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読書が好きや!!

1kn:2006/01/23(月) 01:04:45
本を読んだら報告するところ。積ん読はあかん!!

青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/

青空文庫携帯
http://novels.bookstudio.com/i/

2kn:2006/01/25(水) 21:43:53
筒井康隆 自選ホラー傑作集1「懲戒の部屋」(新潮文庫)読了

ディティール描写に変な現実感があり、妙な夢のように画が想像し易いのが特徴。
この本でキモさ最高レベルの「蟹甲癬」。
とある蟹を食べると謎の病気になり、頬の皮膚がカチカチになってしまう奇病なのだが、
患者の一人の爺が蟹の甲のようなその頬が脱着自在だということを発見する。
しかも蟹の甲の裏にミソがたまり、これが珍味ということで子供に舐めさせたり。
そのうち食糧事情が悪くなってきてもミソがあるから大丈夫ってなことになる。
しかし、研究するうちに実はそのミソは・・・

はじめて読んだが、こういう作品があったとは知らなかった。
「ミソたまってんかな?」は、いがらしみきお「ぼのぼの」でそういう妄想するシーンがあってインスパイヤされたが、
いがらしは「蟹甲癬」読んでヒントを得たのだろうか?

いずれにしろ映像化したら気分悪くなる人続出は必至であろう。

3びび:2006/01/27(金) 00:10:28
筒井康孝 自薦グロテスク集 読終了
グロテスクといってもそんなよりもほぼ毎回といってもいいほど脱糞描写の多い作品でしたな
奇妙な植物、動物、描写、雰囲気はあったがグロテスクとは全く思いませんでした それよりは「鍵」のほうがグロテスクやったな

4kn:2006/01/28(土) 20:41:10
保坂和志「プレーンソング」読み終え、続編の「草の上の朝食」読み始めた。
キャラクターがいまいち好きに慣れんかも精錬。
「季節の記憶」とかは好かったが。

5hr:2006/01/28(土) 23:36:45
こういうのもありますよ。
澁澤龍彦作品集Wiki
http://draconia.jp/
残念ながら携帯用サイトはありまへん。

6モジュール:2006/01/30(月) 15:02:03
サド

7kn:2006/01/30(月) 22:43:22
らもは澁龍ファン

8kn:2006/02/03(金) 08:06:33
筒井康隆が老人版バトル・ロワイヤル小説出したらしいけどオモロそう。
森ビルを舞台にグロテスク小説書いて欲しいな。

9um:2006/02/05(日) 15:23:57
録画してぇ!!

10kn:2006/02/08(水) 09:28:14
本読めよ!人類の英知なり!

11um:2006/02/08(水) 15:06:24
( ;^^)ヘ..

12um:2006/02/08(水) 15:14:25
    /|\      /|\
    /|⊂l⊃⌒⊂l⊃| ヽ
   ( |  __∧__∧___ |  )
/⌒ /  |  /   \ ||⌒ヽ
| t  |    |   ・   ・  ||t  )
ヽ_|__、   フ  ⊂⊃ ヽフ _|_ノ
    | ̄ ̄   __| _|     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    |      /__/   |    < 肉が好きだっつーの!
  /|           ノ\    \________
          (┬)

13kn:2006/02/10(金) 05:35:17
筒井康隆「毟りあい」(自選ドタバタ傑作集2「傾いた世界」)
善良で世間から見れば並の上くらいの生活をしているサラリーマン。
ある日帰宅すると家が警察に取り囲まれている。
殺人犯が脱獄し、追われたのち偶然自分の家に押し入り妻と子供を人質に立てこもっていた。
殺人犯は自分の妻との復縁を迫るため面会を要求している。

サラリーマンの男は記者に囲まれてコメントを要求されたりもみくちゃにされる中で、
殺人犯の妻になんとか説得を頼んで解放してもらおうとするが無下に断られる。
そんな中で人質にされている妻と子供以外は周囲の人間も全部加害者だ、
という思いに駆られ警官を殴打して拳銃を奪い、逆に殺人犯の妻と子供を人質にとって家に立てこもる。

家に侵入する記者などは暴力をもってこれを退け、犯人に直接電話をつながせた上で、
「俺の家から出ないとガキを殺して女を犯すぞ!」と逆に脅迫。
いっぽう殺人犯は家から出れば妻に面会することもできず刑務所に戻ることになるのであくまで抵抗。
電話口で子供を痛めつけあい、女を犯しながら拳銃を天井にぶっ放したりする。
しかもなぜか隣が韓国人の家ででかい音出すたんびにギャーギャー騒ぎ立てたりする。

しまいに家を出るまでガキの指を一本ずつ切って送ってやると脅し、互いにそのようにし、
やがて子供も死に、食料も底を尽きはじめ、大騒ぎしていた世間からも犯罪者同士相打ちさせておけと断絶していく・・・

ものすごく、いやな話です!
不条理なんだが壊れて行く様子がやけに生々しい。

一読をお勧めしたい。

14um:2006/02/10(金) 17:23:05
↑読んだだけで鬱

15kn:2006/02/11(土) 20:25:18
めんごめんご

16um:2006/02/15(水) 12:28:16
ナイショッ!!

17kn:2006/02/16(木) 00:20:56
「自助論」
Samuel Smiles (原著), 竹内 均 (訳)
帰属する集団や他者に依存しない、独立自尊の精神を説く。

18kn:2006/02/23(木) 23:50:47
「草の上の朝食」保坂和志
ストーリー展開で牽引していくタイプの小説ではないので感想はひとことであらわしにくい。
小説内の会話において物語の筋に関係する説明的セリフが少なく、散文詩的セリフの積み重ねで
構成されているため各キャラクターの日常性が強く感じられる。
しかし現実にはこんな会話をしている人たちはなかなか居ないのではないか。

19kn:2006/03/01(水) 00:12:50
「ポロポロ」田中小実昌
軽妙な語り口が印象的な戦時中の物語

20kn:2006/03/07(火) 03:23:52
筒井康隆原作「パプリカ」アニメ化
http://animeanime.jp/news/archives/2005/12/1211_2.html

21um:2006/03/08(水) 20:24:11
うぇっさい

22kn:2006/03/09(木) 21:45:34
「魚藍観音記」筒井康隆
孫悟空(一千年童貞)とエロエロ観音様がハメまくり、あまりのエロさに神仏が見物しに来るという
たんなるポルノ西遊記でした。ちなみに猪八戒は腎虚に。手淫しながら読めとか作者の説明書きがあるし滅茶苦茶。
フジテレビはマチャアキ西遊記の劣化リメイクしてる暇があったらこういう作品をただちに映像化せよ!

