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架空図書館1

70奈々氏の蔵書:2012/03/25(日) 04:44:02

『カーミラ』 (Carmilla) は、アイルランド人作家シェリダン・レ・ファニュが1872年に著した怪奇小説、およびその作中に登場する女吸血鬼の名前。

吸血鬼伝承は古くからヨーロッパ各地にあり、またフィクション作品としても "The Vampyre"(1819年)などが本作以前にあるため、本作が吸血鬼作品の祖というわけではない。しかし後に吸血鬼作品の代名詞的存在にまでなる『ドラキュラ』(1897年)に多大な影響を与えたのは確かで、本作はドラキュラの祖という評価がなされる。

本作における吸血鬼の造形は、アイルランドの吸血鬼伝承が基になっており、貴族的、美形、棺桶で眠る、心臓に杭を打たれて死ぬ、などの特徴はドラキュラに引き継がれ、以降の吸血鬼作品の定番となった。逆にドラキュラとの違いでは、太陽光線を浴びても平気である、賛美歌を聴くと身体が震えて動けなくなる、といった点がある。

また本作に登場する吸血鬼が女性であることも特徴的で、発表された当時では女性の吸血鬼は珍しかった。そしてこの女吸血鬼がターゲットとする相手も全て女性であり、レズビアニズム溢れる作品になっている。しかし本作は主人公ローラの手記を通して物語が紡がれる形式であるため、語り手の品格によって性描写は上品に抑えられている。

吸血鬼作品の代表作に数えられる本作だが、『ドラキュラ』や『ノスフェラトゥ』が幾度も映画化されたにもかかわらず、『カーミラ』を扱った映画は数える程しか無く、それらに比べてマイナーな存在になっている。これは『ドラキュラ』が純然たるゴシック・ホラーであるのに対し、『カーミラ』は同じゴシック・ホラーであるものの、ホラーよりもサスペンスや対人関係に重きを置き、ややソフトな形態を採っている事が影響していると思われる。また 20 世紀初頭から隆盛を誇ったモダニズム文学の波に飲まれ、長らく再評価されてこなかったことも影響している。

71奈々氏の蔵書:2012/03/26(月) 14:25:46
『二流小説家』デイヴィッド・ゴードン著、青木千鶴訳
2011.4.17 08:31 (1/2ページ)

面白い、こんな新人も久々


 いやはや、面白い。読み始めたらやめられない。こんな新人も久々だ。

 主人公は売れない作家のハリー・ブロック。ある日、彼のもとにダリアン・グレイから手紙が来るのがこの物語の発端である。ダリアン・グレイとは、12年前にニューヨーク市内で4人の女性を誘拐し、拷問にかけたのちに惨殺した連続殺人犯で、すでに死刑が確定し、刑務所に収監されている男だ。

 この男は遺体をばらばらに切断してから胴体と四肢をゴミ容器に捨てたのだが、頭部はまだ発見されていない。しかもこれまで一言も自供していない。そのダリアン・グレイが犯行動機から手口まで全部話すので、手記のゴーストライターになってくれないかと言うのである。

 そんな手記が刊行されたらベストセラーになるのは目に見えている。だから当然引き受ける。ところがダリアンは奇妙な条件をつける。すぐに明らかになることだから、ここにも書いてしまうが、その条件は、彼のもとへ熱烈なファンレターをくれた4人の女性に取材し、ダリアンとの情交を小説にするというもので、ようするに、刑務所の中で楽しみのないダリアンのために、個人的なポルノ小説を書くというわけである。

ミステリーからヴァンパイア小説、そしてポルノ小説まで何でも書きまくってきたハリーにとって、それは簡単なことなので気軽に引き受ける。ところが、話はここから思いもかけない方向に進んでいく。その複雑なプロットの展開が本書のキモだろうからその詳細をここには書かないが、このあとのスピード感あふれる展開は素晴らしい。ハリーの書いたさまざまなジャンルの小説が作中の随所に挿入されているのもご愛嬌(あいきょう)だ。

 ハリーのビジネスパートナーを買って出る女子高生のクレア、ストリッパーのダニエラなど、脇役たちの造形が群を抜いているのも特筆ものだろう。とてもデビュー作とは思えないほど、うまい。さらに主人公のハリーがいつまでたってもふらふらしていて頼りないのもいい。つまりセンスあふれる小説でもある。(ハヤカワ・ポケット・ミステリ・1995円)

72奈々氏の蔵書:2012/03/26(月) 14:33:09

倒錯・異常・変態・サド・マゾの色情狂たちが小説の世界で大手を振るのは珍しいことではない。ところがそれは虚構のはずなのに、錯覚してしまうのだろうか、いかにもアメリカらしいと思ったのだが、実際にこれに耽溺するするヤカラがいたるところにいる現実がこの作品には描かれている。私はこのアメリカの狂気は虚構ではなく本物だろうと思っている。作中、血しぶきが飛び散り、首がちょん切れ、ハラワタが捩れだすというスプラッタースタイルの猟奇殺人が連続する。驚くことに獄中のこの殺人犯に陵辱されたいと夢見るオッカケ的女性ファンが多数いるのだから、さすがアメリカだと感心してしまった。イヤァこれは小説だからと笑い飛ばすほど私は大胆ではない。
もっともその道の識者からすれば日本もどっこいどっこいだとおっしゃる向きもあるだろう。

ハリーのおとぼけぶりと事件の残虐性を対比するおかしさ、あるいは『恋愛小説家』にあった不一致の滑稽さを描いている、その理屈はよくわかるのだが………原作か訳者のせいか、それとも私の感性の欠如か、肝心のユーモア精神が伝わってこないのだ。

後半になってはじめて事件らしい事件が起こるのだが、ここに至るまでは、実は気が遠くなるような冗長な叙述が続く。
ハリーの著作であるSF、ヴァンパイア小説、ハードボイルドミステリーがそのまま挿入されて、ここに伏線があるのだろうと思ったりするのだが、よくわからないままに眠くなってしまう。
高度な文学論・芸術論をしているのだろうか、ダリアン・クレイの長広舌でアメリカ的狂気を深く掘り下げているのだろうか。

ラストに向けた二転三転のストーリー展開は読み応えがあるのだが、ここまでにくたびれてしまったせいだろう、スッキリしませんでした。


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