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企画リレー小説スレッド

1言理の妖精語りて曰く、:2007/08/18(土) 23:52:42
ポータルキーワード:
http://flicker.g.hatena.ne.jp/keyword/%e3%83%aa%e3%83%ac%e3%83%bc%e5%b0%8f%e8%aa%ac

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リレー小説の本文と企画進行の為の連絡のみに用いるスレッドとします。
意見・感想・批評等は雑談スレッドや感想・批評スレッドにお願いします。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/7039/1183121112/

参加型の企画リレー小説です。事前に申し合わせて締め切りやお題を決めて
リレー小説を書いていきます。

6第1回1番(4):2007/08/19(日) 00:47:47

「にいさま、お加減がすぐれないのですか?」
控えめな声に我に返り、アルスタは微笑んでクリスの頭を撫でる。
「大丈夫だ、クリス。お前が心配することなぞ、この期に及んで有りはしない。
全て・・・・・・、全てこの兄に任せておけば良い」
なんでも無い、心配は要らないという意思は確かに伝わったようでそれ以上の追求は無かったが、なにか言いたそうな気配は相変わらず留まったままだった。
中庭で意味の無い時間を過ごした後、アルスタはただ一人の血縁、クリスを連れて散策に出た。恐らくは二人で過ごせるであろう最後の平穏な時。
花を見て、小鳥を見て、そしてまた虚空を漂う煌きを笑い。
クリスは兄の腕をそっととり、軽やかに笑う。
「ねえにいさま、みてください、ほら」
どれどれと、ぎこちなくもおどけて見せればきゃらきゃらと笑い、はしたないと気付いて口を手で隠す様がどうしようもなく愛らしく。
在りし日と変わらぬままに微笑み、揺らぐことの無い愛を注ぎあう二人。その美しい有様を、だれが引き裂こうなどと思うであろうか。その場所は寒々しい冬でありながらも、二人の間に広がるその温かみは春のそれなのだ。
だが。アルスタは思う。
高潔にして高貴、好色にして残忍とも謳われるかの竜族はまた、麗しき贄を前にして弄ぶ事をせずして喰らう事を良しとはしないという。風聞であればまだ心安らかに送り出せよう。だが、万が一にも真実であったとしたら。
それは、恐怖そのものだ。
小さな、小さな体だ。年の離れた血縁。今は亡き母が遅くにもうけた種違いの子。
母の命と引き換えに生まれた体は虚弱で、ひどくか弱い。
それは年若く青い少年が自分こそが守らねばと決意させるほどに、か弱い、か弱い子供だったのだ。それは、成熟しつつある今も尚、変わることの無い事実。
この可憐な繊手と白磁のような首筋、透き通るような体の線と開いた首下から覗く皇かな鎖骨の流麗さ。折れそうな細い腰、手の中に収まってしまいそうな小さな足、摘み上げて口付けを送りたくなるような、完成された顎の曲線。手で梳けば如何なる絹糸よりも柔らかな感触を返すであろう金の髪。その絶世たる美貌のひとかけでも、誰か得体の知れないモノに汚されるくらいならば、いっそ自分の手で、と。毎夜思い悩み、その度に自己嫌悪に襲われるのだ。自分は、間違いようも無くこの美しい家族を愛しているのだ。救い難いほどに。
クリス、と声をかければ、はい、と素直な返事が返る。己を待つ悲惨な運命を覚悟しているようにも、全てを諦めきった先の境地に至ったようにも思われた。彼を悲しませるのは、その一挙一動に微塵も悲嘆や絶望が含まれていないというその一点だった。クリスは自分の犠牲を受け入れ、それによって救われるであろう人々に祝福さえ贈る気持ちでいるのだ。それがどうしようもなく悲惨に思えて、アルスタは抑え切れず溢れ出した涙をクリスの前で晒してしまう。クリスは手の平をアルスタの頭上に伸ばし、そっと撫でながら微笑んだ。慈母のように。また妻のように。
「にいさま、しゃんとしてくださいな」
頬を撫でる繊手。しゃがみ込んだアルスタの顔と同じ高さになったクリスの美貌が、まっすぐに向けられていた。
「ねえ? にいさまがそれでは、きっとばれてしまいますわ。わたくしの秘密が」
クリスは珍しいことに苦笑しつつ、こつん、と額と額を触れ合わせた。幼い兄弟同士がそうするように、親しげに、慈しみを以って。
「たった二人の、兄弟ですもの。 わたくしたちは、信じ合わねばなりません」
「ああ。・・・・・・ああ、そうだな」
そうして、アルスタは万感の思いでたったひとりの弟を抱きしめた。
そう、自分の役目はこの最愛の肉親を送り出すだけに留まらない。
贄が乙女ではないという事実を隠し通したまま、血の呪いを全うしなければならない。
弟が妹であると偽ったまま、妹として贄の役割を完遂させなければならない。
竜を欺く。男を女として偽り、災厄を騙してやり過ごす。
その為に、ただ一人の弟を捧げるのだ。

7第1回2番(1/4):2007/08/22(水) 18:24:04
「どうかしら、にいさま」
 クリスはその身に纏ったドレスの裾を掴み上げ、おどけてみせた。
 純白のベール。
 死に装束。
 それは戦場において累々と連ねられた屍に撒かれる石灰のようだ。死が放つおぞましい臭気を覆い隠し、まるでそれが穢れなく麗美で高潔なものであるかのように見せかける。
 誰に?
 その犠牲を強いた者に。
 その屍の上に立つ者に。
 込み上げる吐き気を飲み下し、微笑の仮面を貼り付ける。向けるべき殺意という名の矛先を間違えてはいけない。
「にいさま? どうかなさったの?」
 アルスタはかぶりを振り、穏やかに言う。
「ああ、似合うよ。とても綺麗だ」
「そう?」
 無垢な笑みをこぼすクリス。
「行こう、時間だ」
 間もなく贄の儀が始まる。

8第1回2番(2/4):2007/08/22(水) 18:24:54
「冬は嫌い」
 寝台に横たわるクリスは窓外を見つめながら、独白のように静かに呟いた。
「どうしてだい?」
 今にも掻き消えてしまいそうなほど儚げな雰囲気を纏うクリスを見守るアルスタの瞳は優しげで、その実、奥底に沈殿する様々な想いをおくびにも出さずにいる。その痛みが、その苦しみが如何ほどのものであろうとも。
「早朝の張り詰めた空気、老いた人間の肌のような枯葉が敷き詰められた回廊、色彩を欠いた山々の峰、薄氷を抱く湖の貌、銀色の月、吐く息の白さ。そこここに死の臭いが充満しているもの。だから、冬は嫌い」
 クリス。唯一にして最愛の家族。彼がこの世に生を受けたその日も、今日のように凍てつく寒さが館を包んでいた。そして、母が死んだのもまた。
 アルスタはかける言葉を持たずにいた。
 クリスは外界の光景を曖昧にする露の浮かぶ大きな窓から眼を逸らし、兄を見やると、穏やかな笑みを浮かべた。
「にいさま。わたくしは、本当はどうでもいいのです。他の人々の幸福、蹂躙される世界、そんなものはどうでもいいのです。ただ、あなたが健やかでいてさえくだされば、それだけで」
 ずきり、と、アルスタの胸が悲鳴を上げた。
「だから、わたくしはこの身を捧げます」

 深遠に呑み込まれる手向けの花。
 自らの葬送に立ち会う心情とは果たしてどのようなものであろうか。どれほど願えども覆ることのない宿命に際し、弟は何を想うのであろうか。
 アルスタの隣で静かに寝入るクリスの白く透き通る肌は、まるで屍のようだった。しかし、その金糸の髪を分け、額にかすかに唇を重ねると感じられる温もりが、脈動する魂の存在を確かに伝えてきた。
 胸の鋭い痛みが、己の無力さを責め苛むようだった。

9第1回2番(3/4):2007/08/22(水) 18:25:33
 神官達が朗々と謡う口上は地獄の底を這いずるグールが放つ呪詛のようだった。
 風のない夜。欠けた月の冴え冴えとした光が荒れ果てた中庭を朧に照らし、台座に蠕動する災厄を浮かび上がらせる。そこから、地鳴りを思わせる呻きにも似た鳴動が断続的に起こっていた。
 クリスは眼を閉じ胸の前に両の手を組み合わせ、祈るように台座の袂に跪く。
 口上が途切れ祈祷が始まるといよいよ鳴動は激しさを増し、もはやそれは竜の咆哮そのものだった。醜獪な悪意を剥き出しにした災厄は、咆哮によりその場に居合わせる全ての人間のはらわたを引き裂き掻き乱しぶちまけようとでもしているかのようだ。
「アルスタ様おさがりください!」
 側近の兵が震え上がる声で叫ぶが、アルスタは微動だにしない。
 忌まわしき災禍の種子と、その下に跪く愛しき者の背を見据え、アルスタは身を固く引き絞る。
 果たしてその時は来たり。
 暗雲立ち込め嵐が巻き起こり、稲妻に共鳴するが如き竜の咆哮。何人たりとも傷つけることの叶わなかったその金の繭が亀裂を生じさせる。
 萌芽と結実の時。
 呪いの顕現。
「今だ!」
 アルスタが天に掲げた片腕を振り下ろすと同時にあげた号令と共に、物陰より躍り出す男達。
「うおおおおおぉぉぉ!」
 怒号と共に先陣を切る男の腕には朱一色の剣が握られていた。男の名はメクセオール。アルセスと同じく神代を生き、神殺しと謳われたメクセトの末裔、北方帝国より来たりし騎士。鮮やかでいて禍々しい輝きを放つその剣が、災厄の具象へと、振り払われた。

10第1回2番(4/4):2007/08/22(水) 18:26:14
<絶対智>と呼ばれる科学者がいた。
 孤高にして至高。
 異端にして忌憚。
 彼を狂人と蔑む身の程知らず共も、彼の生涯最後の発明を目の当たりにし、その言葉を失う他なかった。
 完成されたフォルム。威光を湛える究極の美は芸術史を一笑に付し、それまでの人工進化の過程を一足飛びに超越した概念は不可能を可能とした。
 世界は湧いた。我々は新世紀の幕開けを迎えたのだ、と。
 彼らが気づくことはなかった。<絶対智>の手によって開かれたのは、新時代の扉などではなく、パンドラの箱だったということを。
 惑星上の生命を根絶やしたその生体機械――或いはこう言い換えてみてもいいだろう。生体兵器と――は己が身を皮膜で覆い金色の糸で以って包み込むと、星々の海へと出でた。次なる依り代を求めて。

11第1回3番(1/4):2007/08/24(金) 00:09:32
「そこまでだっ! これ以上無駄な血を流すんじゃない!」
 宇宙より飛来した呪いに、神に呪われた男の末裔が挑む。その激突の瞬間に、何者かの声が響いた。
 メクセオール以下、勇士たちは言うことを聞いて止まった。別に言うことを聞いてということもなかったのかもしれない。よく見たら繭はまだ割れていなかったのである。皹が瓦解に成長する速度は予想外に遅かった。これではどの道止まらざるを得ない。
 声のする方向には、何日か前からこの地方を探っていた刑事がいた。
「謎はすべて解けた……この恐るべき陰惨劇の首謀者は――この中にいる!」
 ちょうどそのとき、繭が割れきった。溢れ出るイリュージョンとともに竜がその身を起こす。物理的な色彩を無視してプリズマティックに透き通る虫が花が、海が空が、繭から溢れ竜の身体を伝い、流れ落ち、滴って、地を跳ね返り、消えていく。
 しかし、この美しい光景を見ることができたのはただ刑事一人だった。みんな刑事の方を向いていたからである。気配に振り返るとすでに竜は生まれており、その身体を震わせて、まとわりついていたイリュージョンを飛び散らせる。赤く染まった星空が、渦を描いて埋もれていく大草原が、炎のごとく揺らめいて立ち上る水が、雪の結晶にその身を住まわせた氷細工のような蜘蛛が、あまたの不可思議な光景やその断片が、あたりに振りまかれ、記憶に刻む間もなく霧散する。
 多かれ少なかれ、誰もが、どうせなら誕生の瞬間を見たかったと思った。だが、そんな感傷には無縁と刑事は話を続ける。この毅然とした態度は、自分はちゃっかりその光景を見ていたからとも言えるだろう。
「そっちの竜も、動くんじゃねえぞ。人を殺したとなりゃ、世界一と言われる北方警察が動く。いくら竜ったって逃げ切れるもんじゃねえ」
 そう言われ、竜は静かにしていた。これも別に、そう言われということはなかったかしれない。竜は窮屈な繭から出たばっかで、からだをほぐしたりしながら休んでいたかったのだ。ろくに話も聞いていなかったというのが正直なところではないだろうか。
 刑事はしかし、この場における自分の掌握力に気をよくし、タバコに火をつけながら不敵な笑みを浮かべた。
「さて、役者はそろった。聞かせてもらおうか、アルスタさん。なぜ生前葬なんていう芝居を打ったのかをな」

12第1回3番(2/4):2007/08/29(水) 19:01:47
「芝居か。貴様から見れば、そうなのだろうな」
 アルスタが口の端を歪めながら答える。
「そうとも、確かにお芝居さ。だが、それで何が悪い。クリスのために、ほかに何ができた」
 そう言ってアルスタは刑事をにらみつけた。これで言い返したつもりである。今度は刑事が答える番だと、そう思っていた。
 刑事の方としては、これは答えになっていなかった。だからこれは前ふりで、まだ続きがあるのだろうと思っていた。
 それでふたりとも黙っていた。お互い相手が話す番だと思っているからだ。そうこうしているうちに、刑事のタバコが燃え尽きた。
「それで」
 刑事が尋ねる。
「それでとは」
 アルスタが聞き返す。
「あの」
 そう言って一歩進み出た男がいた。名をソルダスと言う。メクセオール率いる44勇士の中でも、空気を読まないことでは右に出るもののいない男である。
「刑事さんは、芝居っていうのをアリバイ工作とかカムフラージュとか、そういう意味で言ったんじゃないんですかね。それでアルスタさんの方は、生前葬っていうのが、本物の葬儀を真似たというか、本物の葬儀に対して演じられた葬儀と、そういう茶番劇みたいな意味で受け取ったんじゃないんですか。そこ、もうちょっと話し合ってみたらと思うんスけど」
「すまん、もう一回言ってくれ。アリバイとかカムフラージュあたりからよく聞こえなかった」
 刑事が要求した。ソルダスは滑舌が悪いのである。
「いや、だからっスね。あなたが言いたかったのは、なんでそんなアリバイ工作かカムフラージュかわからないけど、そういうことをしたのかって、そういうことですよね。自白をするようにと、そう要求してるんだと思ったんスけど。でもアルスタさんは、本物の葬儀でなくて生前葬なんていう、まあ言ってみれば、これは葬儀を演じてるわけですよね。つまり、『どうして生前葬なんてやったんだ』っていう言葉の意味でとったっていうか。だから、その本物の葬儀に対して演じられた葬儀という意味で芝居、っていう言葉を使ったんじゃないかって、そうアルスタさんは捉えたんだと思うんですよ」
 場が静まりかえった。一生懸命歯切れよくしゃべろうとしていたものの、後ろの方になればなるほどしゃべり方は素に戻っていき、ただでさえ聞き取りづらいのに、文法が錯綜しているのだからなおのことわかりづらい。神官や勇士たちの注意がだんだん散漫になっていった。一挙動ごとにこの世の不可思議をその鱗に映し出す竜の方に視線が集まっても仕方がないことであろう。
「えーとだから、もしかして、アルスタさんはぜんぜん、身に覚えがないんじゃないんですか。その、芝居、っていうのはアリバイ工作とかそういうことを言いたかったんだと思うんですけど、ぜんぜんそういうつもりで言われてるのがわかってない。刑事さんとアルスタさんとで、話の前提がもうかみ合ってないんだと思うんですけど。そこのとこどうッスか、メクセオールさんとか」
「どうっつわれても」
 メクセオールはたじろいだ。なんでこの男は刑事に任せておけばいいような範疇のことをうにうにしゃべっているのだろう。
「それより、竜はいいのか。もう繭も割れてるが」
 だいたいソルダスの言っていることの半分もよくわかってなかったメクセオールは、話を逸らした。竜は両前脚を交差させ、背中を曲げてかがみこんでいる。ストレッチをしているのだろう、とメクセオールは見当をつける。ストレッチは筋肉をごく短時間的には筋肉を消耗させる行為だ。ましてやこの寒い屋外では筋肉を傷めかねない。無防備に首をさらしてもいる。今は好機と言えば好機だ。
 とはいえ、ストレッチによって血行がよくなり、身体の機能性が高まるのもまた事実ではある。竜族における超回復のサイクルや、その度合いはどの程度のものであろうか。結局は誤差の範囲にとどまるのかもしれない。どちらにせよ言えるのは、今目の前で筋を伸ばしているきらきらした生き物はまるで無害に見えるということだ。
「俺は遠路はるばる、このきらきらしたかわいい生き物を殺しに来たのか、見物に来たのか、どっちなんだ」
 何を言ってるんだろう俺は、とメクセオールは思う。皮肉たっぷりに言ってやるつもりだったのが、言い出してみるとそんなにうまいことを言っている気がしない。言い終えた後の沈黙が気まずいので、誰か早く何かしゃべってくれないかと思う。
 アルスタはアルスタで考えあぐねていた。そういえば、この竜を当代の災厄だと決め付けたのは誰だったろう。もしかして自分の思い込みだったんじゃないだろうか。
 ふたりは数瞬の間、互いに険しい顔つきで睨み合っていた。と、アルスタは視線を刑事へと向けた
「この竜は、人語が通じているのだろうか?」
 やっぱり話を逸らしていた。

13第1回3番(3/4):2007/09/02(日) 23:19:57
必死に彫刻に打ち込んでいる

14第1回3番(3/4):2007/09/02(日) 23:20:43
 刑事はいらっときた。話を逸らされまくった上に、聞いた話と関係ない話を自分に振ってくるからである。
 アルスタもまたいらっときた。刑事が、取り調べは公務なのに対し、竜だの贄だのは個人の問題に過ぎないと言い出したからである。
 メクセオールもまたいらっとした。竜が暴れて死にでもしたら公務も個もない、との当たり前の意見に、「そんなもん怖がってたら刑事の仕事は勤まらない」と、人を臆病者みたいな言い方で返されたからである。
 ソルダスは面白がっていた。3人の言い分をよく聞いて、誰が間違っていてどうすればよいかを解き明かし、みんなの尊敬を得ようと頭を働かせていたのである。
 しかし、3人のいらつきもソルダスの面白がりも中断された。
 竜が演説を始めたからである。
「こんにちは。先ほどまで、あなたたちの言語パターンを解析していました。私たちの言葉は通じていますか。
私たちは、はるか星の海を越えてここまでやってきました。遠くにあるから小さく見えますが、あの星の一つ一つが、実は巨大な大地なのです。私たちはあの中の星の一つからやってきました。“絶対智”と呼ばれる偉大なる科学者によって使わされたFar-Sonarです。
あの星々の光は、何万年も何億年もの時間をかけてここまでやってきます。それほどにこの空の距離は遠いのです。
 しかし私たちの故郷の技術力は、光の速度を超越しました。“絶対智”さまは、この技術を応用し、宇宙に放たれたはるか古代の光を先回りする計画を立てられました。そしてあなたたちがまだ存在も知らない第二、第三の光やそれに類する要素をも観測の視野に入れ、【人類】の英知の結晶――WayBack Machineが完成したのです。WayBack Machineの端末である私たちは、星の海にアクセスすることで、この身に宇宙の歴史を映し出すことができます。
 あなたたちは何か、過去に起きた事柄の真偽について言い争っていたのではないですか。場所と時間を指定してくれれば、私たちがお役に立ちましょう。
 私たちは宇宙の隅々にまで情報の絶対の共有をもたらすために旅してきました。ゾートさまは情報の格差が世の多くの争いごとの原因だと考えられ、私たちを使わされたのです。大ゾートに栄光あれ」
途中、二度三度、ちゃんと通じているかを確認し、何度か不慣れな言葉ゆえの不適切な言い回しをソルダスと刑事に訂正されたりしながら、およそこんなようなことを竜は話した。
 体にまとったイリュージョンにこの場にいた神官や勇士たち自身の姿を映し出しながらのことで、説得力は十分にあった。だれよりもまず説得されたのがソルダスだ。
「ほんと、俺からもお願いしますよ、刑事さん。この……竜、さんの言うとおりなら、誰が犯人にせよ、はっきりすることですし。冤罪、ってのがほんと我慢ならなくって、俺。無実の罪なんかで人生棒に振ったやつ見てると、ほんと、やるせなくなってきますよ。そういうやつを、何人も知ってるんです、俺。みんな友達なんスけど」
 実際、そんな友達はソルダスには一人しかいなかった。しかし、「何人も」という響きは説得力がありそうだったので誇張して話した。
 刑事はそんなことはどうでもよく、なんでもう俺の捜査が冤罪だって決めてるんだよと、ただただいらいらしていた。

