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創作について

1工藤伸一:2002/06/20(木) 23:38
詩にしろ小説にしろ、いいアイディアが浮かんだと思っても、
それがすでに誰かの手によって書かれているのではないだろうか
という不安が常に沸き起こってきます。確かに自分が読んだ本や
見た映画などの内容はおぼろげながらも記憶していますから、
どうにか自作かどうかの判断はつきそうなものですが、それでも
やはりたとえば物心つかない幼少時に見た映画の内容などは記憶
として認識されてはいないわけです。たまにテレビのバラエティー
番組などを見たりすると、若手芸人が平気で四コマ漫画のネタを
パクってたりする場面を見てしまうこともあるんですけど、それも
確信犯とは言い切れないです。自作と伝聞の区別がつかなくなって
無意識のうちに盗用してしまったとも考えられるのです。

302工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2002/12/16(月) 02:27
53 名前:工藤伸一 ◆H/j1HkWi6c :02/12/16 02:23
>>52 文學界新人賞用の作品は、奮闘中ですがなかなか厳しいです。色々な趣向を
盛り込もうと試行錯誤してはいますが、展開が錯綜していてうまくまとまりません。
資料の読み込みをを要する箇所も多数でてきており、そういったうえでも苦労して
います。理想とする既出文芸作品へのオマージュに満ちた、ある文学の流れに連な
る作風を意識して書いているので、手抜きは出来ません。恐れ多い事をいいますが、
ライヴァルは平野啓一郎です。どこまでその理想主義が彼の才能に近づけるかわか
りませんが、目にもの見せてくれようぞという覚悟で挑んでいます。もしかすると
応募先を変えて応募を先送りするかもしれません。20代最後のここ1年で仕上げる
ことができればいいかなという考えなのです。生活も圧迫されつつあるもので年内
に仕上げて応募できるかどうか危ういです。同時に小説現代応募用のショートショ
ートと応募先未定の中間小説賞応募用のミステリをちょくちょく書いてもいます。

303工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2002/12/16(月) 02:49
異形コレクションについて語りましょう  より

211 名前:工藤伸一 ◆H/j1HkWi6c :02/12/16 02:49
それにしても井上先生の着眼点にはわくわくしますね。昨日、青山ブックセンター
に行きまして、僕が一番、知的欲求をそそられる場所が文芸書や哲学書や実用書
コーナーではなくアングラなカルト雑学書のコーナーである事を再確認したのです。
そこには幻獣や妖怪、フリークスや超常現象、歴史の闇部や殺人事件の真相、
古典的宇宙論や錬金術の秘法、書物の歴史や奇人の評伝などなど、ありとあらゆる
キッチュなコスモロジーがところせましと展開されていました。「こういう書物に
囲まれた薄暗い照明の山奥の城の地下室にひきこもって、厭世的に暮らしたい」との
ある意味ふしだらな熱烈なる希求心をふつふつとたえぎらせつつ店を出ました。

そんな僕がいま一番読みたいアンソロジーは「決闘モノ」です。

304工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2002/12/16(月) 04:20
201 名前:鰯 ◆VuVTstpvAQ :02/12/16 02:04
尾崎氏は26で亡くなったことを念頭に置き、過去の夭折した文学者達と比べれば
文学ではないことくらい一目瞭然と思うのですが。


202 名前:工藤伸一 ◆H/j1HkWi6c :02/12/16 04:15
>>201 昔の26歳と今の26歳は平均寿命の伸びや文学以外の娯楽の普及とも相まって
同様には比較できないものだと考えられます。それに実年齢よりも文学愛好歴のほう
がモノをいう部分もありますから、実年齢を問うたところで答えは出ません。尾崎豊
の文学性のいたらなさはひとえに尾崎自身の文学への傾倒さの欠如によるものであっ
て、少なくとも彼の内的世界の構成には文学的大成の萌芽が見られただろうというこ
とです。三島由紀夫や大江健三郎や石原慎太郎や村上龍や平野啓一郎のように20代前
半にして若くして文学の本質を見極められた作家はごくわずかに過ぎません。漱石が
処女小説の『猫』を書き始めたのは38歳の時でしたし、他にも現在活躍中の作家のデ
ビュー作執筆時のだいたいの年齢を挙げてみると、村上春樹は29歳、辻仁成は30歳、
町田康は34歳、長嶋有は28歳、吉田修一は30歳の頃です。誕生月と受賞月の兼ね合い
もあって1歳程度の誤差はありますが、26歳という年齢ではまだまだこれからだったの
にと思わざるを得ないのです。鰯さんは、それでも納得できませんか?