23um:2006/03/10(金) 08:23:59
なんだっけな。
ばあさんがぼけたじいさんの介護に疲れて首をつって、
それをみたじいさんが
「でっかいみのむしだなあ」
って言う小説。

24kn:2006/03/10(金) 17:18:46
↑「日の出通り商店街いきいきデー」

25um:2006/03/11(土) 19:47:29
悟空や!はよういれてたもうれ

26kn:2006/03/11(土) 22:25:08
「ならぬ観音、するが観音」と、観音は言った。

27kn:2006/03/13(月) 01:18:36
岸田秀の本は読んでおいて損はない。
若ければ若いほど良い。

28kn:2006/03/25(土) 04:35:50
唯幻論

29kn:2006/03/27(月) 04:41:33
谷間の豪族

30kn:2006/04/03(月) 23:38:29
「キャッチャー、たにしげ」

31kn:2006/04/11(火) 02:50:35
たこしげ

32um:2006/04/11(火) 02:52:00
かにしげ

33kn:2006/04/12(水) 00:36:29
すべてのアメリカ人は6人を介すればケビン・ベーコンに到達する

34kn:2006/04/19(水) 21:06:56
「複雑な世界、単純な法則〜ネットワーク科学の最前線」マーク・ブキャナン 阪本芳久=訳 草思社

金持ちのところにより大きな金が集まる、メジャーなブランドはよりメジャーになる、
アクセス数の多いサイトはよりリンク数を増やしアクセスが集中していくといったことや、
エイズ等ウイルスの蔓延、生態系、脳神経ネットワークetc...
これらに共通して見られるスモールワールド・ネットワークの構造
(結びつきの強い多くのリンクと結びつきの弱いいくつかの長距離リンクによって構成されるネットワーク)
を科学的に解明する本。
これまでの科学のような、細かく事柄を分割して観察する還元主義ではなく、
複雑系適合物質の研究が様々な難問を解き明かすヒントになるという点で興味深い内容であった。
平易に書くためか脳神経科学の項など少々踏み込みが足りない気もするが全体としては面白い。

35kn:2006/04/21(金) 06:26:56
「現代思想の冒険」 竹田 青嗣 筑摩書房
安易なチャート式ではなくきわめてわかりやすい文章で現代思想が時代背景・文脈とともに見渡せる一冊。
最後の部分、バタイユの論考から超越へ向かう欲望のエロス性が「死」の非連続性を乗り越える可能性うんぬん
といった部分はわかりそうで分からん部分もある。
「絶望=死」に突き戻されても大丈夫なように踏み固めた日常に軸足を置いて超越を求めることが変革のヒントになるということが言いたいのか???
ともかく面白いので二日で読み終わった。

36hr:2006/05/02(火) 08:29:29
まだ全部読んでないのだけれども・・・
「ドグラマグラ」(夢野久作全集9)ちくま文庫
あえてここに出すまでもないような必要もないかと思われるが。
夢野久作の代表作。人を狂わせるために書いた本だと言われるが、そこまで
言われるほどのものでもない。ただし読むとひたすら疲れる本。
(で、まだ2/3くらいまでしか読めていないw)
時間軸を細切れにして再構築した、といった感じか。このあたりが人を混乱させる所以。
とりあえずアングラ好き、メンヘラーは必須。

だが人に薦めるその前に私が全部読まないとなw(ちなみに買ったのは去年の秋頃)

37hr:2006/05/02(火) 08:39:34
よく見たら日本語変だw寝起きにモノを書くとろくなことないな。

長井勝一著 「ガロ」編集長 筑摩書房
上の本ほど同時期に買った本。こちらはすぐに読み終わったw
筆者はあの有名なガロを作った人。貸本時代の漫画業界の話、など興味深い
話もあるが、どちらかと言えば彼の波乱万丈な半生が語られた本。
漫画史として読むもよく、漫画界の巨匠達の私的な内情を読み取るもよし。
ただ残念ながら蛭子能収の話はありまへんw

38kn:2006/05/03(水) 01:13:42
モグラネグラ

39kn:2006/05/06(土) 17:37:21
「音楽する脳」ウィリアム・ベンゾン (著), 西田 美緒子 (訳) 角川書店

音楽が人間の心脳にどのように影響を与えているのか、
脳が音楽を生み出す仕組みはどのようなものなのか、
歴史、社会形態の変容にともなう音楽のあり方などを論ずる新しい視点の本。
ホタルの発光における集団力学の論考などは「複雑な世界、単純な法則」と同じ引用があった。
機能和声を基本とした近代西洋音楽の拡大のしかたはキリスト教のそれと似ていて、
基本は「グレゴリオ聖歌」的お約束の純潔さを中心としながら、異教徒の文化を飲み込み、
勝利しアレンジを加えて吸収・発展していく。
絶えず衝動という感情よりも上位に存在する理性が勝利することこそが文明人の証であると、
言い続けて来た集積体=近代西洋音楽という気もする。
20世紀ポピュラーとなるのはその多くが黒人音楽を基にしたものだけれども、
白人音楽と同化されようとする力とそれを嫌う力のせめぎ合いがみられる。
そのころドイツにおいてCANなどは、
「いまさらアメリカで流行ってるような陳腐な音楽ドイツでやられてもねぇ〜」
と野人:ダモ鈴木などを装備し独自のカオティックな音楽性を追求して行ったのだが、
そのあたりの精神性に関しては一般には不当に評価が低いな。
この本には関係ないが。