15第1回3番(4/4):2007/09/09(日) 23:01:17
「どうやら、話も長くなりそうです。館へご案内しましょう」
 そう言ってアルセスは、アルスタの踵を返した。
 双子の兄であるキュトスを殺した罪で光の父アレから呪いを受け追放されたアルセスは、2300年前にこの地に流れ着き、一族の祖となった。
 子々孫々71代に渡って己の血を引く娘を殺してその血をすすり、キュトスを失った母の悲しみを汝も負うべし。それが、アレによってかけられた呪いだった。
 アレの誤算は、アルセスがそんなことに頓着していなかったということである。はじめから屠るつもりで、アルセスは娘を育てた。
 一人目の生け贄の時点でアルセスの陰謀に気づいた最初の妻、エアルによってアルセスは殺されたが、人の子の種族であるエアルらにはアルセスたち闇の種族の力は計り知れなかった。彼はすでに、息子の中に魂の胞子を植えつけていたのである。これを根絶しない限りアルセスが滅ぶことはないし、どこからでも再生ができる。
 以降、一族の男子の背後に宿ってアルセスはこの地を支配してきた。そう難しいことをしてきたわけではない。ただ、ときおり宿主の目を塞いでやるだけのことだ。娘を生贄にする以外の可能性に、思考がアクセスしないようにする。あるいは、それが途方もなく不可能めいたことであるように思わせる。そうして、それ以外に道がないと誘導していく。
 竜を災厄と見做したのも同じことだ。娘殺しを演出できるならなんでもよいのだ。10人の博士を呼ぶときにも、能力の高すぎるものは選択肢から外している。
 竜とメクセオールの争いがはじまれば、アルスタにクリスを匿わせるつもりだった。それで竜が勝つならそれでよし。目撃者が残らないなら、アルスタの意識の隙を突いて、自分でクリスを殺せばよい。あとで言い訳は何とでもなる。メクセオールが勝つとしても、死に際に竜が放った呪いだかなんだか騒げば、クリスが死んでいても誰も不思議がりはしないだろう。
 生前葬もまた同様だった。アルセスはその日、シャーロームの森に石板を確認しに行きたかったのだ。森へ行く理由さえつけられればよかった。アルスタは、用を足すために道を外れ、偶然石板を見つけたのだと思っている。だが道中で尿意を催すべく朝から水分を多量に採ったのも、石板付近までは何となく我慢していて、ちょうど石板付近で我慢できないと判断したのも、アルセスが後ろで操っていたことなのである。アルスタは自分の知らない文字の不可思議な図形に見入っていたと思っているが、その後ろでアルセスははっきりと文意を読み取っていた。おそらく、刑事はこの姿を目撃しているのだろう。本来であれば太祖アレの直系であるアルセスにとって、定命の人の子らなど相手にもならないだけの力を持っている。だが、最後の生贄であるクリスの血をすすり、真の力を蘇らせるまではアルセスは無力なアルスタに過ぎない。
 太古からの存在であるアルセスにも、ここで現れた竜は未知の存在だった。この竜の言うことが事実であるとすれば、光の届く範囲での情報はすべて握られていることになる。「私たち」という言いぶりからすれば、この竜一体を始末したところで、後から仲間が駆けつける可能性もある。「第二、第三の光に類するもの」というのが何を指しているのかはわからないし、それが光だけでは不十分な情報を補うためのものであるとしたら、結局のところ、館に入ったところでどうにかなるものではないのかもしれない。それでも光の遮断が何かにつながるかもしれないし、中へ連れ込んでからうまく情報を引き出せば、その後の足跡を完全に消すこともできるかもしれない。
 もうひとつ、アルセスには気になっていることがあった。結局はアルセスの計画に取り込まれたとはいえ、ヘルモンドの当主が生贄の習俗に抵抗したことなどはじめてだった。アルスタと手をつないで館へと引き返していくクリスへと視線だけを落とし、アルセスは思い出す。
 最果ての二人、か。

16第一回4番(1):2007/09/24(月) 22:30:35
「最果ての二人か……」
 モニターの向こうの世界を見ながら、その背の高い、ピシっと着込んだ黒のスーツの上から白衣を羽織った、端正な顔立ちの、短く髪を切り込んだ女は言った。
 モニターの向こうにある世界は現実世界ではない。超高速並列処理コンピューターで作られた、まるであたかも本当にそういう世界があるのように精密に計算された擬似世界だ。
 「PANGEON」、それがそのシステムの、そしてその世界の名前。
「あの……」
「ん?」
 恐る恐る口を開いた研究助手に、彼女は無表情にゆっくりと顔を向ける。
「大変に申し上げにくいのですが、これ失敗なんじゃ……ないかな、と……」
「何故、そう思う。シナリオは半分も進んでいない」
「いや、どう考えても展開に無理があるじゃないですか。展開に脈絡とか無いし」
 やれやれ、そんなことか、と彼女は首を振る。
 もっと高尚な理由での失敗を指摘されるとばかり思っていた彼女には、その質問は拍子抜けする、というより愚問だった。
「当たり前だ。テレビのバラエティ番組を見ながら左手で書いたシナリオだからな」
 彼女はそう言って、煙草を咥えて火をつける。
 「場内禁煙」というプレートは彼女の視界には見えていない、というより端から無視らしい。
「いや、それじゃ駄目じゃないですか。失敗したらどうなるか……」
「『星見の塔』は資金を絶たれて解散だな」
 こともなげに彼女は言う。
 『星見の塔』というのは、とある富豪の資金提供の元に世界各国から最高の知能を集められて結成された医療研究チームだ。集められた専門家は医療に限らずIT分野、ナノマシン分野、メカトロニクス分野等々様々な分野に亘る。だから、「PANGEON」のようなシステムも自前で開発できたわけだ。
 ちなみに、現在そのトップである意思決定機関『キュトス』は奇しくも71人の女性で構成されており、『キュトスの71姉妹』と呼ばれている。そして、彼女、ヘリステラもその一員にして最高議長という地位にあった。
「まぁ、何事にも終わりはあるということさ……それにしても、生涯独身を通した爺さんがたった一人の血の繋がらない娘に入れ込むとはな」
 そう言って、彼女はモニターの後ろに視線を動かす。
 そこには、白い肌の一人の黒髪の少女がベットに横たわっていた。
 その美しい顔立ちと、華奢な身体、儚げな雰囲気はさながら童話の「茨姫」だった。
 だが、その茨姫に異様な点があった。
 それは彼女自身にではなく、彼女の周囲にだ。少女の身体には点滴を初めとして、様々な機械・器具から伸びたコードが所狭しと、まるで彼女を拘束するように繋げられていた。

17第一回4番(2):2007/09/24(月) 22:31:58
「美にしてグロテスク……」
「は?」
「彼女の姿さ。あれを見て、そう思うだろう?」
 そう言って彼女は顎をしゃくる。
 確かに、彼女は美しかったが、彼女に繋がる巨大な機械も彼女の一部と考えれば、それはグロテスクな姿だと言えた。
「あの仰々しい機械さえなければ『眠れる森の美女』ですよね」
 そういう彼に、ニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべて「君の好みのタイプかい?」と彼女は聞いた。
 「いえ、そんな……」と、研究助手は慌てたように否定したが、ヘリステラの全てを見透かしたような目を見て諦めたのか、「素直に言えばそうです」と答えた。
「でも、私に限らず『星見の塔』の男性職員の大半がそうですよ。知ってますか?、実はファンクラブまでできているんです」
「まったく、君といい、あの爺といい、どうして男って奴は……」呆れたようにヘリステラは肩を竦めた。「ま、おかげであの国には他にも沢山の同様な立場の孤児達がいたのに、彼女は今日まで生き延びれてきたわけだ。まさに夢の中でね」
「『ヘルズゲート動乱』ですか」
 ヘルズゲート動乱というのは数年前にアジアの小国で起きた内戦のことだ。本来、小規模なクーデター未遂事件で終わるはずだったその事件は大国の介入、そして武器商人達の格好の商品のデモンストレーション場となったことから、さながら地獄の門をひっくり返したような大動乱へと発展した。そのさながら地獄絵図を具現化したような様を見て、人は『ヘルズゲート動乱』という捻りの無い名前をその内乱事件につけた。そして、彼女はその事件のせいで難民になった被害者だった。
「難民キャンプの難民にまで武器を売りつけたというのだから、武器商人の商魂逞しさには呆れを通り越して敬意すら払うよ」
「そして、その武器で難民達までが殺し合い、彼女の両親や家族もその武器に殺されたというわけですか」
「彼女の目の前でな」そう言ってヘリステラは煙草の煙を吐き出した。「挙句、その後で暴行までされたというじゃないか。当時11歳の小娘をだぞ」
 本当はもっとおぞましいことが彼女の目の前で繰り広げられ、もっとおぞましいことを彼女がされたことをヘリステラは知っていたが、あえてそれを口にはしなかった。別に研究助手や馬鹿なファンクラブを作って盛り上がっている男達の夢を壊さないためではない。同じ女性として同情したからだった。
「彼女はそのショックで全てをこの世界から閉じた。そして自分の内面に世界を作ってその世界へと閉じこもった。我々がハザーリャ症候群と呼ぶ精神の病気にかかったわけですね」
「そして、それをあの爺……まぁ、我々のスポンサーなわけだが、マグドール卿が見つけてきたわけだ」
 世界有数の富豪にして『星見の塔』の出資者、それがマグドール卿だった。
 復興事業の受注のために同国を訪れた彼は、難民医療センターで彼女を見つけ『保護』したのだった。
 彼女を『保護』したマグドール卿は『星見の塔』に彼女の治療と彼女を正気に戻すことを依頼した。しかし、『星見の塔』の意思決定機関『キュトス』があらゆる方面から治療方法を検討した結果出した結論は「肉体の治療は出来ても、精神の治療はこの世界では無理」というものだった。
 そう、確かに「この世界」ではそれは不可能なことだったのだ。
「だが、彼女に別の世界を与えてその世界の住人として正気を保たせることは可能、というのが我々の結論だった。爺は怒るだろうな、と思ったんだが、まさか『それなら幾らかかっても構わんので彼女にその世界を与えてやれ』なんて言ってくるとは予想外だったよ」
「金持ちのやることなんて我々庶民には分からないってことですよ」
 ブルジョワジーへの僻み半分で、研究助手は言う。
「まぁ、それで我々は『PANGEON』を構築して彼女に接続した。彼女の見ている夢をよりリアルに補完して、彼女が望めばどこまでも行ける世界を一つ作り上げて与えたわけだ」
「しかし、それは同時に我々が監視・制御できる縛られた世界でもあるわけです」
「それはそうだ、彼女が間違えて『世界の破滅』を望んでみろ。『PANGEON』の世界だけでなく、彼女もまた消滅する。『PANGEON』は彼女の思考と意思そのものなのだからな。だが、実のことを言えば、彼女がそう強く願えば我々は彼女を止めることはできない」
「彼女のロール・プレイ、つまり『PANGEON』の世界において、彼女が誰の役割を果たしているか分からないから、ですね」
 そう、過剰なまでに精密に作り上げたこの世界が構築されるより以前、世界の構築のために彼女の深層心理への解析侵入を試みた段階から彼女の作り上げた世界には何人もの登場人物がいた。そして、世界の核となる人物、つまり彼女自身が演ずる主人公が誰だかは結局解明できなかったのだ。

18第一回4番(3):2007/09/24(月) 22:32:59
「全く、『キュトス』に文系人間を入れなかったことをこれほど後悔したことは無かったよ。彼女は『PANGEON』による世界創造以前から自分の中に一つの世界を作り上げていた。それもわりと広大なね。そしてその世界には多数、実に数万人を超える登場人物がいた。結局中核人物を特定できなかった我々は、その時点での中核人物の特定を諦め、『PANGEON』の構築を優先した」
「そして現在までの研究結果の末、中核人物の候補者として特定された人物が彼らというわけですね」
 「うむ」と答えて、ヘリステラの視線は再びモニターへと戻る。
 モニターの中では、アルセスという男を先頭に登場人物達が歩いていた。この登場人物達の一人が、彼女の作り上げた世界の、そして物語の核、彼女自身だ。
「教授はショックを与えて、彼女をこの世界から出そうと考えているのではありませんか?」ふと、助手が口を開いて言った。「物語を破綻させて、そのショックで彼女をこの世界から引きずり出そうと考えている。違いますか?」
「だったら、どうする?」
 ヘリステラは助手の言葉を否定しなかった。確かに、それが彼女のシナリオだったからだ。多少乱暴な手だと自覚していたが、彼女達『星見の塔』には時間が無かったのだ。
「出来れば彼女をこのまま彼女の一生を夢の中で終わらせてやりたかった。彼女自身が紡ぐ物語の中で終わらせてやりたかった。だが、『この世界』の現実がそれを許してくれなかった。まったく、あの爺が不死身じゃなかったとはね……」
 マグドール卿の持病が悪化したのは1ヶ月前のことだった。『星見の塔』の総力を上げた治療にも関わらず、マグドール卿の病状は次第に悪化していった。そして、最長で余命半月というのが『星見の塔』がマグドール卿に下した診断結果だった。
「そして、マグドール卿は弁護士を通じて遺言書を作成した。その遺言書の内容は自分の財産を彼女に相続者させるということ。当然のことながら他の遺族達はこぞってこれに反対だ。まぁ、無理は無いな、彼女は『この世界』の住人ではないのだから。そして遺族や関係者による協議の結果は……」
 マグドール卿が他界するまでに彼女がこの世界で正気に戻ったのならば遺言は履行される、もし正気に戻らなければ遺言状の内容は不当とみなし破棄、財産は親族による運用委員会で運用される……それが親族達の協議の結論だった。
「もし、マグドール卿が亡くなるまでに彼女が正気に戻らなければ、『星見の塔』への出資は最悪打ち切り、そして良くても大幅減額だ。とてもじゃないが今のような研究を続けるのは無理だろうよ。もちろん、『PANGEON』の運用もな」
「マグドール卿の親族は、みんな元々『星見の塔』への出資に反対してますからねぇ」
「彼らが欲しいのは短絡的に富を生み出す産業研究機関さ。我々のような人類のための福祉研究機関なんかじゃない」
 それは事実だ。元々『星見の塔』が創設されたのは、武器商人として莫大な富を稼いだマグドール卿の世界に対する贖罪としての側面もあるのだ。だが、そんな老人の贖罪など、これから生きていく若い世代の人間には何の意味ももたない。
「だから急いで彼女を目覚めさせようという教授の考えは分かります。しかし、これは『北風と太陽』という童話で例えれば、北風が旅人のマントを剥ぎ取ろうとする行為な気がするのです」
「では、君は他の方法があるというのかね、デフォン君」
 そこで初めてヘリステラは助手の名前を呼んだ。「3日下さい」と助手、デフォンは答える。
「3日あれば教授の理論を確実な方向に、『北風と太陽』で言うところの『太陽』に是正できると思います」
「良いだろう、シナリオは50%進行を遅延させよう」
 ヘリステラは答える。それはこの助手を信頼してのことだった。
「次期『キュトス』の一員の候補と目される君の実力を拝見させてもらおうじゃないか」

19第一回4番(4):2007/09/24(月) 22:35:34
 「それで、私の所に相談しに来たの?」
 古い書籍やら遺物やらが無造作に散乱した薄暗い研究室で、カールした美しい髪が特徴的な女性、アンリエッタが言った。
「言っておくけど、私の専攻は医術考古学で文学じゃないのよ」
「分かってますよ」デフォンは肩を竦める彼女に言った。「でも、この研究所の中では貴方が一番文学に近い」
「まぁ、外科研究よりは近いわね。それで、ヘリステラ教授の書いたシナリオを見せてくれない」
 そう言って、デフォンからシナリオの入ったメモリカードを受け取ると、ケースの上に大量に書類が積んであるマシンにメモリカードを差し込んでファイルを実行させる。
「なるほど……ね」
 アンリエッタは空いている手でクルクルと器用にボールペンを指で一回点させて、マウスをカチカチと操作しながら呟いた。
「ヘリステラ教授、左手で書いたって言っているけどそんなことないわね。ちゃんとシナリオの最後にはだれが核か分かるようになっているわよ。これは非常に高度に計算されたシナリオだわ」
「でも、『北風』ですよ、これでは。もし彼女を無事にこの世界に戻すことが出来ても……」
「後遺症は残るでしょうね」
 アンリエッタはボールペンで頭を書きながらこともなげに言う。
「私としては、後遺症なしで彼女をこの世界に戻してあげたいんです」
「……無茶を言うわね」
「無茶は覚悟の上です」
 真顔でそう答えるデフォンの顔を見て、「ははぁ」とアンリエッタは悪戯っぽく顔を歪める。
「惚れちゃったんだ、あの娘に?」
 アンリエッタの言葉に視線を逸らしたままデフォンは何も答えない。それは彼女の言葉を肯定しているようにも否定しているようにもどちらにもとれた。
「まぁいいわ、協力してあげる。まずは誰がこの話の核かをシナリオが75%まで進行するまでに探し出すことね。ヘリステラ教授に言って。シナリオの進行の遅延を50%じゃなくて30%にするようにね」
「それじゃ」
「明日から私も立ち会うわ。哀れなシンデレラをお姫様に変えた魔法使いじゃないけど、叶えてあげるわ、貴方の願い。でもね条件があるわ」
 キョトンとするデフォンに、口元を緩めて彼女は言う。
「シナリオの書き換え、そして彼女が目覚めた後のハッピーエンドは貴方が作りなさい。そして彼女にあげなさい、最高のシナリオと最高のフィナーレをね」

20第一回5番(1):2007/10/08(月) 06:15:59
 いつものように研究室に泊まり込むつもりだった。けれど、そろそろ日付が変わるという段になっていきなりアンリエッタがやってきて、開口一番、
「帰れ」
 の一言。
 当然デフォンは反発した。
「どうしてですか。『ハッピーエンド』を作りなさい、と言ったのはあなたでしょう。正直あの言葉で凄く励まされたんですよ」
「ふうん。で? うだうだうだうだうだうだうだうだと考えていて、なにか良いアイディアは浮かんだの?」
「それは、その」
「そりゃあ、アイディアを考えるためだけじゃなく、彼女に関する雑務をするため、っていうのもあるんでしょうけど。でもね、雑務だったら他の人でも出来るでしょ。あなたは、もっと他にすべきことがあるんじゃない?」
「すべきこと……というと?」
「それは、自分で考えなさい」
 にべもなかった。
 その後もしばらく抵抗していたけれど、結局追い出されてしまった。仕方がないので夜の街をあてどもなく歩いた。『キュトス』の研究所は首都から離れた学究都市にある。繁華街なんてものは殆どないし、都市部を一歩抜けると田圃や畑しかないような、正直言って僻地だ。夜ともなると辺りは真っ暗。並ぶ街灯に集う虫もそろそろ減ってきた。道は静まり返り、風は硬く身体を軋ませる。もう秋だな、とデフォンは思う。
 彼女の姿の意味も彼女の世界の意味もアンリエッタの言う意味もなにもかもわからないまま考えは少しもまとまらず、結局寮に戻ってきてしまった。周辺の学生のための大規模な下宿、といった感のある、大きいことには大きいけれど愛想も風情もないようなつまらない建物だ。灯りの落とされた薄暗いロビーを抜け、同じように薄暗い食堂にさしかかったとき、青白い光が見えた。彼は馴染みのその顔に話しかけた。
「ケルネーさん」
「ん」
 ディスプレイから顔を上げたのは若い女性だ。中途半端に長い髪をこれまた中途半端な位置で結んでいる。彼女はなんだかぼうとした顔つきだったけれど、やがて目の焦点が合ってきた。
「ああ、デフォン君か。珍しいね」
「また、小説でも書いてるんですか」
 彼女はそれには答えず、ただうん、と伸びをした。デフォンは彼女のはす向かいに腰を下ろす。
「そうだ、文学といえば、あなたも文学ですね」
「うん?」
 デフォンは事情を話した。彼女のこと、ヘリステラ教授のシナリオのこと、アンリエッタとの会話。
「あーそういう意味なら違うよ。私のは全然そういう本格的な文学とかじゃないし。今書いてたのも単なる旅行記だし。そもそも大学は中退したし、当時も専攻は数学だったし、『キュトス』の事情もよくわからないし」
「でも、物語は好きでしょう?」
「いやまあ。うん。……うーん。それに、そのシナリオを見せてもらわないことにはどうにもならないし、そういうの、部外者には見せちゃいけないんでしょ?」
「あなたは完全な部外者とも言えないでしょう。一度はキュトスに招聘された身だ」
「でも断った。今は無関係だよ」
 彼女はほうとため息を吐いた。デフォンとしては藁にもすがりたい思いだった。彼が更に口を開こうとしたとき、男の声がそれを遮った。
「いいんじゃないかな、見ちゃえば」
 びくりとして振り返る。
 一つ離れたテーブルから、まだ若い男がデフォンたちを見ていた。突っ伏して眠ってでもいたのか、前髪が妙な撥ね方をしている。いくら食堂の灯りが控えめとはいえ、どうして今まで気付けなかったのだろうとデフォンは思う。まるでこの瞬間、どこか別の世界からふっと抜けだして来たみたいだと思った。ケルネーは男を見ないままそっけなく言う。
「有瀬。盗み聞きはどうかと思うなあ」
「アリセ?」

21第一回5番(2):2007/10/08(月) 06:17:42
「そう。有瀬昴。こいつの名前」
 有瀬は肩を竦めた。相変わらず冷たいねえ、と小さく呟いていた。その癖全然悪びれたところがない。口元には薄い笑みが張りついていて、策略に長けたピエロ、といった風情。彼には申し訳ないけれど、あまり良い印象ではないな、とデフォンは思う。
「ええと、初めまして……ですよね。春から住みはじめた方ですか? 僕、あんまりここに帰ってこないもので……」
「そうですよ、春から。あなたは『星見の塔』の一員なんですってね。ケルネーさんから噂はかねがね」
 どんな噂だろう、と思いデフォンはケルネーのほうを見遣るが、彼女はわざとらしく目を逸らしている。食えない人だ。
「で、もうこの際三人で見ちゃったらどうかと思うんですけど。だって、今まで『星見の塔』内部のメンバーでいくら考えてもどうにもならなくて、それで外部の人なら、って思ってるんじゃないんですか、デフォンさんは」
「む……まあ……」
「それならその外部の視点は多いに越したことはないんじゃないかな、と」
 そう言われてもデフォンとしてはこの研究に関することをあまり大勢に見せたくはない。ケルネーのことは良く知っているし、口の固さも信用している。けれど、この男はどうだろう。ちらとケルネーを見遣る。彼女はデフォンの懸案を察したようだった。
「大丈夫。彼は、信用できる男だよ」
「そう……ですか」
 有瀬は相変らずにこにこと笑っている。デフォンは迷った。ヘリステラ教授には『三日』と宣言してしまった。自分でも、強気に出すぎだと思う。この一刻を争う状況で、なりふりなど構っていられないのではないか。そもそも『星見の塔』の研究に明確な守秘義務があるわけではないのだ。他企業や他研究室と争うような類のことではないし、研究内容が盗まれて困るようなこともない。
 意を決した。パチリと、鞄の蓋を開けた。
「わかりました。このファイルを見て下さい」
 彼は二人にシナリオを見せ、説明をはじめた――