305工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2002/12/17(火) 06:17
【宇宙】新すい星、熊本の公務員が発見…「工藤」と命名へ より

153 名前:工藤伸一 ◆H/j1HkWi6c :02/12/17 04:30 ID:4R0if0/t
下の名前「哲生」じゃなくて苗字の「工藤」にしてくれた事に
同姓を持つ者として敬意を表したいです。
【日本全国「工藤さん」ネットワーク】 でも話題になってることでしょう。


154 名前:名無しさん@3周年 :02/12/17 06:05 ID:AmlkNYSL
んだから、好むと好まざるとに関わらず、新彗星の場合は発見者の名前(姓)が
自動的に付くんだってば。

158 名前:工藤伸一 ◆H/j1HkWi6c :02/12/17 06:15 ID:4R0if0/t
>>154 スマソ。そのようですね。そうするとまた工藤さんが新彗星を見つけたら
どうなるんですか? 「工藤2号」とかになるんでしょうか。

>>99 同意です。九州女はたいてい可愛い。

>>116-117 旧制五校のことでしょうか? だとすれば伝統のある高校という
ことになりますね。ちなみに東京の旧制一高から東京帝大に進学するというのが
明治大正昭和初期の頃のエリートの人気コースだったようです。
(ソースは猪瀬直樹著『ピカレスク』です)

306都立</b><font color=#FF0000>(76fFko5o)</font><b>:2002/12/23(月) 13:43
創作文芸のそのスレ読んだよ、<`ー´ >

307工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2002/12/27(金) 23:50
>>306 イブスレのこと? イヴは終わったけど、結局どうなるのやらw

308工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2002/12/28(土) 04:30
ちなみに最近、読書にも念を入れつつ、小説のあらすじも旺盛に書き続けています。
あらすじはまるで何かに憑かれたかのように一気に脳内に押し寄せてくるイメージを
忘れないように書き留めていくのでいくらでもできるのですが、いざそれを「小説」
の形式にする段になると、文章力の問題が迫ってきてなかなか作品化できないのです。
「小説」の萌芽である「あらすじ」だけなら、現在のところ100作品を越えています。
近頃はほぼ毎日、ストーリーが完結した「あらすじ」が産まれています。ところが
それを才能だと感じてくれる人がなかなかいないもので辛い限りです。創造力である
ところの文章力は才能を人に伝えるための技術であって、作品の原動力である想像力
こそが才能の根源的な部分なんだと僕は思うのです。

309名無しさん:2002/12/28(土) 05:55
文章力を付けたいなら、芥川龍之介と志賀直哉と小林秀雄を
精読したらどうでしょう。明治大正昭和初期にはまだ漢文を
重んじるところがあったから、あの頃の作家の書く日本語は
やはり重みが違いますよね。

310工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2002/12/28(土) 08:16
>>306 ご助言ありがとうございます。「精読」はできていませんが、その3人は
僕の好きな作家のなかには入っていて、それぞれ何冊も読んではいます。特に小林
秀雄が好きです。ちなみに小林秀雄の評論は読んでいますが小説は読んでいません。
小説も読むべきということなのでしょうか? あと、文章を磨くためにと最近、読
んでいるのは、鴎外、漱石、谷崎、三島、山本周五郎、山田風太郎です。構成技術
習得のためにとシェイクスピア、ドストエフスキー、トルストイを読んだり、現代
文学の潮流を知るためにとジョイス、バース、ピンチョン、春樹、龍、源一郎、
保坂和志、平野啓一郎、長嶋有、吉田修一、浅田次郎、宮部みゆき、京極夏彦も
研鑽中です。成果が出るのは早くても1年後でしょうね。それを活かして来年中には
納得のいく自信作を仕上げようと思って、いまは「あらすじ」と「プロット」書き
と「ショートショート・コンテスト」用の作品だけに留めています。

311名無しさん:2002/12/28(土) 23:18
>>310
小林の小説は読んで損はないでしょうけど、
精読という場合、「主要な作品を繰り返し読む」
ということだと思います。工藤さんは「広く浅く」
をモットーにしておられるわけですが、この三人の
文学者に関しては「深く狭く」精読して損はないと
思います。広く浅くやりすぎると「器用貧乏」になる
恐れがあるので、この三人のなかでも芥川の作品の
精読はオススメです。何故かと言うと、芥川は漢文の
素養が大変にあり、その素養の上で日本語を駆使して
いるからです。だから、彼の書く日本語は非の打ち所
のない本物の日本語です。文学も「芸」の世界ですから、
芸道には古典の習得が不可欠ですし、芥川の作品はそれに
ぴったりです。古典の世界の脱構築をするためにも、古典の
習得は必要だとも思われます。文法を破壊するためにも、
文法の習得が前駆的に必要だというのと同じことですね。

312名無しさん:2003/01/01(水) 08:13
ここにある駆動さんの文章をよむと、かなり論理的で
その文体はどちらかというと確かに評論家向きですね。
芥川は一番いい小説は「詩のような小説だ」といっています。
論文口調の小説や、説明口調の小説は詩のような小説とは
違います。例えば、芥川の「蜃気楼」や「海のほとり」
などが詩のような小説に挙げられます。小林秀雄の批評も
「詩のような批評」ではありますが(w。

313名無しさん:2003/01/01(水) 08:23
例えば「私小説」を書くにしても、私はこういう人間で、
こうこうこういう理由で、そういう人間になったという
「説明口調」にするのではなく、自己を徹底的に突き放し、
あたかも他人を描くように自己を描写するのが「私小説」だ
と芥川は言っています。特に説明もなく或いは虚構さえ時に
交えて断言に継ぐ断言で自己を語る。
説明的に自己を語る「自叙伝」と「私小説」は別物だ
というわけですね。

