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漢籍スレ

1スケアクロウ:2004/01/04(日) 21:27
漢籍スレです。
漢籍の翻訳・校訂などに関する話題はこちらへ。

10two_yossy:2004/07/12(月) 18:04
 訒禹伝ひきつづき

 書き下し「王朗」→「王郎」。なお下文、李注によると訒禹がかき集めた兵を
  光武帝が自ら指揮し、それに訒禹も加わって攻めたことになっていますが、
  本文では先頭に「令」字があって、訒禹に攻めさせたことになっています。
  あるいは衍字でしょうか。
 光武 城楼の上に舎(やど)る→「舎」は前回同様「宿泊する」の意。ただし貴訳
  に「憩う」とするのも遠からず。
 指示→これは広げた地図を指さして示したこと。貴訳も可。吉川訓注では、
  「指し示す」と。「指示する」の可。
 天下の郡国は是くの如し。今 始て乃ち其の一を得たり。子 前(さき)に吾を
  以て天下を慮れば定むるに足らずと言ひしは、何ぞや→ここの文意は、天
  下の郡国はこのとおり広大であるのに、今そのうちの一つを取ったにすぎ
  ない。君は以前、私が天下のことを考えれこれを平定することなど造作も
  ないと言ったが、どんな根拠があるんだね、ということ。言外に、これだ
  け苦労してたった一隅を得たなすぎない。本当に天下が取れるのか、とい
  う「泣き言」が含まれています。そんなニュアンスで。
 古えの興る者→成湯や周文を指しています。「むかし国を興したもの」の意。
  なお「方今」はそのものズバリそういう熟語。「猶ほ赤子の慈母を慕ふが
  ごとし」。
 禹の毎に挙ぐる所の者有り→この「毎(つね)に」は、毎日挙げていたのでは
  なく、挙げたものがすべての意。訳文このままでも可ですが、さらに一考
  を。
 禹は遂に進みて与に戦ひ、之を破りて其の大将を生獲にす→訒禹は兵を進め
  て蓋延らとともに(城の内外呼応して)敵を挟撃した。
 連に大に克ちて獲(とら)ふ。北州 略ゝ定まる→ここの「獲」は最前の「生獲」
  と同じ意。連戦連勝して多くの捕虜を得、北地はおおむね平定された。

 拒む→「ふせぐ」も可。
 光武は赤眉の必ず長安を破らんことを籌(はか)り、釁(すき)に乗じて関中を并
  せんと欲するも、方に自ら山東に事あらば、未だ寄(あづか)る所を知らず→
  文意は、光武帝は、「赤眉が必ず長安を陥落させるだろうから、その隙に乗
  じて関中の地を手中に収めたい」と思ったものの、自分は山東にいて関中の
  好機にあずかることができなかった、ということ。
 禹の沈深にして大度有るを以て、故に西討の略を以て授く→「以て…故に」は
  「…であるため」の意で、書き下しにすると少し回りくどい表現になります。
  「以ての故に」と訳す場合もありますが、読んだときに語順が狂う気がいる
  ので「以て…故に」でいいと思います。
 遣はして西のかた関に入らしめ、自ら偏裨以下の与倶(とも)にすべき可き者を
  選ばしむ→令・教・俾・使など「しむ」の意の助語辞はたくさんあり、「遣」
  もその一つですけれども、「使」にはまま「つかいする(使者として遣わす)」
  として意があるのと同様、「遣」にも「さしむける」意として使われること
  があり、そのときには「しむ」として主たる動詞に付随させるのではなく、
  「遣はす」と独立した形で訳すべきだと思います。以下同様。
   「副将以下その他」、「その他」はやや重複かと。

 とりあえず今回はここまでにします。ご参考に。

11two_yossy:2004/07/15(木) 19:06
訒禹伝ひきつづき (その2)

禹 諸将を遣はして解の南に逆撃せしめ、大に之を破り、参が首を斬る→ここの
 「遣」の前述のとおり。「解」は県名。「解県(解城)の南」。「逆」は「逆
 旅」の逆で、「迎える」の意。「迎撃」「邀撃」。下文の訳「再び共に訒禹
 を挟撃し」は文脈からすると単に「攻撃」ぐらいでも十分かと。
「明日は癸亥にして…」→括弧書きにして直接話法としたほうが分かりやすい
 か。また「窮日なるを以て出でず」で句点か。訳は「明日は六甲の窮まる日
 で」か。このあたりご検討を。下文「匡は軍を悉(つ)くして出でて禹を攻む」。
 「悉」は「尽くす」に通じ、意同じ。
既に営下に至れば、因りて伝へて諸将を発し鼓して並進せしむ→吉川訓注。意
 は「敵が軍営の下ぎりぎりのところに迫ってから、伝令を飛ばし諸将に太鼓
 を鳴らし…」。「既に」は過去や完了を表す助字。下文「皆な之を斬る」、
 ここで句点か。「弭彊」、訳文「弭疆」に。
勝(あ)げて数ふ可らず→常套句。意は貴訳のとおり。
制を承(う)く→「承制」は勅命を承ること。『唐詩選』所収・宋之問「晦日、
 昆明池な幸す、に和し奉る 応制」の「応制」と同じような意味。「制」
 は皇帝の命。勅命を頂戴して官綬を拝領する、勅命によって位に就く。
 「拝」は「就ける」意もあるし「就く」意もあるので、自分は「拝す」と
 無難に書き下しています。「更置」は「更迭」の意に訳すのがよいと思い
 ます。
使者をして節を持ちて禹を拝して大司徒と為さしむ→使役の「使」は「…を
 して…しむ」と書き下しますが、通常のルールとしては「使」がかかる文
 の最後に「しむ」がきます。ここでは「大司徒と為す」のが主たる目的な
 ので「為さしむ」と。下文「制詔」は熟語。下文「勝を千里に決す」。
今 奉車都尉を遣はして印綬を授け、封じて酇侯と為し、食邑は万戸とす→こ
 この「遣」も同じ。文意から必ずしも使役に訳さなくてもいいでしょう。
 書き下しは吉川訓注のとおり。下文「之を敬(つつし)めや」は、尚書風の
 表現。「懋(はげ)めや」の類。

 ふうぅ...どうにか終わりました。李注のほうはまた後日。
 ではでは。

12むじん:2004/07/24(土) 11:21
鄧禹伝の「舋」は間隙、ひび割れという意味ですよ。
発音は許慎の反、ということでキン。


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