40um:2006/05/09(火) 20:47:38
ダヴィンチ・コード読もうかな

41kn:2006/05/14(日) 05:12:56
CAN
http://www.bls-act.co.jp/artist/can.php

42kn:2006/05/16(火) 06:01:21
「対称性人類学」中沢新一 講談社選書メチエ

カイエ・ソバージュ完結第5巻。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062582910/503-7913815-4072733

これほど面白いシリーズもないのでとにかく読んでもらいたい。
人類学・芸術・経済・宗教...どの分野にも偏ることなく「対称/非対称」をキーワードとして
論理的考察のお手本とも思えるほどの美文でグイグイと読者を引き込む。
読んでいると日常的に感じている違和感や頭のモヤモヤが吹き飛ばされクリアな視界が開けてくるのが感じられる。
この理論を生成する動機となっているのは、対称的「贈与」社会が(誰もが恩恵を受けている)非対称的「交換」に塗り替えられてきた、
まさにその現場(植民地、屠殺の現場的なもの)が巧妙に隠され、見なくてすむことにし続けていることに対する静かな怒りでは?という印象。

たとえば中沢新一は、9.11テロの際"電子音楽の父"シュトックハウゼンの発言がメディアにより、
巧妙に捻じ曲げられ彼をスケープゴートとする悪魔的欺瞞を著書「緑の資本論」の後半で指摘していたが、
あれを読まなければ歪み濁った視界のまま生きているのだろうなぁと思う。どれもそういった貴重な言説だ。

43kn:2006/05/20(土) 12:02:21
「<反>哲学教科書」ミシェル・オンフレ (著), 嶋崎 正樹 (翻訳)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4757140673/qid%3D1148092566/503-7913815-4072733

フランス哲学を教えている先生が実際学生へ講義している内容を本にしたもの。
いかに哲学を日常と乖離した空論にせず興味を持たせるか、小難しくなり過ぎず、
なおかつ本質的な部分に触れさせ考えさせるための工夫と機知に富んでおり、
一気に最後まで読めてしまう。
フランスでは高校の最後の過程で全員がこういった講義を1年間受け、
論述のテストをクリアせねば進学出来ないということらしい。
自ら歴史と生活体験の中から導き出された思想を若いうちに学び、
礎としているのでしょうな。
自分の頭脳を自分のために使う術を知らない、低い人間こそが意思なき隷属と破壊を生み出す社会を
存続発展させている。暗記やサルマネは得意でも。

44kn:2006/05/29(月) 22:08:01
「合成人間ビルケ」ベリヤーエフ 作/馬上義太郎 訳
http://www.geocities.jp/harimaze/gallery/iwasa02.html
表紙怖すぎ。トラウマ本。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9977455066
復刊されてたようで。

45kn:2006/06/01(木) 21:38:56
『99.9%は仮説 思い込みで判断しないための考え方』竹内薫 光文社新書
http://kaoru.to/hypothesis.htm
数時間で読めたけどこの本は面白い。理系/文系関係なく日常生活や芸術にも科学的な視点が必要というのに同意。

46kn:2006/06/04(日) 03:55:13
「新版 システム工学とは何か」渡辺茂・須賀雅夫 NHKブックス
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140015519/503-7913815-4072733

プロジェクトマネジメントリテラシー的な内容とか、
1950年代から軍事→原子力→宇宙開発→社会→人間・・・・
といった形でシステムが適用される対象が変化してきていることの解説。

スーパーマーケットや学校(校舎の設計、学習スケジュールetc.)などほとんど
軍事面での必要性から開発され合理化されてきたものだということが分かる。
人間的な面で、社会工学、ファッション工学などと来て今は何がシステマチックになっていってるのかな?
娯楽とかレジャー、食、セックス、チャットとかそういうのでしょうな。多分。
いわゆる一回性というか、「何百万回と繰り返していても(供給側は)さも初めてであるかのような」
新鮮さをどこまで疑問を抱かせずに与えられるか、というシステム化。経験則管理。
この本は1980年代後半に書かれていて結構な時間が経過してるし、インターネットもない時代のわりに古さというか冗長性がないのが印象的。

47kn:2006/06/15(木) 01:04:28
マルチチュード 上 ~<帝国>時代の戦争と民主主義 NHKブックス
アントニオ・ネグリ (著), マイケル・ハート (著), 幾島 幸子 (翻訳)
ttp://biblia.hp.infoseek.co.jp/g/gs44.htm
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140910410/503-7913815-4072733
とりあえず上巻読んだ。
前半はマルチチュードという概念の解説、戦争のスタイルの変化の構造など。
後半はマルクス(「主義」ではない)の思想を根幹に現代のグローバリズム権力に対する民主主義の形態を提唱している。
群知性とか分散型ネットワーク構造とか、ネットワーク科学的な言葉も出てくる哲学書といった感じ。
前作「帝国」も読んでないし陳腐な感想しか書けないが刺激的な内容だったので下巻も読んでみたい。

48kn:2006/06/20(火) 20:29:14
「芸術人類学」 中沢新一 みすず書房
ttp://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4622071894.html

ここ数年のいろいろな場所で発表された講演のオムニバス的構成となっている。
対象性人類学の延長線上として、レヴィ=ストロース等の構造主義を中心に、
バイロジック(対象性/非対称性の複論理)で動く現生人類の脳、それが生み出した思想の仕組みを説く。
一つのテーマで直線的に展開していくスタイルではなく重層的な思考の断面という印象を受けた。
文章は難解ではないが、自分の場合あらかじめ前知識が不十分で文脈を理解するのがしんどい部分もあり。
読みやすいと感じる他の本よりも生々しい興味深さはある。
タイトルに芸術と入ってるがこの本では芸術論的な具体的に突っ込んだ部分は少なく感じた。
今後展開していきますよという感じなのかな。

