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仏教大学講座講義集に学ぶ       【 日蓮大聖人の生涯 】

69 美髯公 ◆zkpDymnu/M :2015/10/30(金) 23:33:07

      【身延を選んだ理由】

  日蓮大聖人は、何故身延を選んだのであろうか。恐らくは、この地が日興上人と有縁の地であったという事である。甲斐(山梨県)は日興上人の出身地であり、
 また大聖人の弟子となってから、主に折伏に専心した地域は、この甲斐方面と駿河(静岡県)地方であった。四十九院時代の清厳な日興上人と出会い、
 その後文永六年頃入信した波木井六郎三郎実長の所領が、甲斐国巨摩郡波木井郷で身延山はその一部であった。この様な縁から日興上人は、身延を勧めたと
 考えられる。日興上人が大聖人の案内に立ち、身延へ同行した事は言うまでもない。大聖人は波木井実長の館に一ヶ月程滞在し、その間、身延の西谷の地に間に
 合わせの粗末な庵室を造り、六月十七日にそこに移った。それから約八年四ヶ月に渡って、この身延山中で生活を送ったのである。

 身延での生活は決して安穏なものではなく、人里から遠く離れ、冬は厳しい寒さに見舞われ、道も雪で閉ざされてしまうような僻地であった。食料、衣料等の物資も
 不足しがちで、南条時光や四条金吾、妙法比丘尼等の信徒達も大聖人の身を案じ、能う限りの供養の誠を尽くした。それらの信徒に送った御消息の冒頭には必ず、
 供養の品目、数量、それに対する謝意が記されている。

  そうした身延に於ける大聖人の生活には、南無妙法蓮華経の大生命という宇宙、生命の究極の実体を覚知した御本仏としての、無常のものに流されない確たる姿が
 ある。「聖人知三世事」に「幸いなるかな楽しいかな穢土に於いて喜楽を受くるは但日蓮一人なる而巳」(P.975 ②)とあり、「南条殿御返事」に「其の上此の処は
 人倫を離れたる山中なり、東西南北を去りて里もなし、かかる・いと心細き幽窟なれども教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し・日蓮が肉団の胸中に秘して
 隠し持てり、されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の処・喉は誕生の処・口中は正覚の砌なるべし、かかる不思議なる法華経の行者の住処
 なれば・いかでか霊山浄土に劣るべき、法妙なるが故に人貴し・人貴しが故に所尊しと申すは是なり」(P.1578 ⑨)とあるのは、それを表明したものである。
 またその半面、「今年のけかちにはじめたる山中に木のもとに・このはうちしきたるやうなる・すみか・をもひやらせ給え」(P.1507 ⑧)とあるように、
 身延の厳しい困苦の生活を赤裸々に綴っている。これも大聖人の本有の姿であり、苦楽一体の人間本来の姿を示していると言えよう。


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