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仏教大学講座講義集に学ぶ      【 開目抄講義 】

10 美髯公 ◆eqY.FnGTp2 :2019/04/22(月) 16:21:48

                                 二

  「開目抄」はいうまでもなく人本尊開顕の書である。本尊とは「根本尊敬」の意であるが、それが「人」であるとは、どういう事であろうか。
 そこに実は、日蓮大聖人の仏法の基本的な考え方が隠されているのである。人本尊という言葉だけからすれば、一般の宗教に見られがちな偶像の
 概念に似ている様な感がする。事実、仏教においても、仏像は偶像としての機能を果たしてきた。それが仏教の本質を少なから歪めてきた事は疑い
 ない。「仏」といえば、人間とは縁のない名であり、何千年か前の偉人の名であり、ある場合には死人の代名詞であったりする。
 「仏」とは、覚者であり、宇宙を究極に於いて律する法を悟った人をいうにもかかわらず、仏がその法自体であるかの様な印象を与えている。人は
 「神」には成れないが「仏」には成れる。というところに仏教の本質があるにもかかわらず、仏が神と同一の存在になってきたのが、仏像に象徴
 される仏教のあり方ではなかろうか。

  宗教の役割は、人間の目に映り、時空間を流動する事象を測定しうる世界にのみ生きていては人間ではない、その奥に横たわる本質の世界に目を
 向けよ、と教える所にあるはずである。「宗」という字が根本の意であれば、宇宙、人生の根本を教えるものという意味が明らかになろう。
 そのために、まずこの人間存在、またそれが構成する社会が如何に卑小かお知らしめる事も、有効な教育手段であるに違いない。日頃、傲慢で
 エゴに凝り固まっている人間が如何に愚かで矮小であるかを教え、もっと尊いもの、「聖」なるものを知らなければ、人間として生きている事には
 ならない。こう強調する事が宗教者として当然の行為であると考えるのも無理はない。


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