49kn:2006/06/21(水) 01:51:23
〜↑の続き〜
読み終えてしばらくして「これはメチャクチャ面白いゾ!」という感想が湧き上がって来る本ですなぁ。
特に面白いのは「公共とねじれ」カミロ・ジッテによるヨーロッパの広場の設計様式に関しての部分、
たいてい広場の中心は何も置かれずフリーな空間として残されていて、教会などの建物は他の建物に
接する形で広場から少し離れたところに置かれている。
公共建築としての教会ならば中心にあってもよさそうなものだが・・・というところから考察が始まっていて、
対称性の理念的トポロジーであるトーラス(ドーナツ型)と非対称性のトポロジー、メビウスの帯を連結した形が
広場の設計のモデルとしてあるのではないかといっている。
つまり教会は人間が生活する秩序空間である社会を構成するための非対称性思考が、それによって抑圧されている無意識=対象性思考とのゲートの役割を
になっており、教会を広場の中心に置くとあまりにも動きようのない権力化がはじまるのを避けて、あえて周辺に位置させ中央を空けておく「公共空間」としてノではないかという説。
続く「十字架と鯨」ではマシュー・バーニーの日本で撮影された映画について、彼の創作の一貫したテーマである「拘束」とは何か。
キリスト教圏では自然人キリストを人間たちが十字架に打ち付け拘束する、という図が象徴としてある。
西欧文化は多様に流動し形態を変え続ける自然に「拘束」を人間が加えることで構築されている。芸術もしかり。
逆に人間が拘束できない存在(人間と動物の合体したもの=本来ありえない、狼男とかドラキュラとか)が忌むべき悪魔として描かれ、十字架をかざす(拘束を加える)ことによって退治される。
(ここは俺の考え)庭園における水も西洋では噴水として重力に反する形で拘束されコントロールされる。
日本では下から上に水を噴き上げるなどの感覚を良しとせず、その自然な形態をどう見るかが趣きあることとされる。
日本文化の形態としては「形から入る拘束」はあるが、西洋の拘束の考え方とは違い、そこから生じる芸術も同じものではない。

あと最後の「友愛の歴史学のために」で、
(引用)「家には広島や長崎やビキニ環礁における原水爆の惨状を記録した、たくさんのスライドが保管してありました。
学校の講堂などでおこなわれる集会で、幻灯機にかけてみんなに見せるためのものでしたが、私はそれをこっそり一人で押入れに隠れて見続けたあげく、恐怖のあまり真っ青になって押入れから這い出してきました・・・」
ここは一人でそんなの見るなよwと。

50kn:2006/06/27(火) 07:03:29
「トポロジーの発想―まるとさんかくを同じと見ると何が見えるか」 川久保 勝夫 講談社ブルーバックス
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062570769/sr%3D8-1/qid%3D1151358018/ref%3Dsr%5F1%5F1/503-7913815-4072733

トポロジーというのは位相幾何学のことで、もののかたちの特定の部分に注目したとき、同じ構造を持つものを同相ととらえる。
例えば自由に引き伸ばして大きさを変えられるゴム膜であれば、○も△も同じように重ね合わせることが出来るが、
穴の開いたドーナツ状の図形は変形しても重ねられない。
そういった違った量を捨象して質に注目する考え方が、宇宙・異次元を頭の中でイメージするうえで重要。
CGではピクセルの数量=解像度というビットマップのデータではなく、点と線の曲がり具合によって図形を描くベクターデータはトポロジー的である。
映像のデジタル化は2次元→0次元(0/1の点)→2次元の変換がなされている。
データが軽く劣化しないという扱いやすさによって"量"の価値がどんどんなくなっているともいえる。
部分と全体(ローカル/グローバル)の相関を見る発想ということでいろいろな示唆に富んでいるように思う。
案内書ということでかなり平易に解説してあるが、この考え方を深く理解すれば物事の本質を見極めるのに役に立ちそう。

51hr:2006/07/04(火) 22:41:58
動く渋龍
http://www.youtube.com/watch?v=ziyXNddgyhE

52kn:2006/07/04(火) 23:55:21
走る取的

53kn:2006/07/07(金) 00:01:53
マルチチュード 下 ~<帝国>時代の戦争と民主主義 NHKブックス
アントニオ・ネグリ (著), マイケル・ハート (著), 幾島 幸子 (翻訳)

下巻はグローバリズムに対抗する民主主義形態の実践編の導入部といった感じ。
現代の民主主義-代表制の欺瞞を説き、マルチチュード実現には「全員による全員の統治」が要諦であるという。
上巻の最初にこれは哲学書であるとあったけれどもなかなか一度読んでも理解しがたい部分が多い。
帝国-マルチチュードに続く次の書物で完結を見る三部構成らしい。次回はもっと解像度の上がった実践論になるのだろうか。

54kn:2006/07/13(木) 22:21:57
「サウンドスケープ その思想と実践」鳥越けい子 鹿島出版会
http://www.walkingtune.com/soundscape.html

カナダの音楽家マリー・シェーファーが提唱したサウンドスケープについての本。
人間が受け取る情報のほぼ9割以上を視覚に頼っている。文明化が進むほどこの傾向が高まっている。
本来「風景」という言葉には視覚情報のほかに音や気配、触覚で感じるものなど豊潤な感覚を含んでいたはずだが、
いまでは景観のみをイメージすることが多いのではないか。
騒音とはそこにあるにもかかわらず人間が注意を向けなくなった存在である。
聴くべき音はコンサートホール(今ではCDとかipod)の中にあり、コンサートホールの外にある音が聞くべき価値の低いノイズとして分離されてきている。
近所の川を汚染しておいて美術館に列をなすのと同じ傾向である。
いままで行き来自由だった領域に仕切りを設けることによって価値のあるものとないものを選別するのが西洋文化の発想。
サウンドスケープデザインとは空間に従来型のオブジェを設置するなどの行為ではない。
現代の都市のサウンドスケープは、その土地固有の標識音、記号音などはどんどんなくなり、グローバル化された均一な音風景になりつつある。
人々の意識を再びそこに向けようとする試みなのだ。

