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企画リレー小説スレッド

1言理の妖精語りて曰く、:2007/08/18(土) 23:52:42
ポータルキーワード:
http://flicker.g.hatena.ne.jp/keyword/%e3%83%aa%e3%83%ac%e3%83%bc%e5%b0%8f%e8%aa%ac

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リレー小説の本文と企画進行の為の連絡のみに用いるスレッドとします。
意見・感想・批評等は雑談スレッドや感想・批評スレッドにお願いします。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/7039/1183121112/

参加型の企画リレー小説です。事前に申し合わせて締め切りやお題を決めて
リレー小説を書いていきます。

2言理の妖精語りて曰く、:2007/08/18(土) 23:56:12
第1回【造花】
お題:「縛り」「緊縛」「うにうに」「可塑性」「ゆらぐこと」「最果て」「北方帝国」「世界で一番」「分解」
いずれかから一つかそれ以上。全て用いてもいいし一つだけでもいい。
全8回 各人3レスから5レス程度の文量(1レス4096文字30行) 
順番:
指:1
れき:2
斜に構えて安全なところから批判ばかりしているあなたなんかより、
必死に彫刻に打ち込んでいる敏夫さんの方がずっと素敵よ@hotmail.com:3
bigi:4
hsy:5
bothhands:6
UG774:7
まおう:8

3第1回1番(1):2007/08/19(日) 00:21:54
そこは、それ以上は無いというほどに極まった冬そのものの森だった。
吸い込まれそうなほどに澄み切った青空というモノがあって、飲み込まれそうなほどに澱んだ曇天が無いという道理は無いだろう。錆色の天蓋は真冬の大地と相俟って寒々しい空間を演出し作り出す。北国特有の停滞した空気。吐き出す息は白というよりも灰色そのもの。歩む地面には霜が降り、しゃりしゃりと音を立てて大地の確かさを伝えてくれる。
大地の最果て、極北に程近いその空を伝播するのは重く、それでいて荘厳な旋律だった。節くれ立ち捻じくれた樹木の群、反響する重低音が喚起する重苦しくそれでいて悲しげな細波の情景。金管のみの音色が大気を押し潰し、森は暗色で満ちていく。木管の姿は無い。灰色の大地に満ちた寒々しい空気は、吹き付けた温かい息との温度差で木製楽器に亀裂を生む。ただでさえ悴む指と自然下がっていく音程。悪環境の中、それでもオーケストラはその荘厳さを失う事無く音を広げる。大地の上を旋律で埋め尽くしながら、路を往く楽団はさながら葬列のように歩みを進める。
否、それは比喩ではない。
森を往くその集団こそは正しく葬列であるのだと、最後尾よりわずかに離れた位置から追随する男は認識していた。列の中心で担ぎ上げられているのは漆黒の長方形、棺そのものなのだ。そのちっぽけな箱こそが今この時の世界の中心なのだと、静かに主張するかのように。葬列より響き渡る音の連なりはただ粛々と続いている。葬儀に楽団を伴うのがこの地の風習であり、死者を音楽によって送り出すのが弔いの作法だ。
音の群と、連綿と続く葬列。
捧げられるのは森という世界の中心である、一抱えほどの棺。
だが、知っている。
男は、知っているのだ。
男は延々と奏でられる音に包まれながら言いようの無い居心地の悪さを感じていた。それはあるいは、葬儀という陰鬱な儀式が生み出す暗い感情の所為かも知れず、あるいは重々しい音が彼の耳を圧迫する所為かも知れず、またともすれば、
「にいさま」
つと、男の袖を引く弱々しい力が働く。彼の脇から一歩下がって付き従う小さな影。視線を下げ、儚げな雰囲気と質素なドレスで彩られた美貌を眺め、男は嘆息した。
ともすれば、どころではなく。このどうしようもない諦念と違和感はまず間違い無く、
未だ死んでいない者の葬儀を執り行う事に起因しているのであろう。
棺の中は、空なのだ。
その中に収まっているべきである者は、そのすぐ傍に。
「わたくしは」
緩やかに波打つ金髪に手を遣り、端麗な目をそっと細める。それだけで男は、兄である身としてこう思うのだ。なんと滑稽なことか、と。
ドレスの色は漆黒だ。己の喪に服する、などと酷く滑稽な真似をしながら、それでいてその様は変わらず美しい。はしばみ色のやわらかな瞳に、人形じみて高い鼻。ふっくらとした唇は寒さからか紫に染まり、白い肌はより一層白さを増している。
死に満ちた冬の空気の中にあっても。いかなる姿、状況であっても美しいのだと、そう感じさせるだけの、美貌。
その口から紡がれる、どうしようもない絶望を前に、男は悲嘆に暮れる他は無く。
「わたくしは今、死ぬのですね」
弔われるべき当人は、静かに呟いた。
死人にはおよそ似つかわしくない微笑みを浮かべながら。
儚く。

4第1回1番(2):2007/08/19(日) 00:26:17

生前葬などというものは、大抵の場合余程の好事家で且つ富豪である者の特権だ。それに例外があるとすれば、死んだ後の葬儀がけして許されない場合であるが、そんな状況が起こりうる可能性とは如何程のものになるだろうか。
それでいて、この幼子はその稀有な例外に該当してしまったのだ。
男は、この辺り一帯を治めるヘルモンド子爵家の当主たるアルスタはその腕の中で淑やかに寝息を立てるただ一人の血縁を見、そっと唇を噛み締める。
艶やかな金の髪は見るものにため息をつかせるほどの美しさ。だがそれこそが死を呼び寄せる一因であるのだから、アルスタがこの髪を刈り取ってしまおうと思ったことは数知れなかった。無論、実行に移したことはついぞなかったのだが。
葬儀の後、アルスタは家人に兄弟二人だけにしてくれるよう頼み、自室に篭もり二人で過ごした。雲越しの光が絶え、夜の帳が落ちると同時に小さな子供は兄にもたれかかるようにして眠り、アルスタは黙したまま外を眺めていた。
クリス、と。ただひとり、最も近しい人の名前を呼ぼうとして、止める。晒されたあどけない顔を目覚めによって終わらせることが、何故だかひどく罪深い事のように思われた。
その代わりにとアルスタはそっとその額に顔を寄せる。口付けた白い額がひんやりとした感触を返す。
どうしようもない愛おしさと、それ以上の痛苦。
この子供は、死ぬのだ。アルスタは声に出さず呟いた。この美しい血族は、贄となって死ぬ。それは生まれ出でた時から定められた運命であり、当世に生まれついた最も美しい容姿の持ち主として避けられぬ責務だった。
その約定は、今からおよそ二億の日の昔に定められたのだという。
古き祖であるアルセスは異邦人だった。この地の領主の娘に手をつけた咎によりその子供を贄として領主に差し出したアルセスは、妻にして、しかしながら母であった者によって殺された。娘の狂態に心を痛めた領主は死んだアルセスとその子供を泥を捏ねて創造し直し、娘の家庭を再び作り上げた。しかし既に狂った女の精神は破綻したまま戻らず、絶望したアルセスはその苦しみを自らだけが味わう事を良しとしなかった。
アルセスは呪詛を吐いた。子々孫々に至るまで、その代で最も優れ、美しい女児を贄に捧げよ。このアルセスと痛みを同じくしない者は血の連なりより弾かれ、世にも無惨な最期を遂げるであろう。
子を殺す痛み。それ以来呪いの蔓延ったこの地には最も優れ美しい子が生まれる度に厄災が訪れるようになった。
河が氾濫しては人柱を、侵略者が攻め入ればその首級を、悪鬼が降り立てば生贄を。
血の束縛は今に至るまでけしてほどける事は無く、この家系は呪詛に縛られたまま、今この時に悲劇をもたらさんとしている。
贄を捧げることによりその地は平穏を取り戻し、世代が下るに従ってその行為は慣例化した。その土地を覆うのは漠然とした諦観と妥協だった。贄によって救いがもたらされるのなら、わずかばかりの痛みなど何ほどのものであろうや。人々はそう言って納得し、常に犠牲を強いられる丘の上の城に、その地の主にわずかばかりの敬意を払う。
寒い。そう、アルスタは感じた。実際の、気温についての肌寒さではない。血に、地に、そして人の意思によって雁字搦めに縛られたその運命が、途方も無く前途の無い、寒々しい道行きであるように思えたからだ。

