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雑談スレ

1スケアクロウ@管理人:2004/01/03(土) 02:22
雑談スレです。サイトの宣伝でも何でもこちらへどうぞ。
独り言もOK☆★

2そとのお:2004/01/03(土) 02:28
文字数制限にひっかからない事を祈りつつ、
予告通り、文和考証の感想やら何やらカキコさせて戴きます。

何をともあれ、お疲れ様でした。
継続は力なり、と言いますので、
是非、人物に限らず色々な考証にバシバシチャレンジしてみて下さい。
…とか、無責任なこと言ってみたりします。(殴)

まずは、どうでも好いことを一つ。「3.董卓軍への参入」から。
文和が再出仕がどの様な過程であったのか、という処ですが、
スケアクロウさまも述べていますが、
保身的・合理的である文和が、如何にも危うい董卓に進んで出仕する
という行為は自分には考え難いですね。
無理矢理召し出された→断るとヤヴァイ→ついていきます、ボス(謎)
みたいな流れが、流れとしては自然かと。どんな流れだよ。あぅ。
まあ、やはり想像の域を出ないわけですが。
ちなみに、伝に「閻忠以外には評価されなかった」とありますが、
実際の処、孝廉に挙げられているくらいですから、
その当時、全く誰にも評価されなかった訳ではないと思うのですが、
その辺り、詳しくは分かりませんね、ふむ。

えーと。本題です。
裴松之と陳寿とでどうしてこうまで評価が違ってくるのか、と言う処ですが。
いやー、上手くまとまってると思います。
自分、読書感想文とかの類が大の苦手でしたので、
正直、羨ましいです。はい。
で、本題のなかで気付いた処とか感想めいたコトを少し書いておきますね。

裴松之が、赤壁前夜の文和の進言を時宜にかなっていない、と批判していますが、
恭順派と主戦派が対立していた事実を考慮に入れると、
強ちそうとも言い切れないですよね。
何というか、「後世」で評価を加える立場だから、
しょうがないと言えば、しょうがない訳ですが、
裴氏の注は結果論的な発言が多々見られると思いますし。
漢中から蜀平定の劉曄の進言に対する評価もその類ですしね。

それはそうと、
裴氏が人格・人柄云々で二荀と文和を一つの列伝にまとめたことを非難したことに対して、
スケアクロウさまは、
陳寿と裴松之では時代背景を基にした価値観の相違が絡んでいるのではないか、
と推測されてますが、勿論、そういった事もあったとも思います。
ですが、陳寿は時代背景云々以前で
この列伝を編纂したのではないか、と自分は思ったりもします。
というのも、文和の伝に引く、『荀勗別伝』によると、
文和は既に当代において、「三公に不適切な人間」として評価されていたことになります。
つまり、裴氏が(評価の)、「一つの伝にまとめる人選」の基準では、
当時(三国〜晋初)の一般的な?価値観においても既に荀氏の伝と文和の伝を
一つにまとめるのには無理があった、ということになると思います。
では、陳寿が何をベースにこの伝をまとめ様としていたのか、と言うと、
やはり三人して輔弼的ポジショニングってのが有力だとは思いますが、
彼らに習熟していない自分には何とも言えません。(をぃ)
すみません、尻切れで。
但し、当時(三国〜晋初)は後代の様な人格云々で、
「一つの伝にまとめるべきかどうか」は議論の対象となる時代ではなかった、
とか言うと、それまでですが。

最後に、「7.お家騒動」で触れられている、
「諸葛亮が劉備に三国鼎立という中庸かつ均衡の状態を献策した」
というのは正しくありません。
確かに、文和の伝の冒頭で閻忠が皇甫嵩に説いた策や、
「積極的に主戦に転じず、時宜をはかる合理主義」のスタイルを貫いた文和がとっていたのは、
均衡を前提としたものだと思います。
ですが、諸葛亮の劉備への献策は決して均衡を目指したものではありません。
「天下三分の計」という言葉自体、出典が何であるのか、
勉強不足なために分からなかったりするのですが、
要するに、諸葛の言いたかったのは、
「孫氏と結んで曹氏にあたり、益州と荊州を領有した上で挟撃して上洛を目指す」
というものであって、決して二者もしくは三者で天下を分割して統治しよう、
もしくはその状態であろう、というものではありません。
この辺り、多くの人が誤解しているのをしばしば見かけます。
というわけで、少なくともこの辺りで、諸葛を引き合いに出すのは間違っていると思われます。

で、やっぱり、何もしてないのにスペシャルサンクスはなー、
と小っ恥ずかしく思うわけでして。はぅう。

以上、正月に公開するネタに困りつつ、へたれな長文を書き殴ってしまいました、そとのおでした。
ではでは、良いお年をー。

追伸:誤字脱字、多分に見られるかと思われますが、ご容赦下さい(殴)

3スケアクロウ@管理人:2004/01/03(土) 02:29
でした。遅レスですみません。
たくさんのご指摘ありがとうございます。
楽しく(笑)読ませていただきました。
特に天下三分の計あたりが。自分の浅学さを暴露してしまいました(恥)
そとのおさまのポイントを自分なりに検証してみて
そのうちまた更新したいと思います。
#いつになるやら・・・(汗)
ともかくどうも有り難うございましたー
またのツッコミをお待ちしておりますm(_ _)m

4そとのお:2004/01/03(土) 02:30
新年明けましておめでとうございます。
昨年中は、大変お世話になり有り難うございました。
本年も宜しくお願いします。

伏皇后、お疲れ様でした。
彼女の伝を読む度に、
「出てこい、子魚ーっ!」
と叫びたくなるのは自分だけでしょうか。(笑)
で、一応、ぱっと見ですが、突っ込みを一つ。
皇后の母親は、「某盈(もしくは、□盈)」とすべきであって、「劉盈」とするのは正しくありません。
というのも、伏完の妻であった公主は、同じ皇后紀に記述のある、「陽安長公主・(劉)華」であって、伏皇后の母・某盈ではないからです。

そして、曹皇后、訒禹、何皇后…。
自分も見習わないといけません。ですが、まず卒(以下略)。

本年がスケアクロウさまにとって良い年でありますように。

5むじん:2004/01/03(土) 02:31
明けましておめでとうございます。
旧年中はお世話になりました。本年もよろしくお願いします。
今後の漢籍翻訳にも期待大です。がんばってください。

6スケアクロウ@管理人:2004/01/03(土) 02:33
皆様明けましておめでとうございます。
今年も何卒宜しうお願いします。

>>そとのおさま
伏皇后紀ですが、訂正しておきました。
ツッコミサンクスです☆⌒(*^-゜)v
華陽国志頑張って下さいませー

>>むじんさま
また色々と伺いに参ると思いますが
よろしくお願いいたしますm(_ _)m

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後漢書&後漢書集解をこの際揃えようかと考え中ですが
なかなか決断に至りません。
どうでしょう?(などと聞いてみます)
#アドバイス下さい(笑)

7スケアクロウ@管理人:2004/01/03(土) 02:36
とりあえず旧掲示板の過去ログを少し移行しました。
あぁ〜眠たい。

8むじん:2004/01/03(土) 03:35
掲示板かわってる^^
後漢書集解はあるといいですよー。とくに志の部分で集解が充実してます。
中華書局より芸文印書館のものが少し安いようでした。


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