 コーヒー二つとアイスティー一つを自販機で買った。当然デフォンのおごりで、それくらいは当然のことだと彼自身も思う。上手く両手を使って三つのカップを掴み、元のテーブルに戻って来るころには二人ともすでにシナリオを含めた資料全部を読み終えていた。腕を組んで天井を見あげるケルネーの前にコーヒーを、口元に手をやり俯いている有瀬の前にアイスティーを置き、デフォンは席に付いてコーヒーを一口啜った。熱さが胃に染みた。
 ぼんやりとした口調で、ケルネーが呟いた。
「無茶なシナリオだね」
「無茶っていうか、破綻してる気がするんですけど……」
「破綻、って、言い切ってしまうのはどうだろう」
 ケルネーはデフォンに向きなおり、一口コーヒーを啜った。むせた。
「だ、大丈夫ですか」
「……ごめ、ちょっと熱かった……」
 しばらくげほげほやっていたら落ち着いたようだ。この人もしっかりしているんだか間が抜けているんだかよくわからないとデフォンは思う。彼女はふう、と息を吐いてから、再び話しはじめた。
「要は、破綻しているように見える箇所がシナリオの後半で回収されれば良いんでしょう。そうしたら破綻は破綻じゃなくなる。それに、破綻の回収によって、核となる人物も見えてくるかもしれない。まず、そこを明瞭にしましょう」
「破綻箇所……てことですか」
 ケルネーは頷いた。デフォンはシナリオの内容を始めから辿りなおす。ケルネーはいつの間にか開いていたメモ帳にペンを走らせながら喋りはじめた。
「その一。どうして繭は災厄とわかったのか。学者が調べてもわからなかったのに、どうして竜の繭ということと、それが災厄をもたらすということだけは知られていたのか」
「それは、後に判明しているように、アルスタの中にアルセスが居たからじゃないんですか」
「うん、アルスタにとってはそうだろうね。でも、アルスタ一人が周囲の人間に説明して、それで本当に皆が納得すると思う? いきなり現れた妙ちきりんな繭を指して、『これは竜族のものだ、忌しい慣習に基づき私の美しい弟を差し出さねばならぬ――』なんて。気でも狂ったと思われるほうが普通じゃない?」
「それを言うなら、竜族の定義も曖昧ですね。竜族というものが一般に知られているという風でありながら、あれは宇宙から飛来した未知の生体機械であるという記述も併存している」
「そう、それも疑問。しかし、破綻とまではいかない。単に未知のものを、それに近しい既知のものの名で呼んだだけかもしれない。そこは保留して、二つ目の破綻。いきなり現れた北方警察のあたりだね」
「ああ……なんの伏線もなく出て来ましたよね……」

22第一回5番(3):2007/10/08(月) 06:18:54
「あの刑事がどうしてあれを『惨劇』と呼んだのか。彼の定義するところの『犯人』とはなんなのか。そもそも、数日前か調査していたらしいのにどうしてあんなにも認識や前提知識の差が出てきてしまったのか。もっと言うならそれまで世界的な災厄という風に言われていた『竜』がどうして『殺人事件』なんていう個人レベルのものにまで落とされているのか。どうもね……変な違和感がある。作為を感じる」
 デフォンは考え込んだ。あれは単にヘリステラ教授のシナリオがいい加減だっただけだと思っていたのだけれど、違うのだろうか。
「三つめ。いきなり出てきた『石板』。あれはなんなんだろう。アルセスが石板を確認したくて生前葬を行った、と言われていたけれど、その内容って何だったんだろう。それから『最果ての二人』……」
「あんまりにも、バラバラですね」
 それまで黙っていた有瀬が呟いた。
「これ、本当に回収する気ですか?」
「回収しないとヘリステラ教授のやり方のままになってしまう。物語破綻の衝撃なんてものじゃなく、もっと穏かに彼女の目を覚まさないと……そのために、まずは中核人物の特定を……」
 ふうむ、と有瀬は考えこむ。ぽつりと、言う。
「そもそも、中核人物なんて、居るのかな?」
「え? だって、居るからこそここまで彼女の世界を整備して、シナリオを誂えて、ってやってきたんですよ」
「いや……だって、彼女が演じてるのが特定の人物である必要なんて、全然ないじゃないですか。夢みたいなものなのでしょう、あの世界。夢の中だと、視点人物なんてしょっちゅう入れ替わったり、複数人だったり、道端の樹だったり、形のない、視点だけの存在だったりすると思うんですけど。でも、今言いたいのはそういうことじゃなくて、彼女って我々なんじゃないかってことです」
 デフォンは戸惑った。有瀬は何を言おうとしているのだろう。
「意味が、わからない」
「ええと……。視点イコール彼女、とするなら、視点である我々イコール彼女、としてもいいんじゃないかな、って」
「視点を彼女と揃えたのは『PANGEON』をそういうふうに作ったからであって、当然のことなんじゃないでしょうか。それに『PANGEON』はあくまで彼女の夢であり作られた世界なんだから。夢の中での彼女を探しているのに『それは我々だ』、なんて、階層を混同してしまっている」
「うん……と。でも、彼女の世界は『星見の塔』が出来るより以前からあったんでしょう? こうして、シナリオどうこうとか穏便に外の世界へとか話していると、まるでここが彼女の世界に対するメタ世界のように思えてくるんですけど……もしかしたら、逆かもしれない」
「逆?」
「むしろ『星見の塔』のほうが、彼女の世界に一々影響を受けている気がします。もしかしたら、『星見の塔』だけじゃないのかもしれない。彼女の世界こそが、僕らの世界に対するメタ世界なのかもしれない」
「でも、そんなことを言い始めたらキリが無い。つまり、影響を受けているというのならそれは観測者の側だ、っていうことでしょう? だから観測者の側こそが『作られた世界』だって。けれど、そんなのはどんな物語に対しても展開出来る論だし、意味がない」
「意味がない……ですか」
「そんなことを論じていたって、彼女を助ける手が見えてくるとは……」
「デフォンさん、シミュレーション・アーギュメントって、知ってます?」
 誰かがそんなことを話していたような気がした、というだけで、正確には覚えていない。デフォンは首を横に振った。
「今居るこの世界が仮想空間である可能性を論じたものです。少なくともどれか一つは正しくなくてはならない四つの命題から成り立っているのですが、それによると、我々のこの世界は高確率で仮想世界だということです。『PANGEON』上に作られた、彼女の世界と同じようにね」
「それが……」
「我々の世界はどっちが上位でどっちが下位とかじゃなく、『並列』なんだってことを意識してないと、足元掬われるような気がします」
 ケルネーが盛大にため息を吐いた。
「いつものお前の戯言かと思ってたけど……段々何が言いたいのかわかってきた。つまり、『向こう』にも『こっち』を意識する人間がいるかもしれないってことか? 今我々が向こうのことを論じているように」
「たぶん、そういうことです。自分でも今一つ曖昧なんですけれど……」
「でも、僕が欲しいのはそういう定義の話じゃなく、もっと具体的な彼女を助ける手だてです」
 デフォンがちょっとむっとして言った。あと三日。時間はいくらあっても足りない。こんな似非哲学論議をしている暇はない。
 再び、ケルネーがため息を吐いた。
「たぶん、有瀬が言いたいのはこうだろ。あっちの世界はあっちの世界でちゃんと存在してるんだから、彼女を見殺しにしてでもほっといたほうがいい。それが一つ」

23第一回5番(4):2007/10/08(月) 06:19:50
「それが嫌だからこうして相談しているんじゃないですか」
「本当にちゃんと考えたのか? あの世界で暮らしている人間たちにとっては、彼女の目覚めイコール世界の滅亡なのに?」
「……それでも、僕の世界はこっちです。そして、僕はこの世界に彼女が必要だと、思う。たとえ悪魔と呼ばれようとも」
 ケルネーは再びため息を吐いた。
「……なら、いい。もう一つは、向こうにもどうせ『こっち』を意識してる奴が居るだろうから、そいつと渡りを付けろってことだろうね」
「渡り……シナリオですか? いや、そうか」
 デフォンの顔が輝いた。
「竜……もしかして、あの竜なら。こっちの世界を意識しているかもしれない」
「どうなるかはわからない。けれど、あれだけ完成された世界ならば、どこかにこちらを意識する存在が居なくてはならない筈だ。私たちが向こうを知ることが出来る以上、それは出来るはず。シミュレーション・アーギュメントと似たような論だね」
「ま、そういうことです」
 有瀬が微笑んだ。食堂の蛍光灯が一瞬だけ瞬く。どこか退廃的な空気が一瞬だけ漂う。

「ま、そういうことです」
 有瀬は内心ほくそ笑んだ。いや、より正確に言うならば、ほくそ笑んだのは【アルセス】だ。館へと入ってからも、竜側刑事側アルスタ側三者の主張は平行線を辿りひとまずこの日はお開きということになった。各人に客間を与えた後で夜も更けて、アルスタは館を抜けだした。本人は、疲れたので散歩がしたくなっただけと思っているはずだ。石板の前まで行き、ぼんやりと眺める。そこに映る意味を、アルセスはしっかりと読みとっている。知らなければただの傷にしか見えないコンソールを操作して『向こうの世界』の自分を操る。阿呆らしい会話に耐え、巧みに人々を誘導していく。フィクションじゃないんだから、理屈や脈絡のない出来事なんてあって当然だ。竜の脅威について言えば、老人連中が勝手にそうだと決めつけてくれたから楽だった。刑事は単に阿呆だっただけだろう。竜だって、ただ単にそういう存在だっただけだ。馬鹿らしい。もっとも、それだからこそ誘導しやすくて良いのだけれど。
 今朝、久しぶりに石板を確認しに来てよかったと思う。まさか向こうのマグドールが死に瀕しているとは思わなかった。いくら時間の流れが違うとはいえ、たった数億の時日でとは。大神アレの力も衰えたものだ。今度は奴に先を越されないようにしなければ。おそらく竜はアレの眷属だ。この調子で行けば、『向こうの世界』の奴らは竜に干渉し、竜の目的遂行の障害となるはず。その結果、作られたアレによって作られた『向こうの世界』とこちらの世界の境界が崩れるかもしれない。けれど、そんなの知ったことか。とにかく、アレの干渉さえ防げればいい。その間に、自分が彼女を手に入れる。
 ようやく、彼女に会える。アルセスは今までの日々を思い、暗い森を見詰める。長かった。本当に、長かった。全てはこの日のためにあった。この地に根を張ったのも、代々の贄によって力を蓄えてきたのも全て。
 大神アレによって向こうの世界に閉じこめられた彼女。こちらの世界では死んでしまった彼女。それはかつて【最果ての二人】と呼ばれたアルセスの片割れ。

――キュトス。

24第一回6番(1)永劫線上:2007/10/19(金) 22:03:38
 アルセスは悲しい奴だ。世界はたくさんあるけれども、どの世界のアルセスも必ずキュトスを殺してしまう。死別すればアルセスはキュトスを蘇生するためにあがく。大きな犠牲を払った末にキュトスは蘇るが、そのたびにアルセスは再びキュトスを殺してしまう。
 かつてレーヴァヤナはいった。アルセスによるキュトス殺害は世界の定めた運命だと。世界はフラクタル構造をしていて無数の世界はどれも似通っている。この相似形の世界のすべてにアルセスとキュトスはいる。私やレーヴァヤナの存在しない世界はありふれているが、アルセスとキュトスのいなかった世界などなかった。アルセスによるキュトスの殺害はこのフラクタル構造に必須の要素らしい。
 私はおもう。アルセスの苦しみを。世界という世界にある悲しみを。なぜあいつがそんな意地悪な運命にさらされなければならないのだろう。レーヴァヤナはいった。無意味だと。世界が無意味だから世界の強いる運命にも意味はないと。
 世界に意味があるのかないのか、私には判らない。でも、おそらく意味はないのだろう。レーヴァヤナを伴って幾多の世界を巡った。けれどもそこにはなにもなかった。違う。アルセスとキュトスを巡る無為の苦痛があった。
 私はアルセスから苦痛を取り除いてやりたい。もっともアルセス自身は苦痛を望むかもしれないが。だが、せめてアルセスに運命に敷かれた道を歩いていることを教えてやりたい。
 私はみる。足下の空間に無数の世界が広がっている。天の川のようにみえる。永劫線だ。そのうちのひとつでキュトスが蘇生しようとしていた。私はこの世界に近づく。
 わりと珍しい世界だ。世界内部に世界がある。内部のものはアレが造ったのか。なら内部の世界はアレの被造世界と呼び、アルセス=アルスタのいる世界をリアルワールドとでも呼ぼう。
 私はこれらの世界を結ぶ点を発見する。ひとつはヘルモンドの城館のそばにある石版の姿をしたコンソールだ。もうひとつはここのアレがよこした竜だ。ヘルモンドの石版はアルセス=アルスタの管理が及んでいたので、竜のほうを制御をうばう。
 竜をねじ伏せると落下する感覚を生じた。世界に引き寄せられている。世界が眼前にぐっと迫る。面白いものがみえて私は笑う。アルセスが2人いる。デフォン、きみもアルセスなのか。

25第一回6番(2)リアルワールド:2007/10/19(金) 22:04:26
 アルセス=アルスタはうまく立ち回っている。キュトスの蘇生は近い。アルセス=アルスタはクリス・ヘルモンドを殺して封印から解放されたあと、デフォンに蘇生させたキュトスをアレの被造世界から奪い取るつもりのようだ。
 私はキュトスをデフォン=アルセスに任せたい。お節介だが、2人の仲を取り持ってやろうとおもう。それはアルセス=アルスタのプランだと被造世界が消滅するからというのでなくて、デフォン=アルセスはキュトスを殺害以前のアルセスだからだ。せっかくならば、惹かれ合う者を一緒にしてやりたい。
 というわけで私は時間稼ぎを始める。リアルワールドではアルセス=アルスタは石版でアレの被造世界に介入、デフォンをアルセスと知らずにキュトス蘇生を焚きつけている。アルセスは平静を装っているが、注意力はアレの被造世界へ傾いている。まだ私には気づいていない。隙あり、だ。
 私は北方警察の刑事を乗っ取る。刑事の身体は何食わぬ顔をしてクリス・ヘルモンドの軟禁されている部屋に向かう。途中で雪中行軍用の装備を調達する。それから軟禁部屋のそばにある警備兵詰所に向かうと、刑事の身体を操って兵士たちを一瞬で打ち倒した。もっとも階級の高い兵士の懐から鍵を抜き出す。鍵を使って軟禁部屋に侵入すると、眠っていたクリス・ヘルモンドを起こす。
 クリスは目を見開き、声を上げようとしたが、その口は刑事の手によってふさがれた。私は刑事の口でささやく。クリス少年、私はきみとアルスタ領主の援助者だ。きみたち2人が今より幸福になれるように動いている。
 クリス少年という言葉にはやはり効果があった。クリスを男と知るのは今ではアルセス=アルスタと私だけだ。クリスは私をアルスタの使いと考えたようで、指示に従ってくれる。
 クリスは長い髪をきり、女の服を脱ぎ、雪中行軍用の装備を着た。刑事は同じ装備になるとクリスを背負って厳重に固定した。それから唯一の出入り口を家具で封鎖すると窓を開けた。冷たい風が入ってきて刑事の身体が震えた。軟禁部屋は塔の最上階で、窓の下は雪で覆われた斜面だった。私は用意しておいたスキー用具を下に落とす。スキー板が雪に突きたった。クリスがあわて始めたが、側頭部を一撃して静かにしろという意志を伝えてやった。この程度の高さなら着地可能だ。私は刑事の身体に飛び降りさせる。空挺隊員がやるような動きで衝撃を殺すと、スキー板をはいて斜面を滑走した。
 町の灯りがみえた。町についたら首都に向かうぞとささやくが、クリスは失神していた。

26第一回6番(3)アレの被造世界:2007/10/19(金) 22:05:26
リアルワールドで北方警察の刑事の身体を操作しているころ、私はアレの被造世界で1人の医者の身体を操作していた。この医者はアレ=マクドール専属の医師団の1人で、常にそばで待機していた。そういうわけで苦もなくアレ=マクドールの寝室に侵入できた。
 昏睡しているマクドールの額に医者の手を触れさせる。アレに呼びかける。アレは反応を返さない。失礼かとおもったが、強引に走査すると、経年劣化で人格が崩壊していると判った。
 私は嘆息する。デフォン=アルセスとキュトスの守護をアレに任せて、私はリアルワールドのアルセスを他世界へ連れて行くつもりだった。アルセスに世界の真実をみせてやりたかった。しかしアレがいないならば、私が代わりにデフォン=アルセスとキュトスを守護すべきだろう。
 私はアレ取り込むと、マクドールの身体を再構築する。余命幾場もない身体がたちまち回復する。私はマクドールの上体を起こすとため息を吐かせた。私はアレの口からこちらのピュクティェトがどんな奴だったのか訊きたかった。融合した今、こちらの自分の情報は得られた。 けれども少しばかり残念だった。
 マクドールに秘書を呼ばせると、星見の塔の存続を宣言する。秘書は非常に驚いた様子だったが、再度告げると、動き始めた。
 さて私はヘルモンドの石版の動きを探る。アルセスの操作は終わっていた。ならばと石版を破壊する。これでリアルワールドと被造世界を繋ぐ経路は竜だけとなった。アルセスはこちらへ逆襲に現れるだろう。現れたらこちらとあちらの境目で捕らえてレーヴァヤナに押しつけてやる。ちょっとばかり旅をして世界の真実をみてきたらいい。

27第一回7番(1)アレの被造世界:2007/10/28(日) 19:07:46
誰も居なくなった星見の塔。
そこのモニターに文字が表示される。
「シシッ、この世界には九迷そのものも居ないのか」
表示しているのは人では無い。
サーバー内部に存在するエラー情報が自己を形成したもの。
処理能力の一部に寄生して存在する者。
署員には『ウィアド』の通称で知られるウィルス。
稀にPCに誤作動を起こさせてモニターによく分からない言葉を連ねたりする悪戯者だ。
好き勝手に画面に文字が流れていく。
「同じ発音であっても言の葉に載せられた意味は『揺らぐ』」
「――NOTFIY――POPUP――SPAM――」
「――VIRUS――ARLET――ERROR――」
「――FREEZE――CRASH――BLUEBACK」
「九迷はパンゲオン世界のエラー。居ない世界があっても当然か」

28第一回7番(2)アレの被造世界:2007/10/28(日) 19:08:38

「表現型の可塑性」
「同じ遺伝子型を持つ個体において、周囲の環境によって表現型を変化させること」
「周囲の環境に合わせて個体の姿形が変化したりすることもある」
「同じ個体群の中に異なる遺伝子型の個体を含み、それらの姿形が異なる多型とは異なるものである」
「此処も無数の揺らぎの一つ」
「私の生まれた世界とは別の、同じ名前の別の表現世界」
「アルセスは相変わらず悪辣だしキュトスの事しか見えてない」
「へリステラも面影が在るな、性格辺りに」
「デフォン…何処の世界でもうだつの上がらん奴だ」
「マグドールは何処に行っても大金持ち」
「まあしかたがない。名という『言理』そして各々の魂、そして持つ属性と運命は早々変えられる物でもない」
「我々を我々と定義する『縛り』なのだからな」
「まあ俺は『言理の妖精』が『ウィルス』に変わっただけだが。まあ似たような物か」

29第一回7番(3)アレの被造世界:2007/10/28(日) 19:09:47
「処でこの竜は……何だ?」
この世界で展開されるシナリオに興味を引かれたウィアドは機器類の処理能力を拝借して思考する。
永劫線を伝い情報共有が起こる可能性がある竜を検索する。
情報変容が起こり形質が変化している可能性が在るが。
ともかく調べてみるか。
レーレンターク――NOT。
この竜は穏当な会話をしている。
『秩序の破壊』と『魔』性を有するレーレンタークが現出した場合、そこは例外なく麗しの惨劇郷に変わる。
ファーゾナー――NOT。
『空間』『天空』『円環』とは一致しない。
空は語らない。ただ在るのみ。
ファーゾナーを具現化及び現出させる為のプロセス及びフェイズを行っていない為
情報変質が起こっていたとしてもこの竜がファーゾナーで在る可能性は無い。
クルエクローキ、オルゴー、メルトバーズ、ガドガレク、オルガンローデ――NOT。
『時』『力』『熱』『霊』『機』――どれも一致しない。

30第一回7番(4)アレの被造世界:2007/10/28(日) 19:11:05

……残った候補は二つ。
13,2%の確率でロワスカーグ。
86,8%の確率でエルアフィリス。
ロワスカーグは『矛盾』の性質がこの物語に沿っているが
この物語は総合的には秩序が取れるという。そうなると真の矛盾であるロワスカーグがこの竜とは考えがたい。
となると……この竜は情報変性を起こしたエルアフィリスか。
性質は『言理』会話内容及び行動も竜性に沿う物だ。
「分かった所でさして意味の無い事を分析してしまったな……」
独りごとを紡ぐようにモニターに文字が流れる。
「さて……この破綻と矛盾だらけのストーリーは何処に突っ走っていくのか、いかにも揺らぎらしくて少し楽しみでも在るな」
「だが……やっぱり気にいらねえな」
「気にいらねえ。何処に行ってもアルセスは気にいらねえ……」
「リアルワールドと被造世界に干渉してるやつが居るから、手をかしてやるか……シシッ」
モニターは黒い画面となって沈黙し、後には静寂が残された。

31言理の妖精語りて曰く、:2007/12/10(月) 01:22:23


32<<妖精は口を噤んだ>>:<<妖精は口を噤んだ>>
<<妖精は口を噤んだ>>

33第1回8番:2008/03/07(金) 02:34:17
彫刻が、完成した。

34第1回8番(1)祖紀神アレ:2008/03/07(金) 02:43:24
祖紀神アレ

 またこうだ。数多世界の前例に漏れず、アルセスは再びキュトスをその手に掛けた。おおキュトス、我が愛娘。そして私がキュトスを思ってなすことは、いつの世も裏目に出る。哀れなキュトスの娘たち、我が孫たちのこれ以上の不幸を認めぬために、私はアルセスに呪いを掛けた。アルセスとキュトス、そしてまたアルセスとキュトスの娘たちが同一の世界に存在することを禁じる呪いだ。この呪いによって、我が孫たちはこの不幸な世界に生まれ出でぬはずだった。

 しかし、アルセスめ。アルセスは構うことなく娘をなした。呪いのよって禁じられた、世の理が認めぬ娘をなしたのだ。私がキュトスの娘たちを守るために放った祈りのまじないは、あろうことか二千年に渡って彼女らを苛み続ける呪いの鎖となってはね返った。私が石板の形で遺したエクリオベルクすらも、アルセスは自身の復活のための道具としている。

 我が身は早々と朽ち果てた。私にできることは、私の娘と孫娘たちの苦しみを少しでも和らげることだけだった。そのために、私は私たちが現実としていたこの原世界をキュトス自身の夢とした。原世界を取り巻く上位次元の世界を創造し、原世界を被造世界に対する夢、空想、理論上の仮想世界としたのだ。あの被造世界で私はマグドールを名乗り、その富によってPANGEONを作らせた。PANGEONはキュトスの夢として原世界を被造世界から観測する装置なのだ。

 マグドールとして受肉した私の生命の限界も、やはり近い。既に人格は経年劣化で崩壊し、このように残留思念を漂わせるのみだ。後のことは、被造世界に残した孫たちに任せたい。キュトスが目覚めることで原世界が失われるならそれもよい。キュトスとその娘たちを苛み続けるこの呪われた原世界より、新しきあの世界の方が彼女らを安らがせることができるに違いないのだ。しかし一体、こんな有様の私に近づいてくる者がいる。これは……おお、お前か、ピュクティエト。