55kn:2006/07/13(木) 22:32:56
「身体感覚を取り戻す 腰・ハラ文化の再生」斉藤 孝 NHKブックス

斉藤孝、正直好きじゃないのだが内容だけ見て著者をよく確認せずに買って来てしまった。してやられた。
身体感覚、特に体の中心である臍下丹田の感覚が希薄になりつつあるというところから始まる。
昔の日本は「型」の文化だといわれていたが、戦後「型」というものに対するネガティブなイメージによってほとんど死に絶えつつある。
アメリカなどのファッションや音楽などカウンターカルチャーはメインカルチャーがあることを前提としてのカウンターであったが、
日本は伝統的な「型」を失った状態に自由という概念だけを輸入してきたため身体の中心的感覚が乏しい。
身体論の話から呼吸法や自己形成論などに展開していく。
なんか1日で読んだれ!と思って読めた。まぁ構成とかいろいろな文献からおいしい部分を引っ張ってきて展開していく巧さはある。
あまり好き嫌いで偏らず乱読したほうが良いのだろう。

56kn:2006/07/27(木) 04:19:22
「アースダイバー」 中沢新一 講談社

現在の東京の地図上に縄文海進期の地形(洪積世、沖積世)を重ね合わせてみると・・・
芝の東京タワーがタナトスの塔であるとか(TV局の電波等がある場所の共通点は?)、森ビルによる買収が進む六本木周辺の抗する力、
首都の中心である皇居の象徴天皇的空虚さ、どの部分も人類学的フィールドワークと精緻な分析が冴える。
歌舞伎町が歌舞伎座が無いのになぜそういう名前かとか、銀座の成り立ち等読んでるだけでワクワクするね。
豊富な写真とアースダイビングマップ付きなので観光もいいがいっぺんこれを読んで東京散策してみたいと思う。

57um:2006/08/12(土) 11:07:17
歌舞伎町にはコマ劇場がアリアス

58kn:2006/08/12(土) 17:27:35
「世界の調律」R.マリー・シェーファー/著 
鳥越けい子 小川博司 庄野泰子 田中直子 若尾裕 平凡社
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31708139

サウンドスケープとは音風景のことである。
風景をイメージしてくださいというと視覚的環境=景観がまず先に来ることが多いと思う。
聴覚、触覚、臭覚、味覚など視覚以外の感覚によって得られる豊穣な情報も風景の中に含まれているのだが
文明化というのはますます情報を視覚に依存するもので9割方は目から入ってきた情報による。
音楽で使われる音(=楽音)はノイズ(=非楽音)に含まれ、楽器というのは特定のピッチ・ボリューム・音色を
コントロールできるようにしたものに他ならない。
騒音とは人々が音に対して無関心になった結果生じてくるものであり、価値のある物とないものに切り分けて扱うようになったことにより
戸外に不要なものとして追いやられた音であるといえる。
コンサートホールやステレオ、ipodなどハイファイ化を叫んでいるが、実は音楽を聴くための器具や環境以外のところでは
全体としてはローファイ化している。様々な聴きたくもない音が混ざり合って不快な相互干渉をしていることに人々は無関心である。
著者は建築家やサウンドデザイナーの意識の低さを批判し、イヤークリーニングという聴能形成のプログラムを提唱している。
様々な国や地域でのフィールドワークで得たデータをもとに書かれているが、地域や民族によって同じ音でも快・不快の印象がかなり異なるところも興味深い。

59kn:2006/08/19(土) 01:12:04
「食」の課外授業 西江雅之 平凡社新書

人間にとって「食べる」とはどういうことか?
「食べ物=食べられるもの」ではない。たとえば飲食店で食べ残したものは、全く箸がつけられていない状態でも、
客が一度席を立った時点で残飯となり、物質的に変化していないにもかかわらず食べ物ではなくなる。
寿司にジャムを塗ったり、納豆を乗っけたフランスパンは食べない。
喉が渇いていなくても、空腹でなくても人間は「食べる」。
神戸コロッケなど地名をつけることによる付加価値。
場所や時間、同席する人によって適する食べ物と適さない食べ物が変化する。
文化人類学の視点から食というものを考えるきっかけになる本である。

60um:2006/08/21(月) 12:19:24
チャウ・シンチー「食神」

61kn:2006/08/21(月) 21:52:58
「「砂糖は太る」の誤解〜科学で見る砂糖の素顔」 高田明和 講談社ブルーバックス

砂糖を取ると太る、糖尿病の原因は砂糖、キレる脳の原因は砂糖など全部誤解というか嘘っぱち。
カロリーに関しては同量のそば粉やご飯と同じ程度しか含まれない。
脳の栄養素はブドウ糖が唯一のもので、切らすと脳は死ぬ。
糖分が補給されないと頭が悪くなる、食欲が抑制できないのでより食って太ることになる。
タンパク質をとっても糖分が補給されないと吸収されにくくなる(食後のデザートは理にかなっている)。
虫歯も歯垢が原因で砂糖は直接の悪さはしていない。
とにかく砂糖を減らせば減らすほど良いなどと考えるのはまったく愚かで、むしろ適正に採りなさいと。

昔、砂糖は貴重でなかなか庶民の口に入らなかったというのもあるが、儒教の精神「良薬口に苦し」等の
甘いものが体に良い影響与えるはずはない、といったショウもない考えに知らず知らずのうちに洗脳されてるのだ。
砂糖に限らず科学的、客観的な視点でちゃんと見極め自分の頭で判断することがいかに重要かということがあらためて分かる。