5第1回1番(3):2007/08/19(日) 00:35:58

明朝、アルスタはただ一人、城の中庭を訪れていた。円形に並んだ花壇には淡色の花。簡素な手入れと単色で埋め尽くされた景観はお世辞にも美しい庭園とは評することはできず、静かにそよぐ芝生が柱廊の風通しの良さを示すのみだった。
そして、その場所もまた冬の色に満ちている。その年は、雪は未だ降る事が無く、しかし降り立つ霜が石柱や石畳を濡らし身を切り得る寒さを体現しつつある。
象徴のない冬景色。寒々しく、まるで何一つない断崖に一人立ち尽くしているかのような孤独感。言い知れない不安。大地の最果てで枯れていく涙。決定的な閉塞。
理性で抵抗することよりも、感性が全てを優先させる、血脈が意思を縛るのだ。肉親への愛は立場と責任という剣で引き裂かれ、誇りと尊厳は呪詛によって汚される。
世界はもう数年前からが色褪せている。
かつては華やかであった庭園。荒れ果てた植木は伐採し、色取り取りの花々は全て摘み取った。何故か。
先祖伝来のモノであったからだ。忌まわしい、この血脈が作り出した庭園であったからだ。
忌まわしい、呪わしき庭園。
その中央。急ごしらえの台座の上に、奇怪な繭がある。
金色の繭などというものがあるのならば、それは確かに繭であり、しかしながら同時に卵でもあった。人間の頭部ほどの大きさであるそれは、石の台座に粘性の糸を張り付かせつつも確かに蠕動しているのだ。
胎動。心音にも近いその震えは内部に存在する何らかの意思を感じさせ、同時にアルスタを悲嘆と憎悪に駆り立てる元凶でもあった。繭はその上から無数の鎖で緊縛され拘束されているが、それに如何程の意味があるというのだろう。贄の美貌が世に知れ渡ると同時に空より飛来したこの物体が何であるか、十人の学者を集めて調べ尽くしたというのに。
今宵、この繭が破られる。今代にて現出した災厄。アルスタにとって唯一にして最愛の人を奪う最悪。忌まわしい異形。
震える拳を、幾度この金色に叩き付けたことだろう。そのたびに拳を砕き、アルスタの片腕の握力は既に無いに等しかった。幾百もの名剣が歴戦の戦士によって叩きつけられ、その度に圧し折れた。北の最果ての氷よりもなお硬いと謳われる繭を破壊する事はついに叶わず、生まれ出でるそれを止める手段はそれにも増して見つけ難かった。
害虫。アルスタはただそうとだけ呼んでいた。それこそが最も相応しい呼び名であるように思えた。人の大切なものを路傍の花を摘み取るが如く、呆気なく奪い去っていくその傲慢なあり方を見上げる事は、彼の矜持にかけてできなかったのだ。アルスタはただそれを見下す事で自分を保っていた。でなければどうしてそれを正しく認識する事ができよう。
それが世に名を轟かす高貴にして偉大なる竜であるなどという、その事実を。

6第1回1番(4):2007/08/19(日) 00:47:47

「にいさま、お加減がすぐれないのですか?」
控えめな声に我に返り、アルスタは微笑んでクリスの頭を撫でる。
「大丈夫だ、クリス。お前が心配することなぞ、この期に及んで有りはしない。
全て・・・・・・、全てこの兄に任せておけば良い」
なんでも無い、心配は要らないという意思は確かに伝わったようでそれ以上の追求は無かったが、なにか言いたそうな気配は相変わらず留まったままだった。
中庭で意味の無い時間を過ごした後、アルスタはただ一人の血縁、クリスを連れて散策に出た。恐らくは二人で過ごせるであろう最後の平穏な時。
花を見て、小鳥を見て、そしてまた虚空を漂う煌きを笑い。
クリスは兄の腕をそっととり、軽やかに笑う。
「ねえにいさま、みてください、ほら」
どれどれと、ぎこちなくもおどけて見せればきゃらきゃらと笑い、はしたないと気付いて口を手で隠す様がどうしようもなく愛らしく。
在りし日と変わらぬままに微笑み、揺らぐことの無い愛を注ぎあう二人。その美しい有様を、だれが引き裂こうなどと思うであろうか。その場所は寒々しい冬でありながらも、二人の間に広がるその温かみは春のそれなのだ。
だが。アルスタは思う。
高潔にして高貴、好色にして残忍とも謳われるかの竜族はまた、麗しき贄を前にして弄ぶ事をせずして喰らう事を良しとはしないという。風聞であればまだ心安らかに送り出せよう。だが、万が一にも真実であったとしたら。
それは、恐怖そのものだ。
小さな、小さな体だ。年の離れた血縁。今は亡き母が遅くにもうけた種違いの子。
母の命と引き換えに生まれた体は虚弱で、ひどくか弱い。
それは年若く青い少年が自分こそが守らねばと決意させるほどに、か弱い、か弱い子供だったのだ。それは、成熟しつつある今も尚、変わることの無い事実。
この可憐な繊手と白磁のような首筋、透き通るような体の線と開いた首下から覗く皇かな鎖骨の流麗さ。折れそうな細い腰、手の中に収まってしまいそうな小さな足、摘み上げて口付けを送りたくなるような、完成された顎の曲線。手で梳けば如何なる絹糸よりも柔らかな感触を返すであろう金の髪。その絶世たる美貌のひとかけでも、誰か得体の知れないモノに汚されるくらいならば、いっそ自分の手で、と。毎夜思い悩み、その度に自己嫌悪に襲われるのだ。自分は、間違いようも無くこの美しい家族を愛しているのだ。救い難いほどに。
クリス、と声をかければ、はい、と素直な返事が返る。己を待つ悲惨な運命を覚悟しているようにも、全てを諦めきった先の境地に至ったようにも思われた。彼を悲しませるのは、その一挙一動に微塵も悲嘆や絶望が含まれていないというその一点だった。クリスは自分の犠牲を受け入れ、それによって救われるであろう人々に祝福さえ贈る気持ちでいるのだ。それがどうしようもなく悲惨に思えて、アルスタは抑え切れず溢れ出した涙をクリスの前で晒してしまう。クリスは手の平をアルスタの頭上に伸ばし、そっと撫でながら微笑んだ。慈母のように。また妻のように。
「にいさま、しゃんとしてくださいな」
頬を撫でる繊手。しゃがみ込んだアルスタの顔と同じ高さになったクリスの美貌が、まっすぐに向けられていた。
「ねえ? にいさまがそれでは、きっとばれてしまいますわ。わたくしの秘密が」
クリスは珍しいことに苦笑しつつ、こつん、と額と額を触れ合わせた。幼い兄弟同士がそうするように、親しげに、慈しみを以って。
「たった二人の、兄弟ですもの。 わたくしたちは、信じ合わねばなりません」
「ああ。・・・・・・ああ、そうだな」
そうして、アルスタは万感の思いでたったひとりの弟を抱きしめた。
そう、自分の役目はこの最愛の肉親を送り出すだけに留まらない。
贄が乙女ではないという事実を隠し通したまま、血の呪いを全うしなければならない。
弟が妹であると偽ったまま、妹として贄の役割を完遂させなければならない。
竜を欺く。男を女として偽り、災厄を騙してやり過ごす。
その為に、ただ一人の弟を捧げるのだ。

7第1回2番(1/4):2007/08/22(水) 18:24:04
「どうかしら、にいさま」
 クリスはその身に纏ったドレスの裾を掴み上げ、おどけてみせた。
 純白のベール。
 死に装束。
 それは戦場において累々と連ねられた屍に撒かれる石灰のようだ。死が放つおぞましい臭気を覆い隠し、まるでそれが穢れなく麗美で高潔なものであるかのように見せかける。
 誰に?
 その犠牲を強いた者に。
 その屍の上に立つ者に。
 込み上げる吐き気を飲み下し、微笑の仮面を貼り付ける。向けるべき殺意という名の矛先を間違えてはいけない。
「にいさま? どうかなさったの?」
 アルスタはかぶりを振り、穏やかに言う。
「ああ、似合うよ。とても綺麗だ」
「そう?」
 無垢な笑みをこぼすクリス。
「行こう、時間だ」
 間もなく贄の儀が始まる。

8第1回2番(2/4):2007/08/22(水) 18:24:54
「冬は嫌い」
 寝台に横たわるクリスは窓外を見つめながら、独白のように静かに呟いた。
「どうしてだい?」
 今にも掻き消えてしまいそうなほど儚げな雰囲気を纏うクリスを見守るアルスタの瞳は優しげで、その実、奥底に沈殿する様々な想いをおくびにも出さずにいる。その痛みが、その苦しみが如何ほどのものであろうとも。
「早朝の張り詰めた空気、老いた人間の肌のような枯葉が敷き詰められた回廊、色彩を欠いた山々の峰、薄氷を抱く湖の貌、銀色の月、吐く息の白さ。そこここに死の臭いが充満しているもの。だから、冬は嫌い」
 クリス。唯一にして最愛の家族。彼がこの世に生を受けたその日も、今日のように凍てつく寒さが館を包んでいた。そして、母が死んだのもまた。
 アルスタはかける言葉を持たずにいた。
 クリスは外界の光景を曖昧にする露の浮かぶ大きな窓から眼を逸らし、兄を見やると、穏やかな笑みを浮かべた。
「にいさま。わたくしは、本当はどうでもいいのです。他の人々の幸福、蹂躙される世界、そんなものはどうでもいいのです。ただ、あなたが健やかでいてさえくだされば、それだけで」
 ずきり、と、アルスタの胸が悲鳴を上げた。
「だから、わたくしはこの身を捧げます」

 深遠に呑み込まれる手向けの花。
 自らの葬送に立ち会う心情とは果たしてどのようなものであろうか。どれほど願えども覆ることのない宿命に際し、弟は何を想うのであろうか。
 アルスタの隣で静かに寝入るクリスの白く透き通る肌は、まるで屍のようだった。しかし、その金糸の髪を分け、額にかすかに唇を重ねると感じられる温もりが、脈動する魂の存在を確かに伝えてきた。
 胸の鋭い痛みが、己の無力さを責め苛むようだった。

