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仏教大学講座講義集に学ぶ      【 開目抄講義 】

8 美髯公 ◆eqY.FnGTp2 :2019/04/22(月) 16:03:49
            
                                 一

  「開目抄」は極めて人間的な書である。日蓮大聖人の代表的な著作では、「立正安国論」が社会変革を目指した鋭い警世の書であり、「観心本尊抄」は、
 信仰の対象である本尊について、教理の上から深い考察が為されている。それらに比較し、本抄は五重の相対の上から教判が行われているが、
 あくまでも本質は、大聖人ご自身が法華経の行者であるか否かについて、深い疑問を構え、幾重もの精神的格闘を経て、主師親三徳具備の御本仏たる
 確信を高らかに披瀝されるに至るのである。御文の中には、大聖人が法華経の行者であるとすれば、なぜ諸天の加護がないのか、について深刻な疑問を
 設けられている所がある。これは結論として難がある事が正法を受持している証拠であり、また、難にあって信心を動揺させている門下に教えるために
 設けられた疑いであるが、大聖人ご自身の内省なしに述べられたものではあるまい。謗法の有無についても、御自身の問題として自問された結果、
 法華経の行者、主師親三徳具備の仏としての確信に立たれているのである。

  八万法蔵の内珠玉の如き法華経をたもち、かつ社会への貢献を願って布教に尽くしているにもかかわらず、上一人より下万民に至るまで大聖人の
 真意を解しようとしない。仏法の因果の理法が正しいならば、これは如何なる因によるのか。自身に如何なる誤りのある故か。それらを、人間として
 悩みつつ、その果てに人間道の勝利者としての確かな実感を得られたに違いない。悩み無く、戦いなくして仏身の成就はない。成仏とは、まさしく
 一人の人間の悪戦苦闘の彼方にある昇華である。
 従って、この「開目抄」を拝するにあたっては、大聖人の心の叫びを我がものとし、ひたすら信読、身読するのでなければ、その真意は把めまい。
 これは私自身への自戒を込めての実感である。以下、「開目抄」の大要、重要個所を述べるにあたって、学究の徒としてではなく、求道の子としての
 立場を貫きたいと願っているのである。


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