314工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/01/01(水) 09:42
>>311 全ての読書家を二通りに分けてみるならば「精読家」と「多読家」のいずれ
ということになるのでしょう。そして僕は「多読家」寄りです。確かに「器用貧乏」
という言葉もありますが、同時に「木を見て森を見ない」という言葉もあるのです。
できるだけ両方をやっていくことが大切だろうというのが僕なりの方法です。芥川
の精読によって得られるものの価値も確かだろうとは思いますから、それはそれで
やってみたいです。なかには「『ボヴァリー夫人』を10回以上読めば小説は書ける」
という説を唱える方もいらっしゃいます。僕の現状は、「精読すべき作品探し」を
しているということなのかもしれません。「急いてはことを仕損じる」ともいいます
から、いろいろと方法を模索しながらやっていこうと考えています。すでにネット
上にて公開している僕の作品は、過去のものです。いま書いているものは、誰もまだ
読んでいないわけですから、それは誰にも評価できないものなんです。いまや読書を
趣味とする日本人の中では読まない人がいないとまでいわれる人気を誇る村上春樹
が20年以上前に書いたデビュー作は、「完璧な文章なんて存在しない」という引用
文からはじまります。そしてこの文章に力を与えられたからこそ、彼は小説を書く
気になれたのです。そこが稀代の人気作家・村上春樹の出発点だったわけです。
このことは、作家を志す多くの作家志望者への示唆ともなりうる現実です。

315工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/01/01(水) 09:45
>>311 ちなみに芥川は志賀直哉の才能に嫉妬していたという話がありますが、
それは本当なのでしょうか? そのあたり、非常に気がかりに思っています。

316工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/01/01(水) 09:55
>>312-313 小説表現の頂点は山脈の連なりの如くに幾つも存在するものだと
思います。そのいずれかの山道に通じている必要はありこそすれども、全ての
頂上を目指す事は非常に困難なことです。芥川はそのなかのひとつの頂点といえる
わけですが、志賀直哉もまた同時に聳えている頂の高みに位置しているのでは
ないでしょうか? 他にもたとえば、乱歩や漱石をそこにおくことも出来るはずです。
芥川は、鴎外を尊敬していただろうし、太宰や三島、平野啓一郎に尊敬されてきた
という流れの中に位置する作家だったとはいえ、それが文学の全てというわけでは
ないのだろうと思います。芥川の精読からボルヘスやジョイスが産まれたわけでは
ないですよね。浪漫主義の代表者とも言える芥川が自然主義的な私小説をどこまで
体現できていたのかは定かではありませんが、芥川とは一線を画していた作家たち
も多く活躍してきたという事実だけは、否定できないものです。

317名無しさん:2003/01/01(水) 10:29
なるほど、工藤さんの創作への志向性はよく解りました。
>>315に答えると、芥川は「文芸的な、余りに文芸的な」で、
志賀を最大級に評価しています。嫉妬かどうかは解りませんが。
芥川は志賀を「散文の形をとった詩を書く小説家」として
一番評価しています。あと、志賀の道徳的清潔さとかにも
羨望していたようですね、芥川は不倫を数回していましたから(w。
斉藤茂吉も芥川の尊敬した詩人ですよね。松尾芭蕉もです。
あと、芥川は谷崎をスタンダールより文才があると言っています。
因みに、芥川が西洋の文学者で一番敬愛していたのは
リルケです。鴎外や漱石を天才と言っていたのは多言を要しません。
二人の弟子ですから、芥川は。
平野が芥川を尊敬していたとは知りませんでした。
衒学的なところは似ていますね、確かに。芸術至上主義とか。
工藤さんは平野超えを目指しているそうですが、
いいと思います。健闘を祈っております。

318名無しさん:2003/01/01(水) 12:00
ついでに言っておきますと、ボルヘスは芥川文学を
絶賛しているそうです。柄谷行人の「日本精神分析」の
芥川論にそう書いてありました。ページは92ページです。
だからといって、芥川からボルヘスが産まれたわけでは
勿論ありません。それは工藤さんのおっしゃる通りです。

319工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/01/01(水) 13:21
>>317 はっきりとしたことはわかりませんが、平野啓一郎は鴎外と三島を意識
していますから、芥川についても当然、考えているだろうということです。

>>318 そうなんですか。芥川くらいの文豪ともなると、評価は世界的なんですね。
芥川が絶賛していたという谷崎もそうなんでしょうね。情報が世界中を駆け巡る
ご時世ですから、日本文学も世界と肩を並べていかなくてはならないのでしょうね。
ちなみに日本発のテレビゲームに熱狂しているような欧米のSF作家あたりは、日本
の文学作品もけっこう読んでいるようです。なかには日本人が切腹して集団自殺する
といったメチャクチャなものを書く作家もいるらしいですが、日本文化に注目してい
る作家は世界中にけっこういるようです。そこをターゲットに捉えていけば、一気に
日本文学の需要は高まっていくことでしょうね。