9第1回2番(3/4):2007/08/22(水) 18:25:33
 神官達が朗々と謡う口上は地獄の底を這いずるグールが放つ呪詛のようだった。
 風のない夜。欠けた月の冴え冴えとした光が荒れ果てた中庭を朧に照らし、台座に蠕動する災厄を浮かび上がらせる。そこから、地鳴りを思わせる呻きにも似た鳴動が断続的に起こっていた。
 クリスは眼を閉じ胸の前に両の手を組み合わせ、祈るように台座の袂に跪く。
 口上が途切れ祈祷が始まるといよいよ鳴動は激しさを増し、もはやそれは竜の咆哮そのものだった。醜獪な悪意を剥き出しにした災厄は、咆哮によりその場に居合わせる全ての人間のはらわたを引き裂き掻き乱しぶちまけようとでもしているかのようだ。
「アルスタ様おさがりください!」
 側近の兵が震え上がる声で叫ぶが、アルスタは微動だにしない。
 忌まわしき災禍の種子と、その下に跪く愛しき者の背を見据え、アルスタは身を固く引き絞る。
 果たしてその時は来たり。
 暗雲立ち込め嵐が巻き起こり、稲妻に共鳴するが如き竜の咆哮。何人たりとも傷つけることの叶わなかったその金の繭が亀裂を生じさせる。
 萌芽と結実の時。
 呪いの顕現。
「今だ!」
 アルスタが天に掲げた片腕を振り下ろすと同時にあげた号令と共に、物陰より躍り出す男達。
「うおおおおおぉぉぉ!」
 怒号と共に先陣を切る男の腕には朱一色の剣が握られていた。男の名はメクセオール。アルセスと同じく神代を生き、神殺しと謳われたメクセトの末裔、北方帝国より来たりし騎士。鮮やかでいて禍々しい輝きを放つその剣が、災厄の具象へと、振り払われた。

10第1回2番(4/4):2007/08/22(水) 18:26:14
<絶対智>と呼ばれる科学者がいた。
 孤高にして至高。
 異端にして忌憚。
 彼を狂人と蔑む身の程知らず共も、彼の生涯最後の発明を目の当たりにし、その言葉を失う他なかった。
 完成されたフォルム。威光を湛える究極の美は芸術史を一笑に付し、それまでの人工進化の過程を一足飛びに超越した概念は不可能を可能とした。
 世界は湧いた。我々は新世紀の幕開けを迎えたのだ、と。
 彼らが気づくことはなかった。<絶対智>の手によって開かれたのは、新時代の扉などではなく、パンドラの箱だったということを。
 惑星上の生命を根絶やしたその生体機械――或いはこう言い換えてみてもいいだろう。生体兵器と――は己が身を皮膜で覆い金色の糸で以って包み込むと、星々の海へと出でた。次なる依り代を求めて。

11第1回3番(1/4):2007/08/24(金) 00:09:32
「そこまでだっ! これ以上無駄な血を流すんじゃない!」
 宇宙より飛来した呪いに、神に呪われた男の末裔が挑む。その激突の瞬間に、何者かの声が響いた。
 メクセオール以下、勇士たちは言うことを聞いて止まった。別に言うことを聞いてということもなかったのかもしれない。よく見たら繭はまだ割れていなかったのである。皹が瓦解に成長する速度は予想外に遅かった。これではどの道止まらざるを得ない。
 声のする方向には、何日か前からこの地方を探っていた刑事がいた。
「謎はすべて解けた……この恐るべき陰惨劇の首謀者は――この中にいる!」
 ちょうどそのとき、繭が割れきった。溢れ出るイリュージョンとともに竜がその身を起こす。物理的な色彩を無視してプリズマティックに透き通る虫が花が、海が空が、繭から溢れ竜の身体を伝い、流れ落ち、滴って、地を跳ね返り、消えていく。
 しかし、この美しい光景を見ることができたのはただ刑事一人だった。みんな刑事の方を向いていたからである。気配に振り返るとすでに竜は生まれており、その身体を震わせて、まとわりついていたイリュージョンを飛び散らせる。赤く染まった星空が、渦を描いて埋もれていく大草原が、炎のごとく揺らめいて立ち上る水が、雪の結晶にその身を住まわせた氷細工のような蜘蛛が、あまたの不可思議な光景やその断片が、あたりに振りまかれ、記憶に刻む間もなく霧散する。
 多かれ少なかれ、誰もが、どうせなら誕生の瞬間を見たかったと思った。だが、そんな感傷には無縁と刑事は話を続ける。この毅然とした態度は、自分はちゃっかりその光景を見ていたからとも言えるだろう。
「そっちの竜も、動くんじゃねえぞ。人を殺したとなりゃ、世界一と言われる北方警察が動く。いくら竜ったって逃げ切れるもんじゃねえ」
 そう言われ、竜は静かにしていた。これも別に、そう言われということはなかったかしれない。竜は窮屈な繭から出たばっかで、からだをほぐしたりしながら休んでいたかったのだ。ろくに話も聞いていなかったというのが正直なところではないだろうか。
 刑事はしかし、この場における自分の掌握力に気をよくし、タバコに火をつけながら不敵な笑みを浮かべた。
「さて、役者はそろった。聞かせてもらおうか、アルスタさん。なぜ生前葬なんていう芝居を打ったのかをな」

12第1回3番(2/4):2007/08/29(水) 19:01:47
「芝居か。貴様から見れば、そうなのだろうな」
 アルスタが口の端を歪めながら答える。
「そうとも、確かにお芝居さ。だが、それで何が悪い。クリスのために、ほかに何ができた」
 そう言ってアルスタは刑事をにらみつけた。これで言い返したつもりである。今度は刑事が答える番だと、そう思っていた。
 刑事の方としては、これは答えになっていなかった。だからこれは前ふりで、まだ続きがあるのだろうと思っていた。
 それでふたりとも黙っていた。お互い相手が話す番だと思っているからだ。そうこうしているうちに、刑事のタバコが燃え尽きた。
「それで」
 刑事が尋ねる。
「それでとは」
 アルスタが聞き返す。
「あの」
 そう言って一歩進み出た男がいた。名をソルダスと言う。メクセオール率いる44勇士の中でも、空気を読まないことでは右に出るもののいない男である。
「刑事さんは、芝居っていうのをアリバイ工作とかカムフラージュとか、そういう意味で言ったんじゃないんですかね。それでアルスタさんの方は、生前葬っていうのが、本物の葬儀を真似たというか、本物の葬儀に対して演じられた葬儀と、そういう茶番劇みたいな意味で受け取ったんじゃないんですか。そこ、もうちょっと話し合ってみたらと思うんスけど」
「すまん、もう一回言ってくれ。アリバイとかカムフラージュあたりからよく聞こえなかった」
 刑事が要求した。ソルダスは滑舌が悪いのである。
「いや、だからっスね。あなたが言いたかったのは、なんでそんなアリバイ工作かカムフラージュかわからないけど、そういうことをしたのかって、そういうことですよね。自白をするようにと、そう要求してるんだと思ったんスけど。でもアルスタさんは、本物の葬儀でなくて生前葬なんていう、まあ言ってみれば、これは葬儀を演じてるわけですよね。つまり、『どうして生前葬なんてやったんだ』っていう言葉の意味でとったっていうか。だから、その本物の葬儀に対して演じられた葬儀という意味で芝居、っていう言葉を使ったんじゃないかって、そうアルスタさんは捉えたんだと思うんですよ」
 場が静まりかえった。一生懸命歯切れよくしゃべろうとしていたものの、後ろの方になればなるほどしゃべり方は素に戻っていき、ただでさえ聞き取りづらいのに、文法が錯綜しているのだからなおのことわかりづらい。神官や勇士たちの注意がだんだん散漫になっていった。一挙動ごとにこの世の不可思議をその鱗に映し出す竜の方に視線が集まっても仕方がないことであろう。
「えーとだから、もしかして、アルスタさんはぜんぜん、身に覚えがないんじゃないんですか。その、芝居、っていうのはアリバイ工作とかそういうことを言いたかったんだと思うんですけど、ぜんぜんそういうつもりで言われてるのがわかってない。刑事さんとアルスタさんとで、話の前提がもうかみ合ってないんだと思うんですけど。そこのとこどうッスか、メクセオールさんとか」
「どうっつわれても」
 メクセオールはたじろいだ。なんでこの男は刑事に任せておけばいいような範疇のことをうにうにしゃべっているのだろう。
「それより、竜はいいのか。もう繭も割れてるが」
 だいたいソルダスの言っていることの半分もよくわかってなかったメクセオールは、話を逸らした。竜は両前脚を交差させ、背中を曲げてかがみこんでいる。ストレッチをしているのだろう、とメクセオールは見当をつける。ストレッチは筋肉をごく短時間的には筋肉を消耗させる行為だ。ましてやこの寒い屋外では筋肉を傷めかねない。無防備に首をさらしてもいる。今は好機と言えば好機だ。
 とはいえ、ストレッチによって血行がよくなり、身体の機能性が高まるのもまた事実ではある。竜族における超回復のサイクルや、その度合いはどの程度のものであろうか。結局は誤差の範囲にとどまるのかもしれない。どちらにせよ言えるのは、今目の前で筋を伸ばしているきらきらした生き物はまるで無害に見えるということだ。
「俺は遠路はるばる、このきらきらしたかわいい生き物を殺しに来たのか、見物に来たのか、どっちなんだ」
 何を言ってるんだろう俺は、とメクセオールは思う。皮肉たっぷりに言ってやるつもりだったのが、言い出してみるとそんなにうまいことを言っている気がしない。言い終えた後の沈黙が気まずいので、誰か早く何かしゃべってくれないかと思う。
 アルスタはアルスタで考えあぐねていた。そういえば、この竜を当代の災厄だと決め付けたのは誰だったろう。もしかして自分の思い込みだったんじゃないだろうか。
 ふたりは数瞬の間、互いに険しい顔つきで睨み合っていた。と、アルスタは視線を刑事へと向けた
「この竜は、人語が通じているのだろうか?」
 やっぱり話を逸らしていた。