62kn:2006/08/23(水) 20:59:53
「ゾウの時間ネズミの時間-サイズの生物学」本川達雄 中公新書

動物の身体のサイズによって機敏さや呼吸の回数、食事の分量などが違う。
時間というものは万物に対して同じものさしで平等に適用されているというのが常識だが、
この本では生物それぞれに時間の流れがあり、基本的には一生に心臓が20億回鼓動して止まり、3億回呼吸して死ぬ、
ということに変わりはないという。
このことは対数というもので示される。音の世界でデシベルという単位があるが、これも対数で2倍、3倍と同じ間隔で増えていくわけではなく、
数字が増えるほど増え方が大きくなる。
幾何学的には巻貝の形も対数螺旋である。巻き数が大きくなるほどひと巻きの幅が増加していく。
生物の生息密度と個体の行動範囲もこれを当てはめるとほぼ似たような結果になるという。
ただし、人間、とくに日本人の場合はサイズから予測される生息密度のじつに230倍もの密度で生息している。
外国人が昔「ウサギ小屋」などと評したがこれでも褒めすぎで、ネズミくらいの大きさの生物並みと同等だという。
ウニやヒトデ、ナマコなどの生態について後半言及しているが、結局海の中ではああいった生物が一番良いところでゴロゴロしている。
他の生物は捕食者=敵を絶えず意識してビクビクしながらエサを探して汲々としてるわけだが、彼らは捕食者にとって一番うまい臓物などは内部に、外側は
骨のような硬い組織でなおかつしなやかな表面で外から食ってもマズイだけ。
硬く閉じた貝などにもまとわりついて消化液を出し1日くらい掛けてチューチューすする。
一般には噛み砕いて内臓でやるべき仕事を身体の外でやってるわけである(体外消化)。
ヒトデなどは敵が来ていざとなったらカンタンに組織を自切して逃げてまた再生。
人間サマが高い金払ってリゾートの海辺行ったら浜辺はナマコだらけ、みたいな状態で、
「なんであんな何も考えてなさそうなのが一番いい所でゴロゴロしてるんだ!ケシカラン!」
というような感覚があり、今まであまり好意的に見られてこなかったし他の生物より生態の研究もされてきてないという。
911テロ以降、人間同士でも頭が固いモンどうし信条とかお互いの時間間隔など全く理解できないが、ヒトデとかその辺に学ぶときが来ているのではあるまいか?

63kn:2006/09/02(土) 03:20:36
「食べる人類誌-火の発見からファーストフードの蔓延まで」フェリペ・フェルナンデス=アルメスト 早川書房
古今東西の食文化・食の世界史を分析した本。

TVなどで高級食材やグルメが消費するための情報は過剰に流される一方で
「食べる」ことの本質的な意味や、どういったしくみで食文化が成り立っているか、
というような事については食べる側はあまり考えなくて済むようにしてきたように思うのですよ。

R・マリーシェーファーが「世界の調律」という本で「騒音とは人々が音に無関心になった結果生じたもの」
であり、現代ではオーディオ装置など個別のHi-Fi化は進んでいるが、価値の選別が行われた結果、
全体の音環境としてはかなりLo-Fi化していると言っていましたが、食文化にも同じ傾向があるのかも。

拒食や不食といった現象は20世紀音楽におけるジョン・ケージのサイレンス、
あるいは映画における「ブレアウィッチ・プロジェクト」のようなものだとこの本の著者はいう。
確かにそういった「成熟病」は皆うすうす感じているのだろう。
おいしいもの、高級なもの、ドンドン欲望を煽られてアレも食べたいコレも食べたいという感情と、
ダイエットしていかにスリムで健康に(=いかに食べていない、欲のない人間ですよと演出するか)と言うノウハウ、
金持ちがこれ見よがしに成金趣味全開にするのは多少気が引けるが、他の人と同じにみられてはイヤ!
さりげなくリッチさを演出したい、というような、かなりねじれて相反する欲求が社会に渦巻いているように思う。
昔のブルジョア貴族は、太っている=おいしいものを過剰に食っている証拠、と言う事でブレーキは完全に機能していなかった、と言う事が
食文化の歴史を見ればよく見える。
毎日肉を27キロ、ワインひとツボ飲むとか、たらふく食った後、窓から下のコジキに残飯を投げてやる喜びよ!!とか。
あきれるの通り越してどちらかと言えば氏ねという感じだが、今は見えにくいだけで同じブルジョア・マインドを持つ層は多いんでしょうな。

64kn:2006/09/07(木) 22:23:14
「ブライアン・イーノ」エリック・タム著 小山景子訳

音楽学者によるブライアン・イーノの研究本。作品に込められた思想をイーノの発言を元に解明している。
いろいろと興味をひかれる言葉があるけど、ロマン主義的なもの(具体性のある歌詞や情緒的旋律など)
を嫌う傾向というのは音響派の人に結構共通している感覚だと思った。
物語的な大げさな(ベタな)構成とかあまりに感情に訴える方向に走ると、
聴く人はストーリーを追う事に気をとられ、いま起きている音の現象そのものは意識しなくなってしまうというような事が書いてあり、
とても共感できた。
あと、「ディスクリートミュージック」は製作中に電話がかかってきたり他の用事しながら録音されたものだというエピソードが面白かった。

65kn:2006/09/16(土) 22:29:11
「日本の歴史を読み直す(全)」網野善彦 ちくま学芸文庫

小学校からの教育で日本の歴史について結構な時間をかけて学習するが、
たいていは鵜呑みにしていて批判的見方で検証する事無しに正しい事だとイメージを作り上げている。
とくに明治維新以降〜の近代日本については興味を持って語られる事が多いが、
縄文時代から中世、戦国時代に入るまでにどのようにこの国が形作られたか、正しく検証されているのか?というところがこの本のテーマ。
そもそも日本という国号や天皇が出てきた流れなど意識を向けてみるとおもしろい。
「穢れ」というタブーの概念、それにかかわる人々(非人など)について、社会の中での女性の位置と意識の変化や、
「百姓」とはどういった人だったのか?(百姓=農民という一般的に広まっている公式は大きな間違いで商人や職人的な役割の百姓もむかしから多く居た)
中世は荘園を中心とした律令制、封建社会だったと習ったが、すべてがそれに当てはまるかといえば正しくない部分が多く、江戸時代頃に現代のような認識が作られたままきているものもある。
「士農工商」等といったことばも重商主義的な考えが農本主義に勝っていたから均衡をとろうといわれた言葉であるし、
バラつきがあった日本を、外国との戦争のため団結する必要が出たからこそ一元的な統治権力が現れたとの見方も出来る。
同じ史料を見ても結論ありきでのゆがんだ見方を修正し、逆の可能性を引き出すようすが見て取れて面白い。