320工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/01/02(木) 14:50
>>317 僕は詩や短歌も作っているんですよ。その一部を『Works』というページで
公開しています。ちなみに石川啄木と寺山修司の全短歌は全て何度も読み返してい
て、谷川俊太郎の詩集も20年分は殆ど読んでいます。小説の場合、どこを基本とす
べきか、なかなか定まらないところがありますが、どうにか定めていこうとは考え
ています。

321名無しさん:2003/01/03(金) 07:26
工藤さんが一番好きな作家は誰ですか。

322名無しさん:2003/01/03(金) 09:10
芥川は確かに文豪だけれども、デビュー当時は
かなり叩かれたそうですよ。「お前は文壇にいらない」
とまで叩いた批評家もいたわけです。昔も今も変わらない
な、と思いますね。

323工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/01/03(金) 09:59
>>321 たくさんいますが、12人に絞るとこんな具合です。
夏目漱石、中島敦、石川啄木、寺山修司、谷川俊太郎、星新一、
筒井康隆、村上春樹、高橋源一郎、町田康、渡辺浩弐、長嶋有

324工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/01/03(金) 10:15
>>322 そうなんですか。鴎外や芥川や太宰や谷崎や三島も、好きなことは好き
です。ただ僕自身はあまり美文にこだわらないもので、>>323ではあえてその路線
の作家ははずしてみました。>>323で挙げた作家の文章も美しい事は美しいですが、
全員に共通して「わかりやすい」文章を心がけていますよね。中島敦はちょっと違
いますけれど。ちなみに中島敦は芥川賞は候補で終わっています。そうそう、黒井
千次も好きです。いま芥川賞の選考委員を務めていますが、芥川賞作家ではないん
ですよね。筒井康隆もドタバタ路線とエンタメ・純文学の二足のわらじで、編集者
や批評家からはかなり叩かれてきたようです。しかし売れ続けているという事実を
前にして、文句を言われなくなったんだそうです。高橋源一郎のデビュー作への批
評家による評価は高いですが、いまだに高校の国語の副読本に名前が掲載されてい
なかったりしていて、認めようとしない勢力があるようです。三島賞や伊藤整賞を
受賞しているというのに、残念な事です。三島賞作家の島田雅彦は副読本に名前が
出ているそうです。中原昌也あたりもそういう立場におかれそうですね。

325工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/01/03(金) 10:22
ちなみに高橋源一郎の昨年のイチオシ新人は、僕も最近、注目していた舞城王太郎
だそうです。以前にも、僕は気に入って読んでいたものの文壇からは無視されてい
るような印象のある猫田道子を褒めていたことがあります。そういう観点から言う
と、高橋源一郎の文学観が、僕の感性に最も近いのかもしれません。

326工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/01/03(金) 10:32
ちなみに僕がここのスレ『作家について語る場所』にて「舞城王太郎が気になる」
と書いたのは、昨年の12月23日の事です。高橋源一郎の「舞城王太郎がおすすめ」
という文章が掲載されたのは昨年12月29日の朝日新聞夕刊です。ですから別に、
僕がいつでも彼の書評を参考にしているという事ではなく、面白がるツボが似ている
ということなんだと思います。そんなこともあって、高橋源一郎が選考委員を務めて
いる『群像』に応募したいと考えています。今年度の選考委員は未発表ですが、昨年
はそうだったので、多分同じでしょう。ただ応募予定作を今年中に書き上げられるか
どうかわからないんですけれど。どうにか頑張っているところです。

327名無しさん:2003/01/03(金) 21:49
なるほど、高橋源一郎を焦点にしているわけですか。
ところで、工藤さんは「噂の真相」とかには興味
ありませんか。割と「噂の真相」のノリなら工藤さんの
事を理解してくれるのではないかと思います。なんで、
今度「噂の真相」の編集部に乗り込んではいかがですか。
「俺が2ch文学板ならびに創作文芸板で一番有名な男だ」
ということで。その証拠は2chを見せれば明らかですからね。
工藤さんは2chでは有名ですから、工藤さんが「噂の真相」
で連載を始めれば、2ちゃんねらーは「噂の真相」を
買うと思うのですよ。つまり、工藤さんが「噂の真相」で
連載することで、同誌の売り上げは2ちゃんねらーの購買分だけ
確実に上がるわけですよ。その相乗効果で2chも盛り上がるし。
そういう企画を持ち込んで「噂の真相」の編集部に乗り込んでは
いかがかということです。工藤さんは頑張って2chで名前を
売って、かつ、それが成功したのだから、それを利用しない手は
ないでしょう。
「噂の真相」のノリならその企画に乗るかもしれない。

328工藤伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/01/05(日) 18:57
>>327 面白い提案ですね。『噂の真相』といえば、筒井康隆先生の連載があ
りますよね。しかし何を書くかが問題です。文学がらみの話でいいのでしょう
か? 昨年からできるだけ文芸誌を読むようにしているので、それの成果を活
かして、何かいい案が浮かぶようなら、やってみたいと思います。