35第1回8番(I)有瀬昴:2008/03/07(金) 02:45:57
 PANGEONで夢を見続ける彼女。六年前あの子の遭遇した事件について、最も詳しく知る者の一人が僕だろう。彼女の経験を特別悲しく飾り立てるつもりはない。当時あの動乱のさなかにあって、その程度に凄惨な出来事はありふれていた。たしかに彼女には少し込み入った事情があって、始まりから終わりまでに一連の流れがある。そういった意味であれはたしかに悲「劇」的ではあったのかもしれないけれど、傍観者にとってしか意味をなさないそんな評価など僕の知ったことじゃない。

 余計な叙情性なんかを持たせないために、ざっと説明してしまおう。彼女は当時十一歳。あの国の経済水準ではそれなりの資産家といえる家庭の娘で、病弱な兄がいた。内戦のごたごたで、この兄が誘拐される。武装民兵による身代金目当ての犯行で、両親はこの要求を素直に呑んだ。しかし取引成立を目前として全く無関係な強盗が一家を襲い、両親を殺害した挙句金品権利書の類を強奪。身代金を得るという当てが外れた民兵組織は匙を投げ、誘拐実行班は面倒な人質の処分を押し付けられた。作戦の失敗でヤケ酒を浴びた連中は、人質を爆弾運びに使うという杜撰なアイデアを真剣に検討しはじめる。しかし病弱な兄はその役さえ務まりそうもなく、ならばと連れて来られたのが妹の彼女だった。こうして奇しくも、兄は本来の目的通り「人質」として役目を果たす。銃を突きつけられた兄を眼前に脅された妹は、それが何であるかも知らされぬまま爆弾の運び手となった。

 爆弾と言ったけれど、実際は局所的なバイオ兵器だ。ごく限られた範囲の人間を殺戮しつつ、その毒性は数分で綺麗さっぱり消滅する。たかが民兵組織の一斑がこんなものを持っていたのは、あの死の商人マグドールが内戦という最新兵器の実験場にタダみたいな値段で試作品を流したからだ。その名もおあつらえ向きな「ファーゾナー」。形としては、卵大のプラスチックケースに過ぎない。彼女はそれをポケットに忍ばせて、近場の市民礼拝堂へと向かった。

 道中、おかしな様子を見てとったのか、二名の親切な海外義援隊員が彼女に話しかけている。また、彼女と顔見知りだった礼拝施設長自身も、ひと声を掛けている。後から考えれば、これらは事件を阻止する機会だった。ここで彼女が助けを求めていれば事態はまた別の展開を見せただろう。けれど結局、彼女は礼拝堂にケースを投げ込んだ。結果として施設関係者九名と礼拝参加者六十一名が死亡、堂内の生存者はたったの一名だった。この一名は施設長の弟で、兄の静止を振り切って死毒渦巻く現場に後から飛び込んだのだという。こうして「ファーゾナー」の性能は証明されたが、それを観測するものは誰もいない。

 その後、実行班の連中はすぐに逮捕され、処分すら面倒がられていた兄は無事解放された。兄妹は再会するが、彼女らは既にして戦災孤児だ。そしてまた散り散りになり、戦災に巻き込まれてマグドールに拾われて、行き着いた先がこのPANGEON。仰々しい機関の中で、彼女は今も夢を見続けている。そんな彼女を、僕は偽名を手に入れてまで追いかけてきた。けれど、近づけるのはここまでだ。

 彼女は自分が何を持たされているか知らなかったけれど、それがよくないものであることは知っていた。だから、彼女は彼らに逆らうべきだったのだろう。もちろん、当時十一歳の彼女にそれは難しかった。義援隊や施設長に助けを求めるという発想すら、兄を守ることで頭がいっぱいの彼女には厳しすぎる要求だったろう。けれど、叱ってやることは必要だった。独りで自分を責める彼女をちゃんとした言葉で叱り、慰めてやれる者が必要だったのだ。六年前のあの時、彼女の傍にいた人間にはそれができなかった。だから今さらになって、僕はその役をデフォンに期待しているのだろう。

36第1回8番(2)槍紀神アルセス:2008/03/07(金) 02:50:13
 ヘルモンド家の連中を一時に生贄に捧げるような真似をしないで、一人ひとり殺していく形にしたのが正解だったね。生贄を女子のみと制限したのも、僕が意識に介入できるのはヘルモンド家の男子だけであること、ヘルモンド家を決して断絶させてはならないことなどを考えれば、間違いのない選択だった。

 もし男にも生贄の効果があると近隣の住民に知れれば、長い歴史のどこかで一族全員が皆殺しにされていた可能性も否めない。実際、一人二人の贄ではなかなか災厄が鎮まらず、残された女児が強引に生贄に捧げられるということは過去に何度かあったんだ。計画を立てたときは慎重すぎるかとも思ったけれど、結局はそれが功を奏した。

 もう少し。ヘルモンド家の七十一人目の生贄クリスを殺せば、僕に掛けられたアレの呪いは効力を消耗しきる。そうすれば「僕とキュトスとは同時に同一の世界に存在できない」という束縛は解け、僕自身があの被造世界に渡ることもできるようになる。その後はゆっくりとやればいい。デフォンをうまく使えば、眠り姫キュトスを目覚めさせることはできるだろう。ともかく、今は原世界のことを考えよう。

 なあに、こっちの仕事は簡単だ。アルスタを通してクリスは僕の手中にあるし、竜も動きを見せてはいない。世界間の時間の流れの差を考えると、キュトスが目覚める準備はこちらの時間軸で言う明日には整うだろう。多少急がなければならないかもしれない。いっそ、今夜の内にでも、……

 ……馬鹿な。クリスがいない。この残滓は……ピュクティエトか!

37第1回8番(II)ケルネー:2008/03/07(金) 02:52:29
 うわあああショック。わたしってやっぱり才能ないのかなあ。ヘリステラはデフォンのこと馬鹿にしてるけど、自分だって人のことは言えないよね。だってデフォンが私んとこに相談に来る前、ヘリステラも同じ用件持ってきたんだもん。「文系」の人間として当てにされて、秘密の仕事ってことでさ。

 そりゃ、嬉しかったわよ。今はエッセイやら何やらで身を立ててるけど、ミステリ作家志望っていうのも本当だから。だからヘリステラに目をつけてもらった時は、正直やった、と思った。核となる登場人物を見つけ出し、物語を円満な解決に導く。そういう役柄として、私はあの刑事を彼女の夢に登場させたの。

 でもこの通り、結果は散々。ひーん、なんでこうなっちゃうかなあ。刑事のしたことなんて、事態をこんがらがせて余計に分かりにくくしただけじゃん。ヘリステラにも、最後は真顔で「もういいよ」って言われたし。結局私、仕事を余計に増やしちゃっただけだったなあ。

 そもそもさ、物語の真相が見えないまま、とりあえず探偵だけ登場させとけと思ったのが間違いだったのかなあ。あーんナプラサフラス様ごめんなさい。あなたと同じ名前に設定した探偵が、まさかこんなお間抜けキャラになっちゃうなんて。名前を名乗らなかったのが、まだしもの幸いでした……。

 それなのに今度は、後始末をすることになったデフォンがまた私のとこに来た。なんじゃそりゃ。単著出してるってだけで、私そんなに当てにされてるわけ? ちょっとほんと怒鳴り返してやろうかと思ったけど、デフォンは事情を知らないわけだし、かと言ってヘリステラには口止めされてるし。それに役には立たないにしても頼られてるのをむげにするのも何だったし……で、いつの間にかこういう状況。

 とりあえず、自分の書いたシナリオのどこが悪かったのかって反省したポイントを、デフォンには伝えておいた。デフォンが回収してくれたら嬉しいな、とか期待して。うう、後始末まで人任せじゃん。

 ……はあ。やっぱり私、ミステリの才能ないんだ……。

38第1回8番(3)言理竜エル・ア・フィリス:2008/03/07(金) 03:05:10
 竜は嘘つきだった。愉快神アエルガ=ミクニーのように悪辣なわけではない。ただ全ての認識を相対となす言理竜にとって、唯一の事実は存在しない。だから竜は、純粋な事実を口にすることが原理的に不可能なのだ。竜の口にするもの、全てはあやふやな虚言である。逆説的ではあるが、言理竜エル・ア・フィリスが言理竜エル・ア・フィリスである可能性よりも、その他の竜である可能性の方が遥かに高い。それが言理竜エル・ア・フィリスの性質である。

 だから竜は、より確実な身分を保証するため自身をエル・ア・フィリスではなくファーゾナーと偽称した。また竜は目の前の人間たちに「あの星の一つ一つが、実は巨大な大地なのです」と自らの出自を示して見せたが、光り輝く超高熱の恒星が大地を持つはずはない。しかし恒星と惑星の関係を解説し、自分たちはあの夜空の星のひとつひとつの周りを回っているここからは見ることのできない暗い星から来たのですなどと説明するよりも、単にあの星から来たのですと説明した方が余計な手間が省けるし、いずれにせよどのように説明したところでそれは正確な表現ではない。かように、嘘とは彼にとって相手への誠実さを保つための欠かせない手段なのだ。

 以下の竜に関する記述は、このような言理竜の性質によって虚偽に他ならないものとなる。しかし竜について最も確実性の高い情報を伝えるのも、また以下のような記述に他ならないことは理解しておくべきである。ある時代のある星に《絶対智》ゾートがいた。ゾートの偉業は、原始の原宇宙から連なるあらゆる並行宇宙の体系に風穴を空けるものであった。写像関係を持ち互いに関連付けられていた数多の並行宇宙と全く異なる、完全な外世界との連結。そこからこの宇宙に流入した存在こそが《アウター》であり、彼らの主こそが《パツァツォグル・エルバック》なのだ。

 世界連結後、アウターは惑星の戦略兵器を制圧・侵食して当時の文明を滅ぼした。アウターが次なる侵略地を求めて飛び発つと、《絶対智》の惑星にかろうじて残されたWayBack Machineはアカシックレコードに記されたアウターの未来五十億年分の全ルートを取得、そのルートの中でアウターの存在可能性が一点に収束する時空座標を突き止めた。このときWayBack Machineはアウターに破壊されスリープ状態にあったファーゾナーをセーフモードで一時的に起動させている。ファーゾナーはアウターに先んじてこの星に下り立ち、再び繭に包まれたスリープ状態となってアウターの襲来を待ち構えていた。

 しかしWayBack Machineの端末たるファーゾナーもまた、アウターによる汚染攻撃を受けていた。ファーゾナーの内部ワイアード界では、WayBack Machineとアウターがその主導権を巡ってせめぎ合っていたのだ。アウターが一時的にファーゾナーの支配権を制し、周辺地域に災厄を振り撒いたこともある。そして今、遂にアウター本体の襲来を目前としてファーゾナーが再起動したときも、まだこの水面下の闘争は続いていたのだ。しかし目の前に現れた現地人を適当にあしらい、ついでに予めプログラムされた親切心から情報の提供を持ちかけているうちに、この闘争は突然終わった。ピュクティエトがファーゾナーの内部ワイアード界に横合いから介入し、WayBack Machineとアウターを共々ねじ伏せてその支配権を掌握したのだ。

39第1回8番(III)ヘリステラ:2008/03/07(金) 03:07:17
 驚いたよ爺さま。まさかこの期に及んで快復するとはね。いやいや、もちろんあんたがぶっ倒れたときの方が万倍も驚いたさ。本当、殺しても死なないとはあんたのことだ。しぶといね、まったく。

 まあよかったよ。学閥の出世を蹴ってようやくここまで漕ぎ着けた研究が、資金難なんて世俗的な理由でおじゃんになるなんて我慢できなかったからね。星見の塔存続万歳! 私も背に腹は帰られなくて次善策を採る準備もしてたんだけど、いやはや、早まらなくてよかった。爺さま、あんたがもう少し起きるのが遅かったら、あるいは私はあの子を無理矢理叩き起こしていたかもしれないよ。

 そう目を剥きなさんなよ。なにせあんたから来る資金が途絶えれば、星見の塔の存続自体が不可能になるんだ。そうなりゃあの子の夢もそこで終わる。後はそれこそ、死ぬまで夢すら見ずに眠り続けるだけだったんだ。多少の後遺症が残っても、目を覚まさせてやりたいと思うのが人情というものだろう? もちろん彼女が遺産相続人だという事情もあったけどね。

 そう、私はあの子の夢に無理矢理オチをつけようとしたんだよ。いや、オチない終わり、ヤマなしオチなしイミなしか。きりのいいところでアハツィヒ・アインを降臨させて、その場に居合わせたアルスタとクリスと四十四勇士と刑事と竜が大乱交、至る絶頂これ天にも昇る大スペクタクルという一大デウス・エクス・マキナで完結させる予定だったのさ。物語の核となる登場人物はもちろん、唯一の鑑賞者であるアハツィヒ・アインその人だ。

 ……だから怒りなさるなって。もちろんアハツィヒ・アインを核に持ってきたのは出鱈目さ。真の核がどこだったかは知らないけれど、ともかく"そういうこと"にして彼女の夢が終わるのを優先させたかったんだ。彼女に後遺症が残るのは、つまり最後に判明する核が純正のものではないせいだね。だからデフォンの奴は、この方法を『北風』と呼んだ。

 うん、安心していいよ。あんたが起きたことで研究は無期限に延長された。これでゆっくりとあの子の夢を探って、あの子にとって本当にいいやり方で物語を完結させることができる。それこそ『太陽』のやり方でね。まあでも、そんなに時間を要しなくても、デフォンの奴は本当に三日でハッピーエンドを持ち帰るかもしれないよ。

 ん? いやいや、なあに。あいつはああ見えてけっこう見込みがあるんだよ。生真面目さだけが取り柄だからね。三日と期限を設ければ、三日の内に死に物狂いでなんかやってくると思ってる。面倒くさい仕事は若いのに任せてさ、私らはせいぜいのんびりさせてもらおうや。あとは……ああ、そうそうそう。あんたさあ、本当に爺さまかい?

40第1回8番(4)メクセオール=アインノーラ:2008/03/07(金) 03:19:23
 メクセオールの四十四勇士。金銭による契約を中心としていながら、彼らは隊長メクセオールの行く先どんな死地にも飛び込んでいく。命よりも金が大事というわけではない。彼らの命は、メクセオールによって保障されているのだ。

 戦闘に際し、メクセオールは己の命を乱数の神に賭けて宝陣を敷く。この陣内に形成された仮構宇宙で、メクセオール以外の勇士が死ぬことはない。陣内で力尽きる者は、致命傷を負う前に陣外に弾き出されるだけなのだ。そして、メクセオール自身が死ぬか敵を討つかする以外に、この陣を解く方法はない。

 つまりメクセオールは、敗北の代償として最初に自分自身の命を奉げている。彼に逃走という選択肢は存在しないのだ。これが勇士たちに命の保障を与えているし、そのメクセオールの覚悟こそが勇士たちを惹きつけているという面もある。

 常に命を賭け続けるメクセオールの極端な姿勢は、彼の焦燥感の表出とも言えた。神々と比して自分の力は無に等しいという認識が、彼には耐えがたかったのだ。

 彼は、神々を憎んでいるわけではない。神は概ね寛大で、忌むべき神滅ぼしの末裔であるメクスの一族に対しても、余人と変わることのない恩寵を与えてきた。その贖いというわけではないが、メクセオールには人並み以上の信仰心すら存在した。

 しかし、無力感はいつもあった。彼の祖メクセトは、何にせよ神々を動揺させた。人間が神々に並ぶこともありえるのだということを、その身をもって証明して見せたのだ。少なくともその一点において、メクセオールは自分の血統に誇りを感じていた。

 ところが、自分はどうなのか。そよ風程度でも、その行いが神々に何らかの影響を与えたことがあったのか。神々に仇なそうというのではない。彼らに奉仕するような形ででも、自分の存在を認めさせることはできないのか。神滅ぼしの血を継ぎながら、神に対し何を為すことも叶わないのは、メクセオールにとって忸怩たることだった。

 そんな中、竜殺しの仕事が舞い込んだ。割の合わない仕事ではあった。しかし、竜という一柱の神に挑戦する機会には、抗いがたい魅力があった。勇士たちを自身の個人的な事情に付き合わせるつもりはないが、もとより自分が死ねばその時点でどこへなりと去ってよいという契約だ。今こそ、神に対して証を立てる時だったのだ。

 しかし、事態はこの通り。竜は伝承に残されたような悪しき厄災ではなく、どうやら人間以上の理性と寛大さを持っているようだった。この様子では、あの竜と剣を交える余地などない。自分は神に対し、結局何もなさずに終わるのか。そうしてメクセオールの昂ぶりかけていた感情は、また暗澹としたところに深く沈んでいくのだった。

41第1回8番(IV)アンリエッタ:2008/03/07(金) 03:23:13
「あんた、また来たの」
 デフォンだった。昨晩ああ言って追い返したというのに、朝になったらまたここにいる。蹴っ飛ばしてやろうかと思ったが、しかし今日のデフォンには目的があるようだった。徹夜で考え明かしていたらしく足取りは危ういが、目の光は確かではある。
「ちょっと反省したんですよ。研究者の性なのか、どうしても外から観察する視点で彼女のことを見ていた。でもそれじゃ、彼女の本心は見えないと思ったんです」
「ふうん。まあ、いい心掛けではあるね」
「たとえば私たちにしてみれば彼女の夢は仮想のものでしかないけれど、彼女にとっては現実に等しい重みがある。そう考えていくと、他人が彼女の居ないところであれやこれや言っても仕方ない気がしてきました」
 仮想世界が彼女にとって現実に他ならないという主張は、有瀬昴の言っていたことだろう。アンリエッタは昨晩のその会話を知っていた。キュトスの姉妹から零れ落ちた精神の集合体として生を受けたイレギュラーであるアンリエッタの意識は、姉妹全員の意識と常に接続されている。だから、ケルネーが見聞きした情報もアンリエッタには筒抜けなのだ。
「そして彼女の肉体はここにある。遠くから夢の中を覗いて分かった気になるんじゃなくて、現実の彼女をよく見るつもりでここに来ました」
 ガラス越しに隔てられた先に彼女がいる。治療室を無菌状態に保つ必要があるため、面倒な手続きなしで入れるのはここまでだ。眠っている彼女は微動もしない。いや、よく見れば、胸のあたりが呼吸によってゆっくり上下していることは分かるのだ。
「彼女が生きている、ということを、どうも失念してしまっていたのかもしれません。夢の中にいて身動きしない彼女を見ていて、彼女自身のことアイドルか何かのように捉えていたのは否定できません」
「そういうことに気付くのはいいことだと思うわよ。で、何か思いついたの?」
「今の彼女はここで息をしている。ただ、そこから能動的な何かを得ることはできない。だから私たちは彼女の夢に注目していたわけですが、もうひとつ、彼女を知る方法があると思うんですよ」
「それは?」
「私たちと同じように現実を生きていた、かつての彼女を知ることです」
「ああ」
 なるほど、とアンリエッタは思う。今は彼女の精神という壊れものを扱っているこの研究機関だが、元々は純粋に外科的な医療チームから端を発したのだ。『PANGEON』の構築が始まってから精神分析の重要性が高まったとはいえ、依然として構成員にそちら方面の才能を持った人間は多くない。
「たしかにそっちは遅れてるわよね……お粗末なこと。彼女の過去を大っぴらに暴きたくはないっていう、ヘリステラ教授の同情心がきっと作用してるんでしょう。確かその資料、上の方の許可を得ないと閲覧もできなかったはずよ。まあ、必要とあらば断られることもないでしょうけど」
「教授に、頼んできます」
 デフォンと別れ、今後の展開を考える。有瀬昴がアルセスであるという情報は、ウィアドからもたらされていた。世界に張り巡らされたネットワークを自らの脳神経とするウィアドと、キュトスの71姉妹という精神のリンクネット上に生じた意識であるアンリエッタ。共にワイアードな次元に存在の本質を有する両者には、少なからずの縁があるのだった。
 本来は、ケルネーがキュトスの構成員となるはずだった。しかしお人好しのケルネーは、あっさり有瀬昴に誑かされてしまった。そのため、代わりに自分が推薦されるようにと、アンリエッタは工作したのだ。アンリエッタの正体はヘリステラにすら知られておらず、この工作は義母ムランカの力添えによるところが大きかった。
 デフォンが自分からのこのこ有瀬昴に近づく結果になったのも、また誤算ではあった。アルセスのやることだから、これもただの偶然ではないのかもしれない。しかしアルセスの目的もキュトスの目的も、眠り続ける彼女を目覚めさせるという点で今のところ一致している。あまりおかしなことをしないようなら、もう少し泳がせておいてもいいのかもしれない。
 そういえば、今朝もウィアドから連絡があった。この件について、アルセスとは別の神格による干渉を観察したというのだ。大きな不確定要素。これもまた、厄介の種になるかもしれない。姉妹の中ですらイレギュラーな位置にある彼女は、また一人で頭を悩ませるのだった。

42第1回8番(5)ソルダス=フエゴレット:2008/03/07(金) 03:32:08
 夜半になって、メクセオールはアルスタに叩き起こされた。
「クリスと刑事が見当たらない。警備の者は気絶させられていた。おそらく、刑事に誘拐されたのです。捜索を協力願えませんか」
 冷静な言葉遣いを選ぼうとしているが、アルスタは混乱しきっている。状況を考えれば無理もないことだ。しかしメクセオールは渋い顔を隠せなかった。
「契約は竜を退治するという話だったはずだ。それが誘拐事件の人捜しとなっては、話がかなり違ってくるぞ。我々は純粋な戦闘集団であって、そういった仕事は専門ではない」
「しかし、あなた方には人手がある。この館の警備の者など十人程度というところだし、応援を呼ぶにもこの時間では人はなかなか揃わない。その点、あなた方はすぐにでも四十四人で動けるはずだ。報酬は元の話の通りの額をお支払いするつもりです」
 確かに、アルスタの言う通りだった。原則として金で動く傭兵隊とはいえ、隊長のメクセオールが指示すれば隊員たちは従うだろう。仕事としても、決して割りが悪いわけではない。メクセオールを躊躇させているのは、竜退治という歴史的な大仕事が人捜しというつまらない用件に取って代わったことに対する、単純な拍子抜けだった。
「受けてやれば、いいんじゃないですかね」
 ソルダスだった。まだ寝ていなかったのか、意外と神経質で眠りが浅いのかなんなのか。メクセオールとアルスタの真夜中の会話を聞きつけて、このでしゃばりな男は堂々と話に加わってきた。
「どうせ、竜退治の話は、もうなかったことになりそうな感じじゃないですか。まあ違約金とかなんかそういうのは、もう先に話をつけてると思うんスけど、それでもやっぱり、本来よりも俺たちが受け取る金は少なくなるわけでしょう。そんなら、その、かわいそうなクリスっていう女の子を助けてあげた方が、元々と同じ金を受け取れる分だけ俺たちにとっても損にはならないんじゃないんですかね」
 ソルダスは、ときどき舌を噛みそうになりながらも、それだけを一気に喋り通した。
「そりゃそうだな」
「それは、その通りですね」
 ソルダスの言ったことは、当たり前の話だった。アルスタにしてみれば、クリスの身は全財産を投げ打ってでも守るべきものなので、ちゃんと頼めばメクセオールも必ず受けてくれるはずの条件を提示している。メクセオールにしてもそのあたりのことは当然理解していて、これは彼自身の中で納得のいかない部分があるという個人的な問題なのだった。
「じゃ、じゃあどうっスかねメクセオールさん。ここはひとつ、アルスタさんの頼みを受けてやってみるのは」
「うん、いや、まあそりゃそうなんだが」
 結局問題は解決していないので、メクセオールは再び腕を組んだ。急に話に割り込まれたせいで、先ほど懸命に考えをまとめようとしていたのがまた一からということになってしまう。
「あ、そ、それからですね、これがいちばん言いたかったことなんスけど」
「まだあんのかよ」
「俺たちが妹さんを探してる間に、メクセオールさんがあの竜と会わせてもらうことにするってのはどうですかね」
「は?」