13第1回3番(3/4):2007/09/02(日) 23:19:57
必死に彫刻に打ち込んでいる

14第1回3番(3/4):2007/09/02(日) 23:20:43
 刑事はいらっときた。話を逸らされまくった上に、聞いた話と関係ない話を自分に振ってくるからである。
 アルスタもまたいらっときた。刑事が、取り調べは公務なのに対し、竜だの贄だのは個人の問題に過ぎないと言い出したからである。
 メクセオールもまたいらっとした。竜が暴れて死にでもしたら公務も個もない、との当たり前の意見に、「そんなもん怖がってたら刑事の仕事は勤まらない」と、人を臆病者みたいな言い方で返されたからである。
 ソルダスは面白がっていた。3人の言い分をよく聞いて、誰が間違っていてどうすればよいかを解き明かし、みんなの尊敬を得ようと頭を働かせていたのである。
 しかし、3人のいらつきもソルダスの面白がりも中断された。
 竜が演説を始めたからである。
「こんにちは。先ほどまで、あなたたちの言語パターンを解析していました。私たちの言葉は通じていますか。
私たちは、はるか星の海を越えてここまでやってきました。遠くにあるから小さく見えますが、あの星の一つ一つが、実は巨大な大地なのです。私たちはあの中の星の一つからやってきました。“絶対智”と呼ばれる偉大なる科学者によって使わされたFar-Sonarです。
あの星々の光は、何万年も何億年もの時間をかけてここまでやってきます。それほどにこの空の距離は遠いのです。
 しかし私たちの故郷の技術力は、光の速度を超越しました。“絶対智”さまは、この技術を応用し、宇宙に放たれたはるか古代の光を先回りする計画を立てられました。そしてあなたたちがまだ存在も知らない第二、第三の光やそれに類する要素をも観測の視野に入れ、【人類】の英知の結晶――WayBack Machineが完成したのです。WayBack Machineの端末である私たちは、星の海にアクセスすることで、この身に宇宙の歴史を映し出すことができます。
 あなたたちは何か、過去に起きた事柄の真偽について言い争っていたのではないですか。場所と時間を指定してくれれば、私たちがお役に立ちましょう。
 私たちは宇宙の隅々にまで情報の絶対の共有をもたらすために旅してきました。ゾートさまは情報の格差が世の多くの争いごとの原因だと考えられ、私たちを使わされたのです。大ゾートに栄光あれ」
途中、二度三度、ちゃんと通じているかを確認し、何度か不慣れな言葉ゆえの不適切な言い回しをソルダスと刑事に訂正されたりしながら、およそこんなようなことを竜は話した。
 体にまとったイリュージョンにこの場にいた神官や勇士たち自身の姿を映し出しながらのことで、説得力は十分にあった。だれよりもまず説得されたのがソルダスだ。
「ほんと、俺からもお願いしますよ、刑事さん。この……竜、さんの言うとおりなら、誰が犯人にせよ、はっきりすることですし。冤罪、ってのがほんと我慢ならなくって、俺。無実の罪なんかで人生棒に振ったやつ見てると、ほんと、やるせなくなってきますよ。そういうやつを、何人も知ってるんです、俺。みんな友達なんスけど」
 実際、そんな友達はソルダスには一人しかいなかった。しかし、「何人も」という響きは説得力がありそうだったので誇張して話した。
 刑事はそんなことはどうでもよく、なんでもう俺の捜査が冤罪だって決めてるんだよと、ただただいらいらしていた。

15第1回3番(4/4):2007/09/09(日) 23:01:17
「どうやら、話も長くなりそうです。館へご案内しましょう」
 そう言ってアルセスは、アルスタの踵を返した。
 双子の兄であるキュトスを殺した罪で光の父アレから呪いを受け追放されたアルセスは、2300年前にこの地に流れ着き、一族の祖となった。
 子々孫々71代に渡って己の血を引く娘を殺してその血をすすり、キュトスを失った母の悲しみを汝も負うべし。それが、アレによってかけられた呪いだった。
 アレの誤算は、アルセスがそんなことに頓着していなかったということである。はじめから屠るつもりで、アルセスは娘を育てた。
 一人目の生け贄の時点でアルセスの陰謀に気づいた最初の妻、エアルによってアルセスは殺されたが、人の子の種族であるエアルらにはアルセスたち闇の種族の力は計り知れなかった。彼はすでに、息子の中に魂の胞子を植えつけていたのである。これを根絶しない限りアルセスが滅ぶことはないし、どこからでも再生ができる。
 以降、一族の男子の背後に宿ってアルセスはこの地を支配してきた。そう難しいことをしてきたわけではない。ただ、ときおり宿主の目を塞いでやるだけのことだ。娘を生贄にする以外の可能性に、思考がアクセスしないようにする。あるいは、それが途方もなく不可能めいたことであるように思わせる。そうして、それ以外に道がないと誘導していく。
 竜を災厄と見做したのも同じことだ。娘殺しを演出できるならなんでもよいのだ。10人の博士を呼ぶときにも、能力の高すぎるものは選択肢から外している。
 竜とメクセオールの争いがはじまれば、アルスタにクリスを匿わせるつもりだった。それで竜が勝つならそれでよし。目撃者が残らないなら、アルスタの意識の隙を突いて、自分でクリスを殺せばよい。あとで言い訳は何とでもなる。メクセオールが勝つとしても、死に際に竜が放った呪いだかなんだか騒げば、クリスが死んでいても誰も不思議がりはしないだろう。
 生前葬もまた同様だった。アルセスはその日、シャーロームの森に石板を確認しに行きたかったのだ。森へ行く理由さえつけられればよかった。アルスタは、用を足すために道を外れ、偶然石板を見つけたのだと思っている。だが道中で尿意を催すべく朝から水分を多量に採ったのも、石板付近までは何となく我慢していて、ちょうど石板付近で我慢できないと判断したのも、アルセスが後ろで操っていたことなのである。アルスタは自分の知らない文字の不可思議な図形に見入っていたと思っているが、その後ろでアルセスははっきりと文意を読み取っていた。おそらく、刑事はこの姿を目撃しているのだろう。本来であれば太祖アレの直系であるアルセスにとって、定命の人の子らなど相手にもならないだけの力を持っている。だが、最後の生贄であるクリスの血をすすり、真の力を蘇らせるまではアルセスは無力なアルスタに過ぎない。
 太古からの存在であるアルセスにも、ここで現れた竜は未知の存在だった。この竜の言うことが事実であるとすれば、光の届く範囲での情報はすべて握られていることになる。「私たち」という言いぶりからすれば、この竜一体を始末したところで、後から仲間が駆けつける可能性もある。「第二、第三の光に類するもの」というのが何を指しているのかはわからないし、それが光だけでは不十分な情報を補うためのものであるとしたら、結局のところ、館に入ったところでどうにかなるものではないのかもしれない。それでも光の遮断が何かにつながるかもしれないし、中へ連れ込んでからうまく情報を引き出せば、その後の足跡を完全に消すこともできるかもしれない。
 もうひとつ、アルセスには気になっていることがあった。結局はアルセスの計画に取り込まれたとはいえ、ヘルモンドの当主が生贄の習俗に抵抗したことなどはじめてだった。アルスタと手をつないで館へと引き返していくクリスへと視線だけを落とし、アルセスは思い出す。
 最果ての二人、か。