ちなみにどこまで書いていいのかわからないのですが、僕の友人が2ちゃんねる
がらみの活動がきっかけで、今年の春から某誌にて連載を始める事が決まったそ
うです。僕もそれに次いで何か大きな成果を得られればいいなとは考えていたと
ころなのです。とにかくいまは僕なりの努力を積みつつ、いいアイディアが浮か
ぶのを待とうと考えています。ゴシップ的なことでいいますと、「某誌に掲載さ
れたある人気作家の作品中の描写の元ネタが意外なところで見つかった」という
ような、興味のない人にとってはくだらないことでならいくつかあります。でも
そのままじゃマニアックすぎるかもしれないですね。

329名無しさん:2003/01/05(日) 20:30
>>328
とりあえずは、「工藤伸一の「噂の真相」デビューに嫉妬する
2ちゃんねらーを哂う」という企画を持ち込んだら
いかがかと。工藤さんが幻冬社からデビューするという
デマが流れた時に、文学板が大騒ぎになりましたよね。
今度はあれを本当にやるという企画です。
そうなれば、また文学板は大騒ぎになると思うのですが、
それをネタにして連載するという感じでいけば、
面白いと思います。

330工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/01/07(火) 23:16
>>329 幻冬舎の件は驚きました。僕が煽られていた話題の流れを変えようとした
方が流したデマだったんですよね。それが飛び火してまことしやかに伝わってしま
いつつあったもので様子をみていたのですが、結局はデマを流した方の自白で収拾
がついたわけです。昨年末のまったり感を払拭する、面白い話題にはなりました。

ちなみに幻冬舎といえば、「幻冬舎ノベルズ」に収録されている太田忠司先生の
ショートショート集『帰郷』を最近、購入しました。太田忠司先生は、星先生が
選考委員を務めていた頃の「ショートショート・コンテスト」の初期の入選常連
者からプロの長編ミステリ系作家になった方です。ところが長編作家としてのデ
ビュー前やデビュー後にも折をみては発表されていたというショートショートの
個人作品集は刊行されていないということを、太田忠司先生ご本人が運営してい
る公式サイト内に書いていたところ、幻冬舎からの出版が決まったんだそうです。
僕は昨年からショートショートがらみの研究に力を注いでいますもので、こういっ
たエピソードを大変、興味深く感じた次第であります。

331工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/01/07(火) 23:26
ちなみに、「幻冬舎ノベルズ」でいまのところ所持しているのは、太田忠司先生の
ショートショート集『帰郷』だけなんですが、巻末の目録に目を通してみたところ、
実に興味をそそられる風変わりな作品がたくさんあるようなのです。どんなものが
あるか、目録の一部だけですが、抜粋してみますね。

菊池秀行著『闇の訪問者』
AV現場に、ヤクザと黒ずくめの男たちが乱入し、撮影は中断された。
人類VS最強の侵略者、宿命の対決!

※この本の紹介文の1行目と2行目の内容の落差の激しさは一体……?

荒巻義雄著『帝国の光』第2巻
「これは大人のためのエヴァンゲリオンだ!」宮台真司氏絶賛!
近未来経済の悪魔の仮面をはぐ第2弾。

※どの程度のエヴァっぷりなんでしょうね。

332名無しさん:2003/01/08(水) 17:59
工藤さんは和光大学では何を勉強された
のですか。第二外国語は何を取った
のですか。

333工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/01/08(水) 19:12
>>332 人文学部人間関係学科です。専攻は卒論のテーマで決定されるため、心理
学と社会学の辺りを行ったり来たりしていました。外国語はフランス語でしたが、
真面目にやってなかったので読み書きは全く出来ません。英語はとりあえず、中学
の頃に英検3級をとった程度です。2級は何度かチャレンジしましたがダメでした。
準2級ならどうにかなるかもしれないですね。

334工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/01/08(水) 19:16
ちなみに現在、人文学部は人間関係学部という名称に変わっています。
そういえばもうすぐ和光大学に社会学系の大学院が開設されるそうですね。
>>332さんは和光大学に興味があるんですか?

335名無しさん:2003/01/08(水) 21:16
和光大学には興味はありません。
社会学と心理学をやったのですか。
第二外国語はフランス語。
文学はやらなかったのですか。
意外ですね。

336工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/01/10(金) 09:44
>>335 おかしな話ですが当時の僕は、
「文学が好きだからこそ、あえて文学部には行くまい」と決めていたんです。
文学部に入ってしまうと文学部教授の受け売りに毒されてしまい、作家というより
評論家的になってしまうのではないか、という危惧を感じていたからだったようで
す。でも学生時代にもっと文学の勉強をしておきたかったようにも思います。

337チェック:2003/01/11(土) 23:39
335
どうも工藤さん、その考えは全然おかしくないですよ、俺も高校時代から本が好き
でしたが、文学部に入ると「型にはまってしまう」という変な危惧感を感じて
法学部に入りましたから、そして文芸部に入ってサークル活動しています。
ただ、入ってみたら皆ファンタジーかライトノベルが好きなので、俺みたいに
純文学やエンタメ好きな人間はいませんでした。
面白くないですか?純文学やエンタメ好きな人間が異端者ですから。
楽しくはやってますけど好きな作家を語り合うようなことができないので、
こうやってネットで話相手を探す毎日です。
話は変わりますけど、「羊をめぐる冒険」読み終わりました。
前に「1973年のピーンボール」も読みましたから鼠三部作読了です。
ただ俺の場合「ダンス」、「1973年」、「羊」の順番で読み終わりまし
たから、面白かったけど少し後悔が残ります。もう一度読み返そうかなという
気もしますね。