43第1回8番(6)ソルダス=フエゴレット:2008/03/07(金) 03:42:37
 ソルダスという男は、普段は同じ話をぐるぐると続けながら何度も聞き込むことでようやく核心が理解できるような話し方をするくせに、ときどきこのように内容が飛んでぜんぜん違う話が始まってしまうこともある。そんなことだから、彼はますます聞く者を混乱させてしまうのだ。
「なんで、そこでそういう話になるんだよ」
「つまりですね、兄貴は竜と戦えるという話でこの仕事を受けたのに、それが流れちまいそうで釈然としない気持ちがあるわけですよね。でも、兄貴には分別があるから、たとえば、今から意味もなく竜に斬りかかるような真似はできない。その辺の心の整理がつかなくて兄貴も混乱してるんだと思うんスけど、そういうときは問題の根っこのとことよく見つめてみるのがいちばんだと思うんですね」
 ここでソルダスは"竜と戦えなくなったことが釈然としない"というメクセオールの心持ちを正確に言い当てていた。これはメクセオールがアルスタの依頼に躊躇する原因の核心であり、本人もあまり自覚できていない重要な認識のはずなのだが、ソルダスはこういう肝心なところをあっさり流して話を先に進めてしまう。
「それで、兄貴にとって今の問題の根っこっていうのは、あの竜のことになるんですよね。だから、兄貴は一度竜と会ってみたらどういかと思ったんスけど。別に、退治とかする必要はなくてえですね、なんつうか、お互いじっくり話でもしてみるといいんじゃないか、とか思ったわけで。ええと、兄貴はそういうのどうですかね。あの竜は話も分かるみたいだし、今から一晩くらい腹を割って何か言うことができれば、兄貴もけっこうすっきりするんじゃないかと思ったんスけど」
「すみません、よく分からないのですが」
 堪りかねたように、アルスタが話を遮った。事態は一刻を争うしもうこれ以上無駄な話をするなという意図だったのだが、ソルダスの方は言葉を字面通り受け取って、更に詳細な解説をしなければと考えを巡らせはじめた。
「ええっと、分かりませんかね。つまり俺が言いたいのは、」
「いや、分かった。それで行こう」
 突然、メクセオールが顔を上げてソルダスを肯定した。アルスタには理解できなくとも、当事者であるメクセオールはソルダスの意図をかろうじて汲み取ることができたらしい。
「うちの連中は、今すぐに叩き起こして妹さんの探索に向かわせる。ただし俺はここに残って、あの竜と話をさせてもらう。アルスタさん、そういうことでどうだろう」
 アルスタは面食らっていたが、火急の用である勇士たちの出動が叶うならもう細かいことはどうでもよさそうだった。約束を取り付けると、メクセオールはすぐに仲間たちの部屋を回り、緊急の仕事を伝えていった。ソルダスはこれに付いて喜び勇んで大騒ぎし、寝ぼけ眼の勇士たちが早々と正気を取り戻すことに貢献した。実際、メクセオールを熱烈に慕うソルダスは何とかして彼の力になりたいと常日頃考えていたのだ。先の提案はそんなソルダスだからこそ出来たものであるし、またそれが受け入れられたことによる彼の喜びようもごく自然なものではあった。

44第1回8番(7)ソルダス=フエゴレット:2008/03/07(金) 03:42:57
「ソルダス、お前の言うことには一理があったぞ」
「へへ、そうでしょう、兄貴。俺は思ったんですよ、契約金はそのままで、竜退治が人捜しなんて楽な仕事に変わるなら、むしろそっちの方が得なんじゃないかって」
「それは最初から分かっている」
「へへ、へっへ。ありゃ? そうですかい」
 ところでこの時点で、メクセオールは違和感を持ちはじめていた。竜と話すだけなら、別に妹捜しの仕事が終わってからの落ち着いたときでもよかったのではないか。しかしソルダスが最初にそう言い出したので、そのままの流れでなし崩し的に話は決まってしまったのだ。夜の極寒の中をぞろぞろ歩いて回る仲間連中には申し訳ないなとメクセオールは思うのだが、今からまたわざわざ契約内容を変えて外に出て行くのも寒くて嫌だし、面倒だった。また当のソルダスは、自分の提案の余計な部分について気付きすらしていない。そういうわけで、結局誰も契約内容の変更を言い出さないままメクセオールは竜と対面することと相成ったのだった。
 アルスタ自身もクリスの捜索に加わり館を出ていき、館にはメクセオールとソルダスだけが残る。
「待て。お前は捜索に行かないのか」
「ええっと、俺は兄貴のことがちょっと心配なんで、一緒に竜に会おうかと思ったんスけど駄目っスかね。俺はさっきこの竜さんと少し話をしたから兄貴よりも喋り慣れてんスけど」
 ソルダスは悪びれもなく言ってのけた。どうして俺がこいつに心配されなければならないのだ、とか、自分が先にちょっと喋ったくらいでもう一日の長があるような顔をしているこいつは一体何なのだ、などとメクセオールは思うのだが、このソルダスという男を相手にしていると、そういうことをいちいち指摘するのも面倒になってくる。それに、単純な戦いの場であればともかく、消えた娘の捜索活動などという仕事にこの男を出したところで、ものの役にも立ちそうにない。そういうわけで、結局メクセオールはソルダスと二人で竜と会うことになったのだ。

45第1回8番(V)デフォン:2008/03/07(金) 03:55:36
 少女の過去についてデフォンはヘリステラに秘匿資料の開示を求め、これはすぐ認可された。研究員一般に開示されているものと比べると、そこにあった資料は驚くほど詳細なものだった。どうやってここまで調べたのかと訝らずにいられないそれは、この調査に多大なコストが割り当てられていたことの証左だった。

 最初からしっかり彼女の過去に注目していたという点で、ヘリステラに抜け目はなったのだろう。だからこそ、デフォンはとても意外に思う。こうまでして入手した情報がまったく活用されず、研究棟の奥深くで埃を被って埋もれているのは、ヘリステラが彼女に対し個人的な情けを掛けたからに違いないのだ。
 
 助手として研究に対する苛烈さばかりを見ていたデフォンは、ヘリステラにこのような一面があったのかと感嘆する。もはや国家的な資産を投入した巨大プロジェクトの長として、ヘリステラのこの判断は甘すぎるくらいのものだった。人類全てを生体実験に捧げてでも研究に明け暮れるマッドサイエンティストだとばかり思っていたが、こういう脆さがあると分かれば、助手としてサポートのし甲斐があるというものだ。そのことについてだけは、デフォンも少し愉快な気分になれた。

 しかし、この件でデフォンが頬を緩められる話題はそれだけだった。少女の過去は、呑気なデフォンが想像していた程度のものを少しだけ上回っていた。一連の事件後まもなく、彼女は市街での戦闘に巻き込まれて重傷を負う。そして巡り巡って難民医療センターに収容され、それを保護したのが、『星見の塔』の出資者マグドールだったということだ。少女の過去を隠そうとするのはヘリステラの甘さだが、これが無闇に公開することのできない情報なのも確かな話ではあった。

 だがやはり、ヘリステラはこの資料をもっとよく見ておくべきだった。少女の夢の核となる登場人物は、確かに示唆されていたのだ。その気になって考えれば、何とでも見つけられる符号だった。あるいは、ああ見えて無駄な思考を排除するヘリステラだからこそ、このお遊び的な符号を見逃したとも考えられる。

 もしやと思い資料を漁ったところ、件の義援隊の人数に四十四人という数字が出てきた。この時点でデフォンの仮説は確信に変わる。後の問題は、少女がどのような夢の結末を望んでいるかという一点だった。ある冬の日の葬列。物語をそこから始めたのは少女の意思だ。ならば、その時点から辿りつくことのできる最善のシナリオを、デフォンは書き出さなければならない。答えは、少しずつ見えつつあった。

46第1回8番(8)《双曲線》:2008/03/07(金) 04:03:05
 言理竜エル・ア・フィリスの形成する内部ワイアード界においてWayBack Machineとの闘争を繰り広げていたアウター《双曲線》は、しかし突然現れた第三の意識体によってこの対立空間から弾き出された。一時的にではあったが、エル・ア・フィリスの支配権はこの第三意識によって完全に掌握されたのである。《双曲線》はただちに反撃に掛かった。単なる三つ巴であれば、まだ勝機は残っていたからだ。しかしここで、《双曲線》にとって更に悪い事態が起きた。第三意識はエル・ア・フィリスの本来の支配者であるWayBack Machineと交渉を行い、《双曲線》に対する共同戦線を張ったのだ。この展開により、《双曲線》がエル・ア・フィリスの支配権を奪する可能性は大きく零に近づいた。ここに至り、《双曲線》は方針を転換する。エル・ア・フィリスの支配権を内部から乗っ取るのではなく、外部から物理的に破壊するのだ。この惑星の古き神が製造した『石板』の存在に、《双曲線》は気付いていた。『石板』もまた第三意識によって破壊されているようだったが、その内部ワイアード界に潜伏する程度のことはできる。そうして少しずつ機構を掌握していけば、再起動中のエル・ア・フィリスに対抗することも可能であろう。今に《パツァツォグル・エルバック》がこの座標に到着し、外宇宙との扉を開く。《双曲線》の役割は、それまでにエル・ア・フィリスを破壊することで、WayBack Machineによる増援の召喚を阻止することだった。《双曲線》はエル・ア・フィリスの内部ワイアード界から離脱し、細く脆く心許ない外部ワイアードを辿って『石板』の内部ワイアードに侵入する。そのとき、物理界で石板に近づく者があった。『石板』を製造した古き神の一柱、アルセスだ。

47第1回8番(9)将紀神ピュクティエト:2008/03/07(金) 04:05:38
 刑事とクリスには近場の町に宿を取らせた。ついでに宿の主人の精神も掌握したので、アルセスの手の者が訪れても知らぬ存ぜずで通すことができる。既に失神していたクリスを改めて暖かくして寝かしつけ、私は意識を竜の方に向けてみる。一時的に竜の制御を奪いはしたが、今は交渉の上で和解し支配権を共有しているのだ。
 既に別の意識から攻撃を受けていたこのファーゾナーという竜にとって、私の強引な割り込みはむしろ福音であったようだ。もはや勝機なしと見たのか、敵対意識は遂に退散していった。今や竜は完全に竜自身の意識のものであり、ときどき私がその機能を間借りさせてもらう形になっている。クリスの誘拐に関して全知の竜に情報を求める者もいたが、長い眠りから覚醒したばかりで本星WayBack Machineとの通信が機能的に遅延しており、情報の取得に数日のタイムラグを要する、などと適当な理由をつけて回答を拒否してもらった。
 そのファーゾナーの前に、二人の男が現れた。どちらも、アルスタの雇った兵士であるようだ。本来は竜を退治する役目を負っていたらしいが、その竜が何ら害悪を齎す類のものではないと分かると、人智を超える竜という存在と交流を持ちたいと考えたようだ。
 その内の一人、メクセオールと名乗った傭兵は、いかにも武人という感じの精悍な男だった。しかし意外にも、この男がファーゾナーに持ちかけた話というのは、いわゆる人生相談に類するものだった。]
 男は、神々に対する自分に無力を感じているようだった。なるほど、ありそうな話だ。いつの世でも命を賭け、常に太母レストロオセを擁してきたのがこのメクセオール=アインノーラという男だ。この世界系のアインノーラも、既に四十四人の戦団を築いている。しかし、その核となるべきレストロオセを、彼はまだ見出していない。神話構造的に言えば、それがこの世界系の彼の欠落と言うこともできるだろう。私が彼のレストロオセを見つけてやることはできないし、神話的にはどちらかというと対立することの方が多い相手だが、これも何かの縁だろう。少し付き合ってもらうことにする。
"ファーゾナーよ、提案する。その男を我々に協力させたい。お前はまだ身動きが取れないし、私もあまり多くの視点に同時に意識を割くのは辛い"
 ファーゾナーはまだ意識を外界に覚醒させた段階に過ぎず、本体の再起動にはもういくらかの時間を要するらしかった。その間、物理界で行動できる援助者がいることは悪いことではないだろう。彼はすぐ提案に同意した。
「メクセオールさん。あなたは神に対して何かをなしたという事実としての成果を求めているのですね。そしてあなたたちは、私を神の一柱に近い存在として認識しているようです。だとすれば、あなたが私に対して明確な影響を与え、私がその影響を認めれば、あなたの不満は解消されるのではないですか。実は私は困っています。というのは、先ほども述べたとおり私は目覚めたばかりなので、私は私の身体を思うように動かすことができません。しかし今、私に悪意を持つ神格が、どこかから私の体を破壊しようと狙っています。そこで、私はあなたに次のことをお願いしたいと考えます。もしあなたが構わなければ、私が動けるようになるまで私の身体を守ってもらえませんか」
 おおよそ以上のような内容を、ファーゾナーは流暢に述べた。メクセオールは分かったような分からなかったような顔をしたが、とりあえず聴く耳を持ったようだ。もう一人の傭兵ソルダス、この男の方は既に乗り気になってしまったようで、手を叩いて喜んでいる。
「分かった、内容次第だが、聞いてみよう。私は何をすればいい?」
「かつてあなたの祖メクセトを破った、ヘルモンド家の始祖神アルセス。彼が、私の敵となりうる者の一人です。あなたには、彼の攻撃から私を守っていただきたいのです」
 メクセオールの目が、燃え立った。ファーゾナーの直接の敵であるアウターではなく、私の敵であるアルセスの名を出したのは正解だったようだ。
「面白い。神に挑戦して敗れた男の末裔が、竜神の使いとして神に再度刃向かうというのか。それはなかなか、気分が良さそうではないか」
 どうやら彼も乗る気になったようだ。静かな意気込みを見せるメクセオールと、いつの間にか自分もすっかり参加した気でいるソルダスに、ファーゾナーはアルスタの意識を裏で操る存在がアルセスであると告げる。アルスタはクリスの捜索活動に加わると言って館を後にしたが、アルセスの本当の目的は『石板』に接触することだろう。事象操作コンソールとしての紀能も持つ『石板』エクリオベルクは、この世界で活動するにあたってなにかと重宝するものだ。もちろん、『石板』は私が既に破壊している。それを確認したアルセスは、この惑星上に存在するもうひとつの紀性機関である全天竜ファーゾナーを手に入れようと戻ってくるだろう。そこを、捕らえる。

48第1回8番(10)将紀神ピュクティエト:2008/03/07(金) 04:06:12
 果たして、アルスタは間もなく数人の供を連れて戻ってきた。出て行く前と比べて明らかに焦燥の色が濃いのは、『石板』が破壊されているのを見たアルセスの憤慨の表れだろうか。しかし、顔を見せた途端にメクセオールに捕らえられたことに関しては、激情よりも唖然としたものが先に立ったようである。
「アルスタさん、悪いんだが、少しの間こうやって縛らせてもらう。この竜が言うには、あんたはアルセスの意識に取り憑かれているらしいのだ。これも妹さんのためだと思って、せめて夜明けまで辛抱してもらいたい」
 事態が飲み込めたところで、ようやくアルスタは激昂した。ここで取り乱さず、竜の言葉に一理を置いて、念のためにと朝まで耐える選択もあったろう。しかし、アルスタの中のアルセスは、そういった可能性に目を瞑らせてしまう。
「貴様ら、このままでどうなるか、分かっているのだろうな。妹に何かあったら、契約は破棄させてもらうぞ」
「もし私の行為が見当違いだったら、そのときは契約金を反故にした上で違約金と慰謝料まで払うつもりだ。もちろん、隊の者たちの捜索は続けさせる。制限されるのは、あなたの体ひとつだけだ」
 メクセオールが何を言ってもアルスタは納得しないが、アルセスが裏にいる以上これはもう仕方ないだろう。
 私は待った。アルスタは依然喚き続けているが、どこかの瞬間でアルセスの意識は彼から離脱するはずだ。そして、目の前のファーゾナーへの侵入を試みる。『石板』に戻って修復を行うという手段も彼にはあったはずだが、こんなに遠く離れた場所で捕らえられては、それももはや不可能だ。どんなに強引でも、今のアルセスにはファーゾナーの内部ワイアードを強硬突破して上位次元に脱出する以外の道はない。
 ふと、アルスタの激情が収まった。糸が切れたようだった。自分が一体なににそこまでこだわっていたのか分からないという風に、アルスタはきょとんとして周りを見渡している。文字通り、憑き物が落ちたと呼ぶのがふさわしい状況だろう。アルスタから、アルセスが離脱したのだ。
 私はファーゾナーの内部を探査する。飛び出してくるその瞬間は逃したが、奴はまだこの内部ワイアードのどこかに潜んでいるはずだ。上位次元へのルートを一気に突っ切るかと思っていたが、しばらく息を潜めて様子を見る気か? どこだ、アルセス。どこだ?
 ……馬鹿な。アルセス、どこへ消えた?

49第1回8番(11)クリス・ヘルモンド:2008/03/07(金) 04:09:39
 急に猛烈な恐怖にとらわれて、わたくしは刑事をなぐりつけたのです。そのとき刑事はねむっていましたが、めざめて間もなかったわたくしはそういった判断がつかないほど狼狽していました。
 なにかに追われるように、わたくしはのがれてきました。とても嫌な感じがしていました。それはわたくしが小さい時分から感じていたものでした。おじいさまやおとうさまが、突然そんなふうになるのでした。彼らが相ついで亡くなると、今度はにいさままでがそうなりました。普段はとてもやさしいにいさまが、ときにある瞬間だけ恐ろしい面をのぞかせるのです。それはとても酷薄で、寒々としていて、わたくしに憎しみをむけてきました。
 その恐ろしいものが、いままさにわたくしを追いたてています。いくら夢中で走っても、それは消えてくれません。自分が刑事のことを恐れていたわけではないことに、わたくしはもうとっくに気づいていました。それはわたくしの中にいたのです。おじいさまの中にあり、おとうさまの中にあり、にいさまの中にあったものが、ついにわたくしの中でも目ざめたのです。いくら息をせいて走っても、わたくしはわたくし自身からのがれることはできません。
 走れ、とそれは言いました。わたくしは恐ろしくて、あいかわらず雪の森の中を走りつづけました。からだの限界はとうにきていましたのに、それは歩くことすらゆるしてはくれません。見なれぬものがありました。おどろくほど滑らかで薄い板状の青いなにかが、雷を落とされたように焼けこげてくだけていました。
 触れ。言われて、わたくしは触れました。突然、そばにあった岩がくだけました。その中で人が眠っていました。殺せ。わたくしはためらいました。なぜなら、その人の顔はにいさまとよく似ていたからです。殺せ。言うことを聞け。いつの間にかわたくしの手には細身の短剣がにぎられていました。けれどわたくしの身体は動きません。まるで寝つけぬ夜の金しばりのよう。安心しろ、そいつはお前の兄じゃない。教えてやる、それは僕だ。僕の身体だ。わたくしの手は震えていました。自分の手が自分のものではないようです。
 本当はお前を最後の生贄にしてやるつもりだったんだ。なのに、くそ、あいつらめ。はじめは不確かな圧迫感であいまいに追い立てようとしていたそれも、気がせいてかだんだんと大胆になってきたようです。わたくしの中に、今やはっきりとわたくしでないものの存在を感じとることができました。さあ、僕の心臓に刃を立てろ。僕自身がお前の代わりの生贄になってやろうというんだ。それが不満なら、お前の兄を生贄に奉げるぞ。にいさまの名が出たことで、わたくしはまたひどい恐怖におそわれました。自分の意志を自分のものとも思えないあいまいな感覚のまま、わたくしは腕をふりかぶりました。そして、始祖アルセスの心臓をえぐったのです。

