したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

自由と安定

1工藤伸一 </b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/11/24(月) 07:13
自由と安定は反比例しがちなものです。

自由業者は拘束が少ない分、収入が不安定になるものですし、
予定のない休日は自由な分、何をすべきか不安になるわけです。

精神的に不安定な女性が性的交渉の場においてマゾヒスト的傾向を持ちがちなのも、
自由な状態では何をしていいか不安になるからで、
緊縛されていると安心するということの表れなのかも知れません。

2工藤伸一 </b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/11/27(木) 21:19
近代の女性解放運動が成功して女性の社会進出が認められたにもかかわらず、
不景気の煽りを受けて女性の就業率は伸び悩んでいて、
かといって主婦業に専念しようにも女性を養っていけるような
甲斐性のある男性も減っているという現代日本社会の状況の中で、
社会参加意欲とプライドの高い女性が不安定になりがちなのでしょう。

「身分の平等」や「職業選択の自由」が法律上は約束されていながらも、
実際には階級社会が存在し、就職も簡単にはできないのが現実です。
そういう「理想と現実の辻褄が合っていない時代」だから、
精神的に病んでしまう人が後を立たないのでしょう。

こういう言い方をしてしまうと語弊があるかもしれませんが、
これならむしろ「身分の平等」や「職業選択の自由」がなかった時代の方が、
経済的には大変だったとしても、精神的には楽だったんじゃないか?
なんてことさえ考えてしまいます。

決められた仕事しかしてはいけない「不自由な身分」とは、
その仕事ならいつまでも続けられるという「安定した身分」でもあるわけです。
だから色んな仕事に就ける「自由な身分」でありながらそれが出来ない辛さ、
なんてものは感じる必要がなかったはずなのです。

3工藤伸一 </b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/11/27(木) 21:37
以上、個人の精神的状況を社会のありかたに関連付けて考えてきましたが、
「個人的状況を社会や時代のせいにする」考え方を否定的に捉える人もいます。
そういう考え方も確かに一理あるとは思いますが、それはかなり危険な思想です。

もし「社会や時代の流れ」と「個人の生き方」が無関係であるならば、
「社会や時代が良くなる事」は「個人が行き易くなる事」とは無縁であり、
「社会や時代を良くする」ためにある「政治」や「福祉」もまた、
「個人の幸せ」とは何の関係もない、ということになってしまいます。

「個人の幸福」を保証するためにあるはずの公共事業が
「個人の幸福と無関係」だなんて、そんな馬鹿げたことがあっていいはずがありません。
もしその通りであるならば、税金も保険料も払う必要がなくなるでしょう。

しかし現実には、市民の生活と無縁の公共事業で血税が無駄遣いされているのは、
現代社会において珍しいことではありませんから、「社会のせいにするな」という
意見を言う人ほど、そういう利権にあやかって私腹を肥やしているのかもしれません。

4秘するが花:秘するが花
秘するが花


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板