338工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/01/12(日) 01:46
>>337 チェックさんもそうなんですね。実は僕が文学部を選ばなかった理由は、
他にも色々とあるんです。まず高校時代の現代文のテストで1問だけ間違えて100
点を取れなかったことがあったのですが、その設問というのが、テスト中に引用
されていた太宰の『走れメロス』に関するもので、「『走れメロス』以外の太宰
治の作品名を答えなさい」というものだったんです。普通に考えたら有名どころ
の『人間失格』や『斜陽』あたりの作品名を書き込みさえすれば正解できる簡単
な設問です。ところが僕は太宰を何冊か読んでいるという自負もあってわざわざ、
『駆け込み訴え』という短編の題名を書き込んだのです。しかし高校の国語教師
が言うには「ただしくは『駈込み訴へ』です」とのことで不正解扱いになったん
です。それさえ正解なら100点だったので悔しく思った僕は、「そうはいっても、
たとえば鴎外や漱石の著作も発行当時は旧漢字旧仮名で表記されていたものが、
現在の単行本などでは新漢字新仮名表記に改められているじゃないですか。そん
な細かい揚げ足を取って点をくれないなんて卑怯です」と食い下がりました。す
ると国語教師は「それは一理ある意見だけど、大学受験でも細かい間違いを揚げ
足取りのように見つけては減点されたりするんだよ。だから最初から曖昧な知識
を出すべきではないんだ」と言いました。これには納得せざるを得ないな、と思
ったのです。しかしそれと同時に、「大学の文学部ってのは細かい事ばかり言う
嫌な教授だらけなんじゃないだろうか?」という偏見が僕の中に芽生えてしまっ
たんです。

339工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/01/12(日) 02:22
ところでチェックさんの創作方法は、どちらでしょうか?
以下、2ちゃんねるに書いたものをコピペしてみます。

726 名前:工藤伸一 ◆H/j1HkWi6c :03/01/12 02:20
>>311 僕が物語を作る方法は、京極夏彦さんと同じです。
まずはじめに最初のひらめきが頭のなかに訪れて、それとともに作品全体の映像や
物語が一瞬にして完成します。そのあらかじめ構築された完成形に近づけるために
文章を綴っていくのです。ですから書かれる前からすでに作品は出来ているのです。
しかしその構想を文章に起こす際に、思い通りにするのが大変なのです。
ミステリ畑の作家の話ばかりで申し訳ありませんが、赤川次郎の場合は京極夏彦とは
真逆で、冒頭部分のイメージが浮かんだらあとは筆のすべるがままに書き進めていき、
書きながら話の流れを考えるそうです。だから読者だけでなく作者自身も真犯人が誰
なのかわからずに連載を続けていることもしばしばで、それはそれで楽しいそうです。

340工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/01/12(日) 03:13
以下、コピペの続きです。

735 名前:工藤伸一 ◆H/j1HkWi6c :03/01/12 02:54
あくまでも「作り方」の話ですよ。作品の質の話ではないんです。
ですからスポーツにおける技のこなし方やヴォーカルの歌唱法の場合も、
その質とは関係なく、同じ方法をとっているという言い方はできるはずです。
というわけで、僕が天才かどうかということと創作方法は関係のない話です。
いくらどんなに物語の構想を一瞬で作れるからといって、それを作品として
仕上げるためには多くの努力を要するのです。その作業を必死で乗り越える
段階を踏まない事には、天才にはなれないのです。
アインシュタインやホーキング博士の理論は、研究の過程で導き出された
のではなく、まずはじめに根拠のない結論のひらめきが頭の中にあり、そ
れを正当性のあるものとすべく後付で理論を付け足していったものだそうです。
このことを理解できる人なら、僕の言っていることもわかるはずです。
宇宙には果てがありませんよね。そして意識にも果てがありません。つまり
人間の外界と内界はどちらも永遠に広がっているということです。だとすれ
ば両者がメビウスの環のようにしてつながっている可能性も否定できないのです。
そこではあらゆる時間も空間も何らかの接点を持って同時に存在していて、
夢と現実、過去現在未来といった隔たりも意味を持ちえません。全てがそこにあり、
そこからの情報が何らかの機会を得て個人の脳を媒介して「ひらめき」として発現するのです。
そういう意味において「天才」の本質が脳の働きのことではなく「世界」本来の有り様
によるものであるともいえるのではないでしょうか?