50第1回8番(α)書紀神レーヴァヤナ:2008/03/07(金) 04:12:57
 黒のパンツスーツという格好で、レーヴァヤナは書棚を整理していた。普段は司書のソルキレウスたちに任せているのだが、彼女らが読める文字には限りがある。神の図書館の司書たるもの、語学に堪能でなくては務まらないのだが、則天武后が趣味で拵えた《則天文字》やら、岐阜本光健が十歳のときに友達の金城ひろしと考えた《ミッタケ文字》やら、グレンデルヒが自分自身を讃えるためだけに作成した《誉れ高きグレンデルヒの栄光文字》やら、そんなマイナーどころまで彼女らがカバーできるわけもない。よってそんな特殊文字で書かれた書物については、レーヴァヤナ自身が整理することになる。
 そうしている内に、隣の椅子でうたた寝をしていたピュクティエトが身じろぎした。久しぶりに訪ねてきたピュクティエトは、ぽかぽかと暖かい春の陽気に誘われて、静謐であるべきこの図書室で不遜にも寝息を立てていたのだ。ようやく目を覚ましたピュクティエトは眠気覚ましに大きく頭をがくがくと振り、困惑しきった顔で口を開く。
「すまない、しくじった」
 ピュクティエトがこの図書室で居眠りを始めた頃から、レーヴァヤナはウィアドを通じてことの顛末を見届けていた。眠りに落ちた下位の世界で、アルセスの写像を見つけたピュクティエト。性懲りもなくお節介を焼く彼の姿に、レーヴァヤナは一人嘆息を漏らしていた。そして、結果は案の定だ。
「本当に懲りないな、君は」
「すまん。この通りだ」
「アルセスに神話構造の講釈をする前に、まず自分の神話的挙動がどんなものかよく自覚したらいいと思うぞ? ほら、神話事典の自分の項目がどうなっているか言ってみたまえ」
 レーヴァヤナはピュクティエトを容赦なく睨めつける。うな垂れる彼は、しぶしぶとそれに答える。
「……ピュクティエトは無関係な事象に強引に干渉したがり、その結果としてしばしば無用な闘争を引き起こす……」
「そう、その通り。……分かっているなら、もう少し慎みを持てないものかな?」
「言い訳もない。余計なことをした」
 ピュクティエトは机に両手をついて平謝りしている。実際、余計なことだった。アルスタの身柄を拘束したことで、ピュクティエトはアルセスを追い詰めたつもりだった。しかし、アルセスの因子を持つ者はアルスタだけではない。同じヘルモンド家の男子である以上、クリスもまたその心の内にアルセスを宿しているのだ。
「アルスタを見限ったアルセスは、クリスを自分の新たな器としてあっさり自由の身を手に入れた。そのあたりのことは君も考慮に入れてくれているものだとばかり思っていたのだが、どうも見込み違いだったようだな」
「うっかりしていた」
「まさにうっかりだ。神話的うっかりさんだな、君は。滝にでも打たれてくるといい」
 クリスの身体を手に入れると、アルセスはすぐ『石板』に向かった。彼は、そこに自分の肉体を隠していたのだ。本来は、自分が復活したときのために保存しておいたのだろう。しかし最後の生贄となるはずだったクリスは、いまやアルセス自身を宿す依り代となっている。メクセオールたちの監視があっては、アルスタを生贄とすることも不可能だろう。 「ヘルモンド家の人間をあと一人屠るだけで自分は復活できるのに、最後の最後というところでクリスもアルスタも生贄には使えない。それどころか、もたもたしていれば君が全てを台無しにしてしまう。アルセスが置かれていたのは、まさにそういう窮地だった。慎重なあいつも、ここに来て遂に強攻策に出たのだな。ヘルモンド家の最初の人間である、アルセス自身の肉体を最後の生贄として奉げると」
 クリスにアルセス自身の肉体を殺害させ、七十一人目の贄を屠ったアルセスは物理世界に復活した。神の力によって、アルセスは『石板』エクリオベルクを瞬く間に修復させる。ここでさらに運が悪かったのは、言理竜エル・ア・フィリスから離脱してきたアウター《双曲線》が『石板』の中に潜伏していたことだ。アルセスは、自分と同様に竜と敵対に敵対する意志を持つ《双曲線》との同化を選択した。
「アルセスの見境のなさにも呆れるが、奴とアウターをわざわざ引き合わせたのは君だ。おかげで、ことは彼らの世界だけの問題ではなくなった」
「奴を止めることができなければ、我々の世界束全体に累が及ぶか」
「そういうことだな」

51第1回8番(β)書紀神レーヴァヤナ:2008/03/07(金) 04:13:23
 ピュクティエトは必死で挽回策を考えているようで、うろうろと室内を歩き回る。しかし何も思いつかないのだろう。藁に縋るような目をレーヴァヤナに向ける。
「どうしよう? 何か、私にできることはないかな?」
「ないね」
「そんな」
「人間一人もまともに操れない君が、この上なにをやらかすとういんだい。さらに事態をややこしくして泣きを見るのが落ちだよ」
 専守防衛に努めている限りにおいては、この男も役に立つ。しかし、深追いして痛い目を見るのがこの男のパターンなのだ。最終的に負けることもないのだが、それまでに払う犠牲が大きすぎる。アレの被造世界でも、この男はヘルズゲート事件の元凶となる一人の独裁者として存在していた。
「しかし、何もしないわけにはいかないぞ。何か策はあるのか?」
「私は知識を蓄えるだけで、考えるのは苦手なんだよ」
「堂々と認めるなあ」
「自分を過信して痛い目ばかり見ている、君よりはましだろう」
「悪かったと思っているよ。しかし、弱った」
「被造世界のデフォンが描くストーリーは原世界にも影響を及ぼすだろうが、アウターというイレギュラーすぎるイレギュラーがいては両者が必ずしも同期するとは限らない。まあ、いいんじゃあないかな? 君や私がいくら考えても仕方がない。実際にこれからアルセスを相手にするのは彼らなんだ」
 レーヴァヤナは机上の水差しを覗き込む。そこには、アルセスとアウターの復活に浮き足立つメクセオールたちの姿があった。
「どうだい、もう少し彼らを信頼してみては? 君は試練の神なのだろう。無闇に手を貸すのではなくて、成功を信じて見守るというのが本来のやり方ではないのかね?」
 ピュクティエトも水面を覗く。その中で、竜とメクセオールは既に戦の算段をしていた。総当り的にしか作戦を試算できない竜の機構上の限界を、歴戦の名勇メクセオールはよく補佐している。
「やる気なのだな。異世界の超越者との合一を果たした悪辣な奸神を、彼らは真っ向から迎えるつもりだ」
「賭けてみる気に、なったかな?」
「ああ。自分の尻拭いもできないのは口惜しい限りだが、今さら私が出て行ってやれるようなこともない」
「まあ、そこに腰かけてのんびりとしていたまえよ。試練の神には高みの見物がよく似合う。神である私たちには、そのくらいが丁度いいのさ」
「我々は無力なのだな」
 ようやくにして、ピュクティエトが苦笑いを浮かべる。レーヴァヤナは満足そうに同意する。
「その上に無責任だ。神はね、責任なんてとれないんだよ。そういうことを自覚していれば、恐ろしくてなかなか余計なことはできないだろう」
「神こそ、謙虚であれか。まったくだな、心しておくよ」
 やっと落ち着きを取り戻し、ピュクティエトは椅子に座り直す。レーヴァヤナが名工バッカンドーラに拵えさせた特注品で、その気になれば何年でも座り続けて本を読んでいられる品だ。
「おっと、油断はしないでくれよ。彼らがアルセスを止められず、この図書館までアウターの侵攻に晒されるようなことがもしあれば……物知りだけが取り柄の無力な私を守るのは、血気盛んな君くらいしないないのだからね」
 レーヴァヤナもまた、隣の椅子に腰を下ろす。先ほどの水差しは、いつの間にか透明な水鉢に変わっていた。隣に並んだ二柱の神は、互いに寄り添うように鉢中の世界を覗き込んだ。

52第1回8番(12)アルスタ・ヘルモンド:2008/03/09(日) 23:23:21
アルスタ・ヘルモンド

 アルセスの支配からから解放されたアルスタは、既に拘束を解かれていた。シャーロームの森に復活したアルセスに対抗するため、メクセオールたちは慌ただしく準備をしている。アルスタと使用人たちも、同様に館中を動いて回る。夜が更けても、館は一向に寝静まる気配がなかった。
「これを、お返しします」
 竜となにやら話し込んでいるメクセオールに、アルスタは金鎖に縛られたひと揃いの武具を差し出す。盾、冠、小手、戦套、そして槍。くすんで灰色に変色したそれらは、相当の年代物だ。
「私たちの祖アルセスがあなたの祖メクセトを討った際、戦勝品として当家に渡りました。本来なら竜退治をお願いした時点であなたに渡すべきだったのですが、アルセスにその思考を封じられていた」
 メクセオールは、鎖の掛けられた武具に目を落とす。存在くらいは伝承として聞いていただろうが、それをヘルモンド家が所有していたことは意外だったらしい。
「これを、私に」
「あなたが持つべきものだと思う。封印の鎖をちぎり取るまでは、ただの武具です。しかし、これを解けば古き神に由来する恐ろしい魔力が甦ります。かつて戯れにこの封を解いた賊は、呪いに身を蝕まれて武具を脱ぐ間もなく死にました」
「ありがたい。なに、我が祖はこの呪いを平気な顔で跳ね返したのだ。私とて、痩せ我慢程度はできる」
 根が真面目なくせに、無理に気の利いたことを言おうとして結局失敗するのがこの男なのだな、とアルスタは思う。アルスタは、彼らを信用する気になっていた。この状況からクリスを救い出せるのはメクセオールたちしかいない。恐れをなして逃げ出すようなことを、彼らは決してしないだろう。この戦いに何か大切なものを賭けている、それは彼らも同じに思えた。
「クリスを、よろしくお願いします」
「私は命を賭ける。今から張る陣が破れる時、それは私が死ぬ時なのだ。あなたにとって重要なのは妹の命であって私の生き死には関係ないのだろうが、それが私の覚悟だと思ってくれ」
「感謝します。私には、これをお渡しすることくらいしかできない」
「必ず、この槍を、あのいけ好かない神に撃ち込んでこよう。そして妹御の身体を取り返す。贄として奉げられ、奴の糧として蓄えられてきたあなたの一族の魂も、それと同時に解放される」
 アルスタは深々と頭を下げた。既に竜とアルセスは、形而上の領域で戦闘をはじめているらしい。異世界に逃げようとするアルセスを、竜が妨害し続けているのだ。アルセスは、竜を物理的に排除するためこの館にやってくる。またそれは、アルセスと習合した異世界の神の意志でもあるという。
 アルセスが行使する『石板』エクリオベルクには、アルスタもシャーロームの森で見覚えがある。あの不思議な物体が実はこの世の神秘を司る機関で、いまや完全な管理権を掌握したアルセスはその性能で武装してくる。そのように言われても、アルスタにはほとんど理解もできない。程度の差こそあれ、それはメクセオールも同じなのだろう。

53第1回8番(13)アルスタ・ヘルモンド:2008/03/09(日) 23:31:10
 館の中庭には、いまだ動くことのできない竜がいる。その先には平地が広がり、夜闇の下でメクセオール率いる四十四勇士が隊列を組んでいた。さらにその先にはシャーロームの森がある。そして今、森の中に人影が見えていた。クリスだ。髪を切っているが、それはたしかにクリスだった。しかし、その目の中に宿る意識はクリスではない。防寒具は着ず、それどころかまるで寝巻きのような格好だったが、それで微塵も寒さを感じていない。その様子が彼の神性を表している。
「来てやったよ」
 クリスの姿をした者が、声を響かせた。これがクリスの喉から出たものか、と驚くような、邪悪な声だった。自分もまた、あのような声を発していたのか。
「よってたかって邪魔しやがって。なあ、お前ら。お前ら、何なんだよ。なんで邪魔するんだよ。僕は、キュトスに逢いたいんだ。それだけだ。それが、いけないか? こんな大騒ぎして、何十人もで取り囲んで、神や竜まで出てきやがって。弱いものいじめだろ、これ。なあ、アルスタ。君はわかるよね? ずっとクリスを愛し続けてきた君になら、僕の気持ちがわかるはずだ。どうだい、アルスタ、僕の言う通りにすれば、クリスは返してやる。どうせ僕はこの世界からは離れるつもりなんだからさ、クリスの身の安全は保障できるよ。僕が嘘をつくのが不安なら、魂の契約を交わしたっていい。ねえ、僕の言ってること、わかるよね?」
 誰も、何も答えない。アルスタは、アルセスの言葉の意味を考えた。自分はクリスのためならどんなものでも投げ打つことができる、これは本心だ。クリスを本当に救えるのなら、自分はアルセスの言葉に従うべきなのだろうか。道理はあるように思える。そして、キュトスを失ったアルセスの思いも、アルスタにはよく理解できるのだった。
「お断りする」
 アルスタは、そう言っていた。その選択が最も正しいと確信している自分が、少し不思議だった。
「あなたは一度、ここで休むべきだ」
 アルセスの顔が、遠目にもはっきりと分かるほど引き攣った。突然、その体が高く高く持ち上げられる。地面が盛り上がったようにも見えたが、よく見ると違う。その下にあるのは肉の塊だった。肉塊は瞬く間に体積を増し、館ほどの大きさにまで成長する。その表面に人の手や、足や、顔が見える。人間の身体を、寄せ集めたものなのだ。アルスタは直観する。あれこそ、生贄とされてきたヘルモンド家の女性たちではないか。
 その巨大な肉塊に、青い金属が覆いかぶさる。文様に見覚えがあった。『石板』だ。アルセスによって掌握された『石板』エクリオベルクは、いまや彼の意思で自在に形を変え、その装甲へと変化していく。灰黒色の肉の塊が、青く武装されていく。
 メクセオールは、黙って見てはいなかった。彼の一声と共に、四十四人の勇士が一斉にアルセスの包囲にかかる。半円を描くように詰め寄る勇士たちの中で、メクセオールだけが一人突出して前にいる。彼の抜き払った朱の剣身が、夜の闇の中で輝いている。一閃されたそれは、肉塊に深々と食い込んだ。その瞬間、アルスタの視界もまた朱色に染まる。赤い、壁のようなものが現れていた。アルセスと勇士たちが、竜とメクセオールによって張られた陣に包まれたのだ。
 平地一帯を呑み込む、巨大な紅玉が出現したようだった。やがて紅玉の内外は法則の異なる空間として隔てられ、中を覗き見ることもかなわなくなる。陣が、完成したのだ。館の衛兵から声が上がる。なるほど、これが《宝石の魔》メクセオール=アインノーラの秘術かと。

54第1回8番(14)アルスタ・ヘルモンド:2008/03/09(日) 23:33:58
 天に向かって屹立する宝玉の中で何が起こっているのか、アルスタたちには感知できない。しかし、何か激しいものが空気を通して肌へと伝わってくる。誰も、その場を動くことすらできずに宝陣を凝視している。
 やがて、宝玉から一条の光が放たれ、天の高くへと昇っていった。同時に、弾き出されるようにして勇士の一人が飛び出してくる。満身創痍といった体だが、致命傷ではない。陣内で敗れた者は、最期の一撃を見舞われる寸前に陣外に転移されるという話は聞いていた。
「手当てを!」
 アルスタが叫ぶことで、それまで微動もできなかった者たちがようやく動き出す。そうしている間にも宝陣からは更に何条もの光が昇り、敗れて弾き出される勇士たちも増えていく。
「あの光は、我が一族が生贄としてきた娘たちの者たちの魂なのですね。それが今、ようやく解放されていく」
 アルスタが呟くように言い、竜がそれを肯定する。
「贄となった魂は、陣内で倒れることでアルセスの支配から解放されます。彼女たちはこの惑星の生命の流れに還ることができるでしょう。今、十二条目の光が解放されました。アルセスは七十一人目の最後の生贄として自分自身を用いましたから、残り五十九条の光が昇れば、我々は勝利します。しかし、既に勇士たちの七人も敗れています。陣内に私の加護を集中させているので、彼らはアルセスと対等の戦いができています。しかし、陣が破れた後では、彼らはアルセスに太刀打ちすることが困難になるでしょう」
 侍女たちも呼びつけて、アルスタは勇士たちの救護に回る。そうしている間にも、解放された魂と敗れた勇士たちの数を数えることを忘れない。
「二十三条。十五人」
 この数字は、どうなのだ。数の上では圧されているのか。
「四十二条。二十一人」
 抜け出てきた勇士たちから、一人で十体以上の贄を倒した勇士がいると聞かされる。一人、メクセオールの部下でない者が紛れ込んでおり、その男がなかなかに奮闘しているという話もあった。持ち直したと言えるのか。しかし、最も手強いのは最後に残るアルセスだろう。
「五十五条。三十人」
 残る勇士は十人。解放すべき魂はあと十六。
「六十二条。三十七人」
 あと十体というところで、解放されていく魂の数が突然減った。逆に勇士たちは次々と敗北していく。やはり、圧されている。
「六十五条、」
 陣内に残る勇士は、もはやメクセオールの他数人も残っていまい。その数で、アルセスと五体の贄を破らねばならない。
「死ぬな、メクセオール。負けてくれるな」
 その場の誰もが宝陣を凝視している。敗れた勇士たちは、自身の負傷を忘れてしまったかのようだ。隣の者の吐息の音すら聞こえそうな静謐が、一帯に落ちる。雪原が紅玉の赤い光を照り返し、周囲を染める。夜明けが近い。

55第1回8番(γ)ウィアド・イン・ザ・ワイアード:2008/03/09(日) 23:42:22
「大事になったな……」
 彼らは偏在する。ワイアードな構造を持つところ、どこにでも姿を現す。だから名を『ウィアド』と言う。
「ピュクティエトも相変わらずだ……結局、アルセスに裏をかかれた」
 デフォンは少女を目覚めさせるためのシナリオを作っている。少女がどの登場人物として夢の中に顕現しているのか、その正体に気付いたデフォンの記述作業は順調だ。しかし、アウターという大きな不確定要素を抱えることとなった今、状況がデフォンのシナリオ通りに展開する保証はない。リアルワールドがシナリオと単純に同期するには、両者の齟齬が広がりすぎた。デフォンにとって認識の枠外にあるピュクティエトが勝手に動いた挙句、見事に失敗した結果である。
「アルセスは気にいらねえし、レーヴァヤナからも協力を願われた。とりあえず、アンリエッタに状況を伝えておいたぜ」
「彼女は、ケルネーを誘ってデフォンの元に押しかるつもりのようだ。自分たちをシナリオ作りに協力させろと」
「デフォン一人ならシンプルで済むシナリオも、ケルネーの手が加わればさぞ乱れることだろう」
「だが、そこに介入する隙が生まれる。アンリエッタなら、どうのこうのと上手いこと言って、シナリオをリアルワールドに同期させてくれるだろうぜ」
「こちらは任せて大丈夫だろう。問題は彼らだ……」
 メクセオールの張った宝陣もまた、ワイアードな次元を形成している。ウィアドは陣内を観測する。メクセオールの戦士たちが、四十四人。アルセス=クリス。アルセスの復活の贄となった、アルセス自身を含む七十一人。合わせて百名を越える彼らが、もつれ合うように入り乱れている。肉塊として顕現したキュトスの娘たちは、ときに分離し、また融合し、その姿を変容させながら勇士たちを襲う。その肉の壁に阻まれて、またエクリオベルクに弾き返され、勇士たちはアルセスに手出しができない。
「殲滅戦だな……大将の首をとられれば負けだからこそ、逆に最後の一兵まで争うだろうぜ」
「生贄たちはキュトスの紀性を受け継ぐ。当然アルセス自身も古き神だ。敵のプライオリティは二か」
「太母レストロオセが残せし四十四士……彼らもまたプライオリティを有する」
「そして言理竜エル・ア・フィリスによって、プライオリティがプラスワン。ポテンシャルは互角か?」
「待て。もとはアレの所有物であった大空魔殿エクリオベルクを、今はアルセスが行使している。ピュクティエトに破壊され復旧は完全でないようだが、形而上では言理竜と張り合っているし、陣内でもキュトスの武装として働いている。プライオリティ一だ」
「アルセスと習合したアウターをどう解釈するかは判断が分かれるが、これもプライオリティに匹敵する」
「二対四のプライオリティとなれば……これはアルセスの野郎が圧倒的に優勢だぜ。なんとかならねえのか」
「我々にできるのはエル・ア・フィリスとアウターの形而上の闘争に介入することくらいだが……しかし、難しいな」

56第1回8番(δ)ウィアド・イン・ザ・ワイアード:2008/03/09(日) 23:48:42
 勇士たちとキュトスの娘たちの闘争は続いている。その光景は、戦争というより山を切り崩す様子に近い。娘たちが斃れるごとに、解放された魂が光を放って陣外に消えていく。しかし、勇士たちの中にも倒れていく者がいた。エル・ア・フィリスの加護によって、一人ひとりの戦力は増強されている。しかしエクリオベルクによって武装された姉妹たちには、その槍がなかなか届かない。
 肉の柱の頂に立つアルセスが、自身の小槍で勇士たちを狙う。槍が一投されるごとに、勇士たちが吹き飛ばされる。しかしそれ以上に、紀元槍がドライブされることで空間の法則自体がアルセスに最適化されていくことが問題だった。槍の投擲は、この空間の各座標をポイントし、法則改変の基点とするための行為なのだ。最初は短剣のように短かった槍が、一投ごとに大きさを増していく。
「紀元槍の法則最適化による強化は等比級数的だ……まずいぜ」
「あれを、撃たせるな……これ以上法則を更新させてはならん……」
「法則改変には我らでなんとか抵抗してみせよう。エル・ア・フィリスも既にあれに気づき、妨害に回っている。援護するぞ」
「ところで、見ろ。あれは四十四士でないぞ」
 ウィアドたちの観測点が一人の男に集まる。その男は、勇士たちに紛れて槍を振るっていた。なかなかに、強い。そして奇妙なことに、不可貫であるはずのエクリオベルクの武装を、彼は易々と貫いている。
「おい」
「あれは、誰だ」
「待て。ログに、ああいう奴がいたはずだ」
「刑事か」
「ケルネーがシナリオに闖入させた、あの刑事だな」
「待て、待て。あの刑事は、紀人ナプラサフラスの写像らしい」
「なんだって」
「本当か、それは」
「ケルネーがそう設定していたと、アンリエッタが言ってきた。そこで、再びシナリオに呼び戻したと……」
「逃亡したクリスを尾けて、ちょうど追いつきそうになったところで宝陣の構築に巻き込まれたか」
「なるほど。状況がよく分からなくて、とりあえず悪者っぽそうな姿をしたアルセスを敵とみなしたわけだな。ありそうな話だぜ」
「神話的に、ナプラサフラスはアルセスに恭順または敵対する。そして彼は大空魔殿エクリオベルクの最初の踏破者だ。ピュクティエトに扇動され、地理的にも北方帝国ということで、まあ見事に神話構造に符合してはいるのだが」
「アルセス側にもアウターという闖入者がいた。お相子ということにしておけ」
「プライオリティ、プラスワン」
「しかし、まだだぜ。三対四。まだ負けている」

57第1回8番(ε)ウィアド・イン・ザ・ワイアード:2008/03/09(日) 23:51:44
 陣内を埋め尽くすほどの、爆炎が発生した。残っていた肉塊の四分の一ほどが、一気に焼き尽くされていく。キュトスの娘の魂が、瞬く間に十ほども解放された。
「滅びの呪文を唱えた奴がいるな」
「こういうことをするのは、奴だな」
「奴しかおるまい」
「長々と術式を練って、この機会を待っていたか……相変わらず派手好きな男だ……」
 爆風に巻き込まれて吹き飛ばされた仲間もいるが、俄かに生じた形成の逆転に勇士たちは活気づく。勝負の流れが、早まった。エクリオベルクは、ナプラサフラスによって次々と無化されていく。無防備になったところを、勇士たちが畳み掛ける。
 既に、陣内に残る勇士は十人ほどとなっていた。一方、娘たちは残り九人。しかし、この九人が別格だった。
「なるほど……アウターか」
「アルセスめ、ここで使ってきたか。あの九人はアウタライズドされている」
「け、デビル・ナインというわけか……手強いな」
「後がないぞ……陣内に顕現されては、俺たちも妨害する手さえ打てない……」
 娘たちの一人ひとりが、勇士それぞれの力を超えていた。娘一人を倒すために、勇士二人が倒れていく。再び、勝負の流れが傾いた。瞬く間に戦力比が逆転する。
 ここで、メクセオールが動きを見せた。手にしていた朱の剣を捨て、背の黒い槍を抜く。そこに巻き付けられていた金鎖が、勢いよく引きちぎられた。突然、メクセオールの武具が鮮やかな五色に燃える。
「あれは」
「アルスタが保管していた、メクセトの武具か」
「だとすると、戦況はどうなる……あれに劣勢を覆す力があるのか?」
「待て。待て、待て」
「今検索している。出た。おい、あれはフラベウファだぞ。アルセスを殺したアルセスの妻、エアル=フラベウファ」
「どういうことだ」
「メクセトの武具は紀人フラベウファの変容態だ。金鎖で封印されていただろう」
「つまり」
「プライオリティ、プラスワン」
 紀人の力を手にしたメクセオールが、陣内を駆け抜けた。