66名無しさん:2006/09/18(月) 02:40:24
昨日一日で「わたしのグランパ」と「星の王子さま」

67:2006/09/18(月) 02:47:16
昨日一日で「わたしのグランパ」筒井康隆著と「星の王子さま」サン=テグジュペリ著を読みました。
まず星の王子さまは皆が感動する世界的に有名な書だか読んだ印象はこんなひと(王子さま)には関わりたくない。聞いたことに答えん。そのくせ聞きたがる。嫌な人間の典型やがな、て感じ

68:2006/09/18(月) 02:55:12
「わたしのグランパ」はありえない突拍子もない話だったが筒井康隆の人を引き込むセンス(筆力?)に見事にやられましたな。俺個人は星の王子さまよりよかったと思うが

69kn:2006/09/21(木) 03:45:22
逆に考えるんだ。「星の王子様は哲学的な問いを投げ掛けている」と考えるんだ。

70kn:2006/09/23(土) 02:28:51
「色彩楽のすすめ」尾登誠一 読了。

デザイナーによる色彩センスアップのための本。
色彩学の理論がわかりやすく解説されていて、インテリアや建築物、環境などの配色をする際にイメージに合った色にたどり着くためのノウハウが語られている。

色のセンスが鋭い人は、普段から習慣的に心に残った色を集め分類することで自然とボキャブラリーが増えているそうで、好き嫌いから一歩進んで観察する事が発見につながりそう。

絵の具をチューブから出したままの色ではなく白から黒への階調に沿った、グレイッシュな色を使いこなせ等というのは絵を描く時にも言われますが、白黒コピーしたときにバランスの善し悪しはわかりますな。

71um:2006/09/24(日) 09:27:10
この本はよさそうですね。
デジタルの話やけど、まず白黒で下塗りしてからオーバーレイで色塗り。

これってどうなんでしょうね。

72kn:2006/09/24(日) 15:53:38
デジタルでは混色で彩度落ちることないのでそれで良いと思う。
顔料の場合白を混ぜると眠くなるので、模型塗るときは蛍光色やクリアカラーを少量混ぜて色調の沈みを抑えるテクがある。

自然光と蛍光灯でも色の見え方かなり変わって自然光では明るい部分は黄、陰は青紫に若干寄って見える。
黄色寄りの色の明度を高く、青紫寄りの色の明度を低く設定すると自然な印象、逆にすると人工的な印象になります。

73kn:2006/09/29(金) 23:47:27
レヴィ=ストロース講義-現代世界と人類学 川田順造・渡辺公三 訳 平凡社ライブラリー
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582765432

1986年に東京で行われた講義と質疑応答。
専門的になりすぎず非常に分かりやすい内容。
ひとつの社会の構造を知ろうとしたり新しい問題に直面した際に、帰属する文化のみを土台に考えていたのでは
解決の糸口も見えず、自分たちが人類史上初めて直面した難題だなどと思い込みがちになる。
そうした時に西欧文明から見て野蛮で停滞的であると嘲りの対象もしくは軽蔑を含んだ好奇心の対象でしかなかった、
南半球の様々な文化に眼を向ければ、タブー、宗教、神話などがじつにうまく集団を秩序付けるしくみに出来ているかがわかる。
この講義では、西欧文明を完全に否定することでもなく未開社会の慣習に逆行する事を進める事でもなく、第三の人文主義を提唱している。
もう20年も前となるが21世紀においてもかなり示唆に富んだ発言が多く興味深い。

74kn:2006/10/03(火) 21:21:23
「人と人との快適距離―パーソナル・スペースとは何か」 渋谷 昌三 著 NHKブックス
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140016051

パーソナルスペースとは人が他人との間に無意識に取ろうとする見えない"なわばり"空間の事。
街中や電車、公共の場所などではこれ以上近づかれると不快だという一定の距離が存在する。
この空間はそのときの心理状態や相手、状況によって大きさやかたちが変化する。人の性格にも関係する。

学校の教室や職員室、上司の部屋などはそこに置かれる人間の心理をどう仕向けるか?ということを考慮されて設計されている。
なんとなく感じている上下関係や権威、相手が好意的であるか否か等という事はじつはその環境によって影響を受けた結果かもしれない。

面白いのは人は自分のボディ・イメージ(身体像)というものを観念として持っており、自分の境界範囲がどのくらいかという事を認識している。
たとえば車を運転していれば車体がそのときのボディ・イメージとなったりする。
衣服を身につけたり化粧をする事でもこのボディ・イメージは強化されるという。

外部からの境界浸透に対する障壁の堅牢さをバリア・スコアといい、このスコアが高い人ほど環境に対して意思的統制を行おうとする方向に強く動機づけられており、
ストレスや障害物の影響を受けにくいという結果が実験で出ているという。
音響映像てきにいうと「S/N比が高い」というやつですかね。

75kn:2006/10/11(水) 08:33:06
「戦場の精神史 ~武士道という幻影」佐伯 真一 NHKブックス
ttp://media.excite.co.jp/book/news/topics/092/p03.html

昔から日本の武士は高い美意識を持っており、高潔で徳が高いというステレオタイプのイメージが
あるが、それは果たして本当だったのかという疑問からはじまる。
これを読むとサムライに対してのファンタジーはまちがいなく粉々に砕かれる。

サムライの歴史を辿るとだまし討ち、ウソ、卑怯な計略、仲間の手柄を横取りなど基本中の基本で、
知力により敵を陥れる、相手を自分と同等とみなしていないところからはじまっている。
征夷大将軍などというが、「夷」とは自分たち人間の言葉や理屈が通用しない獣と同じようなもので、
いちいち話し合ったりする必要すらない。
効率的に敵を追い散らし領土を拡大するやり方は、むしろヤクザや盗人に近い。
しかし、集団が大きくなり個人の功名のためにバラバラに行動すると統制が取れなくなる、またあまりにもウソを普段から
つきすぎると誰も信用しないので「いざというとき」ウソが成功しなくなる、などということから身内や主人に対してウソつくなと厳しく指導され、
誠実であるのが美徳等という考え方になるが、決して倫理や道徳ありきではじまっている訳ではない。