16第一回4番(1):2007/09/24(月) 22:30:35
「最果ての二人か……」
 モニターの向こうの世界を見ながら、その背の高い、ピシっと着込んだ黒のスーツの上から白衣を羽織った、端正な顔立ちの、短く髪を切り込んだ女は言った。
 モニターの向こうにある世界は現実世界ではない。超高速並列処理コンピューターで作られた、まるであたかも本当にそういう世界があるのように精密に計算された擬似世界だ。
 「PANGEON」、それがそのシステムの、そしてその世界の名前。
「あの……」
「ん?」
 恐る恐る口を開いた研究助手に、彼女は無表情にゆっくりと顔を向ける。
「大変に申し上げにくいのですが、これ失敗なんじゃ……ないかな、と……」
「何故、そう思う。シナリオは半分も進んでいない」
「いや、どう考えても展開に無理があるじゃないですか。展開に脈絡とか無いし」
 やれやれ、そんなことか、と彼女は首を振る。
 もっと高尚な理由での失敗を指摘されるとばかり思っていた彼女には、その質問は拍子抜けする、というより愚問だった。
「当たり前だ。テレビのバラエティ番組を見ながら左手で書いたシナリオだからな」
 彼女はそう言って、煙草を咥えて火をつける。
 「場内禁煙」というプレートは彼女の視界には見えていない、というより端から無視らしい。
「いや、それじゃ駄目じゃないですか。失敗したらどうなるか……」
「『星見の塔』は資金を絶たれて解散だな」
 こともなげに彼女は言う。
 『星見の塔』というのは、とある富豪の資金提供の元に世界各国から最高の知能を集められて結成された医療研究チームだ。集められた専門家は医療に限らずIT分野、ナノマシン分野、メカトロニクス分野等々様々な分野に亘る。だから、「PANGEON」のようなシステムも自前で開発できたわけだ。
 ちなみに、現在そのトップである意思決定機関『キュトス』は奇しくも71人の女性で構成されており、『キュトスの71姉妹』と呼ばれている。そして、彼女、ヘリステラもその一員にして最高議長という地位にあった。
「まぁ、何事にも終わりはあるということさ……それにしても、生涯独身を通した爺さんがたった一人の血の繋がらない娘に入れ込むとはな」
 そう言って、彼女はモニターの後ろに視線を動かす。
 そこには、白い肌の一人の黒髪の少女がベットに横たわっていた。
 その美しい顔立ちと、華奢な身体、儚げな雰囲気はさながら童話の「茨姫」だった。
 だが、その茨姫に異様な点があった。
 それは彼女自身にではなく、彼女の周囲にだ。少女の身体には点滴を初めとして、様々な機械・器具から伸びたコードが所狭しと、まるで彼女を拘束するように繋げられていた。

17第一回4番(2):2007/09/24(月) 22:31:58
「美にしてグロテスク……」
「は?」
「彼女の姿さ。あれを見て、そう思うだろう?」
 そう言って彼女は顎をしゃくる。
 確かに、彼女は美しかったが、彼女に繋がる巨大な機械も彼女の一部と考えれば、それはグロテスクな姿だと言えた。
「あの仰々しい機械さえなければ『眠れる森の美女』ですよね」
 そういう彼に、ニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべて「君の好みのタイプかい?」と彼女は聞いた。
 「いえ、そんな……」と、研究助手は慌てたように否定したが、ヘリステラの全てを見透かしたような目を見て諦めたのか、「素直に言えばそうです」と答えた。
「でも、私に限らず『星見の塔』の男性職員の大半がそうですよ。知ってますか?、実はファンクラブまでできているんです」
「まったく、君といい、あの爺といい、どうして男って奴は……」呆れたようにヘリステラは肩を竦めた。「ま、おかげであの国には他にも沢山の同様な立場の孤児達がいたのに、彼女は今日まで生き延びれてきたわけだ。まさに夢の中でね」
「『ヘルズゲート動乱』ですか」
 ヘルズゲート動乱というのは数年前にアジアの小国で起きた内戦のことだ。本来、小規模なクーデター未遂事件で終わるはずだったその事件は大国の介入、そして武器商人達の格好の商品のデモンストレーション場となったことから、さながら地獄の門をひっくり返したような大動乱へと発展した。そのさながら地獄絵図を具現化したような様を見て、人は『ヘルズゲート動乱』という捻りの無い名前をその内乱事件につけた。そして、彼女はその事件のせいで難民になった被害者だった。
「難民キャンプの難民にまで武器を売りつけたというのだから、武器商人の商魂逞しさには呆れを通り越して敬意すら払うよ」
「そして、その武器で難民達までが殺し合い、彼女の両親や家族もその武器に殺されたというわけですか」
「彼女の目の前でな」そう言ってヘリステラは煙草の煙を吐き出した。「挙句、その後で暴行までされたというじゃないか。当時11歳の小娘をだぞ」
 本当はもっとおぞましいことが彼女の目の前で繰り広げられ、もっとおぞましいことを彼女がされたことをヘリステラは知っていたが、あえてそれを口にはしなかった。別に研究助手や馬鹿なファンクラブを作って盛り上がっている男達の夢を壊さないためではない。同じ女性として同情したからだった。
「彼女はそのショックで全てをこの世界から閉じた。そして自分の内面に世界を作ってその世界へと閉じこもった。我々がハザーリャ症候群と呼ぶ精神の病気にかかったわけですね」
「そして、それをあの爺……まぁ、我々のスポンサーなわけだが、マグドール卿が見つけてきたわけだ」
 世界有数の富豪にして『星見の塔』の出資者、それがマグドール卿だった。
 復興事業の受注のために同国を訪れた彼は、難民医療センターで彼女を見つけ『保護』したのだった。
 彼女を『保護』したマグドール卿は『星見の塔』に彼女の治療と彼女を正気に戻すことを依頼した。しかし、『星見の塔』の意思決定機関『キュトス』があらゆる方面から治療方法を検討した結果出した結論は「肉体の治療は出来ても、精神の治療はこの世界では無理」というものだった。
 そう、確かに「この世界」ではそれは不可能なことだったのだ。
「だが、彼女に別の世界を与えてその世界の住人として正気を保たせることは可能、というのが我々の結論だった。爺は怒るだろうな、と思ったんだが、まさか『それなら幾らかかっても構わんので彼女にその世界を与えてやれ』なんて言ってくるとは予想外だったよ」
「金持ちのやることなんて我々庶民には分からないってことですよ」
 ブルジョワジーへの僻み半分で、研究助手は言う。
「まぁ、それで我々は『PANGEON』を構築して彼女に接続した。彼女の見ている夢をよりリアルに補完して、彼女が望めばどこまでも行ける世界を一つ作り上げて与えたわけだ」
「しかし、それは同時に我々が監視・制御できる縛られた世界でもあるわけです」
「それはそうだ、彼女が間違えて『世界の破滅』を望んでみろ。『PANGEON』の世界だけでなく、彼女もまた消滅する。『PANGEON』は彼女の思考と意思そのものなのだからな。だが、実のことを言えば、彼女がそう強く願えば我々は彼女を止めることはできない」
「彼女のロール・プレイ、つまり『PANGEON』の世界において、彼女が誰の役割を果たしているか分からないから、ですね」
 そう、過剰なまでに精密に作り上げたこの世界が構築されるより以前、世界の構築のために彼女の深層心理への解析侵入を試みた段階から彼女の作り上げた世界には何人もの登場人物がいた。そして、世界の核となる人物、つまり彼女自身が演ずる主人公が誰だかは結局解明できなかったのだ。

18第一回4番(3):2007/09/24(月) 22:32:59
「全く、『キュトス』に文系人間を入れなかったことをこれほど後悔したことは無かったよ。彼女は『PANGEON』による世界創造以前から自分の中に一つの世界を作り上げていた。それもわりと広大なね。そしてその世界には多数、実に数万人を超える登場人物がいた。結局中核人物を特定できなかった我々は、その時点での中核人物の特定を諦め、『PANGEON』の構築を優先した」
「そして現在までの研究結果の末、中核人物の候補者として特定された人物が彼らというわけですね」
 「うむ」と答えて、ヘリステラの視線は再びモニターへと戻る。
 モニターの中では、アルセスという男を先頭に登場人物達が歩いていた。この登場人物達の一人が、彼女の作り上げた世界の、そして物語の核、彼女自身だ。
「教授はショックを与えて、彼女をこの世界から出そうと考えているのではありませんか?」ふと、助手が口を開いて言った。「物語を破綻させて、そのショックで彼女をこの世界から引きずり出そうと考えている。違いますか?」
「だったら、どうする?」
 ヘリステラは助手の言葉を否定しなかった。確かに、それが彼女のシナリオだったからだ。多少乱暴な手だと自覚していたが、彼女達『星見の塔』には時間が無かったのだ。
「出来れば彼女をこのまま彼女の一生を夢の中で終わらせてやりたかった。彼女自身が紡ぐ物語の中で終わらせてやりたかった。だが、『この世界』の現実がそれを許してくれなかった。まったく、あの爺が不死身じゃなかったとはね……」
 マグドール卿の持病が悪化したのは1ヶ月前のことだった。『星見の塔』の総力を上げた治療にも関わらず、マグドール卿の病状は次第に悪化していった。そして、最長で余命半月というのが『星見の塔』がマグドール卿に下した診断結果だった。
「そして、マグドール卿は弁護士を通じて遺言書を作成した。その遺言書の内容は自分の財産を彼女に相続者させるということ。当然のことながら他の遺族達はこぞってこれに反対だ。まぁ、無理は無いな、彼女は『この世界』の住人ではないのだから。そして遺族や関係者による協議の結果は……」
 マグドール卿が他界するまでに彼女がこの世界で正気に戻ったのならば遺言は履行される、もし正気に戻らなければ遺言状の内容は不当とみなし破棄、財産は親族による運用委員会で運用される……それが親族達の協議の結論だった。
「もし、マグドール卿が亡くなるまでに彼女が正気に戻らなければ、『星見の塔』への出資は最悪打ち切り、そして良くても大幅減額だ。とてもじゃないが今のような研究を続けるのは無理だろうよ。もちろん、『PANGEON』の運用もな」
「マグドール卿の親族は、みんな元々『星見の塔』への出資に反対してますからねぇ」
「彼らが欲しいのは短絡的に富を生み出す産業研究機関さ。我々のような人類のための福祉研究機関なんかじゃない」
 それは事実だ。元々『星見の塔』が創設されたのは、武器商人として莫大な富を稼いだマグドール卿の世界に対する贖罪としての側面もあるのだ。だが、そんな老人の贖罪など、これから生きていく若い世代の人間には何の意味ももたない。
「だから急いで彼女を目覚めさせようという教授の考えは分かります。しかし、これは『北風と太陽』という童話で例えれば、北風が旅人のマントを剥ぎ取ろうとする行為な気がするのです」
「では、君は他の方法があるというのかね、デフォン君」
 そこで初めてヘリステラは助手の名前を呼んだ。「3日下さい」と助手、デフォンは答える。
「3日あれば教授の理論を確実な方向に、『北風と太陽』で言うところの『太陽』に是正できると思います」
「良いだろう、シナリオは50%進行を遅延させよう」
 ヘリステラは答える。それはこの助手を信頼してのことだった。
「次期『キュトス』の一員の候補と目される君の実力を拝見させてもらおうじゃないか」

