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”この世に「絶対」は存在するのか”

1名無しさん:2015/06/28(日) 12:38:25
とかいう使い古された論題について徹底的に考えるスレです。
さあ、はじめよう。

まず「絶対」の定義から。

1 他に比較するものや対立するものがないこと。また、そのさま。「―の真理」「―な(の)存在」「―君主」
2 他の何ものにも制約・制限されないこと。また、そのさま。「―な(の)権力」
3 ⇒絶対者
4 (副詞的に用いる)
㋐どうしても。何がどうあっても。「―に行く」「―合格する」
㋑(あとに打消しの語を伴って)決して。「―に負けない」「―許さない」「―反対」

ソース:http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/124610/m0u/

7名無しさん:2015/06/28(日) 23:36:38
名前つけろやごみ

8AAAAA:2015/06/29(月) 01:01:26
だまってろぼけ

9名無しさん:2015/07/02(木) 12:02:18
そういえば
http://ha10.net/fight/1430851387.html
こんなスレあったんだな

絶対は制限されてはならないみたいなかんじで話が進んでるけどその定義はソースどこなんだろ
そして結局どういう結論になったのかがよくわからんけど

10名無しさん:2015/07/03(金) 00:36:40
考えてみたら>>5だめだわ
絶対に諦めないことが可能だったとしても
「何があっても諦めない」を検証して証明できないといけないわ
”何があっても”の仮定において発生しうる事象は無数にあるから検証不可能だし
結果的に短距離走で1位を取るまで諦めなかったからと言ってそれが「絶対諦めないことができたか?」と言われたらそれはわからない

つまり短距離走の開始から1位とるまで「絶対諦めない」という意志をもったまま走り終えたとしても
それは「なにが起きても絶対に1位をとるまで諦めなかったか」ということの証明にはならないからダメ

考えれば考えるほど「絶対は存在しない」っていう結論が見えてくる話だねこれ

11名無しさん:2015/07/04(土) 13:56:06
あーこれ俺答え知ってるけどあえてだまっておくか

12:2016/03/27(日) 20:43:14
追記
●「真理」について
真理:いつどんなときにも変わることのない、正しい物事の筋道。真実の道理。「永遠不変の―」「―の探究」
見ればわかるが「いつどんなときでも変わることのない」なのでもし真理が存在すればそれは絶対が存在することになる。
ただしそれにあたっての問題点は真理が存在することを証明しなければならないこと。
「真理」という概念は存在するが、実際に真理が存在するかどうかは不明。
というかこれ結局「真理の存在の証明」が「絶対の存在の証明」とイコールってだけの話なんだよね。
つまるところ今回の論題は「真理は存在するかどうか」で置き換えてもいい。

13:2016/03/27(日) 21:24:36
●過去の自分の存在は絶対か?
今自分が存在している時点で、自分が生まれてから今まで自分が存在していたことは自明で
自分の存在は絶対にあったといえそう
ただ、証明ができない
たとえば過去の写真に自分が映っていたとしても、その写真が本当にその時にとられたものであるか証明できない
写真にうつっていても「実際に存在していたか」はわからない?

うーん
もうちょっと深く考える必要がありそうな気がするけど今はとりあえずメモ程度

14:2017/10/01(日) 01:32:50
「この世に絶対はあるかどうか」という問に関して、
この世に絶対はある

この世に絶対はない
のどちらかは「絶対に」正解である

はどうかな。

15ういじ:2017/10/04(水) 23:23:16
それって「すべての物事はあるかないかでかたがつけられる」前提の上の話じゃね。
絶対だって言いたいならその前提外(有って、無いような状況)についても考えなきゃいけなさそう。

16ういじ:2017/10/04(水) 23:30:25
>>15
別にすべての物事に言及しているわけじゃないから、その問の答えが に変えた方がいいか。
①この世に絶対はある。
②この世に絶対はない。
③この世に絶対はあって、ない。

③の意見も一応は「有ること」にはなってるし、「無いこと」にもなってるけど、①や②に含めて考えてもいい内容なのかはわからない。

17るいじ:2017/12/01(金) 17:45:01
寝ぼけて10月になんか変なこと書いてたから補足説明加えておきます。

まず>>4にある【ケース④】について考えると、「秒の決め方(定義)」が変わることは絶対だと認められないって事がおでんの考えの根底にありそう。
>ただこれも秒の決め方が変わるかもしれないって言ったら絶対ではなくなる

であるのなら、

「この世に絶対はあるかどうか」という問の答えは
“この世に絶対はある”か“この世に絶対はない”のどちらかである。

「“ない”の定義が“ある”の否定による間接的なもの(“ない”は“ある”の余事象)」であることを理由に、上記の通りに考えるのは難しいということ。
ただ、「定義」は(http://urx3.nu/Hjg7)にもあるとおり、(多分基本的には)人間の行為によって確定されるものだから、「客観的な概念(“ある”の本質的な意味だったり)」について考えると上の考え方は正しくなるのかもしれない。

じゃあ、客観的な概念っていうのはどうやって規定されるのかっていう問題も出てくるけど…。

とにもかくにも、上の考え方は「ある の反対が ない」という根本的な原理から導出されているけど。
じゃあ「ある と ない が排反的な概念」であるなら、必ず「中立的な存在(>>16で説明した③)」は無くなるのかってなりそう。
これも「排反」や「中立」の定義にも依存してきそうだし、議論はいよいよ難しくなりそう。

18:2018/01/03(水) 10:47:09
http://jeison.biz/casphy/bbs/read.php?cate=debate&mode=thread&no=6272


18: 塾長@平成喧嘩塾◆bFJEjRR6Wo
2017-12-18 00:49:55
ID:CkJw8IBY
「世界は実は5分前に始まった」という仮説を覆すことが出来ない(世界五分前仮説)ように、
この世のあらゆる事柄は、懐疑的に突き詰めていけば、結果的に絶対と言えるものなどありません。

過去に起きた事柄でも、その記憶が偽りである可能性、
もっと言えば、あらゆる人類がそれらの記憶をもった状態で5分前に発生した可能性だってあります。
これを読んでいる現在の貴方だって、(マトリックスのように)急に目が覚めて頭に刺さったプラグを抜かれ、
「当社の作った仮想現実世界はいかがでしたか?」なんて問いかけられてもおかしくないわけです。
現在認識している物理法則の全ては虚偽であり正三角形の角度でさえ存在し得ない空想の概念かもしれません。

ただし、ひとつ例外があります。その答えは「我思う、ゆえに我あり」という有名な言葉で形容されるように、
それらあらゆる事が虚偽なのではないか?と思考する主体、つまり自分自身(意識)は絶対に存在すると言い切れる唯一の存在である、という事です。


★おまけ
「絶対はない」という命題は、言い換えれば「絶対はあるかもしれない」となります。
なぜなら、「絶対が存在する可能性」について「絶対はない」とする立場で論ずる場合、「0%」と言い切る事は出来ないからです。
なので、時々見かける「絶対なんて存在しないだ!」という主張は論理的には破綻しているという事になります。

19ぷに@最遅:2018/09/24(月) 19:28:19
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