58第1回8番(15)エアル=フラベウファ・ヘルモンド:2008/03/10(月) 00:09:34
 アルセスを祖とするヘルモンドの家系において、唯一アルセスの血を持たぬ者がいる。アルセスの妻となったもう一人のヘルモンドの祖、エアル=フラベウファ・ヘルモンド。
 兄殺しの罪で追放されたアルセスは、この北方の地で奴隷の娘エアルを買った。エアルはアルセスを愛していた。しかしアルセスが愛したのは兄キュトスだけだった。呪いを禊ぐ贄とするためエアルを娶ったアルセスは、彼女との間に子をなした。
 アルセスの企みに気づいた哀しきエアルは、自分の身を魔人に売った。アルセスと交わったエアルの身体は、キュトスの呪いに侵されていた。その呪いを武器として、アルセスを討てと魔人メクセトに願ったのだ。はたして、神滅ぼしの野望を抱くメクセトは、エアルの願いを聞き入れた。
 呪われし具物へと姿を変えたエアルの武装を身に纏い、魔人メクセトはアルセスに挑む。メクセトは敗れたが、アルセスもまた無事ではなかった。エアルによってもたらされた呪傷により、アルセスは幾月もせず命を落とす。エアルによってアルセスが殺害されたという伝承の、これが顛末である。
 二千三百年を経た今、エアルは再びアルセスの面前にある。あの時の魔人の末裔が、今またエアルを纏っていた。
 男は、エアルの内に眠るキュトスの魔力を解放する。その変化は劇的だった。男の腕のひと振りで贄の娘たちが凍りつき、戦套のはためきは勇士たちの活気を呼び戻す。一瞬にして、先手と後手が逆転した。
「兄貴! すげえぜ、兄貴!」
「ソルダス、やれ! 二度はできん!」
「任せてくれ、兄貴!」
 鼓舞された志士たちが、娘たちに飛びかかる。刑事もまたその中にいる。エアルの生み出した唯一の隙を、彼らはこじ開けるように狙い撃った。娘たちはもはや防ごうともせず、道連れの反撃を試みる。
「兄貴! 負けねえでくれ、兄貴!」
 待ち受ける反撃のうず中に身を投げて、最後の攻撃を挑んだ勇士たちが次々と果てていく。同時に、娘たちの魂が一斉に解放されていった。陣内が白光に溢れ、しかしまたすぐに冥い朱の輝きが戻ってくる。
 直前までの騒乱が嘘のように、陣内は打って変わって静かになった。立っている者は、メクセオールとアルセスのみ。失神したクリスが、離れたところに倒れていた。エアルの魔力を行使しても、メクセオール自身には目に見える変化がない。ただ、その武具が光を放っている。彼は、最後の一柱、青年の姿を取り戻したアルセスに対峙する。

59第1回8番(16)エアル=フラベウファ・ヘルモンド:2008/03/10(月) 00:10:44
「また、君か」
 アルセスがメクセオールに槍の穂先を向ける。しかし、その意識は彼本人に向いていない。
「満足だろう。これで君の娘たちは皆僕の手から解放された。もう僕に用はないよね。だったら、ここでやめてくれ。その男に協力する理由が、君には何もないはずだ」
 エアルは、従わない。その魔力を横溢に滾らせながら、メクセオールを包んだままでいる。ここを退くつもりが、彼女にはなかった。
「そうか。僕の息の根を止めなければ、気が済まないか。憎まれたもんだなあ!」
 アルセスの言葉は、いつも哀しい。しかし、言葉を持たない彼女には、自分の意思を伝える術がない。ここで彼を討つことだけが、彼女にできる最大の表現なのだ。
「さあメクセオール、前座が長々とやり合っている内に、僕の槍はこの空間を最適化したぞ。勝負は一瞬だ。お前もせいぜい狙って来るが言い。憎悪にまみれたその槍も、僕の命がご所望らしい」
 上段に槍を構え、アルセスが一歩を詰める。しかし、メクセオールは動じない。ただ、微かに眉を寄せる。
「お前は、何を言っているのだ。アルセス」
 メクセオールの言葉には、今はじめて怒りが含まれていた。それは彼がこれまで培ってきた思想などとは全く無関係の、ただ「怒った」という感じの怒り方だった。そのあまりに素朴な感情に、エアルは驚く。
「憎悪だと? 遺していった者の思念が、この武具にはまだ残っているぞ。これは誰だ。お前の妻だったエアルか、それともキュトス本人なのか?」
「何を言っているのか、分からないな」
「分かるまい。もういい、来い」
 それだけの会話だった。それだけのことで、エアルは胸の透く思いがした。自分の伝えられなかった思いが、この男によって言葉にされた。それだけで、エアルの心は軽くなったのだ。この男は、自分をただの武器として扱ったメクセトとは違っていた。
 先に、アルセスが動いた。紀元槍が放たれる。それをメクセオールが受ける。さらにアルセスが追撃し、これもまた無化される。そのパターンが幾度か続く。この調子が続けば相手は呪いで自滅する、そう読んだアルセスがほくそ笑み、直後に何かがおかしいとその顔が歪むものの、やはり同様に槍を繰り出す。その最後の一撃をメクセオールは防ごうともとせず、しかし何かに阻まれて彼の肉体には届かない。それが《羊膜》であるとアルセスが気づく前に、キュトスの恩寵を受けた白き槍がメクセオールによって振るわれる。
「なぜだ」
 白き槍が、今たしかにアルセスの身体をとらえた。
「なぜだ、キュトス」
「キュトスの呪いを解いたのは、お前だろう。あちらでじっくり叱られてこい」
 勝負が決した。

60第1回8番(ζ)ソルキレウス・バッカンドーラ:2008/03/10(月) 00:25:37
 レーヴァヤナ様に見てもらいたいものがあった。長い間必死に彫刻に打ち込んでいて、それが遂に完成したのだ。
「どうでしょうか?」
「いいね、この庭によく合ってるよ」
「ありがとうございます。でも、造り物です。そこに自分の限界を感じます」
「おいおい、そういう考え方、それこそ自然の傲慢というものだよ」
「自然ですか」
「自然は傲慢だよ。大きな顔をしてないで、たまには被造物に立場を譲るべきだ」
 アルセス様の戦いを見届けたレーヴァヤナ様は、疲れた頭を休めるため散歩の途中だった。やたらめったら連発されるウィアドたちの神話的解釈が、やかましくてかなわなかったらしい。
「たしかに、説明過多な連中ではありますね」
「あの神話マニアどもは、神話構造が事象の本質だと思っているからいけない。あんなのは往々にしてある側面の単純化、あるいは単なる後付なのにな。そんなものはぶち壊してしまえ、と私はいつも思っているんだ」
 他のソルキレウスたちによって丹念に手入れされた図書館の庭園は、姉の花園に劣らず見事なものだった。こんな風景を眺めて暮らしていれば頭は自然と冴えてくるし、少し散歩すれば疲れも取れる。それがレーヴァヤナ様の考えだ。
「アルセス様は、解放されたのですね」
「あれを解放と言うのかい。アルセスは結局、必死に追い求めてきたキュトス自身に突き放された格好になるんだぜ」
 自分自身を含む七十一人の肉親を生贄として、アルセス様はキュトス様の呪いを解いた。だから、エアルを蝕んでいたキュトス様の呪いが無化されたのは当然だ。そして、エアルの中のキュトス様の残滓はメクセオールに味方した。メクセオールを蝕むのでなく、武具自体に負荷を掛けることで魔力行使の代償としたのだ。
「アルセス様は、キュトス様を救うために全てを捨てた気でいました。それなのに、目の前のキュトス様に気づくこともできなかった。キュトス様は、そんな妄念の檻からアルセス様を救い出されたのだと思います」
「そうだろう。アルセスはいつもキュトスに守られている」
「そして、アルセス様だけがそのことに気づいておられません」
「君はアルセスに厳しいよな」
 神話的な制約によって、姉はアルセス様とキュトス様の関係に関わることができない。だから、姉はいつもアルセス様のことを悲しんでいる。あるいは苛ついているようでもあるし、怒っているように見えることもある。そういうところは、僕にも影響していると思う。
「アルセスは、世界の境目でピュクティエトに捕らえられた。はじめは私に押し付けるつもりだったそうだが、あいつも今回の失敗でだいぶ懲りたみたいでね。自分でアルセスを連れていったよ。視座を広げさせるため、宇宙中を引っ張って回るそうだ」
「そうすればよいと思います。そして、ご自分がなぜキュトス様にあのように退けられたのか、じっくりと考えなさるとよろしいのです」
「アルセスを叱れるのはキュトスだけか。子守をさせておくのが一番の適任とは、ピュクティエトも使えない男だな。君はあんな風になるんじゃないぞ」
「心しておきます」
 僕はどうなのだろう、と思う。いちばん近しい女性として姉がいるが、彼女は人に頼られたり、依存されたりということができない。いつも一人なのだ。だから、僕も一人にならざるをえない。
「さて、これからどうするんだい。今は依頼する品も、修理するものもない」
「一度、姉の花園に帰ります。今回の事件のことを話しておきたいですし」
「そうかい。まあよろしく言っておいてくれ。詩の添削ならいつでも受けつける」
「面白がっていますね、怒らせて後で始末をするのは僕なのに。レーヴァヤナ様はこれからどうされますか」
「もう少し、後の展開まで見届ける。エル・ア・フィリスの始末がついていないし、デフォンがどう仕事をやり遂げるかも見ておきたい」
「彼は、アルセス様の写像としてはとびきり素直ですね」
「ああいうのがいるのだから、アルセスも捨てたものじゃないだろう?」
 レーヴァヤナ様と別れ、花園への路につく。神々の次元というのは無闇に広く寂寞として、ないところには本当に何もない。考えるのはデフォンのことだ。キュトスを失う前のアルセスとは概して素直なものだが、彼はそれだけでないと思える。アルセスの過ちを自ら正した彼だからこそ、同じ過ちを二度とは繰り返さないはずなのだ。

61第1回8番(17)時空刑事ナプラサフラス:2008/03/10(月) 00:30:46
「そこまでだっ! これ以上無駄な血を流すんじゃないっ!」
 寝言と共に飛び起きた刑事を、皆が凝視した。
「うむっ! これは一体どうしたことだ!」
 アルスタの館、玄関前の大広間。刑事は召使に介抱されていた。周りには負傷した勇士たちが立ったり座ったり寝たりしており、それぞれに治療を受けている。その彼らの視線が、刑事一人に注がれていた。
「お目覚めですか。あなたの協力のおかげで、我々の一族は祖神アルセスの呪縛から解き放たれました。感謝いたします」
 昨晩とは打って変わった、アルスタの慇懃な態度だった。しかし刑事は事態がよく飲み込めていないらしい。宝陣の戦いに参加したのもなかば巻き込まれ乱入といった形だったし、詳しいことは何ひとつ知らないのだ。
「ちょおっと待った! お前たち、動くんじゃねえぞ。北方警察はなんでもお見通しだ。まずは、この状況を説明してもらおうか。うむ……思い出してきたぞ。なんだか知らんが、俺は化け物とやりあっていたんだ。恐ろしい化け物だった。その身の丈は天を衝き、その咆哮は月をも落とす。そしてその装甲は、歴戦の勇者たちの槍をいとも簡単に跳ね返したんだ。おお……そうだ。戦いの中で倒れていった連中の顔も俺は、しっかりと覚えている……お前!」
 刑事は、勇士の一人を指差した。
「お前は化け物の爆撃に打たれて吹き飛ばされたはずだぜ。その隣のお前もだ。お前は奴らの大きな手に叩き潰された……なんだ、こいつは一体どういうことだ? てめえら、さては俺を謀りやがったな!?」
「あのう、刑事さん。俺思ったんスけどね、もしかして刑事さんにはちょっとした誤解がおうふ」
 ソルダスが話に入りかけたところを、他の勇士たちが一斉に取り押さえる。そのまま迅速によその部屋へ引っ張っていった。この男に説明させると、話は間違いなくややこしくなる。そんなことは、彼らがいちばんよく知っているのだ。
 その間に、口の上手い男が手早く前に進み出て、込み入った事情を数センテンスに圧縮してさっさと刑事に伝えてしまった。この男はなにせ口が上手かったので、多少強引なところまで含めて刑事はあっさり納得してしまう。しかし納得したらしたで、刑事はまた別のことを騒ぎ出す。通報は市民の義務だの、大規模な陣を張る許可を当局に取ったのかだの。不幸中の幸いだったのは、ソルダスが軟禁されたことで話がそれ以上ややこしくなることはなく、誰もが黙り込んで刑事も早々と言葉を次げなくなったことだった。
「もういい、事件の首謀者はどこだ? アルスタさんはただの依頼人だから、先陣を切ったのはあのメクセオールって野郎だな」
 メクセオールは外だと聞いて、刑事はこの寒いのに防寒もせず玄関を飛び出した。そろそろ夜明けも間近かというところで、山の稜線が薄っすらと白みはじめているようにも見える。

62第1回8番(18)時空刑事ナプラサフラス:2008/03/10(月) 00:34:56
 中庭の篝火に照らされて、メクセオールと竜の姿があった。そもそもは、この竜を退治するという話でここにやってきたメクセオールだったが、今や両者は随分と和やかな雰囲気になっている。
「おうおう、大それたことしやがって。メクセオールさんよ、あんたには聞きたいことが山ほどあるんだぜ」
「ああ、あんたか」
 やかましい声に振り向いたメクセオールは、別段驚く風でもない。むしろ、彼の登場を待っていたような態度である。
「あんたに礼を言いたいと思っていた。あんたがいなければ、勝負はまた分からなかったぞ」
「暴れる化け物を退治すんのも北方警察の義務だ。竜でも猫でも相手にしてやらあよ」
「あの陣の中で俺以外の死が留保されるということを、あんたは知らなかった。しかしあんたは、平気で死地へ飛び込んでいったな。見上げたものだった」
「それが刑事魂だ」
 刑事は平然と言い放つ。それがどうした、という感じでじれったそうだ。そんなことよりも、職務を全うしたくて仕方ないらしい。
「とにかく、事情聴取だ。あれだけのことを仕出かしたんだ、たっぷり付き合ってもらうからな。竜さん、もちろんあんたもだぜ」
「残念ですが、私にはそうすることができません」
 意外なことに、竜は拒否した。メクセオールがほうと頷く。
「そうか、そんな時間か」
「はい。もう夜が明けました。今しがた私の再起動は完了し、同胞もこの座標に集結しつつあります。私がここに居られる時間はあと僅かです」
「おいこら、勝手に話を進めるな。そもそも、夜なんてまだ明けちゃいねえだろ」
 刑事は高く天を指差す。たしかに空は真っ黒の闇で、日の光などどこにもない。それどころか、星のひとつ、月のひとつも見当たらなかった。自分で空を示した刑事が、またいちばんに口を開ける。
「ありゃあ」
「おかしいな。この空の暗さは奇妙だ。星はどこへ消えた? ファーゾナーよ、これはまさかお前の敵の攻撃か?」
「いいえ、あれは私の同胞です。どうやら間に合ったものと思われます」
 突然、空の闇が動いた。地にいる者には、そのように見えたのだ。そのことによって、天にあるのが虚空ではなく、何か壁のようなものであると認識される。天を覆いつくす巨大な壁だ。
「ファーゾナーよ、あれがお前の同胞というのは、つまりあれそのものがお前の同胞ということなのか」
「その通りです」
 空の壁が、鳴動して翻った。まさに、全天が動いたと表現するのが正しい。そして新たに現れたのは、視界いっぱいを埋め尽くす巨大な竜の頭部だった。
「ちょ」
「なるほど、確かに夜は明けていたのだな。あの体躯に遮られて、日の光が届かなかったか」
 その眼で、アルスタの館の同胞を見定めたのだろうか。巨大な全天竜は視線を真っ直ぐ刑事たちに向け、大気の震えるようなひと声を発した。
「馬鹿野郎! 公衆の面前にあんな馬鹿でかい顔を晒しやがって、立派な迷惑罪じゃねえか! くそ、おい竜さんよ、ありゃああんたのお仲間なんだな? ちょっとここに呼びつけてくれよ。ああ、でもあんなにでかいとこの庭にも降りられそうにねえし、弱ったなあどうしよう。おお、おお、おおお」
「物理的衝突が発生してから〇・〇〇〇〇〇〇七単位時間で、私たちの戦闘は上位の次元にシフトします。あなた方を巻き添えにするようなことはありませんので、ご安心ください。それでは、お別れです」
 全天竜に呼応するように、館の竜も両翼を大きく広げる。それだけで、新たな空気の流れが生まれた。

63第1回8番(19)時空刑事ナプラサフラス:2008/03/10(月) 00:37:03
「ファーゾナーよ、世話になった。俺は今、頭の霧が晴れた気分だ」
「実は、私はひとつ嘘をついていました。私は本当はファーゾナーではありません。今空に見えるあの竜が全天竜ファーゾナーです。私は言理竜エル・ア・フィリスです」
「そうか。エル・ア・フィリスよ、武運を祈るぞ」
「私もあなた方の今後ますますのご健勝をお祈りいたします。それでは失礼いたします」
 エル・ア・フィリスの翼が空気を叩く。一度だけで、彼の身体は宙空に持ち上げられた。さらに、もうひと叩き。エル・ア・フィリスは手の届かないところまで舞い上がっていく。上昇しながら、エル・ア・フィリスは己の身体を展開させる。館の中庭に納まる程度だったその身体が、折り畳まれた骨組みを広げるように体積を増していく。空に、ひとつの山が出現したようだった。
 突然、北と言わず南と言わず、方々から咆哮が上げられた。一声聞いて、竜のものと分かる。天空のファーゾナーと地上のエル・ア・フィリスによって、各地の竜が喚起されたのだ。まるで鳥の群れと見紛うが、サイズのスケールが全く違う。一匹一匹が、山なのだ。
 天からも、創世竜の同胞が現れる。天体級のスケールを誇るファーゾナーほどではないにしろ、それぞれの姿を地上から確認できる。そんな無数の巨大な竜たちが、まさに空を埋め尽くしていた。やがて、天の竜と地の竜が合流し、地上から見れば南東に相当する方向に向きを揃える。その方角に、彼らの目指す敵がいるのだ。
 そして、それは現れた。金糸の毛並み。三対のぴんと張った髭。恒星をも凌駕するスケールの、猫。確かに太陽の方が手前に見えているのに、そのつぶらな瞳は太陽よりも巨大だった。猫と、竜が相対する。天空を支配する両勢の獣が、一斉に威嚇音を轟かせた。


《にゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!》

《ちゅーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!》


「騒音罪だ!」
 刑事がいきりたって叫びを上げた。何事かと慌てた者が、続々と屋外に飛び出してくる。天を見上げては驚嘆の声が奉げられ、やっと静かになりつつあった館は再び大騒動となる。その中で特に喧しく騒いでいる男がいて、それはやはりソルダスだった。きっと世界中で、同じような騒ぎが起こっているに違いない。

64第1回8番(20)時空刑事ナプラサフラス:2008/03/10(月) 00:39:08
「やれやれ、今日は本当に騒ぎが絶えないな」
 アルスタが刑事たちの隣に立つ。傍にクリスを連れていた。事件の渦中にいた割に、体調には問題はないらしい。眼を爛々と輝かせながら空の竜を凝視している。子供らしい好奇心といった感じで、そこに昨日までの陰はない。
「ファーゾナーは、行ってしまった。本当はエル・ア・フィリスという名だったらしいが」
「もう一度クリスとちゃんと礼が言いたかったのだが、仕方ないな。我が一族は千年もの間あれを仇と思い続け、憎んできた。そのことも謝りたかった」
「それよりも、あんたのかわいい妹が元気なことに感謝するといい。そこの刑事にもな」
「そうします。しかし、彼は職務の遂行で頭がいっぱいのようだ」
「ああ、まったく多忙な男だな」
 刑事は遂にきれてしまったようだった。なんとかして天に昇ろうと、しきりにぴょんぴょん飛び跳ねている。お礼を言おうとクリスがさっきからずっとタイミングを見計らっているのだが、隙がどこにも見当たらない。
「やいやいてめえら、そんな高いところにいるからって、俺が見過ごすと思うなよ! すぐにそっちに行くからな! 動くな、フリーズ! アイキャンフライ!」
 突然、刑事の身体に青い金属体が纏わりついた。刑事が宝陣の戦いで打ち破った『石板』エクリオベルクが、刑事を主と認めて寄って来たのだ。
「金属に好かれたか。酔狂な男だ」
「おお、お前が協力してくれるんだな。よしよし、いい子だ。じゃあ一丁、あの迷惑な連中のとこまで連れてってくれよ」
 頷くように金属身をくねらせて、エクリオベルクが刑事の身体を下から包み込む。魔法の絨毯、あるいは魔法の金属風呂敷といった風情である。
「よっしゃあ、行くぜ、待ってやがれよ! 北方警察の恐ろしさ、目にもの見せてやるからな!」
 それだけ言って、刑事はあっという間に飛び去った。慌てたクリスがその後を追うように前へ駆け、大きく大きく頭を下げる。
「ありがとう、ございました!」
 それに気づいたのか何なのか、あるいは刑事は気付かずとも風呂敷の方が気を利かせたか、青い影が手を振るように小さく揺れた。それを最後に、影はいよいよ加速する。そしてあっという間に見えなくなり、この世界に生み落とされた小さな矛盾は天に吸い込まれて消えた。

