その声にときどき混ざる、笑いや、懐かしさ、寂しさ……いろんな表情を集める。
その頃のMODSを、博多の街を、森やんを思い浮かべる。
決して、知ることも掴むことも出来ないのに。

683姫子:2003/08/08(金) 03:02

「で、まだPUNKって言葉自体もあんまり使われとらん時代やけん、やることば派手やし、俺とキーコはえらい嫌われよったけん、角田が―――」
『次は、新しか曲で、END OF THE NIGHT―――』

今の森やんの声に、スピーカーから流れる77年の森やんの素っ気ないMCの声が重なった。
森やんは急に話を止めた。

そして、急に立ち上がって、ステレオのSTOPボタンを押した。

急に部屋の中が静まり返る。
ぼんやりと夢のように微かに漂っていた77年の空気が、消えた。

「どう、したの?」
「この曲は、聴きたくなか」

森やんは、静かに、でもはっきりと言った。
そして、それ以上話したくないというように、何事もなかったかのように、また床の上にごろんと横になって、読んでいた本に戻った。
あたしに背を向けて。
きっと、この曲には、森やんだけの思い出があるんだろう。

前に雑誌の記事か何かで読んだことがある。
その曲をレコード会社の偉いサンが惚れ込んで、MODSとメジャー契約を決めるきっかけになったっていう曲。
古いファンの人の間では幻の名曲と言われてる曲。

でも、MODSがメジャーデビューしてから20年以上経った今でも、リリースされてない曲。

684姫子:2003/08/08(金) 03:03

聞きたかった。
この曲のこと。
聴きたかった。
この曲を、森やんと。

その、あたしに向けた痩せた背中。
あたしは唇を噛む。

あたしの手の届かない思い出。
あたしの手の届かない森やん。
どうしたら理解できる?
どうした近づける?

遠い。
遠いことは初めからわかっていた。

だから、憧れた。
だから、追いかけた。

でも、こんな当たり前のことが分からなかった。
どんなに追いかけたって、この距離が縮まることはないんだってこと。

もし。
同じ時代を過ごすことが出来たら。
同じ目線で、同じモノを見ることが出来たら。

例えば、この77年の博多の森やんと出会えれば。

近づけるのだろうか。
理解できるのだろうか。
そして、ただ追っかけるだけじゃなく。
寄り添って、並んで歩くこと。
出来るんだろうか。

もし―――。

685姫子:2003/08/08(金) 03:03

----------------------------------------

まるで映画でも見るているように、ひとみの頭の中に再生される。ほんの少し前の、ひとみと森山のやり取り、日常。

そして全て思い出す。

整理をされていないアルバムのように、切り取られた大量のひとみの記憶の映像が無秩序に広がる。
スーパーで迷子になって泣きじゃくるまたよちよち歩きの自分がいたかと思うと、モーニング娘。で初めてのステージに立った自分がいる。ランドセルを背負って小さな弟の手を引く自分がいるかと思うと、革ジャンに身を包み夜の街を闊歩している自分がいる。母親を亡くして泣いている自分。バレーをしている自分。モーニング娘。のみんなとふざけている自分。自分を手に入れるため芸能界という枠の中で闘っている自分。そして―――。

森山といる自分。
ROCKERとして年を重ねた森山と。

決壊したダムのようにとめどなく大量に流れ込んでくる記憶に、ひとみは吐き気を覚えた。頭の、肉体の許容量を超えた情報量。足が体を支えきれない。凍えているかのようにガクガクと震える体。嫌な汗にまみれる肌。顔色は蒼白で目はうつろに。遠のきかける意識。

686姫子:2003/08/08(金) 03:04

「もっと!もっと!!」

そのとき、森山の声がひとみの意識を貫いた。ひとみはステージを見る。射るような視線を向けて、客を煽る森山。それに応えるようにさらに熱を上げる観客。ひとみはそんな周りの人達に押され小突かれもみくちゃにされる。それでも森山を見る。ライブも中盤を過ぎ心持ち嗄れた声を搾り出すようにして歌う森山の姿を。

若い森山。
ひとみが知っている彼より、ずっとずっと、若い。
やっと、そのことに気づく。

ステージの上の森山の姿。ひとみの中で、ひとみの知っている森山と重なり、その姿になり、消え、また重なる。
混乱。
森山なのに森山ではない彼。

687姫子:2003/08/08(金) 03:04

ドウイウコト?

ひとみの頭が悲鳴をあげる。
新しい混乱に。

自分が誰かは分かった。
違和感のわけも分かった。

ドウイウコト?

分からないのは何故自分がここにいるのか。
若い森山を見ているのか。
写真やビデオの映像じゃなく。
リアルに、現実に、実像として。
目の前で若い森山が歌っている。
絶対に見ることのできないハズだった。

それは―――。
つまり―――。

ココハドコ?

688姫子:2003/08/08(金) 03:05

やけに遠くで、さっき見た、ひとみ自身の想いがリフレインする。

『もし。
同じ時代を過ごすことが出来たら。
同じ目線で、同じモノを見ることが出来たら。

例えば、この77年の博多の森やんと出会えれば。

―――もし』

77年の―――。
博多の―――。

ひとみが心から願った「もし」。
それが叶ったことに、ひとみはまだ気づいていない。

そして、その「もし」が、ひとみの想いとは違う結果を生むかもしれないことも。

689姫子:2003/08/08(金) 03:05

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1977年。
日航機ハイジャック事件が起こり、電線音頭とカラオケがブームになり、街にはピンクレディーと石川さゆりの歌が流れ、キャンディーズが普通の女の子に戻った年。
イギリスではPUNKムーブメントが吹き荒れ、SEX PISTOLSとDAMNEDがファーストアルバムをリリースし、CLASHが「WHITE RIOT」でデビューした年。
そして、そのPUNKムーブメントが博多の街に海を越えて飛び火し、この街のROCKバカ達を夢中にさせた年。
博多のROCKシーンの頂点にMODSが君臨しはじめていた年。

その年の冬の足音が聞こえ始めた肌寒い夜。
まだ苣木も梶浦もいない、5人編成のMODSの、友泉亭のライブハウス「多夢」でのライブの夜。

21歳の森山は、声を嗄らして歌い。

18歳のひとみ―――。
吉澤ひとみは、そのライブハウスのフロアで、混乱の中、立ちすくんでいた。

690姫子:2003/08/08(金) 03:05

                               つづく。


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