19第一回4番(4):2007/09/24(月) 22:35:34
 「それで、私の所に相談しに来たの?」
 古い書籍やら遺物やらが無造作に散乱した薄暗い研究室で、カールした美しい髪が特徴的な女性、アンリエッタが言った。
「言っておくけど、私の専攻は医術考古学で文学じゃないのよ」
「分かってますよ」デフォンは肩を竦める彼女に言った。「でも、この研究所の中では貴方が一番文学に近い」
「まぁ、外科研究よりは近いわね。それで、ヘリステラ教授の書いたシナリオを見せてくれない」
 そう言って、デフォンからシナリオの入ったメモリカードを受け取ると、ケースの上に大量に書類が積んであるマシンにメモリカードを差し込んでファイルを実行させる。
「なるほど……ね」
 アンリエッタは空いている手でクルクルと器用にボールペンを指で一回点させて、マウスをカチカチと操作しながら呟いた。
「ヘリステラ教授、左手で書いたって言っているけどそんなことないわね。ちゃんとシナリオの最後にはだれが核か分かるようになっているわよ。これは非常に高度に計算されたシナリオだわ」
「でも、『北風』ですよ、これでは。もし彼女を無事にこの世界に戻すことが出来ても……」
「後遺症は残るでしょうね」
 アンリエッタはボールペンで頭を書きながらこともなげに言う。
「私としては、後遺症なしで彼女をこの世界に戻してあげたいんです」
「……無茶を言うわね」
「無茶は覚悟の上です」
 真顔でそう答えるデフォンの顔を見て、「ははぁ」とアンリエッタは悪戯っぽく顔を歪める。
「惚れちゃったんだ、あの娘に?」
 アンリエッタの言葉に視線を逸らしたままデフォンは何も答えない。それは彼女の言葉を肯定しているようにも否定しているようにもどちらにもとれた。
「まぁいいわ、協力してあげる。まずは誰がこの話の核かをシナリオが75%まで進行するまでに探し出すことね。ヘリステラ教授に言って。シナリオの進行の遅延を50%じゃなくて30%にするようにね」
「それじゃ」
「明日から私も立ち会うわ。哀れなシンデレラをお姫様に変えた魔法使いじゃないけど、叶えてあげるわ、貴方の願い。でもね条件があるわ」
 キョトンとするデフォンに、口元を緩めて彼女は言う。
「シナリオの書き換え、そして彼女が目覚めた後のハッピーエンドは貴方が作りなさい。そして彼女にあげなさい、最高のシナリオと最高のフィナーレをね」

20第一回5番(1):2007/10/08(月) 06:15:59
 いつものように研究室に泊まり込むつもりだった。けれど、そろそろ日付が変わるという段になっていきなりアンリエッタがやってきて、開口一番、
「帰れ」
 の一言。
 当然デフォンは反発した。
「どうしてですか。『ハッピーエンド』を作りなさい、と言ったのはあなたでしょう。正直あの言葉で凄く励まされたんですよ」
「ふうん。で? うだうだうだうだうだうだうだうだと考えていて、なにか良いアイディアは浮かんだの?」
「それは、その」
「そりゃあ、アイディアを考えるためだけじゃなく、彼女に関する雑務をするため、っていうのもあるんでしょうけど。でもね、雑務だったら他の人でも出来るでしょ。あなたは、もっと他にすべきことがあるんじゃない?」
「すべきこと……というと?」
「それは、自分で考えなさい」
 にべもなかった。
 その後もしばらく抵抗していたけれど、結局追い出されてしまった。仕方がないので夜の街をあてどもなく歩いた。『キュトス』の研究所は首都から離れた学究都市にある。繁華街なんてものは殆どないし、都市部を一歩抜けると田圃や畑しかないような、正直言って僻地だ。夜ともなると辺りは真っ暗。並ぶ街灯に集う虫もそろそろ減ってきた。道は静まり返り、風は硬く身体を軋ませる。もう秋だな、とデフォンは思う。
 彼女の姿の意味も彼女の世界の意味もアンリエッタの言う意味もなにもかもわからないまま考えは少しもまとまらず、結局寮に戻ってきてしまった。周辺の学生のための大規模な下宿、といった感のある、大きいことには大きいけれど愛想も風情もないようなつまらない建物だ。灯りの落とされた薄暗いロビーを抜け、同じように薄暗い食堂にさしかかったとき、青白い光が見えた。彼は馴染みのその顔に話しかけた。
「ケルネーさん」
「ん」
 ディスプレイから顔を上げたのは若い女性だ。中途半端に長い髪をこれまた中途半端な位置で結んでいる。彼女はなんだかぼうとした顔つきだったけれど、やがて目の焦点が合ってきた。
「ああ、デフォン君か。珍しいね」
「また、小説でも書いてるんですか」
 彼女はそれには答えず、ただうん、と伸びをした。デフォンは彼女のはす向かいに腰を下ろす。
「そうだ、文学といえば、あなたも文学ですね」
「うん?」
 デフォンは事情を話した。彼女のこと、ヘリステラ教授のシナリオのこと、アンリエッタとの会話。
「あーそういう意味なら違うよ。私のは全然そういう本格的な文学とかじゃないし。今書いてたのも単なる旅行記だし。そもそも大学は中退したし、当時も専攻は数学だったし、『キュトス』の事情もよくわからないし」
「でも、物語は好きでしょう?」
「いやまあ。うん。……うーん。それに、そのシナリオを見せてもらわないことにはどうにもならないし、そういうの、部外者には見せちゃいけないんでしょ?」
「あなたは完全な部外者とも言えないでしょう。一度はキュトスに招聘された身だ」
「でも断った。今は無関係だよ」
 彼女はほうとため息を吐いた。デフォンとしては藁にもすがりたい思いだった。彼が更に口を開こうとしたとき、男の声がそれを遮った。
「いいんじゃないかな、見ちゃえば」
 びくりとして振り返る。
 一つ離れたテーブルから、まだ若い男がデフォンたちを見ていた。突っ伏して眠ってでもいたのか、前髪が妙な撥ね方をしている。いくら食堂の灯りが控えめとはいえ、どうして今まで気付けなかったのだろうとデフォンは思う。まるでこの瞬間、どこか別の世界からふっと抜けだして来たみたいだと思った。ケルネーは男を見ないままそっけなく言う。
「有瀬。盗み聞きはどうかと思うなあ」
「アリセ?」

21第一回5番(2):2007/10/08(月) 06:17:42
「そう。有瀬昴。こいつの名前」
 有瀬は肩を竦めた。相変わらず冷たいねえ、と小さく呟いていた。その癖全然悪びれたところがない。口元には薄い笑みが張りついていて、策略に長けたピエロ、といった風情。彼には申し訳ないけれど、あまり良い印象ではないな、とデフォンは思う。
「ええと、初めまして……ですよね。春から住みはじめた方ですか? 僕、あんまりここに帰ってこないもので……」
「そうですよ、春から。あなたは『星見の塔』の一員なんですってね。ケルネーさんから噂はかねがね」
 どんな噂だろう、と思いデフォンはケルネーのほうを見遣るが、彼女はわざとらしく目を逸らしている。食えない人だ。
「で、もうこの際三人で見ちゃったらどうかと思うんですけど。だって、今まで『星見の塔』内部のメンバーでいくら考えてもどうにもならなくて、それで外部の人なら、って思ってるんじゃないんですか、デフォンさんは」
「む……まあ……」
「それならその外部の視点は多いに越したことはないんじゃないかな、と」
 そう言われてもデフォンとしてはこの研究に関することをあまり大勢に見せたくはない。ケルネーのことは良く知っているし、口の固さも信用している。けれど、この男はどうだろう。ちらとケルネーを見遣る。彼女はデフォンの懸案を察したようだった。
「大丈夫。彼は、信用できる男だよ」
「そう……ですか」
 有瀬は相変らずにこにこと笑っている。デフォンは迷った。ヘリステラ教授には『三日』と宣言してしまった。自分でも、強気に出すぎだと思う。この一刻を争う状況で、なりふりなど構っていられないのではないか。そもそも『星見の塔』の研究に明確な守秘義務があるわけではないのだ。他企業や他研究室と争うような類のことではないし、研究内容が盗まれて困るようなこともない。
 意を決した。パチリと、鞄の蓋を開けた。
「わかりました。このファイルを見て下さい」
 彼は二人にシナリオを見せ、説明をはじめた――

