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仏教大学講座講義集に学ぶ       【 日蓮大聖人の生涯 】

66 美髯公 ◆zkpDymnu/M :2015/10/27(火) 21:44:18

 大聖人は五月十二日に鎌倉を発ち、十七日に身延へ到着したが、その道程と当時の心境を富木常忍に書送っている。「かかち申すばかりなし米一合もうらずがししぬ
 べし、此の御房たちも・みなかへして但一人候べし、このよしを御房たちにもかたりさせ給へ。十二日さかわ十三日たけのした十四日くるまがへし十五日ををみや
 十六日なんぶ、十七日このところ・いまださだまらずといえども、たいしはこの山中・心中に叶いて候へば・しばらくは候はんずらむ、結局は一人になりて日本国に
 流浪すべきみにて候、又たちとどまるみならば・けさんに入り候べし」(P.964 ④)。又、身延へ入る前に故郷の父母の墓へ参りたいけれども、それを断念した真情を
 切々と書綴った消息(「光日房御書」P.928)があるが、この「富木殿御書」の文と言い、御本仏ではあるけれども権力、財力、名誉等に阿る事なく、一人の人間
 として生き抜かれた純粋な姿が滲み出ている。

  日蓮大聖人が未来を指向し、御本仏としての使命を遂行して行った事は、その膨大な著作量を見ても分かる。大聖人は甲斐の国波木井郷に到着するや、直ちに
 「法華取要抄」の述作に取りかかり、五月二十四日付で富木常忍に送った。本抄は十大部の一つで、日蓮大聖人の仏法に於いて肝心の教義である三大秘法(本門の
 本尊、本門の題目、本門の戒壇)の名目を明かし、その要法こそ末法に広宣流布する法体である事を説いた重書である。その後も主君、同僚からの圧迫に悩む四条
 金吾や、父との葛藤で苦慮する池上兄弟等に対して激励、指導と共に信心、教義上の大事な教えを実践に即して記した消息を次から次へと書き送った。

 身延に定住してから「撰時抄」述作までの僅か一年の間に、現在判明している御書だけでも三十数編あり、身延を下った弘安五年までを数えると二百数十編に
 及んでいる。日蓮大聖人は令法久住の為に、弟子の育成に全魂を傾けられたが、その柱となるものこそ「御義口伝」である。「御義口伝」は、法華経の要文を文底
 独一本門の鋭い視点から光を当て講義されたものを、嗣法日興上人が筆録されたものである。まさに、この一書に日蓮仏法の真髄が、凝結されていると言って良い。


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