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功徳を語り合う

40 沖浦克治 :2016/08/12(金) 16:30:20
 他人の功徳を揶揄したり否定するために、

 天界止まりだから本物の功徳ではない。

 と言う言葉を用いる方もおられますが、少々御書を引用し誤りを指摘しておきます。

 『法華宗の心は一念三千性悪性善妙覚の位に猶備われり元品の法性は梵天帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり、』
 (治病大小権実違目)

 私どもは六道の衆生です。
 その六道の中にしか菩薩も仏も出現致しません。
 過去の私どもや、現在の日蓮正宗の十界論はこの点に迷いがございます。

 六道こそが仏道修行の場。
 六道を離れて一切の仏道修行はありません。

 二乗は永不成仏とされて来ました。
 六道を離れて生きるからです。

 六道輪廻の中にしか仏法は開きません。
 これが仏法の極意です。

 今私どもが生活する娑婆世界。
 六道輪廻の世界で穢土とも申しますが、ここだけが仏国土なんです。

 ここで本気で戦いをし、祈るならその人一念には梵天帝釈が湧現いたします。
 反対に戦う人の足を引っ張れば引っ張るほど、その人の命には第六天の魔王が湧現致します。

 注目すべきは、最高が天界最低も天界。
 所詮私ども凡夫の一念は天界に始まり天界に終わります。

 餓鬼界即寂光、地獄即即寂光。

 『直至と云う文の意は、四十二位を爰にて極めたり、此の直の一字は、地獄即寂光餓鬼即寂光土なり、法華経の行者の住処、山谷曠野なりとも、直至道場なり、道場とは究竟の寂光なり、』
 (御講聞書)

 『夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はずただ我等がむねの間にあり、これをさとるを仏といふこれにまよふを凡夫と云う、これをさとるは法華経なり、もししからば法華経をたもちたてまつるものは地獄即寂光とさとり候ぞ、』
 (上野殿後家尼御返事)

 御書には明確にこのことが説かれてあります。
 最後に後一文引用致します。

 『第六此人不久当詣道場の事
 御義口伝に云く此人とは法華経の行者なり、法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去つて彼に行くには非ざるなり、道場とは十界の衆生の住処を云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり此れを道場と云うなり、』
 (御義口伝巻下)


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