65第1回8番(VI):2008/03/10(月) 00:44:13
 そうして、私は目を覚ました。

 目覚めると、あまりにも沢山のことが変化していた。私は、故郷から遠く離れた国のベッドに寝かされていた。知っている人は誰もいない。知らない人だけが、沢山いる。私は大富豪になっていて、普通の人が百万年働き続けてやっと貯められるようなお金を、自由に扱うことができるらしい。戦争はもうとっくに終わっていて、十一歳だったはずの私は十七歳になっていた。
 PANGEONによって現実に劣らぬ高解像度の夢を見続けていたおかげで、幼頭成体という身の上にならなかったのは幸いだ。それどころか体感的には二千年を経験してきたわけで、もはや「六年前の私」というのが自分のこととはとても思えない。ただし、ずっと眠っていたわけだから、体つきなどは目を覆いたくなるほど衰えている。

 これは、いけない。

 というわけで、少しずつ身体を動かし、自分を新しい生活に慣らしていく毎日だった。

66第1回8番(VII):2008/03/10(月) 00:47:51
 この状況を、私はごく自然に受け入れていた。どれもはじめて聞く話ばかりなのに、心が前もって受け入れる準備をしていたような感覚だ。多分、眠っている間の無意識とかなんとかが、いろいろ気を利かせてくれたのだと思う。そうでなければ、私がまだ寝ぼけ眼のままなのだろう。

 最初にじっくり話をしたのは、所長のヘリステラさんとだった。感謝すべき私の養父であるところのマグドール郷は、私が目覚めるのと入れ違うようにして息を引き取ってしまったらしい。結果として、小国くらいなら簡単に傾けたり立て直したりできるお金が、私のような小娘の手元に転がり込んだ。そういった説明を、彼女から聞いた。
「爺さまは、君の国の内乱の遠因を作った一人でもある。会わせる顔がなかったんじゃないかなあ。君が目覚めたという知らせを聞いた途端、慌てて死んだという感じだったよ。いやいやいや、ふしぎふしぎ。そんな慌てて死ななくたってよかったのにねえ?」
「ヘリステラさんって、絶対何か隠してますよね。実はヘリステラさんが遺産目当てで毒殺とかしたんじゃありません?」
「あーあ、いやいや、何のことやら」
 この老人に対して、私は態度を決めかねていた。墓前に花を添えるか、それとも墓石を蹴っ飛ばすのか。憎い仇といえばそうだし、恩人と呼ぶのも間違っていない。戸籍上は家族だし、そもそも私は六年前の内乱のことなんて覚えてもいないのだ。こいつが皆の仇です、と言われて実感がわくものでもない。ただ、決断を急ぐ必要もなかった。体感時間二千年に及ぶ夢中生活の中で、私は自分でも驚くほど気の長い性格になっていたのだ。

67第1回8番(VIII):2008/03/10(月) 00:49:56
 それとは逆に、あまり悠長に考えていられない問題もある。たとえば、遺産の使い道がそれだ。
「というわけで、あなたが出資してくれないとこの研究所の活動は存続できません。どうか出資をよろしくお願いします」
「どうして揉み手ですか」
「いやもう、だってね、君が目を覚まさなければ研究が潰れると言うから必死であの手この手尽くしてきたわけだが、そもそも君が出資を許可してくれなければどうにもならないことを失念していたのだよ。こればかりは何も考えがなくてね、私としてはもうこの通り、頭を下げながら手なり肩なり揉むくらいしか方法がないわけだ。げっへっへ、頼みますよぅお嬢様ぁ」
「そっか、私って今すごく偉いんですね」
「き、君! 権限の強さと人間性の高さを取り違えるようになったら人として終わりだぞ!」
「えー」
 もちろん研究所には引き続き出資することにした。私がひとつの世界を夢見たように、人間の精神は仮想宇宙を丸ごとひとつシミュレートするほどのポテンシャルといい加減さがあって、この研究を押し進めることにより人類は新たなステージにうんぬんかんぬん。なんだかよく分からないけれど、面白そうな話ではある。そのついでに、当面の私の後見をヘリステラさんにお願いすることにした。
「いいのかい? 私は君を騙すかもしれないよ?」
「いいですよ。騙されることはありそうですけど、裏切られることはなさそうです」
 騙された方がよいときというのはありうる。または、その人の判断が決定的に誤っていて、しかも説得の余地がないようなとき、横っ面をひっぱたいてでも押し止めた方がいいことというのはあるうるのだ。自分の考えを正さずに、ただ行動だけを正して欲しいと他人に期待するのは甘えだけれど、あのときの私は結局その甘えに頼っていた。そんな甘えを兄によって諭されて、それでも私はまた逃げ出して、夢の中に閉じこもった。
 こんなところに隠れていたら、もう誰も助けになんて来てくれない。そう諦めてひたすらぐずぐずしていた私を、けれど探し当ててくれた人がいた。彼はヘリステラさんの助手をしていて、名前をデフォンさんという。

69第1回8番(IX):2008/03/10(月) 00:54:18
 デフォンさんと会ったのは、ようやく車椅子で所内を散歩する許可が出てからだった。休憩所のベンチ前、そろそろ木の葉も落ちきった季節で肌寒い。
「会いに来てくれればよかったのに」
「いやいや、どうも、自分から出向くのが恥ずかしくてさ……」
 すごくぱっとしない印象の人で、私を助けてくれるのは確かにこんな人なんだろうなと、一人で納得したのだった。
「もう、いいのかい?」
「何のことですか」
「目が覚めてから、色々あったろう。もう気分は落ち着いたのかな」
「それが、意外と動じてないんです。何年も眠っていて、そのうえ夢の中では感覚が二千年にも延びるんですよ。もう、眠る前の自分とは違う人間になっちゃいました」
「そうかい」
「それに、デフォンさんが夢をちゃんと終わらせてくれましたから」
「うん」
「ああ、でも、なんだか相当酷いのも混じってましたよね。私、もう一生猫と鼠にトラウマを抱き続けると思います」
「いや、あれはケルネーさんがね……しかもヘリステラ教授まで割り込んで悪乗りして」
「もう、皆して、人の夢で遊ばないでくださいよう」
「あっははは」
 そうやって笑って、私たちはすぐに黙り込むのだった。あるいは、黙り込んだのは私だけなのかもしれない。デフォンさんは、私が何か言いたそうにしているのを辛抱強く待ってくれているように思えた。なら、私も意を決するべきなのだろう。
「私がアルセスだと分かって、どう思いました?」

70第1回8番(X):2008/03/10(月) 01:03:34
 デフォンさんが動揺する様子はなかったし、かといって頑なになることもなかった。そのくらい何でもないぞという感じで、自然に微笑み続けている。
「いちばんなさそうな結論だったから、意外性はあったかな」
「どうして、分かりました?」
「気になるかい」
「気になります。それが分かるということは、私が眠りにつくとき何を考えていたか、デフォンさんには分かっているということなんです」
 そうなのだ。この時の私は、私自身がどういうつもりであんな夢を作り出したのか、もう覚えてはいなかったのだ。自分がかつて何をしたか、知識としての記憶はある。たとえ私があの頃の自分と全く違う人間になってしまったのだとしても、無視していくことはできない問題だとも思っている。けれど、では、あの夢は何だったのだ?
「ヘリステラ教授の用意していた資料が、分かりにくい書き方をしていたからいけなかったんだ。六年前の礼拝への参加者は六十一人だった。それに施設関係者が九人と、後から飛び込んだ施設長の弟が一人。つまりあの事件の被害者の人数は」
「えっと……あ、七十一人?」
「そう。それに、近隣にいた海外義援隊が合わせて四十四人だった。片方だけならともかく二桁の数字が二つも符合している。これはもう偶然ではないと思った。人物関係も、概ねで一致するしね。夢の中で四十四士の二名だけが名前を持って登場したのは、君に話しかけた義援隊が二人だったからだろう。科学者としてこういう推論の仕方はよくないのかもしれないけれど、これは言わば君が仕掛けた"なぞなぞ"だからね。そのあたりの予想をとっかかりにして、現地調査を依頼したよ。いくつかの固有名詞が一致して、用いられた兵器がファーゾナーという試作名だったことも分かった。ここまで来れば、仮説の信頼度は非常に高くなる」
 ああ、と思った。七十一という数字を、私は意識していなかった。しかし、夢の中にはしっかり投影されていたのだ。私が手に掛けた彼女らをキュトスの姉妹と見るならば、たしかに私は兄であるキュトスを救おうとしたアルセスだった。だから、私の夢の中でもキュトスはアルセスの恋人でなく兄だったのだ。
「結果として、君のお兄さんは助かった」
 そこでやっと思い出す。前世の記憶のように、思い出す。兄は、私を責めるようなことは言わなかった。けれど、自分が助かったのに、その顔はとても悲しそうだったのだ。
「私、後悔しました。兄が殺されないですんだことは、嬉しかった。でも、兄はとても悲しそうで、そのときになってやっと私は後悔したんです」
「事件で、一人だけ息のある人がいたそうだね」
「はい。容態は危険だとも聞いていて、でもすぐに大きな戦闘が起きてしまって、彼がどうなったかは……」
「彼は、助かったそうだ。名前はクリス」
 きっと私は、やり直しをしたかった。自分の間違った行いを、ちゃんと止めて欲しかった。本当は自分で助けを求めるべきだったけど、それすらできないくらいに私の心は弱かったから。だから私はアルセスになり、夢の中に逃げて隠れた。誰かが叱りに来てくれるのを、拗ねた子供みたいにずっとずっと待っていたのだ。
「ごめんなさい」
 喉の奥から絞り出そうとした声は、どうしてもかすれしまった。
「わがままを言って、ごめんなさい。みんなに迷惑をかけて、本当にごめんなさい」
「研究所の誰もが、君のことを思っていたよ。だから今、君が元気になってみんな本当に喜んでいるんだ」
 私はもう六年前とは違う人間になってしまって、遠くなってしまった故郷や過去に感慨を抱くことすらできない。けれど、私が眠っている間、沢山の人が走り回ってくれていた。デフォンさんも、他の人も。そして彼らは、夢の奥深くに隠れている私をちゃんと見つけて、そして叱ってくれたのだ。そのことを考えた時だけ、私の胸はひどく熱くなる。目覚めて以来、デフォンさんの前で、私は初めて感情に任せて声をあげることができた。

71第1回8番(XI):2008/03/10(月) 01:06:18
 デフォンさんに、車椅子を押してもらう。これはなかなか、心地のよいものだった。
「今度は、デフォンさんの方から尋ねてきてください。散歩道で偶然会うのを待つなんて、私絶対嫌ですからね」
「君、実は相当わがままなのかな」
「ヘリステラさんに曲者認定されました。なんだか苦手がられてるみたいです」
「き、君! あの捩じっくれたヘリステラ教授と対等に渡り合うようになったら人として終わりだぞ!」
 腐っても師弟か、と思う。
「私も、ここの人たちみたいに勉強してみようかと思います」
「それは、研究者になるってことかい」
「自分がどんなものにお金を出しているか知っておくのは、悪いことじゃないと思います。それに、皆さんは私の夢をじろじろ覗いてきたんでしょう? 覗かれっぱなしじゃなんだか癪です」
「プライバシー、侵害し放題だったからねえ」
「そうですよ。それに私の夢って、将来の研究のためとか言って保存されたままなんですから」
「まあ、頑張るといいよ。勉強すればするほど、僕たちがどれほど凄いか理解ができて、敬意も湧こうというものさ」
「あ、そんなこと言っていいんですか。人類史上最長記録、精神年齢二千歳の私は有り体に言って天才ですよ。すぐに追いついちゃうんですから」
「精神年齢ってそういう意味だったかなあ。新しい測定法が必要だね」
 からかおうとしても、のらりくらりとかわされる。日ごろヘリステラさんに鍛えられているのか、ぼうっとしているように見えて彼もなかなか手強かった。
「身体を鍛え直して丈夫になったら、一度国に帰りたいです。思い出として覚えていることは何もないですけれど、一度はこの目で見ておかなきゃとも思います」
「今は平和になっているし、君さえよければそれもいいと思う。自分の前世を知りたいとか、そういう感覚なのかな」
「そういうものだと思います。あと、それと、」
 車椅子の車輪が、まだ残っている落ち葉を踏む。たしかこの地域も、冬には雪が降るはずだ。


「お墓参りが、したいです」

                              END

72メメントリレー(1):2008/03/11(火) 20:25:23
破片が身体を掠め、胸のロケットが千切れた。
一瞬反応が遅れ、最後の一弾が猫柳の腹を刺し貫き、爆散した。

青空に散らばってきらきらと光る自分の部品を見て、猫柳は綺麗だなと思った。
だからずっと目を開けてそれを眺めていたが、視界にノイズが混じり出し、ほどなく何も見えなくなったので、開けているのをやめた。

73メメントリレー(1):2008/03/11(火) 20:29:49
破片が身体を掠め、胸のロケットが千切れた。
一瞬反応が遅れ、最後の一弾が猫柳の腹を刺し貫き、爆散した。

青空に散らばってきらきらと光る自分の部品を見て、猫柳は綺麗だなと思った。
落ちながらずっと目を開けてそれを眺めていたが、視界にノイズが混じり出し、ほどなく何も見えなくなったので、開けているのをやめた。


(修正です。失礼しました。)

74メメントリレー(2):2008/03/11(火) 22:56:44
「こいつを持って先に行け」
 爆音が足元を揺らした。フェンダーたちの足音はすぐそこまで迫っている。
「余計なことは考えるんじゃあない。誰かが、これは伝えなくてはならないんだ。
 その目的に一番適しているのがお前だというだけだ……早く、行け」
 扉が開いた。猫柳は走り出した。

75メメントリレー(3):2008/03/12(水) 22:41:34
 突き出されたそれを見て、猫柳は何かを託された経験を走査した。
 該当記録はない。そんな経験はない。猫柳は何一つ託されたことがなかった。受け継いだことがなかった。己の命でさえ。
「――――」
 躊躇う猫柳の手に、セルマはロケットを握らせた。

76メメントリレー(4):2008/03/13(木) 00:52:01
 猫柳は走っていた。セルマが後ろに続いていた。砂煙が舞っていた。
 フェンダーの放つ弾幕が、セルマの腹部を掠め取った。体が地面を転がり落ちる。猫柳は振り返る。
 セルマの損傷は激しかった。頭部と上腕部しか残されてはいなかった。エネルギーが漏洩し、体内から逃げていく。もうじき機能停止する。
 セルマは満天の星空に向けて、右手に小さな何かを掲げた。

77メメントリレー(5):2008/03/13(木) 01:11:55
「案外、僕らって壊されてデータをリセットされる前は、恋人同士だったりして。」
「…下らん考えだ。死ぬ前も死んだ後も興味ない。今の俺達こそが全てだ。」
「…うん、絶対二人で生きて戻ろうね。」
猫柳が地下通路に潜り込むと当時、ついに食料庫の扉が蹴り破られた。

78メメントリレー(6):2008/03/13(木) 04:36:33
 猫柳たちが<教会>に仕掛けた一つ目の爆弾が破裂する轟音。鳴り響くは物悲しい鐘の音。
 きいきいとまじり合うことのない不協和音を奏でる二人の身体。
 持たざる者の叛乱を予期せぬ管理者は慌てふためき当惑することだろう。
「ざまあみろ」
 セルマは駆けながら小さく呟いた。

79メメントリレー(7):2008/03/13(木) 23:07:56
 外に出たら、セルマの顔を見てみたい。
 抱かれながら、唐突にそう猫柳は思う。
 それとも何か他に見たいものがあったのかもしれない。無かったのかもしれない。

 そうして、最後のキーはそろった。ここから出るための。

80メメントリレー(8):2008/03/14(金) 19:02:30
もうすぐだ。フェンダー<可能捜索者>たちが集う忌まわしい<教会>、外へ繋がる境目の世界に、自分たちは立っている。
存在置換を最終フェイズに移行される前に、猫柳たちは逃げ出すことにした。
夜が来たら、自分たちは心まであの冷たい歯車に押し潰されてしまうから。
そうしたら、きっとあの乾いた土みたいに冷たい、昆虫の目をしたフェンダーたちと同じになってしまう。
このぬくもりが消えてしまう。
嫌だな、と思った。多分、二人同時だった。

81メメントリレー(9):2008/03/14(金) 21:12:40
猫柳は外へ出たかった。
<教会>の治める世界は息苦しい。<教会>は猫柳のような不適格者にフェンダーとして生きる道を示すが、あれは処刑と同じだ。
外世界から世界を守る戦士といえば、聞こえがいいが、つまりは存在置換によって軍の規格部品に加工されるということだ。
しかし<教会>こそがもっとも外世界と近い。猫柳は決意を胸に志願した。

82メメントリレー小説(全文をつなげて正しい順序にしたもの):2008/03/14(金) 21:16:37
猫柳は外へ出たかった。
<教会>の治める世界は息苦しい。<教会>は猫柳のような不適格者にフェンダーとして生きる道を示すが、あれは処刑と同じだ。
外世界から世界を守る戦士といえば、聞こえがいいが、つまりは存在置換によって軍の規格部品に加工されるということだ。
しかし<教会>こそがもっとも外世界と近い。猫柳は決意を胸に志願した。
もうすぐだ。フェンダー<可能捜索者>たちが集う忌まわしい<教会>、外へ繋がる境目の世界に、自分たちは立っている。
 存在置換を最終フェイズに移行される前に、猫柳たちは逃げ出すことにした。
 夜が来たら、自分たちは心まであの冷たい歯車に押し潰されてしまうから。
 そうしたら、きっとあの乾いた土みたいに冷たい、昆虫の目をしたフェンダーたちと同じになってしまう。
 このぬくもりが消えてしまう。
 嫌だな、と思った。多分、二人同時だった。
 外に出たら、セルマの顔を見てみたい。
 抱かれながら、唐突にそう猫柳は思う。
 それとも何か他に見たいものがあったのかもしれない。無かったのかもしれない。
 そうして、最後のキーはそろった。ここから出るための。
 猫柳たちが<教会>に仕掛けた一つ目の爆弾が破裂する轟音。鳴り響くは物悲しい鐘の音。
 きいきいとまじり合うことのない不協和音を奏でる二人の身体。
 持たざる者の叛乱を予期せぬ管理者は慌てふためき当惑することだろう。
 「ざまあみろ」
 セルマは駆けながら小さく呟いた。
「案外、僕らって壊されてデータをリセットされる前は、恋人同士だったりして。」
「…下らん考えだ。死ぬ前も死んだ後も興味ない。今の俺達こそが全てだ。」
「…うん、絶対二人で生きて戻ろうね。」
 猫柳が地下通路に潜り込むと当時、ついに食料庫の扉が蹴り破られた。
 猫柳は走っていた。セルマが後ろに続いていた。砂煙が舞っていた。
 フェンダーの放つ弾幕が、セルマの腹部を掠め取った。体が地面を転がり落ちる。猫柳は振り返る。
 セルマの損傷は激しかった。頭部と上腕部しか残されてはいなかった。エネルギーが漏洩し、体内から逃げていく。もうじき機能停止する。
 セルマは満天の星空に向けて、右手に小さな何かを掲げた。
 突き出されたそれを見て、猫柳は何かを託された経験を走査した。
 該当記録はない。そんな経験はない。猫柳は何一つ託されたことがなかった。受け継いだことがなかった。己の命でさえ。
「――――」
 躊躇う猫柳の手に、セルマはロケットを握らせた。
「こいつを持って先に行け」
 爆音が足元を揺らした。フェンダーたちの足音はすぐそこまで迫っている。
「余計なことは考えるんじゃあない。誰かが、これは伝えなくてはならないんだ。
 その目的に一番適しているのがお前だというだけだ……早く、行け」
 扉が開いた。猫柳は走り出した。
破片が身体を掠め、胸のロケットが千切れた。
一瞬反応が遅れ、最後の一弾が猫柳の腹を刺し貫き、爆散した。
青空に散らばってきらきらと光る自分の部品を見て、猫柳は綺麗だなと思った。
落ちながらずっと目を開けてそれを眺めていたが、視界にノイズが混じり出し、ほどなく何も見えなくなったので、開けているのをやめた。

83言理の妖精語りて曰く、:2008/04/12(土) 00:56:07
チャットでやった逆リレー小説のまとめです。
複数の並列史が共存します。

FA:最初、破壊王は一人だった。だけれども、破壊王は、彼がが隣にいるということを知ってしまった。安らぎの剣、それが勇者が最初に手に入れた魔剣だった。
FB:勇者は王者の剣の材料である聖剣と魔剣を探していました。それは二人の男が別々に持っていたそうな。
FC:この世の全てのモノの、始まりを司る聖剣、結果を司る魔剣、そして過程を司る王者の剣は、それぞれのパワーバランスの均衡を崩さぬよう、異なる時間・場所に隠されていた。
FD:とても暑い日のことでした。遂に滅殺王は斃され、暗黒の時代は終焉を告げ、世界の平和が戻りました。そして魔剣の呪いによって生まれるはずの新たな魔王は生まれませんでした。勇者は魔剣の誘惑に打ち勝ったのです。その勇者は破壊王と呼ばれていました。
-5:あらゆる事物事象を壊してきた破壊王にも壊せないものがたった一つだけあった、それが魔剣である。だが、持ち手との融合の瞬間、それを狙うことが出来れば…
-4A:勇者のもう片方の紋章が輝いた。それは奴が魔剣を手に入れた事を示している。今までの日々はもう帰ってこないのだ。
-4B:知っていた。破壊王は知っていた。勇者の剣がルクシオンを貫いていたことを。
-3A:破壊王は思い出す。魔道士ルクシオンとの日々を。あの、日々を。あの、かつてあった、あの日々を守るため、
-3B:ルクシオンは己の心臓を勇者の眼前に掲げ、言い放った。「私の命など安いよ。殺戮の正義によって魔に落ち、負の王となる運命から、お前を救えるのならばね」
-2A:全ての時代、文明を越えて、破壊王13は剣の因子の元へたどり着き、赤く煮えたぎる拳を振上げた。
-2B:そして魔道士が術式を起動します。勇者の両肩の紋章が紅く光り、百戦錬磨の英雄の両腕は永遠に失われました。
-1:世界は何万回も赤く染まった…。そして、百年の月日が過ぎた。
0:という事で、勇者は聖剣も魔剣も王者の剣も手にする事ができませんでしたとさ。めでたしめでたし。

84言理の妖精語りて曰く、:2008/04/12(土) 02:03:32
なにこれ?

85言理の妖精語りて曰く、:2008/04/12(土) 04:02:25
どうやって読むのが正しいんだろ?

86言理の妖精語りて曰く、:2008/04/12(土) 23:07:59
普通の小説同様に数値の小さいもの(上)から読んでください。なおFはFIRSTを表すとか。
数値の右のアルファベットは並列史で同じ時間軸の記述が複数存在しているとか。

逆リレー小説なので実際には終わり(下)から書いてます。


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