 コーヒー二つとアイスティー一つを自販機で買った。当然デフォンのおごりで、それくらいは当然のことだと彼自身も思う。上手く両手を使って三つのカップを掴み、元のテーブルに戻って来るころには二人ともすでにシナリオを含めた資料全部を読み終えていた。腕を組んで天井を見あげるケルネーの前にコーヒーを、口元に手をやり俯いている有瀬の前にアイスティーを置き、デフォンは席に付いてコーヒーを一口啜った。熱さが胃に染みた。
 ぼんやりとした口調で、ケルネーが呟いた。
「無茶なシナリオだね」
「無茶っていうか、破綻してる気がするんですけど……」
「破綻、って、言い切ってしまうのはどうだろう」
 ケルネーはデフォンに向きなおり、一口コーヒーを啜った。むせた。
「だ、大丈夫ですか」
「……ごめ、ちょっと熱かった……」
 しばらくげほげほやっていたら落ち着いたようだ。この人もしっかりしているんだか間が抜けているんだかよくわからないとデフォンは思う。彼女はふう、と息を吐いてから、再び話しはじめた。
「要は、破綻しているように見える箇所がシナリオの後半で回収されれば良いんでしょう。そうしたら破綻は破綻じゃなくなる。それに、破綻の回収によって、核となる人物も見えてくるかもしれない。まず、そこを明瞭にしましょう」
「破綻箇所……てことですか」
 ケルネーは頷いた。デフォンはシナリオの内容を始めから辿りなおす。ケルネーはいつの間にか開いていたメモ帳にペンを走らせながら喋りはじめた。
「その一。どうして繭は災厄とわかったのか。学者が調べてもわからなかったのに、どうして竜の繭ということと、それが災厄をもたらすということだけは知られていたのか」
「それは、後に判明しているように、アルスタの中にアルセスが居たからじゃないんですか」
「うん、アルスタにとってはそうだろうね。でも、アルスタ一人が周囲の人間に説明して、それで本当に皆が納得すると思う? いきなり現れた妙ちきりんな繭を指して、『これは竜族のものだ、忌しい慣習に基づき私の美しい弟を差し出さねばならぬ――』なんて。気でも狂ったと思われるほうが普通じゃない?」
「それを言うなら、竜族の定義も曖昧ですね。竜族というものが一般に知られているという風でありながら、あれは宇宙から飛来した未知の生体機械であるという記述も併存している」
「そう、それも疑問。しかし、破綻とまではいかない。単に未知のものを、それに近しい既知のものの名で呼んだだけかもしれない。そこは保留して、二つ目の破綻。いきなり現れた北方警察のあたりだね」
「ああ……なんの伏線もなく出て来ましたよね……」

22第一回5番(3):2007/10/08(月) 06:18:54
「あの刑事がどうしてあれを『惨劇』と呼んだのか。彼の定義するところの『犯人』とはなんなのか。そもそも、数日前か調査していたらしいのにどうしてあんなにも認識や前提知識の差が出てきてしまったのか。もっと言うならそれまで世界的な災厄という風に言われていた『竜』がどうして『殺人事件』なんていう個人レベルのものにまで落とされているのか。どうもね……変な違和感がある。作為を感じる」
 デフォンは考え込んだ。あれは単にヘリステラ教授のシナリオがいい加減だっただけだと思っていたのだけれど、違うのだろうか。
「三つめ。いきなり出てきた『石板』。あれはなんなんだろう。アルセスが石板を確認したくて生前葬を行った、と言われていたけれど、その内容って何だったんだろう。それから『最果ての二人』……」
「あんまりにも、バラバラですね」
 それまで黙っていた有瀬が呟いた。
「これ、本当に回収する気ですか?」
「回収しないとヘリステラ教授のやり方のままになってしまう。物語破綻の衝撃なんてものじゃなく、もっと穏かに彼女の目を覚まさないと……そのために、まずは中核人物の特定を……」
 ふうむ、と有瀬は考えこむ。ぽつりと、言う。
「そもそも、中核人物なんて、居るのかな?」
「え? だって、居るからこそここまで彼女の世界を整備して、シナリオを誂えて、ってやってきたんですよ」
「いや……だって、彼女が演じてるのが特定の人物である必要なんて、全然ないじゃないですか。夢みたいなものなのでしょう、あの世界。夢の中だと、視点人物なんてしょっちゅう入れ替わったり、複数人だったり、道端の樹だったり、形のない、視点だけの存在だったりすると思うんですけど。でも、今言いたいのはそういうことじゃなくて、彼女って我々なんじゃないかってことです」
 デフォンは戸惑った。有瀬は何を言おうとしているのだろう。
「意味が、わからない」
「ええと……。視点イコール彼女、とするなら、視点である我々イコール彼女、としてもいいんじゃないかな、って」
「視点を彼女と揃えたのは『PANGEON』をそういうふうに作ったからであって、当然のことなんじゃないでしょうか。それに『PANGEON』はあくまで彼女の夢であり作られた世界なんだから。夢の中での彼女を探しているのに『それは我々だ』、なんて、階層を混同してしまっている」
「うん……と。でも、彼女の世界は『星見の塔』が出来るより以前からあったんでしょう? こうして、シナリオどうこうとか穏便に外の世界へとか話していると、まるでここが彼女の世界に対するメタ世界のように思えてくるんですけど……もしかしたら、逆かもしれない」
「逆?」
「むしろ『星見の塔』のほうが、彼女の世界に一々影響を受けている気がします。もしかしたら、『星見の塔』だけじゃないのかもしれない。彼女の世界こそが、僕らの世界に対するメタ世界なのかもしれない」
「でも、そんなことを言い始めたらキリが無い。つまり、影響を受けているというのならそれは観測者の側だ、っていうことでしょう? だから観測者の側こそが『作られた世界』だって。けれど、そんなのはどんな物語に対しても展開出来る論だし、意味がない」
「意味がない……ですか」
「そんなことを論じていたって、彼女を助ける手が見えてくるとは……」
「デフォンさん、シミュレーション・アーギュメントって、知ってます?」
 誰かがそんなことを話していたような気がした、というだけで、正確には覚えていない。デフォンは首を横に振った。
「今居るこの世界が仮想空間である可能性を論じたものです。少なくともどれか一つは正しくなくてはならない四つの命題から成り立っているのですが、それによると、我々のこの世界は高確率で仮想世界だということです。『PANGEON』上に作られた、彼女の世界と同じようにね」
「それが……」
「我々の世界はどっちが上位でどっちが下位とかじゃなく、『並列』なんだってことを意識してないと、足元掬われるような気がします」
 ケルネーが盛大にため息を吐いた。
「いつものお前の戯言かと思ってたけど……段々何が言いたいのかわかってきた。つまり、『向こう』にも『こっち』を意識する人間がいるかもしれないってことか? 今我々が向こうのことを論じているように」
「たぶん、そういうことです。自分でも今一つ曖昧なんですけれど……」
「でも、僕が欲しいのはそういう定義の話じゃなく、もっと具体的な彼女を助ける手だてです」
 デフォンがちょっとむっとして言った。あと三日。時間はいくらあっても足りない。こんな似非哲学論議をしている暇はない。
 再び、ケルネーがため息を吐いた。
「たぶん、有瀬が言いたいのはこうだろ。あっちの世界はあっちの世界でちゃんと存在してるんだから、彼女を見殺しにしてでもほっといたほうがいい。それが一つ」

23第一回5番(4):2007/10/08(月) 06:19:50
「それが嫌だからこうして相談しているんじゃないですか」
「本当にちゃんと考えたのか? あの世界で暮らしている人間たちにとっては、彼女の目覚めイコール世界の滅亡なのに?」
「……それでも、僕の世界はこっちです。そして、僕はこの世界に彼女が必要だと、思う。たとえ悪魔と呼ばれようとも」
 ケルネーは再びため息を吐いた。
「……なら、いい。もう一つは、向こうにもどうせ『こっち』を意識してる奴が居るだろうから、そいつと渡りを付けろってことだろうね」
「渡り……シナリオですか? いや、そうか」
 デフォンの顔が輝いた。
「竜……もしかして、あの竜なら。こっちの世界を意識しているかもしれない」
「どうなるかはわからない。けれど、あれだけ完成された世界ならば、どこかにこちらを意識する存在が居なくてはならない筈だ。私たちが向こうを知ることが出来る以上、それは出来るはず。シミュレーション・アーギュメントと似たような論だね」
「ま、そういうことです」
 有瀬が微笑んだ。食堂の蛍光灯が一瞬だけ瞬く。どこか退廃的な空気が一瞬だけ漂う。