341工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/01/12(日) 03:31
749 名前:工藤伸一 ◆H/j1HkWi6c :03/01/12 03:29
この話は多次元宇宙論とも関連するものです。この世界には無限の選択肢が
存在し、どの選択肢が選ばれたかによって平行世界が枝分かれしていくという
発想の事です。この理論がタイムマシン開発の現実性を高めることに大いに寄
与したことは記憶に新しい事実です。そして僕の考えでは、この多次元宇宙論
における平行世界とはすなわち「空想世界」のことなのです。「もしあの時、
こうしていたら?」という、なされなかった過去の選択肢の実行によって産ま
れた平行世界が存在するのであれば、全く自分とは関わりのない、たとえば小
説を読んでいる時にあなたが頭の中で空想した世界もまた、平行世界としての
命を吹き込まれ、その後も存在し続けているのではなかろうかということです。
すなわち自分の空想が自分の頭を離れてもなおかつ歴史を重ね成長し続けている
ということです。そしてそれは空想者本人が住む宇宙ともどこかでつながってい
て、同じ世界に住む別の人間の脳内の世界ともつながっているのです。同じ部屋
に泊まっていた複数の人間が同時に同じ夢を見るという現象が時折、報告されます。
このことが空想世界の実現性を証明する手がかりになるようにも思えるのです。

342工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/01/12(日) 03:43
753 名前:工藤伸一 ◆H/j1HkWi6c :03/01/12 03:43
つづけます。最新の宇宙論は『プログラム理論』だそうです。宇宙の森羅万象
を定義付けることができる『宇宙のプログラム』が存在し、それはおそらくか
なり単純な構造を持つものであり、たとえるなら生物のプログラムであるDNAの
ようなもので、エディタ上で表記するさえ可能なものではなかろうかという、
コンピュータ畑の学者が提唱したものです。この理論は物理学者の間で大きな
波紋を呼んでいるらしいですが、あくまでもまだまだ序論の段階であって、本
格的な研究は始まったばかりだそうです。この理論が産まれた背景には、現実界
をテレビゲームソフトやコンピュータになぞられるという発想があったのだろう
と推測されます。ユーザのあらゆる選択肢にも耐えうるようにと複雑に進化して
いったテレビゲームやコンピュータの基盤同様に、宇宙の基盤がどこかにあるの
だということです。この研究の成果が、僕の空想の正当性をも証明してくれる日
が来るだろうことを期待していますが、それがいつのことになるかはわかりません。

343工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/01/12(日) 04:05
757 :工藤伸一 ◆H/j1HkWi6c :03/01/12 04:04
ユングの心理学によれば、全人類に共通する「共同記憶」なるものがあるそう
です。これはその後の神話学やイコン理論、言語学にも受け継がれていった、
ある意味オカルト的な理論ですが、オカルトと言われてしまった所以はあくまでも
この理論は確実な根拠が存在しない空想の域を出ないものだからです。しかし
プログラム宇宙論の結論が導き出された暁には、この「共同記憶」の秘密も解き明
かされるんのではないかと思うのです。生物の獲得形質のひとつである「記憶」は
遺伝の対象にはならないという説もあるようですが、脳医学が脳細胞の全ての働き
を明かしているわけではない現状では、その理論もナンセンスということになります。
マウスを使った実験で、マウスの行動パターンが親世代の教育や種本来の本能によって
だけではなく、飼われてきた代々のマウスへの人為的関与を加えられた行動パターンを
継承したものに変質していくという実験結果もあるそうです。これにより、進化論は未
だにただひとつの見解にまとめられることなく議論を呼んでいるのです。この「獲得形
質の遺伝の可能性」から「全人類の記憶のなかに宇宙の全ての情報が隠されている」と
推測する事も出来ます。すなわち人間の「記憶情報」を完全に明らかにすることができ
れば、ビッグバンの瞬間の映像も地球が産まれた当時の光景も、そして宇宙の基盤であ
る基幹プログラムまでもが発見できるのではなかろうかということです。ミクロ的世界
の研究成果がマクロ的世界をも説明できるはずだということです。

344工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/01/12(日) 04:38
760 :工藤伸一 ◆H/j1HkWi6c :03/01/12 04:37
多次元宇宙論はSFファンの間では有名な理論ですが、一般的には普及して
いない発想のようです。『バック・トゥー・ザ・フューチャー』のシナリオ
にも多次元宇宙論は採用されていませんし、つい昨年にもこの理論を知らない
書き手による『タイムマシンの不可能性について』という馬鹿げた小説が文芸
誌上で発表されていて呆れてしまいました。多次元宇宙論によれば、タイムマ
シンで過去へタイムトリップして自分自身を殺しても、そこで自分が死んだと
いう新たなる平行世界が産みだされるだけで、タイムトリッパーが住んでいた
世界はそのまま何事もなかったように存続し続けるのです。自分の両親が結婚
できないことになったとしても、自分が生まれなかったという平行世界がひと
つ増えるだけで、自分の存在が消滅するなんてことも起こらないのです。この
理論によっていわゆる「タイム・パラドックス」の問題は解消されたのです。
さらにここに「平行世界としての空想世界」の理論を付け加えると、空想とい
うシステムの秘密も明かすことが出来るでしょう。さらにタイムマシンが実用
化されることになれば、空想世界えも行き来できることになるのです。『ドラ
えもん』に登場した『もしもボックス』が現実化するということです。さらに
言えば、その『ドラえもん』の世界にだって入り込むことができます。『ドラ
えもん』は漫画やアニメという形で我々の空想を戯画化したものですが、その
実態は作者である藤本弘先生の空想した「空想世界」として現実界の「平行世界」
の中に含まれ、いまもなお存在し続けているのです。