ちなみに高潔な武士のイメージの原型になったのは新渡戸稲造の「武士道」だが、実際に新渡戸は武士の実態をあまり知らず書いていて
「武士道は自分が発明したンや!」などといってたそうである。
人を使う側が人心掌握しコントロールするのに便利なので、サラリーマン的な奉公人の心得などにうまく変容させて現代の「武士道」が出来上がっていった様子がよく分かる。

76kn:2006/10/11(水) 21:56:22
「プロダクトデザインの発想」田中克明 監修

武蔵野美術大学出版から出ている本。
プロダクトデザインの分析や歴史的変遷、環境や人に対応するデザインについて
多数のデザイナーの対話を収録。
図版やカラー写真を多く使って説明してあり、
身の回りの製品がどのようなことを考えて作られているかが理解できる。

77kn:2006/10/18(水) 22:34:54
「デザインの生態学」後藤武・佐々木正人・深澤直人 東京書籍

デザインの教科書。工業製品、建築、環境、デザインの生態学的アプローチとは。
ジェームス・J・ギブソンのアフォーダンスという概念をデザインの分野に敷衍してものの見えかた、
かたちのとらえ方など論理的に掘り下げていくところから始まっていく。
なぜか読んでいて脳にものすごく疲れを感じて頭痛がしてきたので寝ながら読んだ。
面白いので3日くらいで読んでしまったが。

78kn:2006/10/25(水) 04:59:32
「わたしの菜食生活-Cruelty Free Life」秋田昌美 太田出版
ttp://www.ohtabooks.com/view/newsInfo.cgi?index=401

メルツバウ-秋田昌美氏の本。
動物の権利を尊重するアニマルライツという考え方に基づき肉食を止めた経緯が、
自身の日常のようすを交えて語られている。
本の中で「知っている事と気付くこととは違う」という言葉が印象的で、
なにか行動のきっかけとなるのは知識ではなく自発的な「気付き」であるという。
「気付き」とは当事者意識がないと生まれないもので、自分の行動(食べる、商品を買う)ことで
どのような影響があるのか、誰が苦しむ事になるのかなど思いやることにつながると思う。

日本において肉食など食が欧米化した明治あたりに、都合の悪い事は「見なくてすむ」「考えなくてすむ」
ようにしようと意識的にブレーキを取っ払ったあげく自尊心も品もなくしたのはこないだの
「戦場の精神史 ~武士道という幻影」読んだときも思ったこと。

しかし食品表示のアミノ酸が動物性か植物性か分からないときは問い合わせるとか、機内食でのトラブル等
秋田さんなみに徹底するのは日本ではホントに大変だろうなぁと思う。

自分の場合はBSEや鳥インフルエンザ問題が報じられる一方でグルメ番組でタレントが高級肉食ってるのとか見ていて、
無駄な生産と消費の繰り返しに、「もう食わんでええ」ととりあえず肉食やめたけど体調などはむしろ良い。
タバコや酒などと同じく楽しみのために食ってるだけで、よく言われる肉食わないと栄養が偏る云々は単なる言い訳だと思う。

79kn:2006/10/28(土) 22:01:32
「だまされる脳 バーチャルリアリティと知覚心理学入門」
日本バーチャルリアリティ学会VR心理学研究委員会/編
講談社ブルーバックス 
ttp://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031775571&Action_id=121&Sza_id=B0

タイトルどおりの本。
脳がだまされるのは確定できない要素の中から「こう捉えるのが妥当」と判断する働きを逆手に取られた場合。
なので現実感のある仮想とは知覚心理学の研究とイコールな部分がある。
VRは視覚的な分野のみならずバイノーラルサウンドとか音響や触覚などの分野にも技術が進化しているようでそのあたりのことも書いてある。

80kn:2006/10/29(日) 02:35:07
「何がおかしい―笑いの評論とコント・対談集」 中島らも 白夜書房
ttp://www.amazon.co.jp/gp/product/4861911869

「論座」コラムや対談、膨大なコント台本のダイジェストなど集めた最近編集されて刊行された本。
「笑いとは差別である」と言い切った上で「笑いは人が生きていくために必要」といっている。
しかしその2つは全く位相の違う問題であるという。
差別的な笑いとはTVのアホの坂田みたいな実はアホではない、ただの金に汚い芸人に代表されるもので、
いまのTVはどれも差別を人工的に作り出し笑わせる装置(昔は差別される人間に社会的な役割があったが今は隔離されているため
作り出す必要が生じた)なので観ていて笑うどころか腹が立つというような笑いに関しての分析がよく分かる内容。
エンタテイメントではなくドキュメントという感じかな。
藤山寛美とかウェットなのが大嫌いというのはこれまでの著作みればよく分かる。
「論座」で原稿書いたものの掲載されなかったという回のも掲載されているので読んだけど、正直複雑な感じだった。
東郷健とか奥崎謙三のNHK選挙広報ビデオの話持ち出して権力に対してうんぬんとか反感は覚えないまでも微妙。
こういった文章が完全にお蔵入りにならず読まれるのも、中島らもの名前がでかくなったせいという気もする。
そこらの名前のないやつが言ってもクビにされて代わりはナンボでも居るってことだし。
ただ自分の行為がどういう大きな動きに与しているか見ようとしないやつらが多すぎるというのもわかるけども。
世代のギャップを感じるのも自分がある程度の年齢なったからかも知れんね。
この本には未発表のラジオ番組が収録されたCDもついてるのでまた聴いてみたい。

81kn:2006/11/04(土) 22:07:15
聴講してきた。
ttp://www.kyoto-u.ac.jp/notice/05_event/2006/061104_2.htm
ミジミジミジ
ttp://www.ne.jp/asahi/ningenzen/gakunan/zuihitu/z7-konton.htm
ttp://www.geocities.jp/kumatomajp/sab-7.htm


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