「ま、そういうことです」
 有瀬は内心ほくそ笑んだ。いや、より正確に言うならば、ほくそ笑んだのは【アルセス】だ。館へと入ってからも、竜側刑事側アルスタ側三者の主張は平行線を辿りひとまずこの日はお開きということになった。各人に客間を与えた後で夜も更けて、アルスタは館を抜けだした。本人は、疲れたので散歩がしたくなっただけと思っているはずだ。石板の前まで行き、ぼんやりと眺める。そこに映る意味を、アルセスはしっかりと読みとっている。知らなければただの傷にしか見えないコンソールを操作して『向こうの世界』の自分を操る。阿呆らしい会話に耐え、巧みに人々を誘導していく。フィクションじゃないんだから、理屈や脈絡のない出来事なんてあって当然だ。竜の脅威について言えば、老人連中が勝手にそうだと決めつけてくれたから楽だった。刑事は単に阿呆だっただけだろう。竜だって、ただ単にそういう存在だっただけだ。馬鹿らしい。もっとも、それだからこそ誘導しやすくて良いのだけれど。
 今朝、久しぶりに石板を確認しに来てよかったと思う。まさか向こうのマグドールが死に瀕しているとは思わなかった。いくら時間の流れが違うとはいえ、たった数億の時日でとは。大神アレの力も衰えたものだ。今度は奴に先を越されないようにしなければ。おそらく竜はアレの眷属だ。この調子で行けば、『向こうの世界』の奴らは竜に干渉し、竜の目的遂行の障害となるはず。その結果、作られたアレによって作られた『向こうの世界』とこちらの世界の境界が崩れるかもしれない。けれど、そんなの知ったことか。とにかく、アレの干渉さえ防げればいい。その間に、自分が彼女を手に入れる。
 ようやく、彼女に会える。アルセスは今までの日々を思い、暗い森を見詰める。長かった。本当に、長かった。全てはこの日のためにあった。この地に根を張ったのも、代々の贄によって力を蓄えてきたのも全て。
 大神アレによって向こうの世界に閉じこめられた彼女。こちらの世界では死んでしまった彼女。それはかつて【最果ての二人】と呼ばれたアルセスの片割れ。

――キュトス。

24第一回6番(1)永劫線上:2007/10/19(金) 22:03:38
 アルセスは悲しい奴だ。世界はたくさんあるけれども、どの世界のアルセスも必ずキュトスを殺してしまう。死別すればアルセスはキュトスを蘇生するためにあがく。大きな犠牲を払った末にキュトスは蘇るが、そのたびにアルセスは再びキュトスを殺してしまう。
 かつてレーヴァヤナはいった。アルセスによるキュトス殺害は世界の定めた運命だと。世界はフラクタル構造をしていて無数の世界はどれも似通っている。この相似形の世界のすべてにアルセスとキュトスはいる。私やレーヴァヤナの存在しない世界はありふれているが、アルセスとキュトスのいなかった世界などなかった。アルセスによるキュトスの殺害はこのフラクタル構造に必須の要素らしい。
 私はおもう。アルセスの苦しみを。世界という世界にある悲しみを。なぜあいつがそんな意地悪な運命にさらされなければならないのだろう。レーヴァヤナはいった。無意味だと。世界が無意味だから世界の強いる運命にも意味はないと。
 世界に意味があるのかないのか、私には判らない。でも、おそらく意味はないのだろう。レーヴァヤナを伴って幾多の世界を巡った。けれどもそこにはなにもなかった。違う。アルセスとキュトスを巡る無為の苦痛があった。
 私はアルセスから苦痛を取り除いてやりたい。もっともアルセス自身は苦痛を望むかもしれないが。だが、せめてアルセスに運命に敷かれた道を歩いていることを教えてやりたい。
 私はみる。足下の空間に無数の世界が広がっている。天の川のようにみえる。永劫線だ。そのうちのひとつでキュトスが蘇生しようとしていた。私はこの世界に近づく。
 わりと珍しい世界だ。世界内部に世界がある。内部のものはアレが造ったのか。なら内部の世界はアレの被造世界と呼び、アルセス=アルスタのいる世界をリアルワールドとでも呼ぼう。
 私はこれらの世界を結ぶ点を発見する。ひとつはヘルモンドの城館のそばにある石版の姿をしたコンソールだ。もうひとつはここのアレがよこした竜だ。ヘルモンドの石版はアルセス=アルスタの管理が及んでいたので、竜のほうを制御をうばう。
 竜をねじ伏せると落下する感覚を生じた。世界に引き寄せられている。世界が眼前にぐっと迫る。面白いものがみえて私は笑う。アルセスが2人いる。デフォン、きみもアルセスなのか。

25第一回6番(2)リアルワールド:2007/10/19(金) 22:04:26
 アルセス=アルスタはうまく立ち回っている。キュトスの蘇生は近い。アルセス=アルスタはクリス・ヘルモンドを殺して封印から解放されたあと、デフォンに蘇生させたキュトスをアレの被造世界から奪い取るつもりのようだ。
 私はキュトスをデフォン=アルセスに任せたい。お節介だが、2人の仲を取り持ってやろうとおもう。それはアルセス=アルスタのプランだと被造世界が消滅するからというのでなくて、デフォン=アルセスはキュトスを殺害以前のアルセスだからだ。せっかくならば、惹かれ合う者を一緒にしてやりたい。
 というわけで私は時間稼ぎを始める。リアルワールドではアルセス=アルスタは石版でアレの被造世界に介入、デフォンをアルセスと知らずにキュトス蘇生を焚きつけている。アルセスは平静を装っているが、注意力はアレの被造世界へ傾いている。まだ私には気づいていない。隙あり、だ。
 私は北方警察の刑事を乗っ取る。刑事の身体は何食わぬ顔をしてクリス・ヘルモンドの軟禁されている部屋に向かう。途中で雪中行軍用の装備を調達する。それから軟禁部屋のそばにある警備兵詰所に向かうと、刑事の身体を操って兵士たちを一瞬で打ち倒した。もっとも階級の高い兵士の懐から鍵を抜き出す。鍵を使って軟禁部屋に侵入すると、眠っていたクリス・ヘルモンドを起こす。
 クリスは目を見開き、声を上げようとしたが、その口は刑事の手によってふさがれた。私は刑事の口でささやく。クリス少年、私はきみとアルスタ領主の援助者だ。きみたち2人が今より幸福になれるように動いている。
 クリス少年という言葉にはやはり効果があった。クリスを男と知るのは今ではアルセス=アルスタと私だけだ。クリスは私をアルスタの使いと考えたようで、指示に従ってくれる。
 クリスは長い髪をきり、女の服を脱ぎ、雪中行軍用の装備を着た。刑事は同じ装備になるとクリスを背負って厳重に固定した。それから唯一の出入り口を家具で封鎖すると窓を開けた。冷たい風が入ってきて刑事の身体が震えた。軟禁部屋は塔の最上階で、窓の下は雪で覆われた斜面だった。私は用意しておいたスキー用具を下に落とす。スキー板が雪に突きたった。クリスがあわて始めたが、側頭部を一撃して静かにしろという意志を伝えてやった。この程度の高さなら着地可能だ。私は刑事の身体に飛び降りさせる。空挺隊員がやるような動きで衝撃を殺すと、スキー板をはいて斜面を滑走した。
 町の灯りがみえた。町についたら首都に向かうぞとささやくが、クリスは失神していた。

26第一回6番(3)アレの被造世界:2007/10/19(金) 22:05:26
リアルワールドで北方警察の刑事の身体を操作しているころ、私はアレの被造世界で1人の医者の身体を操作していた。この医者はアレ=マクドール専属の医師団の1人で、常にそばで待機していた。そういうわけで苦もなくアレ=マクドールの寝室に侵入できた。
 昏睡しているマクドールの額に医者の手を触れさせる。アレに呼びかける。アレは反応を返さない。失礼かとおもったが、強引に走査すると、経年劣化で人格が崩壊していると判った。
 私は嘆息する。デフォン=アルセスとキュトスの守護をアレに任せて、私はリアルワールドのアルセスを他世界へ連れて行くつもりだった。アルセスに世界の真実をみせてやりたかった。しかしアレがいないならば、私が代わりにデフォン=アルセスとキュトスを守護すべきだろう。
 私はアレ取り込むと、マクドールの身体を再構築する。余命幾場もない身体がたちまち回復する。私はマクドールの上体を起こすとため息を吐かせた。私はアレの口からこちらのピュクティェトがどんな奴だったのか訊きたかった。融合した今、こちらの自分の情報は得られた。 けれども少しばかり残念だった。
 マクドールに秘書を呼ばせると、星見の塔の存続を宣言する。秘書は非常に驚いた様子だったが、再度告げると、動き始めた。
 さて私はヘルモンドの石版の動きを探る。アルセスの操作は終わっていた。ならばと石版を破壊する。これでリアルワールドと被造世界を繋ぐ経路は竜だけとなった。アルセスはこちらへ逆襲に現れるだろう。現れたらこちらとあちらの境目で捕らえてレーヴァヤナに押しつけてやる。ちょっとばかり旅をして世界の真実をみてきたらいい。

27第一回7番(1)アレの被造世界:2007/10/28(日) 19:07:46
誰も居なくなった星見の塔。
そこのモニターに文字が表示される。
「シシッ、この世界には九迷そのものも居ないのか」
表示しているのは人では無い。
サーバー内部に存在するエラー情報が自己を形成したもの。
処理能力の一部に寄生して存在する者。
署員には『ウィアド』の通称で知られるウィルス。
稀にPCに誤作動を起こさせてモニターによく分からない言葉を連ねたりする悪戯者だ。
好き勝手に画面に文字が流れていく。
「同じ発音であっても言の葉に載せられた意味は『揺らぐ』」
「――NOTFIY――POPUP――SPAM――」
「――VIRUS――ARLET――ERROR――」
「――FREEZE――CRASH――BLUEBACK」
「九迷はパンゲオン世界のエラー。居ない世界があっても当然か」


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