345工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/01/12(日) 06:55
>>334-339は、ひとつにまとめて『Reading Station』というサイトに投稿しました。

346工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/01/12(日) 06:57
間違えました。>>339-344でした。
『Reading Station』は、<a href="http://www.readingstation.dyn.to/index.html&quot; target="blank">ここ</a>です。

347工藤 伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/01/12(日) 06:59
タグいらなかった。http://www.readingstation.dyn.to/index.htmlです。

348チェック:2003/01/12(日) 17:07
長レスどうも、工藤さん。
俺の場合も似たようなものですね、ただ、ひらめきの後にじわじわと
あぶりだされる物語と言う感じですかね。すぐには完成しないですよ。
浅田次郎はその一瞬のひらめきを「小説の神様が降りてきた」と表現しています。
俺はひらめいた後、それを物語にしようと肉付けを開始するのですが、その
過程の中でも話が分かれたりして悩んだりしますね、どちらの話で進めようかと、
ひらめきは核として残しておく。ひらめきは内臓ですから、それを肉付けする段階
で人間になったり魚になったりと、わかりずらい例えでごめん。
ところで工藤さんの話、「空想世界」とは、双子の片方が、けがをするともう片方
はその部分にけがと同様の大きさの水ぶくれができる。という話ですか?
その先は俺の脳では理解できません。すいません。
これは別に関係の無い話ですけど、「宇宙はビッグバンが起こる前は完全な無だった」
という話を読んで、それを想像したときメチャクチャこわかったです。

349工藤伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/04/19(土) 09:41
文学はあくまでも語学の範疇に入るものであるからには、音楽家が毎日弛まず
先人の演奏に耳を傾け楽器の練習をして腕を磨くのと同じようにして方法論を
習得していくのが本道だと思う。なおかつ音楽にAメロ・Bメロ・サビ・間奏と
いうようなポップス的作曲法があるのと同じく起承転結の原則に忠実な大衆小
説もあって当然だが、やはり音楽には先人の残した楽譜の解釈に基づいて演奏
することを目的とするクラッシックやスタンダード・ナンバーを解体しながら
即興演奏するジャズやソウルがあるように、先人の残した名作の解釈に基づい
て書かれる純文学作品やスタンダードな作風を解体しながら時事風俗を織り交
ぜて展開されるポストモダンがあって当然だとも言えるだろう。物語性という
ものは別に文学作品でなくとも、漫画や映画、演劇でだって表現できるもので
あって、それは単なる借り物のモティーフに過ぎない。文学の本義は、やはり
飽くなき言語表現の可能性の追求なのであって、決して面白ければいいわけで
もなければ、感動的でなければいけないというわけでもないはずである。
よって物語性に重きを置いているという時点でそれはあくまでも大衆文学
なのであり、物語性の力を借りることなく言語表現の可能性の追求に徹し
切れているような作品であってこそ初めて純文学と呼ばれる資格を有する
のではないだろうか?

350工藤伸一</b><font color=#FF0000>(lPe6tSdk)</font><b>:2003/04/19(土) 09:57
>>348
ごめんなさい。チェックさんからの書き込みに今まで気付きませんでした。
3ヶ月遅れのレスで申し訳ありませんが、レスしておきます。

「空想世界」の件ですが、
>双子の片方がけがをすると
>もう片方はその部分にけがと同様の大きさの水ぶくれができる。という話
との関連は、作者の頭の中に空想ができると同時にその空想の世界が実際に
平行世界として産まれているという意味では、作者の頭の中にある空想の世界の
双子としての空想世界で全く同じことが起きているということになりますから、
同じようなことなのかもしれません。つまりこの世には「ないものはない」はずで、
一見「ない」と思えるものはただ単に「見えない」だけのことで、実際にはどこか
見えない場所に必ず「ある」のだということです。空想もまたその存在を確認する
ことは出来ませんが、だとすれば「ないはずのもの」が「ある」ということになって
しまい、それはあまりにも非科学的すぎるのです。同時に「無」から「有」が産まれ
るのではなく、あくまでも最初から何かがあってこそ何かが産まれるのだと思うわけです。
そういう意味で、「宇宙はビッグバンが起こる前は完全な無だった」という説にも僕は
同意できかねます。第一にビッグバン以前が「完全な無」であったことは誰も証明できない
わけです。第二に、何もない場所で何も起きていないのに爆発が起こるということの
原理を説明する手立てもないのです。そういう意味においても、この世の始まりについて
考える事はナンセンスだと思うのです。僕もそのことについては考えた事がありますが、
それを考え出すと気が狂ってしまうと思うのです。確かに僕等の住む地球がぽっかりと真空
の闇のなかに浮いていて、猛スピードで自転しながら太陽の周りを移動し続けているという
ことも不思議でなりませんが、その理由を考えるのは簡単なことではありません。

351秘するが花:秘するが花
秘するが花


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